2010年12月30日
よう子は、コトノ先生の作り笑顔に気づかないこの高橋が不憫な男だと思った。
ま、何かしらこの男のような人が先生の新作に出てくるかも知れないと思った。
ダメ男として。
「それでは、この部屋を半年程お借りいたします」
「ありがとうございます。部屋の物を出して、クリーニング入れますので、そうですね、来週からなら大丈夫です」
だから何回も言ってるのにこのダメ男はすぐ忘れてしまうようだ。
「部屋の中の物は、そのままで結構です。クリーニングもこちらの方で手配させていただきますので、お話させていただいたと思うんですが」
と私は言った。
そう、この部屋は本当に散らかっていて埃っぽい。
内見するんだから本当は片付けておくべきなのだが、コトノ先生の要望で何も手をつけないでくれとお願いしておいたのだ。
「はい、伺っております。ただ最終的に確認をと思いまして。」
と高橋は言った。
「では、明日にでも契約に伺います。じゃ先生そろそろ」埃っぽい部屋から一刻も早く出たかった。
「なつかしいなあ」
ふとコトノ先生が呟いた。
私は先生のこの言葉に一瞬ヒヤリとする。
聞き逃さなかった高橋が「えっ何がですか?」
と不思議そうに聞いた。
コトノ先生は嬉しそうに「私、ここで働いて…」
と言いかけたので私が慌てて割って入った。
「あー、先生は幼少の頃、こういった所に住んでらっしゃいました。今回の作品は、あの頃の記憶に立ち返って、忘れてしまっていた過去の記憶と向き直るというのがテーマです」
一気に捲し立てた私は、高橋に愛想笑いを入れながら説明する。
「あー、そうですか。へえ、奥の深い作品になりそうですね」
と何の疑問もなく高橋は頷いた。
「直木賞受賞後第1作ですから、期待してて下さい」
どうやら、その場をごまかせたようで私はほっとした。
高橋は、新作の内容を聞かせてもらった嬉しさからか、小汚い部屋を満足げに見回している。
「いやあ、この部屋から傑作が生まれるなんてドキドキしますね」
そう言うと高橋は、会社に電話するとかで部屋を出て行った。
途端に、呑気に高橋を見送っているコトノ先生に「先生!」
と私は怒鳴った。
「はい!」
あまりの声の迫力にビックリしたコトノ先生が振り返る。
「ここで、働いていたんなんて口が裂けても言わないでくださいね!」
もう、ヒステリックだと言われようが先生を守るのが仕事だから仕方ない。
「はーい」
間の抜けた返事をするコトノ先生は、私の顔も見ないで部屋を見回している。
「それと、写真も勝手に撮らせてると、週刊誌とか、ブログとかに勝手に載せられるので、注意して下さいね!」
「はーい」
「では、明日以降の打ち合わせがありますので、会社に戻りましょうか」
と私は言い、出て行こうとした。
「もう少しいてもいい?」
「これから、いつでも来れますし、今は本当に散らかっておりますのでもう少し綺麗にしてからの方がいいと思います」
私は、一刻も早くこの部屋を出たかったので早口で言った。
「あ、金魚鉢!」
コトノはそう叫ぶと部屋の端に置いてあるソファーの奥に隠れている金魚鉢を見つけた。
思わず嬉しくなり駆け寄ったコトノは、とても丁寧に愛おしく目を輝かせて金魚鉢をゆっくり拾い上げた。
「先生、話がまだ終わってません」
「この近くに金魚屋さんあったよね」コトノは金魚鉢に付いた埃を手で払いながら、今度は金魚鉢を夕日にかざしている。
「確か、駅前にありましたね」
私はあの頃の記憶を辿って想い出す。
「ちょっと買ってくるー」そう言うと勢い良くコトノは部屋から出て行った。
「ちょっと先生!」よう子は声を掛け、廊下まで追いかけたが、追いつける筈もなくコトノは走って出て行った。
あーもう、これからどれくらいコトノ先生に振り回されるんだろう。
これから始まるコトノ先生とのやりとりに思わずため息が出て、埃だらけの棚に手を掛けてしまった。
手に付いた汚れがさらに私をイライラさせた。
鞄から駅前で配られていた美容室のティッシュで手を拭くと、部屋の中に無造作に置かれているゴミ袋があったので捨てに行く。
全く、ゴミまでそのままにしておくとはどういう神経しているんだろう。
ゴミ袋に手をかけ捨てようとすると何やら束になって捨てられてある物に気付く。
それは仕事柄良く見かけるもので、書きかけの原稿用紙だった。
そして、懐かしい書きなぶったような、それでいて味のある文字。
その昔、字書き屋になればいいのにと勧めた私のアイデアはこの文字を前にして間違っていなかったと確信する。
それは間違いなく学の原稿だった。
全く学はどこに行ったのだろう。
そして肇さんも、そしてゆかりも。
何だか、夢や幻のようだったあの頃が、ようやく現実だったんだと思わせてくれる学の原稿用紙がそこにあった。
丁寧にその原稿を取り出した私は、今まで嫌だった埃をとても丁寧に払い、初めに書かれてある文字をゆっくり追った。
そこには『ひなかの金魚』と書かれていた。
よう子は、その時初めてこの仕事が悪くないなと思った。
そしてゆっくりページを捲った。
同じ頃コトノは、野方の街を走っていた。
街と行っても商店街が連なった庶民的な街だ。
とても嬉しそうに走るコトノとすれ違った商店街の人たちは必ず振り返り、愛おしく笑った。
彼女がとても気持ち良さそうだったからだ。もう一度ここを通ったら、みんなこう声を掛けようと思った。
「頑張れ」と。
そしてコトノは、その笑顔を背中で感じて走った。
そう、金魚を買いに。

ま、何かしらこの男のような人が先生の新作に出てくるかも知れないと思った。
ダメ男として。
「それでは、この部屋を半年程お借りいたします」
「ありがとうございます。部屋の物を出して、クリーニング入れますので、そうですね、来週からなら大丈夫です」
だから何回も言ってるのにこのダメ男はすぐ忘れてしまうようだ。
「部屋の中の物は、そのままで結構です。クリーニングもこちらの方で手配させていただきますので、お話させていただいたと思うんですが」
と私は言った。
そう、この部屋は本当に散らかっていて埃っぽい。
内見するんだから本当は片付けておくべきなのだが、コトノ先生の要望で何も手をつけないでくれとお願いしておいたのだ。
「はい、伺っております。ただ最終的に確認をと思いまして。」
と高橋は言った。
「では、明日にでも契約に伺います。じゃ先生そろそろ」埃っぽい部屋から一刻も早く出たかった。
「なつかしいなあ」
ふとコトノ先生が呟いた。
私は先生のこの言葉に一瞬ヒヤリとする。
聞き逃さなかった高橋が「えっ何がですか?」
と不思議そうに聞いた。
コトノ先生は嬉しそうに「私、ここで働いて…」
と言いかけたので私が慌てて割って入った。
「あー、先生は幼少の頃、こういった所に住んでらっしゃいました。今回の作品は、あの頃の記憶に立ち返って、忘れてしまっていた過去の記憶と向き直るというのがテーマです」
一気に捲し立てた私は、高橋に愛想笑いを入れながら説明する。
「あー、そうですか。へえ、奥の深い作品になりそうですね」
と何の疑問もなく高橋は頷いた。
「直木賞受賞後第1作ですから、期待してて下さい」
どうやら、その場をごまかせたようで私はほっとした。
高橋は、新作の内容を聞かせてもらった嬉しさからか、小汚い部屋を満足げに見回している。
「いやあ、この部屋から傑作が生まれるなんてドキドキしますね」
そう言うと高橋は、会社に電話するとかで部屋を出て行った。
途端に、呑気に高橋を見送っているコトノ先生に「先生!」
と私は怒鳴った。
「はい!」
あまりの声の迫力にビックリしたコトノ先生が振り返る。
「ここで、働いていたんなんて口が裂けても言わないでくださいね!」
もう、ヒステリックだと言われようが先生を守るのが仕事だから仕方ない。
「はーい」
間の抜けた返事をするコトノ先生は、私の顔も見ないで部屋を見回している。
「それと、写真も勝手に撮らせてると、週刊誌とか、ブログとかに勝手に載せられるので、注意して下さいね!」
「はーい」
「では、明日以降の打ち合わせがありますので、会社に戻りましょうか」
と私は言い、出て行こうとした。
「もう少しいてもいい?」
「これから、いつでも来れますし、今は本当に散らかっておりますのでもう少し綺麗にしてからの方がいいと思います」
私は、一刻も早くこの部屋を出たかったので早口で言った。
「あ、金魚鉢!」
コトノはそう叫ぶと部屋の端に置いてあるソファーの奥に隠れている金魚鉢を見つけた。
思わず嬉しくなり駆け寄ったコトノは、とても丁寧に愛おしく目を輝かせて金魚鉢をゆっくり拾い上げた。
「先生、話がまだ終わってません」
「この近くに金魚屋さんあったよね」コトノは金魚鉢に付いた埃を手で払いながら、今度は金魚鉢を夕日にかざしている。
「確か、駅前にありましたね」
私はあの頃の記憶を辿って想い出す。
「ちょっと買ってくるー」そう言うと勢い良くコトノは部屋から出て行った。
「ちょっと先生!」よう子は声を掛け、廊下まで追いかけたが、追いつける筈もなくコトノは走って出て行った。
あーもう、これからどれくらいコトノ先生に振り回されるんだろう。
これから始まるコトノ先生とのやりとりに思わずため息が出て、埃だらけの棚に手を掛けてしまった。
手に付いた汚れがさらに私をイライラさせた。
鞄から駅前で配られていた美容室のティッシュで手を拭くと、部屋の中に無造作に置かれているゴミ袋があったので捨てに行く。
全く、ゴミまでそのままにしておくとはどういう神経しているんだろう。
ゴミ袋に手をかけ捨てようとすると何やら束になって捨てられてある物に気付く。
それは仕事柄良く見かけるもので、書きかけの原稿用紙だった。
そして、懐かしい書きなぶったような、それでいて味のある文字。
その昔、字書き屋になればいいのにと勧めた私のアイデアはこの文字を前にして間違っていなかったと確信する。
それは間違いなく学の原稿だった。
全く学はどこに行ったのだろう。
そして肇さんも、そしてゆかりも。
何だか、夢や幻のようだったあの頃が、ようやく現実だったんだと思わせてくれる学の原稿用紙がそこにあった。
丁寧にその原稿を取り出した私は、今まで嫌だった埃をとても丁寧に払い、初めに書かれてある文字をゆっくり追った。
そこには『ひなかの金魚』と書かれていた。
よう子は、その時初めてこの仕事が悪くないなと思った。
そしてゆっくりページを捲った。
同じ頃コトノは、野方の街を走っていた。
街と行っても商店街が連なった庶民的な街だ。
とても嬉しそうに走るコトノとすれ違った商店街の人たちは必ず振り返り、愛おしく笑った。
彼女がとても気持ち良さそうだったからだ。もう一度ここを通ったら、みんなこう声を掛けようと思った。
「頑張れ」と。
そしてコトノは、その笑顔を背中で感じて走った。
そう、金魚を買いに。

2010年12月22日
コトノは1年振りに、この部屋の空気を吸った。
と言っても深呼吸をする程オーバーなものでもなく、駅から少し小走りで来たので息を整えるためにいつもより少しだけゆっくりと、埃っぽい空気を吸った。
もちろん咳は出るし涙は出るわで息苦しかったが、何だか懐かしい匂いがした。
あや、サトミ、キリコの匂いがした。
そして私の匂いも。
それは、私たちがそこに置き忘れたもののように存在していた。
そして開け放たれた窓から、ふわぁっとした風とともに紅葉した葉がひらひらと部屋の中に入ってきて私の足下に頼りなく落ちた。
私は赤くなった葉っぱを拾い上げ光にかざしてみた。
それは、いつもあやさんがしていた仕草。
何だかやりきれない表情であやさんはこういう仕草をしていた。
いつも雨が降り出しそうな日に。
あの時あやさんは、この葉っぱを太陽に透かして何を見ていたんだろう。
ふとそんな疑問が私の頭をよぎる。
そしてどうやら嬉しくなっていく私の気持ちがゆっくりと体内にに染みていくのが分かった。
何だか書ける気がしてきた。
ここであの日、あやさんと約束した物語を。
「あのー」随分と背の低い不動産屋の男が声をかけてきた。
何度か見た事があるとコトノは思った。
顔と言うよりこの身長を忘れる筈がなかった。
なかなかおもしろいキャラクターだなと思い、コトノは高橋を凝視した。
高橋は、あまりにも見られていることに緊張したのか、あわあわとした口調で続ける。
「後で本持って来ますのでサイン頂いてもいいですか?」
可愛らしくもない笑顔で聞いてくるこの男は私のことなど忘れているようだった。
まあ、このアパートの前や廊下ですれ違う程度だったが、いやらしい目つきで私を見ていたのを覚えている。
「もちろんです」私はデリバリークラブで培った作り笑顔を満面に出し、ちょっと舌が見えるような口の開き方で嬉しそうに言う。
この濡れた舌を微妙にに見せるところが私の得意技だ。
「あ、あ、ありがとうございます!いやあ、ホント先生ってお綺麗ですねー。あの、写真もいいですかね?」
カメラを取り出して高橋は言った。
よう子さんが矢継ぎ早に「写真はちょっと」と止めようとしたが私は「もちろんです」と答え、今度は少し実際に舌を出し甘えるように高橋を見た。
この世の中で私だけが味方になってくれると勘違いしたその男の表情を見ていると、あの頃の私だったらこの男の貯金を3ヶ月あれば搾り取ることが出来たなと思った。
デレデレとした高橋からカメラを受け取るよう子さんのいらっとした顔を見てちょっと現実に引き戻される。
よう子さんは最近私の担当になった。
よう子さんが、学さんやゆかりさんや佐伯さんと同級生だと知ったのはつい最近のことだ。
どうやらよう子さんにとって、このアパートの存在は少し厄介のようだった。
学さんがここに住んでいた10年程前、お互い大学の同級生だったのでよく来ていたらしい。
よう子さんなら、私の知らないこのアパートの過去にも連れて行ってくれると思った。
「はいチーズ」お決まりの舌出しポーズで、高橋にサービスする。
嬉しそうにカメラを受け取り写真を確認し、高橋は
「あちゃー。もう1枚いいですか?ここから上しか写ってないんですけど!」
とよう子にカメラをもう1度渡した。どうやら、おでこから上しか写っていなかったようで、よう子さんらしい嫌がらせだと思った。
高橋は、自分のコンプレックスに踏み入れられたと憤慨するでもなく、これも僕の芸なんですといわんばかりの笑顔で、ちゃぶ台を隣に持って来てそれに乗った。
コトノより少し背が高くなったことを確認した高橋は「これでお願いします」とよう子さんに言った。
思いの他食い下がってくる高橋を哀れんだのかよう子さんは仕方なくもう一度カメラを構えた。
私はもう一度舌を大きく出し、照れ臭そうに、控えめなVサインも作ってあげて写真を撮ってあげた。
写真を撮り終わると高橋は奪うようによう子さんからカメラを奪い写真を確認した。
「うわあ、ありがとうございます。会社で自慢出来ます」嬉しそうな高橋に私は「私もですー」と言って今日何度目かの舌を出した。

と言っても深呼吸をする程オーバーなものでもなく、駅から少し小走りで来たので息を整えるためにいつもより少しだけゆっくりと、埃っぽい空気を吸った。
もちろん咳は出るし涙は出るわで息苦しかったが、何だか懐かしい匂いがした。
あや、サトミ、キリコの匂いがした。
そして私の匂いも。
それは、私たちがそこに置き忘れたもののように存在していた。
そして開け放たれた窓から、ふわぁっとした風とともに紅葉した葉がひらひらと部屋の中に入ってきて私の足下に頼りなく落ちた。
私は赤くなった葉っぱを拾い上げ光にかざしてみた。
それは、いつもあやさんがしていた仕草。
何だかやりきれない表情であやさんはこういう仕草をしていた。
いつも雨が降り出しそうな日に。
あの時あやさんは、この葉っぱを太陽に透かして何を見ていたんだろう。
ふとそんな疑問が私の頭をよぎる。
そしてどうやら嬉しくなっていく私の気持ちがゆっくりと体内にに染みていくのが分かった。
何だか書ける気がしてきた。
ここであの日、あやさんと約束した物語を。
「あのー」随分と背の低い不動産屋の男が声をかけてきた。
何度か見た事があるとコトノは思った。
顔と言うよりこの身長を忘れる筈がなかった。
なかなかおもしろいキャラクターだなと思い、コトノは高橋を凝視した。
高橋は、あまりにも見られていることに緊張したのか、あわあわとした口調で続ける。
「後で本持って来ますのでサイン頂いてもいいですか?」
可愛らしくもない笑顔で聞いてくるこの男は私のことなど忘れているようだった。
まあ、このアパートの前や廊下ですれ違う程度だったが、いやらしい目つきで私を見ていたのを覚えている。
「もちろんです」私はデリバリークラブで培った作り笑顔を満面に出し、ちょっと舌が見えるような口の開き方で嬉しそうに言う。
この濡れた舌を微妙にに見せるところが私の得意技だ。
「あ、あ、ありがとうございます!いやあ、ホント先生ってお綺麗ですねー。あの、写真もいいですかね?」
カメラを取り出して高橋は言った。
よう子さんが矢継ぎ早に「写真はちょっと」と止めようとしたが私は「もちろんです」と答え、今度は少し実際に舌を出し甘えるように高橋を見た。
この世の中で私だけが味方になってくれると勘違いしたその男の表情を見ていると、あの頃の私だったらこの男の貯金を3ヶ月あれば搾り取ることが出来たなと思った。
デレデレとした高橋からカメラを受け取るよう子さんのいらっとした顔を見てちょっと現実に引き戻される。
よう子さんは最近私の担当になった。
よう子さんが、学さんやゆかりさんや佐伯さんと同級生だと知ったのはつい最近のことだ。
どうやらよう子さんにとって、このアパートの存在は少し厄介のようだった。
学さんがここに住んでいた10年程前、お互い大学の同級生だったのでよく来ていたらしい。
よう子さんなら、私の知らないこのアパートの過去にも連れて行ってくれると思った。
「はいチーズ」お決まりの舌出しポーズで、高橋にサービスする。
嬉しそうにカメラを受け取り写真を確認し、高橋は
「あちゃー。もう1枚いいですか?ここから上しか写ってないんですけど!」
とよう子にカメラをもう1度渡した。どうやら、おでこから上しか写っていなかったようで、よう子さんらしい嫌がらせだと思った。
高橋は、自分のコンプレックスに踏み入れられたと憤慨するでもなく、これも僕の芸なんですといわんばかりの笑顔で、ちゃぶ台を隣に持って来てそれに乗った。
コトノより少し背が高くなったことを確認した高橋は「これでお願いします」とよう子さんに言った。
思いの他食い下がってくる高橋を哀れんだのかよう子さんは仕方なくもう一度カメラを構えた。
私はもう一度舌を大きく出し、照れ臭そうに、控えめなVサインも作ってあげて写真を撮ってあげた。
写真を撮り終わると高橋は奪うようによう子さんからカメラを奪い写真を確認した。
「うわあ、ありがとうございます。会社で自慢出来ます」嬉しそうな高橋に私は「私もですー」と言って今日何度目かの舌を出した。

2010年12月15日
よう子は、野方の八百屋の2階にある、6畳一間の風呂なし、トイレ共同の物件のドアの前で、鍵を開けるのに四苦八苦している極端に背の低い不動産屋の高橋を何となく見ていた。
「ガチャ」高橋は私の顔を見て満面の笑みで「開きました!」と言った。
全く金庫開けじゃないんだから。
「もう何年も使ってないので…埃っぽいですが、どうぞ」
中に入ると埃で自然と咳が出た。
「あの、電気は」
「あーすみません。電気止まっておりまして…今、カーテン開けますね」
と、高橋は勢いよくカーテンを開けるが、その埃でさらに部屋は埃で充満し、さらに涙まで出てきたが、高橋は慣れているのか気にせず例のはにかんだ笑顔で続ける。
「一応家具付きの物件になっております。必要なければこちらで処分いたします」
「いえ、このままで結構です」
と、咳き込みながら私は言った。
「あの」
言いにくそうに高橋が言う。
「この部屋って訳ありなんですけど、大丈夫ですか」
そんなこと言われなくても知っているし、この部屋じゃなければ駄目だと言っているのに、この男は人がいいのか事あるごとに聞いてくる。
「正直言いますと、事件があった部屋でして…」
「はい、分かってます。ですが先生がこの部屋がいいとおっしゃってますので」
そう、この部屋は私が担当している作家、コトノ先生が受賞後第1作目を執筆するために、会社が借りた。
前作「サカナ」で、高校の水泳部の夏合宿を舞台に、精神的にも肉体的にも成長する物語を瑞々しく描き、若干19歳で芥川賞を受賞し、超新星と言われている先生が、このアパートで起こった数年の物語を書こうとしている。
おそらくそこには、学やゆかり、肇さんのことまで書くかもしれないし、まったく違う話になるかもしれない。
私は先生を数年前から知っている。
そう、ここがデリバリークラブの事務所だった時から。
ここには当時、あやという作家もいた。
おもしろい文章を書く子だったと覚えている。
私はこのアパートを断片的に10年を知っている人間であることから、コトノ先生と次回作を作るのが私の仕事だ。
だから、知っていることはコトノ先生に聞かれれば答えなければならない。
たかだか10年。
つい昨日の事のようにこの部屋に来てみると感じる。
油断していると逆戻りして行こうとする時間を必死に止めるため腕時計をぎゅっと掴んでしまい、何だか切なくなる。
私はちゃんと話せるのだろうか。
ちゃんと自分自身整理出来ているのだろうか。
ふとそんな不安が自分自身に覆い被さった。
階段からドタドタと誰かが上がって来る音がした。
「先生いらしたんじゃないですか」高橋は嬉しそうに言った。
この男は「サカナ」を読んでいるらしく、今日、先生が来る事を知り、本を持ってくれば良かったと、不動産屋からこのアパートまでの道すがらでうるさい程悔やんでいた。
コトノは勢い良く部屋に入って来て、1階の八百屋さんの声にも負けないぐらい大きな声で「こんにちは!」と元気いっぱいに言った。

「ガチャ」高橋は私の顔を見て満面の笑みで「開きました!」と言った。
全く金庫開けじゃないんだから。
「もう何年も使ってないので…埃っぽいですが、どうぞ」
中に入ると埃で自然と咳が出た。
「あの、電気は」
「あーすみません。電気止まっておりまして…今、カーテン開けますね」
と、高橋は勢いよくカーテンを開けるが、その埃でさらに部屋は埃で充満し、さらに涙まで出てきたが、高橋は慣れているのか気にせず例のはにかんだ笑顔で続ける。
「一応家具付きの物件になっております。必要なければこちらで処分いたします」
「いえ、このままで結構です」
と、咳き込みながら私は言った。
「あの」
言いにくそうに高橋が言う。
「この部屋って訳ありなんですけど、大丈夫ですか」
そんなこと言われなくても知っているし、この部屋じゃなければ駄目だと言っているのに、この男は人がいいのか事あるごとに聞いてくる。
「正直言いますと、事件があった部屋でして…」
「はい、分かってます。ですが先生がこの部屋がいいとおっしゃってますので」
そう、この部屋は私が担当している作家、コトノ先生が受賞後第1作目を執筆するために、会社が借りた。
前作「サカナ」で、高校の水泳部の夏合宿を舞台に、精神的にも肉体的にも成長する物語を瑞々しく描き、若干19歳で芥川賞を受賞し、超新星と言われている先生が、このアパートで起こった数年の物語を書こうとしている。
おそらくそこには、学やゆかり、肇さんのことまで書くかもしれないし、まったく違う話になるかもしれない。
私は先生を数年前から知っている。
そう、ここがデリバリークラブの事務所だった時から。
ここには当時、あやという作家もいた。
おもしろい文章を書く子だったと覚えている。
私はこのアパートを断片的に10年を知っている人間であることから、コトノ先生と次回作を作るのが私の仕事だ。
だから、知っていることはコトノ先生に聞かれれば答えなければならない。
たかだか10年。
つい昨日の事のようにこの部屋に来てみると感じる。
油断していると逆戻りして行こうとする時間を必死に止めるため腕時計をぎゅっと掴んでしまい、何だか切なくなる。
私はちゃんと話せるのだろうか。
ちゃんと自分自身整理出来ているのだろうか。
ふとそんな不安が自分自身に覆い被さった。
階段からドタドタと誰かが上がって来る音がした。
「先生いらしたんじゃないですか」高橋は嬉しそうに言った。
この男は「サカナ」を読んでいるらしく、今日、先生が来る事を知り、本を持ってくれば良かったと、不動産屋からこのアパートまでの道すがらでうるさい程悔やんでいた。
コトノは勢い良く部屋に入って来て、1階の八百屋さんの声にも負けないぐらい大きな声で「こんにちは!」と元気いっぱいに言った。
