逆旅

生家のある田舎が「奥の細道」にて松尾芭蕉が通った場所であり,それを聞いて育った私は,幼い頃から「旅」に憧れていました。やがて,人生そのものが旅であることに気づき,また齢を重ねるにつれ,同様の存在である人=旅人を迎える存在でありたい,と願うようになりました。ブログ名の「逆旅」には,「旅そのもの」の他に,「旅の宿」という意味があります。自ら旅をしつつ旅人を迎え入れる,そんな日常での,独り言です。

本日の秋田魁新報の第一面は,「癌などの病気で入院していても八割は仕事に関与していた」というものであった。
それを見た瞬間,とっさに出た言葉が,
「あらら,かわいそうに」
であった。
自らの生命の危機にありながら,会社の売り上げに貢献しなければならない。

****

精神科医の脊髄反射というものだろうか。
患者さん,特に「うつ」なり立ての方には,
「いかに仕事から離れられるか」
に腐心する。
その人の職場に,
「今はそっとしておいて」
とお願いすることもある。

****

だが,仕事。
休職が必要な状態にある患者さんに,
「仕事から離れてゆっくりしなさいよ」
といくら私が言っても,気にされる方が大変多い。
仕事人間だからか?
会社に全て染まってしまっているのか?
そういう疑問が湧くが,どうも答えはそう単純なものでは無いようだ。

****

私ほど葉緑素を欲しがっている人間はいないだろうと思っている。
出来れば,浮世を離れて山奥で一人で生きていたい。
エネルギーが自己生産出来るのなら,光合成で暮らしていけるのなら,どんなに良いだろう。
仕事とは、働くとは、大変なこった。
そもそも生まれが「売れない雑貨屋」である。
そこで働く両親の姿を見て刷り込まれた,変な等式が心の奥底にある。

「仕事=自力本願で働くこと=食べるために寝食忘れて動くこと=うまくいかなかったら野垂れ死にするもの」

会社なりなんなり,組織で働くという姿を知らないので,いくら打ち消しても,そこまで思い詰めてしまう。

仕事とは辛くて大変だが,それをしなくては生きていけない。
大変だ,こりゃ。

****

患者さんと関わることを続けていくうち,「仕事」には別の面もあることを知った。
「仕事」が,その人の大切なアイデンティティになっているのである。
こういう分野でこういう仕事をしていて,会社にとっては,無くてはならぬ人。
おお,すげーじゃん!

一回,試してみたい。
病院で,入院している人に,
「あなたは?」
と訊いてみたい。

病室で寝ている人は,
「癌患者です」
と言い,
面会室で企画の意見を携帯電話で延々と話している人は,
「○○会社(株)の課長です」
と言いそうな気がする。

「癌」で入院している以上,その人は「癌患者」なのだが,仕事の電話をしているときはシャキーン!「課長」なのだ。
どちらもその人である。
「癌患者」と一日思い詰めて過ごしてもその人自身,「課長」もその人自身。
プライド保持と「癌忘れ」との両立が出来るのだから,「かわいそう」と安易に考えてはならないのかも知れない。
「社会人である」という誇りを持ち続けることが出来る。これは確かに大きいことだ。

****

入院環境下ではそれでも「患者役割」の方が多いと推測する。「患者さん」が仕事している,のだ。

だが,退院すれば逆転する。「仕事人」が病気をしている,のである。

しかも,闘病しながらの労働というのは,かなりキツいものがある。
原疾患からくる辛さに加えて,抗がん剤の副作用も相当のものだ。
心理的にも孤立する。

そこを何とかしましょうよ,と,お国が頑張っている。
何の権力も無い私としては,当事者の方々が,
「かわいそう」
な存在にならんように,と祈るくらいしか出来ない。

そのための制度も整えている最中との由であるが-
この問題になると私には,ひとつ,どうしても消えない強迫観念があり浮かんできてしまう。

①働いて税金納めて,治療しますか?
②働かないで税金もそんなに納めなくて良いので,治療をほどほどのものにひかえますか?

この二つのうちどちらか選べ,と国会で決まったらどうしよう!?というもの。

「高度先進医療」「自費診療」「医療費削減」という漢字の羅列に嫌でも慣れてしまった昨今,どうしてもこの空想,消えないのよん。

③うんと働いて金儲けして自費診療で高度先進医療受けますか?

という選択肢(私にゃとても無理!)は既に出来ているのだから。


無断引用を禁じます。某先生,葉緑素をゲットしたら遊びに行くわ。緑色になっていると思うが,よろしくね。

最近,当ブロ愚の更新がご無沙汰気味。
すっかりサボってパソコンを開きもしていないのか,というとさにあらず。
尊敬するS先生とのやりとりの中で「お前さん,それを文章に落としておくように」というミッションが下ったのである。
単純な私はその気になった!
S先生が面倒くさくなって「もー1人で遊んでろ」という意味で仰ったのか?などと疑う気持ちは微塵も無い。

****

そもそもにおいて,私は,「人生一作」で良い,とどこかで感じていた。
だから「うつと生」を出版したとき,「俺の言いたいことはこれだけだ」とカッコ良く筆を折った。
そうしたら八戸に棲む友だちが,使用していたのと全く同じ万年筆をクリニックの名前入りで送ってよこしたではないか。
筆は,折れてない。
どの業界でも先達はいるもので,今,可能な限り文献を漁っている。
「隙見っけ!」
どうやら,私の入る余地は,ありそうな気配。
いっちょ,やってみますか!

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それにしても神よ!
本を一冊仕上げる時に要する体力,精神力はべらぼうなものだ。
それを我に与え給え。
与えるのが嫌なら,低金利で貸してん。


無断引用を禁じます。某先生,本は何かと手間がかかるから,ブロ愚で発表というのも良いかもな。でも,先生みたいなパクりの名人はどの業界にでもいるもんよ。最近,またひとつコトバを盗まれただよ。


朝の出勤。
駐車場から職場に向かう道すがら,家内が
「あー,かわいそう!」
と軽く叫ぶ。

秋田のこの季節は横殴りの寒風が吹くのだが,
それに生でさらされている私の「手」が可哀想であるというのだ。
確かに言われてみれば冷たく寒い。

仕事を終えて帰ろうとすると
「はい,これ」
と,突然横から柔らかいものを握らせる。



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クリニックの隣の百均で買ったのだという。
てぶくろだ。
ああ,ありがとう。
はめてみると,温かい。

この温かさ-
懐かしい。
とおいとおい昔に感じた温もりなのであった。


****

小学校に入学したての頃,宮城の山沿い,豪雪に見舞われる地域で育った私は,
冬,母に手袋をあてがわれた。
素直にそれをはめたのは,せいぜい小学校3年か,そこらまで。

私は,小学校1年生の頃にペルテス病に罹患し,歩けない子供であった。
(今思えば,ちょうどエディプス期に『去勢不安』を刺激される出来ごと)
そこで,治癒してから後,人一倍,「女々しさ」を嫌うようになっていた。
「男は,強くなければならない」
そう思いつめていた。

歩行が下手くそだったので,爬行の矯正のためと父が有志を募って作ってくれた剣道教室に通い,
こころはいっぱしの武道家であった。
真冬でも裸足。
防寒具なんぞ不要。
てぶくろなんぞもってのほか。
-寒くても「寒くなんか無い!」
と粋がっていたのである。


もとより,昔の宮城は似たような「やせ我慢」の気質があったように記憶している。
そうした土壌であったから,別に変人扱いもされなかった。
「お,凄いね!」
で終わりである。

したがって-これはいみじくも私と同じ年に宮城から秋田に移り住んだ家内(私は大学入学,家内は家族の転勤で高校入学と同時に)ーが,秋田に来て抱いた印象が一緒であった。


「ふくふく,あたたかそう」

秋田の同世代の子どもらを見ると,皆,外套やタイツや厚手のマフラーなどをして,毛糸の帽子をかぶり,微笑んでいる。

「あ,温かそう,ずるい!」

これが宮城なら「軟弱ものめが」と呼ばれるであろう,防寒装備。

私は-やはり18歳で人格の芯が形成されるというのは本当らしく-そのままやせ我慢を貫いていた。
我慢をガマンと認識しない程になっていた。

****

そこにくると,まだ15で秋田に来た家内の方が柔軟性があったというか,「寒いときは防寒具を身に着ける」という文化に染まっていったようだ。

冬。手,かじかむ。寒さ。
あ,だったら,てぶくろをはめればいい。

帰り道,小学生以来となるてぶくろをはめた手を,もの珍し気に,閉じたり,開いたりしてみていた。



無断引用を禁じます。某先生,先生は,こころが,寒かとです。

先日,土曜日,目覚めてウッソー!
左耳が聞こえない。
うわぁ・・・またしても突発性難聴かや。
すぐさま病院に行き,耳鼻科医に診てもらいたいのだが,クリニックにはすでに予約患者さんがおられる。
どよよん,として,あ,だから,「どよよん曜日」か!などとセルフツッコミをしながら出勤。
待てよ?
狭い院長室を探してみると,以前,突発性難聴の発作をきたした時に飲み忘れた薬が残っていた!
これで急場はしのげる。
喜んで飲んで,いざ,外来へ。

****

途中,耳鳴りが加わったり,全く音が入らなかったりしたが,クリニック終了間際には何とか音を拾うようになった。セーフ。
帰路,愛の病院秋田大学医学部付属病院へ向かう。
またしても休日が病院通いで潰れる~などと文句を言ってはなりませぬ。
次回,受診するまでの薬をもらい,ほっとして帰宅した。
あー,びっくりした。
右耳よ,お疲れ様。

****

クスリの飲み残しがあると激怒される薬剤師もおられるようだが,今回は,自分の「飲み忘れ」で残っていた薬に救われた。
私自身,患者役割をとっていて気付くのだが,一日三回+寝る前一回服薬する,というのは,なかなか大変なことだ。
ついつい忘れたりする。
そして,告白してしまうが,飲み忘れ薬で救われること,私自身,実は初めてでは無い。
患者さんも,そういう方がけっこうおられる。
「服薬順守,血中濃度一定に維持」
は,大切なこと。
精神科疾患の中でも,服薬を守らないことが命取りになる類のものも珍しくない。
クスリは飲んで当たり前。
当たり前ながら,色々思うところあり。

****

ここから先は「良い子のみんなは真似しちゃダメだよ!」コーナー。
無論,生死に関わる疾病の場合は論外での話なので,ご注意を。
安易に真似されて人生滅茶苦茶になっても責任は負いませぬ。

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「先生,何だか,いっつもこの薬,飲み忘れてしまって余っている」
と仰る方が,実は珍しく無いのである。
本来はマジメに飲まれる方。←ここがポイント!
若い頃の私は,
「どうしたら忘れずに飲むことが出来るか?」
について思案した。
いくつものワザを開発した。
今思うと,特許を取っておけば良かったと思えるほど。
が,齢を重ねるにつれ,変化してきた。
-無論,患者さんを入念に診察してから後のことであるが・・・
「その薬,本当はもう用済みになっていて,必要無いんでない?」
と判断する機会がしばしばあるのである。
頭では「飲まなきゃ」と思うのに,身体が「もう要らない」と拒否する。
その結果,「飲み忘れ」が生じる。
そんな図式が当てはまる場合がある。
クスリを減らしたり,微調整したりする,チャンスでもある。

****

しかしだからと言って,最初から「昴」の歌詞の如く
「心の命ずるままに~」
飲まないのは,ダメ。
とりわけ,私は最初の薬は心中ウンウン唸って処方する。
ガイドラインに則った治療で良いか?
いや,それでは生温過ぎるな。もっとガツンと先に叩かないとマズいだろう?
などなど。
薬効薬理の他,その人の置かれている環境や家族,立場,病前性格までも加味して考える。
だから,とりわけ次回,次々回・・・などは真面目に飲んでもらい,正直な感想を聞く必要があるのだ。
「安定してるからオラもう飲まなくても良いだぁ」
といって自己判断するのも危険が伴う。

いずれ,意識的に,わざと,飲まないのはかなり危ない。

飽くまでも,「飲もうとしているのに忘れてしまうんだもんなぁ」と,困っているくらいの人に当てはまる場合もある,という程度の話である。
安易にサボらないで下さるようお願いいたします。




無断引用を禁じます。某先生,何だか今回,書いていて「わざと飲み忘れる」人が出やしないか,心配になっちゃった。

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秋田はもう雪です。



無断引用を禁じます。某先生、うちの次女作だよ。

診察室で,患者さんの訴えを聴く。
対人関係上での悩みや苦痛を聴くことが多い。こちらも心痛む。
「可哀想になぁ」
と同時に,
「しかし,『人』っていうのは何とむごたらしいことをする生き物じゃ」
と,にわかに虚無的になり,人嫌いになり,厭世的になる。怒りも湧く。

****

そして,めまいですっ転がらないように車いすに乗せられ帰路につくのだが,
エレベーター,いおりクリニックの入っているデパートビルのドア,どこでも皆様すべからく親切なのである。
今日のように寒くて風の強い雨の日でも,大きくドアを開いてそのまま車いすの私が通るまで待っていてくれる。
これが,驚くことに,毎日。
(このことは以前書いた)

****

そして駐車場に向かい,車に乗る。
毎日,
「今日も一日の仕事が終わった」
という安堵の溜息と共に出てくる言葉が,
「『人』っていうのは,良い存在か,悪い存在か,ワケ分かんねぇ―」
なのであった。

****

「超自我」というのは,
人の無意識の中にあって,
その人の規範を支配するもの。
「超自我」を,精神分析の場面以外で目の当たりにしたのは,東日本大震災であった。
「食べものは分け合うのが当たり前」
「並んでルールを守るのが当たり前」
・・・
マスコミで,悲惨な震災の後なのに,人々は大混乱に至らず,秩序を保って行動していることが絶賛されていた。
褒められると良い気分がするが,別に他人に褒められたくてそうしていたわけでは無い。
「そうしていると,すっとする」
のである。
食べものを一人で多くとろうとしたり,列に割り込んだり,どさくさにまぎれて我を通すなら,もしかしたら腹は満たされるかも知れないのだが,心に何か,ひっかかりが生じる。
これは,超自我の中の良心的な面。
私はその時,仙台の医者だったが,パニックに陥らずに済んだのは,
「これをやっていれば良い」
という超自我のオシエに従い,黙々と医者業をやっていたから。
これは,「超自我に守られた」と表現出来る。

****

超自我は「親のオシエ」のみならず,時代,風土,文化,教育の影響を受けて形成されるもの。
同じ時代を生きる日本人,東北人,さらに秋田県人,共通部分が比較的多いのであるが,本質的に超自我は各個人異なる。
その人にとっての「超自我」-それに従っていると,すっとする(葛藤的にならずに済む)は,その人それぞれ。
同じ部分(『車いすに乗っている人には親切にしようよ!』)もあれば,異なる部分(『仕事中に鼻歌なんか歌うモンじゃないよ!パソコン打ちながら「仰げば尊し」をハミングするな!』)もある。個人のぶつかり合い,つまり「超自我」どうしのぶつかり合いは,これは努力して妥結点を見出すしかない。
したがって,私のくだらない一日をもって「性善説か?性悪説か?」と決めることは出来ない,してはならない。

****

その目で見ると,家族,というものはしみじみ・・・しじみ,あさり,はまぐり,面白いというか業が深いというか。
異なった超自我を持った男と女が出会い,恋愛し,結婚するところから始まるのであるが,「超自我」が別なので,夫婦喧嘩は当たり前,ということになる。表立って喧嘩に至らないのは,お互い大人でそれぞれを尊重しあっているか,すでに早々に諦めているかのどちらか。
子ども,というのも気の毒な存在である。
父親からの超自我,母親からの超自我,と,二つ異なった超自我が入るので,本質的に,ワケわかんねー,矛盾だらけである。
その父親も,子どもだった昔,自分の父親と母親から矛盾だらけの超自我を植え付けられているので,自分の子に対してもワケわかんねーまんま接することになる。
精神分析をやるときに「6人(父親,母親,双方の爺さま,婆さま)を相手にせよ」と言われるが所以である。



無断引用を禁じます。某先生,先生の超自我って,6人じゃきかないな,その数百倍はあるような感じ。

開業時のコンセプト。
それは
A.M.C
「あまり・儲からない・クリニック」
であった。
金儲けしてセレブになることを目指すなら-爽やかな笑顔で患者さんのご機嫌取りをして,誇大広告を出し,さり気なく依存性薬物漬けにして・・・とすれば良いのだろうが,そうはなりたくない。いくら落ちぶれてもやりたくない。
精神療法の先達ら-フロイトやその弟子ら-は,最終的には自分のクリニックを構え「自分の治療」をやっていた。
その事実が私を開業に走らせたのだった。

****

そうやって我を通していたら,
H.M.C
「ほとんど・儲からない・クリニック」
になっていた。
それでも何とか,食べてはいけている,ほっ。
いおりクリニックを選んで来て下さっている方のために,良かれと思う治療行為をする。これは医者冥利に尽きる。
それでいいのだ。

****

クリニックをやっている妙味,の一つを最近,味わっている。
OB,OGとの再会である。
治療の副作用でめまいがするため,大事をとってトイレまで車椅子で移動しているのだが,押してくれている家内が
「あら!」
と声を上げた。
私は,家内の知り合いだろうと思って用を足しに行った。
済ませて車椅子に戻ってもまだ二人,話をしている。
「やだ,忘れたの?」
「ええっ?」
他ならぬ,Aさんであった。
すっかりイメージが変わっておられたので気づかなかった。ひょっとしてうちの給料では美容院行けなかった?
彼女はいおりクリニック立ち上げの時に奮闘してくれた事務スタッフである。実によく貢献してくれた。良いスタートをきれたのは,Aさんがいてくれたからである。
まだ若いのにパート待遇でしか雇用出来ない自分を不甲斐なく思っていた。
正社員制度を採れない自分が情けなかった。
だから,数年後,就職活動をすることを認めたし,またAさんがきちんとした会社に正社員として採用が決まったときは,とても嬉しく思った。数秒してから,「ああ,うちの貴重な人材がホントにいなくなるぅ!」とあたふためいたが。
そのAさんがお土産を持って,いおりクリニックに陣中見舞いに来てくれたのであった。しばらくトイレの前で立ち話をした。

****

「近くまで来たから」と,顔を出してくれた元・患者さんもおられた。
私はあいにくクリニックにおらず,直接お顔を見ることは出来なかった。
治療者-患者,という関係の頃は,いろんなことがあったはずなのに,不思議。
苦労したことは覚えていない。
綺麗ごとめくが,笑顔しか想起出来ないのである。

****

そして思うのだ。
「治療者」
「患者」
と,分類しているが,いつしかそれは変わり,内面の呼称は
「あなた」

「私」
になっている,と。
距離が,ほどよく,縮まっていくのだろうかと思われる。

****

医者,というのは因果な商売で,治療が終結したあかつきに
「またお会いしましょう」
と言えない。
再度病気になれ,という意味になってしまう。
一旦,治療が終結したり,あるいは改善して通院して来なくなったりした方が,またお見えになることも増えた。
その時の,自分に湧いてくる感情が,独特であることに気づいた。勤務医の頃には無かった質のもの。
「あれっ,あれっ!どうしたのどうしたの?」
患者を診察する治療者,というよりも,
「大事な『身内』に何かがあった!」と心配する叔父さんのような気持ちになってしまっているのである。
これには私自身が驚いた。
いかんいかん,と思い直す。
治療者である私が,患者さんに,あまり「べったり」し過ぎることは,治療的側面から良く無い。
だから,久しぶりの名前が書かれたカルテを事務が置いていったときは,一旦深呼吸して,頭を冷やしてからお呼びするようにしている。

****

病院勤めの頃は,お出でになる患者さんは「私」では無く「〇〇病院」に来ているのだろう,と考えていた。
有難いことに,転勤しても,県をまたいででもついて来てくださる方もおられたが,それは余程のことであろうと思っていた(低い自己評価ってやつ?)。

ところが,クリニックになってからは違う。
あくまでも「いおりクリニック」の大沼に来て下さるのだ。
そして私は,いわば「ホームhome」にお招きしているのだ。
そうなると,たいせつに思う気持ち,治療の熱の入り方,真剣度,が不可避的に異なるものとなる。
だって我が家にわざわざお出でになられたのだもん。

最近,実感を伴って,伝説的精神療法家(ユングなんぞは医学部教授であったのにも関わらず)らがわざわざ個人クリニックをやったのか,分かってきた気がする。


無断引用を禁じます。某先生,先生んとこT.M.C(『とても・儲かる・クリニック』)だったはずなのに(『大変・迷惑な・クリニック』)になられたそうで,何と申し上げたら良いのやら・・・

医学部は相変わらず人気があるようだ。
しかし,伝え聞く所に拠ると,医学部生のウツはかなり多いらしい。
私が医学生の頃はまだ牧歌的で,
「お前ら,医者になったらちゃんと勉強するんだぞ」
とせせこましい詰め込み主義の勉強は強いられなかった。
しかし,その言葉に呼応するが如く,精神科に入ってからは貪欲に学んだ。
「ここから先は,自分の治療スタイル」
そう思えるようになってから開業した。
20年を要した。

****

どの仕事も大変だ,というのは重々承知の助である。
医者だけが大変なのではない,と無論知っての上での話だが-
医者は大変だ。
精神科医になったことに後悔はしていないし,精神医学への興味も尽きず,臨床はむしろ喜びですらあるのだが,
やはり医者は大変だ。
少なくとも私にはどえりゃー大変だった。
八丈島タイムマシンセンターの,きょんに頼んで過去に戻れるなら,高校時代の私に,
「医学部受験なんか止めちまえ!」
と説得していると思う。
「人様の人生や命を預かる重いおもい責任感に押しつぶされるぞ。人を24時間心配する身,というストレスに耐えうるか?」
と諭していると思う。

****

身体科を選んだ友達らの苦労話を聞いたが,これまた苦労はあるものだ。
「げんだいいがくのしんぽ」がいくらなされたところで,
治療が困難なものは困難であり,治らんものは治らん。
だがー
人は昔ほど「大人」ではなくなった。
医者は病気を治して感謝される仕事,と言われるがとんでもない。
イマドキの人は「病気は治って当たり前」だとどこかで思っている節がある。
都会の知り合いの医者の話。
一所懸命治療をして,やれることは全てやって,それで患者さんが亡くなって家族から言われる言葉は,
「医療ミスは無かったのですね?」
であるそうな。
思った通りの治り方でないと,ご機嫌ナナメになられる,怒られる,罵られる,だそうな。
私は彼を不憫に思い,私の精神療法を受けるように勧めた。即座に彼は拒絶した。

****

子どもはホントに親の背中を診て育つもので,三人の娘らは医学部に行こうなどとつゆさえ思っていない。
宮城県仙台市宮城野区中野栄出身の妻と同一化して「子どもは何人欲しい」「転勤して歩くのはちょっとな」と原則主婦になることを前提としてモノを言っている。

私は,我が子らが,医者という気の抜けないストレスだらけの仕事を選ばなくて良かった,と内心ほっとしている。私がしたような苦労はさせたくない。
その一方,「ご子息が医学部に入られた」という方を前にすると,「おお,すげぇ」と思う。

ここだ,ここ,ここ。
ここがミソなのだ。
「医学部に入りたがる子ども」
では無く
「医学部に入れたい親」
が多い,というのが本当のところなのではないか?
親のエゴ,見栄,恐ろしや。

****

医者は社会的ステイタスが高いと言ったのは,今は昔の話。
「医者」=「金持ち」というイメージにいつまでも踊らされてはなるまい。
昨今の不景気騒ぎから「手に職を,肩書に資格を」と思われている様だが,コスパはいかがなものなのだろう?
歯科医師,弁護士・・・かつての「先生」職も数が増えてくれば有難みは減り,かつてのような人気職業ではなくなってくる。
(『開業医は儲かるだろう』という厚生労働省が作り上げたイメージを信じて反論なさる方がおられるかも知れない。が,『金儲けの上手い人間』は,生まれつきそう出来ている。同業者の開業医センセらを拝見していると,『別に医者やらなくても何かで儲けていただろうな,このお方は』という先生と,我が身の如く,誠に残念ながら,そうとは言えない先生とに大別される←こういうことを書くから私は嫌われる)

いずれ,地域枠でへき地医療を解消!というスローガンのもと,医師が大量生産され,結果,医者余りの時代は遠く無く来るであろう。

****

でも,それは良いことなのかも知れない。
本当に医者をやりたいと切望する人間だけが,医療をやる世の中になるのだから。
親への恩と義理と見栄とに縛られて,一度しかない人生「何か違う気がする・・・」とそこはかとない疑問を感じて生きるよりは,本人にとっても幸せなことだ。
無論,患者にとっても。


無断引用を禁じます。某先生,秋田大学は,女子も多浪も差別してないと思う,同級生の顔を並べて思い出すに。

抗不安薬の依存性や副作用が問題になって,厚生労働省が本気になってボコボコしにかかって,乱用の問題はお陰様で以前よりはややマシになってきている感がある。

****

しかしこの「抗不安薬」というもの,様々なパラドックスを含んでいる。私の先輩は大学院でそのパラドックスの一つをテーマとして研究するように言われたが,結果が出ず,焦り,「ああ,抗不安薬飲みたい!」と錯乱なさっておられた。

新人相手に専門家が講義するクルズスでは,
「お前ら,『抗不安薬』は飲んで覚えろ」
と言われて終わりだった。
ずい分乱暴だな,と思ったが,確かに「数値化出来ない違い」がある。
星の数ほど抗不安薬はあるのだが,禁弛緩作用がどうだ,半減期がどうした,などと数値で語ろうとしてもどうも限界があるようだ。
質の違いは,数では分からない。
科学的に説明を求められてもしっくりいかず,
「この薬はですね,『先ほどまで彼のほとんどを覆っていた湿っぽい心配はいつしか水滴となり床に垂れ落ちた。それとともに,あれほど苦悩した選択が,斜め読みする価値も無いほどのつまらないエッセイのように思えるのだった』って感じですな」
と,文章にして伝えるのが良い。
が,誰も望まないので今の所誠に遺憾ながら封印しっぱなしにしている。

****

専門家センセに素直に従い試飲してみたらなるほど!
エライ違いがあるのであった。
「抗不安薬」と一括りに出来ないと思えたものであった。
「人格変化まで起きるんでないのぉ!?」と駆け出しの頃の私は驚いた。

論文や,教科書が,当てにならない!
あくまで目安に過ぎず,経験がモノを言う,大変だこりゃ。
そう感じた。

ではなぜ,これまで気軽に処方がなされてきたのだろう?
恐らく,
「抗精神病薬」を「メジャー」
「抗不安薬」を「マイナー」
と呼ぶ現場の習慣からきたのではあるまいか。
「マイナー」=「ちっぽけ」=「些細」=「お手軽」=「とりあえずビール」
という連想が働き,その場しのぎのつもりで漫然処方・・・
大方,そんなところであろう。

****

現場では,最近,患者さん側の方から
「『抗不安薬』が処方されていて不安になる!」
という声を聴くようになった。

精神科領域では,クスリは,薬物療法を選んだからには効くように,処方するからにはいつかは不要になるように(一部疾患を除く),されるべきである。

自慢で申し訳ないが,特に抗不安薬に関しては,私はかなり神経質な方であった。
「いつ頃,どう切るか」
を頭にイメージしながら処方していた。カルテにも一言書いておく。
「どうして今この人に『抗不安薬』が必要なのか」
を自分に説明できない限りは,処方しない。

その不安の質がどのようなものであるか,しつこくしつこく確認する。
クスリの切れ味が鋭いものが良いか,鈍いものか。敢えて「鈍い」方を選ぶ場合も多々ある。

そして-
そもそもその患者さんがどのような人であるか(意外とここで役立つ力動論的診断『精神分析的な診立て』)。

****

しかしですねぇ,ぶっちゃけ申しますとですねぇ・・・
「『抗不安薬』が要らない世の中になってくれぃ!」
というのが本音なので御座いますです。
やはり,51年しか生きていないので偉そうなことは言えませんが,ちょっと最近「生き難さ」が加速度的に強まってませんかねぇ。

確かにお釈迦様の時代から「一切皆苦」で,生きるのは大変なこっちゃこりゃ。
苦しいもんよ。
不安なもんよ。
酒,タバコ,アスピリン・・・そうした毒だの薬だのにすがってないととってもやっていられない。
しかし
「健康的じゃありません!」
の一言で「健康でなくなってしまう不安」の方が先に立ち,こうした物質の摂取を控えましょう,という風潮になった。
あくまで個人的見解ですが,今回の「抗不安薬で不安」騒ぎも,その延長にある気がしますです。
「あああ,辛くてやってらんねーな」
「嫌な気分をちょっとだけやわらげたい」
そんなニードが人には潜在的にあるで御座いますよ。
そんなとき,抗不安薬は確かに簡便だった。比較的安心であった。何せ医者が処方してくれるのだから!

これらの「毒なのに薬」な物質を使わずに済むようになればなぁ。

もうちょっと,ダメ人間でも許される世の中,あくせくしなくても済む文化風土,比較の上でしか幸せを感じ得ない価値観,「そこそこ」の在り方で「そこそこ」の幸福が感じられる社会。
人間関係に於いても-アホかと思われるのを承知で言えば-「みんな,なかよく」が出来る成熟。
そんな風になれば,抗不安薬は,「ただ眠くなってぼーっとする物質」に繰り下がると思うんですけどね。

無断引用を禁じます。某先生,「抗不安薬どうしの違い」を語らせてみると,その医者がどんな治療をする人かわかる,って,本当の話だんべ。

私がこの仕事に就いた25年前は,とある疾患(病名を記すと誤解を招く可能性があるので敢えて伏せる)-薬物療法が効かない-を精神分析的精神療法で治そうとする試みが盛んであった。
それはかなり難しく,勉強しても勉強しても,し足らない。
実際の面接を定期的に熱心にやっても,報われることは少なかった。
これが「若さ」というものであろうか,私は困難であればあるほど燃えた。

****

治療的な介入をしても,中々良くならない。
しっかり指導者について助言を頂戴しつつ週に一度のペースで面接をするのだが,治療抵抗性である。
指導者もろとも首を傾げることの連続であったと言っても過言では無いと思う。

二進も三進も行かず,何をどうしたら良いか分からなくなる事態(サールズはこれを『宙吊り感覚』と呼んだ。言い得て妙)に陥ってしまう。
通常の面接をしているだけ。
しかし,その疾患に罹患した人の特性であるのだが,
「大沼の馬鹿!」
「こんな所,二度と来ない!」
「お前なんか呪い殺してやる!」
「先生なんか,大嫌い!」
「憎ったらしいヤツ!」
と,お切れになられ,罵詈雑言を私に浴びせ,ドアをバタン!と閉めたり蹴とばしたりして出ていく。
取り残された私は途方にくれた。
が,この現象は私だけでは無い。治療者や,他の人にそうしてしまう病理を持った疾患なのだ。
そうは分かっていても,せっかく積み上げてきた面接がひっくり返されるのは,かなり,こたえた。
診察室にこもって面接を多くこなしていたのだが,やはり,治療者である私も相当,ダメージをくらう。

****

その疾患を専門にしていた先生にあるときそれを嘆くと,ある論文をくれた。
驚いた。
「その疾患の患者さんとは,『気まずい別れ』をした方が,疾患それ自体の予後が良い」
つまり,後味悪い別れ方をしたとしても,治療的にはそれがむしろ良かったりする,ということだ。
その論文が絶対,というわけでは無かろうが,かなり救われた。

****

また,精神療法の勉強会に出席すると,他の治療者と良い具合に治療が進んでいる,という場合もあった。
私が下手だから,と思い込んでくよくよしていたが,よくよく考えると,逆もまた真なり。私がそれなりに良くしている患者さんは,前の治療者と気まずい別れ方をした人が結構な数いることに気づく。
後に,私の精神療法のバイブルとなった教科書を読んでいたら,
「患者さんは無意識に,前医とやらかした失敗を繰り返すまいと次の治療者との間では努力する。だから,後の医者ほど得をする」
と書かれていた。読んでずっこけた。

****

私が内心,治療者としてとても尊敬していた先輩がいた。
陪診させてもらったり,薄っぺらい壁越しに聴こえて来る患者さんとのやりとりは,傑作だった。
その先輩は,患者さんに,こびへつらったりしない。
ストレートに,良かれと思うことを伝える。
患者さん自身の問題を突き付ける。
患者さんも,本音でそれに歯向かっていく。
反論する,その中で,新たな自分の考えを語ったりする。
こちらが聞いていて「大丈夫かよ?」と思うほどの,直球勝負であった。
毎週口喧嘩しに来ているの?と思える患者さんがいた。
先輩が転勤するとき,私が引き継ぐことになった。
「○○さんを宜しく頼むぞ」と言われた。
そう告げる先輩の口調から,先輩が-あれほど毎週大喧嘩しているようなのに-本当の意味で患者さんを愛しているのが分かった。
ある日,その○○さんが,しみじみと,
「以前は,あの先生のことを『意地悪,分からず屋,冷たい』と思っていたけれど,今は,本当に私のためを思ってくれていたのだな,と感謝している」
と語るのだった。

****

そういった経験から,私は,徐々に,患者さんから嫌われたり憎まれたりすることを恐れなくなっていった。

それは,親子関係になぞらえ得るかも知れない。

私のことを,好きだろうが嫌いだろうが,問題なのはそこでは無い。
治療者である私を踏み台にして,なんとか,目の前のクライエントが自分なりの人生を歩んでくれれば良いのである。
その後,
①「大沼,あの悪者」
②「大沼,今考えると良いヤツ」
③「大沼,って誰だっけ?」
いずれも正解。
(ガクモン的には,①②③とで『成果』は異なりますがこの際どうでもよろし)
「先生なんか大っ嫌い」
「憎い!」
私の所に戻って来ても,あるいは前医に対してそう言って別れたとしても,そのことを見つめ直すのは治療的。
「どこで,そう感じたのか?」
をともに考えていくことそれ自体が治療となるのである。

****

最近,よく,彼や彼女のことを思い出す。
気まずい別れが激減したのである。
もしかしたら,その後,私が修行する中で治療スタンスが変化して,知らないうちに「気まずい別れ」を経ずに治療する術を身につけたのかも知れない。
現在のクリニックの「雰囲気」のせいで,その疾患の患者さんが来にくくなった可能性も否定できない。
いやもしかしたら,その疾患が減少した?そういうことってあり得るの?


無断引用を禁じます。某先生,その疾患が減ったのか,あるいは根っこの病理は一緒でも「現れ方」が変わっただけなのか。なんだか後者みたいな気がするな。


日産のショック

「ガーン!」

では無く

「ゴーン!」



無断引用を禁じます。某先生,諸行無常の鐘の聲,ゴーン!

先日,とりあえずの昼食をとりに入った店で,私がうつの頃に主治医を引き受けて下さったH先生に偶然お会いした。
もう,十年以上も昔のこと。先生は定年を超えられ,病院を今年いっぱいで去られる。
私は,かのウツが抜け,いっちょ前になった。
が,還暦を超えた先生のお姿は,全く,老けも,小さくも見え無い。
それどころか「野性味」が加わった感じがする。

****

退職後に関東でアクティブにやっている一群に合流し,明日の精神医療をけん引する役割を心待ちにしておられた。
私は昨今,どうも「守り」に入り勝ちであり,それがとても恥ずかしく思えた。
主治医-燃え続ける先輩-がとても眩しく見えた。

****

やはり主治医は主治医。
私は自然に,素直に自分の現在の心の内を語りたい衝動に駆られた。
もう「医者-患者」という関係では無いはずなのに,である。
ウツ時代の「治らない,治らない」と毎度こぼしに外来に行っていた日々が懐かく思えた。
またそれを「ほっか,ほっか」とにこやかに受け止めて下さったH先生のお姿も口調もはっきりと思い得出せた。
まだ,私の主治医であるように思えて仕方が無い。

****

店内は他の客も多く,当然,私が現在の自己をぺらぺら語ることは憚られた。
立ち話だったので,多くは語れない。
「いつか,先生が秋田を去る前に,もう一度あらためてお会いしたいのですが」
それすら言えなかった。

****

「あの時はお世話になりました」
「この時はこうでしたね」
などと言うノスタルジアは,H先生にはそぐわない。
H先生は,前しか向いておられない。
関東で待ち受ける患者と,挑戦の日々しか,心に描いていない。
「医者はなぁ,こうあるモンだぜ!」
と,最後にH先生に教わった気がする。


無断引用を禁じます。某先生,自ら「H先生超え」を果たしたかどうか?自問自答して安眠出来なんだ。

毎週日曜日,秋田魁新報の一面には,内館牧子氏のエッセーが載る。
私も愛読している。
今日はなんと!
大ファンのプロレスラー,武藤敬司選手の言葉が引用されているではないか!
「思い出と闘っても勝てねンだよ」
私は,はっとした。
これを内館氏は「至言」としている。
同感である。

****

プロレス,不思議。
醍醐味が沢山ある。
しかも自分の年齢や,置かれている状況によってもそれは変化する。
単なる「勝負」-どちらが強いか,勝ったか負けたか,だけではない。
勝ち負け,というよりも,キツイ技をかけられても耐え,
大一番で負けたとしてもまた再起を誓って踏ん張る,
そういう選手たちの姿に,自分を重ね,しんどいこの社会の中で,生きる勇気をもらえるからでは無かろうか。
若い頃は,上の世代に立ち向かっていき,ついにはチャンピオンとなっていく雄姿に鼓舞された。
私が開業して,不安を感じたときは,同年,大きな団体から離れ,自分が団体を率いるようになった武藤選手に想いを馳せた。
難聴になりハンディキャップを背負う身となったときは,私生活では介護が必要なほど膝にダメージを負っている彼を思った。
偶然ながら,難聴に対する救いの最終手段,「人工内耳」の話が出た今年,武藤選手は膝に「人工関節」を入れた。

****

武藤選手は日本のみならず,アメリカのマット界でもトップレスラー待遇であった。
現在は,「大手」から離れ,自分の団体で地方を回ったりしている。
かつての栄光を思い,現在を嘆く,それは愚か,全く意味の無いこと。
またしても武藤選手に教えて頂いた。
「今」を懸命に生きよう。


無断引用を禁じます。某先生,とかなんとか言って,秋田魁新報社様,内館牧子様,武藤敬司様から引用させて頂きました。ところで最近は,プロレスファンも変化したようで,若い女性が増えたそうですな。


企業で導入されているストレスチェックリスト,これでメンタルヘルスの質は向上する!はずである。
が,制度決めればこぼれ落ちがあるのは世の常で,「下手にここで『メンタル弱っ!』とレッテル張られたら終わり」とて,ウソをついて健康なふりをしている人が結構おられる模様。
人事に影響が全く無いか?等とお悩みになられてらっしゃる。
実際,クリニックを訪れる方の中には,会社でのストレスチェックではしらばっくれている方も少なくないようだ。症状が重篤でも,何とか隠し通そうとする,その心理は健康的なものでは無いにせよ,理解は出来る。
会社で平気なふりをしていても,内心「やべ!」と思われたら,そっと,受診なさってみても悪くないと思う。

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私にはあっけらかんと「ストレスチェックでひっかかりそうだった。会社にばれるのが嫌だったから内緒にしておいた。でも気になるので来た」と言って頂いて構わない。
他も,遠慮なさらず,ずかずか仰ってもらった方が,私は助かる。

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一昔前,
「お父さん,眠れてる?」
と書かれた,女子高生のポスターが散見された。睡眠障害をもってして早期発見につなげようとする試みは,ある程度の成果はあったようだが,その後も自殺者の増加があった。
自らの,不調の気づきがあれば良い。
ストレスチェックを引き合いに出さなくとも,日常生活の中で「あなた,少し,こころがお疲れ気味かも」という目安は何か無いだろうか?
自分の臨床を振り返ってみて,「ああ,これはちょっと,『お疲れの度合』が過ぎるな」と感じるかすかなヒントを思い出すごと,このブロ愚に書いてみることとする。
「ウツのつぼ・1」シリーズのように不定期。

****

お疲れの方の思考には,
「たまたま」
が,無い。
どういうことかと言うと,「偶然」「運悪く」「たまたま」という「運の悪さ」という概念が欠けてしまっているのである。
何か良く無いことが起きると,
「やはり,生きているのは辛いこと」
「私の人生,悪いことだらけ」
と思考がすっ飛ぶ。
たとえ意識の上では「たまたまかも知れないが」と思えたとしても,原則,「ダメなんだ」と悪い方向に向きっぱなしとなり,修正が困難だったりする。
「たまたまか?いやそうじゃない」と押し問答が始まる。

****

こういう時は,「どっちでも良い!もう知らない!」と無責任にとっとと多めに睡眠をとるのが手っ取り早い解決策だ。
しかし,先の「押し問答」が実はしつこくて眠れない,十分寝たがやはり偶然とは思えない,それで思い詰める・・・
というのが続くようなら軽く要注意。

****

仲の良い人に思い切って話してみて,それで助言を受けてもまだ気になるようなら,一旦,受診して相談してみても良いかも知れない。
実際,こういう所から始まる「こころの肺炎」もあるのである。


無断引用を禁じます。某先生,たまたま先生と出会ってしまった。嗚呼。

本にもお書きしたので,拙書をお持ちの方は今回のブロ愚はパスなされることをお勧めします。
精神にしろ身体にしろ,「病」というものは陰鬱なもので,お釈迦様も四苦の中に入れているほど。
病にかかりっぱなしでは損であり,悔しくシャクなので,何か得する側面は無いか?と無い知恵絞って考えてみました。
これまで出会った患者さんと,己の経験とを参考に。
すると,いくつか思い当たるんだなこれが。

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①「意外な方との『再会』」

隠れて,そっと,サポートして下さる人の中には「ええっ!この方が!?」と驚く人物が混じっているもののようです。
これは,私だけの経験ではどうもありません。健康な時に付き合い「そこそこ仲良し」と思っていても,いざ,困った事態になると素っ気無かったりされる場合が多く,「病」の他に「失望」を合わせ抱く。これはとても辛いことです。だが,不思議ふしぎ,これまでそれほど思い入れが無かった方が,裏でそっと支えてくれている。その事実を人づてに聞いたり,偶然知ったりする場合が多々ある。私に限らず,これまで出会った患者さんにも,そういう経験をなさっている方が,意外と多い。私はその度,言葉に出来ない感謝と,感動を覚えます。そして,有難く思うと共に,「自分もそういう存在になりたいものだ」と切に願います。これを「情」と呼ぶのでしょうか。「情」の連鎖が起きたとしたら,これは素晴らしいことですね。

②「元々の自分の発見」

これまで,精神医学道を突っ走って来ました。
宮城県仙台市宮城野区中野栄出身の妻に,「医者になる前のパパに,やーっと戻った感じ。実に25年半ぶり」と言われました。あのまま病気知らずでいたら,本来の自分とは別の「医者バージョン大沼」としてしか人生を送れなかったのでは?と思います。元来の気質が,蘇ってきた感じ。我ながら懐かしく「これが大沼でした」と気づくこともしばしば。
これは「人格形成理論」に新たな考察を加えるものではあるけれど,面倒なので今回はパス。

③「隠れ能力の発掘」

私はクスリの副作用で,見事,難聴とめまいをきたすようになりました。とりわけ難聴になったときはショックで,ウツが微小再燃したほどです。精神科医最大の武器である「耳」が使えない。もう終わり。しかし,すこぶる高価な補聴器ならびにその補助具を使い,何とか患者さんの仰っていることが聴こえるようになってしばらくしてから,あることに気づきました。
患者さんの発言のうち,「コトバの意味」は今でもお声の小さい方だと聞きそびれることがあるのですが,「コトバの音調」に敏感になりました。
さらに面白いことですが,他の感覚器官-例えば嗅覚など-もまた敏感になりました。
医学において診察は「診る(みる)」であり「見る」に通じるのですが,これまでよりも「見る」ことに頼るようになりました。アドラー心理学ではないけれど,ある器官が衰えると,他の器官が代償するものだ,と痛感しております。
やや胡散臭い話になってしまいますが,何だか神さまに,聴覚の代わりに他の感覚をプレゼントされたように感じる瞬間もあり,ざわっとしたりしています。

その他,色々御座いますが,明日は宮城県仙台市宮城野区中野栄出身の妻が人間ドックに行くため,私も早起きせねばならず,今日はこの辺で失礼いたします。

無断引用を禁じます。某先生,でもやっぱり健康な方が良いわな。

うつ病をやって,リハビリ出勤をしていた日々は,辛かった。
綱渡りのような,生活と,労働を,何とかこなす。
のっそりした外見裏腹,いつ「自殺」へ転落するか分からない,という危機感と背中合わせの毎日だった

突然訪れる自殺発作に抗うことが出来るか。甚だ不安であった。

****

こんなにつらく苦しい毎日なら,確かに死んだ方が楽なのかもな。

へとへとになり帰宅して,バタリとテレビの前に倒れ込んで,そう思った。

いや,何がなんでも生きなければならない。

だが,辛い。
旧式のテレビから何かのCMの曲が流れていた。

「頑張ってから死にたいな」

耳に入ってきた歌詞。

「ああ,これだ,これなんだあ」
と,答えが分かってほっとした気持ちが湧いた。
気が付くと涙が流れていた。

****

後になって知った。
作詞作曲は,かの,中島みゆき氏。
曲名は「重き荷を負いて」であった。
徳川家康の名言からインスパイアされたのかどうか知らない。
しかし,ものの言い方は一見々同じでも,含意するメッセージは異なるように私には思える。

****

興味がある方は歌詞を検索なさってみてください。
私はこの曲を,うつのリハビリのテーマ曲だと思っている。
復職した職場で,「うつハラ」を受けるなどした際,ガラケーに入れておいたこの曲を一人隠れて聴いた。

人はどうせ死ぬ。
今,辛い。
なら今死ぬか?
いやどうせなら,頑張ってから死にたいな。
(うつは,何だかんだ言って,頑張るのが,得意で好きなのだ)

****

うつを抜け,その後も散々な目にあったがめげそうになりながら生を強制続行。

だが,罹患した身体疾患には,やはり参った。
病気や薬の副作用だけならまだ良い。
が,守らなければならない患者さんらや家族らがいる。

昨日は,ふ,と,この「重き荷を負いて」を思い出した。
You tubeではカバー曲しか聴けず,ご本家,中島さんの歌声を聴きたいと切望した。
しかし,副作用でやられた聴覚は,単なる難聴では無く,音程までめちゃめちゃになってしまっており,あの歌声はついに幻のものとなっていた。

今は記憶の中から,何度も繰り返し聴いたこの曲を力任せに引っこ抜いて,心の中で味わうこととしよう。
そして,いっちょ,死ぬまで頑張ってみることにするか。


無断引用を禁じます。某先生,クリニックのCDつきラジオ壊れた。

DSC_0082_CENTER

ウチの車の走行距離が12345になりました!

これ以上のオチはありませんすみません。


無断引用を禁じます。某先生、メーター巻き戻ししちゃダメだって!

このブロ愚のために,本日起きたことを面白おかしく書いたところ,あともうちょっとで終わり,という所で,見事にパソコンの画面上から消えました。どこをどうしても復旧できません。
今日は,受難の日かと思ったらラッキーディだったので,そのことを報告する予定でした。


本日,外来も無事に済み,帰ろうかと思いカレンダーを見たら「仏滅」とな。
「ははは,なーにが仏滅じゃ。良いことだらけだったわい!」
とご機嫌で帰宅したのですが,力作が消えたということはやはり,仏滅,だったんですかいね?



無断引用を禁じます。某先生,ちなみに「宮城県仙台市宮城野区中野栄出身の妻が」と書いたら消えたのだよ。

今日は、亡き師匠の誕生日である。
携帯のショートメールで、お祝いを申し上げていた。
「もう年寄りです」
「速度違反で捕まりました、トホホ」
など、その都度返信を下さった。
お偉いおエラい先生なので、本来、私ごときが軽口叩いてはならない。
しかし、本物の児童精神科医はこうしたPlay(遊び)に、気さくに興じて下さっていた。

懐かしい。
お祝いメッセージへの返信を読むのが、毎年とてもとても楽しみだったのだ。と、今さらながら気づく。

知らんぷりして、あのアドレスに送信してみようか?


無断引用を禁じます。某先生、オラ誕生日1回見ると覚えてしまうので、出来るだけ人様のプロフィールでは見ないようにしてるだよ。じゃないと、毎日「お誕生日おめでとうございます」メールしてないとならなくなる。


悲しみは,言葉の届かないところにある。
そう思うようになってから。
ただ喋って,症状を把握して,処方するだけの外来-臨床が微妙に変化した。

****

若い頃は,「何とか出来るはず」の一心で,精神分析療法を貪るように学んだ。
クスリという便利なものもあるので,その使用の習熟に余念が無かった。
だが,それらで太刀打ちできないケースは,当然ながら,あるものだ。
昔は,「何とかしよう」と手をこまねき,悩み,呻吟した。
いつからだろう,うつを経たあたりから,私は錯覚のように,ふ,と,患者さんを前にして
「悲しみを抱えつつ,それでも生きる目の前の人間が尊く見える」
という経験をするようになった。

****

次第に,その頻度は増していった。
「悲しみ」をいくらでも少なくするために手をこまねいているかつての自分はもちろん,相変わらずいるのだが,
苦しみの最中に在って,尚も,生きて在る人間に,
敬意に近いものを感じるようになった。
悲しみを保持したまま,それでも,生きにくい,苦しい,辛い毎日をおくる。
それは,「偉業」と言っていいのではないか。

****

言葉に重きを置きつつも,それを絶対視しない。
脳科学の知識だけで「こころ」を全て理解できると思わない。
精神医学の知識で「人間」を切り刻まない。
・・・
現在の臨床は,かようなスタンスであるのだが-こう書いてみて我ながら驚く。
「~ない」
という言い方でしか表現し得ないのである。
曖昧で歯がゆいが,
「精神科治療の本質はこう!」
と,悟り,断言した時点で,何か大切なものを切り捨ててしまうような気がするのだ。

無断引用を禁じます。某先生,こう言ってみても,中々理解者はいないよ。


日本の皆様,本日,10月28日は何の日でしょうか?
はい,制限時間10分でお考え下さい。

****

そうですね。
はい,当たり。
正解は,私と家内との「出会い記念日」でした。

****

27年前の今日,バイト代を貯めて買った元・事故車の中古車を運転していたら,偶然同級生を発見。
帰宅するというので乗せたところ,彼はお礼に,と,友だちを介して家内を紹介してくれた。
家内:「ああ,この人と結婚するのだな」と瞬時に納得。
私:「あ,いた」と懐かしい気持ち。初対面であるはずなのに。

****

美人さんで,性格良くて,知的で,ついでに実家が資産家で・・・
という女性とまではいかなくとも,
せめて結婚に至るにあたって「恋愛感情」を経るものですよね,普通。
しかし,大恋愛,とは,ちと,違う。
きわめて静かで,穏やかな,成り行き,という感じでした。

****

結構けっこうな大喧嘩したり,突然あちこち転勤して回ったり,産婦人科医からの「子どもは出来ない」の預言に反して三人恵まれたり,私がウツになりお金がすってんてんになったり,まあ,苦労ばかりかけました。
それでも,夫婦として,ここにいる。お互い,少しくたびれた風情で。

****

「出会い記念日」なので,今日はオシャレして,どこぞのホテルで贅沢なディナーを,というのがお約束なのでしょうが。
今日の晩御飯は,家でカレーライスです。

無断引用を禁じます。某先生,何故か毎年,10月28日は,あの日のように天気が良くて,夜とても寒い。

人生に後悔を残してはならぬ。
ちょっとした用事で,私と家内と,実習のために帰省中の長女とが車に乗っていたある日の夜。
「『エム』に行こう」
と私は切り出した。
突然想定外のことを言い出すことについて,家内は慣れている。
何の迷いもなく,秋田大学手形キャンパス方面に向かった。

****

懐かしさが度を超すと新鮮さを感じるのはどうしてだろう?
50を超えて,どきどきする自分自身が新鮮なのだ。
照れ臭い。
ドアはこんな風だっけ?
どんな顔をして入れば良いのだろう?
そうだ,クールに着席し,娘に
「パパがお前くらいの頃,通い詰めていたお店だよ」
と小声でこっそり教えるにとどめるのがよかろう。

****

カランカラン,と涼し気な音が響いてドアが開く。
ママさんだ。
髪は短く白くなったものの,まごうことなきママさんだ。
懐かしさに当初の計画は吹き飛び,
「ども。三十年ぶりです」
間違いを笑ってごまかすかのように,頭を掻きつつ中途半端な礼をしつつ,ご挨拶していた。
「まあ」
「どうもどうも」
恐らく赤面。
奥のテーブルを目指した。

****

行ったことは無いが,多分,ヨーロッパの田舎はこんな風だろう,という雰囲気の店内。
何も変わっていなかった。
恐らくその後取り付けられたであろう木製の小棚だけが新参者らしく陽に焼けていない。
大学一年の頃,先輩に奢られてここに来たのだが,あまりの旨さに感嘆した。
その後,アルバイトを三つ掛け持ちして経済的余裕が出来た大学4年の頃から,夕食に500円使えるようになった。
ほとんど毎日,夕食は,ここだった。
今にして思うと,エムに来て食事するのが一日の最大の喜びであったのかも知れない。
テーブルも椅子もトイレも変わっていない。

****

今でも,ふらっと顔を出して私の安否確認をしてくれる,今は福島の基幹病院で大活躍しているK君と,いつもここに来た。
そして語り合った。

人生とは何か。
生きる意味とは。
愛とは。
死とは。
医学とは。
医療の意味とは。
・・・・

話題は尽きなかった,今思えば不思議なほど。
青臭い論議と大人は笑うだろうか。
机上の空論と片付けられるだろうか。
だが私は,若かった自分とK君を冷やかす気には全くなれない。
あの日々があったから,今の自分がいる,そう信じて疑わない。
大学とは-それが医療技術者養成所である医学部ですら-そういった形而上的なものごとを考え抜く場である。
講義室,実験室,実習病院,等々,医学を学ぶ場数多有れど,このエムもまた,必須の場であった。

****

と,小難しい顔をして思っていると,料理が運ばれて来た。
30年前に比べると値段が上がっている。が,その分,ボリュームも上がっている,相殺して余りあるほど。
そしてやはり,旨い!
看板メニューだった「チキン照り焼き」は,どこにも,真似できない。類似品に出会ったことが無い。
今,それを,貪り食う。
一気にがっついて食べてから,私は,何を,どうしてきたのだろう,と,ふ,と思った。
全てが夢であった気がする。
医療界という荒れた海に私もK君も背中を押されるようにして飛び込んだ。
真っ暗で高波の連続で,K君がどこでどのようにしているのか,小休止して見渡す余裕は長いこと無かった。
犬かき,クロール,平泳ぎ,ときにバタフライ,と,その時々溺れず泳ぐことに精いっぱいだった。
ときに,いや,しばしば,「どこを目指して泳いでいるのか」分からなくなった。
北極星が見えない曇り空の日は,予想以上に多かった。

-全部,ゆめ。

向かいには,決まり金時のクリーム色のセーターを着たK君がいる。
くわえタバコをくさくさ吹かした無帽蓬髪の私がいる。
私たちはこれから医療現場に羽ばたく医学生である-。

「パパ,このプリン,ちょっとした苦みが効いていて美味しいねえ。こんなの初めて食べた」
長女の声に私は現実に引き戻された。
これ位の年,彼女くらいの年に,私はここに座っていたのだな。
現実に翻弄されながらも,今の今まで,自分なりに頑張ってきた,と心から信じられたらどんなにかいいのに。

****

工学部の学生4人がぎゅうぎゅうと一つテーブルで,無言でかきこんでいる。
医学部の女子学生が愚痴とぼやきを繰り返しながら着実に食事している。
論文指導教官といった風情の紳士が新聞を広げつつ料理を待っている。
秋田大学,通称「教育門」から出てすぐの,エム。何の変わりも無い。
そそくさと会計を済ませてさっと消える予定であったが,めまい対策の私のステッキを見たママさんが,案じて声をかけて下さった。出ていこうとする足が止まった。
マスターと病気比べをして笑った。
奥にもう1人,立派な髭を生やした堂々たる料理人が微笑んでいる。
まさか,いや,そうだ。
昼下がりの,客足の途絶えた店先に,ときに小さな自転車が置いてあった。
家の困りごとを理由に店に電話してくる子-寂しいのだろうな,自営業の息子は辛い-そう思ったことを思い出した。
「息子さんが!ご立派になられて」
私は驚きと喜びを感じた。

****

思い出は恥ずかしい。
また来たいがその度に仰々しくなるのが怖い。
「またお出で下さい」
ママさんの最後の一言に救われた。


無断引用を禁じます。某先生,当時の学生の定番は「チキン照り焼き」「カニクリームコロッケ」であった。然るに,息子さんが入ったせいか,メニューの種類が多くなった気がする。いや,昔から多かったのだが,目に入らないだけだったのだろうか?「エムに入ったら,2つのうちのどちらかを注文すべし」という不文律があったかのようにも思うほど。

本日、10月11日は1011とioriが似ているため、「いおり記念日」とさせて頂いております。
国旗とダルマひつじの旗を玄関に掲げることに関しては各関係省庁から何も言われませんでしょう。
一方、お会計を一律「1011円」にするのは各方面から厳重注意を受けそうなので止めておきますです。やってみたいのですが。

あー、いおり記念日。
あー、いおり記念日。

と心の底で念じていても、今の私は「新しいクスリの副作用出ないかな?」と念のため入院している最中で、とりたてて何も出来ない。
お出でになる皆さんにサービスも出来ないどころか休診にしてる。
何も無い一日であり、のほほんと胸のレントゲン写真を1枚撮ってもらった程度。

何か、焦る。
これで良いのか?いおりクリニック!

本当に平穏な日が終わろうとしています。
後、30分。

ここに来て、
「何事も無い、って素晴らしいことじゃないか」
と思いました。
平穏無事。
有り難きこと。

そう、毎日を、記念日の今日のように、穏やかに過ごすことを目指すのが良いだろう。

今日の私みたいに日付にとらわれず、毎日が平穏記念日だと良いですね。


無断引用を禁じます。某先生、「今日オラの誕生日だ詐欺」止めなさい。

入院して、あらためて実感。

人、って良いよなぁ。

健康なときは気づかなかった。

人が、ますます、好きになった。



無断引用を禁じます。某先生、なにごとにも例外はある。

これが噂の金農パンケーキです。


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そして裏返すと...

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なんと!
いおりクリニックの「社是」と同じではありませんか!

秋田県内では入手困難とされていますが、愛の病院秋田大学医学部附属病院のコンビニで買い求めることが出来ました。お近くをお通りの際は、是非どうぞ。


無断引用を禁じます。某先生、今日もまたトイレで大いなる用を足してるとき美人女医さんが見えただよ。オラもうヤだ!

秋の夕暮れの毒にしてやられ、にわかに感傷的になってしまうことしきり。
毎年のこと。
毎年毎年のこと。

今は1人入院で話す相手もおらず、自分との対話とやらは堂々巡りで嫌気がさし。
赤光に、胸締め付けられることを恐れつつそろりと窓に目をやると。
そこに赤とんぼの群飛び交う。
大学病院7階の、そのまた上の空で遊ぶ。

まだ幼かった頃の夕べも、
赤とんぼに遊んでもらっていた。
私は、孤独では無かった。
傷色の空が暮れるまで、
「ご飯だよ」の声がかかるまで。



無断引用を禁じます。某先生、病院の夕食、まだだよ。

本日、無事、新しいクスリの投与を終了致しました。
私のようなクスリソムリエになると、瞬間的に、合う、合わない、が分かるのですが、今回のは中々良い感じ。
末永くお世話になりそうな予感がします。
副作用で「下痢」という項目がありました。もし、診察時間内にフォンテの中を走る私を見かけたら、応援よろしくお願いします!


無断引用を禁じます。某先生、愛の病院秋田大学医学部附属病院スタッフの神対応にも、感謝。

いつも入院中はラーメンの禁断症状に苛まれます。入院前夜祭として家族でラーメン屋に行こう!と言い出す雰囲気では無かった...カミさん怖い。
そこで近所のスーパーでカップラーメン入手して参りました。
しかし、4つ買ったけど、今晩一晩で食べれっこ無いのよねん。
しかも今は、食い気より眠気が勝る。
昨日の丑三つ時はあれほど布団の中で、
「家人は寝静まったから、1人ラーメン屋行こうか?」
と思ったのに。
あーっ!
病院食で「豚骨醤油ラーメン」出ないかなぁ!
「こってり」「濃いめ」「ニンニク増し」とか選べるの。


無断引用を禁じます。某先生、豚骨には、ほうれん草が、よく似合ふ。

この度の休診,通院中の皆さまには大変ご迷惑をおかけ致します。
理由が入院ということもあり,多くの患者さんから,
「先生,お大事に」
と言っていただき,恥ずかしいやら照れ臭いやらおかしいやらで,心がくしゃくしゃになってしまっております。
これがどんなに嬉しいことか。
恐らく,皆さまのご想像以上に,私は感激しております。
不満の声が上がっても不思議ではないのに。
不便さがあるのに。
それをおして尚,私を心配して下さる。
中々出来ることでは,無い。
そうそう聴ける言葉では,無い。
嬉しいなぁ。

****

入院の理由は,病気が悪化した,新たに病気になった,というものでは御座いません。
今度使うクスリが何と!秋田発上陸!とれたてほやほや!
ですので,使う方もおっかなびっくり,もとい,予期せぬ副作用に備えて,とのことでした。
論文で見る限り,大丈夫と言って良さそうですが,愛の病院秋田大学医学部付属病院の愛の勧めに従うことにしました。
私は夜間ドタバタガタガタうるさいので大部屋ではさすがに同室の方に気を使ってしまいます。
そこで,とても贅沢ですが,個室にせざるを得ませんでした。前々回も入っていた部屋です。
しかしこの部屋。
差額代とられるだけあって,何と,トイレとシャワー付き!
ここで喜んでいられたのは最初のうちだけ。
トイレとシャワーが部屋の中にたいへん淡い曇りガラスで仕切られているだけであるため,
美人女医さんが来た時にウ〇コしていたり,
大勢人が集まる総回診が来た時にすっぽんぽんだったり,
私の恥ずかしいシャドウがあちらから常に丸見えなのである。
改善を要求した婦長は異動になっちゃって,申し送られているかどうか,持病より心配。


無断引用を禁じます。某先生,そう言ったところでこの記事を引用してどうするもんでもねえべな。

気まずいったら,気まずい。
前々回の入院の時,必要とされた治療薬はステロイドだった。
私自身,何例も診ているがこのステロイド,ときに精神病をきたす。

病室でかぱかぱとステロイドを服用した私は見事!躁病にみられるような攻撃性がぐんぐん高まってしまった。
スタッフのミスを許さず怒りまくる,若い医師に説教を垂れる-今想い出すだけで紅葉より赤く赤面,穴があったらムジナ(この前我が家の玄関前にウンコ12個していった)のように入りたい。
それでも精神科病棟への転棟をせず,ひたすら耐えて優しく接してくれた,愛の病院秋田大学医学部付属病院第一病棟7階東には頭が上がらない。

来たる10月4日から,新薬使用のため再度入院するのだが,どのツラ下げて行こう?
気まずい,気まずい。
バカ殿様の格好で笑いをとりつつ入院するか,いや,変なおじさんの方が良いか?
そういう問題でも無いな。
どうしよう?
七海先生あたりに相談すると「おおぬま~『ステロイド躁と生』って本書けるなぁ~」などと冷やかされそうだ。
素直に謝ろう。
ステロイドを減量していくに従い,私はみるみるうちに大人しくなった。
「悪いのはステロイドだもん!僕悪く無いもん!」
と言いたい気持ちは山々だが,世間はそう見てくれるかどうか。

****

単なる「うつ」よりも「躁うつ」の方が自殺率が高いというデータがある。
今は「躁うつ病」とは言わず,「双極性障害」と名前が変わり,スペクトラム(連続体)扱いされ「Ⅰ型」「Ⅱ型」の別があって・・・と,胡散臭いしゃらくさい,もとい,細かで学究的な分類が進んでいる。
昔々で言う典型的な躁うつ病の主治医をしていると分かるが・・・
「躁」と「うつ」の間には通常,中間相の,躁でもうつでもない安定した時期があるものだ。
私は,この時期が最も曲者だと思う。そして日常,この時期にある患者さんに細心の注意を払う。
ステロイド飲んで傍若無人であった自分を今私が恥じているように,躁状態の時にしでかしたことに対する嫌悪の念感じること患者さんいかばかりか。
わっ!と叫んで,あんなことしでかしてもう自分はダメなんだ,取り返しのつかないことをして(実際,取り返しはついている場合が大多数にもかかわらず)しまうなんて!
そう自己を苛み,こうした病気になった我が身の行く末を悲観してしまうのだろう。
私がこの度,素直に謝ることを選択したかのように,「すみませんでした」と言わなければならない本人の辛さは,察するに余りある。本当は,その「人」ではなく「病気」が悪いのに。
このヤマイを何とかするために,我々精神科医はいるのであり,あわてんぼになって欲しくないと心から思う。

****

効果のある薬やアプローチは種々あるのだが,躁うつ病の治療には独特の困難さがある。
「双極性障害です。こういう病気でこういう治療法があります」
と医者側で口を酸っぱくしていくら話してみたところで,一発で,「合点!」してもらうことは,存外,難しい。
大抵は,はいはいと聞いているようであっても,
「ハメ外し過ぎただけ」
「若気の至り」
「馬鹿なことやるときあるじゃん」
「そりゃあの状況ならキレますよ」
と内心思うようだ。
確かに,「明らかな異常行動」ではなく「やること極端」(買い物が度を過ぎる,堪忍袋の緒がいとも簡単に切れる,異姓の出会いを求めるのは良いが数こなし過ぎ)として現れるので,甘く見るとぎりぎりセーフにも思えてしまう。
無理も無かろう,ちょっとずれただけで「障害」とされるのは腑に落ちない,その気持ちも分かる。並みの精神科医なら,その行為以外のものも参考にして診断しているのだけれど,すぐにはご理解頂けないことが多い。

きちんと通院し,躁状態でもうつ状態でも無いにも関わらず,再発防止のためしっかり薬を飲む人の多くは,件の「痛い目」「やらかして自己嫌悪」を経験している人が少なくない。
この間,自ら「先生,『学習』しましたから」と言ってのけた方がおられた。

****

精神科病院に勤務していた頃は,「双極性Ⅰ型」即ち,入院の必要があるレベルの躁病の主治医となることが多かった(確かに躁状態にある方はパワフルなのだが,声は私の方が大きかった)。
現在,開業してからは,「ソウねぇ,入院までは必要無いけれどねぇ」という「双極性Ⅱ型」の方が主となっている。
だがこの「双極性Ⅱ型」という学問上の括り,私は,まだまだ未熟で未完成な概念であると内心こっそり思っている,外で言うと日本精神神経学会会員の中のマジメ過ぎる一群やエビデンス論文学者らから集団暴行受けるので黙っているけんども。
治療学も含め,これ以上は専門的になり過ぎるので,黙ります,私ケチだし。

****

愛の病院秋田大学医学部付属病院第一病棟7階東を恐怖のズンドコに陥れた私から,躁でやらかした人にメッセージを送るなら,
「前しか見るな」
であろうか。
過去,躁状態の時にやらかしたことについてクヨクヨするのは,実は,何の意味も無い。同じ轍を踏まないようにすれば良い。それだけ。

無断引用を禁じます。某先生,7階の婦長さん,根に持っていねーべか?

別れの辛さがあるのなら,出会いなんて欲しくない。
そう叫びたくなる。

いかなる関係であれ,「あなた」と出会い,過ごし,いつしかあなたは私の一部となる。
なってしまう。

別れの辛さを強引に言い換えるなら,片腕一本もがれる痛み,とでもなるのだろうか。
いや,まだ足りない。

別れの意味,そんなものは無い。
悲しみのさなかではそうとしか思えない。

たった一つだけ,
別れに何かを見出すならば,
それは,
あの人のようになる!ことだ。

無断引用を禁じます。某先生,会うは別れの始め也。盛者必滅,会者定離。

自宅近くにスーパーマーケットが出来,大変重宝している。
仕事帰りに寄り,夕食のおかずを買うのが日課になっている。
新設だけあって,スタッフの皆さんの元気が良く,清々しい。
精神科医という職業上,辛く苦しい話を一日中聴くのであるが,当の私自身に「生活の楽しさ」を思い出させてくれ,心の風通しをよくしてくれる場なのである。
誠に,ナイスである。
しかも,レジの済んだ買い物かごを,袋に詰める場所まで運んでくれるサービスつき。
めまいがひどいので車いすから見上げるばかりなのであるが,店員さんは,疲れた顔一つ見せない。
私はそこで働く人々に,内心,深く敬意を表している。

****

だがチクリ,と,胸も痛むのだ。
昨日もそうだった。今日もそうだ。
よっこいしょ!と大根だの猫の餌だの安売りのレトルトカレーの袋だの入った,けっして軽くは無い買い物かごを中腰で持ち上げて速攻で運んでくださる,店員さんが,美人なのである。推測年齢は多方面から苦情が来るから言わない。
私は,昭和の男。
働く女性を見ると,辛くなる,悲しくなる,居ても立っても居られなくなり,財布からなけなしの金を全部,渡したい衝動に駆られる。
女性には,楽をさせねばならない。家でにこにこさせておかなければならない。
それが男の甲斐性ってもんだ。
本当に,激動の昭和生まれ。
当の女性らは遣り甲斐持って楽しく働いているのかも知れないのに,そう思ってしまう。
この超自我がキツい。
男女差別ではけっして無いのだが。

****

この思いのルーツは何だろう?
兄弟が男ばかりで,男子校出身で,半生,病的に女の子からもてなかったため,女性を崇める気持ちが肥大してしまったのだろうか?
思い出す光景が一つある。
私が小学三年生辺りの頃,母が隣町の町立病院で看護師としてパートで働いた。
帰りの列車には自転車で迎えに行くのが常で,もう地元では手に入らなくなった魚,野菜,肉,などの大袋を運んだ。
さて,母が帰宅してから少なくとも1時間,いや,もっとだな。
夕食の支度をしつつ,父を相手に職場の愚痴を語り続け止まらないのである。
父は「そうかそうか」と馬耳東風を決め込んでいたのだろうが,子どもの私は真に受けてしまう。
愚痴に出てくる登場人物は全て暗記し,彼女らが言いそうな嫌味,陰口,悪口,皮肉,くらいは想像出来るようにまでなっていた。
私は,母が辛い思いをしているのが我慢できなかった。
同時に,その稼ぎをあてにする父を情けなく思った。
自分はそうなるまい,と決めた。
今にして思うと母は看護師の仕事が大好きであったのだ。「生まれ変わってもまた看護婦になる」とのたまい,自分が70超えてもお声がかかればボランティアの入浴介助や子どもの検診にいそいそと出かけていった。看護師をやっている喜びはわざわざ報告するまでも無く,ありがちな職場での対人関係の摩擦を父に話しきってすっきりしていたのだろう。愚痴の出ない職場なんぞ,有り得ん。今だから分かる。

****

そうか,そうだったのか,なーんだ。
見ようによっては気持ち悪いフェミニズムの根っこはここだったんだ。
分かった!
分かったはず・・・なのになのに,私は後遺症で,女性が働いているのを見るのが苦手だ。
それなのに,ああそれなのに,それなのに。
3人の娘らは昨今の学校教育の成果で働くのが当たり前と思っている。
偏りフェミニストの私も,長女の就職先が決まり喜び,次女の受験に寿命を縮め,末娘に「将来何になりたいんだ?」と問い詰めるという,一見自己矛盾をおかしている。
ふふふ。
内心は,「働かなくても済むような男をゲットしてメリッジしろよ」と呟いているのだ。
果たしてそううまくいくかどうか。

無断引用を禁じます。某先生,いおりクリニックの裏方として,カミさん働く働く。

うつ病に「頑張れ」と言ってはならない,とされている。
本人にしてみれば,生きる,というそれだけで精いっぱい,頑張っているのだから。
「俺,頑張ってるじゃん。これ以上何をどう頑張れっていうのさ。もう無理だよ」
「頑張れない自分は,もうこの世に必要のない存在」
などと思い詰めてしまう。

****

生きている,それだけで大仕事。
死なないでいる,それはスゴいこと。
そんな人に,エールを贈りたい。
だが,どんな言葉が適切だろう?
私の外来に費やすエネルギーの,目測半分くらいはこの言葉探しに充てられている。
顔が違うように育ちが違うように個々人が別々な存在であることと等しく,その言葉は異なるのだ。


無断引用を禁じます。某先生,頑張れ。

今日は嬉しいことに,駆け出しの頃からお世話になりっぱなしであるS先生とYさんの訪問を受けました。
いおりクリニックのカウンセリングルームでお会いしたのですが,ゆるゆるゆると心がほどけていくのを感じました。
51歳!院長!借金と持病あり!文句あっか!
の私なのですが,見事にタイムスリップ現象をきたしてしまいました。タイムスリップは発達障害の方の専売特許ではありませぬ。
25歳の若造の頃にすっかり戻ってしまった。
もしくは
アニキと従姉弟の姉ちゃんに奇蹟の再会を果たした感じ。
つまりは私はすっかり子ども返りしてしまっていたのでした。

****

何でこんなに嬉しいんだろ?
何でこんなに有難いんだろ?
まるで,懐かしい,離れたくない故郷に戻った感に満たされておりました。

****

ふりさけみれば。
何年かぶりでお出でになる患者さんがおられる。
予約が途絶え,しばらく来られないと
「ああ,良くなったんだろう」
とか,
「新しい主治医を見つけて,私の悪口を言いながら,回復してくれているかもしれない」
位に思っていたのですが,かれこれ5年も経つと,久しぶりの再会が珍しくなくなりました。
ああ,よかった。
そう私は思う。
いつでも疲れた時,困った時に来られる場所でありたい,開業時,そう思っていたからです。
庵を結ぶ。
一か所に居を構える,ということは,去る人を送り,来る人を迎える場を作ること。
生きる,という大事業にくたびれた人がお出でになれる場所でありたい。それは今も変わりません。
一方,開業時の隠れコンセプトとして「故郷」になりたい,という思いがずっとありました。
しかしクリニック名を「故郷」とすると,どこかのスナックの名前のようで断念していたのです。
思いは果たされ,誰かの故郷になり得ているようです。

****

私は,実の故郷を捨てた人間です。
その代わりーというわけではありませんが,誰かの「故郷」になりたい,と念じておりました。
志を果たして,一人。
しかし,誰か故郷を思わざる。
今日は,ふるさとと再会した気持ちでいっぱいでした。

無断引用を禁じます。某先生,Yさんは素敵な花,S先生はダンディなのにいつも度肝抜くお茶目なお土産なんよ。秋田犬マスコットの「まさる君」頂戴しただよ。

病んで知る
「情け」よ。

人間よありがとう。



無断引用を禁じます。某先生,某先生・・・なんでも無ぇよ。

もう少しで,医者になって26年と6ヶ月,やったー!

****

私は一浪しているので,25歳で医者になった。
それまでは人に育ててもらいっぱなしだったことになる。
常々それを「借り」のように感じていた。
お返しするには,その期間分,医者として世で働くことだ。
Max,全開で,驀進。
だが,うつになり,一年半臨床を離れた。
これをどうカウントするか?
「一年半遅れた」
ととるか?
それとも,
「一年半患者実習をやった」
ととるべきか?

****

他人様にとってはほんにどうでもいいことなので,誰にも相談出来ずにいた。
しかし,もうちょっとで,堂々,+一年半をクリアするではないか。
これで,世の中に「貸し借り無し」となる。
まっこと,清々した気分である。

無断引用を禁じます。某先生,借金返し終わった時も同じような気持ちになるのかな。

持って生まれた気質は,けっして「陽」では無い。
両親が高齢であったため,「死」に対しては幼い頃からよく話して聞かされた。
今の家庭の平和はいつ崩れるか分からず,親が亡くなったら自力で生きていかなければならない。
家に金があるわけでは無かった。有体に言って潰れかけた雑貨屋である。
自分が頑張るより他に道は無い。
そう思い詰めていたガキだった。
****
だからだろうか,高校三年の受験勉強の隙間に聴いたアリス解散コンサートで,ラジオから聴こえる「砂の道」に私は,参考書に囲まれつつ涙した。
「歩いても 歩いても 歩いても 振り向かず 振り向かず 振り向かず / それしか出来ない私の生き様」
高校時代にアホな脳みそに嘆きながら,それでも歩き続ける意を固めていた。
それが私の人生なのだと思って疑わなかった。
また,自分が器用者では無いことを早くも痛感していた私は,ただただ愚直に歩を進めるしかないのだと思っていた。

****

今になっても,この歌をふと思い出す。
ときに口ずさむ。
初めて聴いてから35年以上も経ち,それでも私の心の歌であり続けているのは,思えば不思議なことだ。
15の頃の私が予想した通りの半生であったとしても。
「負けない 負けない 誰にも負けない / あなたの匂いが私にはある」
生きる,生き抜く,ということは,綺麗ごとでは無い。
むしろ正反対であり,泥の中を這いつくばって様々な困難をなんとか乗り越える,というのが本当の所だろう。
「負けない」
という言葉は,一般受けする歌謡曲用の綺麗語では無いが,辛さの中を生き抜く人間の心情に最も近い。
そして,
「あなたの匂い」
という語句でこの歌が閉められる。
思い出,写真,言葉,まなざし,あるいは贈り物-では無く「匂い」が「私にはある」と。
「匂い」-それは最も深く人間の中に染み込むものだ。
「あなた」を言葉抜き,映像抜き,で感じさせるものだ,何よりもはっきりと。

****

演歌が似合い,また必要とする齢になったが,何せニューミュージック全盛期で演歌を否定してきた世代である。
アリスの谷村新司氏がまだ20代の頃作ったこの作品が,「マイ・演歌」となっている。


無断引用を禁じます。某先生,この歌は,弾き語りするもんじゃないな,聴くものだな,私にとって。

明日は父の誕生日である。
例年は休診として祝いに行った。
回転ずしが好きなので,連れて行こうとしたら,生ものを食べると腹を下すようになったと施設側から教えられた。
そのため,昨年は,いなり寿司とかんぴょう巻きで祝った。
今年もはせ参じたい。が,私の身体が言うことを聞かぬ。何よりこれまでの休診でご迷惑をおかけした患者さんらに申し訳が立たぬ。
さらに最近はときおり「息子の俊は死んだもの」となっていることがあるようであり,行った方が良いものか,悪いものか・・・。
よしんば正気づいているときに行ったとしても,
「秋田までの道中,心配だ。事故なんか起こしたら大変だ」
と大変気をもみ,「明るいうちに」と早々に帰そうとする。

****

昼休みに電話をしようと思った。
が,ちょうど明日の昼休みは保健所の監査が予定されているので時間がとれるか心もとない。
それに,難聴父子ゆえ,最後は決まって「大声の怒鳴り合い」となってしまう。
「お誕生日おめでとうよぉ!」
「おお!ありがとうよぉ!」
とシャウトしあう様,果たして仲が良いと見えるかどうか。
家内が「電報を打とう!」と妙案を出した。それはいい。
さて文面をどうするか。
「103歳のお誕生日おめでとうございます。これからもずっとずっと元気でいて下さい」
嗚呼。
いくら頑張って齢を重ねても,なかなか父親の半分の年になれないなぁ。


無断引用を禁じます。某先生,電報受付時刻ってあるんだな,知らなかった。明日朝イチで打つ。

人生に「もしも」は無いけれど,「もしも」を考えるのは楽しい。
「もしも」普通の家庭に育っていたら,ガキの頃ややこしい病気にかかっていなかったら・・・
素直に本能の赴くまま,文系に進んでいたであろう。
十中八九,高校の国語の教師になっていたと思われる。

(あーそれにしても悔しいったらありゃしない。『国立大理系』なんて道だったので,高校時代は地獄だったわ。何が楽しくてベンゼン環なのか微分積分なのか。それらに集中しなければならない。好きな国語を嫌いなふりして苦手呼ばわりする一群と同じカラーに染まらなければならない。今,思い返しても,むなくそ悪い)

国語教師であったら,絶対やってやる,と思うものがある。
日本の古典を,若き明日ある脳髄に叩き込むこと,これである。

私がこれまで,大袈裟に言えば人生の岐路に立った時,役立ったのが「古典」だったのだ。

お約束のコースを外れ,自分のやるべき学問はこれだ!と信じ,そちらの道に進むとき
「漂白の想いやまず」(奥の細道)
の件がいかに心強く響いたか。

あるいはもはやこれまで,と断念と屈辱を強いられ,一敗地にまみれたときに,それでも尚前向きな生を続行させることが出来たのは
「祇園精舎の鐘の聲 諸行無常の響きあり」(平家物語)
の一節があったからだ。

若者らがこれを昼下がりの気怠い教室で習う時は,さぞかし退屈であろう。
現在の自分とは無縁のものであり,退屈極まりないに違いない。
ああやだ,早く学校終わんねーかな,面倒くさっ!

古典というのは思うに,齢を重ねて徐々にその価値を光らせてくるもので,人生経験の無い若者らに「分かれ!」と言っても無理があろう。だが,長い人生の中,古典の感覚にコミットする時がきっと来る。
古典を知っている,知らない,とでは,ものごととであったときに発揮される感性の,いわば厚みが異なる。したがって,生も異なるものとなる。

はいはい,大沼先生。
どんな進学校に赴任したとしても,下から数えてNo.1の偏差値の高校に勤めたとしても,古典の棒暗記,させますよぉ。
そらんじて,内容をちゃんと述べられるまで,何時間でも補習しますよぉ。
たとえ覚えの悪いのが一人残ったとしても,彼もしくは彼女が出来るまで,夕方の教室で立ったままお付き合いしますよぉ。

なんだ,教師になったところで,しつこさは変わらないか。


無断引用を禁じます。某先生,今度「恥更級日記」を執筆したまえ。

私が駆け出しの頃大変お世話になった先生と,学会で再開することが出来た。
威風堂々,その県の最重症患者ばかりを扱うスーパー精神科病院の院長になっておられた。
しかし,小ボケして笑いをとろうとする姿勢はお変わりない。
大変懐かしく,嬉しく,笑いながら涙が出そうになった。

****

宿泊しているホテルまで自家用車で送って下さった。
地位裏腹,一般大衆車のドアを開けると,
「うまいラーメン屋」と,「宇宙の不思議」の本が無造作に置いてあった。
私は,ああ,やはりな,これだよな,これ,と感慨を深くした。

****

他科は知らない。私だけの特別な例なのかも知れない。
何故か,私も含め私の知っている精神科医は,ラーメン屋が,好きである。
フルコースは,似合わない。
不愛想,ぶっきらぼう,店主のこだわりに化学調味料山盛り,いや,いいじゃん,細かいことは抜きだ。
こちらも遠慮なく暴力的にすすり込める。
結果,旨い,不味い,最後に思えばいい話。
とても単純だ。
シンプルになれる。
何も考えなくて,良い。
ラーメンは身体に悪いが,この自虐性も味の内。
命すり減るからこそこの一瞬の「旨い」が光る。

****

また精神科医はオモロイ習性があり,夜中,ぽからんとアホ丸出しで空を仰いでいたりする。
小難しい医学論文は職場でふんぞり返って読むに限り,
自宅に帰ると家人の目を盗んでこっそりと「宇宙」「天文」の本を開く。
なんて凄いんだ。
想像がつかないほどの広大さ。
ビッグバンがあって,宇宙が広がっていき,
そしてある大きさになると収縮していく。
収縮しきった所で全てが「無」に帰す。
それまでの時間さ。
たったそれまでの時間。

理不尽な仕打ちや,読み切れなかった不幸。
これでもかと次々と襲い掛かるトラブル。
その最中にあっては,
「何で俺こんな目にあわないといけないの?」
と思う余裕さえも無いものだ。
ただただ火消しに奔走するだけ。
辛さ,虚しさ,まだまだ続きのある気の抜けない日々。
helpless helper(助けてくれる人のいない『救済者』)として在る自己。
こういう時,「宇宙」の話はとても優しい。
悠久の流れの中に,たった一粒の砂にも満たない存在である自分が,悩んでいる。
そう思うと,なんか,全部,ちゃんちゃらおかしい。
「無」から空間や時間が始まり,そしてまた「無」に還っていく,ただそれまでの時に存在する,
単なる偶然の産物なんだよ,人間というものは。
永遠に近い有限。そこに今いる。目の前の困難も,あって無きが如しさ,そう,無きが如し。

そうして翌日,軽い咳払いなぞしてまた職場に向かう,という日々が繰り返される。

****

どうですか医学生諸君。
精神科医になるのは止そうと思いましたか?
どの科,どの科でも,それはそれは苦労はついて回ります。
カミさんが,日ごろビシッと決めている私の主治医(外科)が,スーパーマーケットで,
ズダボロの格好して髪もじゃもじゃのまま買い物かごぶら下げて,総菜コーナーで茫然自失としているのを目撃した。
妻「ご挨拶も憚られた」
私「いーの!そっとしておいてあげてくれぃ!」

無断引用を禁じます。某先生,いつもラーメン屋でニンニク入れすぎだよ。

めまいがひどいので安全のため車いすを家内に押してもらっている。
驚いた。
街の皆さん,優しいのである。
エレベーターでは私が出入りするまで「開く」ボタンをさりげなく押してくださる。
大きなドアでは広く開けて押さえて通して下さる。
人混みは自然と広がり行く手が妨げられることがない。
私はあらためて,人間のために働こう,と思う。

****

障碍者の雇用を促進すべく社会は動いているが,官公庁が水増し報告したりするなど暗いニュースが多い。
またこの仕事をしていると,障碍があるだけでとんでもない差別を受けているケースに出会うこともある。
私はそういう話を聞くと,本物のツルハシとシャベルを持ってその会社に行き「リアル炭坑節」を踊りたくなるタチである。
労働基準監督署,オラに代わって成敗してくれ!とことを運ぼうとするのだが,派手にやり過ぎると,当事者が働く所が無くなってしまうというジレンマに突き当たる。
胃が痛い。

****

これでも昔に比べれば進歩していることは,事実である。
先達の努力が実を結び始めているのだと信じたい。
いくらかマシ,にはなってきた。
精神疾患に対する啓発が進んだ。
良い薬が出来た。
あの手この手を編み出した。
有能な人材が福祉業界に入って来てくれるようになった。

****

当事者らが,いわば「強く」なった印象を受けている。
精神疾患という目に見えないハンディはきつい。意のままにならぬ身体,脳,気持ち・・・それらを持ちながら尚,外来において私に「何とか,大丈夫です」と笑って見せる。私は敬意を抱く。思わず頭が下がる。
かつては
「精神疾患に理解を!」
と叫んでみても,それは風に消され誰の耳にも届かないのではないか,と穿ったものだった。
虚しさに帰す不安ばかりがあった。

****

だが私は人をなめていたようだった。
精神疾患に理解を持つ職場は,確実に,増えていると思う。
当事者を支えようとしてくれる人も。
サポート体制や支援制度の作成という面のみではない。
冷たい大風が吹く中,車いすの私を通そうとがっと扉を開けて待ってくれている人のような,
己の優しさに極めて素直な,
何の見返りも求めないただ本能的に人を救おうとする,
そんな人。

****

外来患者さんから,そんな人の存在を聞いて,私は嬉しくなる。
思春期の頃の人間不信が治癒していくのが分かる。

****

そして,若い頃は聞き逃していてレレレのレだったのだがー
患者さんと雑談していると,ふとした噺の脱線から,我が患者さん自身が人の為に何かをしていることを知る。
一方的な優しさ,というものは実は無くて,あるのは「優しさの場」なのだとつくづく思う。

無断引用を禁じます。某先生,オラの出入り口に丸太を積み重ねておくの,止めてくれないか。

中学生の頃,のほほんと,国語の副読本を眺めていた。
気が付くとしばらくの時間,全く同じページだけを眺めている。
北杜夫氏の「すずめ」についてのエッセイであった。
これはもう,「体質に合う」としか形容のしようがないのだが,いくらでも難なく苦無く読める作家というのがいるものだ。
一方これが,もう1人の私にとって大切な作家,〇山健×氏であると,作品を拝読する一か月前から夜な夜な走り込み,ジムに通って筋力をつけ,プールで泳ぎまくり心肺機能を高め・・・などしてからでないと食らいついていけないのと対照的である。

「若いうちに本を読んでおかいんよ」
と国語教師が授業で繰り返す。私にとって僥倖だったのは,しっくりくる作家と出会えたことであろう。
出会えなかった方々,別に落ち込んだり悲しんだりする必要は断じて無い。
下手に読書なんぞしたために人生がハチャメチャになった人間,数知れず,読書というものは,実は文科省が思っているよりとても危険な行為なのである。
そんな暇があったなら,英単語覚えて中の上くらいの難易度の数学問題を解けるようになっておく方が余程,人生,安全。

****

「思えば,皆,愚かであった」(北杜夫『楡家の人びと』新潮社・引用文うろ覚え)
この一行のためにこの大作はあるのだ。
高校時代,そう思うと共に,鼻腔にすっとした冷たい空気を吸ったような,静かな,どこかせつない,悟りに至った。

****

株で儲けた,女房が出ていった,田の境界がはっきりしねぇ,レタスとキャベツの区別くらいつくだろう,酒酔い運転で捕まったー
などという世俗的な話は言わずもがな。
社会的成功も,高邁な思想も,あるべき自分になろうとする営みも,斜め下から見ればどれもこれも,「愚か」である。
「愚か」な人間の織り成す社会に身を投じるのか,あるいはくだらんので付き合う気も起きず我が身を滝にでも投じるのか,自由なはずである。
だが北氏は(たしか)「どくとるマンボウ青春期」で真っ向から思春期の自殺について論じておられた。
人生について知ったかぶりして若くして死を選ぶのは,(こういう表現であったか不確かであるが)「生意気」である。三十までは生きてみよ-と。
(私は,モラトリアム期間が異常に長くなった現代においては,三十歳でもまだ精神的に一人前とは見なされぬ,と思う。そこに精神科医のニードが高まった一因があるのではないか)

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惰性で,愚かに生きることをあまり考えもせず選んでいた私は,三十にして憧れの学問の師に弟子入りすることが出来た。
元来,欧米の富裕層らの「症状となっているエネルギーをより良く生きるために使いたい」というニードに合わせる形で発展してきた精神分析。
学んだ所で,東北の片田舎でどうすんのさ?
と問われると答えられない。
なのに,学びに行かずにはいられない。
十分,愚かである。
分かっちゃいるのに止められねぇし,どうにも止まらない,のであった。
そうして,愚か街道まっしぐら!で月日は過ぎた。

愚かで、笑っちゃうね。

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過日,ブンガク談義を振って来る製薬会社MR氏とつい話し込んでしまった。どうも彼には弱い。
「いやぁ,最初で最後の恋愛小説は『マノン・レスコー』でしょう。あれを書かれた日にゃ,後続は何をどう書いたら良いのか,全く分からなくなる。せいぜい倒錯モノに走るくらいでしょう」
などと偉そうに話したのだが,心のどこかで「バルザック,ごめん」と思っていた。
あなたの「谷間の百合」が大好きだったんです!
でもなぜか,「恋愛小説No.1」に出来ない!

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今日は大学病院の受診日で,会計を待ちながらぼけらっとし,きちきちと働くニチイのお姉さま方や,大病の不安が滲み出る人々の,笑顔の無い空間に身を置いていた。
「人間喜劇」
バルザックの,目を閉じてうっすらと笑っている肖像が浮かんできた。
バルザックは自分の作品群を総称して「人間喜劇」と名付けていた。
悲劇的な別れ,死,苦悩,絶望,そういった作品も全て,ひっくるめて。
どこが喜劇か?と問えば,諸説あろう。
何せ,執筆量が物凄く,そしてそれぞれが変な有機的つながりを持つ点-「谷間の百合」から例を挙げると,同作品では純愛に燃えた清廉な青年が,他の作品では,太々しい,嫌らしい,気に食わねぇ虫の好かねぇおっさんとなって再登場する-とひっかけて解釈することも可能であろう。

だが私は,どうもその考えにくみできない。
ただ単純に,人間のやることなすこと,喜劇だから,と思っている。
私も喜劇。
喜劇だった。
いかりや長介氏が出て来て,
「ダメだこりゃ」
と言って〆てくれるといいな。
(『8時だヨ!全員集合!』がテレビに入らなかったという秋田の方々には通じません。すみません)

無断引用を禁じます。某先生,先生だけは例外的に「人間悲劇」なんだよなぁ・・・

診察室にて。
剥がれ落ちた爪、
新たに芽生えしを、
我がこと以上に喜んでくれる、
患者さんのいるの嬉しき。



無断引用を禁じます。某先生、いいべ。

ブロ愚の更新,ご無沙汰しておりました。
テレビで高校野球ばかり見ていました。
甲子園が終わってからも余韻に浸っておりました。

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最近は高校野球甲子園大会を観ることはとんとありませんでした。
この夏,夏季休暇を確保したはいいけれど,またしても熱が上がり消化器症状が出,体調が悪く家にこもりっぱなしであったため,何気なしにテレビをつけっぱなしにしていました。難聴が故,テレビの音が聴こえないため,目で見るだけで分かるもの,と言えばスポーツしかない。
それにしても昨今の甲子園は,興ざめ。
私立エリート校が金にモノを言わせて集めた選手らは,「人」という感じがしない。
打撃マシーン,ストライクマシーン,と,あたかもロボットであるかのよう。ターミネーター(2以降)が重なります。
国境なき医師団ならぬ,故郷無き野球団らの試合は,観ていても身悶えするほどつまらなく,正直言って避けておりました。
熱さえ無かったら,食欲さえあったなら,今年の試合は見逃していたでしょう。
従って感動-スポーツからもらう感動は僥倖に近い-は得られず,終わったでしょう。

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どう見ても「金農の兄ちゃん」ら,秋田顔のかたまり。
投手の吉田君も,ひいきの車屋さんの血縁としか思えない。
秋田出身の同級生のそっくりさんもいる。
なのに,のびのび,大舞台で活躍している。
しかも,
懐かしい,
人間野球,だ。
「吉田を助けてやりたかったから」
と思うことは出来てもそれでホームラン打てるか?というと,ターミネーターはプログラミングされていなければ無理,ここ一番のど根性や,「ファールで当てているうちに球が見えて来て」も,無い。
度肝を抜いた2ランスクイズは金農ではアリなやり方だったのだけれども,ベースボール的には,まずあり得ない。
ターミネーターならエネルギーの低下が終盤に出るはずなのに,何故か,最後3イニングになったりランナーを背負ったりするとパワーアップする投手。
定石や予想を覆すことが人間の人間たる所以であり,機械に無い面白さなのだけれども,それが毎度,惜しげもなく出てくる。
監督もインタビューで「びっくりしたぁ!」などと述べておられた。
病者の私はひたすら熱中し,熱はさらに上がりました。無論食事どころではありません。

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決勝での負けっぷりがまた,ドラマでした。

ターミネーターのマシンガンに血しぶき上げて倒れる若者らを想像したり,
誰が名付けた「平成最後の百姓一揆」で農民らが「金権の力の槍」で皆殺しにされたり,
浮かれた我々は,薄々予感していた敗北を目の当たりにすることになりました。
この悲しみに触れられることは今のところあまり無いようですが,
私は,未だ続く金足農業高校への熱い賛辞の中に,若き勇者らへのレクイエムに似た旋律を聴くのです。
それはやがて「スカウト閲覧用小プロ野球」となった甲子園で見られる,最後かも知れない「高校野球の球児たち」への挽歌へと主旋律は移ります。
秋田県立金足農業高校。
高校野球を,有難う。


無断引用を禁じます。某先生,ピッチャーとセンターの「シャキーン!」侍ポーズがまたよかった!本部から注意されて準決勝ではこっそりやって,決勝でまたしても「シャキーン!」してこそ偉大なるいたずらっ子上がりガキの野球,高校野球だよなあ。

付記:体調は元に戻りました。ブスコパンは良い薬です。

寝る、ひとり
ああ思い出が
やかましい

患者さんありがとうございます。


無断引用を禁じます。某先生、だって他に言いよう無いもん。

自力で食い物を得て来られなくなったら,後は,おしまい。
一家そろって野垂れ死にするしかない。
それが当たり前。

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では無いらしく,社会はそこまで人を見放ささず、そこそこ救ってくれるらしいのだが、私にはどうもピンとこなかった。
朝から晩まで芥にまみれ、働きづくめの雑貨屋の主人の,後妻の小倅にとっては、とても。

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ピンと来ない,と言えば。
結婚して家内が宇宙人ではないかと穿ったのが,まさにこの点を巡ってのやりとりに於いてであった。
勤め人の娘である家内は「組織にて偉くはなるな,ただ奉職せよ」と言う。
言っていることが,分かったような,分からないような,ちょっと分かったようにも思うが,やはりよく分らない。
不思議なことを言う人だ,君は。

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それこそ被雇用者精神科医であった頃は,患者さんの生活や労働,金銭に関しては優秀なケースワーカーに丸投げであった。
見ているのは,患者さん本人,その病理。治療しか念頭に無い。
我々の師匠の年代はというと左翼な人が多く,何かにつけ「労働者が一番偉い」「金の出どころどうなっている」ばかりで,それへの反抗も多少あったのか。
いや,天然に,「社会」だの「金」だの「労働」だのに,疎い。

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みゃーみゃーみゃー!
名古屋は今日もみゃーみゃーみゃー!

被雇用者精神科医はかりそめの姿であり,自力のみで生きるのが本来の姿。
もう,そう刷り込まれているとしか言いようがない身であった。
何がどう不満,とか,そういった次元の話ではなく,開業するのは必然でしかなかった。
独立するにあたって「お前,覚悟は出来ているんだろうな」式のお言葉は頂戴したが,それ以外の生き方は見て来ていない。
覚悟,まず先にありき。
というのが正直な所であった。

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開業して一年もしないうちに病気を負う身となった。
笑われる自分を鑑み大笑い
なのだが,これまた,運命なのだ。
これこれこういうハンディを負った上で勝負せよ,という。
そう,今やっている開業医としての仕事はいわば「ハンディキャップマッチ」としての生存競争。
ここに「もしも完全であったなら」などという仮定形は存在しない。
これでいいのだ(バカボンのパパ)。
これがいいのさ(Rock me baby 忌野さん)。
全部ひっくるめて私の「仕事」の在りようなのである。

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開業してはじめて,「労働」と向かい合うこととなった。
私だけ黙々と働くことしかイメージしていなかった。
が,実際,「人を雇う」。これには慌てた。
当院で働いてもらう以上,出来れば不幸になって欲しくは無い。
その願いが下地にあって,「労使関係」なる仰々しいものと向かい合わなければならない。
だがこの「労働法」なるもの。かじってみて思った。
「『守られている』という面では,実は勤め人が一番!」
-と。
家内が語っていた宇宙語がやっと理解出来た。
「偉くならない」
「ただ奉職する」
というのは,最も効率的であり,かつ疲れない生き方である。スマートだ,と言い換えても良い。
そう思うに至ったのは,私個人が多くの馬鹿をやり,また馬鹿であり続けているからなのだろう。
だが問題はそんなに単純なものでは無い模様である。

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「偉くならずに奉職する」ということは,実はとても難しいようだ。
「偉くなってしまう」自分が無くなっていく,「奉職する」隷属の日々の憂さを晴らしきれずに翌日に持ち越す,そんな落とし穴と背中合わせの日々が続く模様。
これは大変だ。
生きていることは,身体に,悪いな。

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労働。
-ここから
「個人と社会」
「自己実現と妥結」
という葛藤部位に降りていく。
個人クリニックでの一般外来は軽症(うちにお手伝いにお出で下さった偉いえらいS先生評「いおりの患者はんは『半・病人』やな」なるほど,うまい!・・・通院中の方へ。ちゃーんと病人も診させて頂いてますさかい,ご心配なさらんでよろしゅうおます。バリ精神科医でした,こう見えて)が多く,こうしたテーマが多い。
そこから浮かび上がる、個人像がある。

安易な一般化や容易な結論付けは許されない。逆だ。ありふれたテーマであるからこそ,個々人により答えが違うのだ。

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かく言う私も,身体疾患の方がご機嫌ナナメだと,労働をきつく感じてしまう。
これが勤務医時代だったらとっとと手を抜いて外来も流して終わりだったろうなぁ。
うわ,こういう奴,雇いたくねぇ,と思われるだろうか。

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最近,オモロイ部分が回復してきた。
「今まで聴いた曲をそのまんま頭の中で再現する能力」
である。
皆さん。
全国一億五千万の逆旅読者の皆さん。
この能力があると,得です。
iPodだのCDだの,要らなくなります。

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外来での「労働話」が増えてくると想い出す,二つの曲がある。
「おそうじオバチャン」(憂歌団)
「ボス!しけてるぜ」(RCサクセション)
どちらも,70年代和製ブルース。どちらも,労働がテーマ。そしてどちらも,「放送禁止」くらっている。
私個人,外来が煮詰まり,ああ,疲れた,キツイなあ,と感じたときには「おそうじオバチャン」を頭の中で鳴らすようにしている。
今日も♪歌って♪仕事する♪


無断引用を禁じます。某先生,労働基準監督署員の過労死ってあるのかいな。

あーまた寝られねぇ。


某先生、起きろ!

人は「こころ」では無い。「こころ」なんぞ、生きていくのに使われる道具に過ぎない。

うつは、心の強い人がなる病気。

うつは身体も頭も動かないのが本質。感情や気分はそのせいでやられるのであり、逆では無い。

全身打撲の骨折で動けないのと同じ次元の話。

「リカバー」と騒いでいるが、病気になる前に戻ったら、また同じ道辿って病気になる。真の治癒は「ディスカバー(発見)」による。

「自殺念慮」脳みそのごく一部の神経が発火してるだけ。鎮火するまで時間かせぎしていればよい。


ーなどなど、やらかしたやらかした、6年前の本。
我ながら、よくもまあ、暴れたわい。
「精神医学のパンクアルバム」の称号を得た問題作。
ふん!
ちゃんとISBN取ってるもん!

面白いもので、大御所の先生方は「良い本だ!」と褒めて下さっていたようだ。嬉しいなぁ。
が、中の下〜中の中御所くらい、よく製薬会社に宣伝の講演会とかで担ぎ上げられ、褒め殺しされ新薬販売のためコキ使われてるクラスの医者は、良くは思っていなかったよう。

後から知ったが、この本、私の知らぬところで物議をかもしていたらしい。
残念、当の私は開業すべく融資を頼む秋田銀行のご機嫌とりをしていたのである。
「利子いっぱい払うからさぁ...良いだろ、これくらい...」と、融資係の耳元に甘くささやいていたのである。
いつだったか、私が録画で出演したテレビのDVDみたら、メイクもうちょっと薄くしても十分綺麗だよー「多分!」な年配の女医さんが「うつは骨折と同じです」と語ってADの指示で出演者の皆さん唸っていた。

おお、我が著作お読み頂きAZMS!

そして、あちこちでパンクを常識として語ってくれるようになった皆さんAZMS!

数年に渡って深夜まで推敲する場を与えてくれた、サイゼリア仙台南吉成店AZMS!


このAZMSはどうやら「ありがとう御座います」のことみたいです。あほの次女が中学時代、陸上部で「あざます!」と体育系挨拶してたから、その略では?

最近、寝付くまで見るフロム・ムサシノ氏の国産ブタメンのブログ、それに頻用されている。
毎晩まいばん、繰り返し繰り返し読んでいるうちに、無性に使いたくなりました。
これから、ラストは某先生では無く、AZMS!にしようかしらん。
赤羽のラーメン富士丸に、1度で良いから行ってみたいが、叶いそうもない。

自慢話ばかりするとつまらなく不快に思われる方も少なく無いので、不幸な話もします。


いわゆる「うつ」に関しては、あれでもういいや、おしまい、と思うのだが...

クリニックに身を移してから、俗に言う「新型うつ」「現代型うつ」「非定型うつ」と向き合うことが非常に増えた。
様々な解釈がなされ、書かれた論文もべらぼうに多く、当初は一応参考にしていたのだが、最近になりピンとくるものがあった。
違うな。
多分、ここだな。
確信めいたものを得るに至った。
以後、臨床に役立てている。
はたと思った。
この発想は、私の世代だから出来たもの。
にん ちこう どうりょうほう全盛の現代では見過ごされるアプローチ。

これまた、「新型うつと生」とか名付けて出すべき?


だが、神よ。
私にはもう本を書く体力が無い。
クリニックサボって執筆するだけの経済的余裕も無い。

お蔵入りか...

残念!



無断引用を禁じます。某先生、今度一緒にオクラホマミキサー踊るど。

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