逆旅

生家のある田舎が「奥の細道」にて松尾芭蕉が通った場所であり,それを聞いて育った私は,幼い頃から「旅」に憧れていました。やがて,人生そのものが旅であることに気づき,また齢を重ねるにつれ,同様の存在である人=旅人を迎える存在でありたい,と願うようになりました。ブログ名の「逆旅」には,「旅そのもの」の他に,「旅の宿」という意味があります。自ら旅をしつつ旅人を迎え入れる,そんな日常での,独り言です。

確かに難聴のこの耳にも聴こえた、と思って振り返ると、

ホームページ更新が遅れ申し訳ございません。キーボードタッチ界のエリック・クラプトンだったのですが、指がかような状態であり、パソコン入力が遅れてしまいます。
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無断引用を禁じます。某先生、1枚おめさやる、どの指がいい?

何故、自らの死を前にしても、心静かに微笑んでいられるのだろう?
答えは簡単で「もし自分が主治医でなかったなら」「もしあの時に直感を信じ理屈に溺れていなかったら」死なれずにすんだ、そんな経験のひとつや二つ、ずっとかかえ続けて来たからだ。
死には死をもって償うのが当たり前であるのに、ご遺族からの「これを糧に、さらにすごい医者になってこれからも人々を救って下さい」という言葉だけで今まで生きてきた。
ようやく、償えるな、悪かったなぁ〇〇さん。

「死んだ者への怒りが、自分に向きを変えて自らをさいなんでいるからに過ぎない」と、嫌煙家の葉タバコ農家の主は言うのであった。が、元来、無意識の解剖学なぞ大嫌いな口である。精神分析なんぞ、たかだか医術の一技術に過ぎない。

「症例·アンネ·ラヴ」を殺して作られる学問より、「何とかしなきゃ」とドタバタする中で生み出された知恵と技の方が、性に合っているのである。

臨床研究では統計の母集団となる患者数は多ければ多いほどよい。飽くまでもその中の1つとして、患者に微笑み優しい先生もいた。

どこから力を仕入れて来るのか、盆正月返上でただただ野踏みもとから救わんとする先生もいた(蛇足·古川高校の先輩)。

精神科医には誰でもなれる。
しかし継続することは難しい。
私は「患者を殺した罪悪感」を償うため、愚直に辛抱し、精進してきたに過ぎないのだ。
そうして生きて来た結果、辿り着く自らの死は、贖罪としての意味を持つ。

「鬱の罪業妄想じゃねえの?」
と私が鬱の病み上がりであった頃、嫌がらせに転じた後輩らは軽く言うであろう。
彼らは自殺予防の官の建前仕事で「うつ病」についてイガク的な講演なども軽く引き受けるはずだ。論文にしか真実は書かれていないとする「医学徒」と、患者の中にしか真実は無いとする「臨床精神科医」はかくも異なる。

もしこれが「罪業妄想」であったならー
「医学的にエビデンスに則ってやったから死んでも仕方無いもーん」としてあっけらかんと忘却出来る手合いがマトモということになるが…
やはり不全感に苛まれる医師はけして少なく無い(精神科より身体科の医師の方が多いようだ)。

昔の話。

夜間総合病院の深夜。たった今亡くなった患者さんのご遺体から離れ、1人、俯いて死亡診断書を書く一臨床医の背中を遠巻きに見るとも無しにみていた。
悲しみを察し真っ暗な気持ちになるものだが…突然「こうして他者の死を悼み得る、人間としての医師がいる。冷たい治療計画書を書き、治療契約に縛られるアメリカ式が流行っても、まだまだ捨てたもんじゃ無い!」と深夜の空に叫びたくなっていた。

かなり前に、確か「贖罪としての医療」とか名付けて、似たような駄文をしたためた。
あれに比べ、ちょっとだけ、掘り下げ得たかも知れない。


無断引用を禁じます。某先生は、どうですか?


またしても眠れない。
次々と診察室でお会いすることを続けていた人たちの顔が浮かんできてしまう。
「なぁに、真は強い人だ。大丈夫だべ」と信じるようにしているのだが「親心」にどこか似た感情が、心配の形をとって去来する。

無論、患者さんに咎なぞある訳が無く、全ては私個人の問題なのである。

確か…フロムライフマンだったかと思うが定かでは無いが…
精神療法家が「プライベートな時間に患者を思うこと」を、厳に戒めていた。


ごく普通の精神科外来で、日常的によくやられている「精神療法」ー眠りと食欲と便秘の有無なんぞ訊いてお茶を濁し、患者さんのテーマをクスリの問題にすり替えるために行う、カルテ記載用アリバイ御用聞き…

それだけだったら良かったのに!
どれだけ楽で人生楽しめていたのに!

私は最後までそれが出来なかった。

専門を精神療法に選んだため自縄自縛した。

「精神療法のプロフェッショナルは、患者の治療から満足を得てはならない」

自分の生き甲斐、いわば己の職業的満足のために人様の人生の大切な問題を扱うことは、あってはならない。

しかし、こう銘記しておかなければならないほど、人の魂の深淵に降りていく精神療法家という人種は、ややもすれば危うい立場に自らを追い込みがちなのだろう。

私が、これまでの精神科医人生で出会った友達は、そんな損なタイプが多い。


無断引用を禁じます。某先生、羨ましいよ。

愛の病院秋田大学附属病院の皆様のおかけで、安心して過ごせております。

めまいというより獅子舞、まともに歩けず、輸液セット鳴らしまくりでした。

課された尿量測定をばせんとしても、無論バランスとれず。ただ尿瓶とグラグラ点滴台とを持ってパンツ下げて踊っていました。
仕方なく座って試みるも。あれ?変な所からオシッコの温もりが!と感動してたらただ単に知らぬうちビデボタンが押されていただけ…

食事はじめ制限が多いのですが、身体のセンサーはよく出来ていますね。入院前3日間はコンビニ弁当が塩辛過ぎて食べられず、今は病院の塩分5g食が美味しいです。ついでに好き嫌いも無くなりました。

皆様には重ねがさねお詫び申し上げます。
皆様の御尊顔が目を閉じると浮かんで参ります。

私が今出来ることー
責任を持って診療にあたれるよう、身体を治すことー
それに尽きると信じております。

もう少し、秋田大学医学部附属病院の愛に浸らせて頂きます。


無断引用を禁じます。某先生、私ゃ昔からステロイド飲むと不眠になりハイになり怒りっぽくなってしまう体質。遠くで叱って。

旅ニ、
病ンデ、

夢、
ハ、
枯レ野ヲ、

駆ケ巡ル。

嗚呼!

夢ハ枯野ヲ駆ケ巡ル!


行かふ旅に病み病みて、夢々は野、枯れ野、駆け巡り、巡り、巡りて、
涙湛エタ魚、
人知レズ、
泣ク鳥ノ、
行方知ラズ、
雛ノ家二渇ク。
四季彩無き枯野吹き荒ぶ根こそぎの風
のなか、
に、
雛の朱を見た、
タシカニ、
雛ノ朱ヲ!


****

いおりクリニックに通院中の皆様、ご不便をおかけしており、衷心よりお詫び申し上げます。
不眠になりブロ愚書きました。
無断引用を禁じます。某先生、明日も検査だよ、やれやれ。スマホだと「コメント受け入れ無い」の設定難しい。またアンチいおらーから「氏ね!」とかボロクソ来るんだろなぁ…トホホ。

大きくなったら何になる?
半生を振り返ると,我ながら,面白い。
子どもの頃に思った。
―千年一日の如く過ぎゆく人生は嫌だ。色んな所に行って修行を重ねて「強い者」になりたいものだ,とー
ぼんやり憧れていたのは,やはり剣術をホームワークとした,武道一般だったと思われる。対外的には「医者」と言っていたものの。
定住恐怖症は小学生時代に発症していたようだ。

****

今にして思うと,「武術」が「医術」に変わっただけで,積極方でも消去法でも,何故か精神科医にたどり着く,そんな運命にあったのだろうとしみじみ思う。
努力次第で人は変わるのだが,運命という奴には敵わない。
持てるコマ・・・真の意味での「気質」や受けた「傷(トラウマの無い人生なんか無い!)」,憧れても断念せざるを得なかったもの・・・。
忸怩たる念が湧き,その時の己の不甲斐なさを嘆くだけかも知れない。
がしかし,逆に「だからこそ」得たものも,人生には,ある。

****

私が旧帝国大学の医学部に入っていたら,すっかりその気になって研究に没頭し,ぶっさいくな女性と(だからといって中野栄のカミさんがどうなのか?というと,これまた先に進めなくなるのでパス)地味に結婚し,恐らく蓄膿症の子どもを一人授かったくらいで,万年宿舎にこっそり生きていたであろう。
秋田大学だから,良い破れかぶれが出来た。
ええい!グレたるわー!どうせなら一番ヘヴィーな所に行ったるねん!
と開き直り,精神医学の道に入ることとした。
かなり厳しめの初期研修であったが,深夜目が冴えて眠れない,とクールダウンのつもりで寄った本屋で,丸山健二氏と再会することが出来た。

物書きに憧れたとして,せいぜい何らかのコンクールで次点をもらえるかどうかが関の山。そのプライドを持って「俺はこんな所にいるべき人間では無い」などと思いながら,派遣でライターをやっていたかも知れない。周囲への侮蔑が染み出て,鼻もちならない者になっていただろう。せいぜい女性にしか相手にされない,男同士でははなから見限られる,それが席の山であったと思う。

****

その場のなりゆき,というのは誠に面白い。
運命というのはどうしようもないものだが,逆に,チャンスを作ってくれる。
運命論者を気取って世を達観したふりをするには,あまりにもったいない。
その運命に「立ち向かう」気がなければ,つまらない。

その昔,修行に憧れた坊主は,やはり大人になってから修行の旅に出たとさ。
憧れていた波乱万丈の人生をを,地で行ったとさ。

そーだな,あはは。


何にしろ,やはり,生きていて良かった,と私は今になって,心から思えるようになった。


無断引用を禁じます。某先生,今日は忙しかっただよ。いや,別に手伝いとか,来なくて良いから,つーか,頼むから来ないでくれ!

開業先輩の神奈川のM本先生が,
「クリニックというより,バーのマスターみたいな雰囲気だよ」
とご自身のクリニックをー無論,謙遜なのだがー仰っておられたことを最近思い出す。
M先生ご自身は軽い一言とお思いであったであろうが,不思議な所に雑談でしか分からない「真理」があるものだ。
私はそれこそが,思い描くクリニックの立ち位置になる,と思った。

****

そこで考えた。
まず先に「いおり」という言葉との出会いこそが,クリニックを意識した始めである。
いおり・・・庵・・・すると
それまでの45年間の記憶がざーっと思い出されるのであった。
隣駅にある,伊達政宗の学問所「有備館」の庭園に建っていた,それはそれは小さな茶室。
そこに連れられて行くと,子ども心に「うっとり」するのである。
裏千家のお茶をやっていた母から,一期一会を教わった。
「この出会いが,最初で最後かもしれない。だからこそ,この時間空間を重んじて大切にするのだよ」
普段は何気につけ反抗して口答えばかりしていた私であるが,その台詞は,すっと,入った。
テーマは,

「一期一会」

とした。

****

五年が過ぎた。一期一会の精神でもって臨んでいるものの,現場はそうそう思い描いていたものとは,違う。
根本的には,今もスタンスは変えていないつもりなのだが・・・
茶室の主,あるいはバーのマスター,他,喫茶店のマスターに料理やの板前さん。
どれでも無いな,なんとなく。
一時期,アイデンティティを「お地蔵さん」と改定したことがある,髪が無くなるそのもっと昔。

間もなくして,当方から積極的な助言が必要が多々あり,そこに居て聴いているだけではやはりダメなのだと感じ入った。
黙って聞くのが基本の精神分析でも,「受動性」「中立性」を一旦放り投げることも必要であるとされている。

****

さるおりしも,ガクンと聴力が落ちてしまった。
患者さんがマスクをかけられ、しかも小声で話されるともうダメ。聞こえ難い。

送信マイクを持っていただき,受信機のレベルを最高にして,何とかなる程度。

こうして最終兵器は準備しているものの、めまいがひどく,杖つきまくり。

患者さんには大変済まなく思うが,聞きそびれると大変なので,繰り返し仰って頂くこともある。「申し訳ないが」と前置きして,大きく,ゆっくり話して頂くことも稀ではない。

しかし,最近,あることに気づいた。
しっかり話して頂くこと,それは実は,治療的な面も多々あるのだ,ということ。

詳しくお書きしたいが,某先生が安易に真似をして患者さんに悪影響をおよぼすことが懸念されるため,お書き出来ない。

****

いつも心の中は裏千家!
そう気取っていたのだが,実際上,それは,私の気持の中にだけあるのではなかろうか?
ひょっとして一人相撲か?
等といった思いが,診察が凪の時に考えることもある,うーん我ながら暗いな。

****

こんな時,助かる,自我理想の存在。
志村けん氏を思い出した。

もう,「芸」に狂い続け(こう申し上げると失礼だが,他に思いだす適当な言葉が無いため)る存在は,もはや「芸人」の枠なぞ超えている。
神々しささえ感じる。
「ひょっとして『能』よりすごくね?」
特にそう見えてしまうのが,氏が老人の役をするときである。
いつも,唸る。

****

知らずして振る舞っていた。が、Lineのスタンプで気づいた。

氏の重要キャラである,「ひとみ婆さん」。

『ひーちゃん,と呼んでください』が決め台詞の中の、あれ。
設定として、かなり聞こえが悪い。

「あんだって?」(何だって?)

とよく連発してお客に接する。
それを,わたくし,知らぬうちに,やっていたので御座います。
失礼なので「あんだって?」は封印したいものだが、また,ふとやりそうで,怖い。
そこで芋づる式に出てきたのが,一連の氏のギャグら。

****

そこで私は,アイデンティティを刷新することが出来た。
氏のレパートリーの中、一発ギャグかシリーズものか定かでは無いが・・・あったような気がするキャラ。

私は,それ、その「長屋のご隠居さん」のような存在になることが良いのではないか?と思うようになって来た。
落語にもしぱしば登場するやつ、である。


しばらく,そのスタンスでやってみます。ダメな時はご遠慮なく「ダメ出し」して下さいませ。


無断引用を禁じます。某先生, 某先生は,なんか胡散臭い宗教の教祖的なんだよなぁ・・・

副作用はどうしてまた,「その能力失われると困る」という部分に現れるのだろう。
今回は両手の生爪が剥がれた。
自宅で入浴を終え,下着をつけようとしたらめまいがひどく,転びそうになった。
そこで「おっと!」と身体を支えようとして洗濯機にすがったら,めりっと左のお父さん指の爪が,剥がれた。
今回は入浴場が鬼門である。脱衣かごを取ろうとしたら,つるっと滑ってひっかかった脱衣かごにひっかかり,右お父さん指もアウト!
得てして,ぐるぐるバランス取り損ね,剥がれるパターン。
爪が痛いと診断書や紹介状を作成する際のパソコン打ちがとんでもなくユウウツだ。
しかも,Windows10にしたら,電子カルテ真っ青の機能を果たすソフト「Wolf」の調子がおかしい。
心の中でひーひー言いながら文書書いて,終わった!という段になって,さっと消える。
本当に「『いい事ばかり ありゃしない」のである。

****

筋肉細胞の減少,その代わり増えていく腹囲,内耳障害による極度の難聴と立ち上がれないほどのめまい,三十メートルもいかないうちに切れる息,口内炎と口腔全てに渡る過敏性,繰り返されるイレウス・・・(あと,書くの,飽きた)
家に帰るとーもう要介護Ⅳくらいいくんでねぇべかーもはや動けぬ私を,家族の皆がよってたかってパジャマ姿にしてくれる。
一時期,転んだり溺れたりする可能性もあり,妻も一緒に入浴してくれていた。が,家の風呂桶は狭い。さらにまた,リビドーが皆無になった事実と嫌でも向き合わざるを得ないのがシャクで,現在は1人で入っている。
ユウウツになり,気分がのらないので,せめてたった1つの趣味であるブロ愚書きをしたいが,夜更かしになってしまう。また,指の件もある。だからせめて話してすっきりしたいが,難聴で聞き返すと次第に雰囲気が悪くなるのでそれも止めた。

****

朝,妻の運転で職場に行くまでの間,私はたいそう不機嫌だ。
「まだ働かないといけないのか・・・・いや,家族のためだ,やるしか無い」
守衛室のカウンターで,財布の中からボロボロになった社員証を一枚だすのにも,テーピングした指が滑り,苦労する。ときには,めまいがして財布ごとばらまき,朝からケチがつく。
難聴持ちの御多分に漏れず,頭の中を大嫌いな音が流れる「錯聴」がうざったい。

職員の,薄暗い裏口スペースを通ってクリニックに行くのだが,エレベーターの中,別業種の人らの「仕事をせねばならない」という緊迫感が徐々に私に染み込んでいく。
「おはようございます」という声掛けをしてくれる総菜売り場の女性たち。彼女らにも悩みや苦しみはあるだろう。歩く副作用,薬でお腹いっぱい,の私であるが,医師たるもの,こんなことで負けていられるか!

補聴器ならびにその補助具,音声入力システムをしこんだスマホ,もって私の三種の神器。院長室でそれらを準備すると,錯聴を打ち消すぶっといベース音が響く。ドラムがベースの主張に賛同したかのようにリズムを刻む。ロックにしてはためすぎの感があるものの「もう待てない!」とばかりに先を急く,人間臭いギターのストロークが特別な状況にあることを知らす。
遠くから息遣いが聴こえて来る。
そしてみんなが「もう待てない!」という思い絶頂になった所でK氏登場。

「よォーこそ!」

観客はべつに,チケットを買える大金持ちなんかじゃない。日常のブルーをため込んでようやくこのコンサートに来ているのだ。若者,通常誰にも言われる筈も無い「よォコソー!」はガツンと入る。格別のお迎えの言葉だ。

ようやくそこで,私の精神科医のスウィッチが入る。

コンサートの登場前のK氏の様子を映した映像を見たことがある。前奏のリズムにあわせ,走る動作をしていた。
息を合わせる,というのは,このことなのだろう。
喘いでばかりの呼吸の仕方が,ここら辺で変わる。

****

診察が始まると,まだまだ,バリバリ!

だが一回患者さんらが途切れると,自分の体調の悪さに嫌でもしてやられそうになる。

替え歌作りが好きだった。昔取った杵柄―
「ロックンロールショウ」のメロディに載せ
「Oh!神さま 気がついたら診察室 ♪ 役立たずの神さま 精神医学が大好き♪ つつつまずいても へりくだっても♪」 

「ステップ!」から
「心臓が止まっても もう診察は止まらない♪」

などと心の中で歌っている。

****

今回のK氏は,言わずと知れた忌野「清志郎」氏である。
誕生日,4月2日。
この日を思うと,なんだか,寂しい。

昔は,4月1日生まれまでで学校の学年の線引きがなされた。そのため,ほとんど一歳違いの同級生らと勉強せねばならず,それは明らかに可哀想,とて,役場の手続きに於いて「4月2日生まれですぅ」とする場合が多かった。
清志郎氏がどうだったのか知らない。後に明かされた真実,子どもの無い叔母夫婦に引き取られて育ったという経緯からするに,あり得るかも知れない,しかし,んなことどうでも良い。
歳を重ねてもまだ私に染み付く言葉と音。
清志郎氏とともに,私は,ある。


無断引用を禁じます。某先生,葬式の動員数,XJapanのHIDE氏が第一位で,清志郎氏はそれに次ぐ第二位だった。が,私を含め,ファンだった者たちは社会でそこそこ責任ある立場となっており,青山に行きたくても行けなかった。そんなおっさんらは職場で,表で笑いながら裏では泣いていたのかも知れないな。

私はずっと,岩手大学が好きである。

高校の頃,旺文社の大学紹介の分厚い冊子を眺め,岩手大学の人文学部のコーナーに見入っていた。

「ガンダイ・ジンブン」

という濁点からなる言葉の並び,とてもインパクトがある。
質実剛健なイメージ。
挫けずめげず,ガシンと固い。
岩のように重い文人。

他大学の文系は,どこか何か,細いイメージを抱いてしまう。
(注:古川高校のガキが勝手に悶々空想しているだけ,マジではござらぬ)

岩手大学は時をかけじっくり,自分の学が出来る,そう直観した。

そして現役で大学を叩き落ちた後,入った,当時第二古川高校と呼ばれていた予備校の寮でも,仲良くつるんだのは,岩手出身の猛者ら。

僻(ひが)まず,強く明るく,利他精神が強い。そして,純粋,豪快だ。
秋田大学に入ってからも,それは,変わらず。

きりっとしている。東北なのだが,湿っぽさが無い。
さらに―
岩手産・天才詩人ケンちゃんが,愛のキューピットというか前世に私に憎しみを抱いた者というか,宮城県仙台市宮城野区中野栄のカミさんと,私を,引き合わせた。
今だから言うがケンちゃん,俺,恨んでるぞ(艶笑)。

****

そして愛の結晶というかオギノ式が当てにならないことの傍証というかともあれ,長女が生まれた。
長女は,何と言うかかんというか,うんずらもんずらぎんたらどったら,というか,それでも秋田の人は優しいので私立の面倒見が大変良い高校に入れて下さった。私は土下座したい心境であった。
が,長女はそこでもうだうだしていた。

私はクリニック開業一年を待たずして,病ってしまい,手術を受けた。
まだ母校の愛による治療を信じ切れていなかったので,これはすぐ死ぬわ,と思っていた。

枕元に長女(当時高3)を呼んだ。

「悪いが,パパはもうちょっとで死ぬので,東北福祉大学に入れるのは無理になった。高校を卒業したら働いて,妹らの面倒をみるように」

と言い伝えた。長女は絶対大学に行きたいという。学校サボって悪行三昧のくせして。

「そりゃーおめぇ,あれだよな。国立入って奨学金でももらえりゃー,そりゃー話は別だわな」

****

努力。
真面目。
勤勉。
地道。
そんな人が報いられる世の中になれば,うつはもっと,減るのではないか,などと夢想している。
まっとうな人がまっとうに胸をはれる社会になって欲しい。
そう,切望する。
しかし―
世の中は,けっして,そう,出来ていない。
その類の話を聞くたび,私は悲しくなる。

政治は何をしている?と秋田魁新報を見ると,ちまちました情報が行き交う。斜め読みしても森友がどうしたこうした家計だか会計だか知らぬが獣医学部では牛育てるのか?云々・・・とスキャンダルの話で賑わっているが恐らくこれはフェイント目くらましで知らぬ間にまた別の怪しい法案が通されているのではないかと危惧することしきり。
という状態。

正直者が,報われない。

したがって,
長女は,
岩手大学に入ってしまった。
私も母校,秋田大学医学部附属病院の,潤沢な愛による治療で,まさか!生きてあくせくせっせと働いている。挙句,人様によかれと思う治療をして,うざがられたり嫌われたりしている。

いわゆる一つの「憎まれっ子世に憚る」を親子でやる結果となった。

読者の生者の皆さん,意外と,意外なこと,あるぜ,諦めるな。
なーに,簡単よ,捨てないだけ。

****

入学決まった。
私は世間様に申し訳なく思った。
その夏や秋,冬,に,岩手大学様からお送り頂いている,書類関係,いえいえ異存はござりませぬがー
封筒に印刷されているイメージマスコットの名前が,はたして,「がんちゃん」なのであった。
そしてまたさらにこれでもか,と,イラストは,ぱっと見「癌細胞」なのである。精神科医でも分かる。

私は,嬉しく,悲しく,せつなくやるせなく,作る表情に戸惑う。
他意は,無い。それは重々存じ上げている。
私の岩大loveも,増えこそすれ減じたりはしない。
全く気にしていない。
私は岩手が好きなのだ。
願わくば北東北三県で力を合わせ宮城県を乗っ取らんことを。
そんなに好きなのに。

****

その昔,宮城で県職さんをしていた頃。
寝物語をねだっていた幼い頃の長女に-物語を聞くと空想して興奮する乳幼児であった―丸山健二作品でも寝つかないためー勝手にこさえた「岩手物語」で泣かせて寝かせたーほど,岩手が好きだ。
どんなにがんちゃんが送られて来ても!
同級生のかんちゃんを,がんちゃんと言いそうになったりしても!

****

し,し,したがってだねぇ,この間送られてきた「がんちゃん封筒」の中のお知らせ,岩大がテレビに出るので協賛を!という,お,お,お話,

「ガンダイニング」
(『癌,dying』と聞こえる…)

にねぇ,乗ろうと思うの,こうなったら,もう!
もうもう!
もうもう,牛が多い,牛受難,焼肉ステーキホルモン流行!
狂牛病はどこいった?
毒を食らわば皿まで,毒を食べるな木皿くん!
(・・・夫が急性錯乱を起こしたため,中野栄式チョークスリーパーで落としましたby妻)


(尚,物語はフィクションかも,です。実在する人物,あと何だっけ?ともあれ,実際には存在しないかも知れません)


無断引用を禁じます。某先生,なんか,岩手医大さんが可哀想な気がして仕方ねぇだよ。言うに言えねえべな。

3月だ。
この「3月」という言葉を聞くと,身が引き締まる。
患者さん、出立の季節ー。。
診察場面で,最後のおさらいをする月。

****

まだまだ未知の,新たな世界に踏み込まんとする患者さんらが,クリニックから,出ていく。

何かあったら戻っておいで。

という言葉と,

こんな所でぐずぐずしていないで,前を向い
て新たな人生を切り開け!

と言う言葉とが,交錯する,胸の中で。

「大丈夫だ」

と,まず誰よりも先に主治医が思わなくてどうする?

そこで,

「大丈夫だぁ!」

と志村けん氏の真似に至り変なおじさん踊って最後に「あいーん!」(←そこまでしなくていいか)

****

これを,人を病人扱いして,
「まだあなたには大変でしょう」
と,人の,
「出来ない部分」
を集中して数え上げ,ここにとどめるのは,楽だ。
家族はほっとし,本人も「自立できない子」のまんまで甘えていられる。私も患者さん減らず,暮らしの心配が減る。

****

良いことづくめなのだが。
開業時,銀行から借金した時に悪魔に売っ払ったはずの魂の燃えカスが,安眠を妨げる。これを超自我と言う。
「果たして,彼や彼女らのためになっているのか?精神科医,それでいいのか?」
そう疑問を残しながら,ナイスで買ったパック入りの梅酒を飲んでも,旨くない。

****

不安で,寒い,出来るかどうか分からない。
だからこそ,正面切って突っ込め!
本当のところ,争いしか無い社会,街のジャングルで生き延びよ。
死ななければそれで良い。
自分の命を自分のために,使え。
もし刃尽き矢折れたときに役立つように,一枚の単純な紹介状を渡しておくが。
もしかしたら不要の一枚となり可燃物のゴミの日に出されるかも知れない。
そうであることを,秘かに,望んでいる。



ってが。

無断引用を禁じます。某先生,今日も「本日のお役人」ネタがあったのだが,書きません,オトナですから。

♪薬の作用は副作用♪
♪まるで「はだしのゲン」の拷問シーン♪
♪爪が剥がれ,ちょい,とぶつかりゃ血まみれ♪
♪貴重なB型の血液がぁ♪
♪まだ左クスリ指はリンパ液だけー♪
♪希望を捨てるなタダだから♪

と歌を作ったは良いが,ギターが未来永劫弾けなくなったので,楽譜に落とせない。鼻歌で歌うしか無い。ガラガラクリニックに響く。

****

「お前の処方はルール違反だ,よって支払いなんかしてやるものか!」
「へへー お役人様,何とかお許しをー」

と毎月治療を邪魔,もとい,指導するネズミちがう,お役人様がおられる。

うちのような小さなちいさなクリニックでは,揉み手でこびへつらい,顔色を伺う。

お目こぼしを,お目こぼしをなんとか・・・え?あ,はぁはぁ変な所で区切らないでくださいよぉ,もう,すぐ下ネタなんだからぁ!

名をば,社会保険庁となむ言いける。

****

医者に頭を下げさせる。凄い,偉い,カッコいい。私は子どもらを将来是非お役人様に嫁がそうと思っている。秋田大学医学部を受験したり,名医になるべく努力するより,コスパ,高っ!

クリニックでぼけら,っとしていたら,スタッフが「審査再請求して下さい」と書類を持って来た。
何だっけ?

社会保険庁様,かねてより,私の処方がいけない,とちまちませこくお引きになる。お絡み遊ばす。
「金払わん,いおりの大沼,てめーが払え」とまたしても議論の余地なく命令してきたのであった。
「自分の患者さんの治療が第一!治療オタクじゃい!。そのための己の体力気力に細心の注意を注ぐので精いっぱい。公僕の暇つぶし仕事なんぞに付き合っている暇なんて,ねーねー!」
と放置しておいた。
それが重なりー私の懐から金ふんだくり,いや御差し引きあそばし,
ヤカラもどんどん付け上がって来やがったらしい,いや,お役人様の寵愛を給うようになってしまったらしい。

私が全く同じ処方箋を出しているのに,Aさんの方は認められていたが,Bさんのは「大沼のどあほ,罰だ,身銭切ろ,くたばりぞこないめが,早く死ね!」と言わんばかりに問答無用,即切り捨てゴメンとされていたそうな。無論,普通の処方である。
真面目なスタッフが「え?何で?}と思い確認したらお役人様は,
「さ,さ,再審査にかかかけろ」と言って電話が切れたとな。

「院長~これ書いて下さいよ~」と持ってきたのはその再審査要求の書類であった。

以前,「この治療行為に難癖つけるの,おかしぐね?」と再審査請求をしたのだが,判断を覆したことは,一度も,無い。
秋田県だけが変質なのか?他の都道府県で同じことやって問題にならなかったのに,患者死ね,と言わんばかり?

最初の頃は,この件につて尋ねていたが,貝になった公務員は,だんまりを決め込む。

こちらも公務員のノルマとかかわって生きている時間がもったいないので,最近はおざなりになっていた。
しかし,この前読んだ「秋田犬の飼い方」にも,「甘やかしてはよくない」とあった。
さらに私は,暇だった。

そこで,こういう査定に至った経緯と,責任者を教えてくれ,とその「再審査請求」の紙に書いた。
今,副作用で耳の聞こえが悪い。原則,電話はスタッフに語り部をしてもらっている。
患者さんの重要な困りごと,情緒不安定で錯乱する薬剤師,寂しいクレーマー以外に,私が出ることは基本的に,無い。

しばらくして本日。
控室で缶コーヒーだけの昼食をとり,薬で腹いっぱいになってたら,社会保険庁を名乗るものから電話があったそうな。
メモを見ると「そういうことはお伝え出来ない決まりになっている」とだけ言っていた,と。
責任無しの仕事だってさ。
ネットにやられたジャリのあほな書き込みじゃあるめーし。
何だか,子どもみたいだな。「決まりだから,決まりなの」ってな。
その次元。
だが,同じ公務員でも,身元が割れるとヤバいことだってあり得るお巡りさんだって,ちゃんと堂々名乗るぞ。

「子どもの遊びみたい・・・」
そうだ!
「ほー,その決まりっていつできたの?何年何月何時何分何秒?何曜日?言えない,どうしてどうして?本当はウソだべ!」
と口喧嘩していた頃を思い出した。

それにしても,子どもの遊びレベルで,時に人の命や人生すら左右する医療業界に口を出されては,困る。現に,社保庁のルールに過敏で検査も治療も出来ない変な医者が,東京でも神奈川でも秋田でもないが,とある総合病院にいた。

わたくしは,かつて,役場職員を親に持つ男に,どうして軽口まで書面にて抗議するののかと尋ねたことがあった。
いわく「
物事はちゃんと書面に残す。証拠にならない」
から。


わたくしは,かつて,アコギな稼ぎをしても殺されない男に,どうして殺されないか尋ねたことがあった。
いわく「日本は,法治国家である」
から。

そこで,

「疎いもので教えて下さい。その,『決まり』は,何法の第何条第何項でしょう?」

ファックスしてみた。返事はまだ来ていない。

なるほど,これがオンブズマンの快感なのかもね。
宮城県職さんをしている時には,みな,「オンブズマンに絡まれないように」と戦々恐々していたが,背景にはこういう心理がある訳か。ためになるなぁ。正義のふりすると,快感なんだぁ。クレーマーも同じ心理かね。

♪あんまり調子に乗るなよと♪
♪言うゆう佐藤優♪
♪組織は怖くて殺される♪
♪そう言や『はだしのゲン』でリンチする♪
♪特高も身分は公務員♪
♪「赤刈り」だから「赤」血をしぼろう♪
♪原発嫌いは「赤」なのか 私はどちらも大嫌い♪


無断引用を禁じます。某先生,東日本大震災で宮城県が「放射能測定装置が壊れています」という発表をし続けたとき・・・,確か・・・正義の味方オンブズマン・・・最後まで登場しなかった・・・ような・・・。みんな,自分が可愛いのねん。いーのよ,いーのよ。
あーあ,また敵が増えた。ほりゃ,こんなに。

私は私の物語を持つ。
あなたはあなたの物語を持つ。

意図せずとも若者は物語づくりにどこか血眼だ。
20歳辺りから物語に逆に動かされている自分に気づき,
30代通じてその物語の検証をする。意図せぬものにムキになる。
40になった頃,推敲を諦めた。これが私,ここまでの私,と。
諦めた果てにもらうプレゼントというものもあり,それは素直に嬉しい。
ささやかなものではあるが,自分一人にとって,
「自分 勤続 40年」

50を数えての私は怠惰か熟成か。
夢,という言葉に逃げられなくなった。
もうこれしか出来ない。

いずれ年経るごと,相手の背負った物語を,無心に聴くようになる。
そしてどんな物語でも受け入れられる寛容さを持つ。

****

自分が物語のまさに主人公であるときは周囲に怯えていた。
徐々にその物語の「書き手」は自分自身であることに気づき,

竜の子プロのアニメの目の書き方や,
キノコの土瓶蒸しが,
もう嫌でも好きでもどちらでも良い,

こだわりを放擲にするとともに,
芯は4Bに太く固まっていった。

****

何だか書いていてよく分らんな,こりゃ!
おっしゃ,真面目に書くぞ。

****

「できちゃった婚」として婚前交渉が公認される,と,ともに出産率が下がっていく。
禁じられないと人は燃えず,ツマラナイものと認知してしまうようだ。

「言っちゃった専門」と呼ぶのがまさにふさわしい,「精神療法家」などと。

これまた私のパターンなのである。
何かのはずみに受け合う約束して後に引けず。
「ヤバい!」と思いつつ続行,その過程でときに簡単に命まで懸ける,という癖は。
困ったもんだ,そう思ったときにはもう遅い~
昭和に流れた「よせばいいのに」というムード歌謡が私物語のB.G.Mに良く似合う。
「精神療法」なんぞ当時の国立大学医学部精神科においては公認されておらず,むしろ禁じ手,タブー,変態。
お陰様でスリルだらけの修行を積ませて頂いた。
それこそ,嗅覚を頼って師を選び,持てる力全て投入して弟子入り修行した。
精神医学>精神療法>精神分析>自我心理学>・・・
とターゲットを絞っていった。その中で,有難かったのはやはりフロイトがしつらえてくれた道具である。
その道具は紀元前のギリシャで作られていた,「オイディプス」の劇に拠る。
人が人を理解するにあたって,それは種々の方法があるのだろうが,簡単なこと。私に,あっていたのである。
フロイトを介して,オイディプスの作者ソホクレスの物語を,いわば「借りる」,それで成し得た物事が,精神科医になってから,目測2~30パーセントはある。開業してから援用する機会が増えたので,半分弱くらいか。
それっぽっち?はい,それくらいです。でへへ。

****

だが考えてみると面白い。紀元前に書かれた物語の抽出物が,現代に通じる,ということは。
水素と酸素くっついて水,という現象には誰も逆らえない。が,モノそのものを相手にせず,言葉による伝達だとどうしても不利だ。
特に,しばしば「宗教」との異同が論じられる。参ったもんだ。
もっとも真の宗教家なら,相手を無下に否定したりはするまい。相手を否定することで成り立つ理論は,なんだか虚しい。
宗教研究では「宗派」の別無く共通するオシエというものがあり,宗教は根本的に一つのものであった,とする研究家もいるらしい。
いずれにせよ,それこそ遺伝子がそうであるように,我々の心的な在り様も,けっして自由なものでは無いのだ。
精神分析学の中心,自由連想法は「読心術」でも「洗脳」でも無い。
単なる,私とクライエントとの「絶え間のない問いかけ」があるだけだ。
下手こいて共に地獄に行かないように,先が見えなくなってしまわないように,理論があり先達のツベコベがあるに過ぎない。
「優しけりゃ良いんだろ!」と言った式の,治療者側の「相手みくびり精神」は,無い。
(精神分析理論,こんなもん,保険医として開業するなら知らんかった方が,にっこり揉み手で,よっぽど儲けてるわ!・・・
開業をお考えの皆さま,参考に供す。もって他山之石とすべし)

****

あれ?何の話だ?そう,物語だった。
さる都会の文学部をお出になったお方によりますと,「物語」にはいくつかのパターンがあり,使える要素はこれくらいであり,技巧のパターンの代表的なものがあり・・・だそうな。
-私ゃ知らんまま,終わる,クソ。

物語が持つ無限の可能性!などと,信じたいが,こういう話を聞くとなんか削がれるな。
物語の解読,因数分解が主たる目的になるのなら,文学を学ぶ,それはとても寂しいことなのかもな。
趣味の領域,マニアックなもの,にすでに入り込んでいて,どうも興味本位の私ののような者には極められなさそうだ。
まぁ,同人誌というものがあるくらいなので,内輪のコミュニティーでむひょむひょ喜んでるのかな,
「おおっ!ここの表現,効きますねぇー!」とか。
そこでかかれる冷たい汗。何だか,臭そう・・・。

そう考えると,私はやはり,プロレスおたくの方が良い。

****

私,と言う物語は,誰も知らず完結する。
書き手で登場人物でいささか偏りがある,文字に落とされないだけで,何億もの物語が現在も続行している。

無断引用を禁じます。某先生,そう言えばこの十年「言葉のサラダ」って見て無いな。

保育所の先生が何か御用があり,ちょっとだけ園から離れトンズラこかなければならなくなった時,私は重宝された。

「はい,俊ちゃんのお話だよ!」

と叫ぶと,私の周りに人が集まる。私は「孫悟空」のお話が最も得意だったが,リクエストにより原則,園にあるくらいの本は読んでしまっていたので,語ることが出来た。
本そのものを読む,それとは違う。
私なりに,色々足したり引いたり話をこさえたり,ギャラリーの反応を見ながらするわけで,言わばジャズのtake 1 ,take2・・・に等しい。皆がしんとして聞くと,「やったー!」と心の中で雄たけびを上げる。
テレビすら浸透していない,そんな田舎のことだった。

****

ペルテス病で寝たきり小学生になった頃,親戚から差し入れられる,あるいは教師から図書室からよかれと思って選ばれた,本を読んで過ごした。
感動してドカーン!という経験があった。
身も心も揺さぶられ,何がどうなったのか分からない,血が逆に回る感じ・・・
これを「感動」というのだ,と知るまで,さらに数年を要することとなる。
しかし,
皆さん忙しいので,一冊読んで,次!という訳にはいかない。したがって,同じ本を何回も何回も読んでしまう。あらかた筋を覚えた。が,読書という営みの幸せさは,このストーリー展開にあるのでは,無かった。
次にどんなページがきて,どういう言葉から入り,最後にこの人は死に・・・全部覚えていても,読まなければ気が済まない。目で辿っているだけで,幸せ。
そんな貴重な体験を,贅沢に,田舎のガキ,していたのであった。

それが年を重ねて「ただのストーリー」では無く,一語一句選び抜かれた言葉からなる「物語としての気品」を好むようになった下地である。そのせいか,現代文学はあまり好まない。
文学は文学であり,他のアートでは無い。変換不能なものだと信じている。

****

よせばいいのにわざわざ「子供会」とやらがあって,夏休みは義理立ててラジオ体操なんぞしなければならない。

各部落(大阪の人はこの『部落』という言葉を使うことを忌み嫌う。差別,被差別の象徴であるらしい。当時の池月では,駅前『部落』,下宮『部落』と,地方を指すのに使われていた。運動会やお楽しみ会も,それぞれの『部落』ごとが一単位として動いていた)で,夏のイベントなるものが決められ,黙々と実行にうつされる。

あー,そんなもんですか,はいはい,私は疲れているので休みたいな,と思う小学生であったが,義理首尾を欠いては田舎では生きていけぬ。行くときは一番後ろで,帰るときは一番前で,催し物に参加した。うすらぼーっとしていた。

私が必要とされるのは,年にたった一回,夏の夜の「肝試し」である。
上級生下級生に同級生,誰だかよく分からん誰かの親戚のガキ,それらが夜な夜な小学校の校庭に集まる。
ここでまた私はアドリブで,怖い話を作って聴かせるのであった。

この「夏の夜の肝試し」の真意がどこにあるのか,当事者であった私は分からない。
今になり,やっとわかった!
男女ペアになってそぞろ歩き,女の子が「きゃっ!」とか言って男の子にしがみつく,それが公認される,年に一度の無礼講エピソードなのである。
どおりで,「語り部,大沼さん所の俊ちゃん」が語り終わり,最後に約束のお化けスポットに行こうとすると,あぶれたどうでもいい腐った男子が残って待っていて「おら,行ぐど!」と喧嘩腰になっている。

夏の夜の 男どうしの 肝試し

きわめて気難しい顔をして,どすどす歩いて回って終わる。怖くも何とも無い。ああっ!くだらん。

****

高度経済成長期だったのだと言われるときょとんとするが,小学生の頃。
時代はテレビや週刊漫画雑誌。
それはそれはいくつもの物語が我々目掛けてあふれ出し,とても幸せだった。

これまた「もしかしたら」なのだが・・・
本来,文学に行ってほしかった一群が,「漫画界」に流出してしまったのではないか?と思う。
同様に,「詩」の能力に長けた者が,シンガーソングライターやライターなどになり,青田刈り失敗,だったのでは。

本人も周囲も,手っ取り早く金になり人気者,の方を選んでしまったのでは?

これは必ずしも悪いことでは無いことなのか?

私には分からない。

今はただ,自分にとっての古典(作者が存命中のものも含め)を繰り返し読むだけ,あとは精一杯,働いて,疲れて,痛んで,寝る。
その現実があるだけだ。

だが寝付けずに思う。
アートとして表現する手立てが異なるだけ,文字か,絵か,あるいは歌か,それが単に異なるだけなのやも知らん。

しかもまた,病み方,それもまた同じ。
負の側面から見るとそれも-恐ろしいほど共通している。
今すぐの感動,発酵しないままのダダ洩れ,相手に媚びるだけの代物,鮮度が落ちれば単なる腐敗物,のコンビニ総菜もどき。
そういったハッタリだけの「売れる」ものが一位となる。
時代の趨勢ーなのか。

だが,
一位は一流を意味しない。

そうつぶやきながら,寝がえりをうつ。
いやいや,文化。つまらぬモノになったこってすのぉ・・・

****

景色は夏。
私を筆頭に,浴衣を着てあせだくで自転車をこぐ,高校生集団がいた。
極めていい加減な地図を頼りに,老人ホームへ。
「古川高校・落語研究会」の寄席を,楽しみに待っているお年寄りを待たしちゃ,いけねぇ。

福祉オタクの一つ上の先輩が,通学中,陸羽東線で私の両肩を掴んで言う。
「古高から『落研』が消えてしまう。老人ホームの慰問が無くなり,お年寄りは寂しくて仕方がない。やれるのは,大沼,君だけだ!」
そう言って彼は「JA宮城」の帽子を揺らしつつ私を説得するのだった。
行きがかり上,引き受けちゃった「落研」,だが,この「噺」なるもの,やってみると,まさに別次元の感動がある。
これは,実は,そうとう力が必要で尚且つ,アートの枠さえも突き破る,とんでもない表現様式なのだな,と思った。
人のこころにすっと入って深く激しく揺さぶる。
噺家。
それになれないからせめて精神科医になっただよ。


無断引用を禁じます。某先生,沼津市長の大沼さんが急死なさったと!

「誰かあいをづくしを言ってくれないか(西脇順三郎『最終講義』より)」

****

ーいえいえ裏で結構言ってますよ。むしろ言い過ぎだろ,っていう位。

****

新人が引き受けようとして,上級医がそれを言い切らないうちに目配せする。
確かに,お人好しをした所で,思惑と異なり,後々「モンスターペイシェント」になりかねない。
医者が斜に構える仕事の中の一つに「医療従事者」がある。
新人先生,「あ」と言ってさっと変わり,丁寧な却下を私に告げる。

****

「意外と効きますね」
「副作用が凄いのに20回も続けるなんて,信じられない」
抗がん剤のネタをわいわい,喋りながら,廊下を若い白衣の群れが行く。
そう,目の前にいる者を「人間」だ,と思わぬがよい。
「臓器」であるのだからその修理は快諾,技巧の上,下,がはっきり出る。
それが叶わないときにはハンターとして,様々な治療を試し,生存率の上がり下がりに一喜一憂する。
その在り方は当たり前で,いまさら四の五の言いはしない。
なに,こちらも,ただの修理工だと思えばいい,それだけの話なのだ。

****

人間を分類しようと思うと数限りないやり方があって,大体は個人が個人を分類する。
今は,
「死にゆく道が,もうはっきり見えたもの」
「まだ,明日はあると信じられるもの」
とに分類しよう。

生者は死にいく者を,笑顔で見る。
ただこの,笑顔,という奴が曲者である。それは簡単にあらゆるものを黒に消す,インク壺のようなもの。素が,読めない,見えない。
現にこうしてまだ生きていると,まさかと思う恨みを買ったり売ったりしていた者らが,ざまーみろ,という笑顔で,それはそれは楽し気に挨拶をしに来る。笑顔という唾液を吐きにわざわざ来る。

「お前らだっていつそうなるか分からん」

と言いかけて,止める。

すると,
ふ,っと,目の前をブッダ,が通る。

いつか消えて無くなる。その際感じるであろう思いを,多くの人は予見しながら他人事で暮らす。
だが,誰にも,その流れは変えられない。

生の中の
一部なのだ,
死は。

来たる,
死に際に。
立ったときのさびしさを,
断崖に1人,
未練がましく振り返りたくなったときの,
鼻にツンと来る悲しみを,
今から持て余すことの無いように生きるが良い。

誰もが死に行く立場なのだ,だからもう下らないことは,よそうぢゃないか?
明日死ぬかも知れない「身」だからお互い思いやったらいいぢゃないか?

-何を言っているのだ私ゃ。

****

いかん,今日は最悪の日だ。
昨日,副作用でポロポロかけた体のために,
各科巡りをしたと言うのに,
その夜にめまいで倒れて爪剥げ血まみれ,その続きとしての今日があった。
おまけにまたしても厚労省が処方内容に口を出しかけているらしい,
「医者にツベコベ言わず,自分で医学部出て模範を示してみぃ!」
等と怒ってみたい,一度や二度くらい。

あちこち問い合わせるが,電話先に声が無い。
聴力低下のせいばかりでは無い。
「いつでもご連絡ください」は不在の裏返し。
確かに「いつでも出ます」とは誰も言って無いな,と,国営放送のようにガッテン!

そんなこんなで,
強制続行を一人続けた。

ほどほど,荒行は慣れていると言うのに,
私はどうしたのだろう?
調子が狂う。

「誰かの笑顔が欲しい,誰かの笑顔が見たい」

そう願えばねがうほど,
愛する者を悲しませ,
憎む者が喜び噛んで,
なかなか人生,
けっこう複雑な知恵の輪。

明日は祝日だが,その「厚労省の『集団指導』」に出かけなければならない。

生きて在る春の日,
いわゆる「識者」らの意見を丁重に受け入れた,過度に偏っていると思える指針を聞きに行く。「識者」は何故か我々より,都会に住み良い服を着て始終ご機嫌,羽振りが良い。
かれらが他者に投影しているとしか思えない「性悪説」の濡れ衣を着て,
悪者となりわざわざ指導を受けにいく。

是非ぜひ一度,行ってみたい喫茶店も,まだまだお預けだ,な。

(生きてるうちに行けたらいいさ,
もし,
そこの喫茶店に行かずに終わった,
として,
悔しがる自分は,もう,すでに,
『無い』!のだ,
やったー!)


無断引用を禁じます。某先生,まあ,同じ宿世,我々お互いが人間の形持って現れたのも,不思議と言えば不思議だな。またナポリタン食べるぞ。今度こそは鼻から出すなよ。

純たる者が未だ発達障害として差別されなかった世紀,
まだアスペルガーが微笑ましい日常の場,すぐそばに居た時代。
私は目蔵滅法に精神医学の道のドアを叩いた。
卒業してどこに行こうか?
どう考えても答えが出ず,単なる素人,大学卒業者に過ぎない25のあんちゃん。
何人かの秋田大学卒業生を紹介してもらい,どうしたら良いか聞いて回った。
「無茶言って許されるのは,母校だけだよ」
その一言でサイは振られた。
意を決してコンクリート打ちっぱなしの臨床研究棟四階,精神神経科学講座に御挨拶に向かった。
ノックして入っていくと,誰も居ない。
ガサと人の気配がする。
見ると-
穴だらけのソファーに咥え煙草で横になり,片手週刊漫画雑誌を丸め持ち,眺めていたぎょろ目,
眉間の皺とヤニであぶられた眼鏡のレンズ。
確か,講師時代の清水先生とお話した最初である。
「何や?」
「卒業生の大沼と申します。入局したいと思い,H教授にご挨拶をしに伺いました」
「おお,そか」
先生は初めて相好を崩した。
「教授,今日はおらへんねん。わしから言うとくから,大丈夫や」
「宜しくお願い致します!」
90度に頭を下げた。

****

新人歓迎会と抱き合わせで開催される,秋田大学医学部精神科学講座,
最も晴れやかな,毎年催される,観桜会。
「こら!この,どアホ!」
歓迎される立場なのに,いきなりH教授にブチ怒られる私。
なんのことは無い。
清水先生はあれから私のことをとんとお忘れになっておられた。
また生来謙虚な私は「医師国家試験」の合否を先輩に伝えずにいた。
さて困ったのは精神科医局である。人事の擦り合わせのみならず,まず先に若僧の席を一から決め直さないといけない。
さらにしゃーしゃーと「精神療法をやります」などとのたまう。
客観的に見て,入局前から反抗期。
しかし-
マイナスから始まる生活と言うのは,大変,乙なものである。
残りは,プラスしか無いのだ。
絞り切った海綿体はただ膨らむのみ。
嗚呼!仙石線「野蒜海岸」!

****

清水先生は我々が入局した年に,助教授(今でいう準教授)に昇進された。
当時は「固定オーベン制」が敷かれ,三か月は1人の指導者について学ぶ。
指導者マスダ先生の下で,齢・九十を過ぎて「分裂病を発症した」と訴える,名工で知られた方であった。
患者さんは,重度の難聴を患われており,聴覚障害の人がよく患うファントム,「錯聴」をもって「幻聴」と仰る。
私は入局した翌週から,その方の外来主治医を仰せつかった。
単に,私の声が人一倍大きかったことによる。この時ほど剣道をやっていてよかったと思ったことは無い。
私は天才マスダ先生に,
「いいか,精神科医は,勘だ,直観だけが勝負だ。もはやお前に教えることは,無い」
と入局三週間後に言われ,野に放たれた。

同期はオーベンとの蜜月の中,ぐんぐん知恵を付けていく。
捨てられ感覚が半端無い。
「家無き子」というか「マッチ売りの少女」というか,「中国残留孤児」というか,そんな次元の感情が沸く。
もの凄い速さで午前中に医者としての仕事を終え,あっと言う間に動物実験室に引きこもる,マスダ先生を後ろから,チョークスリーパーをかけ落とそうとしても,敵の力は圧倒的なものである。私を引きずりそのまま実験場に入れられてしまう。そこでネズミの殺生を手伝ったりしていたのだが,何か,違う,何しに来たんだ?自分?

****

大学精神科,という言葉から連想していたのは,孤高の人たるスキゾイドな教授のもと,学究足りえんとて,書物を読み漁り,果ては二行にもわたる独逸語の一言を介してやり取りする,そんな知的空間であった。
だが,当時の医局は,土方置き屋であった。
どこをどうしたらここまで凄いキャラが集まるのか。今思い出しても,濃い,濃すぎる,何でこうなんだ!!

医局で本を開き,ぼけら,っとしていると,
「おい,おーぬま」
と同じ宮城県出身の,一足先に鬼籍にとっとと入ってしまった,A先生が声をかけて下さる。
入局年度は私より一年早いだけだが,他の大学から仮面浪人して入られた。小児麻痺でお足が不自由であられた。だが持ち前の明るさと情に本気で訴えるキャラは,魅力的であった。
「ほら,お前にこれをやるぞ,凄いぞ,ターボライターつってな,防風の中でも煙草が吸える」
2人で医局のとなり,医者溜りで,緩い日差しが手あかだらけの窓ガラスを通じて差し込む中,ぷかぷかやっていた。
○○先生と××先生は,洒落が通じる,ギャグが分かる。△△先生は上下関係に厳しい・・・有難いレクチャーであった。
コガワ先生に朝一番で煙草を一本供すると,良いことあるぞ。
「いっちばん厳しいのがなぁ,いっちばん臨床センスあるのがなぁ,いっちばん切れ者なのがなぁ~」
A先生が声を潜めた。

****

「暇そうやな」
「はい,御覧の通り,暇です,痩せていても心は肥満です」
やはり洒落が通じない。ヤニ色に染まった眼鏡越しにうかがえる,ギョロ目。
「おい,大沼,だったらちと手伝え」
「ははっ!」
以後,清水助教授の陪診として,のーのーと現れた。
「こら大沼!」
「はい!」
「どうでも良いけどお前,一々患者の採決に血液型入れるのやめんか!」
「ははっ!」
まだ40になったかならぬか。臨床医としてぎらぎら油の乗り切った,外来と病棟を凄いスピードで駆け抜ける,総合病院精神科の「テツ」。
ポカをすると「このアッホ!」とてデコピンが飛んでくる。
そうしてチョロチョロしている内に,濃い先生らからもお声がかかるようになった。確かにタバコ一本供したコガワ先生の御利益も,出てきた。マスダ先生も何故か近くに来られていた。

****

いつしか,この「症状精神病」をも御専門とされる,清水助教授をぎゃふんと言わせたい,そんな末っ子魂が燃えるようになった。だから私は嫌われる。

そこはかとなく白血球が高いな,と思い,こそこそ精密検査して見つけた隠れ進行麻痺(毎日腰椎穿刺をしていたのでワザがやたら得意になった精神療法家志願兵。
自己免疫疾患による精神疾患,本邦初の症例(『これ第一報で上げとけ!』と言われたが,書き出しに苦慮しているうちに,どこかで先に報告された)文系のやるせなさ。
・・・・
典型的なうつ病の入院患者さんを共に診させて頂いた。
家族歴,生活歴,それらを綿密に調べ,うつになる必然をカルテに書いていた。
ある日,病棟で私は驚いた!!
カルテの見開きいっぱいに,独特の文字でもって清水先生が記された「うつ」の真実。
私はうーん,と唸った。
感動が,あった。
安易に了解性を持ち込むのは「学者」で良い。
我々はそれを何とか治さねばならない「医者」なのだ-。
自分に一本筋が入ったような感覚が私を襲った。
(その方が退院され,再入院された。私は脳内伝達物質を諳んじながらカルテに記載していたら,清水助教授に『その方にはその方が負ってきた人生と言うものがあります。それを大事にしなければいけません』と書かれていた・・・)

****

まだまだオッかない立場であった,が-。

ある日ある時,私は悟った!

統合失調症がまだ「精神分裂病」であった頃,開放病棟であるのに,結構重症の患者さんが少なからず入院しておられた。
「うーん,大沼,うーん,困った,どうしよ?どうしよ?どないしよ?」
次の一手が見つからない。
「よし!困った時のロドピンや!」
似たようなケース。
「うーん,大沼,うーん,困った,どうしよ?どうしよ?どないしよ?」
「よし!困った時のメレリルや!」
さらにまた,別のケースで
「うーん,大沼,うーん,困った,どうしよ?どうしよ?」
と一しきり唸ってから,さらに腕を組み直し,唸る。今日は「どないしよ?」が出ないのですか。
「うーん,大沼,うーん,困った,どうしよ?どうしよ?どないしよ?」
こてこてでんなぁ・・・と油断していると
「よし!困った時のコントミンや!」
って先生,いつも困ってばかりやんけ!!
しかもその時使う薬,毎度違うとるやん!!
と突っ込みかけて,ハタ,と思った。


精神科臨床とは,「困ること」なのだ。
正解?分からんそんなもん,だって「正常な脳」が分からないのだから。
しかし精神科臨床は存在する。
分からないことだらけの雲の中に,突っ込む。
困って困って困りきること,それが,精神科医の「仕事」なのである。

結果オーライの業界ではあるが,しかし,何の無駄も無い。
Xさん,Yさん,Zさん,確かに症状記載に落とせば皆同じなのだが,微妙なニュアンスの差がある。匂いに近い。
その個性のネガを取る形で,似て非なる薬物をそっとあてがう。接し方も微妙に異なる。
そのズレに敏感であること,それが修行の目的となるのだ。

****

清水助教授が教授に昇進なさった年,私は流浪の旅に出た。

そこで,「困る」ことを良しとし堂々と迷う事を,出自の違う精神科医の群れの中にあって,臆さずに出来た。

その果て,秋田に戻り開業することとあいなった。

なぁに。
ちょろちょろしていたが,何のことは無い。
清水教授の手のひらの上,ぐるぐる筋斗雲に乗って回っていたに過ぎない。

あの,病院駆け回りのスピードでもって,いおりクリニックオープンハウスのときにお出で下さった。
私は万感こみ上げるものがあった。
またしても私に背を向けると,ささっと懐かしい背中で走り出しておられた。うっかりついて行きそうになる,二十年前の如く。

根本的には,人は,何も変わってはいないのだ。
ただ,宿世の中で「在り方,見えよう」がちょっとだけ適応的に変化するように見える,それだけだ。

****

数年前,私が本格的な化学療法を受けることと相成り,あやこや大学に迷惑をおかけすること間違いなし,医局にあらかじめ謝りに伺った。

何だ?なんだこの空気の変化は?
土方人夫の置屋では無い。
都市部の私立大学・文系サークルの香りがする。あれ,ここで良いんだよな。
白衣を着た学生たちが何か輪になって発表している。そっとドアを開け,のぞき込むと,怖いこわいぎょろ目が,若者の育ちを見守る目へと見事に変わった,清水教授がおられた。私に気づいて廊下に出て来て下さった。
ここでとっさに言葉が浮かばないのが,私の弱みでもあり,強味なのかも知れない。最初,何と申し上げるべきか?
そこで予想される副作用を用いて教授に
「先生,ばさっと抜けて来ます!」
と自分の髪を引っ張る。
「そうか,立派に抜けて来い!」
と仰って下さった。

その後,
「教授に髪ネタふることが出来るのは,センセ兄貴しかおられまへん」
と後輩から猛省を促すショートメールが来ていた。


無断引用を禁じます。某先生,やはり会場で一回こけた,Y.S先輩が抱えて起こして下さった。今回はズボンのケツ,破けなかっただよ。

あああ,何だか嫌な気分にさいなまれる。
やはり,ほら,これだからよー。
昨夜,体内に投与された細胞毒性を持つ治療薬,吐き気が凄い。
それに「何故か?」効くのがステロイドである。
診察を受け,適否を判断してもらい,それから化学療法室に向かう。
併せて4時間程度かかるのか,ここは私の憩える場となった。
ゆっくり休める。
看護婦さんらは静かに優しい。
いつもの点滴ベットで、ゆっくり熟睡出来ている自分いる。

****

ステロイドー魔法の薬。
卒業試験で教授に「お前ら何科に進むか知らんが,これだけは覚えて置け!」とて,ステロイドの副作用を20挙げさせられたことがある。

してまたそれが。
脳機能にも表れるんだなこれまた!

細々運営,通好みの地味な我が「いおりクリニック」でさえも,こっそり相談者がお見えになられる。
実はそれほどにも隠れた問題に、なって居るのかも知れない。

ステロイド精神病。
いかにも病的なものも紛れるのだろうが,自験例では「躁状態」に似る。
でもそっくりそのまま躁病か?というとこれまた,違う。
嗚呼,あああああ。あーーーーーーーーーーーーーーーーっっ!

****

この直前のブロ愚は,このステロイドで不眠に陥ってから,一気呵成に書いたものであった。
確かに躁状態のような,自我の肥大,大言,ハッタリの文章の連続である。
基底感情が亢進している雰囲気だ。
さらにまた,表出が素直ではない「照れ」「皮肉」「毒」にまで及ぶ。
悪意のある闇鍋だ,こりゃ。
だが一点,どうもそうじゃない,「躁じゃない」部分がある。
思考奔逸が,ありそうでいて,無いのだ。
起こしの分があって,+何かがあって,あ,ちょっと脱線したかに見え,もうこのまま奔逸してねー!全然関係ない話と結論に行きついてねー!となるはずなのに。
何故かギリギリの所で,また本文に戻って来る。

要は,言いたいことを言おうとして,そこからずれるつもりが無いのに,ちょろちょろズレて,また戻って,という事を繰り返しているのだ。
「躁状態」にしては,文章に終わりがある。某先生に対しても,いつもより長めであるが,声をかけている。
ずばり,これは,躁状態様の症状のように一見認められるものの,原則,「脱抑制」では無かろうか?
と自分を庇うのであった。

****

宮城県肝臓なので,酒には弱い。
気の合った仲間と飲む酒は楽しいが,秋田肝臓と飲んだ日にゃ,私ゃ容易につぶれる。
潰れてもいいや!と思える友達らと飲む酒の席,ぐだぐだになりながら,何かをグダグダと御託を並べている,その時の私が言いそうな文章だ。
そう、酒のみトラとなった私は,我慢という抑制がとれると,この手の1人語りをする。
周囲の迷惑考えず!

****

入局当時の薬理専門の先生には,セレネースとヒルナミンについてくわしーく教えてもらった。
「あの,先生,睡眠薬と抗不安薬について教えて頂いて無いのですが・・・」
「ああ!?そんなもん,自分で飲んで覚えろ!」
と言われた経緯がある。

私にとっては禁止だな,変なラリり方をしてしまう,という睡眠薬が薄らぼんやり分かった。
私だけでは無く,患者さんも結構同意見であることを知り,自分の判断に自信が持てるようになった。
化学構造式だけに還元されない,何か,飲み心地が,ある。

手術後,外科病棟で不眠に陥った私。睡眠薬を所望したのだが,なんと!大沼的にアウトな薬であった。
「これはヤバいので,精神科で当直している先生をコールしてくれまいか?」
に,
「まずよ」
と飲まされた。
ほらな。
そこから先が脱抑制でぺらぺら要らないことを看護師さん相手に喋り続けていた。
流石に翌日,
「あちゃー!」
だった。
翌日の教授回診がとてもとても,怖かった。

****

抑制が外れる物質,効いているその最中は気持ち良いが,その翌日,真っ赤か,になってしまう,皆さまの「それ」は何でしょうか?

私ゃ,酒と薬が鬼門,鬼門。
鬼門もくぐりゃ面白かったりして。

いや!駄文こねくっている場合じゃない。

どうか,真似などなさいませぬよう,お願い申し上げます。


無断引用を禁じます。某先生,ほら,一緒に頭下げるだよ。

愛,満ち満ちた秋田大学医学部付属病院を午前中に受診,また癒されて治されて来た。
今ドキの医者とて一括りには出来ない,それこそ我ら小姑医師が見習うべき点が,いくつも,ある。
一番の下っ端が一番威張るが,少しずつ経験を重ねるごと,大変,謙虚になっていく。
薬はクスリで人格問わず。私は副作用で眠られず,しかた無いのでCEOに怒られるが,ブロ愚をしたためている。
待合室のソファーに座っていたら,上からの目線を避けるべく,膝を床につけて「言い忘れたこと」を話してくれる,ちゃんとした大人のマナーを身に着けている若手先生がおられた。

開業時,いおりクリニックを選ばれた理由として,私が勤務医時代「患者さん目線だったから」お出でになった方がおられた。そう言われてくすぐったいが,その場をにわかには思い出せ無い。ウ〇コ座りしている方に同じくウ〇コ座りして語った記憶が・・・あったような無かったような。「お人違いじゃござんせん?」と聞くと,その,四分の一くらい志村けん氏が使うような標準語が混じっている,やはりそうだ,と仰る。
そしてそれが何よりの証拠であるという。いやはや,だっふんだ!

****

「秋田犬の飼い方」の本を読んでいたら,きよが,末娘の所有する「吾輩は猫である」をくわえて来て,「これ読めにゃーにゃー」と言う。何気なく開いた。「それから」昨年末くらい辺りからか,無性に夏目漱石さんの作品が読みたくなり,昔斜め読みしただけの作品も含め,一気に読んでしまった。
そうしたら,同時期、国営放送が夏目漱石大先生の「妻目線」でドラマを流していたと,先週知った。
何故か知らんが,むっとする。

国営放送さんがどういう意図で作ったか知らない。
時代的なもの,を,何か誰か(今回は夏目大先生の在り方感じ方)に,見出しているのだろうか。

もはや絶対的に偉い人がいなくなった時代,そして国が当てにならなくなった時代,個人の意識が問われる時代,誰のせいにも出来ず,誰も甘えられず・・・社会のせいにしたいが,それが出来ない時代,その最中にあり,不安にさらされる我々。嫌なくらい,重なる。
「こころ」では明治天皇の崩御。
平成の天皇様も,御辞職なさる。
それに異を唱える気がさらさら起きない。
相田みつを氏の「人間だもの」という麻薬が効いているようだ。

最近になりADHDの気が芽生えた(晩発性発症ってなぁ)私は注意が苦手。
見なくて良い所を見てしまい,そして,はた,と気づいた。

****

医者が社会的地位として,けして上では無かった,明治の世相が,見て取れる。
「医者を呼びにやった」
「看護婦をひとりつけた」
そして呼ばれた医者も,患者さんに丁寧語を使っている。
読者の皆さまも,お手持ちのスマホ,パソコン,ガラケーなどで,「せいしょく」と入れて変換していただきたい。

****

そう「聖職」と出たでせう。元々は,「宗教で偉い人」を指す。そりゃそーだべ。
派生して「教師」もそう呼ばれるようになった。んだんだ,教師の社会的地位をもっともっと上げるべし。「ひと」を育てているのだから。
それで,終わり。
え!?
激動の昭和では一時期,医者も「聖職」とされてきた記憶があるが-無い!

****

当たり前と言えば当たり前。
誰もやりたく無い仕事,である。

「外科医は肝炎になって一人前!(手術時のトラブルなんぞ,なんのその)」
「消化器内科は手が黒くなって一人前!(バリウム透視で部位を自ら確かめる。そうして繰り返し浴びる放射線で変色)」
「産科早死に(いつ生まれるか分からないため常にスタンバイ)」
とされていた。

精神科も・・・これを書くといかんのでパス。
そうだ,故人の語り部を登用して逃げよう!
飽くまで昭和一桁が活躍されていた世代,の話である。
差別さべつと言って来るが,事実知らせなきゃ同じ轍を踏むのだ。
見たくないところを見てしか,ものごとは先に進まない。

そして最後にー
【閲覧注意:過度に脳疾患に反応してしまう方は読まないで下さい】
とトドメ。

さる学会の大物先生,御専門のレクチャーを聞きに行ったら話が脱線。そのDer nervenarztは言うのであった。
「私だって精神科医。幻覚,妄想に支配された患者さんに刺されて死ぬなら本望ですがね」
今となっては昔々。の精神科医は,そうだった。

これを聞いて「熱さ」に自分も燃えてくるか,「だったらやらない」となるか。

どちらも正解は無い。間違ってもいない。

ただちょっとだけ,臨床精神科医としての方向性が異なるだけだ。

****

明治。
日本が他国と肩を並べ,大国にならなければならなかった時代。
強い国,一人前の国,ちゃんとした国,であると周囲に納得してもらうためには,たいそうな努力が必要だった。
人様のガキ,あ,失礼,お子様を大人にして,社会で「働き手」にするためには,そのための教育が必要不可欠である。
そこで,教師は「聖職」となり得た。

人のためにイノチガケになる医者もまた,必要だった。
いつまでも加持祈祷に頼ったり,漢方医学でお隣の中国の猿真似しているだけでは,周囲の国々から白い目で見られそう。

原則,人様がやりたく無いことを無理矢理やらせるには,どうしたら良いか。
法律も暴力も封じられた上で-。
中々,ああっつ!なーかなかなか中野栄,ちがう!当時の大日本帝国の参謀,やるなー,と思う。

秋田大学出が言うのも失礼で憚られるが,参謀の方々,人心読むに長けたり。そう看破したあんたらは偉い!と褒めてつかわす。

必殺技!

それはー「褒め殺し!」

昼夜問わず,人の命のために尽くす,嫌と言わず献身的な努力をする,お医者様は尊い人・・・
そういうイメージと,経済的保護で,「世にも偉い『お医者さま』イメージ」が作られていった。

****

この「褒め殺し」が通じなくなり,萎えてきた。

私が高校生の頃からすでに「医師過剰時代」と喧伝されていた。
医師会会長がお上に恨みを買った仕返し,との声もあった。
「24時間365日オープン」の徳洲会病院を挙げつらった本もあった。
腐れ田舎の私ですら,それは,知っていた。

しかし,
「若さ」というのは恐ろしい。
「純粋さ」が命取りになり,
そして,
「使命感」に死ぬ。
今,振り返ると,第二次世界大戦の特攻隊員の気持ちがよく分る。

当時,私がこの世界に踏み込んだバブル崩壊一年前,単なる「よかれ」と思う気持ちでひた走る同世代の医学徒が,少なくなかった。

別に地方の医者の給料が抜きん出て良かった訳では無い。
都会の病院の大副院長の先生に訊いたら,その先生を励ます会がバブル期,東京で行われたそうな。
発起人は儲かっているサラリーマンの同級生ら。
いわく「給料安い○○を救え!」とな。
「それでも続けてやっちゃうんだな,これが」
と,お互い軽く笑い流せる話となっていた。

いわばこの「危険な純真さ」を持った若者らが,少なく無かった。
ひいき目に見過ぎか,少なくとも我が同級生,目測5~6割はそうだった,ような,気がする。うん。

****

高校時代。宮城県古川高校よいとこ1度は入学。

どうやって勉強したらいいのか,皆目分からない。

高校2年あたりまではひたすら,「勉強法」を「勉強」していたが,しっくり来ない。
陸羽東線古川駅には本屋がそこそこ多かった。
「古いなぁー…」だが面白そうな事が書かれている物が目に留まった。既にその時点で,十数年前の本であった。

「医学部」か?「東大」か?
とお悩みの面々が,多く登場するのである。

古川駅から,油断していると陸羽東線快速列車に通過される,葛藤だらけの池月駅までの間,読んでみた。
おもしれー。
勉強法それ自体,学ぶことが多かったし,いわば息抜きのつもりで日焼けがかったその本を買い求めたのだが。
(受験科目選択で「物理」では無く「生物」に逃げた私でさえ,東大か医学部か,なんて「いくら何でも物理でいうところの『次元』が違うでしょ!」という感じ。まだまだ激動の昭和でのお話,だったのだが)

どうもこの「『東大』か?『医学部』か?」という一見ナンセンスなテーマが,かなり昔から現代まで,勉強上手な若者を悩ましていたらしい。

そっか。
世情はそう言うことか,ならばしまった!
・・・しまった!

もっともっと宮城県古川高校で死ぬほどガリ勉して「東大文Ⅲ」に行き,親のメンツと周囲の義理人情とを果たし,どさくさに紛れて絶縁しまくり遠距離トンズラこく,という,最大の「逃げ」があったのだ!

今度,生まれ変わったらそうすることにするわ,黄色人種らしい考え。
ーと一頻り嘆いたところで・・・

****

あまり儲からないクリニックの院長職になって,何が変わったことー・・・人を「性善説」のみならず「性悪説」でも見るようになったこと,であろうか。変わった,というより,思い出した。

電子カルテを推してくれた際,「人は裏切る,パソコンは裏切らない」と熱く説得にかかった開業ブレインの言葉が蘇る。当時頑なに拒んだ私であるが,今悔いている。
小さな個人事業主となって,したくない復習勉強をした感じ。
だが良かった。

ムシ好かん苦手な受験科目「化学」を勉強した時のような気分。生理的に無理,だが,道の途上踏まねばならぬものがある。

私は甘かった。

どこでもトップになればなったで,今度は猜疑心が強くなる。無論,快では無い。
そうだった,そうだった,ウツでも思うゼ,そうだった。

とほほと帰って,目が寂しくてフロイト先生の著作集を読み返すことが増えた。
とりわけ金銭の取り扱いなどに関して「ユダヤ商人的だなぁ」と昔感じた違和的な部分こそが,今になって身に染みる。
そして思い描く。

自由診療で,金を貪り取るから,こちらもあなたも,お互い必死でっせ!

そうしなければ誰も,これまでの生き方(症状でもあり,適応の手段でもあった)を,本気でどうにかしようとは思わない。
そう,ガチンコだったのである。

業界ではお出でになる方を「患者」と言わず,「クライエント」と言う。この言葉が残るのも,50:50の平等感覚の名残であろう。

しかしまた,逆に言えならば,だからこそ開業したのかも知れない。

他界した師匠が,あるときぽつり私に告げた。
「お前さんも開業した方が良い」ーと。
師匠が,「完全自費診療」のクリニックを立ち上げてそう間もない頃。
「40までは普通にやりたい」
と一般精神医学の完成,未だならず,と思っていたので,そう答えた。師匠は「うん」と,残りのモスバーガー(晩御飯)をおいしそうに咀嚼していた。

ユングもアドラーも,フロイト大先生と袂を別った弟子らは,地位に甘んじているに何ら不足は無かったはずなのに,あえて開業している。

何故か分からなかったが,地位から人を,社会を,見下す限りに於いては人の心になんぞ踏み入れられない。そういった自分らが「ぬるい!」と思ったからであろうか,などと空想している。
言いたい放題の雇われの昔と,「大沼商店秋田分店」となった今とでは,臨床スタンスがかなり変わった。

きょがにゃーにゃーイチオシした「吾輩は猫である」において猫が語っているように,「公務員と銀行員は,人に頭を下げられてばかりでいる,自分が偉くなったと思っているのである」を現在,地で行っている。
なぁに,明治時代から何も変わってなんぞいない。

徐々に,ではあるが,その分,楽になった。
白衣を脱いだ,甲斐があった。
文科省大臣になったら教科書を焚書坑儒するかも知れない「化学」であるが,それを知らなきゃ始まらないものがある。それと同じ。
旨いかマズイか,決め付けずに食う腹づもり。
後で好物にも栄養にもなる場合もある。

****

そして私は想い出す。

同窓会に出て感じた,悲しみ,のようなもの。
昨今の新聞上を,ちんたらちんたらとにぎわす万年課題。

-医者の過労死が問題
-医師に三六協定を
ーその実,勤務医にとっては半殺しとしか言えない収入,納税システム
-器用とも成功ともつかない生き様
-それでも続けるより無い道
-あとはもう,いいんだよ,お疲れ!と皆に言ってやりたい衝動。
ー身体壊れまくりの女医さんら。

かかった病気比べでは,私は多分表彰台にのっていたと思う。要らないわいメダル。
だが,かつてのガキ(一部を除く)だった同級生らは,みな,身を削っていた。
私には痛々しく映った。

一言で言えば「過渡期」であったのだと思う。
この業界に来たからは,先輩のワザ全部かっぱらってやる!と不眠不休粉骨砕身月月火水木金金とやっていた世代の,最後の生き残りだったのかも知れない。

「『お人よし』とは『バカ』のこと」

そう教わった時,ピンと来なかったが,今となっては,ああそうか,わはは!と半ば自虐的に思う。

****

誰も行きたがらない田舎の公的総合病院-今はもう,精神科病床が無くなってしまった-に赴任した二十代の頃の私。

びっくりした!たかだか3年の医歴しかない若輩者の私に,スタッフの皆さま,敬語を使い,頭を深々下げて下さる。

流石に武田鉄也氏が若かりし頃,中原中也の詞を某先生よろしく援用して「思えば遠くに来たもんだ」という歌を作り,それが映画化され,舞台となった場所だけある,おお,文化。

しかるにその下げた頭,よーく観察すると,その頭に引っ付いた顔の目は,何故か横を向いている。
この不快感の意味は,その当時,分からなかった。

後に「褒め殺し」と「過労問題」が,ワンセットになっているのだと思い知った。

お礼暴行で一年限定でそこの科長になった経験は,やはり,トップの苦悩であった。
その免疫がある程度あったので,開業院長になるに際しては比較的精神的ダメージが少なくて済んだ。要は,無駄が無いな,ということにしておこう,自分と家族が哀れだから。

下っ端奴隷時代,多忙な頃は,ある会社の社宅借り上げで,不便も無く気づかなかったが・・・

科長先生となった途端,医師住宅にこれまた頭下げられ入ったものの,しけっぽく,本がぶにゃぶにゃになる。また木造で寒過ぎ,温めても温めても立ち行かず,どこでも肝っ玉太くしていたウサギが凍死した。
他所に変えてくれ,と言っても,これまた頭を下げられるばかり。
受動攻撃性の概念が当てはまる?異邦人扱いが延々続くな?

その病院は,当初,河原の近くにあり,歴史から見ると「不浄」な場所にあたる。
それに沿う形で医師住宅が建てられた経緯があるのだと知った。

「必殺!褒め殺し」

は,明治だけでは無く,延々と平成にかけても受け継がれて来たのである。
歴史は凄いな,苦手だが。やはり文Ⅲダメかいな。
その褒め殺しを真に受けて,偉そうに威張ることが出来たなら-それはそれで,幸せなのだろう。

****

医療はサービス業である。
人から感謝されたり,無心で人の為に施術するのでは無く,飽くまで「仕事」「ビジネス」として医療をせねばならぬ。
それを前提とすることを,強いられている,この時代。

確かに関東の一部や西の地方では医者余りがあり,東はそもそも人間おらず,の今。

「赤ひげ」のように医業が,「(錯覚ですら)聖職」であるとは全くもって言い難い。

無論,今の若手もそれは感じており,あるのは「医療訴訟の恐怖だけ」である産婦人科の成り手がいない,といった現実をはじめ,様々な象徴的な物事,流れ,がある。浮世離れて,秋田のデパートの片隅に陣取った私でさえ,それを実感する。

現在のところ,医師免許は確かに,浮世歩くに便利なカードであることアメックスの如し。しつこいが,今はね。

子どもらが成りたい職業のランキングを見ていると,「アホか!」と突っ込みつつ微笑めるものは,サッカー選手くらい。

学校の先生が消え,医療業界もランクが全く低く,官吏志向がとみに増えている。
「親の影響」と一頻りにするのは簡単だが,時代の先取り,とも見ることが出来る。
「聖職」は本義に戻った。

かつての「明治聖職キャンペーン」は,今になり終焉。医者や教師に対する畏怖の念は消え,ただ親が文句を言う商売の人,くらいに認知しているのでは無いであろうか。

それは,正しい。
冷たく,正しい。
やはり,漱石的明治-権威と保護の失墜,そしてまさにそのため1人で生きるはめになった個人の不安ーを見るのである。

****

へーへーへー,左様なこって,へい,言わせて頂けるなら申し上げまっせ,

「すんげーやりやすくなったわ!」

である。

「生かすも殺すも先生サマ次第」(大体はこう言う家族に限って退院後の引き取りを拒否して,横見て,頭下げ,をするのよねん)

という目に合わなくて済む。

「あーーーーー実行出来れば,楽!」
そう叫びたい。

とりわけ,手前,いおりクリニックのような所では,病気云々さることながら,人様の一生にかかわる問題を扱うことも多々ある。
それは大変なストレスなのであるが,こりゃ,世間の流れから見れば,本当に,お人よし,しかも労力,持ち出し。馬鹿。

♪症状聞いて,電カル打って,いま評判の薬出し~♪と,何故か「結んで開いて」の節で歌うとぴったりくるクリニックさんとの流れと,負担は違うが,社会的には,区別が無い。

また自分の美談か?嘆きか?いえいえ素直になりましょう。

そうするのは,「私がしたい」「気が済まない」からしているのである。

目の前にいる患者さんの抱えた病気の重症度では無く,医療費請求,支払い,あるいはその他の方法をもってして,医業に口出す官吏の皆さま。患者のことでは無く,官吏様のことを思わなければならないこの切なさ。
(本日はその官吏様から「お前の処方はエラー,よって治療費は 全てお前が負担せよ」という通知が来た。うちの事務嬢が気づき,官吏様にお電話を差し上げて初めて,役所の不注意公務員のポカミス,もとい,官吏様のお間違い,お戯れ,であったことが判明。謝罪無しで,「再審査請求」にかけろ,と仰る。

しゃほしゃほしゃほっほ,えらいぞ凄いぞかんぺーきだー♪医者払え,あるんだろ,楽しいなー♪

社保も良いけど,国保もね!
えーらいー!
偉い!
眠れない夜にはみんなで叫ぼう,眠剤より良い,かどうかはその人次第。
せーの!
「官吏のあんたは,えらい!」

それにしても「医師国保」(なるものが、あるのである)の負担額,凄い高いわ。今日だけで・・・あたふたした一日分以上の金が要る。やってらんねー金だけじゃ。共稼ぎでなければ,田舎暮らしでなければ,そして馬のように働かなければ,子ども三人は育てられない。あー馬鹿くさっつ!そうか,バカか,なるほど)

せつなーい,おおぬませつなーい!

****

ひとしきりせつなくなったところで,今回の結論。

「医学部」か?「東大」か?

全員が全員とは言わぬが,あらかたにおいて「人様に『頭を下げられたあい』,『自分の優位を誇示したーい』等々云々」という人は,どの時代にもけっこうな割合で居るのであろう。
そういった方々の選択肢なのでは無かろうか。

これまた,善・悪では無い。
そういう人らの業績だって,あるのかも知れない,医療費圧縮とか,金もうけだけの病院取り締まりとか。それこそ「医者=性悪説」の目は,必要だ。私もそう思う。
ただ,やはりうちのスタンスとは,やはり,水と油,かな?ちょっと違う・・・かな?
「一緒にするな!」と腹立たしいが,反面,面倒くさいので,この国で保険診療をやるための,ルールなのだ,と思うようにしている。
しんちゃんも医療関係者の誰かさんの座談会で「自由診療,いいね♡」と仰っていた。
真の意味で身銭を切る覚悟がある人,それはいるのだろうが,この地では,あまり見ない。

****

現在やり取りしている同級生らは,みな,似たような「お人よし=馬鹿」が多い。

さにあらずんば・・・我が精神科業界,世界の有名な精神科病院の医療改革でならしたところの院長は,もと,「革命家志望」だった人が多かった,と,結構重たい本に書いてあって,ずっこけたっけな,その昔。

何,したいからやっているのよ。

****

はい,本日のまとめー!

「豚もおだてりゃ木に登る(プー)!」

とヤッターマンではブタが出て来て言うけれど,社会人たる者必ず知るべし,けっこうな真理だよー!

類は友を呼ぶ,というモンが実際あって,年々枚数を落としていく年賀状で,やり取りさせて頂いているのは「お人よし=バカ」である。
他は知らぬが,この部分だけは,このブロ愚,自慢でも美談でも無い。
正直な所である。
別のタイプであっても良かったようにも思う。

いや,我が母校,秋田大学医学部だから,利口を目指さなくて良いの!

今,時遅く既に走り始めてしまった,愛する後輩の皆さんに,小姑顔して言うならば,そうさの・・・

「特にこれと言って,無いの」

****

いや,これで済ますのはあんまりだ。嘘つきの私が,あえてひねり出すならば,

「職業に自己存在を懸けるとするのならば,まだちょっとだけ医学部は良い所かも知れない。ただしその代わり,一生はあっと言う間に過ぎる」

って所かな。

****

開院当初,初年度,お出でになられ,そして当院を元気に「ご卒業」なさった方がおられた。
カルテはカルテ庫に収められ,しけっている。どこからの問い合わせも,無い。

私はお名前を失念した。

前しか見なくなっておられた。
最後に,自分の人生の舵は自分が切る,そう決意した人独特の,輝きが,感じられた。
そこでの思い出は,私の身の消滅とともに消える。それが悔しい。

幸い,ご本人と皆さまの快諾を得ていたので,感謝の念とともに,今,ここに記す。
それは,もしかしたら,他の人の為になるかも知れない。

これからどう生きていくか,という問題で,ある日,その方と数名の親類が同伴したことがある。

「もう終わりだ」

とその方は絶望し泣きじゃくっていた。

汚れた作業衣を着て,離れて腕と足を組み続けたままの,初老をとうに過ぎた男性が壁側にいた。その人の表現では「親戚の中で頼れるが寡黙」とだけ記されていた。
その御親戚の男性が突然,大声で仰られた。

「そりゃ,そうだ。お前の言う通り,世の中は『使う利口』と『働かされる馬鹿』この二つがしっかり分かれている。それで俺は馬鹿だ。働いてばかりいる。だがな,どっちかだけでは人が過ごす社会,成り立たないんだよ!(標準語訳,大沼)」

昔の北島三郎氏の「歩」に通じる言葉である。
しかし,平成で繰り返されたこの言葉は,私にも,応えた。

みな,上手く生きなければならない,という強迫観念が,流され,洗われた。

はい。このブロ愚を持って,あとは,真の忘却とするよ。



無断引用を禁じます。某先生,もうこれから「目指せ東大一直線!」の鉢巻きしてスーパーマーケットに出没するのは,止めましょう。私はべつにまだ身柄引き取りに行くのはやぶさかではないけれどもな,タイヤが勿体ない。擦り切れるスタッドレスタイヤの身にもなっておくれ。そう,しんちゃんの親戚が経営しているブリヂストン製なのだよ!もっとも取り付けるのは,とても良く働く大人しい人だけど。

夢のようだ,
ブログの世界。

****

私名義で,百万円の「アンタッチャブル」な貯金通帳がある。
人生,一冊で良いから本を出したいなぁ,というのが,いつの頃かしらん,私の夢であった。
しかし,私は無理であろう。
医学の道を選んだからには,そこを邁進するしかなかろう。
器用な方でも利口な方でもない。
医学とブンガク,両方を追求したからにはアホアホアホのアホの三乗,「二兎を追う者一兎をも得ず」を地で行くことになろう。それくらいは自分でも分かるわい。
新婚の頃,すっぴんの妻に,そう話していた。
「自分で本を出すとすれば幾ら必要?」
自費出版かぁ。
何だか乗る気がしないな。
矛盾しているようだが,その時の心境を思うと,まだ,私,プライドを持っていたようだ。
あーあ,あーあ,ああああああ。
当時角館総合病院勤務。タカヤナギの後ろ,今は取り壊されたNTT社宅の一室。
NTT娘である妻は人生の大半をNTT社宅でおくっており,やっと父親家建てた,その翌年位に結婚した私って,悪者?
「どうでも良いさ,そんなこと」
珍しくポケットベルが鳴らない,呑気で気怠い,休日のことだった。
まだ給料が現金手渡しであった頃。
給料日,喜び勇んで帰って来ると,大体近くの恐るべき何でもやスーパーから買っている,メザシが焦げて焼かれている。
「いーじゃん,給料日くらい,少しハメをはずして外食しても」
と嘆くが,カミさんは,その給料袋を手にする直前が最も貧乏なのだから,贅沢は出来ないという。
そりゃそうか。だが何か引っかかる,何だ?このモヤモヤは?
角館総合病院を辞めるにあたって,私名義の定期預金通帳があったと知った。
百万円きっかり,定期預金。
「いつかパパが(長女が生まれていたのである)本を出すとき要だよ」
と家内が言う。私は感動閾値が低いので,じーんとここで感動していた。
「医者になるのを止めなさい。文章書いていたら?私が働いて食わすから」
そう結婚前に家内が言っていたことなど,すっかーーーーーーり忘れていた。
以後,遁走曲が続くのだが,この百万円は触らないでいた。ウツで働けず,すってんてんになる,その直前まで!
今思うと,「それに手を使うくらいなら」とウツに鞭ウツ形で復帰した,という面があることも,否めない(なーに,男の意地じゃい!)
まっこと,皮肉なことだな,と感じた。
「うつと生」を上梓したときの気分。
あれだけ医療業界にうだこだ言っていたのに,出した本が医学書と分類されている。
創作では無いのに,何かこう,ズレて外した文体になっている。
考えていても仕方ないので,とっとと生きる方向に立ち戻った。
蟻塚先生も「出たションベンは戻らない」と仰っているでは無いか。
しかしまた,あの推敲地獄はもう味わいたくない。
懲りた。
地の文章は出来ていても,業界の人以外にもご理解頂くためには,砕く作業が必要だった,がこれまた重労働であった。
もう本を出すという我が人生のテーマ,お終い!
後は,老いて,朽ちていくだけ!オッケー!やったぁ,ざまーみろははは!
と思っていたら,「病む」という過程がある訳ね,へいへい。甘くねーな人生は。

****

あの推敲地獄には,蟻塚先生の指導的挑発という,これまた貴重かつヌエなるものが,あった。
中々,大先生,「良し」と言ってはくださらぬ。
そして私は「こうだからこうなの!」と自ら決断し,ケリをつけた。
今になると,懐かしく,アリがたい。
「推敲」をする中で,人様にご理解頂きながら,絶対ウソはつくまい,とウツ上がりの私は思っていた。
だから,何か,今でもモヤモヤする気持ちが残る。
この「自分で創作したもの」をでかしていない,という,自分自身に対する申し訳無さ,みたいなものが,残っている。
これはもう,潔く諦めるしか無い。
諦められないのなら,金にモノを言わせて,自費出版するしかない。
開業と物書きと,両立するのは無理!
有難いことに,蟻塚先生も岡田CEOも仰り,私を正気つけて下さった。
以後,いおりクリニックに没頭。
我が臨床の完成型として喜んでいた。

****

精神科医は,孤独でなければならない。
けっしてキザに気取るわけでは無い。が,年を経るごと,そう思う。
学会だ勉強会だ,と称して皆集まりたがるのは,この孤独に耐えられないから,という理由もあると思う。
開業して,まだまだ暇で,貧困妄想微小妄想半分で一日が過ぎていった頃,岡田CEOから有難い示唆を頂いた。
世にブログというものがある。そうやってボケボケしているくらいだったら,苦しんでいる人のために,ブログを用いて精神科臨床の知恵を広めなさい。
とな。
それが「逆旅」の始まりだった。



無断引用を禁じます。某先生,そろそろ帰って寝なさい。

今日は何もせずに過ごした。

東日本大震災から七年にもなる。
仙台市立病院で職員用廊下を下っている時にそれは起きた。
「地鳴り」を初めて聴いた。
それからしばらくは,その日出来ることをするのに精いっぱいだったが,
後に東日本の多くが放射能に汚されてしまったという事実を知る。
「こりゃヤバく無い訳ないじゃん」
と思っていた。一方,
「なぁに,男と男の約束じゃい!」
といきがって,東北福祉大学せんだんホスピタルには二年間,草鞋を脱がせてもらったぜぃ。
ありがた迷惑と人の言う。

****

「年だから晩発生障害だか老化だか知るめえ」と,
前後して沖縄から福島入りした,尊敬するR先生も,
知り合いの医者があちこちポロポロ,
知り合っていないが聞いた話でちまちま,
「ガ」のつく嫌な病気になっている。
いつぞやハヤテのごとく表れて,さっと去ったR先生とともに捨て身ギャグ
「『原発』性・〇がん」
とて笑った。

****

さる高官がいつぞや
「原発が福島で良かった」
旨発言していた。
めまいが無かったら出かけて行ってぶん殴るやも知れず。ともかく剛腹の極みであった。
それから頭を冷やして考えていた。

「日本は,誰だ?」

何,壊れても大都市にとって安心な場所に原発をおったてているだけじゃんか,
そうトイレに貼ってある子供向け日本地図を見て気づいた。
あらかじめ,壊れることを想定して原発は作られていたのだ。
当たり前。

****

「日本の中心はどこにあるのだろう?」
そう考えるようになった。
多分あらかたが「東京!」と答えるであろうが,それにしてはちとおかしい。
今回の福島の放射性物質においてもそ,の前,茨城県の原発事故でも,東京は放射能を食らっている。

****

勘としか言いようがないが・・・

東京は,人々が「欲」を満たすため競り合う場所,という印象を持っている。
対外的な建前や建物が使い倒されるために経っている。
日々の文化ここにあり,と色々様々出てくるが,それではそれで中身が伴うかと言うと,また別だ。

東京では人の「獣性」が露わになり,損得勘定のための「マナー」はあるが,内的「品格」がそれに伴っているか否か。
田舎モンのやっかみかも知れないが,地方都市の方が「日本」を-各々断面的ではあるけれど-ちらりちらりと垣間見せる。
もっぱら旅の宿としている安チェーン店ホテルの窓から見える景色は同一で,ジャスコ,メトロポリタン,コンビニに吉野家と相場は決まっているにしても,だ。

****

それでは京都か?
私も好きなふりをして,ツウの真似するウツとして,ここを何度か訪れた。
しかし回を重ねるほど,不安になっていった。

「これ,日本じゃ無い!」

西から流れて来た文化のおこぼれに預かっていただけでは無いか?
こぞって西に向かい学び(要するに『留学』ね),それを日本にアレンジして出す。
これは学者の常套手段であり,レビュー上手が「先生」や「教授」になったりする。
なぁに。ガクモンだけではあるめえ。
様々な業界がみんな,そんなもん(『心の解放区』詞・忌野清志郎)なのかも知れない。

シルクロードと国営放送の言う。

****

震災から,だいぶ逸脱してしまった。

原発云々言うと「左だ」とマークされ,特高に狙われる。
私自身も息子も別に,左傾化しているわけでは無い。
左翼も右翼も何だか分からぬ。
最近は,
「天皇に『父親』を投影し,そしてどう考えどう動くのか?」
-その問題に換言出来るのでは?としゃーしゃーと述べ,右からも左からも狙われる。

こうした被害妄想ついでにもう一つ最近の妄言を吐くとすると・・・

もしかしたら,「日本の中心」は,実のところ「日本国土」上には,無いのかも知れない。



無断引用を禁じます。某先生,今回は言うだけ言って,あと逃げる,ほいじゃ!

もはや,悲願達成と言って良い。
この秋田から出たことに,意味がある。
十田撓子さんが「H氏賞」を受賞された
おめでとうございます!


****

東北人は一段下に置かれていた。
人買いが交渉しては,娘,農家の次男三男四男をミヤコに連れて行き,
それはそれは大切にされたそうだ,
遊女として下女として,寝ずに働く牛馬として。

「東北人は,無口で我慢強く,辛抱強い」

そう褒め殺しされながら。

*****

青森県ー

太宰治先生の「生まれてすみません」
吉幾三氏の,「オラは田舎のプレスリー」
など,自虐でアートする印象が強い。
受け取る側が
「あれれ,どうしようどうしよう?」
と戸惑っている内に,してやったりの顔を見せ,すっと消える。
高橋竹山氏の撥裁きから雪の中に燃える炎を我々は見て,
棟方志功氏の版画の中に,異なる星に棲む「ニンゲン」を見る。

-つまりは,江戸の都に対し,道化のゲリラとして生息し,さんざやらかして手玉に取る,
工作員なのだ。

****

秋田県はどうだろう?
こんなにも寡黙な人々。
最初は驚いた。

****

精神分析的精神療法をしたところで,痛感させられる。

東京,神奈川,仙台は言葉が多く,しばしばまくしたてられた。
「要らない言葉を使いすぎ」
「一生懸命喋るのに,中身が変わらないとは,多分,触れたくない何かがあるのだろう」
くらいだった。
「自分が変わりたい」
と切に願う人々であった。
そのために行う私の介入は,とても少なくすんだ。

それがこの地ー秋田
秋田では,まずもって、全く話さない。
無口のまんま,一時間過ごすことを続けた剛の者もいた。
あんまり話さないので,こちらが「自由連想」してしまう。あら?
この沈黙には対処法はあるものの,だからと言って,限界は,ある。

****

秋田には,土方巽氏の舞踏がある。
また,楽器演奏での大物もいる。

言語表現だけが,無かった。
感情は数少なく平坦にして,表現をこらえにこらえて,その葛藤を酔いの中に,消してしまう。

次女が幼稚園に入ったとき,言葉数が少ないことを家内が心配に想い,幼稚園教諭の先生に相談したことがある。
その答え。

「○○ちゃんの『言葉』は絞って絞って絞り出した一言なんです」

と。

早くも転勤慣れしたおしゃべりの長女と,二歳下で家族の関心を一手に集める末娘の間にいる。
そんな次女の選んだ方法が。段ボール箱での作家活動(?)なのであった。
もくもくと幼稚園で創作に没頭する。
友達に話しかけるとそれなりに元気に応えるが,メインはあくまで一日一作品を作ること,であった。

ぺらぺら長女ともくもく次女。
遠目で見ながら,ああ,対照的だなぁ,と遠目で見ていた。
あいのこがいないか?

****

詩人とは?
よく分らんが個人的には

「何かを感じてしまうと,言葉で表現していないと,死に至る人」

と思う。

詩人やりながら飲食店経営とか,そういう人もいるのであろうが,そういったツキや能力とは別物。

散文,歌の歌詞みたい,語彙が足らなすぎ,固有名詞は原則禁じ手,風情が陳腐・・・
医者になってから,買った詩集。ゼロ! 

あ,長女にねだられて石垣りん氏の詩集があったか。

****

不毛の地,秋田からH氏賞がまさか出るとは思わなかった。
心地よくぐにゃりと,ドラゴンスクリューかけられた感じ。

十田さん,本当におめでとうございます。
不眠になったら,いおりクリニックに是非ともお出で下さい。
必要とあらば,往診も承ります。


無断引用を禁じます。某先生,先生のパソコンで「H氏賞」と入れると「H,し,しよう!」って変換されるな。
十田さんの作品を拝読するのが,楽しみ,ワクワクしている。

せっかく最後までブロ愚を書ききったのに,すとん,と,そのメモ帳が消えた。

これで何回目だろう?
Windows10になってから,特にひどい。
Windows7でもあることはあった。
となると,Panasonicの癖なのか?
いや,別jメーカーのディスクトップ型パソコンもときどきズドンと消えるので,やはりWindowsの問題だろう。

****

突然消えたショックのあまり,いまだ書き直す気が起きないテーマもある。
多分,サトリ世代はたかだか電化商品に腹も立てぬ模様。
激動の昭和世代は,「家電は叩けば治る」とどこかで思っているので,手刀を何度落とそうとしたことか。
先のWindows7統裁のレッツノートは,きわめて親しみやすいものであった。
だが,年を経るごと,起動が遅くなった。待つイライラで,書きたいことの鮮度が落ちる。
もう7,8年も使い倒したから,しょうがないか。
んでもってWindows10にしてみた。なんでもHDではなく,USBのバカでかいものがCPであるらしいが,御託を聞いてもよくわかんね。突然死しやすく,復帰はHDと違って不可能,らしい。だったら損じゃん。だが,この形あるパソコン滅しても,雲の上に御託は残る,そして私を見ていてくれる(これはウソ)のだそうな。なんか,宗教みたいだ。
ともあれ,最後の一台と踏んで,ハイスペックにして,「屋でも鉄砲でも持って来やがれ!」と思っていた。
が,なに,毎日のブロ愚意外に何も使わない。
ラフなタッチでパスワードを入れるとはじかれ,初期設定で.com となるところを.jpにうっかりしてしまったことがケチのつきはじめ。
未だ「Panasonicの贔屓のお客様サービス」を受けられずに現在に至ってしまった。

****

開いてすぐ書ける!だーっと書き出すと,画面曇り,くるくる回る人を馬鹿にしたような〇が出て,これまた書きかけのメモ帳がよく消える。
見ると「同期してます」と出る。なんだか変な日本語だ。
こちらは「動悸」しつつ待つ。
その同期とやらが済んで,ようやく使って良いことになるのだが,何の話だったか忘れてしまう。
やはり私は紙のメモ帳じゃないとダメなクチなのかも知れない。
最近は爪もけっこう割れて来ており,指先の痛みが強まり,正直,キーボードタッチが苦痛である。私はペンの持ち方が独特らしく,よく先生に後ろから強制された。すると段々身体がそって歪んでいくそうで,中学校までで持ち直し矯正は終わった。今,それが仇をなしている。正常よりも爪に負担がかかるようだ。カルテ記載がめっきり減った。
聴覚やられ,動きがやられ,残されたせいぜいの取り柄(本人がそう思っているだけだからいーの!)書くという行為がやられ,とほほとほほの毎日だった。残っているのは,せいぜい,老眼で近視乱視の目と,鼻位である。
聴覚がまたオモロイ壊れ方をする。両方一緒ではなく,変わりばんこに「ポツン」とプラグを引っこ抜かれたようになり,その後耳鳴がやかましく,止んだところで聴覚落ち,だった。
先だっては週末に,その状態が,まだマシな右の耳に起きた。やべ,これじゃ明日からの外来できねーじゃん!愛の病院秋田大学医学部付属病院に月曜日駆け込んだ。主治医では無く,言語聴覚士の方に来ていただいた。受付嬢は「この男,今ここで断っても,今度は救急の入り口でにっこり手をふるつもりだな」と踏んだらしい。ぴんぽーん!
そこで,円楽さんにっこりのwidexという補聴機の感度をマックスまであげてもらった。
音が割れるが,一週間は持つであろう,というよりも,もたせないと。
その時,「音声入力」のソフトについて教えて頂いた。

****

角館総合病院で精神科バ科長だった頃,だから20年近く前,香取慎吾が宣伝していたものを試したが,変換の字を見て大笑いした。その後,なんじゃこりゃーと激怒した。
思えば月日はよほど経っている。
やってみると,意外,凄い!
さっそく格安スマホに入れて患者さんに話してもらい,文字で確認しつつ,なんとか乗り越えた。
ただ沈黙があるとすぐに私のスマホ待ち受け画面-「八丈島のきょん」「こまわり君の『死刑』ポーズ」に戻ってしまうのがネックではあった。

テクノロジーの進化は,戦争ビジネス仕掛け人と病者にとって有益であるのだな。
ふつーの人が,不幸になるように,出来てる

ただ,進化が進みすぎ,却って「実際上の退化」に至る場合も多々あるのだろう。ソフトタッチ感覚のキーボードから,プラスチック製のキーボードに変わった,私のPanasonic2台を見ても。


無断引用を禁じます。某先生,Panasonicは神戸製。けっこうけっこう精神科的にシビアな事件が起きる印象を持ってしまうが,「お洒落な街」だそうな。そういえば某先生もいつだったか言っていたな,「生きてる人じゃなく,死んでもおしゃれ」って。
「どういう風に?」と訊いたら,
「神戸はおしゃれだしゃれこうべ」

円楽師匠から座布団取られた挙句,闘魂ビンタ受けたまえ。

Kさん。
お誕生日おめでとうございます!
私は何故か,大学一年の頃からKさんに弱い,大人しい,従順である。
これだけは一貫している。
お茶の〇出て就職したがやっぱり医者になろうという事で,期を同じくすることとなった。
姉ごはその後,外科プロフェッショナルとして技を極め,総合病院で君臨しているのであった。
間もなく統治するかも知れない。
この頃は,米倉涼子医者先生のモデルは,実はKさんだったのではないか?という強迫観念に襲われている。

多分,幼い頃にいつも,それはそれは長くかまって遊んでくれていた従姉弟と重なっていたのかも知れない。
今さらどうでも良い。

****

数年前,開業して一年もならぬ頃,手術した。
まもなく同級会が準備されていた。
(前回の同級会は,学生時代と同じく,考える隙も無いまま条件反射のレベルでサボっていた)

私が手術したことをご存じないKさんから,
「絶対来るよーに!」
との命令が出た。
「ははっ!」
と,やはり学生時代と同じく遅刻して到着した私は,夜中まで飲み食いして楽しんだ。
出席して良かった,と感じた。
「一か八かの18期」は概ね,入学の頃のガキんちょのままであった。
スキンヘッドにしたのが一人いるだけであった。

昔,謝り損ねた者に謝り,感謝の言葉を言わぬまま卒業してしまった者に感謝を伝えることが出来た。
「また会うべ」
と会場を後にした。同級会,ちょっと顔だけ出すつもりだった。長居したものだ,よかった,よかった。
あ。
すぐ戻ると言い残したままだった。
車の運転席でカミさんがぶっ倒れていた。
・・・
中野栄式フェイスクラッシャーは痛いぞー!



無断引用を禁じます。某先生,私の交遊録があらかた「K」か「O」であるのに気づいた?
ものぐさな私は実習や出欠が進学に影響する場合を除いて,ろくすぽ大学にいなかった。
要するに,「あいうえお」順に並べられたとき位しか表れず,「おおぬま」の前後としか交流していなかったかが分かるのである。
別に威張ることじゃないわな。

自宅を建てた秋田ホームの社長さんから,開業当初メッセージを頂いた。

「5年でスタンスは変わるもの」

ピタリと当たり,ゾッとしている。
当たり前だ。
百鬼夜行の秋田県の建築業界で生き残ってきた会社のトップからの言葉のプレゼント,重みが違う。

****

いおりクリニック開業当初のスタンス。

精神療法中心。
新患はいつでも受け入れる。
本格的な精神分析(『力動論的精神医学』)を東北にも。
真剣な本気のやりとりのために,自費診療で,思春期親ガイダンス,夫婦療法,児童思春期精神療法を。
などなど―

理想を全部詰め込んだ。
―結果,虻蜂とらずの中途半端(秋田ホームから独立された虻川さん元気かね?)。
昼飯抜きで働いても,新患が立て続けに入ることもあり,いつもの患者さんをあくあく待たせるという悪循環に陥った。

「情熱と生産は反比例をし♪」(井上陽水『娘がねじれる時』)を地で行く。

****

特に,本気で治ろうとする人との真剣なやりとりである「精神分析療法」がなされえなかったのが,痛い,辛い。

甘だる過ぎてシラフでは聞けないような言葉。
表面だけの小学生の学芸会みたいなこれ見よがしのやさしさ。
もはやお互い真実と区別がつかなくなった嘘。
そっと忍び込ませる依存性のある薬物。

―それは違うだろ!という思いがあった。

しかし,また思い出す。

医者は確かにサービス業。
「サービス」という言葉の原義は「人の為に尽くす」であると宮城県古川高校の授業雑談で教わった。
その後,浪人中,ひいていた辞書で偶然「サービス」は「奴隷」が語源だと知った。
だとしたらやはり「ご機嫌取り」が職務ということになるな。だとすれば,私ゃ,バカみたい。サービス業ねぇ・・・

―わしゃ,ホストかぁー!しかしそれにしては生来モテなさ過ぎるー!ホストクラブでは売り上げ悪いだろー!後輩ホストにため口きかれてバカにされるー!便所掃除とか毎日やらされるー!そして経営者からクビにされるぅー!親族血縁とカミさんと幼かった頃の娘と,利害関係がある女性からしかチョコレートもらったこと無いー!病院勤務の時は婦長さんから「はい,皆の気持ちです,っと」と目もあわせず片手で渡されるのが常だったぁー!。ホワイトデーは看護婦さんの人数分買うからどえりゃー量を準備しつつ,1人泣いていたー!だから3月14日は苦手だぁー!・・・またしても話が脱線するー!

(注:拙者も何も知らぬ理想だけの青臭いガキでは御座らぬ。無論,医者が近寄ら過ぎず,単なる『処方箋書きマシーン』であることが実は良い場合だってある,そんなことは重々承知乃介で御座る)

****

今年の5月8日で,いおりクリニックは満5歳を迎える,と昨日,風呂の中で指を折って数えていたら気づいた。
七五三。
娘ばかりなので考えてもいなかったが,男子は5歳で一区切りとされていた。

偶然であるが,精神分析のエディプス期と一緒である。
エディプス期のテーマの一つに「あれもこれも欲しいよ」という幼児から「これだけは!他を断念しても男一匹これだけは!」と自らを潔くばっさり削ぎ落としていく,辛いが必要な営みがあるのだろうと常々考えている。

いおりクリニックも,その時期に来ているというのが,偶然ですが事実です,と今日実感した。
レンジで温め直した御飯に納豆をかけで頂きながら,
「結局,読みが当たり,達成したのは『あまり儲からないクリニック』というコンセプトだけか」
「自分は人間を買いかぶりしていたのか?」
と悲観的感情に襲われた。あ,またウツのプチ再発かえ?
だが,ウツはそこで止まった。
納豆の味が分かる,ということはウツとはまた別だ。
他の見方をするチャンスだ。
「何を成し得たか?」
冷えた肉じゃがをつつく。まだ芯が固いな,こりゃ。
家内に文句言うと「宮城県仙台市宮城野区中野栄式エルボー」が飛んでくるので,言わない。

そうしているうち,不思議にオモロイことが浮かんできた。ほれ,まだウツ止まったままだんべ。
技―と言えば大袈裟だが―出来ていたのが一つだけ,あった。それは,

「一般診療に『精神分析学的要素』を練り込む。力動論的診たてを診察の軸の一つにしつつ,一般精神医療をやる」

という形が知らないうちにパターン化されていた,ということだ。
通常の治療の中で,その人の「葛藤の種」を参考にしつつ治療している。
精神分析出身だから,いわば「癖」のようなもの。
以前からその傾向はあったが,いおりクリニックになってから,よりくっきり出てきたようだ。
患者さんが入室するまでカルテをめくっては,その「診たて」が正しかったかどうか検証しつつ頭を回す。
「転移ー逆転移」を取り上げる場合も,ちょっとだけ,ある。
そして,薬へのこだわりが,とても強かったのだが,それが増した。入院という手段を気軽に取れない分,ピン!とした緊張感がある。

タマゴ開業医から育つ中,早々に身体の病気を患った。

致命傷か!?と焦った。が,アドラー先生のお話では無いが,劣等器官を代償するものが働くので,合理的に出来ているものだ,人体というモノは,と安堵しつつ振り返る。

医師免許証獲得後,指導者として担当して下さった精神科医の先輩はI.Qが高すぎますだ豊。常に,
「おーぬま,精神科医は直観だ,それだけだ」
と仰る。一見奇天烈にみえるが,治りが,良い。ぶったまげた。

その後,外病院に出されるのだが,赴任した先の上司がこれまた,思考もさることながら,直観にも十分重きを置き気を久場る先生だった。
エビデンス,ガイドライン中心の現在は,知る人が少なくなったであろうが,今は昔「直観診断」も技のうち,だったのである。
コツは,かっぱらえるだけかっぱらった,業界で給料の安さ1.2を争い,そしてそれこそ奴隷の総合病院だったので,せめて技を盗んだったわい。死んでも返さんぞ。

精神医学は,理詰め,統計学考察,などでさばけるほど,実はまだ進歩していない。なにせ「正常脳機能」がまだ分からないのだから。医学という科学だけでは行き詰る。真摯な,常に疑問形をさしはさむ謙虚さを忘れず,「絶対」という言葉に縛らなければ,この「直観診断」は,とても有益である。
一方「直観」などと言う言葉を持ち出すと,あらかたの人には猜疑の目で見られるだろう。
そして誤解を招くだろう。
そんなあなたに逆旅名物置き土産。

「凄い臨床家はまず直観で分かり,その後の理屈を付けるために『専門領域の理論』をこねくる」

何が専門であっても,この点は共通していた。
これまでの臨床スタイル,いおりクリニックの在り方,刷新する時だ,楽しみ。



無断引用を禁じます。某先生,ちゅーか,これ,某!「お前のクリニックは『5歳時』,お前自身は『後妻児』だな」だとぉ!?
悔しいが,面白いぞ。

昨年の学会で初めて名古屋を訪れた。
案内をしてくれたY.は,同期である。
縁あって愛知県に住み,せっせせっせと働いている。
Y.が来た当初,驚いた,という同じポイントにみごと,ハマった。
こ,こ,これだよな,これ!

****

当然,街には文化が染み付いている訳だが,一度「都」になった所は頑なに,東京を見下す。
そして独自の文化を昇華させているわけだ。私は,主として日本をうろちょろしているだけではあるが,十分,面白い。
飽きない,理由。
商いを,見ると,よく分かる。

****

仙台が残念な所はたった一点,常に東京を意識している,し過ぎなのだ。
もっとも現在は真の意味で商業都市となってしまい,全国企業の東北の拠点,という位置づけであるから,個性は大分和らいだが・・・。
不愛想,ぶっきらぼう,嫌なら買うな,という視殺戦がまず最初にある。
そのまま踵を返しても,呼び止めない。
しかし,いったん関係が出来上がると,もう,仲間。
これがどこぞの西に行きますとなぁ,これまた両義的解釈の塊のような,それはそれは柔らかいやわらかい態度でおまっしゃろう,はぁ,これがまたほんま,ききましてなぁ。

いずれ不思議なものだ。それなりの都市は共通して,学生を大事にしている。
金に還元した,何かを,半ば本能的に,残そうとしているようにも見える。

****

愛知県の親会社にいじめられた人と接する機会があり,心の中では,
「よくも友達をいじめたなー!ぶつぞー!」
という先入観がまず,個人的にあったのだが―。
いつかこのブロ愚でもお書きしたかもしれない,名古屋の商いにすっかり,食われたのであった。

大沼商店がまだ潰れきっていなかった頃だから,十代だったのか?
五百円札の岩倉具視が,コインに,置き換わっていった。
私は,初めて見る五百円玉を握りしめ,
「いずれこの変更が日本を変えるかも知れない」
と思った。親に話すと,
「いいからお前自身が自分を日々変えろ,っこの!」
とな。

****

さてこの五百円玉,ワンコイン,何に使いましょう?

S.Freudがお金と大便の関係性を説いたのは卓見である。
ガチンコ精神分析では,それが透けて見える時が必ずといって良いほど,来るものだ。

だが流れ続けて市井の一般精神科医となった身の私には,山上たつひこ氏「がきデカ」の中のワンシーン,

「私は・・・思い出を買いに来たのです!」

の方が,しっくり来る。

この五百円玉を何に投じるか,正解は無い。
ただ「その人」の意識の価値基準が浮き出るだけだ。
「文化」の典型的な産物,それは,無駄。
意識したうえでの無駄遣いの典型を,私は喫茶店に見る。
(いおりクリニック,そもそもの原案が『茶室』にあることは,確か,書いたはず・・・)

一杯のコーヒーの味そのものに投じるか?
それとも時間を買うか?

私は典型的な,後者である。

独りぼっちなのか,複数なのか,その境界線上にあるのが,喫茶店という「場」である。
単に何かにつけ「境界」が好きなだけなのかも知れないが,その私自身が大声で言うのだから!説得力,あ,ねーか。

****

世の中だばよ,まぁ,コーヒー戦争だつっけねが,なーにオラらさば関係ねぇすてよ。コーヒー農場も大変だ,さてさて田植えも大変だぁ。うっわまだ寒ぃすてよぉ・・・
という秋田県に於いて,喫茶店は「ナガハマ」と「異人館」が群を抜いている。しっかりとした固定客が居る。
プロント,ドトール,タリーズにスタバにサブウェイ,一応Macもモスも、コンビニも自販機もあるのだが、この二店は突出しており、業界ではドンと横綱相撲をとっていた。ナガハマの弱点はただ1つ。トイレがウォッシュレットでは無いという点だけである。

だが,最大の刺客が名古屋から,来たそうな来たそうなみゃーみゃーみゃー!

****

副作用止めのステロイド剤,その副作用に私は特に弱い。
ころっと,不眠になる。
ここで2018年の治療指針に則った治療を選択すると,私は,見事に滑る。らりってお終い。
ガツンと来る治療を,25年前の指導医に相談していて,やはりそうですよね,と合点した。
私もたまに繰り出す不眠治療の大技。
「断眠」である。
捨て日として,本日2.26(日赤諏訪病院のM先生お元気か?無駄に誕生日記憶が強い自分が嫌)に決行した。

本日ブロ愚のアップが多いのは,このためでもある。
午前中うだうだするのも久しぶりだ。帰省していた長女が,LINEに連絡を寄越した。
信じられず,出かけて行った。

****

本当だ,
本当だ,まさかまさかのコメダコーヒーが,文教堂書店さんの隣に,ある!
これは事件だ。
秋田駅前のジュンク堂書店さんがナガハマとタッグを組んでいた時のような,その捻りバージョンであるような大人の空間が,すでに完熟した感のある秋田市八橋に,出来ている。
矢も楯もたまらず突入しようとしたが,開店日は2.28だそうな。仕事で行けない。

****

私が感じた名古屋の商人は,素で先手を打つ。
「すみませんね,これだけ儲けさせて頂きます。はい,しらふです」
酒や食い物で口を誤魔化しながら間を図る,そんな余地は,無い。
直球勝負をはなから仕掛ける。
「空気を読む」なんぞ子どものスキルと達観している。
とにかく無駄が無い。

無駄が無いのが商人ならば,いわばその「無駄」を売るのがコメダコーヒーなのである。
などと岡目八目言うくせに儲からないクリニックの私は,そう読んだ。

客と店員が,視線を合わせない作りは,見事な逆転の発想である。

学生とおぼしき若者が客席で寝入っていようがお構い無し!
良いから,寝かせてやれ。
あれやこれやと右往左往するマックでさえ,敵の中に入らないのでは?と錯覚する,見事な文化。
この若者は,スーツ姿でお客とともにまたコメダに現れ,汗をふき拭き商談する身になるかも知れない。ウチのコメダで無いかも知れない。他所のコメダかも知れない。すでに他所のコメダが好きでウチのコメダに来ている人もいるかも知れない。
そうやって世間は回っていく。世知辛いことを言うな。

だがあの名古屋の空気,それこそ「なごやか」が再現出来ているのか,秋田県人がやったらどうなるのか,ドキドキする。また不眠が悪化しそうだ。
―ってな。
浅ましいキャッチコピーみたいにダサダサに閉めるだよ。それが名古屋流だべな,名より実。


無断引用を禁じます。某先生,その興奮を「未だかつて知らなかったわ『喫茶店モーニングセット』の存在なんて」とのたまう家内と長女を従え,老舗「異人館」に直行。タイムアウト10分前に滑り込み「モーニングセット」を3人分頼みながら、コメダの凄さを熱く説いていた。私ゃ,やはり,睡眠不足だったのかいね?

保育所、小学、中学、と、もういい加減にして欲しい同じ顔ぶれ30数名らと過ごした。その中で、基本的な役割や位置付けはほぼ持続していったはずだ、と思いこんでいた。が、よくよく思い出すと、それなりに緩やかに捩れていったのだな、そして今、あらためて、もはや戻らぬものへの思いが沸く。
勉強が出来る?それだけでは存在感、皆無。つまらん、と弾かれる。
Tという、色黒のチビで、いつも笑っている、やや出っ歯な男がいた。下手にからかうと自爆的な体当たりをしてくるので恐い。中学1年の夏、何の因果か私が同級生の家を一軒いっけん、訪問しなければならない事態が生じた。一栗中学はやたら、エリアが広い。汗だくでTの所に行ったら、彼と妹の大きな笑い声が聞こえる。一体どうしたのか訊くと、妹が同級生の男の子のパンツを持って来てしまった、洗濯してやろうと思ってきづいた、ほれ!とこちらに放り投げてよこす。見ると、見事な味噌漬きパンツである。
Tは、学校での勉強とはまた別の才能があった。ナンセンスな一発ギャグが上手い、上手すぎる。
その数無限、と言いたいほど。

例えばー
昔は「のぼる」という名前が流行っていたが、野球の真似事をやっていると、敵方のピッチャーが1球を投げ、体勢を整え、マウンド定位置に戻るとき、一々「登さん!」「降りるさん!」
とヤジを飛ばすのである。仕舞いには「のぼーるさん、おりーるさん」と歌付きで踊り出す。敵方はもう、脱力してしまい、戦意喪失となる。
中学の出稼ぎ陸上部(人が少なすぎて陸上部は無かったが、何故か陸上大会に参加。要するに寄せ集め)では、私とTとが短距離走に登用されていた。何が恐いといって彼の脚の回りの速さである。共に練習するときはいつも「逃げろ~❗」と心の中で叫んでいた。

大学時代の友達とLINEしていた。「お前が真に望んだ生き方は何だったのだ?」と遠慮の無い突っ込みが来ていて、返答に苦慮した。その問いに対して「逃げる」と打ったら🏃というマークに変換された。

突然、Tを思い出した。Tあのばかたれ、30代前半で先に逝きやがった。もっとも、彼には何のとがも無い疾患だったのだが…いつも俺、先にゴールインしていたよな。お前なんぞになんかな、越されたくねーんだよバーカ!

その時、私は仙台にいた。
東北大の附属病院に入院したと聞いた。
幼友達から、一緒に見舞いさいくべ、と連絡が来た。疾患名を先に知っていた私は、床ついたTに健康なガタイを見せるのが忍びなかった。あっさりと、断った、単なる薄情ものである。
私は、ただただ、逃げて来た。
逃げてきただけである。



無断引用を禁じます。某先生、これは本当にホント、Tの名作の1つに、「軍艦マーチ」のメロディにのせて歌う「しーげるも禿げるもすぐはげるー🎵」があったのだよ。⚪田大学の精神科1期生を揶揄していることにあらためて気づいて、呆然としとるだよ。

私は,ぽろぽろよく欠ける。

こんなとき自分の精神分析をちょっとだけすることは,面白い。
しょっちゅうやっていても,自己愛的になるだけだが,年に一度くらいなら許されるだろう。

今さらどうでも良いのだけれど,最近想起したことを記すのも,たまにはいいさ。

精神性的発達論の中に「男根-エディプス期」という,自らの男性性に自信を持てるようになるかどうか微妙な,そんな発達段階がある。
年の頃とて5,6才なのだが,私は見事!ここでしてやられた。
ある日,立ち上がろうとして,どたっ!とぶっ倒れた。
右の股関節が痛くて,動けない。
診断は「ペルテス病」であった。
仙台のその向こう,ほとんど異国の地としか認識出来ない,「西多賀のベッドスクール」なる建物の空きが出るまでは寝たきりの身。
空想に浸ったり,本を読んで過ごしていた。特に深刻味なぞ持たずに過ごしたつもりでいたが,今にしてみると,意外と無意識にあっては私の言動に影響を及ぼしていたのだな,と気づく。
「男なら!」
それが私の殺し文句になってしまっていた。
ペルテス病,一年待ったが空きが出ず,結局装具を付けて歩くこととなった。
隣町の病院の手術場で,その採寸をおこなったのだが,無影灯のもと,下着まで脱がされた時の光景と屈辱感が離れない。
自らの男性性に自信を持ちぱぐったからこそ,この「男なら!」の言葉に,弱い。
生来のウツ体質というか,今小児科に行けば「起立性調節障害」などと言われるのだろうが,とにかく,「朝」がダメだった。
父親が「人生劇場」の「やーるーと思えば どこまで やるさ―♪そーれが男の魂じゃないか―♪」と歌っては私の布団をはがそうとする。私はくるくるまるまって寝床にしがみつく。「男の魂」それはそうかも知れない,と思い,頭はなんとかそこまで回るものの,体がついていかない。「お仏様に頼らなければ,起きないようだな」と父は仏壇に線香をあげ,金を叩く。そこでまだ寝ていると,線香を私におっつけんとして力任せに足を引っ張られる。やるときゃやりかねない父親の素性を知っていたので,大慌てで起きた。しかし,記憶にあるだけで二度は,実際に線香の火をつけられた。「ぼけーっとするな」と母は抹茶を立ててカフェインを私に摂取させるのだが,やはり無理なものは無理で,午前中の授業なんぞ,半分目を開けながら寝ていた。
男らしさ,能動性を持ち,それを楽しむこと・・・だが,私が生まれた時点で実際の父は52歳,老いが加速する一方であった。
男のモデルとしては,ちと,時期が遅すぎたかも知れない(さらに無意識的罪悪感が高じた可能性もあるか…)。

「男なら!」

と,さんざ,頑張ってきたのー,そんな底力なんて,元々無いのによー,と今になりひとり苦笑している。

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田舎の多感な腐れガキの中学生の頃に,おませな友達から教わって放送を知った特別番組があった。
そこでのRCサクセションとの出会い―DVD版ではカットされてしまったが―初の武道館コンサートが放送された。私は「僕はタオル」という歌に身を揺さぶられた。
徹底的な自己卑下,自己否定。
しかし,そこから沸き起こる「負のエネルギー」の暴走は,崇高にすら思えた。こんなふうになら,生きていけるのではないか?
後に思春期精神医学で,いったんエディプス期で傷ついた類ものでも,思春期の時点でもう一度,やり直せる,と習った。
あ,そうか,と今思う。これまた,今さらながら,なのであるが。
男根―エディプス期のテーマとその乗り越えは,思春期でなされたはずだが,どこか一本,共通の「筋」は残るようである。
私は既に「男として立ちあがらなければならない」という命題のコアが固められていた。
昨今の波状の欠落の果て,そこに気づくことが出来た。
葛藤の主である「欠落(専門用語では『去勢不安』」は,無論私を特別扱いしてパスさせてはくれない。

身に降りかかったこれまでのことを想起するならば,むしろ早め,多めでは?と嘆きたいが,相棒のキヨは餌を与えるとすぐ寝入ってしまい,ニャーともフ―とも言わない。

無能,無知無教養,非力,争い,闘い・・・
受けた傷はみな勲章。
これまでの人生,ナンセンスな,しかも中途半端なドタバタ劇であった。

生きる,ということは,何をか常に断念し続ける営みに等しい。

その意味で「ただただ単に馬齢を重ねる」ことは大変難しいのでは無いか,と思う。

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うつを経てから,功名心というものが見事に欠けた。
医学会で褒められ,認められれる医療よりも,まずは「愛する相手」である患者のために何が出来るのか,という地を這うような医療を目指すようになった。
それにしても。
どこ,なのだろう?多分一度訪れたことがある,仙台の東一番町にあった耳鼻科医院(現在は御嬢さまが場所を変えて診察なさっているようだ)と印象が重なる。不愛想な,コンクリートむき出しの,西陽の当たる,狭い狭い診察室。そこで私は小汚ないクリニックをやっているという設定だ。「だからダメだって言っただろう?」と、アル中や境界例,思春期関連の患者さんといった、ややもすれば精神科の枠外におかれ勝ちな患者さんらとやりとりしている風景が繰り返し脳裏に浮かび、離れない。白衣はいつもの着流し。しかしそれを脱げばいったい何者か分からぬ風体。一歩外に出れば「変人」のそしりを免れないようなボサボサ頭を掻きむしる,そんな,本来の,私である。

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東日本大震災で欠けるとは思わなかったが,結果的に―
親,欠け,子,欠け,そして故郷を欠くこととなり,秋田に戻った。
誰にも邪魔されない,よかれと思う医療をすべく,向こう見ずに,パラシュート開業の路を選んだ。
順調にいったら,いずれはまた合気道の道場に通えるというのが私のひとつの隠れた楽しみであった。

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開業して一年も経たないうちに,私は右肺の半分を切除しなければならない病気を患った。
その後も,延々と点滴による化学療法を受ける身となった。
外傷は絶対避けなければならず,合気道はおろか,怪我も覚悟で相手と渡り合う勇気も削がれた。
やがて内耳障害をきたし,めまいが著しくなり,精神科医としてはもっとも重要な器官とされる聴力が,潰れかけた。

しかし,どこかでへらへら笑っている,自分。
欠落?そんなもん,慣れちまったぜ,へへへ,と。
むしろ「今」のためにこれまでの半生があったかのようにさえ,感じるときがある。
(←躁的防衛,せいぜい合理化,ってなぁ)

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ともあれ昔の紅白歌合戦では水前寺清子氏がよく
「ひーとーつ男は勝たねばならーぬー♪」
と歌っておられた。
男である私は,勝たないと,いけない。
はい,闘って,勝ちましょう。

視力が0.1を割っていた中学生までの剣道ーそのため打ち損じがピンポイントで生じてしまい,相手の肘が紫色になったりしたが―裸眼で臨んだ剣道の大会で,特に不利を意識したことは,一度も,無い。技の上達と視力の低下が相まっており「こういうもんだ」と信じて疑わなかった。
柔道では,やせっぽっち,腕が非力なくせに長すぎる,という身体の作りが仇をなしているのは分かっていた。しかしこれでもいけるはずだ,と信じていた。一発の一本さえ取られなければ良い。そこでカウンター技に熱中した。対話のような寝技は大好きであった。
今だから白状するが,ひょろい私がもっとも苦手なアンコ型の相手にあたったことがある。敵は素早く私の懐に潜り込んでは,何かにつけ背負い投げに来る。こちらは慌てて裏投げで返そうとするが,重心が下の相手には,かからない。相手の腰が私の下腹部を連打してくる。その度、何とかふんばり耐える力が抜けて行くのがわかった。敵も頭を使う。背負いを何回か連続でかけた後,急に一本背負いに来た,これには意表を突かれた。とっさに私は引き延ばされた腕を返して絡めていた。ついでに泳いで遊んでいる側の腕も絡めていた。半ば本能的に,ともあれ,よく分からないまま,どでかいカブを強引に引き抜く格好で裏投げをしていたーつもりだった。が,なぜか敵の尻にしかれた私の頭にはこの瞬間,ゴリ,バキッという複雑な音が,どちらが発したか知らないが,聴こえた。相手は,畳にひっくりかえったまま,動かない。奴さん,頭ぶっつけたかな?と心配になったが,集まった人らにひっぱたかれているうちに,正気づいて来たようだ。よかった,が,私は歯が折れたに違いないと確信していた。舌で恐る恐る触れてみたが,おお,大丈夫そうではないか。さて,起きようと思ったが,今でいうところのぎっくり腰になったようだ。ガキにそんなに甘くは無いのよ武道は。なんとかかんとか,立ち上がる。審判が周りの関係者らと何かを話している。そして,私の反則負けが告げられた。我が顔や口を流れる液体は悔し涙か?と思ったら,単なる鼻血であった。私は先生にブチ怒られたが,ずっと理由が判然としなかった。それから15年して知った。私がやったのは柔道技ではなく,ドラゴンスープレックスホールドというプロレス技であることを。当時の相手,ゴメン。

空手教室に行った。それまで方稽古ばかりであったが,社会人の指導者先生らがお金を出し合い,プロテクター(防具)を共同購入して下さった。おお,組手との試合,出来るスゴイ!指導者クラスではもう,こちらの動眼視力では追いつかない攻防,間抜け面で口を開け,ぽかんと見学していた。ある時,私に,やってみろ,と仰る。相手はなり立て初段の方だった。そんな,先輩に申し訳ないです,と恐縮してしまった。だが,「始め!」がかかると,変なスウィッチが入る。あれ?打っちゃって良いの?と,のびのびやる私。終わった後,先生さまの中で最も強い指導者(我々は『神サマ』と呼んでいた)に言われた。「うんうん,大沼くん,前なにか武道やってたでしょ,うんうん」いつも笑顔で優しい神サマに,「は,剣道を少々」とお答えした。何故ばれたのだろう?「間合いがね,初心者じゃないんだよね」ほほーっ!

うつになって,ろくすぽ動けず酷い状態になった。何かのリハビリが必要だ,と家内と主治医が話していた。が,思考運動抑止と薬剤性パーキンソン症候群により,何かが出来るとは信じられなかった。
家内が,今はもう潰れたコンビニにあった張り紙をもらってきたという。
「合気道教室・天地塾」とある。
植芝開祖は,当時のCMのようなものであろう,いかにも不思議,という,いわばヤラセに見える映像を残している。それを見て,今ドキの我々は突っ込むのがお約束,「こんなわけ,無いだろう!」と。
だが,稽古を見学しに行った私は,驚いた!
うわっ!えぐっ!こりゃ,飛ぶわ。殺傷能力,あるわ。
即座に入門させて頂くことにした。
うつ病の症状は残っており,身体で覚えることが出来ない。
がー
それはそれは丁寧に,二時間たっぷり使って,皆,初学者で出来の悪い私を懲りも怒りもせず毎週教えて下さる。
しかし,私は,本当に覚えられなかった。
ある日,師範が直接,
「どれ,俊くん,来てみ」
と声をかけて下さった。
「どっからでもいいから,打ち込んでみれ」
ものの数秒,師範は,
「ああ,こいだば,ダメだや」
と仰る。
「俊くん,さては柔道やってたべ?」
「はい,少々ですが」
私の視線が,相手である師範の胸元ばかりを見ている,と指摘された。
ついで,

「合気道では,『相手』を観ねぇのや」

と教えて下さった。

私にとって,まさにパラダイムシフトであった。
これまで様々な先達から頂戴したお言葉の中で,最も私に影響を与えたもの,である。

****

それにしても,合気道は,下手過ぎた。離れて数年した後,はた,と気づいた。
合気道,もともとの出自が,大東流柔術とばかり思い込んでいた私がバカだった。

「天地塾」では合気道のほかに,剣術,杖術も教えて頂いていた。
今さら剣術でもないでしょ,あはは,と内心思っていたが,武器術の発想は「剣『道』」ではなく,「剣『術』」である。
籠手,面,銅のポイントをゲットするスポーツでは無いのだ。
鍔迫り合いという概念が,無い。
言われてみれば,剣道,戦闘モードの私は,鍔迫り合いからの脱出に,つい大外刈りやら小内刈りをかけたことが,あったような無かったような・・・。剣道的には反則であるが,もし日本刀で切り合いになったら,私の勝ちである。
実践で相手を斬るといっても,そうやすやすとは行かない。最後にものを言うのは取りも直さず「突き」である。剣道では「突き」を教わった記憶が,無い。

まままま待てよ?
私は開業したてで暇だった頃に,総ざらいしてみた。
あれはひょっとして,柔術と剣術のあいのこの動き?
そもそもにして「手刀」という概念は?
時計回り反時計回り,各武道ではどうなっている?
入り身,てんかんという体裁きはそもそも・・・などなど。

ここら辺は,本屋の「スポーツコーナー」に並ぶ「合気道」の本を手に取ってみると良い。いかに理論的に解釈して述べた記載の多いことか。物理学を元に体系的に説く試みがあったりして,飽きない。だがそれが全てかと言えば,違う。

****

合気道ではさらにややこしいことに,個体,流体,気体の別がある。
天地塾ではもっぱら,実際に相手の身体に触れる「個体」と,一部「流体」を習った。
しかし,「気体」があるとは,到底思えなかった。
だが,色々と欠ける身になって,私は,どこかでなにか,ピンときた。
朧ながら観たことも無い「気体」の存在が,あると思えた。
将棋界で,人口知能A.I軍団がが勝利したとは言え,実際の生身の棋士が,何故一度でも勝利したのだろう?
そこまで言わずとも,何はともあれ1対1の「試合」をしたことがある人ならば,ご理解頂けるほど易しいもの,単純な結論。

「考えて闘うこと,あった?無かったよね!」

これである。

剣道の試合では,直前,師がわざわざ我々の面を紐をがっちり結び直して下さる。
私はそこで,別人になる瞬間を味わった。
モードが変わる。
私が私ではなくなる。

どんな相手なのか,フェイントの掛け合いをして図ることが大切。自らの定石や,得手不得手を考えるのもまた意味はあるだろう。だがそれは,練習試合まで。

本当の勝負では,それらはさらさら抜けていく。
相手のちょっとした動きから,こちらは勝手に脊髄反射レベルでの反応が起きる。

先手を読む,という行為からは程遠い。何十,何百,何千とあるパターン,それを一々,計算している暇なんぞ無い。少なくとも,頭を使った試合をして,勝ったという記憶が私には,乏しい。

言うならば,知らずして打ち,勝敗は後についてくる,とでも表現すべきか。

****

今日は,我が補聴器のメンテナンスを一手におってくれている「眼鏡の玉屋」さんに行ってみた。杖も軽く期待いっぱいのめまいもちが、いそいそイソイソイソバイドといかり肩になった。
そして、肩を落として店を出た。

ふと思いつき,悪意のある書き込みが増えてしまったことが残念でならない,昔からお馴染みのパスタ屋さんに行った。

私にとっては相変わらず,美味であった。
場所は既に移転しており、最初は大学講堂か?と違和感があったが、それにも慣れた。何もかもが同じだった。早めに水を注いでくれる,ややおせっかいなサービスまでも。

欠けながら,進化する,それがあったって良いじゃないか。

マスターにそう伝えたく思ったが,相手は何のことやら分かるまい。
中くらいのコップに水が途切れることが無い。
飲食店経営では,ドリンクを売って儲けるのが楽だと教わったことがあるが,その逆のこだわりも,気に入っている。
水,一気にがぶ飲みしたいが出来ないな。薬の副作用である浮腫みがひどくなり,めまいや難聴に良く無いであろう。
浮腫,という病態が我が身に降りかかってから,三年になるか。
末娘は卒業式に来なくて良い,と言う。まだめまいがそれほど苦で無かった頃,次女の卒業式で,ちょっとした段差につまづき,見事に前に倒れたことがある。偶然だがその後,蜂窩織炎が発覚し,入院の憂き目にあった。それを憂いての話だろうか。いや,単によぼよぼ爺の風体になった私が恥ずかしいだけかも知れない。

はた,と思い当たった,偶然ながら。
秋田大学医学部附属病院内の「緩和ケア」にお世話になっている。
治療学治療学,攻めの医療こそ真の医療!と若かりし頃は思うだろう。
しかし,一見受身の塊のような緩和ケアこそ,いわば医療の無しうる最後の治療行為なのだと思うようになった。剣道に喩えるなら,さんざ副将までがやらかした団体戦のいわば「価値」を決める,大将戦である。すでに勝敗がついていようとも,大将が負けることは,許されない。
たまーに専門ナースさんの手が空いている時,家内の機嫌がいい時,自費となるがリンパマッサージを希うときがある。
それこそ「無駄に男」の私がやると,力が入り過ぎ,労多くして益空くなし。
セルフマッサージのコツを教わったが,その際用いられた言葉が印象的であった。
血管のその先にあるリンパ管に,身体の水を「導く,流す」と表現されるのである。
解剖学も大事なのだが,それのみにてこの技は使えまい。
極めて抽象的であるが,本質を突く。
そして,不思議なご縁というか,この「導く,流す」と言う日本語は,合気道の天地塾でとりわけ「流体」を教わる際,よく聞かれた言葉なのであった。
打ち気に勝り,若く五体満足な者らには,それこそガチンコのセメントマッチが良く似合う「固体の合気」が良い。
しかし,そうで無い場合どうなるか?
「五体満足ではない私という治療者」が「症状を訴えて来られる患者さん」に成し得ることのヒントが,ここにあるような気がして来た。そして今,わくわくしている。


無断引用を禁じます。某先生,「技」に二つ無しだねぇ。今日から私を「大沼先生」ではなく「カケルくーん」と気やすく呼んでね。しょんべんかけてやっからさ!

先のブロ愚記事「戯作三昧」にて,「フジコ・ヘミング」氏のお名前を「フジコ・ヘミングウェイ」と誤記してしておりました。演歌歌手のゲンさんからのご指摘で気づきました。お詫び申し上げるとともに,訂正させて頂きます。


無断引用を禁じます。某先生「老人と沼」って小説書いているって,本当?

悔しい,これほどの悔しさがあったのかとあきれるほど,悔しい。

難聴が徐々に進み,補聴器,さらにその補助具,仕舞には音声文字変換ソフトの力を借りなければならない場面が増えてきた。
「言葉」が語られるときの「内容」はもちろんのこと,そのトーン,声色に表れる感情,発せられるときのタイミング,表情や姿勢と態度,それらを全てひっくるめて取り計らうのが,いみじくも精神療法家を名乗る者の基本である。

診察後,悔しさのあまり,骨折れ流血しようとも,診察机を壊れるまで叩きたい衝動に駆られる。
この「聴こえなさ」が「相手への申しわけ無さ」に通じ,「悪いことをした」と自己侮蔑してしまう。それが最も良く無いことである,と今日気づいた。
これが最も「反治療的」なことなのだ。

****

有名作家の足引っ張りをするのが,今を生きる評論家や作家の一部のお約束となっている。
しかし私は敢えて「No!」と言う。今でも読まれ続ける作品を残し,さらなる感動を引き起こす書き手は,いかにミーハーに見えてもいるのだよ,と思っている。
芥川龍之介氏も然り。プライベートを暴かれたり,イロニーが得意,気取り屋,等と評されたりする場合が多々ある。最期は自殺した理由まで物知り顔で論じられる。

だが,日本文学の中で私を震撼させた作品マイベスト10冊は?ともし問われたら,戸惑うことなく同氏の「戯作三昧」を挙げるであろう。

滝沢馬琴(だったよね?)が銭湯で自分の肉体を見て,老いを自覚する。馬琴と知ってか知らずしてか,彼の作品をつまらなくなったと評する声がする。自宅に寂しく帰るのだがその先!(ネタばれするのでここで寸止め)。

真に「戯作三昧」を味わうようになったのは,そして涙腺を緩ませるようになったのは,学生時代ではなかった。もはや誰も新人扱いしなくなった頃,精神科医を生業と決めてしばらく経った頃だったと記憶している。

さすが芥川龍之介大先生,最後の数行にお得意の毒を数行,かませているのだが(確信犯,なぁに,男と女の違いじゃ)。

****

身体の疾患がどうなるのか,どう治療していくのか,いつまで生きていつ頃死ぬのか,それは母校に任せよう。
そう腹をくくっている。
「母」校とはよく言ったものだ。運命のとも連れ、水先案内人として,私を癒して力づけてくれる。
「いくところまで,いこう」―と。
「母」校に甘える,マザコンだから。
そして,あり得ないことなのだが,自ら「最後の主治医」を買って出て下さる先生に恵まれることが出来た。

死ぬ直前まで診察して,最後はカルテの紙に,つーっとおかだCEOから頂戴した万年筆で一本線を引いて死ぬのがよかろう,と思っていた。が,これは単なるカッコつけの自己満足であり,単に患者さんのトラウマになるだけなので,やめとく。

しかしだからこそ,診察にはこだわりたい。

あれもこれも断念した挙句,好きなのか嫌いなのかよく分からないまま人生の半分を投入した,もはやただそれしか出来ない一介の精神科医,であればこそ。

****

であればこそ,難聴に陥った位で自己卑下することは,誰のためにもならぬ。
しかし,医療関係者もどきを標榜して「良い人」を演じているものの,表裏腹に,関係者には非力の裏返しとして横柄な態度をとる者との電話において,普段ならとうに一喝しているはずなのに,大人しく会話をしている自分がいた。
これには我ながら驚いた。
ウツの再燃の匂いさえした。
「すみません」と連発せざるを得ない「障がい」を持つ人々が,必要以上に卑屈になる理由に久しぶりに思いを馳せた。

味気なく夕食を済ませた。就活であちこち飛び回っている長女が,ちょうど実家に戻って来ていた。これから東京だのなんだのに行くということである。私は岡山県の企業を勧めたが,完全にシカトされた。

就活というのは面白いものだ,自分の身内の話でなければ。
昨日行ったさる会社は,30分ほど講和があったかと思うといきなり!
原稿用紙を配られ「はい,では30分で『感動したこと』について書きなさい,1枚で」ときたという。
その後,赤ペンを入れつつ評価して頂いたそうである。何気に優しい,最初はどこでも。

それを持ったまま帰宅したので,ちょいと拝借して読んだ。
フジコ・ヘミング氏のコンサートに行く機会があったという。長女はピアノの師に恵まれ続け,かれこれ私の給料を使って15年もの間習っていた。一応ライセンスみたいなものを持っているらしいが,途中で止めている。秋田のピアノの先生は,「教」えるだけではなく「育」てることをして下さった。長女が罹患したときも,そしてピアノに向かえないときも,たーだ優しいレコードを時間の許す限りかけて,慰めて下さった。発表会では何故かいつもドビュッシーの課題曲があてがわれていた。まあ,彼女自身,確かに三拍だか四拍だかが並行しているようなキャラクターなので,ちょうど良いと言えばいえる。
それなりにピアノの上手い下手は分かるつもりでいたらしい。そして生意気盛りに,他の楽し事に夢中になれる最後のモラトリアムの一つとして,友人と物見遊山よろしく,半分冷やかしのつもりでのこのこ出かけて行ったらしい。
が,同氏の奏でる第一音から涙が止まらなかったという。
同氏について,色々と先入観を持ち,肩書や半生についての知識はあったのだが。
問題なのはそんなものでは無かった。
ただただ,同氏の奏でる一音一音が,聞いたことのない音として,己に響いた,という。
そのコンサートが終わり,長女は自分を恥じた。
「感動」の何たるか。
「半生,ハンディ」を透かして見ていた自分がいかに愚かであったか。

私は,長女の作文を見るまで,フジコ・ヘミング氏が難聴に罹患されておられるとは,存じ上げなかったー。

いかに我慢しても,涙を止めることが出来なかった。
そして,心の何かが,割れた。

****

生と死については,母校と心中ということにした。まだ生きそうだ。それはともあれー
ともあれ,難聴という強敵を前にどうするか。
喩えるなら,両手を奪われた空手家のようなもの。頭突きと低い蹴りぐらいしかできない。
実践で,何が出来る?

先ほど,フジコ・ヘミングウェイ氏を教わり,何かがまた動き出したところだったが,こういう時に限って,
「はいはい,順番があるから!」
と家人に促され,このブロ愚書きかけたまま入浴した。

そこではっと気づいた。またしてもプロレスの話題で恐縮だが,リソースが少ない人間なので仕方ない。
伝説の「アリvs猪木」戦において,猪木氏側は不利なルールに雁字搦めにされたという逸話が残っている。直前になって延髄切りを封印させられた,との説もある。
しかしだからこそ,意表をついた形の作戦に打ってでた。猪木氏はなんと,寝っ転がった状態のまま,延々と下からアリ氏の脚(ヒットするのが同じ部分だけ,そこが凄い!)を蹴っていく。ラウンドあらた,ゴングとともに横になる猪木氏に「お前は女かっ!」と突っ込むアリ氏,上手いことを言う。だが,徐々にアリ氏の動きが怪しくなっていき,よろめき、いつ倒れても不思議ではない状態になった。結果はドローで,マスコミにはさんざん「つまらん」と酷評された試合なのであったが,私はDVDを手に入れるほどこの試合に想いを寄せた時期があった。ただの殴り合いとなったらボクサーに勝つわけが無い。極論すれば,同じ力があったとしても,手の長い方が有利である。であればこそ,ボクシングに無い「寝技」に持ち込むのが良い。裏の裏の戦法だった。KOで終るボクシングには、倒れた者への攻撃の定石は、無い。

****

それでは,難聴に対してどう向かうように自分の臨床スタイルを変えるのか,現在知らぬ間に変わっているのか,変わっているとすればどのあたりがどういう方向に変わっていて,それが良いか悪いか,考えれば良い話だ。
自覚出来る「効」の一つは,それまで「つい」聞き逃してしまっていた部分を,知ったかぶりしないようになった,という点である。
また,「なんだ,こんなんでも医者つとまるのか」とあきれられても結構。
それにしても,「診察時間に待たされた,これでは予約の意味が無い」と仰られた方も多々おられる(ごもっとも。単に『救急対応・不完全予約制』という独自の線でやっておりました,すみません)のだが,不思議と「耳遠くて困った!」とのクレームが無い。
そのほかにも,色々思い浮かぶが寝ないといけないので割愛。

****

付記
偶然ながら,精神科と耳鼻科は,フロイトとフリースの時代から,仲がいい。
「患者さんの訴える感覚頼り」と「何だか理論通り上手くいかないモヤモヤ」を相手にしているせいだろうか。
もう十年以上も前になってしまうが―。
私のウツの当面のきっかけになったのは,子どもとプレイセラピーをしていた頃にさかのぼる。元気いっぱいの子の手が,私の耳に偶然当たった。以後,聞こえが悪くなったような気がして,さらにキーンと耳鳴が続く。早々に耳鼻科を受診したら,診断は鼓膜の外傷ではなく,「突発性難聴」と「メニエール症候群」であった。即,ステロイド療法が開始され,「治る」と言われたのだが,「精神療法が出来なくなる」という思いから離れられなくなった。折しも年の瀬,頭の中を難聴に見舞われたベートーヴェンの第九が何度も何度も浮かんでは消えた。しまいにはピアノに歯を立てて骨伝導だけを頼りにし,発表した観衆の喝采をもって「成功した」と知ったと言う。我々日本人の琴線に触れる,あの曲である。天才ではなく,鬼才である。私は「鬼」になれるか?
現在は開業なされたその耳鼻科の先生に,初めて,うつ病を疑われた。その後,精神科の諸先生のお陰+かみさんの尽力もあり,以後,「うつと生」に続く,となる訳だが。しかし,「もう戻れない」という悲観的な思いは忘れられない。強迫的に沸き起こる悲観的思考としか記載できないが,限りなく妄想に近かったと思う。
そして,新生した後,私が最後に日本精神神経学会で発表したネタは,お得意の「精神療法」でも「思春期」でもなく「メニエール症候群と精神医学」であった。



無断引用を禁じます。某先生,親父も難聴だった。冷たくした自分を悔いるだよ。ちなみに母は耳鼻科開業医に勤務していた時代があるだよ。縁かねぇ。

ある日ある時ある人に訊かれた。
「先生,LGBTQって何だか知っていますか?」
「知っとるぞーそれくらい。『ラモトリギン飲んでバタン,キュー』だろ」
「馬鹿野郎」

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同性や男女両方やを愛する者,また確たる性に彷徨う者らを総称しての言葉であるそうな。
その当事者団体がまた強くて,滅多な口を聞けないほどらしい。
精神医学会でも「性同一性障害」から「性異和症」に代わり,さらに最近は「症」を省いて「性違和」と記すようになった。
「男だろう!」や「女らしく」もセクハラと言われるこの時代,言葉を選ぶのに骨が折れる。
つい,
「男なら当たって砕けろ!」
と言ってしまうことがあり,その直後,あ,やってしまった,と冷や汗をかく。だが,「セクハラだ~!」とツッコまれたことが無い。それは僥倖であった。

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ミッシエル・フーコーさんの「性の歴史」という大著があるので,ご興味のある方は,お読みくだされ。
私は30年前に斜め読みしかしていないので,完璧に忘れてしまった。
従って,もしかしたら論述が被るかも知れないが,固いこと言うな言うな。

かつて「不倫は文化だ」という言葉が流行った。
が,私は「倫理は文化だ」という事を肝に銘じた方が良いと思う。

LGBTQの歴史こそ古い。
もう,古代の歴史を紐解けばイヤというほど出てくるので,一々挙げればキリが無い。
様々な性が謳歌されていたようだ。
一夫一妻制が本当の意味で成立したのは1958年の売春防止法まで待たなければならない。
それまでは,夫にとって妻以外の女性と関係を持つことが,公認されていたのである。
LGBTQそれ自体は従って,困ったものでも珍しいものでも無かったであろうし,これからも絶えることは無いと思う。

性衝動を,子々孫々を作成するためには,そしてそこそこ国が滅ぶことが無いようにするためには,「男」と「女」の性役割を作り,そして「家族」という単位に収められる必要があった。夫婦,という単位で物事をすると何かと少しだけ税制上有益ですよ,とした。
よって,異性愛だの家族だの,そういった制度は,なんとかかんとか文化としてこさえたギリギリの不安定な単位であるとも言える。

キリスト教のある宗派はマスターベーションを禁じているが,これはいつ滅ぶか分からない風土にあって,性衝動を無駄遣いするなよ,という内輪の事実があったのだと聞く。

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しかしまた,一精神科医である私は戸惑う。
横断面だけで切って「性違和」と言うのは易しい。
「性転換?ガイドラインに則ってどうぞどうぞ」
と軽く言えない。

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精神療法の治療的なゴールは
男「男性性能動性」
女「受身性女性性」
と,うすらぼんやり思っている。

ここで注意を促しておかなければならないのが「受身性」の解釈。
妊娠という命を懸けた苦痛な営みを「受けいれる」こと。
(痛がりは大抵男の方で,女性は痛みに強い)
また,武道なり喧嘩なり卓球なり,一対一の勝負をしたことがある方は合意して頂けると思うが,こちらの持てる技,全てを受けられたら,内心,ビビる。わぁ,オラの技,全然効かないー!とな。これまた,「受身性」の強さである。

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しかしまた奇遇なもので,精神分析学と精神科学はときに恐ろしいまでにブッキングすることがある。
「性同一性」の概念について。
大体,男女別の脳は三歳位で決まるらしい。
この時点で差がついているのは,ホンモノとしか言いようが無い。
だが,それ以降の性別の戸惑いは,ちょっとだけ,眉唾で疑ってみる価値がある。
そういうこと。

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性同一性の獲得は,結構の発達の後々,高校生や大学生くらいにならないと判然としない部分がある。
自分の中に「男と女」が共存していても,不思議では無いのだ。

初恋の人が両思いで結婚して幸せ,という人は,私の知る限り,王貞治氏しかいない。やっぱり凄いバッターだけある,外さない。

ついでだが「初恋の相手」は大抵,自分の中の異性部分を勝手に相手に投影して,それをさらに理想化するのだから,質が悪い。
そうされた相手自身も良い迷惑である。
何か歌謡曲の中にもあったような・・・「僕は,結局,僕を愛していただけ」といった歌詞だったが,それよ,それ。自分の中の女性性がある,ってことよ。

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私は硬派(後で真の意味を知り,ぎゃっ!と思った)を気取っており,女性にスケベ心起こして我を忘れることをせずにいた。それよりは,男同士の付き合いに重きを置いていた。
つまり,異姓ではなく同性に親しんでいたので,現象から見れば同性愛的である。
「あーあ,暇。今頃あいつ(男)はどうしているだろうか?」
そう思うことがあっても,私自身は異性愛者である。男子高のプールより,女子高のプールで泳ぎたい。
東京女子医大の講師になった後輩が羨ましくて仕方ない。

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何の話だっけ?
そうそう。
若い時は,性衝動の赴く対象が不安定なのは確かなことである。
だが,あまり慌てて「LGBTQ」と自分を当てはめ過ぎないこと,それが重要。
昔から同性が好きだった,と言うのも,記憶は自分の都合の良いように書き換えられるときがあるので,過信は禁物。
自分はゲイ,レズ,と言った自己暗示にかかる可能性が,無いわけでは無い,と心にとめて置いて頂いて,損は無いであろう。

無断引用を禁じます。某先生,「がきデカ」で,こまわり君が何かギャグをやって周りが,どてっ!とこけるとき,男性は大体は女性下着をつけてるのな。

ニードが無くて,いおりクリニックにある「Psychotherapy Japan」と名付けた小部屋は,主として税理士先生とお話する場所となっている。
まともな精神分析をやれば,自分の心の中を知る営み,場合によっては「産みの苦しみ」が生じる場であるのに,
現在は「前年比,収入がゆるやかに落ちている。信じらんねー」ということを自覚し,私自身が苦しむ場になっている。
しかし,我が税理士先生,どこかニヒルな佇まいで,何かにつけ学ぶことが多い。「人」と「金」その両者に,ある意味絶望しているようにも見える。金に使われる人間たち,その逆説を遠い目で眺めているような,悲し気な雰囲気がある。
寝椅子から使い捨てスリッパ(ソファに寝っ転がってもらうため)一式そろえた。しかし問い合わせがあって,自由診療の値段を訊かれ答えると「いやー,そうですか。どもども」と引っ込められる。高価に思われるであろうことは私自身了解済みだ。しかし「こんなに高い身銭を切って痛い思いをするのだから,絶対治ってやる!」という真剣さが,保険診療に比べると,強いのなんの。
しかしまた我ながら大人げない。
精神分析にこだわるからデッドスペースになっているのである。
そのうち,心理士のカウンセリング(精神分析に拠るらない)に場を提供するようになるかも知れない。
「場所代」は,そんなにピンハネしないつもり。
分析やりたし,金は無し。永劫のテーマである。
社会保険上では認められているものの,通常の「精神療法」とお値段さして変わらず「良くなるための必死さ」が乏しい。

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頬杖付きながら,薄々感じていたけれど「ははーん」と思うことがある。
長女が奥羽山脈挟んでお隣のI大学に入ってはや三年。
「おお,オトナになったな」
と感じることが多い。
就活など心配は尽きないのだが,高校と同様,大学でも友人に恵まれたようだ。
悪行三昧女だったのが,大学で,数限りない真面目な学友からの指摘の雨あられ,ダメ出しの愛の鞭,それらを取り入れて,育てて頂いている,と実感した。
それとともに,雰囲気として感じていたものが,ほんのちょっとだけ「確信」に代わる。
和辻哲郎先生では無いが「風土」というもの。
自分の知らん所で,知らんうちに行動や道徳の規範となる「超自我」というもの。
我々は大抵,内在化された「親からのオシエ」を差すのだが,そればかりではない。
文化,さらに「環境」というものを見落としてはならないのだ,と実感する。

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前世,かなり悪いことをしたらしく,社会科が大の苦手である。「理系は地理」が当然選択される時代だった。文系は二次試験の都合もあり,歴史を選ぶのが無駄が少なくて済むものの,難題が出てくる。これは共通一次のお約束。なのに,だね,私は地理に落ちこぼれた!「『チリでは銅が採れる』だと?んだから何だっつーの!」と故郷のノリで要らぬツッコミをしてしまう。現役で入った同期のOはこの前会った時「社会科勉強している時間が無くて,地理は中学校の知識で解いた」等とのたまう。私は警察を呼びたくなった。
自宅のトイレには日本地図が貼られている。
子どもが小学生の頃に「県名」を「懸命」に覚えよう・・・
いや,こういう洒落を言うようになったら,もう終わりだな。
ニーチェ氏の「死すべき時に死ね!」は明言だな。
しかし「死は祝祭であれ!」とも同書に書かれている。
私が死んだら,みんなが「祝祭」したりして,洒落にならぬ。あり得るぞ。
ここが永遠のジレンマなのだが,ニーチェ先生「人の思想なんぞ,あてにするな!」と仰り,私はいたく感動した。
そうして,数日の間,読書を絶っていたのだが「待てよ,これって,『ニーチェ先生の思想を,あてにしている』ことに他ならないのでは?と気づいた。
以来,偉い人の言うことを,絶対視して丸飲みするのは止めるようにしている。
もっともニーチェ先生,見かけより新設で,ヒントは書かれていた。
朝に自分の哲学を作り,午後になったら「喜ばしき知恵」要するに他人の思想を「ああ面白い」と味わっても良いそうな。
そう言えば,夏目金之助(ペンネーム『漱石』)大先生も,数々の賞を蹴りまくる反逆者の丸山健二先生も,朝に執筆なさるクチであられる。

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ともあれ,その地図を眺めていて一昨日気づいたのだが,あああっ!福岡県は裏日本(日本海側を激動の昭和ではこう呼んでいた)だったんだ!
その驚きで,失禁脱糞。幸いにも場所が場所故,遠慮せずに出る出る出る。
そしてまた,ウオッシュレットのお湯でちろちろちろちろ菊の門洗われながら,感慨深く思うのであった。
結局,「表」と「裏」の違いだったのよねん,と。

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その昔,東北大学に小沢平作という先生がおられた。
日本に居ながらにして精神分析を紹介したのが同大学の丸井清奏教授であったが,小沢先生はその一門でありながら日本を飛び出し,フロイトの門下生となった。
フロイトが,
「あなたの精神分析を直接しますよ」
と言ってくれた。
が,小沢先生(失礼ながら)金が無い。
フロイトが,あろうことか,さらに値を下げてくれた(!)が,それでも足りない。
フロイトからの直接教育分析を受けられなかった無念の気持ちは察するに余りなし。
私だったら,銀行強盗に入り,大金を奪った挙句,ついでに家とクリニックのローンをちゃらにしろ,と言うかも知れない。
そして成田空港はおろか駅で秋田県警にとっつかまっていたかも知れない。
ともあれ,小沢先生が地主の息子であったならば,日本の精神療法も変わっていた可能性がある。
帰国した小沢先生の元に,指導を仰ぎに行った精神科医が何人かいた。
東に,慶応大学の故・小此木啓吾先生,
西に,九州大学の西園昌久先生,
東京大学の故・土井健郎先生もそうだった。
その面々を見ると,重鎮がずらり並んでおり,もはや精神医学上のSMAPである。
話がずれた,元に戻そう。
プロレス界で言うと,蝶野正洋氏が一時期「闘魂三銃士」と呼ばれた仲良しレスラーと対戦し流血に追い込むなどdirty殺法で勝利した後,マイクパフォーマンスで,
「Hey,brother,兄弟っていうのはな,本来仲が悪いんだ!」
と叫んだ。
その金言が染みてくる,同朋(兄弟)葛藤の定め。
ちなみに。
蝶野氏は男三兄弟の中間子。
橋本氏も武藤氏も,下に妹がいるだけ。そもそもの兄弟間葛藤の質が異なる。
ああっ!!また話がずれた。何の話だっけ?

****

同じ先人に師事した者たちが,ライバルにならないわけが無い。
日本海側の西園先生と,太平洋側の小此木先生は,お互い,よき論敵となった。
「情」と「理論」,「現実」と「メタファー(隠喩)」・・・大雑把に言うとこうなのかしらねん。知らん。
いずれ,私がお世話になった世代は,英国や米国で修行を積んで帰国した。
対象関係論,自我心理学,中間学派,自己心理学・・・あと何だっけ?
初学者向けのセミナーで,私は頭がこんがらがり,講師一同会した所で質問したことがある。
「全然矛盾している。なら我々にどうしろ,と仰る?」
それに対して自我心理学の先生と対象関係論の先生がお互い隣に座っていて顔を合わせて苦笑しておられた。答えは,
「やることは,そんなにそんなに変わらない」
とな。益々わかんねー。「ならやるな!」的にしつこく質問したがヌエ問答になってしまい,こんがらがったままであった。

ああ,なるほど!と思ったのであったが,皮肉なるかな。
西と東の間,中国地方で活躍されていた広島ラブの衣笠先生のお話を伺った時である。
「対象関係論」と「自我心理学」要はこりゃ,別物なんだ,と思った。
割り切った。

何の事は無い。当たり前だ。
「自我心理学」が,正常発達から生まれた概念であるならば,「
対象関係論」は本物の精神疾患から導き出されたものである。
両者そこそこ仲良くやっていれば良い話,である。
ちなみに私が初めて精神分析学会にカバン持ちで行った際,ギャー!と驚いたのは,本来論敵であるはずの「対象関係論派」衣笠先生の症例発表であった。スキゾイドパーソナリティ障害が治癒していく様は,魔法のようであった。
これは凄い,凄すぎた。

****

今や思考実験となってしまったが,あるクライアントが症状を訴えて訪れたと仮定して,どこを目指す?

人生。
症状に浪費していたエネルギーをより適応的に「こうでありたいたい自分」になることを使うのか。無論そのためには「諦める」作業は必須であるのだが。

あるいは人生。
症状が消えて,食って寝てヤれたらそれで満足。ときにウツ的になるかも知れないが,その苦しみについては真摯に向き合うこととして。

****

もちろん,どちらの生き方が良い,悪い,という次元の話ではない。
そんな議論は,くだらん。
こんな裏話とは全く違う世界を,あらかたの人は健康に生きているのだ。
何故書く?
マニアックな業界。重箱の隅を楊枝でほじくるような営みをここに記す,なんて。

しかし私は思うのだ。
もう一度考え直す時代になっている,と。
社会の変化と,治療技法の取捨選択は,密接に結びついていると思う。
地方都市の駅前のデパート内のクリニックであるからこそ,見えてくるものがある。
そこで時代からの要請(別に特に私が文科省や厚労省から直接依頼された訳では無いんだけれどもね,うん)を感じるのだ。

んなもん,学会でやったら良さそうなものだが,①ただのエッセイに過ぎないと判断されて査読で叩き落される可能性99%,②我が身,論文の形式をとるべく勉強し直しするにはあまりにも時間と知能が足りないという現実,③同様に出版物にするとして「推敲」という自分との闘いを持続出来る体力に自信が無いこと―などから,ブロ愚という場を借りて語る。ええやん,タダだし。

****

表で
明るく冷たい空の元。
空っ風で裂けた唇の痛みにぴりぴりしながら,いつの日か,幸せを獲得しよう,と明日に目を向ける。
世界に目が行く。今の自分は,克己すべき自分であって,けっして本来の自分ではない。

その裏で
のけた端から降り積もる雪。そこで修行僧のように延々と雪かきをする日が続く。そう思うが最後,明日はおろか,今日を生きられない(ついでにジミヘンドリクスの名曲『I do not live today』はライブバージョンで効くといいです)。「今」の理不尽さは,刹那的な快楽で憂さを帳消しにする。

どちらに善し悪しあるでなし。
お勧めの人生を提供する精神FPでは御座いませぬ。

ただ,今にしてつくづく感じる。
秋田は,九州大学系列と,うまがあう。
純粋秋田大学卒,パイオニア的存在である一期生の水〇先生が,皮肉にも御実家がある九州に通って学ばれた,その影響が大であることは論を待たない。
当時の九大は対象関係論のメッカであった。
(同様に東京の土井健郎先生に師事した稲×先生は,集団療法を手土産に持って秋田に戻られた。土井先生御自身,自我心理学者という位置づけがあるものの,どこか対象関係論的な部分もあり,白黒つけられない。別につける必要も無い)
「情」の部分は私も好きである。
一方,ケチを付けさせていただくのなら,何をもって治癒とするのか?その治療機序は何であるのか?
が見えて来ない。論文を読んでいても,もやもやが残る。
「世の中は私が思い込んでいたようでは無かったのね!」
という「修正感情体験」は,用をなさぬ,と思っている。自分が変わっていないから,どこかでまた同じポカをしでかす。
一方,
「こう思っていた私がいたのね!」
と自分が変わる方を,私は好む。ニッポニカニッポン,別名,自我心理学の立場から。

****

これには,風土が影響している気がしてならない。
私はそれなりに「自我心理学的アプローチ」を試み,結果,ハズした。
負け犬の遠吠え,であろうが,何故か,太平洋側ではそこそこ,スウィング出来ていた。
何でだろう?
クライアントの感情表出(治療者である私への嫌な気持ちも含む),言語能力(というより,言語を用いようとする努力),へこたれずにゲットしていこうとする貪欲さ(横並びでは無く,その先へ)・・・
かつてのクライアントの皆さまを思い出すにつれ,そう感じてしまう。

もちろん,大方の意見は容易に思い浮かぶ。
「これは『大沼』個人の能力の問題。わざわざ『学派』を持ち出す必要は無い。いわんや風土の違いに帰するなぞ言語道断!」
ってなぁ。
はいはい,了解了解。


無断引用を禁じます。って書いて禁じられたためしが無ぇ。某先生,SASと書くと神奈川では「サザンオールスターズ」を指す。秋田では「睡眠時無呼吸症候群」を指す。これ本当。題名を「真冬の果実」にすりゃよかったな。

仕事を終えて,家内が運転している車に乗り込む。
方向が分からなくなる吹雪を久しぶりに体感する。

何枚もの防寒具に身を包み両目だけ出して吹雪の中を行く昔の母を思い出す。
私は私で,農地にあった小さい池が凍っており,皆とスケートごっこをしていたら見事氷が割れ,頭まで水没したりしていた。
雪合戦で至上最強の雪玉を作る研究をそれぞれしていた。中に石を入れる者あり,矢印上に作る者あり,今考えると,危険すぎる。私は私で夜に雪を丸め,ここがミソなのだが水にいったん濡らし,一晩おく。翌日になると氷の塊が出来ているのでそれにまた雪を付けて完成!というものであった。
実際の戦ではどうだったかというと,それぞれのオリジナル雪玉を出し惜しみしてしまい,普通の雪合戦になってしまっていた。縁もたけなわになった頃,ようやく特性のマイ・雪玉を登用するのだが,思い入れがそれぞれあるため,大切に弱く投げてしまう。相手方はそのマイ雪玉を拾って惜しげもなくぶつけ返してくる。私もその返り討ちにあった。当たった瞬間,頭に「ゴリッ」という音がして,我が作品の出来栄えが素払いことを実感した。

我々にとって,雪は,天から降って来るオモチャであったのだ。

****

そんなことを口にすると,宮城県仙台市宮城野区中野栄出身の家内に「バカでねぇ?」と一笑に伏されて終わりである。
一日の治療とその反省に費やす。
そう言えば,本日のキャンセルは一件のみ。新患として予約されていた方だけだった。
そこで,私はうつの「底知れぬ力」や「粘り強さ」に想いを馳せていた。
それだけパワフルだから,そしてレッドゾーンまで回し続けるから,ウツになるのだ。
「もう限界」「ギブアップ」「私には出来ません」などと甘えてしゃがみ込むことが不得意な人々。
そう言った方々が日本を作っているのだな・・・
相変わらず人が少ない光景である。今日は土曜日。堅気なら休みの日であろう。
彼ら彼女らを見ていて,考えた。
秋田駅前を歩く人々は雪を嫌っているのか?当たり前と思っているのか?

そう言えばー
雪に対する文句を聞いたことが,実は一度も無かった。

****

「女のことなら書けるな」
と思い整形外科から作家活動に転職し,前立腺がんで亡くなった直木賞作家の渡辺淳一ちぇんちぇいが,
「雪が嫌で北海道から皆出たがっている」
というようなことを書いておられた。そうなのかも知れない。

一方で,私の知る詩の中でベストテンに入るのだがー
高村光太郎氏の「冬が来た」がある。
(オマケ・この作品を国語の教科書に使うのは止めて欲しい。「国語教師」イコール「詩人」では無いのだ。子どもらには詩を感じる適齢期があるし,またテストに出るとて安易な解釈を丸飲みして頭で理解するのみ。知ったかぶりするのが,最も怖い)

渡辺ちぇんちぇいと高村光太郎氏とを比較してはならない。

恐らくこれは,生得的な感性の部類に入るのだから。

****

なんだかんだ理由を付けて未だ東北に留まるのは,こういった性向があってのことではないか,と思うようになった。
秋田大学の精神科に在籍していたが,雪の無い地方に転勤し,他の大学で教授となった先生がいた。
皮肉なことに,御専門の中には「冬季うつ病」も入っていた。機会があってその先生の書いたものを読んだが,まぁ,秋田に対する嫌悪感,それを通り越しての怒りや恨みすら感じるものであり,失笑してしまった。
それにしても,自称「冬季うつ病」はたくさんいるが,本物の「冬季うつ病」は少ないように感じる。
本物の冬季うつ病はひょっとして,これまた何かの理屈をつけて,岡山県に移住しているのかも知れない。

****

真っ暗でどの方向に何があるか分からない駐車場に車を止めさせ,マルシンハンバーグを求めてスーパーに入った。合流した次女が脇を支えてくれる。もし彼女がいなかったら,介護保険でレンタルしている杖二本を持ち出して,スキーの如く店内に入るだけのことである。
マルシンハンバーグは扱っていなかった。
仕方が無いのでこの前,家内に昼食にスパゲッティを所望した折,賞味期限切れの明太子ソースをかけられ酸っぱく腐ってねばねばしており,ド根性でも半分食しか食べられなかったことを思い出した。そのリベンジとしてレンジで作れる即席スパゲッティを購った。

さっき降りたばかりの車がもう真っ白になっていた。
おお!
そもそもボディーカラーは白であった。
が,それを差っ引いても短時間ですぐ冬顔になる。
似たような,疲れた顔で,悶着から少しだけ解放された人が数名,入れ替わりにスーパーに入っていく。
やはり着込んで,目だけ出して。

****

昔の職場,ナースセンターでちりぽりカルテと背中をかいていたら,とあるスタッフが「雪,好きなのにぃ」と言っている。
なるほど,私はそれまであまり意識しないできたが,雪,自分も,好きなのであった。そのスタッフが美人だから追随したのではけっして無い。

体感温度は驚くなかれ,盛岡や仙台の方が寒かったりする。奥羽山脈が雪と湿気を遮り秋田に雪を置いて,空っ風となって岩手に行くそうな。「おお,晴天!」と車を降りると危ない。

仙台市宮城野区中野栄の家内も,私も,驚いたのが同じ所。
秋田は寒いとなれば,防寒具をしっかーり着込むところ,特に中学生や高校生。
宮城県ではかような格好をして歩くと「寒さに負けるやわな奴」呼ばわりされる。
タクシーの運転手さんがある冬の日,
「あれ?あったくもー,これだば危ね,身体さ悪い」
と舌打ちをしていた。何がよ?と聞いたところ,当時の流行でスカートが短く生足,防寒厚いタイツを履かない女子高生らの健康を危惧しているのであった。そっちよりこっちを心配されるとは,何と言う奇特な方であろう。
私はというと,薬の副作用でリビドー皆無になって初めて,私もその境地に達した。

****

とにもかくにも,雪国。
防寒対策をほどほどにし,前かがみになってそぞろ歩く。
あいーこいだば。
ふ,と思った。
なるほど,と一人ごちた。
私の思い付きに過ぎず,お気になさらずとも結構なのであるが,ピンと来た。

これ以上夜更かしすると家内にしばかれるので,いったん終了します。


無断引用を禁じます。某先生,先生の詩「ハワイに来た」はいいよなぁ~おら感動して寝ちゃったよ。

疲れて帰ってきたら、こういうのが待っていたのであった。

1518705259212
無断引用を禁じます。某先生、私らの世代は「うなぎ犬」だったよな…

森本先生、有り難う御座いました。ご指摘の通り「『うさぎ』が先」でした。

「身体に悪いものは,心に良い」
のかどうか分らんけれども。
私は最近,酒に目覚めた。
用があったのだが,すぐそこのコンビニが潰れてしまい,仕方が無いので日赤病院の近くのコンビニに入った際のこと。
何かおかしい,モノの並べ方は通常のコンビニのはずなのに,どこか違う。
よそよそしい。
杖ついてひとしきり歩いて,あ,これだ,と気づいた。
ウィスキーの小瓶が,やたら多いのである。
また見渡すと,タバコの種類も銘柄も,他に比べて豊富なようにも見える。
ふ,ふ,ふ,そういうことか。
多分,であるが。
入院生活を余儀なくされた人の中では,ちょろっと酒飲まないと落ち着かない人とか,タバコを吸わないとやっていられない人がいるに違いない。距離的には散歩コースに位置するので,外出許可さえおりれば入手可能。あんたも好きねぇ。

****

「アル中」の治療について,秋田の精神科医は嫌というほど学ばせられる。
まだ医者歴数か月の頃の私は「アルコール依存症」という病名に納得がいかなかった。
「酒を飲まなければならない理由」があるから,酒を飲むのである。だからその「酒を必要とする」人の根本的な病理を叩かないといけない。ただ離脱症状だけが治療ではなく,また「断酒会」のように「酒」だけをテーマにしたところで,すぐれて個人的な問題は,抜本的な解決にはならぬであろう。
そう見解を述べたら,指導医は私に言うのであった。
「分かった,うるせー」
その小瓶が並んだ棚は,とても美しいものだった。
ついくらくらっときて,東北を侮蔑したので,通常唾棄している〇ントリーの梅酒を買ってしまった。

****

私,大沼は伊達に入院してはおらぬ。
開業したら「医師国保」という健康保険に入らなければならず,治療費限度額負担の上限が,頗る高い。
国民健康保険との格差を是正するために,矯めつ眇めつ患者さんらを眺め,いろいろ,学ばせて頂くようにしている。
呼吸器外科の病棟のゴミ箱に「捨てないでください,というより,もともとあってはならないものです!」と吸い殻の写真が貼られていた。エレベーターで外出から帰ってきた人とすれ違う。やたらニコニコして,そしてタバコの匂いがする。
こっそり思うのだった。
「酒を飲みたいから,煙草を吸いたいから,入院して健康になっておく必要があるのだ」
ああっ!これは医者にあるまじき発言である。撤回,てっかい。

****

現代は「タバコを吸う者,市中引き回しの上、打ち首獄門!」と憲法が改正される日も遠くないであろう。
何でも,聞いたところでは「タバコはウツに悪い」と権威ある科学雑誌に載ったそうな。
小保方さん元気かな?
極めて個人的な経験であるが―と慎重に前置きして―私のウツにはタバコが良かった。
ちまちまいたずら程度に吸うことはあったが,大学生生活で一年半におよぶ一般教養が終わり,いよいよ専門に入った後,本数がやたら増えた。
最近になりようやく医師にも労働法が適用される動きが見えてきたが,そんじょそこらのブラック企業なんぞ比較にならないほど,中身はハードなものだった。
「付き合っていらんねー」
「やってらんねー」
と弱音を吐く代わりに煙を吐く。
北原白秋氏は,さりげない天才であったと思う。真の文筆業者は,ジャンルを選ばないのだ。
岩波文庫で同氏の作品を寝転んで読む要介護Ⅰ。
「煙草のめのめ 空まで煙せ どうせこの世が癪(シャク)のたね
煙よ 煙よ ただ煙 一切合切 みな煙」
愛煙家にとっては,紫煙が酸素ボンベなのだ。無いと,世の中,息苦しく,窒息しそうになる。
いえいえタバコはいけません,オラ一応言ったからね,タバコはいけませんって。
北原氏も九州男児であるが,ずっと前,会議所だかどこかで禁煙の法律が適用されるのだが,猛然と反論した九州の政治家がいた。

****

何故か最近,アル中騒ぎが耳に入らなくて済んでいるな?といぶかしく思っていた。県のデータベースで,いおりクリニックが対応可能な疾患として報告する際「嗜癖」に〇をつけなかったからかであろうか。いずれ,バックベッドを確保しない限りは責任もって治療することが出来ない。「裏切られた!」と髪掻きむしるのは職員問題だけでこりごりであり,アルコール依存の再飲酒問題に向けるにはパワー不足である。元来,大沼商店でくだを巻く酒飲みに剛腹していた記憶があり,酔っ払いを見ると脊髄反射レベルでの拒絶反応が起きる。
煙草はどうか。課税して儲かるかと思いきや,喫煙による医療費をさっぴくとむしろマイナスになる。それ故か,締め付けがやたらと厳しい。学生時代90円だったゴールデンバットが300円だそうで,厚労省のイライラが伝わって来る。「まあ一服されたし」とタバコを出したら,間違いなく精神保健指定医没収の憂き目にあうであろう。秋田大学の初代医学部長だった,薬理学の中井教授は「タバコと癌は関係無い!俺が証明してやる!」と我々学生に語り,みんな心の中で拍手喝采していた。教授は退官後,故郷にお戻りになり,心臓の病で亡くなった。どう解釈するかは,自由だ。

****

ともあれ,健康のため「『酒』『煙草』はいけません」というのが医者の共有すべき常識となっているのは確か。
そりゃまぁ,仕方無いなぁ。
と,薄らぼんやり思っていたのだが,最近の厚労省は我々が用いる「抗不安薬,睡眠薬」に向いているようだ。
精神科入局した同期生三人が,先輩から専門分野の知識を教わる(クルズスという)機会があった。
薬理学のH先生は,セレネースとヒルナミンについて,延々と実に詳しく教えて下さった。
「お前らが,いつどんな病院にぽいっと投げられても,これだけ知っていれば大丈夫」
しかし,あの,先生。抗不安薬と睡眠薬についても教えて頂きたいのですが・・・
「何?マイナーか?んなもん,自分で飲んで覚えろ!」
と来たもんだ。意外と素直な我々は,ちょいちょい舐めてみた。
祖先が一緒で,そこからちょいちょいどうでも良いと思われる改変がなされているのだけれど,全く違う。
その後も経験する中で,どの薬がどのような特性をもつものか,だんだーんキャラの違いが見えてきた。
「精神療法なんかやっているから処方滅茶苦茶」と陰口をきかれないように,薬の勉強もそれなりにはしていた。

****

もともと,精神病性の不安はともあれ,あらかたの「不安」は自分の力で克服するのが良い,そうすれば自信につながり,さらに新たな自分になるであろう,そう考えていた。抗不安薬は当座の「味の素」に近いものであった。不安を薬で散らす,それは簡単であるが,その人の可能性を潰し「現在の自分」水準で発達を放棄するものだと,考えていた。
私にとっては,副作用がどうしたこうした以前のものであった。
「人間」を,高く評価していたのである。
人を買いかぶる癖が,どうも,あるらしい。
お人好し,と言う名の馬鹿である。学習してない。

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どれだけの患者さんに出会ったのだろう。一万にまでは至らないが,馬齢なり牛齢なりを重ねるうち,それこそ自分は人間を買いかぶっていた,と思った。
人は,
そんなに強くない。
それほど賢くも無い。
毎日まいにち生活するだけで懸命である。
それでも自殺しない,なんて,強いもんじゃないか。
(私も含めてだよん♡)
「付き合っていらんねー」
「やってらんねー」
あああ,で一日また終わる。
誰からも褒めもアメももらえない。

****

色々な人生を楽しむ提案をするのであるが,自分自身休日はただ寝ているだけで終わり,あまり説得力が無い。
やけ酒に走るくらいなら。
せっかく止めた煙草に火をつけるのなら。
これでも飲んでとっとと寝ちゃいなさい!
頑張っているのはわかったから,虚しさが御しきれなくなったらこれ飲んでぼけーっとしていなさい!
そうして,ごく少量の抗不安薬なり睡眠薬なりを,処方する。
「癖になったらどうしよう?」
「薬に頼るのは嫌」
と仰る方も多い。薬の切り方もあるのだが,そんなときは「そりゃそうだわな」と引っ込める。
依存の可能性を心配するのは,もっともだ。

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最近,思う。
酒だめ煙草だめ不安薬だめ。
そんなにダメだというのなら,禁止ばかりしていないで,過剰なストレスを人に与えないような国に,早く,なって欲しい,と。

無断引用を禁じます。某先生,酒飲みながら煙草吸って不安薬あおって,だから幸せが来る,ってもんでもないけんどもね。

副作用でリビドー皆無になってしまった。
仙台に帰化し,脳外科医としてフルタイム昼夜を問わずあくせく手術し,今は開業医の在家仏教徒ウッツノーミャ・アキヒロフに,
「君,聞いてくれ給え。これぢゃあんまりぢゃないか」
と嘆いた。聴覚,視覚,さらにまた口内炎で味覚,さらにさらに運動機能・・・挙げるとキリが無い。
彼は一言,
「おお,解脱したな」
と言う。
あ。
なるほど。
言われてみれば,刹那的な快感やら運動やら,全て虚しいんじゃね?としてとらえるようになっていた。
待てよ,思い出せばガキの頃からその傾向はあったな,懐かしい。
解脱として捉えなおせる?どうだろう
****

さんざ御託を並べてみても。
死は単に寝て起きなくなるだけのことである。
私が死んだからといって,必ずしも家族が不幸になるとは限らない,そう国会で決まったわけでも無い。
それほど大ごとでは無い。
「死」あっての「生」だ。
電球が徐々に暗くなって,だんだん点滅するようになり,そしてある日,ふ,と消える。
それを外すと,ガラスの中はけっこう煤で黒ずんでいて,ああ,頑張ってくれたんだな,と思う。
新しい電球に取り換えると皆,そっちの方を見て眩しがる。
「ワレモノ」と新聞紙にくるまれた切れた電球は,踏みつけると危ないものに過ぎなくなる。

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その「解脱」感覚,ウッツノーミャに言われて気づいたが,私にとっては「発見」では無く,「思い出した」という類のものであった。
(出ました!自慢話!)
坂口安吾と愛人(ラ・マン)の作者と島田雅彦×浅田章の対談と,同じことを言っていた。
「20歳がもっとも年老いている」
春の陽光,桜が咲いて,どの人も笑っているように見え―
んなもん知らね,と,図書館にて読み物書き物をしていた二十歳の私。確かに,生きることに意味なんかある訳無い,この盛りはホットミルクの表面の皮一枚に過ぎ無い,いずれもモノの本質では無い,と心静かに思っていた。かと言って人を見下すわけでもなく,尖って振る舞うわけでもなく,一学生として静かに過ごしていた。

****

この頃の私のもっぱらの関心ごとは,言葉であった。
言葉とは一体何なのか?
単なる記号や手段であり,動物にも似たようなものがある。
しかし私はそれでは無い,と直感していた。それ以上の何かであろうと確信していた。
秋田大学は面白い所だ,偏差値の割には。
工学部出身のドイツ語講師が一応我々の担任であり,理学部出身の英語助教授からAspects of Noversをあてがわれる。
なんだ,そういう生き方もちゃんとあるではないか。
好きなことなら,誰の制止も聞きいれず,夢中になれるであろう。万年助手でも何でも,構わないでは無いか。
しんとした図書館で,ある種の威圧感さえ感じる,ずらり並んだなバルザック全集を前に一人立つ。
「もし自分が選んだ本に『谷間の百合』が入っていたら,医学部からトンズラこいて,文系に亡命しよう」と思った。この迷った時の出たとこ勝負はいつも変わらぬ私の生き方。
えいやっ!と一冊引き出した。
胸が高鳴る。
その本を目を閉じてばさっと開くいた。
おそるおそる目を開けると,果たして,
「谷間の百合」と書かれていた。
か,か,か神のお導きじゃ。動悸がして膝から下の感覚が薄らいでいくのが分かった。
追い詰められた,という気持ちでいっぱいになった。

****

これが現代なら,健康保健証を持ってフォンテAKITA四階「いおりクリニック」に行き,
大馬鹿野郎くたばり損ない人類社会世界平和のためにどうか早く死んでくれ院長を相手に相談していたかも知れない。
こんなアホが医者やっているならば,やはり医学部を出て食い扶持稼ぎにして好きなことやるさと迷わなかったかも知れない。
あるいはこんな心身ともに骨の髄まで腐れきって負の極致を極め食用蛙の方が社会的存在意義を持つ奴の後輩になるのはまっぴら御免と確信し早々に退学願を筆動かす手間すらもったいなく思い一日で転居の手はずを整え「逃げろ!」とばかり行く先も確かめないまま列車に飛び乗っていたかも知れない。

****

あれっ!?何の話だっけ?
そうそう,解脱だった。
解脱と書いて「げだつ」と読む,あれ。

古今東西,人は物語を紡いでいた。言葉を用いて。
呪詛,祈祷,読経,古事記,現代詩(のマトモなやつ)に宿る,何か。もう「言霊」としか言えないもの,それは何?
当時の秋田大学は,教育学部と鉱山学部と医学部しか無かった。医学部では,一般教養課程で選択出来るものは限られていた。憎き必須の化学実験やら物理実験やらが組み込まれていたことに拠る。
従って面識もへったくれも無かったが,教育学部の国文科の教授の所に突入した。
教授の名は「佐々木久春」。失礼ながら拝察するに,命名されたご両親様の言語センスもさだめし良かったに違いない。
サラブレッドじゃ。
教授は快く時間をとって下さった。
詩学を教えて下さった。
そしてアドバイスを下さった。
「実は,自分で書くのが『言葉』に肉迫していくポイント」
そこで,束売りまとめ買いのノートと,合格祝いでもらった万年筆を手に家賃一か月1万8千円のアパートに引きこもった。
私のような下衆が申し上げるのも何だが・・・
モノラルラジカセしか無い部屋,異姓はおろか食もスポーツも視覚の楽しみも皆無,赤い炊飯器と山積みされたレトルトカレーおよび缶詰の山(冷蔵庫無かった)ーそういった状況に身を置くことは「感覚遮断」に入ることと等しかった。
元より粗衣粗食が当然として育ったし,快楽は贅沢という家で育った。
書にあたるため時間がもったいない。
自転車も無かったのでアルバイトで稼ぐこともしなかったが,コメがあり飢え死には多分しないであろう。
そう身の周りを削いでいくと,否が応でも残されたものに集中するようになってくる。

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多分,音楽家なら音に,画家なら視覚に,苛まれるに違いない,と思った。
僭越ながら我が身,そんな生活をしていく中達した状況,天性の芸術家様に似ていた。
言葉を研ぎ澄ます作業をしていて,何が苦痛になってくるかと言うと「他者との他愛も無い会話」である。
「やあ,良い天気だね」
等と言われた日には,頭蓋骨開けて脳を直接ぼりぼり掻きたくなる。
そうじゃないだろ,この天気を表すのは,そんな陳腐な言葉では無い。
一体全体「どんな天気であるのか,良いなんて一括りに出来ない,より深淵から湧き出る何らか表現があるだろう!そして今,この時にしか湧き出ない言語表現が必ずあるはずー」
そんな思いでいっぱいになってしまう。

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いきおい,同期生との関係も疎になるはず・・・であったが,面白いもので,医学部生と言うのは原則,人が好きな者らであった。
あれやこれやとちょっかいを出してくる。くそ喧しいのでアパートで居留守を使っていたら,窓から入ってきたツワモノもいた。
「詩歌にはげみいそしんでおったか?」
そう。だから早く帰れ,っつーの。しまいにゃ水ぶっかけるぞっこの!

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その片方で文転すべく「仮面浪人」となり,共通一次(今でいうセンター試験)の申し込み用紙を取り寄せていた。
ついこの間,受験したばかりである。入試の学力は伸ばすというより維持しておけば良い。これは毎日小一時間で間に合う。
かたやー
留年すれば学費免除が止められ,奨学金もやばくなる。
よって,万が一文転に失敗した場合に備え,大学は首の皮一枚ででも進級せざるを得ない。
当時はネット社会では無く,情報が限られていた。
これまた教授に伺ったところ「国公立大学の文学部は『文献学』が主」であるとのお答えである。
やりたいことがやれるのは,皮肉にも,現役時代に通っていた東京の私立大学と,もう一つの私立大学である。
越境入学で仙台の高校行き十二流私立理系大学一浪して入学してヨット部入って箔付け留学でドイツに行きやがりバブル期にサラリーマン生活過ごしやがった異母兄に「うちにそんな金あると思っているのか?まぁ,良いやなぁ,有名大学だしなぁ」と皮肉交じりで断念を勧められた。
父親からも「医学部だったら金払う。私立なら払わない」と言われていた。

だがんなもん,この際関係あるめえ。
そう啖呵を切りたかったが,その大学,入学金などでまとまった金が必要であった。
アルバイトをしない理由は単に「学問をするため」であったが,小銭稼ぎに忙殺されるなら本末転倒となってしまう。
また何となく,デブと年寄りにいったん断念させられた大学,ケチがついた気がしてならない。

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一方,行きがかり上,哲学書も紐解いていた。
現代に目を向けると,ほとんどの教授は,外国産の哲学を邦訳して解説する翻訳業に過ぎないと知った。
オリジナルの思想は,皆目見当たらない。
文学で興味を引く作者はいたが,だからと言って一生をかけて研究するに値するか,というと,そこまで熱くはなれない。
参った。
本の山に押しつぶされたいが,現実はそうでは無いようだ。
文転してその後,どうする?
家庭教師やら黒服やらやりながら大学に残れるか,それも分からない。
分からぬまま,欲を封じた言語修行を続行していた。
ニーチェ氏が,朝に自分の哲学を作り上げ,夕に書物から喜ばしき知恵を吸収するように,と勧めておられる。
思えば,小学生からウツ体質というか,朝は動けず夜になるとうるさい我が身にとって,これは無理だった。

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医学部では良い先輩と巡り合わなきゃいかんよ!
そう言われていた。昨今の講義事情から導き出されるであろうテストに関する申し送りの導きの糸が無いと,進級するに厳しさが増すそうな。
が,どのサークルも会費がかかり,遠征となると,これまた別口に金が必要になる。
「言語による対話」その対極にある「非言語による対話」は,一対一の武道が良い,と閃いた。
剣道部で先輩らをボカボカ叩きまくるのもさぞかし痛快であろうと想像した。が,マイ防具を揃えなければならず,これまたけっこうなお値段がする。
ぼけら,っとそんなことを考えながら新入生必須のサークル説明会に参加していた。
配られた手書きの資料を眺めていたら「会費ゼロ」のサークルがあるではないか。
それが心身医学研究会であった。
面倒見が良い先輩らは,勉強会が終わった後に,私を学生相手の安レストランに連れて行って奢って下さった。
そこで,舌の楽しみとともに,フロイトと,出会ってしまった。

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さらに私はほころぶ。
学生の出席に厳しい講義がけっこうあり,代返やトンズラが出来ないものも多かった。仕方なく椅子に座っていたのだが,雰囲気と言うか流れというか,大学生になり酒解禁(現在は18歳以上飲酒禁止が徹底されているので,なんか,可愛そう)が現役および一浪組にとってはおおごとで,珍しく,自由なオトナになった気分に浸れる,とて,しばしば,ガキ上がりの同級生に酒を飲みに誘われた。
「話しかけるな,馬鹿うつる」と断っていたが,つい,のってしまうこともあった。好きなだけ飲み食いしても1500円を超えない,というお好み焼き屋さんが大学のすぐ近くにあり,酒の味など分からない,単に酔うのが珍しくて飲んでいる,そんな学生らでいつもにぎわっていた。嫌々ながら,友達との交流が,我が孤独を侵食してきた。そんなこんなで,しらふの時もひっくるめて友人が増えてしまった。
人と人との「情」,これだけにはかなわない。アキレス腱。

****

そんなこんなで月日が過ぎ去り,あれっ,と山積みの書物の中から封筒を取り出すと,果たしてその日が共通一次試験申込の締め切り日であった。
夕暮れ,四時ころ。
どこにあるか分からないが,市内であるならバスでも徒歩でも中央郵便局に辿り着き,0時まで投函すれば良い。
西陽が眩しい部屋で胡坐をかきながら書類を見つめていた。
「面倒くせえ,疲れた」
それが本音であった。カップラーメンだらけのゴミ袋にそれを丸めて捨てた。
なあに,要は,いくら気取ってみたところで,葛藤から逃げる,単なる意気地無しなのである。
自分で自分に呆れた。
こんなことでは,何をするにしても,中途半端にしか出来ない奴になって終わりだ。
(現在,顧みるに,我が半生,まっこと,その通り)
名残惜しく,死に際悪く,言霊のための感覚遮断は続く。
一日大学ノートに最低一枚は書く,一冊は本を読む。
しかし,それが虚しい作業のようにも思えてくる。生末は決まっているのだ。

破れかぶれ。

それが偽らざる心境であった。

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私はもともと痩せていた。それが,変な求道精神のため,さらに見映えならぬほど痩せていたらしい,日にもろくすぽ当たらないので青白かった。
大学でやつれていく倅の身を心配し,賄いつきの下宿に移れ,と両親にせっつかれる。
自分の下宿では隔日しか風呂に入れない,テニス部で汗かくとこれはたまらん,とて共同風呂である我が根城「恵荘」」に石鹸と手ぬぐいもって現れる同期生がいた。良い下宿屋がある,そこに移らないか?という。
確かに医学部キャンパスに行くには手形山一つ越えなければならず,面倒にも思えてきた矢先でもある。確か手形山には「熊注意」の看板があったはず。下宿代と現在の出納を計算すると,悪く無い。その話,のった。
下宿では傑作な濃い面々の中にいて,また車を持っていた級友にも誘われお茶なぞしに行き,コスパ最高の家庭教師のアルバイトをして小銭を稼ぎ,「楽シイコト」を満喫してみた。そして「これがスタンダートなんだろなぁ」と軽い離人感とともに思った。感覚神経の「快」のスイッチをぎくしゃくしつつオンにしてみた。
こうして21歳から若返っていった。
「修行」はこそこそしていたものの,もはや以前のようでは無かった。
「欲求」というものに素直に従わない私はよほど病んでいるのだろう,という理解にとどまった。
さらに,医学部という所,いくら手練手管を使ったところで,やはり勉強は必須,逃れられない。
そうして現実に大わらわになっていった。

****

悲喜こもごも,雑事と義務,訳が分からないうちに6年生になっていた。培った「破れかぶれ精神」で精神科医になった。なったらなったでまた打ち込まなければ気が済まず,月並みな生活を一応は「是」とし,平均的日本人であり続けた。
生活,それは「欲求の充足と断念」を繰り返す営みである。
挑戦を繰り返していた私は,いつしか,若返っていた。
気がついたらいつの間にか,病気を持つ身となっていた。

****

「解脱」の本質は何であるのか,考えたこともあったがよく分らん。
ウッツノーミャに指摘されて初めて気づいた。
毎朝,職場に向かう時,身体に釣り針がかかり引っ張られているような感覚に襲われる。
何なんだ?こいつの正体は。
ひょっとして「超自我」さんかえ?
ともあれ,一日の私の仕事が始めるためにたどり着くのだ,診察室に。
身体なぞ面倒くさい肉の塊に過ぎない。
ボロボロになったおかげで,快を追わなければならないという呪縛から自由になれた。
今,やらなければならないこと,答えは単純,診察室で治療にあたるだけ。
心身二元論を地で行ってしまうのであるが,一元でも二元でもどうでも良い,人様を治しさえすりゃ,そんなもん。
一々ふらめいて面倒くさい内耳のバカ野郎,傾聴するための聴覚までやりやがって。おかげでこちらは聴覚補う機械を大枚はたいて買うしか無かった。
老眼のドアホは,ネットではなく医学書にしか書かれていないことがらを読むことを邪魔してけつかる。
痛みは爪まできたので,治療に必要な書類を打ち込むのが今までのように早くはいかない,ああじれったい。
せっかく「良い言葉」が閃いて患者さんに伝えようとすると,そういう時に限って喘息が出現。邪魔をしてカッコ悪く,説得力半減だ。
頸部に痛みが走ると,よもや蜂窩織炎の再発?とひやりとする。早めに抗生剤飲んでおこうか。
数えるとウツが悪化するので薬局さんに頼んで一包に収めている。けっこうパンパンに膨らんでいる。最近,老いたせいで,しばしばむせる。
昼飯食べなくても別に構わない方であり,口内炎が慢性的になるに及んで三食カロリーメイトにしたいと思っている。
しかし家内に怒られるので地下に行き,総菜売り場にある「のり弁」と,テナントさんの「中華そば」をかわるがわる食べるようにしている。
最近では私の難聴とふらめきに気づいた店員の方が,元来セルフサービスなのに,私がうとうとしている間にそっと持ってきてくださる,しかも胡椒つきで!
フォンテの職員食堂で休憩するときに,半知りではあるけれど,作っている人たちの顔を知っている。
どちらも,甚だ,美味である。

****

感覚遮断。
あるいは無感覚。
まさかまさかの苦痛なる負の感覚。
それでも存在する「自分」というもの。
その「自分」はどうも,二十歳から五十歳までの三十年間,何かを欲し続けた「自分」とは異なるようだ。
身体と思想?小難しい話は市川浩大先生やメルロポンティに任せよう。
ただ「欲すること」それ自体,実は元来,そんなに執着する方では無かったということにお陰様で。気づいた。
かなり遠回りしたあが,そう再確認するのに間に合っただけ,得した。
楽しさと喜びを求め,感じ,味わい,好かれたり金持ちになったり―皆さま方が「それが幸福」というので,そんなもんかとそれなりに,三十年間トライしてみたものの,まぁ,そんなにねえ・・・エピキュリアンでは無かったなぁ。
この人生を一言でまとめると「走る貧乏性」って感じかなぁ。
これで良いさ。
一日,やるべきことをやり,食って眠ってまた明日。それだけで精いっぱいな身体になったからこそ,うだうだした面倒くさい迷いから遠のいていられる。
それで良いさ。
しかし,しかし,ウッツノーミャよ,
これが「解脱」なのぉ?
有難い概念を薄っぺらく解釈しやがって,と四方八方から矢が飛んできそうだ。
「怒っちゃ矢ーよ!」と志村けん氏のギャグを使って閉めようか,と思ったが,「秋田では『八時だよ!全員集合』が放送されなかった説」があり,はばかられる。
よって今回,オチはねえだよ,ざんねーん。


無断引用を禁じます。某先生,矢の向き逆,ぎゃく。

同じ言葉を二度聞いた。

1人は「診療部門を持つ」という画期的なシステムで移転オープンした宮城県の精神保健センター。
もう気が遠くなるような作業を,粉骨砕身,一手に事務作業を担っていた二十代の県職員さん。
もう1人は,開業にあたりブレインとなってくれた50代の方で,どんな些細なことでも24時間,プライベートな時間までも費やして相談に乗ってくれた方である。
「うーん,なるほど」
と私は唸った。唸ったは良いが,その教えに従わなかったので,有難いお勉強をおさらいさせて頂いている。
その言葉とは

「パソコンは人を裏切りません」

―センターで何らかのちょっとした行き違いがあった時だったかと記憶している。
実害が生じるまでには至らず済んだのだが,何かの拍子で私しかいない医局に来て,話していた時である。
「ああ,気の毒に。これまで裏切られて散々な目にあったのだろうな」
という理解に留まった。

―開業ブレインは,強く電子カルテを勧めて来るのであった。私はこう考えた。紙カルテだと,ある日ある時の診察がどのようであったのか,どんな雰囲気でどういう印象を強くもったのか,字を見て思い出すことが出来る。書く際の筆圧,ミスして修正している箇所(意外と大事!),字面が整っていない時の2人のコンディションはきっとこうだった,など。文字の意味だけではなく,精神科医に必要なアナログ部分が見えてくる。ブレインの言葉。

「先生,パソコンは人を裏切らないのですよ」

なるほどね。身に染みる。
パソコンは人を裏切らない。しかし「パソコンを使う人」は裏切り得る。
そろそろ,
「少しパソコンを見習いなさい!」
「パソコンの爪の垢を煎じて飲みなさい!」
と言わなければならない時代だろうか。
正直,素直,義理堅く恩に報いる,ある意味,人間よりも人間らしいパソコンとお話出来るSEが羨ましいわ。


無断引用を禁じます。某先生,最初なめていたが,A.I(人工知能)はひょっとして「情け」「やさしさ」「思いやり」を学習し得るのかも知れない。「一般的な流行」を更新したりして。ただし,時代と今,文化的背景とその人の育った環境,生来の能力,DNA情報・・・などとインプットしないといけないのが手間かいね。
しかし治世者によって超自我の改変とかされる可能性があるな。やはりうちらの業界はまだアナログだな。そう言えば「精神分析」の定石を学習させたソフトがあったらしいが,全然役立たなかった,という話を20世紀に聞いたことがある。

手術後,ベッドに戻った私は動けずにいた。
胸腔からにじみ出る黄土色の体液を外に出すため,ドレーンチューブ刺さっていた。
袋へと導かれ,ぶらりとベッド下の袋にたまっていく。
秋田大学胸部外科魂を受け継いだI井先生がふらりと回診に来てくれた。
ドレーン袋をしゃがんで見て,
「どれどれ,わー美味しそうなスープ」
こちら,痛みで動けないのだが,笑い,さらに痛くなる。さらにおっかけて笑いネタを出す・・・小学生のようなくすぐったいじゃれつきに,せみ時雨のような不幸感がいっとき,止む。

****

秋田大学胸部外科の初代故・阿保七三郎教授は,我が精神科の菱川教授と並ぶ
「偉い人なのか,その筋の人なのか,見た目で分からん」
とされる二大教授であった。
阿保教授―
手術前には,第一助手をつとめる当時の講師の先生に,
「こらー!○○!てめぇ何やってんだ!まーだまだザールなんか任せられねぇな!」
と叱咤の声が飛ぶ。
当時の教授回診は,正に大名行列の風情。
1人1人を回り,主治医が経過と対策を報告する。
ある患者さんが,痛みと苦しみと不安とを切々と訴えられた。
「そっか,分かった・・・やっぱり痛いよな,うん―。ところであんた,この顔見て気持ち悪くならない?」
と,独特なヘアスタイルの先生の顔を指さす。
ぶっ!と患者さんから我々学生らから噴き出す。
さっきの思い詰めは,何だったのだろう?という雰囲気が漂い,みな笑顔で踵を返す。
その独特なヘアスタイルの先生は,我々学生にまだ顔をチラ見されている。怒るに怒れんわな,うん。

****

んでI井先生はと言うと,
「もう,いっぱーい収穫したから,抜いちゃいましょう。ついでに先生も退院しちゃいましょう」
と仰る。えええええっ?
入院って,花や果物やお見舞いの手紙が来て,もっと優しくちやほやされるんじゃないのぉ?
昔のテレビドラマでは患者役の山口百恵がそうなっていた記憶があるが。
「そんでもって,いっぱーいいる先生の患者さんを,診ましょう。噂を聞いちゃいましたよー,コノコノ!」
とな。
「んでもって,いっぱーい,働いて下さいね」
と去って行った。
私はぽつんと残された。
「うーん」
と唸った。
「プロだねぇ」
と感じ入っていた。
手術出来る,上手い下手くそ,最新の知見どれだけ知っているか・・・のみならず,社会,病気,人,を診れる医者である。

****

EBNだのインフォームドコンセントだの四の五の言う前に,オーダーメイドの治療が必要不可欠なのは当然である。
精神科業界は,そのオーダーメイド性が最も問われる,と言っても過言では無い。目に見えないもの,手で触れられないもの,それらをひっくるめて相手にするのだから。
この「仕事」というものも,二律背反するタチのものだ。
働いて,何らかの精神疾患に罹った人がいて,治って,後はどうする?
それからが,病気を相手にするだけでは立ちいかない領域となり,ある意味,最大にして最重要な選択となる。

―飽くまで患者さんの意志が尊重されることは言うまでも無い。のみならず,それが最も優先されるべきである。

少数ではあるが,もと在籍していた仕事,即,治療となる場合がある。

静養,リハビリ,リワーク,段階を踏んだ復職訓練,と階段を上るように上げていくのが主流であるが,リワークでの優等生が,いざ,流れにのって職場に行ったら,翌日自殺した,という話もあると聞いた。その「優等生」ぶりがゆえに発病し,「模範的」なリワーク参加者,「責任感」「秩序愛」を抱いたまま出社・・・。
単にうつの病理をそのまま繰り返しているだけじゃん。
傍から聞いた私は岡目八目ながら,そう思った。

一方,長患い(ながわずらい)をそのまま放置して,悪性退行状態に陥るのも,偏り過ぎる選択であると言わざるを得まい。
意外な時に意外なことが起こり,結果,治ってしまったウツの一人や二人,精神科医ならだれでも経験しているであろう。

良い介入と大きなお世話は紙一重。
特に「仕事」と「金」,「愛と怒り」は,キーワード中のキーワード。

****

主治医の勧めで試みたら,要介護Ⅰの判定が下った。

確かに言われてみると―
朝起こされると,また労働かや,と,ずんとする。こころの中で,散々「嫌だ嫌だ」を繰り返す。
これがもし,勤務医だったら,ずる休みするか,ばれないように遅刻して行けば良いのだが,開業医はそれを,してはならない。こんな私でも,待っていてくれる人がいる。もしかすると私の想像以上に必要とされているのかも知れない。いや,ただ単に診断書と処方箋だけ欲しいのかも知れない。
とにかく,問答無用,出るしか道は無いことだけは確か。
そんな思いがチラリと湧き,カミさんに肩を借りて嫁入り道具のタンスに手をかけ,起床する。副作用の浮腫み対策がまた面倒で,時間がかかる。マスターした頃,それをするのに必要な爪が薄くなり剥げかかってしまい,ノウハウが無駄になった。将棋で,「次の手」を打ったところでもはや八方塞,という感じ。それを毎日,繰り返す。

めまいがひどくカミさんに肩を借りないと歩けない。正座した状態から立ち上がるのが出来ない。トイレで方向転換しようとするのも大仕事。

カミさんに送ってもらい職員玄関からクリニックにつくまでが実は大仕事で,入店のための職員証明書を出すのも何かに寄りかかってポケットを探らねばならず。息切れしつつ,転ばないよう,転ばないよう,転んだらただでは起きぬよう,細心の注意を払って進む。つぶクリなので看護婦さんを雇う金がない。したがって,診察室から私がお名前を呼ぶために,1人1人,立って行ってはまた座る。それを繰り返す。通常の補聴器では用をなさなくなったので,FMで飛ばすキッチュな品を買ったのだが,駄目なときはダメで,稀にメモを介した筆談になることもある。さんざくさって,いらいらしていた。それを知った義侠心厚いツムラの人が「先生・・・ご無理なさらず,せめてこれをお役立てください」と日焼けしたロゴマーク入りのメモ用紙を一束,くれた。見ると「抑肝散」,精神安定作用が強い薬なのであったー。

****

現在は,寝室,診察室,居間のソファの定位置,この三点で過ごしている。自宅に帰ると娘らも含めて皆ヘルパーとなり,要介護Ⅰを地で行っている。思春期の娘は十分もたたぬうち「パパ,まだ生きてる?溺れて無い?」とガラス越しに声をかけてよこす。こっちは「まだ大丈夫だぁ!だっふんだ!」と答える。そのうち「だっふんだ!」では無く「だっぷ〇だ!」になるやも知れぬ。

見た目と心の中は不潔だけれど,やはり一日,埃と油と汗だけは清潔にしていないと気が済まぬ。
真夏でも入浴するクチなのであるが,最近は風呂には入りたし,身体は見たくなし,となっていた。絵に描いたようなステロイド副作用の身体。手足は細く,腹でっぱり。メインの薬の副作用で,毛も抜けるっケモ。情けない。
これはもう,蛙だ。
宮城県仙台市宮城野区中野栄では子どもらが,蛙を捕まえては口にストローを入れ,膨らまして最期には破裂させて遊ぶ,と聞いたが,まさにその蛙である。中野栄には無防備では行けない。

「こんなに筋肉落ちちゃった」としばしば嘆いていたが,根がB型なのである日「おお!まだこんなに残っている!」と脈絡無く閃いた。

もし,あの日あの時,I先生はじめ正義の味方の呼吸器外科グループからケツ蹴とばされて復帰していなければ,
そして退院後一週間も経ぬまま,何故か昔から私が口答え出来ない同期のそれこそ胸部外科医のKさんに「必ず来いよ」と脅されて同級会に出席して酒飲んで同期に病気をカミングアウトしていなければ,

私は,今頃,生きながらにして死んでいたであろう。死なずとも,この醜い体形は,もっともっと醜く,無様になっていたであろう。

病人扱いされていたら,仕事しなくてよくなったら,借金を誰かが工面してくれていたら,多分,寝室一点で不幸を呪って過ごしていただろう(いや,意外と幸せだったりして,わからん)。

情けない裸体を見て情けなくなっていたが,最近は,どこか,良かった,セーフ,とI井先生に心中で礼

を述べている。
I先生,毎日21時頃,50男が全裸で床にお湯したたり落としながら先生にお礼言ってますよ。
想像してみてください。

あれ?何の話だっけ?そうだ,「仕事」だった。
原則,嫌で苦痛でサボりたくもなるが,たまに良いこともあり,それもこれも全部ひっくるめて,私の,それなりの「生きがい」になってしまっている。

少なくとも「我が身可愛や」の地獄からは抜け出すことが出来ている,今日までのところはそうだ。
まぁ,ご参考までに。


無断引用を禁じます。某先生,ここから先,書くことは内緒だぜ。
オラの場合はたまたま運が良かっただけ。その「運」を何かの参考にしてくれたら,と書いただけ。
もしや「ながらワーカー」の宣伝になってしまったのではないか?と危惧してる。
癌の治療をし「ながら」,働け,というキャンペーンのあれ,だよ。
癌だろうが何だろうが,ぎりぎりまであくせく働き納税しろって,ていうやつ,な。
「公益社団法人 ACジャパン」は,国営ではありません,経済界による運動です,ときたもんだ,ホイ。
どうでも良いが,東日本大震災のときに「ありがとうさぎ」とお説教臭いCMを流して,現地で,ど顰蹙かっていたの,分かっているのかいね?出が大阪だから知らんべ。
確かに,AC的な道徳で生きると,立派な労働力が均一大量生産されるわな。
日本の教育に染み込む,奴隷根性量産主義には要注意。
国が無ければならないのは事実だが,国に自分の意志を捧げては本末転倒なのだよ,公務員以外は。
自分の身は自分で守るに限る。自分の生き方は自分で決める。ただそれだけのこと。

病気のせいか、薬の副作用のせいか、あるいは私を呪う方々の祈りが通じてか、爪が薄くなり剥がれかかっておりますだ。

解決策が見つかるまで、スマホで「ゲキりょ」を書きます。これは便利なもんだ、しかし、日本語変換はやはり貧困か?

そう心配していましたが、羊頭狗肉、付和雷同、臥薪嘗胆、四面楚歌、までは出ますね。
ちなみに「杞憂」は出ますが、原典の「杞人の憂い」は「奇人の憂い」となってしまう。

えっ!?それって私のことかえ?

激安スマホに多くを求めてはいけません。
人間もまた然り。
何とか療法も然り。



無断引用を禁じます。防戦性、違う、某先生、「大沼専用藁人形」の売れ行きはどうかね?七三の取り分にしていたのに、売り出したら連絡絶つとはひどいぢやないか。

idea

焼肉屋のチラシを見て気づいた,
とんでもない,
50年間に渡るミス。

それは―
ideaばかりが真と思いこみ,
それを透かして,
現実に存在するものを,直視することなんぞついぞ無く,
生きて来たこと。

「idea」まずありき,それを通して世界を見ていた。
味わうに値するものごとなんぞ無いものとして追い求めず,
「喜び」なぞ虚しいものだと,
はなから決め付け刹那的なものと小馬鹿にする,
そんな癖。
私は時代を生きてこなかった。
「今」を生きてはいなかった。
本質,とやらばかりを探すことに懸命になり,
感じることが無かった。
そうすることで
何を避け,
何を得ようとしていたのだろう?

「愛」が先にあり,当てはまる人を探す,
そうではなく,
まず人がいて,「愛」がそれを後追いする,

「今さら知った所でねぇー・・・」

後に残る者は,その愚を半分だけ避けよ。



無断引用を禁じます。某先生,philosophiaを訳すと「愛知」だがや!
ビートルズ映画の「A hard days night」の「ビートルズがやって来る,ヤーヤーヤー!」は名古屋では「ビートルズがやってくる,ミャーミャーミャー!」なんだとさ。
それにしてもこの邦訳,そもそも変だな・・・。

定期的に毒を体内に入れて,自分自身の住処でありながら,遠慮せず人体内暴力をふるう悪い細胞子ちゃんらに「ダメよ!」と叱るような治療を受けている。ただ,その叱り方がやみくもに過ぎるので,他の良い細胞子ちゃんも,いきおい,やられてぶっ潰れてしまう。
生はともあれ,病→老→死へと,早送りでコマが進んでいくようだ。

****

以前,父が施設に入ることになり,環境の急な変化でボケが進まないように,と念じながら,紙とペンを置いてきた。
「ここに,半生を書いて欲しい」そう伝えた。
翌月訪れると,「ほれほれ,終わった,終わり,そんなもん」
とあっさりしたものであった。
ほとんど箇条書きに近いものである。ただその場での,感想なり感じ入ったことなりの記載には,我が親ながら「うーん」と唸るものが入っていた。

せっかくの秋田大学医学部精神科の看板である「睡眠時無呼吸症候群(結構重症)」のくせに,十数年前,治療を勧めても「別に今さらそこまでしなくても良いわな」と断られた経緯がある。
気づくとやはり父親はいびきをかいて昼寝をしている。
何故か焦って,すっ飛ばして,最終行を読んだ。

「後はただ,追憶に遊ぶ」

と書かれていた。

****

我がお病気は,まっこと皮肉ながら,自分の生の喜びの源泉であったものから順に,ばっさばっさ伐採していくく。
ああ,これか。その次はこう来たか,あれ?原疾患とは無縁なはずなのにおかしい,疾患それ自体がストレスとなったようで,全然関係ない部分がやられてしまった・・・。
こうして,削がれて剥げて,日が暮れる。

****

ここで,有難かったことを参考までに,二,三挙げることにしよう。

①真の友人に恵まれたこと。「敵を作らないこと」が,処世術の基本である,それは知っている。だがどうにも体質的に,そうはいかないように出来ているらしく,こればかりは仕方ない。だが逆風満帆の中に身を置いていたからこそ,真の味方が浮き彫りになって来る,そんな半生であった。

②打ち込む仕事があること。我を忘れ,誰かさんのために没頭する何かがあるのは,有難いものだ。自己満足?何か文句ある?

③(以前にもさらりと書いた記憶があるが)我が身大事だけにこだわり,それ自体に没頭するのは,貴重な何かを逸してしまうあああ,もったいない。

****

それこそ結果論なのだが,定住することを嫌がる癖がある私は,あちこちに指導を仰ぎに行った。
そこでの人々との出会いは,忘れられない。
たとえ別れ方が我ながら,恩知ラズ,であっても,か,気マズイものであっても,か。
いや,だからこそ,か。
綺麗な別れ方など,あるのかどうか,いまだに分からない。

「なに,ただ甘えていただけよ」と言われれば,確かにそうかも知れない
だが正々堂々と甘えること,それ自体は,悪でも何でも,無い(東大系,御免!)。

****

そしてその「追憶」を反芻する時間が,確かに,増えた。
現時点で興に乗ること,なんぞもう諦めるしかないのだが,気づくと代わりに「追憶」があった。
これが旅した甲斐の最たるものであったと今にしてしみじみ思う。
不思議なもので,出会いがどうであれ,別れ方がどうであれ,「良い記憶」としてしか浮かばない。
有名どころは改めて言うめい。
無名のスタッフ,ご近所,(我ながら偽善者めくが)患者さんら。

―なるほど,確かに「追憶に遊ぶ」だな。

無断引用を禁じます。某先生,先生だけだよ,悪い記憶しか思い出さないのは。

某先生,ひょっとして我々,単に患者さんが自然治癒力とやらによって治るまでの間,ただお付き合いしていたに過ぎない,と思うとき無くなくなくねぇ?

まぁ,それはそれで,良いんだけどね。


無断引用を禁じます。某先生,本文に出たからと言ってまた無断引用するのは,やめましょう。

お釈迦様の
「悟り」
と,フロイトさんの
「性欲論三篇」
を併読してみると,面白い。

****

フロイトは性感帯を赤子の頃から5~6歳までの間,「口唇期」「肛門期」「男根期」に分類した。
それぞれに「欲動派生物」がある,と。
そこで,ある年齢に特有の性感帯がある訳で,どこがでどのように満たされ,あるいは欲求不満に対してどう対処されたか,がその人の大枠をつかむのに大切なテーマとなっていく、とな。
「幼児性欲論」は嫌悪感をもって迎えられたとするが,臨床上大きな問題なので,無視するわけにもいかない。
これが小学生くらいになって「自我」有意になると,性衝動はなりを潜め,協調性や学ぶこと,など,実際のオトナっぽい人間に近づく。
しかし,思春期になって第二次性徴が始まり,性行可能になるとこの三つにおける葛藤が再燃し「思春期は正常な病である」(A,Freud)ということになる。そこでまぁそれなりの,嵐は過ぎてそこそこまとまりはつくのだけれど,逸脱や持ち越しが起きるわけで,仕方が無いので我々精神科医の敷居をまたぐことになる。ああだ,こうだ,していても最期に「性器統裁」として,三つの欲動がコンポになる。
(もっとも最近は「発達障害」という刻印が流行りだしており,めっきり出番が少なくなった。はいはい,どーぞどーぞ,やっておくれ。裏で誰が儲けているのやら,得しているのか,知らんが,自己責任でどうぞ)

****

まず,ブッダさんは偉い王様の息子として,何不自由なく過ごした,という前ぶりがある。
子どもにも恵まれた。ここで,正常な性器統裁がなされていたと仮定しよう。
その時代,大奥に相当するようなお妾さんが許されていたのか,どうか,知らない。
ともあれ,外的に満たされていたブッダさんは「悲しみ」「苦しみ」の理由を考えて,気を消沈させていたようだ。
欲求不満は無く、一件満たされるようであるが,本人にとって虚しさだけが残る場合は、けっして、少なくは無い。もしかして,現代の10代,20代の「虚しさ」が,早すぎる性行に拠るのでは無いか?と思うときもある。
ともあれ,ブッダさんは馬に乗って出家した。その「出家」それ自体は特別なことでは無く,当時のVIPの若者の流行であったという説がある。

そこで行ったとされる苦行とは・・・
痛みに耐える(マゾヒズム,肛門期的欲動満足),空腹になる(口唇期的葛藤の露呈),肉食の獣の中にいる(男根期的葛藤。『僕は勇気出す。傷つけられない,平気だぞ!』と),と,性欲論三篇に当てはまるので,面白い。

****

しかしこの「苦行」は「性倒錯」としての意味しか持ち得ない。せいぜい「万能的な世界を追う自分が馬鹿だった」「お試ししたけど今イチ」という悟りを1人で開いて,どこかに消えていく人が多かったのだとだろうと思う。ブッダさんが他者と違う所は,どうどうと「こんなことに意味は無い」と苦行の場から離れる,という点にあった。印象的なのが,そこで,スジャータ(AGFの粉ミルクの名前だな)から,乳粥を振る舞われてそこで復活!したのである。実際の母親が自分を生んで間もなく亡くなり,乳母により育てられた,という点が重なって仕方ない。

****

原始仏教は「小乗仏教」であったと言われる。中学校の社会科の時間にそう習った。「自分さえ救われれば良い」-と。
そしてそれが,広まるにつれ,皆が救われますように「大乗仏教」が発展していった―と。
私はよく分らなかった。そもそも,「悟った!これをみんなに教えてあげなきゃ」と思い立った時点で,大乗仏教的なのではないか?

ともあれ―
日本では儒教とミックスされ,未だに倫理の一つの柱をなしている。
遺産相続などではしばしば,虚無主義学者からアーチストから「先祖の墓をどうする?」について,真剣に口喧嘩している。根強いもんだ。
死者に対して,否定的感情を持っていたことを,償うかのように,それに報復されないように。
あるいは,
自分が先祖に対して十分な幸せを与えたと,信じ難いため。
もしくは,
死別した永遠の別れと信じたくないから。
などなど,
様々な理由があるのだろうが。
先のブロ愚で,仏教の弟子たちについて「原始仏教はともあれ,その後の弟子たちの教えは,単なる言葉の遊びに過ぎない,と思った」に重なる。

読んでいて同義語反復やオシエの分類の山に辟易した。
元来,辻説法が本質であるはずなのに,なんでこう,わざと難しくしているのだろう?
そこに私は,性器統裁が崩れる様を見てしまう。
経典、多い多い、よくまぁこれだけ書いたなぁ、内田百耳もびっくり。書き続けるの何ゆえ?
ドイツ語のSchreibenは「書く」であるが,いつぞや発売されたとある作家の若き日の日記には自慰の隠喩として用いられ「本日は三回もSchreibenしてしまった」等とある。その場面なんぞ想像したくもないが,日本語の自慰も「かく」と表現されるのは,偶然か,それとも必然か。

性器統裁が崩れたうえでの欲動退行,思考の万能(他者を仮定しない),修行という名のマゾヒズム・・・それは「肛門期的」にまで退行している,と言わざるを得ない。

それは,維摩が否定した,形骸化された仏教に安住し続けることの愚である。

宗教は,生きるためのものであった。

****

個人的に不愉快で仕方ないのが,東日本大震災でにわかに教育講座が儲けられた
「臨床宗教師」である。
私はすかさず突っ込みたくなる。
「今まで何やってたのさ!?」
と。
(現在まで続く心理士業界の「国家資格肩書付け」の愚を見ているので,余計にそう思ってしまう。
「後に国家資格になるはずだから,取っておけばお金になるよ」式に雨後の筍の如く大学や大学院に学科専門科設立,そんな似非モン資格が蔓延る愚は避けて頂きたい)

無論,全てが全てでは無い。
「自殺止めなきゃ」とドタバタしている「蜘蛛の糸」の僧侶ハカマダさん初め,尊敬に値する仏教徒も多々おられる。

葬式仏教に堕する前は,「生者」のために仏教はあった,そこから離れてはならないと思う。
親にも教師にも話しづらいこと,自分の中身をさらけ出す相手として,坊さんも神父さんも存在していたはず,であった。
うだうだ悩んでいた中学や高校の頃,親からは「難しい話はよく分らん。菅原和尚さんとこ行って訊いてこい!」と言われたものだ。和尚さんに訊くとするならば,問題をまとめてから出向かなければなるまい。
そこで,何を一体自分は悩んでいるのだろう?それを言葉にするとどうなるのだろう?―そう自問自答する中で,面倒くさくなり「不問!」と葛藤をすっ飛ばすことが多々あった。
(従って,私自身,実は,精神分析はアウェイな分野であり,森田療法がホームであるように思えて仕方ないような気になることがしばしば,ある)

****

「宗教の根は一緒」とする説がある。
フロイトの精神分析のテクニックの中に,ユダヤ教の教えを見る人もいる。
私ゃ上っ面だけの本しか読めず,本格的に探究するには人生の時期を逸した,と,言わざるを得ない。
その「真実の探求」のために自分の人生の夏を使うことも,或いは出来たのかも知れない。
しかし,私は,臨床医であることを選んだ。
(無論、崇高な思いばかりでは無い。家族への食い扶持稼ぎ、義理首尾、そして「愛」とかいうもの…)
目の前の治療抵抗性である患者さんをナントカするために,生きる時間を使った。

秋から冬。
私は冬が,大好きだ。

ただそれだけのこと。

無断引用を禁じます。某先生,先生のやり方,って,結構勉強になるなぁ。私ゃ良心が強いので,真似できねぇだよ,べー!

やりたいからやっている。
ただそれだけのこと。

ある日ある時の勉強会で,先輩がずばり,師匠に質問した。
「フロイト理論と宗教の違いはあるんですか?」
仲間らが,皆,しんとした。
師匠は二秒くらいたってから
「ある!」
と断言した。
「どこですか?」
と恥も外聞も無く突っ込む先輩。
それに対して師匠はさらりと,
「守らなくても罰が当たらないところ!」
それは確かにそうだが,何だか雲に巻かれた感じが残った。

****

実際の私自分は,どうだったであろう。
生き方,死に方,の見本はかなり沢山ある。
その中で自分の身の処し方だけが「妥当な選択」であるかどうか,それは分からない。
多からず少なからず,自分の古典(書物,親の死に方,教育も含まれる)から「死に様」の影響を受けているというのが本当の所では無いか。
そして―
死に様と生き様は,表裏一体のものである,という結論に達した。

「俺はオレだ!関係ねーぜ!」

そう思っていられたのは,おおよそ4年近く前,身体の病気が判明するまでであった。
奇蹟を信じ,民間療法を勧められるがままに受け,あたふたしたまま1,2年は瞬く間に過ぎた。
それと拾畳する形で,とりわけ仏教に拠るものが多かったが―死生観を取り入れようとした。
原始仏教はともあれ,その後の弟子たちの教えは,単なる言葉の遊びに過ぎない,と思った。

****

2人のオヤジに育てられたのだな,それはそれで,良いことなのだな,と思う。

1人はフロイト。有名なアメリカ亡命時に,記者団からされた質問,
「人は何のために生きるのですか?」
に対し
「愛するため,働くため」
と不愛想に応える。
実際のところ,理性の届かない範囲にまで癌が進行し,ただ痛むだけの存在となるまで,死の3日前まで,診療と執筆をしていたのである。

もう1人は実の父である。
100歳を超えたとて,仙台にある施設に,地元からお出でになった社会福祉協議会の方々,休日出勤を余儀なくされ,どことなく愛想を欠いた宮城県職員と仙台市職員らが出席した。
銀杯を頂戴し,祝いの証書をもらい,父が挨拶する場面となった。ひとしきり礼を述べた後
「私に出来ることがあったら,遠慮せず何でも言って下さい」
―と
100歳越えをした人間に,何かを依頼する,実際上そんなことは誰も考えまい。しかし父は本気であった。

この2つ言葉は,いっけん絡み合いそうでからまない,結ぼれの一つもない,ぴんと張られた糸のように私に認識された。

****

自分のことだけに注意が向き,「酷い目にあっている」という被害者意識に苛まれ,周囲を恨んだり憎んだりして過ごす一群がいる。
ここでの「愛情の対象」は「自分自身」である。「自己愛」と呼ぶ。

一方で「痛い」と100回言ってみたところでそんなの治らん,時間の無駄。そんなことより,患者さんら大丈夫か?良い方向に向かっていってるだろうか?いやはや家族にたいした遺産残せず申し訳ない―。

ここでの「愛情対象」は「他人」である。「対象愛」と呼ぶ。

(無論,どちらが良くて,どちらが悪い,といった区別は出来ない。
十分な『自己愛(自分に対する愛情』いわば自信)が無ければそもそも困難に向かっていくことは出来ない。
一見『対象愛』に見えても,他者に対して半ば自虐的な世話を焼くことでしか心の安定を保てない一群もいる)

****
精神分析理論で言うならば「無意識にある『超自我』の許し」に沿った考えと行いが出来るのなら,ほっと,すっと,する。
いかに他者から,損だ,アホか,お人よし=馬鹿と思われたとしても。
こうとしか生きられないのだから,仕方ない。

思春期の頃は「いかに生きるか?」が最大の命題であった。
死ぬ直前に「ああ,良い人生だったな」と振り返ることを切望した。

意識上では,ああ,やだやだ,働きたくねー!と思っている,精神科医業。本当に無理ならば,私は臨床から,何やかやと屁理屈をつけて,とっとと逃げていたであろう。
別に医学の道を選択しなかったとしても「割の合わない愚鈍な福祉奉仕」を本業の傍らやっていたかも知れない。
場を変えても,私は私であり続けたであろうと想像している。何も美談なんぞ目指していない。尊敬なんかされたくもない。

やりたいからやっている。
ただそれだけのこと。


無断引用を禁じます。某先生,今日は立春,初恋の人に告白して振られた記念日だよ。

生家からまた一つ丘に登った所に,叔母の家がある。
1~3歳頃であったか,そこに一日に一回は行って,従姉弟と遊ばないと,不機嫌になり騒いで仕方なかったらしい。
叔父,叔母,そして多くのいとこらの団らんに加わるのが好きだったと。
あらかたは当然忘れてしまっていたが,今,鮮明に覚えているのは,新しい帽子を誰かに買ってもらい,叔父に
可愛いからいつも被っていろ」と言われ,何だか恥ずかしかった場面だ。
後々,その叔父が客死し,叔母といとこらは「ヨイトマケの唄」を地で行くような生活を強いられてしまっていた。
しかし,最期にその苦労は報われた,と言える。
母が語っていたが,その叔母の所に行くときに,私はご機嫌で,必ず「十五夜お月さん」を歌っていたという。

****

私が思春期を過ごした昭和のごく一部,の例であるが,真面目さからの逸脱が文化であったり流行であったりした。
1980年代,学校での「不良」がブームとなった。中学生をテーマにするドラマが流行った。
分かりやすい不良が,実は寂しがりであったり,根は優しかったり,というお約束があった。学生服のアレンジをする店が流行り,教師に反抗することが恰好良い,とされていた。ガン飛ばしあい,タイマン張る,が勇気ある行動であり,模範であった。
当時の「不良」は分かりやすかった。
その世界で,正常な逸脱行為は,まだ,理解出来た。「ツッパリ」という流行語にのり,およそ「横浜銀蠅」がロックのアイドルとして扱われていた頃の話である。

****

だがーこういう表現しか出来ないのがもどかしく申し訳ない,当事者団体や家族会からバッシングくらうかも知れないがー正常を飛び越えた「狂気」に近いものとして登場したのが,第二世代(即ち,デビュー時のハードフォーク時代を知らず,エレキ化された『1982年以降にファンになった者ら』を指す)RCサクセションである。
不良さんに「おっ!出ました不良の先輩!カッコイイ!」と茶化すことは出来た。
しかし,その臨界点を超えている。
それどころか,ただただ,怖い,恐ろしい,確かに忌まわしい,異様であるが畏怖の念も湧かせる,一度聴いたら耳から離れない,そんな存在とし,てRCが再発見されていたのだった。武道館ライブのCDが販売され,飛びついたが,タブーな場面や,いくら何でもそこまで言うか?という部分が削除されていた。
「僕はタオル」と,アンコールに応えた「Step!」でのサックスとの絡み,である。音楽と一括りにしていたが,如何に凄いものか,田舎の中学生であった私はしばらく身動きできずにいた。

****

どなたか失念してしまい申し訳ないが,故・忌野清志郎氏の詩はどこか「唱歌」的である,という。同感である。もし許されるのならば,私は「童謡」と名付けたい。
RCサクセションの代表作「雨上がりの夜空に」,ファンの巡礼地でもある「多摩蘭坂」,奇蹟的としか形容出来ない「エンジェル」・・・歌詞の中に「お月さま」を滑り込ませている。
恐らく,忌野氏にとって「お月さま」という言葉が作品の呼び水だったのではないか,と推察される。
ロックの中に「お月さま」という子ども語を入れる,そこに,火花が散る。違和感無くして進歩なぞ無い。
言葉の違和感が無いときは,どこか,不協和音を入れてよこす。

****

パンクも取り入れた同バンドであった。国に対してNo!と言える,稀有な存在だった。
それが,中学生の反抗期と違う所は,「批判することにより異なる見解を唱える」という行為で,国家に協力していることであろう。
すでにまだまだ若い頃の作品「ボスしけてるぜ!」からして「勤労青年の労働意欲を削ぐ」と発禁くらっていたほど。

そして,最期にやって見せてくれたのが,ジョンレノン復活祭である。

ロックもパンクも破壊して見せた。
ジョンレノンの佳曲「Mother」を訳し,
「お母さーん」とシャウトする。
思えば,ロックの歌詞で一番のタブーは,この「お母さん」だったと言える。
「Imagine」を歌うことが許された男は,敢えて日本語でこの一線を超えて見せた。
「imagine」に対する意訳ほど危険なものは無い。単なる下手くそな日本語に容易に堕してしまう。

ジョンの後に残されたアーティストは,重い宿題を負った,原曲を超えて見せろ,と。
そうでなければカバーする意味なんぞ,無い。

「夢かも知れない かも知れない 夢じゃないかも知れない ちがーう!」
「かも知れない」のリフレインは,うっとりしていると,英語のようにも聴こえる。
そんな,言葉の,巧であった。

(ちなみに『come on baby』を『鴨鍋』にしてしまうマジックを心得た,それこそ忌々しい才能を発揮するくらいだから。私の記憶が確かなら,確かLP最高売り上げが『covers』であったと記憶している。意訳の名手でもあった)

****

面倒くさいオヤジとして,音楽を志す若者に対して言わせて頂くとすれば,
①平たい言葉に頼るな。
②ロックであるからこそ,言葉が大事。
③コードにも頼るな。
④歌詞も曲も,魂の切り売りである。焦らず慌てず,熟するまで時間をかけよ。


無断引用を禁じます。某先生,いよいよ,オイラはポンコツ,耳に加えて,指先も爪もやられちまった。ギターが弾けない。さらばロックンロール・ショーだな。追憶の中で回っているので,構いやしねーさ。

これまた宮城県古川高校。
(しかしまたこのブロ愚だけに限っても古川高校ネタが多い。いかに高校時代というものが人格形成に大きな影響を受けているかがうかがい知れる。もっとも『宮城県人は高校で人を判断する』と言われているから,そのせいかも知れない。それこそ秋田方言の『まずよ』の出番である)
頭の良い人でなければならなかった,違うのに!
在来線は一時間に一本しか走らない。早く帰宅しても,ぐっすり寝てしまうだけである。
いつしか国立大学の医学部を目指さなければならないという,義理と人情と恩に縛られた身になっていた。
まるで豚や牛が,と殺場(トサツ場のトの字が変換できない)だ。戻ることが出来なくなって追いこまれているかように。
青チャート(昔は簡単な青チャートと難しい赤チャートに分かれていた)が書店に多く並ぶ土地。塾も家庭教師も,当時からあったはずであるが,無駄金使用禁止,どうやって勉強したら良いか?が分からず本当に参った。
次から次へと「勉強の仕方を書いてある本」を読んでは見たものの,いざ実際,と試みるも,ダメである。
ならば!そうだ!皆が勉強する場所」にいるのが良かろう。そこで勉強するしかない場所,そう,図書館に放課後居ることにした。とにかく古川高校で進学したいと思ってガリ勉している,数名が常連として,いた。

****

私も大きなスポーツバック(1000円。今もときに使用)に苦手な理数系の参考書を詰め込み,席をとった。
視覚というもの,実は本当に目玉を固定すると,見れず,常にちょろちょろ動いている。サッケード・ナントカと言った。が,忘れた。ついでに「視覚の現象学」メルロポンティも読んだが,たちまち忘れた。
私は,苦手科目の本を開くと,このサッケード運動がやられてしまう,という癖があった。本当に真っ白になる。
苦手な理科系から始めからダメなんだ,文系から始めてみた方が良い。
とかなんとか理屈をつけて,1人本棚に行く。夏休みお約束サービス「これらの本でも読んで,適当に感想文書いておけ」という宿題一覧で名前と衝撃的な題名で覚えている「堕落論・坂口安吾」が目の前にあった。立ち読みして衝撃を受けた。
ときどき古本駅前のデパートで古本市があり,そこで格安の文庫本を買うのが秘かな楽しみであった。
当時はもっぱら太宰治先生の作品に限られていた。当時,太宰先生を貶す作家や知識人がやたら多かった。が,私の耳を素通りした。
「悔しかったら越えてみろ」と思って終わりである。

だがそのいわば「解毒剤」があった。坂口安吾氏の「不良少年とキリスト」という作品である。
「ああ,これだ!」と直感的に思った。両者を併読して,文学の毒は中和される。そして私に染み込む。
かくして解毒剤を発見した。何から何まで正反対の両者であり,きわめて面白かった。同時に理系の成績もきわめて落ちた。

****

何故か最近,何故か分からないが,知り合いらから「お勧めの本おせーろ」という連絡が来るようになった。
人生の峠を越した辺りで,自分の半生を照らし併せたい,感動が無かった,どのような生き様が果たして可能であったのか,夢を見たい,など,そういった思いによるものか。
まぁ「いまさら読んでももう遅いー」とは流石に言えなんだ。

職業柄「事実は小説よりも奇なり」を知った。
そこそこ自分の殻を破れるようになったりした。
月並みな言葉で書くのもはばかれるが,いわば「患者さんから教わる」ものが多きに過ぎた感さえある。
読書とは,それこそまた交通事故のような偶然で丸山健二氏に出会うまで,無縁であった。
しかし聴かれて悪い気は,しない。秘かに嬉しくさえある。
外国のものか日本のものか,長編か短編か,どこまで文系的か,と問うた上で,「本ばかり相手にしていた大沼君」に戻る。
気づくとわくわくしている自分がいる。
―例えば
他の芸術も好きであり,もう普通の作品は読んでいて,もっと面白いの無いか?と探しておられる向きには,坂口安吾先生の「夜長姫と耳男」を勧めることが多かったように思う。
(長編でも取っ組み合う覚悟があるのなら,やっと待ちまちて文庫版化で復活した埴谷雄高先生の「死霊」も良いかも知れぬ,あと知らねぇ)

文学の詳細な技法や,こまごましたテクニックが,可笑しくなるほど,坂口先生のいわば「強引な腕力,筆力」は強い。

****

私自身は,足跡を振り返るが如く,若い頃に読んだ本をまた読み返したりしている。「何だ,こんな所に感動してたのぉ?」と若さわらったり,「ああ,これは良い,頂き!(使う宛て知らずだが)と」再発見したりで,面白い。それもアリかも,「マイ古典」として。
マノンレスコー以上の恋愛もの,ってありかいね?などと文壇の皆さまに失礼ながら思っていたりしている。
なぁに,結局のところ,何者にもなれなかった男の,ちょっとした案内図。
お口汚し,御免。
無断引用を禁じます。某先生,どうやらこのブロ愚,失敗作やも知れぬ。内容の薄っぺらい本を読んだ後「つまらねぇ!こらー!時間を返せー!」と叫びたくなるような感想をお持ちになられるであろう。どうかそう感じた暁には,駅前の人混みの中で,叫んでみてはくれまいか?

帰路についた途端,何か胸騒ぎがした。
今日の午前に受けた点滴の薬の副作用であろう,それくらいに考えていた。
左折した。
潤み,
周りの雲を,女性の手でもって,押しやっては押し返される,
それを繰り返すことで,
微かな点滅を繰り返し,
これが見納めと直観させるような,
何かをうったえる,
拍動する生命体として,
何かをうったえているが誰にも聴こえない,
月が,
あった。

****

運転手兼ボディーガードの家内に訊いたら,昨夜がフルムーンだったと答える。
フルムーンの翌日,確かに真ん丸では無い。
昨日の車内での夫婦の会話は,
晩御飯作っていないので,ラーメン屋によるが良い,
いや,昼も地下の中華そばだった,
では駐車場で私待ってるわ,そんならコンビニのおにぎり二つでいい,
など,たわいもない話だった雪でフルムーンを見ずに終わっていた。

****

現存する詩人の中で,ホンモノの詩人と呼びうる一握りの中に,
白石かずこ氏がいる。

我ながら偶然力だけ,秀でて凄かったと思う。
いや,偶然力しか与えてられないってか?今さらいいさ。

一人暮らししていた頃,アパートにタダでもらったテレビが入ったのは後々のことであるから,大学生で里帰りした頃か。
「詩人たちのコンサート」というテレビ番組を,見てしまっていた。
そこで同氏の朗読を聞いた。今でも焼き付いて,離れない。

「フルナマ フルナム(いや,もしかするとフルナモだったか?) フルムーン」

という呪文呪詛のような言葉の数々に,すっかりやられてしまったのである。
息もせず見入ってしまった。

同氏の他には,吉増剛造氏が出なかったこと,故・田村隆一氏が「普通の言葉」を「詩の言語」にしてしまう魔術使いであること,それ以外は,みんな忘れた。
後に草思社文庫で購入した白石かずこ」選集の中,第一行目から

「神は 無くてもある」

というそれこそ神がかった一行があったと記憶している。
がくん,と顎がはずれるような感覚にひたる。
立ち上がって,

「ああああああ!」

と叫びたくなった。
こりゃあかなわない,本職には敵わない(←当然だっちゅーの)。
やはり大人しく医者になるしかやはり道は無いなやはりこりゃ。
「詩」というのは恐ろしいものよ。勝手に人の人生岐路にまで関わってけつかる。

****

その後,ブンガク関係の本の類は,基礎医学の本もろとも,田舎の畑に10万円で建てた小屋に入れた。小屋がほころび始めてはいやしまいか。そして蔵書が書籍の名をなさなくなっていたら,どうだろう?
嬉しくもあり,悲しくもある。
その両価的感情を引き起こすだけの,見ようによっては心的外傷と言えなくもない,それが現在の私を作っているのだ。
ってな。

無断引用を禁じます。某先生,花鳥風月を歌うは陳腐。もう西行の「花みれば~」あたりで止めようや,出尽くした,と思っていた。が,今調べた白石氏の経歴がすごい。外国で生まれ(←これはオプションね)子ども時代を過ごし,というのは,「その目(日本文学知ってるぞ,という,学校で教わる先入観)があまり刷り込みされていない。それは,帰国子女の悩みでもあれば得でもある。という訳で,東京の大学に在学しておられたT田さん,期待してるぞー。神谷美恵子大先生や,米原万里氏もそうだった,うん。

総合病院時代は我ながら攻撃的だったのだと思う。テンションも高かった。
そうでもしないと,勤まらなかった。
「他科とチームを組んで連携して医療を!」と言う現在のスタンスからは程遠い。
まだ精神科差別が残っている時代の話である。
ときに医者どうし喧嘩腰になり,やっと他科の病棟に入院することが出来ても,身体科のドクターがおビビりになられる。
精神科に勤務した経験がある看護師さんを頼りにするしかない,という場合が多々あった。
もう20年も昔のことである。

菱川教授は「総合病院精神医療」を重視していて,これは実に先見の明があったと思うが,残念。現在の医学コースと違う。
国に定められた内科,外科のローテ―トなど無く,ポイと野戦病院に出されるシステム。
私のように「出題者の気持ちになって考える」という文系的発想で国家試験を突破した者にとっては,かなりキツい。

一方で泥縄付け焼き刃にせよ,ちょっとずつではあるが,内科や外科の勉強を積み重ね得たことは,後々,役に立った。実際,たくさん教えて頂きもした。

その頃であろうか,地元のスタッフに教わった言葉がある。
「まずよ」
すぐに白黒はっきりさせなければならない類の問題でヒートアップした私を,黙らせた。

****

「仙台には美食もない〇人もいない」とからかっていたら,現地人に「これでもか!」と連れていかれた店がある。
おお,確かに高いレベル,しかも,高い料金レベル。

そこの女将さんは,秋田の出であった。
土地を離れて故郷(秋田は第二の故郷である。茅ヶ崎も第二の故郷である。後は・・・言わない)を思うのは,面白い。

はた,と,宮城に無くて秋田にある言葉として,この「まずよ」が思い出された。
女将さんは「まずよ」は立派な大人の言葉であるとした。
私はエポケー(判断保留)と似たものだと感じており,秋田人を秋田人たらしめる言葉である,と思った。

****

食い違う意見,ゆずれない部分,そう言った場面にちょくちょく我々は出くわす。
最終的には面子の話になり,感情的になり,相手の性格まで否定したくなる。
消えぬ遺恨を残すのが常である。

そういった場合,この「まずよ」は役に立つ。

Aが正しいのか,Bが真っ当なのか,その択一を一旦カッコに入れてしまう。
標準語だと「まぁまぁ」「落ち着いて」
と第三者が止めに入るような時に用いられる。

が,「第三者」の存在に負う部分がかなりあり,
「俺は落ち着いているよ!」
「そっちがこうだから,こちらは反対だと言ってるの」
と内心のムカムカからは脱せられない。

しかしこの「まずよ」の概念を共有していると,こうした,固い骨と骨がぶつかり合うようなことをせずに済む。
軟骨のような言葉である。
話し合いでも,この「まずよ」を相手方に言われると,不思議,腹が立たない。
口論になりそうなときに,それを止める役割を担う。
そして,冷静になる。
相手方の意見に耳を傾けることができ,そして相手を少し,尊重する。
意見の対立を第三者的に見得る。
Aの立場も分かる,自分の立場はBである,さてどちらがメリットがあるのか,もしかしたら新しいCがあるのではないか?
ーとAもBも,ともに考える猶予の時間が持てる。

****

さらにまた,茶菓子目当てで看護師休憩所などに入り,聞くともなしにきいていると,悩みや噂話の最後に「まずよ」がつくのに気づく。判断保留に加えて,噂は噂,両者の立場によりフェアの立場にいますよ,というサインでもある。

悩みを「まずよ」と一旦保留にして,先に進んでみると「あれ?悩み何だっけ?」という場合もしばしばある。

元祖・渡り鳥系精神科医であった久場先生は標準語で話されていたが,この「まずよ」を「まずね」と変えて,使っておられるのであった。やはり,臨床医としてのカンがべらぼうに鋭い。

****

では,「まずよ」の副作用は全く無いのであろうか?
あるんだなこれがやっぱり。
連用は避けるべし。
「まずよ」として,いったん飲み込んだ「怒り」や「悲しみ」それらは全く消えるであろうか。答えは「否」であると思う。

「まずよ」の連発だけで現実が突破出来ない,と思い詰めた場合,酒にたよって現実否認をしたり,ひどい場合には「攻撃性」が自分に向き自殺に至ることもあり得るのではないか。
「まずよ」はどこか,薬に喩えるとステロイドに似る。今現在,起きている厳しい状態に対しては「万能薬」であるにしても,長期連用によるダメージもまた少なく無い。
「まずよ」が現実否認,誤魔化し,と悪用されると,これは毒になってしまう。
棚上げした問題に対して,「冷静に」向かう,そのために使う。こういった使用法が望ましいようだ。物事を「無かったこと」にしてしまうのが,最も危ない。

****

最近少しだけ話題となった「強いられた標準語教育」は一定の成果を上げ,ご高齢の方に標準語で語り掛けてもご理解頂ける。
その一方で,現代に残る秋田訛というものもいくつかあり「まずよ」はその中に含まれる。何故残ったか?必要で使える言葉であったから,と考える。

精神科医として「あああ,もったいない」と感じる矛盾がある。

こればかりは県民性もあるのであろうが・・・アサーティブ(主張すること)がとても苦手。
特に構造化面接などしていると,言葉が出てこない。太平洋側にでやっていた頃とまるで逆なのだ。
「こういう時に辛いと思った」「自分はこうしたかった」等,遠慮なく包み隠さず話してもらうことが必要なのであるが,それを用いることがとても困難である。
いきおい,治療者である私と,クライエント(広義でいうと患者さん)と,両者とも沈黙して時間だけが過ぎる。結局,二人とも,己の妄想に耽っているだけ。これはもったいない。

****

昔はこの「まずよ」の副作用にどう対処していたのだろうか,知りたい所である。
恐らく,「攻撃性」を打ち消すだけの「歓喜」をどこかに見出していたのではないか?と想像したりする。
「自己主張大得意県」に比べ,秋田は,酒もさることながら「祭り」も多い。曳山に頭を挟まれ亡くなったり,竿灯が思いっきり他県からお越しの皆さまめがけてぶっ倒れたり,縄に火を付けてぶんぶん振り回し,それ自体は美しく幻想的なのだけれど,振り方間違って自分の身体に縄が巻き付いてしまったり,結構,ヤバいのである。西馬音内の盆踊りがまだメジャーになる前,家内の実家に教えられて見に行ったことがある。これは凄かった,感動の閾値が中学生より低い私は思わず涙が出そうになった。そこでのお囃子が凄い!「3人息子の父親死んだ 墓も立てずに ○○(ぴー!放送禁止用語)立てた」など。幽玄と下ネタの混交こそが魅力だった。下手に有名になりあちこち進出するようになってしまい,そのため「毒」の生々しい部分がカットされるのが,惜しい(彦三頭巾を内装まっかっかのロードスターのシートに被せ,秋田ナンバーのまま茅ヶ崎を走るのは,快感であった)

ともあれ「祭り」の持つ意義を深く考えるに至る訳だが,詳細は学者にお任せするしかない。
たった一つ,こうかな?と思えるのは,その祭りに見られる「危険さ」のギリギリ近くに「(自他を問わない)攻撃性」の発露を感じるのである。亡者に扮すれば人間関係の上下は無くなる。危険なことを敢えて犯すことは,死の隣に位置することで,自傷やジェットコースター載りに似たような快感がある。
そして祭りは,価値観の転覆の場でもある。
「まずよ」として言語化されなかった感情は,祭り,踊りで昇華しているのかも知れない。

秋田から文学で名を馳せた人は,というと,小林多喜二氏しか思い浮かばない。まことに失礼ながら,氏の作品が文学であるのか,プロテスタントの道具であるのか,私には判断がつきかねている。農民文学も「「『10:5:3』(トーゴーサンでも可)『農家』『税金』」と入力して調べた後は,本気になって読む気が失せる。

土方巽が世界レベルで有名になっちゃったりして,やはり,「言語より身体表現」が得意な土地なのではないか?と思う。

****

「まずよ」で抑えた攻撃性の向く果ては何だろう?
フロイトがナチスにより「焚書坑儒」された時に「おお,人間は進歩した。これが昔だったら私が焼かれていた」と。
さらにアメリカに亡命した時,大勢の人々から熱狂的な歓待を受けた時「ハイル・ヒットラーみたいな歓迎ぶり」と。
税務署に目を付けられた際に「有難う御座います。私の才能を評価してくれたのは,税務署が初めてです」と。
怒りをユーモアや皮肉でもって対処していた。

尚,私見ではあるが・・・テレビ映えしないが,秋田の友人のギャグは,けっこうけっこうえげつなく,面白い。
病院の喫煙所での会話で,もはや笑えないギリギリの線でのギャグが,私は好きだった。

****

そう考えると,ラグビー(闘球)やレスリング(もっともオリンピック出場経験者の教諭が生徒の母にキスしたりしてえれーことになっているが・・・)と言った「闘志丸出し」系は,秋田,強い。

なるほど,秋田出身のプロレスラー・桜庭和志がIQレスラーと言われるわけだ。
「まずよ」と感情に振り回されて墓穴を掘ったり,おったケガに集中して過度に臆することも無い。
何よりも,「攻撃性の,最も昇華された形」とされる「ユーモア」で試合の出鼻を挫く。
入場シーンからしてウケ狙い,これは「本業はお笑いか?」と言いたくなるほどのギャグセンスが光る。
相手としては,攻撃性や怒りに水をさされた暁に,脱力してしまい闘志がみるみるうちに萎えてしまう。
「あいーんチョップ」「恥ずかし固め」「炎のコマ」等々名付けられたオリジナル技からして,相手を知らぬうちにビビらせる。勝負では無い。「もし自分が『恥ずかし固め』かけたらどうしよう?テレビで『恥ずかし固め』をかけられて,あられも無い姿を日本国中に流されたとしたら,まともに外出も出来ない」
「先祖,家族,子々孫々,末代までの恥」
とビビらせる。
確かに子どもは学校でいじめにあいそうだ。
そんな時に学級委員は言うのであった。
「まずよ,まず待てってば」


無断引用を禁じます。某先生,そう言えばカリスマAV男優の加藤鷹氏も秋田出身だな,いずれ密着系は秋田が寒いからかどうか知らんけど,多いな。何だか段々ブロ愚書いているのがアホらしくなってきた。あとはもう飯食って寝る。

地球から人は生えている
いおりクリニックには,ジンクスと呼ぶべきものが,いくつか,ある。
別に当院に限ったことでは無いのかも知れないが,少なくとも私にとっては,初体験。
その中の一つを紹介したい。

****

最初の患者さんが「今日は4時前に目覚めてしまい,もう一回寝たかったがダメだったので諦めた」と仰る。
そうかそうか,と思いながらカルテに「早朝覚醒気味?」などと書く。
ならば睡眠薬を変えようか?と提案すると「別にいい」とお断りになられる。
次の患者さんが「今日は4時前に目覚めてしまい,もう一回寝たかったがダメだったので諦めた」と仰る。
そうかそうか,と思いながらカルテに「早朝覚醒気味?」などと書く。
ならば睡眠薬を変えようか?と提案すると「別にいい」とお断りになられる。
その次の患者さんが「今日は4時前に目覚めてしまい,もう一回寝たかったがダメだったので諦めた」と仰る。
そうかそうか,と思いながらカルテに「早朝覚醒気味?」などと書く。
ならば睡眠薬を変えようか?と提案すると「別にいい」とお断りになられる。
(以下略)
と,いわばコピペ外来と名付けたくなることが,週に1度くらいはあるのである。

それが,実際,疾患名を問わない。また,年齢や性別もほとんど関係ない。
キツネにつままれ感じである。

たまーに「今日は寝過ごした」と仰る方がお出でなると,思わず握手したくなる。
一日の仕事を終え,振り返ると・・・
「今日は4時前に目が覚めてもう一回寝ようと思ったが出来なかった日」
としか言えない。
段々回を重ねていくと・・・

****

そんな日の夜には,うとうとしている最中に,あるイメージが湧き出てくるようになった。

「病気だ,正常だ」
「善人だ,悪人だ」
「金持ちだ,貧乏だ」
「個人だ,集団だ」
「ムラのオキテ,個人の自由」

と,人様々悩み様々なのであるけれど,実はそういう分類が意味をなさないところに,人間は,あるのではないか。

私には画才が無いのでちと難しいのがもどかしい。そこで敢えて言葉で説明するならば―

大地に根差す,芍薬,たんぽぽ,猫じゃらしーそれらと人は同じ。

山川草木,人。
同じ風に吹かれ,同じ雨に濡れる。
地球から人は生えている。

そんな絵が浮かぶ。
私自身もその光景のひとつに過ぎないのだ―そう確信しつつ眠りに落ちる。


無断引用を禁じます。某先生,先生は差し当たり「平成枯れすすき」かいね(ご存じないお若い方は『昭和枯れすすき』で検索してくだされ)。

名は人を表す,というが,死に様にまで決めてしまうのか?
「死のうぽっくり」という名前の指揮者がいた。
正確には「シノーポリ」という名前である。
鬼気迫る,入念に練習したコンサートで,急性の心臓病を発症し,最期までタクトを振りタクトを振りつつ,亡くなった,という話である。
もしそれが事実なら,個人的には,憧れる死に方である。
マーラーが流行りだした頃,シノーポリが有名になり出した。
クラッシックの素養は皆無であるが,二つの点で興味を持った。
①マーラーは統合失調症だった説
②シノーポリが精神科医しかも精神分析医であったという事実。
高校生だった私はまだ国営放送を見ることがあり,これまた偶然に,シノーポリ氏がインタビューを受けている場面に遭遇した。おお!何よなによ?とミーハー的な興味があった。その記憶ははっきりしているが,シノーポリのウィキペディアで書かれている情報とは大分異なる。
①「マーラーは統合失調症だった。フロイトはそれを知っていたが,その狂気が芸術を生み出す根源であることを知り,彼の治療はしなかった」
②「精神科医で今の仕事に役立っていること?それは・・・まあ,楽団をまとめるのに少しは役立っているかな」
しかと,その言葉,胸に焼き付けている。まぁ,誰に頼まれたわけでも無いが・・・

****

最近は難聴が進み,人の声を拾うために,補聴器から必殺FM飛ばし器から,総動員して診察している。それで駄目なら奥の手も準備して,仕事に臨んでいる。人の声はこれでなんとかかんとか,セーフである。無論,聞き返す頻度も高いのだけれど,当院の患者さんは優しく,それで文句を仰る方は,いない(予約時間にずれ込んでしまい,お叱りを頂戴することはありますだ豊)。どうしても無理になったら,志村けん氏の「ひとみ婆さん」のコスプレをやるつもり。
しかし,難聴で聴こえないこともシャクなことなので,CDを爆音で鳴らしてみようかと思った。
どうせなら,景気が良いものに限る。
暗いのはもうたくさんだ。
引っ越してから開けていない段ボール箱があり,そこに確かCDがあったはず。
その箱の中,CDらはごちゃごちゃ入っていた。
そこで,目をつぶって最初につかんだものを,と,珍しく遊び心が芽生える。
えいっ!とひいたら,昔買ったシノーポリが振るマーラーの「悲劇的」であった。
我が身もさることながら,受験生を抱える身として,これは,そぐわない。
いおりクリニックのBGMは歴代事務嬢が選んでいる。もし私が,これをかけたら閑古鳥の無限増殖が増えるに決まっている。
しかし,情報と言うものは・・・

②Google先生で調べると,シノーポリの専門とする科が違う。私の記憶違いなのかどうか,知らん。

①「マーラー統合失調症説」も,ちょっと,判断保留にして頂きたい。
シノーポリが言うほど,精神分析で統合失調症は通常治らないー。
たった一回の湖周囲の散策でもって治療が終わったとするならば,現代でもたまにある「精神療法の大ホームラン」が考えられる。
もしくは―ここから先は全くの私見であるが―『一期一会』で開眼したり悟ったりした可能性がある。あるいは『禅問答』だったかも知れない。
いや,IQが無駄に高い者同士であったのか?実は単純型統合失調症(現代精神医学では死にかけている概念)で暗示にかかりやすかったのか?
などなど様々な可能性が考えられる。
精神療法では,会った回数が多くても,空回りすることなぞ多々ある。
しかし,その逆に対する論述は,西洋文化圏の中に,あったか知らん?
神からの啓示,に近いもの・・・か?

(拙者,さる学会でウツになる前に書いて,ウツが酷くなってから息切れしつつ副作用で口乾きつつ発表したケースは,二回の面接で終わったもの。助言者の先生からのコメントが粋であった『もう一回くらい面接しても良かったかも』と来たもんだ。気がついちゃった?そう,自慢だよ)

また精神障害であることの根拠として,昨今は「マーラー確認強迫(奥さんが若いのでいるかどうか確かめずにいられない)とされる方が多い。それは初耳で,昔々の論述では「機嫌良く子どもらと遊んでいたかと思うと,すっといなくなり『死』だの『悲劇』だの,幸せとは程遠い曲をだだっと書いていた」ことをもって異常とされていたが,それだけで「精神障害」とは言えない。

****

E.クリス著「芸術の精神分析」なる本を20年前に買ったは良いが,全く読めないでいる。
以前このブロ愚で触れたが,中原中也氏がニーチェの「ツァラトゥストラかく語りき」を読んだ時のメモ「やっぱり独逸人は馬鹿だ。無意識を解剖して喜んでいやがる」に,皆さんすみません,実は私,今まで隠していたが,中原さんのこの言葉に50パーセントくらい,同意してしまうので。

****

精神医学の中に,病跡学なる分野がある。歴史上の人物の心のうちや,潜む精神医学的諸問題をあれこれ議論する。
もし精神病理専門の先生がいたら,
もし精神分析専門の先輩とほとんど事故のような出会いをしなかったら,
こっちの分野に進んでいたかも知れない。
そしてその方が―健康で長生き出来たかも知れない。
特に天才芸術家は格好のネタである。(ゴッホやムンクなどに至っては,ほぼ出尽くした感すらある。いつか力動論的精神医学(精神分析の藩中)を天下の宝刀として,差し違える覚悟で病跡学の学会に出入りすることを夢想していたが,これまたタイムアウト,ブブー!

****

名著「精神医学入門」の著者であり,島崎藤村の血をひく精神科医,西丸四方大教授が信州大学におられた。
いわば信州大の精神科偏差値は,高かった。
西丸教授,まだ子供であった草間彌生氏に「統合失調症」と診断した方でもある。

しかし,私はここで思うのであった。「本当に統合失調症なのぉ?」」と。
ちょっと,違うんでない?

****

などという話があった上で,現場での苦悩というものがある。

芸術家の治療をどうするか?
さんざん,悩む。

これがまだ,明らかに,症状が邪魔して創作が出来ない,という場合ならば,その「邪魔」を取り除けばいい。比較的単純。

なかなかそうはいかないのが臨床医の辛いところ。
シノーポリが言う通り,内的な「葛藤」が創作の原動力になっている場合が,しばしば,ある。

医者だから治療すべきか,
それとも人として「葛藤は芸術に必要だ」という立場をとり治療をしないか。

簡単に言うなら,

治療をして葛藤を取り除くべきか,あるいは,芸術家として生きるために「葛藤」を温存すべきか。

これの正解は,無い気がする。

昔は,この二つを提示して,ご本人に選んでいただく,という姑息な手段にうって出てることが多かった。
どこが「姑息」なの?
現代医療にかかわる方は,そう思われるかも知れない。
患者さんにそれこそエビデンスをもとにインフォームドコンセントという概念は,実は医者にとっても「楽」である。治療責任を本人が負うのだから。

問題は,その先。

もし,ご本人が,「芸術を続けたい」あるいは「葛藤をとって楽になりたい」と仰ったとして,その答え自身が「葛藤」の産物である可能性も,実はちょっぴり,あるのだ。

「本心」に対して知らず知らず天邪鬼になってしまうことは,人として,あり得る話。

最近は,結論を急がず,ゆっくり「共に迷うこと」が,主治医として成し得ること,と思うようにしている。

****

などと言って,マージナルマンのアートの展示場の場所をとっているのが,矛盾もいい所,なんだけんどもね。そういう自分が私ゃ好きだね。
展示希望の方,ご遠慮なさらず一声かけてください。

無断引用を禁じます。某先生,今度,マーラーの「楽天的」のCD送る。

私は風が大っ嫌いだ。
昼休み,近くのコンビニにおにぎりを買いにでかけた。
横殴りの風雪はアーケード街の隙間を遠慮なしに速度を最高にして吹きまくる。
めまいが最近ひどいので,要介護Ⅰで月に300円で借りているステッキが手放せない。
しかし,この激しい風雪,あれ?おかしいぞ。
向かい風に,我が身を前に傾けて,脱力して歩くとちょうどいい。
前に倒れるか?いえいえ風さんが支えてくれます。
これこれ,この感じ,忘れていたよ!
小学校の登下校時に,この「倒れる身体を風に支えられる感覚」を面白がっていた。
懐かしい。

そして目当てにしていたサンクスに入った。ちょうどこの上四階が,秋田大学医学部一期生でカリスマ精神科医,天才の名をほしいままにした稲村先生のクリニックだ。
コンビニを回っていて,「ここら辺が稲村先生のお尻部分か?」
などと想像している暇はない。
シーチキンと筋子のおにぎりを選んだ。
あともう一つ買ったのだが,怒られるので言わない。
その品物の名前「愛子っす!」などと書くと右翼に襲撃されるので黙るわ。

それよりも懐かしい,あの風,あの感覚をもう一度,と,吹雪の中に出る。
おお,吹かれてあらがって,絶妙なバランス,自然の中の生き物。

などと喜んでいたら,私の前に立ちはだかった女性がいた。
なんと,私が忘れて来たステッキを届けてくれたのである。
めまいのフラフラと前後左右から攻めてくる風とが微妙にリンクしてここちよくたゆたう私は,すっかり忘れていた。
そして,走って追いかけて届けてくれたコンビニの店員さんに感動した(←感動閾値が低い馬鹿)。
朝日新聞に投稿しようか?

最近訪れる嫌な話にうんざりしていたが,ぽっと明るくなった。

そう言えば,初めて「愛濃す」を手にしたのは,名古屋のコンビニであった。
IQOSの会員登録をすれば,数千円安くなり,保証期間も延長する,という。
だがスマホを使っての操作,50過ぎた身としてはなかなか難儀である。
その中で,飽きもせず,一つ一つ教えてくれた親切な若者がいた。

コンビニが,きちんとしていると,世の中捨てたもんじゃ無い,と思うに至る。

父が池月で孤独死覚悟の90代一人暮らしをしていた頃,一件だけあるムラのコンビニに行くことは良い運動になっていた。
総菜も豊富で,ファミチキがお気に入りであった。
そこそこ自炊を楽しんでいた。

東日本大震災でのコンビニの活躍ぶりは,もはや言うだけ野暮,というもの。

****

もうここまで来ると,グダグダの行政なんぞより,コンビニの方が国民のためになっているように見える。
見える・・・というより,もうすでに,なっている。

こと,田舎では,ひとつのコミュニティとして機能しているのではなかろうか?
卑近な例で恐縮であるが,コンビニの道路向かいに簡易郵便局があり,昔は近くに交番があった。
そした「あ・ら・伊達な道の駅」(元々母校一栗中学校があった所)がある。
用事が一通り,済む。
そこで名古屋のコメダコーヒーのように孤独を癒す場になったり,喫茶店飯(モーニングサービスに加えサンドイッチやナポリタンくらいあれば十分)を振る舞う場があれば,もう最高である。
他にもいろいろ,夢が膨らむ。


無断引用を禁じます。某先生,オラ,このコンビニコミュニティーを運営するべかなぁ。

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