逆旅

生家のある田舎が「奥の細道」にて松尾芭蕉が通った場所であり,それを聞いて育った私は,幼い頃から「旅」に憧れていました。やがて,人生そのものが旅であることに気づき,また齢を重ねるにつれ,同様の存在である人=旅人を迎える存在でありたい,と願うようになりました。ブログ名の「逆旅」には,「旅そのもの」の他に,「旅の宿」という意味があります。自ら旅をしつつ旅人を迎え入れる,そんな日常での,独り言です。

3月20日 14:54 
             大沼  俊が永眠しました

お通夜と葬儀場はこすもすロイヤルホール秋田市東通り4丁目5-10
018-832-0004 にて行います。

喪主 妻 大沼 浩子

出席希望の方は、
・お通夜 3月24日 18時
・お通夜後の会食

・葬儀           25日 11時
・葬儀後の会食

の出席の有無とお名前、ご連絡先を添えて
メール  にて頂戴出来ればと思います

メールアドレス 

1996shiho1002@yahoo.ne.jp


                                                        長女 大沼 しほ

この度、当ブロ愚にて、不適切な表現があるとの指摘を頂戴致しました。

確認致し、当該ブロ愚を消去致しましたことを謹んでご報告申し上げます。

ご指摘下さいました方に、この場を借りて厚く御礼申し上げます。

今後とも、ご指導ご鞭撻のほど、宜しくお願い申し上げます。




無断引用を禁じます。某先生、その問題ブログをコピペしてアップして炎上した、って本当?



ああこの曲、ああ、これを、逆旅にあげることが出来て幸せだな。あげられたな。

あげるなら2月、しかも秋田が「雪どけ」といえる後半、と決めていた。

コピー坊主、KeyはCで。

おそらく、バックでギター弾いてるのはステイィーブ・クロッパー。メンフィスの代名詞みたいなお方。
ミスターテレキャスターなのに、出す音がライバル会社のギブソン・レスポール生音に似ていると思うのは私だけ?

聴こえなくなった今となっては、確かめられないからあとはベイビー、君の耳の判断に任せよう。

忌野さん、こういう歌い方するから癌になる、と、ファンも人も、僕も言う。
しかし、こうしか生きれないんだっ!
Artistというのは、
いくら身体に悪い、
すぐ死ぬ、
よろしくないこと、
命と引き換え
十分わかっていても、
その瞬時のサイコーに死ぬ。
そういう
生物なのである。



忌野さん、命懸けのシャウト、感動してた、生かしてもらっていた、鬱も治してもらった。
私みたいに、おかげで生きる勇気をもらった奴ら、いっぱいいる。
それら、バカみたいに単純に足し算していくの。
そうしたらさ、
あなたの余命よりも、もう何百倍も多く出てさ、
しかも充実した素晴らしいものに変わっててさ、
歌がまた、ほろびずに
時々刻々と今日もまた
若けーの、
を感動させて動かしてる、
だから、
早逝させちゃったこと、
少し許して
くれねぇべかな、
オラに免じてよ。



無断引用を禁じるぜ。某先生、断って引用するのを「コピーする」と呼ぶ。



しょうわ57年2月4日は取り返しのつかない春だった。
私は卒業を間近に控え
「オラ、おめえのこと好きだった、ただそれだけだ!」
と猿よろしく叫んで
生徒会室の窓から飛び出、グランドを一直線に横切ると、普段出来ないはずの逆上がりが出来るようになっていた。


毎年、2月4日は何かある、
というより、
「あるように仕向けている」
じゃ無きゃ、ただの人生よ、んなもの。


無断引用を禁じます。某先生、先生がもしやったらオラ「グランド横断場面」でジープ乗って銃構えて参加したる。

令和2年1月の診療について


1月23日(木) 休診となります。
  24日(金) 受付時間 10:30~13:00,15:00~18:00
  25日(土) 受付時間 10:00~13:00,15:00~18:00
  28日(火) 受付時間 10:00~13:00  午後は休診です。 
  29日(水) 午前は休診です。受付時間は15:00~18:00
  30日(木) 午前は休診です。受付時間は15:00~18:00
  31日(金) 受付時間 10:30~13:00,15:00~18:00
 

医者というのはどこの大学でも同じで、基本的に低偏差値の秋田大学医学部に入り、それから都会に出て行って、バブルでハイソでゴージャスな生活をするに限る。
グルメ、旅行、温暖な気候でないと研究出来なーい!秋田に「なんか」埋もれたく無い、貧乏百姓搾取農民なんかの命なんてどうでも良い〜!楽しい事だけやって、笑って暮らしたーい!
ま、あらかたこんなとこ。
私も茅ヶ崎大好きだったが、変に後ろめたがった。AERAという雑誌があって「バサマ、死なねでけろ!」と秋田の自殺を定期的に取り上げてくるのが、辛かった。
自分さえ良ければ良いのか?
ガキの頃の記憶が疼く。
自分だけの快楽に浸って一生満足して死ねるか?

ただこれだけで、角館に帰って来た、大馬鹿野郎である。

来世、あるとしたら、また、秋田大学医学部精神科でドタバタやってんのかなぁ?

12歳。

中一からの愛唱歌がこれなんだよなぁ。

半世紀。

「生きてる、とは、燃えながら暮らすこと」

やっと、ようやく、その意味が、分かりかけてきました。

私が不在の時、
代診に来て下さり、
渾身一滴、
臨床能力の全てを振り絞って下さる、
これが、
秋田大学医学部の、
チカラだ!

引退なさった、獣神サンダーライガー殿。
チビ助なのに、園芸部なのに、内気だけど強さに憧れ続けるガキであり続けた永遠なる兄貴!
これまで、夢を、ありがとう御座いました。
あなたの強さを、みんな、忘れない。忘れられない。


無断引用を禁じます。某先生も、駅弁貧乏大学、ノンアカデミズムで、堂々と胸を張って世界にアピールし続けられた。私は、その姿に、いつしか自分を重ねていた…ありがとう御座いました。。

まさかうわぁぅぁ!


下卑た話で恐縮であるが、トイレに行って用を足して(ま、他にすることも無いが…)立ち上がるとどうも息が苦しい。熱も無いし、喉も痛くない。まぁ、いつもの年明け、一旦診て頂きましょう…。可愛い可愛い後輩らが暗躍する愛ホス秋田大学医学部附属病院へ。にこやかに優秀そうな後輩は言うのであった。
「はーい、じゃあねぇ、大沼さんねぇ、ちょっと入院しちゃいますよぉー、うん」何か、見知らぬ後輩、語り口がじっちゃん相手になってるような感じ。あ、もうこの世代、娘世代か?だとすれば、オヤジをほだすのに、爺さん相手の言葉になるわな。ジーン。おジジもジーン!

よって。


情にほだされた訳では無いが、神妙にお縄を頂戴しました。

あれほど、木曜日の外来に拘っていたのも、今になれば意味があったようにも思います。

秋田大学医学部精神科のカッコイイ!ドクターらに代打御願いし、快諾を得ております。年明け早々、美男美女、ラッキーですな…。

そうそう、

仕事柄、

とか、

立場上、

等の理由で、
深く話すことを(代診のときだけは)避けたいときは、その旨お伝え下さい。ただし、堪えられない自殺衝動だけは、別です。お話になって下さいませ。

他にも「言った方が良いかな?と迷う程度のこと」は遠慮無く仰って下さい。相手は精神科医です!


さらにオプションで

「こってり」

「ニンニク増し増し」

等と行きたいところですが、ジロリアンならぬ「いおりあん」はまた所を変えて勢揃い!することとし、今回は、我慢しましょう。


無断引用を禁じます。某先生、診断は肺炎だった。CT撮るまで胸は何とも言えないのー!

日本の精神科業界が,世界に誇る無冠の帝王,蟻塚亮二先生から五千円で買った技に,

「あなた かわりは 無いですか♪」(『北の宿から』都はるみ)


を診察の初めに歌う,というのがある。

特に冬のこの季節,

「変わりなかったですか?」

とマンネリ質問するより余程いい。

常連の患者さんに突然これをやると,大抵はきょとんとなされ,その後,

「やだー!先生ったらー!」

とお笑いになる。
マンネリ質問にはマンネリの答えをせねばならぬ,という患者さんのほのかな根拠の無い義務感を壊すのに役立つ。


****


今年も楽しみにしていた「北の宿から」の季節が来た。
この冬のために春夏秋の外来をやっているようなものだ(←明らかに言い過ぎ)。

ところが,しくじった!
一患者さんに一度,と決めているのに,ある患者さんに二回立て続けにこれをやってしまったのである。

その患者さんは答える代わり,おもむろに私の真似をして小指を立ててマイクを握ったポーズで,


「あなた 死んでも いいですか♪」(『北の宿から』の二番の歌い出し)


こ,こ,こ,これは凄い!
完膚無きまでの負け。
パワーボムをフランケンシュタイナーで返された時の天龍源一郎選手のようなショックと精神的ダメージ。
私は茫然自失とし,言葉を失ってしまった。


「嘘ウソ。先生,自分でふっておいたくせにぃ。先生,いつも『目には歯を』って言ってたじゃないですか」


いや,鮮やかに過ぎる負けである。今年一番の出来事だ(←これもやはり言い過ぎ)。


その日の夜から,私は原因不明の脚の激痛と倦怠感に苛まれ,ラブのホスピタル秋田大学医学部付属病院を受診し,結果,三日間寝込まなくてはならなくなってしまった。お陰様で回復した。

突然のピンチヒッターを心よく引き受け得てくれた,容姿端麗なる優秀な後輩の先生方には感謝の言葉も無い。お歳暮,医局に送るから許してん。
ピンチヒッターの外来にお出でになった皆さんらも,美形のドクターらで目の保養になり,生きる勇気が湧いて来たであろう。だが来年の1月9日午後からは,また私が出ます。残念でした,べー!



無断引用を禁じます。某先生,年賀状の着払い,止めてくれないか。

本日お誕生日の,プロレスラー武藤選手の娘さんのTwitterから無断引用します。

何でだろう?
涙が止まらない,あれれ??



https://twitter.com/muto_airi/status/1209050098543366145?s=03



思わずTwitterで「いいね!」したら610番目だった。「610=武藤」でラッキー! 



自分は無断引用してますが,無断引用を禁じます。某先生,先生も金にならん仕事に没頭しつつトップをひた走っていたが,それを受け止めてくれる娘さんおられたな・・・。

本日誕生日の方々。

文学界では日本が世界に誇り得る唯一無二の作家,丸山健二。

プロレス界ではその試合がアメリカのプロレスの教科書になっているというnatural born master,武藤敬司。

生れ落ちてからずっと命を狙われ続けながらも,笑顔で平和だけをただただ愚直なまでに繰り返し続けた上皇様。

そして,何を隠そう,天才の名を欲しいままにしながら,医師免許を持ち保険診療をし,ちゃんと税金納めているため「ブラック・ジャック」の診断基準を満たさないまま一生を終えるであろう,朋友,進〇吉×(彼の類稀なるメス捌きは,プロの料理人として都会で活躍していた料理職人であるご尊父様のDNAによるものであろう。秋田にあるそのお店,息子の同級生の私に対しては,無料で奢るべきである。もしくは私の飲み食い代を息子に払わせるべきである。皆さまはいかがお考えであろうか)。

よって,12月23日は「しんどう(神童)の日」として,国民の休日にすべきである。



無断引用を禁じます。某先生,先生の誕生日は「ケの日」としてこれまた国民全員自宅に引きこもり,何もしないどこにも行かない,働くのも止める,ただただ無病息災を祈る日,として休みにしてもいいと思う。「ケの日」に便乗商売したら極刑に処す,とか憲法を改正して,な。今度,暇みて秋田の自民党の人に言ってみるわ。

名作の誉高いあの作品が、



「僕の前に道は無い」



この一行だけで終わってたとしたら、どうしよう?


無断引用引用を禁じます。某先生、これがホントの「どうていを失う」とか下ネタは禁止だからな。

うわっ!
やられてた!

今しがた、スマホからAIの悪口書いて、AIが感知するのか?しないのか?と実験していたら…

久しぶりに開けてみた、自分のFacebook、プロフィール欄に、

「以前の勤務地 いおりクリニック」

と書かれていた。
逆襲かや?
だとしたら
悔しー!
まだまだ院長じゃー!
‪(╥﹏╥)‬


無断引用を禁じます。某先生、AI様に謝るだよ、ほれ、一緒に土下座して!
m(_  _)m  _(。。)_

従って、「愛の病院秋田大学医学部附属病院」は「AIの病院秋田大学医学部附属病院」になり、医者はただパソコンに出てくる情報を分かりやすく説明するだけになったりして。

この間、AIの悪口をブロ愚に書いていた所、AIがやっている最新式のウィルス対策ソフトの逆鱗に触れたらしい。ブロ愚をアップしようとしたら、そのソフトの画像が出て来て公開出来ない!

最近のAIは賢くて、自分への悪口も感知するのだろうか?

ここで、このブロ愚を使って実験。

「AIの、あーほー!」

さてこれが公開されればAIは悪口言われても平気。
公開されなければ下手に悪口も言えない、どこぞの地方紙みたいに言論の自由を奪う存在だったりして。
いや、公開されても単に「マークして泳がしてるだけ」だったりして。
AIはそんな刑事さんみたいな事もやるのか?


無断引用を禁じます。某先生、AI刑事にしょっびかれて吐かされないように、早く自首しろ、自首!

あぶねー!
自分の耳穴に,下剤入れるところだった。
皆さん!ラキソベロン内用液と,リンデロン点耳(点眼,点鼻薬)は違いますよ!



無断引用を禁じます。某先生,最近てんてこ舞いでなぁ,疲れてんのよ・・・

生があるから死があり,
死があるから生がある。

当たり前。


無断引用を禁じます。某先生,読んで損した気分だべ。

人生は苦しみの連続ですが,それを克服するごとに,確実に「自我」は成長します。
何歳であっても。
「死」の間際まで!


無断引用を禁じます。某先生,誰かが似たようなこと既に言ってるかも知らんが,指摘しないでね,頼む。

愛の病院(ピンク病院って意味でねえだよ。それは(ピー)病院だよ)秋田大学医学部付属病院を受診した。待合の便所前で呼ばれるのを待っていた時,食べようとしていたコロッケを丸まんま床に落とした。私は拾い,手でぱんぱんと二回ほろってから,息をふーふーと二回吹きかけ,そのまま,あぐし,と食べた。食べ終え,ふと横を見ると,隣に座っていた宮城県仙台市宮城野区中野栄出身の妻が声も出ないまま,あうあうと口だけ動かしている。「ビョウイン・・・ユカ・・・タベル・・・」。油にまみれてしまった指を舐めていた私も,「あ!」と気づいた。普段,感染厳禁としてマスクをしているのに,これはちょっと不潔である。「まずかったな」と照れながら言ったが,家内はいつもの中野栄式プロレス技を繰り出すことも忘れ,ただただ驚いていた。ほどなく名前を呼ばれた。親切な後輩ドクターにことの是非を問うのも野暮なので,診察のお礼を述べて帰路についた。

****

食べ物を落としたときは,「手でぽんぽん二回,息をふーふー二回」やれば大丈夫。食べて良い。というか食べなさい。
そう秋田大学医学部で習った。

****

のでは無い。

****

生まれ故郷の子どもらにとって,それは常識だった。学校で,外の遊び場で,我々はそうしていた。他の病気で早世した同級生はいるが,それが原因だったわけでは無い。
もし,落とした食べものを捨てようものなら,
「もったい無え!この罰当たり!」
と周囲から非難される。
昼食の際は,教師からは
「もったい無いから,そのオカズ,水で洗って食べらいん」
と指導された。

****

その,子どもの頃身についた習癖は,全く抜けておらず,とっさにごく自然に出るものだ。
今にして尚衰えないどころか妖艶ささえ増す一連の無駄の無いあの時の動きは,傍から見ればフィギュアスケートのようであったであろうとさえ思う。
この一週間,マジメでガクモン的なお仕事に取り組まなければならない羽目に陥り,一日三時間しか眠らなかった。が,特に体調を崩すことは無かった。それどころか,検査データは改善さえしていたのである。
ここまで来ると何が健康的であるのか混乱してくる・・・。


無断引用を禁じます。某先生,中野栄は「三回ぽんぽん三回ふーふー」だったのかなぁ・・・。ともあれ,良い子のみんなは真似しちゃダメだよ!

ジブレキサ デブ歴さ
エヴィリファイ エビで鯛
コントミン 困と民
ヒルナミン 昼眠いん
ロドピン 労働ピンはね
セロクエル ベロ食える(先発品は高価で、その頃は『銭消える』)
インヴェガ 良いんべか?
リスパダール 栗鼠(りす)バタる
セレネース そりゃ無ぇーっす
アキネトン 秋ね,豚
リーマス 理増す
デパケン 出っ歯犬
テグレトール  ってグレとる
トリプタノール 鳥,豚のロール
トフラニール 祖父ら似る
ジェイゾロフト ジェイマルエーにぞんろぞろ
パキシル 破棄する(最近は,「天知る地知るパキ知る・・・って『パキ』って誰やねん!」に変化)
レクサプロ 陸三郎
イフェクサー 胃,屁臭っさー!
リフレックス    理振れん薬(明治製薬のoさんが「何でリフレックスだけのけもんなんですか!?」と号泣しながら抗議して来た。すまん、忘れてた)
セパゾン 切羽損
セルシン 競る心
リボトリール 「リボ」と「リル」(サンリオのキャラクターにいそうだな)
リーゼ (『エリーゼのために』が流れる)
レスリン ・・・ピー!(企業秘密)
ルジオミール るじ男,見る(昔は『路地を見る』だったが,『るじ男』っていたとしたらどんな顔?とある日思ってから変)
アモキサン あんま奥さん
ラミクタール 「らみくたる 鬱に罹りし我が妹に 思考抑止はありやなしや」と「鬱」にかかる枕詞。山上億劫ら。


原則,私は見た目はどうであれ真面目なんですっ!
でも昔から,真面目に緊張した後はギャグが浮かぶ癖があるのですっ!
学生時代,しんとした真面目な実習中,オモロイことを思いついてしまいブッと吹き出し「大沼君,マイナス5点」と言われました。が,治りません!

外来では,全身全霊を使って患者さんを感じ,真剣勝負で診立てて,言葉で伝える。必要に応じ投薬をするのだが,日ごろ「フロイトがどうだこうだ」言っている癖に,私はかなりの薬オタクである。
ノルアドどうしたセロトニンどうだ,受容体のサブタイプからすると何だ,いやこの人柄ならこっちの薬はかえって向かない,この人の長所はこうだからもうちょっとふわっとしたのが良いか?こっちの薬では短所を焚きつけるかも?ライフスタイルの邪魔するかしないか,うーん,なんか「色」的に合わないかなぁ・・・などなど―禿げかけた頭をフル回転して薬を選び抜き,結論に達し,ほっとして処方箋に向かう。「さて,じゃ,つかみは『胃屁臭さー』で開始してみて,っと」と思いながら真面目な顔で「イフェクサー」と書く。心の中で「胃屁臭さー,胃屁臭さー」と繰り返しているが,ふざけているのでは無い。書き間違わないよう真剣である。副作用で胃がムカムカしたり、たまに便秘したり下痢したりすることもあるから屁も臭くなろうて、という親心←これは言い過ぎ。

昔むかし,韓国出身の方の主治医をしていた。リーマスを飲み続ける,飲み続けない,で,結構な押し問答になってしまった。若かった私はしびれをきらし,「〇さん,リーマスはね,『理を増す』の!」と剣道部的な声で伝えた。これを聞いた〇さんは,しばらく呆気に取られていたが「何か,それ,言われてみると,あるかも」と定期的服用に合意してくれた。後でその時のことを尋ねたら,韓国では「理」と「気」の概念があり,「自分は『理』を大切にしたいと思っているから」と教えてくれた。偶然ですが,27年に1度の割合で,役立ちます。


無断引用を禁じます。某先生,先生のは下ネタだらけだんべ。あー聞きたくない聞きたくない。製薬会社の皆さま,ごめんなさい。

ブロ愚の更新の間が空き,親友,恩人,そして患者さんらに「具合でも悪いのか」と多大なるご心配をおかけしてしまった。いおりOB,OGの方からも「生存安否確認」のご連絡を頂き,甚だ恐縮である。ここにあらためて御礼申し上げる次第。

実際はまるっきり逆である。
年寄りは話がくどくなって嫌だな,とお若い方,思われるであろうが,君もそうなるぞ。

最近,一つのテーマについて書き始めると,止まらなくなってしまった。
丑三つ時をとうに過ぎてもパソコンに向かっている私に,小用を足しに起きたすっぴんの妻が無言で中野栄式シャイニングウィザードを見舞う。一発で効かないときは,背後から,また前から,失神するまで。ある日なぞ,朦朧とした意識の中でパソコンに「保存」したつもりが,「保存しない」をクリックしていたらしく,お玉稿が水疱に帰してしまった。
思う返すも悔しいのでその話題はお蔵入りにして塩漬けにした。

これまでは一夜で一記事書ききりだったのであるが,恐妻家である私は,途中まで書き,続きは翌日に,ということにした。

これがまずかった。
翌日,新たなる気持ちを持って下手に余裕もって執筆に向かうため,「あれもこれも,あ,そう言えばこうだった」式に膨らみ,終わらないのである。このままいくと,ボリュームは少なくとも司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく」を超えるであろう。
いっそのこと,「一記事読み切るのに三か月かかるブログ」としてギネス認定でも目指そうか?



無断引用を禁じます。某先生,「桜を見る会」が問題になっているな。私ゃ,よそのネットの口コミで「サクラ」を発見しては面白がっているタチなので,一緒に「サクラを見る会」作るべよ。

今日は,今は亡き師匠の誕生日である。
生前,ショートメールで,
「男の小生から祝われても悲しいことかと存じますが,おめでとうございます。」
「こう申し上げるのも何ですが,お誕生日おめでとうございます。」
「毎年毎年すみません,おめでとうございます。」
などと送信していた。
「いつの間にやら年寄りです」
「また捕まって(注:実によくスピード違反で捕まる方で,ある日は往復パクられておられた)警察です」
「腰痛い」
とお返事を下さるのであった。

****

私はとても暗記力が弱い。中学時代,テスト前のほとんどを社会科に充てたが,大変であった。
その記憶力の弱さに悩んで悩んで悩み切って,ある日,
「自分には暗記能力は無いが,ギャグを作る才能はある!」
と閃いた。
それから後の人生,40年に渡り,暗記が必要な場合は大抵ギャグを使って脳に染み込ませている。
数字は語呂合わせを作って覚えたが,もうその必要が無いのに,数字の並びを見ると語呂を作らないと気が済まない。
車を運転していて苦痛なのは,前の車のナンバーの語呂合わせを知らないうちに考えてしまうことだった。
知り合いの女医さんの誕生日が明日,11月7日。数字では1107となる。
1107・・・「良い女」・・・そうだそうだ,君は確かに良い女だ。独身だったら求婚していただろう。
その前日が師匠の誕生日である。
11月6日。
1106,しばらくは「良い女の前の日」と覚えていたが,これでは,語呂合わせとギャグだけで解剖学をクリアした私の沽券にかかわる。何か良い語呂合わせ無いか?
イメージから「良いオロチ」というのはどうだろう?いや,爬虫類に喩えると,熱狂的な師匠信者に怒られる。
「良いお婿」は?そんなこと言ったら破門だな。
学会の議論では一言で論敵を黙らせるので「言い折る」は?そんな日本語ねーよ。
決定打に欠けるまま,あれよあれよという間に月日は流れ,師匠はあの世に行かれてしまった。
今頃三途の川で趣味の釣りをしておられるだろう。
「地獄の,あ,間違った,天国の先生!お誕生日おめでとうございます!」
と今,心の中で叫ぶ。

****

人生は苦しみの連続であり,皆,逆風に逆らいながら,どうにかこうにか生き抜いている。
せめて,自身の誕生日に,一瞬でも良い,笑顔が訪れますように。
もし私がサンタクロースだったら,12月24日では無く,その人の誕生日の前日に贈りものを届けるだろう。
もし私が首相だったら,「国民は自分の誕生日を休日とする」と改憲するだろう。父の誕生日安倍首相と同じ。
もし私がアメリカ大統領だったら,誕生日に輸入品を買った人の関税を緩和するかも知れない。私オバマ元大統領と誕生日同じ。それだけを誇りに生きて来た。


無断引用を禁じます。某先生,うちの子三人帝王切開。三番目なんか,もう切って取り出すの確定だったから,病院から「ゴールデンウイーク明けの仏滅」と誕生日決められてたのよねん。

DSC_0131

秋田大学附属病院前、
一本道の並木が、
紅に燃えて、
昔は外来棟も赤レンガの赤、
膿盆から滴り落ちる鮮血の赤、
で、
紅葉を扇動した。
ポルシェブルーの空の下、
まつりごとのような医療の、
さんざめくー


無駄引用を禁じます。某先生、何気にこの季節の母校の姿、自慢なのよねん。

傷病手当金が打ち切られた。
貯金の底が見えてきた。

私がうつ2年目、あの頃のこと―
医者の給料は高いと思われるだろうが,本俸はサラリーマン並みで,「医師手当」「役職手当」「当直料」でかなり補われている。リッチでアーバンでゴージャスになろうとするならば,連日連夜当直するしかない。

うつになり休職してからは,その本俸の三分の二の額にあたる「傷病手当金」で,借家(『住宅手当』も消えた)にて妻と小さな三人の子どもを養っていた。税金払い,食費,医療費,水道ガス電気,人間そのものは無料で作成出来るが,生活はそうはいかない。
クスリと,甘いものを偏食するようになったせいで,現在の体重の二倍,150㎏以上の体重になった私は,居間でウツ伏せになっていた。いや,正確に言うと,頭を床に突き刺して尻を上げたややこしい形で,困り果てていた。

当時の院長は情に厚く,ウツになった私のために色々はからって下さっていたのだが,法律と就労規則だけは変えようが無い。
家内は長距離トラックの運転手になる画策をしていたが,睡眠不足に滅法弱いので危ない。運転は上手いが宮城県仙台市宮城野区中野栄魂が宿っているので,変な割り込みなんぞされた日には,四輪ドリフトの煽り運転くらいやりかねない。

そうして,頭を床に突き刺したまま,抜けないウツにもだえ苦しんでいた。
死神さん―突如湧き出る自殺念慮―もしつこく機をうかがっている。あれはゲシュタルト的に興味深いものだ。目に入るあらゆる物が自殺の道具に見えてしまう。
ややこしい恰好のまま,

「動けん,働けん,金無い,死ぬ,ヤバい」

という思考のグルグル回りに陥っていた。

****

すぐ目の前のテレビがつけっぱなしだ。電気代がもったいない。消そうと思うが,電源スイッチを切るのも億劫,それがウツというものである。
映像も,見れども見えず,音声も,聴けども聴けず,であった。CMに切り替わった。

「頑張ってから死にたいな 頑張ってから死にたいな 這い上がれ 這い上がれと自分を呼びながら 呼びながら」

中島みゆき氏が,私に,歌っている声が聞こえた。

途端に全てがつながり,瞬時に悟った。

「ああ,頑張ってから死ねば良いんだ!」

私は,まさにそのこと,頑張って,そうして死ぬ,ということを欲していたのだ,忘れていたことを思い出した気がした。

****

「重き荷を負いて」(中島みゆき 『ララバイsinger』所有)

髪とかせずボサボサの頭で,息切れしつつ病棟を回り,一人の患者さんに渾身一滴,集中して診察しては倒れといった外来をこなし・・・その合間,どうしようも無い辛さに耐えきれなくなった頃,一人病院の汚い小部屋で,当時のガラケーに入れていたこの曲を聴いた。
「頑張ってから,死ぬ」
そう念じ,また明るい灯のともる臨床に,よっこらせ,と戻る。

****
徳川家康の名言「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし」の本歌とり,とする向きもあるだろう。
そうだとしたら,極めて見事。
だが私は,「『重き荷を負いて』本歌取り論」には反対の立場でいたい。
徳川家康公の本意からずらす,その手腕が素晴らしい―なだけでは無いように思う。
この歌は,リハビリ途上にあるうつの私を見事に描写し,そして力を与えてくれた。
今回,客観的に歌詞を眺めたが,やはりリハビリ途上のうつの多くにあてはまるように感じる。
だが,慎み深くおこう。
「この曲,良いから聴いてみてぇー!」
とウザくは言わない。

****

外来で患者さんと話していると,やはり私同様,自分自身のテーマ曲を持っている方がいかに多いことか。
逆に,それを持っている方は,強い。
したがって。
うつでも身体疾患でも,あるいはご健康でも,民謡でも童謡でも良いので,何か一曲,あると良いですね。

****

今は,難聴となり,会話は大丈夫だが音楽やテレビ,映画などはダメとなった。音階が滅茶苦茶にしか入らない(短調が長調になるので,悲しい曲が楽しい曲になってしまったりする)ので,音楽とは無縁の生活を送っている。
目下,「自分自身のテーマ曲」替わりになる何かを,私のように聴覚に頼れない方のためにも,思案中。
良い案思いついたら,またブロ愚にアップすることにする予定。お楽しみに。

無断引用を禁じます。某先生,最近の逆旅はアーティストからの無断引用が多い,と言ってはならない。中島みゆき論は,またあらためて語らせて頂くので,彼女が嫌いな方はご注意下さい,ってなぁ。

「徒花に終わるもまた良し!」(丸山健二 『争いの樹の下で』新潮文庫)多分

厚生労働省からのアンケート依頼があり,答えるべく古いカルテをひっくり返していた。
いおりクリニックがまだ若く,患者さんもフレッシュで,ということはいきおい病勢も活発で―
調べて〇をつければ1時間もかからず出来る作業なのだが,懐かしさのあまりついつい読み込んでしまい,今日はアンケートを書けずに終わった。
紙カルテなので,私が大声で言ったことは大きな字で「!」マークつきで書かれている。
数年前のカルテに,この言葉の記載があった。

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現在は,アスペルガー障害やADHDといった「自閉症スペクトラム障害」を扱うのが児童思春期精神科医のもっぱらの仕事のようだが,私が宮城で思春期をやっている頃はまだそういった「脳」の疾病では無く,「心の育ち」を扱うことが主であった。

思春期は子にとって「育ち直し」のチャンスであり,その中で,それまで未解決であった葛藤が再燃して派手な症状を呈するものの,治るときは劇的に治る。ときにはこちらが驚くほど,急速に。「発達(いわゆる『発達障害』に用いられる『発達』ではなく,『育っていく』の意味)」とは凄いもんだなぁ,と感嘆することを,飽くこと無く繰り返していた。
いつもヒヤリとさせられ,逆転移感情を自宅に持ち帰り自分の子どもとギクシャクしたり,労も犠牲も地方公務員技師待遇に見合わぬものであったが,やりがいは,あった。

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精神科医になってから,小説らしい小説は読めなくなった。
だが,電車通勤でいつも論文や精神科関係の本ばかり読んでいると,アタマが切り替わらない。
仙台で途中下車して買い求めたのが,以前から気になっていた丸山健二氏の「争いの樹の下で」である。
(丸山健二氏との出会いは,以前このブロ愚で書いた。小学生の頃,自家用車に憧れては近所のタバコ屋に置かれている週刊の自動車雑誌を立ち読み。その中で,ラリー試合観戦記を連載していたのが,他ならぬ,文学から一度離れた若き日の丸山氏であった。私はその名前を覚えていたが,ずっと,自動車雑誌の編集部の人と思っていた。医者になってから,芥川賞最年少記録を持つ作家と知った)
学生時代,白血球がちと高いというだけて骨髄穿刺をされたことがある。
ザワッという感触が胸骨を中心に全身に走った。
それと同じ感覚が強烈に湧いた,この作品を読んで。
どだい,大学時代は生意気で,文学作品を味わうというよりは「構造論的に」「記号論としては」などと知ったかぶりして解剖して悦に入っていた。精神科医になっていよいよ小説がみなつまらなくなり,さらに精神分析を学ぶようになってからは,いちいち作品登場人物の精神構造について力動論的定式化をしないと気が済まない。

そんなオイラを感動させてみやがれ!
文学なんてこんな程度のものか!

そう思っていたので,この作品との出会いは,嬉しいギブアップであった。

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もう20年も昔の話である。

「徒花に終わるもまた良し!」

は,この作品に出てくる言葉であったと記憶している。が本がどこかにいってしまい定かでない。

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思春期医者(当時のね)の仕事の終わりは,親のような心持で,旅立つ子どもらを見送ることだった。
心配はするが,ここから先は自分の人生。君自身を信じているよ。

最初は症状でさんざん振り回されるのだが,一旦,自らが欲するものを知り,夢,希望,を持ち得たガキもといお子様は,その症状に用いていたエネルギーを爆発的なパワーに変える。
私に一礼して,振り向かず,求めるものを得ようとして突っ走っていく。

そんな彼や彼女の背中に,私が心の中でいつも呟く言葉が,

「徒花に終わるもまた良し!」

であった。

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開業当初は,同様のスタンスで思春期を診るつもりで,カウンセリングルームもこしらえた。
桁違いの労力を用いるので,そしてまた「自腹を切る」痛みがあるからこそ躍起になって元をとろうと親も努力するので,敢えて自費診療とした。さらっとした見守りだけで済む保険適応の患者さんとの不平等さを無くす意味もあった。
丸6年経過して,それらしきことをやったのはたった2例なので,幕を下ろすこととなった,それこそ徒花だ,ちゃんちゃん。

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私の中では,昔,思春期医者をやっていた頃の言葉であり,児童思春期精神医学が「自閉症スペクトラム障害医学」にシフトするに伴い,己の児童思春期精神科医のアイデンティティとともに消えていったはずのものであった。
が,この度,親愛なる厚生労働省様のお達しでカルテを読み返してみたところ,消えてはいなかった。

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うつ病において「回復」という言葉は虚しい。「回って復する」ならば,病気になる前と同じ自分,同じ環境になる訳だから,また同じようにうつ病になって当たり前。
そう言って,小著でリカバリー論に喧嘩を売ったのが7年前。共著論文でこっそり書いたのはもっと前。
うつ病に罹患して,それまでの自分とサヨナラして,新たな自分となっていく。
現実社会というものは厳しく,うつ人をちやほやしてくれるところは昔よりは増えたがまだ多くは無い。
うつ人への嫌がらせや,信じられない罠,私も食らったことがあるから分かるが,多々面倒なことは起こり得る。
だが,真のうつ人は,実は意外と強い(強いからウツになるまで頑張るのだ)。
症状にへこたれず,新たな職場や,全く異なる環境に果敢に突っ込んでいった人が少なくない。
散々な目にあっても,
「先生,またゼロからやってみます」
と静かに,しかししっかりと重く出立を語るとき,私は心の中で,あるいは実際,こう答えていた。

「徒花に終わるもまた良し!」」

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生まれてきたからには「花」を咲かせねばならず,そして「花」を咲かせたら今度は「実」を結ばねばならず・・・
「そんな考え,止めちまえ!」
と今,私は私自身に言う。
畳みかけて
「徒花に終わるもまた良し!」―と。

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私は,ただ懸命に,よかれと信じる精神科治療をするしか能の無い男として,異郷の地で一生を終えるのだろう。

精神療法界に於ける学問的業績,あるいは社会的地位。
然らずんば善意なんぞ捨て去り,医業を金儲けの手段と割り切り,にこにこ優しくご機嫌取りして金かき集めて築く富。
―「精神医学修行」,無我夢中で努力して来たが,そういった類の「結実」とは全く無縁の人生だった。

五十路を過ぎた辺りからそういった事実が鮮明に見え出して来,加えて最近,自分の人生がからっきし無意味であったようにふと思うことが増えていた。換言すれば「徒花の嘆き」に浸りがちであったのである。

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だが―
生まれてきたこと自体が「花」であった。
ただ生きた,すなわちただ咲いた,それだけの,誰が見るやら気づくやら,知らない。
だが,花として咲いた,生きた,ということは確実なことなのである。
実を結ばなくとも,ただひたすらに在り続けた。
これは,
あり得ないほど,素晴らしいことなのだ。
結実したかしないか,ちんけな結果論は一笑し一蹴する。

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実を結ぶかどうか,という,予想なんぞするだけ無意味な「結果」だけを先取りして心配してしばしば人は気を病む。
「結実しなければならない」という強迫思考にしばしば陥る。
実際に花を見ると,それは,風向きや,虫次第。

無断引用を禁じます。某先生,カルテ読み返して気落ちしていたのが治り,復活!しただよ。チャンスをくれた厚生労働省様々だな。紙カルテなので,実際に私が言った言葉は<>に入れて書いてあり,心の中で思ったことは()に記している。意外とオラ,実際に言ってるのな!

美談は人を傷つける。

ーそう思った、今日。


無断引用を禁じます。某先生、美談通りいかないのが人の常だんべ。だから、悩み苦しむ場合も、あるべ。

ゆっくり外来をしていて,午後6時を回った。
診察の終了を待ちくたびれた製薬会社の人が,新薬の宣伝用パンフレットと資料を名詞とともに受付に置いて帰った。
見るともなしにその資料を開いた。
は,と,見入り,その内容に胸が熱くなった。
「間違ってなかった,正しかった」

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その新薬のパンフレットには
「不安からうつへ」移行することが,当然のこととして(ご丁寧に写真入りで)大きく記されていた。
「不安」と「うつ」は別物であるとされていた。
せいぜい「うつ」に「不安障害」が,合併する,という説明がなされる程度であった。

もう十年以上も昔になるが,私は,自らの臨床経験から,また自分のウツ体験から「不安→うつ」の移行があると確信するに至っていた。
論文にしなければならないと思った。が,既に誰かが似たようなことを言っていたのなら書く意味が無い。
そこで,知り得る限りの精神科各分野のスペシャリストに電話して訊いてみた。我ながら無遠慮に,かなりしつこく。
諸先生方の答えはおおむね同じで,
「さあ?聞いたこと無い」
であった。
「そう考える私がバカなのか?」
ウツ上がりの脳に鞭打ってPub medで検索してみたが,ピンと来る論文はヒットしなかった。
大学医局に行ってビックデータ解析を教わりたかったが,ウツ休職中,傷病手当金暮らしが長く金銭的に余裕がないため同窓会費を滞納していたので敷居が高い。
数値でモノが言えないのなら,病理学的に記述するしかない。
何だかエライことになりそうだ。
どうしよう?
うだうだして寝ていたら,蟻塚亮二先生から一通のメールが届いた。
「本当のことだけを書いた本を書こう」―と。

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かくして,知る人ぞ知る,知らない人は全く知らない,今や絶版となり復刻なんぞあり得ない小著を上梓した。
実はこの本には「不安→うつ」の病理学的論考をさらっと入れている。
この考えは,当時の精神イガク的にみて常識からは外れていた。よって,博士号すら持っていない無名の私が大手出版社から出すには大御所のお墨付きが必要であった。しかし,偉い人に取り入る処世術,欲しいけど,持って生まれてきてない。
それよりも何よりも「常道から外れて上等だゼィ!」というパンク魂が優先した。駆け出し時代に「精神科医療福祉の現場・本当のこと」を教えてくれた「やどかり出版」に打診し,快諾を得た。
博覧強記の蟻塚先生に「ウツの闘病記はあるが,一連の経過を書いたものは無い」と言われたことがヒントとなり,第一章を「うつの流れ」とした。この章の名称に関しては長女に「パパ,丸山(健二)先生の『夏の流れ』のパクりでしょう!」と見抜かれた。

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私が学生の頃は,「不安の病理」と「うつの病理」は区別されていた。この二つの違いを強調する記載は数多あれど,連続としてとらえたものは無かった。
(マニアックな方々への注:精神分析における対象関係論学派の『分裂―妄想ポジション』→『抑うつポジション』の概念はあるが,別次元の話ね。この点についてどうしても議論なさりたい方は―すみませんが我慢して下さい)

だが,精神科医になってからの経験は,どうも違った。
若僧の頃。
外来一人主治医を任されるようになり,引き継いだ患者さんには「不安神経症」という診断で長く治療されていたがスッキリ治らない方が多かった。「いかに不愉快であるか」を延々と語られる。でも「薬を飲めばいくらかマシ」であると言う。見ると抗不安薬と睡眠薬が処方されている。初診の記載を読むと,確かに神経症の不安だ。しかし,こうも長引くものなのかいね?
-今日も明日もこれからも,素直で無い私は,岡目八目「抑うつ気分なのでは?」と疑い,ウツの治療に切り替え,結果,感謝されることが多かった。
(御免なさいね自慢話ばっかりで。そういう齢なのよ)
また,絵に描いたようなうつ病の方が初診でいらして,聴取すると,以前他の病院で「不安神経症」として治療歴がある症例が少なからずあったことにもよる。
「本当はウツなのに,抗不安薬で散らしているんじゃないのぉ?」
という疑問が湧いた。

若手向けの講義(クルズスという)で,精神薬理学の先生に
「お前ら,抗不安薬は飲んで覚えろ!」
と言われた。
飲んでみると,理論上作用機序は似たり寄ったりのはずなのに,効き方が全然違う。
酔っ払った気分になるもの,大気になるもの,感情的になるもの,悟るもの・・・。
なるほど。
例えば,変に有名になってしまった薬,デパス。その名称は「『デ』プレッション(うつ)を『パス』するもの」に由来するという。
飲んでみると―あくまで私個人の感想だが―なるほど,ほろ酔い気分になり,何だか気が大きくなる。
「大丈夫でぃ!そんなこと」
と問題を先送りしてしまう。が,問題の解決には至らず,冷めると現実が待っている。
はーん,なるほど。「ほろ酔い」が必要なときに使うこと,と学んだ。

(向精神薬を「飲んで学ぶ」なんぞ,今なら問題だが,もう時効である。こっそり言うが,極めて効率的な勉強法ではあった。良い子のみんなは真似しちゃダメだよ!)

では,初診の先輩が「うつ」を誤診して「不安神経症」としたのだろうか?
そして,「うつ」の症状を抗不安薬で散らしていた?
もう一度カルテの一ページ目を読むが,確かに「不安神経症」なのである。
だとすれば,途中で,ウツに化けた,と考えるのが正しいということになる。

****

メランコリー親和型など,古典的うつ病の病前性格は,生まれ育つ中で外界に適応するために身に着けた「性格防衛」であると言える(防衛,とは,葛藤によって生じる『不安』から身を守る術のこと。性格防衛とは,その『人となり』それ自体が,沸き起こる不安を覆う鎧となっているもの)。
古典的うつ病の発症は,その「防衛の破綻」とみることが出来る。

また,「新型」とか「現代型」とか言われる昨今流行の「うつ病」を語るにあたってはどうしても「自己愛型パーソナリティ障害」に言及せざるを得ない。

性格防衛も,自己愛型パーソナリティも,キーワードは「不安」であり,それらの概念の出自は(何気に一般精神科からは煙たがられるが)精神分析学である。

精神分析学を学んでいて良かった。
ささやかなれど,小著で主張することが出来て幸運だった。
主張したことの的は外していなかった。
それで,どこかで,何人かでも,楽になれる人がいればいい。

****

うつの流れの中で「ウツで頭が回らない(思考抑止をきたした)自分」がために,「出来るだろうか?」という「不安」に苛まれる場合も無論ある。

長らく「うつ病」」として治療をしていた方がある日ある時,覆っていた心的な葛藤を表出して大きな不安の存在が明らかになり,治療が大転換することも珍しくない。

かように精神科臨床道,甘くは無い。

特に最近思うのだ。
「不安」と「うつ」の,安易な連続性のこじつけや,混同は厳に慎むべき,と。
先と言っていることがまるっきり違うようだが―連続性がある場合もあれば,独立した病理である場合ももちろんある。
患者さんを前にして,果たしてこの方の病理の本質は「うつ」なのか。「不安」なのか。合併なのか連続なのか。
あるいは他の何かなのか。

現代は,社会が複雑化してパラメーターが増えた。様々な価値観が認めらるようになった見返りとして「正常」の概念が揺らぎ,その中から異常を見抜くことは難しいものとなってきている。
精神科医は一層「眼」を養わなければなるまい。昔よりも厳しさを増していると思う。
診断基準に〇付けて,御用学者の言うがままの投薬をしていれば良い―だけだったらラクなんだけんどもね。

無断引用を禁じます。某先生,診断基準の盲信も考え物なら,「まずクスリありき」という発想も曲者で,そこいらから抜けないと,ダメなんだよなぁ,きっと・・・

患者さんに
「先生,電子カルテにすればいいのに」
と言われる。
「コピペにちょちょっと書いて,ラクそうですよ」
とな。
確かに,そりゃ,よさそうだ。
今は昔と違って価格もお手頃,新規開業医はほとんど電子カルテだと聞く。
だがやはり,私ゃ紙カルテなんだなぁ。

開業するとき,私をよく知る岡田CEOから
「大沼先生は電子カルテ,ぜーーーーーーーーーーったいお止めなさい!」
と止められた。
傍目から見ても,私は電子カルテ向きでは無い模様。

****

精神科業界の方なら同感!してもらえると思うが,新しくパソコンを買って「抑うつ状態」と書こうと入力すると必ず「良く打つ状態」と変換される。私は,巷によくいる,誤変換したパソコンについ「バカヤロ」と言ってしまうクチである。だから電子カルテを使いながら診察したら「それは辛かったのですね・・・バカヤロ」などと言いかねない。

患者さんとの情緒の交流が,変換ミスでかき乱されるのは,どうも,耐え難い。

****

近頃は精神科のカルテも身体科にならい「SOAP(『ソープ』変な意味で無えだよ)」になっていく,という。
S(Subject):主観的データ。
O(Object):客観的データ。
A(Assessment):SとOで得たデータから評価する。
P(Plan):それで立てる治療方針。
これは確かに合理的だ。

これをコピペでやるならたいそうラクだろう。

寛解導入を果たし,維持療法が主となるならば,パソコン画面は,
S:「何も変わんね」,O:「何も変わんね」,A:「何も変わんね」,P:「何も変わんね」
がズラリと並ぶことになるのだろうか。(*注,秋田バージョンの電子カルテね)
しかし,何だか心配になる。

うなづいて,ニコニコ笑って,薬出し。

医者側の方が,そんな,電子カルテの一部のロボットになりそう。

少なくとも精神科においては得られた情報の寄せ集めとして人を見るべきでは無いと思う。常に「情報収集しても補完しきれない何か」を人は持っているものだ,と肝に銘じなければならない。
また,薬物療法を施行するときはターゲットとなる症状に狙いを定めるが,その症状除去だけで事足れり,とならないのが精神科というものであると再認識すべき。
学術的に研究する際,データ化することはもちろん必要なのだが,臨床では「データ化することによって人の心を切り刻むこと」はなされてはならない。

おお,久しぶりにブロ愚書いたらいつになく真面目だ。

****

駆け出しの頃,指導医のカルテの文字には泣かされた。古代象形文字を草書で下から書いたような字であった。
その指導医の先生は,根っからの研究者であったので,下についてから三週間目で
「大沼,お前に教えることは後はもう何も無い。それじゃ元気でな。あばよ」
と自らは研究室に引きこもってしまった。私は野に放たれ,医局内残留孤児となった。担当指導医にべったりくっついて教わっている同期が羨ましかったが仕方ない。他の先輩方に,
「すみません,教えて頂けませんでしょうか?」
「このケース,一緒に受け持って頂けませんでしょうか?」
と頭を下げて回った。幸いに,断られたことは一度も無く,指導して頂いた。
だが,そうしていると,面白いことに気づいた。
「え!?そこ見てますか?」
医師により,着眼点が異なるのである。
寡黙な患者さんの精神症状を記載しようとカルテを開くと,先輩が「発汗過多あり」と一言書いていた。パーキンソン病を疑っていたのであった。思路ばかりに注目していた私にとり,全くの盲点であった。

以後,「複数の医師の視点を」と自らに言い聞かせるようにしている。

カルテは診療録であり,医師が診察を行ったならすみやかにその内容を記載する公文書である,とされている。
が,昔は鷹揚であった。カルテ数ページに渡り,私への臨床のメッセージを書いて下さる先生が何人もおられた。
こうして私は,紙カルテで,育てて頂いた。

****

これまでのこのブロ愚で何回も書いたので割愛させて頂くが,最初の赴任先,公立角館総合病院は,凄かった。
「いついかなる時でも,どんな患者でも」
という精神科医療界のアントニオ猪木とでも呼ぶべき久場先生がトップを張っておられ,その後に出会うあらかたの疾病の症例はこの病院で診てしまった。
外来数も多く,ときに100人を超えることもあった。そのような状態では流れ作業になるのが常なのであるが,ここでもまた,おったまげた。
しばしば久場先生の代診を務めることがあったのだが,ドイツ語の記載の後に,何か一言,コメントがあるのである。
それは,久場先生の,患者さんに対する「まなざし」を表すもので,温もりが感じられた。ここでも「治療者としての態度」を躾けて頂いたことになる。

以後,いくつかの医療機関を渡り歩いたが,前任者が,つい書いてしまったと思われる一行が,その後の治療のヒントになることがしばしばあった。
もしこれが,キーを叩いてのパソコン入力だったら,ため息とともにカットされる「つぶやき」であろう。

もったいない!


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いおりクリニックはアナログな紙カルテであり続けている。岡田CEOには感謝している。紙カルテで良かった。ついでにCEOから開業祝いとして万年筆まで頂戴した(どこまで電子カルテ禁じているのかや!?)。

治療が行き詰ったとき,マンネリ化して「これで良いのか?」と自問するとき・・・ぱらぱらとめくると,得てして発見があるのである。

私自身の字体も実は参考になっている。ほとんど速記で字面が体をなさないときは緊張度が高かった面接であり,こちらが声を大にして伝えたことは大文字で書かれている。ワープロの如き字が並ぶときは,どこか,遊びやゆとりの無かったセッション。
特に,聴き間違いを二重線で消してある部分は宝の山だ。なんらかの戸惑いがどこかにあって,それがまた日を変え繰り返される場合が珍しくない。
つぶやき,印象,心配なこと・・・などといったおおっぴらに「医療のカルテで御座います!」以外の部分は小さな文字でちょろっと書いているが,意外とこちらの方が治療を生気づけているのではないかと思う。そういうものがピンチを救ってくれたりする。

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精神分析のトレーニングを受けているときは「メモをとるな!」と指導された。
「書くこと」それ自体が,真に患者と向き合うことを避ける手段になってしまうから。
患者さんの許可を得て録音して,それを稿に起こすことにしたが,知らぬうちにおかしているポカで真っ赤っかになったものだった。
所属した研究会は精神分析の中でも,比較的早くから転移ー逆転医に入るやり方だったように思う。
vividかつhardな流派であったが,私は門下生であることを誇らしく感じていた。

今は一般外来ばかりとなった。
堂々と,聴いては書き,をしている。
私は,今「書く」ことで「向き合う」ことから逃げているだろうか?
当人にしてみればもはや―聴くこと,共感すること,(私が)連想すること,書くこと,作戦を練ること・・・これらの治療作業がワンセットになってしまっている感があるのだが。

無断引用を禁じます。某先生,診察中,私の万年筆がインク切れを起こした患者さんには,良いことが起きるというジンクスがあるだよ,マジで,マジで,6割くらい,マジで。

故郷に行こうか,と昨日思っていたが,今朝,目覚めて,とりやめ。
自宅にいた。

クリニックにお盆休みを頂戴した。
患者さんたちは,快く「あ,良いですよ」と仰って下さった。
有難い。

「夏のバカンス!」と充実した時間を過ごさなければならない,
あるいは,
「時は金なり」と論文を書いたりするなど生産的なことをしなければならない,
そんな思いをうっちゃって,
たーだ,ごろごろ,ごろごろ,ひたすら横になっている。

天井を見上げていると,
懐かしさがこみあげて来る。
小学生の頃から,医者になるまでの夏休みはいつも,
こうして天井を見上げて横になっていたではないか。
何かをした,ということ無く,
ただひたすら,
「暇」
なまま時を過ごしている。

****

私の子ども時代は分類するなら「詰め込み,偏差値重視」世代だそうな。
私の故郷―大学に進学するのが珍しい―宮城のド田舎では関係無かった。
確かに,授業は夕方まであり,土曜日も半日登校したが,
春休み,夏休み,冬休みに加え,何故か(田植えの手伝いのためか?)「秋休み」もあった。

その度ごと,今のように,ぼけーっとしていた。
この,「ぼけーっ」,無意味であるがゆえに「悪」なようでいて,実は,結構,良いものなのかも知れない。

精神科医として,私が身につけてきた臨床スタンスは,結構ハードな質のものだった。
頭もこころも酷使する。
若い頃,ちらっと「やれやれ,このやり方だと長く持たんな」と思ったときがあった。
果たしてウツに罹患した。

****

開業して「原則『閑』。まれに間違いのように『忙』」な日々を過ごしている。
ゆるゆるしているので,これで良い,と,ちんたら続けていた。
が,やはり,「完全オフ」を敢えて設けないと,思考が閉鎖的になり固くなってしまうことに気づいた。
これでは決まり金時のことしか出来ない。
低温やけどでも,焦げ付くもんだ。

と,いうことで,すみませんが,してますぼけーっ。


無断引用を禁じます。某先生,それでもブロ愚は書いちゃうんだなこれが。

父は小学校を出ると庄屋の小僧として働きに出され,夜明け前から夜更けまで,働きづめの毎日を送っていた。
齢100を超えて自慢気に見せるのは,米俵を結って変形した指と,そこに大きく出来たタコである。
そんな隷属の日々,休みは「盆,正月」だったという。

****

生家のある地域では「お盆」は一大行事であった。
盆だな飾りを取り出し,仏壇に机,テーブルを並べて段々にし,布を敷き飾り立てた。
きゅうりやナスに爪楊枝を刺して,ご先祖様が帰宅するときに乗る牛や馬に見立てたものを母と作った。
夜になると,どの家も軒先で焚火をする。
ご先祖様があの世から迷わず家に来れるように焚く「迎え火」だ。
無礼講で子どもらは,ついでに花火に火をつけ振り回して遊んだ。

****

盆休み,とて,都会で頑張っている者たちは実家に帰省して来た。
それで小さな村はにわかに賑わった。
三日続けて行われる盆踊り大会では,旧交を温め合った。
小難しい話抜きで,踊りや余興を楽しんだ。
東京,あるいはその周辺で社会人として振る舞っている者たちは,実家に帰り,「子ども」に返っていたのだ。
それだけでは無い。
長らく床づいた曾ばあちゃんも,
威厳を示し続けなければならない農家の親方サマも,
食べていくためにただただ懸命な日々を送るだけの誰にも認められないおんっつあんも,
仕事柄身についてしまった媚びが抜けず憂さを酒で晴らすしかない尊敬されない大黒柱も,
嫁いだからといって幸せが来るわけでは無く苦労が増えるばかりと悟ってしまった「嫁」呼ばわりから自由になれない四十路の女も,
等しく,
あの世にいき,そして,この「お盆」に帰って来た,現身としては見えないけれども,大切な,
父ちゃん,
母ちゃん,
爺ちゃん,
婆ちゃん,
と,ともに居た。
そして,
こどもに返っていたのだ。

****

精神分析学では,子ども返り(『退行』という)を大事にする。
1年365日24時間,きっちりしっかりしたオトナをするのは,とてもとても疲れることだ。
仲間らと,じゃれてふざけてみたり,とか,
趣味などで,大人げなくはしゃいだり,だのして,
こころは休息して栄養を補給するように出来ている,
はず。
だが,物事には上手い下手があり,「退行」とて同様であり,
うまく「子ども返り」出来る人とそうでない人がいる。
お盆,というのは,いわば,「強制退行」というか,「文化としての退行」というか,
頑張りっぱなしのオトナのこころを少なくともいっときは,子どもに戻していたと思う。
それが,迷信,ただの言い伝え,であると頭では分かっているものの,
どこかで,
自分を子ども扱いしてくれるご先祖様が居て,
暑苦しい中寝ようと何度も寝返りをうっている時だろうか,
蚊取り線香に火を付けるのに集中している時だろうか,
真っ暗な廊下から蛍が見えた気がして思わず一人暗闇に見入った時だろうか,
ふ,と,その存在を確信する瞬間がある。
「めんこい,めんこい」
と,自分を可愛がってくれている,どこかで―。

****

今日は13日,お盆の入日。
現在は廃屋となった生家で,ちょうど,迎え火を炊いていた時間帯となった。
明日はお盆の中日でご先祖様とともに過ごし,
15日は「送り火」を炊いて,
また来年,来てね!
と叫ぶのだ。
オトナは花火が尽きた頃,
送り火に水をかけ,じゅっという音がして,
白い灰と,淋しい余韻が束の間あり,
皆,押し黙る。
ここから先は,オトナとしての日常が待っている。
「さ,虫に刺されるぞ。中に入れ!」
こうしてお盆は終わり,
申し訳なさそうにそっと,秋,の気配が忍び込む。

無断引用を禁じます。某先生,私は爺様そっくりだそうだ。今頃,来てくれていると良いのだがね。私の所か,施設の父の所か。いや、実直な従兄弟J兄のところだべ。

ハッピーバースデイ自分自身♪

今日は,私の52歳の誕生日である。
よりによって,そろいもそろって,家人全員に予定が入ってしまい,丸一日をがらんどうの自宅で過ごした。

****

1人でごろ寝をしていて,
はた,とあらためて気づき驚いた。
「誰か」のことばかりを考えているのである。
なんか,自分らしく無くなったように思えた。

****

若い頃の私は,孤独を何とも思わなかった。
書物に囲まれていればそれで満足で,

愛だの,真実だの,美だの,永遠だの,絶対だの,

そういうものに想いを馳せて,飽くことが無かった。
目の前の現実は,くだらなく思えた。

****

それが今はこの有様。
家人はもとより,巡り合えた人々,患者さんらの顔が次々に浮かんで来ては,物思いに耽り,また勝手に気を揉んでいる。
ある人のことを思って時が過ぎる。
生きていられる貴重な時間が。
昔なら考えられないこと!である。

****

だがそれは,実は,素晴らしい進歩なのかも知れない。

若い頃は,例えば「愛」というものについて抽象的に理屈をこねくり回すだけで,浮世離れし,実生活に目がいかなかった。
今していることと言えば,自分が,何を或る人にしてあげられるか考えるのに気が付くと懸命になっている。
―実はこうして,現実に夢中になっている只中に,あれほど悩み,そして渇望していた「愛」があるのかも知れない。

狭い特定の土地で限られた時間のみを生きる,という有限性が悲しいものと感じられたが,
たとえば患者さんとの対話で深い次元での共感がなされたときに「永遠」の片鱗を見たような思いがする。

病を逆に糧にし,殻を突き抜けるように新生していく様を見ることが出来るのは,どのような美術品を眺めるよりも感動するもの。

****

大学は文学部に行きたかった。
それが叶わず,つまらなく思っていたものだったが,
もしかしたら私のような者は,本漬けになると,かえって贅言に溺死していたかも知れない。
これで良かった!と思いたい,新52歳。

無断引用を禁じます。某先生,同様に患者さんも,どこかで私のためを思って下さっているのよねん。

天は二物を与えるもので,精神医学という「学問」で有名となっているものの,実は優れた「治療者」である,という先生を存じ上げている。私には腹違いの兄が二人いて,20歳近くも年が離れているので,通常なら偉い大先生に滅相も無いことなんぞ言えないのがフツーなのに,異母兄らに言うようにずけずけと物を言ってしまう悪習がある。活字にすると敬語だが,言い方馴れ馴れしさは我ながらかなり失礼なものだと思う。

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この間,お出で下さった大御所の先生に,
「先生,どうか認知症に罹患される前に,『精神療法』の本を後世のために記しておいては頂けませんでしょうか?」
と言いかけた。
が,とっさに引っ込めた。
遠慮したからでは無い。

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現代は,「症状欄に〇を付けて行って幾つ当てはまったらナントカ障害」と診断し,「エビデンスに基づく治療ガイドラインはこう!」と(全てでは無いが)ある程度決められており,フローチャートにのっかって薬を選んだり,眠らせて通電したり,公文式ドリルみたいな治療法をやらせたり,―と,やることが決められている。
無論,全例が全例,治るわけでは,無い。

また「治る」とは何なのか?という問題も精神科では,ある。
単に症状の消失だけ,で済むのなら良いのだが,さらに根っこに向けてグン!と一踏みしなければ,似たような事態に得てしてなり得るものなのだが。

患者さんの病理の内面に突っ込まず,患者さんとの人としてのかかわりに巻き込まれず,遠巻きに,にこにこと優しさをアピールしながらの表層的な安否確認をもって診察とする。
それが今ドキの精神科医の仕事となってしまっているようだ。

これじゃお互いつまらんだろう。

若手が可哀想。
患者さんも「病を糧に進化!」が出来ないではないか。

何?「楽で良い」?そりゃ,そうか・・・ええっ!?

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クリニックの医者になり,診察する患者層は変わったが,実は,私,精神科病院が大好きであった。
特に「難治性」「治療抵抗性」とされ,長らく入院を強いられている患者さんを,好んで担当した。
退院までこぎつくことが出来て,笑顔で長年いた病棟を去る患者さんに手を振るときの喜びは,病みつきになるものだった。
そこで用いた,大技,小技のあれこれ。
スタッフの思い出話になっているだろうか。忘れられただろうか。どうでもいいわい。
精神科病院医師として最後の地となった東北福祉大学せんだんホスピタルでは,もうちょっと,やりたかったけんどもね。

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精神分析療法の研究会に,毎週東京まで自腹で勉強しに行ったり,それだけでは飽き足らず,生で感じるため田舎モン丸出しで関東方面まで出かけて就職したのは,ひとえに治療の技の探求のため。
技術の習得,新しい技の開発に燃えていた。
温故知新,閃きの活用,仲間の猿真似,全く別業界からのヒント・・・充実した日々だった。
八幡台にある「東京都精神医学総合研究所」での集まりは貴重だった。
ある症例をみんなで検討する。ボスの皆川先生はじめ,百戦錬磨の心理士や,仲間の「ポツリとした呟き」や「こういう時は,こう言ったらいいのでは」という,本音の一言が,重い。素晴らしい。「ああ,そうか!」と興奮して眠られないときもあったほどである。

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それだけでは無い。
私にお金の神様はついていないが,「師に恵まれる神様」はどうもついているようで,転勤する先々,有名無名の「すげー先生」と出会うことが出来た。
多くの先生の影響をうける中,諸先生のオリジナル技を,雑談の中,あるいは背中で,教わったし,先方に教えるつもりが無くとも隙を見てかっぱらった。
実に多くのことを学んだ。
それらが発酵して,私の臨床スタイルが出来ている。

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さて,学んだは良いけれど―
それを,通院中の患者さんに還元するのは当たり前として―
何か,背中がむずむずするような落ち着きの無さを感じてしまう。
私,学びっぱなしでよいのだろうか?
せっかく教わったことを,残さないといけないのでは無いのだろうか?

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先の大先生に「精神療法」の執筆をお願いするのを断念したのも,
私が,教わったことや,ささやかなものであるが意外と有益であった治療技術を明らかにしないのも,訳がある。

元来,精神療法は「口伝」,「マンツーマン指導」が主である。
なんでここまでコミコミこそこそしているのか。

実は,フロイトも「精神分析治療技法」について詳述しようとして止めた経緯があるのだ。
患者さんが「ふーん,こういうことを考えてやってるんだぁ」とネタバレするのをフロイトは嫌ったらしい。

が,今ドキ,ネタバレは気にしなくても良いように思われる。
私が恐れるのは「ネタバレ」では無い。
そうでは無くて,「曲解」が怖いのだ。
同じ「抑うつ神経症」に罹患したからといって,Aさんに用いて有効な決め言葉である一言が,生まれも育ちも違うBさんにとってはトラウマにしかならない,という場合が,多い。
精神科のコトバは,同じ一言であっても,その「人」によって,薬にも毒にもなる。
それを一般化して,「コトバ」だけを独り歩きさせるのは,やはり危ないのだ。
患者さんのみならず,表層だけ鵜呑みにしてしまう精神科医が,何も考えずに自分の治療場面で濫用する危険がある。

それを先人も予見していたのか,artと呼べる言葉がしっかりと書かれた精神療法の本は,一冊しか知らない。しかも洋物であり,きわめて手に入りずらい。

****

口伝,個人指導,という精神療法の基礎を教育していた,最後の砦,東海大学医学部精神科も,我々の代くらいが最後か?教授交代とともに精神療法の伝統は途絶えたようだ。

小さな精神療法の研究会が点在しているのが実際のところである。が,わざわざ,良質なそれらの研究会に勉強をしに行ったからといって,それほど大きな箔が付くわけでも無く,それだけの向上心がある若き精神科医がどれだけいるのかもわからない。

昔は鷹揚で,精神科病院で使った意表を突くような大技がたまに論文になっていたものである。一見,不真面目に見えるが,実は本質をついていてユニークなものが多かったが,今は,各方面からバッシングが来るらしく,ユニークな治療は,なされもしなれば,発表もされない。
途絶えた。それで,患者さん,治っていったのだけれど。
こうして,消えていく,珠玉の言葉たちを思うと,いたましい,もったいない。



無断引用を禁じます。某先生,「精神神経学会」の「指導医」の資格,名刺に書いて威張るのにはカッコ良いが,実際,持っていても仕方無い。返上するべかなぁ。肩書,って,どうも嫌いなんよ。

元来,土くれ,水たまり。
私は―と,偉そうに言うが,
何のことは無い,
何の変哲もない酸素,炭素,窒素,水素・・・
そんな元素の集まりだ。

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五十路に入り,病気も経験すると,見方も変わる。
正確に言うと,視点が増える。

本だの,精神内界だの,そんなものばかり見つめて過ごしてきたのだが,
この頃,玄関の前に立ち自然を眺めることが増えた。
徐々に,お馴染みの山川草木らと,自分との境界が曖昧になり,
ある種のなつかしさを感じるようになった。
そこいらの土くれにも,水たまりにも。
「自分は人間である」と威張っているものの,
もともと,
「自然」と一括りにされる皆さまと一緒だったではないか。

****

死ぬことを「土に還る」と表現する。
だったら,生まれることを「土から合成される」としてもいい。
単純な元素から,
あれやこれや色々あって(詳しくは学校の先生に訊いてね),
人間,となっている。
それで,
宙に浮く喜びや,
身を裂く悲しみや,
そんなものを感じたり,
怒りだの嫉妬だの妬みだの不信だの儲けたの損したの,
愛だの,
そんなもので右往左往している。
元来,土くれ,水たまり,なのだが。

****

土くれ水たまりが,人間として,「私」として,ここに在る,という事実は,
とても「珍しい」ことだ。
通常,ありえなーい。
したがって,
私の代から,大沼家が子々孫々に残す言葉は,
「せっかく生まれてきたのだから」
とすることにこの間決めた。

****

中学の理科の授業で「人間=人体は元素から出来ている」と聞いたときは,たまらなく不快だった。
摩訶不思議で,素敵であるいはおどろおどろしく,わけの分からない存在であって欲しかった,人間というものは。
粒の塊であるという教えに,幻滅した。

以後,化学嫌いで40年間を過ごしてきたのだが,
ようやく静かに和解したということか。
その化学の先生は極めて人間臭く我々中学生を相手に,
「人生,テキトーだよ,皆さん!」
と生きるための極意を伝授して下さっていたことを合わせて思い出した,たった今。

****

死から生を見ると,気が楽だ。
もともと,土や水だったのだから。
こうして「人間」としてあること自体が,間違いのようなものなのだから。
生まれてきたからにゃ,
生きなきゃ損。


無断引用を禁じます。某先生,言っておくが,私ゃ,絶対,悟っておらんからね。これからも悟らん。

うとうと,と昼寝をしていて,ここは実家の中の部屋で,畳の上で寝ていたのを母がそっとタオルケットをかけてくれていて,ああ,寝てしまっていた,医者になった夢をみた・・・
は!と気づくと,我がクリニックの狭い院長室でうたた寝していたのであった。

****

最近は何故か生まれ故郷が恋しい。恋しくてたまらない。
数年ぶりに従兄弟に電話をかけた。ふるさと訛に目頭が熱くなった。
「○○兄ちゃん」
「おお,俊ぼ」
五十年前と変わらない呼びかけであった。

****

運命というのは得てして意思よりも強いものだ。
修行の旅の後,医師としての故郷,秋田に庵を結んだ。

そうして,開業して,丸六年が経過し,七年目―。

わざわざお出でになり診察の隙間時間まで待って,

帰省ついでに挨拶に来てくれる人,
節目節目に近況報告をしに来てくれる人,
ふらりと立ち寄って言葉少なに笑顔を見せてくれる人,
転勤した先で頑張っているという手紙を送ってくれる人,
などなど

そんな人らが,とても嬉しいことに,あらわれるようになった。
「もしかしたら」
私は思う。
「『いおりクリニック』が故郷になった,かな?」
と。
もしそうだとしたら望外の喜びである。
「故郷」を無くした者が,今度は「故郷」になり得た,とするならば。



無断引用を禁じます。某先生,つい「お帰り」と言いそうになるのよねん。

40年近く前,数学の時間,

「借金というマイナスが,ゼロより少なくてマイナスなら,お金はプラスになりまーす!」

と教えられた。

「マイナス」と「マイナス」を掛け算すると「プラス」になることの説明である。

何か,分かったような分からないような,ツッコミどころがありそうで無さそうな,もやもやした感じがした。
それでも県立高校に入った。

****

今,精神科医業の経験を積んで,同じことを説明しろと言われたら,こう語るかも知れない。

「病気のような『不幸』というマイナスが,少なくてマイナスなら,『幸福』というプラスなのでーす!」



無断引用を禁じます。某先生,ちょっとセンチだったかな,今回・・・

市井のクリニックの医者になり,
さらに五十路を超えて,
どうも私は変だ,
感傷的になってしまった,
そう思った,
今日,七夕だと家人らに聞かされて胸がぐっと締め付けられた瞬間。

****

一年三百六十四日,
ただ一日,
この日のために,
待ちわびて暮らす,
単なる物語として聴いていた子どもの私は,
大人だったな,
今は,織姫と彦星の心中に想いを馳せてよろけながら見渡す天空。

****

何となれば年々歳々,
一年三百六十五日,
もう会うことが出来ない人との再会を,
願わずにはいられない人たちの苦しみ悲しみを共にする,
そんな仕事をしているから,
どこかで,一緒に「また会える日が来ますように」と医者のくせに祈っている自分がいて驚き。

****

今は笹薮の在り処も知らず,
笹船を流す小川も無い,
そのくせ短冊に書きたい願い事は増えてばかりで絞りきれず,
結局のところ普段の夕げと同じ日が過ぎた,
いや,この「普段と同じ」ということが何と尊いことか,
毎日,会いたい人と会えていることの幸福を一本欠けている奥歯で噛み締め。

無断引用を禁じます。某先生,厚労省は七月七日を祝日として「単身赴任者を自宅に戻す日」にすべきであると考えるが如何?

ブロ愚の更新をご無沙汰しておりました。
この間,何をしていたかと申しますと,睡眠にいそしんでおりました。

****

受験生の頃から睡眠は「悪」。時間がもったいない。
その後の半生も,やりたいこと,やらなければならないことがあまりに多すぎ,必然的に睡眠を削る毎日を送っておりました。
しかし,物事,そう思ったようには進まない。
だから,何がどう変わったか,何を成し得たか,と問われれば,大変心もとない。
やれやれ,と,疲れが身に染みる50過ぎ。
何か,良いこと,無いかしらん?

****

外来で不眠症の方の治療をしています。
治療抵抗性のケースが眠られるようになると大変喜ばれますが,これまでの私は
「はい。一仕事おしまい」
で,特段気にしておりませんでした。
しかしこの所「眠ることの素晴らしさ」を熱心に語られる方が偶然にも何人か重なり,それを聴いているうち,段々羨ましくなってきました。
そんなに睡眠が良いのなら,私もしっかーり眠ってみたいものだ。

****

そう言えば。
子ども時代の記憶をほじくり返せば,私は立派なロングスリーパー。十分な睡眠時間が必要な体質。
朝早くから,たいして報われない家事,稼業の雑事,諸々の雑多なことに追われて一日過ごす母の寝る前の口癖が
「やれやれ。『寝るより楽は無かりけり』だ」
であったことが思い出されました。

****

偉そうに睡眠指導などをしていたものの,いざ自分となると,仕事終わりのコーヒーの一杯の旨さがたまらず,夜中に延々とパソコンでネットサーフィンをし・・・でしたが,やめ止め。それより何より,私以外の家族は「とっとと寝る」ものが多く,夜中に1人でいても,寂しいやらつまらないやら,で,ぽつねんとたった一人,考えることもろくなものが浮かんで来ない。
よし!寝るぞ!
いやいや。
張り切ると興奮して眠れなくなるので,ここも「寝る!」と燃えず,淡々と。

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そうしてこうして「寝ること」に十分時間を確保してみました。
そうしてこの数週間。
こりゃ,良いもんだ!

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思い返すと・・・
母校の秋田大学医学部精神科学講座は睡眠研究に不眠不休の努力を重ねていたところ。
同じ医局でフロイトの著作を読みふけっていた私とは,一見接点が皆無のように思え,アウェイな場所にいる,そこはかとない孤独感に苛まれていましたが,今にして思うと,別物を追っていたわけでは無かったので御座います。

そもそもフロイトの代表作の一つが「夢判断」。
そこから,精神分析療法の理論やテクニカルなものを学ぼうとやっきになっていました。
確かに,夢分析から,クライエントの無意識の葛藤を知ることは出来た。
そっちの,夢の内容の方ばかりに夢中になっておりましたが,
この齢になると,そもそものフロイトのテーゼ「夢は(無意識の)願望充足である」が身に染みます。
どういうことかと言うと―
「こうだったら良いのにな」という「願望」はあるけれど,現実として,そうそう満たされるものでは無い。
往々にして,挫折させられる。
「あーあ,ダメなのかぁ。ダメだよね(でも,やっぱり,諦めるのは辛いなぁ)」
無意識に追いやらずにはいられなかった願望が,「夢」の中で成就される(その『夢』は,圧縮だの置き換えだの象徴化だの,加工されるため,本人には気づかない仕掛けになっているのが普通)。

その「夢の内容」から,クライエントの無意識を知ることに躍起になっていたのが若い頃の私。

今はただ,ひっそりと,夢の中で,現実では果たし得ない願いを叶える,という人間存在の儚さに想いを馳せるようになりました。

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私も眠って見ているに違いない―起きた時には忘却していますが―夢の中で,願いを満たしているのでしょう。
それで良いさ,と,苦笑いしています。


無断引用を禁じます。某先生,起きて見る「夢」も,寝て見る「夢」も,根っこは「願望(願い)」である,と,古来の人は知っていたのかいね?

ブロ愚,ご無沙汰しておりました。
この間,何をしていたかと申しますと,読書にいそしんでおりました。
元々,「読みながら書く」ということが出来ない性分であること半分,
この書き手の作品群にしてやられ,文章を書くこと自体出来なくなったこと半分,
パソコンに向かっては書きかけて止め,を繰り返していた次第です。

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それにしても果報者だな,と思うのです。
「凄い!」
と思える作家と同じ時代を生きれるということは。
「人間とは」
「生きるとは」
という命題に食らいついて離さず半生記,
衰退を叫ばれて久しい文学分野が未だ死滅とされないのは,かような書き手が未だいるからでは?

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それにしても純粋に読書を味わえない,因果な仕事に就いたものです,やめときゃよかった。
一読者として味わうこと半分,
精神科医としての「人間」に対する考察に挑みかかられること半分,
「趣味の楽しい読書」ではなく,むしろ一種の格闘の面もあります。
よって,疲れます。

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私がマークしているこの作家―おそらく,イマドキの人には馴染みが無いでしょうし,いかんせん的確な日本語を駆使せんとするため,いきおい馴染みの少ない言葉が多く入り,それゆえ辞書がしばしば必要になる文章,従って必ずしも一般受けするタイプでは無いのですが―どの様な「異端」の設定から入っていっても,読みこむごと,深い人間に対する愛のまなざしがみてとれるのです。
ここが,悔しい,悔しいところ。

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精神科医になる!と門戸を叩いた25の春。
「何を専門にする?」
と問われ
「精神療法」
と答えると,あっちへ行け,と。
それでそっちへ行くと,
「精神療法の何をやる?」
と聞かれるので,
「精神分析」
と答えると,担当はあちら,と。
それでそこに向かうと,
「精神分析のどれをやる?」
たらい回しに流石にくたびれた私はどういうことかと聞きました。
眼鏡を窓外の青空色に染めた先達医師は,
「精神分析に二つあり。『対象関係論』のキーワードは『攻撃性』」
ほほう,ではもう一つはいかに?
「『自我心理学』のキーワードは『愛』」
んんん,んじゃ,「愛」の方で行きます,はい,と答えた初心な私。
丁度その年に上梓されたミスター自我心理学の師匠の本にある愛の定義が,その後の私の支えになりました。
「愛とは,その人がその人なりの人生を歩むことを願う気持ち」

(付記:何のことは無い,人間の攻撃性に対する理解の仕方が異なるだけです。『対象関係論』では攻撃性を『死の本能の現れ』とするのに対して,『自我心理学』では『愛が満たされないときに攻撃性が出現する』ととる,という違いです。治療の仕方が微妙に異なります。私も後から知りました)

****

精神科臨床は,まあ,他の科もそうでしょうが,真面目にやろうとすれば結構かなりな茨の道でして,治療で苦しみ,先が見えなくなった時に,この「愛」の定義に道を照らしてもらうことしきり,でした。
(さらに「『愛』と似て非なるものに『溺愛』と『憎しみ』がある・・・」と引き続き解題されていきます。この件は白眉)
逆に言えば,私はもっぱら,この「愛」を軸にして精神科医稼業を営んできました。
悲しいことに職業病に罹患していました。
その後の私の人となり,人格形成にも確実に影響はあったのだな,と,ようやく気付けたのが今回の読書の悲しい成果です。

****

この作家の,硬い,妥協しない,感傷を排した,あたかも野太い樹木にぎらぎらしたナイフで刻みつけるような文体から,図らずも樹液のように滲み出て来てしまう「人間愛」は,まことに透明かつ伸縮自在なものなのでした。
ざっと一読する限りに於いて,神仏,親子,異性,など諸々に用いられている「愛」の概念の裏を見透かし揶揄し,挙句投げ捨てるようなこともしているのですが,その実,これら全てに通じるもの,いくら否定してもしきれない,あまねく存在し,もはや引力としか表現がしようが無いような「愛」。読み返すごと,作家のそれがひしひしと感じ取れる。
ここが,この作家の,文学の,マジックなのでしょう。
うわーずるいな!
しまった,しまった。
こっちは一種類の愛の路線でやっていた。
・・・間違った,やばい,視野狭窄を起こしてた。
もっと広く大きく見ていれば,臨床はどうか知らないが,人生違っていたかも。
気づいたけれどももう遅い。


無断引用を禁じます。某先生,しばらく読書は止すだよ。しかし,「文学」は常に「精神医学」の半歩先をいって欲しいもんだな!

「この人だあれ?」
と介護者が訊く。
童顔の老女は車椅子にかけたまま,困惑した表情で首を右に傾ける。
「この人だあれ?」
再度介護者が訊く。
同様に左に首を傾ける。
「この人だあれ?」
左に向けっぱなしの首を,再度右に向けるしかなくなった彼女が,気の毒に見えた。
私は,つとめて明るく,しかししっかりと,
「もういいです」
と伝えた。
私の中の,「母に思われている私」が,すっと,消えた。
針一本,胸に刺されてそのまま胸腔に居座ったような,痛みと悲しみと,
それと同居することを是とする自分がいた。
ついにこの日が来た。
私が母に忘れられる日。

****

前回,施設を訪れたのは半年前である。
私の手を握り,まくったシャツの裾が寒そうに見えたのか何度も戻し,
私の手をさすった。
めまいがひどく,車椅子と杖をついた息子を直視するのが耐えられない表情をし,
施設の玄関まで見送ってくれた。
その後,クスリの副作用やら猛吹雪やらに遮られ,施設に行くことが叶わなかった。
半年という期間は,脳挫傷で右半球をやられ,千年一日の如く流れる施設の凡庸な日々の中で,
一人息子を忘却させるのに十分であったのだ。

****

フロイト。
フロイトの母親も後妻であり,20歳にして長男フロイトを授かったのであるが,その溺愛ぶりは凄かったらしい。
「私の可愛いフロイト坊や」
偉くなってもいい加減年をとっても癌になってもそう言われ続け,フロイトもまた母親の元に足しげく通った。
その母親が亡くなった時,
「これで私は,死ぬことを許される身になったのです」
と友人宛ての書簡に書いている。

****

あるいは太宰治。
「斜陽」の中で,主人公の弟,直治は母親が存命中はなんとか生き,その死とともに自死を遂げる。
「母さんのことを思うと死ねなかった」
主人公に残した遺書にある一行だ。
自分の辛さよりも,自分亡き後の母親の悲しみを想像して生きる,ということは,
天才に限ったことではない。
身近なところ,随所にある。
地を這う一介の精神科医として,いつもと言っていいほど行き当るのが,この,親子の情というものである。
―それに対して
訳知り顔で正解を出そうか。
クリアカットに説明しようか。
こうすべきという道を示そうか。

昨夜は元々大手術をこなしていた胸部外科医,今は開業しジェネラリストとして地域医療に奮闘している同級生と会った。
彼がメスを置いてしばらく経った。
精神科一筋,私のメスは,医歴を重ねるごと,その切れ味が鈍くなる。
まだ若く,理論に燃えていた頃は,「親子の情」という難解な結ぼれに対する切込み方はもっともっとシャープであった。
今は,迷わず切り込む,ということがめっきり減った。
これが退化であるのか進歩であるのか,
どちらなのかは,分からない。

****

地価がべらぼうに安い。
その分だけバスも通らなければ便も悪い。
そんな所に住んでいる。
どこをどう切り抜けたのか,運転免許を持たぬ娘らがこっそり買い込み,家内に,カーネーションをプレゼントした,今日。
母の日。
「子ども,若いうちにガラガラ産んでがらがら育てたい」
23歳。新婚の家内がそう言う。見た目はどうか知らないが,原則,単純素直な私は別に異を唱えることも無かった。
果たして,親業というものは,大変なものであった。
今日,母親としての家内をつくづく眺めた。
「お前,よくやったねー」
と心の中で呟いた。
内心、母になる日を待ち続ける娘らが代わる代わるスマホで写真を撮っている。

****

親思う 心に勝る 親心

施設の母は,ゆっくりしたであろう。
私のことで煩悶することが無くなったのだから,心穏やかであろう。
施設で感じたのは,寂しさだけでは無かった。
母が「子煩悩」から自由になり得た,ということに対する,冷たく静かな喜びもあった。
身の回りの世話を親身にやいてくれる介護の方々に親しみを見せ,そして,可愛がってもらっていた。
幸福,と言えば,母は幸福なのである,今。
「宜しくお願い致します」
深々と礼をして施設を立ち去った。
母親業、終了。
私が母に成し得たことは何だろう?
良心的な施設に,なんとか入居させて頂いたこと。
これに尽きる,そんな気がした。
今は,母にとって,施設職員の方々が家族なのである。

****

惰性で購読している新聞では,人口減少の問題と,子ども一人を育てる費用の話題が,代わる代わる取り上げられている。
不安に煽られまくった人々に,クリニックで「人生,何とかなるもんよ」と呟く。届いているのか分からない。

人間は利口になったな、なり過ぎたかな,と思ったりする。
子育て,なんて報われない苦労を,買って出ることの愚を理で解剖し,納得しているようにも見える。
親子間の葛藤に進んで身を投じる,という行為に躊躇する向きもある模様。

それも分かる。
一人で生きるのも正解。
二人で生きるのも正解。
子どもをもうけるのも正解。

え?「正解が多すぎる」って?「正解は一つ」って,いつ国会で決まったのぉ?

****

そして,再度,太宰治の斜陽から。

「この世の中に、戦争だの平和だの貿易だの組合だの政治だのがあるのは、なんのためだか、このごろ私にもわかって来ました。あなたは、ご存じないでしょう。だから、いつまでも不幸なのですわ。それはね、教えてあげますわ、女がよい子を生むためです」(『斜陽』 太宰治 新潮文庫)

10代の頃,ストンと来てガン!となってギャーと叫んだ件である。
五十路に入った今も,反駁出来ない。
私は上から下まで男で,男として振る舞い、これまで生きて来たが,ふりさけみれば何ののことは無い,家内の出産と育児のために右往左往していたに過ぎない。
単に家族を外敵から守り,食い扶持を稼ぎ,ねぐらを確保し...疲労の果ての眠りにつくことをただ繰り返していただけだ。
家内が子どもを欲しがった理由を,膝突き詰めて問いただしたことは無いが,おそらく彼女自身も「よくわからない」のではあるまいか。
まだオムツがとれなかった頃の次女と三女が,もはやお古となった産着の山を「これ私の赤ちゃんの!」「これは私の赤ちゃんの!」と言って取り合いしていた。赤ん坊が、自分には自分の赤ん坊がいるものと前提している。その図は「女児の、母親との同一化によるもの」と切って捨てるにはしのびない微笑ましさがある。が、一方、どこか生々しくもある。

脅かすようで申し訳無いが,やはり出産は命掛けで,生み落としてからの苦労は幾何級数的に増えるばかりである。
大変さを増す一方の育児,汚染され放題の地球環境,母業のみに専念することが許されなくなった社会・・・
暗澹たる思いに耽り勝ちな父親の懸念をよそに,娘らはけらけらと高笑いし,懐胎し,母親になる日を夢見ている。


無断引用を禁じます。某先生,「子どもは天からの授かりもの」というが,正確には「天からの預かりもの」ではねえべかね。時期が来れば,バサッと,あたかも天に返すかの如く,お別れが来るもんよ,生きたまんまね。


  https://www.youtube.com/watch?v=BrAva-5uJik 


作家,丸山健二氏が,芸術家の条件として「どこか欠けていること」を挙げていたと朧に記憶している。
世に馴染もうとしても,何か,どこか,違う。
僭越ながら,私,実は,こっそりもろ手を挙げて,賛成。
蛇足ながら,第三者から見ると,どこか,含羞が,ある,これは偶然か。

****

「そんな私を大人たちは『思春期』と呼んで笑った」
ムスメが昔書いた作文の中の一行である。
私は不意を突かれて,それまでの自分の在り方を猛省した。
以後,「思春期精神医学」という言葉をやむなく用いる時は,こっそりと使うようにした。
他ならぬ己自身,振り返ってみれば,もっとも生きづらかった時期であった。
思春期があったから今があり,その悩みの宿題を持ち越したまま,現在に至る。
まだ片付いていない。

****

思春期を親らの言うようにして過ごせば,楽だ。
お子様の延長を続けていれば,苦労しない。
だがそれにNoという声が内から沸き起こり,かと言って何をどうすれば良いのか皆目わからず,いつ終わるか分からない抑うつ気分だけをずるずる引きずって一日が始まり,無駄に終わる。
ニキビをこじらせ,膨れ上がったおできのような日常。
それを,プツンと,はじいて,一気呵成の排膿,出血,痛み伴うがそれもまた生きている証!
故・忌野清志郎氏との出会いは運命であった。

****

忌野氏率いるRCサクセションのファンは二つに分かたれる。
1970年代にファンであった者は,偉い,勝ち,先見の明在り。
1980年代にファンになった者は,一段格下で,どこか「ミーハーじゃないの?」という疑問を抱かれる宿命にある。
はい。私自身は正真正銘,1980年代以降組です。だって子どもだったもの。
どういうことかと言うと―
RCサクセション,もともとは,フォークギターとアコースティックベースのトリオであり,そこでハードフォーク,リズム&ブルースを物凄い迫力で演奏する,というのが持ち味なのであった。
しかし,売れない。
高卒ですぐオーディションに合格し東芝に入ったは良いが,干され,干された。
特に,不良少年,万年反抗期,であったわけでは無いのだが。世渡りは,下手。
察するに・・・現世とは別の次元からモノを見,感じ,それを歌い,では,アートではあるが売れ筋にはならぬのよねん。
クビにもならぬかわり,チャンスも無く,売れない。
そんな時期に彼らの才能を見ぬき,コアなファンとして見守っていたのが1970代ファン組。
やがて,売れずにライブを黙々とこなす中,私の好きな言葉である「負のエネルギー」が炸裂,エレキ編成となり奇抜なファッション,度肝を抜く演奏スタイルで世を震撼させることとなるのだが,ここでファンになったのが1980年代ファン組。
坊主頭の私が落雷に打たれたのは,1980年代のライブ中継であった。

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干されていた時期,暗いくらい,とても暗い日々を送っていた忌野氏,使うことを禁じられてはいなかったスタジオで,黙々と曲作りに没頭していたらしい。ここが,運命の分岐点なのであろうか,アーティストとしてやっていけるかどうか,という不安は物凄いものがあったであろうに,兎にも角にも,作品を,こさえていった。
それがLP「single man」である。
しばしば「日本のアビーロード」と評される。
ほめ過ぎでないか?と私はいぶかったものだ。
一度絶版になったが,復刻運動が起こり,再版されたという経緯を持つ。
(20代の頃。秋田のとあるCD屋さんに立ち寄り,高橋竹山先生の三味線のCDを買った。店のおじさんと意気投合してしまった。話し込んでいると,その方,若かりし頃,この「single man復刻運動」に参加されていたのだという。その後,茅ケ崎に赴き,サザンの隙間に竹山をかけ,秋田に戻るとCD屋さんは無くなっていた)
RCがロックンロールの王者として活躍していた頃,鍵っ子だった友達の家でRCのディスコグラフィを紐解き,アコースティックの時代や不遇の時期があったことを知った。へー,すごいなー,と感心した。昔のマッシュルームカットの忌野氏の写真に驚いた。
友達の姉のお古であるザラ紙の音楽雑誌を横たわって読んでいた。斜陽が,半ば日に焼け,ネックがそった,錆びだらけの弦が張られたフォークギターに差し込む。
私は活字を目で追い続け,とある所で急に胸が苦しくなった。
いたたまれなくなり,そそくさと友人宅を後にした。
LPレコード「single man」の曲目一覧に「ヒッピーに捧ぐ」とあった。

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予知能力や作詞作曲の才能が私にあるわけでは無い。
が,その曲名から,レクイエムであることが直観された。
変則コードが入ることも,そしてそれが,この,何もかも終わりの夕焼けのように循環することも。
朱色にぶちまけられた悲しみも。
それは美や感動というよりも苦しみに近く「ヒッピーに捧ぐ」というコトバから逃げ出したかった。
少なくとも,受け入れる準備が出来ていないところを,急襲された感があった。
中学生,思春期の,へんてこな思い出,であるはずだった。

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医者になっていた。
もっと上手くやればよさそうなものを,学問成就,自己投資,というと聞こえは良いが,いつ開花するとも知らぬ精神分析学とやらの研鑽に金も労力も費やし,子どもも3人生まれ,楽天的になることによりどうにか生活を成り立たせている時期に,ウツになった。
その慰めにと,貯金は減る一方であったのだが,家内は私が欲しがるDVDを買い与えてくれた。
間違った。
気軽に好きなミュージシャンの姿を観ることが出来るDVDというものの存在に私は驚き浮かれ,つい,RCの昔のコンサートのそれを購入してしまったのである。
ギンギンに派手なパフォーマンスをしていた時代のRCだ。
だがそのコンサートでは,まるっきり意表を突いて
「ヒッピーに捧ぐ」
が歌われていた。
ウツがひどいときは,苦しいのだが涙が出ないものなのだが,
私は「ヒッピーに捧ぐ」で,落涙した。

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台風一過で横倒しになった稲が,何者かに導かれ奇跡的に立ち上がるかのように,それから私の感情は,再度生まれ直っていった。
長らく聴くことに禁止がかかっていた「single man」を,入手した。

純粋であることは,とてもとても困難だ。
正直であろうとすれば,誰かを傷つけ,やさしさは追えば追うほどその嘘さいい加減さに倍返しをくらう。

悲しむのも一人。
苦しむのも一人。
仕方が無いので,
「愛」というものに全てを託す。

齢重ねて鈍麻すればどんなに楽か,この感情―「思春期」と言われる時期にそう思ったことが想起された。
40歳に,なるか,ならぬかになってようやく聴くことが出来た「single man」の作品群は,半ばすれっからしであるはずの私を清く打った。打ち続けた。
「甲州街道はもう秋なのさ」の「嘘」のリフレインが絶え間なくずっと,聴こえ続ける―耳をやられた現在も。

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忌野氏が,癌になったとき,私は,声帯の一つや二つ,天にくれてやれ,と思った。
手術して治るのであるならば―
ソングライターとしてだけで良い。
それが叶わなければただ単に存在してくれるだけで良い。
一ファンとして,それが,正直で切なる,そして勝手な願いであった。
自分の道を自分で選ぶのも才能の内か。
抗がん剤で一旦癌を切り抜けた氏が歌った「ジョンレノン復活祭」での「mother」「imagine」は,唯一無二であった。
この曲が,こう歌われるために声帯を温存したのか,とさえ思えるものだった。

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万難を排して葬儀に参加しに青山まで・・・行くに行かれぬ身であった。ゴールデンウイークの日当直に当たり,精神科病院のテレビの前に居た。
棺の上に置かれた,使い込まれたハミングバード,それが「ヒッピーに捧ぐ」に出てくる「新しいギター」だった。
葬儀のときにかける曲は忌野氏が生前選曲していたと伝え聞く。
そこに,「ヒッピーに捧ぐ」は,無かった。
歌を作る職人としての矜持を垣間見る思いがした。
ロックンローラーの中では,故・hide氏に続く二番目の参列者の多さであると発表された。
むべなるかな,と私は思った。
忌野氏の世代は,私も含め,どのような形であれ日本を担いでいる。
参列,したくても出来ない,年代なのだ。

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忌野氏,没後十年が経過した。
私は耳をやられ,全く氏の曲を聴くことが出来なくなった。
年に一度の贅沢,とて,CDを春に一枚買うことが楽しみであったが,それももう無い。
気づくと自宅のコンポも壊れているらしい。
震災の頃,私を鼓舞し続けたDVDも,引っ越しと開業が重なり,どこぞの段ボールに入ったままやら,家内に破棄されたやら。
こうして,離れ離れノーノ―ベイビーなのであるが,記憶の有難き。
大脳は便利なものだ。
その気になればいつでも忌野氏のナンバーは私の頭の中に鳴り響く。

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そっと,小声でそっと,言わせて頂けるだろうか?
私は最近,思うのだ,専門家から言わせれば甚だしい勘違いなのかも知れないが。
ロックは,その母体であるブルースと同様,弱者の味方なのではないか,と。
へんてこで,折れ曲がった,くしゃくしゃの心であって,良い。肯定する。
迷惑ばかりかけ通しの,どうしようもない,腐れ縁の端っこにいる存在であっても構わない。そこに届くように歌う。
忌野氏の声には,そういう響きがある。
診察している最中は流石に無いが―
障害を抱えながら頑張っているカップルを診た後,私の頭の中には「僕とあの娘」が鳴り響く。
うつリハビリの最中の方の後には「はたらく人々」「あきれてものも言えない」が流れて良さそうなものなのだが「ブン・ブン・ブン」がくるのには我ながら驚きだ。もっとも,クリニックの事務嬢らは「ボスしけてるぜ!」を鼻歌で歌いながら仕事をしているかもしれないが。
クリニックのB.G.Mに忌野作品を流すのが夢であるが,特許の問題があるのと,忌野氏の照れから来るのか,ジンと来るバラードの後に毒舌ソングがくるのが半ばお約束になっているので,アルバム一枚丸まんまかけられない。



無断引用を禁じます。某先生,今回YouTubeから無断引用したのは私です。

平成最後の日にふさわしく,当地,秋田は薄曇り,ときどき雨。
角館の桜は盛りを過ぎ,心惑わすものも無く,いつもの毎日の延長で,言い換えれば粛々と,何事も無く過ぎようとしている。

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今日は,大学時代の友人2人―婚姻してK夫婦となった―が,遠方よりわざわざ,挫け続きの私の所に,子連れで激励に来てくれた。
出会ったのが,昭和62年,まだ十代。
平成5年に医者になったので,医学徒として頑張った時代と「平成」という元号がぴたりと一致する。
いつものように他愛の無い話だった。
夫君も細君も,かけら一つ違わない。
秋田大学手形キャンパスのいつも薄暗い学食の頃と同じ話題を繰り返した。
私にはそれがとても心地良かった。
同級生も皆それぞれに苦労しているようだ。
医療,というものに一心不乱に打ち込むことが可能であった「平成」という時代は,つくづく,平和だったのだな,と,帰りの車内で思い直した。

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どのような文化も文明も「社会」と無縁ではいられない。
病気さえ治していれば良いはずの,医療でさえ。
病気や命,と,社会,というものは,全く次元が違うものであるはずなのに,医歴を重ねるごとその結びつきの強さにホゾを噛む。特に私のような世事に疎いものは,戸惑う。浮世離れした精神科医でありたかったが,他ならぬ宿世の中で人に生き抜いてもらうことが仕事となっている。
やめときゃよかった。
帰り際,秋田市で半ば有名人の風来坊さんとすれ違った。
お互いぶつからないように気遣いあった。
その人の精神医学的診断名を考えたのが若かりし頃の自分であるならば,
今はその人の置かれている境遇や生活が気になった。
齢を重ねるとはこういうことかと思った。

ついで,「人」ということを思った。
相も変わらず,人に,愛されたり憎まれたりして毎日が過ぎる。
「『対人関係』って,得意な奴,いるのかいね?」
運転する妻にそう話しかけようとして止めた。
クールでドライな答えは,今日は,聴きたくなかった。

****

思えば心温まる,話であって欲しい。
「平成」の「平」の字。
「令和」の「和」の字。
二つ重なり「平和」。
それが続くことを。

****

大きな戦争に至らず済んだ。
私が日々,ちっぽけなクリニックでおんぼろ頭グルグルさせて考えるのは,
人が社会なるものを形成したが故の必然,個人と個人の闘争。
あるいは,悩み,すなわち個人「内」の闘争―葛藤,であったり,する。
お仕事なので仕方が無いが,やはり精神科医稼業,摩耗するもんだ。
平成の世を,盛りとして過ぎた一地方精神科医として振り返ってみようか。
個人的には・・・
精神分析学の衰退と,
発達障害概念の隆興と,
この二つは,時代の流れとして,精神医学の端くれに居る私をも飲み込んだ。
このまま溺れて流されるに違いないと確信していた。
だが実際,平成最後の日を迎えるにあたって,
まんざらでもない。
それどころか,
至って平穏な結論に至っていることに気づいて驚く。

****

精神分析学は死ぬか。
死なない。
そう断言できる。

精神分析学の概念の数々が,最近は,小難しい字面に修飾された抽象的なものでは無く,リアリティを持った,より具体的なものとして感じられるようになってきた。

自分自身のある部分がべりべりと剥がされ,噴出する血潮やむき出しになった結合組織をただただ戸惑いながら凝視していると傍らでこういう声がする「ここから先はお前自身では無い。『母親』という,お前とは別個の存在なのだよ」とー宇宙内での絶対的孤独を突き付けて来る「分離不安」。人は,くれぐれも過つことなかれ,人は、ただ、一人。

愛する者を愛してはならず,憎しむものもまた愛の対象である,理不尽さ。願望の断念の苦しみと,そこからしか始まらない人の生を看てとった「エディプスコンプレックス」。矛盾の掟から自由になることはあり得ない,

いおりクリニック開業とともに,本格的な精神分析療法は封印する結果となったのだが,日々の,普通の,一般精神科外来の中に,いや,だからこそ,か,精神分析学の概念は,より生臭く,泥臭く,すぐ眼前に,手の届くところに,ある。

様々な治療法が画期的なものとして現れた。
精神分析を過去のものとして,我こそが真として,台風の如く精神医療を縦断した。
精神分析療法はびくともしない。
なに,単に,費用対効果の側面から見た場合儲からないので,優れた治療者が激減しただけである。

****

発達障害という概念は,精神医学を一変させるものと思われた。
大きなパラダイムシフトが起き,今まで触れなかったものに触れ得,解けなかった問題から知恵の輪が外れるようにするりと抜け出せるものかと予感させられた。
だからこそ私は用心深かった。
ただの学者の狂信的な提言による疾病単位の流行が,にんげんである患者の人生を飲み込む。そしてその概念が廃ると、もはや手の施しようが無いほど医原性に傷つけられ挙句、無責任に放り出される様を見るのは,もう懲り懲りだ,と思っていたので。
その概念は,臨床の色合いを,ちょっぴり補完しさえすれ刷新はしなかった。
小さなクリニックに蟄居した身は,きわめて自由だ。
相手がだれであれちょっとしたやり取りが生じた際,ふ,と呟くことが増えたくらいが,変化と言えば変化。
「発達障害?あなたがそれでしかモノが言えないんだったらそれはそれで良いさ」
発達障害だか,パーソナリティ・ディスオーダーだか,寡症状性統合失調症だか,それでも何とか折り合いつけて「社会」とやらで生き抜かんとする人らがやって来る。ようこそ。もっとも私もそれほど人付き合いが得意な方では無いのだが―

****

平成最後の日は,何も無い。
K一家と別れて,薄口のうどんを食べた。
秋田は少し,湿気寒い。

昔々昔々・・・
偵察機で帰還した竹馬の友の肺腑は射貫かれ血を吐いていた。
「どうか生きてくれよ」
父の腕の中でその人は息絶えた。
庄屋の下働きをしていた子どもの頃から無駄な殺生とは無縁の父であったが,
敵国,
見えない,漆黒の,闇の中にある,大きな敵に,
朋友をいとも簡単に撃ち殺したその相手に,
銃剣一本で突撃する,
それしか自分の生の終え方は無いのだ,
そう思わせた昭和は終わり,
平成が過ぎ,
父親を超えることがエディプスコンプレックスの完成ならば,
それは辛くも頑張り得た,ということになり,
「平成」の「平」と,
「令和」の「和」が,
つらなり「平和」になるということが,
(よしんば政治家の錯誤行為であったとしても)
人類にとって耐えず努力し超え続けなければならない壁であるのだ。

無断引用を禁じます。某先生,終わりの光景は,ありふれた平凡な瞬間,であるのが良いな,オラ。

手術をしてから五年経った。
あの日から,私は今日という日をどれくらい待ち望んだことだろう。
ついに,この日が,来た。

****

この記念すべき日の始まりは何であったかというと,
「ファックス・コピー機が壊れました!」
という事務嬢からの一報であった。
電気回りをお任せしている会社はお休み,丸一日,右往左往してようやく何とかなる見通しが立った。
世は十連休とて浮かれているのに,何やってんだか,俺。
だが,感慨深くもある。
無骨な,いかにも安っぽそうなプラスチック製のくせにいざ触れると頑丈な造りのファックス・コピー複合機よ。
クリニック開業してから丸六年,よくぞあれだけの酷使に耐え頑張ってくれた。
連休前の,いおりクリニックにあるまじき忙しさの中,何とか踏ん張り,最後の最後、会計の締めの段になり,息絶えた。
連休後の診察に差障り無いように,昨夜,息を引き取ったのである。
これまで有難う。

****

しばしばこのブロ愚で「愛の病院秋田大学医学部付属病院」と書いている。
半ば,冗談,半ば,本気,である。
私はとんでもない患者だ,と自分で思う。
何より,素直で無い。
違うと思えば違うと言い,合点がいかないと駄々をこねる。
さらに担当医を後輩と思ってしまう部分があり,立派な医者になって欲しく,ついついいちいち厳しく当たる。
私自身,スパルタ教育で医者になったので,他の伝え方が出来ない。
我が愛する後輩ドクターにしてみれば,小うるさい面倒な医師免許保持者のおっさんが,つべこべ喧しいだけ,だろう。
さらにステロイドに滅法弱く,副作用で,入院すると不眠やら焦りやらでいっぱいいっぱいになり,病棟に相当ご迷惑をおかけするのが常と来ている。はっきり言って,嫌われ者。有体に言って,迷惑患者。
なのに,見切られもせず「はいはい,よしよし」と治療して頂いている。
有り難いことである。

****

病を抱えて五年も経つと,家族の疲弊もたいそうなものになる。
うつ,のみならず,身体の病,と,家内には波状攻撃をかけた形になり,これはもう何と言えばいいのやら・・・。
「健やかなるときも、病めるときも」
見た目裏腹,けっして丈夫では無い家内の身をかばい続ける覚悟で結婚したら,全くその逆だ。

旅行。
お洒落。
グルメ。

そんなもんと屯と無縁の,
そればかりかクリニックの裏方から私の面倒から苦労が増える一方の,
辛い日々を強いてしまっている。
この配偶者,という存在無しに,私,
有り,難い。

****

私は最近思い出す。
まだまだ若僧だった頃の,片田舎の総合病院での出来事を。

心肺停止状態,何とかしなきゃ,ああっ!早くしろ!もしかしたら,やれ,やるしかない!
救急外来は猫の手も借りたい状態となっていた。猫よりいくらかマシな私もそこに居てあれこれ手伝った,つもりでいる今も。
総がかり,汗だくの心肺蘇生で,何とか,心臓が,蘇った。
みな,ほっとして,それぞれの持ち場に帰っていった。
主治医の悩みはそこからだった。
意識が,戻らないのである。
日に日に,周囲は,焦り,疲れていった。
「大沼君。俺,やっぱり,余計なことしたかな」
蘇生を遂げた内科主治医が,私と二人きりになった時に,ぽつりと,呟く。
私は患者さんの脳波をとった。大掛かりな紙の束をめくった私は,可能性,あり,と採った。
「先生,もうちょっと頑張りましょうよ」
つとめて明るく伝えた。
その日は比較的突然やってきた―いわゆる通過症候群を経たため私も呼ばれたのだが―結局,その患者さんは笑顔で退院となった。

そのエピソードを忘れたころ,医師住宅で,湿気でページが歪んだ本をめくっていると,救急オンコールが鳴った。
救急室に行くと,その人が居られた。
後遺症で悩まれていた。
以前のような自分では無いことが辛い,と嘆かれていた。そして,そんな身になってしまった自分の生きる意味を私に問うた。
精神科医を名乗れど,二十代。未だまだ,人生や不幸,痛み,というものを,概念的にしかとらえられない若僧である。
そんな自分が歯がゆかった。
「我々も懸命に頑張ったんだから,どうかその命,大切にしてくださいよ」
と,気づくと思うがまま口にしていた。
無論そんなことは理屈にならない。尚も己の存在意義を問い畳みかけてこられる。何故,生きねばならぬか,と。
「生きる!理屈抜きです」
そう伝えるのがやっとだった。そして精神科外来での再会を約束して頂いた。
それは果たされた。
クスリは何を使ったのか,どのような介入をしたのか,全部忘れた。が,徐々に,ではあるが,診察の間隔は伸びていき,最後は私の転勤に伴い精神科治療を終了したことを覚えている。

その思い出が,他ならぬ現在の私を,生かす。
何という有難い記憶だろう。

****

毎日,近くで診る患者さん。
遠方で無事を祈念してくれている友。
私は生きているのではなく生かされている。
有難う,有難う。
その恩に報いることはただ,自分がやれる仕事を黙々とこなすことだけだ。
御免。それしか出来ない。

無断引用を禁じます。某先生,「生」は授かりもんだんべな。

明日は師匠の命日である。
2016年5月2日「ありがとうございました,皆川邦直先生」というブログをお書き申し上げた。
書かずにはいられなかった。
師匠と同じ病気であったが,私は「ズダボロの肉体に,精神という釣り針噛んで」生きる,と,そこで師匠に誓った。
来週,4月28日で,手術して丸5年が経過!
やったぁ・・・ほっ。
危険なゾーンから全力疾走で脱出,安全地帯に滑り込んだ。
長い,とてもとても長い,五年間であった。
秋田大学医学部付属病院の愛の力と,いおりクリニックで私を信じ支え続けて下さった,患者さんのおかげである。
二言無し。

****

「病からの逃げ切り」は大変有難い事だ。
これ以上あれこれ欲して言うのは贅沢というものだ。
動けないこと(診察室内は勝手知ったるものなので大丈夫),軽度の難聴(診察可能なのでこれまたセーフ)でときにずっこける。が,んなもん想定範囲内。
あちこちの「ズダボロ」さは,想像していたより地味で陰鬱であるが,これに対しては笑うしかないので笑うワハハ。

そんなことより最近は―
肉体から余計なものが削がれ,消えていき,「『診療』に必要なもの」だけがこの身に残っているような錯覚に陥ることがある。

私が病気になったことが明らかになると,いおりクリニックが早々に消えることを当て込んでの新規開業がいくつもあったのだと聞いた。なるほど,ビジネス的な見地から見ると,効率的だ。頭良い。そういう経営センスには脱帽するしか無いが,そもそも,クリニックのコンセプトが違う。

私は,人さまの「魂の治療」のために生きている。生かされている。
いおりクリニックの存在理由・目的も,それに尽きるから,あまり気にならない。

****

副作用の無い薬は無い。
昼頃起きて居間で倒れていると,長女がやって来た。
この春,社会人一年目。
先輩らの愛の鞭,有難きご指導をびっしびっしと受けている最中,である。

「初給料頂いたので,御馳走したいんだけど,食べられそう?」

私は驚いた。
過激に動き過ぎたり急に止まったりするわがままな我が腸もあまりのことに苦しさを鈍麻させた。
秒単位で噴き出た口内炎が消えた。
それほどまでに心揺さぶられた。
なかなか寝付けずくらくらした頭が急にしゃっきりし出した。

****

箸にも棒にもかからぬ娘であった。
私が単身赴任から自宅に戻ったのでようやく高校をサボることを止め,だからと言って何かに精進するわけでもなく,放課後は親友とうだらうだらして過ごす―。
それで何となく生きていくのだろうと親子ともども思っていた矢先,5年前に私の病気が発覚した。

お前が青春とやらを謳歌することを応援出来ないだろう。
進学は,妹2人をひかえているし,なりたいものもなさそうだから,潔く諦めなさい。
―が,長女は「嫌だ」と言い張る。大学を出たいという。確かに私が前勤務していた東北福祉大学は良い大学だが,学費納入も仕送りも,大変そうで自信が無い。

なんだ?なんだ?どうしたどうした?
残り一年も無いというに,俄然ドタバタしはじめ,奨学金をかき集め「高校は進学校では無いので無理でせう」のはずがまんまと国立大学入学を果たし寮に潜り込み,とっとと卒業を果たしてしまった。

****

「何が食べたい?今日食べられそう?」
甘えん坊でやんちゃくれで泣き虫で,そのくせ思春期の頃はしっかーりと手こずらせてくれ,心配しかしていなかった長女の気は,今や死語となった「親孝行」という字で満たされている。
私にしても変だ。ずっと忘れていた「食欲」なるものが鎌首をもたげてくるのが分かった。

高くも無いが,安くも無い。
勤務医時代,入学式やスポーツ大会,など,何かおめでたいことがあると皆で行っていた,焼肉屋の名を挙げた。
「ああ,そうしよう」
そして,
「あそこのお店は,ウチの会社と取引あるし,儲けてもらいたいし,ちょうど良いね!」
―ビジネスの道に入った娘を,しみじみと,見つめた。

****

いやー!今まで飲み食いした中で,一番うまかったのは母親からの初乳ですな!
などとボケている暇もなく,席に着いた。
私は感極まり「社長を呼んでくれ,記念写真を撮るので一緒に入ってくれ」などと言いだし,家族らから諫められた。
私はたらふく,食べたいものを食べ,飲みたいものを飲んだ。
どれもこれも,嬉しいものだった。旨かった。うまかった,馬勝った,牛負けた・・・はしゃいだ。

真の「親からの自立」が出来てはじめて「親孝行」が可能になる。
親ー子間の葛藤がまだ生々しく残っている間は,身銭を切って親のために外食になどいざなえないだろう。
そうちらと思うと,変な寂しさとノスタルジアが苦みのように混じてきたので,辛いスープに白米を入れておじやにして食べた。

怒鳴られ叱られ,冷や汗かいてくったくた,の毎日。その汗水の結晶である,初給料での御馳走は,私の記憶にある限り,初乳より甘く旨く,滋養に富んでいた。母親からの初乳には,子がバイ菌に負けないように免疫グロブリンがたっぷり入っていて,赤ん坊の身を守る。
今日の娘からの食事にもまた,私をこれからも元気で活かす,疫を免れる物質がたっぷりと入っていた。


無断引用を禁じます。某先生,後で私が飲み食いしている動画をDVDにして送るわ。

「世のため、人のために生きる」
で良いんで無いべかねぇ?

人生、不安や苦しみはつきもので、その度に悩むのだけれども、そして、「何故生きる?」「何のための人生?」と思いつめたりするのだけれども。

もっとシンプルに。
子どもの頃に親に教わった言葉を思い出して、
「世のため、人のために生きる」
と思うと、心がすっとする。


(専門的には『超自我』の話になるんだべかな)


無駄引用を禁じます。某先生、「偽善者!」って怒られるかな、俺。

家庭内女性陣にばれないようそっと書いている。
初恋の人の誕生日だ。
男というのは馬鹿な生き物で,こうした思い出を大切にしている。
もっとも,田舎の中学生,付き合うもへったくれもない。
ただただ遠巻きに眺めているだけだった。
緊張して普通に声をかけることも出来なかった。
それにしても不思議なことだ。僻地ゆえ,保育所から中学までの十年間,三十数名,顔ぶれが変わることが無かったのに,私は彼女と席が隣になったことが一度も無い。数学的に計算してみるとこれは凄い確率になりそうなのだが,今さらどうでも良いわい。

****

最後に会ったのが,お盆に行われた村と町の合同成人式のときだった。
「医学部入ったの?」
「うん」
「何科に行くの?」
「わかんね」
これだけの会話だけだった。

****

あれから31年。
公私ともども様々な人と出会い,それぞれの半生をお聞きした。
特に心療内科・精神科をやっているから,という訳では無いのだが。
通勤途中に見える太陽にこう呟く。
「お天道さんよ。もう少し『運命』ってやつを,甘くしてやってもいいんでねぇべかね」
生きること,大変だ。

****

「平凡」は,難しい。
「月並み」であり続けることがいかに困難か。
私も,彼女も,ついでにおまけに気が向いたので付け加えるにやぶさかでないので何となく書いてやるが同郷の幼馴染らも,ただただ生きるのに精いっぱいだろう。「オジン」「オバン」とからかっていた中年下り坂の年に自分らがなった,そのことに気づくのは鏡を見た時くらいであろうか。
ハッピーバースデイ。㋃が誕生日なので,㋇生まれの私より先に一つ年上になるのが気になった。
ハッピーバースデイ。もし今そう伝えたら「この年になったら嬉しくも何とも無いわ!」と笑って叩かれるだろうか。
だけどもハッピーバースデイ。とにかくここまで生ききった。しんどい,しんどいと言いながら。

****

再会することはあるまい。
時はただただ一方向に流れていくだけだ。加速度を増して。
お互い,身も知らぬ愛情対象のために命を削って今を生きている。
なあに,感傷的になっただけよ。
昔々,中学生のガキんちょが,人を好きになった,それだけの話。
全く幼いちっぽけなものだが,それでも,愛は愛,だった。


無断引用を禁じます。某先生,得てして,男はよく過去を振り向くなぁ。女は前しか見ないなぁ。

明日大学の入学式をひかえた次女がテレビの前で私を呼ぶ。新元号が間もなく発表されるという。
私は,常に世事にとんと疎く,世の動きに対してもぼんやりしている。
今回の改正も「診断書の書式変更をいつまでしなきゃならないかあ?」を気にし,あまり関心を持っていなかったはずなのに,何故か,にわかにドキドキしてきた。

「令和」

最初その字を見た時,真っ先に「令」の字に目が行った。
「大宝律令」「命令」の言葉が浮かんだ。
ええっ!何か強いられるのぉ!?
続く「和」の字を見て少し安心した。
「和」の字は私も大好きである。
でも「和」を「命令」される・・・の?
続く首相の会見で,「令」の字が,オキテや命令の意味では無いことを知ってほっとした。
「令」の字には,もっと温かい意味があるのであった。

語感が今風である。
これには意表を突かれた。
簡単な漢字ながら,もっと古風で,頑固で,ガツンとした言葉が来るのだと思っていた。
「れいわ」という音韻,唱えやすい。
言うは易く行うは難し,である「和を以て貴しとなす」精神が,都会の(もちろん田舎のも)子どもら若者らにとって身近になってくれそうな気がする。

席を外すと―
頭の中に,エリック・クラプトンの「愛しのレイラ」のギターフレーズが浮かんできた。ここで「レイワー♪」と鼻歌を歌うのは不謹慎である。が,これほどまでに,すぐに染み込む言葉のようだ。

テレビでは解説の皆さまが「令和は『L』?『R』?」としきりに気にしていた。
何だか「右?左?」と,思想の傾きを問うているようで,一抹の後味の悪さが残った。


無断引用を禁じます。某先生,本当に「和」であって欲しい。「和」のために,もう,全力で,皆で,我武者羅に,頑張っていけたら。

いやはや何ともこればかりは・・・。
長女が明日から,社会人としての第一歩を踏み出す。
4月1日,初出社。
私は気を揉む。
世の中,きびしい。
幼かった頃は,底抜けに明るく,大きく笑っては私のこころを和ませてくれたものだ。
いつも笑顔だった記憶しか残っていない。
それが,社会に出て,苦労していくのかと思うと,いたたまれなくなる。
どんな職場でも,使い物になるまでは,愛の鞭が飛びまくるだろう。
最初の一,二年は泣いてばかりだろう。
そんなとき,22年前のように,抱っこしてあやしてことたりる訳では無いのだ。

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激動の昭和の頃はまだ,「家事手伝い」という立派な職種があり,「花嫁修業」という概念が存在していた。
自宅に居て過ごし,見合い結婚をするという道があったのだが,今はその選択肢が消えつつある。
キャリアと横文字にするとカッコイイし,女性の社会進出と言えばそれはそう。
だが実際は,働いて恋愛して結婚して御飯作って妊娠して出産して育児してまた働いて・・・かかる負担は物凄い。
協力的な良い男性と結婚できたとしても,やはり女性にかかるストレスは昔の頃とケタが違う。
可哀想に思えてしまう。
資産家となり娘が働かなくても食べていけるようにしてやれなかった自分を責める―あれ?なんか変な方向に思考が行くぞ?

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いやはや何ともこればかりは・・・
ええい,いくら心配していても意味が無い!
娘ならきっとやっていくだろう。
どんな荒波も―まあ,ときにコケるだろうが―なんとか超えていくだろう。
そう信じることしか,父には出来ない。

無断引用を禁じます。某先生,私の親もそう思っていたんだべかね?

今日は春分の日。
墓参りに行けない。ご先祖さま,ごめん。
自宅にいて,ゆっくり休日―のはずなのだが・・・・

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もう生まれつきの性分なので半分諦めているが,私はかなりの「心配性」である。
それが,あろうことか医者などになってしまい,さらにあろうことか無かろうことか精神科なんぞになってしまい,辛い。
医者!
休み!
リゾート!
ハワイ!
などと連想される方もおられるかも知れないが,実際のところは全く違う。
遅く起きて,ぬるいチキンラーメンを食べて,横たわって,ぼけっとしているに,は,と気づくと,患者さんのことを考えている。そして僭越ながら,「心配」申し上げている。

辛さは和らいだだろうか。
不安に対してどう対峙しているだろうか。
良かれと思って言った一言をどうとったであろうか。
あの処方でダメなら次はどの処方にしようか。
・・・
次々と顔が浮かぶ。
「今度はこうしよう」
「あれでダメならこれでいこう」
そんなことばかり考えている。

これは,精神療法業界では「絶対やっちゃダメ!」とされていることなのである。
あくまで「仕事」なのだから,プライベートにまで持ち込むことはお互いのためにならない。
その心配は,治療的では無い。

・・・それは,理屈では分かる。
分かるんだけどもなぁ。
野に山に海に!行って,風景に心取られたりするならばまだ良いのだが,どこへ行っても,想起してしまう。
いやはや,参った。

5Kであった勤務医の働き方にもようやくメスが入り,私が若かった頃のような「いつ寝ているか分からない」労働環境が改善されようとしている。それは喜ばしい事なのであるが,はてさて,それでは休める時間が増えたからと言って,本当に開放されるのか?というと,私や私に類した者は,心身開放までは至らず,身開放でとどまりそうだ。

この「心配症」を治してくれる精神科の先生,おられませぬか?

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多分,抜本的な解決方は,「趣味」を持つことだろう。

高校生までは読書が趣味であったが,精神科を選んで,しかも精神療法なんぞ専門にしてしまったために,読書が嫌になった。
下手くそなギターをかき鳴らすのが好きであったが,とりわけ高音域が入らない難聴に罹患してしまい,これまたダメになった。
ならばドライブと洒落込もうか?・・・最近,ガソリン代,高止まりなのよねん。そして運転しつつ考えること,これまたやはり心配なこと,なのだ,救われん。

そして寝っ転がって,うだうだして,目が寂しいので読むのは「カプラン精神医学テキスト」「現代精神分析叢書」。
本を閉じれば誰かの心配。
うぎゃー!

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しかししかししかししかし。
5年前に病気をして,昨年もとばっちりで入院をしたりして,過ごしていたのだけれども。
多くの患者さんが,控えめに,しかししっかりとした口調で,
「先生,心配していましたよ。元気になってよかった」
と異口同音に仰って下さるのである。

私は,大変有難く思うとともに,深く恥じ入った。
自分だけが一方的に「心配」しているのではない。
患者さんも同様に,私を心配してくださっていたのだ。

私は,自分ばかりが心配していると,思いあがっていた。
そして,患者さんが私を心配して下さっていることに,深い感謝の念を抱いた。
「ご心配,ありがとうございます」
そう申し上げるしか無いのが,もどかしい。
感動が,伝わりきらない。

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「心配」という日本語は,あまり良い意味で用いられることが多く無いと思う。
「ご心配をおかけして申し訳御座いません」とか。
自分のいたらなさのために相手の心をかき乱した,という罪悪感が見て取れる。

だが,「心配」じっと字面を見つめると,実に良い日本語だと思う。

自らの「心」を「配る」-誰かのために。

「心配」無くして,何が医療だ。

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先ほどの「患者さんのことプライベートで考えちゃダメ!」という教えは,ややもすれば精神療法家,そうなってしまうから,気をつけなさいよ,自分のこころをまず健康に保つように努力しなさいよ,という意味でもある(より詳しくは『逆転移』のテーマとなってしまうがマニアックに過ぎるのでパス)。
相手を思い込みすぎること,そしてそれで二人で身動きがとれなくなることを危惧しての,フロム・ライヒマンさんの教えなのだろう。なーに,他ならぬフロム・ライヒマンさんだって,捨て身の治療者だったくせにぃ。だからこそ「おい,若いの,私みたいにやると失敗するゼ」との教訓であると考える。

はい。可能な限り,そうします。


無断引用を禁じます。某先生,先生は株価の上がり下がりばかり心配しとるよね。

人生,こりごり。
齢を重ねるごと,疲れる,バカにされる,裏切られる,騙される,欠けていく,去られる,邪魔者扱いされる。
人間不信が加速度を増す。

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この間,樹木希林氏が亡くなった。
先日,夫の内田裕也氏が亡くなった。
「自殺」と向き合う精神科医業をしているのだが,私だけだろうか,喪失の悲嘆を扱うことはあっても,「後追い自殺」というものに出くわしたことが無い。
そうすると,愛する者が死んでも,尚も生きてしまうのが人間の業のようにも思えて来る。
だがよくよく思い返すと,配偶者が亡くなって間もなく亡くなられた方は,予想以上に多かったことに気づく。

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どんなに強い人間でも,老いて動けず,病んで立てず,の日が来る。
そんなことなぞお構い無しに,世は回り,よその人々は自らが生きることに忙しい。
いちいち憐憫をかけてくれる者なんぞいない。
眩し気に当たり前であったはずの周囲を見回しても,誰も一瞥もくれやしない。
―人は,終わるときは一人なのだ。
絶対孤独に気づく。
今頃気づいたか,馬鹿め。
そう言うのは他ならぬ自分自身だ。
枯れ,しな垂れて,迫りくる終焉を意識したとき,
長きにわたって共に生きて来た存在がもしあったなら,
考える間もなくその相手に寄りかかるであろう。

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他ならぬその相手にとっても,実は,他ならぬ自分が全く同様の存在である場合もあるのだがそう気づくことは稀だ。
若い恋人たちには無いその寄り添いは,自他不分離の質のものであるのかも知れない。
よそ見をしているうちに,
一方が枯れ,
必然のように,
もう一方が枯れる。
人々はその様をちらりと見て「後を追うように」と常套句を用いてひとりごちる。

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出会った,これから先のある人々に,自分の子どもらに,「結婚は良いもんだ。是非ともしなさい」とは言わない。
夫婦が本質的に他人である以上,どうしようもない裂け目に出くわすことは必ずあるのであり,その時,「結婚は良いもんだと言われたから」と考えるのか,「自分で選んだ結婚だから」と思うのかでは,自ずと納得の仕方も解決の仕方も異なる。
それは,自分で己の人生を選択して生きる,ということに他ならない。
配偶者選択には自立が必要なのである。
無論のこと―
自立した上で「結婚しない」という選択をするのもまた良し!
(仕事柄なのか世の一般的なものなのか不明だが,『結婚して良かった!』と本当に思っているカップル,目測3~4割。今さら仕方ないので『良かった』と思い込むようにしているカップル入れても5割超すかどうか)

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百組の夫婦がいれば百通りの結婚観があり,それはその人生観をある程度反映する。
当たり前だ。
これに是も非も無い。

無断引用を禁じます。某先生,結婚のメリット「配偶者控除」のシステムが一部変わりました。ご注意下さい。

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