逆旅

生家のある田舎が「奥の細道」にて松尾芭蕉が通った場所であり,それを聞いて育った私は,幼い頃から「旅」に憧れていました。やがて,人生そのものが旅であることに気づき,また齢を重ねるにつれ,同様の存在である人=旅人を迎える存在でありたい,と願うようになりました。ブログ名の「逆旅」には,「旅そのもの」の他に,「旅の宿」という意味があります。自ら旅をしつつ旅人を迎え入れる,そんな日常での,独り言です。

寝る、ひとり
ああ思い出が
やかましい

患者さんありがとうございます。


無断引用を禁じます。某先生、だって他に言いよう無いもん。

自力で食い物を得て来られなくなったら,後は,おしまい。
一家そろって野垂れ死にするしかない。
それが当たり前。

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では無いらしく,社会はそこまで人を見放ささず、そこそこ救ってくれるらしいのだが、私にはどうもピンとこなかった。
朝から晩まで芥にまみれ、働きづくめの雑貨屋の主人の,後妻の小倅にとっては、とても。

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ピンと来ない,と言えば。
結婚して家内が宇宙人ではないかと穿ったのが,まさにこの点を巡ってのやりとりに於いてであった。
勤め人の娘である家内は「組織にて偉くはなるな,ただ奉職せよ」と言う。
言っていることが,分かったような,分からないような,ちょっと分かったようにも思うが,やはりよく分らない。
不思議なことを言う人だ,君は。

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それこそ被雇用者精神科医であった頃は,患者さんの生活や労働,金銭に関しては優秀なケースワーカーに丸投げであった。
見ているのは,患者さん本人,その病理。治療しか念頭に無い。
我々の師匠の年代はというと左翼な人が多く,何かにつけ「労働者が一番偉い」「金の出どころどうなっている」ばかりで,それへの反抗も多少あったのか。
いや,天然に,「社会」だの「金」だの「労働」だのに,疎い。

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みゃーみゃーみゃー!
名古屋は今日もみゃーみゃーみゃー!

被雇用者精神科医はかりそめの姿であり,自力のみで生きるのが本来の姿。
もう,そう刷り込まれているとしか言いようがない身であった。
何がどう不満,とか,そういった次元の話ではなく,開業するのは必然でしかなかった。
独立するにあたって「お前,覚悟は出来ているんだろうな」式のお言葉は頂戴したが,それ以外の生き方は見て来ていない。
覚悟,まず先にありき。
というのが正直な所であった。

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開業して一年もしないうちに病気を負う身となった。
笑われる自分を鑑み大笑い
なのだが,これまた,運命なのだ。
これこれこういうハンディを負った上で勝負せよ,という。
そう,今やっている開業医としての仕事はいわば「ハンディキャップマッチ」としての生存競争。
ここに「もしも完全であったなら」などという仮定形は存在しない。
これでいいのだ(バカボンのパパ)。
これがいいのさ(Rock me baby 忌野さん)。
全部ひっくるめて私の「仕事」の在りようなのである。

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開業してはじめて,「労働」と向かい合うこととなった。
私だけ黙々と働くことしかイメージしていなかった。
が,実際,「人を雇う」。これには慌てた。
当院で働いてもらう以上,出来れば不幸になって欲しくは無い。
その願いが下地にあって,「労使関係」なる仰々しいものと向かい合わなければならない。
だがこの「労働法」なるもの。かじってみて思った。
「『守られている』という面では,実は勤め人が一番!」
-と。
家内が語っていた宇宙語がやっと理解出来た。
「偉くならない」
「ただ奉職する」
というのは,最も効率的であり,かつ疲れない生き方である。スマートだ,と言い換えても良い。
そう思うに至ったのは,私個人が多くの馬鹿をやり,また馬鹿であり続けているからなのだろう。
だが問題はそんなに単純なものでは無い模様である。

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「偉くならずに奉職する」ということは,実はとても難しいようだ。
「偉くなってしまう」自分が無くなっていく,「奉職する」隷属の日々の憂さを晴らしきれずに翌日に持ち越す,そんな落とし穴と背中合わせの日々が続く模様。
これは大変だ。
生きていることは,身体に,悪いな。

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労働。
-ここから
「個人と社会」
「自己実現と妥結」
という葛藤部位に降りていく。
個人クリニックでの一般外来は軽症(うちにお手伝いにお出で下さった偉いえらいS先生評「いおりの患者はんは『半・病人』やな」なるほど,うまい!・・・通院中の方へ。ちゃーんと病人も診させて頂いてますさかい,ご心配なさらんでよろしゅうおます。バリ精神科医でした,こう見えて)が多く,こうしたテーマが多い。
そこから浮かび上がる、個人像がある。

安易な一般化や容易な結論付けは許されない。逆だ。ありふれたテーマであるからこそ,個々人により答えが違うのだ。

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かく言う私も,身体疾患の方がご機嫌ナナメだと,労働をきつく感じてしまう。
これが勤務医時代だったらとっとと手を抜いて外来も流して終わりだったろうなぁ。
うわ,こういう奴,雇いたくねぇ,と思われるだろうか。

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最近,オモロイ部分が回復してきた。
「今まで聴いた曲をそのまんま頭の中で再現する能力」
である。
皆さん。
全国一億五千万の逆旅読者の皆さん。
この能力があると,得です。
iPodだのCDだの,要らなくなります。

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外来での「労働話」が増えてくると想い出す,二つの曲がある。
「おそうじオバチャン」(憂歌団)
「ボス!しけてるぜ」(RCサクセション)
どちらも,70年代和製ブルース。どちらも,労働がテーマ。そしてどちらも,「放送禁止」くらっている。
私個人,外来が煮詰まり,ああ,疲れた,キツイなあ,と感じたときには「おそうじオバチャン」を頭の中で鳴らすようにしている。
今日も♪歌って♪仕事する♪


無断引用を禁じます。某先生,労働基準監督署員の過労死ってあるのかいな。

あーまた寝られねぇ。


某先生、起きろ!

人は「こころ」では無い。「こころ」なんぞ、生きていくのに使われる道具に過ぎない。

うつは、心の強い人がなる病気。

うつは身体も頭も動かないのが本質。感情や気分はそのせいでやられるのであり、逆では無い。

全身打撲の骨折で動けないのと同じ次元の話。

「リカバー」と騒いでいるが、病気になる前に戻ったら、また同じ道辿って病気になる。真の治癒は「ディスカバー(発見)」による。

「自殺念慮」脳みそのごく一部の神経が発火してるだけ。鎮火するまで時間かせぎしていればよい。


ーなどなど、やらかしたやらかした、6年前の本。
我ながら、よくもまあ、暴れたわい。
「精神医学のパンクアルバム」の称号を得た問題作。
ふん!
ちゃんとISBN取ってるもん!

面白いもので、大御所の先生方は「良い本だ!」と褒めて下さっていたようだ。嬉しいなぁ。
が、中の下〜中の中御所くらい、よく製薬会社に宣伝の講演会とかで担ぎ上げられ、褒め殺しされ新薬販売のためコキ使われてるクラスの医者は、良くは思っていなかったよう。

後から知ったが、この本、私の知らぬところで物議をかもしていたらしい。
残念、当の私は開業すべく融資を頼む秋田銀行のご機嫌とりをしていたのである。
「利子いっぱい払うからさぁ...良いだろ、これくらい...」と、融資係の耳元に甘くささやいていたのである。
いつだったか、私が録画で出演したテレビのDVDみたら、メイクもうちょっと薄くしても十分綺麗だよー「多分!」な年配の女医さんが「うつは骨折と同じです」と語ってADの指示で出演者の皆さん唸っていた。

おお、我が著作お読み頂きAZMS!

そして、あちこちでパンクを常識として語ってくれるようになった皆さんAZMS!

数年に渡って深夜まで推敲する場を与えてくれた、サイゼリア仙台南吉成店AZMS!


このAZMSはどうやら「ありがとう御座います」のことみたいです。あほの次女が中学時代、陸上部で「あざます!」と体育系挨拶してたから、その略では?

最近、寝付くまで見るフロム・ムサシノ氏の国産ブタメンのブログ、それに頻用されている。
毎晩まいばん、繰り返し繰り返し読んでいるうちに、無性に使いたくなりました。
これから、ラストは某先生では無く、AZMS!にしようかしらん。
赤羽のラーメン富士丸に、1度で良いから行ってみたいが、叶いそうもない。

自慢話ばかりするとつまらなく不快に思われる方も少なく無いので、不幸な話もします。


いわゆる「うつ」に関しては、あれでもういいや、おしまい、と思うのだが...

クリニックに身を移してから、俗に言う「新型うつ」「現代型うつ」「非定型うつ」と向き合うことが非常に増えた。
様々な解釈がなされ、書かれた論文もべらぼうに多く、当初は一応参考にしていたのだが、最近になりピンとくるものがあった。
違うな。
多分、ここだな。
確信めいたものを得るに至った。
以後、臨床に役立てている。
はたと思った。
この発想は、私の世代だから出来たもの。
にん ちこう どうりょうほう全盛の現代では見過ごされるアプローチ。

これまた、「新型うつと生」とか名付けて出すべき?


だが、神よ。
私にはもう本を書く体力が無い。
クリニックサボって執筆するだけの経済的余裕も無い。

お蔵入りか...

残念!



無断引用を禁じます。某先生、今度一緒にオクラホマミキサー踊るど。

病気の取り扱いで最も望ましいのは,ばい菌殺しといった「触り得る」部分には触り(積極的治療),あとは自然治癒力に任せる方法であろう。発熱にしても下痢にしても,症状それ自体は苦痛であっても,意味がある場合がある(無論,そういった症状の度が過ぎて,かえってあらたな不均衡を生み養生の邪魔をする,という場合は話が別であり,いわゆる『対処療法』が必要となる。解熱剤,止痢剤・・・など)。

今回の「敗血症」騒ぎも何らかの意味があったのではないか,と思う。ちょっとした処置のときに出来た傷がみるみるうちに膿み,それを見て私は自分の免疫力がいかに低下した状態であるか思い知った。
なんかどこか、根っから,休み足りないのだろう。


今回の入院治療は理想的であり,こう言って良ければ「優雅」であったぞ三人部屋。
抗生剤で、バイ菌やっつける傍ら、熱や腹の症状には、可能な限り手を付けない。熱はバイ菌殺し、腹下してバイ菌を外に出す。食べられるようになるまで,水分をとりながら,待つ。
おお!
理想的!
良い治療。
ただし余裕が、
あればねえ。



貧乏暇なし。
それを続け続けて50年,とすると,死ぬまでそう,多分!
世に多い「対処療法薬」というのは便利なもので,日程的に金銭的に精神的(ん?)に追い詰められた私は「吐き気を止め下痢を止め,そればかりか食欲もアップします」という薬,それにすがりついた。解熱剤も同様。

ちょっくら講習会にでかけます。
病をおしてでも,出かけなければなりません。
お国というのは,そういう質のものなのです。

****

指定医を取りに都に上らねばなりません。

気分は参勤交代にしぶしぶ従う田舎バカ殿。

これでもかっ!と言うほど,持病薬の副作用ではむくみが生じる。毒薬にて脈管ボロボロ,安易に想像がつく。

ここで二択。同じ姿勢を強いられる列車で行くか,気圧を敵に回して飛行機で行くか。
何となく飛行機を選択したが,やはりキツい。弾性ストッキングなるものを登用し足をガチガチのガチに固め「浮腫めるもんならむくんでみやがれ!」としたのだが,見事に浮腫んだ足と繊維とがデコ相撲して一歩も引かない。痛みが半端無い。

翌日,講習会会場では9:00~17:30まで同じ姿勢で座りっぱなし。
「トンズラ,さぼりは許しません」
というお触れがご丁寧に出ている。
態度悪い場合は,修了書やらんぞ,と。
態度悪く楽な格好していたいのにぃ!
あー,何の恨みも無いはずなのに,檀上で語るあなたが憎い。
あれだけ時間厳守と言いながら,何はみ出てんだよ,講師の方は!

当然の如く,部屋に戻って,動けず。

しかしこれでも,食べられて腹も壊さぬとは,さすが,薬はすごいなぁ。

夜になり,介護のために付き添ってくれた家内に車いす押されて新宿の街を500m散歩。

もう,20年も前になるのか・・・。
角館から毎週,通ってきていた。指導を受けたり,勉強する場所は,京王線沿いか小田急線沿いが多かった。最初JRからうまく乗り換えられず道行く人に訊きまくったり,ぼーっとしていたら東口に出て迷子になったり,思い出深い場所である,新宿・・・。持ち歩く書物で重たくなったカバンを肩から強引に下げ,かっぽかっぽ闊歩していた,20代の私。ただ闇雲に,修行,修行の毎日だった。不思議なくらい業績とやらに結びつかないのが残念で仕方なかったが,それを差っ引いても尚充実していた。元気を持て余していた。若かった。
おお。

****

ダメージを多く見積もっていたため,東京滞在日数を多めにとっておいた。これが吉と出た。
翌日は動けたものでは無かった。
それに,なんか,おかしい。
これは便利!○○!として飲んでいた対処療法の薬が,仇をなしてきたようだ。体調が,変。
元来,ヤダヤダ言っている身体を騙すのが対処療法薬である。それで根治するわけでは無い。
騙し続けていると,ぼろが出る。対処療法薬の副作用だ。

いおりのアシストに私の介護に母業に・・・とても頑張る家内の誕生日でもあったので,粗飯の予約をしていたのだが,真ん中まで食べきらないうちに私はグロッキーとなってしまい,早々に部屋に戻らなければならなくなってしまった。

家内はテーブルにサービスで置かれた一輪のバラだけを持って,心配そうな顔をして私を車いすに慎重に載せた。

いやはや。申し訳ない,面目ない。

とっとと明日,退散するだよ,田舎さ帰るだよ。そうさのぉー,肩落として,悲壮感出して,都落ちの風情で。

****

それにしても「旅」というのは,誠におもしろい。
何が起きるか,一寸先が,分からない。

このスリルにはまるようになって久しい。
今回気づいたのだが,家内も,この「スリル対応型」であったようだ。
これまでの家族での旅は,家内の「クロヒョウの段取り」に従っていたので大きくぶれることは無かったのである。
今回は私「人生やまかん,出たとこ勝負」の旅は毒気が強い。

「昭和枯れすすき」を口ずさみながら,人知れずすごすごと退散するつもりであったのだが,「そうはイカの○○○○(だから『逆旅』は下ネタ禁止なんだってば!自分自身!)」であった。
台風12号ちゃんのバカタレが,何を思ったか東京に,来ちゃった。

ホテルで聞いたら,秋田行の飛行機は辛くも飛んでいる様だから,こういう時は空港で虎視眈々と動向を見守るのが良かんべ,という。そこでリムジンバスに乗り込み,羽田でうだうだしていた。
私がトイレから戻ると家内が「アウト!」のポーズをする。秋田まで,飛行機,飛びません。

羽田野宿。

良いな,この響き。
「羽田野宿」って,ブルースみたいだな,一曲出来そうだ,あ,爪まだそこまで生えて無いか,無理だ,あはは。

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航空会社のANAお姉さんの所に行ったら「お客さん,JRにせよ!」と言う。家内はとっとと階下に乗車券を買いに走らされた。荷物を戻してもらい,抱えるや否や,「ぬまリレー」が始まったのである。
車いすに大きなカバンを抱えて座り,ぼけらっとしていたら,由利高校バレー部にいそうなANAの長身童顔のスタッフがびゃーっと京浜東北線の接続口まで人混みぬいぬい私を運ぶ。昔,宮城県の保健婦さんで,精神の部門でやり手だなぁと思っていた人そっくりの女性駅員さんがさかさかと手続きして,ほぼノンストップで車掌さんに私を引き渡す。いおり通院中の方にそっくりの男性が,汗をかきかき,「慌てないでくださいよ,JR接続口方面にエレベーター無いんで遠回りです」と丁寧に丁寧に押して下さる。それで乗ったり京浜急行。品川に着くと,待ち受けていた駅員さんがJRに無事タッチ!
どこか吉幾三氏を彷彿とさせる,近視のJRスタッフ氏は「んん!?」とメモをしつつ言うのであった。「あんたたち,何時の新幹線乗るつもり?」え?出発時刻を告げると「あー,無理無理,1時間遅らせて,はい,奥さん,みどりの窓口並んで,はい」え?ええええっ!?20分あれば余裕で品川から新幹線でしょ!?「うん,普通は余裕だよ。でも,ほら,これっ(車いすをぺしっ!と叩く)これだと1時間見るの」うっそー!すげー話だなぁ・・・「ところで奥さん,来ないね中々」・・・家内は,「みどりの窓口」へ並んだは良いが,大変混みあい,列車を14:20→15:20に変更するにあたって,ぎりぎりセーフ(14:20数分前で,下手をすると『乗りっぱぐり,買い直し』扱いになる所であったという)と戻ってきた。

品川。
品川は変わった。
20年前,研究所に通っていた頃はよく品川に宿をとっていたものだった。
その研究会も卒業してしばらく経って,ボスたる師匠の名前がMinagawaで,泊まる場所が一字違いのShinagawaであることが,何らかの錯誤行為であるのではとふと思った。が,深追いして考えるのを止めた。
あの頃の品川と,違う。
ちょっと,若返ったようだ。
東海道五十三次の御宿。
そんな風情がある。
ってここどこよ?このホーム。何この青いの?
私ゃ,東海道線,ダメならやむなく山手線に乗ってた人間なの!こんな所から東京行き,出るはず無い,出ない,出ません!
ほら見なさい,あれ,あれ。「埼玉」だってよ。こりゃ間違いだ,うかうかしているとこのまま埼玉県に連れて行かれるぞ!
ああ,ほらまたあっちから東海道線出た,山手線なんか二本目だ,絶対おかしい。
家内はそう騒ぐ私に「良いからプロの言うこと黙って聞きなさい」と軽くたしなめて,細い目を細めた。
吉氏はまたどこからともなく表れて,ようやくホームに入ってきた青い列車に私をにこやかに乗せるのであった。
「大丈夫,大丈夫」そうかなぁ,まあ,どうも,ども。・・・ほらやっぱり「東京」無い!「あるから,ちゃんとあるから」。
列車に掲示される到着駅の並びに「東京」がどうしても発見できず,内心とても焦った。
冷静になって今考えると,「品川と埼玉を結ぶ列車が東京を通るはずが無い」と確信したことは不思議であった。
埼玉,ごめん。
ともあれ,ユウラクチョウ,シンバシ,と,先輩と居酒屋に出没していた駅名を聞くごと,カントリー倶楽部漬けになった私は徐々に安心し始めた。東京止まるかも知れない,と。

****

流石,東京駅で車いすを準備して待っていて下さったのは,←ついこう敬語を使ってしまうような,NHKのアナウンサー風の駅員さんであった。トイレに寄りたい,駅弁買わなきゃ,とわがままを言っても,にこやかにアルトの声で叶えて下さる。「それは当然ですよね」と全肯定して下さる。私は,大変恐縮してしまった。大きく広いサービスに,のびのび遠慮せずふんぞり返ることが出来るのなら気持ち良いのだろうが,私はそういうとき,つい,「サービスしてくれる人」の身になってしまう癖がある。
いやはや,このお方・・・いや,このお方に限らず,朝イチのANAのお姉さんがたはじめここまで登場した皆さまよ・・・
さすが,プロ!
サービス業意識が,桁違い!
個人的に,うようよわやわやむにゃむにゃ,あるのだろうが,それはそれこれはこれ。
明るくてきぱきお仕事,その手際,素晴らしい!
さらに加えて感じ入るのだ。
ただの仕事人だけ,では無い,な,と。
それこそ私の仕事柄,ついつい見てしまうのだがー「情」がある。
それは水蒸気のように立ち上る。
そうして車いすの私とそれを押す人とをすっぽり包む。
こうしたらお客さん不快だろう,こうだったらお客さん辛いだろう,ほらこうすればお客さん楽だろう・・・そうして先々の先の先まで,腕で操る「恙なさ」がある。
私の心を「江戸」が打つ。

****

雨が窓打つこまちから,江戸を見ていた。
首都高の不思議なうねうねがある。
あれは,大学生の頃だ。Tokioに本籍のある同級生宅に泊まりに行った時のことだ。
彼のご尊父様は「秋田大です。生まれは,へへへ,宮城の山です」という私を夜な夜な自家用車に載せて下さり,首都高速をひた走って下さった。
眠らない街に「はあ」「ほう」しか出ず,まさに田舎者丸出しであった。
どこかの大学附属病院だというぎらぎらした灯の建物に「シャンゼリアを逆さに置いたらどうだろう?」と考えてみたり,あたかも一本の血管を共に流れる白血球と赤血球の如く,自然に滑らかに合流する赤の他人の運転する車との並走に舌を巻いたり,飽くことなく過ごした。
そして,問わず語りで明かされた真実。
ご尊父様は実は,トッチーなのであった(!)。
トッチー,
トッツィーとも言う。
「華麗なるトッツィー」という小説がアメリカあたりに無かったっけ?
いやなに,単に,御生まれが「栃木県」ということですばい。
江戸人の痛快な優しさは知っていた。そう,まさに,自分で書いといて何だが「痛」快という表現がしっくりくる。
江戸に帰化した,都会人ノン江戸人の情はどこか,そう言われて気づくが肌触りが違う。

(この二者の違い,もっと書き込みたいが,アップしてから後悔するだろうから止めときます。なに,5年もブロ愚書いたもん,学んだよ,いろいろ,ふっw)

あああああああああ,秋田に着いたぁ,行ってきたぁ,
何はともあれ,I love Akita !
と,言ってみる。


無断引用を禁じます。某先生,知り合いのアメリカ人(昔むかしこのブロ愚に登場した日本マニアの奴),日本の店で威勢よく「らっしゃい!」と言われ「You are shy!」と公衆の面前で「恥ずかしがり屋であることを暴露された!」と思って震えたそうな。とてもshyとは思えんやつだったがな。


よくやるねぇ・・・医学と病の仁義なき戦い。

四年数か月前に現在まで続く,いわば持病となった疾患が発覚し,開胸手術を受けた。
「なーに助からんだろ,ワハハ」
と思っていたが,まあー,凄い。
隣の畑の医学の進歩は凄かった。

精神医学畑にて生息して,年々歳々それだけ考え見つめていると,遅々として進まぬ治療学,「退化しているのでは?」とときに不安になる疾病概念・・・フルタイム忸怩煩悶惑乱なのだが,外科学や内科学はすんごいな。

私は,生き,生き,そして昨日も今日も,生きてる。

****

実は聖マリアンナ医科大学さんで一躍有名になってしまった「精神保健指定医」という国家資格,更新のための講習受講が義務付けられている。
これだけIT化が進んだのだから,別に皆が集まって雁首そろえて小学生のように話聞かなくともよさそうなものなのに。
真面目にやってますよ。
「ここチェックしといてね」と言ってくれりゃしまんがな。それをいちいち呼び出すとはまぁ。
いかにお国が我々を信用していないか,の証である。この真実と忠誠心と人類愛に染まった深紅のハートを厚生労働省のお役人特にファブリーズ使っている人にお見せしたいが残念,それを見たのは我が主治医チームの面々のみである。ついでに写メ撮ってもらってりゃよかった。
開催会場も腹だたしいことに,一番北で東京。やはり西の方が威張ってやがる。地方創生を歌うのなら,秋田の男鹿でやってもよさそうなものを,実際はイージスしか作らん。厚生労働省のお役人特にリセッシュEX使っている人に何か言ってやりたい気分。

****

どの法律にも但し書きがあるもので,読んでみると,「五年に一度の講習」だが,ヤマイったりしてどうしても行けない場合は一年単位で延期が可能であるという。もう,持病の薬の副作用で万年病人となってしまった私はそれにすがるしかない。どうせ,持病の方が猛威を振るい,何年目かで,こときれむ,我が命,だはは。

・・・外科よ♪あなたは偉かった♪・・・

もう逆旅読者の皆さまはそらんじておられるであろうが,身体ぼろぼろ。魂しか生きていない,いや,ときどき魂も死ぬか,という状態になって現在に至る。あらかたもげ落ちてしまったのに,生きている,動いている,診察している。
ガタも一回転した感があって,膿爪になってしまいカルテ書きやパソコンのキー打ちに支障をきたし,じれったくなり自分で爪を剥がしてぎゃー!と悶絶したりしていたのだけれど・・・手だと爪十枚中九枚が剥がれ落ち,あららと思っていたら新生して来,またしても復活,敗者復活,精神科医者復活!と相成ったりして,病人は病人で,退屈しない忙しい。

****

持病が持病だけに,使う薬は「毒薬」指定。そうなんです。「毒」を体内に入れて治してるんです,はい。
何のご縁か,三か月前,副腎クリーゼという病態に陥った(副作用止めのステロイドがたんまり入っていたところ,どうも感染症をうつされたのが機になったらしい)。
「即入院」と言われて出来ぬが開業医。
四日後にデータを見せられたが「俺,一回死んでんじゃねーの?」と呟いた。
さすがに「毒」薬を入れ続けるわけにはいかなくなり,一旦休止。
その間に,我が細胞,すくすく,育つそだつ。
逆旅は下ネタ禁止と言うオキテがあるので書かないが,そんな部分に,あたかも春が来たかの如く,草木よろしく毛の芽生えのうれし。
そして,身体も楽になった。
おお!
我が持病の先輩である某カン女史から
「おおぬま君は持病と闘ってきたのでは無いの。薬の副作用と闘ってきたの」
という鋭すぎるご指摘を頂戴し,納得した。

****

「副腎クリーゼ,福神漬けくれだぜ,みゃーみゃーみゃー!」
という愛猫きよの祈りが通じ,退院出来た。

またしてもブイブイ言わせて飛ばすつもりであったが,すわ,再発?!のうつ病様症状に足を引っ張られて大変だった。
朝,動けない。
どうするよ,おい(-Q-)?

ええい!
「うつ道」において「師範」の地位にある私のとった技は一つ。
「ぼやきながら嘆きながらの強行突破」
であった。
これは荒業なので,良い子のみんなは真似しちゃダメだよ!

****

やれやれやれやれ,やるしかないじゃん。
と思っていたら,なんか,変だ。
副腎クリーゼの初期症状はなんと!はい,医学生は国家試験に出るからチェックチェック!腹風邪に似る。
副腎クリーゼ騒ぎから一か月したある穏やかな休みの午後,私は腹痛を感じ,またにわかに沸き起こる倦怠感から嫌な予感がした。
これしきのことで医者に行くのも気が引ける。ただのウィルス性の胃腸炎だったら原則,ぬるいポカリスエットでもちびちびやっているが良い。様子を見よう・・・しかし持病抱える身,主治医チームは「何かあったらすぐに来て下さい!」と言ってくれているではないか,行ってみようか?いや,あまりたびたび行くと「オオカミ中年」と呼ばれて終わりだぞ・・・
果たしてやはり「ウィルス性胃腸炎ですっつ!!」へぇへぇすみません,あら,ちと悪寒が・・・
と,思い直して受診したものの,やはり大したことない検査値で私はすごすごとまた時間外外来から自宅に戻った。がしかし。
医学難し恋せよ乙女。
以後,40℃近い熱と食欲消失が続き四日目にして「また怒られても良いもん!」と受診したら・・・炎症マーカーが100倍に跳ね上がっていた。
普段は「入院」と言われると「そうはいかねぇ!患者が俺を待っているのさ!」とカッコつけて答えるのがお約束なのだがこのときばかりはガタガタ震えつつ「すんません,神妙にお縄を頂戴します,早よ寝かせてくれ」であった。

****

続く高熱,不明熱!データからは感染症だけれども感染源が判明しません。ポート(毒薬入れるために鎖骨下静脈に造設した注射針差し場)が菌まみれかと思い撤去しましたがばい菌検出されません。
懐かしいねぇ・・・総合病院時代はよーくこんなの相手にしていたなぁ,オラは精神科だったが外科より素早くガシガシ先々検査していったぞぉ・・・と懐かしみつつ悶えていた。「検体とるだけとったから,ガツンとモダダラ(最強抗生剤コンビネーション)いっちゃえいっちゃえ!」患者が先輩医者というのは,若き主治医にとって,まっことやりにくく,ときに死んでほしい存在となり得るかも知れない。「いえ,先生,腎障害が出るとまずいっすから」「ドセにも耐えた我が腎臓だよキミぃ」
だが,毎日毎日,熱は下がらぬ,食事は受け付けぬ,流石に私も焦り出した。

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クリニックの患者さんたちをお待たせしているのに加え,今回は,「精神保健指定医講習会」に出なければならないのである。仏の顔も四度。持病による高熱,疲労倦怠,筋肉萎縮からくる運動困難・・・また副作用による,病的な浮腫み,めまい,難聴,消化器症状に不眠・・・。
「お役人様,都会に出かけての講習会参加とはご無体な。どうかご勘弁のほどを」は四年まで,という縛りがあったのである。お代官様コンチキショー!
まさかと思ったが四年生かしてもらい,今年は参加せねばならぬ。然らずんば指定医では無くなってしまう。
ずるずるうだうだしていると,何かが起き,いけなくなる可能性が高い。もう,日を決めてしまい,「何が何でもそこにいる」という状態を作るのが私の流儀。そうでもしないと簡単に安きに流れるのよねん,この末っ子性格は,と私は己を知っているのである。エライ。
①敗血症はデータから見て収束に向かっていると考えられる。
②発熱と消化器症状は残遺症状としてあるものの,今回のエピソードの主症状ではあるが原因そのものでは無い。
③今後の主たる治療法が静養しつつの経口抗生剤投与であるならば外来でも可能。
などと勝手な論法を作り上げ,緩和ケアにお願いして症状を緩和してもらい,どこかひきょうに退院して,来ちゃった。あーあ,また外科から嫌われる。

(『この三日四日間の余』に続く)


無断引用を禁じます。某先生,そういう経緯があったので,今年,お中元,無し無し!もらう分にはもらうが・・・

本日退院致しました。
大変ご迷惑をおかけ致しました。
また、入院期間中に賜りましたお見舞いに深く感謝申し上げます。
明日より診察を再開させて頂きます。

休診につきご迷惑をおかけしております。
本日の検査の結果、貧血が急速に進行していることが判明致しました。明日からでも診療を再開したいと念じておりましたが、叶わず、忸怩たる念に駆られております。
週明けの検査結果を待つこととなりました。
検査結果のご報告と共に、皆さまをお待たせしてしまっている件に関し、深くお詫び申し上げます。

急な休診にてご迷惑をおかけしております。
「敗血症」との診断で入院加療をしております。
おかげさまで重篤な状態は脱し得ましたが、今週末の検査で今後の治療方針が決定される予定となりました。そのため、診察再開の正確な日取りの発表に関しまして、今しばらくお待ち下さいますようお願い申し上げます。


代診をお願いしている秋田腎膠原病リウマチクリニック様からご連絡を頂戴致しました。

①同院は予約制となっており、受診なさる場合は
018-834-0151
に御一報をお願い致します。

②「無診療、投薬のみ」は出来かねるため、院長先生からの診察を受けて下さい。

以上、重ねがさね申し訳ございませんが、宜しくお願い申し上げます。

この月曜日に体調不良が出現。軽い感染症との死んだんで経過を見ておりました。昨日、急速に様態が悪化し、緊急入院のはこびと相成りました。
通院中の患者様に置かれましては、多大なご迷惑をおかけして申し訳ございません。
薬はかかりつけ医の先生や、フォンテ7階の秋田腎膠原病リウマチ科クリニック様、七海医院様などに、処方して頂いて下さいますと助かります。

少し前までは、スケーターの方の真央ちゃんのインタビューの影響か、
「そうですね」
と返される方が多かった。
躁うつ病の方に
「少しウツでは?」
と言っても
「ソウですね」
と言われる。

最近は
「何だろう?」
が多い。
志村けん氏のバライティを見て育ったもので
(『 何だろな?何でもねーよ!』)
のコーナーが頭に浮かんで困っている。


無断引用を禁じます。某先生、引用するようなモンでもねえな。

一期一会
わたしの生を
超えてゆけ。







無断引用を禁じます。某先生、「NISA」の成功に気を良くした当局は、今度は女性専用「NESA(姉さ)」を発表するそうな。お知り合いの皆さまに教えてあげよう!

「寂しさ」こそが「力」。
昭和のガキであった私はいつも一人で悶々としていた。
退屈と,もの思いと,あてがないのにこみ上げてくる感情と-孤独の中でこそ培われる「力」というものがある。
だからこそ,機が熟した暁には,独房から放たれた冤罪死刑囚よろしく,実際の人と出会えば感じ取ろうとし与えようとし,自然に出ればただただ深呼吸を繰り返し自分がこの大地から芽生え大気により養われていることを何度も何度も確認しようとする。何かを抱きしめ,何かをつかみ,何かを発信しようとする。

****

突然何を言っているのかと言うと,スマホ。
これはとても良いもんだ,と思った。一日中全く退屈しないのである。便利な世の中になったなぁ。
だが昨夜,少しいじったつもりでいたら,えらく時間が過ぎていることに気づいた。
これはマズい!
あっという間に人生終わってしまう!
昨今益々「時間ケチ」になった私は,焦った。

****

テレビが普及した頃「一億総白〇化」と警鐘を鳴らしたのは評論家の故・大宅氏であったことを,激動の昭和世代は知っている。今,あらためてその言葉を思い出す。
確かに情報は増えた。伝達速度も量も増えた。が,その分人が利口になったか?と言えば,それは疑問である。ほんの一例だが,一介の職業人として専門とする業界を見渡すと,雑多な玉石混交の言論は増えたがノイジーで,個々例ではむしろ退化しているのではないか?とふと思ってしまうことさえ,正直,ある。

****

なかなか白黒つけられない,延々と続く,半ば泥沼化した,議論。
その中で「己はどうなんだ?」と自問自答し続ける。
正解を探すための日常に退屈は無い。

言葉より意味より理屈より,「匂い」としか表現しようのない,背を見て学ぶ,教え。
それが染み付いたと気づいた頃には師はおらず,ただ一人の力で現実から学ばなければならない正解は無いそんな厳しさの中だからこそ,嫌でも「生きている」実感が襲ってくる。

昭和はなかなか,味わい深かったぞ,へへへ。

****

「昭和」の友達と,ラインしたりメールしたりしてやりとりするのは楽しい。
どこかお互い,「ぬははは,見ているのはしょせんスマホ画面だよね」と冷めている所があって,良い。
生身と画面の乖離を半ば楽しむ。

これが,わかいひとの感覚では,スマホリアルで,ちっこい画面に映された世界が現実,だそうなご愁傷様。


無断引用を禁じます。某先生,年よりは何かにつけ「昔は良かった」と言うもんだ,オラもそういう年になっただ,それだけだ。

秋田市新屋に,北の国からミサイルが発射されたときに迎撃するため,イージス・アショアが作られるという。

あまりにも寝耳に水であったので
「作ってイージス」
とか,
「アラヤだ」
とか,ボケている暇もなかった。

有事の際,まず先に秋田(と山口)がやられる?という心配があるとて,地元紙の紙面を賑わせるようになって久しい。筆致もいつにも増して得意の第三話法「○○氏は指摘する」が多い。力説しているのだろう,多分。

秋田県,秋田市も国に説明を求めるなどしているが,のれんに腕押し,パフォーマンスにしか見えない。
国有地に国が国の施設を作るので,文句は言えないという。
悔しい。
もし,いおりクリニックが儲かっていたら…金にものを言わせて国有地を買い取り「いお路加病院」を建てる。
医師会会長が「ダメだよ」と仰るなら,東京のど真ん中に土地を買って「ダルマひつじ」のマークが入った独自の迎撃ミサイルを背中合わせに配備する。多摩・国分寺方面や初台方面に飛んで誤爆しないようにくれぐれも注意する。
それもダメなら自宅の庭に原発作る。あ,それは誰のためにもならないか?

****

ずっと悩んでいた。
三週間前,良いアイデアが閃いた!

****

秋田を「平和『祈念』都市」とするのだ。

戦争の被害にあった場所を「平和『記念』公演」と名付け,戦争をしない,と誓う,これは意味がある。しかし,修学旅行が終われば後は他の記憶にまぎれ忘却の一途を辿ってしまうかも知れない。

さらに懸念されるのは,時代が過ぎ,体験者がいなくなり,戦争が「過去のもの」として片付けられることである。

戦争の危機は,いつだって,あるのに。
そう,いつだって,今も!
だから,「今」平和を意識する必要がある。
とは言っても,現実,難しい,無理。

「今,危ねーぞ,やべーぞ」
「ミサイル飛んでくるぞ」
「俺たち,焼けただれて死んじまう」
という段になってやっと「平和」は意識される。
『平和』の中にあって『平和』を意識するのは難しい。
とすればいっそのこと-

にわかに危なくなった土地,秋田市新屋を,平和を祈念する場所として位置づけなおしたらどうだろうか?

****

みなさーん,
秋田で,
平和を,
祈念しようではありませんか!


おお・・・


誰ものってこない。

シューティングゲームばかりしていてこちらを見向きもしない。

****

どうしたらのるだろう?
ならば,こうしてみてはいかがだろう。
「平和『祈念』都市」を,秋田県と秋田市観光課が積極的にアピールするのである。
具体的に人を動かす,
どうする,
そうさのー・・・

****

興行屋と手を組んで,「平和『祈念』コンサート」とか「平和『祈念』美術展」とか,しかけたらよろしいがな。
血税を土建屋に垂れ流し無駄遣いしおってからに,て庶民からさんざん叩かれよった「新・文化会館」やら「美術館」をおったてた理由付けにもなりまっせ,前後逆やけどな。
アーチストら目当てのおっかけがぎょうさん秋田に来よるねん。まずは宿泊業,儲かりまっせ。つられて飲食店やら土産物屋ら喜びまんがな。前から「美のくに・秋田」と堂々と公的に掲げ宮城県に喧嘩売り続けとった甲斐がありまんがな。どさくさに紛れて水商売から風俗からエライ稼ぎになりよりますわこりゃ。独身の男来よったら秋田美人にぞっこんなるの出てくるで。ムコ入りや。ほんなんとか,人混みに疲れたようなんが「人混み無い秋田,エエとこでんな」とか言うて住みだす奴,きっと出てきます。そやさかい,人口減少問題,これも解決や。
どや?
観光課,のらへんか?
特産品もあーた,売れまっせ。
「平べったいのは『平和』をかけてます」とか稲庭うどんやらかしてな,「闘いは鳥だけにして!」言うて比内鶏売りまんねん。「北の国と日本で愛される,キューピット」とかなんとか名付けてハタハタ食わせたらよろし。くれぐれもナマハゲにミサイル持たせたらあかんよ。
どや?
秋田市,秋田県,のらへんか?



無断引用を禁じます。某先生,「『平和』の中にあって『平和』を意識するのは難しい」。『』の中,『愛』でも『生』でもそうだな。

生きて来てみて面白かった。
あの家で良かった。
子どもの頃は人間不信にずいぶん苛まれたが,
おかげさまで続行しているうちに,
知らない間に友達が出来て良かった。
「社会人」としてあくせく働いているときは生を意識しなかった。
そうしてこうして何ともかんとも面倒なことがたくさんあり過ぎて,
あたふたしてどたばたしてその傍ら,
愛し合ったり憎み合ったり,
負け続けたりけっこう死にかけたりしたが,
何故か常に「生強制続行」のカードが切られていた。
原則,体力があった?虚弱体質だと思っていたのに。
どたばたしていたら早めに病り,
もはやこれまでと早々に腹をくくったがそうそう想像通りにはいかないもので,
好きなもの大事なもの大切なもの,
ぽろぽろぽろぽろ音をたてて欠けていった,
あららあららという間に。
これまた面白いもので,
これまで作り続けた「自分」の仮面ー男だの父だの立場だのーも欠けつくすと,
意外と人は優しいものでこれは,
半生の,だいぶ大きな命題,
人は良いものか悪いものか,
それに関してお互い幸福な方向で結論づけられそうで,
たいへん良かった。
尚この件にかんして,
業の上,どうも死ぬまで生者をみそうだ,が,
そんなに大きく裏切られることは無いと思われる,
多分!


無断引用を禁じます。某先生,何ごとにも例外はあるだよ。

閑古鳥と茶を飲んでトランプするくらい暇。
大変楽であるが,いくらなんでもそればかりではいかんだろう。
たまにはガッチリ医学論文に取り組んでみたりする。

だが,最近は,

「私ゃ人と話しているんであって,脳とお話してるんじゃない!」

という邪心が芽生えて,なかなか素直に読み進められない。

****

これが,精神科あほたら開業医だからか,と言うと,実はそうでは無くて,

「私は癌細胞をブチのめしたいのであって,あなたをボコりたいわけでは無い!」

と,患者さんにさんざ薬の副作用のひどさを訴え続けられる身体科の医者も常に感じているだろう。

****

医療において「人間」存在であることを忘れたふりして「病気」だけを刳り出して取り扱うことを「脱・人間化」という。
それに対する批判が湧きおこって久しいのだが,では新しい医学哲学,倫理学が生まれたか,というと残念ながら,未だ。誰か早くやってくれぃ。

「『了解心理学』的に追っていけば良いだろう」

と人は言う。

だが,既に,「了解心理学の対象となる人間」と人様を色目で見た時点で,詰んでます。

難しいのだが-「『脱・人間化』なんぞしませんように!」と意識すればするほど,「人」では無く「病んだ臓器ちゃん」が気になってしまう。

長くはない重病の方のベッドサイドにいて,悲しみややるせなさを傾聴する。
告解僧にヒントがあるように思う。
が,私には住職や牧師のライセンスは無く,あるのは処方権だけの医者である。
「ああ,そんなに悲しいんですね,辛いんですね」
それだけで終われるか?
終わっていいのか?
苦しみ悲しみに人を置き去りにして良いのか?
モルモットの頭で実証済みの「セロトニン・マシマシ(すみません,最近ラーメン用語が多くて)薬」を投与してあげるのが筋ってもんじゃねーのか?
あ,いかん,また「脳との語らい」にはまっていた!!

****

などと考えていたら,もうお帰りの時間だ。

帰宅すると,猫の清がにゃーにゃー言っている。

「私はエサが欲しいのであって,あなたに媚びたいわけでは無い」

直訳したらこうなってたりして。

無断引用を禁じます。某先生,dポイントのゴールドカード取得,おめでとう。

今日は,カミさん公認の「ラーメンOKディ」であるにも関わらず,「八屋」は休みであった。

なのに,何故か院長室に胃薬を見つけ,飲んでしまう。
診察室のカレンダーを見たら「大安」。
「今日しか無いか・・・」
一度,脳裏をかすめた思いが次第に,行動に移して当然,という信念に代わる。

外来患者さんが傘を持って入って来るところを見ると外は雨。どおりでにわかにめまいが悪化した訳だ。

それも,今日が普通ではない日であることを予感させた。

****

学生時代にがらがらとアルバイト代で飲み明かした手形界隈,昔の面影,今はもう無い。
ひそかに「ばあどわん」の赤い看板があるだけだ。
その学生繁華街を抜け,手形キャンパスと広面キャンパスの丁度中間あたり-逆に言えば,医学部と他学部の学生らにとっては中途半端な距離―に,それがあることは,事前に調べておいた。駐車場の位置も。

そこに単身,乗り込む。
見た目より重い白塗りの木製のドアを開ける。
確かに,ロックだ。
どう見ても60,70‘sのアメリカのバー。
私は「Ⅱ型」をオーダーし,「野菜少なめで」と控えめの声で言った。
指さされたカウンターの席に座る。

****

客は若者が多く,坊主頭,フラフラしながら杖をついてやっとこ歩く,いかにも場違いなおっさんである。

この狭い店内,満席だ。

私が席に着こうとすると,隣の若者が,つつっ,っと自分の席をよせて,間を開けてくれる。
軽く会釈して謝意を表した。

店内にはロックが流れ,一見地味だが一家言ありそうな,つまりは私の若い頃のような,根暗で口下手そうな男らが並んでいる。私はほどなく,違和感とともに,ある種の心地よさを感じ始めた。
長身のマスターと助手の金髪の媚びない女の子が,また,この場に似合う。
厨房を覗いてぼうっとしていた。

次々に入る注文に,私のオーダーが届いているか心配になってきた。これはプロを舐めすぎた話だが,ラーメン屋ばなれした空間故,ついそう思ってしまう。
「しまった!」
私は心の中で舌打ちした。
「ニンニクマシ」
と伝えるのを忘れていた。

水もメンゲもセルフサービスで,食べ終えた食器はカウンターに載せるよう書いてある。
普段と違い,いらっとしない,何故だ?
何だか,落ち着く。
軽いデジャブを起こしながら並べた丼に次々とスープ,ラーメンが投入されていくのを見ていた。
片端から,次,はい,隣の次,はい,次,と渡されていく。

この段でニンニク量を聞かれるのだ。
私は金髪女性から受け取りたかったが,マスターからであった。
しかし,マスターの笑顔は,得てして不愛想なラーメン屋にあるまじきもので,ヘテロの私でさえ,ああ,素敵な笑顔だな,と感じた。

いざ!食す!

っこっこっこっこ
っこっこっこっこ
これが!
秋田を代表する二郎インスパイア点のラーメンなんですぅ!

色眼鏡で見られがちだが,スープ,一口,ああああっ旨い!
素の旨さ,脂の旨さ,
皮肉でも何でもないが,うまみ調味料が「味の暴走」を抑えている。
おお!
「野菜少な目」は本当に初心者に優しい。
眠れぬ夜,何度も脳内でシュミレーションして,あまつさえ,他店で試し斬りさえした大技「天地返し」は必要ない。
見た目,挑発的で横暴で傍若無人なその麺は,なんだ,とってもいい奴じゃん!

歯ごたえが,人肌ていど。

歯が生え始め,甘噛みしていた頃の自分に戻ったかのよう。
スープと相まって,うっとり,ずっと食べていた~い!と夢見る。

追加したチャーシューも,おお!こう来ましたか!綺麗に裏切ってくれましたね!
良かった。

****

私はいつしか,学生時代に戻っていた。
思えば,暗く,色気の無い,しかしながら譲れないモノは譲れない,困ったこだわりを持つ若僧だった。
たとえ世間や世界を嫌っても,人間存在それ自体は愛してやまない-そして異性が寄り付くことは無い-誇り高き無名貧乏人であった。
こう言って良ければ,青春。
懐かしさがこみ上げ,
周りの若い連中が私や当時の親友に思え,
私はラーメンを貪り食った。
鼻水が出て来てしょうがない。
今日のラーメンは「食らう」のであって「すする」のでは無い。
だから,鼻水くらいすするながら喰らえや,自分!

****

さすがに息が出来なくなって,後ろにあるティッシュペーパーの箱まで行こうとして,めまいで尻もちをついた。
見て見ぬふりしつつ見守る視線を感じた。

こっこっこっこっこ
こっこっこっこっこ
ここが私の居場所です!

二郎(およびインスパイア店)は,諸家が指摘するように,「ラーメンではなく,他の食べもの」なのであった。多分,お客も,ラーメン通,食通,というよりは,〇通なのであろう(〇は任意)。

****

感動の内,職を終えた。
完食し,完飲したかったが,カミさんには私の足の甲を見てスープまで飲んだかどうか判別するという能力がある。
泣く泣く,少しだけ残した。

そして万感の思いを込め
「ごちそうさまでした」
と言うつもりであった。
が,マスターが先に
「ありがとうございました」
とにっこり仰るではないか。
またしてもやられたぜ。

財布の入ったカバンを入れていたカゴ(これもセルフで元に戻すルールになっている)を手に取ろうとしたら,ささっ!と,隣に座って食していた青年が空カゴを取り去り,戻して下さった。素早く着席し,また何事もなかったかのようにラーメンに向かっておられる。
・・・ラーメンマシンガン,そしてそこに集まる人々。

確かに量は多い。
だが,旨さが勝り,ニンニクも効いて,すっきり胃に収まり,心地より満腹感と満足感しかない。
そのラーメンとは別に,
胸に,こみ上げてくるものがある。

肌寒い雨そぼ降る中,ここに集うお客さまら,どうか,御仲間に入れておくんなせぇ!

無断引用を禁じます。某先生,本物のロックンローラーは,実は優しいのです。ロックなラーメンも然り。今度は大盛りで行くゼ。

昔むかしは「勉強出来ない子」「イタズラっ子」とユーモアとペーソス溢れる雰囲気でのんびりしていた。

その後「不良ブーム」「非行流行り」で学校が教師の権威とともに崩れた。

それで「子どもに対して」より「制度を何とか」的にゆとり教育へとシフトしたが、そもそも社会に「ゆとり」が少なくなっていた。

教師は大変、親らも大変、会社も大変、そして社会が、大変!と大慌て。

そこいら辺からか、業界では発達障害がにわかに騒がれだした。
おりしも、猟奇的な事件が頻発しては、そこに発達障害の1つの病名がかされるに当たって、「発達障害」という言葉はどんどん浸透していく。

最初の頃は、アスペルガー症候群の解説で「言葉が通じる自閉症」とされていたりすると「自閉症の定義は『 言葉でのやりとりが無理』なの!だから定義矛盾があるの!」と指摘する余裕があった。

が、現在「自閉症スペクトラム」として「自閉症と似たような者ら」と広い広い風呂敷拡げられた昨今は、むしろ私のように過剰診断を憂う方が少数派となる。

どさくさに紛れて(必ずしも脳の病気では無いタイプも含め)ADHDも「発達障害でっせ」と脅かされる。わぉ!
御用学者と製薬会社と新しいモノ好きが絡み合い、臨床現場は実にややこしい現状となっている。




発達障害診断流行の真っ盛りに乳幼児検診受けた赤ん坊らがそろそろいい年になってきて、最近にわかに心配だ。

「過剰診断でグダグダな人生歩んでないか?」
「早期の介入、とて色メガネで見られスネたりしていないか?」
などとな。

何となーく変わった人が、何となーくいる、それをゆったーり受け入れる社会じゃなきゃ、ダメだと思う。


無断引用を禁じます。某先生、社会は困ると精神医学にあだ名を求める。歴史的に。何も進歩しとらんのー。

B型父B型娘(16)の場合。
父「〇〇ご飯食べた?」
娘「いつもありがとう」
父「うん」

これでも本人らにとっては会話なりたってるの!

B型父O型娘(18)の場合。
娘「(立ってぺこりと頭を下げ)パパ、いつもありがとうございます」
父「ん?また何かあったの?」

何かの代金払わされたのかと思った。

B型父B型娘(22)場合。
娘「はいはいはいはいはーい(袋渡す)」
父「あ、ありがとう、どうも、ありがとう」

そして
父「おお、良いパジャマだな」
娘「いや普通のシャツだよ」

ああ、通りで。
ズボン足りないなと思ったわ。


無断引用を禁じます。某先生、あと1時間もしないで父の日終わりだ。

不健康で非文化的な生活をしてただ働くだけの焦げ付く毎日を送っていたら,家人が「映画に行こう」と言う。
即座に私は断った。
数年前に一度,くさくさしている時に誘われるままフィルムコンサートなるものを観に行ったのだが,悲惨だった。
拙者は聴力障碍があり補聴器とその補助具で暮らしているが,映画館では、音が全く,ダメなのである。
音が入らない。
大音量にすると自動的に音をカットする補聴器だからか?と外してみても駄目,補助具をあれこれいじってもだめ。
かくして中島みゆき氏の口パクだけを見て帰ってきた。二度と行かない。

せめても大人になったなら,文化と言うものに触れたいものだ,映画館で映画を観るという贅沢をしてみたい。そう憧れて育った。
今なら顧問税理士先生も怒るまい。だが早々に不可能となった。
「さらば,あぶない刑事」

「さらば,人生で10回も行っていない映画館」
となったわけである。
ちなみに,眼鏡の玉屋・補聴器センターによると・・・
シアターモードという,映画館でも劇場でも音が入る補聴器があると。が,すこぶる高価であり私には買えない。
よって,字幕付きの地上波映画を観るのが,最近流行らされている言葉で言うと「身の丈」に合っている。
日本映画でも字幕付きというのがあれば良い。
企業を退職して独立を考えているあなた!儲かるかも知れないので,おやりになられい。
「お父ちゃんはもう映画とは無縁の人生なのだよ」
と言ったら子どもが,何とかなりそうだ,と言う。映画館で,障碍者向けに,音を配信してくれるようだ,そのサービスを利用しよう,と。
おおっ!
私はいそいそと車いすを押してもらい(←『誤変換』の指摘出てこないな),映画館,ケチなのでレイトショーに出かけた。
from中野栄in仙台の家内も喜び,半年ぶりに髪を整えてもらいに行き,嬉しさのあまり
「今日,『貧乏家族』を観に行くんです」
と言った所,笑顔の美容師さんが
「ああ,『万引家族』話題ですもんね」
とやんわり訂正してくれたとな。秋田の人は優しい。
私は私で,浮かれ,どうしても「家族万引」と言いたくなってしまう。

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ネタばれさせないのでご安心下され。

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それで映画館の席に座る。この座り心地の良さ!院長室の椅子はパイプ椅子,それに比べてまっこと、快適じゃ。
子どもが,受信機の役割を果たすというスマホをいじってくれ買ってきたイヤホンを付けてくれ,準備は万全。
老いては子に従え。という死語が脳裏をよぎる。
いよいよ始まった!
ああっ!
イヤホンが何か言っているが聴こえない!
し・か・も!
画面では無音の場面なのにイヤホンでは何かペラペラしゃべっている。
スマホの設定ミスかとあれこれいじったが,事態は悪化するばかり。
ええい,もう!もうもう!もうもうー! 牛です。(数年前の『逆旅』で使いました,このフレーズ)
不貞寝を決め込んだが,ただ寝るのももったいない。
目だけ開けて映像を入力しとく,お金払ったから。

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だが,だが,だがだがだがだがだがだがだがだがだがだがだが,
はい,何個「だが」があるでしょう?
観ているだけで,引き付けられるのである。
筋が,分かるのである。
あろうことか,ひきつけられ,有り得んことに,涙が浮かび,不可能なのに,腹に重くズンときた。

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芸術ものでは,絶対に,「感動」という言葉は使ってはならぬ。
その言葉を使うが最後,もやもやした余韻がタバコの煙のように空に飛んで消えていってしまう。
私は,うーん,と唸って,映画館を後にした。
途中で補聴器入れを紛失したのに気づいた。
もう深夜近いのに,映画館の若い労働者の方が床を這って探して見つけてくださった。
東宝シネマタウン,有難う。

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耳はそんなに悪く無い家内に,台詞内容を,彼女が覚えている範囲で教えてもらった。
そしてまた,うーん,と唸った。
久々に,良い不眠となった。木曜日外来を午後からにしておいて本当に良かったと思った。
こういう時にブログを書くとぶっ飛んだものしか書けないので,パソコンは開けず屁をかけておいた。

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最初の「無音,映像のみ」だけで,十二分に,魅せる。
生え抜きのパントマイマーらがそろったかのよう。
私はそれだけで満足していた。
家内の語る言葉の部分(映画のセリフそのものでは無いが)を聞いて,設定の詳細や,「多分こんなことを言っているのだろう」の答え合わせをしていって-それは外れなかった-多分,画が既にしっかり語っていたのだろう-もう一度,思い入る。

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皆さまは「アーモンド入りグリコ」なるキャラメルをご存知か?
そのキャッチコピーが「一粒で二度おいしい」であったことを覚えておいでか?
私はすっかり忘れていたが,まさしく,アーモンドグリコであった。アーモンドが小さすぎて,食べるというより歯の間に挟まって終わりであったが,この映画は,そうでは無かった。

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20代の昔から,pistolsをB.G.Mに医学論文を書くのが私のならわしであった。医学もの,こと精神科臨床領域の発言では「権威への反抗」や「既成概念の破壊」は,青臭いが,隠し味として大事であると思う。長いものに巻かれ常識に囚われるなら,これまでの延長の医療しか出来ない。その結果,このザマじゃん,ダメじゃん,良くねーじゃん,というひねくれ根性があった。もう論文を書くことも無く,丸くなったが,今でも多少,その毒は残っているかも知れない,どうでも良い。
従って,私個人としては,なんだか知らないが世界的に偉い賞を取った作品,というだけで,貶したくなるのだが,これは,違った。

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ああっ!ネタばらしたい!

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「良い映画」というより「凄い映画」であった。
私,個人的に思いますに,八屋のラーメンほど美味なるものはこの世に無く,同店が閉まっている時は泣きながらとんこつ醤油ラーメンを食す。
原則つけ麺は認めない。
だが,その信念を少し揺るがすものがあった。
もし,本当に素晴らしいつけ麺があったとするならば,麺だけ何もつけずに食べても旨いのではないか。
今回の映画は,最初に麺を食し堪能し,その後,合うであろうスープを飲んだようなものである。
それでも旨い。
ちなみに今はドクターストップがかかってしまった,ラーメン。アーメン。

良い映画は二度,楽しめる。

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マスコミでは「社会を意識して」と言う前ぶりであったが,いえいえどうして「テーマは『愛』です」などとしらっと言っても分かるめぇ。
カミさんの解説を聞きながら人物の内面から物語をを再構成していって,という精神分析は出来るが,逆に,精神分析屋は,シナリオを,かけません,あしからず(これと似たのも昔,カルビーポテトチップスのCMであったな。どうも昭和が浮かんで困る。映像に出てくるのが『昭和の家屋』なのでノスタルジアにも浸っていたらしい。浸りついでに言えば,実は,似て非なる存在や状況設定の見聞,ガキの頃には珍しくも何とも無かった・・・あ,言っちゃった)。
悲しいものよ。解剖は出来るが,作成は出来ない。何,医者が神さまじゃないのは精神医学に限ったことじゃねぇ。
いかん,下町言葉を乱発している。映画の影響食った。そう言えば40年も会っていない下町の従弟ら元気か。万引きしてたりして。


無断引用を禁じます。某先生,子どもの設定した音声ガイド,あれ,「視覚障害」の方向けだったのよねん,今日知った。

最近寝つきが悪い。
ちょいちょい,本を読むようにしている。
今さらハードな本に食らいつく気も起きないので,好きな二冊のどちらかを眠くなるまで眺めている。
丸山健二「夏の流れ」と夏目漱石「吾輩は猫である」だ。
「夏の~」は,句読点のひとつも無駄が無い。スパン!スパン!と切れる刃物でいつしか人間をくっきり彫り出す。
「猫」は-別に私は夏目漱石研究家では無いが-同氏の作品の中ではもっとも好きである。
作中に三回「吾輩は猫である。」の一行が出てくるのだが,その場の絶妙たること。
「ノベリスト」として我々は夏目大先生を祭り上げたがるが,同時に堂々とした「ストーリーテラー」でもあり,後者が前者に劣るという通俗的な考えを見事翻してくれる。江戸を感じ,落語のような語りについのせられる。
当時の漱石のおかれた現実はと言えば,ラフカディオハーンびいきの学生らが,後任として赴任した漱石を良くは思わず,大学の先生(東大の教授なのだが),むしゃくしゃする毎日。学業にきちんと向かうように説得したらその学生は滝から飛び降り自殺するし・・・。うつの既往がある漱石には,まっこと,食うためとは言え耐えられない毎日であったに違いない。
憂さ晴らしに「猫」は書かれたようだ。「ホトトギス」という俳句の雑誌に載せたら,なんと,「猫」の面白さに「ホトトギス」が売れまくってしまった。

俳人らが,「五,七,五」を折る指を止め,ニヤリとした。

「Full行け!にゃー! 猫に食われむ 不如帰(ほととぎす)」(沼俊 大)

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最後が分からずモヤモヤするので未完の作品は読まない。フロイトの「精神分析学概説」も漱石の「明暗」も読むつもりは無い(H30年6月11日現在での心持ち)。
ホトトギスの嘴に突かれて連載を強いられ,さらに書籍化するとてさらに書かされ,さらにさらに三巻本にするため引っ張らされ,どこまでNo!と言えない漱石だったのか,そのせいと思われるが作品の後半は登場人物の会話に頼りはグダグダである。
しかしそのいやいやながらが滲み出るグダグダの中に,光る一部分をつい書いてしまっているところがまた,この本をして名作たらしめている所以でもある,と思うが,どうだろう?
猫が登場人物が興じている囲碁を眺めて,西洋個人主義の陥穽,「自我」の弱点をすでに突いているところが,痛快だ。
「俺が俺が」
と碁盤を占拠していくことにより,かえって身をしばり,挙句失って取り返しのつかぬものがある,それをすでに予見してしまっている。

****

激動の昭和58年,何があったか,皆さまはご存じか?
そう,高校に「現代社会」なる教科が導入された年である。教科書の記載に,
「あー,よくもRCサクセションを馬鹿にしたなー!ぶつぞー!」
などと思いながら
「オラ,何言ったら良いんだか,はっぱりわがんね!」
と公言する世界史の先生に習った。こちらも何を学んだら良いのかはっぱりわがんね。
仕方が無いので定期テストの前に教科書の太字だけを眺めていた。
「おお!」
目から鱗が落ちて顔が軽くなった。
「則天去私」
吐血の後,自宅でくつろぐ漱石大先生の写真とともにその四字熟語が,眠い盛りの16の私に焼き付いた。
要は,
「『俺が!』『俺を!』『俺は!』とか自意識過剰になって自分買いかぶって,色々な思惑だらけの社会とやらにぎゃーぎゃー騒ぐことにあんまり意味は無くて,どうせいつか死ぬし自分には限界だってあることだし,そんなことにエネルギー費やすよりかも,『天命』に身を委ねた方が良いわな,うん。悪足掻きするのは頭悪ガキのするこったべよ」
と,西陽さす,隣の九人兄弟の下から三番目が爆竹ならして遊んでやかましい自室で悟ったのであった。
中学の卒業文集で「人事を尽くして天命を待つ」と書いたが,無し,なし。反故,ほご。どうせ同じ中学からは三人しか来ていない高校だから,後で気が変わったと言い訳しておこう。
「天命」の意味?まあ,「運命」と同義語で無いの?

****

私は大変ヒネた高校生であったので,赤青のチャート式数学参考書をうっちゃっていた。古本の文庫本をこっそり読むのが楽しみだった。並行して岩井寛先生の「森田療法」も読んでいた。そこで「我欲に固執すること」それが招く悲劇は想像出来たつもりであった。私は悟った。同級生の前の席のO君からビニ本が回ってきて,数日後,後ろの席のO君に(アイウエオ順だった)渡したが,ともあれ,悟った。
あのままいけば,母の思惑通り,仏門に入り永平寺で修行して福井県で蟻塚先生のご親戚とお会いしていたかも知れない。
住職になり檀家さんにお布施をもらい「Danke schön! 」と言っていたかも知れない。
いずれにせよ坊主頭にはなっていた。
その悟った状態を維持しつつ,陸羽東線に乗って古川高校に行く。
「ダメだ,わかんねぇ」
「全然やってねーよ」
「また寝てしまった」
教室は中間試験前の決まり文句で溢れ返っている。
黙々とまとめノートを見返す者,目をつぶって暗記した内容を繰り返す者,茫然と窓の外を見つめる者。
「おい,先生が試験にここ出すって隣のクラスで言ってたとや」
「何で今それ言う!」
「ふふふ,甘いな」
遅すぎたヤマに人だかりができ,皆でのぞきこんでいると教師登場。
「早く席につけ!この馬鹿ども」
一点でも多く,頑張って勉強しないといけない。医学部は全国区勝負。カンダダになって蜘蛛の糸を掴むのじゃ。頑張れば良いことがある・・・
悟りはそうしてあっけなく風と共に去りぬ。

****

最近になって,あの青臭い「則天去私」の理解もまた,捨てたものでは無かった,と思う。
やるだけやったさ。
こんなもんだったさ。
それで,良っさ。
・・・
「後は良い。だーれ,これ以上人生に何望む,ってな?最高だったんでねえか。上等上等」
父の声がする。
私は,私を去る。
私の顔をそっと消す。
妄想は消音。ゆっくりになり,輝度を下げ,ありのままの日常だけが陽に照らされているだけだ。
「悔い」って何だっけ?
「やり残し」やること,そんなもの最初から無かったんでない?
私は息をしている。
が,
私が呼吸をしようとしてしているのでは無いのだ。

****

多くの漱石研究家が様々な見解を述べているであろうしそれらを俯瞰したいが時間がもう無い。
私は本格的に文学を学んだものではないし,もとより浅学であることをまさに日々痛感している。
だから,「隠れてこっそり」読む漱石がたまらなく面白いのかも知れない。
これが素人の,素人であるが故の,楽しみ方である。
スマホやゲームで目をやられたご仁は試してみられたし。

それにしても-
日本の,東洋の「当たり前」から,西洋を学びつつかつ西洋を迎撃した漱石が,男前に見えて来た。
ニーチェのツァラトゥストラも「猫」でボカリとやっている。
その様,はっきり言って,笑う。

50歳。漱石の生きた年齢を越えた。
ひとつの専門職に就き,ただただそれをこなすだけの日々を送っている。
窓の無い部屋で,季節とも天候とも無縁の時間を過ごす。
知恵絞って,困り抜いて,何とかよかれと思うことを行うことが仕事だ。生活のほとんど全てを占める。
私,という「我」を用いる隙なぞ無く(例外的に『逆転医の検証を臨床に生かす』があるが,そうそう頻回に繰り出す技でも無し,知らんでよろし),原則,地味である。

では私の仕事に「漱石」は全く無関係か,と言うとさにあらず。
迂回して合点にたどり着いた。

****

その迂回路は,長かった。
精神医学一般は当然知っておかなければならない。generalだけでは実は不十分で,その他のspecialtyを持つことが医師は重要である。
いみじくも私がホームワークとして学んだのは「自我心理学」だった。

本能衝動の欲求と,現実とがぶつかりあい,葛藤を起こす。
その葛藤は辛く苦しいので,様々な方策でうっちゃられるが,消えることは,無い。
症状形成に至る場合がある。
人格の成り立ちにも深い影響を及ぼす。
そういう理論に基づくものだ。

一般診察のみならず,この側面からも,診たてや治療を考える。これがいおりクリニックの「色」でもある。

皮肉なことだが,19世紀末,西洋思想の申し子の末裔として脈々と流れた知の端に立脚しているのだ。
自我心理学を学び始めた20代,30代の頃は,日本文学なんぞ見向きもしない。漱石は存在を忘れていた
せいぜい世渡り上手を「『吾輩はコネである』と言え」と言っていじめたくらいである。
自我心理学は,発達(今流行の『発達障害(neurodeveloptment disorder)』でねえだよ。『正常発達(developtment)とその異常』だよ)に応用がなまじ効くため,いきおい,子ども-場合によっては夫婦の段階から-や思春期に応用が利いた。いつしか思春期患者が増えていた。

そのまま行けば,そのままだっただろうか。

40を挟んでうつをやり,身体にガタをきたしてから,フロイトが最後に辿り着いたものに興味が向くようになった。

「運命に不平を言う者は,運命に両親を投影しているのである」
(どうにもならないのが『運命』であるのに,『どうして僕に冷たいのぉー?』『私にもっと優しくしてくれたって良いのにぃ!』と失望でいっぱいになる。これは,かつて,子どもの頃に親にねだっても叶わず苦痛であったことの,反復に過ぎない。『運命』は『親』では無いのだが,同一の感情を向けてしまう)

「断念することを知れば人生はまた捨てたものでは無い」
(発達の過程では,望む自分になるために,チマチマしたそれまでの自分のこだわりを潔く捨て去ることが必要。かっこいいウルトラマンになるためには,いつまでもママ頼りの泣き虫ではいけません。似たようなもので,『ママと離れたくない』『楽な仕事がしたい』『お金がいっぱい欲しい』『地位と権力が欲しい』『彼女が欲しい』『アーチストになりたい』なぞなぞ欲の限りを並べて引きずるだけ不幸で,潔く『これだけは!』と選んで他を切る作業-断念の決断―そうすることで得られる平穏がある)

「『何故生きるか?』だって?そんなこと考えるから頭がおかしくなるんだっつ!」
(解説不要。森田療法の『不問』と同じ。ほぼ禅問答)

などなど。

天命と運命を同じ意味で使ってしまった。
フロイトがナチスの侵略で殺されそうになった時,その運命に対して素直に殺されたわけでは無い。
「おお,殺してみ。歴史がどんだけ悪いことをしたのか,その証明になるわい!」
と言って,代わる代わる徹夜で説得に当たった弟子らを困らせた。恐らくフロイト当人の頭には毒杯をあおるソクラテスが浮かんでいたのではないかと想像するが,立証のしようが無い。
いずれ,この状況は,運命かつ天命である。
こうしてみると運命と天命の違いは恣意的なもののように思えるが,すっきりしない方は辞書で調べられるか,ググられるのがよかろう。
ちなみに辞書「大言沼」を紐解くと
「天命」:生まれた時に,天から命じられた果たすべき義務。
「運命」:意図せずそうなっちゃっているもの,そうなっているもの,そうなってしまうであろうもの。
となっているが,編者が私であるので,かなり怪しい。

列挙と解説疲れた。
明日も仕事なのでここら辺で終わることにする。
あまり遅いとCEOからも怒られる。

「則天去私」や「フロイト思想」「森田療法」・・・興味ある方は,ご自身でお調べになるか,また当ブロ愚で再括されるまで,待たれたし。

****

それで悟りきったかと言えばそうでも無いのかも知れない。
相変わらずの一喜一憂は明日から死ぬまで続くだろう。

だがそれでも,最近になり,私は大変楽になった。

「天命」はそろそろもういい加減果たしたでしょ,もうこれくらいで勘弁してよ,ご先祖様,神さま,仏様,と思うようになったから。

もう一つ。
「運命」に身を委ねることをかつての私は潔しとしなかった。「運命に立ち向かうこと」は力の源泉ですらあった。
が,自分の人生に限っては,今は肩の力がほどよく抜け,運命に流されるもまた良し,と思えるようになった。
足掻きの力が衰えただけかも知れない。あるいは,足掻きの多くが実はしょせん不可能なことを前にしての「やだやだ足踏み」であったことに気づいたからかも知れない。

「自分」は,いない。
若者の悩みの表現における常套句「自分が無い」とは異なる。
「自分」は,大きな天の中に,ある。
天はゆっくりと進んでいるようにも,止まっているようにも感じる。
世界,もっと言えば宇宙との合一体験のひとつなのだろうか。
「自分が」とわざわざ首を出してつべこべ言わねばならない,そうしないと無くなってしまうのではないか,という心配は霧散した。
消えるも消えないも,大した問題ではない。
私は,天に甘えているのだ。

****

16の頃の「則天去私」理解から一歩も思惟は進んでいない。もしかして「則天去私」の解釈違いでは無かろうか?という不安はずっとある。だがことの正誤は文学者に任せよう。
「漱石作品」がテキストであるのなら,様々な解釈を許すのだ。
私にゃ私の「則天去私」があるのさ。
一解釈しか許さない作品,そんなもんは芸術とは呼ばねえだよ,べー!




無断引用を禁じます。某先生,そんなに軽く悟ったら,つまんないよな。

今回の「新幹線のぞみ・殺傷事件」。
女性乗客を守ろうとして亡くなられた男性に,謹んでご冥福をお祈り申し上げると共に,その勇気に心からの敬意を表したい。その行動は,讃えるに万言をもってしても足りない。

****

「そうあらんでくれ」
と祈りに近い気持ちで見ていた。
が,犯人には「精神科入院歴」があった。
犯人は以前,自殺念慮を訴えていた時期があったとのことであった。
無論,自殺念慮があったからといって,全員が無差別殺人をするわけでは無い。
まさか「自殺念慮」とくくりきれない何かがあった?
否。邪推は禁物である。
してはならない。

****

大学を卒業後,大学病院精神科での初期研修を終え,出されたのは公的総合病院の精神科であった。
今でこそ総合病院精神科は「救急」「急性期」「身体合併症」「m-ECTなどの特殊治療」といった役割が明確化されているが,当時その病院は精神科だけで100床あった。
県立病院は無く,また,私より30年近くも医歴の長いK科長は「ミスター精神科医」と呼ぶにふさわしい人物であった。
ご挨拶に伺った時
「他の科は重症患者は大学病院に行く。精神科は,その逆だ」
と仰って微笑まれた。
つまりは何でもありの病院だった訳だ。
先輩から脅かされたり同情されたりしたが,お陰様で,飛び切り上等の修行を積むことが出来た。
K先生はヒューマニズム溢れるお人柄で,他科の医師からも尊敬される人格者であった。
いち早く「社会復帰」を旗印に挙げ,そのための部門も特別に存在していた。
都会からお偉い先生がお出でになり「身体合併症」「精神科リエゾン」「精神科リハビリテーション」等についてご講演なさっていたが,K先生に「うちらの方が上ですね」と囁いては笑ったものだった。

****

病棟はトップの色に染まる。
穏やか,和やかな五階病棟は,どんなに敵意や絶望に溢れて興奮をきたして入院を拒絶する患者をもとろかす雰囲気があった。
病状の進行により現実見当識が障害されたり,その頃の社会資源では退院が困難な人。
コントロール不良の身体疾患を抱えて,自力ではケア出来ない人。
長期入院となっている患者さんー言葉は悪いが「沈殿」と医療業界では表現されていた―のほとんどが,そういう方だった。
だが,そうでは無く,退院出来ない,させられない,タイプがいた。

****

自傷,あるいは他害を,きたし得るであろう一群。
大変稀ではあるが,皆無ではない。

そうした人々が存在する。
理屈以前に。
理想以前に。
そういったタイプの人は,全く持って頼りない月並みの表現ではあるが,まずは「直観」で気づく。
徐々に,特有の「匂い」を感じるようになる。
人権の尊重に対して人後に落ちないつもりであるが,そうであればあるほど,「何かしでかしてその人の人生を狂わせないか」と慎重になっていくジレンマに悩んだ。

―「何故退院させないのですか?」
人道主義,正義の味方の皆さまから糾弾されれば答えに窮する。
仮に裁判沙汰になったと想像してみても,精神科閉じ込め批判はごもっともで,ケースによっては「即刻退院させるべし」という命令が下っても文句は言えない。
恐らく,
「問題なし。この時点,ではね」
と裏で悪意のある苦笑をするのが抵抗の関の山か。

(危険性について―どこがどう,ここがこう,と,はっきり言葉にして記すことは,努力すれば可能であろうが,誤解からあらたな偏見を生みかねない。また『悪用』の問題など,諸般の事情からここに詳細は記さない。元来,この種の問題は,明文化され論文になりお勉強する知恵,というよりは,先達から後輩に口伝される質のものであったように思う。『専門医制度』流行の今はどうか知らない)

****

精神医学と犯罪。スティグマの問題があり,長らく一般的にはタブーとされていた。

せいぜい,事件が起きるごと,タレント精神科医やどこぞのサラブレッド教授が御託を並べてお茶の間の皆さまが容易に合点する(多くは,育ちや家庭環境のせいにするもの)類のもの。
だが,問題点の焦点もことの本質も,真実は無論,そんなところには無い。

テーマは重く,本来なら,こんなブロ愚ごときに書くべき問題では無いのかも知れない。

が,昨今の痛ましい事件で「精神科医」が矢面に挙げられることが多くなり,それが私は,耐えられない。どうでも良い精神科医は少なく無いがこれらはともあれ,こころある精神科医の心中を察すると,いたたまれない。

原則,精神科医は,一般の人が想像するよりは,明るい。
だが同じ明るさでは無い。

空に喩えるなら,水色に近い青と,秋田にある藍色に近い青,この二種類の違いに似た明るさだ。
「思ったよりは患者は治る!」
「自殺の危機から救って感謝される!」
「薬〇療法と認×行△療法の組み合わせで治癒率◎%!」
云々。

そういった経験から精神科医を続ける,やる気にあふれた,年齢よりも比較的若く見える,ハイソな病院でスマートな勤務歴を持つ先生は,水色の明るさ。
泥臭い修羅場を潜ったことが無いことが,眩しいほどのみずみずしさの理由であろう。

一方,ヒューマニズム溢れるタイプであるのに,受け持ち患者の「予期せぬ出来事」に遭遇することを重ね,後悔や,申し訳ない気持ち,裏切られたという悲しみを抱き続けていかざるを得ない,地を這うような臨床を続ける精神科医は,どこか深海を思わせる,藍の空だ。
こんな,「心ある」先生が多くの古傷を抱えながらも臨床に当たる姿には,畏怖の念さえ感じる。
軽々しく申し上げることも憚られるが,どこか,存在が神々しい。

無論,どちらの青にも属さない精神科医も多数いるのは確か。

生来,愚鈍であるか。
研究すら出来ないので医局から精神科病院の下宿係を仰せつかったか。
あるいは「金のため」「看護婦さんはじめ職場ライフを楽しむ傍ら」と割り切るタイプか。

そんな類の人種がまさに「医者沈殿」している。

藍色の先生も,そうであったならどんなにか楽であろうに。

個人的には,藍色の先生方との交流が多かった。
その藍は,どのような苦しみも受け入れる深みの色でもあった。

****

財政面で精神科病床を減らし続け,在院日数制限が厳しくなった。その結果「のんびり,ゆっくり,じっくり,しっかり」とした精神科医療がなされ難くなった。無論,政府も,触法問題に対して対策は打っている。様々なシステムが構築され,これからまた改定されていくのであろうが,やはりイタチごっこのそしりは免れ得ない。原則警察と同じ,事後処理である。
その間,悲劇は続く。
悲劇。
被害者はもちろん。
場合によっては当事者にとっても。
他の,自傷や他害の恐れなんぞ全く無い通常の「患者さん」ら。

そして,批判の矢面に立つ同業者やそのスタッフ。

****

自分の診たては正しかったのか。
「予見不能」の四文字に収まりきらない「悪い予感」が走らなかったか。
「現代精神医学の常識に於いては妥当な判断」とされるが,この「現代」という字が痛い。精神医学は時代の影響を食らい変遷するが「人」の診たてが早々変わる訳では無い。いわんや「人」の命の重みが時代に左右されるわけが無い。

担当医は,もしかしたら,亡くなられた方に死をもて詫びたい気持ちに駆られているかも知れない。

****

精神科医に限らず,ひいては医学に限らず,俯瞰すればどの職業も,そういった「失敗では無いが,小さく,しかし深い傷」が後悔として残るであろう。
「どの仕事も同じさぁ!」
式の理論展開はこの際,何も意味を為さないと思う。

敢えて言うなら,精神科医のそれは,特殊だ。

「精神医学診断学」と照らして自分が下した判断は間違っていないはずだ。
しかし,「許す」「許さない」あるいは「納得出来る」「出来ない」は,誰が決めるわけで無い,自分が決めなければならないところに特殊性があるのだ。
法的責任は無いものの,しかしぬぐい切れない罪悪感が厚い雲のように自分を支配する。
それは終生,晴れることは無い。

****

良心的な医者の集まる,しかし患者はヘビー級の症状を持った精神科病院に勤務したことがある。
医局では,他愛のない馬鹿話で明るさを保とうと皆努力していた。
アホのように(もっとも金がかからないささやかなものであるが)趣味やB級グルメ,他愛もない話で笑っていた。
そうしなければ,均衡が保てないのだ。

そうして皆,燃え尽きる直前で,開業をした。

他の知己を得ることが出来た年配の先生もまた,定年までは勤めていない。

****

今回は,身内の身びいきのそしりを免れ得ない文章だ。
だが,無名の,身を引き裂かれるような悲しみを抱いた同業者を無視することが,どうしても私には出来ない。
精神科なんて直接手術するわけでも無し,数秒単位の処置の速さがものを言う延命がそうそうある訳で無し,楽なモン。
あらかたの評価はそんな感じか。

だが,腰から下の鈍痛や,首が回らないほどの肩こりや,不眠,軽うつなどは,良心的な精神科医にとっては当然のもののようにしてある。成人病はもとより,この数年でも突然ガンになってしまった戦友も,実は少なくない。
報われないストレスが多い,因果な仕事である。

****

現在はクリニックで精神科医をやっている私であるが,ときに,「精神科医を名乗って良いのか?」と思う瞬間がある。
ねばっている同業者を置き去りにしてしまった,という罪悪感が過ぎる。

無論,精神科治療が主な仕事であるし,真正面から治療に専念する。
私の治療-
いつしか本当に患者さんが自力で生きていくことを願う。
甘言でご機嫌取りをすることで「永遠の患者」を作るような行為は唾棄こそすれ行ったりはしない(よって儲からない)。
クリニックよりは単科精神病院でのフォローアップがその人のためになる,と判断したら,早速信頼を置く精神科病院へ紹介する。
街の精神科医としての任務は最低限果たしているつもりではあるが,どこか―第一線を離れてしまった事実に,寂しさと疚しさが同居している。


無断引用を禁じます。某先生,アクティブで良かれと思えば何でもやった精神科病院,懐かしい。今はもうベッドも無くなり変わってしまった角館総合病院,けやきの森病院―あの時代が懐かしいだよ。もう一度やれ,と言われても,多分,腰が抜けて終わりかもなぁ。

朋友がお土産をしこたま持って見舞いに来てくれた。
学生時代,私がろくな物を食べていなかったことを覚えており,恐ろしく栄養価の高いものばかりである。
娘さんは今年高校受験をし,合格を果たしたという。
「本が好きなので,いっぱい読める本がある学校」
を志望したとまでは聞いていたが,流石の私も直接合否を問うことははばかられた。
私「お嬢さんも高校生かぁ」
友「家にJKがいる」
私「なあに,ただ臭いだけだよ」
・・・
黙って茶を飲む二人。
私「本が好きなんだよね」
友「好きで好きで,いっつも沢山読んでてなぁ」

****

そこでふと,私のDNAに刷り込まれた大きなお世話魂が鎌首をもたげた。
純文学にしてやられ,文学少女に,なったら,危ない。
親友のお嬢さんを救わなければならない。
立ち上がれ!自分!

****

どだい「文学にいっぱい触れましょう」と喧伝するのは,本屋さんと木こりだけである。
純文学の毒にやられて,一生を棒にふってしまった人を何人か知っている。
純文学という言葉からして,あやしい。
確かに不朽の名作。もんのすごい作品はあるもので,影響,どころか世を見る目が歪み,何発から喰らうとなかなか現実復帰が困難になる。
また昨今は,不純物がかなり混じたものがかなり多い。現代の出版事業を鑑みるに,アホが利口なふりしたり,リコウが阿呆のふりしたり,とにかく部数をさばくためにもはや手段を択ばぬ状態。
めっさ(何故か次女は『目茶』を『めっさ』と発音する。最初は注意していたが,おもろい。そのうちにうつってしまった)純真な少女には危険である。

****

もし御令嬢に純文学の本当の才能があったとしたら,こんな田舎のおっさんの言葉なんぞ全く入らず,勝手に書き始めるだろう。この場合は放置しておくべきである。
が,そうで無い場合が心配だ。

才能はいつも中途半端だ。

常々そう思っている。
目利き編集者が少なくなった今,「運」,その他(想像してね)がモノを言う場合がとても多い。
どうしよう,どうしよう,と私は焦った。

****

「北風と太陽」では無いけれど,こと芸事もとい芸術に関しては,周りから「ダメだめ」言われるとかえって燃えるものだ。
では「凄いスゴイ」と褒め殺しにすると,かえってその気になってハマりにはまってはまり倒す。
その結果,一生に一本だけでも名作が出来あがればよいが,色々と厳しいのよ世間はha-ha。

アートの才能は,自分で見切りをつけ,夢も自分で断念しなければならない。
ではどうするか?
「太宰治」→「坂口安吾」
「三島由紀夫」→「島田雅彦」
という独特の解毒剤があるからそれに任せるか?
いや,今度は解毒剤の方にはまったりして。
ああ,考え過ぎてぐるぐる回る。
と思ったら単なるめまいの発作であった。

****

私は季節限定のなんとかティーを飲みながら(必ず限定品頼むヤツ!),浮かんだアイデアを彼に伝えた。

私「おぜうさんに,文学に溺れそうになったら『万葉集』に帰れ,とだけ伝えておいて」
友「ほお,『万葉集』か?『新古今和歌集』ではなくてか?」
私「おい,『古今和歌集』が抜けてるぞ」

玉石混交,コトバのごみ埋め立て地―皮肉なことだが「夢の島」-闇鍋のごった煮,その中で溺れかけて,日本語使いの自分がどこにいて何をしているのか,そもそも日本語とは「誰」なのか,アイデンティティが崩れさり流れ去れそうなときは「万葉集」を読むのが良い。

自分がどこに立っているのか。
日本語と日本語がぶつかったときの火花の原型はここにある。
そこに既に自分の感情が表現されていた場合は,
しらけて文学から足を洗うことにためらいが無くなる。

多分。

****

友は「ほぉー,ほぉー」とフクロウのようにうなづいていた。
ところでー
私「どんな本が好きなの?」
友「推理小説に目が無く『〇川×郎』」


オラの時間返せ!


無断引用を禁じます。某先生,その後,その高校を調べてみたら,滅茶苦茶(めっさくさ)偏差値高かった!確かに,本は,沢山ありそう・・・今思えば,照れ隠しと,子を持つ身である私への「優しさ」だったのね,やっと気づいたおろかな私。
推理小説好きの皆さま,御気分を害させてしまい申し訳ございません。私め,推理小説も,好きです。
下手な純文学よりよほど上等で大人向けの作品が,結構,ありますです。

中国の昔の人は偉いと評判だが,モノを書くときの着想は「便所,乗り物,寝てるとき」に閃くと言っていた人がいた。
確かに駄作をしたためた時はまさにそうで,創作ノートに向かったのは一日だけ,後はもっぱら安い小さなメモ帳に書き,「パソコン,火を噴け!」と言わんばかりに一気呵成に仕上げた。その字数,三十万字。処女作を三部作で出そうとしたら,先達に「馬鹿たれ」と言われて終わりだった。凝縮して捨て去って換骨奪胎してようやく日の目を見るまでに4年かかったので,推敲の方が明らかに困難であった。まずいことに,推敲している最中にアイデアが浮かんだりする。
当時,秋田―仙台間を往復したり,脳挫傷をきたした母の病床と老い給える独居の父のところ,職場,の四点を行ったり来たりしていたので(走行距離は二年で11万キロを超えた),いきおい,車中での閃きが多くなる。ところが,あっ!と急ブレーキをかけようものなら,「もはや永遠に戻らない素晴らしいアイデア」なんぞいとも簡単に吹き飛ぶもので,人を吹き飛ばさなかった代わりにいくつもの発見が天に召された。
出来るだけ運転中は止まれる所に来るまで忘れないように口の中でつぶやき,ハザードランプをつけては,安っぽいメモ帳にボールペンで走り書きする。また走り出すと間もなく「あっ!」とまた閃いたりすると,嬉しいより悔しい。
イノチガケであったのが,冬の鬼首峠越えである。ただでさえ凍てつくワイパーで前が見えないのに,横殴りの吹雪になると,どこをどう走っているのやら,分からない。こういう「一歩間違えると死ぬ!」という場面になると,「あ,そう言えば!」と何をか思いつく自分を,正直,恨んだ。
知人に相談したら,ブランド物の腕時計をジャラジャラ言わせつつ,取り出したる一品,「これを使え」と言う。
スマホというものらしい。ガラケーとスマホの違いがピンと来なかった。彼によれば,音声入力というものがあり,それにメモすると楽だろう,というのである。そうか!その手があったか。確かに昔,音声レコーダーを車に載せていた時期があった。恥ずかしいが告白すると,観た光景,人,浮かんだもの,それらを「言葉」に即行でおとしたい,という腹積もりであったのである。が,大詩人,吉増剛造氏も似たような試みをなされていると知り,おこがましくなって,止めた,根が謙虚な人間なもので。油断していたら所帯なんぞ持ってしまい,久しく閃く必要も記す義務感も無くなり,そのまま老いて朽ちていく,はずだったが人生何が起きるか分からない。
にしても,そのスマホなるもの,購いたいものだと切望した。父がNTT社員であった家内はアンビバレントな感情を通信電話機器に抱いているように見えた。スマホの「ス」と言っただけで激怒した。ガラケーの時もそうだった。かと思えば電話機はケチらず,ほとんど使わないファックス用紙が虚しく日に焼けていく。後日改めて問うてみると,家内の父が就職したのは旧・電電公社であり,「うちの父ちゃんの回線だ!」という思いがあったらしい。旧・電電公社の血をひくドコモやNTTは贔屓にするが,その回線を用いて反映する他の会社には葛藤的であったらしい。そっかそっかと聞いていたが,自腹で開業するときの通信機器はY!mobileであった。
ともあれ,夢の音声入力が消え,せこくせこく百均で買ったメモに書きなぐる日々が続いた。
ようやくスマホを手に入れたのは三年前か。開業だ,闘病だ,と慌ただしく,音声入力もへったくれもありゃしない。
また,パソコンも軽量,頑丈になったため,しばらくはメモのことは忘れていた。

****

最近になり,漂泊の想いは止んだものの,またしてもチマチマ思い浮かぶようになり,よしなしことを書いて,あやしうこそものぐるおしくなりたくなった。二冊目,いきたい,あわよくば。一作目を書いたときは,「もう書きたいことは書ききった。これまで。後はいい。お終い」と思っていたのだが・・・。
だが,副作用で爪がやられてしまった。痛くてキーボードが打てない。此畜生!と独自の医学的見解で爪をあまり痛くないようにやっぱり痛ぇーじゃん,と抜爪処置したところ,結果,カットバンなぞ指に巻かねばならなくなった。爪って,無ければ無いで,打鍵が結構,痛いのよねん。いずれ指の絆創膏がパソコンのキー打ちがひっかかり,さらにもどかしい。
こんなときは,タッチパネルが便利!とて,家内が珍しくタブレットを買ってくれた(やはりdocomo産)。だが・・・絆創膏巻いていると「指」と認知しなくて,ただの電子板なのよねん。
あー!
あ,そうだ!
そこで,恐る恐る,繊細かつ大胆に―聴力も落ちてきたところで臨床聴覚士さんからのお勧めもあり-音声入力ソフトをスマホに入れてみたのである。これは,凄い。なんて便利な。傍から見れば「独語」であるが。
だがこの音声入力ソフト,私の東北弁関西弁九州弁標準語が入り混じった語りでは,傑作変換が多すぎる。いくら何でもこりゃ無いでしょ,ってんで,原則笑い上戸の私は,噴き出して笑ってしまうのであった。音声入力ソフトは,その笑いも忠実に変換し,最後の私のボヤキまで文字にしてしまう。スマホ片手に,何を入力しようとしていたのか,すっかり忘れてしまうのが常となった。

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んでもって結局,いおりクリニック隣,豊富な品揃えで皆さまの生活をサポートするSeriaフォンテAKITA店に行き,十年前と同じメモ帳三冊百円を購い,持ち歩いている。
思い付きを書いては,しばしばメモ帳を無くし,後に判読不能になったり,我ながら意味不明になったりしている。

一回転したが,何の進歩も無い。
パソコン新しいのにしたらキーボードがプラスチックで指が滑りやすくなり,しかもSDDとやらで「突然死」が旧HDバージョンとは異なり,どうもあるらしく,むしろマイナス・・・。

一回転して,かえって興が冷める,って,回転寿司みたいだな。
もっとも秋田は,過疎化とともに回転寿司の形骸化が進み「レールに乗って運ばれて来る,ただの格安寿司」,あるいは「レール越しに注文したり受け取ったりするだけの普通の寿司屋」なのだがね。

そう。秋田における回転ずしの定義は,「寿司が開店するレールに乗って来るもの」ではなく,「ただひたすら回転するレール越しに,職人と客が寿司をやりとりする店」である(『大沼海』より)。

あれっ!何の話だっけ!?



無断引用を禁じます。某先生,もし二作目が出来たら表紙は先生の油絵の肖像画にするつもり。予算の都合で白黒になりそうだが。

不思議なもので,先週一週間,何故か「野口英世」が気になって仕方なかった。
我々の世代は少なからず小学生の頃から野口博士の伝記の影響を受けている。私も小学生の頃「野口英世の弟子になる!」と言って周りの大人を喜ばせるサービスをしていた。
酒飲んで不義理に借金重ね・・・という真説暴露本が流行ったが,逆に,放蕩野郎が全て大発見する訳でもあるまい。この,醜聞をもってして偉い人の足引っ張りをする系のヤカラの,人格の方を私は疑うクチである。
「なんだ,どうせ同じ人間じゃねぇか」と価値貶めて自己を守る姿は,醜悪であるとさえ感じる。

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負った障害なんぞクソくらえ!とばかりに,熱く,立ち並ぶ困難を打破,打破,打破していく姿は痛快だった。
最後の殉職に,医学を学ばんとするガキは涙した。死を恐れては成し得ない男の(←こう書くとセクハラかえ?)仕事がある。
俺もこうなるんだ!

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四十数年経った。
秋田大学医学部微生物学講座,学生から「仏の須藤」と言われた須藤教授はあらかじめ
「試験である以上,誰かに落ちてもらわないとならないらしい。すまんが,ちょっとだけ,落ちてもらう」
と仰った。私は,「その数名」の中に入るという栄誉に属した(ちなみに最近まで私の内科担当であった先生は須藤教授のお孫さんで,そっくりであらせられて驚いた。須藤教授は元々小児科医でおいでで,こういう風体で医業をやられておられたのだと拝察した)。
今でも感染症は,好きではない。「とりあえずメイアクト」「フロモックスで様子見ましょう」が出来ない。強迫的に,「本当に起因菌に対してこれがベストなのだろうか?確かに効くだろうが,もっともっとシャープにキメられるのではないか?」と数秒考える癖がある。細菌培養出しても保険で査定され,培養結果が出る頃には治っているのだが・・・。
かくして細菌学とは縁遠い生活を送り,精神科,心療内科を標榜して市井の開業医風情になり,隣のゲーセンの音が診察の邪魔にならないかを気にしつつ,有難がられたり大きなお世話で嫌われたりしながら毎日を送っている。
「野口英世」医聖・・・
診察の隙間に天井を仰いで,これまた野口博士とまったーく関係無い所に落ち着いたもんだ・・・と感慨を深くしていた。

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が,あれあれあれあれあれあれ,さらにあれ,待てよ!
以前,単科閉じ込め型精神病院に勤務していた頃,医学部卒後臨床研修制度がスタートした。立派な総合病院と提携して精神科セクションを担う,ということで,私がその係を仰せつかった。
その頃の私は,当時まだ根強く残存していた精神科差別に対して,若い医師に最初からガツンと刷り込んでおかないといかん,と思った。どこぞの臓器の病で不幸に死んでいく人にあらかたの人は同情して涙してテレビドラマになんぞするが,やられた臓器がたまたま「脳」であると,迷惑者扱いされる。差別される。縁切りされる。
当時はまだ難治性統合失調症治療とそのリハビリテーションにも(第二専門くらいのつもりでいた)燃えていたので,そこを精神科研修のコーナーに銘記した。
罹患した部位が「脳」であるがゆえに,十全たる医療福祉を受けること未だ叶わず・・・
秋田は総合病院精神科が充実(菱川奏夫名誉教授の業績の内のひとつ)しており,他県に対して自慢できる。それでも尚,「精神科患者だから」と身体疾患治療の受け入れが困難となる場合があったのである。
その時引用したのが,グレージンガーの「精神病は脳病である」というテーゼだった。

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私が入局した当時の精神科学講座は,脳科学一色であり,この「脳病」としての精神病を扱っていた。
今考えれば,真っ当である。健全である。国立大学医学部精神科が担う役割を,至極真面目に遂行していた。
私はただの青臭いガキであった。嫌なら辞めれば良いものを「精神療法」「魂の治療」とほざいた。
母校,先輩というのは有難く,「はいはい,分かったわかった,それは大事。でもこれも大事」と,飴と鞭で私に脳科学のイロハを教えて下さった。私はピース派であったが,ときに金が無いとゴールデンバットも吸う方であったから,コウモリになることに躊躇いは微塵もない。脳科学と精神療法の間を,どちらつかずでぶらんぶらん,タヌキの〇〇〇〇の如く,風があってもなくてもしていたのである。
ただそれだけの精神科医生活であった。精神分析のトレーニングを受けられたのが,そしてそのおかげで何人かの人を救い得たのが,せめてもの慰めであった。

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これまた,見事に,あっちとこっち,野口英世とは対極にいるもんだなぁ・・・
あ!
違う!
精神疾患とされていた脳の切片を,何十万枚?観察したのだろう。
その結果,脳に梅毒の病原体を発見した。
「精神疾患」が,感染症という「身体疾患」と並んだ瞬間である。
治療の光明,病の意義付けー医学的にも,社会的にもー・・・
野口医聖は,後の精神医学研究に,はなを向けてくれたのである。
目の前にある,全脳相手。昔は九州大学の下田一門や,ついこの間までは東北大学精神科の皆さまが,現代の手法でもって第二の野口たらんとしていた。

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精神医学への一石。
ただし,どでかすぎる一石。
というより,ほぼ,地球に衝突した隕石。
これが無ければ,今,何がどうなっていたのだろう?
あの頃憧れた野口英世は…
精神医学としっかり繋がっている,今頃思いを馳せるな,ってが。
色々知りたくなり,私の嫌いなWikiを開いてみた。

ああ,それでか。
偶然だろうが,事実である。
胸騒ぎの理由,これか。
その日は,野口英世博士の,命日なのであった。
享年、51歳。


無断引用を禁じます。某先生,別に霊感商法はやってねーだよ。


ペッパーランチ イオンモール秋田店は良い店だ。皆さん、肉食いたい発作が4週間以上続き、苦しさに耐えかねたなら、同店に行きましょう。ちょっとしたことでも店員さんが大変良心的な対応。秋田では珍しいです。
悶絶タンパク制限の隙間に、また出没します。


無断引用を禁じます。某先生、焼肉食い放題って、結局、高くつくと思わん?

今日は天気が良いせいか、皆さん、明るい。絶望の淵にある人でさえ、打破しようと前向きになっておられる。
秋田。
日照時間が日本一少ない県。
秋田の精神科医はハンディキャップマッチを強いられるなぁ…


無断引用を禁じます。某先生、先生は反則マッチだもん。

人は何故生きるのか?
税金と利息を払うためである。

しかしともあれ,
私は生きる!
秋田銀行のために。
働いて借金と利息を払う!
銀行員とその家族の生活―衣食住などの日々の生活費とご家族皆さまの遊行費とお子様の教育資金とご夫婦の老後貯蓄その他のために。

願わくば産業医になりたいと念じているが,マルクス主義者であった現在担当の先生が譲ってくれそうもないので遺憾である。

しかしそのせいか,北都銀行は最近とみに私につれない。

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ともあれ,薬の副作用で手足の爪がやられてしまい,パソコンを打つ時,キーボードが血まみれになって困った。いっそ剥がれれば,キーボードをこっそり拭く暇もひっかかりも無く,楽であろう。

今回入院した際,ぐらぐらした爪らをお湯でふにゃふにゃにして痛みを感じにくくしておいて,こまめに揺すり,いい加減がくがくしたところで,えいやっ!と剥いだ。

まともに剥ごうとすると麻酔の方が痛かったりするし,皮膚科は「そのうち剥がれますから」というが,その「そのうち」がいつなのか分からない,病気というのは,えてしてそうだ。
こりゃ
「そのうち死にますから」
と同じであまり意味が無いと思うのだがね。

ともあれ死にかけている爪であるはずなのに,痛い,というより無意識にその痛みをカバーしていたのか,「動きがおかしい」と自覚せる一枚があった。
剥がしてみて分かった。
ああ,こりゃ,変で,痛かった訳だ。
爪剥がしたあと,指には大きな潰瘍が出来ていた。しかも異臭を放っていた。臭かったわな。患者さん,ごめんなさい。

ああこれで,すっきりさっぱり。
また臨床三昧に戻れるわい。

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爪がはがれた後,というのはすーすーして,まるでパンツをはいていないときのような,変な気分がするものだ。
かつて爪があった指の背中(腹の裏だから背中だろう)は,やわやわで,むけたてで(男,笑うな),センシィティブで,痛い。春の訪れとともに新たな爪の芽がちょっとずつ顔を出したり,残った壊死部分の名残があったりで,保護が必要となる。安価な紙ばんそうこうで済ませたいが,無意識に痛みをカバーしてしまいカルテの字が判読不能になってしまう。仕方が無いので開業当初に卸問屋から「試供品」でもらった五年前の変色しかかったガーゼをあてがってみたところ,ちょうどいい。

がしかし。
ガーゼと絆創膏で巻いた指は太くなり過ぎて,これまたキーボードが打てない。
それでも根が根性祝儀の私は気合で書類を仕上げる。これまでの「書類代」に加えて+αを頂きたいところだが,近くのクリニックと比較されて「ぼったくり」呼ばわりされるのでそれも出来ない。

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入院中気づいた。
こればかりは,天性というか母性というか女性性というか,どう言っても差しさわりがあるので黙るが・・・。
看護婦さんにも種々おられて,まあー,この爪処置を頼むと,きっちーり職人技というか芸術的というか,元の指の大きさ太さとたいして変わらないレベルにまできちんと素早く,巻き残し無しで仕上げる方と,「俺に悪意あるでしょ」と勘繰らざるを得ない方と,二通りに分かれる。

ノーベル賞受賞者で日本の宝,秋田大学卒業生全員束になってもその価値に敵わない,あなたが大将なら我々は二等兵,あなたが王将なら我々は歩,あなたがイチボなら我々はカップヌードルの謎肉,ミスターips細胞,死にかけたら自分のクローン作ったりして,山中伸弥大教授は,整形外科を志したが手術が下手で基礎医学に進んだという。多分嘘だと思うが一応信じたふりをして,自らを不器用と思うご仁は自らを慰めるがよろしい。私もそうする。

****

しかしその完璧を極めると,あらたな弊害が出てくる。それは世の常,歴史の教えるところでもあるのであるのであるのである。
申し分無い,指そのものになったかのような絆創膏巻きでは,スマホがいじれない!
指と認知せず,作動しない,さ,どうする?

精神科医よりは旋盤工に適性があった私は,百均で買った恐ろしく切れの悪い錆びかけた鼻毛切を持ち出した。そこで,右第Ⅲ,Ⅳ指の,腹の部分だけ,ちょいと切って露出する。「絆創膏Оバック」が出来上がる。これでパソコンとスマホ,両方対応する,便利な仕上がりとなった(特許申請中)。

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特許がおりて,東南アジアの工場を視察し交渉し,秋田銀行から借金して生産委託をするまでまだ時間がかかるので,まだ当面紙ばんそうこうを自ら手巻きをせねばならぬ。
料理と裁縫と掃除と小物作りと洗い物の工夫と,日常のささやかな幸せの発見と,刺繍と一筆箋とイラスト描きとフェミニンなコーディネートとお菓子作りと一品料理と,敬語と女言葉と手加減力加減とペットの爪切りが苦手な家内は,車の運転が上手。絆創膏巻きは,動かせる指で私がやった方が,上手い,かな・・・。

昔は指にテーピングして登場するアスリートをカッコいいと思って見ていたものだ。
せめて気分だけはそうでありたいと願うのだが,情けなさが先に立つ。
大病そんなんへったくれ,よう知らん。
日々のやり難さは,爪,それだけなんよ。
あと耳と。


無断引用を禁じます。某先生,おヤ〇ザ様が指を大切になさる理由,よーくわかったわ。

理解者は、世界に一人いればいい。




無断引用を禁じます。某先生、だからか!「君が僕を知ってる」を聴くと13の頃から今に至るまで、熱いものが込み上げてくるのは。今気づいたわ。あはは。

今日は一年目からお世話になり通しの清水名誉教授と、これまた一年目の頃から私の癒しの存在であった山C姐御とが、お忙しい中お見舞いに来て下さった。実地指導と人の云ふ。清水先生のお土産が
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あまりに可愛い過ぎたため、カミさんが自宅に持って帰ると言ってきかない。
ならば、というわけではないが、山C(with大波さん)氏からのお菓子は全部没収、一人で食べる。


無断引用を禁じます。某先生、昨年のシミが付いたサマージャンボ宝くじの束、着払いで送ってよこすな。

びっくり!
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なるほど!DSC_0053_HORIZON
退院祝を頂戴しました。
衷心より厚く御礼申し上げます。
尚、お菓子の類はほとんど全部一人で頂きました。


無断引用を禁じます。某先生、一万円札の写真アップするのよさないか。

医者は,原則,痛いんです。
そこに命がかかっている以上,いきおいこちらもイノチガケにならざるを得ません。
患者からの「感謝」があった時代はとおに過ぎ去り,フルタイム「医療訴訟」臨戦態勢に入っていなければならないご時世。
毎日,何かと,痛い。
外科医は首が痛く,内科医は腰が痛く,精神科医は副鼻腔が痛い。
msnやNHKや新聞社は「老後貧困」「人生100歳時代に金間に合うか?」と騒いでいますが,こちらは「老後まで生きれるか?」という問題を無視して場当たり的に「健康に良いこと」をちょろっとしてみるのが関の山です。
マザコンがママにちやほやされて騙されて誘導されて医学部に入って来る様を見ると,心が痛んでなりません。
ファザコンがパパに(以下同文)。
ともあれ,昭和生まれのお父様お母様は,お子様の置かれるであろう状況を冷静にお考えになる方が宜しいかと存じます。
医学は未だ「熱さ」が残っていますが,徐々に「暑苦しい,熱っぽい」体質が嫌悪される方向に向かっているようです。
冷却しながらカタカタ叩くパソコンではエビデンスとガイドラインと生存率が整然と並び,自分の範囲内の仕事が終わると共に患者との関係も終わる。
ドラマのような「微かな可能性を目指して突破!」はリスクとお金がかかるので原則やらない。
人口減り減り減り続けるけれども,医学部定員は高止まりのまま。今よりさらに「医者珍しくも何とも無い」時代になります。我が祖国はそれを目指しています。

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うつの本を書いたときに,日本に帰化した脳外科医のともだちウッツノーミャ・アキヒロフが珍しく連絡をくれ,風呂敷いっぱいのピロシキを祝いに持って来て開きつつ,

「ズラースイッチェ!私の父は「『人生』半分の力で生きよ』と言っていた。ダスビダーニャ!恨みハラショ!」

とウオッカ片手に教えてくれました。
私はこの言葉に唸りました。

全力で生きた者の言葉に違いなく,最愛の息子にはその愚を繰り返して欲しくは無いものだ,そんな願いが込められています。
あるいは自分と同様,全力で生きようとしている息子への警句なのかも知れません。
さらに穿てば,全力で生きる仕方しか知らない息子であるととおに見越しており,この先,万が一折れた時に支える一本の杖になれば,という思いやりの置き土産であるのかも。

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昨日自宅に戻ると,高校三年生で進学先について悩みパツンパツンに顔も自律神経も張っている過緊張状態の次女と,それまで高跳びばかりしていた日々一点,高校入試をハイジャンプしてクリアしてほっとしたのもつかの間,連日山を三つ越える自転車通学,その先に見える物理学の教科書でノックアウトされ脳しんとう起こして倒れている三女の姿がありました。

私は私で,おギャーと生まれた時に持ってきた力とやらの120%以上は出していたな,我が人生,農業用軽トラックがF1サーキットを走っていたようなものだったな,と思い,後悔していた矢先でもあったので,大沼家基本方針を改めることにしました。

「今日から大沼家の家訓を『人生半分の力で生きよ』に変更する!」

と宣言しました。

次女は「え!今さら!」
三女はうつぶせになったまま,ニヤリ。

就活中の隣県に棲む長女にその旨ラインしたら

「こちとらなぁ,おぎゃーと生まれたときからなぁ,20ぱーせんとの力で生きてんでぃ,べらぼう
めぃ!」

と返信あり。家内に似て頼もしい限りです。

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「半分」とは言い得て妙です。税金の計算式はきっかり半分とはいかないようですが,あらかたにおいて「半分」を目安にすると,よろし。
半分稼ぐとすると,大雑把に見て,食べ物半分で粗衣粗食は健康に良い。交通費半分だと,歩いたり走ったりするので運動になる。電気代半分で自然に順応する体力が身に付き,酒タバコも半分だと癌になりにくい。

「我が憧れを知る者のみ,我が悩みを知らめ!」とゲーテも言っていることだし・・・

どだい,欲が長けるから悩むのであって,鼻から願望を捨ててかかれば,「けいおん!」ならぬ「へいおん!」なはず,Gibsonも潰れたので未練無し。

そう考えると,「ゆとり世代」の次に来た「サトリ世代」は進化なのかも知れません。

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努力は,虚しい。
喜びは,自己満足でしかない。
刹那的な自己満足であるならばそれは,あっても無くても同じこと。
悲しみも,苦しみも,そこにとどまり続けるは愚。
さらりさらりと死ぬまで生きましょう。
愛,なんて心配なだけ。心かき乱された挙句勝手に振る舞われて,残され疲れて失望するだけ。

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そう言っているかのような,今ドキの「サトリ世代」と出会って当初,「何だなんだ,何が起こったんだ!?セシウムは血液脳関門を突破するのか!?」と,おっさんはかなり驚きましたが,よくよく見て聞いて考えると,意外と,イイ。というか正解。というか羨ましい。執着から見事に離れている。

しかし「悲しさ」や「寂しさ」の自己焼却はどうなんだべね?と見ていると,ああ,そうか,昭和にはかろうじて残存していた「貞操観念」が,無い。
負の感情を埋めるために肉体を使用し,なんらためらうことが無い。
深いかかわりを否認して避妊してl感染症学と産婦人科学と内分泌学と薬理学の努力ここに結集したり,という感じ。
「これは便利,ライオン!」
これまで頑張って研究してきた医学徒の皆さま,業績は文化に結集しました。お疲れ様でした。

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「大きな喜びを避けていれば 大きな悲しみも来ないのだ 行く手を阻む大きな石を 蟇蛙(ひきがえる)は回って通る」
(太宰治先生の『人間失格』に引用されていた,たしかペルシャかどこかの『ルバイヤート』という作品)

中学生の頃,地元の土建屋さんからお借りしたボロボロのマイクロバスに揺られつつ剣道の試合に行き,そのバスの中で,また,一試合終わると体育館の外に出て,読んでいた文庫本の一節です。

当時は「君たちはいかに生きるか!」という,松岡修造氏の文化人版的な熱い人が多かったので,いきおい,その一行にはヒヤリとさせられました。
ヒトが蟇蛙であることへの嫌悪感。それが,まだあった時代だったのです,昭和というのは。
無論,昔々のペルシャがやはりバブル直前のように,かように熱かったのか,それは定かではありません(おせっかいながら追記。後,ルバイヤートの日本語版を岩波文庫か何かで読んだことがありますが,人間があまりにちっぽけな存在であることを嘆く件は見受けられたものの,それは『ルバイヤート』オリジナルとは言い難い。太宰先生,さすが作家!ここぞというときの援用能力がべらぼうに凄い。御作品に引用された『毒』は原典ではかなり薄い印象を持ちました)。

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ともあれ,時代はショーワ,ヘーセー,そしてその次,と流れ「蟇蛙だっていいじゃないか人間だもの」とサトル,サルトルサトルサトリの世代へと流れつきました。
もっとさめた血へと変化していくのかも知れません。

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しかしまた,「こうとしか♪生きようのない♪人生があるぅ♪」と堀内孝雄氏も歌っているように,熱き血潮と熱き涙を持って生まれたもはや時代錯誤なヤカラが絶滅するかというと,ラマルクならすると言うだろうが,秋田大的には,わからない。

もしかすると,松岡修造氏か,サトリちゃんか,という選択は,恐ろしいまでに個人の選択に任せられていて,時代のせいにも親のせいにも権威のせいにも出来ないという,厳しい時代なのかも知れない。

最近は,リバイバル夏目漱石と真央ちゃんのブログkokoroと秦野病院の院長の本がよく読まれているそうな。足すと,

「kokoroの匙加減 明暗」

まるでそんな感じ。


無断引用を禁じます。某先生,小匙にするわ,小匙,これから,塩分。

「命短し〜♪肉食え乙女〜♪」
と、朝日の当たる家で歌っております。

現病はともあれ、副作用で腎臓にガタが来てしまった。タンパク質制限、塩分制限、水分制限をくらい、勧める人あり糖質も制限していたので、食べるものが無くなってしまった。名実とも草食動物となった私は、患者さんと事務嬢の目を盗んでは「いおりクリニック」の看板、ダルマひつじの足に食らいついております。

無断引用を禁じます。某先生、わざと美味そうに肉食って…そんなあなたが憎くって

この広い日本。

「砂一」

という名前の人がいたりして。



無断引用を禁じます。某先生,真面目な内容を書こうとしていたにも関わらず,「砂 Ⅰ」の「1」の字が「一」に変換されるや否や,指が突然オチに走った!いかん,疲れてる,もう寝る,おやすみなさい「砂 1」はまたいつか。

この数か月,Google神の「口コミ」で,当院が酷評されていることについて,傷ついたり,義憤に駆られたりしている患者さんがけっこうおられた。
けして少なくない方々が,診察室で―ときには「悔しい」と涙ながらに―語られる。


はてさて,本当に「来院者」が書いているものやら?
ウチが食らって,喜ぶ人は他にもいるから。
グルメサイトの投稿よろしく,一見さんのカイカン満たしたかどうかでしょ?
うちは「医療法」のしばりは受けるが「風営法」のしばりは受けていないから。
糖尿病の人に飴玉与えることは,その人を殺しこそすれ生かしはしません。
あなたが辛く感じてくれることは,治療者として,嬉しくもありますが,悲しくもあります。
・・・

などなど,お伝えしていた。

患者さんが感じて下さっている「怒り」「悲しみ」という負の感情に対して,主治医として見逃すわけにはいかなくなった。
「逆転医反応抜きの,真っ当な怒り(ウィニコット)」なのである。
併せて,治療を邪魔するものだとするならば,無下に放置は出来ぬ。

そこで私は,頼んでもいないのに載せたまう,万能のGoogle神に祈りを通じさせるべく,苦手なネットに向き合う修行をすることこと延べ6時間(良いのかね?まだ体調ホントじゃないのに),ようやく一文を献上することに成功した。

「秋田県医療安全医療センター ☎ 018-860-1414」



無断引用を禁じます。某先生,ちなみに,秋田「市」医療安全センターの電話番号は018-883-1229だよ。くれぐれもおかけ間違いの無いようにお願い致します。

通院中の皆さまから祝福して頂きました。
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などなど。

いおりクリニック、威張れるものは何も無い、小さな無名の医院です。
しかし、通院しておられる方々が、皆さま、とても人間味あふれる情深い人であることが、院長である私の誇りです。


無断引用を禁じます。某先生、事務嬢からは「うなぎパイ」頂いた。40年ぶり。エイリアンエナジードリンクとエナジーゼリーも。
POWER UP!!

砂 0

愛?

それは知らない。
仕事上「愛」という概念や言葉はよく使う。
あまつさえ「愛する」ということもする。
仕事で使い倒す,業務用の,単なる治療の道具。
傷だらけで,あちこちひん曲がった,しかし長年来使っているせいで,錆びもせずよく手に馴染む。
それでトンカチやることを生業としている。

****

仕事から離れ,故人的には,違う,個人的には,
どれが「愛」じゃか,どうすると「愛してる」じゃか,皆目分からん。
そろそろ自分なりの答えを出しておかなけばならなくなったようだ。

****

のどかな田園を列車が走っている。
家内が,童心に返って,目を輝かせて車窓に移る景色を見つめている。
機嫌良さげに,口元にはかすかに笑みを浮かべている。
いつもありそうにして,暮らしていく中ではその実,とてもめずらしい,穏やかな光景。

それをー
もし崩そうとするものがあるとするならば私はそっとデッキまで引きずり出し命懸けで処分する。

****

「愛する人」の定義はよく分らないので専門家に任せよう。
私にとって「愛する人」に相当する者は誰なのか秋田大学脳でほじくり返しても時間の無駄。
ただ,
「その人の笑顔を絶やしたくない」
存在がいるだけだ。




無断引用を禁じます。某先生,俺だよ,大沼だよ,おい!

命尽きる 
その前に
 愛想が尽きる

 何だかラッキー得した気分‼☺ 


 無断引用を禁じます。某先生、組織は相変わらず魔物だな。集団療法冷やかしていた頃の知恵と経験は、ムダでは無かったな。

 おめでたい、と言うかなんというか、まだ「人」を信じていた頃のFreudが味わった絶望。 
その絶望の果てから生み出された「死の本能論」。 

自分は前者の理論的根拠でやっていて、役立つもんだな、と思っていた。

 しかし個人的にはもうそろそろ後者の適齢期かな。  


我がホームワーク「自我心理学」よ。(子どもの心の正常発達が元になっている理論)。どんなときも希望を捨てない、その明るさは、臨床で何度も私の治療を助けてくれた。困難に突き当たるごと、治療のドロ沼から脱却させてくれた。 礼を言うゼ!  


こんにちわ、死の本能論と連結する「対象関係論」。攻撃性のベクトルで人を値踏みするのも大事なんだねえ。
 
そもそも「内因性精神疾患」由来の理論治療なので、これはちょっと…パーソナリティ障害にですら援用し過ぎるのも、果たして治療的なのかいな?とうっすら思っていたよ、これまでは。 

しかし、実際、とてもとてもとてもとても役立ちそうだ。  
感傷抜き!


長くなったのでもう一度。 無断引用を禁じます。某先生、今度は本当に終わり。

 あーあ、早く診察室戻りてー!
シン·いおり計画たてていて、つい夜更かししちまう。

保育園が休みの日でも友達とは遊んだ。気づくと、嘘でしょう?もう陽が傾いて、時計の針は約束の時刻を超えている。
私は慌ててバイバイするが、帰り道、とてもとても悲しかった。
薄暗い自宅の、日に焼けた畳にごろりと横になり口をとんがらせ、涙をこらえた。
乾かした洗濯物を手早くたたみながら、母が、全てお見通しのような顔をして、
「サヨナラダケガ人生ダ」
と私を茶化す。
言い返したいが、人生とは概ね、斯様なものであると思われ、黙っているしかない自分が不甲斐ない。
人とのサヨナラのみならず、自分自身の何かー精神性であったりもっと即物的な肉体そのものであったりーにもサヨナラを毎日小声で言い続けている。
「病気」「障害」「加齢」…いちいち例を挙げるのも、いまさら、だるいだけ。

****

私の中ではこの「サヨナラだけが~」は、サトーハチロー氏が作った言葉とされていた。
あれ?永六輔氏?

この言葉は、毒があり過ぎ、精神科臨床で用いることはほとんど無かった。
患者さんとのやりとりでは禁、私が勝手に連想していれば良い話。

しかし作者が気になる。

調べたら、漢詩の井伏鱒二氏による訳文であるという。作家が訳す時は何か含む部分あり、井伏氏も、漢詩を使って日本語をキメる。
カッコイイ!
ヒューヒュー!
( 厂˙ω˙ )厂

その漢詩の題名は、一般的には精神科臨床でおおっぴらに出来ないものであった。

「勧酒」


無断引用を禁じます。呼吸器外科から手術を受けた人に宛てたパンフレットがあった。見ると
「酒は良いが、タバコ吸うな」
とある。
精神科医でアル中治療を好んでいる先生は
「タバコくらいは目をつぶるが、酒を飲んだら承知せん!」
とお説教したりしていた。

1週間前に「見舞いに行くので土産どれが良いか3つの中から1つ選べ」と連絡が来た。
私は選択に迷い日々煩悶し眠られず、ようやく昨日の夜更け「餃子せんべい」を選択した。
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彼は大人で全部(より正確には3つが4つに増えていた)あがのうてきてくれた。

無断引用を禁じます。某先生、先生が見舞いに来ると必ず部屋から1つモノが無くなっているのだが…

4年前の今日、手術を受けました。主治医は前日「明日は外泊日和ですね、そうだ、お家に泊まっちゃいますか?」とおどけながらさり気なく勧めて下さった。
…なるほど、そっか、そうだな…
生返事した後、キリキリした痛みの感情が湧いた。
そしてそれを中和するのは、飽き飽きした感のある、いつもの、惰性で動く「日常生活」の一コマひとコマであった。
明日バイバイ、してしまうかもしれない、家族とこの世。

いつもの日はいつものよう。
「術中死」
という言葉を知らない。

私自身は覚めていて、いつもの曇り空を眺め、生命保険の額の低さを悔いていた。

私が私であるために非常に生きにくい。
そんなときにいつも助けてくれた、私の影法師。
ピースライトに火をつけて、いかにも不味そうに燻らした。

特にどうと言うこと無く1日過ぎた。
麻酔がかかりゃそれで終い。
寝っ放しなのか死んでいるのか、私には分からない。

麻酔科医も大変な仕事である。
常に恐怖を取り除き、患者が損にならないように笑顔を絶やさず話かけてくる。

術前の説明をしてくれたのは、大学病院では当日まだ若手の女医さんだった。起こり得るアクシデントについては、まだ、良い。開けてみたら検索結果と異なり手術適応では無いと判断したら…顔を書類から上げ、私の目を見ながら「そのまま閉じます」と告げた。
恐らくーそれが最も心痛む事態なのかも知れない、外科医にしても、私にしても。
私は、精神科医だがちゃんと医学部出てるモン!なので、自分のCTをあらかじめ見てしまっており、腹は括っていたつもりである。
あの状態でまさか手術して頂けるとは、正直なところ、有難い驚きですらあった。
それにー
それに母校なら少しくらい運が悪くダメであったとしても、何だか、いいよ、という気になっていた。母校マザコンとでも言おうか。もし旧帝国大学医学部様が私なんぞにお手を汚させる、あ、手術だから手洗いか、ともあれ、オペして下さるとしても…
何か割り切れないツカエが生じていたかも知れない。外国で手術受けれぬ甲斐性の無さを無駄に嘆いて過ごしたかも知れない。
「死ぬならママに抱っこされたまま」
うーん、我ながら、キモイ。

麻酔がかかる。
モザイク状に視界が消えていく。
初めての不思議な感覚に酔う。

「これから左〇〇切除術を行います」

あの女医さんの声が遠くにする…。
…。
…。

「ひひひ、左じゃなくて右、右、ミギ!!」

叫ぼうとしても、声が出ない!
あー


無断引用を禁じます。某先生、感傷的になり「これで相棒、お前ともお別れだゼ」とふかしたタバコのせいで、分泌物出まくりなんと!健康側の肺に管入れて空気送り込むことが不可能に!
すげーなーと思うのがなんと、患側に気管内挿管して、空気送っては切る、というオペ!オペレーターす、す、凄い。、それ
「こ〜の〜ばーかー者が〜」と言われて当然。
それどころか、リスクの面から
「約束を守って頂けなかったので手術は残念ながら施行出来ませんでした」
と言われるのが筋。

私はこの時から、偏差値そんなに高く無い、庶民でもうんと努力すれば入れる我が母校に「愛の病院」の称号を与えたのだよ、勝手に。


明日は何の日?



無断引用を禁じます。某先生、正解はやのあさって発表予定。

こんな時になんですが、ブロ愚今開けて気づきました、60000アクセス突破していました。何か、間が悪く恐縮の極みですが、アホたら精神科医風情の妄語録にお付き合い下さり、すみませんありがとう。

無断引用を禁じます。某先生、六万…お金だったらねぇ…

お陰様で峠を超えました。
皆様の支えのお言葉と秋田大学医学部附属病院の愛の力のお陰です。
献身的な治療者であり続ける胸部外科チームはじめリエゾンしてくれたドクター集団、凄いです。先輩ヅラしたいが出来ない恥ずかしい。
また、僥倖なことに、artとしか言いようの無い施術と出会うことが出来ました。
当院は最小限の小さなクリニックですが、何とかコラボして皆さまに還元出来やしないか?と思案中です。

無断引用を禁じます。某先生、「スバラシイこと」を台無しにするのは、能力の問題では無いな。ごくごくちょっとした「怠惰」だな。

確かに難聴のこの耳にも聴こえた、と思って振り返ると、

ホームページ更新が遅れ申し訳ございません。キーボードタッチ界のエリック・クラプトンだったのですが、指がかような状態であり、パソコン入力が遅れてしまいます。
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無断引用を禁じます。某先生、1枚おめさやる、どの指がいい?

何故、自らの死を前にしても、心静かに微笑んでいられるのだろう?
答えは簡単で「もし自分が主治医でなかったなら」「もしあの時に直感を信じ理屈に溺れていなかったら」死なれずにすんだ、そんな経験ひとつや二つ…ずっとかかえ続けて来たからだ。
死には死をもって償うのが当たり前であるのに、ご遺族からの「これを糧に、さらにすごい医者になってこれからも人々を救って下さい」というお言葉に支えられ、今まで生きてきた。
ようやく、償えるな、悪かったなぁ〇〇さん。

「死んだ者への怒りが、自分に向きを変えて自らをさいなんでいるからに過ぎない」と、嫌煙家の葉タバコ農家の主は言うのであった。が、元来、無意識の解剖学なんぞ大嫌いな口である。精神分析なんぞ、数多ある医術の中の、一技術に過ぎない。

ただ「症例·アンネ·ラヴ」を観察し続け、あげく殺して作られた崇高な学問より、「何とかしなきゃ」とドタバタする中で生み出された知恵と技の方が性に合っている、それだけである。

臨床研究では統計の母集団となる患者数は多ければ多いほどよい。飽くまでもその中の1つとして、患者に微笑み優しい先生もいた。

どこから力を仕入れて来るのか、盆正月返上でただただ野踏みもとから救わんとする先生もいた(蛇足·古川高校の先輩)。

精神科医には誰でもなれる。
しかし継続することは難しい。
私は「患者を殺した罪悪感」を償うため、愚直に辛抱し、精進してきたに過ぎないのだ。
そうして生きて来た結果、辿り着く自らの死は、贖罪としての意味を持つ。

「鬱の罪業妄想じゃねえの?」
と私が鬱の病み上がりであった頃、嫌がらせに転じた後輩らは軽く言うであろう。
彼らは自殺予防の官の建前仕事で「うつ病」についてイガク的な講演なども軽く引き受けるはずだ。論文にしか真実は書かれていないとする「医学徒」と、患者の中にしか真実は無いとする「臨床精神科医」はかくも異なる。

もしこれが「罪業妄想」であったならー
「医学的にエビデンスに則ってやったから、死んでも仕方無いもーん」としてあっけらかんと忘却出来る手合いがマトモということになるが…私は嫌いだ。
やはり不全感に苛まれる医師はけして少なく無い(精神科より身体科の医師の方が多いようだ)。

昔の話。

夜間総合病院の深夜。たった今亡くなった患者さんのご遺体から離れ、1人、俯いて死亡診断書を書く一臨床医の背中を遠巻きに見るとも無しにみていた。私に気付かず、鼻をすすり、眼鏡のくもりを裾で拭っている。
悲しみを察し真っ暗な気持ちになるものだが…突然「こうして他者の死を悼み得る、人間としての医師がいる。冷たい治療計画書を書き、治療契約に縛られるアメリカ式が流行っても、まだまだ医者は捨てたもんじゃ無い!」と深夜の空に叫びたくなった。

かなり前に、確か「贖罪としての医療」とか名付けて、似たような駄文をしたためた。
あれに比べ、ちょっとだけ、掘り下げ得たかも知れない。


無断引用を禁じます。某先生は、どうですか?


またしても眠れない。
次々と診察室でお会いすることを続けていた人たちの顔が浮かんできてしまう。
「なぁに、真は強い人だ。大丈夫だべ」と信じるようにしているのだが「親心」にどこか似た感情が、心配の形をとって去来する。

無論、患者さんに咎なぞある訳が無く、全ては私個人の問題なのである。

確か…フロムライフマンだったかと思うが定かでは無いが…
精神療法家が「プライベートな時間に患者を思うこと」を、厳に戒めていた。


ごく普通の精神科外来で、日常的によくやられているいわゆる「精神療法」ー眠りと食欲と便秘の有無なんぞ訊いてお茶を濁し、患者さんのテーマをクスリの問題にすり替えるために行う、カルテ記載用アリバイ御用聞き…(戯画的表現失礼。原典は中井久夫先生か。御本人に他意は無論無く、それどころか患者さんにどう接すれば良いか手探りであった、当時の精神科医の拠り所ですらあった。その後の怠慢が日常臨床の進化を止めた)

それだけだったら良かったのに!
どれだけ楽で人生楽しめていたのに!

私は最後までそれが出来なかった。

専門を精神療法に選んだため自縄自縛した。

「精神療法のプロフェッショナルは、患者の治療から満足を得てはならない」

自分の生き甲斐、いわば己の職業的満足のために人様の人生の大切な問題を扱うことは、あってはならない。

しかし、こう銘記しておかなければならないほど、人の魂の深淵に降りていく精神療法家という人種は、ややもすれば危うい立場に自らを追い込みがちなのだろう。

私が、これまでの精神科医人生で出会った友達は、そんな損なタイプが多い。


無断引用を禁じます。某先生、羨ましいよ。

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