2019年10月10日

過去現在未来


 10周年とか。最近だ。

 貴、葛西、私、神威が、旗揚げにいたメンバー。

 岡野さんもいたんだけどなあ。マンモスはヤマいってたからいない。

 所属じゃないけど、バラモンもいた。

 竹田も。

 みんなあんまり変わってない。と、思う。見かけは。

 ああ、私は変わったな。たぶん。



 10年経って、当時影も形も無かった連中が主役に。
 
 杉浦、吹本、進。 
  
 5年前は私が「このボンクラが!」と言い放ってた。変わるもんだ。特にプロレスは。
 
 10年前の平田智也は中学生くらいか。

 徳島で何やってたんだ。全く知らん。

 あどけない顔ではだったんだろう。今もあどけないが。

 ふ…リブレと鎌田は全くあどけなくない。まあハングリーなのはいいことだ。特に鎌田。


 しかし10周年とか言っても、時間は否が応でも進む。止まることはない。

 未来がどうなるのか、誰にもわからない。

 10年後、50半ばになった貴葛西マンモス私が全然主役のままとか。岡野さんが普通にいるとか。

 さらに未来、100歳のデスマッチファイター・葛西純がギネスに載るとか。


 まあ、とりあえず、杉浦透の未来を見よう。






gen28 at 00:31コメント(0) 

2019年08月18日

佐々木義人

 
 最近、ドキュメント番組に出てるようだ。

 義人、そのまんまだ。
 
 全く変わってない。

 安心した。

 義人が素晴らしいプロレスをしている。

 

gen28 at 21:42コメント(0) 

2019年08月08日

黒潮イケメン

 
 最近しばしば試合会場で会う。

 黒潮とは・・・ハッスルの時から、なのかね。練習生だったか。私はそんなに喋ってないと思う。

 で、私がまだ長期欠場してた時、2013年くらい。
 
 横浜ラジアントホールへ、松田慶三さんの興行を観に行き、その後はTAJIRIさん興行も観戦させていただいた。SMASHだったかな?

 たぶん試合前、コスチュームにジャケット着た細い若者が、私のとこに挨拶に来た。

 ハッスルの練習生でした、と。

 確かに、小さい練習生の子がいるなあ、中学生くらいかな?と見覚えはあった。

 それが今TAJIRIさんとこのレスラーか。確かにハッスルは君が入ってすぐ終わっちゃったからねえ。がんばってね。背え伸びたねえ。
 てな感じの会話をしたような。

 黒潮の試合見たが、今まで見たこと無い動き、というかプロレスの概念を覆す、というか。
 TAJIRIさんのプロデュースはすごいなあ、と思った覚え。

 たが細いな、大丈夫かな? とは思った。

 数年後、徐々に黒潮はガッチリ筋肉を付けていく。
 他団体で顔を合わせる機会も増え、どんな試合も見応えあった。

 現代の若いレスラーは大体、ずっと動き、ずっと技を出す。メリハリや強弱はあまり無い。

 だが、黒潮は違う。

 なかなか動かない。あまり技は出さない。メリハリ強弱を全て表現する。

 師匠のTAJIRIさんが全て伝授したもの。

 


                間 




                                



 2月くらい、横浜ラジアントホールで試合した。タッグマッチで黒潮と。
 
 技のやりとりなど全く無い、喜怒哀楽だけの合戦。

 実に楽しい試合であった。


 黒潮はスター。



gen28 at 14:56コメント(1) 

2019年05月01日

令和と25周年と缶ピース


 元号が平成から令和になった。
 
 平成末期は、どんどん息苦しい世の中になっていってしまった。

 誰のせいでもなく、自然にそうなってしまった。

 平成から令和へ変わるのか、そろそろ昭和に戻ろうかな。私は昭和知らないけど、もうちょっとゆるやかな時代になってもいいんじゃないかな。という意思が国民から来てるような。

 令和時代。

 嫌みで言ってた「ゆとり」ではない、本当の意味の『ゆとり』を持てる時代へ。


 
 1994年、平成6年。私は受け身を取り始めた。

 4月、関東学生プロレス連盟(UWF)所属の城西大学プロレス研究会(JWF)に入部。

 新入生歓迎試合があったので、私は当然入部。初めてのリングに胸躍り、許可をもらっていろんなことをする。バク宙とかを褒められたら、調子に乗ってリングのトップロープから前方宙返り。左足のつま先から立ってしまって靱帯を伸ばす。

 翌日、立ち上がれなかった。

 だが練習には行った。足が痛くても受け身はできるから。

 城西の練習場は自分たちでマットを敷く。コンクリートの上に薄い薄いマットを二枚敷くだけ。その上で受け身を取るのだ。

 痛い。だがやるしかない。
 高校の時にも、柔道部で受け身の練習はしたが、プロレスの受け身ってのは、自ら痛い思いをしなければいけない。
 だからやるしかない。何十回か、何百回か。

 翌日、立ち上がれなかった。

 
 
 城西道場に比べれば、どんな固いリングだろうが、大したことはない。

 受け身もグラウンド・レスリングも城西道場で培った。

 最初は戸惑った。柔道の寝技は好きだったけど、プロレスのグラウンドは違うのかな。どうすればいいのかな。
 だが11月くらいに突然目覚めた。なんだ、結局寝技と同じ。応用すればいいだけじゃないか。

 
 私には、プロレスラーとしての師匠はいない。私の師匠は、二学年先輩の高橋さん、ザ・シロート・サスケしかいない。いろいろなグラウンド・テクニックを教えていただいた。
 
 だが2002年、何故か高橋先輩はKAIENTAI DOJOに入ってしまった。入りたい入りたいと言ってた時期は、けっこう止めたのだが・・・

 そのうち高橋さんはX No.5としてデビュー。同期は旭志織とかKAZAMAとか まあ、ザ・シロート・サスケ話はそのうちに。


 1995年から、パンチ田原親方のリング・プロモーションをよく手伝うようになる。

 UWFではパンチ・プロモーションや別のリング屋さんのバイト斡旋がよくあった。だいたいUWFバイト代表が仕切ってくれてた。

 2年生までは最低限の単位は取れてたのだが、3年生からは、全く城西には行かなくなった。練習や試合の時だけ行った。
 テストよりリング屋を優先していた。

 4年生からは、レッスル夢ファクトリーの先輩、死神と加藤茂郎(JWFの大先輩でもある)から誘われ、カー・クリーニング会社にバイトとして参加。洗車や掃除、車磨きの仕事だ。
 練習も共にやった。
 夢ファクのレフェリーも何回かやった。
 もう夢ファクでデビューするしかない、と思った。
 UWFの大先輩でもある怨霊(ウルフ小澤!)にも憧れた。

 5年生。1998年。
 車磨き会社の上司が、プロレスラーになりたいと言い続けてた私に「レスラーになりたいなら新日本しかないだろう」と、突然何故か山本小鉄さんを紹介され、何故か新日本プロレス道場に行かされることに。まあ一生忘れられない一日になった。過去ブログ参照。
 
 で、夢ファクが一時閉鎖。道場も閉鎖。
 で、結局城西にはほとんど行かずに、中退届け。

 もういろいろダメか・・・と思ってたが、1999年、年明け。
 夢ファク代表・高田龍が、「もう一度やり直すぞ!!!」

 そして龍さんがこう言った。
 「ゲンタロウ、お前、デビューしろ」

 ノストラダムスの大予言ついに実現か、と思った。


 
 プロレスデビュー20周年、プロレス生活25周年。
 知らなかった方たちのために、空白の五年と何だったのか、書いてみました。


 缶ピースをふかしながら。今の私は実に健康だ。




gen28 at 23:21コメント(3) 

2019年02月08日

たばこの話

 
 どんどん喫煙者が肩身狭くなっている。

 私は、これまで滅多に吸わなかったが、最近ちょっと好きになった。

 だが喫煙者の立場になると、今はここまでヤバいのか?と思える。
 
 非喫煙者じゃなくて嫌煙者側がもう。

 いじめかね。
 
 

 副流煙もいけないものだ、とはいつ聞いたのだろう。

 中学か高校くらいか。

 最初は、ダメなものなのか、くらいしか思ってなかったが。

 何度も聞かされると、洗脳されてしまうものだな、人間は。  

 今はさらに。
 
 受動喫煙、か。そんな言葉知らなかった(笑

 
 たばこの煙。

 時は昭和。誰も嫌悪の対象とは思っていなかった。

 子供や未成年にとっては、臭いな、でもそのうちたばこ吸うんだろうな、と思ってた。

 酒と同じで、今は辛くて苦いけど、大人になったらわかるようになるんだろうな、と。

 
 未就学から小学生時代。親父やおじいちゃんや先生のたばこに触れた。

 三歳くらいの時。親父が私に「マイルドセブン買ってきてくれ」とお使いをよく頼んでた記憶。

 三歳の幼児にタバコを買いに行かせるだと!虐待だ! とか現代は言いそうだ(笑

 親父は普通にリビングでマイルドセブンを吸い、私は普通にその横でテレビ番組「ジャッカー電撃隊」を見る。いい時代だ。

 テレビを観る子供の横でタバコを吸うだと!虐待だ! 以下省略・・・

 親父はその後禁煙してしまった。実に残念だ。


 小学三年生の時、担任の北野先生はそれはそれはヘビースモーカー。 
  
 一時間目終了したら一服。二時間目終了で一服。中休みで二服。まあそんな感じで三時間目、四時間目、給食、休み時間、五時間目、六時間目、放課後とひっきりなし。 
 
 教室の机にも職員室の机にもたばこの山。灰皿どころじゃないので、コーヒー瓶に大量の吸い殻を入れていた。

 児童たち「先生、たばこいっぱい吸うんだね、くさーい(笑」
 北野先生「そうか、そんなに臭いかあー?(笑」
 とたばこの煙を吹きかける先生。
 「やっぱりくさーい!(笑」「コーヒーの瓶もきたなーい!(笑」
 児童と先生の触れ合い。みんな笑顔だ。

 そんな昭和の微笑ましい光景も、虐待だ!! になるんだろう。やれやれ。
 まあ現代は、全国民が副流煙を常識化してしまってるから、もうこれも無い・・・


 父方のおじいちゃんは80過ぎくらいまで吸っていた。
 私が小学高学年くらいまで。
 そのおじいちゃんは満94歳で亡くなった。最後まで元気だった。

 吸ってたのはキャビンだった覚え。

 灰皿を置いていたのは応接間。
 別の部屋では吸ってなかった覚え。 

 『ドラえもん』で、のび太のパパが、たばこの煙で輪っかを作る話があった。確か。
 煙を吐く時に、舌を使って輪っかにするのだ。

 私は、おじいちゃんにリクエストした。
 「おじいちゃん、やってやって!」
 「あんまり得意じゃないんだけどなあ」

 そう言いながら、たくさん輪っかを出してくれた。

 「おじいちゃん、すごーい!」
 「へっへっへ・・・」

 これも現代では虐待とか・・・

 言っちゃだめだ。
 たばこは、ふれあいのものだったんだ。

 
 タバコが病気の素になる、とか言われ始めたのはまだ数十年。

 たばこは1000年以上前から存在してるんだ。

 日本では江戸時代三百年、ずっとキセルで吸い続けた。国民の95パーセントが。

 近年まで、ごくごくごく一部以外、何の疑問も持たずにみんな吸っていた。

 今日も元気だ、たばこがうまい!

 たばこは幸せのアイテムだった。

 タバコで死ぬとか言う人間が、たばこ吸わずに病気になって死ぬ。よくある。

 何やっても人間いつしか死ぬんだ。たばこでは滅多に死なないけど。



gen28 at 16:08コメント(1) 

2019年01月31日

現在のハンセン&ブロディ

 
 タッグ王者のビオレント・ジャック&マンモス佐々木は、インディー界のハンセン&ブロディである。

 圧倒的な強さを持ち、それでいて相手の実力も存分に引き出す。

 現在のプロレス界にはなかなか無い、凄いプロレス力。

 みなさん見よう(笑


gen28 at 21:09コメント(0) 

2019年01月23日

マサ高梨将弘


 彼がいるからDDTはおろかインディー世界全体が持っている。

gen28 at 19:40コメント(0) 

2018年12月31日

終了

   
 2018年が終わりました。平成も終わるようです。昭和はさらに遠い昔になる。平成は30年。最近と思える。ああロジャーラビット。

 だがプロレスは終わらない。しばらくは続く。私が生きてる間は。

 平成でプロレスはなんでもよくなった。どんな形式だろうが。

 私も平成デビューのレスラー。だからどんなスタイルでもできる。

 新日本だろうが全日本だろうがノアだろうがゼロワンだろうがドラゲーだろうがみちのくだろうが大阪だろうがDDTだろうが666だろうが国際プロだろうがマッスルだろうがハッスルだろうがやった。死に物狂いでやった。その場その場で全てを出した。

 私は全てのプロレス・スタイルを身に着けた。

 これからも続く。


gen28 at 15:35コメント(0) 

2018年11月28日

衰え


 プロレスだけじゃなくて、野球だろうがサッカーだろうが、芸能だろうが茶道だろうが書道だろうが、衰えとは必ずあるものではあるが。

 私には、まだ無いなあ。

 プロレスは一応身体作るものだから、筋肉つけなきゃいけない。

 最近また背中が筋肥大した。いいことだ。進化できた。

 技術も。
 
 今まで知らなかったことを身に着けた。進化できた。
 
 まだ勉強することはたくさんある。
 
 死ぬまで。

 

 


gen28 at 16:07コメント(1) 

2018年11月02日

カブキ者


 2001年10月くらい、BENTENはデビューした。

 夢ファクの先輩・死神のコーディネートが功を奏し、いろいろなとこに出た。

 2002年か2003年くらい、鶴見五郎様が仰ってた。「ベンテンならWWF行けるよっ!!」と、口癖のように。

 2005年くらい。ZERO1では高岩さんか田中将斗さんかに「沢田研二??」と言われた。

 なるほど。傾奇者の格好して化粧もする。ああ、ジュリーだったのだ。

 2006年くらい。新日本プロレスは『レッスルランド』というエンタメ的な大会をしばしば開催。BENTENは三度ほど登場。BENTENとは何者なのか、素顔は誰なのか、とか何の説明も無く。

 だがBENTENには説明などいらない。変な格好をした傾奇物が出てきた、でいい。


 BENTENは年々進化している。17年経った現在でも。

 傾奇物はどんどん自由化していく。

 BENTENは自由なバケモノである。



gen28 at 02:34コメント(0) 

2018年10月30日

誕生日と昭和

 
 おととい誕生日を迎えた。年齢はなんかもういいや。

 10年ほど前か、岡野さん(ジ・ウインガ―!)とリッキーさん(リッキー・フジ!)と中川さん(GOEMON!)とで「アラフォー・フォースメン」という軍団を結成したことがある。

 その時は私はまだアラフォーではなかったが、「数え歳にしてさらに四捨五入すれば40だからアラフォーでいいや。『アラフォー・フォースメン』ああ、なんていいネーミングだ」と、リック・フレアー様の軍団ぽく模倣した。トシを食うことに憧れてたのかもしれない。 

 そして現在に至る。アラフォー・フォースメンは今でも心に生きている。リッキーさんと中川さんは既にアラフィフであるが!
 

 多分アラフォーの私は昭和生まれである。

 何もかもが昭和時代がよく思えてしまう。現代は便利な時代になったんだが。

 1989年1月8日。天皇が崩御された翌日。私は友達と映画『ロジャー・ラビット』を観に行った。映画が始まる前に「元号は『平成』と定められました。今日(こんにち)からは平成元年となります」とお知らせのマイクが流れた。
 平和になろうってことかなあ、と思った。

 それから30年。平和な時代。便利な時代。

 だが平和すぎて、ちょっとでも過激なモノは押さえつけられいるような。自粛ムードにもなっているような。

 それは平和ではないのでは。考えたら。

 ついこないだの10月27日。666。なんでもありの団体。私は「昔の沢〇研〇」として出場した。
 私はジュ〇〇として、〇〇リーの衣装、ジ〇リ〇のメイク。そして『勝〇にしや〇れ』の曲と振り付けで登場した。
 思う存分昭和をした。

 今のGENTARO自身も昭和だ。
 
 GENTAROって名前も、考えたら昭和じゃないな。

 でも、〇手にしやが〇の振り付けは、他のレスラー仲間のスマフォってやつでYOUTUBE見せてもらって勉強したのだ。
  
 私はガラケーってやつしか持ってないし、ネットも繋いでない。
 
 スマフォが無ければ振り付けどころではなかった。
 
 便利なものはそれはそれで素晴らしいではないか。

 昭和と現代の融合、それいいではないか。

 最近、昭和時代は知らないが憧れている、ぽく語る若者が増えているとかなんとか。それもいいではないか。



gen28 at 01:07コメント(2) 

2018年09月25日

死ぬまでプロレス

  
 昨日、米山香織ちゃんの興行YMZで、リッキー・フジさんとシングルマッチをした。

 米ちゃん興行は大体10分か15分一本勝負。短い・・・ リッキーさんとだったら61分アイアンマッチやるな、うん。だが今回は10分。10分以内に勝負をつけなければいけない。

 米ちゃんのリクエストで、YMZでは昔着ていたピンクのロングタイツがスタンダート。そして今回の対戦相手はリッキーさん。それならそうするしかないではないか。私は、大体現在黒ショート黒シューズだけのスタイルだが、リッキーさんなら、私が大得意にしていたアメリカンスタイルでやるしかないじゃん。

 勝負タイムは聞いてないが、多分7,8分だったと思う。10分一本勝負ならそうするしかない。今回の試合は、リッキーさんとのアメリカンスタイルを一気に凝縮した試合。

 なんという充実感。

 勝敗はどっかで見てください。ここではあんまり関係ない。

 プロレスをしまくった時間だった。

 今のプロレス界で、リッキーさん対私以上にアメリカンスタイルの攻防ができるプロレスラーはいるのだろうか。若い連中はもっと無理かな。


 試合後、控室でリッキーさんと語り合った。

 現在リッキーさんは53歳。

 だが、お歳は本当に関係ない。
 世界のロッカーを見ればわかる。

 リッキーさん「今が、全盛期だよな」

 その通りです。
 私も今が全盛期。ロッカーじゃないけど。

 私「リッキーさんのコンディションなら80までやれますよね」

 リッキーさん「違う違う、死ぬまでやるんだよ」

 ロッカー、リッキー・フジかく語りき。



gen28 at 23:39コメント(0) 

2018年09月21日

大館市民体育館ファイナル

 ファイナルカウントと聞いて1年近く。

 ああ、やっぱりなんだ。

 大館でのプロレスはどうなるのだろう。

 別の場所があるのか、すぐ新築されるのか。
 
 それならいいではないか。 

 またプロモーター・ミスターM興行が再開できるではないか。


 想い出深い、大館市民体育館でのプロレス。

 前にも書いたが、初めて参戦したのはZERO1。

 メインイベントの6人タッグマッチで川田さんに轟沈。

 で、試合後にミスターMとのZERO1飲み会。

 今、思い出した。

 佐々木義人を。

 私は義人と一緒に飲んだ。

 ミスターMもかなり義人を気に入っておられた。義人の面構えと体格にベタ惚れ(笑

 いやいや、そりゃ私も惚れてた。イイ筋肉に顔ツキ、でも優しい優しいプロレスラー。

 現在義人はどうしてるんだろう。

 カムバックは無いのだろうか。

 あ、また思い出した。義人と30分フルタイムとかあったなあ。


 大館、ミスターM、そして佐々木義人で、想い出深いことをつらつらと。

 明日、大館市民体育館ファイナルか。

 私もガンガンいきます、ミスターM。


gen28 at 01:11コメント(0) 

2018年09月14日

異種格闘技戦?


 9月下旬の杉浦透プロデュース興行とかで私は異種格闘技戦をやるとかなんとか。

 私が希望したとかなんとか。

 知らん。

 ロッキーという選手はパンクラスなんじゃないの? 

 GENさん、猪木対アリをやってくださいよ。とか杉浦はニヤニヤ笑いながら言った。

 ふざけるな。

 たまにはふざけるのもいいが。

 これはちょっとな。

 このゆとりに矛先を向けてもいいんじゃないか。
 
 面白くな。


gen28 at 23:13コメント(0) 

2018年07月31日

ダイビング・エルボードロップなどトップロープからの大技について

 
 大技はたまにはいいもんだ。

 ダイビング・エルボーはいつからやってたか。心の師匠と思い続けていたHBK様をコピーしようと思ったからか。でもFM-TAROの頃はやってない。まあいい。
 ピンクのロングタイツ時代はずっとやってた気が。DDTの時からか?

 で、最近6年ぶりに、ダイビング(以下省略)を解禁した。

 前よりいいフォームになった気がする(笑

 トップロープからの立体的な技は、プロレスならではだ。すばらしい。空中飛行するのだ。ダメージを与えるために。凄い技じゃないか。
 フライング・ボディプレスも、ニードロップも、3メートルくらい飛行して自分自身を相手にぶつけるのだ。
 客観的に思うのだが、これってすごくない?
 やる方も受ける方もヤバくない?

 ダブル・アックスハンドルもいい。ランディ・サベージ様だ。両手を挙げてから鉄槌を思い切りぶつけるのだ。
 トップロープから、場外に向けて急降下する場合もある。
 大会場では、一番後ろのお客さんにも伝わる、凄い技だ。

 ああ、思い出した。

 昔、ハッスルの時。
 (レーザーラモン)HG対ピラニアン・モンスターのシングルがあった。

 狂暴なモンスターだから、そういう時は素で狂暴にならざるを得ない。だから噛みつきをたくさんした(入場の時、用意されていた生魚をくわえた。臭いから必死に嗅覚を止めた)。

 私の噛みつきからエスケープしたHGが場外へ。
 私はトップロープに上り、場外のHGへダイビング噛みつきを敢行した。決死だった。

 ランディ・サベージ様のダブル・アックスハンドルをイメージしたのだった。

 中学時代にハッスルでプロレスを見始めたとたくさん喋りまくる現役レスラー・杉浦透に捧ぐ。





gen28 at 15:50コメント(0) 

2018年06月29日

本当に一瞬で落ちる裸絞めの話

 
 一瞬で落ちる。と言うが、実はそれはなかなか無い。

 数秒、十数秒くらいならしばしば見るが。

 だが私は、本当に一瞬で落ちた経験があった。22年前のことであった。

 
 裸絞めとは、頸動脈を押さえる技である(チョークスリーパーのことは今回はいい。プロレスだったら反則だし)。

 やられる側としては、苦しい。気が遠くなる。

 やる側は、てめー、このやろー、落ちろ! と全力を尽くす。

 だが、落とす落とされるまで時間がかかる場合の方が多い。大体は落ちる前にタップするし。

 (ああ、思い出した、高校時代の都大会だったか、凄い強い高校との団体戦で、相手の締め技で参ったしてしまったんだ。タップするのも嫌だし、参ったと言うのも嫌だったから、「ギブアップ」と言った。馬鹿だった。プロレスしか考えてなかったんだな。もう少し我慢してれば「待て」が入ったかもしれない)

 だから、タップする暇も無い一瞬で落とす裸絞めとは、この22年間目撃したことは無い。


  
 22年前、確か法政大学市ヶ谷校舎でのUWF関東学生プロレス連盟の小規模な大会。

 私は3年生で主力だったが、面白がってコミックマッチに出た。まあコントっぽい試合のことだ。

 タッグマッチだったが、レスラー対練習生のていでやった。なんか最近聞いたような。

 レスラーはコスチュームだが練習生はTシャツとジャージ。まあわかりやすい。

 私は練習生側。「よろしくお願いします!」と声を張り上げる。

 相手は同期の「毛じらみ辰爾」。東海大学卒業後に自衛隊入り。シークレット側だったらしく卒業以来会ってないような・・・

 毛じらみは、身長はそこそこだったが身体はガッチリ。黒ショートタイツと黒リングシューズでストロングスタイル。

 と思いきや、どっちかといえば、いや完全にコミック派だった。

 だが騒ぐのではなく、シュールに静かに笑いを取る男だった。
 
 だからレスラー対練習生も、あからさまに笑いを取るのではなく、しごきを見せ、もしかして本当なのでないかとお客さんに思わせるのである。笑いはその後でいいのだ。

 
 で、練習生の私は毛じらみにたくさんしごかれる。バンプを取りまくり、関節や絞めをさんざんされる。

 裸絞めをされた。

 私は、リアルに、一瞬で落ちた。

 落ちたのが数秒間なのか十数秒間なのか憶えてないが。
 
 目が覚めたら、リング上で寝ていた。

「あれ、ここどこだっけ・・・」
  
 毛じらみがいる。

 実況が喋ってる(私信・藤井だったっけ?)。

 レスラー対練習生の状況を思い出す。

 試合を続けなければ。


 試合は、練習生が大殊勲の勝利で終わった。全てこなせたのだ。まあそれはいい。

 で、試合後話したが、毛じらみも回りも、私がリアルに落ちたとは誰も思ってなかった。

 逆に、私が落ちたフリをしたと思っていたらしい。

 毛じらみはそこまで力強くやってなかったと語る。まあそうだろう。

 だが例え偶然としても、毛じらみが一瞬で落とせたことは事実。さすが自衛隊。
 
 そして、そこまで力を入れなくても、一瞬で落とせる頸動脈の箇所がある!ということだ。

 だが22年経つが、未だにわからないのである。

 生涯中に見つけられたらいいね。



gen28 at 01:00コメント(0) 

2018年06月13日

森田童子

 
 亡くなられたと。

 森田童子、は、さんとか氏とか敬称もつけてはいけない感じがする。森田童子。

 私は、ご多分に漏れず、ドラマ「高校教師」の主題歌「僕たちの失敗」でハマった。

 森田童子は1975年にデビューし、1983年にひっそり引退されたという。

 伝説の存在である。


 で。

 最後のライブは新宿ロフトだった、という。

 新宿ロフト・・・

 ライブハウス。 
 
 こないだ、FREEDOMSにてマットオンリーで試合した会場がそうだったのか??

 控室で使用した部屋は、森田童子の控室でもあったのか・・・?

 私には何もわからない・・・ 
 
 たぶん、調べればすぐわかるのだろう。

 だが私は、調べようとは思わない。ずっと伝説に触れたい、浸かっていたい。ような。もしかして、あそこの同じ場所に森田童子もいたのだろうか・・・とずっと思い続けたい。ような。

 ご冥福をお祈りします。
 


gen28 at 00:38コメント(0) 

2018年06月08日

初勝利

 
 1990年。初夏くらいか。

 柔道部だった私が、いろんな学校との合同練習に行った記憶。

 初の練習試合。

 相手は、二年生でちょっと長身で黒帯。 

 一年生の私はまだ白帯だった。

 高校での試合は初だった。公式ではない練習試合でも緊張する。

 
 試合開始から時間はそれほど経ってなかったか。

 相手はそんなに力はなさそうだが、技術はわからない。

 そのうち相手が私に巴投げをかけてきた。

 面食らった。テクニシャンだったのか。

 普通はそのまま一本負け。

 だが。

 プロレスに近い部活は柔道くらいかなあ、と思ってた私だから出来たディフェンス。

 背中ついたら即一本負けだ。だったらこれしかない。

 ブリッジで防御。

 そして180度ひっくり返って瞬時に抑え込み。

 相手は巴投げの体勢。無防備。

 上四方固めでガッチリと抑え込んだ。

 30秒経過。

 黒帯相手に一本勝ち。

 ガッツポーズするしかないではないか!


 その直後だったか。

 自信たっぷりになってしまった私は、同学年の黒帯との練習試合に挑む。

 彼は強かった。中大付属高だった。

 たくさん投げられた憶えが。

 有効、技あり、そして一本。

 寝技に持ち込む暇など無かった。

 最後の投げ技の瞬間、彼がニヤリと笑った(ように見えた)のは一生忘れないだろう。 

 柔道の投げ技が嫌いになったのはそのトラウマか。

 そして寝技オンリーくらいになってしまった。

 そして、投げ技といえば裏投げしかやらなくなった。

 裏投げ・・・ルーテーズである。プロレス技である。

 
 私のプロレス技術は30年近くになろうとしているのだ。笑える。












gen28 at 18:30コメント(2) 

2018年05月18日

ヒデキ。ヤングマン。俺たちの時代。

 
西城秀樹さんが亡くなった。

 ヒデキが。

 たくさん想い出があるヒデキ。
  
 
 1979年4月。私は誕生日前だからまだ4さい。保育園に入園した。

 ヤングマンYMCAが大ヒットしていた。

 私も好きだったと思う。

 年長さんたちがポンポン持ってお遊戯してた憶えが。

 翌年、1980年。モスクワオリンピックの年。幼児はよく知らない。私も知らない。

 保育園には、ヒデキの曲「俺たちの時代」がよく流されていた。放送で流されたこともレコードも聞いたことあったと思う。あと誰かのお遊戯もあったのかな? それは憶えてないが。

 小学生の時にやっと理解した。日本もモスクワオリンピックをボイコットしてしまい、日本の応援歌だった「俺たちの時代」も埋もれてしまったとか。

 だが「俺たちの時代」は、私の中では「ヤングマン」以上にヒデキのスタンダートだった。

 歌詞を憶えてるのだから。

 空をかければ 君は鳥 国境を越えて 翼をかけろ

 という出だしの歌詞。私は「君はボーイ」と聞こえていた。ボーイという単語を知ってたのかどうかも憶えてないが。


 現在はパソコン開けば何でも出てくる。

 「俺たちの時代」も一瞬で出てくる。

 レコードの音源もベストテンの映像も。すごい時代だ。俺たちの時代から38年が経った。


 ヒデキは二度、脳梗塞となってしまった。

 その度に立ち直った。

 言語障害になってしまった方が、歌をやり直すということが、どれだけのことなのかわかるか??

 リハビリは、人生を賭ける、ものだ。言語、身体の麻痺どちらも。

 私はプロレスはやり直すことができたが、歌はもう駄目だろう。ハミングをちょっとできるくらいで。

 
 2012年9月。私が発病してから、一か月ちょっとくらい。
 
 FREEDOMSが、私のエイドをしてくれた。たくさんの選手とたくさんのお客さんが集まってくれた。

 だが私は何も知らなかった。いや、言われても記憶に残らなかった。

 その時期、私は毎日自殺を考えていた。

 飛び降り自殺しようとしたこともあった。

 半身不随で車椅子でオムツで喋ることも出来ない。プロレスできない。こんな自分が嫌になる。死ぬしかねえじゃねえか。

 看護師さんたち10人以上が私を止めた。

 男性がいてよかった。


 それから6年。

 私はまだ生きている。

 ヒデキ、私は自ら死ぬことはもう無いです。

 やり直したことを、ずっと続けます。
 
 命が尽きるまで、かな。



gen28 at 01:30コメント(3) 

2018年05月15日

自然に、ナチュラルに、面白く楽しく、プロレスリングをやればいいんですよ。

 

 試合は大体面白い。

 対戦相手にもよるが。
 
 何も出来ないしょーもない相手もいっぱいいたが、そういう場合はむしろ楽しい。

 自分の力量でどうにもなるからだ。

 ホウキを相手にすることと同じだ。

 でも相手が中途半端だったらもう、全然面白くない。

 こっちは面白くレスリングしようと思ってるのに、相手は自分のことしか考えてない場合とか。

 でも最近は、やり方でどうにもなるかなあ、と思えるようになった。 

 中途半端はもうしょうがないから、自分自身でさらに面白くすればいい。
 
  
 しかし、やはり大ベテランの方々は違う。

 その方々には、身体の隅々までプロレスリングが染み渡っている。

 だから自然に面白くなる。

 こないだ引退(二度目の)されてしまったミスター雁之助。

 雁さんとの最後の試合が、レスリングが、もう楽しくて仕方なかった。

 あっちがこうきた、よしだったらこうきてやる、あ、そうきたか、だったらこっちはこうくるぞ、さあどうだ、なに、こうきたか、よし奥の手だ、これでどうだ!

 なんかこんな文章を十年前くらいにこのブログで書いた気が。

 現代はもうそんなプロレスは無いなあ、と思ったが、最近またその兆しが見えてきた、気が。新日本とか。
 
 最近、新日本プロレスの大先輩の方々とたくさん戦い、接し合えたことが、さらにうれしく思える。長年やっててよかった。
 長州さん、藤波さん、藤原組長、越中さん、ライガーさんなどをはじめ、数えるのも恐れ多いレジェンドのたくさんの方々。

 そして、このキャリアで20年近く参戦させていただいてるイーグル・プロレス。

 ついこないだ、タッグマッチで初めて谷津嘉章さんと対戦できた。谷津さん、島田宏さん対クラッシャー高橋さんと私。銘打ってアマレス最強コンビ対ファンクマスターズとか・・・。ファンクマスターズって・・・?

 このメンツだったら私などぺーぺーだ(笑

 だが、なんとまあ。

 身体の隅々にプロレスリングが染み渡る!

 こんな面白く楽しいこと、あるか・・・

 島田さんに、グロッキーのフリからの低いタックル(ロー・シングル)を決めることができた!!

 だが島田さんも「この野郎!」と思って下さったのか、トップロープからのスプラッシュを私に食らわせる。重い! だがそれもプロレスリングなのだ。

 スプラッシュの後、谷津さんの監獄ロック。

 私は耐えた。耐えまくった。谷津さんの髪の毛をむしってやろうと手を伸ばした。

 だが谷津さんは手を払いのけた。私はまいったするしかなかった。
 
 谷津さん、島田さん、またお願いします。
 

 昼開始の栃木・小山でイーグルの試合が終わり、夕方開始の静岡・新富士FREEDOMSへハシゴ。

 セミファイナルでマンモス佐々木、神威対私、平田智也。

 セミ直前に着いた(笑 
 
 まあ、昔からこんなハシゴはインディーレスラーの義務だ。ガハハ。

 で、今回は戦ったマンモス佐々木も、身体の隅々に・・・

 2000年代デビュー組とそれ以前組は、本当に違う。身体の隅々なんだよ!

 だから、それ以後組も、身体の隅々、になればいいんだ。

 でもたまにいる。以後組でもプロレスリングが染み渡っている選手は!

  
 (私信)
 勉三も、よかったんじゃないか。うん、楽しかったし。うん。おめでとう。

gen28 at 23:27コメント(0) 
Archives
Recent Comments
QRコード
QRコード
livedoor プロフィール

GENTARO

本名:Tハシ
身長:176cm
体重:95Kg
デビュー戦:レッスル夢ファクトリー 1999年5月8日埼玉・所沢サンアビリティーズ vs加藤茂郎&死神&怨霊(パートナー:覆面太郎&三浦博文)つらい思い出。
もう一つのデビュー戦:華☆激 1999年5月2日福岡・山川町勤労者体育センター vs川内大裕 いい思い出。
得意技:シューティングスター・プレス ダイビング・エルボードロップ バックドロップ 各種脚殺し
タイトル歴:KO-Dタッグ選手権、WEWタッグ選手権
、KO-D無差別級選手権、DDT EXTREME級選手権、VKF選手権、インディペンデント・ワールド世界Jrヘビー級選手権などなど15、6個
尊敬する人:偉大な先人たち、手塚先生、藤子先生
尊敬しない人:いばりんぼ、うそつき
好きな食べ物:血のしたたるステーキ

この素晴らしき人生を愛する者たちとともにおもしろく歩むとする。

  • ライブドアブログ