2018年06月13日

森田童子

 
 亡くなられたと。

 森田童子、は、さんとか氏とか敬称もつけてはいけない感じがする。森田童子。

 私は、ご多分に漏れず、ドラマ「高校教師」の主題歌「僕たちの失敗」でハマった。

 森田童子は1975年にデビューし、1983年にひっそり引退されたという。

 伝説の存在である。


 で。

 最後のライブは新宿ロフトだった、という。

 新宿ロフト・・・

 ライブハウス。 
 
 こないだ、FREEDOMSにてマットオンリーで試合した会場がそうだったのか??

 控室で使用した部屋は、森田童子の控室でもあったのか・・・?

 私には何もわからない・・・ 
 
 たぶん、調べればすぐわかるのだろう。

 だが私は、調べようとは思わない。ずっと伝説に触れたい、浸かっていたい。ような。もしかして、あそこの同じ場所に森田童子もいたのだろうか・・・とずっと思い続けたい。ような。

 ご冥福をお祈りします。
 


gen28 at 00:38コメント(0) 

2018年06月08日

初勝利

 
 1990年。初夏くらいか。

 柔道部だった私が、いろんな学校との合同練習に行った記憶。

 初の練習試合。

 相手は、二年生でちょっと長身で黒帯。 

 一年生の私はまだ白帯だった。

 高校での試合は初だった。公式ではない練習試合でも緊張する。

 
 試合開始から時間はそれほど経ってなかったか。

 相手はそんなに力はなさそうだが、技術はわからない。

 そのうち相手が私に巴投げをかけてきた。

 面食らった。テクニシャンだったのか。

 普通はそのまま一本負け。

 だが。

 プロレスに近い部活は柔道くらいかなあ、と思ってた私だから出来たディフェンス。

 背中ついたら即一本負けだ。だったらこれしかない。

 ブリッジで防御。

 そして180度ひっくり返って瞬時に抑え込み。

 相手は巴投げの体勢。無防備。

 上四方固めでガッチリと抑え込んだ。

 30秒経過。

 黒帯相手に一本勝ち。

 ガッツポーズするしかないではないか!


 その直後だったか。

 自信たっぷりになってしまった私は、同学年の黒帯との練習試合に挑む。

 彼は強かった。中大付属高だった。

 たくさん投げられた憶えが。

 有効、技あり、そして一本。

 寝技に持ち込む暇など無かった。

 最後の投げ技の瞬間、彼がニヤリと笑った(ように見えた)のは一生忘れないだろう。 

 柔道の投げ技が嫌いになったのはそのトラウマか。

 そして寝技オンリーくらいになってしまった。

 そして、投げ技といえば裏投げしかやらなくなった。

 裏投げ・・・ルーテーズである。プロレス技である。

 
 私のプロレス技術は30年近くになろうとしているのだ。笑える。












gen28 at 18:30コメント(1) 

2018年05月18日

ヒデキ。ヤングマン。俺たちの時代。

 
西城秀樹さんが亡くなった。

 ヒデキが。

 たくさん想い出があるヒデキ。
  
 
 1979年4月。私は誕生日前だからまだ4さい。保育園に入園した。

 ヤングマンYMCAが大ヒットしていた。

 私も好きだったと思う。

 年長さんたちがポンポン持ってお遊戯してた憶えが。

 翌年、1980年。モスクワオリンピックの年。幼児はよく知らない。私も知らない。

 保育園には、ヒデキの曲「俺たちの時代」がよく流されていた。放送で流されたこともレコードも聞いたことあったと思う。あと誰かのお遊戯もあったのかな? それは憶えてないが。

 小学生の時にやっと理解した。日本もモスクワオリンピックをボイコットしてしまい、日本の応援歌だった「俺たちの時代」も埋もれてしまったとか。

 だが「俺たちの時代」は、私の中では「ヤングマン」以上にヒデキのスタンダートだった。

 歌詞を憶えてるのだから。

 空をかければ 君は鳥 国境を越えて 翼をかけろ

 という出だしの歌詞。私は「君はボーイ」と聞こえていた。ボーイという単語を知ってたのかどうかも憶えてないが。


 現在はパソコン開けば何でも出てくる。

 「俺たちの時代」も一瞬で出てくる。

 レコードの音源もベストテンの映像も。すごい時代だ。俺たちの時代から38年が経った。


 ヒデキは二度、脳梗塞となってしまった。

 その度に立ち直った。

 言語障害になってしまった方が、歌をやり直すということが、どれだけのことなのかわかるか??

 リハビリは、人生を賭ける、ものだ。言語、身体の麻痺どちらも。

 私はプロレスはやり直すことができたが、歌はもう駄目だろう。ハミングをちょっとできるくらいで。

 
 2012年9月。私が発病してから、一か月ちょっとくらい。
 
 FREEDOMSが、私のエイドをしてくれた。たくさんの選手とたくさんのお客さんが集まってくれた。

 だが私は何も知らなかった。いや、言われても記憶に残らなかった。

 その時期、私は毎日自殺を考えていた。

 飛び降り自殺しようとしたこともあった。

 半身不随で車椅子でオムツで喋ることも出来ない。プロレスできない。こんな自分が嫌になる。死ぬしかねえじゃねえか。

 看護師さんたち10人以上が私を止めた。

 男性がいてよかった。


 それから6年。

 私はまだ生きている。

 ヒデキ、私は自ら死ぬことはもう無いです。

 やり直したことを、ずっと続けます。
 
 命が尽きるまで、かな。



gen28 at 01:30コメント(3) 

2018年05月15日

自然に、ナチュラルに、面白く楽しく、プロレスリングをやればいいんですよ。

 

 試合は大体面白い。

 対戦相手にもよるが。
 
 何も出来ないしょーもない相手もいっぱいいたが、そういう場合はむしろ楽しい。

 自分の力量でどうにもなるからだ。

 ホウキを相手にすることと同じだ。

 でも相手が中途半端だったらもう、全然面白くない。

 こっちは面白くレスリングしようと思ってるのに、相手は自分のことしか考えてない場合とか。

 でも最近は、やり方でどうにもなるかなあ、と思えるようになった。 

 中途半端はもうしょうがないから、自分自身でさらに面白くすればいい。
 
  
 しかし、やはり大ベテランの方々は違う。

 その方々には、身体の隅々までプロレスリングが染み渡っている。

 だから自然に面白くなる。

 こないだ引退(二度目の)されてしまったミスター雁之助。

 雁さんとの最後の試合が、レスリングが、もう楽しくて仕方なかった。

 あっちがこうきた、よしだったらこうきてやる、あ、そうきたか、だったらこっちはこうくるぞ、さあどうだ、なに、こうきたか、よし奥の手だ、これでどうだ!

 なんかこんな文章を十年前くらいにこのブログで書いた気が。

 現代はもうそんなプロレスは無いなあ、と思ったが、最近またその兆しが見えてきた、気が。新日本とか。
 
 最近、新日本プロレスの大先輩の方々とたくさん戦い、接し合えたことが、さらにうれしく思える。長年やっててよかった。
 長州さん、藤波さん、藤原組長、越中さん、ライガーさんなどをはじめ、数えるのも恐れ多いレジェンドのたくさんの方々。

 そして、このキャリアで20年近く参戦させていただいてるイーグル・プロレス。

 ついこないだ、タッグマッチで初めて谷津嘉章さんと対戦できた。谷津さん、島田宏さん対クラッシャー高橋さんと私。銘打ってアマレス最強コンビ対ファンクマスターズとか・・・。ファンクマスターズって・・・?

 このメンツだったら私などぺーぺーだ(笑

 だが、なんとまあ。

 身体の隅々にプロレスリングが染み渡る!

 こんな面白く楽しいこと、あるか・・・

 島田さんに、グロッキーのフリからの低いタックル(ロー・シングル)を決めることができた!!

 だが島田さんも「この野郎!」と思って下さったのか、トップロープからのスプラッシュを私に食らわせる。重い! だがそれもプロレスリングなのだ。

 スプラッシュの後、谷津さんの監獄ロック。

 私は耐えた。耐えまくった。谷津さんの髪の毛をむしってやろうと手を伸ばした。

 だが谷津さんは手を払いのけた。私はまいったするしかなかった。
 
 谷津さん、島田さん、またお願いします。
 

 昼開始の栃木・小山でイーグルの試合が終わり、夕方開始の静岡・新富士FREEDOMSへハシゴ。

 セミファイナルでマンモス佐々木、神威対私、平田智也。

 セミ直前に着いた(笑 
 
 まあ、昔からこんなハシゴはインディーレスラーの義務だ。ガハハ。

 で、今回は戦ったマンモス佐々木も、身体の隅々に・・・

 2000年代デビュー組とそれ以前組は、本当に違う。身体の隅々なんだよ!

 だから、それ以後組も、身体の隅々、になればいいんだ。

 でもたまにいる。以後組でもプロレスリングが染み渡っている選手は!

  
 (私信)
 勉三も、よかったんじゃないか。うん、楽しかったし。うん。おめでとう。

gen28 at 23:27コメント(0) 

2018年04月25日

シューティングスター・プレス(高校生編)

 ライガーさんのシューティングスター・プレスを「ワールド・プロレスリング」で拝見したのは高校1年か2年くらいだったと思う。

 小金井北高校には柔道場・剣道場が隣接されており、隅っこにマットとフカフカマットが積み重なっていた。よくプロレスごっこやってたもんだった。近くに体育教師室があったので眼を盗んで。

 普通のマットとフカフカマットの段差を自分で作り、シューティングスターをやってみた。

 一回目はものの見事に頭から突き刺さった。驚いたが死にゃしない。フカフカマットは素晴らしい。

 二回目、回転できた。できたできた。面白いもんだ。

 プロレス仲間の級友・石井に、シューティングスター・プレスを見せようと思った。

 石井は全く信用していなかった。
 「何言ってんだ。お前がシューティングスター・プレスなんかできるわけがないだろう!」

 「ようし、見てろよ。びっくりさせてやる」
 「出来たって思ってるだけだろ。できるなら昼飯おごってやるよ(冷笑)」

 そして石井は、私のシューティングスター・プレスを目の当たりに。
 「なんか・・・ 形が違う気もするけど・・・ シューティングスターだ・・・」

 石井に昼飯を奢ってもらったのかどうか覚えてないが、私は勝利したのであった。


 で、シューティングスター・プレスであるが。

 ライガーさんのシューティングスターは、飛んだ瞬間身体を丸める。

 私は根本的に間違っていた。飛んだ瞬間ブリッジするのである。

 数か月後くらいに、自分の間違いに気づいた。
 だが、飛ぶ姿勢は違っていても、シューティングスターに間違いは無い!と強引に言い聞かせた。


 それから三年後くらいか・・・

 一浪明け、めでたく大学入学した1994年4月。

 ファンが待ち望んだ「スーパーJカップ」! 両国国技館!!

 私ももちろん観戦した!

 獣神サンダーライガー! エル・サムライ! 大谷晋二郎! ザ・グレート・サスケ! スペル・デルフィン! TAKAみちのく! リッキー・フジ! ハヤブサ! 外道! 茂木正淑! ワイルド・ペガサス! ディーン・マレンコ! ブラック・タイガー! ネグロ・カサス!

 (外人組を除けば全ての日本人レスラーと戦えた。ああ、江崎さんを除いて・・・)

 で、一回戦、ライガー対ハヤブサ・・・
 ハヤブサ・・・江崎さんがシューティングスターを!!

 いや・・・

 これは・・・これは、

 私が開発したシューティングスター・プレスではないか!!!

 いえ、別にどなたも知るはずないことなんですが。

 だが、勝手に「やられた〜〜」と思うのであった。

 そして1994年10月、私は1年坊主の分際で、シューティングスター・プレスをやってしまうのであった。
 UWF関東学生プロレス連盟は当時体育会系でして、1年生なんか大技禁止ね。先輩たちから睨まれた睨まれた。

 そっからどれくらい経つだろうか。

 第五回スーパーJカップ(2009年)では出してない。

 2010年か2011年か2012年くらいに地方大会でやったのが最後。

 それが最後なのか、またやるのか、それは誰も知らないハッピーエンド。

 1990年からとすれば・・・得意技/シューティングスター・プレス・・・と書き続けて30年近く。ああ、面白い。


gen28 at 03:29コメント(0) 

2018年04月11日

vsミスター雁之助


ミスター雁之助との最初のシングルマッチは、冬木軍後楽園ホール。2003年くらいか。

あんなに緊張したことはなかった。ケブラーダ出してたかな。

二度目のシングルマッチは長州さんのリキプロ後楽園ホール。2005年くらいか。

試合中に喘息の発作が出てしまい、記憶がない。息も絶え絶えトップロープに上ったことだけ覚えてる。

三度目はアパッチの新木場。2008年。雁さんの一度目の引退目前だった。

30分一本勝負。とにかくレスリングで食らいついた。
 
30分経った。ドローだ。負けなかった。よかった。と思った。

お客さんから延長コールが起きた。

帰ろうとしてた雁さんが、またリングに上がった。

「やろうじゃねえか!」

延長戦10分一本勝負。

それでも決着は付かなかった。

雁さんと40分もレスリングできたことが、それ以上に嬉しかった。


雁さんは引退した。

だが鬼神道returnsやアイスリボンやガッツワールドなどでたくさん会えた。

2009年、WMF茨城大会のメインは藤波辰爾・長州力対グラン浜田・GENTARO。リングアナはミスター雁之助だった。


2012年、私は脳梗塞になった。

2014年5月、私は復帰した。

数か月後、雁さんも復帰した。

11月、鬼神道returnsで雁さんと四度目のシングルマッチをした。

変わってない雁さん。衰えなど全く。上手さも強さも面白さも。

2016年6月、ガッツワールドでGWC選手権試合。シングル五度目。

5月、後楽園ホールでミスター雁之助が戴冠。私もリング上で祝福したら、「ゲン、次やろうぜ」と雁さんが普通に言ってきた。リングで。「はい」と答えた気が。

これまで以上に面白かった。私と雁さんとの試合は深化していく、と思えた。


明日、私とミスター雁之助は、六度目のシングルマッチをやる。



ミスター雁之助は引退発表した。ガッツワールドと共に終わると。

引退。

二度目の引退。

一度目の引退は10年前。

引退して鬼神道から鬼神道returnsへ。

熊本に帰ってしまうと、鬼神道もreturnsも全て終わるんだろうか。

鬼神道come back againとかにならないか・・・


さて、特に一生忘れることはない、雁さんとの30分+10分のシングルマッチだが。

今日、アントニオ猪木さんと坂口征二さんのシングルマッチを観た。

1978年。MSGリーグ予選。30分一本勝負。

レスリングの攻防。お客さんも引き込まれていく。

30分経過。試合は終わった。

だが、お客さんたちは「延長」コール。

この時代に、延長コールなどなかったはずだ。

「やろうじゃねえか!」猪木さんも坂口さんもやる気だ。

延長戦10分一本勝負。

だがまたタイムアップ。

今まで全然知らなかった。


さらに再延長戦が行われることになり。

乱闘から、場外でダウンしている坂口さんへ、トップロープからニードロップ敢行。

猪木さんはリングアウト勝ちを収めるのであった。

10年前、私は、終わったか・・・と安堵せず、なりふり構わずに勝つべきだったのだ!


明日は・・・






gen28 at 22:10コメント(0) 

2018年04月02日

1日は終わった。

 若者たちよ。

 平田智也だけじゃなく。


 ウエイトも肉体もいいだろう。

 だが、プロレスには、さらにその上を行く練習が必要だ。

 思い切り受身を取って、どんな衝撃があろうと絶対動じない身体を作る。

 それが最低限だ。

 さらに、「押す」「引く」を両方ガッチリやるのだ。

 力に自信あれば「押す」を強化。だが「引く」を忘れるな。

 力無いなら「引く」を強化。相手の隙を見て「押す」。それで試合を上手く転がせる。

 だが現在は「押す」ばかりに力を入れてる傾向がある。

 「引く」ことをよく知らない若者たちが多い。身体小さくてもそんな場合が。

 それはダメだ。



 アンドレ対ハンセンでも観なさい。
 
 ガッチリ押す押す。

 そして。

 ガッチリ引く!

 超ヘビー級でも!

 これを教科書にしなさい。



 ま、とにかく受身を取ろう。

 中途半端ではなく。思い切り。

gen28 at 03:13コメント(0) 

2018年04月01日

四月

 
私はスマートフォンが好きだ。


gen28 at 22:59コメント(0) 

2018年03月07日

杉浦透


 奴がデビューしてから確か9年経つ。

 奴のデビュー戦を見たのはDEP刈谷大会。相手は元FMWのベテラン新山さんだった。

 運動神経いい奴なんだなあ、見所あるな。とその時は思った。

 新山さんをロープに飛ばし、ドロップキック。

 ドロップキックした瞬間バク宙するのは、運動神経がいい若手がよくやる。

 が。

 緊張なのか(たぶん緊張)、バク宙が中途半端になり、奴はそのまま頭からダイレクトにキャンバスに突っ込んだ。

 死んだ。と思った。 
 
 私だけなく誰もが。

 でも死なず、試合は続き、新山さんに普通に敗れ、普通にデビュー戦を終えた。

 あの瞬間を除き。

 あの瞬間は、エル・サムライさんも後藤達俊さんも目撃してたと記憶している。

 レジェンドたちに見られてよかったなあ。


 それからいろいろいろいろいろいろあり、現在FREEDOMSにいる。

 「レスリングやれ、この野郎!」と何度怒鳴ったかことか。
 
 奴は、これまで、レスリングが出来ないのではなく、嫌いだったのだ。
 
 竹田誠志とのヴァーリ・トゥードマッチで、さらに嫌いになったはずである。

 奴の師匠、DEPの根本薫選手は、柔道の猛者だった。

 薫ちゃんにしごかれた経験は無駄ではなかった。

 だから最近、本当に最近やっとレスリングに手をつけはじめた。

 ある時、タッグマッチの時、パートナーである私に突然裸絞めを仕掛けた。

 ついこないだ、対戦した時は猛烈にレスリングで対抗した。

 猪木さん対アリの状態(知らない方は検索)から、低いタックルを仕掛けてきた。

 YOUTUBEで昭和プロレスを見てる成果が出てきたか(笑


 奴はデビュー当初はせいぜい70キロだったが今は100キロ。まあいいことだ。

 3・22の後楽園ホールでは雁さんにレスリングでしごかれないように。



gen28 at 17:05コメント(0) 

2018年02月13日

プロレスリング

 先日FREEDOMSの広島大会があった。

 私は岡田剛史選手とシングルマッチをした。

 広島大会にいつも来る選手で、柔術使いでトーナメント2位、花鳥風月の選手(後に退団)、と私の予備知識はこんな感じだった。あとひげもじゃもじゃ。

 戦うことは無かったので普通に話していた。温厚な青年だった。 
 格闘家がプロレスをやるってことは本当に好きなんだねえ。強いんだから、それを応用すればいいだけだよ。がんばってね。と、こんな会話をしてたかな。

 で、今回は戦うことになった。


 今年に入って、私はシューズを新調した。

 この20年以上、白のセミロングシューズを履き続けてたが。

 黒いショートシューズ。白い平紐。

 口にするのもおこがましいが、あの方のシューズっぽく・・・。


 白いシューズだと自由奔放なスタイルになる。
 なんでもござれ。反則がどうした。

 だが黒になると、心境が変わる。

 さらにストロングスタイルしなければ。反則は、いざという時だけだ。勝つためにだ。


 さて、岡田剛史戦。

 プロレスリングだった。

 私はサブミッションとスープレックスで対抗した。
 岡田選手は修斗ファイター。極めも打撃も来る。

 強かった。私はプロレスやっててよかった。「受け流し」をできたから。
 
 岡田の蹴りをスルー。いわゆるドラゴンスクリューを、キャッチ・アズ・キャッチキャンのやり方でやってみた。藤波辰爾さんの息子さん、LEONA選手がやっている写真をどこかで見たので・・・ 申し訳ございません。

 アキレス腱固めに回転式ダブル・リストロック。痛い。プロレスにロープエスケープがあって本当によかった。

 裏十字固めを極められそうになった時、ロープが遠くエスケープもできず、どうしようかと迷った。しかし追い込まれたら反則しかない。岡田のふくらはぎに噛みついた。思い切り。
 
 吉野レフェリーが反則カウントを数える。プロレスは5カウント以内なら反則は許されるのだ。だから私は4カウントまで噛みつき続けた。勝つためにルールは活用するのだ。

 反則も出来ない状況ならロープから場外エスケープだ。インターバルも必要になる。しかしそこで相手が追って来るか来ないかで展開が変わるが・・・ 二回目、岡田は追ってきた。思う壺だ。キックを鉄柱に誤爆させ、それでも追ってきた岡田に、不意打ちのトぺ・コン・ヒ−ロ。それがくるとは思わなかっただろう。

 場外カウントギリギリに私はリングイン。
 私はリングアウト勝ちを収めた。

 プロレスルールにはある。リング外で出てしまった場合、レフェリーにカウントが数えられてしまう。20カウント以内に戻ればよし。戻れなかったら負け。戻った側が勝ちとなる。当たり前だが、当たり前のルールを活用するのが勝利の方程式である。

 お客さんはプロレスのルールを知ってる。
 だから、私が20カウント以内に戻り、岡田が戻れなかった為決着が付き、お客さんは沸いたのである。

 岡田剛史との試合は、実にやりがいがあった。
 
 戦い、プロレスリングをした。試し合いだった。そして私が勝ったのだ。

 
 プロレスは真剣勝負。
 
 ガチがどうのとかではなく。

 真剣に、勝負のやりとりを、魅せる。当たり前ではないか。
 
 
 岡田剛史VS竹田誠志。この試合も見たくなった。
 デスマッチではなく。プロレスリングで。




gen28 at 16:48コメント(0) 

2018年01月24日

君の名は

 凄い。

 「君の名は」やっと観た。

 これまで聞いたことはあっても観たことまでは無かったのだが、こんな凄い映画だとは。

 そりゃ凄い噂はたくさん聞いたが。そんな凄いのか、観てみようかな。でももしハズレだったらどうしよう。と思ってしまったのが失敗だった。もっと前に観ててもよかった。

 皆さんも見ましょう。

 「君の名は」を。

 「君の名は。」ではなく。

 佐田啓二様と岸恵子様の「君の名は」です。凄すぎです。淡島千景様も凄いとしか言いようがない。

 「。」も見た。たくさん考えて作ってるんだなあ、というか句点付きでも「君の名は」の題名でいいのかなあ、と思った。終わり。


gen28 at 03:58コメント(0) 

2018年01月13日

シューティングスター・プレス


 派手な技ってのもたまにはいいな。

 長年やってると、もう大技なんかいいやと思うものだが。

 アレやってしまうまでは、たまにはやってたもんだ。

 派手な技、やってたな。
 たくさんじゃないけど、ここぞって時にやってた。

 飛び技だったら。
 シューティングスター・プレス、フェニックス・スプラッシュ、サスケ・スペシャル1と2とか。

 叩きつけ技とかスープレックスなら。
 マヤ式ジャーマン(デルフィン・スペシャル)、サンダーファイヤー・パワーボムとか。


 お正月。新木場で飛び技をやってみた。

 場外。ひな壇の最上段から、一番下にいる相手にプランチャ。

 新木場だからできる技(笑

 やる前に「スーパーフライ!」と必ず絶叫する(笑笑

 これ、10年前くらいからやってるのだが。1年前か2年前もやった。

 しかしメインイベントのシングルマッチだったからか、試合後も観衆の反響がいい。

 何故かレスラーからも。

 「あれ、僕も使っていいですか!!!」

 まあいいけど。

 たまには大技もいいかな、と思えた。



 最近、リングで分厚いマットを敷いて飛び技の練習をやってみた。

 実際に飛んでみたのは6,7年ぶりか。

 ムーンサルト・プレスをやってみた。

 楽勝。全然大丈夫だな。

 シューティングスター・プレスをやってみた。

 マットにちょっと顔擦っちゃったけど、リングだったならまあ、大丈夫か。

 慣れればもうちょっと高く飛べるだろう。

 試合で実際やるかどうかは。

 これなら勝てる、思えたら使えばいいだけだ。


 時は1991年くらい。私は高校生。

 テレビで観戦した、獣神サンダーライガーさんのシューティングスター・プレスに衝撃を受けた私は、高校で早速練習してみた。


 
 できたら続く。



gen28 at 17:21コメント(0) 

2018年01月02日

崇高に


明けました。

大好きだった叔父が亡くなったので祝いは言いません。篠さんも。

が、新年が明けたことはいいことです。

2018年。年数が進むのは、逆行よりはまだいい。昭和は好きだけど。


年を重ねても、私自身があまり変わらないのはいいことなのは悪いのかは知らない。知ったことではないし、まあ肉体が衰えるよりはいいだろう。

ウエイトトレーニングしてると、いろんな発達や新発見がいろいろあって、一生勉強だなあ、とは思う。
ディップスマシンってのを初めて知って、今まで三頭筋の長頭がなかなか発達しなくて困っていたが、こりゃいい、効く効く! ようし、これからもっと長頭を発達させてゴンブトな腕を作るぞうう、とか。
良く知らない方は読み飛ばしても結構です。

鍛えれば50代でも60代でも肉体はなかなか衰えません。

昭和50年の猪木さん対ルー・テーズ様を見れば分かります。

テーズ様は59歳でしたが、いろいろ圧倒的です・・・

まだ私などヒヨッコです。トシは一応言わないことにしましたが、まあ知ってる人はご自由に。



明日、FREEDOMSが新木場新春興行しますが。

ジャックがメヒコにベルトを持って帰ってしまったので、メヒコまで行って挑戦したい、というデスマッチ選手が数人いました。

ああ、そうなの? と思ったので私も志望しました。

たくさんベルト巻きましたが、このシングルはまだ巻いてませんし、私もこの20年近くちょこちょこデスマッチやりましたから、いいかなと。

メヒコのデスマッチ団体はなんか、想像以上らしいけど、ラテンは感情豊かでいいんじゃないと思える。プロレスは感情ないと。

なんか楽しみになってきました。

まあ、私がやってきたことを考えれば、ヒヨッコが多いからいいんじゃないかと。

非ヒヨッコなマンモス佐々木が参加していないので実に安心です。


今年はさらに、崇高に、仙人っぽくなろうと。

プロレスではないジャンルの神々に近づけるように、またがんばります。

黒澤明 手塚治虫先生ブルース・りー24人はアイドルAタイプ7人ライダー











































*黒澤明監督、手塚治虫先生、ブルース・リー様、ビートルズ(Fab Four)、初代ウルトラマンAタイプ、7人ライダー+立花藤兵衛







gen28 at 16:36コメント(0) 

2017年12月29日

やっと書ける。


篠さんが亡くなった。

それを聞いて茫然となった。

篠真一さんが亡くなってしまった。

先月叔父さんが亡くなり、悲しかった。それに続き。

私くらいの年齢になると、ずっと年上の方たちに先立たれしまうのか。


篠さんの想い出は尽きない。

レッスル夢ファクトリーでのデビュー戦では心強いパートナー、同日の第二戦目ではシングルマッチの相手だった。

その数日前に、私は福岡で華☆激の別キャラ("ナスティ"ブラック・パンサー)のデビュー戦などをこなしていたが、篠さんもそのシリーズに一緒に回っていた。

「ゲンちゃん、夢ファクも頑張ろうよ。俺とのシングルもあるしさ!!」と、篠さんのホテル部屋でたくさん話した。

夢ファクでは、篠さんの広いお宅で度々ミーティングをした。

リングもトラックも篠さんのお宅や付近の土地に停めて下さっていた。

不動産王・篠さん無くして夢ファクはあり得なかった。

奥様も娘さんも息子さんも、全て幸せそうだった。

本当に絵に描いたような、幸せなご家庭だった。


2004年くらいだったか。プロレスリング・ナイトメアの常設会場、バトルスフィアにて、篠さんとのタイトルマッチ。私がチャンピオン。

GENTARO対覆面太郎。昔もやったなあ、と思いながら。

篠さんは気合が入っていた。

ガンガン来た。

篠さんは完全にヘビー級の体格。
背も高く、ボディビルダーが誇る筋肉量。
誰もが一目で「おお、プロレスラーだ!」と感嘆する。

私は、そんな篠さんをスカし、隙を突いて攻め入る。パワーは段違いだから。

そんな試合が楽しかった。

篠さんベルト奪取。

私は負けたが、実に面白かった。

ビデオYしの君、もう映像持ってない?


篠さんはいつまでも変わらなかった。

50代になっても、白髪は増えたが筋量も肌の黒さも変わることは無かった。

2014年、私の復帰戦にも来て下さった。

いつも変わらない篠さんの笑顔。

たまに「瞬間湯沸かし器」な時もあるけど、本当にたま〜に。

いつも笑って、キャップかぶって、眼鏡かけて、長髪な篠さんは、「アラレちゃん」。

みんな大好きだった。

また会いましょう。

ご冥福をお祈りします。



今、身体は大丈夫だ。

コンディションもそれほど悪くはない。

ドラゴンフラッグも伸びている(笑

だから、さらに頑張りたい。

だが先日、ちょっと気落ちしてしまったことがあった。

荒っぽすぎたのか、現代ではいけないことなのか。

篠さんに励ましてもらいたい。

「ゲンちゃん、全然大丈夫だよ! やろうよ!」



gen28 at 15:38コメント(0) 

2017年12月15日

世界の格闘家たち


プロレス生活が長いと、いろんな経験があるもんだ。

マーク・コールマンやケビン・ランデルマンとかボブ・サップとかと対戦。

他にもこういうことがあった気がする。
キャリアは面白いもんだ。
これからも面白くしよう。


gen28 at 00:28コメント(0) 

2017年12月13日

プロレスと進化論


進化は、無い。



gen28 at 20:45コメント(1) 

2017年11月28日

全盛期とは


今だな。

頭がクリアだ。

体力も筋力も今まで一番ある。

プロレスはいい。

卍固めなどに使うグレープバインをもっと学びたい。とか。

藤原組長に初めて極められた脇固めは、柔道方式ではなかった。瞬間的に痛みがくる。凄い。覚えたい。とか。

人生は勉強だ。
これからさらに全盛期になるであろう。



gen28 at 04:16コメント(0) 

2017年11月14日

平田智也という新人


昨日のFREEDOMS後楽園大会で、私は新人デビュー戦の相手を務めた。

徳島出身の智也はウエイト好きで総合格闘技の経験もある。

そういう新人はいい。

ただ引っ込み思案で無口。だから最初は何を考えてるのかよくわからなかった。


今年の2月にFREEDOMS広島大会があり、智也は住んでる徳島から面接に来た。

まだ客入れ前なのでリング周辺で貴が面接した。

今より体重はあった。が、完全に能面。こっちから質問する以外は全く喋らない。

こいつは何だ? と面白がって葛西やマンモスも寄ってきた。

智也はさらに硬くなる。多分、震えてたと思う。

まあ、でかいことはいいことだし、人材不足の現在だから入門は歓迎。

そのうちこっちに来なさいね。って感じで面接は終了したような。

ああ、智也にブリッジさせた記憶がある。不慣れだった(笑


(ちなみに。この日、ある練習生が試合前、何と藤原組長にスパーリングをして戴いたのだ。たくさん極められたくさん悲鳴を上げていたが、その経験が糧になっているかどうかはまだ不明。そいつは未だに練習生である。デビューは完全に先を越されたが人生はまだわからん)


そっから上京というか上茅ヶ崎したのはいつなんだろう。

貴が、面接してから音沙汰がないとか言ってた期間があったような。

やっぱり僕はプロレスラーなんて無理なんだあああ。とか思ってしまった時があったのかね。


無表情はプロレスラーとしては致命的である。

だから私は、表情を変えろと指導した。

喜怒哀楽を表現してみろと。笑え、怒れ、泣け。

最初はダメだったが、何か月か経っていくらかマシになった。

というか、プロレスはお芝居ではない。戦うことで感情を表せてやっとプロ・レスラーである。


今回のデビュー戦では感情を表せてまあよかったんじゃないか。

一応得意分野のレスリングから始め、デスマッチ志望だから流血戦もさせ、たくさん痛い思いも味わってもらったから、奴の感情を爆発させるには充分だったろう。


お客さんはたくさんヒラタコールしてくれたし、内容も悪くは無い。

が、あくまでご祝儀。

これからが本番と思おう。


全て「真剣勝負」
当たり前だが。

まあ、がんばれ。


gen28 at 23:45コメント(1) 

2017年10月30日

おととい43


になりました。

666で私などを祝ってくれるとは。

去年も今年も。

くださるお花のデザインが素晴らしい。



私は今まで、自分の誕生日など祝う気になれなかった。何故かは全くわからない。

子供の時からお祝いももらい誕生日ケーキも食べてたのに。
 
今年になって、今日は特別な日なんだと思えるようになった。

やっと自分のことが好きになれたのかね。

この年になってやっと!


しかし何だ。

そろそろ。

来年からは年齢を数えるのはやめようかね(笑


gen28 at 20:40コメント(1) 

2017年10月11日

秋田は大館のプロレスの話。


明日は、秋田のプロモーターMさんの興行に参戦できる。

ミスターMが手掛ける大館市民体育館でのプロレス興行は、初めて出た時はもう十年以上前になる。

その時の団体はZERO1だった。

メインの6人タッグで川田利明さんと当たった(2004、5年くらいに全日本プロレスで初めて川田さんと当たり、試合後にしこたま怒られたのを覚えてるから、多分その後の出来事だ)。

試合後、大館で飲み会があり、プロモーター・ミスターMと初めて会った。

かなりの酒豪だが、キリっとしたお顔立ちで身体も締まっており、プロモーターよりレスラーに向いてるんじゃ?と思った(笑)。

その後も、他の団体で何回かミスターMの興行に参加できた。

DDTではメインで6人タッグで飯伏との対戦だった。2011年くらいか。

試合後他のレスラーから、飯伏に何かの大技をやったことを、「危ないですよ」と言われた記憶が。別にそれほど危ない技はやってないが、何だったんだろう? 

でも、佐藤さん・・・ディック東郷との軍団でメインを張るから、そりゃあ楽しかった。


脳梗塞後も。

FREEDOMS名目でのミスターM興行に参加でき、嬉しかった。

そして今回。

大館プロレス祭り。

祭り! いろんなレスラーが出るんだなあ。

私はミスター雁之助とのタッグマッチ!

ミスターMが、雁さんと私のレスリング試合を打ち出して下さったとは。

嬉しい。

プロレスとは、たくさんの方々の思いを紡ぐものである。


え、ファイナルカウント??

え、あの想い出深い体育館が終わってしまうのかな・・・?



gen28 at 17:01コメント(0) 
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livedoor プロフィール

GENTARO

本名:Tハシ
身長:176cm
体重:95Kg
デビュー戦:レッスル夢ファクトリー 1999年5月8日埼玉・所沢サンアビリティーズ vs加藤茂郎&死神&怨霊(パートナー:覆面太郎&三浦博文)つらい思い出。
もう一つのデビュー戦:華☆激 1999年5月2日福岡・山川町勤労者体育センター vs川内大裕 いい思い出。
得意技:シューティングスター・プレス ダイビング・エルボードロップ バックドロップ 各種脚殺し
タイトル歴:KO-Dタッグ選手権、WEWタッグ選手権
、KO-D無差別級選手権、DDT EXTREME級選手権、VKF選手権、インディペンデント・ワールド世界Jrヘビー級選手権などなど12、3個
尊敬する人:偉大な先人たち、藤子先生
尊敬しない人:いばりんぼ、うそつき
好きな食べ物:血のしたたるステーキ

この素晴らしき人生を愛する者たちとともにおもしろく歩むとする。

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