2015年02月27日

ポール・マッカートニーは神様



2002年11月、東京ドームのコンサートに行った。

私はまだ結婚する前。28だった。

ポール様は60歳だった。
ロックシンガーとしては、もう「晩年」だろうと、誰もが思っていた。

ビートルズ時代のポールの曲に、「When I'm Sixty-Four」がある。
君は、僕が64歳になっても一緒にいてくれるかい? という内容だ。

ポールが64になったら・・・もう歌ってないだろうな、とか思いがちだった。

64歳になったポールは、ちゃんと活動していた。
さらに、再婚相手だったへザー・ミルズとの離婚、慰謝料47億円・・・
元気すぎる。全く老いてない。

現在、ポール様は72歳。
健在。


またコンサートやるんだ。

去年、病気でキャンセルしたんだっけ。でもまた復活か。

ポール様を拝もうかな。

現人神、だ。


ポール様の左利きベース、ヘフナー。

私は右半身不随になってしまったので、あまり細かい作業は出来なくなっている。
だったら左手でベースを弾けるかな。いや、もともと弾けなかったけど。













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2015年02月19日


息子は11歳になった。

そろそろ六年生になる。

月日はどんどん速く感じる。光陰の矢の如し。

ブログを更新していて、よかった。

息子が赤ちゃんの頃から書いてて、よかった。
写メ撮っていて、よかった。

本当に。


ありがとう管理人さん。

そして読者のみなさん。



誰か教えてくれないか。

今の私は、何なんだろう。

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2015年02月03日

レネ・グレイを知ろう

昔のプロレスと現代のプロレスは大分違う。

まあ、1920年代のプロレスと1970年代のプロレスも違うと言えるからいいんじゃないかと。


良いとしよう。

昔でも現代でも共通するものはたくさんある。


新日本プロレスで行われた第2回MSGタッグリーグ、1981年年末。

決勝戦はアントニオ猪木&藤波辰巳対アンドレ・ジャイアント&レネ・グレイ。

TV観戦していた私は小学一年生だった。

レネ・グレイなど知るわけは無かった。
見かけも弱そうだった。
だが、あれよあれよとタッグリーグに勝ち進み、アンドレと決勝へ。

不思議だった。
何故だ?こんな弱いのに。

決勝でも、弱かった。
だが、レネ・グレイは猪木さんを分断し、アンドレが藤波さんをフォール! 
アンドレ、グレイ組、優勝!!

え〜〜〜〜、なんでだ〜〜〜〜

と、当時は思った。

だが、強烈な記憶だ。33年前なのに、だ。

その時点ではネガティブな記憶だったが、大体そういうものはポジティブな記憶になるものだ。

プロレスでもっと大きな規模だと、アントニオ猪木対モハメッド・アリがそうだと思う。当時は茶番とか大凡戦とか、それはもう大々的に言われたが、今では総合格闘技の元祖くらいに言われている。

で、レネ・グレイはうれしさのあまり、アンドレに抱きつき、二人でガッツポーズ!
もちろんアンドレに抱っこされたままで。

ネット探したら、その試合があった。
記憶のままだった・・・

泣けた。いろんな意味で。 


レネ・グレイのことは、もっと成長した後に知った。
カール・ゴッチとWWWF世界タッグ王座に就いたことがあるとか。今で言うWWE。

さらに、今になって、さらに詳しく知りたくなった。
え? アンドレと組んだときはもう49歳だったのか・・・

ネットでこの試合を見れて、よかった。いろいろ知れた。

49歳・・・ だが身体ちゃんと作ってる! というか、横幅が大きい!
弱い弱いと思ってたが、アンドレと比べたら小さく見えるだけで、日本人レスラーとは比較にならない。

確かにやられ役に徹してる。
だが、フィニッシュを取られないように、しっかりとスルーしている!
レスリングもしっかりしすぎてる。速い・・・

レネ・グレイは、むちゃくちゃ巧い、巧すぎるレスラーだったのだ・・・
私が知らなかっただけだが。

引退後は、WWF(今のWWE)のエージェントになり、バックステージでたくさんのレスラーを指導したそうで。
それはそうだ、それくらい偉大なレスラーだったのだ。

ブレット・ハートとの試合もあった。巧い。
ヒットマンが若い時だが、どんどん先導してる。「ホレホレ、こうだよ、こっちだよ」と。

レネ・グレイ氏は50を越えていたはずだ・・・


私はまだまだ、成長できるな。








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2015年02月02日

無題にしましょう



西から昇ったお日さまが東に沈む。

私は全てさかさまに生きたいものだ。

あら不思議、さかさまにしたら全部わかったわ。今まで全然わからなかったのに。

いろいろわかるようになった。

病気になる前はわからなかったものも、病気になった「おかげで」わかるようになった。

いろんなものがね。

難しい数式や外国語は全くわからない。

が、人の心とかね。

なぜか、わかるようになった。テレパシーじゃなくてね。


性善説と性悪説。

性悪は・・・悪に染まりきってる人間はあまりいないだろう。この時勢だと余計に。
性悪はあったとしても必ず、報いが来る。必ず。

性善は、大体の人々が持ってる。というか。

どんな人間でも、性善と性悪、両方持ってるものだ。

また言うが、性悪をやらかした人間は必ず報いが来る。
そして反省して性善をする。
だが忘れしまうとまた、性悪をしてしまう。報いが来る。だから性善を・・・ だがまた・・・

私も、また。
性悪の報いがあったのだ。きっと。
人間の心を傷つけてしまった報いが。


ところで、話は変わるけど。

プロレスはもともと面白いものです。
だから、さらにシンプルイズベストが必要だと。

たくさんのお客さんがもっともっと入り込んでいけるような。

そう、「大衆」が。

そしてストロングな。それがプロレス。
 
それがアントニオ猪木さんだと思います。私はね。

そして、「作品・アントニオ猪木」を形成するのは

「ルー・テーズ」と「バディ・ロジャース」だと思います。

まあYOUTUBEで御覧になってください。






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2015年01月19日

2015

 

みなさん、あけましておめでとうございます。

私は今年、厄年です。「本厄」ですね。
数え年だと42ですね。

さあ、どうなることやら。

まあ、私は生きることに執着しないタイプですから、何が起こってもいいでしょう。

私は、脳梗塞で、人間は儚いものだと思えるようになりました。死んだら終わりです。

だけど、それまで、たくさん生きればいい。自分のため、親兄弟のため、友達のため、子供のため、他の人々のために。全てに。

長くても、短くても、その人生が喜ばしいならいいじゃないか。

だから、生きてるうちに何かを成し遂げられればいいな、と思います。




今年の目標

筋肉体重増加。

もっともっとデカくなりたいですね。

身体が重い、とは言ってられません。
100キロくらいになりたいですね。
40歳越えても、どんどん筋量を増やせばさらに元気になるはずです。

全盛期はこれからです。



私はルー・テーズになります。





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2014年12月31日

2014年でした


私は復帰できました。

すべての方々に。ありがとうございました。

そして、これからまだまだやっていきます。

本当にありがとうございました・・・


5月に復帰して、もう年末。

早い。
時間の感覚がさらに早くなっている気がする。

息子は来年は六年生になる。
脳梗塞になったときはまだ三年生だった。

ダウンタウンの年末の「ガキ使」の特番で早い感覚がわかる。
去年はたしか科学特捜隊みたいなのをやっていた。
脳梗塞の前にも録画して編集して・・・
5、6年前は録画できなかったので、MIYAWAKIから、録画したDVDを迅速にもらった。
私は大して興味ないのだが、嫁が好きなので、ミヤワキを急かせてしまった。
まあ、私は昔の「ごっつええ感じ」は大好きだが、「ガキ使」はそうでもない。
私はコントが好きなのだ。


閑話休題。


私はいろんな団体に出していただいた。

たくさんのいろんな選手と、また戦えた。

私はたくさん戦えた。

パワーもスタミナも、前よりついた。

半身不随や言語障害の後遺症はもう全く・・・

無くは無いが、それ以上に、前より試合運びが上手くいってる。

だから、それでいい。


私は、プロレスラーである。

私はプロレスをしている。

プロレス、なんて面白いんだ。

私はプロレスで人生を、賭けて、駆けて、懸けて、翔けている。







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2014年12月23日

アジアンのプロレス!!

 

アジアン・スポーツ・プロモーション。
これが正式名称だったと思う。今はよくわからないが・・・

アジアンのエースは畠中浩旭さん。
プエルトリコでデビューし、SWS入り。
すごく大きい。でかい。推定だが、185センチで140キロ。あくまで推測。でかかった。

アジアンはプロレスマスコミに一切発表してない。
たぶん、面倒なんだろう。
プロレスを行うのは北海道や地方の田舎や、離れ小島。
そこで、お客さんはすごく喜んでくれる・・・ すごく。

私がアジアンで試合したのはデビュー当初だった。
それから15年余、今でも普通に行われている。
たぶん、全く変わって無いんだろう。それがまた、いい。

さーくんも、ユウコウも、イサミも、若手時代にアジアン経験していた。
みんな、アジアンの話になると笑顔になる。
今は、誰が行ってるんだろう?
力さん(維新力)が行ったと聞いた気がするが・・・


1999年8月、華☆激の北九州大会で、ディアブロさんが脱臼してしまった。
ディアブロさんは、痛みより、直後のアジアンに出られないことを悔やんでいた。

「ゲンちゃん、アジアン、出られない? 俺の代理でさ」

私はびっくり仰天した。

この当時は、まだ記事もあり、カード発表もあり、ベテラン勢もたくさん参戦していたからだ。

まだ夢ファクトリーと華☆激とDDTくらいしか試合してなかった、ぺーぺーのぺーぺーだった。


羽田空港で、国際プロレス出身の大ベテラン・高杉正彦さんと初めてお会いした。

「初めまして、ブラック・パンサーと申します」
今回の参戦は、私はFM-TAROではなく、パンサーだった。夢ファクの事情なのか華☆激の事情なのかは覚えてない・・・

高杉さんは温厚な方だった。「よろしくね」

そして、私に聞いた。
「ええと、君はリングアナ?」

私は80キロそこそこしかなかった。

現在のインディーは80キロどころか、60キロ台だっているが、当時はプロレスラーはガッチリが当たり前だった。
か細い、筋肉量も無かった私がレスラーと思えなかったのは当たり前である。


北海道の空港に着き、畠中さんに初めてお会いした。

なんてでかいんだ・・・

高杉さんは横幅は凄かったが、上背は同じくらいだった。
だが畠中さんはさらにでかかった。巨人にしか見えなかった。

「初めまして、(以下略」

「おう・・・」

おいおい、こいつ、ほっせえな〜 本当に大丈夫か??

目がそう言っていた(笑


確か、初戦は、競馬の馬のオークションが行われる場所での興行だった。さすが北海道。その概念はなかった。

リングを組んだ後、畠中さんに呼ばれた。
「お前、ちょっと、見せてみろ」

畠中さんは私の力量が全くわからなかったんだろう。

当時アジアンの若手だった菅沼修(今でも「おっさん」と呼ぶ。なつかしい顔)とのプロレス・スパーリングをやることになった。

これなら、大得意だ。UWF入りからもう5年やってる(笑

「もういい。ふうーん・・・ わかった」

それで終わった。
どうやら畠中さんは、納得してくれたようだった。


他に参戦されていたのは、高杉正彦さん(ウルトラセブンとして!)、アポロ菅原さん、川畑輝真さん。みんなヘビー級だった。昔W☆INGのエースだった徳田光輝さんもいた(色々あった方だと聞くが、私には優しかった)。
夢ファクから参戦していたのは死神。死神はでかいのだが、みなさん、もっとでかく見える。死神が小さく見えた・・・ 上背なら勝っているはずなのに。

とにかく、筋肉量ででかく見せなければならないことを学習した気がする。

そして、試合後の宴会で、高杉さんもアポロさんも川畑さんも、私の試合を誉めてくれた。
センスいいよ。だからとにかく身体作りなさいね、と・・・


ベテランの方々が誉めて下さったんですよ?

当時、俺はダメなのかな・・・と思っていた。誰からも何も言われなかったから。

それなのに、国際、全日、新日、SWSと大きい団体を渡り歩いた方々から、誉めてもらえた。なかなかあることではなかった。

今でも誇りに思う。
そしてもっともっと身体を作ります。
後輩たちにももっともっと指導します。

アジアンに参戦できてよかったですよ、畠中さん。


畠中さんとは、もうここ6、7年会ってませんね。

畠中さんはすごい方です。プロレスが巧みすぎな方です。

でっかいレスラーがさらに動く、飛ぶ!

そりゃあ、地方のお客さんが沸くはずです。喜ぶはずです・・




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2014年12月19日

学生プロレスのメジャー団体、それがUWF

少なくとも15年前くらいまでは、我らがUWF関東学生プロレス連盟が、沢山の大学が加盟し、選手が溢れていた。
だから出席率も技術も、みんなわれ先にトップを目指していた。落伍者は前座にしかならなかった。厳しい世界。

大塚さん(Men'sテイオー)が三年生の時・・・確か1987年か。みなさんでリングを購入した。当時400万。
運搬トラックがなかったため、その時点ではウォーリー山口さんに預かってもらっていた。
北尾さんの練習や、FMWの練習に使われたこともあった。
大塚さんたちが、馬場さんにレクチャーしていただいたこともあった・・・ 
なんというメジャー・・・

そのリングは現在でも使われています。。。

それと、その名はプロレス界のUWFより古かった。学プロ世界で一番最初に発足したのは昭和53年。前田さんが旗揚げしたプロ興行は昭和58年・・・ パロディじゃないんです。
UWFはユニバーシティ・レスリング・フェデレーション。

さて、他の学生プロレスと違うのは、Uの一年生の間は、必ず基礎技術の鍛錬になる。
大技といえばボディスラム、ドロップキック。そしてグラウンド技術。ミサイルキックやろうもんなら先輩から大目玉を食らった。極端な私はシューティングスタープレスなどやって総攻撃を食らった・・・
とにかく一年間は修行なのだ。


前置きが長かったですが。
昨日、新木場でごじゃっぺプロレスがありました。

ごじゃっぺプロレス対FREEDOMSという対抗戦。

私は、加藤茂郎さんと対戦した。
加藤さんは私の大先輩。
城西の直属の先輩。私が入学した時点で、もうOBでした。
そしてレッスル夢ファクトリー選手!

レッスル夢ファクトリーに入りたかった私に、車磨きの仕事を紹介してもらいました。
入団の近道と思ったんです。加藤さんや死神と一緒にやりました(笑
私の恩人です。

ですが、私の怖い先輩なのは変わりません。
試合運びも上手く、一筋縄ではいかない選手。かなり細身ですが。

以前も試合しましたが、無効試合。
だから今回は決着をつけよう、と張り切りました。

今回、加藤さんは、セコンドを連れてきました。
加藤さんの同期、さらに私の城西の大大先輩、ヒートたけしさんとマミー秋元さんです!!

ヒートさんは、大塚さんが巻いていた、エリートの証、UWF世界ライトヘビー級王者でした(その後は小澤さんも川嵜も巻いていました!)。
ラ・ケブラーダを難なくこなし、フランケンシュタイナーをプロより早く出したすごい方・・・

マミーさんは、加藤さんとタッグを組み、UWF世界タッグ王者として暴れ回ってました。
こいつは調子に乗ってるなあ、という選手がいたら、遠慮なく試合でつぶしていました。それくらい恐怖の的でした。

まあ、この方々より恐怖の的だったのはもちろん大塚さんでしたが。
大塚さんは、本当にやさしくなりました・・・


で、試合。
やはり加藤さんは上手かったですね。
肉体があれば、私はもう敵わなかったかもしれません。

そして、マミーさんとヒートさんが私に手を出す!
もちろん反則かもしれませんが、私はうれしかったんです。
ヒートさんは私に雪崩式バックドロップを「してくれた」んです。
もちろん痛かったですが、それ以上にうれしかったです。
雪崩式バックドロップは、ヒートさんのフィニッシュでした・・・

最後、命からがらリングアウトで勝つことができました。

それ以上に、大先輩たちと戦えたことがうれしかったです。

ごじゃっぺがその土壌を許してもらえたことも。
マスコミが取材しない大会でしたが、学生プロレス時代を大いに振り返ることもできたんです。

私は幸せでした。

脳梗塞で復帰できてよかったです。

思い出を現実にできたんです・・・









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2014年12月08日

「天然」と「計算」

人々は大別すると、「天然」と「計算」に別れるような気がする。

どうも最近、人々のあいだに、誤解が多く起こってると思う。


「天然」は、自分を信じてる人。物事をまっすぐに捉える。だが見落としてしまう時もよくある。

「計算」は、自分も間違いは無いのか?と自分に問う。物事をいろいろな角度で見ようとしている。さらに見落とさないように気をつける。


でだ。

「計算」は「天然」の考え方を知らない。

だから、何か起こると、「計算」は「天然」を見ても、相手も「計算」だと思ってしまう。

すると「天然」も「計算」の考え方を知らないから、相手を「天然」と思ってしまう。

根本的に考え方が違うのに。

だから誤解が生じる。

大体、「計算」が「天然」の行為を「計算」と思って腹を立ててしまうケースが多い。

「天然」も「計算」も、誰にも悪意は無いのだが・・・



こういうこと、よくあると思うんです。みなさんの身近にも、いろんなケースがあると思います。

「天然」「計算」と大別してみましょう。

そうしたら、誤解はなくなります。多分。



いざこざは、フィクションだけでいい。












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2014年11月21日

ミスター雁之助・・・




やはり凄かった。雁さんはやはり、リアルプロレスラーです。


雁さんとのシングル。

2003年冬木軍、2004年リキプロではどっちも後楽園ホール。

パワーもインサイドワークも、足元にも及ばなかった。
私は、雁さんの胸を借りる立場でしかなかった。

2008年、雁さんが引退発表した直後の、アパッチ新木場。

30分時間切れドロー。
さらに10分延長。結果40分時間切れドロー。

雁さんとなんとか渡り合えたことで、ようやく自分に自信がついた気がする。


そして、2014年。

私はやっと、雁さんと対等に戦える立場になれたんだな、と思えた。

私が、雁さんを圧倒する場面を作れるようになったとは。

だが敗れた。

だったらまたやればいい。

雁さんは復帰したんだ。これからいつでも、どこでもできるんだ。



99年のFMW横浜アリーナメイン。

ずっと、ずっと覚えてる。

憧れだった。













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2014年11月16日

ミスター雁之助!!!



『ミスター雁之助プロデュース興行』鬼神道Returns17

11月18日(火)新木場1st.RING

メイン(多分)は、ミスター雁之助vsGENTARO!!!


雁さんの引退興行にも参戦してました。

2008年の年末でした。

私は中川さんとシングルやらせてもらいました。GOEMONへの勝利。本当に嬉しかったです。

雁さんはメインの6人タッグで引退。

ミスター雁之助&新崎人生&マンモス佐々木 vs 田中将斗&金村キンタロー&黒田哲広

勝ちました・・・

ファイヤーサンダーで、金ちゃんに・・・


最後のマイク、長かったです。本当に長かったです(笑

でも、それだけ、未練があるんだなあ、と思ってしまいました。


それから、鬼神道リターンズ。諸々。

ずーっとプロレス界にいます(笑

6年になります。


やっぱり、プロレスがしたくてしたくて、たまらなかったんですよ! この6年間!

度々私の脳梗塞のことを持ち出してしまいますが、私は雁さんのその気持ちは痛いほどわかりました。やりたい、でもできない! どうすることもできない!

でも、もういいじゃないですか!

まだ、病気で思うように戻れない方もいます。

雁さんがその方たちを励ませるんです・・・


雁さんはどんどん身体が戻っています。

でも、私もです。

メイン(多分)では、ヘビー級のぶつかり合いができると思っています。

そして、ようやく、雁さんを倒せるんです・・・

雁さんとのシングル、思い出します。30分時間切れ。さらに10分の延長、それもドローでした。

しかし、このドローでステップアップできたように思えます。


雁さん、私は、さらにパワーアップしてますからね・・・

昔の私ではありませんです。雁さん、勝負です。



鬼神道リターンズ、もうすぐです・・・

http://blog.livedoor.jp/mr_gannosuke/















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2014年11月06日

天龍源一郎さん!



天龍さんの団体、天龍プロジェクトに出させていただきました。

天龍源一郎、那須晃太郎 対 GENTARO、杉浦透

天龍さんとのタッグマッチ。さらにメインイベントとして・・・

感慨深かった。

杉浦もがんばってくれた。最初はもうガチガチだったが・・・

ミサイルキックを天龍さんに食らわせたんだ!!


確かに、天龍プロジェクトさんは、若手の為の試合をたくさん組んでいます。

だから、今回も、那須リンと杉浦のためでもありました。

でも、私は、天龍さんに比べれば、一介の若手・・・くらいに思ってしまってました。

もう少し、落ち着いてもよかったかもしれません・・・

天龍さんの試合後のコメントでも、私のこと「トゥーマッチ(やりすぎ)だな」と仰っていました。


だから、次はもっと、落ち着きます。 

落ち着いて、天龍さんを目指します。天龍さんを・・・


私は大・大・大ベテラン、グレート小鹿さんと何度も戦い、シングルも何度もやりました。

戦いを通じ、小鹿さんが私に教えてくださったこと・・・たくさんありました。

また思い出します。必ず。


『サンダーストーム』はやっぱり感動しました。

試合後、握手はしてもらえませんでしたが・・・  

天龍さんにタッグを組んでいただきたい気持ちは、あります。切実に。

天龍さんと組み、サンダーストームで入場・・・

今の夢です・・・










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2014年11月01日

天龍プロジェクト・・・

11月4日、新木場1stリングにて。

私は天龍さんと戦います。

まさか、と思いました。

天龍源一郎、那須晃太郎 対 GENTARO、杉浦透

メインイベントとして、天龍さんと戦えます・・・


http://tenryuproject2010.com/information/872/ 

私はやります。40にて・・・

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2014年10月31日

木村さん

木村浩一郎さんが亡くなられました。

10月28日がご命日。

私の誕生日・・・

一生忘れないでしょう。


私がレッスル夢ファクトリーでデビューしていた時、木村さんは既にDDTの番人でした。

怖い人だなあ、と思っていた。いや、もちろん怖い人だったが。

直属の後輩たちはそれはそれは怖かっただろう。

MIKAMIさんも佐々木貴も、NOSAWA論外さんも、さらに高木三四郎さんも・・・ ものすごくしごかれた。

貴は「すごかった・・・」と何度も教えてくれた。

だが、DDTに後から入ったからか、私にはそれほど当たりは強くなかった。

プロレスで語り合ったことはあまり無かったが、私のスタイルに文句をつけるようなことは全く無かった。勿論、手を上げられることも全く。



近年、やっと理解できた気がした。

木村さんは、本当に、色んなプロレスが好きな人だった。

だから、自分とは全く違うスタイルのレスラーには、もっとリスペクトするのかな、と。

 
橋本友彦(愛称はっしー)に聞いたことがあった。10年以上前か。

木村さんとはっしーが後楽園ホールかどこかで、ザ・グレート・カブキさんと会った。

はっしーはプロレスをよく知らないのでカブキさんのことも知らなかった。が、木村さんは最敬礼。はっしーに「バカ! カブキさんだぞ! お前も頭下げろぉぉぉ!」

「いやあ、木村さんがあんな頭下げてたの初めて見た気がしましたよ。ハッハッハ」と語った橋本友彦。


そういえば、栃木の英雄・吉田和則さんも、木村さんの弟分だが、ずっとリスペクトしていた気がする。吉田さんは心が強い人・・・

もしかして、私のことも考えてくれたときがあったのかな。と・・・

最後に会ったのは三年前。栃木エンターテイメントで。入院する前。

栃木に行く度に、木村さんと会うのが楽しみだった。

戦うのも組むのも楽しかった。

木村さんの奥様と娘さんに会えたときも、嬉しかった。

今度の12月28日にも吉田さんにブッキングしてもらい、木村さんと会えると思ってたのに。



ヒクソン・グレイシーと戦った男。
さらにプロレスを愛した、DDTを愛した男。

木村浩一郎さん、あなたは凄い方でした。

謹んで、お悔やみ申し上げます。







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2014年10月22日

強いレスラー



マンモスと組んで、横綱と大森さんと戦えた。
感無量だ。

横綱・曙さん。なんという強さ。
やはり、アンドレ・ザ・ジャイアントだった。

横綱は、マンモスに、グラウンドでのしかかった。
私は、その時、もう試合終わりだなと思ってしまった。マンモスは懸命に返した。

200キロ・・・
大森さんが軽く思えた(笑

だが、大森さんはやはり私の大好きな大先輩だった。

9年前も3年前も、そして現在もアックスボンバーで倒された。

だからこそ、もっとやりがいがある。
もっとやりたい。そして、倒したい。


そして、マンモス。

横綱を倒せ。

マンモスは凄いレスラーだ。

インディーでは、マンモスを倒せるレスラーはいない。私はそう思う。

だからこそ、横綱にもっともっと挑戦してもらいたい。

マンモス40歳、横綱45歳・・・  もう歳の差なんかないね(笑


強いレスラー。

昔、私は、強さなんか関係ない、と思っていた。
俺は身体も小さいし、筋肉も無いし、インサイドワークだけ磨ければいいと。

30代終盤になってやっとわかった。

強さとは何かと。
精神も身体も、なにもかも。

私は、もっともっと磨き続ける。まだまだだけど、全てを。









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2014年10月15日

戦いたいです。幾多の凄腕と。

後楽園!

プロレス的に言うと。10・16。10月16日です。もうすぐです。

盟友・マンモス佐々木と組んで、あの曙さん・・・横綱と大森さんと戦えます!

もちろん、マンモスはその昔横綱の付人でした・・・
東関部屋だったんですよ!
あの、あの高見山だった東関親方の部屋!
さらに横綱・曙さんの付人!
いろんな、いろんなことがあったでしょう・・・


そういえば私も、何度か、横綱と対戦したことがありました。
チョークスラムの高さにビビりました・・・

現在、横綱との対戦を迎える時に備え、猪木さんとアンドレの戦いを見習ってます。
猪木さんは当たり前ですが、「無駄打ち」など絶対やりません。自分が勝つための手段しかしないのです。


そして、大森隆男さん。

私の大森さん。城西大の大先輩でした。部活は違いましたが。

フリーダムズによく上がってくださった時もあった大森さん。

初めてシングル対戦できたのはZERO1で。かなり前です。8年くらいか。

フリーダムズでシングルできたのは三年前くらい。今も覚えてます。

アックスボンバーを封じるために、大森さんの右腕をダブルリストロックで破壊しました。

20分以上かけた戦いでした。

大森さんは今や、元ですが三冠王者・・・ そんな方と思う存分戦えたなんて。うおおおおお!


現在の全日本・・・ ヘビー級がたくさんいる。いいなあ・・・
タイガー! 木原さーん!・・・


そういえば、凄腕のレスラー、思ったとおり、いましたよ。
凄腕中の凄腕です。

ミスター雁之助が復帰しました。

思ったとおり、雁さんは全然変わらず試合できてました。凄い試合を。

雁さんは現在46か47だとおもいますが・・・

私は、現代人が、老けてるのがどんどん遅れてるのではないかと思ってます。

SMAPみればわかるでしょう。みんな40越えてるんですよ。

40年前、こんな40いましたか???

私もそろそろ40です。雁さんもまだまだ若いんです。

はははっはは。

というわけで、ハツラツと、鬼神道でシングルマッチやりましょう!

あれ? 鬼神道「リターンズ」どうなりましたかな??



メインは葛西と貴のタイトルマッチか・・・

思ってることがある。







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2014年10月09日

聖地にて

後楽園ホール!

聖地だ。

週刊プロレス・・・週プロが、我々の五周年後楽園興行をクローズアップしてくださった。

10月16日ですよみなさん。木曜日ですよ。
そういえば、昔は木曜日=発売日に必ず週プロ買ってましたねえ・・・ 

今回は小鹿さんは出られないのだが、小鹿さんのインタビューも。
小鹿軍団が実に懐かしい。全盛期の小鹿軍団の写真も載ってる。
小鹿さんを筆頭に、バラモン兄弟、Ken45°、アントン、アブ小、小笠原先生、岸和田兄さん、小澤さんこと怨霊・・・
さらにサスケ会長も! 
凄かった、というか全く画一性が無いというか。

FREEDOMS初の後楽園ホール興行の時が小鹿軍団全盛でした。
今考えると、後楽園を小鹿軍団として毎月押さえてもよかったんじゃないか、と思えます。

メインは私と小鹿さん・・・ 
一生忘れることはないでしょう。

今回はどうなりますやら!?

横綱に大森さん・・・  また書きます。



さて、後楽園といえば、12日に、ガッツワールドの10周年記念興行があります!

ガッツ石島とは長い。ガッツはSWS(三多摩学生プロレス連盟)の時から知ってる。
レッスル夢ファクトリーの時、夢ファクのリングをSに貸して、私は人足として参加していた。1999年だったか。
ガッツは冬木さんのコピーレスラーをやっていた。上手かったことを覚えている。
HARASHIMAもいたなあ(笑

それがもうガッツワールド10周年か。

長かったのか、短かったのか。いろんなことがあった。一宮さん、今どうしてるのかな。

で・・・



ガッツワールドの最高顧問

ミスター雁之助、復帰・・・

復帰!!!!!!!!!!!



雁さん・・・


私は、あんまり言いたくはないですが、脳梗塞でした。

私は、とにかく復帰しなければ、と思っていました。

でも、私はプロレス全くできませんでした。

オムツして、車椅子で、半身不随で、半分ボケてました。

プロレスができる人々がうらやましくって仕方がなかったです。

もう、引退とかカンバックとか・・・

もうなんでもいいです。

できる方は、身体は大丈夫な方々は、ぜひプロレスやってください!!

雁さん、思う存分、プロレスをしてください。

思う存分やれたと思ったとき、は、多分もう無いでしょう。

カンバックしたレスラーは、もっとさらにやりたいと思うはずなんです。


カンバックは一試合だけかも、とか、は無いでしょう。

これから俺はもっともっとやるぞー、思うはずです!

だから、雁さん、俺とも・・・




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2014年10月06日

寝技・グラウンド・サブミッション・・・ 

プロレスを実践し始めて20年。

その以前の格闘技歴といえば柔道しかなかった。

プロレス習いたいけど、プロレスないなあ。だったら柔道ぐらいしないよなあ。うん。
そう連想した方々はいっぱいいると思います。

小学三年生のときちょっとやりました。
小田原城そばのスポーツセンターで週三回やってました。

(柔道終わって帰宅したら、自宅で家族がTVでザ・ベストテンをかけてまして、アルフィーが登場し「メリーアン」を生演奏。場所は何と小田原城。もちろん生放送。僕すぐそばにいたのに!と悔しがりました。地方でこんなことって、あるんですね・・・)

小学生だったら関節技や絞め技はありませんでしたが、押さえ込みが好きでした。後々、相手を押さえ込みするテクニックは、小学生時代があったからといえます。

中学生時代は卓球部の幽霊部員でしかなかったですが。

高校時代はまた柔道を再開しました。都立小金井北高校でした。

とにかく立ち技は苦手でした。
背負い投げや払い腰の打ち込みや投げ込みだったら綺麗にできるのですが、実践だったらまったくダメ。だから相手の払い腰を狙い、裏投げでブン投げることしか考えてませんでした。なので地区大会では「危険なヤツ」と目をつけられることに。確か後ろ髪を伸ばしてたので「ジェロニモ」と呼ばれてた気が(笑

でも、寝技は得意でした。
投げられることがなければ、押さえ込みで勝てる!と何故か自信が沸きました。ですが、地区大会では会場も狭く、タイムも短く、寝技などするな!と言われてるような場所でした。当時はあまり考えてませんでしたが、現在ではたくさん恨み言を言いたいですね(笑

ですので、大体、三回戦くらいで敗退。いい時で都大会に出場くらいでした。
あまり覚えてないですね・・・

でも勝った時の記憶はあるもので。
大体、寝技か関節技でした。
それか裏投げ(笑) でも裏投げは殆どポイント取ってくれないんですよ。何故と言うと、評価外なので・・・


プロレスラーになりたい!と騒いでた高校三年の時。
親父と喧嘩になりました。当たり前ですよね。ガキでした。

私は親父に飛び掛りました。
私の親父は172センチ、80数キロありました。
ですが、私も当時75キロあり、親父は運動不足だから勝てるだろうと思ったんです。

すると、親父はすぐにのしかかると、瞬く間に私を袈裟固めで押さえ込みました。
瞬時でした。

当然動けなくなりました。
余りの悔しさで、腹に噛み付きました・・・
高校三年間、寝技で負けた記憶が殆ど無かったのに。


私の親父の母校は北海道大学でした。
もちろん、柔道部。

北大の柔道部には、七帝柔道という、寝技中心の大会があります。
戦前は高専柔道と呼んでいました。
殆ど寝技で相手を仕留める、強豪中の強豪。それが七帝柔道。

私はプロとしてデビューするまで知らなかった。親父も柔道部の話はあまりしなかった。

でも私は、七帝柔道は寝技中心か、いいなあ、くらいにか思ってなかった。


2011年9月、「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」という本が出版されました。興味はありました。

2012年8月、私は脳梗塞になりました。

それから数ヶ月経ち、記憶が不確かでも、とにかくいろいろ勉強しなければ、と思いました。

その時です。「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を読まなければ、と思いました。何故なのかは覚えていません。

親父は北大柔道部でした。現在でも同窓誌が贈られています。
 
そして「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を書かれた増田俊也さんは、北大柔道部。

親父は面識はありませんでしたが、同窓会のメンバーとして、増田さんから、大宅賞受賞パーティーに招待されました。

親父は出席できませんでしたが、独自で「木村政彦はなぜ〜」を買い、読破しました。

私も読ませていただきました。

北海道大学柔道部は名門でした。

北大だけでなく、七帝柔道は、高専柔道は、凄いのです。

この歳になるまで、わかりませんでした。本当に、申し訳ありませんでした。


そして、私が柔道をやっていたことに感謝しました。

現在でもやっている、組み伏せ、押さえ込み、絞め技、サブミッション(関節技)。

全て、柔道をやっていたから出来たんです。




そして、プロレス。

現在、いろいろなプロレスがある。

けっこうだ。

だが、その基本中の基本には、戦いのテクニックがある。

プロレスには戦いがある。

スタンド、グラウンド。相手を組み伏せる。それをするのが当たり前ではないか。

私はまだまだ「強さ」が足りない。

だからもっとがんばる。

私より若い選手たち、もっともっとがんばってほしい。









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2014年09月30日

祈ります


御嶽山が噴火。

私は、休火山、死火山という用語はもう無い、とは知らなかった。

どんな火山でもいつ噴火するのかわからないと・・・


東日本大震災の時にも、思った。

天災は、物理的災害をもたらすだけでなく、愛する者すら引き裂こうとする。

なぜそんなことになる?

そこに理由はあるのか?

誰かの意志は介在するのか?

そして、それを阻止できる大いなる力はどこにもないのか?


私は脳梗塞になり、もう悪いことはできない、後ろめたいことは絶対にできないと思えた。

犯罪者は絶対に天罰が降りる。絶対に。そして、善人には絶対に酷い目に合うことはない。昔から、天国と地獄は人々の中に絶対的に存在してるものだ。

と思えた。今でも。


だが、天災は、どんな人々でも・・・

何故だ。

土曜の昼間に。何故だ。


昔から、天災は起こってしまう。

誰も防ぐことはほとんどできないのかもしれない。

祈ることしかできないかもしれない。


でも、祈ります。

宗教は知らないですが。

一人一人の中にいる神様に祈ります。



gen28 at 00:46コメント(0)トラックバック(0) 

2014年09月19日

レスラーでよかった

つくづく思います。

未だに、私がプロレスラーになっててよかったと。


ファンの皆さん、特に昔から見てくださってる方はわかってくださると思います。

私がプロレスファンだった時からレスラーをやってる方。

私が幼児の時からレスラーをやってる方。

私が生まれる前からレスラーをやっている方。


9月15日。一関にて。
貴の地元凱旋興行でした。

メイン。貴とマンモスが組み、対戦したのは私と・・・高山善廣さん。

連携できました。高山さんのバックドロップと私のトップロープ・ネックブリーカーで合体!
何故か長州さんの維新軍団の技(笑  でもそれもすべて私自身の歴史・・・

負けてしまいましたが・・・
高山さんと組めて本当に、本当に嬉しかったです。

脳梗塞にかかってしまった皆さん。
皆さん、脳梗塞なんかに負けないでください! 高山さんと私を見てください!


9月2日。新木場にて。
天龍プロジェクトに出させていただきました。

天龍さんと何年ぶりか、お会いできました。

エンディングの時、出場選手全員が揃い、天龍さんが号令を駆け、「エイエイオー!」と全員で叫びました。
その時、天龍さんのテーマ曲「サンダーストーム」がかかりました。

私もこのリングにいるんです。天龍さんのすぐそばに。
「サンダーストーム」がかかっているんです。ずっとずっと昔から聞き続けた「サンダーストーム」が。
こんな近くで。天龍さんのそばで。

感極まりました。

(6,7年前、天龍さんと試合させていただいたことがありましたが、その時はそういう心持ちではありませんでした。ド緊張で、それどころではなかったんでしょう)


8月25日。新宿フェイスにて。
大仁田厚さんと戦えました。
この前も書きましたが・・・

大仁田さんは私が生まれる前から、全日本プロレスに入門していたんです。
全日本新弟子第一号として!!



当たり前ですが、私がプロレスラーになる前から、ずーっと前からプロレスラーを続けてる方たちがたくさんいます・・・

私がそろそろ40? だからなんだ??

40などまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだ!!!!

未熟未熟未熟未熟未熟未熟未熟未熟未熟未熟未熟未熟未熟未熟未熟未熟!!!!


私はこれからもっともっと成長します・・・







石川晋也。

これからと思ってたが・・・

いろいろあるだろう。ご家庭を大切に、がんばってな。

覚えてるかな。俺は覚えてるよ。

お前がまだ新人の時、大日本の後楽園ホールでタッグを組んだ。

お前のドロップキック、昔から凄かったな。

味方なのに、くやしくて、俺もドロップキック出した(笑 だって凄すぎたんだよ。

また会おう。

gen28 at 01:21コメント(1)トラックバック(0) 
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