2018年11月02日

カブキ者


 2001年10月くらい、BENTENはデビューした。

 夢ファクの先輩・死神のコーディネートが功を奏し、いろいろなとこに出た。

 2002年か2003年くらい、鶴見五郎様が仰ってた。「ベンテンならWWF行けるよっ!!」と、口癖のように。

 2005年くらい。ZERO1では高岩さんか田中将斗さんかに「沢田研二??」と言われた。

 なるほど。傾奇者の格好して化粧もする。ああ、ジュリーだったのだ。

 2006年くらい。新日本プロレスは『レッスルランド』というエンタメ的な大会をしばしば開催。BENTENは三度ほど登場。BENTENとは何者なのか、素顔は誰なのか、とか何の説明も無く。

 だがBENTENには説明などいらない。変な格好をした傾奇物が出てきた、でいい。


 BENTENは年々進化している。17年経った現在でも。

 傾奇物はどんどん自由化していく。

 BENTENは自由なバケモノである。



gen28 at 02:34コメント(0) 

2018年10月30日

誕生日と昭和

 
 おととい誕生日を迎えた。年齢はなんかもういいや。

 10年ほど前か、岡野さん(ジ・ウインガ―!)とリッキーさん(リッキー・フジ!)と中川さん(GOEMON!)とで「アラフォー・フォースメン」という軍団を結成したことがある。

 その時は私はまだアラフォーではなかったが、「数え歳にしてさらに四捨五入すれば40だからアラフォーでいいや。『アラフォー・フォースメン』ああ、なんていいネーミングだ」と、リック・フレアー様の軍団ぽく模倣した。トシを食うことに憧れてたのかもしれない。 

 そして現在に至る。アラフォー・フォースメンは今でも心に生きている。リッキーさんと中川さんは既にアラフィフであるが!
 

 多分アラフォーの私は昭和生まれである。

 何もかもが昭和時代がよく思えてしまう。現代は便利な時代になったんだが。

 1989年1月8日。天皇が崩御された翌日。私は友達と映画『ロジャー・ラビット』を観に行った。映画が始まる前に「元号は『平成』と定められました。今日(こんにち)からは平成元年となります」とお知らせのマイクが流れた。
 平和になろうってことかなあ、と思った。

 それから30年。平和な時代。便利な時代。

 だが平和すぎて、ちょっとでも過激なモノは押さえつけられいるような。自粛ムードにもなっているような。

 それは平和ではないのでは。考えたら。

 ついこないだの10月27日。666。なんでもありの団体。私は「昔の沢〇研〇」として出場した。
 私はジュ〇〇として、〇〇リーの衣装、ジ〇リ〇のメイク。そして『勝〇にしや〇れ』の曲と振り付けで登場した。
 思う存分昭和をした。

 今のGENTARO自身も昭和だ。
 
 GENTAROって名前も、考えたら昭和じゃないな。

 でも、〇手にしやが〇の振り付けは、他のレスラー仲間のスマフォってやつでYOUTUBE見せてもらって勉強したのだ。
  
 私はガラケーってやつしか持ってないし、ネットも繋いでない。
 
 スマフォが無ければ振り付けどころではなかった。
 
 便利なものはそれはそれで素晴らしいではないか。

 昭和と現代の融合、それいいではないか。

 最近、昭和時代は知らないが憧れている、ぽく語る若者が増えているとかなんとか。それもいいではないか。



gen28 at 01:07コメント(2) 

2018年09月25日

死ぬまでプロレス

  
 昨日、米山香織ちゃんの興行YMZで、リッキー・フジさんとシングルマッチをした。

 米ちゃん興行は大体10分か15分一本勝負。短い・・・ リッキーさんとだったら61分アイアンマッチやるな、うん。だが今回は10分。10分以内に勝負をつけなければいけない。

 米ちゃんのリクエストで、YMZでは昔着ていたピンクのロングタイツがスタンダート。そして今回の対戦相手はリッキーさん。それならそうするしかないではないか。私は、大体現在黒ショート黒シューズだけのスタイルだが、リッキーさんなら、私が大得意にしていたアメリカンスタイルでやるしかないじゃん。

 勝負タイムは聞いてないが、多分7,8分だったと思う。10分一本勝負ならそうするしかない。今回の試合は、リッキーさんとのアメリカンスタイルを一気に凝縮した試合。

 なんという充実感。

 勝敗はどっかで見てください。ここではあんまり関係ない。

 プロレスをしまくった時間だった。

 今のプロレス界で、リッキーさん対私以上にアメリカンスタイルの攻防ができるプロレスラーはいるのだろうか。若い連中はもっと無理かな。


 試合後、控室でリッキーさんと語り合った。

 現在リッキーさんは53歳。

 だが、お歳は本当に関係ない。
 世界のロッカーを見ればわかる。

 リッキーさん「今が、全盛期だよな」

 その通りです。
 私も今が全盛期。ロッカーじゃないけど。

 私「リッキーさんのコンディションなら80までやれますよね」

 リッキーさん「違う違う、死ぬまでやるんだよ」

 ロッカー、リッキー・フジかく語りき。



gen28 at 23:39コメント(0) 

2018年09月21日

大館市民体育館ファイナル

 ファイナルカウントと聞いて1年近く。

 ああ、やっぱりなんだ。

 大館でのプロレスはどうなるのだろう。

 別の場所があるのか、すぐ新築されるのか。
 
 それならいいではないか。 

 またプロモーター・ミスターM興行が再開できるではないか。


 想い出深い、大館市民体育館でのプロレス。

 前にも書いたが、初めて参戦したのはZERO1。

 メインイベントの6人タッグマッチで川田さんに轟沈。

 で、試合後にミスターMとのZERO1飲み会。

 今、思い出した。

 佐々木義人を。

 私は義人と一緒に飲んだ。

 ミスターMもかなり義人を気に入っておられた。義人の面構えと体格にベタ惚れ(笑

 いやいや、そりゃ私も惚れてた。イイ筋肉に顔ツキ、でも優しい優しいプロレスラー。

 現在義人はどうしてるんだろう。

 カムバックは無いのだろうか。

 あ、また思い出した。義人と30分フルタイムとかあったなあ。


 大館、ミスターM、そして佐々木義人で、想い出深いことをつらつらと。

 明日、大館市民体育館ファイナルか。

 私もガンガンいきます、ミスターM。


gen28 at 01:11コメント(0) 

2018年09月14日

異種格闘技戦?


 9月下旬の杉浦透プロデュース興行とかで私は異種格闘技戦をやるとかなんとか。

 私が希望したとかなんとか。

 知らん。

 ロッキーという選手はパンクラスなんじゃないの? 

 GENさん、猪木対アリをやってくださいよ。とか杉浦はニヤニヤ笑いながら言った。

 ふざけるな。

 たまにはふざけるのもいいが。

 これはちょっとな。

 このゆとりに矛先を向けてもいいんじゃないか。
 
 面白くな。


gen28 at 23:13コメント(0) 

2018年07月31日

ダイビング・エルボードロップなどトップロープからの大技について

 
 大技はたまにはいいもんだ。

 ダイビング・エルボーはいつからやってたか。心の師匠と思い続けていたHBK様をコピーしようと思ったからか。でもFM-TAROの頃はやってない。まあいい。
 ピンクのロングタイツ時代はずっとやってた気が。DDTの時からか?

 で、最近6年ぶりに、ダイビング(以下省略)を解禁した。

 前よりいいフォームになった気がする(笑

 トップロープからの立体的な技は、プロレスならではだ。すばらしい。空中飛行するのだ。ダメージを与えるために。凄い技じゃないか。
 フライング・ボディプレスも、ニードロップも、3メートルくらい飛行して自分自身を相手にぶつけるのだ。
 客観的に思うのだが、これってすごくない?
 やる方も受ける方もヤバくない?

 ダブル・アックスハンドルもいい。ランディ・サベージ様だ。両手を挙げてから鉄槌を思い切りぶつけるのだ。
 トップロープから、場外に向けて急降下する場合もある。
 大会場では、一番後ろのお客さんにも伝わる、凄い技だ。

 ああ、思い出した。

 昔、ハッスルの時。
 (レーザーラモン)HG対ピラニアン・モンスターのシングルがあった。

 狂暴なモンスターだから、そういう時は素で狂暴にならざるを得ない。だから噛みつきをたくさんした(入場の時、用意されていた生魚をくわえた。臭いから必死に嗅覚を止めた)。

 私の噛みつきからエスケープしたHGが場外へ。
 私はトップロープに上り、場外のHGへダイビング噛みつきを敢行した。決死だった。

 ランディ・サベージ様のダブル・アックスハンドルをイメージしたのだった。

 中学時代にハッスルでプロレスを見始めたとたくさん喋りまくる現役レスラー・杉浦透に捧ぐ。





gen28 at 15:50コメント(0) 

2018年06月29日

本当に一瞬で落ちる裸絞めの話

 
 一瞬で落ちる。と言うが、実はそれはなかなか無い。

 数秒、十数秒くらいならしばしば見るが。

 だが私は、本当に一瞬で落ちた経験があった。22年前のことであった。

 
 裸絞めとは、頸動脈を押さえる技である(チョークスリーパーのことは今回はいい。プロレスだったら反則だし)。

 やられる側としては、苦しい。気が遠くなる。

 やる側は、てめー、このやろー、落ちろ! と全力を尽くす。

 だが、落とす落とされるまで時間がかかる場合の方が多い。大体は落ちる前にタップするし。

 (ああ、思い出した、高校時代の都大会だったか、凄い強い高校との団体戦で、相手の締め技で参ったしてしまったんだ。タップするのも嫌だし、参ったと言うのも嫌だったから、「ギブアップ」と言った。馬鹿だった。プロレスしか考えてなかったんだな。もう少し我慢してれば「待て」が入ったかもしれない)

 だから、タップする暇も無い一瞬で落とす裸絞めとは、この22年間目撃したことは無い。


  
 22年前、確か法政大学市ヶ谷校舎でのUWF関東学生プロレス連盟の小規模な大会。

 私は3年生で主力だったが、面白がってコミックマッチに出た。まあコントっぽい試合のことだ。

 タッグマッチだったが、レスラー対練習生のていでやった。なんか最近聞いたような。

 レスラーはコスチュームだが練習生はTシャツとジャージ。まあわかりやすい。

 私は練習生側。「よろしくお願いします!」と声を張り上げる。

 相手は同期の「毛じらみ辰爾」。東海大学卒業後に自衛隊入り。シークレット側だったらしく卒業以来会ってないような・・・

 毛じらみは、身長はそこそこだったが身体はガッチリ。黒ショートタイツと黒リングシューズでストロングスタイル。

 と思いきや、どっちかといえば、いや完全にコミック派だった。

 だが騒ぐのではなく、シュールに静かに笑いを取る男だった。
 
 だからレスラー対練習生も、あからさまに笑いを取るのではなく、しごきを見せ、もしかして本当なのでないかとお客さんに思わせるのである。笑いはその後でいいのだ。

 
 で、練習生の私は毛じらみにたくさんしごかれる。バンプを取りまくり、関節や絞めをさんざんされる。

 裸絞めをされた。

 私は、リアルに、一瞬で落ちた。

 落ちたのが数秒間なのか十数秒間なのか憶えてないが。
 
 目が覚めたら、リング上で寝ていた。

「あれ、ここどこだっけ・・・」
  
 毛じらみがいる。

 実況が喋ってる(私信・藤井だったっけ?)。

 レスラー対練習生の状況を思い出す。

 試合を続けなければ。


 試合は、練習生が大殊勲の勝利で終わった。全てこなせたのだ。まあそれはいい。

 で、試合後話したが、毛じらみも回りも、私がリアルに落ちたとは誰も思ってなかった。

 逆に、私が落ちたフリをしたと思っていたらしい。

 毛じらみはそこまで力強くやってなかったと語る。まあそうだろう。

 だが例え偶然としても、毛じらみが一瞬で落とせたことは事実。さすが自衛隊。
 
 そして、そこまで力を入れなくても、一瞬で落とせる頸動脈の箇所がある!ということだ。

 だが22年経つが、未だにわからないのである。

 生涯中に見つけられたらいいね。



gen28 at 01:00コメント(0) 

2018年06月13日

森田童子

 
 亡くなられたと。

 森田童子、は、さんとか氏とか敬称もつけてはいけない感じがする。森田童子。

 私は、ご多分に漏れず、ドラマ「高校教師」の主題歌「僕たちの失敗」でハマった。

 森田童子は1975年にデビューし、1983年にひっそり引退されたという。

 伝説の存在である。


 で。

 最後のライブは新宿ロフトだった、という。

 新宿ロフト・・・

 ライブハウス。 
 
 こないだ、FREEDOMSにてマットオンリーで試合した会場がそうだったのか??

 控室で使用した部屋は、森田童子の控室でもあったのか・・・?

 私には何もわからない・・・ 
 
 たぶん、調べればすぐわかるのだろう。

 だが私は、調べようとは思わない。ずっと伝説に触れたい、浸かっていたい。ような。もしかして、あそこの同じ場所に森田童子もいたのだろうか・・・とずっと思い続けたい。ような。

 ご冥福をお祈りします。
 


gen28 at 00:38コメント(0) 

2018年06月08日

初勝利

 
 1990年。初夏くらいか。

 柔道部だった私が、いろんな学校との合同練習に行った記憶。

 初の練習試合。

 相手は、二年生でちょっと長身で黒帯。 

 一年生の私はまだ白帯だった。

 高校での試合は初だった。公式ではない練習試合でも緊張する。

 
 試合開始から時間はそれほど経ってなかったか。

 相手はそんなに力はなさそうだが、技術はわからない。

 そのうち相手が私に巴投げをかけてきた。

 面食らった。テクニシャンだったのか。

 普通はそのまま一本負け。

 だが。

 プロレスに近い部活は柔道くらいかなあ、と思ってた私だから出来たディフェンス。

 背中ついたら即一本負けだ。だったらこれしかない。

 ブリッジで防御。

 そして180度ひっくり返って瞬時に抑え込み。

 相手は巴投げの体勢。無防備。

 上四方固めでガッチリと抑え込んだ。

 30秒経過。

 黒帯相手に一本勝ち。

 ガッツポーズするしかないではないか!


 その直後だったか。

 自信たっぷりになってしまった私は、同学年の黒帯との練習試合に挑む。

 彼は強かった。中大付属高だった。

 たくさん投げられた憶えが。

 有効、技あり、そして一本。

 寝技に持ち込む暇など無かった。

 最後の投げ技の瞬間、彼がニヤリと笑った(ように見えた)のは一生忘れないだろう。 

 柔道の投げ技が嫌いになったのはそのトラウマか。

 そして寝技オンリーくらいになってしまった。

 そして、投げ技といえば裏投げしかやらなくなった。

 裏投げ・・・ルーテーズである。プロレス技である。

 
 私のプロレス技術は30年近くになろうとしているのだ。笑える。












gen28 at 18:30コメント(1) 

2018年05月18日

ヒデキ。ヤングマン。俺たちの時代。

 
西城秀樹さんが亡くなった。

 ヒデキが。

 たくさん想い出があるヒデキ。
  
 
 1979年4月。私は誕生日前だからまだ4さい。保育園に入園した。

 ヤングマンYMCAが大ヒットしていた。

 私も好きだったと思う。

 年長さんたちがポンポン持ってお遊戯してた憶えが。

 翌年、1980年。モスクワオリンピックの年。幼児はよく知らない。私も知らない。

 保育園には、ヒデキの曲「俺たちの時代」がよく流されていた。放送で流されたこともレコードも聞いたことあったと思う。あと誰かのお遊戯もあったのかな? それは憶えてないが。

 小学生の時にやっと理解した。日本もモスクワオリンピックをボイコットしてしまい、日本の応援歌だった「俺たちの時代」も埋もれてしまったとか。

 だが「俺たちの時代」は、私の中では「ヤングマン」以上にヒデキのスタンダートだった。

 歌詞を憶えてるのだから。

 空をかければ 君は鳥 国境を越えて 翼をかけろ

 という出だしの歌詞。私は「君はボーイ」と聞こえていた。ボーイという単語を知ってたのかどうかも憶えてないが。


 現在はパソコン開けば何でも出てくる。

 「俺たちの時代」も一瞬で出てくる。

 レコードの音源もベストテンの映像も。すごい時代だ。俺たちの時代から38年が経った。


 ヒデキは二度、脳梗塞となってしまった。

 その度に立ち直った。

 言語障害になってしまった方が、歌をやり直すということが、どれだけのことなのかわかるか??

 リハビリは、人生を賭ける、ものだ。言語、身体の麻痺どちらも。

 私はプロレスはやり直すことができたが、歌はもう駄目だろう。ハミングをちょっとできるくらいで。

 
 2012年9月。私が発病してから、一か月ちょっとくらい。
 
 FREEDOMSが、私のエイドをしてくれた。たくさんの選手とたくさんのお客さんが集まってくれた。

 だが私は何も知らなかった。いや、言われても記憶に残らなかった。

 その時期、私は毎日自殺を考えていた。

 飛び降り自殺しようとしたこともあった。

 半身不随で車椅子でオムツで喋ることも出来ない。プロレスできない。こんな自分が嫌になる。死ぬしかねえじゃねえか。

 看護師さんたち10人以上が私を止めた。

 男性がいてよかった。


 それから6年。

 私はまだ生きている。

 ヒデキ、私は自ら死ぬことはもう無いです。

 やり直したことを、ずっと続けます。
 
 命が尽きるまで、かな。



gen28 at 01:30コメント(3) 

2018年05月15日

自然に、ナチュラルに、面白く楽しく、プロレスリングをやればいいんですよ。

 

 試合は大体面白い。

 対戦相手にもよるが。
 
 何も出来ないしょーもない相手もいっぱいいたが、そういう場合はむしろ楽しい。

 自分の力量でどうにもなるからだ。

 ホウキを相手にすることと同じだ。

 でも相手が中途半端だったらもう、全然面白くない。

 こっちは面白くレスリングしようと思ってるのに、相手は自分のことしか考えてない場合とか。

 でも最近は、やり方でどうにもなるかなあ、と思えるようになった。 

 中途半端はもうしょうがないから、自分自身でさらに面白くすればいい。
 
  
 しかし、やはり大ベテランの方々は違う。

 その方々には、身体の隅々までプロレスリングが染み渡っている。

 だから自然に面白くなる。

 こないだ引退(二度目の)されてしまったミスター雁之助。

 雁さんとの最後の試合が、レスリングが、もう楽しくて仕方なかった。

 あっちがこうきた、よしだったらこうきてやる、あ、そうきたか、だったらこっちはこうくるぞ、さあどうだ、なに、こうきたか、よし奥の手だ、これでどうだ!

 なんかこんな文章を十年前くらいにこのブログで書いた気が。

 現代はもうそんなプロレスは無いなあ、と思ったが、最近またその兆しが見えてきた、気が。新日本とか。
 
 最近、新日本プロレスの大先輩の方々とたくさん戦い、接し合えたことが、さらにうれしく思える。長年やっててよかった。
 長州さん、藤波さん、藤原組長、越中さん、ライガーさんなどをはじめ、数えるのも恐れ多いレジェンドのたくさんの方々。

 そして、このキャリアで20年近く参戦させていただいてるイーグル・プロレス。

 ついこないだ、タッグマッチで初めて谷津嘉章さんと対戦できた。谷津さん、島田宏さん対クラッシャー高橋さんと私。銘打ってアマレス最強コンビ対ファンクマスターズとか・・・。ファンクマスターズって・・・?

 このメンツだったら私などぺーぺーだ(笑

 だが、なんとまあ。

 身体の隅々にプロレスリングが染み渡る!

 こんな面白く楽しいこと、あるか・・・

 島田さんに、グロッキーのフリからの低いタックル(ロー・シングル)を決めることができた!!

 だが島田さんも「この野郎!」と思って下さったのか、トップロープからのスプラッシュを私に食らわせる。重い! だがそれもプロレスリングなのだ。

 スプラッシュの後、谷津さんの監獄ロック。

 私は耐えた。耐えまくった。谷津さんの髪の毛をむしってやろうと手を伸ばした。

 だが谷津さんは手を払いのけた。私はまいったするしかなかった。
 
 谷津さん、島田さん、またお願いします。
 

 昼開始の栃木・小山でイーグルの試合が終わり、夕方開始の静岡・新富士FREEDOMSへハシゴ。

 セミファイナルでマンモス佐々木、神威対私、平田智也。

 セミ直前に着いた(笑 
 
 まあ、昔からこんなハシゴはインディーレスラーの義務だ。ガハハ。

 で、今回は戦ったマンモス佐々木も、身体の隅々に・・・

 2000年代デビュー組とそれ以前組は、本当に違う。身体の隅々なんだよ!

 だから、それ以後組も、身体の隅々、になればいいんだ。

 でもたまにいる。以後組でもプロレスリングが染み渡っている選手は!

  
 (私信)
 勉三も、よかったんじゃないか。うん、楽しかったし。うん。おめでとう。

gen28 at 23:27コメント(0) 

2018年04月25日

シューティングスター・プレス(高校生編)

 ライガーさんのシューティングスター・プレスを「ワールド・プロレスリング」で拝見したのは高校1年か2年くらいだったと思う。

 小金井北高校には柔道場・剣道場が隣接されており、隅っこにマットとフカフカマットが積み重なっていた。よくプロレスごっこやってたもんだった。近くに体育教師室があったので眼を盗んで。

 普通のマットとフカフカマットの段差を自分で作り、シューティングスターをやってみた。

 一回目はものの見事に頭から突き刺さった。驚いたが死にゃしない。フカフカマットは素晴らしい。

 二回目、回転できた。できたできた。面白いもんだ。

 プロレス仲間の級友・石井に、シューティングスター・プレスを見せようと思った。

 石井は全く信用していなかった。
 「何言ってんだ。お前がシューティングスター・プレスなんかできるわけがないだろう!」

 「ようし、見てろよ。びっくりさせてやる」
 「出来たって思ってるだけだろ。できるなら昼飯おごってやるよ(冷笑)」

 そして石井は、私のシューティングスター・プレスを目の当たりに。
 「なんか・・・ 形が違う気もするけど・・・ シューティングスターだ・・・」

 石井に昼飯を奢ってもらったのかどうか覚えてないが、私は勝利したのであった。


 で、シューティングスター・プレスであるが。

 ライガーさんのシューティングスターは、飛んだ瞬間身体を丸める。

 私は根本的に間違っていた。飛んだ瞬間ブリッジするのである。

 数か月後くらいに、自分の間違いに気づいた。
 だが、飛ぶ姿勢は違っていても、シューティングスターに間違いは無い!と強引に言い聞かせた。


 それから三年後くらいか・・・

 一浪明け、めでたく大学入学した1994年4月。

 ファンが待ち望んだ「スーパーJカップ」! 両国国技館!!

 私ももちろん観戦した!

 獣神サンダーライガー! エル・サムライ! 大谷晋二郎! ザ・グレート・サスケ! スペル・デルフィン! TAKAみちのく! リッキー・フジ! ハヤブサ! 外道! 茂木正淑! ワイルド・ペガサス! ディーン・マレンコ! ブラック・タイガー! ネグロ・カサス!

 (外人組を除けば全ての日本人レスラーと戦えた。ああ、江崎さんを除いて・・・)

 で、一回戦、ライガー対ハヤブサ・・・
 ハヤブサ・・・江崎さんがシューティングスターを!!

 いや・・・

 これは・・・これは、

 私が開発したシューティングスター・プレスではないか!!!

 いえ、別にどなたも知るはずないことなんですが。

 だが、勝手に「やられた〜〜」と思うのであった。

 そして1994年10月、私は1年坊主の分際で、シューティングスター・プレスをやってしまうのであった。
 UWF関東学生プロレス連盟は当時体育会系でして、1年生なんか大技禁止ね。先輩たちから睨まれた睨まれた。

 そっからどれくらい経つだろうか。

 第五回スーパーJカップ(2009年)では出してない。

 2010年か2011年か2012年くらいに地方大会でやったのが最後。

 それが最後なのか、またやるのか、それは誰も知らないハッピーエンド。

 1990年からとすれば・・・得意技/シューティングスター・プレス・・・と書き続けて30年近く。ああ、面白い。


gen28 at 03:29コメント(0) 

2018年04月11日

vsミスター雁之助


ミスター雁之助との最初のシングルマッチは、冬木軍後楽園ホール。2003年くらいか。

あんなに緊張したことはなかった。ケブラーダ出してたかな。

二度目のシングルマッチは長州さんのリキプロ後楽園ホール。2005年くらいか。

試合中に喘息の発作が出てしまい、記憶がない。息も絶え絶えトップロープに上ったことだけ覚えてる。

三度目はアパッチの新木場。2008年。雁さんの一度目の引退目前だった。

30分一本勝負。とにかくレスリングで食らいついた。
 
30分経った。ドローだ。負けなかった。よかった。と思った。

お客さんから延長コールが起きた。

帰ろうとしてた雁さんが、またリングに上がった。

「やろうじゃねえか!」

延長戦10分一本勝負。

それでも決着は付かなかった。

雁さんと40分もレスリングできたことが、それ以上に嬉しかった。


雁さんは引退した。

だが鬼神道returnsやアイスリボンやガッツワールドなどでたくさん会えた。

2009年、WMF茨城大会のメインは藤波辰爾・長州力対グラン浜田・GENTARO。リングアナはミスター雁之助だった。


2012年、私は脳梗塞になった。

2014年5月、私は復帰した。

数か月後、雁さんも復帰した。

11月、鬼神道returnsで雁さんと四度目のシングルマッチをした。

変わってない雁さん。衰えなど全く。上手さも強さも面白さも。

2016年6月、ガッツワールドでGWC選手権試合。シングル五度目。

5月、後楽園ホールでミスター雁之助が戴冠。私もリング上で祝福したら、「ゲン、次やろうぜ」と雁さんが普通に言ってきた。リングで。「はい」と答えた気が。

これまで以上に面白かった。私と雁さんとの試合は深化していく、と思えた。


明日、私とミスター雁之助は、六度目のシングルマッチをやる。



ミスター雁之助は引退発表した。ガッツワールドと共に終わると。

引退。

二度目の引退。

一度目の引退は10年前。

引退して鬼神道から鬼神道returnsへ。

熊本に帰ってしまうと、鬼神道もreturnsも全て終わるんだろうか。

鬼神道come back againとかにならないか・・・


さて、特に一生忘れることはない、雁さんとの30分+10分のシングルマッチだが。

今日、アントニオ猪木さんと坂口征二さんのシングルマッチを観た。

1978年。MSGリーグ予選。30分一本勝負。

レスリングの攻防。お客さんも引き込まれていく。

30分経過。試合は終わった。

だが、お客さんたちは「延長」コール。

この時代に、延長コールなどなかったはずだ。

「やろうじゃねえか!」猪木さんも坂口さんもやる気だ。

延長戦10分一本勝負。

だがまたタイムアップ。

今まで全然知らなかった。


さらに再延長戦が行われることになり。

乱闘から、場外でダウンしている坂口さんへ、トップロープからニードロップ敢行。

猪木さんはリングアウト勝ちを収めるのであった。

10年前、私は、終わったか・・・と安堵せず、なりふり構わずに勝つべきだったのだ!


明日は・・・






gen28 at 22:10コメント(0) 

2018年04月02日

1日は終わった。

 若者たちよ。

 平田智也だけじゃなく。


 ウエイトも肉体もいいだろう。

 だが、プロレスには、さらにその上を行く練習が必要だ。

 思い切り受身を取って、どんな衝撃があろうと絶対動じない身体を作る。

 それが最低限だ。

 さらに、「押す」「引く」を両方ガッチリやるのだ。

 力に自信あれば「押す」を強化。だが「引く」を忘れるな。

 力無いなら「引く」を強化。相手の隙を見て「押す」。それで試合を上手く転がせる。

 だが現在は「押す」ばかりに力を入れてる傾向がある。

 「引く」ことをよく知らない若者たちが多い。身体小さくてもそんな場合が。

 それはダメだ。



 アンドレ対ハンセンでも観なさい。
 
 ガッチリ押す押す。

 そして。

 ガッチリ引く!

 超ヘビー級でも!

 これを教科書にしなさい。



 ま、とにかく受身を取ろう。

 中途半端ではなく。思い切り。

gen28 at 03:13コメント(0) 

2018年04月01日

四月

 
私はスマートフォンが好きだ。


gen28 at 22:59コメント(0) 

2018年03月07日

杉浦透


 奴がデビューしてから確か9年経つ。

 奴のデビュー戦を見たのはDEP刈谷大会。相手は元FMWのベテラン新山さんだった。

 運動神経いい奴なんだなあ、見所あるな。とその時は思った。

 新山さんをロープに飛ばし、ドロップキック。

 ドロップキックした瞬間バク宙するのは、運動神経がいい若手がよくやる。

 が。

 緊張なのか(たぶん緊張)、バク宙が中途半端になり、奴はそのまま頭からダイレクトにキャンバスに突っ込んだ。

 死んだ。と思った。 
 
 私だけなく誰もが。

 でも死なず、試合は続き、新山さんに普通に敗れ、普通にデビュー戦を終えた。

 あの瞬間を除き。

 あの瞬間は、エル・サムライさんも後藤達俊さんも目撃してたと記憶している。

 レジェンドたちに見られてよかったなあ。


 それからいろいろいろいろいろいろあり、現在FREEDOMSにいる。

 「レスリングやれ、この野郎!」と何度怒鳴ったかことか。
 
 奴は、これまで、レスリングが出来ないのではなく、嫌いだったのだ。
 
 竹田誠志とのヴァーリ・トゥードマッチで、さらに嫌いになったはずである。

 奴の師匠、DEPの根本薫選手は、柔道の猛者だった。

 薫ちゃんにしごかれた経験は無駄ではなかった。

 だから最近、本当に最近やっとレスリングに手をつけはじめた。

 ある時、タッグマッチの時、パートナーである私に突然裸絞めを仕掛けた。

 ついこないだ、対戦した時は猛烈にレスリングで対抗した。

 猪木さん対アリの状態(知らない方は検索)から、低いタックルを仕掛けてきた。

 YOUTUBEで昭和プロレスを見てる成果が出てきたか(笑


 奴はデビュー当初はせいぜい70キロだったが今は100キロ。まあいいことだ。

 3・22の後楽園ホールでは雁さんにレスリングでしごかれないように。



gen28 at 17:05コメント(0) 

2018年02月13日

プロレスリング

 先日FREEDOMSの広島大会があった。

 私は岡田剛史選手とシングルマッチをした。

 広島大会にいつも来る選手で、柔術使いでトーナメント2位、花鳥風月の選手(後に退団)、と私の予備知識はこんな感じだった。あとひげもじゃもじゃ。

 戦うことは無かったので普通に話していた。温厚な青年だった。 
 格闘家がプロレスをやるってことは本当に好きなんだねえ。強いんだから、それを応用すればいいだけだよ。がんばってね。と、こんな会話をしてたかな。

 で、今回は戦うことになった。


 今年に入って、私はシューズを新調した。

 この20年以上、白のセミロングシューズを履き続けてたが。

 黒いショートシューズ。白い平紐。

 口にするのもおこがましいが、あの方のシューズっぽく・・・。


 白いシューズだと自由奔放なスタイルになる。
 なんでもござれ。反則がどうした。

 だが黒になると、心境が変わる。

 さらにストロングスタイルしなければ。反則は、いざという時だけだ。勝つためにだ。


 さて、岡田剛史戦。

 プロレスリングだった。

 私はサブミッションとスープレックスで対抗した。
 岡田選手は修斗ファイター。極めも打撃も来る。

 強かった。私はプロレスやっててよかった。「受け流し」をできたから。
 
 岡田の蹴りをスルー。いわゆるドラゴンスクリューを、キャッチ・アズ・キャッチキャンのやり方でやってみた。藤波辰爾さんの息子さん、LEONA選手がやっている写真をどこかで見たので・・・ 申し訳ございません。

 アキレス腱固めに回転式ダブル・リストロック。痛い。プロレスにロープエスケープがあって本当によかった。

 裏十字固めを極められそうになった時、ロープが遠くエスケープもできず、どうしようかと迷った。しかし追い込まれたら反則しかない。岡田のふくらはぎに噛みついた。思い切り。
 
 吉野レフェリーが反則カウントを数える。プロレスは5カウント以内なら反則は許されるのだ。だから私は4カウントまで噛みつき続けた。勝つためにルールは活用するのだ。

 反則も出来ない状況ならロープから場外エスケープだ。インターバルも必要になる。しかしそこで相手が追って来るか来ないかで展開が変わるが・・・ 二回目、岡田は追ってきた。思う壺だ。キックを鉄柱に誤爆させ、それでも追ってきた岡田に、不意打ちのトぺ・コン・ヒ−ロ。それがくるとは思わなかっただろう。

 場外カウントギリギリに私はリングイン。
 私はリングアウト勝ちを収めた。

 プロレスルールにはある。リング外で出てしまった場合、レフェリーにカウントが数えられてしまう。20カウント以内に戻ればよし。戻れなかったら負け。戻った側が勝ちとなる。当たり前だが、当たり前のルールを活用するのが勝利の方程式である。

 お客さんはプロレスのルールを知ってる。
 だから、私が20カウント以内に戻り、岡田が戻れなかった為決着が付き、お客さんは沸いたのである。

 岡田剛史との試合は、実にやりがいがあった。
 
 戦い、プロレスリングをした。試し合いだった。そして私が勝ったのだ。

 
 プロレスは真剣勝負。
 
 ガチがどうのとかではなく。

 真剣に、勝負のやりとりを、魅せる。当たり前ではないか。
 
 
 岡田剛史VS竹田誠志。この試合も見たくなった。
 デスマッチではなく。プロレスリングで。




gen28 at 16:48コメント(0) 

2018年01月24日

君の名は

 凄い。

 「君の名は」やっと観た。

 これまで聞いたことはあっても観たことまでは無かったのだが、こんな凄い映画だとは。

 そりゃ凄い噂はたくさん聞いたが。そんな凄いのか、観てみようかな。でももしハズレだったらどうしよう。と思ってしまったのが失敗だった。もっと前に観ててもよかった。

 皆さんも見ましょう。

 「君の名は」を。

 「君の名は。」ではなく。

 佐田啓二様と岸恵子様の「君の名は」です。凄すぎです。淡島千景様も凄いとしか言いようがない。

 「。」も見た。たくさん考えて作ってるんだなあ、というか句点付きでも「君の名は」の題名でいいのかなあ、と思った。終わり。


gen28 at 03:58コメント(0) 

2018年01月13日

シューティングスター・プレス


 派手な技ってのもたまにはいいな。

 長年やってると、もう大技なんかいいやと思うものだが。

 アレやってしまうまでは、たまにはやってたもんだ。

 派手な技、やってたな。
 たくさんじゃないけど、ここぞって時にやってた。

 飛び技だったら。
 シューティングスター・プレス、フェニックス・スプラッシュ、サスケ・スペシャル1と2とか。

 叩きつけ技とかスープレックスなら。
 マヤ式ジャーマン(デルフィン・スペシャル)、サンダーファイヤー・パワーボムとか。


 お正月。新木場で飛び技をやってみた。

 場外。ひな壇の最上段から、一番下にいる相手にプランチャ。

 新木場だからできる技(笑

 やる前に「スーパーフライ!」と必ず絶叫する(笑笑

 これ、10年前くらいからやってるのだが。1年前か2年前もやった。

 しかしメインイベントのシングルマッチだったからか、試合後も観衆の反響がいい。

 何故かレスラーからも。

 「あれ、僕も使っていいですか!!!」

 まあいいけど。

 たまには大技もいいかな、と思えた。



 最近、リングで分厚いマットを敷いて飛び技の練習をやってみた。

 実際に飛んでみたのは6,7年ぶりか。

 ムーンサルト・プレスをやってみた。

 楽勝。全然大丈夫だな。

 シューティングスター・プレスをやってみた。

 マットにちょっと顔擦っちゃったけど、リングだったならまあ、大丈夫か。

 慣れればもうちょっと高く飛べるだろう。

 試合で実際やるかどうかは。

 これなら勝てる、思えたら使えばいいだけだ。


 時は1991年くらい。私は高校生。

 テレビで観戦した、獣神サンダーライガーさんのシューティングスター・プレスに衝撃を受けた私は、高校で早速練習してみた。


 
 できたら続く。



gen28 at 17:21コメント(0) 

2018年01月02日

崇高に


明けました。

大好きだった叔父が亡くなったので祝いは言いません。篠さんも。

が、新年が明けたことはいいことです。

2018年。年数が進むのは、逆行よりはまだいい。昭和は好きだけど。


年を重ねても、私自身があまり変わらないのはいいことなのは悪いのかは知らない。知ったことではないし、まあ肉体が衰えるよりはいいだろう。

ウエイトトレーニングしてると、いろんな発達や新発見がいろいろあって、一生勉強だなあ、とは思う。
ディップスマシンってのを初めて知って、今まで三頭筋の長頭がなかなか発達しなくて困っていたが、こりゃいい、効く効く! ようし、これからもっと長頭を発達させてゴンブトな腕を作るぞうう、とか。
良く知らない方は読み飛ばしても結構です。

鍛えれば50代でも60代でも肉体はなかなか衰えません。

昭和50年の猪木さん対ルー・テーズ様を見れば分かります。

テーズ様は59歳でしたが、いろいろ圧倒的です・・・

まだ私などヒヨッコです。トシは一応言わないことにしましたが、まあ知ってる人はご自由に。



明日、FREEDOMSが新木場新春興行しますが。

ジャックがメヒコにベルトを持って帰ってしまったので、メヒコまで行って挑戦したい、というデスマッチ選手が数人いました。

ああ、そうなの? と思ったので私も志望しました。

たくさんベルト巻きましたが、このシングルはまだ巻いてませんし、私もこの20年近くちょこちょこデスマッチやりましたから、いいかなと。

メヒコのデスマッチ団体はなんか、想像以上らしいけど、ラテンは感情豊かでいいんじゃないと思える。プロレスは感情ないと。

なんか楽しみになってきました。

まあ、私がやってきたことを考えれば、ヒヨッコが多いからいいんじゃないかと。

非ヒヨッコなマンモス佐々木が参加していないので実に安心です。


今年はさらに、崇高に、仙人っぽくなろうと。

プロレスではないジャンルの神々に近づけるように、またがんばります。

黒澤明 手塚治虫先生ブルース・りー24人はアイドルAタイプ7人ライダー











































*黒澤明監督、手塚治虫先生、ブルース・リー様、ビートルズ(Fab Four)、初代ウルトラマンAタイプ、7人ライダー+立花藤兵衛







gen28 at 16:36コメント(0) 
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livedoor プロフィール

GENTARO

本名:Tハシ
身長:176cm
体重:95Kg
デビュー戦:レッスル夢ファクトリー 1999年5月8日埼玉・所沢サンアビリティーズ vs加藤茂郎&死神&怨霊(パートナー:覆面太郎&三浦博文)つらい思い出。
もう一つのデビュー戦:華☆激 1999年5月2日福岡・山川町勤労者体育センター vs川内大裕 いい思い出。
得意技:シューティングスター・プレス ダイビング・エルボードロップ バックドロップ 各種脚殺し
タイトル歴:KO-Dタッグ選手権、WEWタッグ選手権
、KO-D無差別級選手権、DDT EXTREME級選手権、VKF選手権、インディペンデント・ワールド世界Jrヘビー級選手権などなど12、3個
尊敬する人:偉大な先人たち、藤子先生
尊敬しない人:いばりんぼ、うそつき
好きな食べ物:血のしたたるステーキ

この素晴らしき人生を愛する者たちとともにおもしろく歩むとする。

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