2020年12月31日

大晦日だよ


 2020年が終わる。
 ケムール人の時代はもう無い。

 人々は暗闇の一年だったろう。
 私もいろいろあったが、どっちかというと筋肉が向上したからよかったと思う。
 人間のインナーマッスルは凄いものだ。
 首、肩、腰、膝などの関節部を動きやすくする。
 この一年、試行錯誤を続け通した。
 結果、私はまた若返った。
 股割りが三十年前より柔らかくなった。
 鼻をつけるブリッジは三十年前以来か。
 小学生の時は胸をつけれたからさらなる精進が必要である。
 
 葉巻は人間の心を豊かにする。
 この二年で短気が無くなった。
 後輩に怒鳴り散らしてビンタをふるってた自分はもういない。と思う。多分。
 こんないいものがあるとは、嗜むまでわからなかった。
 キューバは絶対に滅びてはいけない国。

 来年はいい年にしなければ。
 さっきコイーバを嗜んだから多分大丈夫だ。
 いいアラフィフはまだこれから当分続く。


 

gen28 at 23:58コメント(0) 

2020年12月01日

続 ザ・シロート・サスケ

 
 よくわからんがlivedoorが終わるってことなのかね。

 
 1995年、私は二年生。

 ザ・シロート・サスケの高橋秀彰さんは四年になり、就職活動スタート。

 会長ぷよぷよの為貝政巳さんも三年からマクドナルドに入り浸り。結局マックに就職したんだっけか?

 実践部員の三年生はもう一人しかいない。しょっぱすぎるパット・パット・ナム。
 当初は彼が会長となり、どうなることやらと部員全員が暗い気持ちになったが、ナムは当時流行りの自己啓発サークルに入り洗脳され、さらに後輩部員から二十万くらい取って次々勧誘。それが新歓飲み会で明るみに出、練習後に全員での会長追放劇となった。その時は高橋さんもいたはず。ナムの最後の捨て台詞「今にわかりますよ」は今も語り継がれている。
 入ったばかりの一年、リングネームどろぼうの生城山は自己啓発に染まりきってたと思われたが、なんとか我々が洗脳を解き、その後もプロレス活動を続け、UWFタッグチャンピオンとなる。よかったよかった。

 そんなわけで一応私が会長になったが、プロレス自体はまだダメダメが続く。春を過ぎ、夏を過ぎても自分のスタイルがよくわからなかった。

 俺は何をやりたいんだっけか?

 黒ショートとか黒ロングで赤い帯とか青い忍者コスチュームとか変えても仕方なし。わからんだけ。

 ルチャやりたいとかはもう無くなったが、飛ぶマスクマンになりたい欲はあった。ザ・シロート・サスケの存在もあった。越えたい!とも思った。

 
 10月、城西の昼休み興行で「ヤブサメ」は誕生した。

 江崎英治はハヤブサとなった。ハヤブサは獣神サンダーライガーにシューティングスター・プレスをやった。俺もできる。飛べるマスクマン。最高じゃん。俺がやりたかったのはこれなんだ。多分。

 ハヤブサをモジんなきゃな。確かヤブサメって言葉があったような。

 こうしてヤブサメは誕生したが、流鏑馬という歴史用語は詳しくは知らなかった。
 
 マスクは水道橋のプロレスショップで買った。メヒコ製のよくわからないパチモンマスクだった。コスチュームもあるモノであり合わせてゴマかした(なんか、それから25年経っても私は高いコスチュームを買い求めることがあまり無い気がする)。

 メインイベント・JWF選手権試合。王者ザ・シロート・サスケ対挑戦者ヤブサメ。

 まあとにかく無我夢中だった。
 いろんなことをやってみた。これまでやったことないこともやった。ルチャ、もやってみた。
 高橋さんは私の可能性をたくさん引き出してくれた。
 
 試合後はもうボロボロになったが、私はうれしかった。
 高橋さんとシングルが出来たんだ。たくさんの技を受け、やれたんだ。
 観客からたくさん大歓声が来た。今までほぼ無かったのに。
 俺はレスラーになったんだ! レスラーになれたんだ! と思えた。
 ほぼ高橋さんが私を光らせたということもまだ理解できなかったが。

 
 11月3日、城西大の文化祭・高麗祭。UWFの本興行。
 私はメインイベントで法政3年生のまん小地沢さんとシングルマッチ。
 こっちーさんはUWFタッグチャンピオンだが、タッグもシングルも素晴らしい。中心となる3年生の中では一番である、と思えたからこの試合を志望した。

 結果は… ダメだった。
 技はたくさん出した。だがプロレスリングになってなかった。戦ってなかった。その後こっちーさんは「俺も悪かったよ。とにかくガンガンやんなきゃと思っちゃってさ」と語るが、全くついていけてなかった自分が悪かったのです。
 地元の引退試合を終わらせた高橋さんも褒めてなかったと思う。複雑な表情だったような。
 加藤茂郎さんたちレジェンドOBの方々は慰めてくれたが、こんにゃく男爵さんが「もっと相手を焦らせなきゃ!」と言って下さったことは忘れられない。

 
 11月半ば。専修大学の鳳祭。毎年たくさんお客さんが来る体育館でのUWF本興行。実にプロレスな空間だ。気分も乗る。
 夜が差し掛かった第二部の真ん中くらいの試合だった。JWF選手権試合、王者ザ・シロート・サスケ対挑戦者ヤブサメ。ここで再び組まれた。他大なのに。高橋さんが専修会長・桂のみ助に言ってくれたのかな? 高橋さんが、私が元太郎をこの本興行で輝かせなければいかん、と思ったか…

 試合前、当時UWFライトチャンピオン(伝統の!)だった東海3年のパーマン2号がニヤニヤしながら私に対し「お前の(城西での)試合、全く評価されてねえらしいなあ。ヒヒヒ」と言った。私は「ええ、知ってますよ!」と言い返した。

 このイヤミにも燃えた。

 目いっぱい戦えた。
 いろんなことに対しても。不甲斐なかったヤブサメにも。

 飛んだ。サスケスペシャル2を初めてやった。

 ヤブサメ勝つか?
 そういう場面を作れるか作れないか。それがプロレスの力量である。

 勝てなかった。

 だがこの場で、こういう試合が出来た。技術と気持ちの試合を。

 そう、試合は気持ちを出すもの。

 高橋さんは試合後、リング上で私に囁いた。

 「勝ち負けじゃないぞ!」

 涙声だった。



 へべく。

gen28 at 22:24コメント(0) 

2020年11月11日

いいプロレスリング


 11・10の後楽園。

 実に激しく楽しい試合であった。
 
 マンモスもジャックもリアル・プロレスラー。

 高岩さんはやはり素晴らしい。

 私の人生に新日本の方々がたくさん関わっていてよかった。

 ずっと毎日が充実している。暮らしも。

 いいアラフィフだ。

 

gen28 at 23:53コメント(1) 

2020年10月08日

ザ・シロート・サスケ


 私の師匠の話。
 
  
 1994年4月。私は一浪後に城西大学に入学。
 
 現役で入学した友人が、我が城西大学プロレス研究会(J.W.F)に先に入っていたので、私は入りやすかった。4月下旬の新歓興行の時はもう普通にいた感じだ。

 学生プロレス。80年代後半から90年代前半は学プロ全盛期。TVでよくやっていた。

 プロレスファンは「ケッ、素人のクセに何やってんだ」と貶してたもんだが、それは嫉妬でもあった。「素人」といってもプロレスのやり方など普通誰も知らない。学生プロレスはギャグもあるがストロングもある。ストロングスタイルを学生がやってる。そんなバカな! どっかで楽してるんだ、そうに決まった!!

 私も最初はそうだった。だがそのうち、実践する学生たちがうらやましくてしょーがなくなった。
 大学行くならもうこれしかない。もうプロレスできないなら学生プロレスやればいい。と、そう思った。この時点では。UWFが学プロメジャーとも知らなかった。

  
 高橋秀彰さん。ザ・シロート・サスケ。城西大学三年生。三年はもちろん主力。

 新歓興行は生で見る初めての学プロであった。

 高橋さんの試合を観て、何がシロート⁇ と思った。

 動きもスピードも空中技もズバ抜けすぎ。

 あこがれの存在になるのはすぐだった。


 先輩は四人いたが、二人は二年(ヘタクソ)と四年(就活中)で、三年の為貝会長もあんまり練習に来ない。結局教えてくれるのは高橋さんしかいない。 

 やるのは受身からプロレスリングのグラウンド基礎をみっちり。

 柔道やってたから大丈夫だろう、とか思ってたがそうでもなかった。

 細かい技術がたくさんある。

 高橋さんは色々教えて下さったが、自分としては最初は面倒くさかった。

 一年生は試合では大技など御法度。とにかく基礎をやれ!

 秋までは、私はダメ組だった。大技やりたがり。

 なんで大技ダメなんだよ。上級生やってるじゃねえか。

 先輩たちは基礎があるから大技が映える。そんなことも理解できなかった。ガキだ。

 
 5月からまた試合が続く。
 UWFは4月から11月まで全て合わせて30興行はあった。
 私が出場できた興行なら、ザ・シロート・サスケの試合は穴が開くほど見れた。セコンド付くのが義務だから、サスケを間近で観戦できることは喜びであった。

 今でも言える。ザ・シロート・サスケは素人ではなかった。
 他とは全て段違いであった。
 これはウチワの話だが、ザ・シロート・サスケを上回ってたと思えるのはリッキー・スキンボートだけではなかったか。

 8月。青森でのみちのくツアー。選ばれた選手しか出られないので私は当然不参加。9月にザ・シロート・サスケ特集ビデオを部員たちと鑑賞。
 ザ・グレート・サスケ自身が実にホットな時代、少年少女たちが例え別人でもザ・シロート・サスケにも熱い視線を送る。大コールを送る。試合後は何十人もの子供たちが群がる。一人の少女が涙ぐんでいる光景。感涙か。
 子供たちも大人たちもザ・シロート・サスケの動きに感嘆しているのだ。本物サスケに近い人物がそこにいる。本物と思っている子供老人がいたとしても、それほどのプロレスを魅せたのだ。

 十年後、ザ・シロート・サスケはリアルなザ・グレート・サスケと闘うこととなる。
 これはまた・・・


 
 みちのくツアーのこんな凄いビデオ観てしまうと、そりゃ「自分もこんな試合をやってみたい!」と思ってしまうものだ。

 私も試合をけっこうやってきたし… そろそろいいんじゃない?

 「で、次の試合ではルチャやりたいんですよお」

 「・・・君はちゃんとやりなさい!」

 真面目な高橋さんに一括された。

 ルチャはメヒコ流レスリングのことだが、飛び技たくさんできるスタイルくらいに思ってなかった。ホントに愚かだった。


 10月中旬、城西の昼休み興行。三試合だけの小規模な興行だから、今日はいいだろうと思い、高橋さんにも許可をもらい、シューティングスター・プレス。
 ルチャやるわけじゃないし、、地元ならいいんじゃない、と高橋さん。寛大な先輩でよかった。

 悪い噂は早い。うっかり八兵衛が一年生の分際でシューティングスターをやっただと? ふざけるな。面と向かって怒る東海明治法政など他大学の先輩はいなかったが、その代わり雰囲気でヒート買ってるのは大体わかる。

 高橋さんがやっていいと言ったんですよ! と懸命に弁解したが、元々やりたがりの奴が何を言おうが元の木阿弥。ガキ。

 高橋さんも実は一年生の時、ムーンサルト・プレスを使っていた。
 だが寡黙で真面目でちょっと弱気な高橋さんが先輩に嫌われることもなく、新人賞候補にもなった。私とは違う人格だ(笑。

 
 26年前のシューティングスター・プレスに思いを馳せてつづく。




gen28 at 02:23コメント(0) 

2020年07月04日

黒アゲハ

 
 マンションの廊下に黒アゲハが横たわっている。

 ピクピクわずかに動いている。

 40年前、小田原の中島保育園でよく黒アゲハを見た。普通のアゲハやキアゲハよりたくさん見た気がする。カラスアゲハもいた。まだ自然はたくさんあった。
 
 最近、死にそうな昆虫をちょくちょく見る。かわいそうだが寿命は仕方ない。が、私の寿命も近いということか。それはそれでいいかな、と思った。

 
 数時間後、黒アゲハはもう動かなくなっていた。
 
 死に場所がこんなとこなのはかわいそうだと思い、黒アゲハをつまんだ。

 すると、黒アゲハは突然暴れだした。

 私は驚いて黒アゲハを離した。

 黒アゲハは羽をバタバタさせ、懸命に逃げようとしている。

 もう跳べないのに、地べたで這いつくばって懸命に跳んで逃げようとしている。

 黒アゲハにとって私は巨大な敵だろう。敵に捕まって殺されようとしている。だから、殺されてたまるか、生きるぞ!と必死になっている。
 
 死ぬ間際まで、最後の最後まで、生を捨てようとは思わないのだ。いや死ぬ間際など思いもしないだろう。最期の瞬間まで。


 私は黒アゲハを尊敬した。

 這いつくばる黒アゲハに合掌し、そのまま去った。


 私も、最後の最後まで全力を尽くそう。

 死ぬ間際はまだまだ遠い。




gen28 at 21:35コメント(1) 

2020年06月12日

人間は強い

   
 『超満員札止め』という響きは今後あるのかと憂う今日この頃。

 なんか現代社会はみんな悲観的になりすぎているが。
 
 大丈夫だ。

 立って歩けるなら、走れるなら、ウイルスごときでは死なない。

 さらに強い精神力でもあれば鬼に金棒。

 我々は満員電車でも平気な日本人だ。

 強い。


 久々の試合だったが。

 欠場してた時を考えれば、大したブランクではない。

 いつも通りの試合をした。
 
 これからもいつも通りの試合をする。

 毎試合ベストバウト。毎興行超満員札止めだ。
 

gen28 at 00:33コメント(0) 

2020年05月23日

26年前のデビュー戦


 1994年5月。私は横浜国立大学の学園祭にてデビューした。

 インターネットは便利だからすぐ検索できる。
 学園祭の土曜日は一番賑やかだから、5月28日だろう。
 春は清陵祭だったか。

 当時、関東学生プロレス連盟(UWF)は人数が多く、興行は大体二部制。だがこの清陵祭では三部まであった。それほど活気があった時代。

 私は第三部の第一試合でデビューした。

 タッグマッチ。横国の一年生、古賀とタッグを組んだ。 
 私のリングネームは『うっかり八兵衛』で、古賀のは『ちん古賀かゆい』。
 大体一年生のリングネームは先輩から強制的につけられる。仕方がない。
 現代はこれさえも「虐待」になるのかねえ?知らんが。

 相手は私と同じ城西一年の南だったような。
 リングネームは『まんじるなみなみ』で先輩から強制的に…もういい。
 あとは確か、東洋大一年の『東洋のOB』だったかな? 現役入学の年齢のはずだが見かけが見かけなので先輩から強制…
 二年後、彼のウマさは群を抜く。私は彼のバンプ技術を盗み取る(笑
 
 古賀は半年でやめてしまったが、実に惜しかった。
 好きなレスラーは木村健悟と木戸修、という時点で渋すぎた。
 先輩達と好みが違い過ぎたのかね。おとなしかったし。
 そういえば、DDT初期の佐々木貴を見て「あ、ちん古賀かゆいがこんなとこに!」と一瞬驚いた記憶が。実に似ていた。

 試合は、あまり覚えてない。ほぼ無我夢中だし、大したことはやってないし、我がUWFは一年坊主は下っ端下積み当たり前、派手な大技などやろうもんなら村八分だからいい子になってるしかない。
 
 だが、無我夢中でも記憶に残る動きはあった。
 フロントヘッドロックを取ったまま、身体ごと滑らせて自分の右腕で相手の左腕をネルソンしてローリング・テイクダウン。まあその時はそんな用語よく知らないが。
 
 あとは、ネックブリーカー! 
 いまだに使い続けているネックブリーカー。ネックブリーカー歴26年。
 目論見はあった。
 一年坊主は基本的に大技禁止。ボディスラムとドロップキック、腰投げはいいがブレーンバスターやバックドロップはいかん。
 でもネックブリーカーやりたいなあ。若手時代の猪木さん使ってたらしいし。これどっちなんだろう? まあそんな派手じゃないよねえ。やっていいよね、ね、ね… あ、やっちゃった。
 
 試合後、結局周りの先輩達には何も言われなかったが(大体見てないだろうし)、当時学芸大二年の猪熊んちょ先輩(多分)が「ネックブリーカーやってたねえ」と言ってくれた覚えはある。笑みでなく複雑な表情だが。
 
 これが私の、全ての始まりのデビュー戦であった。
 まあ夢ファクのデビュー戦とは比べ物にならない良い想い出ではある。 
 第三部だからもう夜。ナイターという状況もよかった。
 
 まあネックブリーカーはずっと使い続けます。


 同日こんなことがありました。
 第三部後半のタッグマッチ。
 私の師匠ザ・シロート・サスケの、目に焼き付いて離れない名試合。
 トラブルが起きる。サスケ師匠のパートナー・当時法政三年のまったり斉藤先輩が骨折。
 サスケ師匠ががんばるしかない。
 が、相手は怪物アンドレ・ザ・ブッタマンだ。強すぎる、もうダメか、終わりか。
 しかし! 一瞬のスキをつき、アンドレに回転エビ固め!!
 この圧倒的対格差、しかし丸め込んだ!! まさか!!!
 カウントスリー!!!!!
 夜の横浜国大が揺れた一瞬であった。

 サスケ師匠との想い出はまた。
 


gen28 at 00:44コメント(0) 

2020年04月09日

私は一度死んでいた


 だからウイルスごときにやられはしない。

 世界中、元気が無いが。

 元気があれば大丈夫。

 元気は万病を治す。

gen28 at 16:03コメント(0) 

2020年04月01日

生きよう


 健康に。
 
 元気に。
 
 冷静に。

gen28 at 23:44コメント(0) 

2020年02月28日

Don't think, feel. 

 
 2月23日、石川雄規さんとシングルマッチをする。

 唯我の興行で。バトスカフェ、か。このカードを組んでくれた唯我に感謝。

 15分間、ひたすらグラウンド・レスリングだけ。
 
 なかなかこんな試合できるものではない。

 石川さんは、トーイさんは、私にいろんなものを伝授して下さった。

 そしていろんなことを思い返した。 

  
 格闘探偵団バトラーツには1996年から。

 最初は、リングスタッフ・パンチ軍団の一員としてたびたび。

 初期バトラーツは藤原組から移動した選手。

 石川さん池田さんフナキさん臼田さん小野さん田中さんアレクさんヨネさん。レフェリーは島田さん。

 リングも一緒に。

 特にアレクさんのリング作りは素晴らしかった。
 私はいまだに、アレクさん流のキャンバスの張り方を後輩に教えている。

 私は音響もやってた。

 皆さんのテーマ曲を流す係ってだけだが。

 日高っちょ、いや日高郁人さんのデビュー戦IN後楽園ホールは忘れられない。

「(デビュー戦の)テーマ曲流してくれてありがとう!」と何度も言って下さったものだ。

 ジュンジさんと土方選手(八木くん、と呼んでた。今もか)はまだ練習生。

 私はそのうち夢ファクに入り浸り、バトとは疎遠になってしまった。

 
 2001年夏、プエルトリコのKAIENTAI-DOJOから帰国してすぐ、バトラーツの覆面レスラー「ミスターさかい」として参戦することに。
 焼肉屋さん「さかい」がバトラーツのスポンサーだった時。「空いたジョッキは許さない」がキャッチフレーズだったか…

 私をブックキングしてくれたのは小坪さんだった。
 時期は違えど夢ファクとバトラーツ両方いたのはつぼさんだけだ。
 
 まあでも格闘スタイルやるわけでもないので第一試合で「プロレスルール」をやってた。大体パブロ・マルケスが「ブラックさかい」とかやってたような。
 
 カイエンタイが旗揚げ間近なので他にも、サンボ大石とか真霜とかともやってたような。一応私もカイエンタイであったので。てかパブロは今どこにいるんだろ。確か同い年。まあいい。

 ああ、12月に真霜とやった時にヒザの半月板やっちゃって、二週間後DDTのビッグマッチの予定あるんで手術せずにひたすら安静安静。欠場したのは福岡球場大会だけで他の試合は普通に。安静どころではない。20代は元気だ。

 
ミスターさかいはその後ちょっと出ただけで終わってしまった。
だが、バトラーツにしばらくいたことが私の自信になった。
「プロレスラー」だから経験できたことがたくさんあったから。いろいろ。

 離合集散たくさんあっても、バトラーツ選手たちとはたくさんいろんな会場で一緒になる。いまだに。25年近く経ってもいろんな話ができる。

 後年バトラーツに集まった若者たちもなぜかたくさん一緒に。

 さーくんやのけいタケシマとか。たくさん試合した。

 バトラーツとの試合は、だいたい面白い。

 さーくんとの60分フルタイムとかね。

   

 Don't think, feel.



 バトラーツとの試合はいつもそうだった。

 今回も。さらに、さらにそうだった。


 Don't think, feel. 

  
 知らない方は「燃えよドラゴン」を観ればいい。

 また明日も試合でDon't think, feel. 

 実に面白い。


gen28 at 02:44コメント(0) 

2019年12月31日

2020年の挑戦

 来年そうなる。
 ケムール人と観覧車はワンセットです。

 もう、と言っていいでしょう。アラフィフです。
 30代の頃は2020年など遠い未来であり、考えもしなかった。

 トシを重ねることが怖かった、と思う。

 さてあと数十分で2020年になる。

 イイ感じで楽しくトシを重ねている。怖くなかったね。

 そして、私の大先輩たちが現役として試合してる現実。その方たちに比べれば私などヒヨッコ。

 大先輩のお一人、ライガーさんの引退が珍しいような。残念です。


 リッキーさんかく語りき、死ぬまで現役、死ぬまで全盛期。

 私もそうなんです。受け売りさせていただきます。


 2012年、頭やりました。
 いろんなことあって、現在。
 2020年、プロレスできてます。大体なんでもできますよええ。

 今んとこ、人生で一番楽しいな。


gen28 at 23:41コメント(1) 

2019年12月23日

今日も元気だ

 
 猪木さんっぽいコスチュームにしてから、そろそろ二年くらいになる。
 
 プロデビューから、とにかく相手を光らせなきゃと、ほとんどそれしか考えなかった。

 自分を光らせるのは二の次でいいと。

 最近になって、それを逆にしている。

 自分が面白くすれば、試合全体も面白くなるはずだな、と。

 コスチュームなどシンプルイズベスト。

 まっさらでいい。

 試合で魅せればいい。 

 年とっても、全て勉強。


 
 缶ピースがうまい。ハイライトもうまい。

 葉巻もうまい。マニラシガーは安いのにうまい。ハバナシガーは高くて美味。

 こんなうまいものを世の中が排除しようとしている。いかんねえ。

 日本人…いや人類がヒステリックになっていく。

 江戸時代以前から、たばこは平和の象徴。

 健康な愛煙家にヒステリーはいない。断言。


 病気。

 たばこは万病のもと。

 ではない。

 不健康な人がスパスパ一日何箱も吸ってたら、そりゃ病気になる。当たり前。肺癌とか。

 砂糖も塩も酒も、不健康な人間が過剰に摂取したら、病気になる。当たり前。肝臓癌とか。

 全て摂り過ぎはいかん。それだけ。

 
 昭和はたばこの文化であった。 

 どんな所にもたばこはあった。

 害だ!とか誰も考えなかった。

 今も残る名コピー『今日も元気だたばこがうまい!』が素晴らしい。

 太陽にほえろ!のOPは、石原裕次郎さま演ずるボスが歩きながら燻らす。
 
 これほど絵になる映像は無い。

  
 昭和はみんな動き回っていた。運動が当たり前であった。

 だから癒しの為にたばこを嗜んだ。

 だが、世の中が便利になってくると、それほど動かなくてよくなってくる。

 健康から不健康へ。

 世の中がだんだん不健康になっていくと、たばこの摂取量も変わっていく。

 軽いたばこが増えてくる。

 昭和52年。マイルドセブンはタール10ミリ、なんて軽く吸いやすいんだ! とブームに。

 現在。タール1ミリが普通に。タールもニコチンも全くない電子タバコもたくさん。

 健康ってのは、人間が動き回り、関節を動かし、息を上げること。

 健康=元気、だ。

 それをしない人間が増えてしまった。
 
 今の世の中の大部分が言う『健康』とは、「あんまり動かなくてもいいけど害っぽいものは徹底的に排除しましょう、そうすれば生き延びることくらいはできますよええ」か。


 私は喘息持ち。

 小学三年生から持っている。

 地獄をたくさん見た。

 これは死ぬ、と思ったことは何度か。

 当然たばこは喘息の天敵、と思っていた。たばこ自体は嫌いではなかったが。

 小学生の頃。ある集まりのキャンプで、ある青年のたばこを試しに吸ってみた。

 両切りだった記憶。だが両切りかフィルターかなど知るはずもない。

 一吸い、いや半吸いで、あまりの苦しさに咳き込み、死を見た。もう喘息持ってた頃。

 だがやはりたばこ自体は嫌いではなく、大人の嗜みなんだなと受け止めた。

 
 後に大人になった私だが、喘息は相変わらず。

 試合の途中に発作が出た時などたくさんある。

 自らたばこを嗜むことは無かった。

 喘息あるからねえ、すぐ苦しくなっちゃうよねえ、と。

 が、飲み会では普通にたばこを嗜む人間はたくさん。最初は興味ないフリしてたが、そのうち酒が進むともらいたばこをするようになる。大学から。

 だが、ふかすだけ。肺喫煙なんかしたら死んでしまう、と思ってたから。

 
 それからどれくらい経ったか。

 うまくて強いたばこ、それは缶ピース。マジで一番うまい!

 葉巻と同じく、基本的に強い両切りはふかすものだが、たまに肺喫煙。のどごしのうまさ。

 喘息持ちの男が何故そうなったか。

 人間の持つ力。

 例えば筋トレ。

 最初は弱かった彼も、こつこつトレーニングを積むことで少しずつ筋肉が強化されていき、一年後はあら不思議、立派なマッチョに!

 これは冗談ではない。本気でやれば本当にそうなる。

 人間はなんでも強化できる。

 アウターの筋肉だけではなく、インナーの抵抗力、免疫力も。

 たばこの煙自体は、身体にいいものではない。見ればわかる。

 だが、煙を吸うことで、身体は内部の力を発揮する。

 外部の煙が来た。このままだと身体がさらに弱くなってしまう。肺を強化しなければ。

 疲れる運動が来た。このままだと身体がさらに弱くなってしまう。筋肉を強化しなければ。と全く同じなのだ。

 

 こんな感じに、缶ピースとハイライトとシガーを嗜んでるおかげで、心も体も健康そのもの。
 体は、喘息におびえていた自分がバカみたいで、今の肺活量は明らかに増えている。スタミナも。60分?普通だな。
 心は、たまにキレてた自分がバカみたいで、本当のゆとりが持てるようになった。たまに後輩に怒鳴り散らす私はもういない(笑
 後輩たちにもらったハバナシガー・ロミオyジュリエッタNo1は宝物だ。
 
 まあ、このように。たばこはいいこと尽くめだということ。百害あって一利なし? それは不健康で病的な人間だけに言えばいい。少なくとも今の私にとっては、百利あって一害くらいあんのかな? って感じか。

 まあとりあえず、昨日も今日も明日も明後日も元気だ、人生がうまい。

 たばこは人生の調味料。



gen28 at 21:18コメント(0) 

2019年11月03日

誕生日は終わる

 
 毎年毎年トシを取る。

 もう誕生日だなあ、また存在を忘れてたブログを更新しよう、と思ってたが。

 登録してたサーバーがなんか不都合あったらしくパソコンが出来なくなった。

 パソコンが無ければ更新出来ない。携帯も、今は電話とメールだけだ。ガラケーってやつか。

 すまふぉってのも全く知らない。

 ラインと何だ。

 メールアドレスが今は無いらしい。

 息子はすまふぉ持ってるが、私はラインってのはできないから、メールしたい時はショートメールにするしかない。のか?

 頭やってから7年以上経つが、そっから時は止まっている。私にとっては。
 
 頭やった後にデビューした他団体の若手の名前など覚えられない。覚える気もない。ああ、DDTの元力士、樋口はわかる。あと元坊さんの阿部。あと忍者ハットリくん。

 
 ああ、そうだった。ブログの更新だった。

 Twitter(おお、すぐ変換できるのか)という物がある。

 Twitterでは長文ができない。

 だが地球全体がTwitterで支配されているのだ。

 だから長文が書けるブログはいいもんじゃないか。今後のライブドアはわからんが。

 で、私はブログで誕生日のことを書く。



 10月28日がまた来た。過ぎてしまったが。

 ああ、そろそろ11月9日だな。79になる親父の誕生日だな。欲しいモノってあんのかな。

 私は特別、欲しいモノってのは無かった。

 だが、人から心込めて贈られる『気持ち』。

 それこそが、一番うれしいモノなのだとわかった。大人になってさらにわかった。
 


 さらに、いろんな人間たちの気持ち…心持ちが把握できるようになった気がする。

 たくさんのことをする人間、何もしない人間、生きようとする人間、死にたいと思ってる人間、いろんなことを思ってる人間、邪心オンリーも良心オンリーも両方持ってる人間もたくさん。

 人間と人間が人間を使っていろんな人間模様を描く人間たちがたくさん。

 だから人生は面白いんじゃないか。



 まあ、またゆっくりとうまいシガーを嗜もう。

 高いハバノスもいい。安いマニラもいい。

 あとシガレット。うまい缶ピースとハイライト。ゆっくりと。せかせか吸っちゃダメだ。

 リアルなゆとり。幸せな人生。



gen28 at 20:02コメント(3) 

2019年10月10日

過去現在未来


 10周年とか。最近だ。

 貴、葛西、私、神威が、旗揚げにいたメンバー。

 岡野さんもいたんだけどなあ。マンモスはヤマいってたからいない。

 所属じゃないけど、バラモンもいた。

 竹田も。

 みんなあんまり変わってない。と、思う。見かけは。

 ああ、私は変わったな。たぶん。



 10年経って、当時影も形も無かった連中が主役に。
 
 杉浦、吹本、進。 
  
 5年前は私が「このボンクラが!」と言い放ってた。変わるもんだ。特にプロレスは。
 
 10年前の平田智也は中学生くらいか。

 徳島で何やってたんだ。全く知らん。

 あどけない顔ではだったんだろう。今もあどけないが。

 ふ…リブレと鎌田は全くあどけなくない。まあハングリーなのはいいことだ。特に鎌田。


 しかし10周年とか言っても、時間は否が応でも進む。止まることはない。

 未来がどうなるのか、誰にもわからない。

 10年後、50半ばになった貴葛西マンモス私が全然主役のままとか。岡野さんが普通にいるとか。

 さらに未来、100歳のデスマッチファイター・葛西純がギネスに載るとか。


 まあ、とりあえず、杉浦透の未来を見よう。






gen28 at 00:31コメント(0) 

2019年08月18日

佐々木義人

 
 最近、ドキュメント番組に出てるようだ。

 義人、そのまんまだ。
 
 全く変わってない。

 安心した。

 義人が素晴らしいプロレスをしている。

 

gen28 at 21:42コメント(0) 

2019年08月08日

黒潮イケメン

 
 最近しばしば試合会場で会う。

 黒潮とは・・・ハッスルの時から、なのかね。練習生だったか。私はそんなに喋ってないと思う。

 で、私がまだ長期欠場してた時、2013年くらい。
 
 横浜ラジアントホールへ、松田慶三さんの興行を観に行き、その後はTAJIRIさん興行も観戦させていただいた。SMASHだったかな?

 たぶん試合前、コスチュームにジャケット着た細い若者が、私のとこに挨拶に来た。

 ハッスルの練習生でした、と。

 確かに、小さい練習生の子がいるなあ、中学生くらいかな?と見覚えはあった。

 それが今TAJIRIさんとこのレスラーか。確かにハッスルは君が入ってすぐ終わっちゃったからねえ。がんばってね。背え伸びたねえ。
 てな感じの会話をしたような。

 黒潮の試合見たが、今まで見たこと無い動き、というかプロレスの概念を覆す、というか。
 TAJIRIさんのプロデュースはすごいなあ、と思った覚え。

 たが細いな、大丈夫かな? とは思った。

 数年後、徐々に黒潮はガッチリ筋肉を付けていく。
 他団体で顔を合わせる機会も増え、どんな試合も見応えあった。

 現代の若いレスラーは大体、ずっと動き、ずっと技を出す。メリハリや強弱はあまり無い。

 だが、黒潮は違う。

 なかなか動かない。あまり技は出さない。メリハリ強弱を全て表現する。

 師匠のTAJIRIさんが全て伝授したもの。

 


                間 




                                



 2月くらい、横浜ラジアントホールで試合した。タッグマッチで黒潮と。
 
 技のやりとりなど全く無い、喜怒哀楽だけの合戦。

 実に楽しい試合であった。


 黒潮はスター。



gen28 at 14:56コメント(1) 

2019年05月01日

令和と25周年と缶ピース


 元号が平成から令和になった。
 
 平成末期は、どんどん息苦しい世の中になっていってしまった。

 誰のせいでもなく、自然にそうなってしまった。

 平成から令和へ変わるのか、そろそろ昭和に戻ろうかな。私は昭和知らないけど、もうちょっとゆるやかな時代になってもいいんじゃないかな。という意思が国民から来てるような。

 令和時代。

 嫌みで言ってた「ゆとり」ではない、本当の意味の『ゆとり』を持てる時代へ。


 
 1994年、平成6年。私は受け身を取り始めた。

 4月、関東学生プロレス連盟(UWF)所属の城西大学プロレス研究会(JWF)に入部。

 新入生歓迎試合があったので、私は当然入部。初めてのリングに胸躍り、許可をもらっていろんなことをする。バク宙とかを褒められたら、調子に乗ってリングのトップロープから前方宙返り。左足のつま先から立ってしまって靱帯を伸ばす。

 翌日、立ち上がれなかった。

 だが練習には行った。足が痛くても受け身はできるから。

 城西の練習場は自分たちでマットを敷く。コンクリートの上に薄い薄いマットを二枚敷くだけ。その上で受け身を取るのだ。

 痛い。だがやるしかない。
 高校の時にも、柔道部で受け身の練習はしたが、プロレスの受け身ってのは、自ら痛い思いをしなければいけない。
 だからやるしかない。何十回か、何百回か。

 翌日、立ち上がれなかった。

 
 
 城西道場に比べれば、どんな固いリングだろうが、大したことはない。

 受け身もグラウンド・レスリングも城西道場で培った。

 最初は戸惑った。柔道の寝技は好きだったけど、プロレスのグラウンドは違うのかな。どうすればいいのかな。
 だが11月くらいに突然目覚めた。なんだ、結局寝技と同じ。応用すればいいだけじゃないか。

 
 私には、プロレスラーとしての師匠はいない。私の師匠は、二学年先輩の高橋さん、ザ・シロート・サスケしかいない。いろいろなグラウンド・テクニックを教えていただいた。
 
 だが2002年、何故か高橋先輩はKAIENTAI DOJOに入ってしまった。入りたい入りたいと言ってた時期は、けっこう止めたのだが・・・

 そのうち高橋さんはX No.5としてデビュー。同期は旭志織とかKAZAMAとか まあ、ザ・シロート・サスケ話はそのうちに。


 1995年から、パンチ田原親方のリング・プロモーションをよく手伝うようになる。

 UWFではパンチ・プロモーションや別のリング屋さんのバイト斡旋がよくあった。だいたいUWFバイト代表が仕切ってくれてた。

 2年生までは最低限の単位は取れてたのだが、3年生からは、全く城西には行かなくなった。練習や試合の時だけ行った。
 テストよりリング屋を優先していた。

 4年生からは、レッスル夢ファクトリーの先輩、死神と加藤茂郎(JWFの大先輩でもある)から誘われ、カー・クリーニング会社にバイトとして参加。洗車や掃除、車磨きの仕事だ。
 練習も共にやった。
 夢ファクのレフェリーも何回かやった。
 もう夢ファクでデビューするしかない、と思った。
 UWFの大先輩でもある怨霊(ウルフ小澤!)にも憧れた。

 5年生。1998年。
 車磨き会社の上司が、プロレスラーになりたいと言い続けてた私に「レスラーになりたいなら新日本しかないだろう」と、突然何故か山本小鉄さんを紹介され、何故か新日本プロレス道場に行かされることに。まあ一生忘れられない一日になった。過去ブログ参照。
 
 で、夢ファクが一時閉鎖。道場も閉鎖。
 で、結局城西にはほとんど行かずに、中退届け。

 もういろいろダメか・・・と思ってたが、1999年、年明け。
 夢ファク代表・高田龍が、「もう一度やり直すぞ!!!」

 そして龍さんがこう言った。
 「ゲンタロウ、お前、デビューしろ」

 ノストラダムスの大予言ついに実現か、と思った。


 
 プロレスデビュー20周年、プロレス生活25周年。
 知らなかった方たちのために、空白の五年と何だったのか、書いてみました。


 缶ピースをふかしながら。今の私は実に健康だ。




gen28 at 23:21コメント(3) 

2019年02月08日

たばこの話

 
 どんどん喫煙者が肩身狭くなっている。

 私は、これまで滅多に吸わなかったが、最近ちょっと好きになった。

 だが喫煙者の立場になると、今はここまでヤバいのか?と思える。
 
 非喫煙者じゃなくて嫌煙者側がもう。

 いじめかね。
 
 

 副流煙もいけないものだ、とはいつ聞いたのだろう。

 中学か高校くらいか。

 最初は、ダメなものなのか、くらいしか思ってなかったが。

 何度も聞かされると、洗脳されてしまうものだな、人間は。  

 今はさらに。
 
 受動喫煙、か。そんな言葉知らなかった(笑

 
 たばこの煙。

 時は昭和。誰も嫌悪の対象とは思っていなかった。

 子供や未成年にとっては、臭いな、でもそのうちたばこ吸うんだろうな、と思ってた。

 酒と同じで、今は辛くて苦いけど、大人になったらわかるようになるんだろうな、と。

 
 未就学から小学生時代。親父やおじいちゃんや先生のたばこに触れた。

 三歳くらいの時。親父が私に「マイルドセブン買ってきてくれ」とお使いをよく頼んでた記憶。

 三歳の幼児にタバコを買いに行かせるだと!虐待だ! とか現代は言いそうだ(笑

 親父は普通にリビングでマイルドセブンを吸い、私は普通にその横でテレビ番組「ジャッカー電撃隊」を見る。いい時代だ。

 テレビを観る子供の横でタバコを吸うだと!虐待だ! 以下省略・・・

 親父はその後禁煙してしまった。実に残念だ。


 小学三年生の時、担任の北野先生はそれはそれはヘビースモーカー。 
  
 一時間目終了したら一服。二時間目終了で一服。中休みで二服。まあそんな感じで三時間目、四時間目、給食、休み時間、五時間目、六時間目、放課後とひっきりなし。 
 
 教室の机にも職員室の机にもたばこの山。灰皿どころじゃないので、コーヒー瓶に大量の吸い殻を入れていた。

 児童たち「先生、たばこいっぱい吸うんだね、くさーい(笑」
 北野先生「そうか、そんなに臭いかあー?(笑」
 とたばこの煙を吹きかける先生。
 「やっぱりくさーい!(笑」「コーヒーの瓶もきたなーい!(笑」
 児童と先生の触れ合い。みんな笑顔だ。

 そんな昭和の微笑ましい光景も、虐待だ!! になるんだろう。やれやれ。
 まあ現代は、全国民が副流煙を常識化してしまってるから、もうこれも無い・・・


 父方のおじいちゃんは80過ぎくらいまで吸っていた。
 私が小学高学年くらいまで。
 そのおじいちゃんは満94歳で亡くなった。最後まで元気だった。

 吸ってたのはキャビンだった覚え。

 灰皿を置いていたのは応接間。
 別の部屋では吸ってなかった覚え。 

 『ドラえもん』で、のび太のパパが、たばこの煙で輪っかを作る話があった。確か。
 煙を吐く時に、舌を使って輪っかにするのだ。

 私は、おじいちゃんにリクエストした。
 「おじいちゃん、やってやって!」
 「あんまり得意じゃないんだけどなあ」

 そう言いながら、たくさん輪っかを出してくれた。

 「おじいちゃん、すごーい!」
 「へっへっへ・・・」

 これも現代では虐待とか・・・

 言っちゃだめだ。
 たばこは、ふれあいのものだったんだ。

 
 タバコが病気の素になる、とか言われ始めたのはまだ数十年。

 たばこは1000年以上前から存在してるんだ。

 日本では江戸時代三百年、ずっとキセルで吸い続けた。国民の95パーセントが。

 近年まで、ごくごくごく一部以外、何の疑問も持たずにみんな吸っていた。

 今日も元気だ、たばこがうまい!

 たばこは幸せのアイテムだった。

 タバコで死ぬとか言う人間が、たばこ吸わずに病気になって死ぬ。よくある。

 何やっても人間いつしか死ぬんだ。たばこでは滅多に死なないけど。



gen28 at 16:08コメント(1) 

2019年01月31日

現在のハンセン&ブロディ

 
 タッグ王者のビオレント・ジャック&マンモス佐々木は、インディー界のハンセン&ブロディである。

 圧倒的な強さを持ち、それでいて相手の実力も存分に引き出す。

 現在のプロレス界にはなかなか無い、凄いプロレス力。

 みなさん見よう(笑


gen28 at 21:09コメント(0) 

2019年01月23日

マサ高梨将弘


 彼がいるからDDTはおろかインディー世界全体が持っている。

gen28 at 19:40コメント(0) 
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livedoor プロフィール

GENTARO

本名:Tハシ
身長:176cm
体重:95Kg
デビュー戦:レッスル夢ファクトリー 1999年5月8日埼玉・所沢サンアビリティーズ vs加藤茂郎&死神&怨霊(パートナー:覆面太郎&三浦博文)つらい思い出。
もう一つのデビュー戦:華☆激 1999年5月2日福岡・山川町勤労者体育センター vs川内大裕 いい思い出。
得意技:シューティングスター・プレス ダイビング・エルボードロップ バックドロップ 各種脚殺し
タイトル歴:KO-Dタッグ選手権、WEWタッグ選手権
、KO-D無差別級選手権、DDT EXTREME級選手権、VKF選手権、インディペンデント・ワールド世界Jrヘビー級選手権などなど15、6個
尊敬する人:偉大な先人たち、手塚先生、藤子先生
尊敬しない人:いばりんぼ、うそつき
好きな食べ物:血のしたたるステーキ

この素晴らしき人生を愛する者たちとともにおもしろく歩むとする。

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