2017年06月24日

男は


強さが無いとダメだ。

いろんな強さがな。

おい、おまえ。強さがねーな。とりあえず明日強くなれ。

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2017年06月20日

高橋源太郎二段

2003年5月。
私はDDTを退団し(いろいろあった)、またフリーとして流浪のレスラーに戻った。

けっこうオファーがあったので喜んだが、一番早く依頼してくれたのはPWCだった。

PWCは、高野拳磁さんが作った団体・・・はもう無くなったが、高野さんのお付きだったレスラー、森谷俊之さんが、「もう一度!」と再旗揚げしたのである。
(森谷さんは2012年、亡くなられた・・・ が、僕らインディーレスラーは決して忘れない。ていうか、森谷さんがひょっこり戻ってくるんじゃないかとみんな本気で思ってる。森谷さんの告別式、お骨も見たけど・・・)

PWCのブッカーは佐野直だった(笑
佐野くんはいまだに面白い。存在自体が。

「ゲンちゃん、このキャラやってよ。ファンも、GENTAROがDDT退団したらまさかこんなギミックやるとは! とか思ってくれるよ」

私のキャラは「空手家・高橋源太郎二段」・・・

私は空手なんかやったことないんだが。
中二のころ極真に凝って、見様見真似してたくらいで(自宅で・・・)。

さらに私の本名は高橋元太郎。源太郎ではない。
多分佐野くんが適当に付けたんだろう。

まあ、なんでもいいや。面白くすればいいんだね?
私は普通にOKした。


5月某日。DDTを退団した直後。
北沢タウンホールにてPWC大会。
メインイベントにて、エース維新力が勝利し、締めのコール「ひー、ふの、みー、どすこい!」

しかし音楽は鳴らず場内は暗転。何者かが数人乱入。
レスラーたちを叩きのめす。

場内は明転し、仁王立ちしてる空手家たち。ダウンしてるレスラーたち。
そして高橋源太郎二段はマイクでがなる。
「我々は世界空手連合。お前らのようなぬるい戦いにはもう我慢できん!」
みたいな。確かこんな感じだったような。
そして部下の空手家二人に命じ、維新力を立たせる。
「貴様がやってることは相撲取りのプロレスごっこよ! 思い知らせてやる!!」
確かこんなことを言って、力さんに前蹴りを食らわせる。スィート・チン・ミュージックとも言う。

世界空手連合は「このPWCを制覇する!」とか言って勝ち誇って退場。
力さんは「あいつらはなんなんだー」と疑問を呈し、改めて締め。

いや、面白かったですよ。お客さんも沸いてくれたし。

その後、世界空手連合は無かったことになったり、長瀬館長や菅原伊織やサバイバル飛田とかと組んだり、まあ、いろんなことがあり、よく覚えてない。
あ、確か飛さんとは「新ピラニア軍団」って名前だった気が。
Tシャツがちょっと売れてた気が。確かいまだに持ってる気が。

ああ、確か映像で高橋源太郎二段対GENTAROがあったりした気が。

中野ケーブルTVでPWCを放送してたNさん、まだ持ってるかなあ。

NさんからもらったDVDが一枚だけある。 

高橋源太郎二段が力さんだけじゃなくTAKAみちのくや黒田哲広や菊タロー(素顔だが)とかと戦ってる。面白い(笑
たーくさん絡んでる。菊さんにダイビング・フィストドロップやってる。飛距離がいい。

他にも高橋源太郎二段が三段になった、とか実はGENTAROだったとか、そんな映像も作ってもらってた気が。で、そばには絶対佐野くんがいた気が。



たまにはやろうかな



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2017年06月14日

現在進行形


2017年。

この世に、現在進行形で、凄く面白いものはあるか。

心躍る面白いものは。

私はスマホなど持ってないが、それでも面白いと感じられるものは。

どなたか教えて下さい。

なんでもいいんです。

例えばテレビドラマとか映画とかでもいいですね。

松田優作主演の「探偵物語」以上に面白い現在進行形のテレビドラマが。

黒澤明監督の「七人の侍」以上に面白い現在進行形の映画が。

あるんでしょうか。

手塚治虫先生や藤子不二雄先生より面白い現在進行形の漫画とかは。

美空ひばり「川の流れのように」や松田聖子「青い珊瑚礁」より面白い現在進行形の歌謡曲は。



あー、私はね。

現在進行形の自分だったら。

『筋肉の作り方』の勉強、が一番面白いね。

筋肥大とアイソトメトリックスを混合させるやり方は、とか。

ブルース・リー(神様)の身体は、現在進行形のボディビルより素晴らしい。

あ、それじゃ40年以上前のことになってしまう。でも仕方がない。



あった。

現在進行形の私のプロレスがあった。

「よかった〜」な時もあり。
「いまいち!」な時もあり。

が。

これが自分の中で一番面白い現在進行形だな。

過去よりか面白い(笑



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2017年06月13日

20世紀と21世紀

プロレスはいろいろ変わった。

私は、変わっていくプロレスをリアルタイムで見続けた。

振り返って、ふーん。と思った。

これからどうなるのかは誰も知らない。

今は今でみんないっしょうけんめい。

でも過去は人間の財産。

それでいい。









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2017年03月31日

続・宮本裕向

続編。 
社長からユウコウ潰して〜とか言われた私は・・・


言っとくが、Y社長は優しかった。
ざっくばらんな方で、どちらかと言えばお人好しの面もあった。

だからそんな社長がユウコウを潰してとか言われるとは。

何があったのかよくわからないが、当時の状況が状況だったから、社長も精神的に参ってたかもしれない。
ユウコウは多分、別に参ってなかったと思うが。

そんな私も、ただプロレスをやりたいだけで、相手を潰すなどもっての外だった。

でも一応社長から言われたことだからなあ、どうしよう・・・

そうだ! 先輩に相談するのが一番だ。
ハヤブサとミスター雁之助!! おお、両巨頭。


で、江崎さんも雁さんも、全く聞いてなかった。当たり前だが。

お二人とも、ユウコウはWMF弟子としてかわいいし、潰すなんてとんでもない。

どちらが言ってたのか覚えていないが「まあ、普通にプロレスするしかないよ。社長向けに、ちょっと厳しめにやればそれでいいと思うよ」だった記憶。

本当に普通にプロレスをした。ほんのちょっと、ちょっと厳しめに。ビンタしてしまった記憶。


数年後。

ユウコウは、初代タイガーマスク・・・佐山聡さん主催のリアルジャパンプロレス後楽園ホール大会での「掣圏真陰流トーナメント」で、総合格闘技に初参戦。
優勝・・・

宮本裕向の格闘歴:暴走族、喧嘩度胸、クソ度胸

そして普通に優勝。

つくづく、ユウコウを潰さなくてよかったと思いました。

私が潰されるとこだったんだから!!!




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2017年03月25日

宮本裕向

 
2003年5月、私はDDTを退団し、いろいろなインディー団体を回った。
その中の一つにあったのがWMFだった。

WMFは、FMWが無くなってしまった直後に出来た団体。ミスター雁之助にマンモス佐々木、怨霊、GOEMONなど。顧問としてハヤブサ・・・江崎さんもいた。

FMWなき後出来たのはWMF、とWEW。WEWには冬木弘道さんや金村キンタロー、黒田哲広、非道など。
まあ、両方とも、派閥がそのまま団体になったようなものだ。

私はDDT以前からWEWに出してもらっていたが、DDTを退団した直後にWMFからも連絡をもらった。

金ちゃんは電話で「出るなや〜・・・」と言っていたが、私にとっては生活がかかっていたし、結婚の準備もあったのだ。
だから金ちゃんに「僕、結婚しますから、両方出たいんです!」と強硬に言ってしまった。
その結果、派閥関係なく出れて実によかった。金ちゃん・・・金村さんが冬木さんに言ってくれたんだと思う・・・


WMFの巡業バスに乗った。
雁さんと初めて会った。
わあ、横浜アリーナでメインを張った人だあああああ、と密かに感激した。

そして、宮本ユウコウも、バスに乗っていた。WMF練習生として。


8月くらいにユウコウは徳島市体育館でデビュー戦をやった。
徳島はフライングキッド市原さんの地元で、体育館は超満員。

私もいた。
どんな試合をしたのかあまり覚えていないが、ユウコウの試合は覚えている。

ユウコウの試合はたくさん技を出していた。
新人の試合ってのは大体基本に忠実にやるもんだが、全然違った。
ユウコウの試合後に「こんなに技出していいのか? 本田さん(ミスター雁之助)に怒られるんじゃない?」と聞いた。

ユウコウはハッキリと笑顔で言った。「いえ、本田さんがそうしろって言いました!」


翌年くらいか、川越でWMFの試合があった。
もうけっこうヤバめの状況だった。
でもユウコウは頑張っていた。と思う。

私はユウコウとの試合が組まれていた。

当時の社長が私に言った。
「ゲンちゃん、今のユウコウ生意気だから潰してやって」

私は仰天した。
実にヤバい。

多分つづく。






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2017年02月20日

藤原組長

 
私はフリーダムズのパンフレットに、抱負として「仙人になること」と書いた。確か。

読んだ方々は、大体は何のことかわからないと思うが。

私も、具体的に書くのがめんどくさい(笑

でも長くプロレスを見続けている方たちには、何となくわかるんじゃないか、と勝手に思う。



昨日はフリーダムズの広島大会だった。

セミファイナルで、藤原組長と組まさせて戴き、竹田誠志、吹本賢児組と対戦。

近年に無い試合。

組長の凄さを体感。 

組長にとっては当たり前な試合であろうが。

組長とのタッグは、十年以上前にゼロワンでやらせて戴いた覚えがある。

しかしそれ以上、いや桁外れの試合。

同時に、私の未熟さを痛感した。

私は、また思った。

仙人になりたい。いや仙人にならなければいけないと。


藤原組長は・・・私が言うのも憚られるが、仙人である。

いや、組長以上に仙人なレスラーなどいないのではないか?


現在は休業中のウインガー・・・岡野さん。

岡野さんがいないことを痛感する。

岡野さんも仙人である・・・
 


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2017年02月10日

アイアンキングのフジワラ・アームバー


アイアンキングは、昭和47~48年に放映されていた、特撮巨大ヒーロー番組。

いまだにマニア達に語り継がれる、名作である。

で、私は、さっきアイアンキングの写真をどっかのサイトで見た。



ん・・・



何!?



これは!!



こんな写真が45年前に撮られていたのか!!!



皆さんにも見ていただきたい。

本当に、これは当時では考えられないのだ。


アイアンキング



45年前に、

アイアンキングが、

脇固めをかけているのである。

フジワラ・アームバーのネーミングはもちろんまだ無い。


柔道などに、脇固め自体はあったが、一般的には関節技はまだポピュラーではなかった。

それを、ヒーローが宇宙人相手に関節技を繰り出す場面として撮影されていたのである。

十数年後、藤原組長はサブミッション・マスターとして、各関節技をポピュラー技に。

アイアンキングは、それを予言していたのである(断言)。



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2017年01月31日

生きよう

 
死は、怖くはない。

リングはいつ何があるかわからないから。


だが、プロレスラーは、そうならないようにもしなければいけない。

しばき合いとかもやるが、相手の鍛えている部分を狙ってやっている。

はず、だ。

人体の急所(たくさんある)を狙ったら、プロレスどころじゃなくなる。

死、もある。


ブレット・ハートさんはこう語る。
「デビューから引退まで、相手にケガをさせたことが一度もない。それが私の一番の誇りだ。プロレスはお互いをリスペクトする、至高の芸術なのだ」


生と死は直結する。

だがプロレスは、そうならないようにもできる。

当たり前なのだが、当たり前ではない時もしばしば見受けられる。

世界一のプロレスラーの言葉を噛みしめよう。

死なせないようにしよう。

死なないようにしよう。

生きている間は、プロレスを一生懸命見せよう。



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2016年12月31日

終わる

 
年が暮れる。

いろいろあった。

まあ、考えることはたくさんあったが、いいんじゃないかと。

フリーダムズもいろいろあったが、いい締め括りになったんじゃないか。

2014年、半ば本気でボンクラと呼び捨てた連中が、現在ツヨクなってる。

月日が経つのはいい。

光陰。


金村キンタロー引退興行で今年の試合は終わった。

金ちゃんの試合が見れなかったのは残念だったが。

だが、この興行に、たくさんの選手が。

試合が無くてもたくさん来ていた。

いろいろあったけど、この方のプロレス人生、すごかった。


ああ、たくさんすぎる選手たちが来ていたが・・・

レイザーラモンRG(出渕誠)が来ていたのは嬉しかった。

もう全く影も形も無くなってしまったハッスルだが。

私の2004年から2009年まで、貴重な時間だった。

この5年間、私はたくさんハッスルで試合をした。

マスクマンとして、それはそれはたくさんの試合と経験を。

まあ、だから出渕氏がいたのはうれしかった。

彼は同い年だし、関西だが、同じ学生プロレス出身だし。

リング上も控室も同じ行動で、突っ込まれ役だった。

金ちゃんにも、たくさんやられていた(笑

私はよくなぐさめていたものだ。

学プロの話もたくさんした。ああ、いなかったがHGも学プロ出身だった。

HGとのシングルマッチも何試合かしたが、どれも面白かった。


さて、話は戻る。

フリーダムズのファン忘年会があったので、私は金ちゃんの試合を見れずに、帰らねばいけなかった。

控室を後にしようと思った時、思いがけず、安生洋二さんと会えた。

安生さんも、ハッスル時、たくさんお世話になったのだ。

違う形だが、私の師匠だったかもしれない。

安生さんからたくさん教わった。

最後に挨拶出来てよかった。


でも・・・

全て、金ちゃん・・・金村さんがいたから出来たこと。

金村さんがハッスルにブッキングしてくれたんだ。それが始まりだ。

現在のプロレス生活も、そもそも金村さん無くしてありえない。

いろいろ、本当にいろいろあったけど。

全てに、ありがとうございました。


いろいろ考えると、

私の人生はよかったんだな、と思える。









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2016年11月14日

岡野さんのための興行


岡野さんにすれば、「25周年?ああ、そうなんだ、フーン」で終わる。

今度の(11月17日・木)後楽園ホール大会も、岡野さんが志願したわけではない。当たり前だが。

TAJIRIさんとの試合。それもどうしても見たい!お願いします!とこっちから志願した(笑)ことだ。

TAJIRIさんにとっては岡野さんは先輩。デビュー戦も岡野さん。

ハッスルやフリーダムズ初期では、私はTAJIRIさんと話す機会がよくあり、その時は岡野さんの話をして下さったものだ。

「岡野さんはねえ、世界でも指折りの職人だよ。真似できないよ」
と田尻さんはよく言っていた。

「岡野さんは、人間というより、『岡野さん』っていう『物質』だね」
とも言っていた。

そうなのだ。
岡野さんは、感情や力学、時間などに支配されない、『物質』なのである。

そう、言うなれば、岡野さんは『仙人』である。

その時から私はわかっていたつもりだったが、まだ甘かった。
だから十年近く経って、さらに、さらに理解できた。
もっと年月が経ったらもっともっと理解できるんだろう。

その時には私も仙人になれているかもしれない。



そして、現在のプロレス界には、仙人が必要なのだが・・・。

仙人がほんの少ししかいない。

昔は仙人だらけだったんだが。


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2016年11月01日

42



私はまた、誕生日を迎えた。

本当は10月28日だが、完全にブログのことを忘れていた。

ブログで毎年誕生日のことを書いていた。

私は、42か。

まあ、現代人はどんどん(見た目が)若くなっている気がするからいいか。

子供の頃は、42などおじいちゃんに近かった気がする。

あと確か、「初老」とは40のことであった気が。

気がするばっかりだが。


そういえば、最近しばしばBENTENなんかやってるが。

初めてやったのは2001年であった。

先輩レスラーの死神が、コスチュームを用意し、メイクの女性もつけてくれた。
最初は、やりたくねえなあ、絶対こんなの受けねえよ!とか思っていたが。
死神に感謝だ。

もうやってから15年になる。どういうことだ(笑

しかし弁天小僧のキャラってのは、若いから許される気もするが・・・

私は42だ。いいのか。

まあ、ファンの方たちがいい、と思うならそれでいいし。

選択はみなさんに任せましょう(笑



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2016年09月14日

佐々木 貴

 

明日、後楽園ホールにて、FREEDOMSの佐々木貴デビュー20周年大会がある。

今月は、一関で毎年開催される地元興行も、準地元と言える横浜興行もあり、全て「20周年シリーズ」となっている。
みんな、いつの間にそういうことに?と思ったが(笑 
まあ、記念だから。


佐々木貴とは、まあまあ長い。

1999年、DDTで会話したのが初めてだったか。

DDT下北沢タウンホール大会。
私はまだ覆面レスラー、FM-TAROとして夢ファクからゲスト参戦。
DDT所属レスラー佐々木貴は、確かメイン。その時は宇宙パワーの覆面を被ってた。木村浩一郎さん扮するスーパー宇宙パワーに洗脳されたのかな?
いろいろなギミックがあったのだ(笑

私はセミかセミ前でタッグマッチでMIKAMIと当たった。
何があったのかわからないが、試合の途中、上半身のコスチューム(スポーツブラのような形状・・・)が破れた。
しかも破れた箇所が、乳首の所だった。
別に男は恥ずかしくないはずだが、隠してるものが露出してしまうと恥ずかしくなる。
お客さんは笑いに包まれた。当たり前だ。

試合後、バックステージにいた記憶。
私は、忌まわしいスポーツブラが破れて良かった〜と思えてた。これからハサミでちょん切ればいい。

隣に貴がいた。

宇宙パワーのコスチュームは着てたが、まだ覆面は被ってない。持ってたような記憶。
木村さんと組む試合ってのは、DDT所属としてそれ以上恐ろしいことは無い。
もしどこかで失敗してしまったら、ボコボコに・・・

多分、貴は思い切り緊張していただろう。
顔はこわばり、青ざめてても不思議ではない。

だから、隣にいる私に話しかけたんだろうと思う。
今までお互い挨拶くらいしかしなかったが、これが初めての会話になる。

貴は、乳首のとこが破れている私を見て、こう言った。

「SEXYですね」



それから17年。
さて、明日は後楽園だな。





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2016年08月23日

RING



私は、プロレスリングをしていることが、結構好きなんだろう。

多分。



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2016年04月21日

無題


ブログの存在自体、忘れていた。

この二ヶ月で、いろいろな出来事が起きた。

いろいろな方々がこの世を去っていく。

年月とは残酷なものだ。
 
現実とはさらに残酷だ。

天災もあり、寿命もあり、事故もあり病気もあり人為的もあり・・・

生死は表裏一体。免られるときもある。

生死に繋がらない場合でも、残酷なこともある。

だからこそ、真正直に生きよう。

ひん曲がったことや下手なことは絶対に考えずに。

真剣に、真面目に、面白く生きようじゃないか。

プロレスも同じだな。  

真剣に、大真面目に、面白くやっちゃおうじゃない。

喜・怒・哀・楽が本気で何でもたっぷりぶち込まれるように。







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2016年02月18日

佐藤光留との昭和プロレス


2月14日に、雫あきのチャリティー興行。
新木場だが場所が違う。きれいなスポーツ会場だった。
ほんわかとしたムードな興行だった。心が洗われるような(笑

ダンプ松本vsがばいじいちゃんとか凄いカードもあった・・・

で、私は佐藤光留戦。

彼とのシングルは初めてか。
タッグでも数えるほどしかやってないと思う。

彼とは、充実した試合が出来たと思う。

彼は、昭和プロレスができる男だった。

当然だった。彼はシューター・・・パンクラシストなのだから。


雫あき興行の後は夢名塾興行・・・何故か改称して夢闘派。むとうは、か。
一応夢ファクよもう一度、という名称だった気がするが。
むとうは、と聞いて、武藤派ってなんだ?と思ってしまった。武藤さんの派閥か?とか。

セミのクラッシャー高橋vs加藤茂郎、メインの渡辺宏志vs松崎和彦は、すばらしい昭和プロレスだった。

この4人の方々は私より先輩で、90年代初期からインディー界にいらっしゃる。キャリアが違う。



3月3日には新木場1stリングでFREEDOMSがある。

私はダースバラモン、バラモンシュウ、バラモンケイwithカラテバラモンとのハンディキャップ・イリミネーションマッチを行う。

昭和に結びつけると、アントニオ猪木vsラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇の国際軍団との1vs3のハンディ戦と酷似する。いやスケールは段違いですが。

だが相手はバラモン。さらにカラテもいる時点で昭和プロレスの気配は全く無い。

しかし、ダースバラモン・・・本名百田力がいる。

力道山先生の孫、百田光雄さんの息子の力がいる。

私は、その血筋と戦うのだ。

と、無理矢理昭和に結びつけみる。

まあ、力はそのことなど全く考えてないだろうが。ダースとか言ってる時点で。


おう、大事なことを書くの忘れていた!

雫あき興行の時、自分のテーマ曲を持ってきて下さいと言われていたが、完全に忘れていた。いつも持ってないので癖になっていた。

だったらどんなテーマ曲でもいいよ、と言ったが。

テーマ曲係のHさん(昭和プロレス時代からの人)が、「これどう?」とかけてみたテーマ曲は・・・

ディック・マードックのテーマ!「TEXAS FIGHT」だ!

これだ! これしかない!

前回書いた、私がディック・マードックvs藤原組長の音響係だった時のことを思い出した。

あのときかけられなかった「TEXAS FIGHT」が!! 私のテーマ曲として!!!

入場の時、私は、もうすっかりマードックになったつもりになれた。

そりゃ、ひかるんとの試合も楽しくできましたよ。

そのままディック・マードックのスタイルで行けたんですから。








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2016年01月30日

藤原組長vsディック・マードック (音響係・GENTARO)


1996年5月23日、後楽園ホール。

「藤原組5周年記念興行〜藤原喜明とレスラーな仲間たち」という興行があった。

私はパンチ田原軍団(リングスタッフ)の一員として、リングを作りに行った。

当時私は大学三年生。
だが、ろくに講義も出ず、もうパンチ軍団と学生プロレスしか考えてなかった。だから留年・中退することになるのだが。
まあ、これでよかったのか・・・ね?(笑

リングを作った後、試合中は音響係としてテーマ曲を流す役割もあった。

その時代はまだ、カセットテープが主流だった。カセットって今はあるのかな?
バトラーツでもよく音響係をやってたが、バトラーツはMDを使用していた。当時最先端テクノロジー。

選手のテーマ曲のCDやカセットをたくさん渡された。
この時もう藤原組は、船木さんも鈴木さんもいない。石川雄規さんもいない。
フリーのレスラーたちや外人で成り立っている興行だった。

主催していた、アルファ・ジャパン・プロモーションの方(社長さんだったかも)からも、いくつかのカセットを渡された。
何故か、白黒TV時代のアニメソングばかりだった。まあ、好きだったが。
これを客入りの時にBGMとして流してほしい言われた。
鉄人28号とかサイボーグ009とか宇宙少年ソランとか。

メインイベントのカードは、藤原喜明対ディック・マードック!

これは見たい!

藤原組長のテーマ曲はもちろん、ワルキューレの騎行。

ディック・マードックのテーマ曲は、曲名は知らなかったが、新日本プロレス中継でたびたび聞いたあのにぎやかな曲だな、と思った。が。

アルファ・ジャパンの方から、「テーマ曲ないから、これでいいよ」と言われた。
「これでいいよ」と言われた曲は・・・鉄人28号だった。

あの有名な、夜の街にガオー! 夜のハイウェイにガオー! だ。

これを、試合前にも客入りBGMとして流してしまうのだ。でも「うん、それでいいから」と言われた。


メイン以外の試合はあまり覚えていない。

怨霊・・・小澤さんのシングルがあった。

第一試合は、岡村隆志さん(現ドラゴンゲート社長)のデビュー戦だった、と思う。


メイン。
パンチさん(だったと思う)「ディック・マードック選手の入場です!」
沸き返る満員のお客さん。

鉄人28号を流す。
「え・・・?」
お客さんは困惑。

何故か、私は罪悪感にとらわれる。

だが、藤原組長のテーマで、お客さんは一安心。よかった・・・


試合は、名人戦としか言いようがない内容。

プロレス。


試合後、後楽園ホールの隣室である展示会場で、打ち上げパーティーが行われていた。

リング撤収が終わった私達も招待された。

展示会場に入った途端、目の前にディック・マードックの姿が。

昔からマードックはビールが大好きだったらしい。
マードックは真っ赤な顔して、ニコニコ。もう上機嫌。

すぐ私と目が合った。

目が合ったというか、マードックは優しいやさしい目で私を見おろした。

「BEER????」

私にビールを勧めてくれた。

とても飲めなかった。

小学一年生の時から見続けていた大スターから、笑顔でビールを勧められた。

もうそれで胸がいっぱいだった。

その後の記憶はない。マードックのビール、結局飲んでないかな・・・



ディック・マードックはその23日後、亡くなった。
急死だったらしい。

日本での最後の試合は、組長と。

今となれば、鉄人28号も、マードックの最後の日本版テーマ曲だったと思えば、さらなる名曲と思える。

そして、私は、会場で、生で、マードックのテーマ曲を流したんだ。

音響万歳。

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2016年01月22日

ニック・ボックウィンクルと葛西純


ちょうど、ちょうど!10年前、私はニック・ボックウィンクル様に会えた。

2006年1月22日、ZERO-MAX後楽園大会。
メインイベントで大谷さんがスティーブ・コリノとAWA世界ヘビー級選手権試合。
ニック様が立会人として来日!!!

その時のブログをコピペ・・・



レスリング・イン・ハワイ

今日はゼロワンMAX後楽園。
メインのAWA世界戦の立会人として来日したのはあのニック・ボックウィンクル!
感激して震えながら写メ撮らせていただきました。あへレフェリー感謝!
オーラバリバリ。すごい紳士だし、気品が漂っていた。世界王者かくあるべし。
しかし…世代の違う若い選手たちにはニックさんの偉大さがピンと来てないようで、全く有り難みがわからん不届き者ばかり!
「名前くらいなら知ってるんですけどねえ」
「そんなに凄かったんですか?ホーガンみたいなもんですか?」
「えっ、あの人レスラーだったんですか?道理ででかいと思いました」
昭和は遠くなりにけり。



昔は全く改行してなかったので、見やすいようにしました・・・
当時の若手たちがニック様のことを知らなかったのはショックでしたね。浪口とか。
確か佐々木義人もいたなあ。今どうしてるんだろう。復帰は無いかなあ・・・

レスリング・イン・ハワイというのはニック様の全日本でのテーマ曲。
オリジナルはほとんど絶滅していると聞くが、タイガー木原さんは必ず持っているはずだ。うん。



しかし最近、プロレスリングの勉強のため、ニック様の試合ばかり見ているが、またこんなことが・・・

1月19日新木場にて。
試合の控室で、その日のパートナーだった、カリスマデスマッチファイター・葛西純が「これ、どう? 欲しかったらあげるよ」と差し出した物・・・ 

ニック昭和57年12月に発行されたザッツ・レスラー。
レイスが、ロビンソンが、そしてニック様が。
「Mr.プロレス」
すばらしかった。
昭和57年は私も葛西氏も小学2年生・・・
ああ、ありがとう!
いや、ありがとうございます!葛西サマ!!!
これから家宝にします。


ニック様の得意技は・・・

技、ではない。

プロレスリングをすること自体、全ての動きが技・・・テクニックと感情なのである。

私はこの先も進化します。

ニック様は50歳になっても全盛期でしたから・・・ 私も。


そういえば、最近のFREEDOMSはデスマッチ団体と呼ばれることが多くなったような。

ニック様は例えデスマッチになっても、さらに「ニックのプロレスリング」の深みが増しただろうと思える。

私も、いつデスマッチがあるかわからないが、深い、深いプロレスリングをしますよ。痛いけど。

ああ、私の岡野さん、ジ・ウインガーも深ーいですよ・・・
レスリング、ルチャ、デスマッチなんでもござれです。
私は岡野さんを、現代のニック様と思っています。












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2016年01月15日

ジャイアントスイング


プロレスはいつから始まったのか・・・ 

私は、現在「プロレスの歴史」をディープに好きになってる。

力道山先生くらいの時代だと、「最近」になる。

それぐらいプロレス歴史は深い。

ルーツを辿るとリンカーン大統領の若き日とかになるし、さらに遡ると紀元前のパンクラチオンになってしまう。
まあ、今日はいい。


1920年代までは、まだロープワークもバンプも無かった。とにかく、レスリングだった。

1930年代、スタンドの攻防が増えてきた。お客さんの視線がさらに大切になってきたからだと思う。

1940年代くらいに、やっと、現在に近い「プロレス」のスタイルになる。


で、本題のジャイアントスイング、だ。


ジャイアントスイングが日本で初めて公開されたのは、1961年、昭和36年。
強豪外人ロニー・エチソンが披露。これで力道山先生からフォールを奪ったこともあるらしい。

だが、ロニーは、これは先輩レスラーのサンダー・ザボーが教えてくれたと語る。

サンダー・ザボーは1906年生まれ。
ルー・テーズでも1916年生まれだから、テーズより上の世代。

ザボーの映像をいくつか見つけたが、戦後の映像くらいしか無く、「ザボーがジャイアントスイングしている」映像は見つけられなかった。

ザボーは昭和38年に日本プロレスにも来日し、ワールド大リーグ戦に出場。猪木さんとも当たり、フロント・ネック・チャンスリー・ドロップで完勝。ザボー、この時57歳・・・
猪木さんはこの技を食らい、その後「アントニオ・ドライバー」として使用することになる。
歴史は必ず繋がる。


話は、別のところに行く。

ジャイアントスイングとは違う目的で、プロレス歴史を追っていたとき。

リック・フレアーのようなスタイルの元祖、ゴージャス・ジョージを追っていた。
試合も見たが、ゴージャスが主演した映画があった。
Alias the Champという題。
主演映画だよ!? すごいなゴージャス・ジョージ!
すごいなYOUTUBE。

1949年の映画だが、試合の場面もたくさんある。もうプロレスが「プロレス」になっている。
ゴージャスはギミックだけのはずもなく、実力もある・・・ 技術、盗んだ(笑

で、ジャイアントスイング。
試合の場面は見たが、ゴージャス・ジョージはやってない。
だが相手はエアプレーン・スピンやってる!昭和24年に!

映画は終わった。その後、何故かSPORT BEAMSってコーナー。プロレスラーたちがスパーリングぽくやってる。でもふざけあってる場面も。その後、子ども達がリングの中で、プロレスごっこの場面。でも結構本格的。上半身脱いでる。11、2歳くらいか。大人がレフェリーしてる。これもスポーツか。それとも初っ切りか。

何気なく見てたが、子どもがヘッドシザースしてる。お?と思ったらエアプレーン・スピン。逆エビ固めぽい技も。

そしてそして。

ジャイアントスイング!!!!!!!

昭和24年に、子ども達が!

ジャイアントスイングならボクだってできるぞう、と意気込める技・・・

つまり、それだけ、メジャーな技だったということだ!!!

ロニー・エチソンが日本で初披露したのは昭和36年。
その12年前には、既に子ども達も知っているメジャーな技だったのだ。
ということは、戦前からあったかもしれない・・・ 
ああ、開発者と思われるサンダー・ザボーさま。
1990年代、馳浩さんが使用されていた。
50年経っても・・・
そして現在でもWWEで使用されているらしい。
70年経っても・・・


プロレスの歴史は実に面白い。
私はプロレスラーですが、プロレスの歴史はまだ半人前です。
熟練者の方々、これからも私に教えてください!

斎藤文彦さんとか!!



















gen28 at 00:58コメント(1)トラックバック(0) 

2016年01月11日

ブルース・リーになりましょう(年齢は考えずに)

体型は・・・ だいぶ変った。

それがいいのか悪いのかはわからない。
プロレスラーとしては、もしかしてよくないのかもしれない。

前にも書いたことがあるが、私は昭和レスラーの体型になりたかった。
それっぽくなってたこともある。

ただ、背が高くなかった。


で、去年の3月から、ちょっと腹を引っ込めようと思った。
引っ込めすぎた。

ウエストサイズがどんどん減った。
ベルトの穴の数が増えていく〜


でもタンパク質をとにかく多量に獲った。
筋量は減らしていけませんから。

遠征に行くときに、バス内で我慢できずにオナラをしてしまった。
タンパク質摂取が多すぎると、臭いがきつくなりがちである。

杉浦透は「くせえ!誰!屁こいたの!」と叫んだ。
杉浦はバスの中で最も後輩だ。
誰だとか言う前に、誰かもわからないのにタメ口を聞くのかこのヤロウは。

でもこいてしまったのは私だからとりあえず謝った。「ごめん、俺だ」
「あ・・・ああ、すみません、わ、わかりました・・・」

平和が一番である。 


減量の話から放屁の話になってしまった。
閑話休題で。


体型が変ると、今までできなかった運動が、そこそこできるようになっていく。
脂肪を落とせるということは、筋肉で身体のコントロールができるようになる。

ということで、私はブルース・リーの運動をやりはじめた。

あ、ウエイト・トレーニングも普通にやってからの話。


アイソトメトリック・トレーニング。
身体をほとんど動かさずに負荷だけ増やす。これはきつい。
だが筋肉痛にはなりにくい。これはいい。
現在私は高強度のハンドグリップでいろいろやってます。リーじゃないけど。
握力だけじゃなくて、けっこう何でもできます。

さあ、ブルースの運動です。まずドラゴン・フラッグ。
高負荷の腹筋運動。さらに全身運動にもなります。これはいい。きつくてもいい!
YOUTUBEでも見てみてください。
ドラゴンフラッグ

ドラゴンフラッグ2

ブルース・リーのドラゴンフラッグに、シルベスター・スタローンのドラゴンフラッグ!









Vシット。
これも一応腹筋運動になるが・・・
普通のVシットではなく、手を付くVシット。まるで無重量状態。
腕も肩も背中も脚も鍛えられる!
vシット
リーはこれを長時間できたという・・・
私はまだ脚を曲げなければできない状態。
せめて1分間、いや30秒、脚を伸ばしてできるようになりたい。
それぐらい難しいのである。

 







ブルース・リーでなく、ジャッキー・チェンの運動。
これは1977年の映画「ドランクモンキー酔拳」の一場面。
空気いす




「馬歩」と言うらしい。まあ、つまり空気椅子だあね。
これもつらい。重りを加えるとさらにつらい。


そんなこんなで筋肉を引き締めるための運動を。
さて、そのうち成果は出るのであろうか。
血管ドクドクみたいな身体になりたいものです。
私は背が足りないから、もうそうなった方がいいかな、と。









皆さんはどうお考えでしょうかね。実は私もまだ迷ってます。
脂肪でも筋肉でもガッチリ付ければヨシ!か、時間かかるかもしれないけど、リーやジャッキーぽく、とにかく筋肉で!か。






血管
うーむ、私はまだまだだな。



















gen28 at 04:51コメント(1)トラックバック(0) 
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