2022年05月13日

映画『シン・ウルトラマン』


 えー。
 今回の長文はほぼ私文です。
 書くところないので。

  

 待ちに待った、ではなかった。

 どうなんだろう。現代の映画ってのはあまり受け付けないし。

 始まった。

 『ウルトラマン』のタイトルバック曲。
 『ウルトラQ』的曲から『シン・ゴジラ』のタイトル。おお。
 そして爆発音から『シン・ウルトラマン』へ。

 観たこと無かったら何言ってるのかわからないだろうなあ。
 だがまずこのインパクトで掴まなければいかんもの。

 なに、まず現世では怪獣がたくさん登場してくるという説明。
 ゴメス… なんだとゴメスだと!
 ぺギラだと! マンモスフラワーだと! え、ラルゲユウス!「鳥を見た」の夕日が! パゴスも! ん、てことは発表済みのネロンガとガボラとは仲間と言いたいのかな。
 でもこの着ぐるみが全て同じだということも知らない人がたーくさんいるんだろうな。ドマニア心をくすぐりまくる庵野さん。

 ネロンガの前に初登場したウルトラマンがAタイプだ!
 そうだ、一番最初に発表されてた写真はAタイプだった。
 その後Cタイプになったというか成田亨先生のデザイン通りに。
 そうか。人間と合体したからなのか。

 作曲家・宮内國男先生の戦闘テーマが色々かかる。
 緊迫するネロンガ戦、「進め!ウルトラマン」にせウルトラマン戦、ザラブ星人戦は空中戦テーマ。
 狂喜乱舞だ。
 てかここまでドマニアを喜ばせる映画など無い。あってたまるか。

 ザラブ星人「遊星から来た兄弟」編とメフィラス星人「禁じられた言葉」編、ゼットン「さらばウルトラマン」編でセリフの隅々で我々ははしゃぐ。回想できる。
 「そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン」と言うのはゾフィしかいないだろう、と誰もが思った。

 甘かった。

 当時(昭和40年代)、ビデオもDVDも無いので、雑誌のウルトラマン的記事の編集者は写真とか伝聞とか想像とかで補うしかなかった。
 ウルトラマンのラスボス・ゼットンを操る真ボス。それは宇宙人ゾーフィ。
 ウルトラマンそっくりだが悪い奴。そんなイラスト。笑えるが皆さん大真面目だった。提供者も読者も。

 後年、そんなこともあったねと懐かし記事扱いしてたものだが。
 2022年、ゾーフィは庵野さんによって生を与えられた。ゾーフィはドマニアに受けてたが、この映画で一躍メジャーキャラに。なる予定。
 ゾーフィを捏造した方はどうか名乗り下さい。表彰されます。

 てか庵野さんは宇宙警備隊員ゾフィと宇宙人ゾーフィをミックス設定されていた。

 ゾーフィはウルトラマンと「光の星」の同郷だが、ゼットンを操り地球人皆殺しを目論んだ。だがウルトラマンが人間が好きになってしまった為に抵抗し、ゼットンと相打ち。
 ゾーフィはウルトラマンを救おうと対話する。ああゾフィになってる。

 だが「私は命を二つ持ってきた」が無かったと思う。
 それがあれば完璧だったのだが。私の中では。

 でも。この『シン・ウルトラマン』はメジャー映画なのだが実はドマニア映画でもあった。
 初代ウルトラマンの庵野さん版リメイクであった。

 最近の俳優さんはよく知らない。知ってる人もいるけど。
 だからドラマ部についてはノーコメント。
 巨大フジアキコ隊員が巨大長澤まさみだったのは素晴らしかった。
 須山さん、私当たってましたよ。ええ。
  
 おおそうだ、666のK666選手、にせウルトラマンの中身!
 もう公開されたからいいですよねケーロクさん。
 背高いから、そりゃ古谷敏サマにもなりますよ!

 映画館行ったのはいつだろう。
 息子と一緒に『仮面ライダー1号』行った以来か。
 最近な感覚だが息子はもう大学行ってるし。

 時は経つ。



gen28 at 23:54コメント(0) 

2021年12月16日

初代ウルトラマン

  
 もう年末だ。ライブドアのブログはまだ出来る。息子のたくさんの写真が無くならなくてよかった。持ってないから。HGの「フォー!」とか。時は経つ。早い。光陰矢の如し。

 誕生日はとっくに過ぎたが。アラフォー〜アラフィフなどそれこそ光陰。瞬きしたらトシも食いました。そんなもんだ。

 2009年初頭、アパッチ末期。私はリッキーさん、中川浩二さん、岡野さんと「アラウンド・フォースメン」のユニットを組んだ。フレアー様のユニット「フォー・ホースメン」のパロディでしかないが、ベテラン&試合巧者のみのユニットには変わらない。その時はリッキーさん43歳、中川さん39歳、岡野さん35歳、私34歳。岡野さんは四捨五入したらアラフォー。私は… 数え年なら35。だからもうアラフォー。まあなんかトシ食いたかったんですよ。

 で、現在。みんなアラフィフ。リッキーさんは56。今は何て言うんだろう。アラシックスティ? ああアラ還(暦)か。岡野さんはどこにいるのだろう。行方知れずから5年経つ。その時はまだアラフォーだった。

 でも「岡野さんいなくなってから5年」と言っても「最近」な感覚。しかし平田智也が岡野さんに会ってないというのはショックだったというか。え、今はキャリア丸4年なのか。ああ、そりゃ岡野さん見てない。仕方ない。で私が智也のデビュー戦の相手したのは先月くらいだったかな。
 頭やって来年で10周年。すなわちそっから全て「最近」な感覚。ずーっと同じ調子でプロレス生活は続く。車椅子おむつ言語障害の病院生活が三、四年前のよう。アラウンド・フォースメンは一昔前なんだが。

 だがプロレス界はどんどん変わっていく。全く知らない他団体の選手なんかたくさん。顔は覚えてるけど名前まで覚えてないとか。花鳥風月のハットリくんは覚えてる。そりゃそうだ。

 百田さんの息子、力は忘れない。ずっと一緒にいるし、何といっても日本プロレス界創始者の血筋である。
 力道山先生の法要が毎年12月15日に行われ、毎年いろいろなレスラー関係者が呼ばれる。
 ここ数年私も呼んで下さるようになった。貴と一緒に。
 
 今年百田さんが癌を公表されていた。余命一ヶ月と言われたが元気に回復された。プロレスラーである。

 ご法要でも、しっかりと立っていらした。
 私は「百田さんとまた試合したいです」と言った。
 プロレスの神髄を知ってる方との試合。それが私のライフワーク。だと思う。


 ご法要の後、大体会談タイムになるが、力が「ウルトラマンの方がいらしてますよ」とかしきりに言っていた。何だろう? 前どっかでウルトラマンネオスに変身する隊員が来た時があった気がする。アパッチの新木場で新宿鮫アニキと伊藤豪さんがウルトラマンメビウスのスーツアクター和田三四郎さんを呼んでた時もあった。あの時は興奮した。
 またそんな感じなのかな、と思ったが。

 私は神にお会いできた。

 初代ウルトラマンの古谷敏さん。バルタン星人やレッドキングやゴモラやゼットンと戦った方。
 スーツアクター? そんな呼び方など当時は無い。中身、である。
 『ウルトラセブン』でもアマギ隊員として。セブン最終回。もう瀕死のダンだがゴース星人に囚われたアマギ隊員を救うべく、必死に止めるアンヌに「アマギ隊員がピンチなんだよ!!」と叫びセブンに変身する。私はセブンがウルトラマンを救うんだ、と最近の解釈。
 閑話休題。古谷様の長身、スラっとした美しい体型。それが初代ウルトラマン。昭和41年の初放映から55年経っても全く同じ。78歳ですよ? それが『シン・ウルトラマン』でまた公開される。現人神です。

 古谷様とお話でき、一緒にスペシウム光線でお写真を。撮影して下さったHASEGAWA選手ありがとうございます。家宝です。

 感無量でリッキーさんに「ウルトラマンですよおおお!」と騒いだら、「ロビンか?」

 
 いろんな人々、いろんな事情、いろんな感情、いろんな歴史、様々なことで現状がある。
 昨日の出来事も。
 力道山先生、百田光雄さん、奥様、力選手その他大勢さんのおかげなのです。
 そういうものです。
 いい日、忘れられない日であった。





gen28 at 16:29コメント(0) 

2021年08月07日

保坂さん


 優しい先輩でした。

 いつもニコニコしてました。 

 札幌で、試合後倒れた時にいち早く介抱して下さった恩人でもあります。

 復帰した後も、よく一緒に試合できました。パートナーだったり対戦相手だったり。

 その度に「やはり『20世紀レスラー』は『21世紀レスラー』とは違うぜ」と思ったものです。

 頑丈、豪快、でも花のようなプロレスラー・保坂秀樹さん。 
 
 ご冥福をお祈りいたします。





gen28 at 14:20コメント(0) 

2021年03月19日

ザ・シロート・サスケ 完

 
 1996年。ヤブサメな私が三年生になり、高橋さんは就職。

 私はもうプロレス生活しかやらなくなった。
 UWF活動とパンチ田原親分のリング屋だけ。
 大学の講義はロクに、いや全く出なくなった。教科書も全く買ってないし。
 高橋さんはヤクルトに就職。ちゃんとしたサラリーマンへ。
 
 11月3日、高橋さんは城西大の学園祭、高麗祭でOBとして出場。
 城西2年の直属後輩・ロバート(後にライト王者へ)とシングルマッチ。
 ザ・シロート・サスケは全く変わってなかった。ラ・ケブラーダ
 最後はクイックだったが、それもらしかった。相手を光らせるという当たり前のことが当たり前にできるレスラーはなかなかいないものだ。過去も現在も。


 1997年、四年次だがダブって三年生な私。まあ大学など行かない生活は同じ。
 死神と加藤茂郎さんとこで働き始める。夢ファクへの足掛かりとか思ってたような気も。これが私の就活だったか。もしかして。
 高橋さんはこの年は試合やってなかったかな。

 1998年、私は五年次。一応四年生になってたのかね。よく知らない。
 11月の高麗祭でザ・シロート・サスケとヤブサメがタッグを組み、直属四年生ロバートと専修四年小沢むけんじ(彼はウマい)と対戦。ロバートの地元引退試合でもあったが。まあとにかく高橋さんとタッグを組むことが出来たのがうれしかった。三年時にはもうマスクやめてたのだが、ロバートのリクエストもあったし、飛べる強いマスクマンコンビ!だったらやるしかないと思えた。二人で飛んだ。考えたら組むのって初めてだったような。


 さて、ちょっと飛んで2001年。
 私は今は無き喫茶店新宿RANZANへ。高橋さんから呼び出され、相談されたのだ。
 KAIENTAI-DOJOに入りたいと…
 私は仰天。
 九州でデビュー前の旭志織に相談されたばかりだった後だったし。
 私はプエルトリコでコーチやった後に帰国。半ばあそこはもういいやね位に思ってたんだが、ファン側にはまだ幻想はあったらしい。ヒロキとウラノがプロレス界自体にちょっと痛い目に合ってた時でもあったが。

 私も諸手を挙げて歓迎など出来ない。ちゃんと仕事持ってる高橋さんがプロレス入りってのはやっぱり。昔も今もそういうのは変わらない。
 んー、あんまり薦めませんよ、くらい言ったかな。長いことRANZANにいた気がするし、高橋さんは言葉は柔らかいが頑固なとこもあったから色んな反論があったような(笑

 
 2002年。K-DOJO旗揚げ。結局、高橋さんは志織やKAZMAなどともに四期生として入門する…
 私はすでに旗揚げ前に、たかみち代表と意見が合わない為クビになり、DDTへ。別れ別れ。

 高橋さんはX No.5としてデビュー。
 マスクマンユニット、X'sメンバーとしてだったが。シロート・サスケとは随分…
 「お前もっと太れ。デブで飛べるルチャドールいるから、そんな感じになれ」とたかみち代表に言われたらしいが…
 高橋さんはハンサム。今で言うイケメン。X No.3、後の円華も抜群のイケメン。たかみち代表はイケメンほどマスクを被らせるクセがあったような。

 2003年、私はDDT当時社長と衝突した為にクビになり、フリーに。
 逆に仕事も増え、いろんな団体から声がかかる。K-DOJOにも。
 
 K-DOJO控室ではプエルトリコの雰囲気がまだあり、楽しかった。
 その中に高橋さんは普通にいた。高橋秀彰さんは「秀ちゃん」と呼ばれていた。それはいいのだが、「いじめられ」ではないが「いじられ」役だった。どっちかというと。

 俺の先輩が、俺の後輩たちにいじられてるだと?? おいおいテメーらふざけんなよ。
 半ば笑いながらではあるが、Kの後輩たち、特にヒロキに言った記憶がある。まあヒロキも笑ってたが。

 2004,2005年あたりに、高橋さんはK-DOJOを辞めた。
 まあ、やり甲斐は無かったろう。見てたらわかる。
 夜どっかで車運転してたら高橋さんから電話が来た。俺、カイエンタイやめたよ、と。
 突然ではなかったし、長いこといなかったし。やっぱりか、とは思った。
 いろんな話をした。でもいつか、後楽園ホールでまたシングルマッチしましょう! と言った覚え。

 高橋さんはプロデビューして、何かを残せてたはずだと思った。
 X No.5はみちのくプロレスにシリーズ参戦した記録がある。対戦カードか熱戦譜か何かをどっかで見たような。
 その中に、ザ・グレート・サスケ対X No.5があったはず。
 
 これは!

 ザ・グレート・サスケvsザ・シロート・サスケがここに!!

 高橋さんは学プロのトップレベル。ウマいことはみんな知ってるはず。ザ・シロート・サスケのことも誰からか聞いてるだろう。ザ・グレート・サスケvsX No.5=ザ・シロート・サスケ。このマッチメーク、テッド田辺さんやサスケ会長など頭柔らかいみちのくならやってるはずだ。
 このカードを目にした時はもう高橋さんはKを辞めていたと思うが。


 
 2020年1月。FREEDOMS東京ドーム大会(笑 まだコロナ騒動の前。
 試合前か後か忘れたが高橋さんがいた。いらっしゃった。随分久しぶりでうれしい。
 ガラケーだった。同志だ。今もそうだったらいい。
 「元太郎のブログに俺のこと書いてないの? 書いてよ」
 滅多に書きませんがやっと書き終えました。一年以上経ちましたが。
 
 そして一番聞きたかった、ザ・グレート・サスケvsザ・シロート・サスケ! について。

 「ああ、カードは決まったんだ。みんなこれは面白い!ってね」

 やっぱり! で、どうでしたか!?

 「でも直前にヤマいっちゃってね。できなかったんだ。残念だけど」

 

 …ザ・シロート・サスケvsヤブサメ、またどっかでやりましょう。また。


gen28 at 20:52コメント(0) 

2020年12月31日

大晦日だよ


 2020年が終わる。
 ケムール人の時代はもう無い。

 人々は暗闇の一年だったろう。
 私もいろいろあったが、どっちかというと筋肉が向上したからよかったと思う。
 人間のインナーマッスルは凄いものだ。
 首、肩、腰、膝などの関節部を動きやすくする。
 この一年、試行錯誤を続け通した。
 結果、私はまた若返った。
 股割りが三十年前より柔らかくなった。
 鼻をつけるブリッジは三十年前以来か。
 小学生の時は胸をつけれたからさらなる精進が必要である。
 
 葉巻は人間の心を豊かにする。
 この二年で短気が無くなった。
 後輩に怒鳴り散らしてビンタをふるってた自分はもういない。と思う。多分。
 こんないいものがあるとは、嗜むまでわからなかった。
 キューバは絶対に滅びてはいけない国。

 来年はいい年にしなければ。
 さっきコイーバを嗜んだから多分大丈夫だ。
 いいアラフィフはまだこれから当分続く。


 

gen28 at 23:58コメント(0) 

2020年12月01日

続 ザ・シロート・サスケ

 
 よくわからんがlivedoorが終わるってことなのかね。

 
 1995年、私は二年生。

 ザ・シロート・サスケの高橋秀彰さんは四年になり、就職活動スタート。

 会長ぷよぷよの為貝政巳さんも三年からマクドナルドに入り浸り。結局マックに就職したんだっけか?

 実践部員の三年生はもう一人しかいない。しょっぱすぎるパット・パット・ナム。
 当初は彼が会長となり、どうなることやらと部員全員が暗い気持ちになったが、ナムは当時流行りの自己啓発サークルに入り洗脳され、さらに後輩部員から二十万くらい取って次々勧誘。それが新歓飲み会で明るみに出、練習後に全員での会長追放劇となった。その時は高橋さんもいたはず。ナムの最後の捨て台詞「今にわかりますよ」は今も語り継がれている。
 入ったばかりの一年、リングネームどろぼうの生城山は自己啓発に染まりきってたと思われたが、なんとか我々が洗脳を解き、その後もプロレス活動を続け、UWFタッグチャンピオンとなる。よかったよかった。

 そんなわけで一応私が会長になったが、プロレス自体はまだダメダメが続く。春を過ぎ、夏を過ぎても自分のスタイルがよくわからなかった。

 俺は何をやりたいんだっけか?

 黒ショートとか黒ロングで赤い帯とか青い忍者コスチュームとか変えても仕方なし。わからんだけ。

 ルチャやりたいとかはもう無くなったが、飛ぶマスクマンになりたい欲はあった。ザ・シロート・サスケの存在もあった。越えたい!とも思った。

 
 10月、城西の昼休み興行で「ヤブサメ」は誕生した。

 江崎英治はハヤブサとなった。ハヤブサは獣神サンダーライガーにシューティングスター・プレスをやった。俺もできる。飛べるマスクマン。最高じゃん。俺がやりたかったのはこれなんだ。多分。

 ハヤブサをモジんなきゃな。確かヤブサメって言葉があったような。

 こうしてヤブサメは誕生したが、流鏑馬という歴史用語は詳しくは知らなかった。
 
 マスクは水道橋のプロレスショップで買った。メヒコ製のよくわからないパチモンマスクだった。コスチュームもあるモノであり合わせてゴマかした(なんか、それから25年経っても私は高いコスチュームを買い求めることがあまり無い気がする)。

 メインイベント・JWF選手権試合。王者ザ・シロート・サスケ対挑戦者ヤブサメ。

 まあとにかく無我夢中だった。
 いろんなことをやってみた。これまでやったことないこともやった。ルチャ、もやってみた。
 高橋さんは私の可能性をたくさん引き出してくれた。
 
 試合後はもうボロボロになったが、私はうれしかった。
 高橋さんとシングルが出来たんだ。たくさんの技を受け、やれたんだ。
 観客からたくさん大歓声が来た。今までほぼ無かったのに。
 俺はレスラーになったんだ! レスラーになれたんだ! と思えた。
 ほぼ高橋さんが私を光らせたということもまだ理解できなかったが。

 
 11月3日、城西大の文化祭・高麗祭。UWFの本興行。
 私はメインイベントで法政3年生のまん小地沢さんとシングルマッチ。
 こっちーさんはUWFタッグチャンピオンだが、タッグもシングルも素晴らしい。中心となる3年生の中では一番である、と思えたからこの試合を志望した。

 結果は… ダメだった。
 技はたくさん出した。だがプロレスリングになってなかった。戦ってなかった。その後こっちーさんは「俺も悪かったよ。とにかくガンガンやんなきゃと思っちゃってさ」と語るが、全くついていけてなかった自分が悪かったのです。
 地元の引退試合を終わらせた高橋さんも褒めてなかったと思う。複雑な表情だったような。
 加藤茂郎さんたちレジェンドOBの方々は慰めてくれたが、こんにゃく男爵さんが「もっと相手を焦らせなきゃ!」と言って下さったことは忘れられない。

 
 11月半ば。専修大学の鳳祭。毎年たくさんお客さんが来る体育館でのUWF本興行。実にプロレスな空間だ。気分も乗る。
 夜が差し掛かった第二部の真ん中くらいの試合だった。JWF選手権試合、王者ザ・シロート・サスケ対挑戦者ヤブサメ。ここで再び組まれた。他大なのに。高橋さんが専修会長・桂のみ助に言ってくれたのかな? 高橋さんが、私が元太郎をこの本興行で輝かせなければいかん、と思ったか…

 試合前、当時UWFライトチャンピオン(伝統の!)だった東海3年のパーマン2号がニヤニヤしながら私に対し「お前の(城西での)試合、全く評価されてねえらしいなあ。ヒヒヒ」と言った。私は「ええ、知ってますよ!」と言い返した。

 このイヤミにも燃えた。

 目いっぱい戦えた。
 いろんなことに対しても。不甲斐なかったヤブサメにも。

 飛んだ。サスケスペシャル2を初めてやった。

 ヤブサメ勝つか?
 そういう場面を作れるか作れないか。それがプロレスの力量である。

 勝てなかった。

 だがこの場で、こういう試合が出来た。技術と気持ちの試合を。

 そう、試合は気持ちを出すもの。

 高橋さんは試合後、リング上で私に囁いた。

 「勝ち負けじゃないぞ!」

 涙声だった。



 へべく。

gen28 at 22:24コメント(0) 

2020年11月11日

いいプロレスリング


 11・10の後楽園。

 実に激しく楽しい試合であった。
 
 マンモスもジャックもリアル・プロレスラー。

 高岩さんはやはり素晴らしい。

 私の人生に新日本の方々がたくさん関わっていてよかった。

 ずっと毎日が充実している。暮らしも。

 いいアラフィフだ。

 

gen28 at 23:53コメント(1) 

2020年10月08日

ザ・シロート・サスケ


 私の師匠の話。
 
  
 1994年4月。私は一浪後に城西大学に入学。
 
 現役で入学した友人が、我が城西大学プロレス研究会(J.W.F)に先に入っていたので、私は入りやすかった。4月下旬の新歓興行の時はもう普通にいた感じだ。

 学生プロレス。80年代後半から90年代前半は学プロ全盛期。TVでよくやっていた。

 プロレスファンは「ケッ、素人のクセに何やってんだ」と貶してたもんだが、それは嫉妬でもあった。「素人」といってもプロレスのやり方など普通誰も知らない。学生プロレスはギャグもあるがストロングもある。ストロングスタイルを学生がやってる。そんなバカな! どっかで楽してるんだ、そうに決まった!!

 私も最初はそうだった。だがそのうち、実践する学生たちがうらやましくてしょーがなくなった。
 大学行くならもうこれしかない。もうプロレスできないなら学生プロレスやればいい。と、そう思った。この時点では。UWFが学プロメジャーとも知らなかった。

  
 高橋秀彰さん。ザ・シロート・サスケ。城西大学三年生。三年はもちろん主力。

 新歓興行は生で見る初めての学プロであった。

 高橋さんの試合を観て、何がシロート⁇ と思った。

 動きもスピードも空中技もズバ抜けすぎ。

 あこがれの存在になるのはすぐだった。


 先輩は四人いたが、二人は二年(ヘタクソ)と四年(就活中)で、三年の為貝会長もあんまり練習に来ない。結局教えてくれるのは高橋さんしかいない。 

 やるのは受身からプロレスリングのグラウンド基礎をみっちり。

 柔道やってたから大丈夫だろう、とか思ってたがそうでもなかった。

 細かい技術がたくさんある。

 高橋さんは色々教えて下さったが、自分としては最初は面倒くさかった。

 一年生は試合では大技など御法度。とにかく基礎をやれ!

 秋までは、私はダメ組だった。大技やりたがり。

 なんで大技ダメなんだよ。上級生やってるじゃねえか。

 先輩たちは基礎があるから大技が映える。そんなことも理解できなかった。ガキだ。

 
 5月からまた試合が続く。
 UWFは4月から11月まで全て合わせて30興行はあった。
 私が出場できた興行なら、ザ・シロート・サスケの試合は穴が開くほど見れた。セコンド付くのが義務だから、サスケを間近で観戦できることは喜びであった。

 今でも言える。ザ・シロート・サスケは素人ではなかった。
 他とは全て段違いであった。
 これはウチワの話だが、ザ・シロート・サスケを上回ってたと思えるのはリッキー・スキンボートだけではなかったか。

 8月。青森でのみちのくツアー。選ばれた選手しか出られないので私は当然不参加。9月にザ・シロート・サスケ特集ビデオを部員たちと鑑賞。
 ザ・グレート・サスケ自身が実にホットな時代、少年少女たちが例え別人でもザ・シロート・サスケにも熱い視線を送る。大コールを送る。試合後は何十人もの子供たちが群がる。一人の少女が涙ぐんでいる光景。感涙か。
 子供たちも大人たちもザ・シロート・サスケの動きに感嘆しているのだ。本物サスケに近い人物がそこにいる。本物と思っている子供老人がいたとしても、それほどのプロレスを魅せたのだ。

 十年後、ザ・シロート・サスケはリアルなザ・グレート・サスケと闘うこととなる。
 これはまた・・・


 
 みちのくツアーのこんな凄いビデオ観てしまうと、そりゃ「自分もこんな試合をやってみたい!」と思ってしまうものだ。

 私も試合をけっこうやってきたし… そろそろいいんじゃない?

 「で、次の試合ではルチャやりたいんですよお」

 「・・・君はちゃんとやりなさい!」

 真面目な高橋さんに一括された。

 ルチャはメヒコ流レスリングのことだが、飛び技たくさんできるスタイルくらいに思ってなかった。ホントに愚かだった。


 10月中旬、城西の昼休み興行。三試合だけの小規模な興行だから、今日はいいだろうと思い、高橋さんにも許可をもらい、シューティングスター・プレス。
 ルチャやるわけじゃないし、、地元ならいいんじゃない、と高橋さん。寛大な先輩でよかった。

 悪い噂は早い。うっかり八兵衛が一年生の分際でシューティングスターをやっただと? ふざけるな。面と向かって怒る東海明治法政など他大学の先輩はいなかったが、その代わり雰囲気でヒート買ってるのは大体わかる。

 高橋さんがやっていいと言ったんですよ! と懸命に弁解したが、元々やりたがりの奴が何を言おうが元の木阿弥。ガキ。

 高橋さんも実は一年生の時、ムーンサルト・プレスを使っていた。
 だが寡黙で真面目でちょっと弱気な高橋さんが先輩に嫌われることもなく、新人賞候補にもなった。私とは違う人格だ(笑。

 
 26年前のシューティングスター・プレスに思いを馳せてつづく。




gen28 at 02:23コメント(0) 

2020年07月04日

黒アゲハ

 
 マンションの廊下に黒アゲハが横たわっている。

 ピクピクわずかに動いている。

 40年前、小田原の中島保育園でよく黒アゲハを見た。普通のアゲハやキアゲハよりたくさん見た気がする。カラスアゲハもいた。まだ自然はたくさんあった。
 
 最近、死にそうな昆虫をちょくちょく見る。かわいそうだが寿命は仕方ない。が、私の寿命も近いということか。それはそれでいいかな、と思った。

 
 数時間後、黒アゲハはもう動かなくなっていた。
 
 死に場所がこんなとこなのはかわいそうだと思い、黒アゲハをつまんだ。

 すると、黒アゲハは突然暴れだした。

 私は驚いて黒アゲハを離した。

 黒アゲハは羽をバタバタさせ、懸命に逃げようとしている。

 もう跳べないのに、地べたで這いつくばって懸命に跳んで逃げようとしている。

 黒アゲハにとって私は巨大な敵だろう。敵に捕まって殺されようとしている。だから、殺されてたまるか、生きるぞ!と必死になっている。
 
 死ぬ間際まで、最後の最後まで、生を捨てようとは思わないのだ。いや死ぬ間際など思いもしないだろう。最期の瞬間まで。


 私は黒アゲハを尊敬した。

 這いつくばる黒アゲハに合掌し、そのまま去った。


 私も、最後の最後まで全力を尽くそう。

 死ぬ間際はまだまだ遠い。




gen28 at 21:35コメント(1) 

2020年06月12日

人間は強い

   
 『超満員札止め』という響きは今後あるのかと憂う今日この頃。

 なんか現代社会はみんな悲観的になりすぎているが。
 
 大丈夫だ。

 立って歩けるなら、走れるなら、ウイルスごときでは死なない。

 さらに強い精神力でもあれば鬼に金棒。

 我々は満員電車でも平気な日本人だ。

 強い。


 久々の試合だったが。

 欠場してた時を考えれば、大したブランクではない。

 いつも通りの試合をした。
 
 これからもいつも通りの試合をする。

 毎試合ベストバウト。毎興行超満員札止めだ。
 

gen28 at 00:33コメント(0) 

2020年05月23日

26年前のデビュー戦


 1994年5月。私は横浜国立大学の学園祭にてデビューした。

 インターネットは便利だからすぐ検索できる。
 学園祭の土曜日は一番賑やかだから、5月28日だろう。
 春は清陵祭だったか。

 当時、関東学生プロレス連盟(UWF)は人数が多く、興行は大体二部制。だがこの清陵祭では三部まであった。それほど活気があった時代。

 私は第三部の第一試合でデビューした。

 タッグマッチ。横国の一年生、古賀とタッグを組んだ。 
 私のリングネームは『うっかり八兵衛』で、古賀のは『ちん古賀かゆい』。
 大体一年生のリングネームは先輩から強制的につけられる。仕方がない。
 現代はこれさえも「虐待」になるのかねえ?知らんが。

 相手は私と同じ城西一年の南だったような。
 リングネームは『まんじるなみなみ』で先輩から強制的に…もういい。
 あとは確か、東洋大一年の『東洋のOB』だったかな? 現役入学の年齢のはずだが見かけが見かけなので先輩から強制…
 二年後、彼のウマさは群を抜く。私は彼のバンプ技術を盗み取る(笑
 
 古賀は半年でやめてしまったが、実に惜しかった。
 好きなレスラーは木村健悟と木戸修、という時点で渋すぎた。
 先輩達と好みが違い過ぎたのかね。おとなしかったし。
 そういえば、DDT初期の佐々木貴を見て「あ、ちん古賀かゆいがこんなとこに!」と一瞬驚いた記憶が。実に似ていた。

 試合は、あまり覚えてない。ほぼ無我夢中だし、大したことはやってないし、我がUWFは一年坊主は下っ端下積み当たり前、派手な大技などやろうもんなら村八分だからいい子になってるしかない。
 
 だが、無我夢中でも記憶に残る動きはあった。
 フロントヘッドロックを取ったまま、身体ごと滑らせて自分の右腕で相手の左腕をネルソンしてローリング・テイクダウン。まあその時はそんな用語よく知らないが。
 
 あとは、ネックブリーカー! 
 いまだに使い続けているネックブリーカー。ネックブリーカー歴26年。
 目論見はあった。
 一年坊主は基本的に大技禁止。ボディスラムとドロップキック、腰投げはいいがブレーンバスターやバックドロップはいかん。
 でもネックブリーカーやりたいなあ。若手時代の猪木さん使ってたらしいし。これどっちなんだろう? まあそんな派手じゃないよねえ。やっていいよね、ね、ね… あ、やっちゃった。
 
 試合後、結局周りの先輩達には何も言われなかったが(大体見てないだろうし)、当時学芸大二年の猪熊んちょ先輩(多分)が「ネックブリーカーやってたねえ」と言ってくれた覚えはある。笑みでなく複雑な表情だが。
 
 これが私の、全ての始まりのデビュー戦であった。
 まあ夢ファクのデビュー戦とは比べ物にならない良い想い出ではある。 
 第三部だからもう夜。ナイターという状況もよかった。
 
 まあネックブリーカーはずっと使い続けます。


 同日こんなことがありました。
 第三部後半のタッグマッチ。
 私の師匠ザ・シロート・サスケの、目に焼き付いて離れない名試合。
 トラブルが起きる。サスケ師匠のパートナー・当時法政三年のまったり斉藤先輩が骨折。
 サスケ師匠ががんばるしかない。
 が、相手は怪物アンドレ・ザ・ブッタマンだ。強すぎる、もうダメか、終わりか。
 しかし! 一瞬のスキをつき、アンドレに回転エビ固め!!
 この圧倒的対格差、しかし丸め込んだ!! まさか!!!
 カウントスリー!!!!!
 夜の横浜国大が揺れた一瞬であった。

 サスケ師匠との想い出はまた。
 


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2020年04月09日

私は一度死んでいた


 だからウイルスごときにやられはしない。

 世界中、元気が無いが。

 元気があれば大丈夫。

 元気は万病を治す。

gen28 at 16:03コメント(0) 

2020年04月01日

生きよう


 健康に。
 
 元気に。
 
 冷静に。

gen28 at 23:44コメント(0) 

2020年02月28日

Don't think, feel. 

 
 2月23日、石川雄規さんとシングルマッチをする。

 唯我の興行で。バトスカフェ、か。このカードを組んでくれた唯我に感謝。

 15分間、ひたすらグラウンド・レスリングだけ。
 
 なかなかこんな試合できるものではない。

 石川さんは、トーイさんは、私にいろんなものを伝授して下さった。

 そしていろんなことを思い返した。 

  
 格闘探偵団バトラーツには1996年から。

 最初は、リングスタッフ・パンチ軍団の一員としてたびたび。

 初期バトラーツは藤原組から移動した選手。

 石川さん池田さんフナキさん臼田さん小野さん田中さんアレクさんヨネさん。レフェリーは島田さん。

 リングも一緒に。

 特にアレクさんのリング作りは素晴らしかった。
 私はいまだに、アレクさん流のキャンバスの張り方を後輩に教えている。

 私は音響もやってた。

 皆さんのテーマ曲を流す係ってだけだが。

 日高っちょ、いや日高郁人さんのデビュー戦IN後楽園ホールは忘れられない。

「(デビュー戦の)テーマ曲流してくれてありがとう!」と何度も言って下さったものだ。

 ジュンジさんと土方選手(八木くん、と呼んでた。今もか)はまだ練習生。

 私はそのうち夢ファクに入り浸り、バトとは疎遠になってしまった。

 
 2001年夏、プエルトリコのKAIENTAI-DOJOから帰国してすぐ、バトラーツの覆面レスラー「ミスターさかい」として参戦することに。
 焼肉屋さん「さかい」がバトラーツのスポンサーだった時。「空いたジョッキは許さない」がキャッチフレーズだったか…

 私をブックキングしてくれたのは小坪さんだった。
 時期は違えど夢ファクとバトラーツ両方いたのはつぼさんだけだ。
 
 まあでも格闘スタイルやるわけでもないので第一試合で「プロレスルール」をやってた。大体パブロ・マルケスが「ブラックさかい」とかやってたような。
 
 カイエンタイが旗揚げ間近なので他にも、サンボ大石とか真霜とかともやってたような。一応私もカイエンタイであったので。てかパブロは今どこにいるんだろ。確か同い年。まあいい。

 ああ、12月に真霜とやった時にヒザの半月板やっちゃって、二週間後DDTのビッグマッチの予定あるんで手術せずにひたすら安静安静。欠場したのは福岡球場大会だけで他の試合は普通に。安静どころではない。20代は元気だ。

 
ミスターさかいはその後ちょっと出ただけで終わってしまった。
だが、バトラーツにしばらくいたことが私の自信になった。
「プロレスラー」だから経験できたことがたくさんあったから。いろいろ。

 離合集散たくさんあっても、バトラーツ選手たちとはたくさんいろんな会場で一緒になる。いまだに。25年近く経ってもいろんな話ができる。

 後年バトラーツに集まった若者たちもなぜかたくさん一緒に。

 さーくんやのけいタケシマとか。たくさん試合した。

 バトラーツとの試合は、だいたい面白い。

 さーくんとの60分フルタイムとかね。

   

 Don't think, feel.



 バトラーツとの試合はいつもそうだった。

 今回も。さらに、さらにそうだった。


 Don't think, feel. 

  
 知らない方は「燃えよドラゴン」を観ればいい。

 また明日も試合でDon't think, feel. 

 実に面白い。


gen28 at 02:44コメント(0) 

2019年12月31日

2020年の挑戦

 来年そうなる。
 ケムール人と観覧車はワンセットです。

 もう、と言っていいでしょう。アラフィフです。
 30代の頃は2020年など遠い未来であり、考えもしなかった。

 トシを重ねることが怖かった、と思う。

 さてあと数十分で2020年になる。

 イイ感じで楽しくトシを重ねている。怖くなかったね。

 そして、私の大先輩たちが現役として試合してる現実。その方たちに比べれば私などヒヨッコ。

 大先輩のお一人、ライガーさんの引退が珍しいような。残念です。


 リッキーさんかく語りき、死ぬまで現役、死ぬまで全盛期。

 私もそうなんです。受け売りさせていただきます。


 2012年、頭やりました。
 いろんなことあって、現在。
 2020年、プロレスできてます。大体なんでもできますよええ。

 今んとこ、人生で一番楽しいな。


gen28 at 23:41コメント(1) 

2019年12月23日

今日も元気だ

 
 猪木さんっぽいコスチュームにしてから、そろそろ二年くらいになる。
 
 プロデビューから、とにかく相手を光らせなきゃと、ほとんどそれしか考えなかった。

 自分を光らせるのは二の次でいいと。

 最近になって、それを逆にしている。

 自分が面白くすれば、試合全体も面白くなるはずだな、と。

 コスチュームなどシンプルイズベスト。

 まっさらでいい。

 試合で魅せればいい。 

 年とっても、全て勉強。


 
 缶ピースがうまい。ハイライトもうまい。

 葉巻もうまい。マニラシガーは安いのにうまい。ハバナシガーは高くて美味。

 こんなうまいものを世の中が排除しようとしている。いかんねえ。

 日本人…いや人類がヒステリックになっていく。

 江戸時代以前から、たばこは平和の象徴。

 健康な愛煙家にヒステリーはいない。断言。


 病気。

 たばこは万病のもと。

 ではない。

 不健康な人がスパスパ一日何箱も吸ってたら、そりゃ病気になる。当たり前。肺癌とか。

 砂糖も塩も酒も、不健康な人間が過剰に摂取したら、病気になる。当たり前。肝臓癌とか。

 全て摂り過ぎはいかん。それだけ。

 
 昭和はたばこの文化であった。 

 どんな所にもたばこはあった。

 害だ!とか誰も考えなかった。

 今も残る名コピー『今日も元気だたばこがうまい!』が素晴らしい。

 太陽にほえろ!のOPは、石原裕次郎さま演ずるボスが歩きながら燻らす。
 
 これほど絵になる映像は無い。

  
 昭和はみんな動き回っていた。運動が当たり前であった。

 だから癒しの為にたばこを嗜んだ。

 だが、世の中が便利になってくると、それほど動かなくてよくなってくる。

 健康から不健康へ。

 世の中がだんだん不健康になっていくと、たばこの摂取量も変わっていく。

 軽いたばこが増えてくる。

 昭和52年。マイルドセブンはタール10ミリ、なんて軽く吸いやすいんだ! とブームに。

 現在。タール1ミリが普通に。タールもニコチンも全くない電子タバコもたくさん。

 健康ってのは、人間が動き回り、関節を動かし、息を上げること。

 健康=元気、だ。

 それをしない人間が増えてしまった。
 
 今の世の中の大部分が言う『健康』とは、「あんまり動かなくてもいいけど害っぽいものは徹底的に排除しましょう、そうすれば生き延びることくらいはできますよええ」か。


 私は喘息持ち。

 小学三年生から持っている。

 地獄をたくさん見た。

 これは死ぬ、と思ったことは何度か。

 当然たばこは喘息の天敵、と思っていた。たばこ自体は嫌いではなかったが。

 小学生の頃。ある集まりのキャンプで、ある青年のたばこを試しに吸ってみた。

 両切りだった記憶。だが両切りかフィルターかなど知るはずもない。

 一吸い、いや半吸いで、あまりの苦しさに咳き込み、死を見た。もう喘息持ってた頃。

 だがやはりたばこ自体は嫌いではなく、大人の嗜みなんだなと受け止めた。

 
 後に大人になった私だが、喘息は相変わらず。

 試合の途中に発作が出た時などたくさんある。

 自らたばこを嗜むことは無かった。

 喘息あるからねえ、すぐ苦しくなっちゃうよねえ、と。

 が、飲み会では普通にたばこを嗜む人間はたくさん。最初は興味ないフリしてたが、そのうち酒が進むともらいたばこをするようになる。大学から。

 だが、ふかすだけ。肺喫煙なんかしたら死んでしまう、と思ってたから。

 
 それからどれくらい経ったか。

 うまくて強いたばこ、それは缶ピース。マジで一番うまい!

 葉巻と同じく、基本的に強い両切りはふかすものだが、たまに肺喫煙。のどごしのうまさ。

 喘息持ちの男が何故そうなったか。

 人間の持つ力。

 例えば筋トレ。

 最初は弱かった彼も、こつこつトレーニングを積むことで少しずつ筋肉が強化されていき、一年後はあら不思議、立派なマッチョに!

 これは冗談ではない。本気でやれば本当にそうなる。

 人間はなんでも強化できる。

 アウターの筋肉だけではなく、インナーの抵抗力、免疫力も。

 たばこの煙自体は、身体にいいものではない。見ればわかる。

 だが、煙を吸うことで、身体は内部の力を発揮する。

 外部の煙が来た。このままだと身体がさらに弱くなってしまう。肺を強化しなければ。

 疲れる運動が来た。このままだと身体がさらに弱くなってしまう。筋肉を強化しなければ。と全く同じなのだ。

 

 こんな感じに、缶ピースとハイライトとシガーを嗜んでるおかげで、心も体も健康そのもの。
 体は、喘息におびえていた自分がバカみたいで、今の肺活量は明らかに増えている。スタミナも。60分?普通だな。
 心は、たまにキレてた自分がバカみたいで、本当のゆとりが持てるようになった。たまに後輩に怒鳴り散らす私はもういない(笑
 後輩たちにもらったハバナシガー・ロミオyジュリエッタNo1は宝物だ。
 
 まあ、このように。たばこはいいこと尽くめだということ。百害あって一利なし? それは不健康で病的な人間だけに言えばいい。少なくとも今の私にとっては、百利あって一害くらいあんのかな? って感じか。

 まあとりあえず、昨日も今日も明日も明後日も元気だ、人生がうまい。

 たばこは人生の調味料。



gen28 at 21:18コメント(0) 

2019年11月03日

誕生日は終わる

 
 毎年毎年トシを取る。

 もう誕生日だなあ、また存在を忘れてたブログを更新しよう、と思ってたが。

 登録してたサーバーがなんか不都合あったらしくパソコンが出来なくなった。

 パソコンが無ければ更新出来ない。携帯も、今は電話とメールだけだ。ガラケーってやつか。

 すまふぉってのも全く知らない。

 ラインと何だ。

 メールアドレスが今は無いらしい。

 息子はすまふぉ持ってるが、私はラインってのはできないから、メールしたい時はショートメールにするしかない。のか?

 頭やってから7年以上経つが、そっから時は止まっている。私にとっては。
 
 頭やった後にデビューした他団体の若手の名前など覚えられない。覚える気もない。ああ、DDTの元力士、樋口はわかる。あと元坊さんの阿部。あと忍者ハットリくん。

 
 ああ、そうだった。ブログの更新だった。

 Twitter(おお、すぐ変換できるのか)という物がある。

 Twitterでは長文ができない。

 だが地球全体がTwitterで支配されているのだ。

 だから長文が書けるブログはいいもんじゃないか。今後のライブドアはわからんが。

 で、私はブログで誕生日のことを書く。



 10月28日がまた来た。過ぎてしまったが。

 ああ、そろそろ11月9日だな。79になる親父の誕生日だな。欲しいモノってあんのかな。

 私は特別、欲しいモノってのは無かった。

 だが、人から心込めて贈られる『気持ち』。

 それこそが、一番うれしいモノなのだとわかった。大人になってさらにわかった。
 


 さらに、いろんな人間たちの気持ち…心持ちが把握できるようになった気がする。

 たくさんのことをする人間、何もしない人間、生きようとする人間、死にたいと思ってる人間、いろんなことを思ってる人間、邪心オンリーも良心オンリーも両方持ってる人間もたくさん。

 人間と人間が人間を使っていろんな人間模様を描く人間たちがたくさん。

 だから人生は面白いんじゃないか。



 まあ、またゆっくりとうまいシガーを嗜もう。

 高いハバノスもいい。安いマニラもいい。

 あとシガレット。うまい缶ピースとハイライト。ゆっくりと。せかせか吸っちゃダメだ。

 リアルなゆとり。幸せな人生。



gen28 at 20:02コメント(3) 

2019年10月10日

過去現在未来


 10周年とか。最近だ。

 貴、葛西、私、神威が、旗揚げにいたメンバー。

 岡野さんもいたんだけどなあ。マンモスはヤマいってたからいない。

 所属じゃないけど、バラモンもいた。

 竹田も。

 みんなあんまり変わってない。と、思う。見かけは。

 ああ、私は変わったな。たぶん。



 10年経って、当時影も形も無かった連中が主役に。
 
 杉浦、吹本、進。 
  
 5年前は私が「このボンクラが!」と言い放ってた。変わるもんだ。特にプロレスは。
 
 10年前の平田智也は中学生くらいか。

 徳島で何やってたんだ。全く知らん。

 あどけない顔ではだったんだろう。今もあどけないが。

 ふ…リブレと鎌田は全くあどけなくない。まあハングリーなのはいいことだ。特に鎌田。


 しかし10周年とか言っても、時間は否が応でも進む。止まることはない。

 未来がどうなるのか、誰にもわからない。

 10年後、50半ばになった貴葛西マンモス私が全然主役のままとか。岡野さんが普通にいるとか。

 さらに未来、100歳のデスマッチファイター・葛西純がギネスに載るとか。


 まあ、とりあえず、杉浦透の未来を見よう。






gen28 at 00:31コメント(0) 

2019年08月18日

佐々木義人

 
 最近、ドキュメント番組に出てるようだ。

 義人、そのまんまだ。
 
 全く変わってない。

 安心した。

 義人が素晴らしいプロレスをしている。

 

gen28 at 21:42コメント(0) 

2019年08月08日

黒潮イケメン

 
 最近しばしば試合会場で会う。

 黒潮とは・・・ハッスルの時から、なのかね。練習生だったか。私はそんなに喋ってないと思う。

 で、私がまだ長期欠場してた時、2013年くらい。
 
 横浜ラジアントホールへ、松田慶三さんの興行を観に行き、その後はTAJIRIさん興行も観戦させていただいた。SMASHだったかな?

 たぶん試合前、コスチュームにジャケット着た細い若者が、私のとこに挨拶に来た。

 ハッスルの練習生でした、と。

 確かに、小さい練習生の子がいるなあ、中学生くらいかな?と見覚えはあった。

 それが今TAJIRIさんとこのレスラーか。確かにハッスルは君が入ってすぐ終わっちゃったからねえ。がんばってね。背え伸びたねえ。
 てな感じの会話をしたような。

 黒潮の試合見たが、今まで見たこと無い動き、というかプロレスの概念を覆す、というか。
 TAJIRIさんのプロデュースはすごいなあ、と思った覚え。

 たが細いな、大丈夫かな? とは思った。

 数年後、徐々に黒潮はガッチリ筋肉を付けていく。
 他団体で顔を合わせる機会も増え、どんな試合も見応えあった。

 現代の若いレスラーは大体、ずっと動き、ずっと技を出す。メリハリや強弱はあまり無い。

 だが、黒潮は違う。

 なかなか動かない。あまり技は出さない。メリハリ強弱を全て表現する。

 師匠のTAJIRIさんが全て伝授したもの。

 


                間 




                                



 2月くらい、横浜ラジアントホールで試合した。タッグマッチで黒潮と。
 
 技のやりとりなど全く無い、喜怒哀楽だけの合戦。

 実に楽しい試合であった。


 黒潮はスター。



gen28 at 14:56コメント(1) 
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livedoor プロフィール

GENTARO

本名:Tハシ
身長:176cm
体重:95Kg
デビュー戦:レッスル夢ファクトリー 1999年5月8日埼玉・所沢サンアビリティーズ vs加藤茂郎&死神&怨霊(パートナー:覆面太郎&三浦博文)つらい思い出。
もう一つのデビュー戦:華☆激 1999年5月2日福岡・山川町勤労者体育センター vs川内大裕 いい思い出。
得意技:シューティングスター・プレス ダイビング・エルボードロップ バックドロップ 各種脚殺し
タイトル歴:KO-Dタッグ選手権、WEWタッグ選手権
、KO-D無差別級選手権、DDT EXTREME級選手権、VKF選手権、インディペンデント・ワールド世界Jrヘビー級選手権などなど15、6個
尊敬する人:偉大な先人たち、手塚先生、藤子先生
尊敬しない人:いばりんぼ、うそつき
好きな食べ物:血のしたたるステーキ

この素晴らしき人生を愛する者たちとともにおもしろく歩むとする。

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