2016年11月14日

岡野さんのための興行


岡野さんにすれば、「25周年?ああ、そうなんだ、フーン」で終わる。

今度の(11月17日・木)後楽園ホール大会も、岡野さんが志願したわけではない。当たり前だが。

TAJIRIさんとの試合。それもどうしても見たい!お願いします!とこっちから志願した(笑)ことだ。

TAJIRIさんにとっては岡野さんは先輩。デビュー戦も岡野さん。

ハッスルやフリーダムズ初期では、私はTAJIRIさんと話す機会がよくあり、その時は岡野さんの話をして下さったものだ。

「岡野さんはねえ、世界でも指折りの職人だよ。真似できないよ」
と田尻さんはよく言っていた。

「岡野さんは、人間というより、『岡野さん』っていう『物質』だね」
とも言っていた。

そうなのだ。
岡野さんは、感情や力学、時間などに支配されない、『物質』なのである。

そう、言うなれば、岡野さんは『仙人』である。

その時から私はわかっていたつもりだったが、まだ甘かった。
だから十年近く経って、さらに、さらに理解できた。
もっと年月が経ったらもっともっと理解できるんだろう。

その時には私も仙人になれているかもしれない。



そして、現在のプロレス界には、仙人が必要なのだが・・・。

仙人がほんの少ししかいない。

昔は仙人だらけだったんだが。


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2016年11月01日

42



私はまた、誕生日を迎えた。

本当は10月28日だが、完全にブログのことを忘れていた。

ブログで毎年誕生日のことを書いていた。

私は、42か。

まあ、現代人はどんどん(見た目が)若くなっている気がするからいいか。

子供の頃は、42などおじいちゃんに近かった気がする。

あと確か、「初老」とは40のことであった気が。

気がするばっかりだが。


そういえば、最近しばしばBENTENなんかやってるが。

初めてやったのは2001年であった。

先輩レスラーの死神が、コスチュームを用意し、メイクの女性もつけてくれた。
最初は、やりたくねえなあ、絶対こんなの受けねえよ!とか思っていたが。
死神に感謝だ。

もうやってから15年になる。どういうことだ(笑

しかし弁天小僧のキャラってのは、若いから許される気もするが・・・

私は42だ。いいのか。

まあ、ファンの方たちがいい、と思うならそれでいいし。

選択はみなさんに任せましょう(笑



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2016年09月14日

佐々木 貴

 

明日、後楽園ホールにて、FREEDOMSの佐々木貴デビュー20周年大会がある。

今月は、一関で毎年開催される地元興行も、準地元と言える横浜興行もあり、全て「20周年シリーズ」となっている。
みんな、いつの間にそういうことに?と思ったが(笑 
まあ、記念だから。


佐々木貴とは、まあまあ長い。

1999年、DDTで会話したのが初めてだったか。

DDT下北沢タウンホール大会。
私はまだ覆面レスラー、FM-TAROとして夢ファクからゲスト参戦。
DDT所属レスラー佐々木貴は、確かメイン。その時は宇宙パワーの覆面を被ってた。木村浩一郎さん扮するスーパー宇宙パワーに洗脳されたのかな?
いろいろなギミックがあったのだ(笑

私はセミかセミ前でタッグマッチでMIKAMIと当たった。
何があったのかわからないが、試合の途中、上半身のコスチューム(スポーツブラのような形状・・・)が破れた。
しかも破れた箇所が、乳首の所だった。
別に男は恥ずかしくないはずだが、隠してるものが露出してしまうと恥ずかしくなる。
お客さんは笑いに包まれた。当たり前だ。

試合後、バックステージにいた記憶。
私は、忌まわしいスポーツブラが破れて良かった〜と思えてた。これからハサミでちょん切ればいい。

隣に貴がいた。

宇宙パワーのコスチュームは着てたが、まだ覆面は被ってない。持ってたような記憶。
木村さんと組む試合ってのは、DDT所属としてそれ以上恐ろしいことは無い。
もしどこかで失敗してしまったら、ボコボコに・・・

多分、貴は思い切り緊張していただろう。
顔はこわばり、青ざめてても不思議ではない。

だから、隣にいる私に話しかけたんだろうと思う。
今までお互い挨拶くらいしかしなかったが、これが初めての会話になる。

貴は、乳首のとこが破れている私を見て、こう言った。

「SEXYですね」



それから17年。
さて、明日は後楽園だな。





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2016年08月23日

RING



私は、プロレスリングをしていることが、結構好きなんだろう。

多分。



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2016年04月21日

無題


ブログの存在自体、忘れていた。

この二ヶ月で、いろいろな出来事が起きた。

いろいろな方々がこの世を去っていく。

年月とは残酷なものだ。
 
現実とはさらに残酷だ。

天災もあり、寿命もあり、事故もあり病気もあり人為的もあり・・・

生死は表裏一体。免られるときもある。

生死に繋がらない場合でも、残酷なこともある。

だからこそ、真正直に生きよう。

ひん曲がったことや下手なことは絶対に考えずに。

真剣に、真面目に、面白く生きようじゃないか。

プロレスも同じだな。  

真剣に、大真面目に、面白くやっちゃおうじゃない。

喜・怒・哀・楽が本気で何でもたっぷりぶち込まれるように。







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2016年02月18日

佐藤光留との昭和プロレス


2月14日に、雫あきのチャリティー興行。
新木場だが場所が違う。きれいなスポーツ会場だった。
ほんわかとしたムードな興行だった。心が洗われるような(笑

ダンプ松本vsがばいじいちゃんとか凄いカードもあった・・・

で、私は佐藤光留戦。

彼とのシングルは初めてか。
タッグでも数えるほどしかやってないと思う。

彼とは、充実した試合が出来たと思う。

彼は、昭和プロレスができる男だった。

当然だった。彼はシューター・・・パンクラシストなのだから。


雫あき興行の後は夢名塾興行・・・何故か改称して夢闘派。むとうは、か。
一応夢ファクよもう一度、という名称だった気がするが。
むとうは、と聞いて、武藤派ってなんだ?と思ってしまった。武藤さんの派閥か?とか。

セミのクラッシャー高橋vs加藤茂郎、メインの渡辺宏志vs松崎和彦は、すばらしい昭和プロレスだった。

この4人の方々は私より先輩で、90年代初期からインディー界にいらっしゃる。キャリアが違う。



3月3日には新木場1stリングでFREEDOMSがある。

私はダースバラモン、バラモンシュウ、バラモンケイwithカラテバラモンとのハンディキャップ・イリミネーションマッチを行う。

昭和に結びつけると、アントニオ猪木vsラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇の国際軍団との1vs3のハンディ戦と酷似する。いやスケールは段違いですが。

だが相手はバラモン。さらにカラテもいる時点で昭和プロレスの気配は全く無い。

しかし、ダースバラモン・・・本名百田力がいる。

力道山先生の孫、百田光雄さんの息子の力がいる。

私は、その血筋と戦うのだ。

と、無理矢理昭和に結びつけみる。

まあ、力はそのことなど全く考えてないだろうが。ダースとか言ってる時点で。


おう、大事なことを書くの忘れていた!

雫あき興行の時、自分のテーマ曲を持ってきて下さいと言われていたが、完全に忘れていた。いつも持ってないので癖になっていた。

だったらどんなテーマ曲でもいいよ、と言ったが。

テーマ曲係のHさん(昭和プロレス時代からの人)が、「これどう?」とかけてみたテーマ曲は・・・

ディック・マードックのテーマ!「TEXAS FIGHT」だ!

これだ! これしかない!

前回書いた、私がディック・マードックvs藤原組長の音響係だった時のことを思い出した。

あのときかけられなかった「TEXAS FIGHT」が!! 私のテーマ曲として!!!

入場の時、私は、もうすっかりマードックになったつもりになれた。

そりゃ、ひかるんとの試合も楽しくできましたよ。

そのままディック・マードックのスタイルで行けたんですから。








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2016年01月30日

藤原組長vsディック・マードック (音響係・GENTARO)


1996年5月23日、後楽園ホール。

「藤原組5周年記念興行〜藤原喜明とレスラーな仲間たち」という興行があった。

私はパンチ田原軍団(リングスタッフ)の一員として、リングを作りに行った。

当時私は大学三年生。
だが、ろくに講義も出ず、もうパンチ軍団と学生プロレスしか考えてなかった。だから留年・中退することになるのだが。
まあ、これでよかったのか・・・ね?(笑

リングを作った後、試合中は音響係としてテーマ曲を流す役割もあった。

その時代はまだ、カセットテープが主流だった。カセットって今はあるのかな?
バトラーツでもよく音響係をやってたが、バトラーツはMDを使用していた。当時最先端テクノロジー。

選手のテーマ曲のCDやカセットをたくさん渡された。
この時もう藤原組は、船木さんも鈴木さんもいない。石川雄規さんもいない。
フリーのレスラーたちや外人で成り立っている興行だった。

主催していた、アルファ・ジャパン・プロモーションの方(社長さんだったかも)からも、いくつかのカセットを渡された。
何故か、白黒TV時代のアニメソングばかりだった。まあ、好きだったが。
これを客入りの時にBGMとして流してほしい言われた。
鉄人28号とかサイボーグ009とか宇宙少年ソランとか。

メインイベントのカードは、藤原喜明対ディック・マードック!

これは見たい!

藤原組長のテーマ曲はもちろん、ワルキューレの騎行。

ディック・マードックのテーマ曲は、曲名は知らなかったが、新日本プロレス中継でたびたび聞いたあのにぎやかな曲だな、と思った。が。

アルファ・ジャパンの方から、「テーマ曲ないから、これでいいよ」と言われた。
「これでいいよ」と言われた曲は・・・鉄人28号だった。

あの有名な、夜の街にガオー! 夜のハイウェイにガオー! だ。

これを、試合前にも客入りBGMとして流してしまうのだ。でも「うん、それでいいから」と言われた。


メイン以外の試合はあまり覚えていない。

怨霊・・・小澤さんのシングルがあった。

第一試合は、岡村隆志さん(現ドラゴンゲート社長)のデビュー戦だった、と思う。


メイン。
パンチさん(だったと思う)「ディック・マードック選手の入場です!」
沸き返る満員のお客さん。

鉄人28号を流す。
「え・・・?」
お客さんは困惑。

何故か、私は罪悪感にとらわれる。

だが、藤原組長のテーマで、お客さんは一安心。よかった・・・


試合は、名人戦としか言いようがない内容。

プロレス。


試合後、後楽園ホールの隣室である展示会場で、打ち上げパーティーが行われていた。

リング撤収が終わった私達も招待された。

展示会場に入った途端、目の前にディック・マードックの姿が。

昔からマードックはビールが大好きだったらしい。
マードックは真っ赤な顔して、ニコニコ。もう上機嫌。

すぐ私と目が合った。

目が合ったというか、マードックは優しいやさしい目で私を見おろした。

「BEER????」

私にビールを勧めてくれた。

とても飲めなかった。

小学一年生の時から見続けていた大スターから、笑顔でビールを勧められた。

もうそれで胸がいっぱいだった。

その後の記憶はない。マードックのビール、結局飲んでないかな・・・



ディック・マードックはその23日後、亡くなった。
急死だったらしい。

日本での最後の試合は、組長と。

今となれば、鉄人28号も、マードックの最後の日本版テーマ曲だったと思えば、さらなる名曲と思える。

そして、私は、会場で、生で、マードックのテーマ曲を流したんだ。

音響万歳。

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2016年01月22日

ニック・ボックウィンクルと葛西純


ちょうど、ちょうど!10年前、私はニック・ボックウィンクル様に会えた。

2006年1月22日、ZERO-MAX後楽園大会。
メインイベントで大谷さんがスティーブ・コリノとAWA世界ヘビー級選手権試合。
ニック様が立会人として来日!!!

その時のブログをコピペ・・・



レスリング・イン・ハワイ

今日はゼロワンMAX後楽園。
メインのAWA世界戦の立会人として来日したのはあのニック・ボックウィンクル!
感激して震えながら写メ撮らせていただきました。あへレフェリー感謝!
オーラバリバリ。すごい紳士だし、気品が漂っていた。世界王者かくあるべし。
しかし…世代の違う若い選手たちにはニックさんの偉大さがピンと来てないようで、全く有り難みがわからん不届き者ばかり!
「名前くらいなら知ってるんですけどねえ」
「そんなに凄かったんですか?ホーガンみたいなもんですか?」
「えっ、あの人レスラーだったんですか?道理ででかいと思いました」
昭和は遠くなりにけり。



昔は全く改行してなかったので、見やすいようにしました・・・
当時の若手たちがニック様のことを知らなかったのはショックでしたね。浪口とか。
確か佐々木義人もいたなあ。今どうしてるんだろう。復帰は無いかなあ・・・

レスリング・イン・ハワイというのはニック様の全日本でのテーマ曲。
オリジナルはほとんど絶滅していると聞くが、タイガー木原さんは必ず持っているはずだ。うん。



しかし最近、プロレスリングの勉強のため、ニック様の試合ばかり見ているが、またこんなことが・・・

1月19日新木場にて。
試合の控室で、その日のパートナーだった、カリスマデスマッチファイター・葛西純が「これ、どう? 欲しかったらあげるよ」と差し出した物・・・ 

ニック昭和57年12月に発行されたザッツ・レスラー。
レイスが、ロビンソンが、そしてニック様が。
「Mr.プロレス」
すばらしかった。
昭和57年は私も葛西氏も小学2年生・・・
ああ、ありがとう!
いや、ありがとうございます!葛西サマ!!!
これから家宝にします。


ニック様の得意技は・・・

技、ではない。

プロレスリングをすること自体、全ての動きが技・・・テクニックと感情なのである。

私はこの先も進化します。

ニック様は50歳になっても全盛期でしたから・・・ 私も。


そういえば、最近のFREEDOMSはデスマッチ団体と呼ばれることが多くなったような。

ニック様は例えデスマッチになっても、さらに「ニックのプロレスリング」の深みが増しただろうと思える。

私も、いつデスマッチがあるかわからないが、深い、深いプロレスリングをしますよ。痛いけど。

ああ、私の岡野さん、ジ・ウインガーも深ーいですよ・・・
レスリング、ルチャ、デスマッチなんでもござれです。
私は岡野さんを、現代のニック様と思っています。












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2016年01月15日

ジャイアントスイング


プロレスはいつから始まったのか・・・ 

私は、現在「プロレスの歴史」をディープに好きになってる。

力道山先生くらいの時代だと、「最近」になる。

それぐらいプロレス歴史は深い。

ルーツを辿るとリンカーン大統領の若き日とかになるし、さらに遡ると紀元前のパンクラチオンになってしまう。
まあ、今日はいい。


1920年代までは、まだロープワークもバンプも無かった。とにかく、レスリングだった。

1930年代、スタンドの攻防が増えてきた。お客さんの視線がさらに大切になってきたからだと思う。

1940年代くらいに、やっと、現在に近い「プロレス」のスタイルになる。


で、本題のジャイアントスイング、だ。


ジャイアントスイングが日本で初めて公開されたのは、1961年、昭和36年。
強豪外人ロニー・エチソンが披露。これで力道山先生からフォールを奪ったこともあるらしい。

だが、ロニーは、これは先輩レスラーのサンダー・ザボーが教えてくれたと語る。

サンダー・ザボーは1906年生まれ。
ルー・テーズでも1916年生まれだから、テーズより上の世代。

ザボーの映像をいくつか見つけたが、戦後の映像くらいしか無く、「ザボーがジャイアントスイングしている」映像は見つけられなかった。

ザボーは昭和38年に日本プロレスにも来日し、ワールド大リーグ戦に出場。猪木さんとも当たり、フロント・ネック・チャンスリー・ドロップで完勝。ザボー、この時57歳・・・
猪木さんはこの技を食らい、その後「アントニオ・ドライバー」として使用することになる。
歴史は必ず繋がる。


話は、別のところに行く。

ジャイアントスイングとは違う目的で、プロレス歴史を追っていたとき。

リック・フレアーのようなスタイルの元祖、ゴージャス・ジョージを追っていた。
試合も見たが、ゴージャスが主演した映画があった。
Alias the Champという題。
主演映画だよ!? すごいなゴージャス・ジョージ!
すごいなYOUTUBE。

1949年の映画だが、試合の場面もたくさんある。もうプロレスが「プロレス」になっている。
ゴージャスはギミックだけのはずもなく、実力もある・・・ 技術、盗んだ(笑

で、ジャイアントスイング。
試合の場面は見たが、ゴージャス・ジョージはやってない。
だが相手はエアプレーン・スピンやってる!昭和24年に!

映画は終わった。その後、何故かSPORT BEAMSってコーナー。プロレスラーたちがスパーリングぽくやってる。でもふざけあってる場面も。その後、子ども達がリングの中で、プロレスごっこの場面。でも結構本格的。上半身脱いでる。11、2歳くらいか。大人がレフェリーしてる。これもスポーツか。それとも初っ切りか。

何気なく見てたが、子どもがヘッドシザースしてる。お?と思ったらエアプレーン・スピン。逆エビ固めぽい技も。

そしてそして。

ジャイアントスイング!!!!!!!

昭和24年に、子ども達が!

ジャイアントスイングならボクだってできるぞう、と意気込める技・・・

つまり、それだけ、メジャーな技だったということだ!!!

ロニー・エチソンが日本で初披露したのは昭和36年。
その12年前には、既に子ども達も知っているメジャーな技だったのだ。
ということは、戦前からあったかもしれない・・・ 
ああ、開発者と思われるサンダー・ザボーさま。
1990年代、馳浩さんが使用されていた。
50年経っても・・・
そして現在でもWWEで使用されているらしい。
70年経っても・・・


プロレスの歴史は実に面白い。
私はプロレスラーですが、プロレスの歴史はまだ半人前です。
熟練者の方々、これからも私に教えてください!

斎藤文彦さんとか!!



















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2016年01月11日

ブルース・リーになりましょう(年齢は考えずに)

体型は・・・ だいぶ変った。

それがいいのか悪いのかはわからない。
プロレスラーとしては、もしかしてよくないのかもしれない。

前にも書いたことがあるが、私は昭和レスラーの体型になりたかった。
それっぽくなってたこともある。

ただ、背が高くなかった。


で、去年の3月から、ちょっと腹を引っ込めようと思った。
引っ込めすぎた。

ウエストサイズがどんどん減った。
ベルトの穴の数が増えていく〜


でもタンパク質をとにかく多量に獲った。
筋量は減らしていけませんから。

遠征に行くときに、バス内で我慢できずにオナラをしてしまった。
タンパク質摂取が多すぎると、臭いがきつくなりがちである。

杉浦透は「くせえ!誰!屁こいたの!」と叫んだ。
杉浦はバスの中で最も後輩だ。
誰だとか言う前に、誰かもわからないのにタメ口を聞くのかこのヤロウは。

でもこいてしまったのは私だからとりあえず謝った。「ごめん、俺だ」
「あ・・・ああ、すみません、わ、わかりました・・・」

平和が一番である。 


減量の話から放屁の話になってしまった。
閑話休題で。


体型が変ると、今までできなかった運動が、そこそこできるようになっていく。
脂肪を落とせるということは、筋肉で身体のコントロールができるようになる。

ということで、私はブルース・リーの運動をやりはじめた。

あ、ウエイト・トレーニングも普通にやってからの話。


アイソトメトリック・トレーニング。
身体をほとんど動かさずに負荷だけ増やす。これはきつい。
だが筋肉痛にはなりにくい。これはいい。
現在私は高強度のハンドグリップでいろいろやってます。リーじゃないけど。
握力だけじゃなくて、けっこう何でもできます。

さあ、ブルースの運動です。まずドラゴン・フラッグ。
高負荷の腹筋運動。さらに全身運動にもなります。これはいい。きつくてもいい!
YOUTUBEでも見てみてください。
ドラゴンフラッグ

ドラゴンフラッグ2

ブルース・リーのドラゴンフラッグに、シルベスター・スタローンのドラゴンフラッグ!









Vシット。
これも一応腹筋運動になるが・・・
普通のVシットではなく、手を付くVシット。まるで無重量状態。
腕も肩も背中も脚も鍛えられる!
vシット
リーはこれを長時間できたという・・・
私はまだ脚を曲げなければできない状態。
せめて1分間、いや30秒、脚を伸ばしてできるようになりたい。
それぐらい難しいのである。

 







ブルース・リーでなく、ジャッキー・チェンの運動。
これは1977年の映画「ドランクモンキー酔拳」の一場面。
空気いす




「馬歩」と言うらしい。まあ、つまり空気椅子だあね。
これもつらい。重りを加えるとさらにつらい。


そんなこんなで筋肉を引き締めるための運動を。
さて、そのうち成果は出るのであろうか。
血管ドクドクみたいな身体になりたいものです。
私は背が足りないから、もうそうなった方がいいかな、と。









皆さんはどうお考えでしょうかね。実は私もまだ迷ってます。
脂肪でも筋肉でもガッチリ付ければヨシ!か、時間かかるかもしれないけど、リーやジャッキーぽく、とにかく筋肉で!か。






血管
うーむ、私はまだまだだな。



















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2015年12月31日

大みそかだよドラえもん


早い。大晦日だ。

今年はさらに早かった。

去年の大晦日が昨日のようだ。

来年も早く感じるのだろう。

私は晩年だ。たぶん。


大みそかだよドラえもん、は今でも続いてる。

私が4歳か5歳くらいから始まり、41歳になった今も続いてる。

さらに続くんだろう。永遠に。


時は続く。

私が終わっても永遠に時は続く。


2015年は終わる。厄年だったな。あまり関係ないが。

2016、2017、2018、2019、2020年と続く。永遠に。

私はいつか終わる。  

でも時は続く。いいじゃないか。

私は晩年だ。楽しいじゃないか。

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2015年12月20日

サンタクロースはいるんだよ


最初のサンタさんの記憶は、私が4歳の時だった。

スパイダーマンが好きだった記憶がある。それも東映ヒーローとしてのスパイダーマンだ(原作がマーベル版だったと知ったのは中学生だった・・・)。
スパイダーが操縦していた巨大ロボット・レオパルドン。そのおもちゃが欲しくて欲しくてたまらなかった。

友達が持っていたので、そのおもちゃで遊ばせもらったが、素晴らしかった。
たくさんの変型、もちろんパンチも飛び出す。

クリスマスにはサンタクロースがいい子たちにプレゼントをくれる。
両親からそう教えられた。
サンタさんが、レオパルドンをくれる!
私は喜んだ。
だったらサンタさんにお願いしなきゃ、と両親に言われ、手を合わせてお願いした。
今でもいい思い出だ。

25日の朝、枕元にレオパルドンが置いてあった。

私が欲しくて欲しくてたまらなかった、超合金DXレオパルドンが。

無かった。

DXではないレオパルドンだった。チェンジもロケットパンチも出来なかった。

泣いた覚えがある。

サンタさんはDXなんか知らなかったのか、4歳児にはDXなど高すぎると思ったのか・・・

翌年からも、サンタさんは、思い通りのプレゼントをくれることはなかった。


サンタクロースは、子どもたちが、欲しくて欲しくてたまらないものをあげるべきだ、と私は思うようになった。


いつしか、私は大人になった。

私だけでなく、たくさんの人々も、子どもから大人になる。

大人になった人々はそのうち、サンタさんになる。

私もサンタクロースになった。


子どもたちも、将来、サンタさんになるんだ。必ず。

これは、未来永劫、続く。









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2015年11月17日

昭和は終わったのか。いや、まだ・・・


天龍さんが引退された。
お年は65歳。まだ20代のオカダ・カズチカに敗北・・・

ニック・ボックウィンクルが亡くなった。
80歳・・・


私は昭和時代のプロレスが、大好きだ。

1920年代から1980年代が特に好きとも言える。

90年代。高校生だった私は、さらにプロレスに熱狂した。

プロレス界は90年代に過度期に入った。

私は90年代中期〜末期デビュー世代だ。

まだ昭和の香りがあった。ふんだんに。


2000年代に入ると、プロレスはガラリと変った。いや、突然ではなく、だんだん変った。

そして現代。プロレスは全く変った。

いろいろなスタイルが許され、もうどんなものでも「プロレス」という表現できる。

嫌いではない。私も、それは支持する(笑
(DJニラや小仲=ペールワン、好きだ。マッスル坂井・・・まあ好きかもしれない)

新日本、全日本からDDT、ハッスル、マッスル、666と何でもやった。あ、あとデスマッチも。

だがその基本は、「プロレス」という曖昧な言葉ではなく、「プロ・レス」を身に付けていたからできたことだ、と自負する。だから全てのスタイルができた、と。

「相手がワルツを踊れば私もワルツを踊り、ジルバを踊れば私もジルバを踊る」
これからも後世に伝わるはずのニック・ボックウィンクルの言葉だ。


時代が進んだ。私は今でも、どんなスタイルもこなす。好きだから。

だが、現在、一番好きなプロ・レス・スタイルは、昭和プロレスだ。1900年代プロレス、ともいえる。

ルー・テーズ カール・ゴッチ バディ・ロジャース バーン・ガニア ビル・ロビンソン ニック・ボックウィンクル
リック・フレアー・・・ 他たくさんの方々。敬称略。

フルネームも書けない。馬場さん、猪木さん、天龍さん、鶴田さん、長州さん、藤波さん、佐山先生・・・ 他たくさんの方々。


昭和プロレスの遺伝子はまだ残っている。

平成プロレスと見せかけて、実は昭和プロレスを行っている選手も、いる。

少なからず。


私は昨日、VKFで、西村修選手とシングルマッチを行った。

どんなだったのかは、見た方たちの客観視に任せるしかないが。

この20分超の試合は、まごうかたなき、昭和プロ・レス、だった。





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2015年10月28日

41

ダブルライダー

私はまた年を食った。

ブログで誕生日のたびに書き続け、もう10年になる。

いろいろなことがあった。いろいろね。

さあ、この先はどうなるんでしょう。

何が起こるのかは誰も知らない。

またシューティングスター・プレスでもやろうか。そのうち。



画像は仮面ライダー旧一号(右)、旧二号(左)のダブルライダー。サイクロン号と改造サイクロン号のダブルマシーン。
旧一号は通称「桜島一号」と呼ばれているバージョン。マニアックな方々が、大好きな色使い。
私はこの30年近く、ずっと好きだったのです。全ライダーの中で一番好きなのです。今でも。

ちなみに今日のおたんじょうびプレゼントです。
フィギュアーツって凄いなあ。ポーズはいろいろ変えることができるのだ。

しかし、小中学生のときから趣味が変ってないっていいことなのかなあ。

ウルトラマン、仮面ライダー、マンガ(70年代、80年代限定)とか。

現在ものはよくわからない〜 

私はアナログ人間だ。






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2015年10月20日

後楽園ホールは聖地です。


明日、もう今日か。今日はFREEDOMSの後楽園大会。

いろいろありますが、私はセミファイナルで、FREEDOMS軍対全日本軍の対抗戦をば・・・

四対四でイリミネーションマッチ・・・

イリミと言えばオールドファンにとっては、新日軍対UWF軍や旧世代軍対新世代軍とか。昭和60年代の新日本のお家芸だったものです。

全日本ではイリミはなかったと思えます。たとえあったとしても忘却の彼方と言えます。

だから、我々がイリミネーションマッチを飲み込ませた時点で、もう我々の勝利と言えます。

我々はインディーの中のインディー。インディーは、どんなルールだろうがどんな試合形式だろうが、とりあえずやることになります。やらなければいけないのです。

イリミネーションなど慣れた物です。

そういうことです。

まあ、でも、次は大森さんや秋山さんと(イリミで)当たりたいものです。
多分あまり慣れてない気がします。

オーバー・ザ・トップロープの妙技は面白いですしね。


あと、ユウコウ。がんば(笑

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2015年10月03日

『天龍シリーズ』


地方連戦は久しぶりだ。

明日は一関での貴の恒例凱旋興行。
あさっては秋田大館大会。プロモーターの村上さん、お久しぶりです。十年ぶりかな?

天龍さん、11月15日で引退です・・・

この東北連戦を、「『天龍シリーズ』と銘打ちたいです。

私の中だけですが。


最近、プロレスがプロレスでなくなっている気がする。

私もね。

だから、この連戦で何かを見られるか、どうか。

魅せれるか、どうか。


・・・考えすぎだ。

うん、どうでもいいかな。ベタにやろう。いや、ベターね。


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2015年09月03日

私は、部屋の窓際で本を読んでいた。

風が気持ちよかったので、窓は開け、網戸は閉めていた。

突然、アブラゼミの鳴き声が聞こえた。

近くで鳴いてるのか、と思ったら、網戸にいた。

まあ、BGMとしてはいいかな、と思った。

しばらくすると、鳴き声が聞こえなくなったので、もういなくなったのかと思った。

だが、見るとまだいた。

オスのセミは、鳴かないときもあるのかな、と思った。

だがまた鳴き出した。けたたましく。

数十秒か。

元気だな、と思った。

するとまた鳴き止み、羽の音が聞こえた。

ああ、飛び立ったんだな、と思った。

だが羽の音がずっと聞こえる。

見ると、セミは、ベランダのコンクリートの上でジタバタしてる。ひっくり返りながら。

しばらくジタバタしていたが、そのうち動かなくなった。




死だ。




最後の鳴き声は断末魔だったのか。鳴き声、ではなく泣き声、だったのか。

セミは幼虫として土の中で七年過ごし、成虫として七日過ごし、一生を終える。

私は、その一生の終え方を、目の当たりにした。

私はセミの・・・「彼」の生き方を見ることができてよかった・・・のか。

悲哀もある。

彼の遺体をどうしよう。葬っても、同じことは無数にある。

そのうち鳥がついばむかな。これも食物連鎖か。

あたりまえのことが無数にある。

そのうち、私の一生も、無数の中で終わるだろう。

死は、そういうもの、か・・・













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2015年08月28日

後楽園でdeath。

今日は、葛西プロデュース興行death!

Death Match!!

私と岡野さんも、デスマッチよねえ、怖いわねえ、と怖がります。

私が五月に18針ほど縫った蛍光灯痕が、まだ痛いdeath。たまに膿が出ます。デスマッチは実に怖い。

メイン、セミ、セミ前はもう・・・ いやはやいやはや。
竹田〜 葛西〜 外人とのシングルマッチで無事で終わるように・・・
貴はユウコウに負けねえかな、大丈夫かなあ・・・
む〜かし大日本で名勝負したけど、ユウコウはもっとでかくなってるぞううう。

第三試合は私、岡野さん、杉浦対さわ・・神威、正岡、そして雁之助!!
雁さんと対決するのは久しぶりdeath。
私は体型が著しく変ったので、雁さんとどう立ち向かうべきか! 面白いdeath。
さわ・・神威と正岡はどうかな〜 巧くなってればいいね。 
まあ、ボクは岡野さんがいれば安心death。
でも杉浦がいると心配になるかもしれません。

あ、そうだ。シェイプアップが少しはできたかもしれないので、前座の余興としてポージングでもしましょうか。

シェイプアップ・・・現在死語に近いような気がしますが、シェイプアップ乱という作品、昔のジャンプコミックスを全巻持っていたのdeathが、この長い年月を経てところどころ抜けています。9巻と11巻、13巻がありません。どなたか譲っていただけませんか。タダじゃないdeathから!

ふう・・・




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2015年08月21日

平成のプロ野球界

読売(巨人)ジャイアンツ
中日ドラゴンズ
阪神タイガース
大洋ホエールズ
ヤクルトスワローズ
広島カープス

西武ライオンズ
日本ハムファイターズ
南海ホークス
ロッテオリオンズ
阪急ブレーブス
近鉄バッファローズ


このように、私のプロ野球知識は昭和57年で止まっている。

貴から聞いた。横浜スタジアムが本拠地なのは大洋ホエールズ、ではなくて横浜ベイスターズなんだ・・・
平成の野球は全くわからない。勉強しなければ。
イチローさんはわかります!
大リーガーに最初になったのは野茂さんだった気が。


私が覚えている、昭和57年くらいの巨人軍の打順

一番 松本
二番 河埜
三番 篠塚
四番 原
五番 中畑
六番 淡口
七番 駒田
八番 山倉
九番 江川・西本・加藤・角などなど

これは日本人だけの打順で、大体外人選手はクリーンナップに入る。
ホワイトとかレジー・スミスとかクロマティ。あ、クロマティはまだいなかった。もうちょっと後だった。

クロマティ選手、ハッスルで試合してたなあ。七、八年前かな。





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2015年08月17日

FREEDOMSの新時代、か・・・


昨日のフリーダムズ大阪大会で思った。

去年、私がボンクラと罵った連中が、たった一年で変った。


タッグ選手権・吹本賢児&藤田ミノル対正岡大介&神威は昨日のベストバウトだった。
有刺鉄線ボードマッチでさらに画鋲も大量に撒かれた試合だったが、アイテムはこの際、付属品でしかない。

まあ、もちろん試合は藤田ミノル(私はリーダーと呼ぶ)が支配していたが、他の三人も実に「プロレスラー」だった。
特に、吹本がここまで変ったとは。「間」が実に良くなっている。

「間」とは・・・ 説明するのは難しいので、置き換えると、アブドーラ・ザ・ブッチャーの試合、です。
わかりにくかったら、ブッチャーの全盛期の試合を見ましょう。

私がボンクラと言ってしまっていた正岡も、進も、変った。
正岡は表情がガラッと変った。見る側を引き込めるのだ。
進はガチンコの練習を繰り返したことで、油断ならなさ、強さを表現できるようになった。

杉浦は試合スタイルは一見あまり変ってないように見えるが、身体がでかくなってる(私の無理強いかもしれないが?)。パワーがつくってことは、対戦相手を持て余すことがなくなったってことだ。

この一年・・・

フリーダムズが、さらに面白くなっていくことを願おう。

彼らがもっと凄くなったら、私は隠居すればいいか、それとも逆襲すればいいか。


おおう、そうだ・・・

第四試合に組まれていた、ハードコアマッチ、竹田誠志対矢野啓太。

やのけいが実に良かった。

お客さんは最初は竹田だけ応援していたが、だんだんやのけいの面白さに気づくようになる。

最後は竹田が勝ったが、お客さんは、竹田の勝利を喜ぶより、やのけいが敗れたことにがっかりするようになっていた。

プロレスとは実に、不思議なものだ。






gen28 at 17:57コメント(0)トラックバック(0) 
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