2015年07月30日

アカレンジャーズとBECK

7月26日、深夜。
「24時間プロレス」が開催された記念すべき日。

私と佐々木貴のタッグチーム「アカレンジャーズ」が、マンモス佐々木&神威を破り、FREEDOMSのタッグ王者になった。タイトル名はKFCタッグ。KING of FREEDOM WORLD CHAMPIONSHIP。ケンタッキー・フライド・チキンではない。私が欠場してた間に創立されたタイトルだから、名前の由来は全く知らない(笑
(マンモス・・・ またガンガンやろう!!)

第7代タッグ王者だ。セブンだ! 
だからなんだ。

貴とのアカレンジャーズは、結成してもう13年になる。

確か・・・ 俺がDDTの正規軍のリーダーだから、ゴレンジャーに例えればアカレンジャーだ。いや違う、俺がアカレンジャーだ! とか言い合い、だったら二人で「アカレンジャーズ」てことにしよう・・・  
ていうことになった気がする。
で、MIKAMIが宮内洋さんの大ファンだったから、俺はアオレンジャーになる、とか言ってた気も。

ああ、思い出した。
一宮さんがキレンジャーで、YOSHIYAくんがミドレンジャーで、前田美幸がモモレンジャーだった。


閑話休題。
そして3日後、FREEDOMS新木場にて葛西プロデュース興行。

急遽KFCタッグ選手権として、吹本賢児&藤田ミノル組を相手にして防衛戦を行うことに。


はい、あっという間に。

いや〜 ここまで目まぐるしいタッグ選手権はありませんね。はっはっは。


さて、次にアカレンジャーズとして出るのはいつでしょうか(笑


そういえば、けっこう前に、こんなことがありました。

足立知也(斗猛矢)さんの紹介で、映画の制作会社「モンスター☆ウルトラ」さんに赴き、映画「BECK」で、俳優さんがプロレスの技をかける場面が多々あるので、レスラーとして技を教える・・・ という名目で参加させて戴くことになった。
登場人物の一人が、プロレスファンという設定なので。

ロケやスタジオに度々行かせて戴いたが、ある時、自分は試合が入ってしまったので、急遽貴に頼むことになった。
あん時はFREEDOMSの旗揚げの準備で忙しかったが。そうだ、2009年7月だった。
貴に頼んだときは、フジロックフェスティバルの会場での大規模なロケだった。

貴は事情を全く知らなかったので、極秘のロケ写真をブログに堂々と載せてしまって、いち早く気づいて、すぐ消せ〜 と吠えたこともいい思い出。

何故か、私も貴も、アクションの監督さんに「先生!」と呼ばれてしまったこともいい思い出でした。光栄でした。


で、その後は、もう頼まれることもなくなり、「BECK」も公開されるのは一年後と聞いたので、記憶から消えてしまった。

2010年、「BECK」が公開された。

そっから誰から聞いたのか、覚えてないが。

映画には、最後のエンディングにキャストやスタッフロールが延々流されるが。

そこに普通に書いてあったという。

「プロレス指導 GENTARO 佐々木貴」

と。

制作の方々、本当にありがとうございました・・・


ですが「プロレス指導 GENTARO 佐々木貴(アカレンジャーズ)」とは書いてありませんでした。
それが唯一の心残りです。

全くの嘘です。





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2015年07月09日

あさり対タタミ


youtubeで、よく昔のプロレスを見る。

プロレスだけじゃなく、昔の特撮とかアニメもちょっと見る。

昔、のだ。現代のはよくわからない。


でだ。

アニメ「あさりちゃん」のオープニング・ソング。

もう二十年・・・いや三十年くらい見てなかったが、実に懐かしい。

あさりとタタミがリングでプロレスする場面で「首投げ、とびげり、四の字固め〜」の歌詞が流れる。

それはおぼろげに覚えていたが・・・

タタミの技が、凄い!素晴らしい!! 


自らロープに飛び、あさりにドロップキック・・・と、思いきやフライング・ヘッドシザース!

よく知らない方に説明すると、相手の頭に自分のまたぐら(正確に言えば、両ヒザの上部と両太股の下部)を挟みこみ、横回転。相手も首を固定されたのでなすがままに投げられる。一見沸くのはこの動きまでだが、痛めつけるのはこっからが本番。頚椎をやっちまうのです。詳しくはやのけいにでも聞いてください。


これはいい! ロープワークからのドロップキック、と思いきやヘッドシザース! これまで見た事もなかったかもしれない。何というフェイント!

今度出してみようかな。

タタミちゃん、ありがとう。

演出や作画した方々、ありがとうございました。

演出した方は、きっとプロレスマニアだったのでしょうか・・・
歌詞は「とびげり」なのに、実際はヘッドシザースとは。凄すぎます。 


「あさりちゃん」のアニメは、確か私が小学2年生の時でした。

原作も好きでした。コロコロコミックで読んでました。

最近、なぜか子供時代を振り返ってばかりです。

「晩年」なのでしょうか・・・









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2015年07月03日

さよならテイセンホール

2012年8月5日、FREEDOMS札幌テイセンホール大会。

昼大会は通常興行、夜は葛西プロデュース興行だった。

昼は木高イサミとストロングスタイル、夜は竹田誠志とはデスマッチトーナメント一回戦で有刺鉄線マッチ・・・と、既に決まっていた。

イサミとは・・・たぶん楽しかったんだろう。

レスリングを楽しんだ記憶がある。

45分フルタイムが終わった記憶もある。

イサミと握手して、お客さんにも手を振った、ような、記憶も・・・

階段を上って、控え室に帰り・・・ 

小鹿さんが誉めて下さったような記憶が。

そこに保坂さんや高岩さんがいたような。

次がメインイベントだから、今は貴や岡野さんたちはいないなあ、と思ったような。

イサミは上機嫌に何か言ってたような・・・

あまり気分が良くなくて、寝てしまったような・・・


気がついたら、控え室に救急隊員の方たちがいたような。

また気がついたら、外で救急車に乗せられてる途中の場面の記憶が。

目の前に高岩さんが。

「あー、すみません、すみません・・・」と言った記憶は、ある。


その後は、わからない・・・


記憶が戻ったのは、三日後だった、らしい。

場所は札幌の大きな病院の集中治療室、と後で聞いた。

寝たきり。身体が動かない。

言葉も話せない。

でも、自分ではこの状態がよくわからない。なんでこうなってるんだろう?

早く試合しなくちゃ、急いで会場に行かなきゃ、竹田と試合しなきゃ、と普通に思った。ような。


およそ三年後・・・


2015年6月30日、大日本プロレス札幌テイセンホール、プロレス・ラストマッチ。

テイセンは今回で終わる。

大日本だけでなく、たくさんのレスラーが集まった大会。

その中に、私を入れてくださった。私を。

大日本の皆様、ありがとうございました。本当に・・・

超、超満員のお客さんたち、本当に・・・

北海道のファンの方々も、たくさん、たくさん声を掛けて下さった。

こんなに・・・ 私なんかのことを思ってくれてるファンが、この北の大地にも、こんなにたくさんいたなんて。

ありがとう。

私はこれからも、がんばります。



テイセンはこれで終わってしまうんだ。

たくさんの楽しい思い出があったのにね・・・

会場の裏にあったコンビニはもう無いんだね。

それに裏はずっと広い空き地だったはずだが・・・

いつの間にこんなでっかい立体駐車場が??

昔は確か、空き地で、DDTの映像撮ってたなあ。ポイズン澤田ジュリーさんが蛇光教団の教祖だった時か。
いや、「心霊治療の先生」をやってた時だ!  覚えてるファンは手を上げて!!

あとテイセンじゃないけど、脳梗塞を早急に治そうとしてくださった札幌の大病院。

札幌の地は、プロレス人生に並行している気がする。

デビューから現在まで、ずっとあったから。





第五試合 木高イサミ、GENTARO対佐々木貴、ジ・ウインガー

三年前、テイセンで、45分フルタイムを戦ったイサミと今回はタッグを組んだ。

イサミや。フフフ。これからもよろしく・・・


相手は、貴、岡野さん。

貴・・・ 貴、たくさん、たくさん、ありがとう。病気になってた時も支えてくれた。

これからもよろしく。

DDTでの、初めてのテイセン大会、楽しかったな。10年以上前かな? 


岡野さんが、試合後のコメントで、テイセンでシャドウWX(志賀さん)と組んでいた時を思い出し、メッセージを・・・

いつもあんまりコメントを残さない岡野さんが・・・



ひとつ、言いたい。

全てのプロレスファンに。


ジ・ウインガーは、世界一のレスラーだ。







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2015年06月26日

筋肉と脂肪にまみれながらさあまだまだ続くんじゃない人生って



肉体的に、プロレスラーなら筋肉を増やす。当然だが。

筋肉も脂肪もとにかくどんどん身に付ける! そうすればデカくなる! これが昔のプロレスだった。

現在は、脂肪はちょっと減らして筋肉のカットを際立たせる、というやり方が主流になりつつあるのかな?


でも私は、もともと、昔のレスラー体型が好きだった。天龍さん、長州さん・・・ 今も憧れる、デカい体型!

だが、4ヶ月前、ほんのちょっと腹を引っ込ませよう、と思った。ほんの、だ。


・・・いつの間にか、腹筋6パックになってしまった。

自慢ではない。

やりすぎたのだ。


筋肉に脂肪をコーティングすることで、よりデカく見える。

さらに、一流ボディビルダーの方々は、脂肪が無くても、デカく見える。筋量が純粋に多いからだ。

だが、まだ私は筋量が、それほど多くはない・・・

だから、絞ったと言えば聞こえはいいが、痩せた、というかちょっと縮んでしまったかもしれない。


6パックもいいけどさ・・・

最優先は筋量である。

また筋肉も脂肪をどんどん身に付ける・・・ もいいんですが。

6パックはそのままで筋量だけ増やしていく、てのはなかなか難しいもんです。

ええ、どうしようか。まあ、どっちにしろがんばるしかないです。

肉体改造の道は遠く険しい。




ええと、杉浦透くん。

現在だいたい100キロですね。

さらに増やしましょう。どんどん運動してどんどん飯食って。

若手レスラーの中ではパワーがある方だと思います。

だけど、今絞っちゃったらだめです。ただ痩せちゃうだけですから。

そうねえ、110キロくらい行ったら、絞ってもいいかも。

もちろん、それだけ筋量を身に付ける義務がある。当然だが。

君はヘビー級のトップレスラーになるのだ。ははは。




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2015年06月09日

肉体改造、的な。


三ヶ月が過ぎた。

体重の「コントロール」ってのは、実に面白い。実に。

この私が、病気してた私がね。40過ぎた私がね。
ブルース・リーの動きみたいなことができるようになった、ていうのも実にね。

もうちょっと続けようかな・・・


みなさんも、面白いからやりましょう(笑 

たぶん、身体にいいです。たぶん。たんぱく質をふんだんに取りましょう。



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2015年05月24日

おゝとりゲン、北斗星司


ウルトラマンレオの声を、また真夏竜さん(おゝとりゲン隊員)があててらっしゃる! レオの本放送は昭和49年(1974)だったのに。
ウルトラマンエースの声を、また高峰圭二さん(北斗星司隊員)があててらっしゃる! Aの本放送は昭和47年(1972)だったのに。

ウルトラの同志・味方リングアナ(私はあんちゃんと呼ぶ)よ、2015年になっても、こんなことが出来てるって、本当にうれしいじゃない。

あんちゃん、真夏竜さんと知り合えたんだよなあ・・・ うらやましい。

いや、私は緊張してとても話せないかもしれない・・・


来年はウルトラマン50周年。

ウルトラは、日本の文化である。

これからも、永遠に。



で、最近のFREEDOMS。

今、思うのは。

ススムがね、進が、今、いいと思う。

関節技・・・サブミッションの使い方がね。イイ。












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2015年05月04日

また、成長しました。多分。



ここまで痛い思いをしたのは初めてかもしれない。

この場合の「痛み」とは、「皮膚感覚」の痛みだ。

「傷み」だ。

やっぱり私にはわからないな(笑


たった半月で三回デスマッチやってしまった。

慣れてるデスマッチファイターはそれこそ毎日。

だが私は慣れてるわけではないので。


有刺鉄線、蛍光灯、画鋲などなど、身体が「傷み」になると、安静にさせることも大事になる。

だが、トレーニングはもっと大事だ・・・ 大事に思ってしまう。


5月1日は、肩の後ろを18針縫った。

お医者さんは、安静に、とか言いますが。

安静にしてしまうと、筋肉が落ちる一方に!どうしようどうしよう!

とか思ってしまいます。

私はそれほど筋肉マンじゃないし、一週間ほどだったら筋肉はさほど落ちないものです。

でも、どんなレスラーでも、どんな時でもトレーニングを休んではいけないぞ!と思ってしまうものです。


私は、一ヶ月前から、何故か身体を傷めつけてます。

左脚ふくらはぎの肉離れになったときは、もうダメか?と思いました。

それから先述の数々のデスマッチ。

ストロングマッチでも、また肉離れになりそうでした。

プロレスの神様は、どこまで試練を与えようとしているのですか!


そういうわけで、一ヶ月前から、あまりジムに行けません。「安静」ばかりですから。

しかし、病気ではありませんから、筋肉は動かしたいものです。


アイソメトリック。静的トレーニング。

身体は動かさず、だけど思い切り筋肉を使います。

例えば、胸の前で、両方の掌を合わせ、思い切り押します。

静的です。でも疲れます。汗もかきます。

昔流行った、ブルワーカーが欲しくなります。買おうかな・・・


ブルース・リー。

リーもアイソメトリック・トレーニングをふんだんにやっていたはずです。

静かなる動き、しかし力強く・・・

ブルース・リーの動きはそのままアイソメトリックの動きに見えます。


私は40にして、またいろいろな事を勉強した。

ああ、脳梗塞から復帰して、ちょうど一年か。

私はまだ勉強中だ。




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2015年04月18日

現代デスマッチ

 
 
憎しみ合い、遺恨が燃え盛る両者だからこそ、殺し合いになるくらいのアイテムを使うことになる、まさに最終決戦・・・ だったのだが。

昔で言えば、猪木さんと上田さんの釘板マッチ。

私の高校生の時だったら、大仁田さんと後藤さんの電流爆破マッチ。

松永さんとポーゴさんのファイヤーマッチ。

ポイズン澤田さんの!マムシデスマッチもあった・・・


まあ、それがデスマッチだったのだが。現代では違う。 

憎しみでなく、あくまで試合形式の一つである。


だが、いまだに、その形式は慣れない。

例えば、デスマッチトーナメントで、岡野さんが貴や葛西と普通に戦うってのは・・・

いや、現代ではあくまで形式、なんだが。

「デスマッチ?痛いけど、まあ、やんなきゃね〜」とボソッとつぶやいて、普通に勝ってしまうのが我らの岡野さんなのだが。


フリーダムズのベルトを持ってる竹田が、デスマッチ大好き!笑っちゃうくらい大好き!かかってこいやデスマッチ好きども!!と言い放つ。

私は、デスマッチ好きではないが、もうそろそろベルトを取りたい。復帰から1年になる。

そしたら、あえてベルトのために、デスマッチに脚を踏み入れるってのは、理由になるんじゃないかと。


デスマッチはいろいろやった気がする。

有刺鉄線は数え切れないくらいやったな。
大仁田さんのチームで、ポーゴさんや矢口さんにたくさんやられた。
長州さんの団体で、予定なかったのに突然マンモスたちと有刺鉄線ボードやらされたなぁ。今思えば思い出。
有刺鉄線バットで思い切り殴られた。非道・・・高山さん。あんなに痛かったのは無かったような。

画鋲マッチも何回か。
10年前、デスマッチトーナメントで、葛西とやったのが記憶に新しい。

5年前、またデスマッチトーナメントで、MASADAと、剣山デスマッチ。
まあ、剣山より、MASADAが得意な、焼き鳥の串でブスブス刺される方が痛かったが。

あとは何やってたっけ。よく覚えてない。
カークラッシュやったっけ。
電流爆破やったっけ。まあ、もういいや。


蛍光灯マッチ。

2007年、岡野さんとヒロキで、パルプパックスていうユニットを組んでいた。

アンチデスマッチ!

葛西や貴とデスマッチしたが、もちろんしっかり服着用。つなぎとかジャージとか。楽しかった。

ヒロキが胸椎骨折で、パルプパックスもうやむやになったような気がするが。ヒロキ、よく復帰できたよなあ・・・


で、現在、普通に裸で蛍光灯マッチ。

やっぱり痛い。

蛍光灯ってのは、生傷がダイレクトに来る。

5月1日はもっと痛いだろう。


裸で蛍光灯、は初めて食らった、と思う。

自分の生傷だらけの身体を見て、よくわかった・・・

人間の肉体は、防衛本能が働くようになっている。

ほんの一日で、肉体の変化がよくわかる。

わずか一日で、脂肪の付き方が違う。

私はいつも腋毛を剃っているが、わずか一日なのに伸びが速い。

爪の伸び方も速い。


身体は正直だ・・・


アンチとか言うのはやめよう。

デスマッチファイターたちの生き様はすごい、と思う。


だが、私はデスマッチファイターでは、ない。

昔も今も、未来も。





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2015年04月09日

時代は変っている。平和なんだ・・・



息子が6年生になった。

最上級生なら、社会では歴史を学ばなければ。教えることはできそうだ。

歴史の教科書を開くと・・・  ドラえもんとドラミとのび太としずちゃんとジャイアンとスネ夫がタイムマシンに乗って、さあ、歴史を学ぼう!!と・・・  教科書に出てるんですよ・・・ 
なんていう現状!!

無論描いているのは藤子プロの方たち。藤子F先生はどう思ってくださっているのでしょうか。

私は歴史を楽しく学びたくて、イラストを交えてたくさん描きました。
私の時代ではただ押し付けるだけの学習でしかなかったと思います。
ノートの中では、奇面組のキャラを使って、零くんや豪くんや仁くんにしゃべらせました。
これが精一杯の抵抗でした。

今ではどうでしょう・・・

日本はどんどん平和です。

いざこざはたまにはあるでしょうが・・・

昔に比べれば、全く・・・

そう思いたいです。


プロレスは余計、非日常の世界です。
私がちょっと肉離れを起こしましたが、それも非日常の出来事。なかなか歩けないです。また杖つきます。
それって滅多にあるものじゃない。
だから、楽しいです。そういうもんです。

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2015年03月18日

プロレスはこうでなきゃ!ていう試合を見た


ネットは便利な時代だ・・・

で、すごく面白い試合を見てしまった。

本当にすごい。プロレス!だった・・・

1978年12月5日、世界最強タッグ公式戦、大阪府立体育館。

ドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク対ニック・ボックウィンクル&ブラック・ジャック・ランザ。

テクニックあり、ラフあり、場外戦あり・・・そして、決着。

なんでもあり、の試合。

ファンクスの全盛期にふさわしい試合。ドリーのヒゲがいい。

ニックも・・・ もうすごいとしか言えません。ほとんどハリウッドの名優というか。

かなり前、ZERO1に来日され、私は記念に並んで写真(写メだが)撮っていただいた記憶が。今もう無い・・・。

ランザの存在も大きかった。ランザは現在でもWWEの名誉エージェントなのだ。

みなさんもぜひ見て下さい。ネットで。検索すれば出てくるでしょう。おそらく。

大塚さん(MEN'Sテイオー!)は絶対とっくの昔に御覧になっているはずだから、今度お話したい。ぜひ。



そうだ。

今、思いましたが・・・ ぼくらの岡野さん、ジ・ウインガー。

今の岡野さんは、ニックの境地です・・・

わかりますよね!





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2015年03月06日

錯乱坊(チェリー)!!



新しい記憶は、すぐ忘れてしまうようになってしまった。

だから私が病気になった間にデビューした子たちの名前は、わからない。

言われたら思い出せるが、オブラートに包まれている感じである。

後遺症なのか、年でボケてるのかはわからない(笑


だが、古い記憶はちゃんと覚えている。2歳、3歳の時も。

子供の記憶は強烈だ。

三番目の姉(5さい)から、「もう元くんは3さいのお兄ちゃんなんだからね!」と説教されたこととか。


あまりテレビを見せてくれなかったが、それでも覚えているものだ。

昭和52年はジャッカー電撃隊。今も続くスーパー戦隊シリーズである。
ダイヤ・ジャック(青)のヘルメットを誕生日に買ってもらった。
何故、一番人気のスペード・エース(赤)ではなかったのかは覚えていない。多分売り切れだったんだろう。

昭和53年はウルトラセブンの再放送。朝七時だった。
昔は深夜放送などなく、朝はこれが放送の始まりだった。

同年、スパイダーマンがやっていた。日本版だ。
東映ヒーローとして、だ。「レオパルドン」という巨大ロボットに乗って戦うのだ。

昭和54年、私は5歳。年中さんだ。アニメ版ウルトラマン「ザ・ウルトラマン」を毎週楽しみにしていた。

昭和55年、私は6歳。年長さんだ。もう熱中していた。もちろんウルトラマン80だ。

このころになれば、記憶は鮮明になっていく。

8時だョ!全員集合、ザ・ベストテン、ザ・トップテン。オレたちひょうきん族はまだだったか、初期だ。

そして小学一年生になっていた私は、プロレスにたどりつく。


友達になった「MねおKんいち」からプロレスという概念を教えてもらった。

ジャイアント馬場、アントニオ猪木という名前をよく聞かせてもらった。最初は名前だけ。

何故か、馬場は日本人で猪木はブラジル人、とよく言ってた。子供はいろいろな事を聞いて、結果を出すものだ。

アントニオ猪木はテレビで見た。腕を上げて雄叫びする猪木を見て、なるほど、日本人ぽくないなあ、ブラジル人なんだなあ、とか思った。今でいう「ダーッ」であった。

MねおKんいちは、巨体な人を見ると必ず「あっ、ジャイアント馬場だ!」と言っていた。太っていた人もいた。馬場はそういうものなのかな、と思っていたが、全然違った。初めて思ったのは「背高い」である。
Mねお家に遊びに行った時に、全日本中継を初めて見た。土曜の夕方だった。
タッグマッチで馬場さんは確かロッキー羽田と組んでたような。
小鹿さんだったらいいね!!


ま、幼少から記憶を掘り起こしたら、キリが無いのでひとまず。

思い出になる記憶はたくさんあるが、現代にはなかなか無い。

テレビもロクに見ない。見ても覚えられない。

20代10代のタレント、俳優、女優を見ても、全くわからない。

あきば・・・AKBだったか。だれがいるのかもわからない。

顔の区別がなかなか付かない。甥っ子は熱中しているのだが。

人気ありそうで面白い顔してる子はわかる(笑 名前わからないが。

あ、「前田敦子」さんはわかる! 5年前くらいから活躍してるから! でもAKBじゃないんだっけ?? なんだっけ?


私が幼少のころからわかる方々はたくさんいるが・・・

高倉健さん、菅原文太さんが亡くなった時は悲しかった。

声優さんの永井一郎さん、大塚周雄さん、納谷悟郎さん、六郎さんも・・・

年を重ねる度に、いろんな方々が亡くなっていく。いろんな出来事が起こり、過ぎ去っていく。

「アイドル」だった方々はもう還暦になろうとしている。

月日。

光陰矢の如し。






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2015年03月05日

体型



体重の数値を気にするのやめた。

100キロだろうが90キロだろうが、あまりわからないものだ。

食べ物を気にすることにした。

ダイエットではない。

ただ質を気にするようになっただけだ。

牛肉(霜降りじゃないやつ)を食うようになった。

炭水化物を減らすようになった。

どんなになるかなあ。


変わらなかったら、気にするのやめるけど。



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2015年02月27日

ポール・マッカートニーは神様



2002年11月、東京ドームのコンサートに行った。

私はまだ結婚する前。28だった。

ポール様は60歳だった。
ロックシンガーとしては、もう「晩年」だろうと、誰もが思っていた。

ビートルズ時代のポールの曲に、「When I'm Sixty-Four」がある。
君は、僕が64歳になっても一緒にいてくれるかい? という内容だ。

ポールが64になったら・・・もう歌ってないだろうな、とか思いがちだった。

64歳になったポールは、ちゃんと活動していた。
さらに、再婚相手だったへザー・ミルズとの離婚、慰謝料47億円・・・
元気すぎる。全く老いてない。

現在、ポール様は72歳。
健在。


またコンサートやるんだ。

去年、病気でキャンセルしたんだっけ。でもまた復活か。

ポール様を拝もうかな。

現人神、だ。


ポール様の左利きベース、ヘフナー。

私は右半身不随になってしまったので、あまり細かい作業は出来なくなっている。
だったら左手でベースを弾けるかな。いや、もともと弾けなかったけど。













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2015年02月19日


息子は11歳になった。

そろそろ六年生になる。

月日はどんどん速く感じる。光陰の矢の如し。

ブログを更新していて、よかった。

息子が赤ちゃんの頃から書いてて、よかった。
写メ撮っていて、よかった。

本当に。


ありがとう管理人さん。

そして読者のみなさん。



誰か教えてくれないか。

今の私は、何なんだろう。

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2015年02月03日

レネ・グレイを知ろう

昔のプロレスと現代のプロレスは大分違う。

まあ、1920年代のプロレスと1970年代のプロレスも違うと言えるからいいんじゃないかと。


良いとしよう。

昔でも現代でも共通するものはたくさんある。


新日本プロレスで行われた第2回MSGタッグリーグ、1981年年末。

決勝戦はアントニオ猪木&藤波辰巳対アンドレ・ジャイアント&レネ・グレイ。

TV観戦していた私は小学一年生だった。

レネ・グレイなど知るわけは無かった。
見かけも弱そうだった。
だが、あれよあれよとタッグリーグに勝ち進み、アンドレと決勝へ。

不思議だった。
何故だ?こんな弱いのに。

決勝でも、弱かった。
だが、レネ・グレイは猪木さんを分断し、アンドレが藤波さんをフォール! 
アンドレ、グレイ組、優勝!!

え〜〜〜〜、なんでだ〜〜〜〜

と、当時は思った。

だが、強烈な記憶だ。33年前なのに、だ。

その時点ではネガティブな記憶だったが、大体そういうものはポジティブな記憶になるものだ。

プロレスでもっと大きな規模だと、アントニオ猪木対モハメッド・アリがそうだと思う。当時は茶番とか大凡戦とか、それはもう大々的に言われたが、今では総合格闘技の元祖くらいに言われている。

で、レネ・グレイはうれしさのあまり、アンドレに抱きつき、二人でガッツポーズ!
もちろんアンドレに抱っこされたままで。

ネット探したら、その試合があった。
記憶のままだった・・・

泣けた。いろんな意味で。 


レネ・グレイのことは、もっと成長した後に知った。
カール・ゴッチとWWWF世界タッグ王座に就いたことがあるとか。今で言うWWE。

さらに、今になって、さらに詳しく知りたくなった。
え? アンドレと組んだときはもう49歳だったのか・・・

ネットでこの試合を見れて、よかった。いろいろ知れた。

49歳・・・ だが身体ちゃんと作ってる! というか、横幅が大きい!
弱い弱いと思ってたが、アンドレと比べたら小さく見えるだけで、日本人レスラーとは比較にならない。

確かにやられ役に徹してる。
だが、フィニッシュを取られないように、しっかりとスルーしている!
レスリングもしっかりしすぎてる。速い・・・

レネ・グレイは、むちゃくちゃ巧い、巧すぎるレスラーだったのだ・・・
私が知らなかっただけだが。

引退後は、WWF(今のWWE)のエージェントになり、バックステージでたくさんのレスラーを指導したそうで。
それはそうだ、それくらい偉大なレスラーだったのだ。

ブレット・ハートとの試合もあった。巧い。
ヒットマンが若い時だが、どんどん先導してる。「ホレホレ、こうだよ、こっちだよ」と。

レネ・グレイ氏は50を越えていたはずだ・・・


私はまだまだ、成長できるな。








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2015年02月02日

無題にしましょう



西から昇ったお日さまが東に沈む。

私は全てさかさまに生きたいものだ。

あら不思議、さかさまにしたら全部わかったわ。今まで全然わからなかったのに。

いろいろわかるようになった。

病気になる前はわからなかったものも、病気になった「おかげで」わかるようになった。

いろんなものがね。

難しい数式や外国語は全くわからない。

が、人の心とかね。

なぜか、わかるようになった。テレパシーじゃなくてね。


性善説と性悪説。

性悪は・・・悪に染まりきってる人間はあまりいないだろう。この時勢だと余計に。
性悪はあったとしても必ず、報いが来る。必ず。

性善は、大体の人々が持ってる。というか。

どんな人間でも、性善と性悪、両方持ってるものだ。

また言うが、性悪をやらかした人間は必ず報いが来る。
そして反省して性善をする。
だが忘れしまうとまた、性悪をしてしまう。報いが来る。だから性善を・・・ だがまた・・・

私も、また。
性悪の報いがあったのだ。きっと。
人間の心を傷つけてしまった報いが。


ところで、話は変わるけど。

プロレスはもともと面白いものです。
だから、さらにシンプルイズベストが必要だと。

たくさんのお客さんがもっともっと入り込んでいけるような。

そう、「大衆」が。

そしてストロングな。それがプロレス。
 
それがアントニオ猪木さんだと思います。私はね。

そして、「作品・アントニオ猪木」を形成するのは

「ルー・テーズ」と「バディ・ロジャース」だと思います。

まあYOUTUBEで御覧になってください。






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2015年01月19日

2015

 

みなさん、あけましておめでとうございます。

私は今年、厄年です。「本厄」ですね。
数え年だと42ですね。

さあ、どうなることやら。

まあ、私は生きることに執着しないタイプですから、何が起こってもいいでしょう。

私は、脳梗塞で、人間は儚いものだと思えるようになりました。死んだら終わりです。

だけど、それまで、たくさん生きればいい。自分のため、親兄弟のため、友達のため、子供のため、他の人々のために。全てに。

長くても、短くても、その人生が喜ばしいならいいじゃないか。

だから、生きてるうちに何かを成し遂げられればいいな、と思います。




今年の目標

筋肉体重増加。

もっともっとデカくなりたいですね。

身体が重い、とは言ってられません。
100キロくらいになりたいですね。
40歳越えても、どんどん筋量を増やせばさらに元気になるはずです。

全盛期はこれからです。



私はルー・テーズになります。





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2014年12月31日

2014年でした


私は復帰できました。

すべての方々に。ありがとうございました。

そして、これからまだまだやっていきます。

本当にありがとうございました・・・


5月に復帰して、もう年末。

早い。
時間の感覚がさらに早くなっている気がする。

息子は来年は六年生になる。
脳梗塞になったときはまだ三年生だった。

ダウンタウンの年末の「ガキ使」の特番で早い感覚がわかる。
去年はたしか科学特捜隊みたいなのをやっていた。
脳梗塞の前にも録画して編集して・・・
5、6年前は録画できなかったので、MIYAWAKIから、録画したDVDを迅速にもらった。
私は大して興味ないのだが、嫁が好きなので、ミヤワキを急かせてしまった。
まあ、私は昔の「ごっつええ感じ」は大好きだが、「ガキ使」はそうでもない。
私はコントが好きなのだ。


閑話休題。


私はいろんな団体に出していただいた。

たくさんのいろんな選手と、また戦えた。

私はたくさん戦えた。

パワーもスタミナも、前よりついた。

半身不随や言語障害の後遺症はもう全く・・・

無くは無いが、それ以上に、前より試合運びが上手くいってる。

だから、それでいい。


私は、プロレスラーである。

私はプロレスをしている。

プロレス、なんて面白いんだ。

私はプロレスで人生を、賭けて、駆けて、懸けて、翔けている。







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2014年12月23日

アジアンのプロレス!!

 

アジアン・スポーツ・プロモーション。
これが正式名称だったと思う。今はよくわからないが・・・

アジアンのエースは畠中浩旭さん。
プエルトリコでデビューし、SWS入り。
すごく大きい。でかい。推定だが、185センチで140キロ。あくまで推測。でかかった。

アジアンはプロレスマスコミに一切発表してない。
たぶん、面倒なんだろう。
プロレスを行うのは北海道や地方の田舎や、離れ小島。
そこで、お客さんはすごく喜んでくれる・・・ すごく。

私がアジアンで試合したのはデビュー当初だった。
それから15年余、今でも普通に行われている。
たぶん、全く変わって無いんだろう。それがまた、いい。

さーくんも、ユウコウも、イサミも、若手時代にアジアン経験していた。
みんな、アジアンの話になると笑顔になる。
今は、誰が行ってるんだろう?
力さん(維新力)が行ったと聞いた気がするが・・・


1999年8月、華☆激の北九州大会で、ディアブロさんが脱臼してしまった。
ディアブロさんは、痛みより、直後のアジアンに出られないことを悔やんでいた。

「ゲンちゃん、アジアン、出られない? 俺の代理でさ」

私はびっくり仰天した。

この当時は、まだ記事もあり、カード発表もあり、ベテラン勢もたくさん参戦していたからだ。

まだ夢ファクトリーと華☆激とDDTくらいしか試合してなかった、ぺーぺーのぺーぺーだった。


羽田空港で、国際プロレス出身の大ベテラン・高杉正彦さんと初めてお会いした。

「初めまして、ブラック・パンサーと申します」
今回の参戦は、私はFM-TAROではなく、パンサーだった。夢ファクの事情なのか華☆激の事情なのかは覚えてない・・・

高杉さんは温厚な方だった。「よろしくね」

そして、私に聞いた。
「ええと、君はリングアナ?」

私は80キロそこそこしかなかった。

現在のインディーは80キロどころか、60キロ台だっているが、当時はプロレスラーはガッチリが当たり前だった。
か細い、筋肉量も無かった私がレスラーと思えなかったのは当たり前である。


北海道の空港に着き、畠中さんに初めてお会いした。

なんてでかいんだ・・・

高杉さんは横幅は凄かったが、上背は同じくらいだった。
だが畠中さんはさらにでかかった。巨人にしか見えなかった。

「初めまして、(以下略」

「おう・・・」

おいおい、こいつ、ほっせえな〜 本当に大丈夫か??

目がそう言っていた(笑


確か、初戦は、競馬の馬のオークションが行われる場所での興行だった。さすが北海道。その概念はなかった。

リングを組んだ後、畠中さんに呼ばれた。
「お前、ちょっと、見せてみろ」

畠中さんは私の力量が全くわからなかったんだろう。

当時アジアンの若手だった菅沼修(今でも「おっさん」と呼ぶ。なつかしい顔)とのプロレス・スパーリングをやることになった。

これなら、大得意だ。UWF入りからもう5年やってる(笑

「もういい。ふうーん・・・ わかった」

それで終わった。
どうやら畠中さんは、納得してくれたようだった。


他に参戦されていたのは、高杉正彦さん(ウルトラセブンとして!)、アポロ菅原さん、川畑輝真さん。みんなヘビー級だった。昔W☆INGのエースだった徳田光輝さんもいた(色々あった方だと聞くが、私には優しかった)。
夢ファクから参戦していたのは死神。死神はでかいのだが、みなさん、もっとでかく見える。死神が小さく見えた・・・ 上背なら勝っているはずなのに。

とにかく、筋肉量ででかく見せなければならないことを学習した気がする。

そして、試合後の宴会で、高杉さんもアポロさんも川畑さんも、私の試合を誉めてくれた。
センスいいよ。だからとにかく身体作りなさいね、と・・・


ベテランの方々が誉めて下さったんですよ?

当時、俺はダメなのかな・・・と思っていた。誰からも何も言われなかったから。

それなのに、国際、全日、新日、SWSと大きい団体を渡り歩いた方々から、誉めてもらえた。なかなかあることではなかった。

今でも誇りに思う。
そしてもっともっと身体を作ります。
後輩たちにももっともっと指導します。

アジアンに参戦できてよかったですよ、畠中さん。


畠中さんとは、もうここ6、7年会ってませんね。

畠中さんはすごい方です。プロレスが巧みすぎな方です。

でっかいレスラーがさらに動く、飛ぶ!

そりゃあ、地方のお客さんが沸くはずです。喜ぶはずです・・




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2014年12月19日

学生プロレスのメジャー団体、それがUWF

少なくとも15年前くらいまでは、我らがUWF関東学生プロレス連盟が、沢山の大学が加盟し、選手が溢れていた。
だから出席率も技術も、みんなわれ先にトップを目指していた。落伍者は前座にしかならなかった。厳しい世界。

大塚さん(Men'sテイオー)が三年生の時・・・確か1987年か。みなさんでリングを購入した。当時400万。
運搬トラックがなかったため、その時点ではウォーリー山口さんに預かってもらっていた。
北尾さんの練習や、FMWの練習に使われたこともあった。
大塚さんたちが、馬場さんにレクチャーしていただいたこともあった・・・ 
なんというメジャー・・・

そのリングは現在でも使われています。。。

それと、その名はプロレス界のUWFより古かった。学プロ世界で一番最初に発足したのは昭和53年。前田さんが旗揚げしたプロ興行は昭和58年・・・ パロディじゃないんです。
UWFはユニバーシティ・レスリング・フェデレーション。

さて、他の学生プロレスと違うのは、Uの一年生の間は、必ず基礎技術の鍛錬になる。
大技といえばボディスラム、ドロップキック。そしてグラウンド技術。ミサイルキックやろうもんなら先輩から大目玉を食らった。極端な私はシューティングスタープレスなどやって総攻撃を食らった・・・
とにかく一年間は修行なのだ。


前置きが長かったですが。
昨日、新木場でごじゃっぺプロレスがありました。

ごじゃっぺプロレス対FREEDOMSという対抗戦。

私は、加藤茂郎さんと対戦した。
加藤さんは私の大先輩。
城西の直属の先輩。私が入学した時点で、もうOBでした。
そしてレッスル夢ファクトリー選手!

レッスル夢ファクトリーに入りたかった私に、車磨きの仕事を紹介してもらいました。
入団の近道と思ったんです。加藤さんや死神と一緒にやりました(笑
私の恩人です。

ですが、私の怖い先輩なのは変わりません。
試合運びも上手く、一筋縄ではいかない選手。かなり細身ですが。

以前も試合しましたが、無効試合。
だから今回は決着をつけよう、と張り切りました。

今回、加藤さんは、セコンドを連れてきました。
加藤さんの同期、さらに私の城西の大大先輩、ヒートたけしさんとマミー秋元さんです!!

ヒートさんは、大塚さんが巻いていた、エリートの証、UWF世界ライトヘビー級王者でした(その後は小澤さんも川嵜も巻いていました!)。
ラ・ケブラーダを難なくこなし、フランケンシュタイナーをプロより早く出したすごい方・・・

マミーさんは、加藤さんとタッグを組み、UWF世界タッグ王者として暴れ回ってました。
こいつは調子に乗ってるなあ、という選手がいたら、遠慮なく試合でつぶしていました。それくらい恐怖の的でした。

まあ、この方々より恐怖の的だったのはもちろん大塚さんでしたが。
大塚さんは、本当にやさしくなりました・・・


で、試合。
やはり加藤さんは上手かったですね。
肉体があれば、私はもう敵わなかったかもしれません。

そして、マミーさんとヒートさんが私に手を出す!
もちろん反則かもしれませんが、私はうれしかったんです。
ヒートさんは私に雪崩式バックドロップを「してくれた」んです。
もちろん痛かったですが、それ以上にうれしかったです。
雪崩式バックドロップは、ヒートさんのフィニッシュでした・・・

最後、命からがらリングアウトで勝つことができました。

それ以上に、大先輩たちと戦えたことがうれしかったです。

ごじゃっぺがその土壌を許してもらえたことも。
マスコミが取材しない大会でしたが、学生プロレス時代を大いに振り返ることもできたんです。

私は幸せでした。

脳梗塞で復帰できてよかったです。

思い出を現実にできたんです・・・









gen28 at 01:53コメント(0)トラックバック(0) 
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