2015年05月24日

おゝとりゲン、北斗星司


ウルトラマンレオの声を、また真夏竜さん(おゝとりゲン隊員)があててらっしゃる! レオの本放送は昭和49年(1974)だったのに。
ウルトラマンエースの声を、また高峰圭二さん(北斗星司隊員)があててらっしゃる! Aの本放送は昭和47年(1972)だったのに。

ウルトラの同志・味方リングアナ(私はあんちゃんと呼ぶ)よ、2015年になっても、こんなことが出来てるって、本当にうれしいじゃない。

あんちゃん、真夏竜さんと知り合えたんだよなあ・・・ うらやましい。

いや、私は緊張してとても話せないかもしれない・・・


来年はウルトラマン50周年。

ウルトラは、日本の文化である。

これからも、永遠に。



で、最近のFREEDOMS。

今、思うのは。

ススムがね、進が、今、いいと思う。

関節技・・・サブミッションの使い方がね。イイ。












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2015年05月04日

また、成長しました。多分。



ここまで痛い思いをしたのは初めてかもしれない。

この場合の「痛み」とは、「皮膚感覚」の痛みだ。

「傷み」だ。

やっぱり私にはわからないな(笑


たった半月で三回デスマッチやってしまった。

慣れてるデスマッチファイターはそれこそ毎日。

だが私は慣れてるわけではないので。


有刺鉄線、蛍光灯、画鋲などなど、身体が「傷み」になると、安静にさせることも大事になる。

だが、トレーニングはもっと大事だ・・・ 大事に思ってしまう。


5月1日は、肩の後ろを18針縫った。

お医者さんは、安静に、とか言いますが。

安静にしてしまうと、筋肉が落ちる一方に!どうしようどうしよう!

とか思ってしまいます。

私はそれほど筋肉マンじゃないし、一週間ほどだったら筋肉はさほど落ちないものです。

でも、どんなレスラーでも、どんな時でもトレーニングを休んではいけないぞ!と思ってしまうものです。


私は、一ヶ月前から、何故か身体を傷めつけてます。

左脚ふくらはぎの肉離れになったときは、もうダメか?と思いました。

それから先述の数々のデスマッチ。

ストロングマッチでも、また肉離れになりそうでした。

プロレスの神様は、どこまで試練を与えようとしているのですか!


そういうわけで、一ヶ月前から、あまりジムに行けません。「安静」ばかりですから。

しかし、病気ではありませんから、筋肉は動かしたいものです。


アイソメトリック。静的トレーニング。

身体は動かさず、だけど思い切り筋肉を使います。

例えば、胸の前で、両方の掌を合わせ、思い切り押します。

静的です。でも疲れます。汗もかきます。

昔流行った、ブルワーカーが欲しくなります。買おうかな・・・


ブルース・リー。

リーもアイソメトリック・トレーニングをふんだんにやっていたはずです。

静かなる動き、しかし力強く・・・

ブルース・リーの動きはそのままアイソメトリックの動きに見えます。


私は40にして、またいろいろな事を勉強した。

ああ、脳梗塞から復帰して、ちょうど一年か。

私はまだ勉強中だ。




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2015年04月18日

現代デスマッチ

 
 
憎しみ合い、遺恨が燃え盛る両者だからこそ、殺し合いになるくらいのアイテムを使うことになる、まさに最終決戦・・・ だったのだが。

昔で言えば、猪木さんと上田さんの釘板マッチ。

私の高校生の時だったら、大仁田さんと後藤さんの電流爆破マッチ。

松永さんとポーゴさんのファイヤーマッチ。

ポイズン澤田さんの!マムシデスマッチもあった・・・


まあ、それがデスマッチだったのだが。現代では違う。 

憎しみでなく、あくまで試合形式の一つである。


だが、いまだに、その形式は慣れない。

例えば、デスマッチトーナメントで、岡野さんが貴や葛西と普通に戦うってのは・・・

いや、現代ではあくまで形式、なんだが。

「デスマッチ?痛いけど、まあ、やんなきゃね〜」とボソッとつぶやいて、普通に勝ってしまうのが我らの岡野さんなのだが。


フリーダムズのベルトを持ってる竹田が、デスマッチ大好き!笑っちゃうくらい大好き!かかってこいやデスマッチ好きども!!と言い放つ。

私は、デスマッチ好きではないが、もうそろそろベルトを取りたい。復帰から1年になる。

そしたら、あえてベルトのために、デスマッチに脚を踏み入れるってのは、理由になるんじゃないかと。


デスマッチはいろいろやった気がする。

有刺鉄線は数え切れないくらいやったな。
大仁田さんのチームで、ポーゴさんや矢口さんにたくさんやられた。
長州さんの団体で、予定なかったのに突然マンモスたちと有刺鉄線ボードやらされたなぁ。今思えば思い出。
有刺鉄線バットで思い切り殴られた。非道・・・高山さん。あんなに痛かったのは無かったような。

画鋲マッチも何回か。
10年前、デスマッチトーナメントで、葛西とやったのが記憶に新しい。

5年前、またデスマッチトーナメントで、MASADAと、剣山デスマッチ。
まあ、剣山より、MASADAが得意な、焼き鳥の串でブスブス刺される方が痛かったが。

あとは何やってたっけ。よく覚えてない。
カークラッシュやったっけ。
電流爆破やったっけ。まあ、もういいや。


蛍光灯マッチ。

2007年、岡野さんとヒロキで、パルプパックスていうユニットを組んでいた。

アンチデスマッチ!

葛西や貴とデスマッチしたが、もちろんしっかり服着用。つなぎとかジャージとか。楽しかった。

ヒロキが胸椎骨折で、パルプパックスもうやむやになったような気がするが。ヒロキ、よく復帰できたよなあ・・・


で、現在、普通に裸で蛍光灯マッチ。

やっぱり痛い。

蛍光灯ってのは、生傷がダイレクトに来る。

5月1日はもっと痛いだろう。


裸で蛍光灯、は初めて食らった、と思う。

自分の生傷だらけの身体を見て、よくわかった・・・

人間の肉体は、防衛本能が働くようになっている。

ほんの一日で、肉体の変化がよくわかる。

わずか一日で、脂肪の付き方が違う。

私はいつも腋毛を剃っているが、わずか一日なのに伸びが速い。

爪の伸び方も速い。


身体は正直だ・・・


アンチとか言うのはやめよう。

デスマッチファイターたちの生き様はすごい、と思う。


だが、私はデスマッチファイターでは、ない。

昔も今も、未来も。





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2015年04月09日

時代は変っている。平和なんだ・・・



息子が6年生になった。

最上級生なら、社会では歴史を学ばなければ。教えることはできそうだ。

歴史の教科書を開くと・・・  ドラえもんとドラミとのび太としずちゃんとジャイアンとスネ夫がタイムマシンに乗って、さあ、歴史を学ぼう!!と・・・  教科書に出てるんですよ・・・ 
なんていう現状!!

無論描いているのは藤子プロの方たち。藤子F先生はどう思ってくださっているのでしょうか。

私は歴史を楽しく学びたくて、イラストを交えてたくさん描きました。
私の時代ではただ押し付けるだけの学習でしかなかったと思います。
ノートの中では、奇面組のキャラを使って、零くんや豪くんや仁くんにしゃべらせました。
これが精一杯の抵抗でした。

今ではどうでしょう・・・

日本はどんどん平和です。

いざこざはたまにはあるでしょうが・・・

昔に比べれば、全く・・・

そう思いたいです。


プロレスは余計、非日常の世界です。
私がちょっと肉離れを起こしましたが、それも非日常の出来事。なかなか歩けないです。また杖つきます。
それって滅多にあるものじゃない。
だから、楽しいです。そういうもんです。

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2015年03月18日

プロレスはこうでなきゃ!ていう試合を見た


ネットは便利な時代だ・・・

で、すごく面白い試合を見てしまった。

本当にすごい。プロレス!だった・・・

1978年12月5日、世界最強タッグ公式戦、大阪府立体育館。

ドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク対ニック・ボックウィンクル&ブラック・ジャック・ランザ。

テクニックあり、ラフあり、場外戦あり・・・そして、決着。

なんでもあり、の試合。

ファンクスの全盛期にふさわしい試合。ドリーのヒゲがいい。

ニックも・・・ もうすごいとしか言えません。ほとんどハリウッドの名優というか。

かなり前、ZERO1に来日され、私は記念に並んで写真(写メだが)撮っていただいた記憶が。今もう無い・・・。

ランザの存在も大きかった。ランザは現在でもWWEの名誉エージェントなのだ。

みなさんもぜひ見て下さい。ネットで。検索すれば出てくるでしょう。おそらく。

大塚さん(MEN'Sテイオー!)は絶対とっくの昔に御覧になっているはずだから、今度お話したい。ぜひ。



そうだ。

今、思いましたが・・・ ぼくらの岡野さん、ジ・ウインガー。

今の岡野さんは、ニックの境地です・・・

わかりますよね!





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2015年03月06日

錯乱坊(チェリー)!!



新しい記憶は、すぐ忘れてしまうようになってしまった。

だから私が病気になった間にデビューした子たちの名前は、わからない。

言われたら思い出せるが、オブラートに包まれている感じである。

後遺症なのか、年でボケてるのかはわからない(笑


だが、古い記憶はちゃんと覚えている。2歳、3歳の時も。

子供の記憶は強烈だ。

三番目の姉(5さい)から、「もう元くんは3さいのお兄ちゃんなんだからね!」と説教されたこととか。


あまりテレビを見せてくれなかったが、それでも覚えているものだ。

昭和52年はジャッカー電撃隊。今も続くスーパー戦隊シリーズである。
ダイヤ・ジャック(青)のヘルメットを誕生日に買ってもらった。
何故、一番人気のスペード・エース(赤)ではなかったのかは覚えていない。多分売り切れだったんだろう。

昭和53年はウルトラセブンの再放送。朝七時だった。
昔は深夜放送などなく、朝はこれが放送の始まりだった。

同年、スパイダーマンがやっていた。日本版だ。
東映ヒーローとして、だ。「レオパルドン」という巨大ロボットに乗って戦うのだ。

昭和54年、私は5歳。年中さんだ。アニメ版ウルトラマン「ザ・ウルトラマン」を毎週楽しみにしていた。

昭和55年、私は6歳。年長さんだ。もう熱中していた。もちろんウルトラマン80だ。

このころになれば、記憶は鮮明になっていく。

8時だョ!全員集合、ザ・ベストテン、ザ・トップテン。オレたちひょうきん族はまだだったか、初期だ。

そして小学一年生になっていた私は、プロレスにたどりつく。


友達になった「MねおKんいち」からプロレスという概念を教えてもらった。

ジャイアント馬場、アントニオ猪木という名前をよく聞かせてもらった。最初は名前だけ。

何故か、馬場は日本人で猪木はブラジル人、とよく言ってた。子供はいろいろな事を聞いて、結果を出すものだ。

アントニオ猪木はテレビで見た。腕を上げて雄叫びする猪木を見て、なるほど、日本人ぽくないなあ、ブラジル人なんだなあ、とか思った。今でいう「ダーッ」であった。

MねおKんいちは、巨体な人を見ると必ず「あっ、ジャイアント馬場だ!」と言っていた。太っていた人もいた。馬場はそういうものなのかな、と思っていたが、全然違った。初めて思ったのは「背高い」である。
Mねお家に遊びに行った時に、全日本中継を初めて見た。土曜の夕方だった。
タッグマッチで馬場さんは確かロッキー羽田と組んでたような。
小鹿さんだったらいいね!!


ま、幼少から記憶を掘り起こしたら、キリが無いのでひとまず。

思い出になる記憶はたくさんあるが、現代にはなかなか無い。

テレビもロクに見ない。見ても覚えられない。

20代10代のタレント、俳優、女優を見ても、全くわからない。

あきば・・・AKBだったか。だれがいるのかもわからない。

顔の区別がなかなか付かない。甥っ子は熱中しているのだが。

人気ありそうで面白い顔してる子はわかる(笑 名前わからないが。

あ、「前田敦子」さんはわかる! 5年前くらいから活躍してるから! でもAKBじゃないんだっけ?? なんだっけ?


私が幼少のころからわかる方々はたくさんいるが・・・

高倉健さん、菅原文太さんが亡くなった時は悲しかった。

声優さんの永井一郎さん、大塚周雄さん、納谷悟郎さん、六郎さんも・・・

年を重ねる度に、いろんな方々が亡くなっていく。いろんな出来事が起こり、過ぎ去っていく。

「アイドル」だった方々はもう還暦になろうとしている。

月日。

光陰矢の如し。






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2015年03月05日

体型



体重の数値を気にするのやめた。

100キロだろうが90キロだろうが、あまりわからないものだ。

食べ物を気にすることにした。

ダイエットではない。

ただ質を気にするようになっただけだ。

牛肉(霜降りじゃないやつ)を食うようになった。

炭水化物を減らすようになった。

どんなになるかなあ。


変わらなかったら、気にするのやめるけど。



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2015年02月27日

ポール・マッカートニーは神様



2002年11月、東京ドームのコンサートに行った。

私はまだ結婚する前。28だった。

ポール様は60歳だった。
ロックシンガーとしては、もう「晩年」だろうと、誰もが思っていた。

ビートルズ時代のポールの曲に、「When I'm Sixty-Four」がある。
君は、僕が64歳になっても一緒にいてくれるかい? という内容だ。

ポールが64になったら・・・もう歌ってないだろうな、とか思いがちだった。

64歳になったポールは、ちゃんと活動していた。
さらに、再婚相手だったへザー・ミルズとの離婚、慰謝料47億円・・・
元気すぎる。全く老いてない。

現在、ポール様は72歳。
健在。


またコンサートやるんだ。

去年、病気でキャンセルしたんだっけ。でもまた復活か。

ポール様を拝もうかな。

現人神、だ。


ポール様の左利きベース、ヘフナー。

私は右半身不随になってしまったので、あまり細かい作業は出来なくなっている。
だったら左手でベースを弾けるかな。いや、もともと弾けなかったけど。













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2015年02月19日


息子は11歳になった。

そろそろ六年生になる。

月日はどんどん速く感じる。光陰の矢の如し。

ブログを更新していて、よかった。

息子が赤ちゃんの頃から書いてて、よかった。
写メ撮っていて、よかった。

本当に。


ありがとう管理人さん。

そして読者のみなさん。



誰か教えてくれないか。

今の私は、何なんだろう。

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2015年02月03日

レネ・グレイを知ろう

昔のプロレスと現代のプロレスは大分違う。

まあ、1920年代のプロレスと1970年代のプロレスも違うと言えるからいいんじゃないかと。


良いとしよう。

昔でも現代でも共通するものはたくさんある。


新日本プロレスで行われた第2回MSGタッグリーグ、1981年年末。

決勝戦はアントニオ猪木&藤波辰巳対アンドレ・ジャイアント&レネ・グレイ。

TV観戦していた私は小学一年生だった。

レネ・グレイなど知るわけは無かった。
見かけも弱そうだった。
だが、あれよあれよとタッグリーグに勝ち進み、アンドレと決勝へ。

不思議だった。
何故だ?こんな弱いのに。

決勝でも、弱かった。
だが、レネ・グレイは猪木さんを分断し、アンドレが藤波さんをフォール! 
アンドレ、グレイ組、優勝!!

え〜〜〜〜、なんでだ〜〜〜〜

と、当時は思った。

だが、強烈な記憶だ。33年前なのに、だ。

その時点ではネガティブな記憶だったが、大体そういうものはポジティブな記憶になるものだ。

プロレスでもっと大きな規模だと、アントニオ猪木対モハメッド・アリがそうだと思う。当時は茶番とか大凡戦とか、それはもう大々的に言われたが、今では総合格闘技の元祖くらいに言われている。

で、レネ・グレイはうれしさのあまり、アンドレに抱きつき、二人でガッツポーズ!
もちろんアンドレに抱っこされたままで。

ネット探したら、その試合があった。
記憶のままだった・・・

泣けた。いろんな意味で。 


レネ・グレイのことは、もっと成長した後に知った。
カール・ゴッチとWWWF世界タッグ王座に就いたことがあるとか。今で言うWWE。

さらに、今になって、さらに詳しく知りたくなった。
え? アンドレと組んだときはもう49歳だったのか・・・

ネットでこの試合を見れて、よかった。いろいろ知れた。

49歳・・・ だが身体ちゃんと作ってる! というか、横幅が大きい!
弱い弱いと思ってたが、アンドレと比べたら小さく見えるだけで、日本人レスラーとは比較にならない。

確かにやられ役に徹してる。
だが、フィニッシュを取られないように、しっかりとスルーしている!
レスリングもしっかりしすぎてる。速い・・・

レネ・グレイは、むちゃくちゃ巧い、巧すぎるレスラーだったのだ・・・
私が知らなかっただけだが。

引退後は、WWF(今のWWE)のエージェントになり、バックステージでたくさんのレスラーを指導したそうで。
それはそうだ、それくらい偉大なレスラーだったのだ。

ブレット・ハートとの試合もあった。巧い。
ヒットマンが若い時だが、どんどん先導してる。「ホレホレ、こうだよ、こっちだよ」と。

レネ・グレイ氏は50を越えていたはずだ・・・


私はまだまだ、成長できるな。








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2015年02月02日

無題にしましょう



西から昇ったお日さまが東に沈む。

私は全てさかさまに生きたいものだ。

あら不思議、さかさまにしたら全部わかったわ。今まで全然わからなかったのに。

いろいろわかるようになった。

病気になる前はわからなかったものも、病気になった「おかげで」わかるようになった。

いろんなものがね。

難しい数式や外国語は全くわからない。

が、人の心とかね。

なぜか、わかるようになった。テレパシーじゃなくてね。


性善説と性悪説。

性悪は・・・悪に染まりきってる人間はあまりいないだろう。この時勢だと余計に。
性悪はあったとしても必ず、報いが来る。必ず。

性善は、大体の人々が持ってる。というか。

どんな人間でも、性善と性悪、両方持ってるものだ。

また言うが、性悪をやらかした人間は必ず報いが来る。
そして反省して性善をする。
だが忘れしまうとまた、性悪をしてしまう。報いが来る。だから性善を・・・ だがまた・・・

私も、また。
性悪の報いがあったのだ。きっと。
人間の心を傷つけてしまった報いが。


ところで、話は変わるけど。

プロレスはもともと面白いものです。
だから、さらにシンプルイズベストが必要だと。

たくさんのお客さんがもっともっと入り込んでいけるような。

そう、「大衆」が。

そしてストロングな。それがプロレス。
 
それがアントニオ猪木さんだと思います。私はね。

そして、「作品・アントニオ猪木」を形成するのは

「ルー・テーズ」と「バディ・ロジャース」だと思います。

まあYOUTUBEで御覧になってください。






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2015年01月19日

2015

 

みなさん、あけましておめでとうございます。

私は今年、厄年です。「本厄」ですね。
数え年だと42ですね。

さあ、どうなることやら。

まあ、私は生きることに執着しないタイプですから、何が起こってもいいでしょう。

私は、脳梗塞で、人間は儚いものだと思えるようになりました。死んだら終わりです。

だけど、それまで、たくさん生きればいい。自分のため、親兄弟のため、友達のため、子供のため、他の人々のために。全てに。

長くても、短くても、その人生が喜ばしいならいいじゃないか。

だから、生きてるうちに何かを成し遂げられればいいな、と思います。




今年の目標

筋肉体重増加。

もっともっとデカくなりたいですね。

身体が重い、とは言ってられません。
100キロくらいになりたいですね。
40歳越えても、どんどん筋量を増やせばさらに元気になるはずです。

全盛期はこれからです。



私はルー・テーズになります。





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2014年12月31日

2014年でした


私は復帰できました。

すべての方々に。ありがとうございました。

そして、これからまだまだやっていきます。

本当にありがとうございました・・・


5月に復帰して、もう年末。

早い。
時間の感覚がさらに早くなっている気がする。

息子は来年は六年生になる。
脳梗塞になったときはまだ三年生だった。

ダウンタウンの年末の「ガキ使」の特番で早い感覚がわかる。
去年はたしか科学特捜隊みたいなのをやっていた。
脳梗塞の前にも録画して編集して・・・
5、6年前は録画できなかったので、MIYAWAKIから、録画したDVDを迅速にもらった。
私は大して興味ないのだが、嫁が好きなので、ミヤワキを急かせてしまった。
まあ、私は昔の「ごっつええ感じ」は大好きだが、「ガキ使」はそうでもない。
私はコントが好きなのだ。


閑話休題。


私はいろんな団体に出していただいた。

たくさんのいろんな選手と、また戦えた。

私はたくさん戦えた。

パワーもスタミナも、前よりついた。

半身不随や言語障害の後遺症はもう全く・・・

無くは無いが、それ以上に、前より試合運びが上手くいってる。

だから、それでいい。


私は、プロレスラーである。

私はプロレスをしている。

プロレス、なんて面白いんだ。

私はプロレスで人生を、賭けて、駆けて、懸けて、翔けている。







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2014年12月23日

アジアンのプロレス!!

 

アジアン・スポーツ・プロモーション。
これが正式名称だったと思う。今はよくわからないが・・・

アジアンのエースは畠中浩旭さん。
プエルトリコでデビューし、SWS入り。
すごく大きい。でかい。推定だが、185センチで140キロ。あくまで推測。でかかった。

アジアンはプロレスマスコミに一切発表してない。
たぶん、面倒なんだろう。
プロレスを行うのは北海道や地方の田舎や、離れ小島。
そこで、お客さんはすごく喜んでくれる・・・ すごく。

私がアジアンで試合したのはデビュー当初だった。
それから15年余、今でも普通に行われている。
たぶん、全く変わって無いんだろう。それがまた、いい。

さーくんも、ユウコウも、イサミも、若手時代にアジアン経験していた。
みんな、アジアンの話になると笑顔になる。
今は、誰が行ってるんだろう?
力さん(維新力)が行ったと聞いた気がするが・・・


1999年8月、華☆激の北九州大会で、ディアブロさんが脱臼してしまった。
ディアブロさんは、痛みより、直後のアジアンに出られないことを悔やんでいた。

「ゲンちゃん、アジアン、出られない? 俺の代理でさ」

私はびっくり仰天した。

この当時は、まだ記事もあり、カード発表もあり、ベテラン勢もたくさん参戦していたからだ。

まだ夢ファクトリーと華☆激とDDTくらいしか試合してなかった、ぺーぺーのぺーぺーだった。


羽田空港で、国際プロレス出身の大ベテラン・高杉正彦さんと初めてお会いした。

「初めまして、ブラック・パンサーと申します」
今回の参戦は、私はFM-TAROではなく、パンサーだった。夢ファクの事情なのか華☆激の事情なのかは覚えてない・・・

高杉さんは温厚な方だった。「よろしくね」

そして、私に聞いた。
「ええと、君はリングアナ?」

私は80キロそこそこしかなかった。

現在のインディーは80キロどころか、60キロ台だっているが、当時はプロレスラーはガッチリが当たり前だった。
か細い、筋肉量も無かった私がレスラーと思えなかったのは当たり前である。


北海道の空港に着き、畠中さんに初めてお会いした。

なんてでかいんだ・・・

高杉さんは横幅は凄かったが、上背は同じくらいだった。
だが畠中さんはさらにでかかった。巨人にしか見えなかった。

「初めまして、(以下略」

「おう・・・」

おいおい、こいつ、ほっせえな〜 本当に大丈夫か??

目がそう言っていた(笑


確か、初戦は、競馬の馬のオークションが行われる場所での興行だった。さすが北海道。その概念はなかった。

リングを組んだ後、畠中さんに呼ばれた。
「お前、ちょっと、見せてみろ」

畠中さんは私の力量が全くわからなかったんだろう。

当時アジアンの若手だった菅沼修(今でも「おっさん」と呼ぶ。なつかしい顔)とのプロレス・スパーリングをやることになった。

これなら、大得意だ。UWF入りからもう5年やってる(笑

「もういい。ふうーん・・・ わかった」

それで終わった。
どうやら畠中さんは、納得してくれたようだった。


他に参戦されていたのは、高杉正彦さん(ウルトラセブンとして!)、アポロ菅原さん、川畑輝真さん。みんなヘビー級だった。昔W☆INGのエースだった徳田光輝さんもいた(色々あった方だと聞くが、私には優しかった)。
夢ファクから参戦していたのは死神。死神はでかいのだが、みなさん、もっとでかく見える。死神が小さく見えた・・・ 上背なら勝っているはずなのに。

とにかく、筋肉量ででかく見せなければならないことを学習した気がする。

そして、試合後の宴会で、高杉さんもアポロさんも川畑さんも、私の試合を誉めてくれた。
センスいいよ。だからとにかく身体作りなさいね、と・・・


ベテランの方々が誉めて下さったんですよ?

当時、俺はダメなのかな・・・と思っていた。誰からも何も言われなかったから。

それなのに、国際、全日、新日、SWSと大きい団体を渡り歩いた方々から、誉めてもらえた。なかなかあることではなかった。

今でも誇りに思う。
そしてもっともっと身体を作ります。
後輩たちにももっともっと指導します。

アジアンに参戦できてよかったですよ、畠中さん。


畠中さんとは、もうここ6、7年会ってませんね。

畠中さんはすごい方です。プロレスが巧みすぎな方です。

でっかいレスラーがさらに動く、飛ぶ!

そりゃあ、地方のお客さんが沸くはずです。喜ぶはずです・・




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2014年12月19日

学生プロレスのメジャー団体、それがUWF

少なくとも15年前くらいまでは、我らがUWF関東学生プロレス連盟が、沢山の大学が加盟し、選手が溢れていた。
だから出席率も技術も、みんなわれ先にトップを目指していた。落伍者は前座にしかならなかった。厳しい世界。

大塚さん(Men'sテイオー)が三年生の時・・・確か1987年か。みなさんでリングを購入した。当時400万。
運搬トラックがなかったため、その時点ではウォーリー山口さんに預かってもらっていた。
北尾さんの練習や、FMWの練習に使われたこともあった。
大塚さんたちが、馬場さんにレクチャーしていただいたこともあった・・・ 
なんというメジャー・・・

そのリングは現在でも使われています。。。

それと、その名はプロレス界のUWFより古かった。学プロ世界で一番最初に発足したのは昭和53年。前田さんが旗揚げしたプロ興行は昭和58年・・・ パロディじゃないんです。
UWFはユニバーシティ・レスリング・フェデレーション。

さて、他の学生プロレスと違うのは、Uの一年生の間は、必ず基礎技術の鍛錬になる。
大技といえばボディスラム、ドロップキック。そしてグラウンド技術。ミサイルキックやろうもんなら先輩から大目玉を食らった。極端な私はシューティングスタープレスなどやって総攻撃を食らった・・・
とにかく一年間は修行なのだ。


前置きが長かったですが。
昨日、新木場でごじゃっぺプロレスがありました。

ごじゃっぺプロレス対FREEDOMSという対抗戦。

私は、加藤茂郎さんと対戦した。
加藤さんは私の大先輩。
城西の直属の先輩。私が入学した時点で、もうOBでした。
そしてレッスル夢ファクトリー選手!

レッスル夢ファクトリーに入りたかった私に、車磨きの仕事を紹介してもらいました。
入団の近道と思ったんです。加藤さんや死神と一緒にやりました(笑
私の恩人です。

ですが、私の怖い先輩なのは変わりません。
試合運びも上手く、一筋縄ではいかない選手。かなり細身ですが。

以前も試合しましたが、無効試合。
だから今回は決着をつけよう、と張り切りました。

今回、加藤さんは、セコンドを連れてきました。
加藤さんの同期、さらに私の城西の大大先輩、ヒートたけしさんとマミー秋元さんです!!

ヒートさんは、大塚さんが巻いていた、エリートの証、UWF世界ライトヘビー級王者でした(その後は小澤さんも川嵜も巻いていました!)。
ラ・ケブラーダを難なくこなし、フランケンシュタイナーをプロより早く出したすごい方・・・

マミーさんは、加藤さんとタッグを組み、UWF世界タッグ王者として暴れ回ってました。
こいつは調子に乗ってるなあ、という選手がいたら、遠慮なく試合でつぶしていました。それくらい恐怖の的でした。

まあ、この方々より恐怖の的だったのはもちろん大塚さんでしたが。
大塚さんは、本当にやさしくなりました・・・


で、試合。
やはり加藤さんは上手かったですね。
肉体があれば、私はもう敵わなかったかもしれません。

そして、マミーさんとヒートさんが私に手を出す!
もちろん反則かもしれませんが、私はうれしかったんです。
ヒートさんは私に雪崩式バックドロップを「してくれた」んです。
もちろん痛かったですが、それ以上にうれしかったです。
雪崩式バックドロップは、ヒートさんのフィニッシュでした・・・

最後、命からがらリングアウトで勝つことができました。

それ以上に、大先輩たちと戦えたことがうれしかったです。

ごじゃっぺがその土壌を許してもらえたことも。
マスコミが取材しない大会でしたが、学生プロレス時代を大いに振り返ることもできたんです。

私は幸せでした。

脳梗塞で復帰できてよかったです。

思い出を現実にできたんです・・・









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2014年12月08日

「天然」と「計算」

人々は大別すると、「天然」と「計算」に別れるような気がする。

どうも最近、人々のあいだに、誤解が多く起こってると思う。


「天然」は、自分を信じてる人。物事をまっすぐに捉える。だが見落としてしまう時もよくある。

「計算」は、自分も間違いは無いのか?と自分に問う。物事をいろいろな角度で見ようとしている。さらに見落とさないように気をつける。


でだ。

「計算」は「天然」の考え方を知らない。

だから、何か起こると、「計算」は「天然」を見ても、相手も「計算」だと思ってしまう。

すると「天然」も「計算」の考え方を知らないから、相手を「天然」と思ってしまう。

根本的に考え方が違うのに。

だから誤解が生じる。

大体、「計算」が「天然」の行為を「計算」と思って腹を立ててしまうケースが多い。

「天然」も「計算」も、誰にも悪意は無いのだが・・・



こういうこと、よくあると思うんです。みなさんの身近にも、いろんなケースがあると思います。

「天然」「計算」と大別してみましょう。

そうしたら、誤解はなくなります。多分。



いざこざは、フィクションだけでいい。












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2014年11月21日

ミスター雁之助・・・




やはり凄かった。雁さんはやはり、リアルプロレスラーです。


雁さんとのシングル。

2003年冬木軍、2004年リキプロではどっちも後楽園ホール。

パワーもインサイドワークも、足元にも及ばなかった。
私は、雁さんの胸を借りる立場でしかなかった。

2008年、雁さんが引退発表した直後の、アパッチ新木場。

30分時間切れドロー。
さらに10分延長。結果40分時間切れドロー。

雁さんとなんとか渡り合えたことで、ようやく自分に自信がついた気がする。


そして、2014年。

私はやっと、雁さんと対等に戦える立場になれたんだな、と思えた。

私が、雁さんを圧倒する場面を作れるようになったとは。

だが敗れた。

だったらまたやればいい。

雁さんは復帰したんだ。これからいつでも、どこでもできるんだ。



99年のFMW横浜アリーナメイン。

ずっと、ずっと覚えてる。

憧れだった。













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2014年11月16日

ミスター雁之助!!!



『ミスター雁之助プロデュース興行』鬼神道Returns17

11月18日(火)新木場1st.RING

メイン(多分)は、ミスター雁之助vsGENTARO!!!


雁さんの引退興行にも参戦してました。

2008年の年末でした。

私は中川さんとシングルやらせてもらいました。GOEMONへの勝利。本当に嬉しかったです。

雁さんはメインの6人タッグで引退。

ミスター雁之助&新崎人生&マンモス佐々木 vs 田中将斗&金村キンタロー&黒田哲広

勝ちました・・・

ファイヤーサンダーで、金ちゃんに・・・


最後のマイク、長かったです。本当に長かったです(笑

でも、それだけ、未練があるんだなあ、と思ってしまいました。


それから、鬼神道リターンズ。諸々。

ずーっとプロレス界にいます(笑

6年になります。


やっぱり、プロレスがしたくてしたくて、たまらなかったんですよ! この6年間!

度々私の脳梗塞のことを持ち出してしまいますが、私は雁さんのその気持ちは痛いほどわかりました。やりたい、でもできない! どうすることもできない!

でも、もういいじゃないですか!

まだ、病気で思うように戻れない方もいます。

雁さんがその方たちを励ませるんです・・・


雁さんはどんどん身体が戻っています。

でも、私もです。

メイン(多分)では、ヘビー級のぶつかり合いができると思っています。

そして、ようやく、雁さんを倒せるんです・・・

雁さんとのシングル、思い出します。30分時間切れ。さらに10分の延長、それもドローでした。

しかし、このドローでステップアップできたように思えます。


雁さん、私は、さらにパワーアップしてますからね・・・

昔の私ではありませんです。雁さん、勝負です。



鬼神道リターンズ、もうすぐです・・・

http://blog.livedoor.jp/mr_gannosuke/















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2014年11月06日

天龍源一郎さん!



天龍さんの団体、天龍プロジェクトに出させていただきました。

天龍源一郎、那須晃太郎 対 GENTARO、杉浦透

天龍さんとのタッグマッチ。さらにメインイベントとして・・・

感慨深かった。

杉浦もがんばってくれた。最初はもうガチガチだったが・・・

ミサイルキックを天龍さんに食らわせたんだ!!


確かに、天龍プロジェクトさんは、若手の為の試合をたくさん組んでいます。

だから、今回も、那須リンと杉浦のためでもありました。

でも、私は、天龍さんに比べれば、一介の若手・・・くらいに思ってしまってました。

もう少し、落ち着いてもよかったかもしれません・・・

天龍さんの試合後のコメントでも、私のこと「トゥーマッチ(やりすぎ)だな」と仰っていました。


だから、次はもっと、落ち着きます。 

落ち着いて、天龍さんを目指します。天龍さんを・・・


私は大・大・大ベテラン、グレート小鹿さんと何度も戦い、シングルも何度もやりました。

戦いを通じ、小鹿さんが私に教えてくださったこと・・・たくさんありました。

また思い出します。必ず。


『サンダーストーム』はやっぱり感動しました。

試合後、握手はしてもらえませんでしたが・・・  

天龍さんにタッグを組んでいただきたい気持ちは、あります。切実に。

天龍さんと組み、サンダーストームで入場・・・

今の夢です・・・










gen28 at 02:07コメント(0)トラックバック(0) 

2014年11月01日

天龍プロジェクト・・・

11月4日、新木場1stリングにて。

私は天龍さんと戦います。

まさか、と思いました。

天龍源一郎、那須晃太郎 対 GENTARO、杉浦透

メインイベントとして、天龍さんと戦えます・・・


http://tenryuproject2010.com/information/872/ 

私はやります。40にて・・・

gen28 at 15:08コメント(1)トラックバック(0) 
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