2014年12月

2014年12月31日

2014年でした


私は復帰できました。

すべての方々に。ありがとうございました。

そして、これからまだまだやっていきます。

本当にありがとうございました・・・


5月に復帰して、もう年末。

早い。
時間の感覚がさらに早くなっている気がする。

息子は来年は六年生になる。
脳梗塞になったときはまだ三年生だった。

ダウンタウンの年末の「ガキ使」の特番で早い感覚がわかる。
去年はたしか科学特捜隊みたいなのをやっていた。
脳梗塞の前にも録画して編集して・・・
5、6年前は録画できなかったので、MIYAWAKIから、録画したDVDを迅速にもらった。
私は大して興味ないのだが、嫁が好きなので、ミヤワキを急かせてしまった。
まあ、私は昔の「ごっつええ感じ」は大好きだが、「ガキ使」はそうでもない。
私はコントが好きなのだ。


閑話休題。


私はいろんな団体に出していただいた。

たくさんのいろんな選手と、また戦えた。

私はたくさん戦えた。

パワーもスタミナも、前よりついた。

半身不随や言語障害の後遺症はもう全く・・・

無くは無いが、それ以上に、前より試合運びが上手くいってる。

だから、それでいい。


私は、プロレスラーである。

私はプロレスをしている。

プロレス、なんて面白いんだ。

私はプロレスで人生を、賭けて、駆けて、懸けて、翔けている。







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2014年12月23日

アジアンのプロレス!!

 

アジアン・スポーツ・プロモーション。
これが正式名称だったと思う。今はよくわからないが・・・

アジアンのエースは畠中浩旭さん。
プエルトリコでデビューし、SWS入り。
すごく大きい。でかい。推定だが、185センチで140キロ。あくまで推測。でかかった。

アジアンはプロレスマスコミに一切発表してない。
たぶん、面倒なんだろう。
プロレスを行うのは北海道や地方の田舎や、離れ小島。
そこで、お客さんはすごく喜んでくれる・・・ すごく。

私がアジアンで試合したのはデビュー当初だった。
それから15年余、今でも普通に行われている。
たぶん、全く変わって無いんだろう。それがまた、いい。

さーくんも、ユウコウも、イサミも、若手時代にアジアン経験していた。
みんな、アジアンの話になると笑顔になる。
今は、誰が行ってるんだろう?
力さん(維新力)が行ったと聞いた気がするが・・・


1999年8月、華☆激の北九州大会で、ディアブロさんが脱臼してしまった。
ディアブロさんは、痛みより、直後のアジアンに出られないことを悔やんでいた。

「ゲンちゃん、アジアン、出られない? 俺の代理でさ」

私はびっくり仰天した。

この当時は、まだ記事もあり、カード発表もあり、ベテラン勢もたくさん参戦していたからだ。

まだ夢ファクトリーと華☆激とDDTくらいしか試合してなかった、ぺーぺーのぺーぺーだった。


羽田空港で、国際プロレス出身の大ベテラン・高杉正彦さんと初めてお会いした。

「初めまして、ブラック・パンサーと申します」
今回の参戦は、私はFM-TAROではなく、パンサーだった。夢ファクの事情なのか華☆激の事情なのかは覚えてない・・・

高杉さんは温厚な方だった。「よろしくね」

そして、私に聞いた。
「ええと、君はリングアナ?」

私は80キロそこそこしかなかった。

現在のインディーは80キロどころか、60キロ台だっているが、当時はプロレスラーはガッチリが当たり前だった。
か細い、筋肉量も無かった私がレスラーと思えなかったのは当たり前である。


北海道の空港に着き、畠中さんに初めてお会いした。

なんてでかいんだ・・・

高杉さんは横幅は凄かったが、上背は同じくらいだった。
だが畠中さんはさらにでかかった。巨人にしか見えなかった。

「初めまして、(以下略」

「おう・・・」

おいおい、こいつ、ほっせえな〜 本当に大丈夫か??

目がそう言っていた(笑


確か、初戦は、競馬の馬のオークションが行われる場所での興行だった。さすが北海道。その概念はなかった。

リングを組んだ後、畠中さんに呼ばれた。
「お前、ちょっと、見せてみろ」

畠中さんは私の力量が全くわからなかったんだろう。

当時アジアンの若手だった菅沼修(今でも「おっさん」と呼ぶ。なつかしい顔)とのプロレス・スパーリングをやることになった。

これなら、大得意だ。UWF入りからもう5年やってる(笑

「もういい。ふうーん・・・ わかった」

それで終わった。
どうやら畠中さんは、納得してくれたようだった。


他に参戦されていたのは、高杉正彦さん(ウルトラセブンとして!)、アポロ菅原さん、川畑輝真さん。みんなヘビー級だった。昔W☆INGのエースだった徳田光輝さんもいた(色々あった方だと聞くが、私には優しかった)。
夢ファクから参戦していたのは死神。死神はでかいのだが、みなさん、もっとでかく見える。死神が小さく見えた・・・ 上背なら勝っているはずなのに。

とにかく、筋肉量ででかく見せなければならないことを学習した気がする。

そして、試合後の宴会で、高杉さんもアポロさんも川畑さんも、私の試合を誉めてくれた。
センスいいよ。だからとにかく身体作りなさいね、と・・・


ベテランの方々が誉めて下さったんですよ?

当時、俺はダメなのかな・・・と思っていた。誰からも何も言われなかったから。

それなのに、国際、全日、新日、SWSと大きい団体を渡り歩いた方々から、誉めてもらえた。なかなかあることではなかった。

今でも誇りに思う。
そしてもっともっと身体を作ります。
後輩たちにももっともっと指導します。

アジアンに参戦できてよかったですよ、畠中さん。


畠中さんとは、もうここ6、7年会ってませんね。

畠中さんはすごい方です。プロレスが巧みすぎな方です。

でっかいレスラーがさらに動く、飛ぶ!

そりゃあ、地方のお客さんが沸くはずです。喜ぶはずです・・




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2014年12月19日

学生プロレスのメジャー団体、それがUWF

少なくとも15年前くらいまでは、我らがUWF関東学生プロレス連盟が、沢山の大学が加盟し、選手が溢れていた。
だから出席率も技術も、みんなわれ先にトップを目指していた。落伍者は前座にしかならなかった。厳しい世界。

大塚さん(Men'sテイオー)が三年生の時・・・確か1987年か。みなさんでリングを購入した。当時400万。
運搬トラックがなかったため、その時点ではウォーリー山口さんに預かってもらっていた。
北尾さんの練習や、FMWの練習に使われたこともあった。
大塚さんたちが、馬場さんにレクチャーしていただいたこともあった・・・ 
なんというメジャー・・・

そのリングは現在でも使われています。。。

それと、その名はプロレス界のUWFより古かった。学プロ世界で一番最初に発足したのは昭和53年。前田さんが旗揚げしたプロ興行は昭和58年・・・ パロディじゃないんです。
UWFはユニバーシティ・レスリング・フェデレーション。

さて、他の学生プロレスと違うのは、Uの一年生の間は、必ず基礎技術の鍛錬になる。
大技といえばボディスラム、ドロップキック。そしてグラウンド技術。ミサイルキックやろうもんなら先輩から大目玉を食らった。極端な私はシューティングスタープレスなどやって総攻撃を食らった・・・
とにかく一年間は修行なのだ。


前置きが長かったですが。
昨日、新木場でごじゃっぺプロレスがありました。

ごじゃっぺプロレス対FREEDOMSという対抗戦。

私は、加藤茂郎さんと対戦した。
加藤さんは私の大先輩。
城西の直属の先輩。私が入学した時点で、もうOBでした。
そしてレッスル夢ファクトリー選手!

レッスル夢ファクトリーに入りたかった私に、車磨きの仕事を紹介してもらいました。
入団の近道と思ったんです。加藤さんや死神と一緒にやりました(笑
私の恩人です。

ですが、私の怖い先輩なのは変わりません。
試合運びも上手く、一筋縄ではいかない選手。かなり細身ですが。

以前も試合しましたが、無効試合。
だから今回は決着をつけよう、と張り切りました。

今回、加藤さんは、セコンドを連れてきました。
加藤さんの同期、さらに私の城西の大大先輩、ヒートたけしさんとマミー秋元さんです!!

ヒートさんは、大塚さんが巻いていた、エリートの証、UWF世界ライトヘビー級王者でした(その後は小澤さんも川嵜も巻いていました!)。
ラ・ケブラーダを難なくこなし、フランケンシュタイナーをプロより早く出したすごい方・・・

マミーさんは、加藤さんとタッグを組み、UWF世界タッグ王者として暴れ回ってました。
こいつは調子に乗ってるなあ、という選手がいたら、遠慮なく試合でつぶしていました。それくらい恐怖の的でした。

まあ、この方々より恐怖の的だったのはもちろん大塚さんでしたが。
大塚さんは、本当にやさしくなりました・・・


で、試合。
やはり加藤さんは上手かったですね。
肉体があれば、私はもう敵わなかったかもしれません。

そして、マミーさんとヒートさんが私に手を出す!
もちろん反則かもしれませんが、私はうれしかったんです。
ヒートさんは私に雪崩式バックドロップを「してくれた」んです。
もちろん痛かったですが、それ以上にうれしかったです。
雪崩式バックドロップは、ヒートさんのフィニッシュでした・・・

最後、命からがらリングアウトで勝つことができました。

それ以上に、大先輩たちと戦えたことがうれしかったです。

ごじゃっぺがその土壌を許してもらえたことも。
マスコミが取材しない大会でしたが、学生プロレス時代を大いに振り返ることもできたんです。

私は幸せでした。

脳梗塞で復帰できてよかったです。

思い出を現実にできたんです・・・









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2014年12月08日

「天然」と「計算」

人々は大別すると、「天然」と「計算」に別れるような気がする。

どうも最近、人々のあいだに、誤解が多く起こってると思う。


「天然」は、自分を信じてる人。物事をまっすぐに捉える。だが見落としてしまう時もよくある。

「計算」は、自分も間違いは無いのか?と自分に問う。物事をいろいろな角度で見ようとしている。さらに見落とさないように気をつける。


でだ。

「計算」は「天然」の考え方を知らない。

だから、何か起こると、「計算」は「天然」を見ても、相手も「計算」だと思ってしまう。

すると「天然」も「計算」の考え方を知らないから、相手を「天然」と思ってしまう。

根本的に考え方が違うのに。

だから誤解が生じる。

大体、「計算」が「天然」の行為を「計算」と思って腹を立ててしまうケースが多い。

「天然」も「計算」も、誰にも悪意は無いのだが・・・



こういうこと、よくあると思うんです。みなさんの身近にも、いろんなケースがあると思います。

「天然」「計算」と大別してみましょう。

そうしたら、誤解はなくなります。多分。



いざこざは、フィクションだけでいい。












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