2007年08月28日

苫舟の会

752f74bb.jpg宗家藤間流の「苫舟の会」に行った。目当てはなんといっても、梅枝丈壱太郎丈という、ともに十代の若さながら芝居も踊りも達者な二人。先日の一心會といい、宗家の会では若手の中でも意欲的でかつ実力もある人を起用することが多いので、ついそそられてしまう。
今回の出し物は黙阿弥作「女書生」の「夕立碑春電」を余所事浄瑠璃として使った「卯月夢醒死神譚(うづきのゆめさめしにがみばなし)」と、「関の扉」に逢坂山の関所の場に至るまでの話を入れて再構成した「新書小町桜容彩(いまようざくらすがたのいろどり)」の新作2本。会の名である「苫舟」とは宗家の筆名で、この会は彼の新作発表の場なのだそうだ。「卯月夢醒死神譚」は衣裳つき。新派女優の川上やよいを迎えて、不幸な生い立ちの芸者美代吉と彼女に一目惚れした死神のやりとりを芝居と踊りで見せる。あくまで芝居で見せる美代吉と、踊りを交える死神の対比がおもしろい。これが歌舞伎なら美代吉が身の上を語るくだりも踊りになるはずだが、どこまでも芝居で通しているところがミソで、「新派っぽい」仕上がりになっていた。最初と最後に登場する講釈師はいらないような気もするが、人力車や湯上り姿の芸者が登場するところも新派っぽさの内だろうし、宗家が二役で勤める死神と講釈師がともに美代吉に一目惚れするところもまたおもしろさだとも思う。が、宗家の芝居は見ていてこそばゆいというか……。踊りよりも芝居が勝つこの演目に関しては、作・演出に徹した方がいいのではないかと思った。
「新書小町桜容彩」は素踊り。前半は五位之助安貞(少将宗貞の弟)とその妻・墨染実は小町桜の精の物語で、傷を負って立てなくなった安貞(壱太郎)を乗せた車を引く墨染(梅枝)の姿は、小栗判官と照手姫を思わせる。墨染は桜の精でありながら人と契った罪を負って、自らの命と引き換えに夫の傷を治してほしいと祈願して身を投げる。すると安貞は足腰が立つようになり、積もった雪の上に書き残された遺書を読んで真実を知るという筋。ほとんど座りっぱなしの壱太郎丈が上半身だけとは思えない表現力で、妻への情愛や足腰が立たぬはがゆさを見せて驚かされた。墨染役の梅枝丈もしっとりと美しく、雪の上に遺書をしたためるため涙を指先に取るところが素晴らしかった。その後、安貞は黒主の手下に襲われて立腹を切るのだが、その際に自らの血で「二子乗舟」と書きつけた襦袢の片袖を斎頼の鷹に託す場面がある。さらに勘合の印をめぐる黒主と安貞の家来同士の争いがあり、黒主(勘十郎)が印を手に入れたところで小野小町(壱太郎)と宗貞(梅枝)がそれぞれ登場してだんまりに。やはり踊りのうまい人が揃うとだんまりはおもしろい。
後半はいつもの「関の扉」に近い内容だが、ここに至るまでを丁寧に描いたことで全体にわかりやすく、おもしろくなっていたと思う。ただ、小町はやや腰高で色気に欠けるきらいがあるように感じた。もっともこれは安貞が素晴らしかったので観る側も欲張りすぎていたせいかもしれないが、回を重ねればずっとよくなると思う。白のきものに赤い袴という拵えの小町は、それは本当に素踊りなのか?という気がしないでもないが、顔をしていないし、鬘もつけていないのだから素踊りなんだろう。また、素踊りだから顔を直すわけでもないのに、黒主が持つ大鉞がいつもの鏡つきだったのは、ちょっとおもしろかった。それにしても一瞬失神してしまったのは、返す返すも不覚である。もちろんつまらなかったからなどではなくて、前の晩に暑くてあまり寝られなかったせいなのだけど、すごく悔しい。ぜひとも再演、できれば衣裳つきでの再演を望みたい。
写真は「新書小町桜容彩」の幕切れで降った雪。時折、桜が降っているようにも見えたので、雪と桜と両方降っているのかな?と思って終演後に花道に落ちていたのを拾ってみたら、形は雪で色が桜になっていた。なるほど、どちらにも見えたはずだ。

gen96_cat at 23:59│Comments(0)TrackBack(0) theatergoing 

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