晴耕雨読、僕は頑張らない !

朝起きてみると一面の銀世界でした。ネットで調べてみると僕の住む東広島市の最低気温は午前2時45分にマイナス6度を記録していました。

1月15日雪 (2)

1月15日雪 (1)
 
明日から鼻の手術のためにしばらく入院しなければなりません。
月曜日に倉敷の大原美術館前で転倒し鼻の骨を骨折しました。以降、鼻づまりで鼻の調子が良くないため手術をしてもらうことにしたものです。
予定では5日間の入院で、その内3日間は鼻にガーゼを詰め込むため鼻で呼吸ができないようです。このため口で呼吸をすることになりますが、口呼吸はストレスが溜まってとても辛いと聞いています。でも、その後の快適な生活を期待して頑張ってみようと思っています。

局所麻酔の簡単な手術のようですが、手術前日の僕の気持ちは穏やかではありません。本を読んだり音楽を聴くなどジッとして過ごすより、体を動かす方が楽(らく)な気分になるような気がします。
そこで、現在作っている道具小屋をキリの良い「屋根」まで作っておくことにしました。
雪の中をクルマを運転してホームセンターまで純白のポリカ波板を買いに行きました。帰宅後、ガレージの中で(写真のように)道具小屋の屋根を取りつけました。
ここまでやっておけば、このあとの作業は、①白いペンキを塗ること、②周りの三方の壁に天井と同じ純白のポリカ波板を打ち付けること。③平板でドアを作って取り付けること。④小屋の中に棚を作ったり、工具を吊るすフックの取りつけること、などの仕事が残っています、
外の気温は1度以上上がらない中で午後4時まで頑張りました。

小屋を作るのは、一昨年、畑に作った農小屋以降2度目です。今回の出来は前回に比べて比較にならないくら良い出来です。


1月15日道具小屋






今日は、東広島の初冠雪です。
我が家の庭にも雪が積もりました。手術前のため今日も一歩も外に出ず一日中、自宅で過ごしました。

1月14日初冠雪2

1月14日初冠雪

僕は、テレビを見る習慣はありませんが、テレビ番組をビデオに録画しておき後日見ることがよくあります。
今日は、昨日(1月13日)、午後3時からBSプレミアムで放送の「美の壺 京の豆腐」と午後9時からのBSプレミアム「新日本風土記 豆腐」のふたつの「豆腐」に関する番組を面白く視聴しました。

僕が「豆腐」を意識し始めたのは最近のことです。
それまでの僕の頭の中では、お味噌汁の中の豆腐が硬かろうが柔らかろうがあまり気にしたことがありません。豆腐の味は冷奴で食べると一目瞭然という人がいますが、僕は「そんなことで分かるもんか!、ウソダ~イ!」と思っていました。

豆腐は主役になれない食材です。映画においてセリフのない脇役の顔が良かろうが演技が上手かろうがほとんど関心のないのと同じように、脇役の豆腐が硬かろうが柔らかかろうが、美味しかろうが不味かろうがほとんど無関心です。

しかし、最近になって豆腐が愛おしくなってきました。更に豆腐にうるさい人間になってきました。
理由は、二つあります。
ひとつは、豆腐というヤツが料理の主役になれないところが、主役になれずいつまでも脇役に徹している僕の人生と似ているような気がするからです。
もうひとつは、湯豆腐という豆腐が主役の料理がありますが、あれは卵かけご飯はんと同じように財布がピンチの時に食べるものだと思っていたところ、最近、横浜でとても美味しい豆腐料理を食べてから考え方が変わってきました。この時に「湯豆腐」を食べてから豆腐が愛おしくなってきました。
以降、旅先では豆腐の入った料理を注文することが多くなりました。美味しい味を控えめに包み込んだ脇役の豆腐に出合うと「オマエ、頑張っているじゃないか!」と励ましてやることにしています。

今日、豆腐に関するビデオを見ながら豆腐ばかりでなく、日本各地の食文化や豆腐にまつわる民俗についての蘊蓄も深めることができました。
豆腐の作り方は「擦り潰した大豆を絞って豆乳をつくり、それににがりを入れて固める。」というきわめて単純な方法ですが、この単純な工程の中にいろいろな思いや工夫が込められいることを知り、ますます豆腐が愛おしくなりました。
今度は、大枚を叩(はた)いて、京都・南禅寺の豆腐料理を食べてみたいと思っています。

京の豆腐

1月14日京の豆腐

新日本風土記 

1月14日豆腐

●菜豆腐(宮崎) 
山暮らしの厳しさを今に伝える椎葉村の菜豆腐
●肉豆腐(東京) 
高度経済成長期、庶民の味として親しまれてきた老舗居酒屋の肉豆腐
●島豆腐(沖縄) 
先代の味を守り、海水を使用する島豆腐
●岩豆腐(徳島)
祖谷の女たちが支える岩豆腐

 

1月13日明暗昨年12月中旬から読み始めた夏目漱石「明暗」をやっと読み終えました。1ヶ月かかりました。

あらすじは、以下のとおりです。
津田由雄は、高等教育を受けた上流階級の子息です。彼は毎月の給料の不足分を父親から送金してもらっていました。妻のお延は夫の収入がいくらあるのかも知りません。二人は贅沢三昧の生活していました。

津田由雄は、持病である痔の治療のための手術費の工面に迫られました。だが、親は不義理(親からの借金を返さない)のために金を出すのに難渋し、妹のお秀から責められます。
由雄には、勤め先の社長の仲立ちで結婚したお延という妻がいるが、お秀はこれを嫌っています。お延は津田に愛されようと努力するが、夫婦関係はどこかぎくしゃくしています。津田にはかつて清子という恋人がいたが、あっさり捨てられ、今は人妻です。お延にはこのことを隠しています。
お延の叔父岡本の好意で、津田の入院費を工面してくれることになりました。津田の入院先に、かつて清子を津田に紹介した吉川夫人が現れます。夫人は、清子が流産し湯治していることを話し、清子に会いに行くように勧めます。
津田は結局一人で温泉へ行き、その宿で清子と再会します。清子は驚くが、翌朝津田を自分の部屋に招き入れました。

この小説では、現代に生きる凡人の僕には、分からないことが多々ありました。その中の3点を上げます。
(1)お延という妻を持つ男性が、昔の女(清子)に逢いに行くところが良く分かりません。
(2)吉川夫人は、「昔の女が、現在、東京近郊の温泉で流産後の体の回復のため静養している。アナタもそこに行って静養してきなさい。そして、逢ってきなさい。」と旅費までくれる。こんなお節介な人がいるだろか。
(3)由雄には、小林という友人がいるが、いつもお金を貸してくれとといってたかられてばかりいます。なぜ、こんな男と何故縁が切れないのだろうか

この小説は漱石が病没のためここまでの未完となっています。未完であることから様々な続編が考えられています。僕は、この続きを以下のように考えました。

津田は温泉で、清子に逢いますが、彼女から「アナタと結婚しなかった理由は、優柔不断で男らしくないところがたまらなく嫌になったのよ。」と告げられます。
津田はそこではじめて目が覚めます。そのまま東京に帰り、以降、親からの援助を断り、お延と力を合わせて質素で幸せな結婚生活を送りました。めでたし、めでたし

教訓:「元カノに逢いに行く、そしてよりが戻る。」こんな話は絶対にない。よりが戻るのは歌謡曲の世界だけだぜ!

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お正月から昨日まで、とても忙しい日が続いたので、今日は、朝から昼過ぎまで、正月から昨日までに録画したテレビ番組、「日曜美術館」、「美の壺」、「新日本風土記」、「100分de名著」と「料理番組」を見て過ごしました。

1月12日憲法の無意識午後からは柄谷行人「憲法の無意識」(岩波新書)を早読みをしました、

この本で柄谷さんは、憲法第9条の改正はとても至難であると訴えていました。
憲法第9条が執拗に残ってきたのは、それを人が意識的に守ってきたからではない、もしそうであればとうに消えている。人間の「意志」などは、気まぐれで脆弱なものだ。9条はむしろ「無意識」の問題なのだ。「無意識」は「意識」とは異なり、説得や宣伝によって操作することができないものであるといいます。

結論として、9条は保守派が主張するように非現実的な理想主義であると訴えたところで改正は無理であると訴えています。

ここで問題になるのは「無意識」とはどんなものか、日本人はなぜ第9条を「無意識」に守るのだろうかの2点です。これについて柄谷さんはフロイトの考え方に基づいて説明していました。(僕はフロイトについての知識がないので、もっと知りたい人は本を読んでください。)

憲法第9条が外部の力、すなわち、占領軍のによって生まれたにもかかわらず、日本人の「無意識」に深く定着しました。それは、先ず外部の力による戦争(攻撃性)の断念があり、それが良心(超自我)高春日生みだし、さらには、それが戦争の断念をいっそう求めることになった指令と高春日春日春日春日明しています。

最近、憲法改正の議論が喧しくなっています。国政選挙では護憲勢力に勢いがなく、改憲勢力が三分の二を高春日える勢いです。近い将来、改憲勢力が三分の二以上の議席を確保しても、憲法改正には国民投票において過半数の賛成が必要です。しかし、この本よると国民投票では国民の「無意識」により絶対に過半数は確保できない。以上のようなことが書いてありました。

このことを、無党派層である僕や妻で考えてみると国政選挙で自民党を入れることもあるが、憲法改正の国民投票になる高春日春日絶対に「反対」に投じます。僕の周りにはこんな人が圧倒的に多いです。このことから柄谷さんの考え方は、正鵠を射ていると思いました。

もし、国政選挙で勝っても、国民投票で敗北すれば、政権は致命的なダメージを受けことになります。「解釈改憲」すら維持できなくなってしまう可能性があります。
自民党か国政選挙で9条改正を唯一の争点に選挙をしたら大敗するような気がします。だから、政府・自民党は公然と9条の改正を唱えなているにも拘わらず、選挙になると決して9条改正を争点にしません。・・・こなことが見えてきました。「政治家がいくら戦争をしようと思っても、国民は絶対に戦争をさせない。そして平和を愛する。日本はとても良い国だ!」と改めて認識しました。

昨日、倉敷の大原美術館前で転倒し、大量出血のため救急車で病院に運ばれ応急処置をしてもらいました。今日は紹介状をもって東広島市にある大病院の耳鼻科に行きました。

結果は、鼻の骨が折れているため1月16日に手術をすることになりました。予定では5日間の入院加療が必要のようです。

1月11日病院耳鼻科 僕は大病院の手続きの煩雑なところがとても苦手です。
係の人が丁寧に教えてくれてもすぐに理解できません。その上、やっと理解ができてもすぐに忘れます。これは大病院で「医師などの医療行為以外 のこと」に気を回すのが煩わしいというところにあります。
そこで今日は痴呆老人の真似をして諸手続きをすべて妻にやってもらうことを考えました。
まず、受付で痴呆らしく「よその病院から紹介状を貰ってきた。この病院の耳鼻科にかかりたい。どうすればいいのか?」を痴呆らしくフニャフニャ語で問い合わせると、係の人は僕の顔を見て「この人はダメだな!」と察して妻に説明しはじめました。 妻も「今日のこの人はどうかしているわ!」と思ったようです。

これが僕の作戦です。この手で採血もレントゲンも心電図、そして入院手続き、支払い、薬局などの交渉を全部妻にやってもらいました。
もう一つ欲張って「足が痛いんだ。病院内の移動は車椅子に乗せてくれよ!」と妻にお願いしたら「いい加減にしなさい!」と叱られました。

今日は、朝7時に家を出て、帰宅できたのは午後1時を過ぎていました。昨夜寝不足のため大変疲れましたが痴呆老人になりきるという面白い体験をしたので楽しい一日になりました。
診察室にも妻に入ってもらいましたが、医師と話すときは正常の人間を装いました。

大病院で医療行為以外のことに煩わしさを感じる初老の人の参考になれば・・・・

今日は、妻と倉敷の大原美術館と倉敷駅北側の三井アウトレットパークに行く予定で家を出ました。
大原美術館では、昨年東京の新美術館に貸し出していたエル・グレコ『受胎告知』を久しぶりに見ました。

1月10日大原美術館

12時半頃、大原美術館の見学を終えて、三井アウトレットパークに行く途中のことです。大原美術館正門から駅に向かって50メートルのところでよそ見をしながら歩いていると舗装のわずかな突起に足を取られて転倒してしまいました。
この時、顔を激しく舗装道路に打ち付けて額と鼻から大量の出血がありました。僕の場合、高血圧と不整脈があるため血液サラサラの薬を服用しています。大量の出血はこの薬が原因です。
お店の人や通行人からとても親切に介抱してもらいました。この時は「日本は良い国だなあ!」と感動しました。

早速、救急車が来て、病院に運んでもらいました。レントゲンの結果は、頭は異常はないが、鼻の骨が折れていると診断されました。額からの出血は3針縫うことで止まりましたが、鼻血が止まりません。 
「(鼻血が止まらないので・・とは、言えませんでしたが)、東広島の自宅まで遠いのでこの体で帰るのが大変です。健康保険証も持ってきてないので今日一日間入院させてくれませんか?、明日、妻に着替えと保険証を持ってこさせようと思うんですが・・・」と相談してみましたが、「アナタの傷の状態では入院は許可できません」といわれました。

結局、西高屋まで電車で帰りましたが、夕方6時になっても鼻血は止まりません。ポタポタと落ちる感じで使ったティッシュは2箱半です。そこで、夜7時半まで開いている東広島の耳鼻科に行き、止血の手当てをしてもらい、やっと止まりました。

1月10日大原美術館2現在の僕の顔の額と鼻は大きく腫れており、右目が半分しか開いていません。顔中が傷だらけで世界タイトルマッチを闘ったボクサーの顔になっています。

明日は、東広島の大病院にその後の治療や折れた鼻の手術などの相談に行かなければなりません。
膝や首筋などあちらこちらが痛みます。その上、鼻で呼吸ができなくて口呼吸になっています。苦しい晩になりそうです。

今年も始まりました。

最近の僕の生活パターンは、月に1回の古文書勉強会を中心に回っています。具体的には、勉強会の3日前から比較的真面目におさらいをやって勉強会に臨んでいます。
それではクラスで優秀な方かというとそうでもありません。ABCDEの5段階で、たぶんビリから2段階目のDだと思います。

今月は7日に勉強会がありましたが精も根も使い果たしたためでしょうか、しばらくは頭を使うような気が全く起こりません。

ということで、昨日は一日中DIYに熱中しました。今日も午前中は畑仕事、午後はDIYで頭を空っぽにしようとしました。

畑仕事は今年初めてです。12月30日に正月用の野菜を採りに行った後一度も行っていません。山に入ると椎茸がたくさん出来ていました。

1月9日椎茸

妻は畑で、白菜2玉、レタス3玉、ニンジン5本、ミズナ2株、シュンギク2株を採取しました。我が家ではこれだけの野菜があればたっぷり一週間はあるのだそうです。

1月9日畑

昼からは、昨日に続いて道具小屋の作成に取り掛かりました。
今日の作業は、屋根板の設置の準備とドアの設置の準備をしました。地味な作業のため写真には現れていませんが、結構苦心の連続でした。「道具小屋づくり」も意外とアタマを使う作業です。例えば、屋根に使う材料の寸法を計算するには幾何(三角関数)の知識が必要になります。 サイン、コサインを思い出していたら嫌になりました。

その上、正月から「道具小屋づくり」と「古文書の勉強」と「小旅行」という非日常で9日間を過ごすと、平素、刺激のない生活に慣れている僕のアタマはパーになりそうです。

明日からは、当分の間、頭を使う「道具小屋づくり」を中断して普段の生活をしようと思っています。

1月9日道具小屋2


12月31日から作り始めた物置が、あと2,3日で完成しそうです。

手先の不器用なのは親譲りですがDIYは根っから好きです。退職後から熱中しはじめ電動工具を含め道具はほぼ揃えたつもりです。下手の横づきもここまで徹底すると少しは腕が上がっているような気がしています。

妻から「アナタの道具を納めるヨド物置を買いなさいよ!」といわれて「長年鍛えたこの腕で、ヨド物置より良いモノを、安い値段で・・・、作ってご覧にいれましょう・・・、姐さん、ここはあっしに任せておくんなさい!」と啖呵を切って、今、物置を作っています。

大きさは幅150㎝、奥行き90㎝、高さ180㎝、屋根は切妻です。周りは白とスカイブルーのツートンカラーを考えています。置き場はガレージの中です。
収納するものは主としてDIYの道具です。棚には電動工具などを箱ごと置いて、トンカチ、クランプ、ドライバ、ベンチ、スパナなどは壁に吊り下げること考えています。その他、タイヤも収納します。

今日は、朝、8時から作業を開始し、途中2回ほどホームセンターに行きました。
ホームセンターに行く目的は、材料の調達もありますが、ベテラン従業員に相談に乗ってもらうのも目的です。今日は屋根の材料に何を使うかを相談しました。そこで純白のポリカの波板を使うことを提案してくれました。

夜6時、やっと屋根が柱の上に設置できて今日の作業を終了しました。明日は、天井を貼って、ドアを作って、明日以降は壁(平板、ベニヤ、ポリカのどれを使うかは未定)を作り、塗装をして、内部に棚を作って完成です。

今日、晩酌をやりながら眺めているとき、この物置の名前が閃きました。「工具小屋第一号」と名付けました。これを聞いた妻が曰(のた)わく「一号ということは、二号もあるの?、止めてちょうだいよ!」・・・機嫌が好くない・・・

馬耳東風、ヌカにクギ、兎に角、完成が楽しみしです。

1月8日道具小屋2

1月8日道具小屋1
 

太宰府の九州国立博物館の特別展「宗像・沖ノ島と大和朝廷」を見学をしましたが、何となく物足りなさを感じます。展示品と説明書きだけで「これは世界遺産に匹敵するのだ、納得しろ!」といわれても釈然としません。反作用として「こんなもの世界遺産登録する価値があるの?」といった気持ちになります。

そこで、福岡県宗像市の宗像大社まで行ってみることしました。
太宰府からはスマホのYahoo!「乗り換えアプリ」の指示どおりに行動しました。
太宰府から西鉄二日市駅に出て、二日市から天神行西鉄電車の春日原駅で下車、徒歩でJR春日駅まで歩いきJR電車で東郷駅で下車、西鉄バスに乗り継いで宗像大社まで行ってみました。

1月5日ということで宗像大社には多くの参拝者がありました。

1月5日百宗像神社2

1月5日百宗像神社1

宗像大社では、神宝館に行き沖ノ島の遺物を見学しました。入場した時の見学者は僕一人でした。出る時は3組が沖ノ島の紹介ビデオを見ていました。
大社の周りに世界遺産登録を盛り上げようとする雰囲気は全くありせん。
この施設が、世界遺産登録されても、それは政治的な駆けで引きで登録されたもので、その後の維持管理にはいろいろな問題が発生しそうなことを予想しました。

帰りに、宗像大社隣の「海の道 むなかた館」があったので入ってみました。
ここでボランティアの人の説明を聴いたり、展示品を見学させてもらったり、3Dのビデオを見せてもらって、はじめて宗像・沖ノ島を世界遺産登録しようとする人の情熱を感じました。また、世界遺産登録をする意義が少し分かったように気になりました。

1月5日百宗像神社4




博多駅前のホテルで、明日の計画を立てました。

久留米の石橋美術館が久留米美術館になって評判がいいようです。今の時期は九州出身の画家の展覧会をしています。ここにも行ってみたい。年末の新日本風土記で見た「唐津」にも行ってみたい。震災後の「熊本」の復興ぶりも見てみたい・・・・、
いろいろ考えた末、最後は考えるのが嫌になって一番平凡な太宰府天満宮への初詣と九州国立博物館に行きことにしました。

太宰府へ初詣するのは今回で3回目です。九州国立博物館の展示会を見に来るのは今度で4度目です。
1月5日ですが、多くの参拝客がありました。名物の梅が枝餅を妻に買って帰りました。

1月5日太宰府2

九州国立博物館では特別展「宗像・沖ノ島と大和朝廷」をやっていました。

1月5日太宰府4

1月5日太宰府6

「沖ノ島」は玄界灘の孤島で,宗像三宮の一つ沖津宮が鎮座し,古来「神の島」とも呼ばれていました。
1954~58,69~71年に調査が行われ,社殿近辺に累積重畳する巨岩を中心に,4~10世紀にわたる鏡,装身具,馬具,石製模造品,金銅製雛形品,容器類,利器類など総数約5万点が発見されました。

1月5日太宰府7

この調査で、この島は、海上交通に関する国家的祭祀の場であったらしく、鏡・玉・石製模造品など豊富な遺物の中には、朝鮮・中国・ペルシアから渡来したものも多く出土しました。

この展覧会では、日本各地の遺跡から発掘された遺物と「沖ノ島」で発掘された遺品を関連付けて、大昔この「沖ノ島」で国家的な祭祀が行われていたに違いない・・ということ証明した展覧会でした。

1月5日太宰府1


今、沖ノ島を世界遺産に登録しようとする運動が行われています。もしかすると今年中に登録されるかもしれません。

「沖ノ島(宗像大社沖津宮)」は九州と朝鮮半島の中間にあり、4~9世紀に大陸との交流の成就を祈る国家的祭祀(さいし)が行われました。朝鮮半島製の金製指輪や中東のペルシャからもたらされたカットグラスの破片など約8万点の出土品が国宝に指定されています。これは世界遺産に値する価値があるというのが申請の理由のようです。

しかし、今も女人禁制などの禁忌が守られています。男性でも年に1回、200名程度しか入ることができません。
地元自治体は「島を信仰の対象とする伝統が継承されてきた世界でもまれな例」と説明、「文化的伝統や文明の存在を伝える」といった世界遺産の登録基準を満たすとして推薦を求めています。
僕は、こんなにややこしい遺産なら、今までどおり宗像大社と地元で守っていけばよいのにと思いました。

湯田温泉の「中原中也記念館」を出て、新山口駅に到着しました。
僕には、土曜日の古文書勉強会に出席する以外に、今日(水曜日)も、明日(木曜日)も、明後日(金曜日)もなにもすることがありません。そこで少し、旅をすることにして下り列車に乗りました。

さて、今夜泊まる宿はどこにしようかな?、暗くなっては宿を探すが面倒です。結局、博多まで行くことに決めました。
スマホで博多駅前のビジネスホテルを探すと、この時期は旅行客が少ないためかどこのホテルも格安です。結局、朝食付き4,000円のビジネスホテル(ニューガイヤ博多駅南)に決めました。
1月4日博多駅前


僕の旅の楽しみのひとつは、平素我が家では絶対に食卓に上がらないモノを食べることです。例えば牛や豚や鳥の内臓や魚のアラのようなものが食べたくなります。理由は、妻が肉、魚嫌いの菜食主義で、内臓や魚などは見るのも嫌な性格のためです
盛り場を歩いていると「モツ煮」ののれんのかかった居酒屋があったので入ってみました。「モツ煮」は博多の名物であることを思い出しました。
早速、入って、「モツ煮」、「鶏の皮酢」、「豚足」を注文し、「芋焼酎の湯割り」や「ハイボール」で食べてみました。
1月4日モツ煮

「モツ煮」は、うどん出汁に多めのニンニクと牛の腸を入れて、キャベツ、エノキ、ネギ、ホウレンソウ、豆腐などを入れたような料理でした。これなら僕にでも作れそうだと思いました。

鶏の皮酢は、鶏の皮をボイルして裏の脂身をきれいに削ぎ落し細く切って酢醤油とネギで食べるものです。これもできそうです。(写真なし)
1月4日豚足
豚足は、表面にこんがりと焼き色をつけてカリカリに焼いてありました。しかし、中はトロ状に焼けていて柔らかい感じです。これは焼き方にコツがありそうだな・・・、こんなことを考えながら飲んでいたら完全に酔っぱらってしまいました。

翌日の朝食は、ホテルでカレーライスとパンとコーヒーをいただきました。
1月4日博多のホテル

ホテルの食堂兼ラウンジは、新刊のビジネス書が並んだ書架が設置されており、図書室の雰囲気でした。ホテルの部屋は広いとはいえないが、一人で過ごす空間として十分です。カプセルホテルで過ごすことを思うと天国だと思いました。
1月4日博多のホテル2

1月2日NHK100分de名著「中原中也記念館」 に行ってきました。
目的は、9日から始まるNHK「100分de名著 中原中也詩集」をより面白く視聴するためです。
行きの電車の中でテキストを読みながら旅をしました。電車が湯田温泉駅に到着すると同時に読了できました。
記念館の展示作品とテキストが相互に補完し合っていてとても分かりやすい見学になりました。
ただ、僕の場合は、いろいろな詩人の詩集を持っていますが、実は「何故、人は詩を読むのか!」と言う基本的なことが分かっていません。僕が詩集を持っているのは「評判が良いから・・・」がすべてです。このような状態のため、どのような詩人のどの詩からも感動というものを味わったことがありません。

しかし、今回の「中原中也記念館」訪問を通じて、詩は自分の心に向き合うような方法で読めばいいのかな?、という感じがしてきました。

1月4日中原中也記念館 (2)

中原中也は「寂しさ」、「悲しさ」を歌った詩人です。人間は誰でも心の寂しい時はあります。そんな時に中原中也の
汚れちまった悲しみに
今日も小雪が降りかかる
汚れちまった悲しみに
きょうも風さえ吹きすぎる

・・・を、自分の心に向き合って読むと、心の寂しい多くの人は感動するのだと思いした。
1月4日中原中也記念館 (1)

また、中也は「孤独」 な人です。彼の代表作「サーカス」の中のに以下のような歌があります。
幾時代かありまして
黄色い戦争ありました
幾時代かありまして
冬は疾風吹きました

「孤独」というより、加藤登紀子さんの歌う反戦ソングの方が相応しいような気がします。読者の方がこの詩を「反戦ソング」として受け取れば、それはそれでいいのではないかと思いました。

また、自分の心に向き合う歌なら阿久悠さんや星野哲郎さんの詩も中原中也に負けてないような気がしました。

1月4日中原中也記念館 (3)

未熟な僕が「中原中也記念館」で感じた詩についての感想は以上のような稚拙なものになりました。帰ってもう一度考えてみようと思っています。

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