シオン賢人議定書NO 03
 今日、我々(ユダヤ人)は、あと数歩で目標に到達せんとしておると言ってよい。横切るべき空間は、あとわずかを残すのみであり、我々(ユダヤ人)が歩んできた長い道のりは、今まさに象徴の蛇の輪を閉じようとしておる。その蛇は、わが民を象徴しておる。この輪が閉じられるとき、ヨーロッパのすべての国家は、強力な万力によって締め上げられるのである。
 当今の国政機構(非ユダヤ人たちの国家機構)の天秤は、ほとんど破壊しておるも同然なのである。なぜならば、我々(ユダヤ人)が、支点を軸として揺れ動き、転回させるべく、正確な均衡を欠くように設定してあるからなのである。畜生(非ユダヤ人)共は、しっかり固定してあると思い込んでいて、天秤が釣り合いを取り戻すはずだと、ずっと期待し続けておるのである。であるが、支点(王座についておる王たち)は、自分たちで押えが利かず無責任極まりない力に困惑する阿呆の役を演じる代議員たちに取り巻かれておるのである。この力は、宮殿内に吹き込まれてきた恐怖支配に負うておるのである。王たちには、人民に近付く手だてがない。まさに取り巻き連中のド真中で王位に就いておる王たちは、もはや人民を受け入れ、権力を追い求める者たちに対抗する強い力を与えてやることができない。明敏な統治権力と人民の盲目の力との間に、双方ともが、あらゆる意味を失うように、我々(ユダヤ人)は、深い溝を設けたのである。盲人と彼の杖のように、両者は、離れ離れにされれば全くの無力となるのである。
 権力を追い求める者たちを煽動して権力を誤用させるため、我々(ユダヤ人)は、すべての勢力を相対立させ、独立を得ようとする自由主義傾向を鼓吹するように仕向けてきたのである。この目的に向って、我々(ユダヤ人)は、如何なる形の企てでも指嗾教唆し、あらゆる政党に戦闘準備させ、如何なる野望の目的をも権威に対して向けるようにさせたのである。国家というものを、我々(ユダヤ人)は、混乱した問題の大群が争乱する競技場と化せしめたのである。ほどなく、混乱と破綻があまねく広がるであろう。
 後から後から出てくるおしゃべり屋たちが、議場と行政会議の場を討論会場に変えてしまったのである。向う見ずなジャーナリストと破廉恥なパンフレット屋が毎日のように政府当局を攻撃するのである。権力に対する悪口雑言は、すべての制度を転覆させる最後の一太刀となり、ことごとくが狂乱した群集のめった打ちに会って空中に吹き飛ばされるであるろう。
 なべての人民(ほとんどの人民)は、奴隷や農奴として縛り付けられていた、かつての時代よりもきびしく、貧困なるがゆえに重い労働の鎖につながれておるのである。なんとかしてやつら(非ユダヤ人=畜生たち)は、この束縛から逃れようとするかも知れぬが、この重荷を取り除くことはできず、決して貧困からは脱却できない。我々(ユダヤ人)が憲法に書き込んだ大衆に関する権利というようなものは、虚構であって実際に使える権利などではないのである。いわゆる「人民の権利」なるものは、単なる観念、実際生活では決して実現されるはずのない観念としてのみ存在することができるのである。おしゃべり屋には、無駄口をたたく権利があり、ジャーナリストには 良いことも書くが阿呆なことを書きなぐる権利があるとして、生活の重荷に打ちひしがれ、重き犠牲に腰を二重に折り曲げておる労働者には、何があるというのかなのである。かって労働者階級共は、我々(ユダヤ人)が説きつけたことに賛成し、我々(ユダヤ人)が権力の中に潜ませておいた我々(ユダヤ人)が代理人団の手下に賛成して投票した見返りに、我々(ユダヤ人)が食卓からパン屑を恵んでもらっただけで、憲法からは、何の利益も得られなかった。貧者についての共和国の権利とは、皮肉以外の何ものでもない。なぜならば、ほとんど一日中働いておる労働者に必要なものは、憲法を使うことによっては、全く与えられない。であるが、その一方で、彼(非ユダヤ人=畜生たち)は、仲間たちが打つ同盟罷業や主人が行う工場閉鎖によって、確実な生活の資をすべて奪われるからなのである。
 我々(ユダヤ人)の誘導によって人民は、貴族階級を全滅させてしまったのである。人民の福利と密接に結びついた貴族自身の利益の為に、貴族階級は、人民の唯一の保護者であり養い親であったのである。現今では、貴族階級の滅亡によって、人民は、労働者の首に残酷無慈悲な頸木をつないだ守銭奴の手中に落ちたのである。
 我々は、労働者にわが戦列(社会主義者、無政府主義者、共産主義者)に加わるよう提案し、振りかかる圧迫からやつら(非ユダヤ人=畜生たち)を救出する救世主を買って出るのである。我々(ユダヤ人)は、我々(ユダヤ人)がフリーメーソン員が言われなく唱えた(人類団結という)兄弟の定めどおりに、一貫して主義者たちを支援している。貴族は、法律によって労働者が提供する労働の恩恵を受け、労働者たちがよく食べ、健康で、強壮であるかどうかに関心を払っていたのである。我々は、全く反対のこと(劣化、畜生(非ユダヤ人)共から生命を奪うこと)に関心を寄せておるのである。我々の権力は、労働者の慢性食料不足と肉体的虚弱を必要とするのである。まさにそうしておいてこそ、彼(非ユダヤ人=畜生たち)は、我々(ユダヤ人たち)の意のままに従うようになり、我々(ユダヤ人たち)に敵対する強さも意志もなくなり、自分たちの権威を見つけ出そうとはしなくなるのである。王たちが正当に貴族に与えた権力よりも、さらに確実に労働者を資本の権利に従わせるのが飢えなのである。
 飢えが引き起こす貧困と嫉妬と憎悪によって、我々(ユダヤ人たち)は、群集を動かし、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)の手を使って我々(ユダヤ人たち)が行く手を阻む者すべてを掃討するであるろう。全世界王が王冠を戴く時が至れば、同じ方法を用いて障害となるものをことごとく一掃するであるろう。
 畜生(非ユダヤ人=畜生たち)共は、我々(ユダヤ人たち)の専門家たちの助言なしには、考えるという習慣を失ってしまったのである。為に、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)は、我々(ユダヤ人たち)の王国が実現したあかつきには、直ちに採択せねばならぬ必要欠くべからざることが見えない。すなはち、公教育の場においては 唯一単純かつ真実の知識、全知識の基礎を教えることが肝要であるということで有るのである。それは、人間生活の構造に関する知識、社会存在のあり方に関する知識、労働には分業が必要であるとする知識である。従って、人々は、階級と身分(ユダヤ人たち=貴族階級と非ユダヤ人=畜生たち=奴隷階級)に分かれねばならぬということなのである。人間活動の実際には、さまざまな差異があって、平等などというものは、ありえず、なんらかの行為で階級全体に累を及ぼす者と、自分自身の名誉を傷つけるだけの者とは、法律の前では平等の責任を負うはずがないということは、万人が心得ておくことが肝要なのである。畜生(非ユダヤ人)共には、知らされていぬ秘密であるが、社会構造の真の知識は、身分とかけ離れた仕事をさせぬようにせねばならず、個々人に要求される仕事と受ける教育との落差が悩みの元にならぬように、万人に実地をもって示そう。この知識を完璧に身に付けたあかつきには、人々は進んで権威に服従し国家に指示された仕事を受け入れるであるろう。現状の知識と我々(ユダヤ人たち)が人民(非ユダヤ人=畜生たち)を育成してきた方向からいえば、印刷されたものを鵜呑みにし (我々ユダヤ人たちがやつら非ユダヤ人の畜生に誤りを吹き込んできたためと、やつら非ユダヤ人の畜生自身の無知のおかげとで)これまでに考察した身分という身分に対して、全面的に憎悪を燃えつのらせるのである。それは、階級と身分の意味を全く理解しておらぬことから生じておるのである。
 この憎悪は「経済危機」の効果で数倍もの火の手を挙げるであるろう。経済危機たるや為替取引を中止させ、工業を停止させるであるろう。我々(ユダヤ人たち)は、自分(ユダヤ人)たちが熟知しておる隠密な方法を総動員し、すべて我々(ユダヤ人)の手中にある金力の助けを借りて、大規模な経済危機を作りだし、それによって全ヨーロッパ諸国の労働者群集をいっせいにまとめて路上に放り出すであるろう。これらの群集は、ただ単に無知であるがゆえに、揺籃時代から羨み妬んでいた連中を喜んで血祭りにあげ、連中の財産を略奪できるであろう。
 やつら(非ユダヤ人=畜生たち)は、「我々(ユダヤ人)のもの」には手をつけない。なぜなら、襲撃の時機を知っておるのは、我々(ユダヤ人)であり、我々(ユダヤ人)は、財産を守る手が打てるからなのである。
 我々(ユダヤ人たち)は、すべての畜生(非ユダヤ人)共に、進歩こそが理性の支配をもたらすだろうと強調してきたのである。我々(ユダヤ人たち)の専制は、一分の隙もない独裁なのである。それがいかに、炯眼厳格な方法によってあらゆる不満を鎮圧し、すべての制度慣習の自由主義を麻痺させるかを知るであろう。
 非ユダヤ人=畜生たちの一般大衆は、あらゆる種類の利権特権は自由の名のもとに生み出されたと見ていて、君主がそれを握っておると思い込み、怒涛のように襲いかかったが、盲人のならいでおのずとあまたの石に蹴つまづく結果となり、案内人を求めて猛進したが、今さら昔の状態に戻ることはできず、我々(ユダヤ人たち)の足下に全権をゆだねてしまったのである。フランス革命を想起していただきたい。それを「大革命」と名付けたのは 我々(ユダヤ人たち)であった。その準備が秘密裡に行われたことを、我々(ユダヤ人たち)は、熟知しておる。あの革命は、全面的に我々(ユダヤ人たち)の手で遂行した一大事業であったのである。
 その時以来、我々(ユダヤ人たち)は、人民を幻滅から幻滅へと導き、その帰結として最終的には、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)は、我々(ユダヤ人たち)が世界の為に準備しておる、シオンの血を受けた専制君主に、我々(ユダヤ人たち)にも頼らずしても賛同するに至るはずなのである。
 今日、我々(ユダヤ人たち)は、多国家にまたがる勢力として無敵なのである。何ものかが攻撃しようとも、我々(ユダヤ人たち)は、他の国家に支援されるからなのである。畜生(非ユダヤ人)共人民の底無しの無気力さ、力の前には、腹這いになって這いつくばるが、弱者には、無慈悲であり、他人の過失には、厳しく、罪悪には、寛容、自由社会制度の矛盾は、認めようとせぬが、思い切った専制者の強圧に対しては、殉教者のように耐える。我々(ユダヤ人たち)の今日をあらしめたのは、畜生(非ユダヤ人)共のそれらの特徴に助けられたところが多いのである。現在の首相という専制者のもとで畜生(非ユダヤ人)共人民は、呻吟しておるが、かってなら、その何分の一かの権力濫用でもあれば、王の二十人ぐらいは打ち首にしたであろう。
 この現象、同じ性質の事象と見えることだが、 非ユダヤ人=畜生たち人民大衆のこの矛盾撞着は、どう説明したらよいのか?
 ここには厳然たる事実が有るのである。
現代の専制者たちは、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)の代理人(大統領・首相・官僚・財閥などなど)を通じて、非ユダヤ人=畜生たち人民に向い、こう囁くのである。権力をこういうふうに使えば、国家には害を及ぼすが、崇高な目的には適っておるのだと。非ユダヤ人=畜生たち人民の生活保護、国境を超えた非ユダヤ人=畜生たち人民どうしの友情、連帯、平等の権利という目的の為には、言わずもがなのことではあるが、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)は、これらすべては、我々(ユダヤ人たち)の統治支配のもとで初めて実現するものだとは言っていない。
 かくて、非ユダヤ人=畜生たち人民は、正しいものを罰し、不正なるものを許し、前にもまして、望んだことは何でも実現できると信じ込まされるのである。このような事態のおかげで、非ユダヤ人=畜生たち人民は、あらゆる種類の安定をくつがえし一歩一歩混乱を生み出している。
 「自由」なる言葉は、さまざまの人間集団に、あらゆる種類の権力、あらゆる種類の権威、さらには、神や自然の掟に対してまで闘争することに入らせたのである。このため、我々(ユダヤ人たち)が我々(ユダヤ人たち)の王国を実現したあかつきには、群集を血に飢えた獣に改造する暴力的概念であるこの言葉を、我々(ユダヤ人たち)は、目に触れる辞書からは抹殺するであるろう。
 獣たちは、血をたらふく呑んで腹がふくれると眠り込むので、鎖につなぐのはいとも容易いというのは、事実なのである。であるが、血を呑まさねばやつら(非ユダヤ人=畜生たち)は、眠らず、引き続き闘争を続けるであるろう。