さてはてメモ帳さんのサイトより
http://satehate.exblog.jp/15625945/
<転載開始>
http://www.ohtaryu.jp/blog/old-articles/j-1214060757.html
イマジン」コメント欄に転記した太田龍氏の記事を中心に改めて、絵本化しておくことにしました。(コメント欄では強調できませんので)


イントロ

フランクリン・デラノ・ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt, FDR, 1882年1月30日 - 1945年4月12日)
海軍次官 1913年 - 1920年 (ウイルソン政権下)

山本 五十六(やまもと いそろく、1884年(明治17年)4月4日 - 1943年(昭和18年)4月18日)
1919年(大正8年) 4月5日 - アメリカ駐在、ハーバード大学に留学(~1921年5月5日)。
1925年(大正14年)12月1日 - 駐米武官となる。 (1925年、これに先立って太平洋問題調査会が公式にスタートしていた) 


俺も軍人だからね。〈どうしてもアメリカとやれ〉といわれれば、アメリカともやってごらんにいれたいね。・・・俺の夢なんだがね。空母十隻、航空機八百機を準備する。それだけで〈真珠湾〉と〈マニラ〉を空襲し、太平洋艦隊とアジア艦隊をつぶすことは確実に出来るんだよ」 (ルーズヴェルト大統領着任後、第2次ロンドン軍縮会議前)1934年9月、山本五十六、斉藤博駐米大使に、岩永祐吉邸で語る。(春山和典『ワシントンの櫻の下』) (さらに蛇足:八百機というのが臭う[笑])



1941年1月、山本は第11航空艦隊参謀長であった大西瀧治郎少将に対して「真珠湾を航空攻撃できないか」と航空攻撃計画の作戦立案を依頼した。・・・連合艦隊参謀黒島亀人大佐が「この作戦が認められなければ、山本長官は連合艦隊司令長官を辞職すると仰っている」と軍令部次長伊藤整一中将に言い放ち、これに驚いた軍令部総長永野修身大将は渋々作戦実施を認めた。)


一九四一年、ロックフェラーの多額の資金が太平洋問題調査会(ⅠPR)を通じて、日本の真珠湾攻撃工作のために、ゾルゲ経由、日本の皇族に渡された、とのジョン・コールマンの説。  太田龍
公開日時:2006年02月18日 01時35分 更新日時:2008年06月23日 00時52分 b平成十八年(二〇〇六年)二月十八日(土) (第一千五百八十九回)


一九四一年、ロックフェラーの別のフロント組織、太平洋問題研究所(IPR)が、東京の関連機関に多額の資金を拠出した。その資金は、ロシアスパイの大立者=リヒャルト・ゾルゲを経て皇族に送られ、日本の真珠湾攻撃工作資金となった。再度言うが、タヴィストックがIPRのすべての出版物を起草している。」
   
(ジョン・コールマン著『タヴィストック洗脳研究所』、第一章 p040-041。成甲書房から平成十八年三月下旬刊予定)






この情報は、筆者の知る限り、今まで日本で公表されたことはない。

このコールマン情報によれば、一九四一年太平洋問題研究所(IPR。 日本では、これは太平洋問題調査会、と邦訳されて居る)を通じて、 多額のロックフェラー資金がゾルゲに渡された。 そしてゾルゲは、その資金を、日本の真珠湾攻撃工作資金として、皇族に渡した、と言う。

この「皇族」とは誰か。その実名は分らない。 当時「皇族」の数は、かなり多い。

しかし、真珠湾攻撃工作と言うことは、これは、日本が対米英開戦を支持するような立場の皇族への工作資金、を意味するであろう

或る時、海軍軍令部長の職にあった伏見宮は、対米英強硬派、と言われて居た。

皇族も、反米英派と、親米英派に分かれて居たであろう。

ジョン・コールマンによれば、IPR(太平洋問題調査会)のすべての文書は、タヴィストックが起草した、と言う。

日本ではIPRの言動についてのまともな研究は、今に至るまで、ゼロに近い*。

IPR(太平洋問題調査会)は、一九二五年に正式には発足して居るが、もちろん実質的にはその前に活動は開始されて居るであろう。

IPRについては、一九四九年十月、中共が中国政権乗っ取りに成功した前後から、米国上下院で、反IPRの立場からの、かなり激しい批判と調査が行われた。 それは、マッカーシー米上院議員の三冊の著作のうちに、表現された。

しかし、日本では、占領中(一九四九年八月~一九五二年四月)も、そのあとも、 IPRに対する批判的研究はゼロである。

IPRの役割は、第二次世界大戦前後、アジアの大部分を共産主義化すること、である。

しかし、このIPRを、ロックフェラーが資金的に支え、そしてその指導は、タビィストック研究所が行った、このタヴィストック研究所は、三百人委員会の秘密の参謀本部である、と言う。

第一次世界大戦後、タヴィストック研究所=三百人委員会は、米国=中国共同で日本を挟み撃ちして壊滅させる方向に状況を演出した

そしてこれから「彼ら」は、もう一度、米中による日本民族抹殺のための大作戦を実施しようとするのである。 


++
* 太平洋問題調査会等については、以下はおすすめです


渡部悌治 『ユダヤは日本に何をしたか』 2003年2月20日 初版

現在は以下のような装丁で再版販売されているようです



第三章 ユダヤが策した日支闘争計画

実施機関は太平洋問題調査会


西紀一九一八(大正七)年九月一七日、モスクワにおいてイルミナティ(ユダヤとボリシェビーキとの合同)会議が開かれた。そして「イルミナティの荘厳な会議において、一五名の会員、国民ソヴィエトの五委員、全連盟共産党中央委員会の秘書一名が署名して交付するもの」という「日支闘争計画案」を含む文書が交付された。この文書には、「一九一八年八月中旬、イルミナティ大会は、ユダヤ世界最高会議より発せられた教書を受領した。この教書は今後におけるヨーロッパ及びアジアの同時闘争の決定計画を指示するものである」と冒頭に注意書きしてあったという。

この案の日支関係についてを要約すると、「直ちに日本と支那との内部破壊を図るとともに、支那に反日運動を起こさせ、それを日支の武力闘争にまで発展させ、それに対してソ連と特にアメリカを干渉させる戦争にまで発展させて日本を倒し、それとともにヨーロッパに社会革命を起こさせる第二次の世界大戦を計画する」というものであった。
  p96



中略

このいわゆる「日支闘争計画案」なるものは、その後永く日本の親英米・親ソ容共派の行動を内面から指導し続けた原理であった。 その原理を実施するための機関をと目されるものも、既に甘粕事件発生のころから日本に設置されている太平洋問題調査会(IPR)であり、本格的には大正一五(一九二六)年から常設となった。ロックフェラーとソ連の司令下にあった秘密工作機関である。もちろん表面は公設機関と見せて、民間機関と称していた。

日本代表は新渡戸稲造

松岡洋右

鶴見祐輔

らであり、幹事長はキリスト教界の斉藤惣一であった。

第三回会議は昭和四(一九二九)年十月、京都で開催され、アーノルド・トインビー[Arnold Joseph Toynbee CH (April 14, 1889 – October 22, 1975)]や

ジョン・ロックフェラー三世[John Davison Rockefeller III (March 21, 1906 – July 10, 1978)]

らが出席していた。米国代表はゾルゲ事件のバックとなった男であり、コミンテルン・ソ連スパイであったオーエン・ラティモア[Owen Lattimore (July 29, 1900 – May 31, 1989) ]であった。


親英・親米と見せながら、実はコミンテルン(引用注:現在では不思議でもなんでもなく、コミンテルンの中心地はオックスフォード-ロンドンシティ-ニューヨークだったわけで、あたりまえですが)に身をおいていた西園寺公一らもこれに参画し、

また米・英と特にソ連との対日・対中謀略ルートもこれを主流とし、後に日本の国政の主軸を狙ったゾルゲ[Richard Sorge (Russian: Ри́хард Зо́рге) (October 4, 1895 - November 7, 1944) ]もまたこのルートを辿っていたのである。



すなわち、西園寺公望、

牧野伸顕

らを表面に立てた術策にも、実はこのルートを通じた原田熊雄
及び西園寺公一らの工作が絡んでいたのである。」 p97-98(引用注:まったく、「役者」がそろっていました)



西園寺 公一(さいおんじ きんかず、明治39年(1906年)11月1日 - 平成5年(1993年)4月22日)は、日本の政治家。参議院議員、外務省嘱託職員、太平洋調査会理事など歴任。民間大使の異名をとる。・・・  1936年7月、カリフォルニアのヨセミテで太平洋問題調査会の第6回大会が開かれることとなり、オックスフォード時代の顔見知りで内閣書記官を務めていた牛場友彦の誘いにより

日本代表団の書記として渡米。このとき、牛場から引き合わされて公一と同じ船室に入ったのが牛場の第一高等学校時代の同級生尾崎秀実だった。

尾崎とは帰路も同室になっている。(wiki)


http://www5f.biglobe.ne.jp/~kokumin-shinbun/H15/1507/1507011apologize.html

ゾルゲ・尾崎秀実の仲間であった西園寺公一も、晩年は中共の党員であった。昭和49年後半と記憶するが、NHKテレビで西園寺が



「あの戦争は俺達がやったんだ」

とニヤニヤしながら語っていたことは、今も脳裏から離れない。腹立たしい事実である。



ハリウッドがなぜこの山本 五十六を主人公とするトラトラトラ!を褒め称える映画を作ったのか、わかる気がする。














関連

ハリマン覚書~日支闘争計画~ メモ
http://satehate.exblog.jp/9459945

7・3・1
http://satehate.exblog.jp/12060873

自己弱体化 3 「壊される日本」1
http://satehate.exblog.jp/7273658




<転載終了>