なわ・ふみひとさんのサイトより
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse0911-2.html#30
<転載開始>
霊は実在する、しかし
近藤千雄・著  潮文社
地獄は魂の不健康状態の反映
  では霊的に不健康な者はどうなるのか。その大半は実はその中間境での調整期間中に、本人の気づかないうちに、霊眼でも見えない霊によって、さまざまな霊波によって癒やされている。一種の心霊治療を受けているのであるが、もちろんそうした外部からの力によって地上時代の罪までが消されるものではない。
  自分が犯した罪は自分で償わねばならないのが霊界の鉄則である。霊界にかぎらない。地上でも同じことであるが、償いの機会がもてないうちに他界することが多いので、罪障の消滅は大体において霊界において行なわれることになる。
  ここで、分かりやすい例としてアルコールか麻薬の中毒患者の場合を考えてみよう。
  その種の患者は自分が正常な健康状態でないこと、その原因がアルコールなり麻薬であることは知っている。そして治療師によってそのことを諭されて、それで立ち直る人がいる。が、途中の禁断症状が耐え切れなくて、また逆戻りする人もいる。
  これと同じことが、罪に汚された魂にも言える。霊界通信によると、罰を与えるのは悪魔でもなく神でもない。神の使いでもない。罪そのものの中に罰が蔵されており、それが良心の呵責となって自覚されるのだという。
  それは禁断症状にも似ていよう。それに耐えかねた者が、虚栄心をはじめとするもろもろの煩悩に負けて、自己弁解を積み重ねていく。

因果律と親和力の法則
  宇宙の根本的摂理が2つある。その1つが因果律、つまり原因には必ずそれ相当の結果が生じ、その結果が新たな原因となって次の結果を生んでいくというもので、逆の見方をすれば、結果には必ずそれ相当の原因があるということで、偶然そうなったということはありえないということになる。
  またそれは寸分の狂いもなく自動的に作用し、いかかる信仰、いかなる儀式によっても干渉することはできないことを、高級霊が異口同音に語っている。自分が蒔いたタネは自分が刈り取るというもので、それは数学的正確さをもって作動する。いかに弁解しても良心の呵責が消えないのは因果律が絶対だからである。
  もう一つは親和力の法則、つまり“類は類をもって集まる”という法則である。地上でもある程度はその傾向を認めることができるが、けっして絶対ではないし、そう速やかでもない。これは物的五感によって営まれている地上特有の環境条件のせいである。言ってみれば鈍重でまどろっこしいのである。
  ここから相対性、対立性、両極性といった側面が生まれる。寒と熱、美と魂、清と濁、強と弱、男性と女性、こうした対照的なものが同居しているのが地上界の特徴で、そこから地上ならではの貴重な体験が得られる。
  “再生”つまりもう一度地上へ生まれてくることができるのも、その地上ならではの体験を求めさせるための神の配慮である。
  さて死後の世界においては親和力の働きが即効的となる。似た者同士が集まり異質の者は反撥し合う。かくして美しい界層はますます美しくなり、醜い界層はますます醜くなっていく。そして邪心に満ちた者ばかりが集まってその邪心をむき出しにし合いながら生活している。そこを地獄という。
  西洋にも東洋にも昔からいわゆる“地獄図絵”というのが伝えられているが、あれは人間が恐怖心を混じえて大ゲサに描いたもので、いかにも悪魔が憎しみに燃えて残虐のかぎりを尽くしているかの印象を与えるが、地獄といっても所詮は人間の魂の醜さと弱さの反映にすぎない。


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● あなたは魂のカルマの産物   2006年3月14日(火)
  「カルマの法則」シリーズの第3話です。しばらく『魂との対話』および『チベットの生と死の書』の解説を中心に綴ってまいります。今回は、『魂との対話』の中から、カルマに関する部分をピックアップしてご紹介します。

  結果をまだ生み出していない原因のすべてが、まだ完結していない出来事である。それはアンバランスなエネルギー状態にあり、バランスがとれる状態に向かう過程にある。そしてそのバランスは、必ずしもひとつの生涯のなかでとられるとはかぎらない。
                ―― 『魂との対話』ゲーリー・ズーカフ著/サンマーク出版


  これは前回ご紹介した内容です。少し解説をしておきますと――
  「結果をまだ生み出していない原因」というのは、私たちが「身(行為)・口(言葉)・意(想念)」によって霊的世界に発信したボールが、まだこの物質世界に返ってきていない状態を述べています。投げたボールは、「白いボールも黒いボールも、必ず同じ物が返ってくる」というのが霊界の法則でした。それが返ってくることによってエネルギーが調和し、バランスの取れた状態になるということです。
  そして、個人のカルマは「必ずしもひとつの生涯のなかでバランスがとられるとはかぎらない」ということですから、生まれ変わった次の人生で、前世のカルマの清算をしなくてはならないということです。
  ところが、『大本神諭』や『日月神示』によれば、いまこの物質世界が始まって以来の終末の大峠を迎えつつあるということで、これまでに持ち越されてきたカルマはすべて清算しなくてはならないのです。しかも、それは個人のカルマだけでなく、家族や国家、民族、人類、地球全体のカルマも含まれます。そのような清算されていないカルマが霊界にはたくさん溜まっていて、それらが三次元世界に表出する姿が今日の地球の異常気象やさまざまな天変地異現象であり、今後は世界経済の破綻や第3次世界大戦などの形で表面化するのではないかと思われます。
  そして、最後の最後は地球の軸が動き、大天変地異で「陸が海になり、海が陸になる」(『日月神示』)状態が起こると見ています。その地軸の移動のきっかけとなるのが、彗星の地球侵入になるはずです。それらは『2012年の黙示録』でも触れていますが、これから終末の大峠(2012年12月)までの出来事の一環として、いずれ当「つぶや記」でもさらに詳しく取り上げて行きたいと思っています。
  ここでは、「私たちが投げたボールはエネルギーとして霊的世界にプールされていて、終末の大峠までにはすべてこの三次元世界に戻される」ということを心に留めておいていただきたいと思います。しかも、私たちはいまなお、毎日たくさんのボールを「身・口・意」の形で発信し続けているのです。そのボールがどのようなものであるかは、毎日のテレビや新聞の報道をご覧いただけばすぐにわかります。そのような出来事を見て心を曇らせると、それがまたこの世界に返ってきて、さまざまな好ましくない出来事として起こってくるのです。
  「類は友を呼ぶ」という波動の法則によって、怒りのエネルギーは「怒り」となって、恐怖のエネルギーは「恐怖」となって戻ってきます。「怒り」や「恐怖」という黒いボールを投げないように、しっかりと“身魂磨き”をしておけ、というのが各神示に共通して述べられていることでした。
  「ボール(カルマ)は必ず返ってくる」という内容は、前回ご紹介した『チベットの生と死の書』にも、以下のようにまったく同じ表現で述べられています。

  わたしたちの行為の結果は今はまだ熟していないかもしれない。だが、いつか必ず、ふさわしい時と場所を得て、それは成熟する。普通わたしたちは自分のしたことを忘れる。そしてはるか後になって、その結果がわたしたちに追いついてくる。その頃にはそれを原因と結びつけることはできなくなっている。
               ――『チベットの生と死の書』ソギャル・リンポチェ著/講談社

  それでは、これからは『魂との対話』のより詳しい内容をご紹介してまいります。
  この本では「パーソナリティー」という言葉がよく使われていますが、その概念は理解しにくいと思います。しいて言えば「肉体に宿る意識」のことで、この三次元世界に生を受けたひとりの人間のことを指しています。どうしてもイメージが描きにくいようでしたら、「パーソナリティー」を「地上人」と置き換えて読んでみてください。

  もしもパーソナリティーのさまざまな反応が、魂のための新しいカルマを創造し、そのカルマが今回の人生内で清算されなかったとしたら、そのカルマによって別のパーソナリティーの形成がうながされることになる。そしてそのパーソナリティーの意図の数々が、またもやそれ自身の幻、それ自身の地球学校内での現実を創造する、ということがくり返されるわけである。
 パーソナリティーがこの幻に気づき、新たな意図を設定したあとでも、魂のカルマ的負債は清算されなくてはならない。カルマはカルマであり、エネルギーはエネルギーである。目覚めたパーソナリティーは、このことを理解している。そしてそのために、人生内で遭遇する状況や出来事に、怒りや恐れ、悲しみ、嫉妬などで反応したりは、けっしてすることがない。そんなことをすれば、自身の魂のために、さらなるネガティブなカルマを創造してしまうことになる。

                ―― 『魂との対話』ゲーリー・ズーカフ著/サンマーク出版

  拙著『2012年の黙示録』の中でも力説していますが、カルマの法則は私たちが魂を磨くための大変ありがたい法則なのです。ですから、そのカルマの意味に気づけば、私たちは新たなカルマをつくることはなくなります。つまり、黒いボールを投げることはしなくなるはずです。しかしながら、過去にいったん投げてしまったボールはやはり返ってきますので、気づきを得た後でも不幸と思われる出来事は起こるということを述べています。
  返ってきた黒いボール(=不幸と思う出来事)を見て、怒りや恐れ、悲しみ、嫉妬などで反応すると、さらに新しい黒いボール(=不幸な出来事を生み出す原因)を投げることになりますので、目覚めた個人はそういうことはせず、あらゆる不幸な出来事もカルマが清算される過程として穏やかに受けとめるということです。

  すべてのパーソナリティーが、それ自身のもとに同じような振動数、あるいは欠点をもつパーソナリティーたちを引き寄せている。怒りの振動数は、怒りの振動数を引き寄せ、強欲の振動数は強欲の振動数を引き寄せる。
  同質結集の法則は、どんなときにも休みなく機能しているのである。愛が愛を引き寄せるように、ネガティブな性質はネガティブな性質を引き寄せる。よって、怒ってばかりいる人間の世界は、怒ってばかりいる人々で満たされ、強欲な人間の世界は、強欲な人々で満たされることになる。

                ―― 『魂との対話』ゲーリー・ズーカフ著/サンマーク出版

  私が波動の性質として取り上げた「類は友を呼ぶ」法則を「同質結集の法則」と表現しています。全く同じ意味です。「笑う門には福来たる」「人を呪えば穴二つ」「泣き面に蜂」などの日本の諺がそのことをうまく表現しています。

  同質結集の法則は、パーソナリティーの周囲に、それと同質のエネルギーを引き寄せる。それによって、パーソナリティーがそれ自身の怒りや恐れを癒そうとしたときに、調和に向かうその法則は強化され、加速されることになる。
  そのときパーソナリティーは、自分の怒りや恐れを、たんに自分の内側においてのみならず、自分の外側のあらゆる場所においても見ることになる。もしもパーソナリティーが、自身の怒りや恐れを癒すことを意識的に選択したとしたら、あらゆる出来事、あらゆる出会いが、自身の怒り、あるいは恐怖心を刺激するものになってくる。宇宙が思いやりをもって、調和に向かおうとするその願望にこたえてくれるからだ。
  パーソナリティー内の怒り、あるいは恐れが増すにつれ、それが生きている世界は、それが癒されない怒り、あるいは恐れを、ますます強く投影したものとなってくる。そしてパーソナリティーは、やがてそれを通じて、自分の体験や知覚は自分が創造しているのだということ、自分が正当な怒り、あるいは恐れだと感じていたものは、じつは自分自身の内側で発生していたのだということ、それゆえに、それを癒せるのは自分自身のみである、ということを知るだろう。

                ―― 『魂との対話』ゲーリー・ズーカフ著/サンマーク出版

  この文章は特に最後の部分に注目していただきたいのです。「やがて個人は、自分の体験は自分が創造しているのだということを知るだろう」という内容です。自分に降りかかる不幸な体験の数々は、すべて自分が発信した「身・口・意」が返ってきたものであるということに気づけば、その流れを変えるには自分が発信する内容を変えるしかないことに、人はやがて気がつくということです。
  というよりも、この終末の時代においては、できる限り早く気がつかなければならないのです。カルマの表出はそれを促していると見なければなりません。それを気づかせるような出来事が、これから時間のスピードが早くなるなかで次々に、そして最後は「何もかも一度に」現れてくるということが、『大本神諭』や『日月神示』に述べられているからです。

あなたは魂のカルマの産物
  あなたは、あなたの魂のカルマの産物である。あなたが特定の気質、性格、姿勢をもって生まれてきたのは、それらがあなたの魂の学習に寄与するものであるからである。そして、もって生まれたそれらの特徴は、あなたの魂がそれ自身のエネルギー・バランスをとるために必要なことを学び終えると、その時点で不要なものとなり、別のものに取って代わられることになる。あなたはそのようにして成長する。
  たとえば、もしあなたが「怒りはいかなるいい結果にもつながらない」ということを学んだとしたら、その瞬間にあなたの怒りっぽい性格は消滅し、より統合的で成熟した性格が姿をあらわしてくることになる。それ以前であればひどく腹を立てたであろう出来事に直面しても、そのときあなたは、別の反応をしめすことができるようになっている。
  もしあなたが故郷に戻るまでのあいだにそのことに気づかなかったとしたら、あなたの魂は別の人生のなかで、そのレッスンを続けることになる。つまり、そのときあなたの魂は、あなた自身とよく似た特徴をもつ別のパーソナリティーを誕生させることになるのである。
  どの人生においても、学ばれるべきでありながら学ばれないことは、魂の学習のために新たに発生する課題、すなわち、それ自身のパーソナリティーがその人生のなかでしめした反応に起因する新しいカルマ的負債とともに、別の人生に持ち越されることになる。魂がしっかりと学んだこともまた、別の人生に持ち越されることになるのだ。魂はこのようにして進化する。

                ―― 『魂との対話』ゲーリー・ズーカフ著/サンマーク出版

  これまでは、人は「生まれ変わり」の中で前世までにつくったカルマの清算に取り組むことができました。ここではそのメカニズムを述べています。「故郷に戻る」というのは、死んで「魂の故郷」すなわち「霊界」に行くということです。
                         ☆ ★ ☆
  次回もさらに『魂との対話』のご紹介を続ける予定です。たいへん固い内容ではありますが、終末を考える上では最も大切なテーマですので、根気よくおつきあいいただきたいと思います。

<転載終了>