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<転載開始>
まだ知らぬ自然の真実を尋ねて
<それは人間の知とはまったく相容れないものであった…!!>
平成25年7月の記 (6/28日載上)
さあ、今回もじっくりと考えて貰いたい。考えることにより、血の巡りが良くなり、相乗的に頭脳のヒラメキが倍加すると言われる。恐らく、人間の体の中では脳だけが使えば使うほど輝きと機敏性が増し、それにつれて新しい局面が次から次へと展開されて来ると言われている甚だ深遠なパ-ツなのである。
要するに、脳が活性化すれば面白いことが起る、すなわち、自分の知る筈の無いことさえも脳は何処からか引っ張り出して来るのである。それは一体どうした訳であろうか…!??。
例えば、サバン症候群と呼ばれる症状の人々に見られる不可思議な能力の存在である、すなわち、とてもとても人間業とは言えないような不可思議な知のヒラメキ、我々から見れば想像もしがたい脳の働きを持っている独特な人々の存在である。
恐らく、その能力は特殊なものではなく、すべての人の脳にはそのような天才的な才能が潜んでいるのであるが、今はまだ必要がないので眠っている状態と考えられる。その証拠に脳に対してちょっとした電気的な刺激を与えあるだけで潜在的な才能が俄然目覚めて人々を驚かすことなどが往々にしてあるからである。
要するに脳波のちょっとしたヘルツ転換が脳の一部を覚醒させて思いもよらない知を発現だせるのである。すなわち、今までオフであったスイッチがオンになった状態になると言うことである。
考えて見ると、我々の脳細胞の僅か3%を活用しているだけで、あとの97%は使われることも無く将来、知に目覚める時の予備脳、すなわち、バックアップ用として眠っていると考えられる。
要するに、我々は本来あるべき知能力の僅か100分の3のレベルをマスタ-しただけなのであり、残りの97%はこれからの我々の知の進歩に従って少しずつ目を覚ますことになると言うことであろう。
我々の脳の90%以上は水で構成されている、すると脳内においては最早水は補助的に使われているのではなく、最早、主役と言ってもいいものであろう。すなわち、知を媒介するのは水であり、知の貯蔵体も水と言うことであり、残りの僅か数%の脳内固形物質は水から情報を取り出すためのセンサ-的な役目、とそれを伝達する為の神経的な役目をはたす物質であると考えればいいのである。
そう考えなければこの90%を越える水の必要性、なぜそのような大量の水を必要とするのかがどうしても解らない。が、脳を作り上げているものは水であり、水こそが知の保存体であると考えればすべてはスム-スに解けて来るのである。要するに、水はコンピユタ-のハ-ドデスク的な役割を果たしていると考えられるのである。しかし、未だかってそんなことを言った人はいない、余りにも突飛で余りにも常識から外れているからである。それに水と言うものがあまりにも身近に大量に存在しているので、水にそんな重大な秘密があるとは誰も思わないからである。
学者達はまだ調査してはいないと思うが、他の動物の脳に占める水の割合はどのようになっているのであろうか…??。やはりどの動物でも脳の水分の割合は90%を越えているのであろうか…??。それとも知脳の低い動物ほど水のパセンテイジは低くなっているのであろうか…??。
もし、高等動物、知的動物の脳の水分パ-センテイジが大になる傾向があるならば、水こそが知の容量の鍵を握っているものであり、知の容量タンクと言ってもいいものであろう。
最近になって、現代の学者達は「水は情報エネルギ-を持って活動しているようだ」と推測しているようであるが、それも確かなこととして今ではうなづける話である。
そこで疑問が一つ生じて来るのである。それは要するに、なぜ、脳の水はどんどん変わっても脳の持つ知の容量や内容には少しも変化がないのかということである。それは恐らく、水が汚れると不活発になり、それにつれて脳の働きも鈍さを増して生命的な危険に対して対処できなるからなのであろう。
恐らく、地球上に存在する水は全て同一同質的なものであり、すべての水はまったく同じ情報を波動として常に伝達しあって共有しているのである。すなわち、すべての地球上の何処の水でも均一的にまったく同じ情報知を保有していると言うことである。例えば、水にある情報を持たせれば、それは地球上のすべての水に波動を介して瞬時に伝わり、すべての水が同じ情報を持つと言うことである。
同じようなことを水の波動の研究で有名な江本勝氏も著書の中で述べている。氏は意識と水が宇宙を創造したのではなかろうかと述べているのも面白い。また、地球上に大きな変化があれば即、変化を知って地球全体の水の波動が変わるとも述べている。すなわち、どのような変化でも水は瞬時にそれを知ることが出来、それを情報としてまた発信していると思われるものである。
しかもそれは実験の結果から判明した事実であるとハッキリ述べている。
また、氏は我々の言葉には意識が籠められているので言葉次第で水の形態が即変わるとも述べている。要するに、我々の意識は水に通じ、それに応じた変化を起こしていると言うことであろう。
言葉を変えれば、水は我々の意識をハッキリした形で読み取ることが出来ると言うのである。
しかも、江本氏はその意識により変化した水の状態を氷の結晶として写真に納めている、すなわち、可視化させてその状態を写真集として発表しているのは皆さんもご存じの通りである。
そして、その写真は御承知のように世界中の人々の中で話題を呼んで人々の心に共感を与えているのである。
そもそも水は宇宙から飛来してきたものであり、宇宙には水の分子が何処にでも散在しているものである。その上、地球に最初に降り立ったのは多分水であり、水が意識を持っているなら、地球の最初からのすべての歴史を知っている可能性があるのである。要するに、水から情報を聞き出すことが出来れば、タイムマシンなどは最早不用であろう。なぜならば、水は宇宙の全ての情報、あるいは地球上のあらゆる過去の出来事などのすべての情報を知り、それを発信しているからである。
恐らく、最後に人間が手にするものは水から情報を聞き出すことが可能な水コンピュタ-であり、それにより、すべての過去は鏡に映し出すようにまざまざと見ることが出来ることになるであろう。
それは昔、あなた方の子供の頃、2度や3度は聞いたことがあるはずである、思いだしてほしい。
そう、それは地獄の閻魔様が用いている過去を映し出す「浄波璃の鏡」と言うものであり、よく坊さんが子供を前にして語った話のものである。
あれなどは単なる仮想物語などではなく、大いなる過去にあった事実であり、意識の底に微かに残っていた記憶の再現なのであろう。恐らくは先代文明期の記憶がいくらか我々の深層意識に残されていて、それが突然浮き上がって来てすべてを映し出す魔法の鏡となって伝えられているのであろう。まさにそれは意識の輪廻であり、シンクロニシテイの発現と言うものであろう。
恐らく、それが再び現実化するのは我々の現在3%の脳の稼働率では無理であり、恐らく、5~10%台に上昇した時であろう。
また、脳の稼働率が100%と言う存在は「神」と呼ばれているものであり、全宇宙を仕切っている存在なのであろう。
さあ、「神の数学」に話を戻そう。先月の内容はすべての「神の法陣」においては中心から外側までは完全な連続性を持ち、巧妙な繋がりを持っていることを「数」が証言したのであるが、今回は更に驚愕すべき大変な事実を「数」に案内して貰らおうと言うのである。
それは余りにも突飛で奇抜なな方法であり、今まで誰も考えたことの無いものである。その上易しくて簡単なものである。しかし、あなたがたはすぐには理解は出来ないであろう。何故なら、あなた方は余りにも現代知や現代常識にまみれ過ぎてそれを外れたものに対しては考えが行かないからである。要するに、最早自分の力だけで考えることを放棄し、ただただ科学常識にべったりの状態なのである。
それはすなわち、「神の法陣」の0から1次元、2次元、3次元、4次元……に至るすべての次元は完全に連続して繋がっていると言う驚くべき証言事実であり、「数」がその仔細をあますところなくその次第を開示しているものである。
恐らく、あなた方は疑いの目で見るであろう、既に述べたように一つの次元の内側から外側は完全にリンク状態に収まっているばかりか、更にはすべての次元が完全なる連鎖的な状態で結ばれているとは余りにも突飛過ぎて胡散臭い話であり、眉唾ものとしか思えないからである。
馬鹿にするのもいい加減にせいと…!!。しかし、その言葉は人間の誤った推理力に期待している言葉であり、何ら自然的なあるべき結果により類察されたものでもない、ただ、そんなことがある筈はないという思い込みだけが作り上げた一つの思い込み結論がそう言わせているだけである。
しかし、「数」は言う、「数」の語りには決していい加減とか不整合などの人間臭さなどはまったく無く、常に理に叶った正しいものであると…!!。
あなた方は考えたことがあるであろうか…、人間の作り上げた人間の学問は大変な不整合性が多々あることを…!!。それらを隠すためにいろいろな約束事を作り、半ば、それを公式化しているのである。だから、常に公式が重んぜられるのであり、公式から外れたものは即、除外されるのである。それ故、真実の如何、結果の如何などは最早誰も考えようとはしないのである。
例えば、人間知が基盤ととする現代数学にも考えられないような甘さがあり、それを隠すためにいろいろな約束事を作って考えを拘束しているのであるが、そのあたりはあなた方も御承知のはずである。そうでもしなければ、現代数学余りにも矛盾が多すぎて成り立たないからである。
例えば、6÷0は考えようによっては6/0=6、→6×0=6、等にもなるのである。
するとこの式から、6×0=6 が成り立つことになるはずである。
しかし、実際は0には何を掛けても0になると言う決まり事があるので 6×0=6は不成立となるのである。
常識的には何かおかしい、6に0(何も無い)を掛けても変化は無く、6になるはずであるが…??。
しかし、現実的には実数に0を掛けたり、割ったりするとすべては0になると言う公式がしっかり存在するのである。
一つ、考えて貰いたい、6ヶのリンゴを0人で分けるといくらになるのか…、本来、それは分けないと同じだから6ヶが残るはずであるが…!!
しかし計算ではなにも無い、すなわち、0となるのが現代数学である。これが現代数学の仮面的な姿であり、実際にはそぐわない虚質的な計算法としか言えないものである。
アハハハ―、余分なことを言い過ぎた、さてさてこのあたりで本題である「神の数学」の講義に戻ることにしょう。
次に掲げた「神の法陣表」の各図をじっくりと見て貰いたい。
そもそも平面的な正方図には対角線が必ず2ヶ存在するのであり、それらの長さは常に一定であることはあなた方もご存じのはずである。
これら二つの対角線は長さは同じでありと同様に本質も必ず一定なものである。確かに見かけは完全に異なってはいるものであるが…。
確かに、片方は右下がりの形であり、もう一方は右上がりの姿を持っていると言う対称的な姿を持っていることはよく判る。
要するに、対称形であるならば、内容的にもまったく同じであることが一つの対称形の条件と言うことである。 するとこの「片方は右下がりの形」と「右上がりの姿を持っている形」は=で結ばれなければならないはずである。
さあ、図を見て考えるがよい、すべての「神の法陣」の二つの対角線数列はどのように始末すればそれらの条件が満足されるのであろうか…??。これら対角線上にはやんごとない大数列が鎮座してあたりを睥睨しているのであるが、あなたにはその姿がお解りであろうか…!!。それらの数列は生ッチョロイ「現代数学」なんかではこの問題が解けるか…と怒鳴っているのであるが、あなた方には聞こえるであろうか…!!。 <この問題は来月に回す、解答にご期待を乞う>
良く見ると、その二つの対角線の数列の姿は同一ではなく、一見するとバラバラでランダムな姿をしている。だから、現代数学では意味無しとして、完全に無視して投げ出され、見返されることも無いのである。まことにお粗末の限りである。
しかし、それは見かけだけであり、本当はまったく同一なものなのである。しかし、自然知にうとい我々はそのことを知らないのであり、調べる術(すべ)とて持ってはいないのである。
いや、我々の現代数学の持つ計算法が誤ってるのでそれらを認識出来ないと言うのが正しいのかもしれない。
要するに我々の演算法は本来あるべき自然の計算法とはまったく異なっているのでそれを知ることが出来ず、その仔細を伺い知ることなどがまったく出来ないのである。
そこにあるべき本来の「自然の計算法」と言うものを古代の知者は知っていたが、今では10進法に迫されて消えゆくばかりの存在となっているものである。 なぜならば、古代から直秘伝として許された者のみに口頭で伝えられ、文字等で残すことは一切禁じられて来たからである。
それが彼の「ピタゴラスの数学術」や「カバラの数秘術」などの「数の語り」なのであるが、今ではペルシャの占星術やインドの運命学などと結びついてすっかる変貌し、人間の意思や欲望などが絡まって本来の「数の姿」や「計算の形」などはまったく失われてしまったのである。
古代と変わらない純粋な姿を持ち続けて来たのは東洋の神秘の国、すなわち、日本の国に密かに残されていた「数の語り」であり、それは古代から連綿と続く古神道の中に恭しく封じられ、そのまま手もつけられずに残されて現在に至っているものである。
それはまさに3000年と言う長い混乱した歴史の荒波をくぐりぬけながら、息も絶え絶えに現在に辿りついたものである。それは余りにも簡素な形、意味の無い馬鹿馬鹿しい姿に変形されて国が奉ずる神道と言う宗教の中で大衆に守られて来たのであり、それ故に今まで誰も手をつけられることも無く、現在まで生き延びて来たのである。
そこにある姿はまさに西洋やインドのの数秘術の基本態と変わらぬものであり、数の仕組みなどにおいては遥かに勝(まさ)っている驚くべきものである。 なぜならば、そこのある「数の語り」には現代人でも知らない「宇宙自然の超理」や「数の持つ法則」などが様々な形で説かれているからである。
果たしてどちらが本来のあるべき自然の理を解明する計算法なのであろうか。あなたはこの法陣の対角線により本当の真実を知ることが出来ることになるはずである。それは思いもよらない大真実の姿なので、恐らくあなたはただただ目を剥いて唸るだけであろう。
さあ、ここでその残された古代の知を思う存分活用して自然の真実を明るみに出して行こうではないか…!!。

「神の法陣表」初級講座NO8より
これらの「神の法陣」の二つの対角線上の数字群を見て貰いたい、と同時に二つの対角線の持つ規律ある方向性にも気をつけて貰いたい。
「神の法陣」のすべては羅針盤的な同一方向性を示しているのであり、そこにはしっかりした秩序と調和性が存在することを間違いなく示しているのである。 その方向性が少しでもくずれるとすべてはランダムな状態になって意味を失ってしまうのである。確かめてほしい。
御存じのように、方陣の図には必ず対角線が2ヶ存在する、すなわち「陰」と「陽」の性質を持つものである。それらはお互いに調和的な結びつきを持ち、それぞれが介在し合い、相伴ないながら何事かを囁いているのである。すなわち、それを我々は聞き分けなければならないのである。
何と、この二つの対角線上の数列を調べることにより今まで不鮮明であった「陰」と「陽」の性質、本質がハッキリと解って来るのである。
今までは昼と夜、天と地、動と静、男と女、などの相対的な言葉だけがあるだけで、科学的(?)な詳細などはまったく説明されてはいなかったのである。それはただ漠然とした言葉を用いて意味を濁しながら無理やり辻褄を合せるようにして伝えられてきたものなのである。
それをここでハッキリした根拠のある解釈を行ないながら、その性質、すなわち、本質をしっかりと見極めてみようというのである。
それにより、今まで誰も出来なかった「陰」と「陽」の本質や内容を「数」を用いることにより改めてハッキリと知ることが出来ることになるのである。 要するに、これも「数」の囁きの一つと言うものであり、自然の二元性の存在を明らかにして、自然宇宙の性質やその成り立ちを語るものである。そのあたりを心して学んで、出来ればあなたの心の隅にでも置いて貰いたいと思う。なぜなら、いずれ時期が来れば役に立つからである。 <その詳細については次回の講座にて述べることにするので、それまで各自で調査考察をしながら考えて戴きたい>
今まで、「陰」と「陽」の本質を知るには余りにも手掛かりとてなく、数千年の間、言葉のみのやり取りで終始するだけに終わって来ただけである。
それ故に、一向に事態は進展はせず、曖昧模糊とした形でただ捨て置かれ、誰も真剣に論議しょうとはしなかったのである。
要するに、2500年前の中国の「陰」「陽」の言葉と現代の言葉には何の変りも無く、また、言葉自体、あるいは意味の上での発展などはまったく無かったと言うことである。要するに、すべては2500年前とまったく同じ姿であり、まったく同じ内容を保っているものなのである。
更にもう一つ言って置かなければならないことがある。今までは各次元はどのような状態で存在しているのか、その存在態やその系列態などは誰も知らず、科学者達の長年の論議の的になっていたのは御承知の通りである。要するに、手掛かりと言うものがまったく無いのである。
それ故に、解決は少しも叶わず、ただ闇の中の論議に終始しているだけである。
本当の次元的構造を知ろうとしても、余りにも手掛かりになるものは無く、この数十年の間言葉のみのやり取りで終始するだけで一向に事態は進展せず、ただ停滞だけが続いて来ているだけである。
学者の間では、見えない次元は無限に折りたたまれて小さくなり、不可視な状態になっているとか、我々の次元の裏に刷り込まれて存在するので見えない状態であるとかのいろいろな論議が飛び交い、現在でもまったく一致を見てはいないのは諸氏も御承知の通りである。
今の物理学では現在の我々の存在するこの次元でさえも何次元なのかも不明であり、論議の最中と言うおかしな状態である。やれ3次元であるとか、いや、4次元であるとかの論争がこの数十年間続いて世間を賑わしているだけであり、何ら一致を見ることも無いのである。
それゆえ5次元の世界などとはまさに夢のまた夢であり、想像さえも出来ないものである。すると果たして、その上に存在する6、7、8、9、10…無限…の次元世界とは一体どのようなものなのであろうか…??。 誰も想像することも叶わず、学者達もただ口を閉ざしたままである。
要するに、あり得ない無限の極みに落ちてしまい、ただただ思考停止に状態になってしまうと言うことである。
しかし、「神の数学」はそれに対して明確な答えを示している。しかも、いろいろな驚くべき「絵数図」と言う天啓の図をもってである。すなわち、その答えとは次にある通りである。
≪ 次元とは無限に存在する訳ではない、次元とは0、1、2、3、4、5、6、7、8、9次元だけが本体として存在するだけであり、その後の次元、すなわち、10、11、12、13、14、15、…と言う次元は影の次元としてのみのバ-チャル的な存在なのである。要するに、次元を調べるなら、0、1、2、3、4、5、6、7、8、9次元だけを攻略すればいいと言うことである。それらを克明に記しているものが「神の法陣」と言う数の図なのである。
何故なら、それ以降の次元は繰り返しの次元であり、本質的には0から9までの次元とは何も変わらないものである。「神の法陣」は0から9までの循環態から成っていることからも想像がつくはずである。
要するに、数とは0123456789から成っているのであり、後はその循環に過ぎないと言うことである。人間の作った10進法だけが数は無限に伸びていくような錯覚を与えて、人々を騙し続けているだけなのである。
我々に本当に必要なのは大きな数の次元ではなく、数の小さい次元の方である。要するに、本当の高次元とは小さい次元であり、大きな数の次元などはまったく必要はないのである。我々の求める窮極の次元は0次元であり、「神」の次元と呼ばれるものである。そこは神変不可思議な無限のエネルギ-が存在する次元であり、その場である。それは素粒子が小さくなればなるほど質量が大であり、ゆえにエネルギ-量も大きくなるという量子理論からも十分に類察出来るはずである。≫
① 原子13,6eV、②電子51万eV、③陽子9億4000万eV、クォ-ク198億eV(eVはエレクトロンボルト)…理科年表より
さあ、今回の「神の秘密」の一端をこれから明かし申そう、未だ誰も語ったこともない史上初の「次元の秘密物語」の一つであり、恐らく、それはあなた方の好奇心をくすぐって止まないものであろう。
まずは上記の次元体の中にある二つの対角線上の数、すなわち、右下がりの対角線〔A〕と右上がりの対角線〔B〕の対角線数列を取り出して簡単な計算を行って見ようではないか。 (ただし神算法を用いる)

さあ、ここに大きな「神の秘密」がいろいろな形で隠されているのであるが、お解りであろうか。じっとこれらの数列を凝視することにより何かが浮かび上って来るはずである。 要するに、あなた方に洞察力を奮って頑張って貰いたいと言うことである。
ただし、これらは現代数学とはまったく異なる姿を持って語られ、仕上げられているものである。 よって十分に考察することである。
あなた方はこれを学ぶことにより、自然は甚だ易しく単純な形を取りながら現代数学では及びもつかないような深遠な宇宙次元の真実や真相を語り上げている事実に気がつくはずである。 それが次にある数が醸し出したた図であり、あなた方が仰転するような数の語りなのである。
ひょっとすると、これは一つの「知のス-パ-ボックス(玉手箱)」、いや「知の遺伝子図」とも言うべきものであり、どうにか苦労して探し当て、答を出した大宇宙の住人だけがその恩恵にあずかり、一段上のステップに上ることが出来ると言うものかも知れない。また、ひょっとするとそれは永遠的な存在を歌う理の要として「神」と共に栄えゆくものかもしれない。 とにかく考えに考えることである、それがステップアップの道である。
さあ、次の図は各次元体の二つの対角線数を加算(Σ)して、答を出した簡単なものである。
出来れば、何回も意識を開いてしっかり計算し、そこにある答の意味を考えることである。

よく見てほしい、これらは「神の法陣」図の二つの対角線上の数を単に加算したものであり、必要なのが最後にある右の数列である。
それを連続した形で大声で読んで見るのである。すると驚くことに、それはまさに「ひふみ九九算表」にある2の段の姿であることが解る。
まさしく、ここにも祝詞「ひふみ…天地の数歌」が降臨して何事かを囁いているのである。何と言うことであろうか…!!。
これらを連続させると 246813570246813570246813570……となって果てしない連続性を持つことが解るのである。
すると、1次元の前にあるのは0次元であり、1次元の数である2の前の数を持つものである。すると、この連続数の数列を見ると2の前は0である、よって0次元の本質数は0と言うことになり、すべてが弥栄となるのである。 まさに弥栄の極みでもある。 弥栄、、弥栄…!!。

さて、諸氏にはお解りであろう、ここにあるのは「神の法陣」の「陰」と「陽」の二つの対角線数列が加算された答、すなわち、Σ(加算答)である。 じっくりと眺めながらいろいろと洞察をして貰いたい。それによりいろいろと面白い「神の真実」が次々と顔を出し、興味が尽きないはずである。
〔1〕 二つの対角線数列を加算したもの(Σ)は我々に甚だ面白いことを教えてくれる。すなわち、各次元体とはバラバラにあるのではなく、まとまった状態にあると言うことである。しかも、それらは繋がった状態、要するに、連鎖状態で次々と繋がって存在していると言うのである。それを証しているものが上図の答のΣ数列である。
さあ、0次元から1,2,3,4,5…9次元の二つの対角線の数列を加算した数列をそのままの順序で並べてあるのが上の図である。それらをしっかりと見るがよい、一体これらの数列は何を囁いているのであろうか…??。見るがいい、それらの計算法は大変やさしいものであり、誰にでも計算可能なものと言うことを…!!。
が囁いている内容はまさに不明なものであり、解明困難な極みのものである。
しかし、そこにある答の意味とは現代知を持っては想像も出来ない驚くべき真実の存在を示唆しているものであり、現代の物理学者達の頭をショック状態に陥らせて、麻痺させかねないものでもある。
なんと、そこには0246813570の循環数列が顔を見せ全ているのであり、全体の次元は完全に繋がって一つの連鎖的なブロック状態になっている塊であることを告げているのである。何と言うこと…!!!。
この0246813570の循環数列とはすなわち、古神道の奥儀祝詞である「ひふみ…天地の数歌」の本体、すなわち、「ひふみ九九算」の数列にあるものである。それにしてもこの「数のささやき」は偶然などの言葉ではとてもとても済まされないものである。 恐らく、そこには何か必然的な意味のある理由が存在するのであろう。
〔2〕 なぜ、ランダム的な次元表からこのような秩序と調和のある数列が現れて来るのであろうか…!?。
これらはまさしく人間知の領域外の超知の姿であり、いわば、「神の学」と言ってもいいものであろう。
果たして、我々はここに現れた規律ある数列の語ることを理解することは出来るのであろうか…!?。
はじめはそこから考えて見ることが必要であり、それにより重大さが解り、ただ曖昧にして投げ出す、捨て去るなどと言う今までのような行為は出来なくなるはずである。
〔3〕 さあ、次にこの答の数列の繋がり方をよく見てほしい。これらの各数列の右側を陽(+)とすると左側は必 然的に陰の性(-)になる。すると全体が見事に陽(+)と陰(-)が順を追って結ばれることにより、見事な自然的な繋がりを果たしていることが解る。それはまるで、磁石の S 極と N 極や電気の陰極(-)と陽極(+)などに見られる大自然の合体法のありかたと同じものであり、その確かさを示しているものであることが解る。
要するに、同極同士は反発しあい、異極同士は引き合うと言う自然の成り立ちの象を開示しているものである。要するに、次元体も御多分に洩れずそれぞれが自然の象である(+)と(-)の合体法則により固く結ばれて次元全体で一個の塊(ブロック)として存在していると言うことである。
ここで改めて面白いことが解る、先月の「神の数学」の講座の中で各次元体の中心と外側部分は完全に結ばれて繋がった状態にあると「ひふみ数」は証言しているのであるが、今回は驚くべきことに今度は全ての次元体同士も完全な連鎖的な状態にあることを「ひふみ数」は証言していると言うことである。 しかも、それを証言しているのがまたもや、古神道の古神道の奥儀祝詞である「ひふみ…天地の数歌」の本体、すなわち、「ひふみ九九算」の中にある三番目の数列0246813570 なのである。
まさに、驚き桃の木であり、確かな必然性を持って鎮座しているものである。その姿はまさに天地の数歌の名に恥じず、古神道の「カムナガラの道」を彷彿させてなお余りあるものである…!!。そうするとおぼろげながら行方不明な「カムナガラの道」の意味も判ろうと言うものである。
思い出してほしい、先月の証言ともまったく同じ「ひふみ九九算」の三番目の数列0246813570が揃って立役者となっているのである。恐らく、そこには我々の知らない何らかの関連法則があるのであろう。何故なら、偶然にしては余りにも出来過ぎ、揃い過ぎているから…!!。
要するに、これらは偶然ではなく、必然的な自然真実を語り上げて止まないものなのであろう。
ただただ、感無量であり、言葉も無いと言うのが今の本当の気持である。やはり、「神(宇宙意識)」の力は偉大であり、到底我々の知などは遠く及びもつかないと言うことであろう。
しかし、一体誰がどのような目的のためにこのような「数」と言う不滅の真実言葉を使ってこれらの「自然知の真実」の存在を語り上げているのであろうか…!!。そしてこれらを誰に告げようとしているのであろうか…!!。 何者かがこれらの「神の秘密」作り上げたと言うことは、そのメッセ-ジを送る相手がいると言うことでもあろう…!!。
一体、誰に届け、何を知らせようとしているのであろうか…!!。 まさに不可解の極みである…!!!。
それは「ひふみ神示」の天明さんが言っていた言葉通りであり、今更、氏の言葉が深く偲ばれて来るものである。それから半世紀、未だその真実は霧の中であり、あてもなくさ迷いつづけていることは御存じの通りである。
要するに、現代知を持っては如何にせん解くことは叶わず、ただ言葉を繰り返しながら撫ぜ廻しているだけである。それでは100年経ってもそのままの状態で、少しも紐解くことなどは出来ないと言うことであり、現代の知で考えてもどうにもならんと言うことである。
「学も神力であり、神ざぞ。学が人間の知恵だと思っていると、とんでもないことになるぞ」、「科学を越えて神の学に生きて下されよ」などの言葉であり、「学の鼻高さん何も出来んことになるぞ、学の世はすみたぞ、学者は閉口するぞ」などの含蓄あるフレ-ズの数々である。
また、「もうここまで来たなら、この先は神の道で無くては動きがとれん、神の大道は上の上であるぞ。神の道を明らかにすれば、神はその人を明らかにする」…。
「神と人との和は神よりなさるものであるぞ、働きかける力は神からでるのであるから人間から和し奉らねばならんのであるぞ。この先は神の力戴かんことには、ちっとも先行かれんことになるぞ…」、等の言葉であり、もって不可解な言葉と言うものである。
要するに、最早人間の力は尽き果て、どうにも動きが取れん状態と言うのが現在の人類の姿であると言っているのであり、一つの警告の言葉と考えるべきであろう。
ますます増える自然の脅威、打つ手の無い環境汚染、大国同士のエゴのぶつかり合い、人々の不満が起こすデモ的な反乱、確かに、今の世界情勢や人間知の行き詰まりを見れば「ひふみ神示」の言葉通りであり、いくら考えても最早どうにもならない状況である。やはり、これから先は神の力、すなわち融通無碍の神の力を借りることになるのであろうか…!!??。
(2013、7月の語り)
<転載終了>
アルアル~、だけどトンチンカン、なのにそれは法則そのもの。
原作のタイトルも意味深ですから。
あれを無意識でおもろいと感じるか、はたまたつまらないと感じるのかに大別されるようですけど、その違いも大切なことかもしれませんね。