煩悩くん フルスロットル さんのサイトより
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-2830.html
<転載開始>
日本の真の歴史や国体構造を知る洞察はまるでジグソーパズルをしているかのようです。うまく当て嵌まったと思いきや、後々それが間違いだったと分かり、組み直すことを延々と行っている。

まぁ、こんなことを何年間もしているわけですね、オイラは、、、(滝汗)

ジグソー01

ジクソーパズルを完成させるにはコツがあり、それは外周部から埋めることですが、まぁ、これが日本の真の国体構造を知ることに当て嵌めた場合、天神系、地祇系、天孫系の各渡来勢力の経緯、謎の四世紀の解明、壬申の乱の真相、カラスの出自や守備範囲の把握、斎宮・斎院の真の目的...等であったりするわけです。

それに最も貢献する情報は語り部と名無し先生の情報ですが、名無し先生の薫陶を受け真の日本の国体構図を知る高度自給自足ブログ様が最新情報が下記のもの。

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日本の王様=3トップ(◎衛、◎条、◎条)
実際は◎元俸公衆が最高権力者で、天皇は飾りみたいなポジション


【万世一系 大日本カースト帝国を認識する】
http://jfcoach.blog49.fc2.com/blog-entry-281.html
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この内容には正直戸惑いと焦りを覚えた。
う~む、オイラの洞察内容はまだまだピンボケだった、、、(滝汗)。

3トップの王様である「◎衛、◎条、◎条」は、当然、藤原五摂家のうちの3家ですね。藤原五摂家の背後には世界最兇の邪惡な靈能集團(劍山の麓に存在する物部集團)が憑いていて、彼らが藤原五摂家を霊的に操って日本列島に「345(3:神の世、4:四国、5:出ずる)の封印」をさせ、日本から縄文の神力を出させないようにしているが、年々その力は弱まっており、邪惡な靈力共も間もなくトドメが刺され、岩戸開きが訪れるという話もあるが、、、、、、

こういう話は大好きなのですが、ここではその真偽は触れないでおく。

問題は◎条の1つは「9」であることはスグ分かるのですが、もう1つの◎条が「1」なのか「2」なのかが不明。ズバリ聞いてみれば済む話かもしれないが、いろいろ洞察するのが趣味なので、ネタバレが怖いだす~。

家格の序列では、「皇別摂家」の近衛家がトップで九条家と一条家は同格、その下に二条家、鷹司家があるということから、もう1つの◎条は「1」だろう。明治維新以来、南朝側が政権を握っているが、明治天皇の皇后(昭憲皇太后)が一条家出身、大正天皇の皇后(九条節子)が九条家出身と全て南朝派であることから、一条で合っていると思われるが、大政奉還時の関白が二条斉敬という水戸藩の親戚みないな公家なので、この時、うまいこと乗っかったももしれず、残りの◎条は「1」か「2」かは現時点では不明。
※二条家は他の4家とは異なり公家町入ることが出来ず、冷泉、伏見宮家と同様今出川通りの向こう側にあった。この並びからして怪しさ爆発なのですが、二条家は「即位灌頂」の真言を知るだけの家系であまり経済基盤は強くなく、他の四家よりも格下感は拭えない。

この3トップが代々天皇の后を輩出してきた家系であり、貴種の受け皿(娘)を用意した王族家系。ただ、一般な「王族」の定義とは異なるわけだが、、、、

この藤原五摂家別に利権が分かれており、これが日本の財閥。大きくは近衛閥(近衛・鷹司)と九条閥(九条・一条・二条)の2つに分けられるが、それぞれの背後にはイエズス会、メーソンが控えている。なんせマークがほぼ同じだす~。

■近衛閥(北朝派)・・・三井財閥(清和源氏) ←イエズス会が干渉
■九条閥(南朝派)・・・住友財閥(桓武平氏) ←メーソンが干渉


田布施の大室寅之祐が天皇を演じた明治政府から始まる「寅の穴」の三人の最高幹部(天皇権威を利用し利権を裏から我田引水する3トップ)とは、実に彼らであったということか?
※最近の名無し先生の言説では、「すり替えはあったが、すり替わりの張本人が大室寅之祐であったという訳ではないという認識が真と考えます。」とあり、大室寅之祐入替説も雲息が怪しくなってきた。これは現在のネットで主流の八切史観や鹿島史観を覆してしまう内容である。ならば一体誰が、、、、中山家主催の天忠党が南朝天皇家と反目している時点で孝明天皇と中山慶子の子が明治帝でないことは確定するが、、、一体、明治天皇とは何者?。

三人の天01
(旧公家システムでの3人の最高幹部)

しかし、名無し先生は、、、、

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「5摂家を頂点としていた一時代前の公家システムから、新規公家システムに移った現在も1人の鳳の下に3トップという体制は存在しており、この実質権益を支配する3トップに入る家柄は、5摂家の中からは1家だけ」
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この3トップの1家とは余裕をかまして決して表に出てこない家系であり、天皇の后を出した家系であり、江戸末期の大政奉還時に関白職(二条斉敬)にあった流れの頭である「九条」だろう。二条斉敬の母は水戸藩主・徳川治紀の娘であり、水戸徳川家と非常に懇意。また伏見宮系の青蓮院宮尊融法親王(後の久邇宮朝彦親王)とも同調し孝明天皇とともに親幕派。二条家督は養子の基弘(九条尚忠の八男)が継いでいる。

近衛家などは膨大な借金を背負いながら自ら内閣総理大臣として立たねば政治力を発揮出来なかったのとは対照的です。明治維新後、長州が土佐、薩摩をふるい落し、古くから懇意であった薩摩島津と近衛は共に政権中枢に参与できなかった。そして近衛文麿の胸の奥には共産革命で大ドンデン返しを起こし3トップの一角に返り咲きを狙っていたのはよく知られるところ。

以上から、近衛・九条・一条は未だ王族ではあるが、現代日本の3人の最高幹部ではないようです。

藤原五摂家は天皇の后を輩出することで天皇の権威を後ろから操ってきた。これは大宝律令で決められた「四品」以上の家系のみが天皇の后や妃となれる規定を使い、一族間で高い官位を独占し続けることで次の天皇を生む后や妃の供給を皇族以外の臣下としては独占してきた。つまり、藤原五摂家は「隠れた王族」であることに間違いはない。古くは豊臣秀吉、新しくは大正天皇妃の朱貞明(客家の朱元璋末裔、和名:九条節子)等を養子に迎えた九条家のように、新興勢力に家名ブランドを与えたり娘を差し出して閨閥を作ることで、支配者層側から脱落しないよう維持して現在に至っている。

しかし、天皇を取り巻き背後から支配し天皇権威を利用した勢力は、歴史を重ねるにつれ変化してきている。

1.カラスやサンカ等、皇室俸公衆が、朝廷(皇室)権限を裏から操ってきた時代。
2.摂関政治により公家(摂家)及び公家俸公衆が、朝廷(皇室)権限を裏から操ってきた時代。
3.2の時代には位階制度上は下位であったC及びC俸公衆が、朝廷(皇室)権限を裏から操っている現代。


と現在は3段階目
特にWW2以後は米国の意向もあってか、藤原氏は天皇后を輩出出来ていない。

江戸末期、伯家神道が占った金帝・銀帝・銅帝・泥帝・哀帝とは当然、明治・大正・昭和・平成・ランドラチャクリンの各天皇のことであるが、当然、この予言もマッチポンプなもの(計画)であるが、これは藤原氏の姿でもあるという意見もある。事実、そうなるかもしれないし、そうならないと本当の意味で「日本の夜明け」はこない。

この「C」のところにくる言葉が問題ですが、過去の議論からは、、、、公家は殿上に上がれる「堂上家」と上がれない「地下家」の身分に分かれますが、「C」は明治維新時に士分身分に落とされた「地下家」だとのこと。ならば「C俸公衆」は「地下家奉公衆」となる訳ですが、これが「◎元俸公衆」なのでしょうか? 実際問題、低い家禄で摂家の門流(家臣)となっていた地下家に仕える奉公衆などいるのだろうか? まぁ、地下官人之棟梁の「催官人」であり、蔵人方(約60家)支配した地下家トップの出納平田家なら可能かもしれないが、、、今のところ、オイラの中で点と点が線で結び付いていない状態。

さてさて、こうして1300年もの長きに渡り、日本の支配者層中枢に居続けたのが藤原氏であったので、当然、裏天皇系(伏見宮)にも同様に妃を輩出して嫁がせていただろう。表にも顔が利き、裏にも顔が利く。つまり、藤原五摂家は日本の裏と表に通じるワープトンネルでもあったが、、これが藤原五摂家をして日本の王族として君臨させた秘密の1つではないかと睨んでいる。
※この理由以外にも、藤原氏の血筋に纏わる内容もある。語り部に拠ると、天智天皇と実の母である皇極天皇(佐富)を孕ませ、戦友・中臣鎌足こと百済王子に下賜して生まれたのが「人にあらず」の藤原不比等(不人)。このかつてない血の濃さが藤原氏の特異な点であり、巫女の取り合いという問題から「巫女制」が廃され、この特異性から「巫女制」に替わる皇后輩出家系という役目を担うようになったのかもしれない。

しかし、この王族の上には「◎元俸公衆」がいるという。
これが現代日本の最高権力者。
日本版カースト制度のトップとのこと。

う~む、このに何が当て嵌まるかが問題ですね。

ベビメタの「後ろの正面」である中元すず香の熱烈なモッシュッシュメイト(ファン)であるオイラなので、、、

これは「中元俸公衆」(モッシュシュメイト中元押し)でないかと密かにと睨んでいる(超爆)。

スーメタル
(ダメ出ししかしない「平成の懺悔の神様」こと中元すず香)

い、、、いや、違うだす~ぅ

懺悔の神様
(初代「懺悔の神様」であるグレート義太夫)

冗談はさておき、、、、

まぁ、現実にはスイス在住でサンカシノガラ資金を運用している「サンカの大元様」に仕える俸公衆の「大元俸公衆」ではないかと睨んでいる。空白部にドンピシャですね(ふふふふ)。

そして、この大元様の正体は日韓合同朝廷の長男というベルファシ勢力の「3つの世界最高評議会」議長を務めた人物を輩出した梨本宮の祖である伏見宮系の裏天皇家に繋がる誰かだろうというのがオイラの答です。ここが下部組織サンカを従えているが、客家ともつながりを持っている筈。

タイガーザグレート02

そして、この俸公衆が投資運用先によって基本的に3系統の黄組(原子力)、青組(武器)、緑組(農産物)に分かれており、この3系統以外に存在しない事になっている1系統の黒組があるというのが現代日本の統治の姿。KPOPも在日問題、靖国問題、原発問題も全てはこの枠組みから起きている。

まぁ、ぶっちゃけて云えば、原子力村は黄組の有力な投資先なのだろう。

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日本の裏皇室の下部組織である彼らは、4Cから6Cにかけ中原から南下しアジアを中心に世界各地に散ったと自称する者たちだ。
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と名無し先生はいう。つまり、客家(ハム系ミツライム族ペリシテ人末裔)のことですね。それ以外にも北イスラエル系も混じっていますが、、、これが緑のカラスかな。

彼ら客家の流れの1つが柳生一族。江戸城のお庭番として徳川幕府に仕えていたが、彼らの持つ唯一無二の「ゴールデンハンマー」(国を跨いだ情報網)によって、最新の欧州情勢が、逐次、江戸幕府に届けられていた。その後、徳川家はオランダのチクリもあって、イエズス会からメーソン側に転向し明治維新を迎えた。朱子学に犯された水戸徳川家は客家色に塗り替えられ、最終的に水戸徳川家は慶喜を将軍職に付けることに成功。この時、徳川宗家はメーソン側から更に客家勢力に乗り換えた。

ハンター
(クイズ天皇権威ハンター 「ハンターチャンス!」はどの組に?)

この徳川宗家と相反する水戸藩の動きは、家康が仕組んだ徳川家を滅亡させない為の保険的なもので、正反合の「反」側に当る両建て戦略。水戸家は家康の遺言として、もし倒幕の動きがあれば寛永寺の南朝天皇末裔を玉にして東北に逃げろという家訓があったという。これでどちらに転んでも徳川家は安泰というわけです。実際、明治維新を徳川家は無事乗り越え、華族というカースト上位に延命している。本来ならば、鎌倉幕府の北条氏、室町幕府の足利氏のように排除されるべきものだったわけだが、、、

そして、ついに客家は1900年(明治33年)に大正天皇に九条節子(朱貞明、客家人で明を建国した朱元璋末裔)を嫁がせるところまで漕ぎ着けた。
※一説には大正天皇妃は2人いたという話もあり、九条節子とは別だという説もある。オイラは昭和天皇、秩父宮...は明治天皇の子で彼らを宿したのが千代田大奥に居た朱貞明という客家人で九条節子とは別人だと睨んでいる。

新公家システム02
(新公家システムでの3人の最高幹部)

この客家支配の日本をGHQは知っていた為、戦後、ポツダム命令の大蔵省関係諸命令の措置に関する法律において、第8条の「将来存続すべき法律」として、第13項に「中国銀行(中華民国法人)大阪支店の業務及び財産の管理に関する省令を廃止する省令」として客家の影響を排除する文言を記載しているのだろう。

伏見宮系裏天皇=サンカの大元様が「寅の穴」(明治政府)を創設した黒幕タイガー・ザ・グレートだったのか?

タイガーマスク虎の穴
(アニメではスイスのアルプス山中に本拠を置き、総本部には翼を生やした巨大な虎のモニュメント(魔神像)が建てられている。世界的な悪のシンジケート「虎」の一部門。シンジケート「虎」は悪役レスラー育成の他に、麻薬精製、ダイヤモンド鉱山の経営、各国要人の買収なども行っているが、「虎」の首領はイタリアのマフィアの大ボスといわれているが詳細は不明)

一般には明治政府を作ったのは、公武合体を進める孝明天皇-二条斉敬(水戸藩主の娘が妻)-徳川慶喜(水戸藩主七男)ラインの「佐幕派」に敵対したのが、「王制復古」の薩摩島津とそれを更に過激にした「尊王攘夷派」の長州毛利。この両者ともイエズス会に長年毒されたキリシタン大名であるが、もとを糾せば島津家も毛利家も鎌倉幕府地頭を祖とする元南朝勢力。北朝派の徳川を長年恨んでいた。この両者と客家思想に浸食された水戸徳川家が加わって出来上がったベンチャーが明治政府ではなかったか?
※土佐も薩摩も最後には長州にふるい落とされた。

裏天皇家である伏見宮系は元々は北朝から分離した「世襲親王家」として創設され、下部組織として古くからの俸公衆であるサンカ(新羅系【北イスラエル族】で百済【ユダ族】に恭順化せず山に入った勢力)や朝鮮半島からの不法移民のエタや犯罪脱落者のヒニンを統率していた。また裏天皇家は海外情報を一手に握り、斉院に保管されている機密の外交文書を閲覧出来、日本の外交政策を一手に任された立場だった。

名無し先生の俸公衆に関する分類では、地祇系(北朝)の下部組織はサンカであり、客家(ペリシテ人)らのカラスを使っているのは天孫系だとしている。

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(俸公衆)
■地祇系(北朝)・・・サンカ ←イエズス会が干渉
■天孫系(南朝)・・・カラス ←メーソンが干渉
■天神系・・・???(両者の調整役)

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相変わらず天神系は謎めいている(滝汗)。
全然、尻尾が掴めない。

しかし、現代の最高権力者の3トップの一角は客家(ペリシテ人)系のカラス。これに地祇系サンカや旧公家システムが続くという感じ。ここから黄組、緑組、青組、黒組の各組が構成されている。ただ、これでは世襲親王家(裏天皇)やサンカの大元様が北朝派(新羅派)に属する点で、天孫系支配の客家が「大元俸公衆」から食み出てしまう。

う~む、「◎元俸公衆」を「大元俸公衆」としたのは誤りだったのか?
どこかでボタンの掛け違いが起きているのか? 

いっそのこと「中元俸公衆」(モッシュシュメイト)に再訂正してしまいたい衝動に激しく駆られますが(爆)、ここはぐっと堪えてもう少し洞察を重ねる。

オイラが裏天皇=伏見宮=地祇系天皇=北朝と比定したのは間違いだったのか? 実際、北朝から南朝に政権移行したのに北朝派が裏側で真に支配するのもおかしな話です。

そういえば、前記事で「大塔宮(後醍醐天皇の皇子・護良親王)の王子が北朝の光厳天皇の皇子にすりかわり北朝崇光天皇となり、その皇子の栄仁親王が伏見殿の初代。」という話がありましたね。

つまり、伏見宮殿は南朝出自の天孫系(桓武平氏・藤原式家・百済)であるのだが、「世襲親王家」の成立経緯から下部組織に北朝地祇系のサンカも有していた。海洋民族の天孫系が出自であることから客家(ペリシテ人)も同様に下部組織として駆使出来た可能性がある。

これで一応辻褄は合う(苦笑)。
この辺に関しては、高度自給自足時代ブログ様に書かれていた内容があった。

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天皇は3系統有ります。
天神系、天孫系、地祇系と呼ばれ、すべてが役割も日本列島に渡来した時期も異なる外来人です。
表の天皇は天孫系です。
これらの内、大陸から朝鮮半島を経由して日本に辿りついた一派が、明治期以降の日本国政治、宗教(国家神道)を作り上げてきました。 それが地祇系です。

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やはり、そうなんだな(納得)。
裏天皇は地祇系(北朝)、そして彼が「寅の穴」を創設した。

タイガーザグレート02
(「寅の穴」創設者のタイガー・ザ・グレートは、地祇系天皇=サンカの大元様で確定か!)

ただし、裏天皇家(伏見宮系)はGHQによって皇籍離脱させられ排除されてしまった。今君臨しているのは客家血筋の入った陽動的傀儡的に作られた表天皇家のみ。よって、戦後は主(宿主ともいうが、、、)がおらず、コントロールが利かなくなった黄組、緑組、青組の客家(ペリシテ人)系のカラスたちが日本で幅を利かせる事態になってしまったということでしょうか? これが日本版カーストのトップが「大元俸公衆」であるということなのかもしれない。

しかし、まだまだ謎は多い、、、、

落合莞爾氏は北朝の孝明天皇と睦仁親王(京都明治天皇)は岩戸隠れされ、日蓮宗本山の境内の堀川御所に移られ、また孝明系の堀川辰吉郎が裏天皇になったという話もあり、実際、サンカのアヤタチ筋である大本の出口王仁三郎が囲っていた節がある。伏見宮系の「尹宮」こと久邇宮朝彦親王が孝明天皇と図って起こしたのが、この「堀川政略」だと述べている。孝明天皇偽装崩御を隠すための撹乱情報として「厠竹槍虐殺説」などの嘘を流したという。

サンカ大元様(地祇系天皇)は、隠れた孝明系という線も無くは無い。う~む、本当は一体どっちが正解なのだろう?

1333年の建武の新政で南朝と北朝が秘密裏に入れ替わったとされますが、その際には、、、、

【表】北朝・光厳天皇の皇子 → 【裏】伏見殿の初代
【裏】南朝・大塔宮の皇子 → 【表】北朝・崇光天皇


このような入替が幾度と無く起きたという。
これと同様なことが幕末~明治維新の時にもあった。

この時も、当然、過去の事例に倣い「表の天皇家」と「裏の世襲親王家」の皇子が入れ替わっただけだろう。でないと「前例」に五月蝿い公家連中は黙っちゃいない。で、睦仁親王と入れ替わったのは生まれ年の近い貞愛親王だろうとオイラは睨んでいる。
※貞愛親王は始め妙法院を相続したのち孝明天皇の養子となっている。非常に怪しい養子縁組です。

【表】北朝・孝明天皇の皇子 → 【裏】伏見宮貞愛親王(1858年生まれ)
【裏】伏見殿の皇子 → 【表】南朝・明治天皇(1852年生まれ)


つまり、表天皇家と裏天皇家はリバーシブル構造になっていて、反対派勢力が強くなるとコロッと次期天皇が入れ替わる。このリバーシブルな構造は神社仏閣があるときは神社を名乗り、またある時は仏閣を名乗っていたのと同じ。単なる看板の付け替えです。その看板に該当するのが天皇家。ただし、婚姻を通じて両家の血の行き来は絶えず行われ緊密さを維持。

オイラが知る婚姻の初出は天武天皇の元へ天智天皇の娘が3人嫁いた事例。何で3人も?と不思議に思った。更には斎院への天皇内親王派遣は実は裏天皇大奥への輿入れが実態。また近年でも天皇家から伏見宮系の宮家への婚姻が多く行われている。昭和天皇と香淳皇后(久邇宮家出身)もその最たる1つの事例。

つまり、明治政府(寅の穴)とは、天孫系(南朝、百済、桓武平氏、藤原式家)勢力とメーソンと客家勢力が糸を引く政府。勝った側の南朝(百済系)の天孫族天皇を表天皇家として立て、裏には負けた側の北朝(新羅系)の地祇系天皇を裏天皇家として世襲親王家に据えた。この負けた側を排除しないリバーシブル構造が古代からあった為に日本は表面上1つの王朝でいられたわけです。

この構造はDNAの2重螺旋構造と全く同じ。

DNA

その同じ形態が伊勢神宮の20年毎に行われる式年遷宮である。金座(かねくら)と米座(こめくら)という2つの敷地を交互に移動する。

誰がこんな国仕掛けを考えたのだろうか?

う~む、こんなことが出来るのは、この国の大家のあの方しかしない。
きっと、今までの入替指示もここから出されていたのだろう。

裏支配01
(鶴=天孫系【百済・南ユダ族】、亀=地祇系【新羅・北イスラエル族】 それを操るのが「後ろの正面」です。)

そ、それは、、、

ミッキー01
FC2 Management <転載終了>