キチガイ医さんのFBより
https://www.facebook.com/satoru.utsumi/posts/706026839481072
<転載開始>

誰かを責め立てる者、この人が悪いのだと強く言い張る者、
その人はしかし、告発することで自分の性格を思わずあらわにすることが多い。

第三者から見ると、汚く責め立てる者のほうこそ悪いのではないかと思えるくらいに低劣な性格をあらわにしてしまう。

そのため、あまりにも厳しく責める者こそ、周囲の人々から嫌われてしまうものだ。

道徳的なふるまいをする人が、本当に道徳的であるとは限らない。
というのも、道徳に服従しているだけかもしれないからだ。

自分では何も考えず、世間体のためだけに単に従っているだけかもしれない。
無力で諦めている可能性もあるし、面倒だからあえて道徳的なふるまいをしているのかもしれない。

つまり道徳的な行為そのものが道徳的だと決め付けることなどできないのだ。
要するに道徳は、その行為だけでは本物かどうかはなかなか判断できない。

曙光 ニーチェ

https://www.facebook.com/satoru.utsumi/posts/706052286145194

グーミン

グーミンという言葉に対してどのような反応をするかで、その人がどれくらい意識があり、どれくらい自己を冷静に見ていて、どれくらい人類が罪深いかを知っているかの一つの指標になる♪。バカであればあるほどグーミンという言葉には耐えられないし、ネトウヨやクレクレ君やジャンキーやニホンジンであればあるほど、このグーミンという言葉に過剰に反応し、グーミンに限らず私の記事に極度に反応し見つめることができないという特徴を持つ♪。

なぜなら彼らは常に共通項を持っており、常に彼らは口だけであり、常に彼らは言葉にのみ頼り、常に彼らは自分の立場にこだわり、常に自分が正しいということにしか興味がないからだ♪。だから自分がバカにされることに耐えられないし、自分がバカであるという認識もないし、人類が愚かであるという認識もないし、そこから成長するということも決して彼らにはできない♪。自分たちがグーミンでありバカでありカスでありクズでありゴミであり、最底辺であり最下辺であり救いようがない生物だと悟った後に、はじめて変化が訪れうるし成長も得られるチャンスがある♪。

仮に自分が地球と世界と子どものために真に意義あることをしていれば、たとえ自分がグーミンだバカだアホだクズだといわれても、決して気になることなどないであろう♪。なぜならそれは結果を伴いながら自我の確立と自信につながっていくからだ♪。グーミンという言葉に抵抗がある人は真の意味で自分に自信がない人であり、何一つこの世界で有効なことを実践していない人々だということになる♪。何もしないグーミンに限って、言い訳がわりに言葉は大事にしましょうとかアホ丸出しの嘘を吐くのだ♪。

よく私は人をバカにする言い方などやめた方がいいと指摘される♪。私とて無理にそうは言いたくないし、確かに人がグーミンでないのならバカにする理由はないだろう♪。しかし99.9%がグーミンである現在、それはバカにしているわけでさえなく事実を述べているだけである♪。さらにいえば人をバカにしない方がいいと述べるグーミンは、その時点で人を慮っているわけではなく、実は自分を慮っている♪。自分がグーミンとして扱われることに耐えられないのだ♪。

グーミンは自分では決して動かない
グーミンは自分では決して調べない
グーミンは自分では決して決断しない
グーミンは自分では決して解決しない

それがグーミンのグーミンたる本質である♪。

<転載終了>