donのブログさんのサイトより
http://ameblo.jp/don1110/entry-11994599255.html
<転載開始>
第二次世界大戦において、日本が戦争を始めたのには様々な説があるのだが、今回当ブログは、J.Dロックフェラー(ロックフェラー家初代当主)の死去との関連を歴史の年表から取り上げてみることにしようと思う。


日中戦争が始まったのは、J.Dロックフェラーが死去して約1ヶ月後のことである。

そこから始まった第二次世界大戦において、ロックフェラー家が莫大な資産を築き上げたのは歴史的事実である。
信じられないほどの資産を築いたのだ。


ジョン・デイヴィソン・ロックフェラー・シニア(John Davison Rockefeller, Sr、1839年7月8日 - 1937年5月23日)は、アメリカ合衆国の実業家、慈善家。スタンダード・オイルを創業し、同社は石油市場を独占し、アメリカ初のトラストを結成した。石油業界を変革し、現代的フィランソロピーの構造を定義した。1870年にスタンダード・オイルを創業したロックフェラーは、積極的な経営を行い、 1897年には事実上引退した[1]。

アメリカ人初の10億ドルを越える資産を持つ人物となった[2]。インフレーションを考慮すると、史上最高の富豪とされることもある[3][4][5][6]。

引退後40年間生き続け、その間資産の大部分を慈善活動の現代的かつ体系的アプローチの構築に費やした。そのため、医療・教育・科学研究促進などを目的とした財団を創設した[7]。
彼が創設した財団は医学研究を推進し、鉤虫症や黄熱病の根絶にも貢献した。また、シカゴ大学とロックフェラー大学を創設し、フィリピンにセントラル・フィリピン大学(英語版)の創設資金を提供した。また、熱心なバプテスト信者であり、生涯に亘って米国バプテスト同盟を支援した。また、酒もタバコも全く嗜まなかった[8]。
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亡くなったのは、1937年5月23日
その約一ヶ月後に日中戦争が起きている。


日中戦争(にっちゅうせんそう)は、1937年(昭和12年、民国紀元26年)から1945年まで、大日本帝国と中華民国の間で行われた戦争である。大日本帝国政府は、勃発当時は支那事変としたが[2]、1941年12月の対米英蘭の太平洋戦争開戦に伴い支那事変から対英米戦までを大東亜戦争とした [3]。 中国側は、抗日戦争と呼称している[4]。
年月日:1937年7月7日から1945年9月9日

こちらはドイツ

1937年
11月5日 ヒトラーが軍幹部と外相ノイラートを集めた会議で戦争計画を語る。(ホスバッハ覚書)
1938年
1月26日 ブロンベルク国防相を罷免。28日にはフリッチュ陸軍総司令官も罷免され、ナチ党による国防軍支配が強固になる(ブロンベルク罷免事件)
3月13日 オーストリアを併合(アンシュルス)。
9月29日 ミュンヘン会談でチェコスロバキアのズデーテン地方を獲得。
11月9日 水晶の夜事件。
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イスラエルを作るために、ナチスドイツから『ユダヤ人と定義された人たち=レッテルを貼られた人たち』を追い出したナチスドイツ ナンバー2のアイヒマンは、ロックフェラーのスタンダード石油の社員からナチ党に入党。
ナチスドイツの武器弾薬のほとんどを製造し支えたIGファルベン社は、スタンダード石油との合弁企業でしたよね。

仕込みですよ、仕込み。

『ユダヤ人』は、なぜ殺されたのか??(原爆ホロコーストと『ユダヤ人』大量死の関係とは??)1/2
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/08/21/6953639

『ユダヤ人』は、なぜ殺されたのか??(原爆ホロコーストと『ユダヤ人』大量死の関係とは??)2/2
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/08/22/6954683

以下は、息子

ジョン・ディヴィソン・ロックフェラー・ジュニア(John Davison Rockefeller, Jr. 1874年1月29日 - 1960年5月11日)は、アメリカ合衆国の実業家、慈善家。ロックフェラー家の一員。
スタンダード・オイルの創立者ジョン・ロックフェラーの5番目の子供であり、一人息子であった。

ニューヨーク市のブラウニング・スクールに通い、続いてブラウン大学に入学した。卒業後は父親の事業を手伝い、また投資家としてもその名を馳せた。世界恐慌の間にロックフェラー・センタービルの建設に資金を提供した。結果としてロックフェラー2世はニューヨークにおける最大の不動産所有者となった。さらにアメリカの銀行であるチェース・ナショナル・バンクが彼の信託投資会社を買収したときその支配的利権を得た。

しかしながらロックフェラー2世はその文化事業によって最も記憶される。彼は一族と共にロックフェラー財団とロックフェラー大学を創立した。さらにヴァージニア州のコロニアル・ウィリアムズバーグの再建に資金を提供し、ニューヨークの国連本部の建設敷地を寄贈した。

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J.Dロックフェラージュニアが死去した1960年5月11日の7ヶ月後にベトナム戦争が始まった。

ベトナム戦争(ベトナムせんそう、英語: Vietnam War)は、インドシナ戦争後に南北に分裂したベトナムで発生した戦争である。第二次インドシナ戦争とも。ベトナム社会主義共和国では「米国戦争(Chiến tranh Mỹ quốc)」「対米抗戦(Khang chiến chống Mỹ)」「対米救国戦争(Khang chiến chống Mỹ cứu nước)」などと呼ばれる(インドシナ戦争は抗仏救国闘争[2])。
ベトナム戦争は宣戦布告が行われなかったため、戦争がいつ開始されたかについては諸説ある。南北ベトナムの統一戦争という観点からは、南ベトナム解放民族戦線がベトナム共和国(南ベトナム)政府軍に対する武力攻撃を開始した1960年12月という説が一般的である。
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この裏でも、キューバ戦線を拡大しようとして様々な陰謀が起きていたのは、歴史的事実である。

ピッグス湾事件(ピッグスわんじけん、スペイン語: Invasion de Bahia de Cochinos、英語: Bay of Pigs Invasion)は、1961年に在米亡命キューバ人部隊「反革命傭兵軍」がアメリカ合衆国の支援の下で、フィデル・カストロによる革命政権の打倒と傀儡政権の再興を試みた事件。ジョン・F・ケネディ大統領の承認を経て1961年4月15日に侵攻が開始されたが、東側諸国の援助を受けたキューバ軍は3日間の戦いで撃退に成功した。この事件の直後、キューバ政府は先の革命が社会主義革命であることを宣言。ソビエト連邦への接近を強めた結果、翌1962年にはキューバ危機が起きることになる。
ピッグス湾とは侵攻が行われた地名(コチーノ、スペイン語で豚の意)を英訳したものであるが、キューバをはじめとする中南米諸国においてはプラヤ・ヒロン侵攻事件(Invasion de Playa Giron)と呼ばれる。

ノースウッズ作戦 (Operation Northwoods) は、1962年にキューバのカストロ政権を転覆させるため米国が秘密裏に計画した偽装工作の名称。

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ウィンスロップ・ロックフェラー(Winthrop Rockefeller, 1912年5月1日 - 1973年2月22日)は、アメリカの政治家、実業家、慈善事業家。南北戦争後の再建期以来初めて共和党員としてアーカンソー州知事を務めた(1967年 - 1971年)が、膵癌に倒れた。 ジョン・D・ロックフェラー2世の四男。次兄はニューヨーク州知事、副大統領を勤めたネルソン・ロックフェラー。
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ウィンスロップ・ロックフェラーが亡くなった1973年2月22日の約7ヶ月後に第四次中東戦争勃発

第四次中東戦争(だいよじちゅうとうせんそう)とは、1973年10月にイスラエルとエジプト、シリアなどの中東アラブ諸国との間で行われた戦争。


そして

ジョン・ロックフェラー3世(1906年3月21日 - 1978年7月10日)

ネルソン・アルドリッチ・ロックフェラー (Nelson Aldrich Rockefeller、1908年7月8日 - 1979年1月26日)は、ニューヨーク州知事およびアメリカ合衆国第41代副大統領。愛称はロッキー(Rocky)。
メイン州バー・ハーバーで生まれる。ジョン・ロックフェラー2世の次男で、姉が1人、その後、弟が3人生まれた。父方の祖父はスタンダード石油の創業者ジョン・ロックフェラー、母方の祖父は共和党保守派の実力者、ネルソン・W・オルドリッチ上院議員(ロードアイランド州選出)である。またアーカンソー州知事を務めた(1967年-1971年)ウィンスロップ・ロックフェラーは4男、チェース・マンハッタン銀行のCEOを務めたデイヴィッド・ロックフェラーは5男で末弟である。ジェイ・ロックフェラー上院議員(民主党、ウェストヴァージニア州選出、1985年-)は兄ジョン・ロックフェラー3世の子で、甥に当たる。映画監督ロバート・アルドリッチは従弟。
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ジョン・ロックフェラー3世が亡くなったのは1978年7月10日
ネルソン・ロックフェラー が亡くなったのは1979年1月26日
その直ぐ後にイラン革命が起き、イラン・イラク戦争が始まります。

イラン・イラク戦争(イラン・イラクせんそう)は、イランとイラクが国境をめぐって行った戦争で、1980年9月22日に始まり1988年8月20日に国際連合安全保障理事会の決議を受け入れる形で停戦を迎えた。名称として「湾岸戦争」「第一次湾岸戦争」と呼ばれた時期もあるが、日本では単に「湾岸戦争」と言えば1990年-1991年のイラクのクウェート侵攻に端を発した戦争(第二次湾岸戦争)を指す。アラブ諸国では、第一次湾岸戦争(حرب الخليج الأولى)と呼ばれることも少なくない。
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他には、こんなことも

アビー・ロックフェラー・モーズ(1903年11月9日 - 1976年5月27日)
7月3日 - イスラエル軍がウガンダのエンデベ空港を奇襲、ハイジャックされたエールフランス機の乗客を救出。
8月26日 - エボラウイルス属のザイールエボラウイルスによるエボラ出血熱の世界初の患者がコンゴ民主共和国で発生する。


ローレンス・スピールマン・ロックフェラー(1910年5月26日 - 2004年7月11日)
12月26日
スマトラ島沖地震が発生。M9.3。津波などにより14カ国以上で22万人以上が死亡。邦人40名以上が死亡。


そして、つい最近、デイビッド・ロックフェラーの次男が飛行機事故で亡くなりました。


2014年6月13日の現地時間朝、ユダヤ系財閥のロックフェラー家の医師リチャード・ロックフェラー氏(65)が操縦する小型機がニューヨーク市郊外ウエストチェスターから離陸後に飛行場西方の民家をかすめ木に衝突。墜落して、同氏は死亡した。彼は、米銀大手チェース・マンハッタン(現JPモルガン・チェース)元会長のデービッド・ロックフェラー氏の息子で、石油王ジョン・ロックフェラーのひ孫にあたる人物である。

そうすると。。

6月29日 - イラク北部を制圧するイスラム教スンニ派武装組織「イラクとシャームのイスラーム国」(ISIS)、カリフ(予言者ムハンマドの後継者)を最高指導者とするイスラム国家「イスラーム国」の樹立を宣言、アルカイダなど他のイスラム組織に従属を求める[66]。

7月8日、イスラエル軍は本格的なガザ攻撃を開始した(ガザ侵攻 (2014年))。

8月8日 - アメリカを中心とした有志連合国が、イラクに展開するイスラーム国に対して空爆を開始(同年10月16日に生来の決意作戦とする作戦名が後付けされる)。

8月8日 - 世界保健機構(WHO)は、西アフリカ諸国にエボラ出血熱の感染が拡大していることをうけ、「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」を宣言[73](2014年の西アフリカエボラ出血熱流行)。
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というわけで、ISIS(なんちゃってイスラム国)が作られて戦争やエボラ詐欺が起きるのである。

『なんちゃってイスラム国ISIS詐欺』ですが、ISIS(国際科学安全保障研究所)は、ブッシュ政権の『大量破壊兵器があると嘘付いてイラク戦争を行うきっかけを作った犯人』
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2015/02/10/7569491


西アフリカでエボラに感染したのは、大量破壊兵器があると嘘ついてイラクを爆撃させたキリスト教原理主義のサマリタンズパース
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2014/08/01/7403973


エボラ騒ぎですが、ブッシュ大統領を改心させて、大量破壊兵器があると嘘ついてイラクを爆撃させたキリスト教原理主義の『サマリタンズパース』の医師が感染から回復
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2014/08/22/7419761

エボラパニック詐欺がバレる、防護服着ていない付き添い人登場
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2014/10/17/7460845

エボラ出血熱とは、本当は何なのか?分析していきたいと思います
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2014/10/23/7471623

エボラ出血熱詐欺とFRBと赤軍のハイジャックと911
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2014/10/25/7473691

も参考に


こうして年表を見てみると一目瞭然である。


以上のように、ロックフェラー家の主要人物が亡くなった際、ほぼ例外なく戦争や災害・テロが起きている事がお分かりいただけるだろう。

それも、当主など大人物(遺産相続額が多い)ほど大きな戦争に繋がっている。

これは、ロックフェラー家が遺産相続をする際に、慈善事業や財団、シンクタンクなどに資産を飛ばし、そこから戦争や災害によって利益を回収するシステムを導入しているからであると考えられる。


一方、ロスチャイルド家の当主が死んだ場合は、あまり戦争は起きていない。
起きているのは、金融恐慌である。
ロスチャイルド家は、戦争を起こさなくても遺産相続で儲けることが出来る(為替操作や金融操作で)からだろう。


これは、両者の戦略の違いと考えられる。


今年は、ロックフェラー家の当主であるデイビッド・ロックフェラーが死去する確率が極めて高い。

『エコノミスト』紙の表紙で『311』と『511』という数字が何なのか話題になっていたが、5月11日は、J.DロックフェラーJRが亡くなった日付であるところから、当ブログは511の意味するものは、ロックフェラー家にまつわるものではないかと考えている。


ちなみに、J.Dロックフェラーシニアの孫であるジェイ・ロックフェラーに支援されていた小沢一郎の秘書が逮捕されたのも5月11日であった。

これは、ロックフェラー本家のジェイ・ロックフェラーと、ロックフェラー分家である現当主のデイビッド・ロックフェラーとの主導権争いでもあったと思うのだが


この小沢一郎秘書逮捕をきっかけに、民主党の人気を下げ、同時に行われた千葉県知事選でパチンコ森田健作が自民党である出自を隠して当選し、千葉県内に降伏の化学の事務所が大量に出来たのは、既報の通りである。

その後、311や不正選挙があり、現在がある。
降伏の化学が国政選挙に立候補してから、なぜか自民党は全て圧勝している(不正選挙で)

降伏の化学は、ISISのバクダディ(本名サイモン・エリオット)を絶賛していた。
出自がバレバレである。


そして、洗脳されたアベッチを始めとする自民党を圧勝させて日本の平和憲法を改正させたり、集団的自衛権を行使させようとしているのは、
日中戦争を起こして漁父の利計画を持っているロックフェラーのCFRを中心とした企画であることは言うまでもない。

というわけで、デイビッド・ロックフェラーが死んだ後に大戦争や災害・疫病の蔓延を起こさせないようにしましょう。
特に日中戦争を阻止しましょう。
よろしくお願いします。



そしてTPPもまた、彼らの資産回収システムなのはバレバレ。

TPPも阻止しましょう。
よろしくお願いします。


私達は、なんとしても、日中戦争、そして第三次世界大戦を回避しなければなりません。


そして、戦争経済を前提とした現在のシステムを終わらせ、人々がもっと楽しく豊かに生活可能な仕組みを作っていきましょう。
よろしくお願いします。

http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2015/02/25/7579545

<転載終了>