社会科学者の随想さんのサイトより
http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1051837628.html
考える人を選ぶと、党員拘束と言う世間体が悪いので
何も考えない「右向け右」の人を選んでいるような気がします。
<転載開始>
【記憶もオボロ,知識もふたしか(もともと欠落・不在?)である自民党議員の揃い踏み】

 【21世紀のいまに,19世紀の時代精神のような政治観念しかもちあわせない「知恵遅れ」(アナクロ)的な執権党である〈自民党の腐朽ぶり〉】


 ① 本日〔2016年2月11日『朝日新聞』朝刊の諸記事〕に観る安倍晋三政権・大臣連の惚けぶり
 
 1)「首相,『オスロ合意』と言い間違い?  北朝鮮の拉致問題」(『朝日新聞』2016年2月10日朝刊4面「総合4」:その1)

 安倍晋三首相は〔2月〕10日に放送された自民党のインターネット番組で,北朝鮮の拉致問題に触れたさい,「残念ながら『オスロ合意』からずいぶん時が経っているが,北朝鮮は回答を示してきていない」と述べた。2014年5月に北朝鮮が拉致被害者らの再調査を約束した「ストックホルム合意」を,「オスロ合意」といい間違えたようだ。

 「オスロ合意」は,1993年にイスラエルとパレスチナ側が和平に向けて結んだ。首相は番組のなかで,北朝鮮の核実験を「けっして容認できない」とし,拉致問題の解決を「安倍政権にとって最重要課題」と強調していた。番組は,北朝鮮がミサイルを発射する前の1月25日に収録された。

 --この首相は以前にも,ポツダム宣言を「つまびらかに読んでいない」とか,このポツダム宣言のほうが,アメリカによる広島・長崎への原爆投下の日付よりもあとだとか,みごとなまで(?)に「間違えていた」こともあった。関連させていうべき肝心な問題は,安倍が本当にそのように間違えていたのかという「以前の問題」にもあった(間違えるも間違えないもないのであって,これ以前の知的問題が彼にはあるという意味)。
 安倍晋三はもともと,それらに関連する知識や情報を確実にもっていなかったといわれてもしかたない。安倍の理解力・学習力がもともとあやしかったといってもよく,たびたび前段のような間違いを恥ずかしげもなく公開してくれていた。

 それにしても,日本国の首相が自国の歴史に関する「この重要な記憶:年月日」(ポツダム宣言と原爆2発の投下日)の前後関係をそのように,アヤフヤにしか「記憶」していない〔もともと記憶などしていなかったらしいと推察されてもおかしくないが〕というのは,これだけで「日本の首相としては失格」の烙印を押される理由になりうる。というか,もはやお笑いぐさの域に達した話題である。情けない。
    ★-1 ポツダム宣言(Potsdam Declaration)は1945年7月26日,アメリカ合衆国大統領・イギリス首相・中華民国主席の名において,大日本帝国(日本)に対して発された《全日本軍の無条件降伏》などを求めた全13か条からなる宣言である。正式名は『日本への降伏要求の最終宣言(Proclamation Defining Terms for Japanese Surrender)』。

    ★-2 広島への原爆投下は1945年8月6日,長崎へのそれは8月9日であった。
 2)「首相,高市氏発言を追認『政権こそ言論の自由を尊重』」(『朝日新聞』2016年2月10日朝刊4面「総合4」:その2)

※ 高市総務相の停波発言に波紋 与党にも慎重対応求める声 ※

 安倍晋三首相は〔2月〕10日の衆院予算委員会で,放送局が政治的な公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合に電波停止を命じる可能性に触れた高市早苗総務相について「法令について従来どおりの一般論を答えた」と述べ,答弁を追認した。

 首相は高市氏への批判にも反論し,「なにか政府やわが党が,高圧的に言論を弾圧しようとしているイメージを印象づけようとしているがまったくの間違いだ。安倍政権こそ,与党こそ言論の自由を大切にしている」と主張。安全保障法制をめぐる批判を念頭に,「恣意的に気にくわない番組に適用するというイメージを広げるのは,『徴兵制が始まる』とか『戦争法案』と同じ手法だ」と述べた。
 補注)ここにいわれている安倍晋三の反論(反発)は,論理的に必要な客観性を,基本からまったく欠いている。「高圧的に言論を弾圧しようとしているイメージ」どころか,実際にそうしているのが,安倍晋三政権の第1次政権(2006~2007年)のときから披露してきた,この第2次政権における行動様式でもある。とりわけ現状における安倍晋三の言論弾圧ぶりは,まるで子ども的な次元の感性とやり方で,マスコミ界・言論界に対する介入をあからさまにおこなってきた。
『朝日新聞』2016年2月11日朝刊14面高市風刺マンガ
出所)『朝日新聞』2016年2月11日朝刊。

 この首相はだいたい,自分のやっていることについては「黒を白をいいくるめる発言」を常套・常習にするゆえ,なにをかいわんやである。嘘でもなんでも繰りかえしていっていれば本当になると,本気で考えているどうかしらぬが,この人はいわば,子ども的な感覚世界のなかで彼なりにそう思いこんでいる。

 安保関連法案が根本から戦争に関係する法律であることは,いうまでもない。徴兵制の問題が問題になってきても当然である。ところが,安倍の返答は,全然関係がないと強説している。しかし,これは眉ツバものどころか,彼の口から出てくることばのそのひとつひとつが「デタラメというオブラート」で何重にも包まれている。

 安倍晋三が首相になってから,マスコミ界・言論界に対してどのように,お節介で,それも脅迫的手法を使いながら圧力をかけてきたか。そして,それなりに成果を挙げている史実は,当人自身が一番よくしっている事情である。

 〔記事本文に戻る→〕 これに先立ち,民主党の大串博志氏は「安倍政権になって番組に口を挟もうとする態度が非常に多い」として,首相が2014年11月の衆院選前にTBS番組の「ニュース23」に出演中,街頭インタビューを「全然,声反映されていません。おかしいじゃないですか」と批判したこともとりあげた。

 首相は「首相の立場を使ってニュース23に圧力をかけたのではない。出演者として司会者と議論した」と答弁。そのうえで「選挙が近いなかで,恣意的な攻撃を排除しなければいけない。私の意見,編集の仕方はどうですかということを一言もいってはいけないというほうがおかしい。その場で反論すればいい」と述べた。
 補注)安倍晋三は首相である自分の一言・一言の重みをまったく理解できていない〔しようとしていない〕政治家である。昨日(2月10日)夜のニュース報道であったが,安倍がほかの失言をした大臣たちを弁護をするさい,国会で答弁のときみせるその「態度・発言」は,どうみても落ちつきがないだけでなく,ただイライラしているふうの,つまり,自分中心(ジコチュウ)の人間の姿にしかみえなかった。

 
そのニュース報道からは,世襲3代目である政治家なりの「余裕」とか「度量」とかは,ミジンも感じとれなかった。この国の将来を「いまのイマ」,この人に任せていていいのか。この種の心配がよりいっそう募るばかりである。

 --つぎの記事は,この ① の 1)の記事につづけて配置されていたものである。

※「高市氏発言の撤回求め声明 民放労連」※

 日本民間放送労働組合連合会は〔2016年2月〕10日,高市早苗総務相が8日の衆院予算委員会で放送法4条違反を理由に放送局へ電波停止を命じる可能性に言及したことに対し,「放送局に対する威嚇・恫喝以外のなにものでもない。発言は明らかな法解釈の誤りであり,速やかな撤回を求める」との声明を発表した。

 また「今回のような言動が政権担当者から繰りかえされるのは,マスメディア,とくに当事者である放送局から正当な反論・批判が行われていないことにも一因がある。放送局は毅然とした態度でこうした発言の誤りを正すべきだ」としている。

  --この高市早苗という女性議員,どうみても政治感覚・時代精神ともに「19世紀的な反動形成の精華」と形容(称賛!)できそうな人物である。民主主義というものの基本理念を,はたして少しでも理解できているのか? そういう疑問を突きつけておきたい政治家である。高市は,自分自身の個人的な事情に関して,こういう理屈を披瀝していたことがあった。  

★ 2004年09月23日 毎日新聞社に抗議します。
夫婦別姓ではありません ★

 今日の毎日新聞朝刊に,私の写真が出ていて「夫婦別姓にするかも」という見出しがついていました。記事を見て誤解された方から「国会議員時代に夫婦別姓を実現する民法改正案に反対していたくせに,自分は夫婦別姓を選択するとはけしからん」というお叱りのメールをいただいて,大変迷惑しています。

 私たち夫婦は,先週末に婚姻届を提出し,2人の氏として夫の姓である「山本」を選択致しました。現行法では当然のことですが,現在の私の姓は既に「高市」から「山本」に変わっておりますので,既に「夫婦同姓」なのです。全く誤った認識の記事を全国紙に掲載されては困ります。
 
 将来の選挙に「山本」で出るか「高市」で出るかということは,「戸籍上は同姓の夫婦が仕事上,『通称』を使うかどうか」という議論であって,私は現行法上でも可能な「通称使用」まで否定したことは1度もありません。

 特に営業職など,自分の旧姓で取引先に認知されているお仕事で旧姓使用が必要な場合が多いことは,痛いほどよく分かります。私の奈良事務所でも,戸籍上は夫婦同姓で,事務所内では旧姓で仕事をしてくれている女性がおります。
 註記)https://sanae.gr.jp/column_details337.html
 この理屈は根本からおかしい点を含む。民法上だけの論点が問題になっているのではなかった。

 民法で同姓ということは,日常生活全般でもこの同姓を使用することが大前提というか,当然の論理になっている。そしてこの点が,民法の狙いのなかにこめられている「同姓による旧日本帝国的な家族観念の旧套的な維持」の狙いであり,いうなれば,その本筋を貫いている。

 それゆえ「戸籍だけで夫婦は同姓ですけれども,ただ仕事:日常生活=政治家としての姓名は別姓〔の通称使用〕でも,なにもおかしな点はない」という反論は,どだいから「おかしいに決まっている」。
高市早苗画像8
出所)http://neutralman.exblog.jp/22541949/

 その程度の同姓「論」に関する考え方であるならば,同姓という制度の本来有するイデオロギー的な目的を,あえてはぐらかす〔高市にその意識があるかどうかすら疑問があるのだが〕意図を示したというほかない。

 日常生活のすみずみまでにおいて「同姓は同姓として使うべき」である。そうしていることが好ましいのだという理念を維持するのが「夫婦同姓」の基本線である。高市早苗の場合,ふだんの生活で妻としては配偶者(夫)の姓を使い,議員としての仕事においては旧姓の高市を別姓として使っていても,なんら支障がないのであれば,夫婦がふだんにおいても別姓を使っていて,なんら問題はないという理屈になるはずである。

 さて,実際のところ,高市早苗自身が「一定の思想」を踏まえたうえでの家族観を語っているかといえば,これはさっぱり不詳なことがらである。いずれにせよ高市の場合,夫とのあいだで,民法上の「形式は同姓」であるけれども,生活上の「実質は別姓」である。

 彼女自身においては「便法的な姓〔同姓と別姓〕の使い分け状態」にある。だが,この社会・生活的な意味は「奇妙な事実関係の状態」に置かれている。

 まず一方には,彼女が主張する基本点においては,形式面からして合致しえていない,つまり,けっして実質的な意味あいを発揮させえていない「自分たち夫婦間における同姓」の使用が,ひとまずある。

 そして他方には,この同姓は,彼女が国会議員として活動しなければならない現実の生活のなかでは使用されず〔できず?〕,夫婦間において別姓を使用しているというのである。この高市流になる「実生活における」「同姓と別姓の使い分け」は,自身の支持する夫婦同姓「論」の立場・思想に照らしてみると,明らかに大きな不都合・不整合がめだち,結局は自家撞着している。

 こういうふうに,関連する概念の整理をしておく。

 ◎-1 民法上の規定 ……同姓であり別姓ではない。
              (一般的な夫婦間の姓の関係)

 ◎-2 生活上の実態 ……同姓でなく別姓である。
              (高市早苗の事例における姓の関係)

 ◎-3 家族の絆・一体感 ……◎-1なら確保できるが,◎-2なら確保できない。

 同姓の立場・思想を支持する人びとは,確信をもってそう主張する。けれども,ふだんの生活のなかでこそ大事であるはずのその「絆・一体感」は,はたして日常生活を別姓で暮らす人たち(国会議員として生活する高市はその好例)にあって,必要かつ十分に確保できているという保証あるのか?

 こうした疑問が湧いてきて当然である。形式であれ実質であれ,同姓でなければその「絆・一体感」が生まれないなどいった論理を立てる立場・思想は,もとよりまったく妥当性のない思考方式であり,幻惑的な発想だともいえる。韓国・中国などの国々では別姓である。それでなにか問題になっているのか?

 「絆・一体感」論者は,◎-1の形式と◎-2の実質が一致していなければまずい,家族の一体性が実現できないと考えているはずである。ところが,その考え方に立っているはずの高市早苗が,形式(民法・個人の家庭内)では表に出さない夫婦同姓であるが,日常生活(仕事:国会議員)では別姓である。こうなるとわれわれが,マスコミを通して彼女の姓,この高市夫婦の「絆・一体感」を懸念してあげたくなるのは,あまりに当然の気持である。

 高市早苗の国会議員(閣僚に就いている人物である)としての露出度は高い。有名人だともみなしてよい。

 高市は「個人生活内の実態次元」で同姓を使っている事実を〈楯〉に利用している。そして,この「民法上の規定そのもの」の問題に対して生じてきそうな,仕事の場所・次元で「高市という旧姓(別姓)」を実質において使用することとの齟齬・矛盾,それも5人家族画像自分自身に批判が向けられている「家族の絆・一体感」の確保が,「高市,オマエの場合問題ではないか」と非難されないよう回避するための理由に,その〈楯〉を援用している。
 出所)画像は,http://girlschannel.net/topics/363641/

 すなわち,私たち:高市夫婦のあいだはともかく,「絆・一体感」がありますよといいたいらしいが,これは,それこそ夫婦間における個人的な事情の問題であり,他者が踏みこむべき領域のものではないゆえ,他者には観察や判断のしづらい対象である。高市側にすれば,他者に応えるさいには,どうとでもいえそうなその問題点である。

 高市早苗は,民法の関連に家族思想を寄せていき「絆・一体感」を論じるとなるや,以上のようにチグハグな説明しかできていない。高市自身における夫婦間の事例が,まさしくその事実・現象を端的に物語っている。彼女は「自分の場合はとくに別なのよ」といっているに過ぎない。日本社会において「私たち夫婦の場合のように仕事の舞台において別姓をつかっていても」,みんなの「全般の生活次元においても大丈夫なことなのよ」(「絆」とか「一体感」のことについて)といった論点にまで,整序だって関連づけることはできていない。

 しかし,前段のような段階まで議論をしていくと,同姓でも別姓でもどっちでも同じではないか,という基本的な疑問点が浮上してくる。それほど不確実な論点が「同姓か別姓」かの問題には絡みついている。

 ましてや「同姓か別姓か」そのどちらにするのか,といった具合にその普遍化などできるわけはない。つまり,高市はうまく説明できない論点に関しては,夫婦間の別姓という実情に関して発生している「早苗=自分・個人の場合ではまずい・不都合な関連性」を,形式〔民法〕面に押しやって拡散させ,なすりつけては抹消させておこうとしている。けれども,実質〔生活〕面にあっては「別姓であっても絶対にまずいこと・いけないことではない」という方向も示唆するかのような弁解にもなっていた。

 結局,高市早苗流のそういう便法も通るというのであれば,形式〔民法〕上において別姓の規定があったとしても,実質〔生活〕上において「家族の絆とか一体感」に問題は生じないという理屈が,自然に成立してくる可能性がいくらでも残されている。
 
◆ 関連記事「『NHK呼び説明求める』事前報道巡り
滋賀県議会,決定後撤回」(『朝日新聞』2016年
2月11日朝刊35面「社会」)◆


 滋賀県議会は〔2月〕10日,NHK大津放送局が2016年度県当初予算案の概要について,県議会が県から説明を受ける前に報じたのは「見逃せない」として,NHKの説明を求め,担当者を後日の全員協議会に招致することを決めた。しかし同日夕,「県から事情を聴き,呼ぶ必要はなくなった」として決定を撤回した。NHKの招致決定のさい,報道各社は「報道の自由への介入ではないか」などと事態を報じていた。

 県議会が問題視したのは,NHKが〔2月〕4日夕に「新年度予算案まとまる」などと報じたニュース。この段階で県は公表しておらず,NHKも加盟する県政記者クラブに5日に予算案概要を説明した。

 10日,県議会運営委員会は県の予算報告を受け,その後に最大会派の自民県議団の代表が「議運の開催前に報道され,見逃すことができない」と発言。別の自民県議が「全員協議会にNHKを呼んだらどうか」と提案した。他会派から異論は出ず,招致はいったん決定した。

 しかし閉会後,県広報課が議運委員長の小寺裕雄県議(自民)に経緯を説明。報道各社には5日に予算案の概要を説明すると事前に通知し,10日以降に報じるよう求めていたのに,4日に報じたのは「ルールを逸脱している」などとして,すでにNHKに抗議していたことを伝えた。

 小寺県議によると,県の説明を受けて各会派の代表らと話し合い,NHKの招致決定を撤回したという。小寺県議は取材に対し「報道への介入という意識はなかった」と釈明した。

 NHK大津放送局の友次康裕副局長は取材に対し,県議会の招致について「連絡を受けていなかったのでお答えできない」と答え,予算報道については「独自取材にもとづき報道したもので,なんら問題ないと考えている」と話した。
田島泰彦画像
 ※「介入の恐れある」(田島泰彦上智大学教授,メディア法)の話 --報道のあり方をめぐり,議会が権力を行使して報道関係者を呼び出すのは,報道への介入につながる恐れがある。報道の自由の重要性を理解していない。
 出所)画像は田島泰彦,http://www.asyura2.com/09/hihyo9/msg/328.html

 強い権限をもつがゆえに自制が求められる議員の質が下がっている。権力による情報統制が強まり,漏れた情報が流れるのはよろしくないという風潮が強まっている。メディアに高飛車に出る国会議員も増え,それが地方議会にも広がっている。情報の多様性が失われれば,民主主義は根底から崩れかねない。
 補注)「報道の自由の重要性を理解していない。強い権限をもつがゆえに自制が求められる議員の質が下がっている」のは,いまの政権の実体(安倍晋三首相以下の陣容,その面々)をみれば,嫌というほど実感させられている。

 そもそも,この安倍晋三という総理大臣が総理大臣だから,それ以下に続く自民党の国会議員たちも当然のように悪品質になり下がっている。さらに付けくわえては,都道府県単位の自民党議員たちも「イケイケドンドン」の調子で,それも「悪のり的の意識」が安倍晋三風刺マンガ裸あるのかどうかすらに関する自覚症状もない状態のまま,この記事のように「条件反射的に報道機関に対する容喙(圧力行使)」を平然とおこないつつある。
 出所)http://lm2lm3.blog129.fc2.com/blog-entry-609.html この画像を借りたブログは「戦後70年談話」で妥協しても何の痛痒も感じず!?  安倍晋三の浅く軽薄な思想は戦前の軍部そっくりだった」という題名(標題)で本文が書かれていた。

 時代はまるで「軍部が横暴にふるまっていた」昭和戦前期に似てきた。「昔:軍部,今:自民党」ということか? しかし,その横暴さに潜む程度の悪さに応じて,自民党国会議員側における品質の低下・劣化も顕著である。もっとも,あの首相を観察していると,部下の者たちに対しても,あまり高度な期待(要求)はできない。しかしそれにしても,あまりにひどい。とにかく,相当に「低品質で悪品位である国会議員」が大勢いるのだから,国民・市民・住民・庶民の立場からみえてくる「彼らに関する印象」となると,それはもう最悪・最低である。

 3)「新任閣僚,ふらふら答弁 岩城法相,秘密法で首相が助け舟 丸川環境相,除染問題認めぬも陳謝」(『朝日新聞』2016年2月10日朝刊4面「総合4」:その3)

 昨〔2015〕年10月の内閣改造で新しく就任し,国会論戦に初めて臨む閣僚の答弁が不安定だ。安倍晋三首相がみかねて助け舟を出す場面もあり,与党内から苦言を呈する声も出始めた。

 きわだつのは岩城光英法相だ。〔2月〕10日の衆院予算委員会で民主党の階 猛氏から,特定秘密保護法で秘密指定された文書が会計検査院に提供されるか否かを問われた。法相は最初「特定秘密を理由に(会計検査に)支障は生じない」と答弁。

 階氏から「安全保障にいちじるしい支障を及ぼす恐れがないと認めたとき」との限定条項があることを指摘されると,「(限定条項は)会計検査院にも適用される」「検査に必要な資料の提供については(限定条項の)適用がない」などと答弁が混乱した。ヤジや怒号のなかで首相が答弁を代わり,「(法的には適用されるが)会計検査院に情報開示されないとは,およそ考えられない」と答えたが,階氏は「どっちが法相か分からない」と憤った。

 除染などで国が長期目標として示している年間追加被曝線量1ミリシーベルトについて「なんの科学的根拠もない」と発言したと予算委で指摘された丸川珠代環境相は「発言は一言一句覚えていないが,誤解を与える発言をしたとしたら本当におわびを申し上げたい」と陳謝。島尻安伊子沖縄北方担当相も,北方領土の一つである歯舞(はぼまい)群島の「歯舞(マイと読むこの字)」を読めなかったことから「一層の緊張感をもって職務に励んでいきたい」と釈明に追われた。
 丸川珠代画像 島尻安伊子画像
  出所)左側画像は丸川珠代,http://www.zakzak.co.jp/society/politics/photos/20130626/plt1306261539005-p1.htm
  出所)右側画像は島尻安伊子,http://masapanland.wp-x.jp/434.html

 こうした状況に公明党の大口善徳国対委員長は10日の与党幹部会合で,「緊張感をもってしっかりと答弁し,国会外での発信も十分注意をもってもらいたい」と苦言を呈した。自民の谷垣禎一幹事長は「そのとおり。注意を喚起する」と平謝りだった。

 --いつも指摘することになるが,漢字をきちんと書けない首相(総理大臣安倍晋三)がいるし,漢字をちゃんと読めない副首相(副総理大臣麻生太郎)も,自民党内にはいる。だから,前段に登場したダメ大臣たちに対して,あまりきつい文句はいえない。とはいえ,もともと記憶力において問題のあるのか,それとも記憶が定かではないとただトボけているのか,そのどちらであっても,いきなり「若年認知症」を疑いたくなるような女性大臣もいる。自民党はさすが数を誇る政党だけあって多士済々である。

 4)「〈ニュースQ3〉育休宣言の議員に不倫疑惑報道,影響は」(『朝日新聞』2016年2月11日朝刊33面「社会」S)

 国会議員もイクメンに。男性の育休取得問題に,そんな一石を投じた自民党の宮崎謙介衆院議員(35歳)。ところがその宮崎氏の不倫疑惑を〔2月〕10日発売の週刊文春が報じた。事実なら,波紋はどこまで広がるのか。
『朝日新聞』2016年2月11日宮崎と金子議員
 a)「本人の説明なし,党幹部には釈明」 ……週刊文春は,宮崎氏が妻金子恵美衆院議員(37歳)の出産6日前に,宮崎氏の地元京都の自宅に女性タレントを泊めたと報じた。
 出所)右側画像は『朝日新聞』2016年2月11日朝刊から。

 「育休宣言をされたとき,実はちょっと期待した。いまは売名行為のためと疑わざるをえない」。10日の衆院予算委員会で,民主党の西村智奈美氏は厳しく批判。安倍晋三首相は「信なくば立たず。政治家はみずからの行動を律していく必要がある」と守勢に立たされた。

 自民党関係者によると,党国会対策委員会は国会での問題化を抑えるため,報道機関の取材に応じないよう宮崎氏に指示。離党を促すことも検討した。宮崎氏本人は10日夜までに,公の場で説明していない。

 一方,週刊文春の発売前から宮崎氏は,党幹部や派閥の有力者への釈明に奔走し,9日早朝には所属する二階派の重鎮,伊吹文明元衆院議長宅を訪問して「迷惑をおかけして申し訳ない」と土下座したという。二階派会長の二階俊博党総務会長は「(おわびを)100回いってもらってもどうにもならん」と不快感を示しつつ,各派閥に宮崎氏の残留を根回しした。

 b)「当初は期待の声,「許せない」落胆」 ……宮崎氏は,育休を宣言して国会議員のルールを変えようとしたさい,党の先輩議員から注意を受ける一方,永田町の外からは「古い男性意識を打破して」など期待の声も上がった。

 昨〔2015〕年11月に男の子を出産し,育休中の東京都内の会社員女性(31歳)も期待した1人。「裏切られた,許せない」と落胆する。夫が育休をとり,泣く子の世話や家事を分担する。「泣き声が続くとつらいが,心身ともに夫が大きな支え。奥さんにとっては一番夫にそばにいてほしいはずの時期なのに……」。

 厚生労働省の「イクメンプロジェクト」メンバーの1人,東レ経営研究所の渥美由喜(なおき)主任研究員は「格好つけた『なんちゃってイクメン』のめっきがはがれたということだろう」と厳しい。「育休をとるほかの男性まで『自己顕示が目的』と思われたら残念」と話す。

 宮崎氏の育休を認めるかどうかは,地元・京都市でも論議を呼んだ。後援会幹部の男性は「育休に周りの理解がえられなくても,しっかりやれと伝えていた。でもこうなれば帳消し」と困惑した様子で話した。

 c)「行動と別問題,切り離し議論」 ……育休をとった政治家はどう受け止めたか。2010年に計19日間の育休をとった茨城県龍ケ崎市の中山一生市長(53歳)は「政治家には育休をPRする役割がある」と話す。「今回の議員の行動と育休の問題はまったく別の話。育休の議論は国会でしっかり続けてほしい」。

 1月18日に宮崎氏を招き,男性の育児参加を考えるフォーラムを開いたNPO法人・ファザーリング・ジャパン。安藤哲也代表理事も育休のイメージダウンを嘆きつつ,宮崎氏にこう声をかけたいという。「離党しようが,議員辞職しようが,父親であることに変わりはない。育児を楽しみたいと思うなら応援する」。

 --圧倒的な議員数を誇る安倍晋三自民党〔プラス公明党〕政権である。最近はその驕りのためなのか,あちこちからボロが飛び出してはみえてくる。もしかしたら,その程度でしかない,ろくでもない人間たちが国会議員になっているのか? 

 それとも,員数ばかりが多いが,なにもやることのない議員がヒマをもてあましているのか? 東日本大震災の罹災者たちの補償問題に対して「最後は金目でしょ」と自分のホンネを吐いた,これまた愚かな自民党世襲2代目議員もいたが,どうみても「知性と教養」の科目で問題のありそうな議員が多い自民党である。

 ②「〈ザ・コラム〉政治の言葉 そこにリアルはあるか」(秋山訓子稿『朝日新聞』2016年2月11日朝刊14面「オピニオン」)

 ☆ 「政治って,ここから先が政治だというふうに線が引かれているわけじゃない。たとえばこのコーヒーだって,児童労働のすえ作られていないかとか,紅茶だってフェアトレードのものかとか,すべてが政治に関連していることだと思うんです」。

 カフェでコーヒーと紅茶を前に「政治は身近じゃなかったのでは」と,政治に対し声をあげた理由を尋ねた私に,西郷南海子(みなこ)さん(28歳)はそう答えてくれた。西郷さんは3児の母で,昨年「安保関連法案に反対するママの会」を作った。きっかけは,国会前でデモをするある若者の演説を聞いたからだった。

 「自分で思考することは自分にしかできない。自分の言葉は自分にしか語れない。だからこそ,国に語らせるのではなく,私たちが自分の言葉で語りましょう」。SEALDs の小林叶さんが話すのを聞き,「自分もリアルな言葉で政治を語ろう」と考えた。自分にとっての政治は,ママであることから始まると,会の名をつけた。

 自分の言葉で政治をとらえようという人たちが増えている。それは日本だけではない。たしかめたくて,昨〔2015〕年12月にある取材で欧州にいったとき,〔2月〕20日に総選挙を控えていたスペインに足を延ばした。

 ☆  スペインでは中道右派の国民党と中道左派の社会労働党の2大政党が,ここ30年ほど政権を分け合ってきた。そこに2014年,登場したのが左派政党「ポデモス」(私たちはできる,の意味)だ。昨〔2015〕年の地方選挙で,マドリードとバルセロナはポデモス系の女性市長が誕生した。

 書記長のパブロ・イグレシアス氏はかつて「政治で重要なのは人びとの多くが理解できる言葉を使うこと」と語っている。「政治闘争は言葉の意味についての闘い。言葉を使って闘わねばならない。左翼一辺倒の強硬論を貫いても誰にも理解されない」。

 スペインの国会は2大政党が相手の批判に終始,生産的な議論はなされていなかったという。両党とも政治とカネの問題が途切れない。いまも,公共事業費のリベートが政治家にわたったと指摘されている。その情景が,どこか日本に似ていると思えた。

 ポデモスの集会にいってみた。セビリアの3500人収容の会議場は超満員。声をかけた人たちのほとんどが,こういう集まりに初めて足を運んだという。公務員の51歳の女性は「社会と政治が離れていたのを,ポデモスが身近にしてくれた。私たちの言葉を話してくれるんです」。

 「私たちはマーケティングでつくられた政治と本物の政治を見分けることができます。国民は責任をもって説明してくれる首相を,正直者の政府を望んでいます」と語りはじめたイグレシアス氏は長髪にジーンズ,セーター姿だ。

 「大企業がタックスヘイブン(租税回避地)に子会社をおき,一方で中小企業がつぶれるのは国の恥。国の救済を受けた銀行は,中小企業を救うべきだ」「政府高官と大企業で公共事業を決めるような国はおかしい」「公約を果たさない首相は,任期の途中で国民投票で退陣させよう」……。

 バルセロナの集会に来ていた政治学専攻の18歳の女子大学生は「昔は,左翼の使う言葉は難しかった。だけど,いまは人間的というか,政治を自分たちのこととして一人称で話す。それが新鮮なんです」。

 ☆  ポデモスの政策は,聞こえはいいが財政的に実現が可能なのかとも思えるし,「彼らは新しい参加型民主主義と強調するけれど,組織のあり方など,古い左翼そのもの」(バルセロナ自治大学のガブリエル・クルメー教授)と冷めたみかたはある。

 ただ,イグレシアス氏の,一般の人たちの目線で,分かりやすい言葉で説明しようという姿勢が共感を呼んだのだと思う。総選挙の結果,与党は過半数を失い,ポデモスは総議席の5分の1近くをえた。普通の人たちが自分の言葉で政治を語ろうとすること。政治家が,日常のくらしに根差した言葉でわかりやすく説明すること,それは表裏一体のはずだ。

 日本の政治家の言葉に,生活に立脚したリアルさ,ていねいな姿勢はあるか。いまの国会審議はそれを確かめる絶好の機会だ。今〔2016〕年は参院選の年である。

 --このスペインにおける政情の変化を解説した記事は,日本でもこういった動勢が生まれてほしいかのような論調にも聞こえる。たしかに,ひたすら独裁的であり,粗暴1本槍の政治運営しかできない,いまの自民党安倍晋三政権にとって代われるような,新しい政治勢力が登場して来てなにも悪いことはない。

 安倍晋三の政治は,これを簡単に理解しようとすれば,ただの極右,それも実体の心棒ないままに戦前を志向している政権である。けれども,その実際の中身は不詳であり,首相である当人すらも,この肝要な点をよく説明できていない。
安倍晋三undercontrol画像
出所)http://www.asyura2.com/archives/15/03/12/seiji/0010.html

 しかし,彼がなにかをめざして追求していることは,間違いなくありそうである。「美しい国へ」「ふつうの国」といいながら,東電福島第1原発事故は「事故として抑えている」(the situation is under control)だと,無理やり断言できた彼である。本当のところにおける彼は,いまですら「ふつうの国」でも「美しい国」でもありえていないこの日本国を,さらに根底から破壊している最中である政治家である。その意味での “ the situation is under control ” であるならば,そういえるかもしれない。

 安倍晋三は要するに,その具体的な内容がいまひとつ明快でないのだが,それでもひたすら21世紀的に,自分の気に入った独裁的な政権構築を志向している。彼は,自分が蛇蝎のように嫌っている「戦後レジーム」を想像しているつもりであるが,しかし,この用語の〈歴史的な含意〉を,みずからまともに説明できていない。

 ④「〈記者有論〉家族のかたち 最高裁がなぜ踏み込む」(杉原里美稿『朝日新聞』2016年2月11日朝刊15面「オピニオン」)

 この記事は高市早苗の問題を論じた「前段の記述 ①」の内容に直接関連している。あえて前段には入れておかず,この最後に参照している。

 --「自分の存在を否定されたような気がする」。両親が事実婚で父親と姓が違う川崎市の女子大学生(22歳)は,昨〔2015〕年12月の最高裁の判決に,そう思ったという。

 「夫婦は同姓」と定めた民法750条が憲法に違反するかどうかが争われた裁判で,最高裁大法廷は,この規定を「合憲」と判断した。判決文は,夫婦の姓は「家族の呼称としての意義がある」といい,「子の立場として,いずれの親とも等しく氏を同じくすることによる利益を享受しやすい」と述べる。

 ただし,「嫡出子(ちゃくしゅつし)であることを示す」以外の「利益」は,記されていない。逆に,両親が別姓なら,子どもにどんな不利益があるのかも書かれていない。今回の判決は,憲法判断だけではなく,「家族の形」にまで踏みこんでいるのが特徴だ。

 1948年に施行されたいまの民法には,「家族」の定義がない。明治民法にあった「家制度」が廃止されたのち,それに代わる家族像は明示されなかった。しかし,「家族は社会の自然かつ基礎的な集団単位である」と最高裁はいい切った。

 この文言は,自民党の憲法改正草案と重なっている。草案では,憲法24条に「家族は,社会の自然かつ基礎的な単位として,尊重される。家族は,互いに助け合わなければならない」という条文を新設する。
 補注)このような文言を実現できそうな世帯・家庭が,いまの日本社会のなかでは,いかほど存在しえているか考えたことがあるのか? 「家族は,社会の自然かつ基礎的な単位として,尊重される」などと,いまどきいっているけれども,どういう意味があるのか? 大昔から変わりのない普遍的な意味があるとでもいいたい表現なのか? 「家族は,互いに助け合わなければならない」というけれども,他人にいわれてどうのこうのする問題ではあるまい。お節介もいい加減にしてくれである。時代錯誤……。

 この「家族条項」の創設を主張している保守派の八木秀次麗沢大学教授(憲法学)は「この言葉は,世界人権宣言にもあるグローバルスタンダード。最高裁の判決は,家族の意義を強調し,画期的だ」と評価する。たしかかに世界人権宣言は,家族が国に保護される権利をうたうが,家族相互の扶助義務はかかげていない。
 補注)この八木秀次という先生,いうことがいつもだいぶズレている。「家族意義」?  「画期的」? どこにでも転がっているような,猫またぎのごとき最高裁の下した平凡な判決を捉えて,そのように絶賛するこの憲法学の先生,自分自身の脳細胞に対する保守・点検管理のほうは大丈夫か。

 現代の貧困世帯・家庭,子どもの貧困問題が,いまの日本社会のなかでは深刻になっている。母子(父子)家庭の問題も,心配だらけの事情に囲まれている。「家族は,互いに助け合わなければならない」などと,国家が国民(市民・人民)にお説教する前に,国家自身が国民(市民・人民)に向けて施すべき現実の政策課題が,いくらでもあるではないか。国家の責任を個人の責任にすり替えるな(!)といわねばなるまい。

 さらに,最高裁の寺田逸郎長官は補足意見のなかで,両親が法的に結婚している「嫡出子」の意義をあらためて強調した。2013年に最高裁自身が「違憲」と判断した婚外子差別にもつながりかねない考え方だ。なぜここまで,最高裁は「家族の形」にこだわるのだろう。

 安倍晋三首相は2010年,雑誌『WiLL』の座談会でこう語っている。「夫婦別姓は家族の解体を意味します。家族の解体が最終目標であって,家族から解放されなければ人間として自由になれないという,左翼的かつ共産主義のドグマ(教義)」。
 補注)これほどバカらしい意見をいう首相もいない。夫婦別姓である他国であれば,「家族の解体を意味」する事態が昔も現在も発生しつづけている,という理屈になりそうである。だが,このようにまで狂信的な意見を吐ける政治家の神経じたいが,基本から疑われるほかあるまい。

 どだい,安倍晋三君は「左翼的かつ共産主義のドグマ(教義)」が,いったいどういう理論にもとづいて,どういう概念として提示されてきたのかしっているのか?(少しでもきちんと勉強〔学習〕したことがあるのか?)。こじつけだと処理されてもいいのだが,非常に甚だしいトンデモの屁理屈がめだっている。しかも,この屁理屈にしても無教養を背景とする〈卓見〉を披露してくれている。

 私は長く,夫婦が別姓を選べる制度を求める人たちを取材してきたが,「家族の解体」を目標にした人に出会ったことはない。たとえ夫婦が別姓であっても,家族として法的に認めてほしいと願う人ばかりだ。

 最高裁が政権の意向を忖度したとみえないだろうか。原告たちは国会に法改正を期待できないから裁判に訴えた。それを承知で,国会に突き返した最高裁の責任は重い。

 --裁判官も国家公務員,それも特別職国家公務員。このあたりの論点は,新藤宗幸の見解をとりあげて議論したこともある。為政者の顔色をうかがいながら〔も〕判決を下すのが,裁判官の現実的な仕事である。

<転載終了>