櫻井ジャーナルさんのサイトより
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201605250001/
<転載開始>
 バラク・オバマ米大統領は保有する核兵器を増強するため、今後30年間に9000億ドルから1兆ドルを投入する計画を打ち出し、ヨーロッパではロシアに対する核攻撃の準備を進めている。アメリカは核兵器を保有していない国を攻撃する口実に核兵器を利用しているが、自らが核兵器の保有をやめる姿勢は見せず、「核兵器のない世界」を望んでいるとは到底思えない。

 核兵器を口実にしてアメリカ軍が侵略したイラクの場合、ジョーンズ・ホプキンス大学とアル・ムスタンシリヤ大学の共同研究によると、2003年の開戦から2006年7月までに約65万人のイラク人が殺された。イギリスのORBは2007年夏までに94万6000名から112万人、NGOのジャスト・フォーリン・ポリシーは133万9000人余りが殺されたとしている。しかも、殺戮と破壊は今でも続いている。

 アメリカが始めて核兵器を実戦で使ったのは、勿論、広島だ。1945年8月6日、ウラニウム235を使った原子爆弾「リトル・ボーイ」を投下、9万人から16万6000人を殺しただけでなく、その後も原爆が環境中に放出した放射性物質によって人間を含む生物は殺されてきた。その3日後にはプルトニウム239を利用した「ファット・マン」が長崎に落とされて3万9000人から8万人が殺され、広島と同じように放射線物質の犠牲者も多い。

 一般に、第2次世界大戦は1939年9月にドイツ軍が「ポーランド回廊」の問題を解決するために軍事侵攻したときから始まると考えられている。飛び地になっていた東プロイセンを奪還しようとしたわけだ。この領土問題がこじれたひとつの理由は、イギリスを後ろ盾とするポーランドが強硬だったことにあるとも言われている。
 ドイツのポーランド侵攻から2日後にイギリスとフランスは宣戦布告するが、本格的な戦争はそれから約半年の間、始まらない。ドイツも攻撃しなかった。いわゆる「奇妙な戦争」である。

 それでもドイツは1941年4月までにヨーロッパ大陸を制圧、5月10日にナチスの副総統だったルドルフ・ヘスがスコットランドへ単独飛行する。そこで拘束されてから1987年8月17日に獄中死するまでヘスの口から飛行の目的が語られることはなく、今でも謎とされている。

 そして6月22日にドイツ軍はソ連侵略、つまりバルバロッサ作戦を開始した。このタイミングからヘスがイギリスへ向かったのはソ連を攻めるにあたり、西からの攻撃を避けるために話し合うことが目的だったとも推測されている。

 1942年8月にドイツ軍はスターリングラード(現在のボルゴグラード)市内へ突入するが、11月からソ連軍が反撃に転じ、ドイツ軍25万人は包囲されてしまう。生き残ったドイツ軍9万1000名は1943年1月31日に降伏、2月2日に戦闘は終結した。この段階でドイツの敗北は決定的。ドイツが降伏すれば日本は戦争を続けられないと考えられていたわけで、日本の敗北も不可避だった。

 その後、ソ連軍は西に向かって進撃を開始、慌てたアメリカ軍はシチリア島へ上陸するのだが、その際、アメリカ海軍のONI(対諜報部)はユダヤ系ギャングのメイヤー・ランスキーを介してイタリア系犯罪組織のラッキー・ルチアーノに接触、その紹介でシチリア島に君臨していた大ボスのカロージェロ・ビッツィーニと手を組むことに成功した。シチリア島がマフィアの島になった一因はここにある。

 1943年9月にイタリアは無条件降伏、44年6月にはノルマンディーへ上陸する。「オーバーロード作戦」だ。この上陸作戦は1943年5月、ドイツ軍がソ連軍に降伏した3カ月後にワシントンDCで練られている。

 スターリングラードの戦いでドイツ軍が劣勢になると、ドイツのSS(ナチ親衛隊)はアメリカとの単独講和への道を探りはじめ、実業家のマックス・エゴン・フォン・ホヘンローヘをスイスにいたアレン・ダレスの下へ派遣している。当時、ダレスは戦時情報機関OSSのSIB(秘密情報部)を率いていたが、兄のジョン・フォスター・ダレスと同じようにウォール街の大物弁護士、つまり巨大資本の代理人だ。

 1944年になるとドイツ陸軍参謀本部でソ連情報を担当していた第12課の課長を務めていたラインハルト・ゲーレン准将(当時)もダレスに接触、45年初頭にダレスはSSの高官だったカール・ウルフに隠れ家を提供、北イタリアにおけるドイツ将兵の降伏についての秘密会談も行われた。サンライズ作戦だ。ウルフはイタリアにいる親衛隊を統括、アメリカ軍のイタリア占領を迅速に実現させることができる立場にあった。(Christopher Simpson, “The Splendid Blond Beast”, Common Courage, 1995 / Eri Lichtblau, “The Nazis Next Door,” Houghton Mifflin Harcourt, 2014)

 こうしたドイツとアメリカが単独降伏の秘密交渉を水面下で行っていることを察知したソ連のスターリンはドイツにソ連を再攻撃させる動きだとしてアメリカ政府を非難する。ルーズベルト大統領はそうした交渉はしていないと反論しているが、そのルーズベルトは1945年4月に執務室で急死、5月にはドイツが降伏、その直後にウィンストン・チャーチル英首相はJPS(合同作戦本部)に対し、ソ連への軍事侵攻作戦を作成するように命令している。そして5月22日に提出されたのが「アンシンカブル作戦」。7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。

 この作戦が発動されなかったのは、参謀本部が計画を拒否したため。攻撃ではなく防衛に集中するべきだという判断だったが、日本が降伏する前にソ連と戦争を始めると、日本とソ連が手を組むかもしれないとも懸念したようだ。

 ドイツが降伏した段階で日本の命運はつきたと連合国側は判断したはずで、その前から米英の支配層はソ連と戦争を始める準備をしていた。ソ連と日本が手を組む可能性を消しておくために原爆を投下したという可能性はあるが、かなり小さい。ソ連を意識しての原爆投下だったと考えるべきだろう。

 チャーチルは1945年7月26日に退陣するが、翌46年3月5日にアメリカのミズーリ州フルトンで、「バルト海のステッティンからアドリア海のトリエステにいたるまで鉄のカーテンが大陸を横切って降ろされている」と演説、47年にはアメリカのスタイルス・ブリッジス上院議員と会い、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得して欲しいと頼んでいたという。

 その後、アメリカの好戦派がソ連に対する先制核攻撃を目論んできたことは本ブログで何度も指摘してきた。1991年12月にソ連が消滅した後、ロシアはウォール街の属国になるが、21世紀に入って再自立、米英支配層は再びロシアを殲滅しようと目論んでいる。その流れにオバマも乗っている。


<転載終了>