ひかたま(光の魂たち)さんのサイトより
http://shindenforest.blog.jp/archives/63350494.html
<転載開始>
太陽系。

太陽を中心に構成されている領域。

太陽の周囲を公転する天体には、
現在確認されているだけで
8個の惑星をはじめ
準惑星、
小惑星、
太陽系外縁天体
彗星、
惑星間塵など
多数の小天体で構成されています。


さらに、
惑星や準惑星、小天体には
その周囲を回っている衛星や環を持つものも存在しています。

惑星は誰もが知っていますが
準惑星になると
冥王星、エリス、ケレス、マケマケ、ハウメアのほかにも
数十個の天体が準惑星候補になっています。

さらに
小惑星は、とてもすごい数があります。
このように
太陽系はとても複雑な天体の集まりで構成されており
いまだに
太陽系にはたくさんの発見が続いています。



今年の初めには、
カリフォルニア工科大学の天文学者らが
太陽系に
「第9番目の未知の惑星の存在を示す兆候」
を発見したと発表しています。

それは
地球の約10倍の大きさというとても大きなもの
と推測されています。

この未知の惑星は、
それ自体が直接発見されたのではなく、
太陽系を巡る6つの準惑星の動きが
「他の何かの重力」に影響されるような動きを示していることから
未知の惑星の存在が推測されるという段階です。



「旗がはためいているから
風が存在するだろう」
というのに似ています。



今週は、
海王星の向こう側に
新たな準惑星
「2015 RR245 」
が発見されました。


図の黄色い線が
その軌道です。

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この準惑星は、
大きな楕円軌道を700年かけて周回しています。

今回の発見は、
太陽系の成り立ちを知るためにもとても重要なものだそうです。


他にも
太陽系の天体の動きから
目に見えない大きな天体の存在も示唆されています。

物質ではなく
エネルギー体で構成された天体です。



「他のものの動きによって
他の天体の存在を推測する。」

天文学は
とても精密かつ繊細な研究ですね。




「非風非幡仁者心動」
という言葉を思い出しました。



中国禅宗の第六祖である慧能禅師に由来する言葉です。

写真は、慧能禅師の即身仏です。
HuinengWikipedia


慧能禅師が、
修行行脚の旅の途中で立ち寄った寺での出来事。

この日は、
印宗法師による「涅槃経」の講話が行われるために
多くの僧たちが法堂の前に集まってきました。

法堂の前には
幡が風にはためいていました。


講話が始まる前に
それを見て二人の僧が議論を始めました。
一人の僧が「幡が動いている。」
というと
もう一人の僧が「いや、風が動いている。」
と主張しました。

二人とも
自分の見解に固執して
どちらもゆずらずに
対立してしまいました。


講話が始まりそうになっても
二人の言い争いは続き、
折り合いはつきそうにありません。

「動いているのは、幡だろう。」
「風が動いているのだ。」

どちらも
「風が吹いて、幡がはためく」
という事実を知りながら
あえて
自分の主張だけに固執しているので、
議論はこじれてしまったままになりました。


風は
目に見えなませんが、
風によって木や葉や幡がたなびけば
風が吹いているのが理解出来ます。
身体に風が当たれば、
風の存在が理解できます。


お互いの主張も一理あるといえば、
あります。

この二人の僧は
お互いに納得いくことなく
主張し続けています。


なんだか
現代社会でも
よくある構図のようにも思えます。


さて
この二人の僧が言い争っている間に
講話が開始される時間となったため、
その二人に
慧能禅師が介入しました。

「風が動いているのではなく
幡が動いているのでもない。
あなたたちの心が動いているのだ。」



この僧たちは、
目の前の現象を
自分の外の世界としてとらえ、
そこに
自我が作り出した主張に固執するという習慣がついていたのです。

現代社会では
とても一般的なこと。


人は
自分の「心」を
自我に固執した小さな「心」にすることも
森羅万象すべてを包括した「心」にすることも
できます。

自我に固執した小さな心を持つ同士で討論しても
実のある話し合いにはなりません。

私たちは、このように
いつでも主観的に物を観ることが習慣になっています。

でも、
物を、在るがままの状態で
観ることができたら、
どうでしょう?

すべてを包括した大きな心を持つ同士で話し合えば
とても実のある話し合いになります。

新しい時代にはそうなることでしょう。


<転載終了>