紙幣の不思議2さんのサイトより
http://blog.livedoor.jp/zabu2233/archives/1063930175.html
<転載開始>
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1%の阿鼻叫喚が聞こえてくる報道です。

情報拡散により1%の正体が晒され、何時自分達が吊るされるのか分からないので、「これ以上情報拡散は止めてくれ」という事が切々と書いてあります。

SNSなどのソーシャルメディアは瞬時に情報拡散出来る99%の「武器」です。その武器を使うのは間違った情報拡散にも繋がるので、考え直した方が良いよと書かれているようです。

テレビ・ラジオ・新聞などは一方通行で、見る側は何も考えずにただただ情報を刷り込まれるだけですが、SNSなどのソーシャルメディアなどは自から情報を選択できるので、自分の頭で考えながら情報をインプットできます。

その為に1%の洗脳報道を刷り込まれる事が無くなり、自分の頭で考えながら選択する自由が与えられます。

最近、フェースブックにも力を入れており、他のソーシャルメディアと違い、これは使い勝手が良いかも知れないと感じ始めたところです。

ブログはある意味一方通行の部分があり、情報を取りに来た人だけが情報を得られますが、フェースブックはコメントすれば登録者全員に、「この人がコメントを書き込んだよ」と知らせてくれます。

どのソーシャルメディアも一長一短あり、なるべく長所を生かしながら情報発信・拡散をしていくのがベストだと感じました。




フェイスブックなどSNS、視野狭め偽情報拡散の一因にも 研究論文

CNN.co.jp 1/23(月) 13:46配信

(CNN) フェイスブックなどのソーシャルメディア(SNS)はユーザーの世界を広げるどころかむしろ視野を狭めさせ、特定の先入観の形成を促し、それが誤った情報の拡散につながる――。イタリアや米国の研究チームがそんな論文を米科学アカデミー紀要に発表した。

研究チームはデータモデリングの手法を使って、陰謀説と科学情報の2種類のコンテンツが拡散する様子を描き出した。

その結果、「ユーザーは特定の論調に関連したコンテンツを選んで共有し、それ以外は無視する傾向があることが分かった。特に、社会的均一性が情報を拡散させる原動力になっていることが示されており、ありがちな結果として、均一的で偏向した集団が形成される」。論文はそう結論付けている。

言い換えれば、たとえ根拠のない内容だったとしても自分や友達がそれを共有するのは、その集団の中では皆が同じような思考を持ち、やり取りされる概念は決まり切っていて、新しい概念や疑問をはさむような概念が入り込む余地はないためだ。

論文共著者で南カリフォルニア大学の研究者アレッサンドロ・ベッシ氏はこの研究について、誤った情報がインターネット拡散する様子とその理由を探ることにあったと説明する。

科学情報と陰謀説のような話題について同氏は「ユーザーは既に出来上がっている信念を裏付ける情報を検索し、解釈し、思い起こす傾向がある」と述べ、「確証バイアス」と呼ばれるその現象が、コンテンツ共有の主な原動力になっていると解説している。

つまりソーシャルメディアのユーザーは、異論をはさんだり情報を提供したりするためではなく、自分が所属するグループの中で既に受け入れられている概念を再確認したり同意したりする目的で情報を共有している公算が大きい。従って、「偽ニュース」と呼ばれるデマも事実関係が確認されないまま広まってしまいかねない。

「実際に、陰謀説のような情報は、普段から代替情報源を支持していて公式発表や大手報道機関のニュースを信じないユーザーの集団の内輪のみで広まって反響する」とベッシ氏は言う。


たとえ自分は偽情報には惑わされず、開かれた姿勢を持っていると思っていても、誰もがある程度は確証バイアスの影響を受けるという。

「私たちは自分の考え方を裏付ける内容を見ると、それを気に入って共有したいと思う。私たちの認知資源や注意力、時間は限られている」(ベッシ氏)

それが内容を十分に確認しないまま軽い気持ちで共有する行動につながるといい、「例えば自分が信頼していて考え方も近い友達が投稿したというだけで、自分もその内容を投稿するかもしれない」。

将来的には誤った情報を締め出すためのプログラムやアルゴリズムが登場するかもしれないとベッシ氏は話す。しかし当面は、共有する前に自分で事実関係を確認し、自己分析を行う必要があると助言している。


ー引用ここまでー




いいですね~キングコング西野さんの考え方は。

皆がこれに気が付いたら、「お金の魔法」が解かれ、奴隷解放されるでしょう。

1%は99%の自由を奪う為に、「お金」で縛ります。

本来「お金」自体に価値は無く、労働力(衣食住等)を賄うモノに価値があるのに、いつの間にか「お金」が価値があると刷り込まて、「お金」の奴隷になっています。




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キングコング西野 「お金の奴隷解放宣言。」


ー抜粋ー


「2000円は高い。自分で買えない」


という意見。

小学生からでした。


『えんとつ町のプペル』は2000円です。

色を綺麗に出す為に特殊なインクを使っていて、使用するインクの数も一般的な作品より多く、そしてページ数も多いので、2000円という値段設定はギリギリまで頑張ったのですが、それでも2000円。

たしかに、小学生からしてみると大金で、自分の意思で買うことは難しいです。


実は、ここ数日、このことがずっと気にかかっていました。


《自分は『えんとつ町のプペル』を子供にも届けたいのに、たった「お金」という理由で、受けとりたくても受けとれない子がいる。》


双方が求めているのに、『お金』なんかに「ちょっと待った!」をかけられているのです。


お金を持っている人は見ることができて、

お金を持っていない人は見ることができない。


「なんで、人間が幸せになる為に発明した『お金』に、支配され、格差が生まれてんの?」

と思いました。

そして、『お金』にペースを握られていることが当たり前になっていることに猛烈な気持ち悪さを覚えました。


「お金が無い人には見せませーん」ってナンダ?

糞ダセー。


……いや、モノによっては、そういうモノがあってもいいのかもしれません(←ここ大事!ニュースになると切り取られる部分ね)。


しかし、はたして全てのモノが『お金』を介さないといけないのでしょうか?


SNSで誰とでも繋がれるようになり、『国民総お隣さん時代』となりました。

ならば、お金など介さずとも、昔の田舎の集落のように、物々交換や信用交換で回るモノがあってもおかしくないんじゃないか。

「ありがとう」という《恩》で回る人生があってもいいのではないか。


もしかすると、『本』には、その可能性があるのではないか?


そんなことを思い、

そして、

一度思ってしまったら、行動せずにはいられないタチなので、行動します。


今日をもって、『えんとつ町のプペル』を無料にします。



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ー引用ここまでー


<転載終了>