社会科学者の随想さんのサイトより
http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1064277694.html
<転載開始>

 【いまだに,神武創業などといった架空概念に脳細胞を侵食されている人びとのアナクロさ】

 【いまでは,近現代民主主義とは無縁の精神構造しかもちたくない,極右(右翼)政治集団が大勢いるこの日本国】

 【その政治問題の中心点に天皇がいて,また天皇制があるのも,不思議でもなんでもない】

 【この日本国の現状を,民主主義の基本精神にのっとってする議論すらできない「時代遅れの封建的なエセ政治意識」じたいが,立憲政治における決定的な未熟性を意味する】



 今日は別の論題で記述するつもりであったが,『朝日新聞』「オピニオン」欄に島薗 進が寄稿していた一文をとりあげるほうに変更した。

 日本人・日本民族自身が実はよくしらない,つまり,明治以来に設計・増築された国家神道や皇室神道の論点を,島薗が真正面からとりあげ議論している。神道の問題を〈密教的な次元〉ではなるべく,日本の人びと:庶民には教えたくない体制支配者側の立場にしてみれば,島薗の発言はきっとお気に召さない内容である。

 しかし,とりわけ日本の神道は,明治維新のときから臣民支配のための宗教的な道具となっており,国家政策のために意図的に《政治利用》されてきた。その「歴史の事実」(古代日本神道史からみればわずか150年間しかない「それ」)は,明治以来の神道に関する事実史に密着しながら,かつ客観的・客体的に理解したうえで,もう一度『醒めた視座から放たれる目線』を照射しなおして,じっくり観察・再考する必要がある。

 いつぞや「日本は天皇を中心とした神の国なるぞ」などと,「サメの脳み」だけれども「ゴリラの体躯」を誇れる自民党の政治家が,わざわざのたもうてくれたことがあった。しかしまたいえば,だいたい世界中のどの国おいてもそれなりに,それぞれまた特別に「自国が神の国だ」と意識したがっている。このことも事実である。それゆえ,体制派政治家によるそのようなご託宣は,実は無意味に等しく,わざわざ断わって口に出すほどのものではない。自分1人で念仏のように唱えていればよい程度の観念でしかないからである。

 ①「〈憲法を考える〉揺らぐ政教分離 宗教学者・島薗 進さん」(『朝日新聞』2017年2月9日朝刊「オピニオン」15面) 

島薗進画像2 ※ 人物紹介 ※ 「しまぞの・すすむ」は1948年生まれ,現在は上智大学教授,東京大学名誉教授。専門は日本宗教史で国家神道の歴史に詳しい。著書に『国家神道と日本人』(岩波新書,2010年)など。
 出所)画像は,http://shutoken.konko.jp/tayori/200404b.htm

 「神武天皇の偉業」「天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅(しんちょく)」。安倍政権の閣僚や自民党議員から神話由来の発言が飛び出す。なんの兆候なのか。宗教と社会のかかわりをみつめてきた島薗 進さんは,戦前・戦中,全体主義へと突き進んだ日本を下支えした宗教ナショナリズムの再来をみてとる。政治と宗教の接近をどう考えるべきか,話を聞いた。
    補注)事前にこう断わっておきたい。ここで冒頭に指摘されている用語は,そのほとんどが明治維新以後に準備・創作された「国家神道的な謳い文句」である。とくに,昭和の時代も満洲事変〔昭和6:1931年9月〕以後になってからは「磨きもかけられてきた」それらの用語であった。国家全体主義:ファシズムの時代になるとさらに昂進していくような,日本社会における〈宗教的な趨勢〉を表現するための用語となっていた。

国体の本義奥付画像 これら動向はとくに,それも昭和期に入ってからより顕著になっていた。「神州である日本とはどのような国か」を闡明しようとした,それも文部省が国粋学者に編纂させた書物である『国体の本義』(1937年:昭和12年)が,そうした神勅や万世一系を強調しつつ,国体明徴運動を理論的に意味づけようとした。
 出所)右側画像『国体の本義』の奥付であるが,この増刷分では63万部と記入されている。http://page6.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/f202310879

 ところが,敗戦という事実は,日本を神国とみなす国家宗教的な政治思想が間違いであった事実(ただしこの事実を認めたくない向き:人びともたくさんいた)を,徹底的にまで思いしらせた。なにせ神風は吹かず,日本は戦争に敗北してしまった。


 ところが,いまごろになってまたぞろなのであるが,敗戦後日本における政治過程のなかで蠢いてきたごとき「明治期に創建された大日本帝国はすばらしい御国であった」とみなす転倒・錯覚した政治思想が,とくに安倍晋三政権になってからは,いまさらのように本気(正気?)で,それも歌謡曲になぞらえていえば,懐メロ的な郷愁路線で復活させられている。

 そうした政治的な立場の人びとは「敗戦後史における日本国の政治過程が記録してきた実相そのもの」を,全面的に否定したいのである。それに,いまの日本政治における勢力として顕著な存在になっている「極右・反動・保守・国粋の政治集団」は,明治の時代における「坂の上の雲」のような目標を追い求めている。換言すれば,日本国全体を見渡せばすぐ判ることだけれども,『明治維新』とは完全に似て非なる,いわば『倒錯版:平成維新』とでも名づけたらよいような「幻想」(=「青い鳥」)を探してきた。

 だが,よく考えてみたい。いまの日本の国土は,いったいどういった軍事的な環境になっているか? 明治維新から国家事業を展開してきた「旧・大日本帝国の偉業」というものの成果は,敗戦を契機にして,戦前・戦中とはまるで違った様相を自国の風土にもたらしている。それもすでに70年が経過してきた。日本国に盤踞している在日米軍基地は実質,この国を植民地であるかのように傍若無人に振るまっている。
 

 国際政治関係をもってこまかくいえば,「日米安保体制⇒日米地位協定⇒日米合同委員会」という枠組のなかで観察するとき,そうした明治を懐旧する思考方式は完璧に粉砕される。この日本国じたいをかこむ〈現在的な国際政治事情〉を具体的に理解しなければならない。

 だが,日本国におけるこうした現状を根幹から変更できないかぎり,安倍晋三が唱えてきた「戦後レジームからの脱却」は,申すまでもなく「夢のそのまた夢」でしかない。それでもなお,明治維新以降の70年ほどの期間,いいかえれば,敗戦以前における戦前・戦中体制はすばらしい時代であったのだから,この時代に再び戻れば「なにかいいことがある」「昔みたいにすばらしい帝国日本に戻れる」などと,トンデモもなく子供じみた発想がいまの時代にあっても盲信され,まかり通ってもいる。これを摩訶不思議といわないでなんといおう?

 以上,本ブログ筆者自身の,まえがき(能書き)的な文章が長くなった。ここから記事本文の引用にすすむ。以下では,◆は記者の問いかけ,◇が島薗 進の答えである。なお,イ),ロ),ハ)……の見出しは,引用者が挿入した。

 イ) 靖国参拝と伊勢参拝
 ◆ 今年の初め,安倍晋三首相は閣僚らと伊勢神宮に参拝しました。歴代首相の恒例行事となっています。民進党の蓮舫代表も参拝しました。

 ◇「東京裁判でA級戦犯とされた戦争指導者が合祀(ごうし)されている靖国神社への首相らの参拝は大きく報道されますが,伊勢参拝にはほとんど関心が払われていません」。

 「しかも,靖国参拝では中国や韓国の反応ばかりが報じられ,もっぱら外交問題としてとらえられているようです。首相らの参拝は憲法が定める政府と宗教の分離との兼ね合いで問題はないのかという点が,見過ごされてきました」。

 ◆ 首相らの伊勢神宮参拝は,一般の『お伊勢参り』の感覚で受け止められがちです。

 ◇「まず,伊勢神宮がどんな場所か,幕末,明治維新にさかのぼって考えましょう。幕府を倒し近代国家を立ち上げるため,国を統合する柱が必要とされました。そこで浮上したのが尊皇思想です。古代の祭政一致が日本本来の制度であり,そこに立ち返る。また,日本は『天孫』(天照大神の孫であるニニギノミコト)以来の『万世一系』の天皇中心の国家だとする『国体』理念がかかげられました。天照大神をまつるのが伊勢神宮です。明治政府は1871〔明治4〕年,人びとの生活に密着した神祇(じんぎ)信仰を神聖な帝国の信仰体系に変える政策をとったのです」。

 「神聖な天皇が国家の中心だという『国家神道』の精神はやがて,個人の生活や習慣,考え方にまで及んでいきます。『臣民』である国民に天皇への忠義を教える聖典となった教育勅語が大きな役割を果たし,日本は全体主義への道を突き進みました。伊勢神宮が国家神道の中心施設だった歴史を忘れるべきではありません」。

 ロ) 国際政治に特定宗教をもちこんだ安倍晋三
 ◆ 2013年の伊勢神宮の式年遷宮のさい,安倍首相は「遷御の儀」に参列しました。現職首相の参列は,1929年の浜口雄幸首相以来でした。

 ◇「神道で国家行事をおこなうようなもので,憲法が定める政教分離に照らして大きな疑問のある行為です。2016年のG7サミットも伊勢志摩でおこない,伊勢神宮で,通常は入れず正式な参拝の場である『御垣内(みかきうち)』に各国の首脳を導いています。外交行事に特定宗教をもちこんだという疑念がぬぐえません」。
 補注)この指摘は重要である。靖国神社と対比する観方では,伊勢神宮は性格が異なる神社であるかのように受けとめられているが,明治維新以降の旧大日本帝国にあっては,両神社の役目は大同小異であった。ただ靖国神社がほうが,あまりにも特殊というか怪奇な《死神神社》であり,《戦争督戦神社》なのであった。いうなれば, “明治特産の畸型神社” である靖国神社は,日本古来からの伝統的な神道精神にもとづく宗教機関として創設されてはおらず,もともとそれとは異質の性格をもたされていた。こうした〈歴史の事実〉にまずもって注目しなければならない。

 ◆ 安倍政権の閣僚の多数は,神社本庁が中心となって作った神道政治連盟(神政連)や,日本会議の国会議員懇談会に属していますね。

 ◇「神政連と日本会議に共通する特徴は,戦前の天皇中心の国のあり方をよしとし,それを支える『神権的国体論』を日本の誇るべき伝統だと考えていることです。これは,他国に例のない万世一系の神聖な王朝が続き,さかのぼると神に至るすぐれた国柄である,という考え方です。2000年,当時の森 喜朗首相が『日本は天皇中心の神の国』と発言して批判を浴びましたが,この発言はこれらの団体の主張と重なります」。

 「神政連は,政教分離を定めた憲法20条3項の削除も主張しています。政権中枢にいる多くの政治家たちがこれらの団体に所属していることじたいが,大きな問題なのです」。

 ハ) 現代に全体主義政治体制を志向し,ここに国家神道を引きこむ
 ◆ 昨〔2016〕年11月,「明治の日」実現を求める集会で稲田朋美防衛相が「神武天皇の偉業に立ち戻り,日本のよき伝統を守りながら改革を進めるのが明治維新の精神だった。その精神をとり戻すべく,心をひとつにがんばりたい」と発言し,驚きました。稲田氏はふたつの団体とかかわりが深い政治家です。

 ◇「神武天皇は初代天皇として,軍事的な『偉業』を遂げて神としてまつられている神話上の人物です。『国家神道をとり戻すために頑張る』といっているようなもので,日本会議や神政連の影響力が強まっているのではないか」。

 「全体主義化が進んだ1930年代を思い起こさせます。明治憲法の体制は,西欧から輸入した近代立憲主義と,神権的国体論というふたつの緊張関係にある理念を内包していました。やがて,神権的国体論に呑みこまれるようなかたちで,立憲主義は息の根を止められてしまいました」。

 「決定的にしたのが1935年の『天皇機関説事件』です。統治権は法人である国家にあり,天皇もその機関にすぎないという憲法学説が『国体に反する』と右翼や軍部の攻撃を受け,機関説を唱えた東大教授の美濃部達吉は公職を追われ,著書は発禁となりました」。

 ◆ 戦後にできた憲法はその神権的国体論を否定し,日本は再出発したのではないでしょうか。

 ◇「ところが,社会からは消えることなく残りました。日本会議や神政連にみられる,神権的国体論を尊ぶ思想は,いまの政権とつながっています。戦後も長く社会の底でくすぶっていた立憲主義と神権的国体論の対立が,表に現われてきたのです」。

 「危機にあるのが立憲主義です。2012年末に現政権ができて以降,憲法改正に必要な条件を緩めようとしたり,憲法9条のもとでは認められないとしてきた集団的自衛権の行使を可能にする安全保障法制を強引に成立させたりする行為が積み重なってきました」。

 ニ) 政教分離の破壊
 「国家神道の復興に向けた動きは,憲法が保障する信教の自由や思想・信条の自由を脅かすことになりかねません」。

 ◆ 日本がとる政教分離原則は,諸外国に比べ厳格だという観方もあります。

 ◇「政教分離のかたちはその国がたどってきた歩みで異なります。フランスのように厳格な国もあれば,大統領就任式で新大統領が聖書に手を置いて宣誓する米国のような例もある。日本は国民統合の象徴である天皇が神道祭祀をおこなっており,そもそも厳格な分離とはいえません。戦前・戦中に国家神道の国教的な地位が強化され,天皇への礼拝や『自己犠牲』が強制された過去を忘れてはなりません」。
 補注)ここで注意したいのは,いまの天皇家は,国家神道の “別版ともいえる皇室神道” を「私家の宗教」だと断わりを入れておき,しかも憲法上においては「国と民を象徴する」立場から,それを信心している。公私の区別がそこではなされていると説明されているけれども,これはどうみても無理筋の反論にしかなりえない。これからも消えない矛盾点である。

 「靖国も伊勢も政治家が私人として参拝することは問題ありませんが,公人の参拝は特定の宗教への肩入れとなります。かつて,ひとつの世界観で塗りつぶされ公私の区分がなくなった反省に立って,政教分離が憲法に明記された意味を思い起こしてほしい」。
 補注)この指摘は正しいはずである。民進党の蓮舫も伊勢神宮に参拝しているが,この宗教的な行為が意味し,発揮する神道的な意味を,彼ら(この神宮に参拝する政治家たち)は,まだなにもよく認識できていない。
蓮舫伊勢参拝図
出所)https://twitter.com/renho_sha/status/816501779462373376

 「立憲主義の核心には,多様な生き方考え方を守り,国家が個々人に特定の信念を強要することを許さない,という理念があります。日本の精神文化を豊かにしてきたのは,仏教や神道,儒教,キリスト教など多様な宗教で,政教分離は多様な信念体系の共存を守るものなのです」。

 ホ) 明治節の復活
 ◆ 11月3日の「文化の日」を「明治の日」に,と求める運動の背後にはなにがあるのでしょうか。

 ◇「暦は人心への影響が大きいです。明治政府のもとでも天皇崇敬を国民に鼓舞するため,1873〔明治6〕年までに天皇崇敬と不可分のさまざまな祝祭日が作られました。そのひとつが紀元節で,2月11日が『神武天皇即位の日』とされました。戦後,廃止されましたが紀元節復活運動を受け,1966年,この日は『建国記念の日』になりました。さらに1979年に元号法制化,2005年の『昭和の日』制定と続きます。『明治の日』に向けた動きもその流れにあります」。

 ヘ) 人間天皇という言葉
 ◆ しかし,昭和天皇は人間宣言をし,日本国憲法で「象徴」になりました。平成の天皇の歩みを振り返っても,「国民統合の象徴」として憲法の価値を積極的に支えてきたように思えます。

 「『神聖』な天皇と決別し,多様な精神文化や思想的な立場を共存させ,国民統合の『象徴』として存在する。それが憲法上の天皇の位置づけです。昨〔2016〕年8月の『お言葉』で天皇ご自身が,人間の弱さや限界を認め,つねに国民とともにあることを強調された。神聖な天皇ではなく人間天皇として語ろうという意思と受け止めました」。
 補注)島薗に訊きたい。「人間天皇」という言葉はすでに,これじたいが矛盾ではないかと。それも形容の矛盾などではなく,絶対の矛盾としてである。いかがであるか? 天皇に神聖さがあるとみなされているからこそ,人間としての天皇が国民に語る間柄で「特定の意味」が生まれているのではないか? この論理のなかに潜む自家撞着に,まさか島薗 進が気づかないわけがないと思えるが……。本ブログ筆者の言及は,文章の論旨(発言の一貫性:前後関係)じたいに問題があることに関してではなく,その内容の深意のなかにはもともと矛盾が潜んでいる点に関して向けられている。

 「国家神道の考え方が戦後も温存された理由のひとつは,皇室祭祀(さいし)が続いたことでしょう。しかし,その祈りの質も変わりました。『天皇として大切な,国民を思い,国民のために祈るという務めを,人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは,幸せなことでした』という『お言葉』から感じたのは,日本国憲法と適合するものに祈りの質を変えようと,模索してこられた姿です。1人の人間として他者のために祈るという天皇のあり方が,立憲主義と民主主義を支えつつ,神聖国家への回帰を防ぐ役割を果たしているようにみえます」。
 補注)ここでも基本的に同上の疑問が残る。まず「1人の人間として他者のために祈るという天皇のあり方」が「立憲主義と民主主義を支えつつ,神聖国家への回帰を防ぐ役割を果たしている」という表現そのもの・理解の仕方に矛盾がないとはいえず,たしかにある。奇妙な修辞である。おそらく島薗もこのように批判される点を事前に承知のうえで,苦しい修辞(発言)をしている。

 「天皇のあり方」を「立憲主義と民主主義」という基本枠組のなかで論じること,いいかえるならば,その双方の関係において生じるほかない不整合・齟齬を調整・修正しようとする試みじたいが,実は,その立憲主義と民主主義が日本の政治のなかでは形成不全でありつづけるほかない。繰りかえしていうが,島薗ほどの研究者にその事実関係が理解できていないわけがない。しかし,彼にもまた日本人研究者として特有である限界を体内に抱えているとしかいいようがない。


 ◆ 日本国憲法施行から〔2017年〕5月で70年ですが,私たちは歴史のどこにいるのか,考えさせられます。

 ◇「米国で大統領の排外主義的なふるまいが憲法の価値を揺るがしているのは,他人ごとではありません。立憲主義を定着させるか,神聖天皇の過去へ回帰するのか。考えるべきときでしょう」。(以上,聞き手 編集委員・豊 秀一)
 補注)ここでも一言。いまの天皇に関していうに「神聖」性は皆無か? 平成の天皇も死んだのちには,明治時代に造営された「皇居にある宮中三殿」のうちの「皇霊殿」に祀られ,「皇祖皇宗」の1名(1神!?)になるではないか。この神聖「性」あっての,いまの天皇〔の制度〕である事実も,なんら否定できないはずである。島薗 進にわざわざ申すのもヤボであるが,あらためて指摘しておく。

 ②「国家神道概説」のうち「国家神道・要約」(『朝日新聞』2008年2月11日朝刊「オピニオン」欄の「月曜コラム〈この人,この話題〉」に島薗 進が寄稿した「国家神道-『無宗教』の国に多くの支持者-」を要約した文章)

 この島薗 進寄稿になる文章「国家神道-『無宗教』の国に多くの支持者-」を全文参照したいのであるが,ネット上には抄録した文章しかみつからないので,これを引用しておく。
 
★ 2008/02/11 朝日新聞「国家神道」,
東大教授・島薗 進 ★

 明治23〔1890〕年「教育勅語」(明治天皇が教育の根本精神について臣民に授けた聖なる教え)が発布され,この後,小学校は天皇の聖なる教えに導かれる場となった。つまり,臣民は神道の礼拝(伊勢神宮や宮城を遥拝し,靖国神社や明治神宮に詣で,ご真影や教育勅語に頭を垂れる)を強制されることになる。

 2月11日の紀元節では「雲に聳ゆる高千穂の・・・」という唱歌で,「高千穂」とは天照の天孫ニニギノミコトが天下った日向の山であることを教えられ,「大御世」とは「ニニギノミコト」の子孫である万世一系の天皇の治世を意味することを教えられた。この唱歌の3番「天つ日嗣の高御座・・・」では,日向国ではなくて飛鳥で初代天皇神倭伊波礼琵古命(神武)が即位し祭政一致の統治を始めたことを教えられた。

 以上が国家神道の成立であり,国家神道の教義のエッセンスである。そして,教育勅語が発布された同じ年(明治23年),神武が即位したとされる場所に橿原神宮が創建される。以上,教育勅語に凝縮される国家神道は神社で宣伝されるよりは,むしろ学校で広められた。学校では教育勅語や修身科や国史の授業を通じて,国体思想や天皇崇敬の教義を教えこまれることになる。要するに,天皇崇敬こそが国家神道の根本教義であった。

 一方,国家神道の歴史的特異性として,国家神道とは近世江戸期に形成された国体思想を拠り所に,維新国家とともに形成されたまったく新しい神道であったということがあげられる。それは,起源や教義が定かではない民俗宗教(あるいは風習・古代神道・初原の神道)とはまったく別のものであった。強いて起源をあげるとすれば,皇室神道とでも云うべきものであろう。それは天武持統朝あたりで確立した唐の国家体制の儀礼(奈良期の律令体制)などに起源をもつものであるが,その後中世では仏教に圧倒され,それはわずかに宮中儀礼として存在をしていたに過ぎない。

 その後時代は替り,江戸期には皇室神道を国家の中心にしようとする国体思想や祭政一致が高揚し,明治維新の変革で国家の基本思想になり,国家神道(天皇崇敬)は臣民に強制されるに至る。この国家神道は今次侵略戦争の終結でGHQの指令により,終結されたとされる。しかしそれは,国家と神社との結合の解体という外形だけのもので,天皇崇拝(伊勢神宮崇拝・神話の歴史化・皇室不可侵)の精神つまりは国家神道の教義が解体されたわけではない。いまも保守層を中心にさまざまな国家神道復活の動きがあるのが実態であろう。まさしく現下の状況は『「無宗教」の国に多くの支持者』とでも云うべき状況であろう。
 註記)http://www7b.biglobe.ne.jp/~s_minaga/b_gaisetu.htm

 この島薗 進の見解は無宗教も宗教のうちだという奇妙な設定につながらざるをえない主張になっている。この島薗の寄稿は本ブログ筆者の手元にあるが,少しみづらい複写状態でである。しかし,全文を読んでもらうには好都合なので,これも画像資料としてつぎにかかげておく。( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
『朝日新聞』2008年2月11日朝刊島薗1
『朝日新聞』2008年2月11日朝刊島薗2

 ③ 島薗 進のツイート

 ここでは「宗教学者 島薗 進のツイートをまとめ」(「日本会議研究」憲法編,上・中・下,朝日新聞)の中身を紹介するが,いちいち全文は拾わず,ただ,島薗進 @Shimazono の内容から,関心のもてる日時のツイートから,文節を取捨選択しておく。〔 〕内は引用者補足。

    2016-03-25 09:21:10  一運動団体の非公開の会合で首相がみせた異例の配慮。日本会議によると,第2次安倍政権の発足後,首相が日本会議の公式行事に出席するのは初めてだった。

    2016-03-25 09:21:27  首相,正副官房長官,閣僚,首相補佐官,衆参両院議長,自民党役員,派閥領袖(りょうしゅう)。〔これは〕「部外秘」とある日本会議国会議員懇談会の名簿(昨年9月15日現在)……。
 
    2016-03-25 09:21:43 〔日本会議に〕政府・自民党幹部の氏名が並ぶ。首相が特別顧問を務め,当時の会員281人のうち246人を自民党が占める。衆院の6割,参院の5割が属す。

    2016-03-25 09:22:25 「議員21万,神社5万の確約数」「神社4万,隊友会1万の確約数」…「部外秘」と書かれた昨年10月の〔日本会議への〕「賛同者拡大事務局通信」では,複数の県の報告の中に「確約数」との記述がある……。

    2016-03-25 09:22:37  日本会議政策委員の伊藤氏は,いまでは首相のブレーンとしてしられる。衛藤,伊藤,日本会議事務総長の椛島有三に加え,百地,高橋の5氏。

    2016-03-25 09:22:51  家族尊重,条文明記を主張。関係者の証言などによると,首相を支える5人はいずれも学生時代に生長の家で活動していた。諸悪は悉(ことごと)く,占領憲法の各条項が,……。

    2016年3月25日05時00分  家族尊重,条文明記を主張

    2016-03-25 09:23:07 〔日本国憲法は〕日本国家を(略)愛国心の剿滅(そうめつ)と,家庭破壊と,性頽廃(たいはい)とにより,やがては自滅の道をたどらざるを得ないように意図して起草されたる……。

    2016-03-25 09:23:58  その目的の漸進的病毒の進行というほかはない。生長の家創始者の谷口雅春氏は〔19〕72年の著書「諸悪の因 現憲法」に記している。

    2016-03-25 09:32:28  大正期の谷口については,小野泰博『谷口雅春とその時代』(1995年)がよい。戦前の生長の家は1931年頃から国家神道に大きく傾いた。

    2016-03-25 09:36:04  なお,現在の宗教団体,生長の家は国家神道路線から大きく離れ,エコロジー路線への転換している。旧生長の家の政治勢力と現生長の家教団は対立しているようだ。
 註記)https://togetter.com/li/955198
      
 以上,短文になるツイートから任意に拾って紹介した文節なので判りにくいとは思うが,要は,敗戦後の日本国はダメで,それ以前まで,明治以来の大日本帝国にかぎってはヨカッタ,という単純な物語(語り方:決めつけ)が把握できる。途中に「家庭破壊と性退廃」という文句が出てくるが,戦前においてこの「家庭破壊と性退廃」が問題ではなかったかというと,大違いである。

 いわゆる「家族の絆」をとりたてて強調する安倍晋三君たちであるが,実際の為政においてこの政権がやっていることは,その絆の形成・維持に資するような政策はろくにできていなかった。これが「過去4年」における「現政権の実績」ではなかったか。

 「戦前=善,戦後=悪」という単純図式思考のオメデタサには,ひどく感心すると同時に呆れるが,戦前にあっても戦後にあっても「善も悪も・なんでもよくあった」のだから,「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」のこだわりだけでしか,戦後における「ものごとを詮索できない神経」が披露されているに過ぎない。

 なお『朝日新聞』2015年7月18日夕刊には「宗教学の重鎮 つぶやき人気 島薗進さん,原発・安保・学問の自由…,フォロワー1万人超,『発信 学問の社会的役割』」という見出しで島薗のツイートが紹介されていた。

 ④「対立生む『国家神道』」(『朝日新聞』2014年1月20日朝刊)--これは画像資料で紹介しておく。( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
『朝日新聞』2014年1月20日夕刊

 ⑤「〈あのとき・それから〉1967年 最初の『建国記念の日』史実と伝承,溶かされる境界」(『朝日新聞』2017年1月25日夕刊)

 1)2月11
 1967年2月11日。初めての「建国記念の日」の祝日を迎えた東京教育大学では,約1千人の学生が抗議の意思を示すために登校した。「戦前の軍国主義や皇国史観の復活であり,歴史学を学ぶ学生として学問の危機だという認識が強かった」。清泉女子大学講師の和歌森民男さん(70歳)は当時,史学科日本史専攻の2年生。学科の仲間たちと反対運動にくわわった。( ↓  画面 クリックで 拡大・可)

『朝日新聞』2017年1月25日夕刊建国記念2 2月11日は戦前の紀元節。日本書紀にもとづき初代天皇とされる神武天皇が即位したという日を太陽暦に換算したものだが,西暦では紀元前660年。日本は縄文時代から弥生時代への移行期で,裏づけとなる史料は存在しない。ただ「そのような批判は足をすくわれるものでもありました」と,和歌森さんは自省する。

 「そんなことはしっているが休みが増えるならいいじゃないか,専門的な話は学者の世界でやってくれればいい,というのが一般市民の反応でもあったのです」。朝日新聞の夕刊には和歌森さんたちの行動とともに,奈良県橿原市長が神武天皇に扮した時代行列の様子などが報じられ,「信ずる方がトク」という市民の声が紹介されていた。

 そもそも「建国記念の日」とはなんだろう。法律には「建国をしのび,国を愛する心を養う」と簡潔に定められているだけで,実は神武天皇が実在したとか天孫降臨が史実であるとかいったことは,必らずしも前提とはされていない。また,「建国記念の日」は,すんなりと2月11日に決まったわけではなかった。法案は1957年から10年間に8度も提案され,国会内外で激しい議論を巻き起こしていた。

 社会党は憲法が施行された5月3日,創価学会の池田大作会長(当時)はサンフランシスコ講和条約が発効した4月28日をそれぞれ提案した。民社党は聖徳太子が十七条の憲法を制定したとされる4月3日を主張し,朝日新聞も社説で同じ日付を「どうであろうか」と勧めた。

 2月11日にこだわった政府側も,神武天皇の実在を訴えたわけではなかった。表向きは,長く親しまれてきた伝承だから妥当であろう,というような答弁を繰りかえした。歴史は歴史,伝承は伝承と一応は区別していたのである。ところが50年経った最近,自民党の議員や大臣が,神武天皇を実在の人物であるかのように語ることが増えている。
▼「建国記念の日」をめぐる動き ▼

 1873年  「神武天皇即位の日」を2月11日と定め,紀元節とすることが決定

 1948年 紀元節廃止

 1951年 吉田茂首相が国会で,講和後には「紀元節は回復いたしたい」と答弁

 1956年 高知県の小学校で戦前通りの紀元節式典が実施され,国会でも問題化

 1957年 自民党が2月11日を「建国記念日」とする法案を提出,審議未了で
      廃案

 1958年 紀元節復活に反対した三笠宮崇仁親王邸に右翼が押しかける

 1959年 紀元節復活を批判する三笠宮編著『日本のあけぼの』刊行

 1966年  「建国記念の日」を含む祝日法改正案が1957年以来8回目の
      提案で成立,のち政令で2月11日と決定

 1967年 最初の「建国記念の日」
 2)11月3
 昨年,明治天皇の誕生日である11月3日を「明治の日」にしようという団体の集会で,稲田朋美防衛大臣は「神武天皇の偉業に立ち戻り,日本のよき伝統を守りながら改革を進めるのが明治維新の精神だった」とあいさつした。

 「『日本スゴイ』のディストピア」などの著書がある早川タダノリさん(42歳)によると,国会質疑で「日本人としての誇り」という言葉が使われたのは,1994年までの戦後50年間で23件。しかしそれから現在までで,96件にも及んでいるという。「経済大国から転落し,『日本人の誇り』を作ることが為政者の側に必要とされるようになった。日本は世界最古の国家だというような話もその一つです」。
 補注)テレビ番組で「日本人の誇り」が盛んに放送されている現実については,次項でも色川大吉が触れている。

 50年前,都立青山高校でも「紀元節復活」に反対して生徒たちが自主登校した。新聞部の1年生だった写真家の岡村俊明さん(66歳)は「ウソで塗り固めた歴史は,生理的に受けつけなかった。僕らの世代は民主主義の申し子だったんだよ」と振りかえる。トランプ米大統領選出をめぐっては,フェイク(偽)ニュースがネットにあふれた。耳に心地よいといっても,フェイクを事実ととり違えて受けとめてしまうなら,民主主義の基盤さえ危うくなる。

 3)「神話からの解放に逆行」歴史家・色川大吉さん(91歳)
 日本の歴史学者で,神武天皇の即位を歴史的事実であると考える人は1人もいないでしょう。古い民俗的な伝承にすぎないものを歴史として扱うなどナンセンスです。私が軍隊から東大の国史研究室に戻ったとき,隣の東洋史研究室にいたのが三笠宮さんで,彼とは長いことつきあいがありました。

 三笠さんはオリエント史を専門とする歴史学者として,1958年に紀元節の復活に反対ということを明言し,右翼に攻撃されました。立場があるから大変だったでしょうが,新しい時代に非科学的な伝承はふさわしくないと考えていた。彼は,皇族の一員として戦後どうしたら,皇室が国民に受け入れられるのかを真剣に考えていました。紀元節は単なる神話にすぎないし,天皇制も国民がもういりませんというならそれで結構です,と話していましたね。
 補注)本ブログにおける三笠宮関連の記述は,つぎのものである。⇒ 2014年11月26日,主題「三笠宮崇仁の紀元節批判(1957年)」,副題1「明治に再・創話された神話の世界を信じる迷信的な皇室神道」,副題2「皇室神道は国家神道であり,私家・民間用の神道ではありえない」

 私は中学生のとき,紀元二千六百年記念の旗行列に動員されました。神話が本当に事実だと思っていなくても,表だっていう人はいなかった。いまの時代の国民はもっと冷めているから,流されることはもうないと信じたいですね。しかしいま,日本の歴史や伝統をひたすら自賛する本やテレビ番組がはやっているようですね。退行もいいところです。神話や伝説から解放されたのが戦後の歴史学。復古的な提案や論調に対しては,歴史家は厳しく批判しなければなりません。

<転載終了>