社会科学者の随想さんのサイトより
http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1064524041.html
<転載開始>
【日本相撲協会式に考えれば,日本出身の在日高校生は外国選手にあらずとなり,異なるとみなせるのは姓名だけになる】

 【韓国・朝鮮という文字をほとんど消し,コリアンといいかえる理由・事情はなにか】

 【以前より,韓朝鮮人という用語・表現を使用したらいいと提言してきた識者もいる-徐 龍達(元桃山学院大学教授)の提唱-】


 ① 在日朝鮮人と在日韓国人は在日コリアンか

 「在日コリアンという言葉」が,本日とりあげ議論するこの記事においては使用されている。しかし,在日コリアンというこの用語は,韓国語(朝鮮語)のことをハングルと指示して表現している現状にも似ていて,特定の違和感を抱かせている。問題は,こういうところにある。

 一番問題なのは,在日本朝鮮人総聯合会(朝総聯)が自分たちの組織的な立場を隠すために「コリアン」という表現を使用する場合である。これに対して在日本大韓民国民団(民団)側の関係者は,使用することもないわけではないが,そのように使用する必要性はあまりないゆえ,それほど頻繁に使用することはなく,むしろ北側(朝総聯側のこと)を包摂させる意味をもたせては使用する。

 折しも今日から1週間ほど前の2017年2月13日,朝鮮非民主主義反人民偽共和国の世襲3代目になる独裁者金 正恩の腹違いの兄が,マレーシアにおいて,つぎのような殺され方をするという事件が起きていた。もちろん,正恩の命令がなければ実行されえない殺人事件であった。
 金正恩画像23 金正男画像
  出所)左側画像は,http://www.47news.jp/CN/201010/CN2010100901000715.html
  出所)右側画像は,https://twitter.com/hashtag/金正男


 金 正男は2017年2月13日,滞在先のマレーシア・クアラルンプール国際空港からマカオに出国するさい,空港内で北朝鮮の工作員(男性が5人いてそのうち1人は身柄を拘束されているが,残り4名は北朝鮮に逃亡・帰国している)に,うまく騙されて使役された〔手先になって殺人行為を実行した〕らしい女2人に暗殺された。そのさい金 正男が殺害された方法は,その女2人(自分たちの行為が殺人犯罪である点に気づいていなかった)が,工作員から手渡されたVXガスを使用したものとみられている。

 安倍晋三政権になってからも依然,「解決の見通し」など皆目つかない「北朝鮮による日本人拉致問題」については,そもそも安倍が自分の政治的な具に使いまわすことに熱心であっても,その解決のための本気でとりくむ気持は全然もっていない。「拉致問題のひとつ」があれば,日本が北朝鮮に優位な政治的立場に立てると思いこんでいるらしい。だが,日朝の国交正常化は,安倍晋三政権でも実現できるみこみをもてないでいる。

 他方で,民団側は例の問題である「従軍慰安婦少女像」が,韓国内の日本国外務省公館の面前に新設されてから,駐韓する日本国大使が帰国状態のまま復帰できない状況を脇で観させられたりもしながら,韓国政府側に対しては問題の解決を望む旨を表明している。要は,釜山の日本国公館の前に設置された従軍慰安婦少女像を除去してほしいと強く要望しているのであるが,これも安倍の単細胞的な外交手腕の制約を受けた状態を続けている。

 そんなこんな,もろもろでありつづけてきた,いままでの日韓両国政治関係のはざまにおいて,在日韓国人社会においてはすでに3世・4世の世代が人口構成上は中心をなしていたり,また日本国籍を取得していく若者が多いせいもあって,韓国籍(朝鮮籍というものは正式は存在しない)である在日の人口は,以前より顕著に減少しはじめている。しかし,日本国籍になっても,また片親が日本人の父母であっても,その出自が韓国・朝鮮とのつながりがある事実に,なんら変化はない。
金賛汀甲子園表紙 (2)
 日本全国にある神社などが韓国・朝鮮の歴史的な由来を,なぜか,なんとかして抹消しようとする傾向は,いままでも変わらずに存在する日本人側における態度・性向である。問題はなぜそうするのか,そうしなければならないのか,である。本日とりあげ議論する全国高校野球選手権大会の歴史は,戦前・戦中から戦後のいままで続いているけれども,戦後の時期だけが,在日高校生が「甲子園」に出場していたのではない。戦前・戦中は,植民地だった朝鮮からも甲子園に出場した高校(当時の旧制中学校だったが)があった。
 補注)ここで金 賛汀『甲子園の異邦人』講談社,1985年から,つぎの見開き2頁分(54-55頁)を画像資料で紹介しておく。関連する事情が理解できる。(画面 クリックで 拡大・可)
金賛汀甲子園表紙
 つぎの画像資料は,全国高校野球選手権大会の第39回大会(1957年)までの出場校「地区予選枠」一覧である。(画面 クリックで 拡大・可)
全国高校野球選手権大会地区割り
出所)http://www.fanxfan.jp/bb/history.html

 ともかくも,いろいろ問題があったのだが,日本で生まれ育った在日の若者が甲子園には出場できても(日本の小中学校から高校にまで進学してきたのだから「純ジャパあつかい」されてきた),いざ正式に日本代表とかなんとかなるときは,国籍状況にぶちあたりなにやかや進路を妨害されていた。張本 勲の実例が興味深い。張本がプロ野球チームと契約するときの話題を紹介しておく。

 張本 勲が1959年,東映フライヤーズ(1954~1972年の名称で,現在は北海道日本ハムファイターズ)に入団することになったときの話である。東映フライヤーズのオーナー大川 博は当時,プロ野球の規約で「外国人選手は2人まで」となっていた問題の改正にとり組み,「生まれた時に日本の国籍をもっていた選手」は外国人選手に含めないと改正させている。

 ここで「産まれたときに日本国籍をもっていた」というのは,張本 勲は1940年6月19日に広島市で産まれていたからで(張本は5歳で被爆していた),当時,大日本帝国の植民地だった国々(地域)出身の人びとは,いちおう日本国籍をもっていたのであり,敗戦した日本が1952年4月28日に再度独立するまでは,ひとまず実効性は皆無であったものの,日本国籍は有していたのである。大川 博は自社が所有するプロ野球チームの新人選手獲得のためにひと工夫したわけである。
 補注)最近,張本 勲が自分の人生に関して心境を語っている書物としては,小熊英二・髙 賛郁・高 秀美編『在日2世の記憶』集英社,2016年,71-84頁に「天才打者の壮絶な被曝体験」が収録されている。

 さらに30年ほど前であれば,小林靖彦編『在日コリアン・パワー』双葉社,1988年が「張本 勲(プロ野球評論家)韓国プロ野球育成に情熱を傾ける日本プロ野球往年の大打者」(106-117頁収録)。下掲したのは,比較的最近における張本関係の新聞記事である。( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
『朝日新聞』2013年10月9日夕刊張本記事
 本日,以下にとりあげて考えてみたい問題は,そうした張本 勲に続いて続々と,日本のスポーツ社会のなかに登場してきた在日韓国人の若者たちに関する「解説記事」である。

 ②「〈連載:あの夏〉報徳学園 × 京都商:1 同胞の名,見つめた一戦 高校野球」(『朝日新聞』2017年2月21日朝刊)
      ★ 1981年8月21日(金) 高校野球 決勝戦 ☆

     京都商(京都)  000 000 000|0

     報徳学園(兵庫) 000 000 11X|2

     『朝日新聞』2017年2月21日朝刊16面在日高校野球2
 この物語を,大阪市西成区の一家庭の光景で始めたい。「同胞がおるぞ」。常山姓を名乗るその家で,テレビに映し出された甲子園決勝のスコアボードを親が興奮してみていたのを,小6だった趙 靖芳(チョ・ジョンバン)は覚えている。京都商の先発には,1番の鄭,5番の韓という在日コリアンがいた。いまより出自をオープンにしづらい時代。注目が集まる大会に,本名で出た高校生の存在は,在日コリアンたちにも衝撃的だった。

 「こいつらもそうやで」。親が挙げたのは京都商の4番金原,報徳学園の4番金村ら,在日コリアンに多い姓の選手だった。現在,在日本大韓体育会事務局長の趙 靖芳は,「その時,自分たちには本名と通名があることを明確に意識した」という。11歳の少年にとって,通名の使用がスタンダードである現実をしらされた機会でもあった。
 補注)敗戦後におけるとくに在日韓国人2世に関する特徴でいえば,「通名の使用がスタンダードである」という事実が,彼らの日常生活のなかで,まともに意識されていたとは思えない。したがって「自分たちには本名と通名があることを明確に意識した」という点も,それほどは把握していなかったはずである。

 したがって,前段の記述のように「いまの時点からする」把握・解釈でもって,そのように記述することは正確な「歴史の記述」にはなりえない。「在日コリアン」という表現(言葉・概念)も同じであり,ここに名前の出てきた出場選手たちが当時「韓国籍」をもっていたかどうかは判明できないが,コリアンという用語をあてはめて使うことにしたら,当時の状況のおいて「韓国・朝鮮」という言葉にまつわって蓄積されてきたもろもろの「在日的な問題」を,あえて抹消するおそれがある。


 両チームには計7人の在日コリアンがいた。報徳学園には,のちにプロ野球の近鉄などで活躍し,現在はスポーツ報知評論家の金村にくわえ,1番の高原,控え捕手の松本政輝。京都商には,パチンコ店経営の最大手マルハン社長となった韓と,鄭,金原,途中から出場する呉本。在日コリアンの間で栄光の歴史として語りつがれる大会である。
 補注)高校野球のなかに「在日コリアンの間で栄光の歴史」を探り出さねばならないとすれば,在日という存在は気の毒であるという印象をもつ。だが同時に,こういうかたちで在日韓国・朝鮮人の歴史的な存在問題をとりあげねばならない「日本・日本国の人びと」側における『なにかのこだわり』があるようなとりあげ方にも,若干引っかかるものを感得する。
『朝日新聞』2017年2月21日朝刊16面在日高校野球
 とくに,韓と鄭のインパクトは強烈だった。開会式のリハーサルで入場を待つあいだ。出自をむしろエネルギーにしていた金村と,大阪・鶴橋のコリアタウンで育った高原は,2人の存在をしるとわざわざ京都商の列を訪れ,「おまえら,本名で出とんの? すごいな」と声をかけた。「僕も金村も負けず嫌いなので,『俺たちも在日だよ』という話をしました」と,近大新宮高(和歌山)の野球部監督を務める高原。もちろん,この時点で誰も決勝で当たるとは思っていない。
 補注)「おまえら,本名で出とんの? すごいな」といわせる日本国内における在日をかこむ〈時代の状況:1981年〉は,いったいどのようにして創られてきたのか? 日本人の場合だと,海外に移住した日本人が日本の苗字を変えてしまい,日本人である出自を隠すようなしぐさ(対処)は,あまりしていないはずである。

 しかし,日本国内にあっては旧非植民地国出身の在日2世たちはこのように,一見したところでも明らかに「姑息で陰鬱な本名隠し」を強いられ,この出自にかかわる問題に悩まされてきた。だから,在日の若者が甲子園のスコアボードに「韓」とか「鄭」とかいった「バレバレの本名」登場しただけで,在日日本社会においては大きな話題になっていた。ごく単純に考えたらよいのである。本名を使用させていないような,敗戦後における日本社会の政治的な環境に問題があった。

 ここではそうした問題性よりも,実は日本社会そのものが,この1981年夏に甲子園球場で開催された全国高校野球選手権大会で決勝戦まで進んだ両チームの,京都商業高校と報徳学園高校から先発出場などした「在日選手の布陣」をみなおすとき,これが日本社会全体そのものの縮図にもなっていた事実に注意しておく必要がある。日本のプロ野球においては,在日韓国・朝鮮人がいったいどのくらいいたかをしれば,よくみえてくることがらがある。

藤本英雄画像 プロ野球では,藤本英雄(ふじもと・ひでお,1918年5月18日~1997年4月26日,右側画像)がいた。

 朝鮮・釜山生まれのれっきとした韓国・朝鮮人であったが,山口県下関市彦島出身だとウィキペディアには記述されていて,若干失笑させられるが,それはともかくこの藤本が元プロ野球選手(投手)として,日本プロ野球史上初の完全試合達成者であったことは有名である。

 藤本の韓国名は李 八龍(イ・パリョン)であった。日本名のとしてはのちに「中上(なかがみ)英雄」とも名のっていた。もう1人,プロ野球で有名といえば「いうまでもなく」金田正一であり,日本プロ野球史上唯一の通算400勝を達成し,同時に,298敗の最多敗戦記録を「誇って」いる。

 この2人以外もいままで日本のプロ野球において活躍してきた〔している〕在日出身の選手は数多くいる。日本名(日本国籍を取得してそう名のっているが,いまでは元の韓国名でも日本国籍になれないわけではない)でもって,プロ野球に出場している選手も非常に多くいる。

 〔『朝日新聞』の記事本文に戻る→〕 京都商の宿舎には,前橋工(群馬)との初戦に勝つと,鄭を指名する電話が何本かかかってきた。「しらない在日の方から『感激して,応援しました』と。僕には甲子園に出られた喜びが強く,名前や国籍うんぬんではなかったのですが」。京都市で自営の仕事をする鄭はそう回想する。韓には大会後,段ボール数箱分のファンレターが届いた。

新浦壽夫画像 反響の大きさは,在日コリアンにひとつの道が開けたことも影響していた。巨人などで活躍した新浦壽夫が静岡商時代,夏の甲子園でエースとして準優勝しながら,韓国籍のため国体に出場できなかったように,門戸は閉ざされていた。だがこの年の7月,日本体育協会は在日外国人高校生の国体参加を承認。報徳学園と京都商が準決勝に進んだ8月19日,滋賀国体出場が発表され,鄭や金村ら在日コリアンも出られることになった。
 出所)左側画像は新浦壽夫,http://ameblo.jp/plan-do-japan/entry-10732857299.html

 当時,在日本大韓体育会の理事だった京都在住の在日2世,宋 基泰(ソンギテ)(75歳)は,決勝をしみじみとみつめた。「藤井」と名乗った高校時代,滋賀県の体操チャンピオンだったが,国体参加を阻まれ,悔しい思いをした。「霧が晴れたような制限撤廃ののちに,今度は高校生が本名で甲子園に。自分もこのときはすでに民族名で生活していたが,『みずからの生き方が正しかった』と鄭と韓に勇気づけられました」。
 補注)ここでは古い本から引用しておく。昭和12〔1937〕年2月に発行された本で,高階順治『日本精神の哲学的解釈』(第一書房)のなかでの文句である。「皇室を離れた国土・国民には,我が国にあっては,国土・国民とはいひ得ない。それは単なる土地であり,人間ではあるかも知れぬが,皇土として栄えてゆくことはできぬ。異民族のために征服された土地・人間の,如何に悲惨な運命を有つものであることか」(248頁)。

 この論法(理屈)を適用してさらにいえば,植民地時代における在日は国土(皇土)を離れてもいなかったし,帝国臣民でなかったわけではなかったけれども,敗戦後における日本国内では,もはや日本国民ではない民族集団として実質的に疎外され,平然と民族差別を受けるべき対象とされてきた。そのツケまわしのごく素朴で簡単な事例は,全国高校野球選手権大会に出場する在日の若者の立場にまで押し寄せていた。

 〔記事本文に戻る→〕 名前,国籍をどうするか,みずらの血統をどうとらえるのか。いま,在日コリアンの考え方と選択は多様化している。この決勝の当事者だった在日コリアンの生い立ちとその後の生き方も,まさにさまざまだ。1時間38分の濃密な投手戦に潜んでいた勝負のあやを語る前に,まずは彼らの甲子園までの道程をたどっていこう。
  (このシリーズは編集委員・中小路徹が担当します。敬称は基本的に略します)(№ 0654)

 ◇ 全国高校野球選手権大会の熱戦を振り返る「あの夏」第18シリーズ,1981年の第63回大会決勝「報徳学園-京都商(現京都学園)」は,3月18日まで計20回(原則火~土曜日に掲載)を予定しています。

 前段に出ていた文献,金 賛汀『甲子園の異邦人』講談社,1985年,については2つの書評を紹介しておく。(画面 クリックで 拡大・可)
甲子園の異邦人書評
金賛汀甲子園書評『統一日報』

 ③ 最近における『朝日新聞』投書欄に登場した朝鮮学校「擁護」論らしき実例-北朝鮮の本質から目をそむけた投書-

 本ブログ筆者が気づいた範囲内では,今年〔2017年〕に入ってから,『朝日新聞』朝刊「声」欄にはつぎの4点があった。1点は大阪本社版でのものであった。

 1)「〈声〉朝鮮学校生徒の教育差別やめて」2017年1月29日
     = 無職 内岡貞雄(福岡県,69歳)=

 学校法人「大阪朝鮮学園」が大阪府と大阪市による補助金の不支給決定の取り消しを求めた裁判の判決が大阪地裁でいい渡された。判決は,補助金を支出するかどうかは地方自治体の「裁量の範囲内」だとし,訴えを退けた。生徒が自民族について学ぶ権利である「民族教育権」や,国連の人種差別撤廃委員会勧告などを無視する判決だと思う。

 私の地元でも,九州朝鮮中高級学校高級部が平等に教育を受ける権利を求めて訴訟を提起し,福岡地裁小倉支部で係争中だ。私はその原告を支援し,裁判を傍聴している。被告の国側は,これを教育問題ととらえず,政治・外交問題にすり替えている印象だ。就学支援を定める高校無償化法の重要性も無視されているように感じる。

 高級学校の生徒たちからは「普通の高校生として安心して学業や部活動を楽しみたい」などという言葉をなんども聞いた。忸怩(じくじ)たる思いだ。これらの裁判は日本における教育問題に関する地方自治体のあり方を問うものだ。教育差別につながる判決は認められない。

 --この投書主が主張している点そのものは正論である。だが,逆さまに考えてみたい。こうした日本人側の〔この投書主の政治的な立場・思想はこの文面では分かりえないが〕批判に関していうと,「教育問題ととらえず,政治・外交問題にすり替えている」政治は,なにも日本だけでなく,北朝鮮でもまったく同様である。むしろ,それ以上極端に,北朝鮮のほうが独裁政治的に徹底されている。こうした事実にも目を向けての議論としなくてはなるまい。問題が異なるなどといって,いいのがれをしてはいけない。

 朝鮮学校に対しては最近では,北朝鮮からの教育援助金の送金は少なくなっているが,ないわけではない。ここでは,当面する論点が異なるなどというなかれ,あるいは,朝鮮学校の経営形態に潜む政治的な問題性を看過することなかれともいっておく余地がある。朝鮮学校を応援し,その教育機関としての立場を支持してあげることじたいは非難されるべきではない。しかし,日朝間における政治関係のなかで,このような意見を提示する行為が,いったいどのような意味あいを有するのかまでも考慮しなければならない。この投書主の場合であれば,まさか,関連する知識がないわけがないと推察しておく。

 この手の投書の内容における思想的な図式は「朝鮮学校は弱者であり被害者的立場」対「日本政府は差別の強圧者であり非情な権力の立場」という2項式の構想を予定している。けれども,北朝鮮との関係が朝鮮学校に対してどのような影響力をもち,発揮しているのかという事実関係とは無縁に語られている。このところに一定の怪しさ(胡散臭さ)が隠されている(漂ってくる)。
 
 2)「〈声〉朝鮮学校の良いところ知って」2017年2月6日
     = 朝鮮初級学校生 高 貞娟(東京都,12歳)=

 朝鮮学校に通っています。日本人はときおり,いやなことをします。学校の近所に住むおじさんが学校内にごみを捨てたこともあります。テレビでは,「朝鮮人は朝鮮に帰れ!」といったヘイトスピーチがニュースでとりあげられることがあります。悲しい気持ちになります。

 私はいつも思います。日本が朝鮮を植民地にして,私たちの先祖を日本に連れてきたのに,なぜ日本人は「帰れ」というのでしょうか。なぜ,いやがらせをするのでしょうか。私たちはなにも悪いことをしていないのに。多分,朝鮮学校に通う者なら,一度はそう思ったことがあるのではないでしょうか。

 私の学校では,毎週水曜日に周辺のごみを拾う美化作業を続けています。学校にごみを捨てていたおじさんも,一緒にそうじしてくれるようになりました。日本人とのしんぼくが少し深まり,うれしかったです。日本人に朝鮮学校の良いところをわかってほしいです。朝鮮学校と日本の人が共に助け合い,嫌がらせがなくなる時が来るのを望んでいます

 --この投書の内容じたいはそのとおりである。もっとも,この年代の子どもは,なぜ日本社会の側が「朝鮮学校」を問題視するのかという事実を,適切に理解するための智力をもちあわせていない。「このような子ども」に関係する意見をいわせては,朝鮮学校に対する理解をあらためさせようとする試みに注目したい。

 この種の試みはいままでもさんざん反復させられてきた。もっとも,この声の題につけられた文句「朝鮮学校の良いところ」とはなにか,いまひとつ明快ではない。明快ではないそのところを,この投書から理解することはできない。「題」は投書主が決めるものではなく,編集部が考えているはずである。
  
 3)「〈声〉朝鮮学校と共に歩む人々もいる」2017年2月9日
     = 勤務医 金 順熙(神奈川県,40歳)
 
 「朝鮮学校の良いところ知って」(6日)を読みました。「なぜ日本人は『帰れ』というのでしょうか。なぜ,いやがらせをするのでしょうか」とありました。戦後70年以上たったいまも,子どもにこのような思いをさせていることを,朝鮮学校に子どもを通わせている保護者として情けなく思いました。

 しかし,朝鮮学校を理解し,共に歩もうとする日本人も少なくありません。子どもの学校でも入学式や運動会,バザーなど行事に来て,子どもたちの成長を一緒に喜んでくれる人がいます。近隣の学校の児童とも,さまざまな交流行事を組ませてもらっております。

 朝鮮学校に実際に触れた人たちのほとんどが,民族のルーツを学ぶ大切さを理解し,さまざまな補助が受けられないでいる朝鮮学校の現状に心を痛めてくれます。

 朝鮮学校や在日朝鮮人への偏見の背景には,無理解と無関心があります。その克服を難しくしている政治状況もあります。それでも私は,子どもたちが少しでも悲しい思いをしなくていいように,1人でも多くの日本人の理解をえられるように,できることをしていこうと思います。

 --この声の主張は前の投書からリレーされているが,朝鮮学校が朝鮮総聯の傘下にあり,この指示(命令)によって基本路線を決められている実情からは離れた,いうなれば「お涙ちょうだい式」の論旨になっている。ある意味では意図的にこう作文されてもいる。

 「さまざまな補助が受けられないでいる朝鮮学校の現状」があるのは事実であるが,実際に補助金を支給されていたときの朝鮮学校やそこの生徒たちの立場をめぐっては,いろいろ聞くに堪えないような,実にみみっちい対応・操作もなされいて,上部組織がその支給された補助を召し上げる策略も行使してきた。

 こういう事実とはまったくかけ離れたかのような地点から,きれいごとだけをいうのは,簡単なことである。医師でもあるこの投書主,ここまで朝鮮学校の立場から意見をいいたいのであれば,朝鮮総聯の意向にかなった発言しかしない〔できない〕人士だといわれても異論はあるまい。

 4)「〈声〉朝鮮学校生の笑顔を奪うな」【大阪本社版】
     =主任介護支援専門員 金 菊江(大阪府,50歳)

 大阪府・市から補助金不支給とされている学校法人「大阪朝鮮学園」が,その取り消しなどを裁判で求めていたのに請求は棄却された。朝鮮学校への補助金復活の願いは届かなかった。期待を胸に判決を待ちわびた在日コリアン,朝鮮学校生保護者の私は涙した。

 40年前,私は通っていた公立小学校で同級生や担任から差別を受けた。「朝鮮は恥ずかしい」と思い,自分を否定しつづけたが,公立高校の先生から自身のルーツを学び,誇りをもつ素晴らしさをしった。幸い私は無知と決別し,アイデンティティーをとり戻した。

 3人の子供たちは朝鮮学校へ。2人は日本の大学や朝鮮大学校に進み,下の子はいま高級学校1年生。経済的に大変な朝鮮学校だが,すてての子供たちが日本に生まれて良かったと思い,日本と祖国の友好の懸け橋になれるよう学んで欲しい。各教科は日本の学習指導要領に準じているし,保護者は納税義務を果たしている。私たちの人権,尊厳を踏みにじらないで。学ぶ権利,笑顔を奪わないで。在日がさらに日本に住みにくい流れを作ることに深く傷つき,憤っています。

 --この〈声〉は朝鮮総聯側の幹部もときどきいってきたような,お決まりの定式的・教条的な発言である。「日本と祖国の友好の懸け橋になれる」勉強の必要性をいいいたいのであれば,金 正恩という人物に対しても同様に申すべきことがらは,とくに朝鮮総聯側を支持する人士であれば,いくらでもあるはずである。しかし,こちらに関してはなにもいわないし,もとよりなにもいえない。そこが問題。

 朝鮮学校に関していえば,北朝鮮とのいうまでもない深いつながりがある。それゆえ,日本における朝鮮学校が教育制度上において必然的にかかえこんできた事実問題(難題)ともからめた議論が必要である。ところが,このような声欄における発言では,終始一貫して「きれいごと」ばかりである。

 つまりそれらは,朝鮮学校が本来より抱えてきた在日系の民族学校〔実際には『民族学校だ』などと称せるような代物ではないのだが〕としての深刻な問題性から,読者の目線をそらすための発言ばかりになっている。

<転載終了>