Behind the Daysさんのサイトより
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<転載開始>
作成日時 : 2014/01/03 08:29
正月三が日最終日の一面トップにこの特集記事。(※3日間の連載。)
河北新報社の決意は堅い。

鹿島の役員 「このままでは浪江・小高原発ができない。カネに糸目を付けず、反対派の土地を買収してくれないか」

土木会社の元幹部 「反対派から買い上げた土地は最終的に、うちの社の関係者の個人名義にして、東北電に基準額で売った。10億円で土地を買って、東北電に5億円で売った格好。5億円の損をかぶって、東北電の手が汚れないように、土地取引の体裁を整えた」

一般に「浪江・小高原発を食い止めた」と評価されている反対運動も、その末期には巨大利権を背景にした現金攻勢にさらされ、事実上崩壊していた。
 ただ、全国の反原発運動が党派的な対立などから分裂、弱体化した中で、浪江・小高原発の反対運動は「農民による農地を守る運動」として長く勢力を維持し、東日本大震災の発生まで着工を許さなかった事実は重い。



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河北新報(1面トップ記事)   2014年01月03日金曜日
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1098/20140103_01.htm
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特集

第11部 浪江・小高の汚点(上)

裏工作/土木会社が10億円提供/基準額超で用地買収


<鹿島からの依頼>
 「このままでは浪江・小高原発ができない。カネに糸目を付けず、反対派の土地を買収してくれないか」
 中部地方の土木会社の元幹部は、旧知の大手ゼネコン鹿島の役員と仙台市内で会い、そんな依頼を受けた。東北電力が新潟県巻町(現・新潟市)に建設を目指した巻原発計画が住民投票の結果、頓挫しつつあった1995~96年のことだ。東北電浪江・小高原発(計画中止)も、反対派地権者の抵抗で用地取得は難航を極めていた。
 「こちらは東北電力の方」。鹿島の役員は同席していた男性を紹介したが、男性は自分からは名刺を出すことも、名乗ることもなかった。
 土木会社の元幹部は「やましくて名乗ることができなかったのだろう。電力が自ら地権者と約束した買収基準額を超える不当な買収をするよう、鹿島を通じて頼んだわけだから」と振り返る。
 土木会社は同原発の主要工事の受注を確実にしていた鹿島からの下請け受注を期待し、土地買収の裏工作資金として約10億円を用意した。
 資金は、地元で反対派の切り崩しを担う福島県浪江町の不動産会社に渡り、土木会社の現地担当者も加わって買収工作が始まった。

<5億の損かぶる>
 最重点は、地元で反対運動を長く指揮していた男性(故人)の所有地。「トップが落ちれば、ほかの地権者も次々に土地を手放すだろう」(不動産会社関係者)と見込んでいたからだ。
 不動産会社は、この反対運動指導者の男性が97年2月に亡くなるまでに、同町棚塩の山林などを1億円近くで買い取る約束を取り付けた。不動産会社の関係者によると、男性の土地は、東北電が国土利用計画法に基づいて地権者代表と合意した買収基準価格では、約4000万円相当だった。
 土地登記などによると、山林などの所有権は男性の死後に相続した家族から不動産会社に移り、すぐに須賀川市の女性に転売。東北電は98年5月、この女性から土地を購入した形になっている。
 土木会社の元幹部は「反対派から買い上げた土地は最終的に、うちの社の関係者の個人名義にして、東北電に基準額で売った。10億円で土地を買って、東北電に5億円で売った格好。5億円の損をかぶって、東北電の手が汚れないように、土地取引の体裁を整えた」と明かす。

<東北電力は否定>
 反対運動指導者が買収に応じたことで、ほかの反対派地権者も相次いで土地を売った。全国の反原発運動の中でも、固い結束で知られた地元農家による「原発から土地を守る運動」は、巨額の土建マネーの流入で事実上崩壊し、東北電は福島第1原発事故前までに、計画地の98%を取得した。
 関係者によると、土木会社の現地担当者は、東北電の建設準備責任者と頻繁に会い、土地買収の経過などを詳細に報告していたという。
 東北電は河北新報社の取材に「土地は全て買収基準額に基づき取得した。鹿島や他の会社に用地の取りまとめを依頼した事実はない」(広報・地域交流部)と話している。

 東北電浪江・小高原発の用地取得をめぐり、中部地方の土木会社が約10億円の裏工作資金を提供していたことが、関係者への取材で明らかになった。1968年の計画発表から四半世紀の間、反対派地権者の運動で膠着(こうちゃく)状態が続いた用地買収は巨額の土建マネーの流入で一転、水面下で大きく前進していた。原発立地の障害だった反対運動の切り崩しで、原動力になった巨大利権の痕跡をたどる。
(原子力問題取材班)


    【浪江・小高原発計画の経過】
1967年5月 浪江町議会が誘致決議
  68年1月 東北電力が建設計画を公表
  73年2月 東北電が現地に準備事務所設置
    10月 旧小高町議会が誘致決議
  95年2月 東北電と地権者代表が買収基準価格で合意
  98年2月 東北電が地権者の90%強と売買契約完了
2011年3月 東日本大震災、福島第1原発事故発生
    12月 南相馬市、浪江町の両議会が誘致撤回決議
  13年3月 東北電が建設計画断念を発表

[浪江・小高原発計画] 東北電力が1968年に出力82万5000キロワットの沸騰水型軽水炉1基の建設計画を発表。70年から用地買収を本格化させた。計画地は福島県浪江町と南相馬市小高区の計約150ヘクタール。計画地のほとんどを占める浪江町棚塩地区の地権者は結束して土地の「不売運動」や反原発活動家を交えた「一坪運動」を展開し、用地買収に抵抗した。計画地は福島第1原発事故により全域が警戒区域になった。東北電は原発事故を受け、13年3月に建設計画を断念した。
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河北新報(31面関連記事)   2014年01月03日金曜日
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1098/20140104_02.htm
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浪江・小高 土木会社10億円提供/「原発工事参入を確信」

 東北電力浪江・小高原発(計画中止)の用地取得をめぐり、約10億円を資金提供した中部地方の土木会社の元幹部は河北新報社の取材に、「浪江・小高原発の工事で大きな見返りがあると思い、カネを出した」と証言する。原発工事は最も利幅の大きい仕事で、大手ゼネコンは立地段階から用地買収などに協力し、電力会社を支えるという。

 複数のゼネコン関係者によると、原発工事は電力各社が独自に業者を指名する「特命発注」。公共事業のような厳格な積算はなく、約3割の利益が見込めるケースもある。特に原子炉建屋の建設は1号機を受注すれば、それが実績となり、後発機建屋の受注にも有利になるため、ゼネコンは立地段階から積極的に地元対策に関わるという。
 あるゼネコン関係者は「どの社も利幅の大きい原発を狙っている。参入するためには、電力や元請けからの要請は断れない」と語る。別の関係者は「鹿島は技術力だけではなく、トラブル処理にも定評があるため、原発に強い。鹿島が浪江・小高原発を受注するのは、業界の常識だった」と打ち明ける。
 河北新報社が入手した経済産業省資源エネルギー庁の資料によると、鹿島は全国の全57機のうち24機の原子炉建屋を受注。特に東日本では独占に近い状態で、東北電の女川1~3号機、東通1号機の原子炉建屋と主な土木工事を請け負っている=表=。
 中部地方の土木会社の元幹部は「鹿島本社の役員から東北電の幹部も同席した場で、資金の提供を要請された。成功報酬の話はなかったが、その場の雰囲気や、あうんの呼吸で、原発工事には必ず参入できる確信していた」と明かす。
 河北新報社の取材に対し、鹿島は土木会社への資金提供の依頼について「20年近く過去のことで当時の社員も退職しており、事実関係を確認できない」と話している。
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河北新報(1面トップ記事)   2014年01月04日土曜日
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1098/20140104_01.htm
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特集

第11部 浪江・小高の汚点(中)

欲望の痕跡/「工事受注の担保だ」/土木会社、計画地所有


<複雑な土地取引>
 東北電力浪江・小高原発(計画中止)の用地取得をめぐり、中部地方の土木会社が巨額の裏工作資金を投入した痕跡は、今も計画地に残されている。
 福島県浪江町棚塩東原116番。山林644平方メートル。土木会社と地元で反対派地権者の土地買収を担った不動産会社(浪江町)の経営者の家族がともに所有者として、登記簿に名を連ねている。
 土地は原子炉建屋の建設が計画された場所の近く。同原発の計画地はほぼ東北電が買収済みなのに、そこだけ穴が開いたように未買収のままだ。
 土地登記によると、この土地は不動産会社が反対派から取得し、1998年7月に土木会社の現地担当者に転売された。さらに翌99年には、不動産会社の経営者家族が、その二分の一を譲り受けるといった複雑な経過をたどっている。
 土木会社の元幹部は「あの土地がなければ原発は建てられない。工事の受注を確実にするための担保だった」と証言する。
 所有権は昨年4月、現地担当者の退職に伴い、土木会社の本社に移った。登記簿には、所有権移転の原因として「真正な登記名義の回復」と記されている。

<登記簿に「功績」>
 一方、この土地を共有する不動産会社にも、用地買収に協力した痕跡を残しておきたい理由があった。
 経営者の家族は「反対派の土地をまとめたことで、東北電にはとても感謝された。社員の人から、関連事業所が必ず進出するからと、周辺の土地を買っておくように勧められ、警備業者が買い取りそうな場所を購入した」と振り返る。
 同社が2002年に購入した土地は、原発計画地につながる最も大きな道路に接する約5200平方メートル。道路は原発へのアクセス道として東北電の費用負担で整備された町道だ。
 原子炉建屋近くの土地を土木会社と共有し続けた背景には、将来、こうした土地の売買で東北電から有利な取り計らいが期待できるとの思惑があったとみられる。
 644平方メートルの山林は今でも、東北電に対し、反対派地権者を裏工作で切り崩した両社の「功績」を見せつけているかのようだ。

<「回答は控える」>
 東北電広報・地域交流部は、この山林をめぐる経過について「第三者間の取引なので承知していない」と回答。未買収のままになっている理由については「個別事案の回答は差し控える」と説明を拒否している。
 反対派の土地買収を担った不動産会社に周辺の土地取得を勧めたことについては「そのような事実はない」と否定している。
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河北新報(1面トップ記事)   2014年01月05日日曜日
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1098/20140105_01.htm
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特集

第11部 浪江・小高の汚点(下)

現金攻勢/一坪運動の拠点陥落/「この土地がヤマ場」


<難攻不落の山林>
 東北電力がほぼ買収を終えていた浪江・小高原発(計画中止)の計画地内で、中部地方の土木会社と地元不動産会社の経営者家族が共有する福島県浪江町棚塩の山林は、かつて「難攻不落」と言われた同原発反対運動の中でも、最強の砦(とりで)と目されていた。
 もともとの所有者は地元で長年、反対運動を指揮してきた男性(故人)。山林は1982年、双葉地方原発反対同盟の石丸小四郎代表や漁業者、弁護士ら計13人に贈与され、「一坪運動」の拠点となっていた。
 男性は原発計画が明らかになった68年に「浪江原発誘致絶対反対期成同盟」(後に棚塩原発反対同盟)を組織。(1)原発に土地を売らない(2)県、町、東北電と話し合わない(3)政党などと共闘しない-を大原則に、用地買収に抵抗してきた。

<裏工作後に異変>
 一坪運動は地元で買収に応じる地権者が徐々に増えていた中、反対の意志を貫く人を町外からも募り、計画地の完全買収を阻止する狙いだった。
 ところが、中部地方の土木会社から約10億円の裏工作資金が投入されると、一坪地主の間に異変が生じたことが登記簿から読み取れる。
 96年には、この資金で土地買収を担った地元不動産会社の経営者に、持ち分を譲渡する共有者が現れ始めた。さらに反対運動指導者の男性が97年に亡くなると、遺族が残る11人から持ち分を譲り受け、間もなく、全てを不動産会社経営者の家族に「贈与」している。
 1億円近くで男性の所有地を買い取った不動産会社経営者の家族は河北新報社の取材に、「現金は生前に渡していた。共有者を排除するのは大変だったが、この土地が最大のヤマ場だった」と証言する。
 男性が自分の名義で所有していた土地の買収基準価格は約4000万円。破格の取引は、一坪運動の土地を譲り渡すことも条件になっていたとみられる。
 この土地買収の経緯について、かつての共有者たちは今も堅く口を閉ざす。関係者によると、一坪地主を募る際に「土地を処分する際には(反対運動指導者の男性に)返還する」という約束があり、本来の持ち主の意思とあって、一坪地主たちも返還に応じざるを得なかったようだ。

<着工は阻み切る>
 一般に「浪江・小高原発を食い止めた」と評価されている反対運動も、その末期には巨大利権を背景にした現金攻勢にさらされ、事実上崩壊していた。
 ただ、全国の反原発運動が党派的な対立などから分裂、弱体化した中で、浪江・小高原発の反対運動は「農民による農地を守る運動」として長く勢力を維持し、東日本大震災の発生まで着工を許さなかった事実は重い。

 東北電が地権者代表と買収基準価格で合意した95年2月時点で、浪江・小高原発は2004年度の運転開始を目指していた。
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<転載終了>