大紀元さんのサイトより
http://www.epochtimes.jp/2017/04/27081.html
<転載開始>
名古屋市で3月24日、カレーハウスCoCo壱番屋創業者・宗次德二氏に大紀元はインタビュー(野上浩史/大紀元)
名古屋市で3月24日、カレーハウスCoCo壱番屋創業者・宗次德二氏に大紀元はインタビュー(野上浩史/大紀元)

ギネスブックに「世界で最も展開規模の大きなカレーチェーン」と登録されている「 カレーハウスCoCo 壱番屋」(以下、ココイチ)は、名古屋で宗次徳二氏が1978 年に創業した。ルーの辛さやご飯の量、トッピングを顧客好みに選べるカレー店として、日本全国のみならず米国、中国、台湾、韓国、タイなど海外へ店舗を広げている。

 宗次氏が引退するまでの 22 年は連続で増収増益、2003年に浜島俊哉社長へ後任後も、その勢いを継続させた。調査会社・フードビジネス総合研究所の「2016 年外食上場企業」ではトップ 25 に入る。

 宗次氏は経営者時代、「のんびり贅沢」とは対局の位置にある「現場で最前線」であり続けた。「人脈づくりの社交」「体面づくりの高級車や高級時計、オーダーメイドのスーツ」「国内外に別荘」。こうした一流企業家のステータスと呼ばれるものには無頓着だった。経営者時代から引退後の現在にいたるまで、ほぼ無休で一日 15 時間働き、向き合ったのは「お客様」だけといっても過言ではない、ストイックな現場主義。

 徹頭徹尾に仕事一貫をやり遂げた強靭な精神力の背景には、壮絶な少年期の体験がある。大紀元はこのたび、名古屋市内で宗次氏にインタビューした。

精神を強靭なものにした幼少期の極貧生活

 宗次氏は 1948 年、石川県に私生児で生まれ、孤児院で育った。3 歳から養父母に預けられるも、養父はギャンブル狂で家に居らず、愛想をついた養母も蒸発。食事は自ら工面した。家賃滞納でアパートを転々とし、夜はろうそくの明かりで過ごして、自生する雑草を食べて飢えを凌いだこともある。本人いわく「日本一」の貧困レベルであり「家族の愛情ゼロ」という過酷な環境を生きぬいた。

 それでも「お金持ちになりたい」という野心を抱くことはなく、不遇だとも思わなかったという。贅沢することに執着はない。選択肢のない少年時代で、幸不幸を超越した、ただ生き抜くために厳しい現実に立ち向かう強さが培われた。

 壮絶な少年期を経て青年時代へ。精神の屈強さを見い出されて地元開発業、大和ハウス、不動産屋で経験を積んだ。いっぽう、「お客様の喜び」をより実感できる飲食業に取り組みたいと考え、25 歳、夫婦で名古屋郊外にて喫茶店を始めた。

着実な目標をクリアし続ける ヒントは「お客様のファンレター」
当初の目標は日商 6 万円。4 店舗目を開店させたころ、はじめて「10 店舗」目標を掲げた。店舗を着実に増やし、達成できる目標を着実にこなしていった。

 辛さ、ご飯の量、トッピングと、豊富な選択肢を揃えたカレー屋として、ココイチは大ヒット。宗次氏は、「大量に作ることができるし、冷凍保存ができる。こまかな技術はいらない」として、カレーにはビジネスチャンスあると見ていた。

 「他の社長とも比較しない、歴史上の人物も参考にしない、ひたすら真面目に現場で頑張るなかで答えが見つかると信じている」。そう語る宗次氏がずっと向き合ってきたのは、「お客様の声」だ。

 年間の利用者アンケート結果は「お客様からのファンレター」と例え、引退するその日まで、毎日 1000 通以上の回答を 3 時間あまりかけて読んだ。結果をまとめ、全店舗へ毎月フィードバックした。「お金を頂いて食事を提供した、褒め言葉はあたりまえ」で、苦情やクレームを参考にした。

 徹底した顧客至上主義と現場主義を貫く。宗次氏秘書から教わったエピソード。店舗に掲げる料理の撮影では、カメラマンが、カレーのルーの中に沈む肉をピンセットで持ち上げようとすると、宗次氏はその作業を断り「自然のままでいい、写真と現実に相違がないように」と言ったという。

 顧客との信頼を築くための小さな努力の積み重ねで、2000年には株式公開を果たした。「経営者になって誰にも負けないほど頑張った」と自負する。株式会社壱番屋の業績は、経営者として就任した 20 年はずっと増収増益。後継者となった浜島社長以後も好調は続く。

 しかし、株式公開からわずか 2 年、53 歳で引退。会長などの名誉職も断り、経営には一切口出しもせず「相談さえ不要」と言い切った。「ある知り合いの社長に、やりきったのですね、と言われて、完全燃焼したことに初めて気づいた」という。経営者としての 20 数年間、全力疾走だった。

(つづく)

(文・佐渡 道世)


ゼロから億万長者へ、贅沢には無頓着 「カレーハウスCoCo壱番屋」創業者・宗次德二氏(2)
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スピーチタイトルは「第二の人生は社会貢献」

 第二の人生は社会貢献―。今年 1 月、都内で開かれた経済界大賞・社会貢献賞の受賞スピーチで、飲食店大手「ココ壱番屋」創始者・宗次德二氏のスピーチのタイトルだ。

 「お金はめぐるもの、授かりもの」と形容し、財産保持と名誉には興味はなかった。経営者から退いた後、社会貢献をする目的で NPO 法人イエローエンジェルを立ち上げた。音楽普及・振興、スポーツ選手育生、里親支援、学習支援、盲導犬基金など、幅広い分野で寄付や助成を行っている。法人名は「いろいろ援助する」をもじったもの。「目標をもって頑張る人にチャンスを与えてあげたい」と語った。

 壱番屋は 2015 年からハウス食品(株 51%保有)連結子会社となっているが、宗次氏と夫人が売却株で得た資金の多くは、これまで同様、社会貢献活動に当てている。

ココイチ創業者・宗次德二氏は、運営する音楽ホール「宗次ホール」内に、チャリティーコーナーを設置して慈善団体などを支援(野上浩史/大紀元)

時代を生き抜くリーダーとしての素質

 宗次氏は自身の語録を書籍化している。そのなかで頻出するのは「率先直範」という言葉。経営者だからこそ「現役」であり率先して実践する。「自分がふらふらしていたら誰もついてこない」。周辺の清掃や美化活動でさえ、自ら行っている。

 「遊びはしなかった、経営者時代は友人も一人も作らなかった」という実直さを貫く宗次氏。毎日、早朝4時台に出社して18~23時に帰宅。バブル時の80年代、不動産などの投資もしなかったため、バブル崩壊による影響もほとんどなかったという。

 見た目を飾ることにも関心はない。インタビュー当日の服装はスーツや靴含めて 3 万円。胸元のピンブローチは現社長からプレゼントだという。「経営者は表現活動なんていらない、普通でいい」。

 現在、イエローエンジェルの事務所は、自身の趣味であるクラシック音楽の普及のために建設された、約230人収容の小規模音楽ホール「宗次ホール」1 階にある。宗次氏は、4 時前に起床して業務前の早朝の 1 時間半、周辺を清掃している。

 「宗次ホール」は交通量の多い片側4車線の久屋大通りから一本入った広小路通にあるため、開設当初、その存在に気付く人は実は多くはなかった。すでに億単位の資産を持つ宗次氏だったが、ホールの PR 看板を掲げて「千円でクラシックを楽しめるコンサートがありますよ!」と声を張り上げて路上で宣伝したという。肩書や体面など、少しも気にかけない宗次氏らしいエピソードだと、同秘書は語る。

 宗次氏の成功は、絶え間ない無数の努力の積み重ねであることがうかがえた。「長い人生、すべて自己責任。頑張れば豊かになる。努力は即効性あることではない、結果がすぐ得られないことに価値があることが多い。着実に目標をクリアしていけば、細かな問題は解決していけるもの。人生ゆっくり右肩あがり、あせらず、腐ってはならず、不満不平はないことが大切」。

(おわり)

(文・佐渡 道世)

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