井口博士のサイトより
http://quasimoto2.exblog.jp/23879700/
<転載開始>
みなさん、こんにちは。

さて、相変わらず私はノーバート・ウィーナーの本を読み続けているが、その話はまた次にして、今日非常に興味深いものを見つけたので、それをメモしておこう。

まず、今パンギムンに代表されるように、1980年代の金大中時代から開始された超絶なる「反日活動」あるいは「抗日活動」として、韓国のウリナラファンタジーとコンス作法の日本への浸透、そして「南京大虐殺」とリンクさせた「従軍慰安婦」や「関東大震災時の朝鮮人虐殺」などの捏造された歴史の世界への拡散、こういったものがある。

彼ら朝鮮人には

嘘も百回言えば真実になる

という朝鮮式の諺がある。

これを信じている、というよりは、朝鮮脳では自然とそういうふうになる、のだが、明らかにそういうものがまったくの事実ではなかったことが明らかになるものを見つけたので、それをメモしておきたいというわけだ。

一つ目は、もし彼らのご先祖が李氏朝鮮の800年間で築いた文化伝統の下では、日本が明治維新以降に大英帝国に代表された欧米列強との間で交わされた国際的に合法的に行われた「日韓併合」が行われたなったとしたら、どういうことになったか?

これを物語る写真が数多く存在する。以下のものである。

【閲覧注意】 在日韓国人のご先祖様がヤバすぎる件 !!!!!

91:名無しさん@13周年:2013/08/27(火) 02:54:31.60 ID:8ZlC6gUV0
日韓併合がなければ在日白丁は今でもこうだったんだよ
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ところでこの一番左の男。いま在日「男組」「シールズ」のこの男にそっくりだよな。タイムトラベラーか?こいつ。
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李氏朝鮮の両班はユダヤ帽をかぶり、罪人をむち打ちし、首を大きな板にはめ、手足の自由を奪った。

また、女性には首を板にはめ、コンスを強いた。

これが、日本が日韓併合する直前の韓国人(Chosunese=Chosenese)の姿だった。


そこへ我が国が日韓併合し、小学校を桁違いに増やして初等中等教育を行い、さらに東京帝国大学、京都帝国大学の次に朝鮮帝国大学まで作り、高等教育まで行った。

ハングル文字を復活し、それを朝鮮民族固有のものとして、漢字文からハングル文の朝鮮民族のベースを作ったのである。そしてそれを小中高大学で教えた。

そうして何10年も経った頃、朝鮮が育ち、大繁盛した。台湾、日本と同様に日本の一部になったのである。

そして大東亜戦争が始まる1941年の数年前、日本の映画人は台湾、朝鮮でも映画を制作していたのである。

どうやら最近そういう昔の映画がYouTubeにあるようで、その中に
1937年の朝鮮で撮影された映画
が存在した。

以下のものである。むろん、すぐに削除命令人が来て妨害工作する可能性が高い。だから、こういう映画は写真化しておく必要もある。

「銃後の朝鮮」 Home Front of Chosun (1937)




この映画の撮影は朝鮮総督府。
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朝鮮のための寄付募金活動と日朝親善交流
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朝鮮開発に行く日本人への朝鮮夫人の歓迎見送り
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へい、在日朝鮮、韓国人、北朝鮮人のみなさんよ!

どこに無理やり侵略して攻撃した姿があるんだよ〜〜!!!

朝鮮人に招かれ、勧められ、手招きされ、見送られ、日本で集めた募金ををもって朝鮮に渡ったのであ〜〜る!!



その見送りの言葉に、朝鮮夫人が日本語で言っている。
あなた今頃赤い夕日を背に浴びて、祖先を守り、
お国のためにつくされてありがとうございます!
わたくしどもも日朝夫人として朝鮮の従軍につきますから
その上ともご奮闘くださいませ!


そう言っているよ!

つまり、これから私達朝鮮夫人も従軍しますからよろしくね〜〜!

いや〜〜、この朝鮮総督府撮影の記録映画はすごいナア。


今の朝鮮人がいかに狂ったかよくわかりますナ。


まあ、今の朝鮮人であれば、こういうのは捏造された映画だとしか思わないのだろうが、これが史実である。

ちなみに、ノーバート・ウィーナーはこの映画の2年前の1935年に日本に来ている。

今は昔の物語である。


いやはや、世も末ですナ。

<転載終了>