社会科学者の随想さんのサイトより
http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1069090672.html
<転載開始>
 【分かりきった判決であり,なにも新しい判断を示せなかった最高裁大法廷の無為・無策】

 【最高裁は司法の独立下にあるとはいっても,しょせん「国家権力の召使いである」らしく,ゆえにたいした期待もしていなかったが,やはりネという結果である】

 【デジタル思考とは無縁のアナログ裁判官が集う最高裁は,時代にとり残された化石的な司法官僚集団】


 ①「『借りられる』出費認めず 生活保護受けPC購入 東京地裁」(『朝日新聞』2017年11月28日朝刊37面「社会」

 1)いま,パソコンはいくらで買えるか
 この記事を読んだとき「裁判官にも大いに世間しらず」の人間がいるのだと,あらためて痛感させられた。最近,ドンキホーテが店頭直売で1万9800円(税抜き)のノートパソコンを販売しはじめている。
  「ドン・キホーテ,1万9800円のノートPC「MUGA ストイックPC」を12月1日発売。14インチ フルHDディスク液晶搭載 FHDで2万は確かに安い」。
 註記) 山本竜也(Tatsuya Yamamoto)2017年11月27日, 午後 06:00,http://japanese.engadget.com/2017/11/27/1-9800-pc-muga-pc-12-1-14-hd/
 補注)筆者はこの製品の仕様をのぞいてみたが,メール送受信やネット閲覧,ワープロ・表計算程度であれば,必要かつ十分な性能を揃えている。
 この ① の見出しに出してみた判決は,生活保護費受給者が電気洗濯機や冷蔵庫を所有してはいけないというのと同じく,実にばからしい裁判官の非現実的な思考を堂々と開陳していた。いまどき生活保護を受けている人たちでも洗濯機やレンジ,冷蔵庫などはもっている。生活費を切りつめて調達しても,なにも怒られることはない時代になっている。

 ともかく,パソコンは別口であって「借りられる」のだから,「そうして利用しろ:できる」という判断なのである(「借りられる」と発想するところからして奇想天外なのであるが)。だが,生活保護を受けている人間・家族・世帯は「洗濯機はもってはならず,コインランドリーで洗濯せよ」といっているのと同じ要領を提示しており,これが実におろかな発想を暴露していた。記事に戻って引用する。

 2)① の記事の引用
 生活保護受給者のパソコン購入費は「自立更生の出費」といえるのか。自治体による生活保護費の返還請求をめぐる訴訟で,東京地裁は「パソコンは知人に借りることができる」として,自立更生費用と認めない判決を出した。生活保護法は余分に受けとった保護費の返還を求めているが,国の通知で「自立更生の出費」は免除できると定めている。

 判決は9月21日付。判決によると,原告は東京都東村山市の女性で,2011年11月に甲状腺の手術を受けた後,2012年2月に生活保護の受給決定を受けた。同年5月~2013年5月まで,計122万円を受給した。だが,女性が2012年3月から半年あまり派遣会社で働き,収入をえたことが判明。同市は約73万円の返還を求めた。女性側はパソコンの購入費は「自立更生の出費」で,「求職活動などに必要だった」と訴えた。

 判決で林 俊之裁判長は女性の訴えを退け,同市が請求した全額を返還するよう結論づけた。女性の代理人の木村康之弁護士は「パソコンを知人から日常的に借りるのは非常識」と訴えている。(引用終わり)

 「パソコンを知人から日常的に借りるのは非常識」というのは,当たりまえも当たりまえで,常識的な観方である。こうした非常識な発想で判決文を書ける裁判官の頭のなかは,いったいどのような構造になっているのが,ぜひとものぞかせてほしいところである。

 家族で1台のパソコンをログイン別に使用(共有)することはできるが,いまどき,自分のパソコン(世帯に1台)を家電並みに所有してはいけない,それも生活保護費受給者はそうしなければいけないというのは,時代遅れというか,現在におけるごくふつうの電脳事情とは無縁の “昼行灯的な裁判所の判決” でしかない。冗談にもならない思考回路が披露されている。

 パソコン市場では,中古で探せば3~4万円台でもりっぱな機種を都合できるし,それ以下の1万~2万円台でも,日常生活の使用に耐える機種がいくらでも調達できる。前段,ドンキホーテ直売のノートパソコンが新品の価格:1万9800円で買える時代である。東京地裁の判事は実に世間しらずだという感想を抱くほかない。スマホの関連もあるが,想定外のあつかいになっているのか。

 以下につづく ② からの議論は,そうした日本の裁判所においては,どうやら固有でもあるらしい「ある種の常識欠如」にも,目を向けた話題をとりあげていくことになる。

 今回のNHK受信料契約問題に関した「最高裁の判断」は予想どおりであって,国家権力機関の一部である司法が(三権分立は当然だが,さらにそのなかで,という意味であるが),国家権力主体の立場・利害のために存在しているとみなすほかない機関であるNHK(準国営放送ないしは純国営放送)の主張を,全面的に認めて許容していた。それもなんら新味のない判決であって,時代の流れを逆流させかねない判断を示していた。

 結局,最高裁の判事たちは,問題になっている受信料契約を「いまの21世紀の経済社会のなかで」どのように理解・認識しているのかについてみると,まったく観過できないような「重大な疑念」を残したまま,判断を下していた。彼らの思考方式じたいに関していっておかねばならない。

 法律の専門家として判断を下すさいに立脚しているはずの「その生活基盤に関する理解・把握そのもの」が,実は時代遅れ(out of date)になっている。そして,彼らが下したそうした判断じたいが,陳腐だという以前において,あまりにアナログ的な回路しかもちあせていない。この事実は,いまさらのように鮮明にされておく余地がある。

 とりわけ,テレビ放送という言論機関のもつ特性や,これをかこむ情報社会のなかで,テレビ(受信装置)そのものがもつ役割・位置づけなどの論点が,今回における判決においては真正面からとりあげられていなかった。それも,そうした論点じたいに関する判断を避けていたのではなく,もとから関連する判断ができなかった「最高裁判事たちの基本的な姿勢:大勢」が,正直に浮上させられた。

 つまり,NHK受信料契約問題を,時代の趨勢のなかで総体的にとりあげて適切に審理できるような「最高裁の布陣ではない」ことだけは,今回の判決を通して明瞭になったといえる。

 ②「NHK受信料,実質義務 放送法の規定,合憲 最高裁」(『朝日新聞』2017年12月7日1面)

 NHKが受信契約を結ばない男性に受信料の支払いを求めた民事訴訟の判決で最高裁大法廷(裁判長・寺田逸郎長官)は〔12〕6日,事実上支払いは義務とし,テレビ設置時からの受信料を支払う必要があるとする初判断を示した。判決は「受信料制度が国家機関などから独立した表現の自由を支えている」と述べ,NHKとの契約義務を定めた放送法の規定について「合憲」とした。(▼2面=受信料制度を追認,16面=社説,32面=判決要旨,34面=被告側は)

『朝日新聞』2017年12月7日朝刊1面NHK受信契約問題 1)契約成立には合意求める
 裁判官15人のうち14人の多数意見。今後,NHKが受信契約を結ぶよう裁判を起こせば,今回の判決を元に主張が認められる可能性が高い。約1千万件とされる未契約の世帯や事業者に影響を与えそうだ。

 最高裁で争われたのは,2006年3月に自宅にテレビを設置した男性のケース。2011年9月にNHKから受信契約を申しこまれたが,「放送が偏っている」などの理由で拒否。同年11月にNHKが提訴した。男性は契約の自由を保障した憲法に違反すると訴えた。

 この日の判決は,受信料制度は,憲法が定める表現の自由を保障するためにあると指摘。受信料でNHKの財政基盤を支える仕組によって,放送内容に「特定の個人や国家機関から財政面での支配や影響が及ばない」ようにしているとし,放送法はテレビがある世帯などに「受信契約を強制している」と述べた。また,判決は,近年放送をめぐる環境が変化していることにも言及したが,受信契約を強制する放送法の規定は,いまも「合理性がある」と位置づけた。
 補注)安倍晋三の第1次政権時に,従軍慰安婦問題で安倍や中川昭一両議員がNHKの関連する特番に圧力をかけ,その結果,放送すでにできあがっていた内容を,直前になって変更させたのではないかと強く疑われた事件が発生していた。

 国会に予算の承認をしてもらわねばならないのが,NHKの基本的な立場である。国家からの影響力を受けていないなどとはいえない,いわばこの準国営放送局は,限りなく国営放送局に近い性格を有している。もとはいえば,大昔に国営放送局として出発したNHK(日本放送協会)であるから,なにをかいわんやであって,また「いわずもがなの歴史的な由来」を,いまだに「大きな尻尾」にしてもってもいる。


 〔記事に戻る→〕 二審判決は,NHKが契約の受け入れを求める裁判を起こし,勝訴が確定した時点で契約が成立。テレビの設置時にさかのぼって受信料を支払う必要があると述べた。最高裁は,契約成立には双方の合意が必要だと指摘。一方的に成立すると訴えたNHKの上告を退け,二審の判断を支持した。判決を受け,NHKは「主張が認められた。公平負担の徹底に努めていく」との談話を出した。
 補注)この「契約成立には双方の合意が必要だと指摘」した点については,つぎのように断わっておく。いったいぜんたい,なにを「当然のこととみなした」うえで,この裁判(最高裁)の判決は下したのか,いささかならずびっくりさせられる。

 商法の契約になる取引なのであるから,そうだ(⇒双方の合意が必要だ)というのである。だが,この「双方の合意」があってもなくても,いままでのNHKがやってきた受信料契約のしかた(させかた)は,非常に強引そのものであって,かつまた強制的で,ときに暴力示威的でもあった。

 ここ10年ほど前から別組織に依頼して,「契約獲得」のための仕事をやらせているというけれども,世間の実際的な動向では非常識と非難されて当然の行為がいくらでもある。本ブログ筆者がいままでに聞けた話のなかには以前,NHKから来た称する者が,玄関先で契約しろと怒鳴りまくり,「こんなに騒がれたら近所迷惑だろう! だから契約したらどうか!」と脅されたという実例もある。この種の事例はたくさん記録されている。関連する文献もいままで多く公表されてきている。文末にそのいくつかを挙げておく。

 2)〈解説〉問われる公共放送
 長く争われてきた放送法の規定の解釈について,最高裁は合憲と結論づけ,受信料支払いの義務を原則的に認めた。NHKにお墨付きを与えた格好だ。

 ただ,最高裁は,NHKに対し,一方的に支払いを迫るだけでなく,目的や業務内容を説明して理解を求め,合意を得られるよう努力をすることが望ましいとした。また,受信料制度は,NHKが政府や特定の団体や個人から独立し,国民の知る権利を満たすためのものだ,とも釘をさした。

 逆にいえば,受信料を支払う人たちは,NHKに「知る権利」に応えるよう求める権利がある。NHKは,政治との距離や中立性など,公共放送としてのあり方を問う声につねに向き合い,支払い義務を課された視聴者のための番組作りをする責任がある。(引用終わり)

 --NHKが国民の立場よりも政府(時の権力)側に目を向けてきた事実は,いまさら指摘するまでもない。予算の承認が国会でなされねばならないゆえ,そういう行動様式になっていて当然である。たとえば,安倍晋三の第2次政権になってNHK会長に登場した籾井勝人は最悪の人事であった。

 3)杉江義浩「私だけが知っている『籾井降ろし』とNHK『腐敗』の真実」『IRONNNA』年月日不詳,http://ironna.jp/article/5089?p=2 から引用)

 籾井会長の発言はずいぶんと軽はずみであった。時の政権の施策に対して,公正中立な立場からしっかりとした検証をおこなうという重要な任務が公共放送にはある。それをハナから放棄しているような籾井会長の姿勢がマスコミ各社から問題視されたともいえる。
IRONNNA籾井勝人画像
出所)http://ironna.jp/article/5089?p=2
 
 さらに「政府が『右』といっているのにわれわれが『左』というわけにはいかない」。この発言は衝撃的であった。安倍首相が右を向けといえば,ハイと無条件に右を向く。そんな政権与党にいわれるままの人物に,不偏不党であるべきNHKの舵取りを任せて大丈夫なのか。動揺が走った。

 国のリーダーにいわれるままの放送をおこなうということは,北朝鮮や中国の国営放送と同じような放送局になることを意味している。先の大戦のとき,日本の報道機関はすべて軍部によりコントロールされていた。NHKから新聞各社まで,軍部に都合の良い片寄ったニュースだけを,そのまま報道するように強要されていたのです。

 軍部が率いるときの政権の方針を,国民は正しいものだと信じこむようになり,いつのまにか洗脳されていきました。そして結果的に報道機関は,悲惨な戦争を長期化へと誘導する旗振り役を果たしてしまった。逆に戦後,サンフランシスコ講和条約が結ばれるまでの7年間は,GHQが決めたプレスコードで管理され,戦勝国側に不都合な報道は禁じられていた。原爆の被害の大きさや,国民の貧窮について語ることさえ許されなかった。

 この苦い経験を生かしていまの放送法は作られた。放送局は時の政権から干渉されない独立した編集権をもち,不偏不党で公正中立な報道をすることを,その精神とした。残念なことに籾井会長の発言は,この編集権の独立という報道の自由にとって重要な概念を,もののみごとに吹き飛ばした感がある。(引用終わり)

 --このとおりであるのだが,いまのNHKが「籾井勝人の路線」(籾井はすでに退職しているが)から,はたしてどのくらい距離を置けているかと問えば,それほどたしかにはおぼつかない点でしかない。

 NHKが以前,平日午後7時半に放送していた『クローズアップ現代』は,この司会・解説者であった国谷裕子(くにや・ひろこ)を,2016年3月をもって降板させていた。その直接の原因となったのが官房長官菅 義偉の圧力であった(インタビュー番組で国谷の質問に詰まり,これに激怒した結果)。このとき,国谷に対しては『クロースアップ現代』の続投を要望してけれども,「NHK上層部の意向」によって,そのような顛末になっていた。
 註記)この問題についてはたとえば,つぎの記述を参照されたい。「クロ現元キャスター,国谷裕子さん あの菅官房長官インタビューを語る-こだわってきた『問いを出し続けること』」(『『BuzzFeed News』2016/04/8 13:03,https://www.buzzfeed.com/jp/satoruishido/yuko-kuniya?utm_term=.wxlW60pnd#.qj7V5vZKL)

  国谷裕子若い頃の画像
           古舘伊知郎画像3
   出所1)左上画像は,https://www.youtube.com/watch?v=BhxgtOk70OU
   出所2)右下画像は,http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-4090.html

 また,テレビ朝日の『報道ステーション』の司会・解説者(メインキャスター)であった古舘伊知郎も,2016年3月をもって降板させられていた。こちらは2015年2月の報道のなかで,コメンテーターの古賀茂明が番組途中に突如,用意したプラカード “ I am not ABE ” をかかげた件が原因していた。いずれにせよ,テレビ朝日が安倍晋三強権政治にたいした抵抗もできない実態も,同時にさらけ出させる「出来事」になっていた。
IamnotAbe画像
出所)http://saigaijyouhou.com/blog-entry-5993.html

 ③「〈時時刻刻〉受信料制度を追認 携帯・PC視聴に触れず 最高裁判決」(『朝日新聞』2017年12月7日朝刊2面)

 この解説記事はNHK受信料契約問題に関する裁判に特有である問題点を網羅的に説明している。見出しにも出ている文句「携帯・PC視聴に触れず」じまいであったこの「最高裁判決」は,ある意味では完全に欠陥的な裁判の判決であった。もっとも問題になっている現実的な論点をすり抜けて四半世紀以上も前の地点に留まったまま,この最高裁の判決が下されていた。

 思うに,最高裁の判事たちは「携帯やPC」関連の問題を専門的には詮議できる知識も情報も,いいかえれば関連する能力を欠落させていると推察するほかない。一番肝腎な答えてほしい問題にまったく答えておらず,しかも「逃げている」のではなく「逃げているという問題意識」すらもちあわせない判断を披露していた。要は,彼らには今回の受信料問題は議論する資格がなかったというほかない。

 以上,本ブログ筆者の解釈と批判を添えたうえで,この記事本文を引用する。長くなる。

 ◆『最高裁判決と双方の主張』◆

 NHKの受信料制度について,〔2017年12月〕6日の最高裁判決は初めて「合憲」との判断を示した。現在の受信料制度や徴収のあり方を追認する内容だ。テレビがありながら受信契約を結んでいない世帯や事業所は全国で約1千万件とされ,判決の影響を受けるとみられる。(▼1面参照)

 1)放送法不備,補足意見で指摘
 裁判官15人のうち14人の多数意見は,テレビがあれば一律に契約を義務づける受信料制度を「合理的」と判断した。政府やスポンサーの意向には影響を受けない番組を作り,国民の知る権利を満たすためには,財政基盤が必要で,たとえ強制であっても憲法には違反しない,と考えたためだ。半世紀以上前の法律であっても,その合理性はいまも失われていない,としている。
 『朝日新聞』2017年12月2日2面受信料訴訟図解 『日本経済新聞』2017年12月7日朝刊43面受信料問題
  出所)右側画像は『日本経済新聞』2017年12月7日朝刊43面。
      
 一方で,NHKが主張したように受信契約を求めれば即,契約成立になるわけではない,とも述べている。NHKが契約を拒む人を相手どって提訴し,裁判を通して契約に合意したとみなせる判決が確定すれば,契約は成立するとした。現実的には,この裁判でNHKが敗訴する事例は限られるとみられ,事実上,受信料の支払いを義務づける判断だ。

 もうひとつの焦点は,支払い義務が生じる期間についてだった。NHKが勝訴すれば,設置時にさかのぼって支払わなくてはならない,とした。その理由を「同じ時期にテレビを設置しながら,すぐに受信契約を結んだ人と,あとになって契約した人との間で支払いに差が出るのは不公平だ」と説明した。

 この日の最高裁判決も指摘するように,放送法が制定された1950年から,放送をとり巻く状況は大きく変化している。テレビは一家に1台から一人1台の時代になり,いまや場所を問わず,ワンセグ機能付きの携帯電話やパソコンで番組をみられるようになった。そうした現状認識を踏まえ,弁護士出身の鬼丸かおる判事が着目したのは “放送法の不備” だった。
 補注)非常に奇妙に感じるのは,ここまで数十年間以上もこの問題を引きずってきながら,そして時代の進展が新しい視聴機器をも開発・利用させていくなかで,NHK受信料契約問題はなんらそうした変化に対応できるような「柔軟な姿勢」を準備してこなかったことである。ともかく,公共放送で予算が必要だから受信料契約をさせて徴集しているだけのこと(=権柄尽くなの)であって,この姿勢にうかがえるのはやはり「お上意識」でしかない。それも,NHKの「国家のほうへの目線」が国民たちのほうにまわてくるときには,完全に「上から目線」に変わっていた。

 現行法では,家にテレビがあったとしても,受信契約が義務づけられているのは家族の誰なのか規定されていない。鬼丸判事は補足意見で,家族のあり方や居住実態が多様化するなか,誰が支払い義務を負うべきか,判断が困難なケースもあるのでは,と指摘。「経済的負担を強制しているのに,義務を負う人を特定していないのは問題だ」として,立法措置の必要性を投げかけた。

 2)NHK「お墨付きくれた」 ネット時代の徴収,難題残る
 「司法のトップが,受信料制度の正当性を認めてくれ,お墨付きをくれた。ありがたい」。NHK経営委員の1人は,合憲判決に胸をなで下ろした。NHK内では,違憲判決はないという希望的観測が大勢だったが,石原 進経営委員長は判決前,「受信料制度の根幹にかかわる話。違憲じゃないかといわれたら,どうしようもない」と一抹の不安を記者団に語っていた。大法廷が違憲と判断すれば,支払い拒否が増えるのは必至で,契約・徴収システムが崩壊してしまいかねなかった。

 放送法に「支払い義務」は明文化されておらず,NHKは戸別訪問などによる「お願い」で対応するしかなかった。だが2004年以降の不祥事続発による不払い急増を受け,支払い督促などの法的手段や,受信料業務の外部委託での徴収強化に転じて支払率は過去最高の79%に達した。一方で,全国の消費生活センターに寄せられた,受信料契約などをめぐるNHKに関する相談は2007年度の1998件から2016年度の8961件に。10年間で4倍以上に増えた。

 今回の最高裁判決で,事実上の支払い義務があるとの判断が示された。あるNHK幹部は「いまの現実が認められた。これまで通り,『お願い』で丁寧に説明して理解してもらうことに変わりはない」とする。訴訟を乱発すれば,視聴者から反発を招きかねないとの懸念もあるからだ。

 一方,NHKは2019年度内に番組のインターネット同時配信を始める意向で,将来的にはネットのみでの視聴者からも料金を徴収できないか模索をつづけている。テレビ離れが進むなか,最高裁がネット時代をみすえた意見を書いてくれると期待する幹部も複数いた。「ネット受信料」に反発する民放や視聴者に理解を求めるさいの根拠になるからだ。

 だが判決は,現状のテレビを含む「受信設備」や「放送」の言及にとどまり,インターネットや配信などの時代の変化に合わせた言葉はなかった。別の幹部は「判決は想定した中では満額回答に近い。ただ,将来テレビ離れが進むと受信設備という概念も古くなる。つまり,この最高裁判決も古くなるということだ」と指摘。「ネットでの費用負担をどうするか,参考にも,影響を与えるものでもなかった」。
 補注)この受信設備の問題点に最高裁の判決が,あえてろくに触れられなかったのであれば,今回の判決そのものが,初めから「古くな」っていたとしかいいようがない。いったい,なんのための裁判(最高裁までの)であったのか,根本的な疑問が湧いてきて当然である。

 3)「〈考論〉双方に配慮した内容」鈴木秀美・慶応大教授(憲法)
 契約義務は合憲だが,裁判によらないとテレビがあるのに契約を拒む人との契約は成立しないとし,最高裁なりにNHKと視聴者側の双方に配慮した内容だ。NHKは,受信料の徴収にお墨付きをもらえて,受け入れられる内容なのではないか。一方で,NHKが受信料契約を成立させるには,視聴者との合意が必要とした。

 ただ,訴訟ではワンセグ放送を受信する携帯電話などは争点になっておらず,この判決ではテレビ以外での視聴者への影響はなさそうだ。今後の変化に対するヒントはなく,現状を追認したに過ぎない。
 補注)「現状を追認したに過ぎない」判決しか下せなかった最高裁だという印象は,この専門家の批評・解釈によってもますます深まるほかない。これからの指針になるような判断ではなく,なんとなく「これでいいでしょう」といった提訴の最高裁の姿勢(限界)であった。

 4)「〈考論〉訴訟より説明が必要」音好 宏・上智大教授(メディア論)
 教科書どおりの判決だったが,NHKが視聴者の理解をえられるように努めたうえで契約することが望ましいとした点は重要だ。NHKは判決を錦の御旗にしてつぎつぎに訴訟を起こすのではなく,あくまで丁寧に説明していくことが求められる。

 放送法施行当時とメディア環境は大きく変化した。NHKはネット時代の「公共メディア」をかかげるが,ネット上では受信料制度や放送内容に批判的な空気がある。NHKがそうした人にも寄り添えるかが問われている。多様な言論,公共的な情報基盤の意義を訴えつづける必要がある。
 補注)ここで「多様な言論,公共的な情報基盤の意義」なるものは,なにもNHKだけが特別に関与している問題次元に存在するのではなくて,民放以外にも多くあるネット関連の放送局も多種多様に登壇している時代である。そのなかで,NHK受信料契約問題だけが,それも今回のように最高裁までもちあがってなされた判決が,「時代の最先」を考えるうえで「参考になるものがなにもない」ようなかたちで出されたとなれば,これは実にむなしい裁判であったと受けとめるほかない。
    『日本経済新聞』2017年12月7日朝刊
  出所)『日本経済新聞』2017年12月7日朝刊。
   NHK2004年度経営内容画像資料
  出所)10年前の「2007.05.16」の説明だが,いまにも通用する図解,http://poo-mono.jugem.jp/?eid=365
   世界の主な公共放送局運営資金画像
  出所)http://news.livedoor.com/article/image_detail/13978197/?img_id=15733480
 NHKもイギリスなどのように完全に受信料支払いを義務化しておけばいいのであるが,かといってBBCの公共放送として独立性・自主性をほぼ完全に確保できているかといえば,いまところ全然そうはなっていない。ならば,国家財政から直接予算を支出して経営を維持すればよく,そうすれば金持ちからも貧乏人からも同じ受信料を徴集するといった不平等な方法は採らなくてよくなる。

 だいたい,年金生活者と年収(たとえば)1200万円以上の所得層の支払う受信料が同額だという点からして,疑問がないとはいえない。もちろん,テレビを視聴するためのその価格であるから年収差をいきなりもちだすのは,不適切な比較の方法かもしれない。

 だが,年金生活者にとってみれば払いたくもないし,毎月の生活費だけでも汲々としているのに,NHK受信料を払うのはたいそうな苦痛である。いっそテレビなど捨てるか? かといって,パソコンにとりつけたワンセグでテレビを観たら,いったいどうなるのか。最高裁は今回の判決ではなにも答えていない。ただ,NHKの現状にに都合のよい判断だけ適当に示していただけである。

 さらに以下につづく ④ などの記事は,最高裁が結局は逃げていた問題点を指摘している。われわれとしても,実質的には『日本政府のための国営放送(準国営放送)』とみなすほかない「NHKの受信料契約問題」を,どのように再考していけばよいのかその材料にしたい。

 ④「〈社説〉NHK判決 公共放送の使命を常に」(『朝日新聞』2017年12月7日朝刊)

 家にテレビがある者はNHKと受信契約を結ばなければならない。そう定める放送法の規定が「契約の自由」などを保障する憲法に反するかが争われた裁判で,最高裁大法廷は合憲とする判決をいいわたした。判断の根底にあるのは,公共放送の重要性に対する認識だ。特定の個人や国の機関などの支配・影響が及ばないようにするため,放送を受信できる者すべてに,広く公平に負担を求める仕組みにしているのは合理的だと,大法廷は結論づけた。
 補注)「特定の個人や国の機関などの支配・影響が及ばないようにする」ことに関しては,以前から大きな疑義が提示されてきた。だが,今回における最高裁の判断がそのような論点にまともに答えられるわけもないゆえ,われわれとしては別途,自分たちの頭で考えぬき批判をしておく必要がある。とくに安倍晋三政権になってから,言論機関に対する強圧的な対応がないといったら大嘘になるし,その言論機関側が対政府姿勢としては,ひたすらへっぴり腰でもある事情が現実である。

 しかもその「支配・影響」は “現実のもの” になっている。最近のNHKのニュースは視聴するに値しない。『朝日新聞』の報道も腰がふらついていて,用心して読まないと本筋の議論が汲みとれない。「安倍1強〔凶・狂〕」だといわれている昨今の政治情勢は,端的に言論機関にまで浸透しており,「社会の木鐸」などどこにみいだしたらよいのかといった風情さえうかがえる。

 「モリ・かけ」両学園問題のうちでも,森友学園の小学校新設申請「問題」に関係しては,前理事長の籠池泰典夫婦が7月31日以後,大阪地検特捜部の取調べのために,すでに4ヶ月半も非人道的に強権的に拘留中である。だが,この事実を真っ向から堂々と非難し,批判する大手の言論機関はみつからない。

 安倍晋三の立場・利害にとってみれば,あの籠池泰典夫妻が釈放され出てきて,またもや「あの調子でベラベラ語られた分」には,安倍の首のまわりに冷風が吹きすさぶと恐れている。さて以下の段落は,前段で本ブログ筆者が言及した事件に触れてもいる。


 〔社説記事に戻る→〕 問題は,判決が説く「公共放送のあるべき姿」と現実との,大きな隔たりである。NHK幹部が政治家と面会して意見を聞いたのち,戦時下の性暴力を扱った番組内容を改変した事件。「政府が右ということを左というわけにはいかない」に象徴される,権力との緊張感を欠いた籾井勝人前会長の言動。過剰演出や経費の着服などの不祥事も一向に絶えない。

 今回の裁判でNHK側は「時の政府や政権におもねることなく不偏不党を貫き,視聴率にとらわれない放送をするには,安定財源を確保する受信料制度が不可欠だ」と主張した。近年強まる政治家によるメディアへの介入・攻撃に抗し,この言葉どおりの報道や番組制作を真に実践しているか。職員一人ひとりがみずからを省み,足元を点検する必要がある。

 メディアをとりまく環境が激変し,受信料制度に向けられる視線は厳しい。それでも多くの人が支払いに応じているのは,民間放送とは違った立場で,市民の知る権利にこたえ,民主主義の成熟と発展に貢献する放送に期待するからだ。思いが裏切られたと人びとが考えたとき,制度を支える基盤は崩れる。関係者はその認識を胸に刻まなければならない。

 あわせて,NHKが道を踏みはずしていないか,政治の側が公共放送の意義をそこなうおこないをしていないか,チェックの目を光らせ,おかしな動きにしっかり声をあげるのが,市民・視聴者の務めといえよう。最近のNHKは,民放との二元体制で放送を支えてきた歴史を踏まえずに事業の拡大をめざすなど,みずからの事情を優先する姿勢に批判が寄せられている。

 今回の受信料裁判を機に,公共放送のあり方について,あらためて社会の関心が集まった。これからの時代にNHKが担う役割はなにか。組織の規模や業務の内容は適正といえるか。NHKが置き去りにしてきた,こうした根源的な問題について議論を深めていきたい。(引用終わり)

 もっとも,今回における最高裁の判決は「NHKが置き去りにしてきた,こうした根源的な問題」というものを問うていない,その意味でもきわめて中途半端,というよりまったく徹底しない判断しか提示できていなかった。最高裁においても「安倍晋三への忖度」は最高度に配慮しているつもりか?

 ⑤「『受信料改革に寄与せぬ』 敗訴の男性側が批判 NHK訴訟判決」(『朝日新聞』2017年12月7日朝刊34面「社会」)

  「納得がいかない」。テレビがあればNHKと契約を結ぶ義務があるとした放送法の規定は「合憲」とする初判断を示した〔12月〕6日の最高裁大法廷判決に,被告側は批判の声を上げた。被災地や番組出演経験者らからは,NHKの番組づくりに対する注文も相次いだ。(▼1面参照)

 1)「大山鳴動して,ネズミ一匹も出てこなかった。全面敗訴」
 判決後の記者会見で,被告側弁護団長の高池勝彦弁護士は,悔しさをにじませた。高池弁護士によると,「なぜ自分だけ訴えられるのか分からず,納得できない」と語っていた被告の男性も判決内容を聞いて,「最高裁の大法廷まで開いたのは,なんのためだったのか」と憤っていたという。

 弁護団がとくに批判したのは,受信料を支払う期間についての大法廷の判断だ。判決の確定時にNHKとの受信契約が成立し,テレビを設置した時期までさかのぼって受信料を支払わなければならないとする内容に,「昭和40年代にテレビを設置したとすると,50年分ぐらい払わなければならなくなる」と尾崎幸広弁護士。「NHKもそこまで求める訴訟は起こさないだろう。最高裁もそう思ったからこそ,このような判決を出せたのではないか。卑劣だと思う」と語った。
 補注)「最高裁が卑劣だ」と語ったこの発言は,最高裁に対しての「最高度の批判」になってもいる。

 受信料制度そのものへの疑問も会見では相次いだ。高池弁護士は判決について「受信料制度の改革に全然寄与しない。NHKの抜本的見直しにもつながらず,惰性で続いてしまう」。林いづみ弁護士は,パソコンやスマホでの視聴環境が整ってきたことにも触れて,「旧態依然とした受信料方式が通用するのか」と訴えた。「判決は『立法裁量の問題』と明言した。ネット時代にふさわしい立法がどうあるべきか,国民が声を上げる必要がある」。
 補注)すでに触れてきたとおりであって,この段落の内容は「すでにネット社会になっている日本の現状」に,あえてかそれとも無意識にかはよく判明しえないが,完全に目を塞いだ判決を,それも最高裁が “のんべんだらりと下したか” のような事実を指摘・批判している。

 2)「視聴者の意見,反映を」 市民団体など注文
 「いまのNHKは視聴者の意見や批判に耳を傾けず,民間業者によるとり立てや法的督促を進めている」。市民団体「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」で共同代表を務める醍醐 聰(さとし)・東京大名誉教授(71歳,下掲の画像の演者)は不満を語る。判決が,NHKの「視聴者を気にしない意識」をさらに増長させるおそれがあると心配し,「お墨付きとせず,視聴者の意識に敏感になるべきだ」と注文した。
  醍醐聰画像
  出所)https://iwj.co.jp/wj/open/archives/277698
 東日本大震災の津波で家を流され,宮城県石巻市の災害公営住宅に住む山内秀頼さん(59歳)は「視聴者の意見が番組にもっと反映できる仕組をつくって欲しい」と求める。震災時に頼りにしたのは,避難状況や配給の情報を細かく流す地元のFM局だった。「まだまだ復興は道半ばなのに風化しかねない。被災地の話をもっと掘り起こし,実情を全国の人たちに発信してもらいたい」と期待する。

 北九州市を拠点に路上生活者の支援に取り組むNPO「抱樸(ほうぼく)」理事長の奥田知志さん(54歳)は,「NHKは,みずからの苦しみや悲しみを誰にも告げられない『無告の民』に寄りそい,彼らの思いを代弁する存在であってほしい」と訴える。

 NHKが2010年から「無縁社会」と題して特集した番組に出演。20年以上かけてとり組んできた問題が,NHKにそう名づけられ,放送されたことで,多くの国民の目が向いた。2013年に生活困窮者自立支援法が成立したのは,この番組放送の影響だと評価し,「命を重んじる,いい意味で偏った報道を」と望む。

 ⑥『日本経済新聞』本日の関連記事から

 1)「春 秋」
 1923年(大正12年)の関東大震災後,焼け野原になった東京では,治安を脅かすデマが広がった。混乱の収束に活躍したのが,まだ珍しかったラジオだ。翌々年に,NHKの前身の組織が本格的な放送を始めた。災害時の報道はNHKの祖業のようなものといえる。

  ▼-1 英語や裁縫,手芸といった講座やラジオドラマが放送開始の年に始まり,番組制作費用をまかなおうと,利用者から月に1円の「聴取料」を徴収する制度もつくられた。いまの受信料制度の原形にあたる。公共の福祉にかなう放送をして,活動をみんなに支えてもらうという仕組は,90年以上も前から続いているわけだ。

  ▼-2 テレビをもっていることで受信料の支払いが義務づけられるかが争われた裁判で,最高裁はNHKの公共性を理由に,支払いは義務であるとの判断を出した。NHKの主張を基本的に認めたかたちだ。たしかかに災害時にNHKの情報をあてにする人は少なくない。受信料制度はこの先,どこまで永らえることになるのだろう。

  ▼-3 デジタル革命が急速に進んでおり,NHKの放送事業をとり巻く環境の変化はいちじるしい。インターネット動画配信が広がるなかでは,番組のあり方も見直しが必要になりそうだ。災害報道もネットをフル活用して,地域ごとの情報発信をより充実させる余地があろう。変化への対応を怠るなら,期待される役割は果たせまい。(引用終わり)

 ▼-1までの記述は受信料制度に触れている。▼-2の記述は「受信料制度はこの先,どこまで永らえることになるの」かと心配している。国家予算で充当しろという考えでもあるのか。

 ▼-3はさらに「デジタル革命」をうんぬんしている。最高裁の判決がアナログ次元にぐずぐずしていた(つまり審理・判断ができていない)点は,すでに批判しておいた。

 2)「〈社説〉受信料合憲でも課題山積だ」
 テレビをもつ人はNHKと受信契約をしなければならない。受信料支払いの根拠となる放送法のこの規定は,契約の自由を保障する憲法に違反しないのか。議論が続いていた問題に,最高裁が初めて判断を示した。

 結論は「合憲」である。NHKが受信契約に応じない東京都内の男性を相手に起こした裁判で,最高裁が出した判決は「受信契約を結び,受信料を支払うのは法的義務」というものだった。

 災害時の報道でNHKが果たしてきた役割などを考えると,この判決が理解できないわけではない。だが,NHKの公共放送としての役割を定めた放送法ができた1950年に比べて,放送や通信をめぐる環境は大きく変わっている。変化をふまえて,NHKのあり方について議論を深める必要がある。

 インターネットやスマートフォンの普及により,情報を伝える手段は多様になっている。災害時にツイッターやフェイスブックといった交流サイトを通じて情報をうる機会も増えてきた。娯楽の多様化を背景に,視聴者のテレビ離れも進んでいる。とくに若年層でこうした傾向が強い。今回の判決によって一時的に受信料の未払いが減ったとしても,テレビを視聴する習慣が薄れてしまえば公共放送の足元はぐらつきかねない。

 職員が家庭を訪問して受信契約を結ぶ活動も難しくなっている。単身世帯やオートロックを備えたマンションが増えたためだ。多くの課題があるなかでまず必要なのは,現在の技術や社会環境を前提に,公共放送の役割を定義し直すことだ。

 そのうえで適正な業務の範囲を定め,公平な費用負担のあり方を探る必要がある。利害関係者が多く,みずからの力をそぐ可能性もあるため,総務省やNHKはこうした議論を避けてきた。だが問題の先送りは限界に近づいている。NHKが公共放送としての役割を果たし続けるには,本質的な議論が不可欠だ。(引用終わり)

 この社説は妥当に聞こえる「現実に即した批評」を与えている。それにしても『最高裁判決の時代錯誤性』はひどい,もうほぼ完全にといっていいくらにまで,ネット社会に突入している日本の経済社会全体であり,また「娯楽の多様化を背景に,視聴者のテレビ離れも進んでいる」し,さらに「現在の技術や社会環境を前提に,公共放送の役割を定義し直すこと」は分かりきっている。にもかかわらずまだ,日本の最高裁はガラパゴス的な司法判断に終始している。まさに21世紀における化石的な最高裁の対応が,なにも恥じることもなく,つづいてなされていた。お寒い風景である。

 3)「NHK受信料最高裁『合憲』『受信設備とは』示さず 公平な負担へ課題残る」(『日本経済新聞』2017年12月7日朝刊43面「社会2」)
 a) 半世紀以上つぐくNHKの受信料制度の合憲性を初めて論じた〔12月〕6日の最高裁判決。

『日本経済新聞』2017年12月7日朝刊43面受信料問題 公共放送の役割を重んじて制度を「合憲」としたものの,携帯端末やパソコンが「受信設備」に当たるかどうかなど,多様化する視聴方法に対する踏みこんだ言及はなかった。NHKがかかげる「公平な負担」をどう実現するか。多くの課題が残ったままだ。(1面参照)

 NHKが今回のように未契約者を提訴するようになったのは2004年に相次いで発覚した不祥事がきっかけだった。不払いが増え,支払率は一時70%を切った。オートロックのマンションが増えたことなどを背景に,戸別訪問で契約をうるのも徐々に難しくなっている。NHKは2011年に初めて契約を拒む個人を提訴するなど法的手段に訴えるようになり,支払率は回復。2016年度は79%に達した。

 b) ただ他国の公共放送と比べると,NHKがかかげる「不公平感の解消」に至ったとはいいがたい。ドイツでは2013年にテレビの有無に関係なく全世帯が支払う「放送負担金」制度を創設し,2015年の支払率は97%に上る。罰則や罰金によって高い支払率につなげる国も多い。

 放送の多チャンネル化が進み,インターネットの動画配信が普及するなど,1950年の放送法制定時とはテレビをとり巻く環境は大きく変わった。最高裁は「放送をめぐる環境が変化しつつあっても,受信料制度の合理性は失われていない」としたが,専門家のあいだでは「現行制度で対応するのは限界だ」との意見も根強い。

 c) 鬼丸かおる裁判官(弁護士出身)は,判決の補足意見で「家族のあり方が多様になるなかで,世帯単位で契約する規定には問題がある」と述べ,時代に合う契約内容となるように法整備を求めた。

 新たな視聴方法をどうとらえるかも課題だ。NHKは,チューナー付きパソコンやワンセグ機能付き携帯電話も契約対象とするが,ワンセグ携帯をもつことが放送法上の「受信設備の設置」に当たるかどうかは,司法判断が分かれている。

 最高裁がこの「受信設備の設置」の定義に踏みこむのかも焦点となったが,判決は触れなかった。NHKがネットでの番組同時配信をめざすなか,課金のあり方の議論に影響する判断も示されなかった。今後,どのような裁判例が積み上がっていくのかが注目される。(引用終わり)

 NHKに訴えられた男性側の高池勝彦弁護士は6日,「大山鳴動してネズミ一匹も出なかった。なんのために大法廷で判断したのか」と批判。「納得がいかず,受信料制度の改革に全然,寄与しない」とした。

 NHK広報局のコメント。判決は公共放送の意義を認め,受信契約の締結を義務付ける受信料制度が合憲との判断を示したもので,主張が認められたと受け止めている。引きつづき,受信料制度の意義を丁寧に説明し,公平負担の徹底に努める。(引用終わり)

 ※ むすびの一言 ※  今回のような判断しか下せない最高裁は要らない。別の協議機関を臨時にでも設営し,こちらに以上の記事のなかに指摘されたごとき,NHK受信料契約に「関連する諸問題」を総合的に,それも21世紀の未来を踏まえた議論ができる組織として置き,早急に検討させ結論が出させるべきである。

 最高裁の存在は,今回のNHK受信料契約問題に関していえば,完全といっていいくらい無力・無能であった。この程度の判決であれば,地裁の一裁判官にでも容易に下せる。もしかしたら素人にでも “見よう見まね” でできるかも……。

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