木の花ファミリーの経済から世界を見るさんのサイトより
http://konohanafamilyeconomy.blogspot.jp/2018/03/blog-post_3.html
<転載開始>
先月、プロセスワーカーのとこさんは還暦を迎えましたが、とこさんが誕生日にあたり書いた言葉がとても印象に残っています。以下その一部を引用します。

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兎に角、言いたいのは、年齢だから起きてると思う症状を歳のせいにするより、その症状がシステムに自分がどう加担してるかにいかに関係してるかっていうアウェアネス(気づき)を持ちたいと思う方が、とこにとっては大事ってこと。

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システムという言葉は社会とも言い換えることが出来ると思うのですが、一人一人の身体症状や課題は社会の影響を受けていて、社会の表れとも言えます。と同時に、一人一人の総和が社会なわけだから、自分のあり方は今の社会のあり方に何らかの形で加担しているわけです。人は症状に出会うと自分を被害者のように感じるものですが、無意識を含めた自分の総和がその症状を選び、そして自分一人分、今の社会に影響を与えているのです。そこを見極めていくことはとても大切なことだと思っています。

それと同時に大切だと思っていることは、症状をネガティブに捉える必要はないということです。ネガティブに捉えるのは、善い悪いという発想に囚われているからで、すべてはただ相応しくあるだけなのです。だから単純に症状や問題をなくそうとするのではなく、症状や問題を生き抜きその奥を見通していこうと思っています。その時きっとこの世界の神秘が花開いていきます。




ここで社会と自分の関わりについて書いてみようと思います。僕ら木の花ファミリーはお財布一つでみんなで暮らしています。誰がお金を持っていてもそれをみんなのお金として扱い生活しています。どこにあっても誰が持っていてもみんなのお金で、そのお金を通してみんなの生活を支えています。自分が持っていても他の人が持っていても同じことだからみんなお金のことを気にせずに暮らしています。その暮らしは今の社会に対する一つのメッセージとなっています。

と同時に僕らは日本社会の中で生きているので、日本の法律に基づいて暮らしています。日本の法律では、課税の基準としてお金の所有者や動きを明確にすることを求めています。その求めに応じて、たくさんの人が集まって一つになっているお金の動きを分類し所有を明確にしていく作業を僕はしています。それはとても複雑な作業なのですが、今の社会を表しています。一人一人が所有権や望みを主張することで、本当は単純で美しいこの世界を人間は複雑で情にまみれたものにしています。そして余計な仕事を生み出し仕事に追われる生活をしています。今、お金はお金を管理する仕事を生み出していますが、世界のお金がみんなのお金になったら、どこにあって誰がもっていてもみんなを支えるだけならば、多くの手続きが不要になりこの世界のトラブルも半減するでしょう。ですが、今の人々は、個人個人の幸せそして個人個人のお金を求め、それが生み出す忙しさを受け入れています。それが今の社会の選択で、その社会と連動して僕は忙しさを引き受け心や身体に負担を掛けている、そんなふうに思っています。そして、それは僕の主体的な選択であり大切な役割だと感じています。

この世界の神秘は現象の奥にあります。だから極端なことを言ってしまえば、現象としては何が起こっていてもいいのです。大切なのは、その現象を生き抜きその奥にあるメッセージを掴むことです。

僕は今の社会へのメッセージとしてお財布一つの生活を送りながら、それと同時に、経理を通して今の社会の複雑さを生き大変な思いをしています。その大変さは、人間が歴史の中で生み出してきた複雑さであり、彩りであり、混乱であり、多様性です。僕の忙しさの奥には今に至る人類の物語が流れているのです。僕は現代社会に生きる一員としてその複雑さを生きています。と同時に、僕は他の世界、お金から自由な世界も体験し知っています。だから僕は目の前の現象から離れ現象の奥を見通すことが出来るのです。

ここには危うさもあります。僕が目の前の作業に埋没し、ただ忙しく働くだけならば、それは今の複雑な社会に加担するだけとなり、下手したらワーカホリック(仕事中毒)にもなりえます。こうなると僕は社会の犠牲者となり、そのことで社会を犠牲にするようにもなります。ですが現象の奥を見通しその視点を持って忙しい毎日を送れば、そこから「気づき」が生まれこの世界へ光を差し込むことが出来るのです。

突破口は気づきにある

僕は昨年の10月、以下の文章を書いています。

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我々の直面する重要な問題は、それを作った時と同じ考えのレベルで解決することはできない。

上記はアインシュタインの有名な言葉ですが、今、直面している問題は自分たちの想いの結果生み出されたものです。自分の想いを通そうとしても、突破できないのは当然と言えます。ですが、人はそれを周囲のせいにすることもあります。自分の考えは正しいのに周りの理解がないから実現出来ない。こんなふうに考え、それに固執し、その結果、停滞していくのですが、それも自分の想いが生み出している現実です。

気づきとはこの世界に対する理解です。それを得るためには世界に起きていることをただの情報として眺める視点が必要となります。感情や思惑が挟まると世界は自分の色に染まっていきます。そして、想いのままに行動することになり、そこに気づきは生まれません。

人は他者からの理解を求めるものです。ですが、その時理解される自分とは今の自分であり、今の自分が現在の問題を作ってきたのです。だから他者からの理解を求めることはないのです。そうではなく、ただ世界や他者を理解していく。そのことに努めた時、自ずと気づきは生まれ、それが新しい動きとなっていきます。


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現象の奥にはすべてを生み出す元の世界があり、そこには常に希望があり、世界に変化変容をもたらしています。ですが、人が今の想いに固執すると、その動きが停滞し問題となって表れるのです。今、多くの人が自分の想いで心をいっぱいにしています。そして、一人一人が自分の想いを満たそうとして社会がどんどん複雑になっていきました。僕は経理を通してそんな複雑な社会を経験していますが、同時にそこから離れ現象の奥へと目を向けています。だから僕の中には気づきがあります。

今年の2月、カフェ&ショップ ロータスランドがオープンしたことで経理上はとても複雑になった木の花の経済に向き合う中、僕は39.5℃の熱を経験し、オフィスの引越しを経験し、祖母の死を経験しました。熱の中も仕事を続け、日帰りでさいたまの祖母の葬儀に立ち会い、最後は5日間で7時間という短い睡眠時間(横になった時間でウトウトした時間はもっとあります)で働き続け法人税(農事組合法人)の申告を済ますことが出来ました。僕の中には最初、この状況に対する怒りが生まれていましたが、次第に神様の計らいを感じるようになり「いただく心」を育んでいきました。それはとても濃密で有難い時間で僕はこの時間を通して自分が傍楽(はたらく)意味を再確認しました。

働く(はたらく)とは、人が動くことであり、自分を超えた大いなるネットワークの中で役割を果たし、傍(はた)を楽(らく)にしていくことです。そこに「自分が」という想いは必要なく、空っぽになってただ与えられた役割を坦々と果たすだけ、そしてそのことを通して現象の奥を見通し、この世界に気づきをもたらしていくのです。

傍(はた)を楽(らく)にする。

他者のために生きる

それはただ物理的な行動だけではなくこの世界に気づきをもたらし新しい動きを生み出すことです。自分の想いでいっぱいの行動は、最初はスムーズに動いたとしてもいずれこの世界に停滞をもたらします。だから常に自分を離れ現象の奥を見通す心が必要で、これからもずっとそんな心を育み経理を通して社会と響き合っていこうと思いました。

もうすぐ僕は43歳になりますが、誕生日は現象としての自分がスタートした日です。現象としてはそこがスタートですが、現象としてこの世界に顕れる前に、魂としての自分は存在し続けていました。3月7日の誕生日を前にして、そこに想いを馳せています。

大切なのは、現象を生き抜きその奥にあるメッセージを掴むことです。だから現象は何が起きてもいいのです(^-^)


木の花ファミリーのみんなです。



<転載終了>