社会科学者の随想さんのサイトより
http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1070407232.html
<転載開始>
 【21世紀を超えて22世紀までもこの地球においては,遺跡としてではなくて,「放射性物質が生きたままに汚染しつづける場所」が残されていく末恐ろしさ】

 【《悪魔の火》の因業の無限性は,人間側の力では阻止できない】

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 ★「本稿(1)」の主要目次 ★

   事前の議論-事故原発の廃炉は,とてつもなく長い旅路への覚悟が必要-

  「〈東日本大震災7年 原発 燃料デブリ,調べるほど多難」(『朝日新聞』2018年3月7日朝刊36面)

  「未稼働原発に5年で5兆円 維持費,東電など7社」(『朝日新聞』2018年3月8日朝刊1面冒頭)

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 ④ 被災地は前進しているなどと評価できるのか?

 1)「大震災7年復興 前進と停滞と緑のシート,原発周辺覆う」 (『日本経済新聞』2018年3月8日夕刊13面「社会2」)

 東日本大震災から7年を迎えるにあたり,東北地方の沿岸部を〔3月〕7日,上空から取材した。東京電力福島第1原子力発電所事故の影響が残る福島県は人影がない地域もあり,町の再建にはほど遠い状態。一方,宮城,岩手両県は団地の高台移転が進むなど着実な復興を感じとれた。
      『日本経済新聞』2018年3月8日朝刊原発廃棄物風景
 註記)除染廃棄物を覆う緑色のシートが大地に広がる(3月7日,福島県富岡町)
 福島県の福島第1原発と第2原発周辺では,住宅や農地だった場所の近くに,除染で生じた汚染土を詰めた黒い袋が緑のシートで覆われ整然と置かれていた。汚染土壌などを保管するために2017年秋に本格稼働した双葉町の中間貯蔵施設の周辺も同様の光景が広がっていた。
 補注)この「中間貯蔵施設」という用語に注意したい。使用済み核燃料や原発施設から排出されてくる,そのほかもろもろの放射性物質に汚染された装置・機械・部品・器具・道具・消耗品・汚染された表土などは,そのまま捨てるわけにはいかず,保存しておくべき廃棄物となって残されている。前段の画像のように,シリコンバッグにも詰めて一時的に保管している状態が続いている。その最終処分場がどこになるのか,どのように始末されるのかについては,現在の段階ではまだなにも決まっていない。

 以上のような状態を意味する概念として「中間貯蔵」といった表現が当てられている。原発という施設(装置・機械)に特有であるその物理・化学的に関しては,いかんともしがたい〈矛盾的に深甚な困難〉があって,いいかえれば「発電のために使用された諸材料」が最終的に汚染されたまま,しかも行き先をみつけられないでさまよい,宙に浮いた事態・状況がある。それがいまでは,ごく当たりまえであるかのようにわれわれの目の前に存在してもいる。

 〔記事に戻る→〕 同〔2017〕年に帰還困難区域を除き避難指示が解除された富岡町や浪江町では,歩く人の姿は確認できなかった。農地とみられる土地は雑草が生いしげり,荒れはてた状態。上空からもさびしい雰囲気が感じられる。

 第1原発には原子炉を覆う建屋が残り,汚染水を入れたタンクが置かれていた。現在も飛行制限がかけられ,半径3キロ圏に近づくことはできない。原発周辺地域が復興からとり残されていることを再認識した。

 宮城県気仙沼市や石巻市の港では,漁船が頻繁に出入りし,漁網が海に浮かべられている。「漁業の町の復活」ののろしが上がっているようにみえた。

 同県東松島市の野蒜地区では,丘陵を切り崩して「野蒜ケ丘団地」を造成。空き地はほとんどなく,真新しい住宅がひしめきあっていた。団地内にJR仙石線の駅があり,スーパーや学校もみえた。「住宅復興の象徴」との呼び声どおり,完成形に近づいているように感じた。
     『日本経済新聞』2018年3月8日朝刊原発津波護岸
 岩手県陸前高田市で建設が進む巨大防潮堤(上掲・画像)の近くでは「奇跡の一本松」を確認できた。釜石市の鵜住居地区では,2019年9月に開幕するラグビーワールドカップ(W杯)で使われる「釜石鵜住居復興スタジアム(仮称)」が建設中。場内をトラックが走り回り,急ピッチで作業を進めている様子がみてとれた。(引用終わり)

 以上の光景は,われわれもテレビの放送を介してその一部は観察できる「被害地の復興ぶり」の光景である。そこでは,きれいに街作りがととのい,家もたくさん新築されている。だが,この風景の全容は同時に,被災者たちの全員が戻ってこられない事実をも,黙って物語ってもいる。被災地によっては,建物はすかすかにしか再建されていない状態であるし,となれば,そこに「人間:もとの住民たち」が全員戻ってくるみこみもない。そうしたいまの実況なかで,「3・11」以前の姿に近い町並みそのものが戻せるかどうかはあやしい。

 人間の生活は “全体的なもの:有機的なもの” という意味では,「3・11」後における時間的な経過のなかで,避難者の生活じたいが自分たちの「被災地:土地や家」から離れていた期間が長くなればなるほど,もとの場所に戻ることがより困難になっていく条件が増えてきた。ましてや,乳児・幼児・子どものいた世帯・家庭では,放射性物質の汚染度がほぼ安心だといえる水準に戻っている地域が増えていると情宣されていても,もういまとなってはもう戻れない実情が生まれている。

 2)「〈被災地の今〉)福島・双葉町 積み上げても,まだ見えぬ終着点」(『朝日新聞』2018年3月5日朝刊1面)
   福島第1原発事故で汚染された土などは,除染後に袋詰めされ,福島県のあちこちに保管されている。それらを集約する双葉町の中間貯蔵施設では,各地から運ばれた黒い袋が重機で高々と積み上げられ,一部には緑のシートがかけられていた。

 施設は,原発を囲うように同町と大熊町にまたがる約1600ヘクタールとなる計画で,昨〔2017年〕秋から本格稼働した。いまも用地の取得が進められている。2045年3月までに県外で最終処分するとしているが,受け入れ先のめどは立っていない。(引用終わり)
『朝日新聞』2018年3月5日朝刊1面フレコンバッグ画像
 これは例のシリコンバッグの写真である。低度に汚染されている土など「除染廃棄物」を袋詰めにしたその黒い袋が集積されている写真であった。1)の紹介した画像でも,それがもっと広い地域に集積され「貯蔵されている」風景が紹介されていた。

 本ブログがいつも関連して指摘する点があった。足尾銅山の鉱毒や水俣病公害の有害物質などは,遊水池や沿岸海域のどこかに,それこそネコババの要領で埋め立てて,かくしてきた。だが,こちらのほうはまだ,それでもなんとかゴマカシが利いていた事例であった。

 それに対して,現在「中間貯蔵物」として蓄積されている「汚染廃棄物」は,今後において,いったいどのように始末されていくのか? いまからでも事前に分かっている事情は,その最終的な「行先」(処分場)がみつかっていない現実である。原発を誘致してきた各地方の過疎地であっても,この汚染廃棄物の受け入れは,住民たちがそう簡単には認めていない。よほどの経済的な利益をともなう方法でなければ,どこも受け入れてくれる場所はみつかりそうにない。

 3) 「凍土壁『汚染水を低減』 福島第1 有識者会合も見解」(『日本経済新聞』2018年3月8日朝刊40面「社会1」
 東京電力福島第1原子力発電所の原子炉建屋周辺の地盤を凍らせて汚染水の増加を抑える「凍土壁」について,経済産業省の有識者会合は〔3月〕7日,「汚染水を半減させる効果がある」とする見解をまとめた。巨額の国費を投じ,2016年3月に凍結を始めた凍土壁は,効果が不透明として検証が求められていた。
        『日本経済新聞』2018年3月8日朝刊凍土壁画像
 東電は凍土壁について1日あたり汚染水95トンの低減効果があると試算。建屋の周囲で地下水をくみ上げる井戸「サブドレン」など,凍土壁を除く複数の対策を組み合わせた場合の189トンと比べて半減したと説明した。凍結前は1日約490トンだった汚染水発生量は,18年2月末までの3カ月平均では約110トンに減ったとしている。委員から「水位制御が自由にできるようになってきた。

 今後,事故で溶け落ちた燃料を取出すさいにも有効な対策だ」など同意の声が上がった。ただ,2017年秋の大雨時に汚染水の発生量が増えたことから今後も追加的な雨水対策が求められている。会合では建屋屋根の損傷部分を補修したり,凍土壁を貫通する配管の影響を調べたりする必要があるとする方針をとりまとめた。

 出席した福島県の高坂 潔原子力総括専門員は「汚染水は降雨時にも増やされたら困る。雨水対策をして発生量をより低減してほしい」と東電に要請した。(引用終わり)

 この東電福島第1原発事故現場跡において,地下流水が放射性物質に汚染されている問題は,いままでこう報告されてきた。その防止するための工事は,その「汚染水発生量はいついつの日付では約何トンに減った」という報道のされ方をしてきた。その汚染水が完全に出ないようにするための工事(具体的に採用された工法)であるはずの「凍土壁によって事故現場を囲む技術の駆使」であったものが,ただ「何トンかに減らせることができた」という表現方法にすりかえられている。

 だが,同発電所の建屋4棟を囲むように凍土壁を作り,地下水が建屋に流入するのを防ぐその計画が,2014年6月に着工されていたものの,いまだに完成の域に到達し,その維持・管理が継続的になされているといえる段階には至っていない。この凍土壁の効果が報道されるときは必らず「約何トンに減った」という報告しかなされておらず,工事が開始されてから4年近くが経ってもまだ,そうした〈経過報告〉を続けるほかない苦境に置かれている。

 ⑤「再生 その先 東日本大震災7年(下)廃炉,見えぬ着地点 先送りでは展望開けず」(『日本経済新聞』2018年3月9日朝刊2面)

 福島県飯舘村の雪が地面を覆う山あいの一角に,2017年9月まで国の原子力規制委員長だった田中俊一氏(つぎの画像)の居宅がある。移住して2018年2月から村の「復興アドバイザー」に就いた。
    『日本経済新聞』2018年3月9日朝刊田中俊一
 村は東京電力福島第1原子力発電所事故後,全村避難を強いられた。戻った村民は約1割にすぎない。「事故前の生活に戻るのは簡単なことではない」と話す田中氏は「自分はなんでも屋だ」として,住民帰還に向け除染や放射線について助言し,国との橋渡し役も務める。

  ※ 現地で信頼築く ※

 田中氏は事故後,原子力規制行政の立てなおしを託された。原発に厳しい事故対策を課す新基準を導入して審査体制を築きなおし,12基を合格させるなど陣頭指揮をしてきた。ただ国民の原子力への不信感は根強い。被災地で信頼をひとつずつ積み上げようとしている。
 補注)田中俊一もしょせん,体制内・原発再稼働派の一員でしかなく,この自陣営側の見地から目先の利害に走らされる立場にあった。いまどき,原発を再稼働させたところで,この国の経済・社会が縮小する傾向のなかでは,その稼働させる規模を単純に拡大させられる見通しなど,まったくない状況にある。できることといえば,再生エネルギーの開発・利用を妨害することだけである。

 問題になっている《怪物》のような「電気発生装置・機械であるこの原発」をどうするのかといえば,あとは廃棄する手立てしかありえない。電力会社の収益・利益が当面において大事だからといって,未来におけるこの国のエネルギー政策の創造的な展開を妨害する役目を,原子力規制委員会が果たしてきたのである。


 〔記事に戻る→〕 放射能に汚染された福島が直面する最大の課題は廃炉の完遂だ。政府と東電は2017年9月,30~40年後に廃炉を終える方針を維持した。溶け落ちて原子炉外にも散らばった核燃料を取出すという世界でも例がない取組が待ちかまえる。だがその作業は,困難さが浮き彫りになりつつある。

 防護服を着ても人が近寄れないほど強い放射線を出す核燃料は遠隔操作で取出す必要があるが,ロボットなどの精密機器は放射線に弱い。最新技術を結集しても開発は困難をきわめる。原子力損害賠償・廃炉等支援機構の山名 元理事長も30~40年後に廃炉が実現できるかどうか「本当は分からないと答えることも誠実なことだ」と打ち明ける。
 補注)この山名 元(65歳)は,東北大学出身の原子核工学専攻者で,京都大学原子炉実験所教授を経て,2015年9月から原子力損害賠償・廃炉等支援機構理事長を務めている。この人物も〈東大話法〉を,それも下手に駆使している。
     山名元画像4
  出所)http://www.ene100.jp/廃炉に向けた取り組みと課題(山本元氏)
 要は「原発の廃炉問題」以前の「東電福島第1原発事故現場」の後始末が「30~40年後に廃炉が実現できるかどうか」まったく予測がつくような問題ではないといっている。そのように正直に「本当は分からない」問題だと答えることが,自分の立場が披露する「誠実な原子力工学専攻者の態度」だといいたいらしい。

 つまり,原発推進派の専門家たちがいまでは,怪物というほかない原発の後始末(通常の廃炉問題であっても)は,たいそう深刻で困難な技術経済的・産業社会的な問題になっている現状を,すなおに認めている。その意味では彼の仕事の肩書きである「原子力損害賠償・廃炉等支援機構理事長」という名称は,まさしく意味深長である。

 東電福島第1原発事故現場に関して,あと「30~40年後の廃炉」が本当に実現できるかと問われて,いわく,「本当は〔まったく〕分からないと答えることも誠実」だなどいったふうな,それも山本 元流に工夫された「自己弁護・正当化のための発言」は,これじたいからしてどだい,大いに笑止千万の珍答になっている。


 かつて,原発反対派の人びとがひどく心配していた問題が「3・11」を契機に一挙に噴出してきた。そこで,いまさらにように廃炉問題の今後の方向性については,「本当は分からない」ことになているなどいった発言は,「誠実」という修辞とは無縁のそれ以前・以外の形容を充てられるべき,つまり欺瞞だと指弾されるほかない「東大話法的な虚言」だとみなされていい。

 原子力核工学を専攻してきた工学者なのであれば,東電福島第1原発事故が起きていなかったころであっても,廃炉問題が将来に向けてどのように進展していかざるをえないかは,まえもって十二分に「分かっていなければいけなかった」原発の技術問題であった。その肝心な点について,いまごろにもなって『「本当は分からないと答えることも誠実なことだ」と打ち明ける』のだ,といったからには,もはや完全に〈噴飯モノの次元〉での屁理屈公開になっている。

 工学技術で製作・生産される構築物・製品に事故が起こらないという〈絶対的な条件〉はありえない。初期故障という用語もあった。ところが,原発推進派の人びとは進んで『安全神話』の宣教師になっていたではないか。

 ところが,いまごろになって「誠実」ということばをもちだし,自分たちのそうした過去における重大な過ちを「誠実に反省する」のではなく,下手な東大話法の応用によって「不都合な真実」を糊塗しようしている。この原子力村の一員である山本 元のいまの姿はまことに無残であるし,被災者側にとっては無念である。


 〔記事に戻る→〕 費用も膨大だ。経済産業省は当初,廃炉や賠償などに11兆円かかると見積もったが,2016年に21.5兆円に修正した。日本経済研究センターは最大70兆円になると試算する。2021年にも始まる溶融燃料の取出しや保管には巨費がかかる。今後,さまざまな作業が始まれば,その都度費用が膨らんでいく恐れもある。こうした費用の多くは国民の負担だ。きちんと説明しなければ国民の不信を招くことになる。
 補注)「3・11」以前であれば,原発が「安全・安価・安心」である電力生産方式だと絶対的に喧伝しえていた。そのうえで,この点をわずかでも批判する者などがいたら,原子力村は総力を挙げて抑圧しにかかり,実際にもつぶしてきた。山名 元はこちら側の人間であった。山名のような研究者とは対極の立場に居た同学の人士がいた。いまでは有名人になった人物も含まれているが,つぎのような解説を引用しておく。
★「迫害され続けた京都大学の原発研究者(熊取6人組)たち,
危険性を訴えたら,監視・尾行された」★

=『週刊現代』ウェブ版,
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2462 =

 「原発の開発には胡散臭いところがあった。モノは必らず壊れる。でも東電など電力会社は,絶対に壊れないと本気で思っているようにみえた。チェルノブイリ事故があったとき,日本では『ソ連の安全に対する意識が遅れていたのが原因だ』なんていわれたけど,日本のほうがよほどひどかったね」。

 落ち着いた口調で語るのは京都大学原子炉実験所の今中哲二助教(60歳〔2011年当時)だ。原発を推進してきた学者たちが「想定外」という言葉を繰り返すのとは対照的に,今日の福島第1原発のような大事故がいつか起きると警告を発しつづけてきた学者グループがいる。

 彼らはこれまで「異端の研究者」とみられ,テレビや新聞でもほとんど紹介されることがなかった。それどころか,学会では長く冷や飯を喰わされ,研究費や昇進でも明らかな差別を受けてきた。遅きに失した感は否めないが,今回の事故で,そんな彼らにようやく注目が集まりつつある。原発関係者たちは,推進,批判の立場を超え,彼らのことを「熊取6人組〔あるいは衆〕」と呼んだ。

 「熊取」とは,京都大学原子炉実験所の所在地である大阪府泉南郡熊取町に由来する。つまり,「6人組」はいずれも京都大学の原発研究者としていっしょに働いた仲間である。いま〔2011年4月現在の話〕も同実験所に在籍しているのは冒頭の今中氏と,小出裕章氏(61歳)。

 2人とも肩書は助教。2001年から2003年に相次いで定年退職したのは,海老澤徹氏(72歳,助教授〔2011年4月当時で以下も同じ〕),小林圭二氏(71歳,講師),川野真治氏(69歳,助教授)。そして,1994年にがんで亡くなった瀬尾 健氏(享年53,助手=現在の助教)。本誌は今回,存命中の5人すべてのメンバーから話を聞いた。(引用終わり,後略)

 なかでも「3・11」以後における小出裕章の露出度は,最高度になってもいた。それまで注目されていなかった小出であったが,定年を迎える時期になってから一気に活躍の場を与えられた。しかし,原発の大事故が起きたのをきっかけに,彼の一身に生じていたそうした《現象》であった。それゆえ,第3者の視線からみた「原子力工学」研究界の様子としては,けっして好ましいそれではなかったはずである。もっとも,熊取6人衆の立場にとって「東大話法」が無用であったことだけはたしかであった。
 ここで再度,山名 元の話題に戻る。いまごろになって,それもわざわざ,東電福島第1原発が『30~40年後に廃炉が実現できるかどうか「本当は分からないと答えることも誠実なことだ」と打ち明ける』といった。だが,これを聞かされたほうとしては,かえってしらけるだけであった。

 要は,その山名の発言は「いいわけにはなっていても」,「反省・謝罪の気持など」これぽっちも含まれていない。終始一貫,それだけでしかない姿勢を維持してきたに過ぎない。つまり,潜在的には「原発推進派」に固有でありつづけてきた〈不遜な姿勢〉が丸見えである。 


 〔記事に戻る→〕 放射能に汚染された土壌の処分も難題だ。2017年10月に運用を始めた国の中間貯蔵施設にはトラックがひっきりなしに出入りする。208年1月末までに搬入された袋(1立方メートル)は約64万個に達する。一歩前進には違いないが,福島県内に残る汚染土は最大2200万立方メートルに上り,受け入れが追いついていない。施設全体の予定面積約1600ヘクタールもまだ確保しきれていない。
 補注)ここで使用されている「一歩前進」という表現は,なにもやらないよりはマシという低度の意味で使われている。つまり,やらねばならなくなった「後始末の進行状態」そのものが遅々としている実情に関していわれている,その「ひとつの表現」である。

  ※「県外は難しい」※

 さらに中間貯蔵施設に運びこんだ汚染土の処分問題も横たわる。国は福島県を最終処分地にしないと約束し,30年以内に県外に移し処分する方針を示す。だが処分地選定の検討すら始まっていない。田中氏は「県外にお願いするのはむずしく現実的ではない」と語る。

 田中氏が提案するのは,除染した土壌で湿地帯を埋め立てて農地や牧場にする構想だ。戻った人びとの生活の糧になるとみこむ。一方,廃炉のために滞在する海外の技術者は新たな産業の礎になる可能性を秘める。
 補注)これはまるで,足尾銅山における鉱毒の始末のしかたを示唆するような田中俊一の発言であった。また「海外の技術者うんぬん」になると,これが「新たな産業の礎になる可能性を秘める」という記述は,不思議な雰囲気を漂わせる表現である。

 廃炉産業で金儲けができる,それがこれからの展望にもなるとでもいいたげな表現になっている。ただし,廃炉問題を通常の産廃産業と同じに考えたら,大きな間違いになる。なかんずく,すぐには理解しにくい田中の主張が披露されていた。

 以上に引用して聞いた『日本経済新聞』の新聞記事は,公正・中立性をあれこれいう問題の以前において,そもそも「5W1H」に関して明快さを欠く報道になってもいた。

 〔記事に戻る→〕 振り返れば政府は1990年代前半のバブル崩壊後に生じた不良債権問題をすぐに処理せず,先送りした。その結果,日本経済は長い停滞に入った。福島が抱える問題も正面から受け止めなければ,前に進めない。(引用終わり)

 この最後の段落も前後関係においてかなり把握しづらい。「日本経済の長い停滞」と「福島原発事故の問題」とを同じに位置に並べて「正面から受け止めなければ,前に進めない」と教説(説教?)するような記事ではないか? いらぬお世話であり,しかも意図的に的をずらした,よけいな指示(暗示?)である。

 上記「 “双方の問題” に関する本質的な認識」,そして「それに絡まっている歴史的な課題など」は,もっときちんと吟味・整理したうえで記事を制作すべきであって,さらにはまた,その〈結論〉の方向性も慎重に指示すべきではなかったか。原発問題のあつかいになると,『日本経済新聞』はときどき意味不明という印象を受けるほかない,それも「原子力村」の意向を汲んだ記事作りを試みる。

 ⑥「東日本大震災 死者2人増,不明者なお2500人」(『日本経済新聞』2018年3月7日朝刊)

 警察庁は〔3月〕6日,発生から間もなく7年を迎える東日本大震災について,1日時点の死者が岩手,宮城,福島など12都道県で1万5895人になったと発表した。行方不明者の遺骨が新たにみつかり,前年同期から2人増えた。遺体の身元特定などで行方不明者は同15人減ったものの,なお2539人に上っている。

 2017年3月以降に死亡が最終的に認定されたのは,福島県大熊町の木村汐凪(ゆうな)さん(当時7歳)と岩手県陸前高田市の男性(同80歳)。いずれも行方不明となっていたが,発見された遺骨のDNA型鑑定などで身元が判明した。

 このほか,2017年2月末までに身元の分からなかった6人の遺体が特定された。ただ,岩手,宮城両県で依然として計62体が身元不明となっている。


 【補足記事】
 「3.11に改めて問う安倍首相の罪! 第一次政権で福島第1原発の津波,冷却機能喪失対策を拒否した張本人だった」『リテラ』2018.03.11,http://lite-ra.com/2018/03/post-3862.html 以下。   


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