mariscoさんのサイトより
https://ameblo.jp/koji-kitano/entry-12357945237.html
<転載開始>

『 精神エネルギー 』

~ Spiritual Energy ~
政木和三

 

 

精神エネルギー00

 

 

第二章 地球と人間の科学

 

◎ 科学は悪魔の道具になりかねない

 

 

 

 科学的研究および医学的な研究を、今後ともに全力を傾倒してゆくことは、人間の重大な任務である。

 大学においては原理追求のための研究が主となり、企業においては応用の探求となる。

 しかしその研究は、人間をはじめ全生物に、いささかの悪影響を与えるものであってはならない。

 また近年、世界的に多発している超常現象に対しても、現在の科学知識では理解できなくても、それが事実として残っておれば、一考を要するものである。

 現在の常識で判断できないからとて、それを否定してしまうことは早計である。

 現代科学では、未解決の分野が多く残っており、未知の現象も、二十一世紀には科学となるかもしれない。

 しかし超常現象を、全部うのみにすることも危険である。

 科学的に考えられる最高次元の解釈と、さらに一次元の仮定を入れることによって論理が成立すれば、それを信じてもよい。

 今までの研究は、物質的現象だけを追っていては壁につき当たりそうな状況にある。

 そのとき精神的な考えを入れることによって、一歩前進することができるのではないだろうか。

 精神を伴わない科学は、真の科学ではないというアインシュタインの言葉は有名であるが、近時は、物質的現象のみに走る心なき科学技術者が多くなっている。

 精神を忘れた科学は、眼前の利益のみに走るために、空気や水を汚し、人間をはじめ他の生物に悪影響を与えることになる。

 心を忘れた科学によって開発された新製品は、便利さのために一般大衆に受け入れられ、それらの人々の無意識の内に生まれる公害が加速度的に大きくなってゆく。

 この状態を放任すれば、地球上の全生物は重大な危機にさらされることになる。

 先に記した空気中の成分のうち、酸素二〇・九五パーセントという値は昭和四十六年に刊行された、ウェイン・T・スプロールの

 

 『大気汚染の科学』

 

 に記載してあるものであるが、昭和十九年に刊行された物理常数表には、酸素の量は二〇・九九パーセントとなっており、〇・〇四パーセント減少していることになる。

 現在はさらに減少しているものと思われる。

 何億年かの大昔に、植物が大繁茂していたとき、大気中のわずかの炭酸ガスによって光合成を行ない、酸素を発生させていた植物であったが、その消費が多過ぎたために、炭酸ガスが減少し、植物は一時に多く枯死し、加えて地殻の変動に遭って地中に埋没し、石炭、あるいは石油となったのではないだろうか。

 炭酸ガスがなくなれば、植物は一年以内に全部枯死する。

 植物がなくなれば動物も食糧がなくなり全滅してしまうことになる。

 炭酸ガスは大気中にわずか〇・〇三パーセントしか含まれていないが、この少量は生物にとって絶対に欠くことのできないものである。

 太陽のエネルギーによって、植物の葉の中にある葉緑素が炭酸ガスを酸素と炭素に分解して、酸素は空気中に戻り、炭素は根から吸収する水と結合して植物の養分となっている。

 そして動物は、その酸素を吸って炭酸ガスを吐き出し、両者はバランスを保ってきた。

 ところが、近年になって地球が何億年もかかって堆積した地下の化石燃料を、わずか百年ほどの間に燃焼してしまおうとしている。

 何億年間に蓄えられた光合成の成果を、瞬時に燃やすことによって、空気中の酸素は多量に消費され、炭酸ガスの量は急激に増加するものと思われる。

 地球全体から考えればたいした量でないかもしれないが、日本の上空の気流は、赤道を西に進み、インド洋から北上、そして東方に向きを変えて日本上空に達し、さらに東に進み、太平洋の東端から南下し、赤道に沿って西方に流れるコースを循環している。

 また、日本の北方においてもその逆の空気の流れがあり、日本上空の空気は永久に日本上空を循環することになる。

 日本で発生した悪い空気は、永久に日本上空にあることになるのである。

 このように考えると、戦後、特に多くの化石燃料を消費した日本上空の炭酸ガスの濃度は、非常に高くなったのではないだろうか。

 そのうちの一部は、雨等によって溶かされて海水となったものもあるだろうが、昭和五十三年冬の異常気象も、この炭酸ガスの赤外線吸収によって起こされたものでないかと思われる。

 それ以外に化石燃料の多用によって、空気中に炭素粒子、または硫黄の酸化物等によってスモッグを発生し、さらに窒素酸化物によって光化学スモッグも発生し、心臓や肺などの病人が多発し、死者も出たことが報告されている。

 このような間接的な殺人も、工場の善良な人々の営み、または自動車の排気ガス等によって心なくも発生した公害のしわざであろう。

 その元凶はといえば、それらの機械を設計した科学者、技術者が、便利さと利潤を主眼におき、そのきたるべき結果を考えなかったことにある。

 精神の伴わぬ科学と言っても、悪意をもってやったことではない。

 自分の設計した機械を使用した十年後、五十年後のことに思いを馳せなかったことにある。

 薬公害にも、また同じことが言える。

 日本においては終戦後に黄色い煙、青い煙等が工場の煙突からもくもくと出ているのを見て、日本の工業と経済は復興せりと、拍手を送った日もあったが、それは同時に、工場近くの家々から、洗濯物が汚れるからなんとかしてほしいと願い出があっても、聞こうとしなかった責任者が多かった時代である。

 昭和の初めに、電車から見た大阪の神崎川のきれいな水も、戦後は年とともに赤くなり青くなり、ついには黒い異臭を放つドブ川となり果て、戦前にいたシジミ、ドジョウ、フナ等はそのヘドロの中に消えてしまった。

 河川に汚水を流すのは、自分ひとりぐらい、一社ぐらいなら大勢には影響しないだろうという安易な気持ちの人々であり、それが大きな汚染となった。

 人間はひとりひとり個別の存在であるが、それが集まって何十億の人口となる。

 自分ひとりぐらいはいいだろうと思う気持ちが、全国民全人類ともなれば由々しき重大事となる。

 自分の行なう些細
(ささい)なことが世界中ではそれが何億倍、何十億倍としてはね返ってくることを忘れてはならない。

 ひとりひとりの善行が、そのまま全世界の人間の行ないとなれば、全世界の平和にそのまま結びついてゆくことにもなる。

 生産の科学者を担当している人々は、自覚の度を高めて、自分のいま設計しているものが働きだしたとき、排出した気体は空気にどのように影響するのだろうか、廃水は河川をどのように汚すのだろうかと、自分の作った機械の行く末を、つぎのつぎの時代まで、第二次第三次の公害が絶対に起きぬように、最初から心がけるべきである。

 科学的に作られた便利なものは、人類を不幸にすることもある。

 たとえばダイナマイトは土木作業には大きく貢献するが、これはそのまま人の殺傷道具となった。

 飛行機は平和時には重宝な乗り物であっても、戦時には最大の武器となる。

 
ところが、超能力、超常現象にみられるような念力は、けっして人を不幸にする方向には働かない。

 自分だけの利益のために、人を呪(のろ)い、人を不幸にしようとする念力は、絶対に伝わらない。

 それどころか、その念力ははね返ってきて、自分を害することになる。

 ことわざにもあるとおり、

 

 『人を呪わば穴ふたつ』

 

 で、自分のよこしまな欲望によっていくら呪っても、相手の人は不幸にはならない。

 いままで私が体験した数多くの奇跡は、欲望のあるときには起きていない。

 大きな奇跡ほど、周辺の人々の全員が清い無欲の精神のときに起こっている。


 テレビ放映のための撮影でも、ディレクター、カメラマンそして実験者に欲望のある間は、何時間でも奇跡は起きず、全員がもう駄目だ、とあきらめきったときに偶然発生している。

 科学で作られた兵器は、どんな悪い指導者でも思いどおりに駆使できるが、超常現象を実現する精神的なエネルギーは、精神の悪い人には絶対に使用できない。

 どんな大きなエネルギーでも平和的にしか使えず、研究開発がいかに進んでも公害を起こしたり人を不幸にすることにはならない。

 科学的な研究はさらに高度に進展させなくてはならない。

 現代の科学がもう一段進歩すれば電子、光子の構成も明らかになるだろう。

 そのころには、生命現象の一端が解明できるかもしれない。

 科学研究者は、新しい研究を人より少しでも先に発表し、自分の名声を高めようとする眼前の欲にとらわれて、人類を含むすべての生物に不幸を与えるような研究でも平気で行なっている。

 このような科学者は進まないほうが生物にとって幸せである。

 
精神が伴わぬ科学は、真の科学とは言い難く、真の科学とは生物に繁栄を与えるものでなくてはならない。

 二十世紀前半の日本の国立大学は、象牙(ぞうげ)の塔とまで称せられた高邁(こうまい)な精神のものであったが、戦後の大学には、小説

 

 『白い巨塔』

 

 のようにみにくい泥沼の様相を呈しているところもある。

 ある学位論文の審査のとき、仲の悪い先輩の教授のところへ、後輩の教授が友人の論文を提出した。

 先輩の教授は内容も見ず、文法に間違いがあるからこの論文は通さないとはねつけ、没としてしまった。

 それも文化系ではない工学の技術系の論文である。

 それを恨んだ後輩の教授は、つぎに先輩の教授主査で提出した論文に対し、同じように文句をつけて絶対反対を主張し、ついにその論文をも通さぬことにした。

 そして、その後輩の教授は論文の執筆者に、

 
『あなたには何のうらみもないが、私はどうしても先輩の教授に対して仇を取りたかったのです。

 許してください』


 と伝え、本人は大学を退学してしまったそうである。

 この部類の人間は、学問が何であるのか、研究が何であるのかがわかっていない。

 また、人間の道義とか、学問の進歩には無関係の低俗な精神の持ち主であるとしか思えない。

 真に仕事のできる人、研究のできる人物であれば、自分の力によって他人をも幸福にしたいと念ずるだろうが、小さい心の人は、自己保全のために、他人を突き落としておかねば安心できないのかもしれない。

 最高学府の教授は専門的な知識と同時に、その高潔な人格のゆえに語らずして人を引きつけるものでなくてはならない。

 道義心を持たぬ科学者の研究は、悪の道具にもなりかねない。

 薬だと思って飲んだものが、重大な後遺症をもたらす毒薬である場合も多い。

 防腐剤や、消毒薬または甘味料が発ガン性物質であったこともある。

 自動車、飛行機用のエンジンもしかり。

 便利さだけのために開発したものが、全生物に不幸を与えることになる。

 研究者、発明者は自分の開発したものが使用されたときの、つぎの結果を考えねばならない。

 囲碁、将棋のように五手先、十手先を読んでから、事を起こすべきである。

 
自然科学も、医学も、さらに高度の研究を続け、自然のなり立ちや生命現象の根本を知らねばならない。

 しかし、そのとき忘れてはならないことは、その新しい科学によって人類をはじめ、全生物を不幸にしてはならないということである。


 科学者および発明家は、新しい発明発見を世界のトップに発表したい欲望を持っている。

 たとえば、殺虫剤のものすごく強力なものができたとすれば、その特許をとり、一流の大会社から売り出そうとする。

 しかしその薬剤が土や水に入り、植物が吸収した後のことを考えない。

 その植物を人間や畜類が食したとき、体や遺伝子に大きな影響を与えることを無視して一般に使用させようとする。

 学者の中には、人間がどのように空気や水を汚しても、それをきれいにするバクテリア等が自然に発生し、元のようにきれいにしてくれるよ、心配ないという人がある。

 この考えでよいのだろうか。

 地球で汚染した空気と水は地球より外部へは出てゆかず、永久に地球の上を覆っている。

 何十万年、何億年の間には、またよくなることもあるだろうが、千年、百年単位の短い時間では、どうすることもできない。

 人間の誕生以来、わずか三百万年足らずである。

 そして現代の文明が生まれてからはたかだか百年ぐらいである。

 そのわずかの時間に、地球の空気は極端に汚され、硫黄化合物や窒素酸化物のために松の木は日本の山から消え去ろうとしている。

 小川には昔は無数にいた魚も、ホタルもそしてきれいな秋の野を飛んでいた赤トンボも、今は見るかげもない状態となってしまった。

 地下資源の化石燃料を、あまりにも無計画に、不完全な技術によって使いすぎたのではなかろうか。

 ガソリンエンジンにしても、実験的に動いたそのままを、排気ガスのことを頭におかず、ただ便利さだけで人間が利用したことによって、このように地球上の空気は汚れてしまったのである。

 科学者たるものは、どんなに便利重宝なものを完成しても、それが絶対に環境を汚染しない保証を得るまでは、それを世に出してはならぬことを誓うべきであろう。

 一時的に非常に便利に思える新製品も、数十年後には生物を死滅させる要素になりかねない。

 一時的に幸福を与えられても、そのために地球上全体の生物が滅亡してしまうようなものであれば、初めから作らぬことである。



科学は人類を苦しめることもある -----

 科学は迷信を打ち破るには大きな力となった。

 しかし、迷信と同時に精神的な真理をも打ち消す結果となった。

 たとえば、人間の輪廻転生は科学的な証拠がないから信ずることはできないとか、精神力はエネルギーとして検出する方法がないからあり得ないとか、ましてやスプーン曲げが眼前で起きてもエネルギーを加えなくて仕事ができるはずがないからインチキだと断言する。

 私の実験においては、金属を念力で曲げる実験を、電気抵抗線ひずみ計を用いて数十回も実験し、その記録を確実に残してある。

 また空中で紙に文字が書かれる実験を数十回も行ない、それを目撃した人々も数百人以上はいる。

 これらの科学的にあり得ないことが事実として残っていても、それをしも否定する人がいる。

 これこそ非科学的だと言うべきであろう。

 そんな理論よりも仮説よりも、事実は絶対的に認めなくてはならないものである。

 不明のことを科学的に考え、未知の事実を究明することこそ真の科学研究者のとるべき途(みち)である。

 医学的研究は、今後、生命現象の基礎まで発展するであろう。

 細胞内部の構造、遺伝子の構成から生命力に関与する部分の究明、そして病気の原因と老化のメカニズム、免疫源の人工生産等、人は病気では死ぬことはなくなり、すべての人々は百歳以上も生きることになるかもしれない。

 そして、生命現象の根本が判明したとき、人々は精神力が大きな働きをしていることを知り、世の中はなごやかな人ばかりとなり、世界は平和となることだろう。

 どんなに必要であっても、その新研究が完成したとき、それが戦争に利用されるようなものは科学者の良心によって拒否するだけの心構えが必要であろう。

 科学技術を主体とした経済成長を図るために天然資源を消費してしまうことは、自分たちだけの幸福を望んで、子孫の使うべき資源をなくしてしまうことになる。

 自分たちだけの幸福を求めるために、子孫が困るようなことをしてはいけない。

 現在の経済成長はそのまま水と空気を汚し、地球上の生物に害を与えているが、今後はクリーンエネルギーの使用により地球を汚染しないような工業を盛んにすることを考えるべきである。

 



初版発行:一九八七年六月二五日
重版発行:一九九三年
著者:政木和三
発行人:赤尾文夫
編集人:新井政義
発行所:株式会社 旺文社
    東京都新宿区横寺町五五
    〇三-三二六六-六三七二(編集)
    〇三-三二六六-六四一四(販売)
印刷:日新印刷㈱
製本:有限会社 市川第二製本所
©1987,Kazumi Masaki
Printed in Japan(303035)
ISBN 4-01-071062-4


 

 

 政木先生とのご縁の始まりは、
昭和五年生まれの私の実父が小学生時代の頃より電気のイロハを教わり、
(実際に、電気ギター制作等々、様々な電気技術のご教授を、家族ぐるみのご近所付き合いの中で個人的に無償で賜ったそうです)
その後、御晩年には、政木先生の素晴らしいご発明品の集大成のひとつとして
“世のため、人々のため”に御余生をかけ陰徳にご尽力なさいました
超強力 神経波磁力線発生器
(改名機器、インパルス磁力線、そして、Mリング。すべての御販売は㈲政木研究所、㈲ケントにて)
の製造に至るまで、数々のお仕事をお世話頂き、
政木先生がお亡くなりになる最後の最後まで、私も含め家族ぐるみのお付き合いを賜わり、
今も尚、心の底よりとても尊敬し、感謝している恩師・師匠です。

 

 

 政木和三先生の廃刊御著書

 

 以前、

2013年3月20日、2015年1月28日、2016年8月4日より
三度に渡って掲載させて頂きました

『精神エネルギー』
~ Spiritual Energy ~

 

を、現状のブログデザインに合わせて
再び掲載させて頂きます。

 

 

 政木先生の御教えである

『目先の欲望を捨て去り、世のため、人々のために尽力せよ!』

との仰せを引き続き継承するため、

今後も少しずつではありますが、

何度も何度も繰り返す、日々の心の学びの礎として、

政木先生の御教えのすべてをこれからも紹介させて頂きますので、

皆様には引き続きのお付き合いの程、

何卒、宜しくお願い申し上げます。

 

深謝

m(__)m

 

<転載終了>