東海アマブログさんのサイトより
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-354.html
<転載開始>
 「前世記憶」=アカシックレコード という概念が本格的に議論されるようになったきっかけは、1980年代はじめ、ブライアン・ワイスによる「前世療法」の出版だろう。

 退行催眠を研究していたワイス博士が、被験者に過去を思い出せと指示すると、生まれる前にまで遡って、過去生の記憶がほとばしり出てきて、人生は、無数の輪廻転生のなかいあることを知るというストーリーであったように思う。
 いくつかのエピソードは、YouTubeに忠実な再現映像としてアップされているので誰でも視聴することができる。(見つからないので近い動画をアップ)

  https://www.youtube.com/watch?v=M062pGPvHmU

  https://www.youtube.com/watch?v=lYt263JCSyE


 この本は、思い出せないほど相当以前に読んだが、私が過去生に関心を抱いたのは、はるかに古い時代で、たぶん子供の頃から、過去生を書いた小説や文芸を読んで感銘を受けていた記憶が微かにある。

 書名やあらすじを思い出そうとしても、なかなか出てこないが、文藝春秋に掲載されていた日猶同祖論なんか夢中になって読んでいて、人類は、とんでもない大昔の過去生から今につながる意識の流れがあるのかもしれないと思ったりしたものだ。

 実は、何よりも、当時、宜保愛子という、とんでもない霊能者=超能力者がいて、テレビに頻繁に出演し、恐ろしいほどの能力によって視聴者をテレビに釘付けにし、過去生や霊界、霊憑依の問題を話し続けていたのだ。
 宜保愛子の力は、日本人の多くに、目に見えない世界があることを確信させるに十分なものであった。
 私も、宜保愛子の存在がなければ、これほど心霊問題を調べようという気にはならなかっただろう。
 私自身についても過去生を思い出そうと努力した時期がある。
 私は首の周りに斬首跡を思わせる明確な筋がついていて、ある時期、自分が絞首台に乗る夢にうなされていたことから、私は過去生で絞首刑に遭っていると確信したことがある。
 今になって、ツイッターなどで執拗な嫌がらせを受けて、殺意が雪原を転がり落ちる雪だるまのように育ってゆくのを自分で感じて、「俺は、こいつらを殺して死刑になるのだろうか?」 なんて思ったりするのだ。

 高橋信次講演に出てくる、数千年前に、ギリシャでアポロやゼウスとともに生きていたという女性の当時の記憶を聞いていると、人の魂の中には、おそらく生命誕生から、滅亡までの、すべての情報が完全な形で含まれているのだろうと信じるしかない。

 http://tokaiama.minim.ne.jp/takahasisinji/a21_2b.mp3

 これを「演技」と決めつける無知でアホな輩もいるようだが、もし、これが演技なら、あまりに凄まじい能力であり、彼女にはアカデミー賞を10個も一度に授与しなければなるまい。
 人の肉体の記憶は数十年前のものでも不確かだが、魂の記憶は
数千年前であっても、まるで昨日のように鮮明な記憶が再現されるのである。

 これらの物理的法則を超越した記憶は、たぶん過去だけでなく、未来に至るまで、完璧に備わっていると考えるしかなく、過去。未来のすべての記憶を総称してアカシックレコードと呼ぶべきなのだろうと思っている。
 過去と未来はは不可逆の方向ではない。魂は自由自在に過去未来を通行できるのではないかと思う。

 だからこそ未来の「予感」が成立するのだ。未来が魂のなかに=アカシックレコードの中に存在するからこそ、予感が成立すると考えるしかないのだ。
 初めて会った人に感ずる特別な思い。親しみや恐怖は、過去生の記憶からだけとは限らない。未来を知っていないと辻褄が合わないこともある。

 実は、私には、やや普通の人より強い「予感」の能力がある。
 若い頃、毎週のように沢登りに夢中になり、情報もないまま沢に入って、稜線に抜けるまで、思いがけない事態がたくさん起きるのだが、沢は源流に向かうほど、たくさんの支流があって、どれが本流だか分からなくなる。
 ここでルートを誤ると、とんでもない恐ろしい目に遭うことも少なくない。
 そこで、分岐した複数の上流の、どれを選べば確実に自分の予定しているルートに抜けられるか? 一種のロシアンルーレットのような状態になる。

 ここで、何か特別な力=予感が研ぎ澄まされるのである。
 私は数十回も経験を重ねるうちに、大きな間違いをしないで勘が働くようになった。これは訓練の賜だろうと思う。予感は訓練によって磨かれる。
 言い方を変えれば、私の魂にあるアカシックレコードにアクセスして、安全なルートを知ることができたということになる。

 それだけでない。私は、いつもではないが、ときどき、未来の光景が目に浮かぶことがあり、多くの場合、それが本当に実現してしまう。
 このときは、ある種の感情が伴っていることが多い。
 今、住んでいる中津川市も、移住の半年も前に、自分が中津川に移住することが分かっていた。最初はスーパーハウスに住んだのだが、その光景がありありと目に見えたのである。

 ところが! それから、しばらくして私が、バイクを運転中に大型トラックの後輪に巻き込まれる予感があった。私の青いバイクが後輪に轢き潰されるリアルな光景が映画のように見えた。
 そこで、一度、放棄した自動二輪免許を再取得していたのを、やめてしまった。今のところ、映像に見えた青いバイクは私の元には存在しない。

 実は、自分はバイク事故で死ぬのだと覚悟していたのだが、それから十数年経ても、それは起きない。今あるバイクは白い色だ。
 結局、実現しないリアル予感もあるのだと思った。すなわち、未来は変えられるのだと。

 宇宙人のチャネラーと称するバシャールは、釈迦とほとんど同じことを言う人だが、彼は、我々が無限数のパラレルワールドに生きていて、心のカルマ次第で未来をどんどん変えてゆくことができると語っている。
 バシャールを金儲けに利用したい人がいて、今ではYouTubeで生の話を聞けなくなってしまっているが、解説用の字幕動画はたくさん出ている。

 釈迦もまた、無量大数(無限)の宇宙があって、人は心に応じて、必要な宇宙を選んで生きてゆくと言っている。
 となれば、私はバイクでトラックに巻き込まれる運命の世界からワープして、生き延びる運命の世界を選んだことになるのだ。

 ということは、アカシックレコードもまた、無限の数だけ存在することになり、このあたりややこしくて理解の範疇を超えている。
 まあ「全智」とでも考えておけばよい。

 少し話題を変えるが、2001年6月池田小学校児童8名殺人事件を起こした宅間守は、事件当時28歳、死刑判決が確定したのが、2003年9月26日、死刑が執行されたのが2004年9月と、異例の早さであった。
 普通は死刑確定後、5~10年を経て、自分の犯した罪を自覚させた段階で執行するのが通例だが、宅間は確定後、わずか1年で執行された。

 これを聞いて、私は非常に恐ろしい予感を抱いた。

 これは、つい最近起きた事件で、当初、死者は8名と報道されていた。犯人は宅間と同じ28歳だった。
http://blogos.com/article/294939/

 実は、宅間が処刑されてから、主に中国で、児童が8名殺害される事件が数回起きている。今、ネットで過去ログを探してるが、なかなか見つからないのだが、記憶では学校での8名児童殺傷事件が3回起きている。

 こうした事件が起きるたび、児童8名死亡というニュースを目にした瞬間「宅間だ!」と私は叫ぶのだ。
 死刑になった宅間が、浮遊霊としてさまよい、自分に似た波動を持つ人物に取り憑き、自分の怨念を実行して、8という数字によって宅間であることを誇示するのである。

 「だから死刑はやめとけ!」と私は言い続けてきた。
 人は肉体は死んでも魂は死なない。過去から未来永劫に生き続けるのである。
 宅間のカルマは殺されたくらいで消えるものではなく、その殺し方も最悪のものであった。獄中で、自分のカルマに向き合う時間も与えないまま、死刑という最悪の方法で肉体を離脱させ、恨みと殺意にに凝り固まった悪魔の魂を、そのまま世に放ったのだ。

 宅間の本当の正体を知ろうと思えば、それこそ数千年前からのアカシックレコードを引っ張り出して、過去生で何が起きたのか知る以外にカルマを理解することは不可能だろう。
 すべての怨念と怒りを背負ったまま、自分を見つめる時間さえ奪われ殺されたのであるから、正真正銘の悪魔になってしまっている。

 人は死なない。肉体は死滅するが、まるで蛇が抜け殻を脱出するように、新しい肉体で魂が持続する。
 肉体を持つ理由は、カルマの解消である。人が、己のカルマを克服してしまうことができれば、おそらくもう新たな肉体を必要としない。

 このカルマというものは、アカシックレコードに完全に記憶されていて、我々は自らのカルマと戦うために、この世に繰り返し肉体を持つのだといえよう。
 カルマの秘密は、自らのアカシックレコードを思い出せば分かる仕組みである。
 宅間守に対して、本当に必要だった姿勢は、彼のアカシックレコードを解明することであり、社会への見せしめのために殺害することではなかった。
 死刑制度は間違っているのである。 

<転載終了>