本山よろず屋本舗さんのサイトより
http://motoyama.world.coocan.jp/
記事とは無関係ですが、今の時間にカラスが数羽異様な声で鳴いています。
用心する必要があるかもです。
<転載開始>
 今回の記事は、『エイリアンインタビュー』の続編です。
 『エイリアンインタビュー』の記事を読まれていない方は、まずそちらを読んでいただければと思います。用語の解説もそちらを参照していただければと思います。

 『エイリアンインタビュー』は、私にとって衝撃でした。
 今までたくさんのチャネリング本を読んできましたが、正直なところ、あれは何だったんだという気分になりました。
 人類が今、大きな変革期に直面しているというなら、どうして地球がET達によって魂の流刑地として扱われていたという事実を言わないのでしょうか。
 神秘家ゲリー・ボーネルさんは、魂の目的は創造の観察だと言いました。サアラさんは、魂の目的は創造の可能性を追及することだと言っています。
 こうした魂の目的を果たすには、魂の能力を自由に発揮できる環境が必要です。
 しかし前世の記憶が消去され、催眠療法で刷り込みを行って人間に生まれ変わらせる輪廻という魂のリサイクルシステムでは、魂はその能力を発揮できないか、大きく制限されてしまいます。
 まさに魂の監獄です。
 人類の新たな目覚めを言うなら、こうしたシステムが存在することを伝え、いかにしてこうしたシステムを打破するか。そして魂本来の力をいかに発揮すべきかという視点で語るべきだと思うのです。
 しかしながら私が知る限りでは、こうした魂の監獄システムを指摘したのは、サアラさんと『エイリアンインタビュー』だけです。
 今にして思えば、多くのチャネリング本は、一番大事な議論がすっぽり抜けていて、それで上辺だけの人類の変容を語っていたように思えてしまうのです。

 『エイリアンインタビュー』は、魂の流刑地といったことだけでなく、様々なことを学べる本です。
 これから折りを見て、『エイリアンインタビュー』で私が学んだことを記事にしていこうと思っています。
 今回は、宗教に関してです。

 エアルは、魂の監獄システムを作る際に、宗教が重要な役割を果たしたと言っています。
 魂を監獄に入れておく為には、生まれ変わりという概念を取り去る必要があります。魂が生まれ変わるという事実に気付けば、なぜ前世の記憶が無いのか疑問に思うはずです。すると、自分達が前世の記憶を消されていて、輪廻というサイクルの中に魂が閉じ込められている事実に気づきかねません。
 監獄システムにとって都合が良いのは、魂が永遠であることを否定すること。もっと都合がよいのは、生まれ変わりを否定すること。さらに都合がよいのは、宇宙の多次元世界を否定することです。つまり、この宇宙には3次元の物理次元しかなく、あの世といったものは存在しないことにしてしまうのが一番都合がよいことになります。

 私は前々から不思議でならないことがありました。
 私のこれまでの人生で出会った人のうち、ある一定の割合で、霊的世界を強烈に否定する人がいました。
 その人の前で、うっかりあの世の話でもしようものなら、怒りだしたりします。あるいは露骨に不愉快そうな顔をして、「俺はそんな世界、信じないんですよ」と言ったりします。
 信じる信じないはその人の自由なので、私にっとてはどちらでもよいことです。
 不思議なのは、その人の生理的な反応です。そんなものを信じるのは、愚か者の極みといった感情剥き出しの拒絶反応をする人が珍しくないのです。
 そういう人の常套文句は、「科学的でない」です。
 今の人類の科学は、3次元を超えた多次元宇宙の存在を理論化できていません(ただし最先端の量子力学では多次元宇宙を理論化するものがあると聞きましたが、詳しいことは私は知りません)。ですから、(一応は)あの世を証明する科学はありません。それはそうなのですが、あの世を否定する理論もないのです。
 ですから科学的と言うなら、「肯定も否定もできない」という立場が正解です。
 しかしそういう人は、感情剥き出しで否定するのです。
 それが私にとって、長年の謎でした。
 その謎が『エイリアンインタビュー』で解けた気がしたのです。
 死んだ魂は地球の電子バリアーで捕らえられ、数億ボルトの電流で生前の記憶を消されてしまうといいます。そして催眠療法で暗示を与えられ、また人間に生まれ変わらせるといいます。
 その催眠療法こそ、「あの世は存在しない」という暗示だと思うのです。心の深層部分の奥底にそうした暗示を埋め込まれた人間は、あの世の話題になると、生理的な拒絶反応に襲われるようになってしまうのではないかと思うのです。
 つまり、あの世を感情的に否定する人は、エアルのいう「旧帝国」の番人による洗脳の度合いが、人一倍激しい人ということなるのだろうと思うのです(あくまでも感情的に否定する人で、理路整然と否定する人は違うかもしれません)。

 催眠療法は生まれる前に行うものですが、生まれた後に行うのが宗教です。
 宗教によって「神」を規定し、「神」こそは唯一の至高の存在で永遠の命があると教えるのです。
 こうした「神」を規定することで、私達一人一人の魂が永遠の命を持つという事実を否定します。
 私はキリスト教についてあまり知らないのですが、カトリックの信者だったマックエルロイ女子は、エアルから魂は永遠と聞いて衝撃を受けたという事実から、キリスト教は魂の永遠を否定している(あるいは積極的に肯定していない)のだとわかりました。
 また、キリスト教は善行を積めば天国に行けると言っているので、あの世自体は否定していないことがわかります。しかし、生まれ変わりは否定しているようで、ずっと天国で暮らすことになっているようです。
 サアラさんが指摘していますが、天国と地獄といった概念を持った魂は、幽界でインターセプトしやすくなるといいます(魂の監獄システムに捕まってしまうこと)。
 キリスト教の信者は全世界で20億人というのですから、こうした宗教の力は絶大です。

 ゲリースクールにいる時に聞いた話ですが、初期の聖書には、イエスの生まれ変わりが克明に記されていたそうです。それが後の時代に、すっぽりと削除されたそうです。これは生まれ変わりを否定したい「旧帝国」の番人のオペレーションでしょう。

 前置きが長くなりました。
 高校の世界史の教科書で、古代エジプトに関する記述です。


 ・・・<高校の世界史の教科書から抜粋開始>・・・

 前14世紀には、アメンホテプ4世(イクナートン)が、従来の神々崇拝を禁じ、アトン一神の信仰を強制し、テル=エル=アマルナに遷都した。この改革は王の死によって終わったが、一時的にもせよ、古い伝統を破り、エジプトにはめずらしい写実的な美術をうんだことが注目される。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 これは高校の教科書には必ず出てくるので、世界史の大きな出来事であったという認識は歴史学者の間でも共通しているのだと思います。
 エアルによると、「旧帝国」の番人達によって宗教は魂の監獄システムを維持するものとして利用されていたといいます。
 古代エジプトではアモン信仰の神官達がその役目を担っていました。当時は多神教でアモンの神々と一般の人々を仲介するのが神官達でした。彼らは神々は不老不死の崇高な存在であるとして、一般の人々の魂の不老不死を否定することに成功していたといいます。
 そうした教えを覆す役割を背負ったのは、イクナートンだったといいます。
 イクナートンは偶像・多神崇拝のアモン信仰を否定して、太陽円盤に象徴される唯一神アトンを神とするアトン信仰を人々に強制しました、
 その様子を『偉人たち』(徳間書店)から抜粋します。
 文中でイクナートンはアクナトンとなっています。

 ・・・<『偉人たち』、p137~p138から抜粋開始>・・・

 地球の全歴史を通じて、《グッドリー・カンパニー》すなわち崇高な魂たちの集団は、無限なる父の意思に基づいた偉大な計画を成就させるために、群をなして転生を続けてきていた。そして、新しい都での統治を開始したアクナトンの周囲には、彼とともに、この世界に巣くっていた誤った教えを一掃し、世界の大改造という巨大事業を促進すべく、当時の地球に存在した最も偉大な魂たちが集合していた。
 アクナトンは、「ラーであり太陽である王」と呼ばれたが、それは、彼が、この惑星を救済するために他の世界からやって来ていた魂の一団のリーダーであったことを、如実に物語る称号だった!

 ・・・(中略)・・・

 アモン神の祭司たちは、激しい屈辱を味わっていた。彼らの神殿は汚され、偶像は破壊され、宝物庫は空っぽになっていた。エジプトの富も他国からの富も、テーベではなくアケトアトンに流れ込んだ。邪悪な祭司たちと彼らの教義は滅びつつあり、彼らの悪影響は、新しい夜明けによってほとんど排除されていた。ただし、完全にではなく、ほとんどである。なぜならば、アクナトンが亡くなる直前アモン信仰はその醜い姿を不死鳥のように蘇らせ、人類の進歩のもう一つのサイクルを生き続けるに十分な生気を取り戻すに至ったのである!
 アクナトンとアトン(唯一神)信者たちは、一部の学者たちが指摘しているように、太陽そのものを崇拝したわけでは決してない。一つひとつの魂が太陽からの一本の光線のようであり、その天体は、神の愛(熱)と叡知(光)を象徴していた。それは、創造の霊の世界の中にある、目に見える物理的なシンボルだった。
 ここで、アトンという言葉から「アトーンメソト(訳注=腰罪、神との和解、または神人合一)」という言葉が派生した、という事実を明記しておくべきであろう。また、アモン(アメソ、アムン)という言葉からは「アーメン(訳注=しかり、よろしい)」および「アメンドメント(訳注=改心、修正)」が派生した。アトン信仰は、信者たちに、神のあらゆる創造物との調和と、それを通じた神自身との一体化を促すものだった。一方、アモン信仰は、信者たちに常に「しかり、よろしい」と言わせる、つまり、誤った教えによって人々を改心させ、コントロールしようとするものだった。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 ここで少し脱線します。
 ゲリースクールに通った人なら誰でも知っていることですが、イクナートンはゲリーさんの転生です。
 そしてゲリースクール第一期生の中に、アモンの神官であり、イクナートンを暗殺した記憶(転生)を持つ人(女性)がいたのです。
 ゲリーさんは授業中に、その人に向かって、「よくもあの時、殺してくれたな」と言っていました。これはもちろん冗談です。笑いながら言っていました。
 過去生で殺したり、殺されたりは頻繁にあることなので、恨みを持っているわけではありません。
 偶然ですが、私は最近その方と話す機会がありました。その時、イクナートン暗殺のことを聞いたら、「当時は、もう殺すしかないと思い込んでいた」と言われていました。
 世の中に偶然はないと言いますが、自分(ゲリー)を殺した魂が時代を超えて、自分(ゲリー)が開いた学校に入学するのですから、やはりめぐり合わせは面白いと思います。

 では『エイリアンインタビュー』から抜粋して紹介します。
 古代エジプトにおいて、「旧帝国」から任命された神官達が、人々に生まれ変わりと魂の永遠を否定する宗教を布教していました。
 これに対して、そうした教えを打破しようとするオペレーションが試みられます。


 ・・・<『エイリアンインタビュー』、p95~p98から抜粋開始>・・・

 このエピソードの全ては「旧帝国」の行政官たちによって任命されたエジプトの神々に対する攻撃と反乱として画策された。この戦争には人類に埋め込まれた、注意をたくさんの「神々」とそれを「管理」していた神官たちが要求した迷信的な儀式、崇拝に意識を集中させた偽の文明の要素から人類が解放されるのを援助する意図があった。それら全ては「旧帝国」による、地球のIS-BEたちに対する自分たちの犯罪行為を隠すための精神操作の一部である。

 神官という地位、または看守たちは、個人とは生物的な体でしかなく不死のスピリチュアルな存在ではないという観念を強めるために役に立った。個人にはアイデンティティーはない。個人には過去生はない。個人には力はない。神々のみが力を持っている。そして神々とは神官たちの企みであり、彼らが人と、人が仕える神々との間を仲裁する。従わないと永遠に続くスピリチュアルな罰で脅す神官たちの命令に対して人は奴隷である。

 全ての囚人が記憶喪失者であり、神官たち自身が囚人である牢獄惑星で他に何を期待することができるのか? ドメイン勢力による地球への介入は、未だに機能し続けている「旧帝国」のマインドコントロール・オペレーションのために完全に成功はしていない。

 宗教的な征服を通して「旧帝国」勢力とドメインの間に戦争が行われた。紀元前1500年とおよそ紀元前1200年の間にドメイン勢力は、個人の不死のスピリチュアルな存在という概念を地球の複数の影響力のある存在たちに教えることを試みた。

 そのうちの一つの事例は、その概念のとても悲劇的な誤解、誤訳と誤用という結果をもたらした。その観念は歪められ、皆がIS-BEであるという真実の代わりに、IS-BEは一人しかいないことを意味するというように適用された! 明らかにこれは酷い理解力の無さであり、自分自身の力に対して責任を負うことに対して完全に不本意であったということである。

 「旧帝国」の神官たちは、個人の不死という概念を、全能なIS-BEは一人しかおらず、他の誰もIS-BEでないし、それになることも許されないという観念にうまく変造することができた。明らかにこれは「旧帝国」の記憶喪失オペレーションの仕業である。

 この改ざんされた考えを、自分の人生に対して責任を負いたくない者たちに教えるのは簡単である。奴隷とはそのような存在である。創造、存在と自分の思考と行動に対する個人的な説明責任に関する責任を他人にとらせる選択をする限り、その者は奴隷である。

 その結果、一つの一神教的な「神」の概念がもたらされ、多くの自らを預言者と称した者たち、例えばユダヤ人の奴隷たちの指導者モーゼ、によって布教された。モーゼはファラオ・アメンホテプ三世と彼の息子イクナートン、イクナートンの妻ネフェルティティ、それからイクナートンの息子ツタンカーメンの王室の中で育った。

 地球の特定の存在たちに、彼ら自身がIS-BEであるという真実を教えるという試みは、エジプトではアモンの神官たちとして知られている「蛇の兄弟たち」と呼ばれる「旧帝国」の密教的カルトによって創造された架空の、隠喩的で、擬人化された大勢の神々を打倒する計画の一部だった。彼らは「旧帝国」内部ではるか古代から存在する秘密社会だった。

 ファラオイクナートンはあまり賢い存在ではなかった、また自分を美化するという個人的な野心に大きく影響されていた。彼は個人のスピリチュアルな存在という概念を改ざんし、その概念を太陽神アテンに体現させた。彼の惨めな人生はすぐに終わらされた。彼は「旧帝国」勢力の利益を代表していたアモン、または未だにキリスト教徒たちが言う「アーメン」、の二人の神官マヤとパレネフェルの手によって暗殺された。

 「唯一神」という観念はヘブライ人の指導者モーゼにより、彼がエジプトにいた間に不朽のものにされた。彼は、自分の人々であると選んだユダヤの奴隷たちと一緒にエジプトを去った。彼らが砂漠を横断している時に、モーゼはシナイ山の近くで「旧帝国」の工作員に止められた。モーゼは催眠暗示とIS-BEを捕縛するために「旧帝国」が頻繁に使う技術的、感覚的幻覚の使用を通して、この工作員が「その」唯一神であると信じるようにだまされた。その時から、モーゼの言葉を暗黙のうちに信頼していたユダヤの奴隷たちは、彼らが「ヤハウェ」と呼ぶ一つの神を崇拝してきた。

 「ヤハウェ」という名前は「匿名」という意味である。なぜならモーゼと「協力した」IS-BEは実際の名前、または自分の身元を特定する、または記憶喪失/牢獄オペレーションの隠ぺいを暴いてしまうようなものは使えなかったからである。この秘密裏の記憶喪失/催眠術/監獄システムが絶対にやりたくないことは、地球のIS-BEたちに自分たちを公然と明らかにすることである。彼らは、それが囚人たちの記憶を回復させてしまうと感じている。

 これが、宇宙文明の工作員と人間の間の物理的な遭遇のあらゆる痕跡がとても入念に隠され、偽装され、隠蔽され、否定するか、誤った方向に向かわせられる理由である。

 この「旧帝国」の工作員は砂漠の山の頂上でモーゼと接触し、「十の催眠暗示」を彼に言い渡した。これらの命令はとても強硬な言葉で表現されており、IS-BEを操作者の意思に対して完全に従属的にさせる。これらの催眠暗示は未だに効果があり、何千年後も何百万というIS-BEたちの思考パターンに影響を与えている。

 ついでだが、我々は後に、このいわゆる「ヤハウェ」は旧約聖書の文書を書き、プログラムし、暗号化したということを突き止めた。それを文字通り、または解読された状態で読めば、それを読んだ者たちにさらに大量の偽情報を与える。

 最終的にヴェーダの讃美歌集は、ほとんど全ての東洋の宗教の源になり、仏陀、老子、ゾロアスターと他の哲学者たちに共通する思想の哲学的な源であった。これらの哲学の啓蒙的な影響がやがて「旧帝国」の宗教の残忍な偶像崇拝に取って代わり、優しさと思いやりの真の起源であった。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 エアルのイクナートン評は散々です。
 イクナートンは、「旧帝国」の番人の宗教に対抗したドメイン側の攻勢を担っていました。しかし魂の永遠を説くはずが、太陽に象徴される唯一神アトンを神とするアトン信仰に向かってしまいました。その後モーゼによって、一神教が確立され、それが現代の宗教に色濃く反映されています。
 唯一神アトンを導入したために、それが後に一神教の確立に利用されたというのは皮肉な話です。一神教により、絶対的で永遠不変な「神」の存在が強調され、それが魂の不老不死を否定するかっこうの材料となったわけです(今のキリスト教では、父と子(イエス)と聖霊の3つが一体のものとされ、これが永遠不滅の存在である「神」を体現しているようです)。
 明らかに失敗のオペレーションでした。
 エアルの酷評も頷けるものがあります。

 ここでわかったのは、一神教の隠された意図です。
 繰り返しますが、「神」のみが唯一至高の存在で永遠の命を持つと規定することで、魂が永遠の命を持つという事実を否定(または無視)することができます。それが、人生は一回で、生まれ変わりはないとすることに繋がっているようです。
 一神教の宗教は、そうした教えを人々に刷り込む役割があったようなのです。

 では東洋の宗教はどうでしょうか。
 エアルによると、8200年前にドメイン勢力によってもたらされたヴェーダ賛歌集の教えが東洋の宗教の哲学的な土台になったといいます。
 仏教には、輪廻転生の教えも残っています。
 日本では、その仏教も外来宗教です。仏教の前には神道の元になった土着の教えがあったのだろうと思います。日本では八百万(やおろずの)神々という言葉が残っているように一神教でないことは確かです。
 これは古代エジプトのアモン信仰のような多神教という意味では同じであっても、神官達がやったように「神」を永遠不滅の存在として祭り上げるといったことはありませんでした。
 日本では、自然の中に神聖が宿っているとして、畏敬の念を持つという素朴な教えがそのまま残っている気がします。
 宗教の定義とは、教祖と聖典の2つが揃っていることだと聞いたことがあります。
 キリスト教でいえばイエスと聖書であり、イスラム教ではマホメットとコーランです。
 ところが神道には、その両方がないのです。ですから神道を宗教というのは間違いです。そうした古代の神道に、もしかすると、ドメイン勢力が残したヴェーダの教えの一部が反映されていたのかもしれません。


(2018年6月6日)


<転載終了>