ネットゲリラさんのサイトより
http://my.shadowcity.jp/2018/06/post-13388.html#comments
尾道に行く途中のラジオで知りました。
亡くなられたのは4月24日死因は心不全だそうです。
66歳
池袋の地下コンサート等2回ほど聞きに行きました。
透明感のある声が好きでした。
ご冥福をお祈りいたします。
<転載開始>
野次馬 (2018年6月12日 00:44) | コメント(4)


コメント(4)

【 森田童子-さよなら ぼくの ともだち 】~1975年のライブ~

https://www.youtube.com/watch?v=_KVuJT3Z3z8


 
>カーリー・ヘアにサングラスというスタイルで、コンサートはもちろんレコードジャケットなどでも素顔を見せることはなかった。本名は非公開で実生活についてもほとんど公表しなかった。写真や映像もモノクロが多く、カラーのものはほとんど存在しない。作詞した歌詞の内容は、ありのままの実体験ではなく願望を投影したものであるとしており、普段も寡黙で、独特の世界観を表現した作品に自分の生活感を滲ませることを避けていたとされる。

>学園闘争が吹き荒れる時代に高校で東京教育大学の学生運動と交流があった。高校を中退し、気ままな生活を送っていたが、20歳の時、友人の死をきっかけに歌い始める(この亡くなった友人をモチーフにした曲がデビュー曲となる「さよならぼくのともだち」である。

そうだったのか。
ご冥福を祈ります。
たしか1980年か81年頃だったと思うが
小滝橋通りにあった新宿ロフトへライブを見に行った。

狭い空間の奥で、
レコジャケどおりと言っていいくらい殆ど無表情なまま
ステージは進行してた。
当然、会場内も暗い妙な緊張感であふれてた。

なんの曲だったか忘れたけど、
曲紹介をした後、小さく笑った。
それが新鮮でそれだけでうれしかったことを覚えてる。

http://rooftop.cc/news/2017/04/06175414.php 

享年66、同い年に押井守がいる。
高校生全共闘は家に帰っても家族と闘争しなきゃならない、というのは押井の名言。
孤立無援の世代。

 最初で最後のライブは東京大司教座関口教会の聖マリア大聖堂・・・童子さんってカトリックなんですかね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%82%AB%E3%83%86%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%AB%E8%81%96%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%A4%A7%E8%81%96%E5%A0%82%E9%8C%B2%E9%9F%B3%E7%9B%A4

 すぐ近くに住んでるというのに、行ったのはラジオ体操の子どもの付添くらい。 一度だけ家人に連れられてクリスマスミサを見にいったはずですが、ほとんど覚えていません。
 ものごころついたころ住んでた家の生け垣の隣には灰色の瞳のイタリア人女性修道士が庭にあるアンジェラスの鐘を鳴らすのが見えたりしたものですが、関口教会に出入りする修道女は、いろんな修道会からお見えのようですが、ほぼ日本人だけです。 それも足を運ぶ気にならない理由だったりして、、罰あたりですねw
もりへー | 2018年6月12日 21:21 | 返信

【 森田童子 インタビュー 1975年 「NHK若いこだま」より 】~聞き手・PANTA(頭脳警察)~

https://www.youtube.com/watch?v=8pPZlLf5pwc

【 ミックスリスト - 夜行① 】~夜行②・夜行③・森田童子 スタジオライブ 他~

https://www.youtube.com/watch?v=tyS0CkPMPxo&list=RDtyS0CkPMPxo&t=75

>1980年11月20日~24日に、池袋・三越裏空地の500人収容の黒色テントで行ったコンサート「夜行」のドキュメンタリーで、当時の東京12チャンネル(現テレビ東京)で、放送された「青春の日本列島~森田童子 ラストワルツ~」という番組。

<転載終了>