さてはてメモ帳さんのサイトより
https://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/26a96a8395b531898775f6900c538985
<転載開始>
大半の国民はもちろん、キッシンジャーにも嫌われているようで、次から次ですナ。そのうち、サリン事件も出てくるカネ?証人たちを消しておいたのカネ


ルート5みたいじゃないか?


安倍首相宅放火未遂事件「18年目の真実」●山岡俊介(前編)
安倍事務所が暴力団に通じる人物に選挙妨害を依頼していた決定的証拠! 「安倍代議士に選挙妨害を報告」の記述も
 リテラ 2018.07.06
http://lite-ra.com/2018/07/post-4108.html

嘘と開き直りでモリカケ問題に蓋をして、厚顔にも3選を狙っている安倍首相。しかし、そのダーティな本質はいくら隠しても隠しおおせるものではない。ここにきて、とんでもないスキャンダルが新たに浮上した。それは、リテラでも何度か記事にしてきた安倍首相の地元・下関の自宅が18年前、工藤会系暴力団組長らに放火された事件に関するものだ。

 実はこの放火事件には、安倍首相の事務所がこの暴力団組長らと通じ、一緒に逮捕された前科8犯のブローカーに対立候補の選挙妨害を依頼。ところが、安倍サイドが見返りの約束を破ったため怒ったブローカーが暴力団を使って、犯行に及んだという裏があった。

 これだけでも大問題のはずだが、根拠が証言にとどまっていたためか、この一件は、休刊した月刊「噂の真相」などごく一部のメディアしか報じていなかった。

 ところが、今回、その決定的な物証が出てきたのだ。

 決定的な物証とは、当時、安倍事務所とこのブローカーが交わしていた3通の文書。そこには、安倍事務所が選挙妨害工作を依頼していた事実はもちろん、安倍首相自身がこのブローカーと会い、選挙妨害工作の見返りについて密談していたことを示す記述もあった。

 つまり、選挙妨害という犯罪をめぐる裏交渉に安倍首相自身が直接、関与していたというわけだ。しかも、相手は暴力団と深いつながりのある人物である。

 この文書の存在をスクープしたのは、ジャーナリスト・山岡俊介氏。安倍事務所による選挙妨害事件は、前述したように、休刊した月刊誌「噂の真相」が最初に報じたのだが、そのとき、現地で取材を担当したのが山岡氏だった。山岡氏は「噂の真相」休刊後も、この問題を追い続け、最近になって、出所してきたこのブローカーに直接取材。自らが主宰するウェブメディア「アクセスジャーナル」で報じたのだ。


 リテラでは今回、安倍首相の犯罪関与の決定的証拠であるこの文書を公開するとともに(上写真)、改めて山岡氏に疑惑の全貌をレポートしてもらった。
(編集部)

●安倍首相宅を放火した工藤会系暴力団と「安倍先生の支援者」を名乗る男

 筆者は、この問題を15年にわたり、取材してきた。そして、この6月、安倍事務所から選挙妨害の依頼を受け実行に及ぶも、裏切られて放火未遂事件を引き起こした主犯、小山佐市に2回にわたりインタビューすることに成功。安倍首相自身が選挙妨害という犯罪に直接関与している物証をつかんだ。

 その具体的な内容を紹介する前に、まず事件の背景を説明しておこう。問題の発端は2003年、当時、自民党幹事長だった安倍晋三の地元・下関で、6人の男が福岡県警・山口県警の合同捜査本部に逮捕されたことだった。容疑は、下関にある安倍の自宅に火炎瓶を投げ込み、車庫の車3台を全半焼させたという「放火未遂」容疑。逮捕されたのは、特定危険指定暴力団「工藤会」系暴力団組長と組員、そして、前述の元建設会社社長でブローカーの小山佐市だった。

 しかし、この逮捕劇は不可解なことだらけだった。事件が起きたのは3年も前。発生当初から地元では事件が噂になっており、安倍の北朝鮮に対する強行姿勢から北朝鮮関係者の犯行ではないかというデマも流れたが、なぜか当の安倍事務所や山口県警は一切沈黙。新聞やテレビもまったく報じていなかった。

 ところが、それから3年経って、いきなり容疑者として暴力団関係者が逮捕されたのだ。しかも、主犯と目される元建設会社社長・小山は前科8犯、地元では公共工事や土地買い占めに暗躍して手数料を稼ぐブローカーとして有名で、「わしは安倍先生の熱心な支援者」と公言している人物だった。

 筆者は、事件発覚後、すぐに「噂の真相」編集部の依頼で、下関に入ったのだが、ほどなくとんでもない裏があることがわかった。逮捕前に小山と接触していた地元関係者に取材することができたのだが、この地元関係者が、小山から直接、「あれ(安倍宅への放火事件のこと)はわしが工藤会にやらせた」「選挙妨害を頼んでおきながら、安倍事務所が約束を守らんかったからや」と聞かされていたことを証言したのだ。

安倍事務所が子飼い市長を当選させるため依頼した選挙妨害と見返りの約束

 小山の言っていた「選挙妨害」とは、1999年の下関市長選でのことだった。この市長選では現職市長の江島潔(現・参院議員)と元市長の亀田博(現・下関市市議会副議長)、元国会議員で野党系の古賀敬章(のちに衆院議員、引退)が立候補していた。



 このうち、現職市長の江島は父親の代から清和会や安倍家との関係が深く、その後、安倍のバックアップで参院議員になった典型的な子飼い市長。この市長選でも、安倍の秘書が選対本部長をつとめるなど、安倍事務所あげて支援していた。しかし、今回の市長選は野党系の古賀が追い上げており、結果はどう転ぶかわからないといわれていた。

 そこで、安倍事務所は工藤会系組長らとともに逮捕された小山に、市長選の対抗馬である古賀を攻撃する怪文書工作を依頼したというのだ。

 小山は前述したように、ブローカー的な仕事をしていたうえ、前科8犯で暴力団にも通じている。こんな人物に大物国会議員の事務所が選挙妨害を依頼していたとは信じがたいが、この地元関係者によると、小山は自分にの古賀の選挙妨害を依頼してきた「佐伯」という安倍事務所の秘書の名前も口にしていた。実際、筆者が調べたところ、当時安倍の事務所に佐伯伸之という秘書は実在しており(後に下関市議に、昨年死去)、小山と頻繁に会っていたことが確認された。

 そして、市長選では、選挙の半年前、と選挙期間中の2回、古賀を攻撃する怪文書が大量にまかれていたこともわかった。ひとつは、週刊誌に掲載された古賀の女性スキャンダルのコピー、もうひとつは、古賀が市長になったら、下関は朝鮮支配の街になる、など、在日差別、いまでいうヘイトスピーチそのものの内容だった(しかも、古賀は在日でもないし、新井と親戚でもなく、完全なデマだった)。

 さらに、別の建設業者への取材で、小山の語っていた「小山と安倍事務所の約束」の中身も明らかになった。下関市では当時、川中地区というところで土地計画整理事業計画が進んでいたのだが、小山は市に大型ショッピングセンターのジャスコを誘致しようとしていた。安倍事務所はこの小山の利権参入計画に協力する約束をしていたのだ。

 ところが、小山が逮捕前、地元関係者に語っていたように、市長選で江島市長が当選したというのに、安倍事務所は一向に約束を果たそうとしなかった。小山は依頼してきた佐伯秘書の上司である安倍事務所・筆頭秘書の竹田力にまで直接掛け合い、念書まで取っていたというが、それでも安倍事務所はのらりくらりと小山の要求をかわし続け、挙句は裏切りの姿勢まで見せたという。

 そこで、怒った小山は知己の工藤会系暴力団組長に依頼し、安倍の自宅に放火させたのだった。安倍首相の自宅以外も、事務所を含め計5度、関連施設に火炎瓶を投げ込ませた。これが筆者がつかんだ、放火事件の全貌だった。

「これがあるかぎり絶対に捕まらん」とブローカーが口にしていた念書の存在

 放火事件の裏には、安倍事務所のとんでもないスキャンダルが隠されていたわけだが、さらに警察関係者に取材を進めると、この事件は、当初、闇に葬り去られるはずだったことも明らかになった。実際、放火された時点で、安倍サイドは小山が犯人であることは察しがついていたはずだが、警察に捜査を依頼せず、山口県警も地元の名士である安倍を忖度して動こうとしなかった。その結果、小山は3年もつかまらなかった。

 それは、おそらく、小山が前述の竹田筆頭秘書がサインしたとする念書をもっていたためだろう。もし事件化して小山が取り調べや法廷で念書を持ち出したら、安倍事務所の選挙妨害が明るみに出かねない、そう考えたのではないか。

 実際、小山は前出の地元関係者にこの念書をちらっと見せ、こううそぶいていたという。

「これがあるかぎり絶対に捕まらん」

 事件から3年経って、小山や実行犯の工藤会系組長らがいきなり逮捕されることになったのも、安倍の地元の山口県警でなく、福岡県警が暴力団・工藤会の一斉摘発をしている過程で、この事実をつかんだためだった。政治家とは関係のうすい暴力団担当の部署が捜査していたため、しぶる山口県警を押し切って、事件化に踏み切ることができたのだ。一応、メンツを立てるために山口県警と合同捜査ということにしていたが、実質は福岡県警が捜査を仕切っていたという。

 だが、経緯はどうあれ、福岡県警が捜査に動いたことで、闇に葬り去られるはずだった安倍宅放火事件は明るみに出た。そして、筆者の取材をもとに、「噂の真相」がトップ特集で、この事件の裏に安倍事務所の選挙妨害依頼があったことを記事化し、大きな話題を呼んだ。


 おそらくこれで一気に火がついて、週刊誌はもちろん、新聞やテレビも安倍のことを徹底的に追及するだろう。筆者も「噂の真相」編集部もそう考えていた。

 しかし、現実は逆だった。どこのメディアもこの記事を後追いしなかったのである。筆者や編集部には、新聞や週刊誌の問い合わせが何件もきたが、結局、報道したマスコミは皆無だった。

 当時、「なぜ記事にしなかったのか」とメディア関係者を問い詰めると、必ず返ってきたのが、「当事者の小山が収監されていて、証言が取れないから」「物証である念書があれば」という答えだった。しかし、他の政治家のケースでは、当事者証言のないまま、記事にしているケースはいくらでもある。実際は、飛ぶ鳥落とす勢いだった安倍晋三に腰が引けたというのが真相だろう。

 実際、2006年10月、安倍第1次政権が誕生したタイミングで、「共同通信」がこの件を記事にしようとしたことがあった。共同通信は拘留中の小山氏に面会し証言を取っていたというが、上層部の判断で結局、記事は潰されてしまった。記事がつぶされたいきさつは月刊『現代』(06年12月号)で元共同記者の魚住昭、青木理のふたりが「共同通信が握りつぶした安倍スキャンダル」と題してレポートしている。

 しかし、そうはいっても、もっと決定的な証拠を提示しなければ、マスコミが動かないのも事実だった。鍵になるのは、小山自身が「これがあるからワシはつかまらん」といっていた念書の存在だった。念書の現物があれば、マスコミも動くだろう、そう考えた筆者はその後もしつこく取材を続けた。

 3年前には、念書にサインしたとされる筆頭秘書の竹田の自宅を2日続けて直撃したこともある。竹田は念書の存在は認めたが、内容は読まなかったとシラを切った。さらに取材を繰り返すつもりだったが、竹田は一昨年に死去し、取材は叶わなくなった。

 拘留中の小山にもアプローチしたが、反応はなかった。小山は裁判でも一切、念書のことは持ち出さなかった。そして、懲役13年の実刑判決を受け、刑務所に収監されたため、その後、小山とは連絡を取れなくなってしまった。


安倍宅放火未遂事件の”主犯”小山佐市への6時間の取材、提示された3通の文書


念書の重要部分


 もはや万策尽きたか、と絶望に打ちひしがれていたが、今年5月、奇跡としか思えないことが起きた。小山から突然、連絡がきたのである。小山は今年2月、13年の刑期を終えて満期出所。以前からアプローチしていた筆者に「真相を話したい」と連絡があったのだ。

 さっそく小山に会って2回にわたり計6時間以上に及ぶ取材を行った。小山はすでに80歳だが、かくしゃくとして、記憶にはよどみがなかった。取材してみて改めて認識したのは、筆者のこれまでの取材内容、「噂の真相」の記事が間違っていなかったことだ。当時、安倍事務所の佐伯秘書から古賀の選挙妨害工作の依頼を受けていたこと、安倍事務所が見返りの約束を反故にしたこと、その約束を書いた念書が存在していることなど、主要な疑惑をすべて認めたのである。

 また、怪文書については、「ゴム手袋して何万部もコピーして、自分も部下と車で回って各家に投函した。佐伯秘書も手伝ったことがあった」と語るなど、当事者しか知りえないディテールも語っていた。

 ただし、小山がまいたのは、女性スキャンダルのほうだけで、「北朝鮮出身」と差別デマ攻撃を行った怪文書については、「あれはワシやない」と否定した。だが、一方で小山はこうも言っていた。

「とにかく、安倍事務所の佐伯秘書が『古賀は朝鮮人で、当選させたら下関は朝鮮に支配される』としきりにいっていた。だからワシも協力したんや」

 ようするに、安倍事務所の秘書が怪文書と同じ差別デマ、ヘイトを口にしていたというのだ。

 しかも、この悪質な選挙妨害は最初から、佐伯秘書の個人的な裁量によるものでなく、安倍事務所や安倍首相も納得ずくのことだったと、小山は言う。

「佐伯に選挙妨害の依頼を受けた時、佐伯では信用できないから(上司で筆頭秘書の)竹田に電話して確認した。その時、竹田は“この件は安倍さんも含め安倍事務所全員の総意”と言うたんよ」

 もちろん、小山の言うことをすべてうのみにすることはできないし、その証言だけでは、これまでの繰り返しで、マスコミは絶対に記事しないだろう。しかし、今回、小山は、筆者がどうしても現物を入手したかった安倍事務所と小山の間でかわした、小山が「これがあるからわしはつかまらん」と言っていたという「念書」を出してきた。

 小山が出してきた文書は計3通。正確には、「念書」ではなく、1通目が「確認書」、2通目は「願書」、3通目はもう一度「確認書」と銘打たれているが、そのすべてに、安倍事務所の筆頭秘書だった竹田力の署名と捺印があった。

 小山は筆者が取材していた通り、下関市長選で安倍事務所の推す江島市長が当選したにもかかわらず、一向に「見返りの約束」を果たそうとしないことに業を煮やし、筆頭秘書の竹田にねじ込み、安倍と直接面会して、見返り条件について秘密会談を行っていた。

 3通の文書はその過程で決まったことを書面にし、署名捺印したもので、市長選挙から4カ月後の平成11年6月17日、6月22日、7月13日の日付が入っている。

 そして、特筆すべきなのは、3通すべてに、安倍首相がこの問題に直接、関与していることを示す記述があったことだ。

 たとえば、冒頭に掲載した画像は1通目の文書だが、そこには〈古賀潰しの件(佐伯氏よりの依頼)も安倍代議士に報告し、代議士含め小山会長とお話をさせて頂きたいと思っておりますと言われた事〉との記述があった。これは、古賀潰し=選挙妨害を安倍首相が知っていたというと明らかな証拠だろう。

 この文書は他にも様々な疑惑をが裏付ける事実が書かれていた。さらに、2通目、3通目の文書にも、衝撃的な記述がある。その具体的な内容については、後編でお届けしたい。また、興味にある向きは、筆者が主宰している「アクセスジャーナル」も読んでいただければ、幸いだ。
(後編に続く/文中敬称略)

(山岡俊介)



オウム死刑囚大量執行は口封じか…検察に全面協力していた井上嘉浩死刑囚の変心、再審請求に怯えていた法務省 リテラ 2018.07.06
http://lite-ra.com/2018/07/post-4109.html

 衝撃のニュースが飛び込んできた。一連のオウム事件で首謀者として死刑が確定していたオウム真理教教祖・麻原彰晃(松本智津夫)死刑囚に死刑が執行され、さらに新実智光、早川紀代秀、井上嘉浩、中川智正、遠藤誠一、土谷正実という計7人の死刑囚にも次々と刑が執行されたのだ。1日に7人もの死刑執行は戦後前例がない。

 死刑の是非についてはあらためて別稿で論じたいが、それ以前に問題なのは、一連のオウム真理教事件にはいまだ数々の謎が残っており、それが解明されないまま麻原死刑囚らの刑が執行されてしまったことだ。

 これについては、被害者遺族からも「疑問や謎をもっと解明してほしかった」という声が上がっているほどだ。

 たしかに、政権にとって今年の死刑の執行は最良のタイミングだった。来年には天皇の退位、新天皇の即位と祝賀行事が続く。再来年は東京オリンピックがあり、国際社会の注目も高まるなか死刑を執行すれば国際的に強く批判されることになる。だから“今年中に”ということは既定路線だったはずだ。

 しかし、それでも、こんなにすぐに、オウム事件の死刑囚13人中7人を一気に執行するというのは異常としか言いようがない。

 しかも、13人の死刑囚のうちなぜこの7人が選ばれたのかもまったく不明だ。たとえば初期の坂本弁護士一家殺害事件の死刑確定囚からはじめたというわけでもなければ、全員が日本最悪のテロ事件である地下鉄サリン事件の確定死刑囚ということでもない。また死刑の確定順かといえば、そうではない。これについて本日午後行われた上川陽子法務大臣の会見でも説明さえなかった。

 オウム事件に詳しい複数のジャーナリストや司法記者に訊いても、何が基準かについては、首をひねるばかりだ。「なんとなく知名度の高い受刑者を選んだだけではないのか。国民栄誉賞の人選じゃあるまいし」と語る記者もいたほどだ。

しかし、もしかしたらこうした疑問を解く鍵になるかもしれない事実がひとつだけある。それは、7人のなかに井上死刑囚が含まれていたことだ。

井上死刑囚といえばこれまでの一連のオウム裁判で、検察のシナリオに沿って、検察の都合のいい証言を続けてきた“最重要人物”だ。

たとえば、17年間の逃亡の末逮捕された高橋克也受刑者は地下鉄サリン事件や目黒公証役場事務長拉致監禁致死事件の関与に関して、「サリンとは知らなかった」「被害者の仮谷清志さんに注射を打つことも知らなかった」と主張したのに対し、井上死刑囚は「サリンを撒くから運転手をするように」「仮谷さんが暴れないようにクスリを打って眠らせることを高橋被告に確認した」と有罪の根拠になる重要な証言をしている。だが一方で井上死刑囚は逮捕当時「(仮谷さんの注射について)高橋は知らなかった」とまったく逆の供述をしていたのだ。

 さらにこの際、麻酔薬を投与した中川死刑囚から「ポア(殺害)できる薬物を試したら死んだと聞いた」とも証言しているが、中川死刑囚はこれを否定。さらにその場にいた元医師の林郁夫受刑者も「井上証言はあり得ない」と証言している。それだけでなく殺害された仮谷さんの長男でさえ、中川死刑囚の殺害示唆を「信じがたい」と井上証言に疑問を呈したほどだ。

 また井上死刑囚は、宗教学者のマンション爆破などが問われた平田信受刑者の裁判においても、事件前に平田受刑者に「これから『やらせ』で爆弾をしかけると言った記憶がある」と事前共謀、計画があったことを証言し、「何も知らなかった」と主張する平田受刑者と対立している。

平田受刑者はともかく、すでに死刑が確定していた中川死刑囚が、殺意を否定するという嘘をつく理由はない。一方の井上死刑囚は、数々のオウム裁判において「これまで誰も知らなかった」新証言を不自然なまでに繰り出し、多くのオウム被告たちを“より重罪”へと導いていったのだ。


検察のストーリーに乗った証言でオウム信者を重罪に導いてきた井上嘉浩

井上証言のなかでもとくに大きかったのが、地下鉄サリン事件における麻原死刑囚の関与の証拠とされた、いわゆる「リムジン謀議」についての証言だった。

 地下鉄サリン事件の2日前の1995年3月18日、麻原死刑囚は都内の飲食店で会食後、井上死刑囚、村井秀夫、遠藤死刑囚ら幹部を乗せたリムジン内で、公証役場事務長拉致をめぐるオウムへの警察の強制捜査を阻止するために地下鉄にサリンを撒くことが提案され、麻原死刑囚もそれに同意したとされる。これが麻原死刑囚の地下鉄サリン事件関与の証拠となったが、しかし、それを証言したのは井上死刑囚だけだった。

 逆に、この井上証言がなければ、麻原死刑囚を有罪とする法的根拠はなかったとの見方もある。

 数々のオウム裁判で「これまで誰も知らなかった」新証言を不自然なまでに繰り出し、多くのオウム事件の被告たちを“より重罪”へと導いてきた、井上死刑囚。だが、他のオウム被告たちの証言はことごとく食い違っており、検察が公判を維持するために描いたストーリーに無理やり沿っているとしか思えないものだった。

 そのため、井上死刑囚と検察との関係をめぐっては、さまざまな疑惑がささやかれてきた。長年オウムの取材を続けてきた公安担当記者の多くもこんな見方を述べていた。

井上死刑囚の取り調べの過程で、検察はオウムへの帰依や洗脳を捨てさせる一方で、逆に検察への逆洗脳を誘導したとみられています。その後、井上死刑囚は、まるで“検察真理教”となったがごとく、検察にとって有利な証言を繰り返し、“有罪請負人”の役割を果たしてきた。オウム事件は多くの信者が関わり、その役割は物証ではなく彼らの証言に依存せざるを得なかった。そしてその見返りとして、ある種の司法取引があった可能性が高い」

 実際、井上死刑囚は、一審ではオウム事件で死刑を求刑された者のなかで唯一、無期懲役の判決を受けている。結局、二審では死刑判決に変わるが、それでも、執行を遅らせる、すぐには執行しないなどというような暗黙の取引があったのではといわれていた。

 だが、今回、井上死刑囚もまた死刑を執行されてしまった。すべてのオウム裁判が終結したことで、もう用無しになったということなのか

 もしそうならとんでもない話だが、実はもっとグロテスクな裏があるという指摘もある。それは、今回の死刑執行が法務・検察による口封じだったというものだ。


井上が再審請求をした日に7人の死刑囚を執行準備のため移送

 前述したように、検察のストーリーに沿って、多くのオウム被告たちを“より重罪”へと導いてきた井上証言だが、その証言内容については、根本から再検証すべきではないかという声があがっていた。

 とくに大きかったのは、3年前、当の司法からも井上証言に疑問符がつけられたことだ。2015年11月、17年間の逃亡の後逮捕された菊地直子氏は、一審では実刑判決だったものが一転、高裁で無罪となる。その際、一審有罪の根拠となった井上死刑囚の証言の信用性についても、高裁は「(井上証言は)不自然に詳細かつ具体的で、信用できない」として認めなかったのだ。

 数々のオウム裁判の方向性を決定づけてきた井上証言の信用性に疑問符がついたことで、司法界やジャーナリストのあいだでも、その他のオウム事件についても再検証が必要ではないか、という声が高まっていた。

 そして、井上自身にも大きな姿勢の変化が現れていた。今年3月14日、まるでそういった動きに呼応するように、自らの事件について再審請求をしていたのだ。弁護人によると「死刑を免れたいわけではなく、事実は違うことを明らかにしたい」と語っていたという。

 そのため、一部では井上死刑囚が再審で、検察のストーリーに沿って虚偽の証言をしていたことを自ら認め、真実を語るのではないかという声があがっていた。

 もちろん、井上死刑囚が再審でこれまでの証言を翻しても判決は変わらない。しかし、もし本当にそんなことになったら、それこそ、麻原死刑囚はじめ、他の死刑判決の信用性が根底からひっくり返り、検察と裁判所はメディアから大きな批判を浴びることになる。また、再審は阻止しても、もし井上死刑囚が本当にそう考えているなら、メディアにそのことを語る可能性もあった。

 法務省はこうした井上死刑囚の変化を察知して、井上死刑囚が真実を語る前に、刑の執行を急いだのではないか。そんな疑いが頭をもたげてきたのだ。そして、井上死刑囚だけがクローズアップされないように、複数のオウム死刑囚を一気に執行した。

 麻原死刑囚以外の6人の死刑囚が執行準備のために一斉に東京拘置所から各地の拘置所に移送されたのは、井上が再審請求をした3月14日のことだった。これはたんなる偶然だろうか。


 もちろん、これらの見方は推測の域を出ない。しかし、タイミングは偶然だったとしても、今回の死刑執行によって、一連のオウム裁判の鍵を握っていた井上が真実を語る機会がつぶされ、井上死刑囚と検察の取引疑惑や、地下鉄サリン事件での「リムジン謀議」をはじめとする数々の“真相”が永遠に封印されてしまったことには変わりはない。

 さまざまな謎を残したカルト事件は、事件首謀者たちの“異様な”死刑執行によって歴史の闇へと消え去ろうとしている。いや、国家権力が葬り去ろうとしているのだ。

(編集部)


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極秘のUS-イスラエルによる核兵器移動が福島の爆発をひきおこした Yoichi Shimatsu
10-2-11


http://mkt5126.seesaa.net/article/237609107.html?amp=1

サバティアン・フランキスト・イルミナティ;全能の目カルトとしても知られる
https://satehate.exblog.jp/7920212/


近畿で避難指示出るなか...安倍首相、死刑執行前夜の上川法相ら宴会で「いいなあ自民党」 J-CASTニュース 7/6(金) 19:54配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180706-00000017-jct-soci.view-000

オウム死刑執行 それぞれの思い抱え拘置生活 毎日新聞2018年7月6日 16時45分(最終更新 7月6日 22時45分)
https://mainichi.jp/articles/20180706/k00/00e/040/299000c

・・「修行の天才」と言われ、教団の「諜報(ちょうほう)省」トップだった井上嘉浩死刑囚は再審請求中だった。担当する伊達俊二弁護士は「1審は無期懲役で、最も執行から遠いと思っていた。遺志を引き継いで、今後は両親を請求人に再審請求を続ける」と話した。・・



<転載終了>