ネットゲリラさんのサイトより
http://my.shadowcity.jp/2018/08/post-13758.html
<転載開始>
満蒙開拓団の悲劇については以前からちょくちょく語られていて、この「ソ連兵相手の性接待」についても森繁久彌が語っていたらしいね。彼は満州放送のアナウンサーだった。色々知っていただろう。
日本敗戦。関東軍のお偉いさんは、とっとと飛行機で日本に帰ってしまった。武器を捨てさせられた兵隊と、最初から武器を持たない満蒙開拓団だけが残された。戦争中に岸信介の隣家に住んでいた人の話によると、岸信介の息子と、その家の息子は同時期に招集されたんだが、岸信介の息子は一ヶ月で退役して戻ってきたそうで、その家の息子は3年半、戻れなかった。
先祖代々、そういう卑劣な家系です。
http://my.shadowcity.jp/2018/08/post-13758.html
<転載開始>
満蒙開拓団の悲劇については以前からちょくちょく語られていて、この「ソ連兵相手の性接待」についても森繁久彌が語っていたらしいね。彼は満州放送のアナウンサーだった。色々知っていただろう。
「『(夫が)兵隊に行かれた奥さんたちには、頼めん。あんたら娘が犠牲になってくれ』と言われた」
今月10日、岐阜市民会館であった証言集会。元黒川開拓団員で、終戦当時20歳だった佐藤ハルエさん(93)=岐阜県郡上市=が話し始めると、空気はピンと張り詰めた。
「白川町誌」などによると、黒川開拓団は1941年以降、600余人が吉林省陶頼昭周辺に入植した。敗戦後、旧日本軍に置き去りにされ、現地住民らによる暴行や略奪を受け、隣の開拓団は集団自決した。
当事者の証言によると、黒川は開拓団幹部が近くの旧ソ連軍部隊に治安維持を依頼。17~21歳の未婚女性15人前後を「接待」に出した。45年9~11月ごろだった。一時期、中国兵の相手もさせた。
都内在住の女性(90)は当時17歳。初めは飲酒の接待と思っていたという。ふとんが多数敷かれた仕切りもない部屋で、他の女性たちと共に暴行された。
逃げようとしたこともあったが、相手にスコップの柄で打たれた。当時のメモを書き写したノートには、「乙女ささげて数百の命守る」「女塾で学んだ大和魂 音をたてて崩れ落(おち)る」などとある。自分たちを差し出した大人が許せず、帰国後、旧黒川村には2回しか行っていない。
日本敗戦。関東軍のお偉いさんは、とっとと飛行機で日本に帰ってしまった。武器を捨てさせられた兵隊と、最初から武器を持たない満蒙開拓団だけが残された。戦争中に岸信介の隣家に住んでいた人の話によると、岸信介の息子と、その家の息子は同時期に招集されたんだが、岸信介の息子は一ヶ月で退役して戻ってきたそうで、その家の息子は3年半、戻れなかった。
私の父は戦中淀橋(今の新宿)に住んでいました。隣が岸信介でした。父は岸の息子と一緒に戦争に行きました。父は3年半で、帰りましたが、岸の息子はたった一か月で帰ってきたと、叔母が話していました。
先祖代々、そういう卑劣な家系です。
【戦後73年】岐阜・黒川開拓団、旧ソ連兵への「性接待」告白「なかったことにできない」 17~21歳の未婚女性15人前後を「接待」に出す★2 、というわけで、例によって2ちゃんねるでは無責任なネットすずめたちがピーチク騒いでおります。ニュース速報板からです。----------------------- こういう事があるので、おいらは「日本はアナタを守らない」と言い続けてきた。そもそも満蒙開拓団そのものが、過剰に生産された日本の人口のはけ口です。戦争をするには必要以上の余剰人口を抱えていないと軍隊が作れない。兵隊になれるのは壮年男子だけなので、それ以外の人間は邪魔。それで捨てられたのが、満蒙開拓団です。いつ、アナタも21世紀の満蒙開拓団にされるかわからないぞ。 ----------------------- 残された満蒙開拓団がそういう仕打ちを受けたのも、そもそもそこに住んでいる人がいる土地に、満蒙開拓団と称して大量の移民を送り込んで、昔から住んでいた人の生計の元を奪ったからだ。戦争というのはそういうものだ、というのは簡単だが、その原因は日本の領土的野心です。 |
満州は関東軍の幹部連中はソ連の侵攻を察知して自分達だけさっさと逃亡しましたね。元々南方に戦力取られて手薄であり、ソ連は容易く電撃的に侵攻できた。防御する兵隊さん足りなくて開拓団から男手が兵隊に徴集された。残ったのは女子供に年寄り。それで逃げ遅れが多発して、絶望して手りゅう弾で集団自決した開拓団もあった。性接待でソ連兵に守って貰う開拓団もあったわけです。
ちなみに、なぜもっと早く告白できなかったのか・・ という疑問をお持ちの方がいるかも知れない。これに対する答えは、保坂正康が言ってたが、辛い記憶や残虐行為の記憶は戦争直後は言えないもので、心の中に封印するのだが、もう後先長くない高齢に至ると、辛い記憶や残虐行為の記憶は最期に誰かに話さないと穏やかに死ねないものだそうです。中国方面で民間人虐殺など残虐行為をやらかした連中は戦後に徹底的に隠蔽を謀るも、死に際になると己のやった悪行に堪えられず、誰かに罪の告白をして精神穏やかにしてから死にたい願望が強くなるそうで、無理に我慢する輩は夜な夜なうなされたり奇行に走る人が居るのだそうですよ。
>戦後、本来は責任を取るべき者がまともに責任をとらず大手をふって政治や経済の中枢にいたのが問題なんだよな
安倍晋三が尊敬する岸信介のことですね。
娘さん(処女)ばっかりじゃないです。
満州からの引き揚げ者のおばちゃんから,私が直接聞いたハナシです。
おばちゃんは広島出身の軍属の奥さんだったんですが,ソ連兵に近所の人ともども捕まって(ダンナさんは少しの間シベリアに連れて行かれたんだったっけか?),おばちゃんがやめとけと言ってるのに,近所の若い奥さんが子どもの食料を少しでも多くもらうために自分からソ連兵の慰安婦をやって…結果,梅毒をうつされてひどいことになって「Iさん…やめとけばよかった…」と。
ロシア人の梅毒はものすごくきつかったそうです。その若奥さんがそれから生きていたか亡くなったのかは聞いていません。
おばちゃんは,子ども3人つれてやっとのことで日本に引き揚げてきたそうですが,まだ赤ちゃんだった一番下の子どもを途中で亡くしたそうです。
ソ連に参戦させるためのお膳立てをしたのはアメリカ
即時武装解除はポツダム宣言によるもの
ソ連も大概ですが、どこにでもアメリカの陰湿な策略が透けて見えます。
【 告白~満蒙開拓団の女たち~ 】~ETV特集・2017年製作、第54回シカゴ国際テレビ賞ノンフィクション・銀~
https://www.dailymotion.com/video/x5wefga
・
>戦前、岐阜県の山間地から、旧満州(中国東北部)・陶頼昭に入植した650人の黒川開拓団。終戦直後、現地の住民からの襲撃に遭い、集団自決寸前まで追い込まれた。その時、開拓団が頼ったのは、侵攻してきたソビエト兵。彼らに護衛してもらうかわりに、15人の未婚女性がソ連兵らを接待した。戦後70年が過ぎ、打ち明けることがためらわれてきた事実を公表した当事者たち。その重い事実を残された人々はどう受け止めるのか。
・
芙蓉録 @Fuyo1945
>1945年8月11日12:00 満洲国首都・新京駅より平壌行きの避難最終列車である第十八便が出発。避難できたのは新京在住者14万人中、約3万8千人(軍関係者家族約2万300人、政府関係者家族750人、満鉄関係者家族約1万6千人、その他若干)
・
岸原さや @sayasaya777
>これに本当に絶望する。敗戦が決定的となりソ連が満州国境を越えてくるのがわかったとき、避難列車に乗せてもらえた日本人は全体の3分の1足らず。軍と政府と満鉄関係者とその家族たちだけ。
・
◆たった独りの引き揚げ隊 10歳の少年、満州1000キロを征く (角川文庫) 文庫 – 2012/7/25 石村 博子 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4041003733?_encoding=UTF8&isInIframe=0&n=465392&ref_=dp_proddesc_0&s=books&showDetailProductDesc=1#product-description_feature_div
黒川開拓団からは餓死者も死者も誰一人出ませんでした。 全員無事に
帰還しました。
>当時のメモを書き写したノートには、「乙女ささげて数百の命守る」「女塾で学んだ大和魂 音をたてて崩れ落(おち)る」などとある。
この様に書き残した、この娘達は大日本帝国の終戦の真相を知って
いるのです。
一部の人はまだ生きているそうです。
本人の話で終戦の真相を教えてもらいたい。
1.終戦後、ロシアへ行って長期間の強制労働に従事したもの
(所謂、シベリア抑留部隊)
2.北朝鮮に残留して帰還しなかった部隊。
3.早速帰還して、今日の反日売国勢力の尖兵と成った部隊。
前の2つはレトパージの対象者。 黒川開拓団は上の1と2の要素を
持った事例です。
終戦73年、平和へ祈り=陛下「深い反省」、
4年連続―平成最後の戦没者追悼式
何を「深く反省」? 陛下
愛信が推察するに
それは、終戦の真相を口にする事が出来なかった事です。
>(アメリカの話)死に体の日本・戦争終結の意思も数度にわたってし
てきている日本に、原爆投下は無意味だった。
此れは嘘話です。
日本軍、満州軍は支那の奥地の重慶を空爆しています。 ここは東京空襲を行った米軍機の基地です。
制空権は日本軍が握っていました。
ロシアの20万人の軍隊侵略を阻止している。 ご存知の通り終戦後8月15日過ぎてからの攻撃です。
【前航空幕僚長の国防問題の掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj10.cgi
記事番号ー53 日本軍は強かった!占守島の戦いで日本を守った士魂精神を受け継ぐ
記事番号ー59 九人の乙女の像【昭和天皇 御製】【香淳皇后陛下 御歌】
占守島の戦い
終戦後にも兵站は十分にあった。
エノラ・ゲイ (通称原爆投下機)は気象調査の飛行機、原爆による上空の気象を調査することが任務だった。
パイロットの証言。
この時期に原爆を空輸する技術は無かった。
アインシュタイン博士が証言している。
即ち、原爆は地上で爆発させて。(地上起爆)
アメリカの空軍や海軍の戦力は劣っていて沖縄攻略さえてこずった、日本海軍の戦艦大和を撃沈するだけの
戦力(弾薬、空軍の戦力)はなかった。 戦艦大和は広島や長崎と同じように日本が爆発沈没させた。
その後に軍艦長門も核爆発で沈没させている。
日本産業の戦後の復興の素早さは基幹産業が温存されていたから。
もう判ると思います。 大東亜戦争を終わらせたのは大日本帝国です。
広島に第1総軍と第2総軍を集結させて原爆で自爆させたのです。
長崎はキリシタンを殲滅するためです。
奈良、京都は何故空襲されなかったのでしょうか。
東京空襲で何故皇居は空襲されなかったのでしょうか。
広島の原爆記念碑の主語になるのは大日本帝国です。
北朝鮮に残置された関東軍は何故帰還しなかったのか。
シベリア抑留の日本軍は何故長期間強制労働に就いたのか。
様々な疑問が残るでしょうが、自分の目と自分の耳で確認して、自分の頭で考えて
様々な疑問の答えを出してください。
参考情報
【前航空幕僚長国防問題のタイトル一覧】
http://aixin.jp/axbbs/kzsj/lbkzsj10l.cgi
【前航空幕僚長国防問題のタイトル一覧】第3巻(最新版)
記事番号ー23 ソ連兵の「性接待」を命じられた乙女たちの、70年後の告白
>要求もされないのに女を差し出すのは第二次世界大戦では日本以外には例はない
70年代の東映映画に、その種の描写が結構出ていましたなぁ。
【NEWS23】 『綾瀬はるか 「戦争」 を聞く』 日本兵が去った後に,…。+【ETV特集】「告白~満蒙開拓団の女たち~」ソ連兵の接待を若い女性にさせた開拓団があった!!
http://blog.livedoor.jp/hanatora53bann/archives/52320193.html#
・
堀内てつお @horiuchitetsuo
>NEWS23「綾瀬はるか『戦争』を聞く」。博多港に引き揚げて来た女性から聞いた信じられない事。日本軍は民間人を置き去りにし我先にと撤退し、その後ソ連人が来て暴行された女性たち。ソ連の収容所を逃げ出し、博多港にたどり着いたが妊娠してしまった女性。福岡ではRKBが一貫して追いかけてるテーマ。
・
【 満州開拓移民と関東軍=取り残された民衆 】~終戦時の開拓移民の1/3にあたる8万人が死去、1.5万人が残留~
https://www.youtube.com/watch?v=8bWRVBMXumg
>「取り残された民衆・元関東軍兵士と開拓団家族の証言」(第44回ギャラクシー賞入賞作品 NHK ハイビジョン 2006年08月09日) ソ連軍参戦を知った関東軍、その家族、官吏たちは直ちに列車で南下。一方開拓民は取り残された。
戦争に負けるというのはこういうことです。
証言者はちがうようですが女を差し出せと露助に言われた時、娘より年長や水商売に従事していた女性を代表者が因果を含めて説得した例があります。(私が集団を率いる責任者でもそうしたと思います。拒否すれば全員犯されたり略奪されたりもっと悲惨な状況を引き起こしたに違いありません。)
もちろん強姦のケースは数知れず最近のNHKドラマ「どこにもない国」でもそういう描写は控えめながらありましたね。
オランダ植民地のインドネシアでも同じようなことを日本軍がやっています。オランダ人女性を出せと要求したわけです。
久生十蘭の「従軍日記」。快著です。海軍報道班員に選ばれてインドネシアに行きますが日記の前半やってることといえば現地日本マスコミや商社マンとつるんで現地の女と遊んでることばかりです。インドネシアとオランダのハーフをハーフカスと当時呼んだそうです。中国人もでてくるし、当然オランダ人女性とも遊びます。
「入って見ると、大して広くもないサロンに三人のプロンパン(=女性)がいる。みな大分酔っているらしく、一人だけはガウン風のナイトドレスを着ているがあとの二人はほとんどnu(=裸体)である。奥の椅子の三十六七のプロンパンは最も酔い、ひどく上機嫌に泳ぎ廻る。一人は大柄な顔をしたえらい大女、ナイトドレスのほうはハンガリーの田舎女のような少しオドオドした少し単純な顔をしている。これがいちばん若い。・・・話してるうちにどうやらこの三人は近くWoman’s camp(=収容所)に入ることになっていささか自棄になっているのだということがわかった。最もヤマトホテルの臼木がこっそりナイトクラブを組織にかかりこの二人は会員になればキャンプ入りはゆるすといった具合に執拗に脅迫しているのだという事情もわかった。」
読みたいと思った人は巻頭の橋本治の解説だけで十分だと思います。
人に読ませようと思った小説ではない日記ですから。
満蒙開拓団の悲劇には同情しますが、彼等彼女らは武装したミリシアであって、当時の国際法上、彼等に侵略された現地人やロシア兵や八路軍や国府軍に何されても文句のいえる立場ではない、ということも同時に語られるべきだと思います。それに満蒙開拓団は侵略の手先で、いい思いもした訳ですしね。
岸信介の長男は小児麻痺で3歳のころから足を引きづってたそうですが、主計官くらいは務まったはずなのにね。 陸軍はともかく海軍の主計官は乗艦していた軍艦が撃沈されて大勢死んでいます。海軍主計大尉小泉信吉(しんきち)とか。
<転載終了>