逝きし世の面影さんのサイトより
https://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/222a12af240d123cc52ecc22d88126c5
<転載開始>

https://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/222a12af240d123cc52ecc22d88126c5
<転載開始>

土地勘も無い『たった一人の78歳ボランティア男性より劣る地元警察の数百人もの救助隊』
たとえ全員が思っていても誰も口にしないこと(暗黙のタブー)を少しも遠慮せずズバリ発言する火山学者の早川由紀夫 群馬大学教授の視点はユニーク、(空気を読まない態度が)何とも愉快である。
行方不明の幼児は20分ほど歩いた山道の横に座っていたのですから警察など数百人もの捜索隊の人々の失態は明らか。警察などの力量不足は呆れるばかりであるが、思い出すのが今年5月の大型連休に新潟県での6才児を連れた父子の山岳遭難での悲劇。地元警察などの捜索隊は『危険だから』と安全な尾根筋の登山道だけを探すが父子は沢筋に迷い込んでいた。

『遭難父子 遺体発見 沢で寄り添うように 新潟の山中』2018年5月30日 毎日新聞
新潟県警は29日、同県阿賀野市の五頭連峰で男性とみられる2人の遺体を発見した。県警は、今月5日から同連峰に入り、連絡が取れなくなっていた新潟市北区の渋谷甲哉(こうや)さん(37)と長男で小学1年の空(そら)さん(6)とみて身元確認や死因の特定を進める。
県警阿賀野署によると、29日午前11時20分ごろ、県警ヘリコプターが、連峰内にあるコクラ沢の斜面(標高580メートル)で、うつぶせで寄り添うように倒れている2遺体を発見。ヘリで収容した。服装などから渋谷さん親子とみられるという。
5月30日 毎日新聞
救助の不手際を指摘されないよう『遭難者の死亡日時を明らかにしなかった警察やマスコミ』
5月5日に日帰りの登山の予定で山に入ってから、発見される29日まで24日間もかかり、松平山山頂から南西へ1.7キロのコクラ沢で二名の遺体で発見されるという最悪の事態になる。
3週間後の発見場所は松平山(954メートル)と五頭山(912メートル)をつなぐ尾根沿いの登山道から西へ約1.5キロ離れた場所。コクラ沢(東小倉沢)を下った沢筋で、警察など救助隊は一度も捜査しなかったところだった。 千メートル以下の低山だが豪雪地帯の新潟平野からの季節風をうける場所なので五月でも残雪があり比較的容易に歩ける沢筋を下ったと思われる。(地名のコクラ沢の意味は「小さな嵓」なので滝場に遭遇して動けなくなったので救助を待っていたのでしょう)

松平山親子遭難捜索【ヤマレコの力を】2018年05月27日(日) ~ 2018年05月28日(月) Yasyy
によると、県警のヘリによって発見される一日前に『ヤマレコ』のメンバーYasyyさんがたった一名で松平山と五頭山との稜線から東コクラ沢を下って父子の遭難現場の直ぐそばまで接近していた。
ヤマレコでYasyyさんは、
『捜索は標高550メートル付近の本流と支流の出合迄探したかったのですが、手持ちの二本のロープをデポする必要があり、更なる下流まで到達出来ませんでした。
・・・・二人は救助を待ってたと推測します。数日間は……。 もっと敏速に雪渓上部の沢を捜索出来てればと悔やんでも悔やみきれない。』と書いている。(今回の『わずか20分で発見…ボランティア男性』と類似した話だが、三日間では無くて三週間もの長期間なので助からなかった)

『放射能汚染の羊の調査から、イスラエルの核実験の可能性が高まる』2018年08月15日Pars Today
放射能に汚染された羊に関する最新の調査で得られたデータから、39年前にアメリカの人工衛星が撮影した閃光は、シオニスト政権イスラエルの核実験によるものだった可能性が高いことがわかっています。
1979年9月22日に人工衛星Velaが閃光を撮影した際、常に、これは南アフリカのアパルトヘイト政権の支援により、インド洋南部の島で行われた、シオニスト政権の核実験によるものではないかという推測が存在していました。
現在、国際的な調査チームは、オーストラリアで放射能汚染された羊の調査により、新たな証拠を得たことから、この推測を認めています。
★注、
1979年9月22日アメリカの核実験の探査用の人工衛星ヴェラ(Vela )がアパルトヘイトの南アが占有していた南極大陸沖のインド洋の無人島プリンス・エドワード諸島付近で核兵器由来のものだと考えられている「二重の閃光」を探知していたが、アメリカ当局は観測機器の故障だとか誤作動など苦しい言い訳で誤魔化していた。その後アパルトヘイトの南アフリカの白人政権はノーベル平和賞のネルソン・マンデラの黒人に政権を移譲する前に1993年6発の核兵器を撤去したと宣言した。(ところが、イスラエルは今でも過酷なアパルトヘイトを続けるだけでなく核兵器も温存している)

ノモンハン事件(ハルハ河戦争)では不時着してソ連軍の捕虜になったことを咎めれれて自決に追い込まれるなど、1941年1月の東条英機陸軍大臣の『生きれ虜囚の辱めを受けず』の戦陣訓が2年も先取り(前倒し)されて適応されていた。
『ノモンハン 責任なき戦い 』 NHK総合 2018年8月15日(水) 午後7時30分~8時43分
79年前、モンゴル東部の大草原で、日ソ両軍が激戦を繰り広げたノモンハン事件。ソ連軍が大量投入した近代兵器を前に、日本は2万人に及ぶ死傷者を出した。作家・司馬遼太郎が「日本人であることが嫌になった」と作品化を断念した、この戦争。情報を軽視した楽観的な見通しや、物量より優先される精神主義など、太平洋戦争でも繰り返される“失敗の本質”が凝縮されていた。しかし軍は、現場の将校には自決を強要した一方で、作戦を主導した関東軍のエリート参謀たちはその後復帰させ、同じ失敗を重ねていった。
今回NHKは、ロシアで2時間に及ぶソ連軍の記録映像を発掘。4Kで精細にスキャンした映像を「AIによる自動カラー化技術」で鮮やかに着色し、戦場の実態を現代によみがえらせる。さらに軍の判断の経緯が証言された、150時間を超える陸軍幹部の肉声テープも入手。敗北はどのようにして隠され、失敗は繰り返されたのか。映像と証言から迫る。
8月15日 NHK

『100年前の1918年8月の日本軍の占領地』
ロシア革命で孤立したチョコ軍救出の人道目的との意味不明の口実で『シベリア出兵』(対ソ干渉戦争)で日本軍はバイカル湖付近まで進出、ほぼ東シベリア全土を占領したがじり貧状態に陥り厖大な軍事費を浪費し沢山の犠牲を出した挙句4年後に撤兵している。
『暗くて怖い日本のタブー』
日本軍による第二次世界大戦参戦(真珠湾の先制奇襲攻撃)の2年前の1939年5月から9月に起きていたノモンハン事件(ハルハ河戦争)は長い間タブーとしてマスコミが正面から取り上げることが無かったのですから、今回の73年目の終戦(玉音放送)記念日に放送されたNHK『ノモンハン 責任なき戦い 』は画期的な出来事だった。
NHKの番組では無謀にもソ連軍基地を奇襲空爆した対ソ戦争のノモンハンの主犯と目された関東軍の辻参謀が、後に復権して参謀本部入りすると報じている。ところが、対米戦争の契機となったガダルカナル島の争奪戦でも(戦力の逐次投入を行った)大敗北の主犯だった事実は報じなかったが、日本軍の相手がソ連軍がアメリカ軍かの違いがあるが内容的にほぼ同じ。その結果もほぼ同じだった。
『日本のタブー』との観点からならノモンハン戦役はガダルカナル攻防戦よりも、1918年から1922 年まで4年間も続いたシベリア出兵の方が余程似ているのである。
ノモンハン(1939年)が起きる21年前にソ連のシベリアのバイカル湖や極東のウラジオストックなどに(米英など有志連合軍として)「シベリア出兵」して大失敗していた。(1918年は米騒動が起きていた)
ノモンハンはシベリアから撤兵してから、たった17年後の話だった。(辻参謀など関東軍がソ連軍の実力を過小評価し、『強く出れば必ず勝てる』と侮ったので失敗する原因とは1905年の日露戦争よりもシベリア出兵だと思われるが、日本軍はソ連の正規軍では無くて赤色パルチザンに苦戦、勝てず撤兵していた)

『責任者には責任が無い、「最高責任者にはもっと責任が無い」不思議の国日本』
73年目の終戦(玉音放送)記念日に放送された1時間13分もの『ノモンハン 責任なき戦い 』 NHK総合 2018年8月15日(水) ですが、今大問題となっている日本大学のアメフト部とか日本ボクシング連盟の暴力支配とほぼ同じだった。
杜撰極まるノモンハン事件では、誰が命令者(作戦の立案者)だったのかが不明で、その意味では1年以上も延々と続いている安倍お友達の森友学園とか加計学園、準強姦揉み消し疑惑とも同じだった。
大失敗が明らかになった後も『現場』(部下)だけに責任を押し付けて、組織のトップが逃げるところなど、民主主義の日本国の今も大日本帝国時代の昔も全く同じ構造だったのですから腹立たしい限りである。たぶん100年前のシベリア出兵当時から根本的な部分では日本人がすこしも進歩していないのである。(進歩どころか、早川由紀夫が呆れた『わずか20分で発見…ボランティア男性』が事実なら間違いなく退化していた)
(関連記事)
対ソ干渉戦争(シベリア出兵)と有志連合
2008年03月11日 | 社会・歴史
<転載終了>
たとえ全員が思っていても誰も口にしないこと(暗黙のタブー)を少しも遠慮せずズバリ発言する火山学者の早川由紀夫 群馬大学教授の視点はユニーク、(空気を読まない態度が)何とも愉快である。
行方不明の幼児は20分ほど歩いた山道の横に座っていたのですから警察など数百人もの捜索隊の人々の失態は明らか。警察などの力量不足は呆れるばかりであるが、思い出すのが今年5月の大型連休に新潟県での6才児を連れた父子の山岳遭難での悲劇。地元警察などの捜索隊は『危険だから』と安全な尾根筋の登山道だけを探すが父子は沢筋に迷い込んでいた。

『遭難父子 遺体発見 沢で寄り添うように 新潟の山中』2018年5月30日 毎日新聞
新潟県警は29日、同県阿賀野市の五頭連峰で男性とみられる2人の遺体を発見した。県警は、今月5日から同連峰に入り、連絡が取れなくなっていた新潟市北区の渋谷甲哉(こうや)さん(37)と長男で小学1年の空(そら)さん(6)とみて身元確認や死因の特定を進める。
県警阿賀野署によると、29日午前11時20分ごろ、県警ヘリコプターが、連峰内にあるコクラ沢の斜面(標高580メートル)で、うつぶせで寄り添うように倒れている2遺体を発見。ヘリで収容した。服装などから渋谷さん親子とみられるという。
5月30日 毎日新聞
救助の不手際を指摘されないよう『遭難者の死亡日時を明らかにしなかった警察やマスコミ』
5月5日に日帰りの登山の予定で山に入ってから、発見される29日まで24日間もかかり、松平山山頂から南西へ1.7キロのコクラ沢で二名の遺体で発見されるという最悪の事態になる。
3週間後の発見場所は松平山(954メートル)と五頭山(912メートル)をつなぐ尾根沿いの登山道から西へ約1.5キロ離れた場所。コクラ沢(東小倉沢)を下った沢筋で、警察など救助隊は一度も捜査しなかったところだった。 千メートル以下の低山だが豪雪地帯の新潟平野からの季節風をうける場所なので五月でも残雪があり比較的容易に歩ける沢筋を下ったと思われる。(地名のコクラ沢の意味は「小さな嵓」なので滝場に遭遇して動けなくなったので救助を待っていたのでしょう)

松平山親子遭難捜索【ヤマレコの力を】2018年05月27日(日) ~ 2018年05月28日(月) Yasyy
によると、県警のヘリによって発見される一日前に『ヤマレコ』のメンバーYasyyさんがたった一名で松平山と五頭山との稜線から東コクラ沢を下って父子の遭難現場の直ぐそばまで接近していた。
ヤマレコでYasyyさんは、
『捜索は標高550メートル付近の本流と支流の出合迄探したかったのですが、手持ちの二本のロープをデポする必要があり、更なる下流まで到達出来ませんでした。
・・・・二人は救助を待ってたと推測します。数日間は……。 もっと敏速に雪渓上部の沢を捜索出来てればと悔やんでも悔やみきれない。』と書いている。(今回の『わずか20分で発見…ボランティア男性』と類似した話だが、三日間では無くて三週間もの長期間なので助からなかった)

『放射能汚染の羊の調査から、イスラエルの核実験の可能性が高まる』2018年08月15日Pars Today
放射能に汚染された羊に関する最新の調査で得られたデータから、39年前にアメリカの人工衛星が撮影した閃光は、シオニスト政権イスラエルの核実験によるものだった可能性が高いことがわかっています。
1979年9月22日に人工衛星Velaが閃光を撮影した際、常に、これは南アフリカのアパルトヘイト政権の支援により、インド洋南部の島で行われた、シオニスト政権の核実験によるものではないかという推測が存在していました。
現在、国際的な調査チームは、オーストラリアで放射能汚染された羊の調査により、新たな証拠を得たことから、この推測を認めています。
★注、
1979年9月22日アメリカの核実験の探査用の人工衛星ヴェラ(Vela )がアパルトヘイトの南アが占有していた南極大陸沖のインド洋の無人島プリンス・エドワード諸島付近で核兵器由来のものだと考えられている「二重の閃光」を探知していたが、アメリカ当局は観測機器の故障だとか誤作動など苦しい言い訳で誤魔化していた。その後アパルトヘイトの南アフリカの白人政権はノーベル平和賞のネルソン・マンデラの黒人に政権を移譲する前に1993年6発の核兵器を撤去したと宣言した。(ところが、イスラエルは今でも過酷なアパルトヘイトを続けるだけでなく核兵器も温存している)

ノモンハン事件(ハルハ河戦争)では不時着してソ連軍の捕虜になったことを咎めれれて自決に追い込まれるなど、1941年1月の東条英機陸軍大臣の『生きれ虜囚の辱めを受けず』の戦陣訓が2年も先取り(前倒し)されて適応されていた。
『ノモンハン 責任なき戦い 』 NHK総合 2018年8月15日(水) 午後7時30分~8時43分
79年前、モンゴル東部の大草原で、日ソ両軍が激戦を繰り広げたノモンハン事件。ソ連軍が大量投入した近代兵器を前に、日本は2万人に及ぶ死傷者を出した。作家・司馬遼太郎が「日本人であることが嫌になった」と作品化を断念した、この戦争。情報を軽視した楽観的な見通しや、物量より優先される精神主義など、太平洋戦争でも繰り返される“失敗の本質”が凝縮されていた。しかし軍は、現場の将校には自決を強要した一方で、作戦を主導した関東軍のエリート参謀たちはその後復帰させ、同じ失敗を重ねていった。
今回NHKは、ロシアで2時間に及ぶソ連軍の記録映像を発掘。4Kで精細にスキャンした映像を「AIによる自動カラー化技術」で鮮やかに着色し、戦場の実態を現代によみがえらせる。さらに軍の判断の経緯が証言された、150時間を超える陸軍幹部の肉声テープも入手。敗北はどのようにして隠され、失敗は繰り返されたのか。映像と証言から迫る。
8月15日 NHK

『100年前の1918年8月の日本軍の占領地』
ロシア革命で孤立したチョコ軍救出の人道目的との意味不明の口実で『シベリア出兵』(対ソ干渉戦争)で日本軍はバイカル湖付近まで進出、ほぼ東シベリア全土を占領したがじり貧状態に陥り厖大な軍事費を浪費し沢山の犠牲を出した挙句4年後に撤兵している。
『暗くて怖い日本のタブー』
日本軍による第二次世界大戦参戦(真珠湾の先制奇襲攻撃)の2年前の1939年5月から9月に起きていたノモンハン事件(ハルハ河戦争)は長い間タブーとしてマスコミが正面から取り上げることが無かったのですから、今回の73年目の終戦(玉音放送)記念日に放送されたNHK『ノモンハン 責任なき戦い 』は画期的な出来事だった。
NHKの番組では無謀にもソ連軍基地を奇襲空爆した対ソ戦争のノモンハンの主犯と目された関東軍の辻参謀が、後に復権して参謀本部入りすると報じている。ところが、対米戦争の契機となったガダルカナル島の争奪戦でも(戦力の逐次投入を行った)大敗北の主犯だった事実は報じなかったが、日本軍の相手がソ連軍がアメリカ軍かの違いがあるが内容的にほぼ同じ。その結果もほぼ同じだった。
『日本のタブー』との観点からならノモンハン戦役はガダルカナル攻防戦よりも、1918年から1922 年まで4年間も続いたシベリア出兵の方が余程似ているのである。
ノモンハン(1939年)が起きる21年前にソ連のシベリアのバイカル湖や極東のウラジオストックなどに(米英など有志連合軍として)「シベリア出兵」して大失敗していた。(1918年は米騒動が起きていた)
ノモンハンはシベリアから撤兵してから、たった17年後の話だった。(辻参謀など関東軍がソ連軍の実力を過小評価し、『強く出れば必ず勝てる』と侮ったので失敗する原因とは1905年の日露戦争よりもシベリア出兵だと思われるが、日本軍はソ連の正規軍では無くて赤色パルチザンに苦戦、勝てず撤兵していた)

『責任者には責任が無い、「最高責任者にはもっと責任が無い」不思議の国日本』
73年目の終戦(玉音放送)記念日に放送された1時間13分もの『ノモンハン 責任なき戦い 』 NHK総合 2018年8月15日(水) ですが、今大問題となっている日本大学のアメフト部とか日本ボクシング連盟の暴力支配とほぼ同じだった。
杜撰極まるノモンハン事件では、誰が命令者(作戦の立案者)だったのかが不明で、その意味では1年以上も延々と続いている安倍お友達の森友学園とか加計学園、準強姦揉み消し疑惑とも同じだった。
大失敗が明らかになった後も『現場』(部下)だけに責任を押し付けて、組織のトップが逃げるところなど、民主主義の日本国の今も大日本帝国時代の昔も全く同じ構造だったのですから腹立たしい限りである。たぶん100年前のシベリア出兵当時から根本的な部分では日本人がすこしも進歩していないのである。(進歩どころか、早川由紀夫が呆れた『わずか20分で発見…ボランティア男性』が事実なら間違いなく退化していた)
(関連記事)
対ソ干渉戦争(シベリア出兵)と有志連合
2008年03月11日 | 社会・歴史
<転載終了>
そんだけ~。
1.79.85.253