日本や世界や宇宙の動向さんのサイトより
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/52031641.html
宗教は、洗脳、収奪、支配
そうであっても、それらから抜け出させるのも宗教にあるというのも事実です。
<転載開始>
以下は道教の指導者が宗教について語った内容です。
道教については全く分かりませんが、宗教については以下の考えと同感です。
宗教(宗教団体)はどれもこれも人々を目に見えない鎖(恐怖の洗脳)でつないで束縛する権力だと思います。
別に宗教を通さなくても心から神を慕う人間なら誰でも神と繋がることができると思います。宗教を通して繋がる神は正しい神なのか怪しい神なのか分かりません。宗教のトップが悪事に手を染めているなら、信徒も神のふりをした悪魔と繋がってしまうでしょう。法王や多くの司教が小児性愛犯罪の首謀者です。
一方、日本では仏教や神道が生活、習慣の一部となっていますが日本人は仏教や神道(実際に教義はない)の教義を厳守しながら生きているわけではないのである意味、宗教に縛られない自由があります。
ただし、問題なのは。。。日本には、創価学会、天理教、世界救世教、生長の家、パーフェクト・リバティー教団(PL教団)、 霊友会、顕正会、幸福の科学など非常に多くの新興宗教(カルト)団体があります。
日本の宗教法人数は(神道や仏教も含め)18万2千もあるそうです。ですから日本人の多くが新興宗教(カルト)団体に所属しているということです。
新興宗教は素晴らしい洗脳機関であり、休みなく信者を勧誘(ねずみ講、詐欺)活動させてこき使っています。また、信者にお金を使わせる活動も盛んです。何の願いもかなわないのに願いや祈りが届いたと自己満足するためのお布施や奉納など、せっせと働き、宗教団体に貢いでいます。しかも宗教法人は税金がかかりませんから宗教団体の経営者(教祖、幹部)はウハウハです。宗教法人は儲かるビジネスなのですよ。しかも教祖がテキトーに教義を伝えるだけで信者は喜ぶのです。霊が見えるとか神様が見えるなどと嘘をついて信者を騙しているのでしょう。目に見えないモノに関しては教祖は言いたい放題です。作り話がうまく演出がうまい教祖ほど信者を増やすことができます。
日本人特に高齢者がいとも簡単に詐欺に騙されていますが、宗教団体の詐欺ビジネスに騙されやすいのも日本人だと思います。現実的なモノの見方やどのようなことが自分の身に降りかかっても、開き直った覚悟が持てない日本人の多いこと。日本人は騙されやすい民族だと思います。
宗教は今も昔も権力者が庶民を支配する手段です。彼らは恐怖という悪魔の手法を使って人々を縛りつけ奴隷にしています。日本からカルト教団や新興宗教がなくなれば、日本人はこれまでにないほど自立した自由な生活ができると思うのですが。。。新興宗教団体に尽くすだけの生活を止めれば日本全体で生産性が増すでしょう。

(概要)

96日付け

 

悟りを開いた道教の指導者:宗教は人々に悟りを開くのではなく人々を奴隷にする

 

ByDylan Charles

 

TheBook of Changes and the Unchanging Truthによると:

「宗教とは人々を精神的に成長させるためのものではありません。宗教は人々に悟りを開くのではなく奴隷にしています。」

 

歴史的に見ても世界の2大宗教(イスラム教、キリスト教或はユダヤ教?)は悍ましい犯罪を繰り返してきた事実があります。

2大宗教は、長い間、異教徒或は無宗教者に対して拷問を加えたり殺害したり、自分たちが行ってきた犯罪、性的スキャンダル(特に子供に対する性的暴行、性的虐待、小児性愛犯罪)を巧妙に隠蔽してきました。

宗教指導者が処罰を受けずに最も凶悪な犯罪に関与してきたのですから、どのようにして信者は現在の破壊的意識レベルを上昇することができるのでしょうか。

 

精神的成長を求めるはずの組織がこれほど腐敗している中で認知的不協和は凄まじいものがあります。それでも信者は、教会やモスクに行き、信者の誠意を悪用する作り話を信じ、偶像や象徴を拝んでいます。

人間にとって最も重要なのは高い精神性です。我々には、我々が持つ美徳を養い精神性を高めてくれる指導者が必要なのです。

 

人間世界で精神的混乱を生んでいるのは宗教です。宗教は人々の敬虔で誠意に満ちた感性を歪めてきました。そのため信徒は精神世界の真実を正しく学ぶことができていません。

 

宗教(団体)のモノの見方、考え方は今に限らず昔から世界に有害であり危険であると多くの人々が感じてきました。

 

道教については省略

 

宗教のセールスポイントは恐怖です。

人工的に作られた宗教は、信徒に天が与える罰に対する恐怖心を植え付けながら礼儀正しい行いをさせています。

罰を与えられえるという恐怖心を多くの信徒に植え付け、精神的品格を低下させています。そのため信徒は普遍的な生命の根源に関する正しい知識を失ってしまいました。

・・・

一般的に、宗教の目的は、信徒が真の精神的成長を遂げるように導くのではなく、信徒に1つの宗教的偶像を拝ませながら、信徒に権威と権力を行使することです。

宗教の教義は寛大な考え方、瞑想的な祈り、内面的成長を信徒から奪っています。

また、宗教は象徴や偶像を使って信徒を誤った方向へ導いています。

形式的な宗教は神がどのような姿をしているかに重点を置きます。例えば、神はどのような王冠をかぶっているか、神はどのようなローブを身に着けているかなど。

 

信徒の宗教に対する畏敬の念は、宗教エスタブリッシュメントの権威の外観的イメージを支えるパッションや感情でしかありません。

信徒の敬虔な行為を公の場で示すことで宗教がいかにも権威あるもののように見せているのです。

しかし敬虔さがあっても真の精神的成長は遂げられません。

彼らは自分たちの宗教への敬虔さを示すために、異なる考えを持っている人々を批判、攻撃、殺害します。つまり、現実の世界で彼らは完全に堕落しているのです。

 

昔の指導者らが宗教を利用した社会的計画はどの時代もどの人にとっても有効とはいえません。社会に厳格な模範を押し付ける宗教制度は人々に苦しみ、圧力、緊張を与えることになります。

軍事力などの援助は柔軟性のない硬直状況を生み出します。当然、軍事力に殆ど頼らない自由社会では、人々は偏見がなく、自由で、ありのままで、調和的です。

 

現実世界で宗教的モノの見方をするようになると、そのような見方に対して疑問を持ったりそのような考え方を止めることは簡単ではありません。

 

通常、特定の宗教の下に生まれた人々は彼らの宗教を客観的に見ることができません。彼らの感情面や生活自体が宗教の教義から影響を受けています。“

教義に強く共鳴している敬虔な信徒は、感情的パターンを強め、その宗教の宿命に従います。

宗教が教える人生の進むべき道は精神的成長や各個人の悟りに基づくものではありません。

人間の考えや文化は各々非常に異なっています。そのため独断的な宗教は各個人の実体験を無視するために人々の間で対立を生みます。

 

真実についての解釈は一つではありませんから、それを無理やり押しつけることはできません。

彼らの教義こそが正しいと主張するために宗教間の対立が生まれます。

 

道教は人間の精神性を成長させる教えです。しかし宗教は人間に悟りを開かせるのではなく人間を誤った方向へと導びき奴隷にしているのです。

 

真の敬虔さがあれば人間は悪に走ったり残虐になることはありません。真の敬虔さがあれば、人間は常に穏やかで優しく、純粋さと清澄さを大切にします。

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<転載終了>