東海アマブログさんのサイトより
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-485.html
坂を転がるスピードが速くなってきましたね。
裏を返せば、それだけ闇の連中の市民を引き離したいという思惑で
彼らの悲鳴の表れです。
今しばらくの辛抱なのでしょう!
<転載開始>
 これは先ほど、私に届いた中津川市防災センターからのメールである。

防災安全課 18時08分発表(2018/09/21)
不審者情報
[詳細]
 本日午後3時30分頃、中津川市中津川地内において、男が女子児童を見つめる事案が発生しました。

【特徴】男1名、40歳くらい、身長170から180CMくらい、中肉、無精ひげ、灰色キャップ、黒色長袖Tシャツ、灰色作業ズボン、灰色スニーカー ○連続発生する可能性があるので注意してください。○危険を感じたら大声で助けを求めたり、防犯ブザーを活用してください。○不審者や不審車両を発見したら110番通報してください。中津川警察署(0573660110)

市民安全情報ネットワーク
http://bnnet.jp/

「男が女子児童を見つめた」 のである。

 何と恐ろしい犯罪であろうか! 「見てしまったのだ」

 嗚呼、見られてしまった少女は、恐怖のあまり一生涯を見られたことへのトラウマに苛まれ、すべての男を遠ざけるため、誰一人来ない洞窟のなかで一生を終えなければならない運命なのだ。

 見られた少女は、恐ろしい視線の刃を心臓に突き刺され、犯される恐怖心から二度とまともな人生を歩むことができないのである。
 でなければ、なんで中津川市の防災広報が、数万の市民に、このようなメールを送りつけるものか!

 我々は、断じて子供を見てはならない義務がある。子供がいたら、その場で目隠しをし、誰かに誘導してもらって、子供が見えなくなる位置まで移動しなければならないのである。

 もしも、子供、わけても女子児童を「見てしまった」ならば、それは、ただちに警察に通報され、パトカーが急行して、視姦罪で緊急逮捕され、仕事を追われるばかりか、社会から追放され、死ぬまで性犯罪者の烙印を押されて監視下に置かれるのである。
 これが、自民党=安倍政権の実現した、治安社会なのである。

 「見てしまった者」は、ただちに警察に通報されるのが、常識なのだ。
 すでに、我々が、缶切りや爪切りやドライバーのついた十徳ナイフをポケットに入れていれば、職質で強制的に所持品検査をされて、もし発見されたなら、即座に銃刀法違反現行犯で逮捕される事実を、繰り返し経験している。

 十徳ナイフがポケットにあれば、それは殺人予備犯罪者である。ドライバーを持っていれば窃盗侵入予備犯罪者である。運転している車の付属工具にドライバーがあっても、住居不法侵入窃盗予備犯罪者である。
 宅配便の運転手が、ガムテープと段ボールを切るカッターナイフを所持していれば、もちろん殺人傷害予備犯罪者であって、即座に逮捕されねばならない。

 パソコンのキャッシュに、たまたま検索中に現れた少女漫画の裸ページが残っていれば、もちろん児童猥褻物所持犯罪者である。
 家を捜索されて屋根裏に50年前の男性雑誌があれば、もちろん猥褻物所持犯罪であるって、ただちに逮捕され、性犯罪者として起訴されるのである。

 これが日本の、本当の現実なのだ。我々の世代の価値観から見れば、あまりにも異常というか、まるでオーウェルの1984や、プリズナー6の鼻を塞ぐ風船や、華氏451度の映画や小説の世界を、そのまま現実のなかに見ているような驚愕である。

 こうした日常生活の恐ろしい「道徳的矮小化」、心に嵌められた貞操帯のような締め付けを当然のものと思い込んでる自由を知らない世代が増えているのも事実であり、でなければ安倍晋三がのさばる自民党社会が成立できるはずがないのだ。

 60歳を過ぎた私が、過去を振り返っても、「まさか、ここまで世の中が悪化するとは想像もしていないなかった」と嘆くばかりだ。
 我々は、一定の自由を知り、信奉してきた世代である。自由とは、他人へのリスペクトを前提に成立する価値観であり、社会観念である。

 我々の若い頃は、思えば、目の前に現れる人間を、一人の立派な人間としてリスペクトし、信頼し、それを前提に、人間関係を築こうとした。
 しかし、今はどうだ? 目の前に現れる人間は、冒頭に紹介したように、少女を見ただけで性犯罪者として扱われ、人に声をかけただけで詐欺師として扱われ、「人を見たら泥棒と思え」という格言を前提に、社会が成立するような、奇っ怪に倒錯した変態社会になっているのである。

 こうした異様な、人を奇っ怪にねじ曲がった、極度に狭い道徳の価値観に国家権力の暴力によって閉じ込めようとする風潮は、決して日本だけではない。

 (私のブログには2008年頃、この問題について、たくさん書いていたのだが、ヤフーブログ管理人によって、勝手にすべて削除されていた)

 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-232.html

  http://news.livedoor.com/article/detail/5674893/

https://wired.jp/2012/03/19/manga-is-not-a-crime/


 これらの、世界的に偏狭な、まるで水田水脈のような恐ろしく身勝手で傲慢、狭量な価値観が、いつ頃から国家権力によって強制されるようになったか? といえば、たぶん今世紀に入ってからであろう。

 アメリカが2001年の911自称テロ事件を理由にイスラム圏に武力侵攻し、無数の罪なき市民や子供たちを大虐殺しはじめた頃から、世界は、あまりにも偏狭な視野の狭い、自由な心を過酷な刑罰で締め付け、偏狭道徳観を強要するような社会に変わり始めたのである。

 アメリカが、自分たちの愚かな侵略を正当化しようとすればするほど、市民的自由の価値観を国家の論理で、高圧的に締め付け、暴力的に国家主義の道徳観を強要することになったのだ。

 私が、このブログで何度も繰り返しているように、アメリカという国は、イスラエルの属国であり、ユダヤ人の利権を守るための装置である。
 つまり、こうした偏狭な道徳観の根源には、ユダヤ教の律法主義があると私は思う。

 キリスト教を学んだ人なら「律法主義」といえばパリサイ人でありフランキスト派のことであり、人生のすべてを旧約聖書の神(ルシファー=サタン)の示した通りの律法に従って生きよという聖書原理主義のことだと分かるだろう。

 つまり、日本の中津川市で、「少女を見た」という、ありふれた日常が犯罪案件となって市民にメールで通報され、「見た男」を警察が追うという奇っ怪な現象を追ってゆくと、最後の最後に、旧約聖書の律法主義にたどり着くのであって、まるで「風が吹けば桶屋が儲かる」の理屈のように、複雑怪奇な連関のなかに真実が存在しているのである。

 「少女を見たら、ユダヤ人が出てくる」とでも諺にしておくか?


<転載終了>