東海アマブログさんのサイトより
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<転載開始>
 先に、芝山文科相が「教育勅語には普遍性がある」と就任当日に発言して指弾を浴びている。

  https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181006-00057845-gendaibiz-bus_all

 教育勅語とは、どのような背景があるのかを、きちんと調べれば、こんな妄言は日本中から消え失せるだろう。

 教育勅語の意味を、再び考えてみよう。

  http://chusan.info/kobore8/4132chokugo.htm

 これは、「はるか昔から続く皇室のために、日本国民は命まで捧げよ」と命令するのが、主題である。
 これを発布したのは、1890年(明治23年)明治天皇によってである。1948年には、戦後、民主主義のなかで正式に廃止された。

 ここで明治天皇は、自分が「万世一系」天皇家のなかの一員として、自分を守るために国民は命まで差し出せと言っているわけだが、その万世一系論には真っ赤すぎる嘘があり、戦前戦後を通じて、まともな学問を行った学者研究者で、天皇家が「皇紀2600年=万世一系」であると信じている者は、これを強要した福井勝山平泉寺の神主であり、東大史学部教授であった平泉澄も含めて皆無であろう。

 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-334.html


 さらにいえば、教育勅語を発布した明治天皇自身が、自分がでっちあげられた「馬の骨天皇」である真実の暴露に死ぬまで怯えながら過ごしたのである。
 孝明天皇の息子、祐宮(さちのみや)は虚弱で、身長5尺の小柄ながら蹴鞠の名人であり、女官たちと蹴鞠に興ずるのが唯一の趣味であった。

 ところが、明治天皇に即位した祐宮は、身長6尺の巨漢で、西郷や山岡と毎日相撲をとっていたと記録されている。
 明治帝に面会したアーネストサトウら、欧米の外交官は、「御簾の向こうにいたのは真っ黒な顔をした巨漢で、紅をつけて現れた姿が薄気味悪かった」と、日記に書いている。

 明治天皇に即位した男の本当の名を、大室寅之祐という。
 元々、長州は田布施の出身で、萩の松下村塾にも出入りしたが、維新の政治的な現場には、あまり顔を出さず、長州奇兵隊力士隊員として駆り出された記録が残っている。
 大室家には南朝末裔の伝承が伝わり、これを知った山県有朋らが、この男を利用できないかと画策したのである。

 維新勢力にとって、「南朝」という言葉には巨大な重みがあった。なぜなら、維新の思想的アイデンティティとして選ばれたのが「平田国学」だったからである。
 国学四天と謳われた一人である平田篤胤は、(本居宣長の影響だが)天皇家は、足利尊氏の奉じた北朝でなく、楠木正成が信奉した南朝=後醍醐の系譜であると断定していたからであり、このため、維新勢力、とりわけ松下村塾一党は、北朝孝明天皇を極度に敵視していた。

 松下村塾の若き伊藤博文と井上馨は、岩倉具視の指示により、妾である岩倉の姉の屋敷に通っていた孝明の命を狙った。
 密かに厠に忍び込み、殺害が外見からばれないように、肛門を狙って槍を突き刺したのである。
 このため、孝明は、三日三晩下血し、苦しみ抜いて死亡した。
 息子の祐宮も、同時期に行方不明になっているが、祐宮の生母、中山慶子の実父、中山忠能が、この事情を日記のなかで暴露している。
 (祐宮が、裏天皇家になったとの噂もあるが、信憑性不明)

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 そして、奇兵隊力士隊の巨漢、大室寅之祐が、いつのまにか明治天皇に即位したが、彼は、自分の生みの親とも、即位後一度も会わず、逃げるように東京に遷都してしまった。多くの公家たちは、死ぬまで明治天皇への面会が許されなかった。
 余談だが、明治帝に即位した大室は、夜な夜な現れる孝明天皇の亡霊に、恐れおののき、恐怖のあまり毎晩泣き叫び続けたと中山日記に書かれている。

 皇居には不倶戴天の政敵であったはずの南朝、楠木正成像が突如建立された。
 江戸時代には、天皇は、民衆の意識としては「伊勢神宮の大神主」程度の認識だったといわれるが、山県有朋は、明治天皇が、日本国民を絶対的支配者であると洗脳するために、全国の神仏混淆寺社を廃仏毀釈によって神道主体に切り替え、神道の最高位に天皇を置く大洗脳教育を開始した。
 このとき用いられたのが平泉澄の万世一系皇統論であり、この洗脳により「天皇様のおかげで日本国民がある」という強烈な信仰が、戦後まで続くことになった。

 話が逸れたが、教育勅語が「朕のために命を差し出せ」と命令している朕というのは、大室寅之祐という馬の骨天皇のことである。
 西郷や大久保、木戸孝充も、当初は、大室こそ南朝の正統後継者と信じて天皇に即位させたのだが、やがて、根拠が薄いことが明らかになり、そのせいか、大正帝の父親は明治でなく、別の人物であるとの噂もある。
 柳原愛子という、明治にあまり近くない女官が大正帝を産んでいるし、大正帝は近親婚の遺伝的弊害を受けた人物だが、屈強な力士だった明治が父親だったなら、はるかに健全な子に生まれただろうという観測が理由である。
 あるいは、ホンモノの祐宮の子供だったかもしれない。

 まずは、馬の骨天皇に対して命を捧げる国民は実にめでたいのである。

 安倍政権では、稲田朋美(元防衛相)も、教育勅語を持ち上げている。

 https://mainichi.jp/articles/20170309/k00/00m/010/057000c

 「勅語の精神は親孝行、友達を大切にする、夫婦仲良くする、高い倫理観で世界中から尊敬される道義国家を目指すことだ」と発言。「全く誤っているというのは違う」と語った。

 教育勅語に書かれている核心部を再掲しよう。

 万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ。かくして神勅のまにまに天地と共に窮りなき宝祚(あまつひつぎ)の御栄をたすけ奉れ。かようにすることは、ただに朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、それがとりもなおさず、汝らの祖先ののこした美風をはっきりあらわすことになる。

「一身を捧げて皇室国家のために尽くせ」 と明確に書かれている。
 これは何を意味するかと言えば、国民の命を皇室国家のために捧げよと命令しているのである。
 それは、基本的人権も民主主義も、自由、平等にも完全に相反する独裁の思想である。

 稲田も芝山も、彼らを任命する安倍晋三も、何を求めているかといえば、天皇の権威を利用した、独裁を求めているのであり、国民の基本的人権も民主主義も廃止せよと強硬に主張しているに等しいのである。

 こんな自民党を支持する馬鹿国民は、いったいどれほどいるのだろう?
 安倍晋三や麻生太郎を支持するほとんどの若者は、上に書いたような真実を何一つ知らないだろう。
 ただ、「他国と戦争できないことはおかしい」という憤激だけで安倍自民党を支持しているに違いないのだ。
 彼らが本当に求めている日本は、独裁国家であることを理解できるのだろうか? 


<転載終了>