木の花ファミリーの経済から世界を見るさんのサイトより
http://konohanafamilyeconomy.blogspot.com/2018/10/3_4.html
<転載開始>
 
ロータスランドの絵。雑多な日常(絵の前の棚)に仏が生まれ宇宙の光が降りてきます。

あれから3年、今の僕の到達点」にも書いたように2015年10月2日は僕にとって大きな転機でした。大人ミーティングでは、僕の話題が多くを占めたのですが、そんな中、みちよちゃんは以下のオーロビルのマザーの言葉を訳していたそうです。

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The Mantras of Bliss and Transformation !

Are you ready to change yourself completely? 
You will have to throw off your ideas,ideals,values,interests,and opinions.
Everything will have to be learnt anew.
If you are ready for all this,then take aplunge;
otherwise don't try to step in.


至福と変容のマントラ

完全にあなたを変化させる準備ができていますか?
あなたは自分の考え、理想、価値、興味、意見を捨てるでしょう。
全ては新しいものとして学ぶべきことです。
もしあなたがこうした全てに準備ができていたら、飛び込んで。 
さもなければ、それには踏み込もうとしないことです。

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その言葉はまさに当時の僕に向けられた言葉で、この言葉を受けて、ジイジは以下のように語りました。

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僕があなたに伝えていることは、決してあなたに不愉快を与えるものではありません。どれ程の想いを込めて、そして願って、あなたの追い風になろうとしているか。そういうことが分かったら、今の状態でいる自分が、いかに恥ずかしいことで申し訳ないことであるかに気づくでしょう。

「あなたは自分の考え、理想、価値、興味、意見を捨てるでしょう。」というマザーの言葉。それは自我を捨てて、天のままに生きるということです。僕は昔、それを天のマリオネットと表現しました。でも、その考えは今は変わっています。昔、夜、外に出て上を見て、月が出ていれば月、星が出ていれば星、曇っていたら、その上に星や月を想像して語っていました。

「神さま、私はあなたの意志に沿うものです。」

そうすると、そういうことを語っていた時、その間違いに気付きました。「あなたの意志に沿うものです」ということは、あなたという意志があって、そして、それを受けている自分がいるということです。でもよく考えてみたら、あなたという意志はわたしに表れています。だから、本当のそれが通じた時に、私の意志はあなたそのものなのです。

あなたはわたし、わたしはあなた。

その時、「神さま」とそこに気持ちを向けたり、「あなたの意志」というようにそこに特定を持った時に、すでに自分、自我を成立させているのだと気づいたのです。

まわりてめくる。

すべては新しい出来事として学ぶべきことです。常に新鮮で新しい毎日が来るわけですから。

これを世間の価値観で生きる人たちはなんだろう?と思うかもしれませんが、すべての人が行きつく先はそこなのです。まだ社会がそこまで熟していない時に、我々が先駆けとしてこれをやっています。その構造が分かるならば、本当にそのことの貴重さ、尊さ、有難さを思って、あっさり一目散にそこに向かうでしょう。

なかのんはブログで立派なことを書いています。今の状態でそれを書くことは、偽物を書いて罪を犯しているような話で、それは自分の価値をどんどん落としているのです。でも、だからブログを書くなということではないのです。ブログに相応しいものになるとしたら、そんな状態でいるはずはないのです。

そこは僕のためではなく、あなたの価値を上げるということと、世の中の為にあなたに目覚めて欲しいと僕は願っています。

そして価値あるものとしてあなたのいろいろな思いが表現されていく世界を実現しなければなりません。愚かしいところで、目覚めない状態で自分の願いを叶えるということは、自分にとっても世界にとっても何もいいことはありません。そこを分かるということだと思います。

我々は何をするかというと、僕と同じような話をみんなにしろって言っているのではないのです。「みんなで」という気持ちで暮らし、それを人々に見てもらいたいのです。こんな素晴らしい世界がいっぱいに広がって欲しいから、人々に見て欲しいのですよ。たったそれだけです。

それは日常、みんなが気持ちよく「さーと」心が通っていって、「ああこれだったんだね。これがやりたかったんだね。」そういうことを言葉ではなく空気を感じて、「神さまの目的はこういう世界だったんだ」と理解することです。

これはとても身近にあって、アカデミックでもなんでもありません。哲学とか立派な話でもなんでもありません。

「あぁ、いい空気だね。」
「こういうところに生涯身を置きたいね。」
「こういう生き方を自信を持って、安心の場所でやりたいね。」

そう感じたら誰だって出来るんですよ。

僕はこういう話をしばらく避けてきましたが、みんなが僕の気持ちに共鳴するならば、僕からどんどん発信されて、「そうだね、そうだったね。」となるんだったら、いくらでも話す価値があるなと思うのです。

でも待ちの姿勢で話を聴いて、良い話だったねとなって後で忘れていくならば、僕もジレンマを感じてしまいます。みんなで良い響きを生み出していく。そんなふうでありたいです。

なので、お願いだから、人の心を調整するような時間をこの場に持ち込まないで下さい。自分の心は自分で調整して下さい。もうそういう段階です。それでも、残念ながら、充分に果たせなかった時に、それを投げやりにならないで、表に出して、みんなにそれを正す方法を請うて下さい。自分に実力がないのですから。

そして、みんなに助けてもらって、心から「ありがとうございます」と言って進んで下さい。そうしたら、あなたの未熟も「良い場創りに役だったね。」ということになります。

みんなが他者のことを思い合う。そういう心の表現に繋がるのですから。

だから未熟でもいいのです。本当にみんなに託していく。そういう場創りが大切です。そしてそういう場はいつでも表現出来るのです。道を難しい道だと思わないでください。

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マワリテメクル

カタカムナの5首に含まれる一節ですが、これは自転公転の二面性を表していると言われています。一文字ずつ読み解いていくと、「マ」は自転公転の運動によって区切られた空間でありこの世界そのものと言えます。そして現象が生まれる縁(ふち)が「ワ」であり、そこから離れていく動き「リ」により、二面性「テ」が「メ」ばえ、それが自由「ク」を維持している「ル」ということ。つまりそれは、相反するものの存在により絶えず新しいものが生み出されるこの世界の法則を表しています。

「神さま・・・」と対象を固定し呼びかけることは自我を生むことですが、自我があるからこそ認識が生まれます。神さまが自己認識のために完全なる光から闇を分けたように、人は自らを他者から分けることで自分自身を認識します。分けることは分かることに繋がりますが、認識を深めていくと、すべては一つ、分けられないということが見えてきます。分けることにより分けられないということが見えてきて、すべては自分の認識を超えていること、分からないということが分かるのです。

この世界は自分の鏡です。人は世界という鏡を通してのみ自分を知ることが出来ます。だから他者や世界に働きかけることは自分に働きかけることであり、他者や世界からの反応は自分自身の顕れです。そして自分を磨くことは世界を磨くことであり、世界という「鏡(カガミ)」から「我(ガ)」を取ることで「神(カミ)」という尊く美しいものを見出すのです。これらすべて相反する動きの中にあり宇宙は常に新しいところへと向かっているのです。

自我は浮かんでは消える波。自我を捨てるとは波を離れて海である自分に気づくことです。この世界にはたくさんの波、自我が存在しますが、海に至ればすべては一つなのです。波である自我の動きを見通し、他の波と同じように眺めて、表現すること。それが価値あるものとして想いを表現していくことで、僕が実践し続けていくことです。

ということで、ここでちょうど1年前に書いた文章を紹介します。

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きっと自我は人々の未熟としてずっとあり続けます。そして、そこから様々な喜びや苦しみが生まれ続けます。ですが、客観的視点があれば、それらの体験、人びとの未熟をみんなの学びにしていくことが出来ます。未熟があるから想い合える。そんな空気を生み出すことが出来るのです。だから自我はあってもいいのです。自我を持ちながらもそこを超えようとする意志を持つ時、客観的視点がすべての出来事を生かし、豊かな繋がりとなって表現されていくのです。それが生きていることの醍醐味であり、僕ら木の花ファミリーが先駆けとして表現しようとしている世界、「ここはなんだろう・・・あれ?!」という世界です。



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こんな気持ちで、これからも自我の動きを見通すことで、みんなと学び合って豊かな暮らしを表現しようと思っています(^-^)


<転載終了>