愛詩tel by shigさんのサイトより
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<転載開始>

Business Journalより
2016.05.12
文=中西貴之/宇部興産株式会社 環境安全部製品安全グループ 主席部員

イカの活き造り(撮影=筆者)

 初夏から、イカの最盛期となります。
俳句の世界でも「イカ」は初夏、太陽暦5月の季語です。

「イカ売りの 声まぎらわし ホトトギス」

 これは、各地を旅した徘徊する俳諧師・松尾芭蕉が晩年、1690年頃の江戸の風景を軽快に詠んだものです。

 イカは、その異世界生物的な見た目が原因で文学的ではない生き物とされ、俳句の世界に登場することはほとんどありません。
ですが、芭蕉のこの句では、風流な季語の代表ともいえるホトトギスとのコンビネーションのミスマッチが、独特の雰囲気を醸し出しています。

 この句の意味は、「初夏のイカ売りの威勢の良い売り声で、ホトトギスの消え入るような鳴き声が聞こえない」というものです。
江戸の人々がこの季節のイカを好んで食べていたことが、庶民の生活を単刀直入にイキイキと詠む軽い(かろい)句から感じ取ることができます。

 イカは非常に無駄のない食品で、ほとんど捨てるところがありません。
そして、イカからしか取ることができない食材であり、独特の風味でファンが多いのがイカスミです。

 仕事帰りにワタ入り丸干しイカ炙りで一杯頂く時間は、その日のつらさもすべて忘れ去る至福の時だ……と感じる方も多いのではないでしょうか?

 さて、このイカスミですが、当然のことながらイカが「自分をおいしく食べてもらおう」という人間への心配りでつくり出しているわけではありません。
イカは、敵に襲われた時にこのスミを吐き出して逃げます。

 イカのスミは粘り気が強いため海中でもすぐには拡散せず、しばらくの間かたまり状になって漂っています。
そのため、イカスミの効果はダミー、つまり自分の分身をつくり出して敵の前に差し出すもので、敵がそれに気を取られている間に逃げる。
そんな作戦を取っているのではないかと考えられています。

 ちなみに、タコも襲われるとスミを吐きますが、タコのスミはサラサラで海中に速やかに拡散し、煙幕の役目を果たします。
似たような生物が吐き出す、似たようなスミが、機能の点ではまったく異なるという事実は、進化の不思議を感じさせます。

 さて、このイカスミ、成分はどうなっているのでしょうか。
非常にたくさんの化学物質の混合物ですが、スミを黒くしている色素は「セピオメラニン」と呼ばれる化学物質です。
その名の通り、日本人の髪や目を黒くしているメラニン色素の仲間です。

 人間のメラニン色素は紫外線から身を守る作用がありますが、イカのメラニンは敵から身を守ります。
 

イカスミが、がん細胞を破壊する?

 イカスミは、特に日本人が好んで食用にします。
日本人は昆布だしやカツオだしのようなうまみが好きですが、イカスミの成分には、うまみ成分のアミノ酸が豊富に含まれているので、日本人の口にとても良く合います。

 先ほど「イカスミの役目は自分のダミー」とお伝えしましたが、単なる見た目だけのダミーではなく、アミノ酸を混ぜることによって、おいしいダミーをつくり、敵がそれを喜んで食べている間にイカは逃げるのだと考えられます。

 また、イカスミが海中で拡散することなくイカのようなかたちを保っていられるのは、ムコ多糖類の一種であるコンドロイチン硫酸が含まれているからです。

 コンドロイチン硫酸は私たちの体の軟骨などの成分でもあり、関節をなめらかに動かすための潤滑油の役目をしている物質です。
ムコ多糖は体内で細胞や臓器を保護するさまざまな機能が知られており、免疫力を強化する作用もあるのではないかと考えられています。


コンドロイチン硫酸の構造式

 血管の中を常に巡回しているマクロファージ細胞は、体内に侵入した病原菌などを破壊して身を守る働きをしています。
マウスからマクロファージを取り出し、試験管内でムコ多糖とアミノ酸を与えた後に体内に戻すと、がん細胞やウイルスなどを破壊して処理する能力が8倍に増強された――。

 そんな研究結果が1990年代に報告されたことから、イカスミはムコ多糖の健康食品として、その有用性が注目を集めました。

 ちなみに、「イカスミがあんなにおいしいのならば、タコスミもおいしかろう」と思いがちですが、タコスミは食料品店でも売っていません。
それもそのはず、タコスミは黒色の色素成分こそイカスミと同じですが、ウツボの臭覚を麻痺させて自分の居場所をわからないようにしたり、カニの感覚を麻痺させたりするような特殊な毒が含まれていることがわかっています。

 おいしさの元となるアミノ酸もほとんど入っていないので、おいしくはなく、安全性と味の両方の観点から見ても食用には向かないものです。

(文=中西貴之/宇部興産株式会社 環境安全部製品安全グループ 主席部員)

【参考資料】
食べ物はこうして血となり肉となる~ちょっと意外な体の中の食物動態~』(技術評論社/中西貴之著)
『マギー キッチンサイエンス 食材から食卓まで』(共立出版/Harold McGee著・香西みどり監訳・北山薫訳・北山雅彦訳)

 

<転載終了>