大摩邇(おおまに)

日常の気になる内容を転載させていただきます。 ひふみ、よいむなや、こともちろらね、しきる、ゆゐつわぬ、そをたはくめか、うおえ、にさりへて、のますあせゑほれけ。一二三祝詞(ひふみのりと) カタカムナウタヒ 第5首 ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト アウノスヘシレ カタチサキ 第6首 ソラニモロケセ ユエヌオヲ ハエツヰネホン カタカムナ (3回) 第7首 マカタマノ アマノミナカヌシ タカミムスヒ カムミムスヒ ミスマルノタマ (3回)

日本的霊性

超古代文明

日本的霊性さんのサイトより
http://f35.aaacafe.ne.jp/~shinri/kodaibnmei.html
<転載開始>

日本は、神秘な国である。古代の文化と歴史を追究し、遺された遺跡や遺物を見れば見るほど謎が膨らみ、際限のない、底なしの泥沼に入り込んでいくばかりだ。確たることは何もわからない。謎だらけである。しかし、一つだけ、ぼんやり見えるものがある。現代人の常識が通用しない世界があった・・・・ということである。


ムー大陸の諸説

このロマンに満ちた彼の大胆な仮説は多くの人々を魅了し、ムー大陸の名は理想郷的古代文明の地として知られるに至った。なかでも日本人のムーへの傾倒ぶりは世界でも類のないものがある。
音楽家の宮下富実夫さんや、画家でもある俳優の中島淳一さん、漫画家の美内すずえさんのように、ムーを題材とする芸術家やムーからインスピレーションを受けたと主張する芸術家が増えているし、学研のミステリー雑誌「ムー」の名もこのムーからとられた名である。
このように、ムー伝説が世に与えた影響は、精神的にもはかりしれないものがあり、文化的意義が大きい。

しかし一方、ムーについての学問的研究においては、最近はチャーチワードの模写に近い文化が環太平洋一帯に見られることは事実だが、海洋地質学上から太平洋に大陸が沈んだとは考えられないという観点から、太平洋は大陸は存在しなかったが、ムー文化圏といったものが存在したというとらえ方が主流となっている。

日本での研究の主なものを拳げていこう。

「金子史郎氏の説」
ムー文明圏というべきものが太平洋諸島にあったとし、洪水伝説は後氷河期の海面上昇や付近の火山活動など島々が襲われたからとしている。
(ムー大陸の謎)

「竹内均氏の説」
専門的知識と多方面に渡る教養を持つ、雑誌「ニュートン」の編集長・竹内均元東京大学教授は、金子氏と同様にムー大陸はなかったがムー文明は存在していたとしているが、金子氏と違ってムー文明の源流を大陸に含めている。
「ムー大陸から来た日本人」

「木村政昭氏の説」
数々の地震を予知したことで知られる海洋地質学専攻の木村政昭・琉球大学教授は、基本的に竹内氏の路線を推し進め、環太平洋文化圏(ムー文明)の中で実際に陥没した陸地があり、その幻のムー大陸そのものにあてはまるのが琉球古陸だとしている。
「ムー大陸は琉球にあった」

なお、木村教授はチャーチワードが指摘した場所には一万二千年前にはないとし、その前提の上に「では、いっそのこと、これまでの検証をもとに、その周辺に比定地を探し、それ自体がムーとなりうるかどうか検証してみてはどうだろう。海洋地質のことはひとまずおくとして、チャーチワードのムー文化、とくにシンボルについてはかなりの真理を含むとみられるところから、太平洋の国々のどこかにその源があるとしていいようである」とし、沖縄で発見されている線刻石版を、チャーチワードのムーのシンボルの考え方に当てはめて解読することができたことから、沖縄をその比定地とし、「しんかい2000」で調査した結果、水没した海岸を発見している。

さらにその後の研究で教授は、沖縄の海底に沈んでいる巨大な石造遺跡を発見しているが、現在はそれをムーの遺跡とはしていない。

日本がムー文化圏であることはすでにチャーチワード自身が語っているが、晩年、彼はムーの最も有力な証拠は日本にあるはずだと語っている。

最後のムー大陸「日本」 神衣志奉より

ムー大陸

近年発達した深海底の調査活動によると「ムー大陸沈没説」はともかくとして、その一部とも考えられる陸地が、一万数千年前まで九州と台湾との間の相当広い範囲に渡って存在しており、それが海底深く沈没し、その後に海面上に残ったものとして薩南諸島が現れているということが科学的に実証されているのである。

すなわち、近年、伊豆半島の三原山噴火を予言していたことで知られている琉球大学の木村政昭助教授らの海底調査によると、屋久島と奄美大島の間のトカラ列島の水域の海面下一二〇〇メートルの海底では珊瑚礁から変成した石灰岩が発見されているし、沖縄本島のすぐ南にーの慶良間列島の沖の六〇〇メートルの海底からは象と思われる陸上動物の骨も見つかっているし、地上の洞窟の奥には大洪水---それは陸地の沈没によって引き起こされる大津波---のために流されて溜まったと思われる動物の遺骸も多数発見されている。

こうしたことから、このあたりの水域はかつて陸地であって、それが深海に沈んだことは今や疑いのないものと判定されている。しかし、このような重大な事実が一般マスコミには大きく取り上げられていないことは遺憾なことと言うべきであろう。

なお、一九六七年に那須市に近い具志頭村で発見された港川人の人骨は今から一万八千年のものであるとされている。そして、沖縄各地には七〇〇〇箇所もの洞窟があるが、その一部からは、その地に現在はいない種類のものを含め多くの陸上動物の骨が塊って発見されている。これは、チャーチワードが言うような大陸の沈没がこの近海で起こり、その際に発生した大津波により一カ所に集められたものと推定される。


ともあれ、与那国島近海で発見されたこの神殿遺跡こそ日本列島の巨石文化の中でまさしく極めつけのものと言うべきであろう。もし、それが縄文時代に相当する時期のものであるとすれば、従来の歴史像は完全に否定されるだけでなく、この一帯にはチャーチワードの「ムー大陸沈没説」が唱えるような太古文明をもつ陸地があったことになり、今回の発見はそれに科学的な証明を与えたものと言わざるえない。こうして、これまで唱えられてきた日本列島の文化の形成論や世界の四大文明発祥説は根底から覆されたことになる。その意味で、この発見はまさに革命的なものとされなくてはならないだろう。

こういう事実が示されると、浦島伝説や海幸・山幸説話に現れる海底にある竜宮というのは、「その昔、大宮殿のある楽園が海の底に沈んだ」という先祖からの言い伝えから生まれたものではないかと思われてくるではないか。

「失われた大陸ムー」の著者のチャーチワードは、著書を出す五〇年も前のころ、インドで奇妙な文様を刻んだ粘土版を発見し、そこに記されたものを「ナーカル文字」と名付け、「そこには「輝かしい文化をもった大陸が海の底に沈んだ」ということが記されていると解読できたことが大陸沈没説に取り組むキッカケになったのであるという。彼が「ナーカル文字」すなわち「ムー大陸」の文字と呼ぶものは、川崎氏らが紹介している
古代西アジアの石刻文字にも似ているが、それよりもっと酷似しているものがあるのである。それは、沖縄の各地の洞窟の中の壁や石塊・石板に記されている石刻文様なのである。そのうちの一つについて、地震学者の木村政昭氏は、「太陽の子が支配する国が海の底に沈んだ」という記録であると解読している。その判読の真偽については、なんとも判定はできないが、もし、これが本当のペトログラフであり、木村氏の読み方が正しいとすれば、「ムー大陸沈没説」はますます現実性の高い仮説となってくるだけではなく、日本列島の住民こそムー大陸文明を支えた人たちの直接の子孫ということになってくるのではなかろうか。

「異端から学ぶ古代史」澤田洋太郎・著より


古代秘話

この話は、戸来出身の田村源一郎氏から、著者が直接聞いた話をまとめたものである。

俳人の高橋菊翁が、その孫に当たる高橋タカさんに語ったものを、田村氏がタカさん(もちろん個人)より聞いたものだというが、最初に七十過ぎのご老人の口から、“ムの国”と聞いた時、大いに驚かされた。

当然のことながら、チャーチワード氏の著作を知るはずもなく、著者自身も田村氏にムー大陸の話をしたこともないのに、戸来にこんな話が伝わっていたとは思いもよらなかった。

そこで、『古事記』同様、少々エロチックな部分もあるが、記録の意味を含めて、ここに記しておくことにする。

その昔、太平洋上に「ムの国」があり、五色の人種(白、黒、黄、青、赤)が人種差別もなく、仲良く住んでいた。そして年に一度、各人種が集まって来てお祭りを行っていた。

しかし、何万年前のことかわからぬが、「ムの国」は海中へ陥没してしまった。その「ムの国」より生き残った三人の男が日本に辿りつき、内、一人は現在の青森県の八戸港から“八太郎”という所に上陸したが、まだ日本の陸地はドロドロしていてよく固まっていなく、その男は安全な高い所を目指して奥地に入って行き、戸来にやって来たのであった。こうして最初の日本は男ばかりの世界となった。

一方、当時のシナは女ばかりで、そこから遊女たちが日本の長崎へやって来た。そこで、どこでどう会ったのかわからぬが、男ばかりの世界へ女が来たので、世の中がパーッと明るくなり、男たちは喜び、「アマ(女)が世を照らすようだ」---「アマ照らす」となり、言葉は神也で、これが天照大神となった。

そして遊女たちも、女ばかりの世界から男のいる世界へ来、男の性器を見て「珍しい棒---珍棒」と呼び、これで陰陽完全なる世界が完成したという。

そしてまた、先祖(ムの国)を偲び敬う心から、冠婚葬祭はすべて「五色の旗」を使用することになったという。

「異色古代史・イエス・キリスト日本で死す」絵守きよし 著

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言霊とは何か?

言霊の世界-日本的霊性さんのサイトより
http://f35.aaacafe.ne.jp/~shinri/kotodama.html
<転載開始>

言霊についての解釈の仕方を、言霊研究家の坂口光男氏は下記のように解説している。

言霊とは何か?

言霊という聞きなれない字句を国語辞典で探せば、「古代人がその使い方によって人間の禍福を左右すると信じていた、言葉のもつ不思議な力」と記してある。あるいは、言霊学者・国文学者の論を借りれば、大体次のように定義される。

イ) 万葉集の歌に、「言霊」とか「事霊」という言葉が使われているが、これは、万葉人が言葉に精霊がヤドルと考えていたことを示すものであろう。(日本人の言霊思想=豊田国夫・講談社)
古代日本人は、言葉に内在するこの言葉精霊が、その霊妙な力によって人の幸不幸をも左右すると考えていた。そして、このような言霊思想のもつ呪力信仰は、さまざまな習俗となって伝承されている。(前出=豊田国夫)

ロ) “こと”ということは、一つのある連続した唱え言、呪詞並びに呪詞系統の叙事詩と言ふことだ。言霊は呪詞の中に潜んでゐる精霊へ唱えられる事によって目をさまして活動するものである。(日本文学の誕生=折口信夫)
わが国には古く、言霊の信仰があるが従来の解釈の様に、断篇的の言葉に言霊が存在すると見るのは後世的であって、古くは、言霊を似て、呪詞の中に潜在する精霊である、と解したのである。(前出=折口信夫)

ハ) わが国の言語、つまり国産の精粋であるこれを言霊倒語(制御された詞づくり)と解し用いること。言挙げとは直言だが、直言しないで自分の思い願う事柄がかなえ達せられるのは、すなわち神の御力によるサキハヒであって、この力こそコトダマである。(真言弁/万葉集燈=富士谷御杖・江戸時代の歌人)

ニ) ことたまは、目に見えぬ神霊なり。そこに言霊とかけるが正字なり。そのほかにもよめり。うらを聞く時は、神の霊の人に託して、その吉凶を告しらしめたまふなり。(万葉代匠記=釈契沖・言霊を言霊とした柿本人麿に対する語釈より)

ホ) 霊魂を現す日本語は「タマ」であるが、日本の学界で理解しているタマは、もっぱら遊離魂であって、身体霊としての霊力ないし生命力観念は、ほとんどしられていないか、無視されているのが現状である。後者のタマの代表的な例が「言霊」「魂振り」「御魂の振ゆ」という言葉である。(日本語を探る古代信仰=土橋寛・中央公論社。注/同志社大名誉教授・日本古代文学専攻)
呪物崇拝の根底にある「呪力」(マナ)の信仰は、言葉についても認められる。めでたい言葉はめでたい結果を生み、不吉な言葉は不吉な結果をもたらすが、それは言葉がもつ呪力の作用によるものだとするのが「言霊信仰」である。(前出=土橋寛)

以上、言語学者・民俗学者・歌人・国文学者・古代文学者の順にイからホまでの五つの解釈を紹介させて頂いたが、これら先人の説を簡潔にまとめていえば『言霊信仰は古代において芽生えてきたが、明治以来の西洋文化の流入、戦前戦後の科学文明の発達に伴って、いつしか埋没してしまった』といえるし、言霊そのものの概念は『言葉を発することによって、それを聞く聞かないにも関わらず、ものごとに作用する言葉の霊力』、『言霊は目には見えぬが神霊そのものである』という結論が得られる。

なお、コトダマという古語は、近世になって国学者たちが用いるまで、ほとんど使われることはなかった。現在「タマ」の付く言葉で知られているのは、せいぜい「人魂」や「木魂(木霊・木霊・山彦)」ぐらいである。このほか「数霊」というのがあるが、これは明治以降の造語であって、万葉集などにはでてこない。

学会からはずれた霊学者の言霊解釈

さて、前述での解釈は、ある意味では学会常識の上で礎となる説だが、次に紹介する「言霊」の定義は、これらの常識論からはずれた位置からのものである。つまり、学問の領域を超えたところでの研究者たち、いわゆる言霊専門学者や、霊能者、神道霊学者の見解である。
一部異説もあるが、踏みこんだ解釈として、言霊の本質により近いものといえる(年代・順不動)

① 堀 秀成
秀成は富樫広蔭の門下で、号は琴の舎。古道の真髄を伝えた最後の国学者
主著は、古語類韻(全十二巻)、日本語格全書、音義大全解五巻、音義全書、五十音大意、言語八種考など他に十三書あまり

② 鹿持雅澄
主著は、言霊徳用、万葉集古義総論、古学大意など。

③ 川北丹霊朝弘
主著は言美霊正義、伊豆母廼美多麻など。

④ 山口志道
主著は水穂伝全七巻、火水与伝、神風伯本書、水穂伝解詞一言法則など。

⑤ 山腰明將
山腰明將は、大石凝真素美や水谷清といった秘教学者とは別の系統に位置する言霊学者であり、後述の小寺小次郎と並んで、五十音を山腰流の陰陽五行に分類する試みを行なっており、堀秀成の言霊学とは別形態で、そらに踏みこんだ論を示している。

⑥ 小寺小次郎
小寺は、山腰が古事記による初発神から神代巻終わりまでの経緯をベースとした言霊解説をしたのに比べ、陰陽五行も含めより広範囲に言霊の本質を追求した学者である。

⑦ 宇佐美景堂
戦前から戦後にかけての得意な神道霊能者であった宇佐美氏は、神道におよび秘儀霊脳術など特異な視点から捉えた稀有な人物であり、その著作も多いが、数年前に他界された。

以上、やや長文にわたる紹介なったが、言霊とはいかなるものか、その表面的概略が得られたものと考えたい。このほか、言霊学の先達と見られる国学者・中村孝道(天保年間=言霊或問)や、同年代の大石凝真素美(大日本言霊学)による、「真澄鏡」をベースにした言霊展開、大石を継承した水谷清の言霊観、あるいは神道家・荒深道斉(道臣命による霊示を展開)の言霊解釈があり、この紙面では到底紹介できない。

現在では、古代史研究家・吾郷清彦氏が柔軟な洞察で言霊を取り上げているが、第一線で、わかりやすく言霊論を提示しているのは、神道研究家・菅田正昭氏のみである。なお、秀真伝完訳者(吾郷氏も同じく)である鳥居礼氏も、これをベースにして『言霊-ホツマ』(たま出版)の中で詳述している。

このほか、山口志道の影響を受けた出口王仁三郎(中村孝道の妹、ウノが王仁三郎の祖母にあたる)による鮮烈な言霊理論、これらのエキスを部分注入した岡田光玉(崇教真光・初代教祖)の言霊論、禊教開祖・井上正鐵(寛政年間)が説いた部分的言霊論、佐野経彦(幕末期)の「五十音」などなどの「教派神道系」のものもあるが、詳しくは、それぞれの教派に関わっていただくしかない。(注・佐野経彦には「宇良奈比真伝」もある。的を外れているが・・・・)

学問体系に入る言霊の種類

①古典四書である『古事記』『日本書紀』『旧事記』『古典拾遺』『姓氏録』『万葉集』『風土記』などから取り出して解釈する《言霊》

②平安時代初期の法制書『延喜式』そのものおよび、その巻第八に納められている27篇の古い祝詞・寿詞、通称『延喜式祝詞』から取り出して解釈する《言霊》

③正倉院残簡戸籍や東大寺奴婢籍帳、王朝女流の名から解釈する《言霊》

④仏教の法語、真言、経文、陀羅尼、念仏などから解釈する《言霊》

⑤日本語の口語、文語、すなわち音韻的特徴からの言語学や国語学から解釈する《言霊》

⑥いままでの解釈をさらに発展させた、考古学、遺伝子学、計量比較言語学をベースにした《言霊》


今の学問体系に入らない言霊

①古神道系の流れをくむ《言霊》
(a)荒深神道の言霊(旧石器後期<二万五千年前>の朝座奇穂之命および弥生初期の道臣命→荒深道斉へ)
天津祝詞太祝詞によるヒフミ四十七音の言霊
(b)物部神道の言霊
ヨヒフヒヒフミヨイムナヤコトに示される言霊
また、十種神宝秘儀に関わるヒフミの呪詞の言霊
(c)山蔭神道の言霊
アヂマリカムの言霊
(d)伯家神道の言霊
トホカミエミ(ヒ)タメとヒフミの言霊

②伯家神道の流れをくむ《言霊》
(a)井上正鐵(禊教開祖)の系統
(b)井上正鐵の門下、坂田正安・鐵安の系統→現在、坂田安義へ
(c)平山省斎(禊教から独立した別派=神道大成教)
(d)鬼倉足日公(現・すめら教=皇教本院派)の系統
以上が伯家神道を正式継承した派で、言霊は「トホカミエミ(ヒ)タメ」を神秘の秘詞とする。

③物部神道の流れをくむ《言霊》
(a)佐野経彦=神理教開祖の系統
五十音の言霊が主

④秀真伝系の流れをくむ《言霊》
(a)大物主櫛甕玉命(大物主神とは違う)→意富多多泥古命→三輪神社系三輪氏・三輪容聡
アワヤをベースとした言霊。四十八をベースにした言霊
(b)山口志道が展開する言霊(秀真伝がベースになっている)

⑤教派神道系の流れをくむ《言霊》
(a)出口王仁三郎(大本)→萩原真(真の道)→岡田光玉(崇教真光他四派)に共通する言霊。例えば、五十柱の神(五十音の神)、中心神を「ス」と呼ぶ言霊。萩原真や真光は四十八(よとや)神。
なお、王仁三郎がいう言霊は、山口志道や大石凝真素美の影響が大である。(他に友清歓真系)

⑥神道霊学の流れをくむ《言霊》
(a)中村孝道→望月幸智(大石凝真素美の本名)→水谷清に継承された言霊。いわゆる「真澄鏡」をべーすにした言霊
(b)山腰明將、小寺小次郎が展開する言霊

菅田正昭氏や大宮司朗氏(古神道研究家)も指摘しているように、言霊の実相は、太古以来の本流を継承している教派神道系や、秘儀言霊学者の流れに隠されているものと考えられる。

言霊とは、本来悪に作用するものでなく、「善」に作用する物である。言霊に神霊が宿る以上、言霊は神であり、人間の為の善でしか作用しない。だから、言霊を悪用すれば、その人の運命も悪運になる。したがって、摂理に合わない名前を命名すれば、逆作用(裏言霊・言霊返し=後述)の効験も出てしまう。

もし、言霊と言葉の接点を簡単に述べるとすれば、次のようになる。例えば・・・・・
周囲が騒々がしい場で、平常言う言葉は「シーッ」「静かに」「静粛に」などで、これらに共通するのは「サ行」の「シ」であり「S音」である。これらが言葉であっても、共通の神秘性「S」や「サ行」のシやセは、言霊そのものであり、ここに霊妙なる不可思議な力が働くことになる。

ほかに「ダマレ」「ウルセエ」などの粗語を使う場合があるが、これは前述したように品性低俗の言葉であって、霊妙力が「悪」のほうへ作用し、言われた側の人間が頭に来て、そこに摩擦が生じる。その上にテメエとかバッキャローなどが加わると喧嘩が発生する。
つまり、言霊というのは、原日本語(大和言葉・倭詞)にもとずく「上品」な言葉によって「活動」し、その音韻の波長をキャッチできる人によって、受けとめられるのだ。(シズカニ→ハイワカリマシタ=受け入れ)

ちなみに不可思議の「S音」を挙げれば、いずれも「静か」の言葉を極める言葉になる。「鎮める」「静けさ」「清水」「涼しさ」「白む」「白々」「白ける」「滴」。音読みでは「清純」「静ひつ」「静止」「静物」「静寂」「静穏」「静閑」「死」など。
なお、神輿をかつぐときの力声は、「ワッショイ=和を背おう」が正しい言霊で、今流行りの「セーヤ」などの系統は、悪霊を招く言霊である。

「幸運を招く言霊」坂口光男 著

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こしんとう(‥シンタウ)【古神道】

日本的霊性 神理研究会さんのサイトより
http://f35.aaacafe.ne.jp/~shinri/koshindo.html
<転載開始>

こしんとう(‥シンタウ)【古神道】

仏教や儒教などの影響を受ける以前のわが国固有の神道。

〔宗教(仏教以外)〕日本民族の伝統的信仰で、祭祀(サイシ)を重んずる多神教の宗教。その神には自然神と人間神とがあるが、一般には人間神、すなわち皇室や国民の祖先である天照大神をはじめとする神々が多く祭られ、祖先崇拝が中心となっている。かんながらの道。神道(シンドウ)。

《参考》神道は、皇室神道・神社神道・教派神道・民間神道に分けられるが、一般には神社神道をさす場合が多い。 


世界に注目される古神道

さて、ヨーロッパの知識人が東洋の伝統文化に驚き、その極致ともいうべき仏教文化に感動しているあいだは、まだ表面をなでているにすぎない。日本文化を本当に理解しようとする人びとは、その根底にある神道と出逢ってしまうのである。ギリシア・リュカディア島生まれのイギリス人、ラフカディオ・ハーンこと小泉八雲もそうだったし、イギリスの歴史学者アーノルド・J・トインビーもそうだった。ちなみにトインビー博士は昭和42年の秋、伊勢神宮(内宮)を参詣したとき、その参拝記念帳に次のように書きしるした。

「この神聖なる庭に立つと、わたしはここがすべての宗教の原点であることを感じる」

いうなれば日本の神道は、宗教の源泉なのである。たとえば、ローマ・カソリックが日本の禅と神道を霊性開発の手段として半ば公認しているのは、キリスト教じたいに霊性開発の能力が失われているからほかならないが、もうひとつの理由としては、かれらが日本の神道を宗教の源泉と考えているからである。

日本の神道はしばしば多神教であるといわれ、実際、八百万の神々の存在を認めるから、多神教のなかでも際立ったものだ。すなわち、自然界の万物に神性を見、自然界に起きた諸々の現象を神々からの通信として感じる。いうなれば、古神道のいわゆる<神ながら>とは、自然に偏在する神々のすべてと一体化する、ということである。

とにかく、神道がいま世界的に注目され始めている、という事実である。それは神道が人びとの霊性を刺激し、人間と神々との交流を活発にさせるからである。その点で神道が<宗教の源泉>とよばれることには、大いに意義がある。

「古神道は甦る」菅田正昭・著より


伯家神道

日本に古来から伝わる本来の神道の教え、つまり古神道の流派に属するこの一派は、代々「神祇伯」という、古代日本の律令制度の下に設置された神祇官の長官職を世襲する一族に伝えられてきた。
この一族が13世紀末になって白川姓を名乗るようになった為、白川伯王家、あるいは伯家と通称されている。この白川家に代々口伝で伝えられてきた教えなので、「白川流」、あるいは「伯家神道」と呼ばれたのである。
白川家は神祇官の長官たる神祇伯として、神国日本の支配者たる天皇がマスターすべき様々な行法を伝え、また歴代天皇に伝授してきたという栄光の過去をもっている。

神道には多くの流派があり、それぞれに秘伝を伝える家系があるが、宮中のみ伝えられる行法を伝授してきた白川伯王家は、なみいる神道家の中でも名家中の名家と言っていいだろう。
したがって伯家神道は、天皇家を頂点と仰ぐ日本の神道の流れの本流とも言うべき流派なのである。
ところがこの伯家神道は、明治に入ってから白川家とともに途絶えてしまった。しかし、伯家神道の影響は、今でも様々な形で残っているのである。
例えば、後の神道に大きな影響を及ぼした平田篤胤は、白川伯王家の学頭を努めたことがあり、終生白川家と良好な関係にあった。
もっと最近の例で言えば、鎮魂帰神の行法を復活させた本田親徳も、伯家最後の学頭である高浜清七郎の友人であった。
そして、この「本田流鎮魂帰神法」を受け継いだのが、日本の宗教史上避けて通れない巨人、あの出口王仁三郎であった。
さらに、この鎮魂帰神法は、出口王仁三郎の大本教から分かれた無数の宗教に様々な形で継承されていく。
もし本田が復興した鎮魂帰神の背後に伯家の秘伝があるとしたら、出口王仁三郎も、そしてかつての大本に集まった多くの宗教家たちも、すべて伯家の霊統を継ぐ者ということになる。
また、驚くべきことに、伯家の霊統に連なる者の中には、驚異的な予言の才を示したものたちが数多く見られる。
日本最大の大預言者とも言われる出口王仁三郎や、『日月神示』を授かった岡本天明、さらには明治の易聖、高島嘉右衛門も、実はこの系統に属するのである。

いずれにせよ、伯家神道の教えは、明治になって失われてしまった。
しかし、である。神道研究家の間には、伯家神道の口伝とされる、ある予言が伝えられているのである。

その予言に従えば、なんと日本は2012年に滅びてしまうという。

それは、「伯家に伝えられた祝の神事を授けられない天皇の御世が百年続くと、日本の国体が滅亡してしまう」というものである。「祝の神事」とは伯家が代々の天皇に伝授する行法のこと。最後にこの「祝の神事」を受けたのが明治天皇で、大正天皇が即位した1912年から100年後が2012年にあたるのである。

伯家の予言も、伯家系統の宗教家に降った神示も、結局その起源は同一であり、これらは霊界からの交叉通信のように、全部を組み合わせることによって、はじめて全体の意味がつかめるのではないだろうか。

あわせて、日本の滅亡を防ぐ鍵も、やはり神道の教えにあるのではないかと考えたのである。

伯家神道の聖予言 羽仁 礼 著より


天皇家の神道・・・伯家神道

「神道には精進潔斎はあっても行法はない、と思いこんでいる人も以外に多い。そうした中で、ここでは伯家神道を中心とした古神道の行法についてふれてみた。

この伯家神道は、明治維新まで八百年以上にわたり、代々神祗伯を継承してきた白川伯王家に伝承されてきた古神道で、白川伯王家は宮中祭祀を司ってきた家柄である。その行法はもともと菊のカーテンの奥深いところで〈天皇の行〉として行われていたこともあって、一般的には知られることがなかった。とくに、明治維新にともない伯王家が廃止されたため、その行法はほとんど埋没してしまった。

私は、昭和五十七年から五十九年にかけて大津と東京で二回ずつ、その行法を学ぶ〈伯家神道斎修会〉に参加する機会をもった。それは、目をつぶっての行法であり、本来、口外してはならない秘密の事柄なのだが、そこでのそこばくたる体験をもとに、私の神道に関する持てる限りの知識を総動員して、この伯家神道の行法の本質に迫ってみた。

一言で言うと、それは生命力を強め、神々と一体化していくための、神ながら〈鎮魂法〉であった。その過程で、手かざしによる浄霊なども行われるのだが、明治天皇はみずから、この行をうけられ、三千柱以上を“ご浄霊”されたという。

この伯家神道の行法は、ある面では生長の家の神想観や白光真宏会の精神統一行に、また別の面では崇教真光や世界真光文明教団などの、大本→世界救世教系の浄霊法とよく似ているのである。

古神道のなかで最も由緒正しいものとされる伯家神道と、“オカルト宗教”とやっかみもある新宗教との相似関係は何を物語っているのか。古神道の甦りという視点から、この相似の因果関係の可能性について論及してみた。また、教派神道のなかに流れている古神道の呼吸法についても、鎮魂法の一環として同様の観点から考えてみた。」

「伯家神道(白川神道)は、白川伯王家に伝わった神道で、明治維新を迎えるまでの皇室神道として、伯家の流儀は天子の御流儀であることを謳い、神道の中でも最も純枠正統なものであることを自任した。そして、宮中祭祀を司るとともに、天子や摂関にたいして御拝の作法を伝授したり、諸国の神職を総支配した。」

江戸時代は、この両家が神道の〈家元〉として、神職免許を授与したが、そのほとんどは吉田神道=吉田家の支配にあった。ちなみに幕末期に活動していた教派神道の四教団のうち、黒住と天理が吉田神道系、禊と金光が白川神道系に属する。ただし、帰属意識を今なお持っているのは、白川神道系の禊教だけである。

吉田神道は、どちらかといえば教理が中心だったが、伯家神道は行事に重きを置いてきた神道だった。もちろんこの場合の「行事」とは、皇室が行う神事のことである。とうぜん宮中の奥深く、ほとんど人目にふれることなく秘密裡に行われてきた。そのために、伯家神道は吉田神道にくらべると、記録されたものが圧倒的に少ない、という弱点をもっている。ただし、宮中の神事や、天子の御拝の実情を伝える貴重な家伝書『伯家部類』をはじめとする古記録、江戸時代の伯家門人帳などの、いくつかの資料は残っている。ちなみに前者の系統は宮内庁書綾部、後者は金光教が中心に所蔵している。
さらに、伯家神道の場合、皇室の行事と密接に関係した部分での行法があった。すなわち天子が行う御法として、代々の神祗伯が相伝してきた行法である。この行法には、天子あるいは神祗伯がただ一人で行うものと、天子の御手代としての神祗伯を真中に置いて複数でおこなうものとあったらしい。

したがって、明治維新後、八百年以上にわたって皇室祭祀と天皇の行法を伝承してきた伯家が廃止されると、伯家神道は事実上埋没してしまうのである。
いっぽう、古代の民衆神道の甦りとして幕末から明治にかけて発生した教派神道も、国家神道の成立によってキバを抜かれ、教祖たちが直接、神と出会って授けられた〈教え〉のうち、国家神道と抵抗する部分は、捨てられたり、隠されたりしてしまった。
戦後、国家神道体制の崩壊で、それから自由になったが、そのときは神道そのものが人々から嫌われてしまった。というのも、一般庶民には、神道=国家神道と誤解したからである。そのため、古神道は神道という形で復活することができず、新宗教としての諸教というかたちで、古神道の一部が復活しただけだった。
いっぽう、伯家神道なきあとの皇室神道は、天皇のいわゆる人間宣言によって、これもますます形骸化した。
ところが、1970年代に入って、公害問題、自然保護・・・・等々が叫ばれるようになり、〈宇宙船地球号〉というような認識が一般的なものになってくると、古神道が再び動き出したのである。というよりも、それまで地下に埋没していた古代の神々が地球の将来を憂え、人類を救おうとして動き始めたのである。

そのため、埋没した神々は、自分たちに代わって伯家神道の道統を動かし、その行法を行わせたり、その行法とほとんど同じことをしている古神道系の新宗教派系の宗教団体を動かして、自分たちを地上に出させよう、としているのである

「古神道は甦る」菅田正昭 著より

伯家神道の口伝「2012年、日本大混迷説」

2012年を占星術で見てみましょう。2012年1月4日、水星と明治の月が対極を示し、その時の火星と明治の火星も同じく対極になり、これらでグランドクロスを形成しています。

「火星は男性原理をあらわし、感情と知性のバランスを失い、いままでとその時の考えが大きなアツレキを起こす」

と解釈できます。

「2012年に日本の危機が訪れる」

という不気味なものは、天皇家の古神道である伯家神道の口伝の中にも見出せます。

「祝(ハフリ)の神事を行わない天皇が百年続くと、日本の国体は崩壊する」

という恐るべき口伝です。

祝の神事とは、天皇が即位する時に大嘗祭で行う秘密の神事です。日本の霊性の保護をつかさどる天皇の秘儀伝承は、2012年が猶予限界期にあたり、それを乗り越えないと日本のいままでの体制が崩壊するというものです。

明治天皇までは祝の神事を行って即位しましたが、大正天皇から昭和天皇、今上天皇とすでに80数年経過して、百年目になるのが2012年です。現在は天皇の霊性が岩戸に隠れた状態という人もいます。

古神道の立場からいうと、祝の神事は天皇が日本という国土に、“天皇霊”の霊力を降臨させて、加護をいただくヒモロギ(依り代)になる儀式です。その依り代になる儀式が大嘗祭であり、それを司ったのが伯家神道なのです。

いわば日本そのもの“鎮護祭”を代々天皇家が行っていました。そういう祭りによって、神の「御稜威(守護オーラ)」が日本を覆います。御稜威とは神の加護のことです。その霊力がだんだん落ちており、2012年に破綻するというのです。

逆に考えますと、2012年までに祝の神事という“鎮護祭”を行えば、再び守護力が復活し、危機は脱出でき、不死鳥として復活できるということなのです。これは大いなる切り札の一つです。

「そんな社会の崩壊や天変地異は来るものか」

このように無視するのはカンタンです。しかし、阪神大震災やオウム事件を経験した今、絶対来ないという保証もありません。

それを“危険を知らせる大いなる警鐘”“地球環境問題を解決するための叱咤激励”と受け止めて、地球が大規模な自浄作用を起こさないで済むような状況にしていくことです。

これらは2012年までをうまく乗り越えれば、輝かしい未来が待っているとも解釈できるのです。

“不二と鳴門の仕組み”によって人間の「心の岩戸開き」が否応なく求められる時代になったようです。

「時霊からの警鐘」 山田雅晴・著より

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