大摩邇(おおまに)

日常の気になる内容を転載させていただきます。 ひふみ、よいむなや、こともちろらね、しきる、ゆゐつわぬ、そをたはくめか、うおえ、にさりへて、のますあせゑほれけ。一二三祝詞(ひふみのりと) カタカムナウタヒ 第5首 ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト アウノスヘシレ カタチサキ 第6首 ソラニモロケセ ユエヌオヲ ハエツヰネホン カタカムナ (3回) 第7首 マカタマノ アマノミナカヌシ タカミムスヒ カムミムスヒ ミスマルノタマ (3回)

みそ汁の具

神武天皇と桓武天皇

みそ汁の具さんのサイトより
http://ameblo.jp/adgjmptw-214c/entry-11334723775.html
<転載開始>
天皇を死後、神として祀る風習は日本には元来存在しません。天皇はあくまでも神を祭祀する立場であっても、祀られるものではありませんでした。ただ例外として神として祀る方法もあります。その方法は、先週の記事で述べた通りです。神仏習合をさせる事で、仏を本地とし、その垂迹神として、この世に権現させる事で、天皇を神として祀る事はしてきました。ただこの有史以来持ち続けてきた類まれない素晴らしい本地垂迹信仰が明治朝廷の手によって破壊されてしまいますと、それと同時に明治朝廷の都合によって恐れ多くも天皇を直接に神として祀ってしまうという信仰へと変わり果ててしまいました。そうつまり日本文化が、和風文化へと変化してしまったのです。明治以降はあくまでも『風』でしかないのです。明治朝廷のやらかした廃仏毀釈 ・神仏分離とは、いったいどのような野心をもった侵略的な構図が隠されているものなのかとを、ちゃんとした視点で探っていかなければ、日本民族はいつの日か、この『和風』でしかない成り済まし共の支配体制である明治朝廷の手によってむざむざと浄化されてしまう運命となってしまう事でしょう。

明治朝廷によって神とされてしまった天皇で一番有名なのが明治神宮で祀られてる明治天皇である事は言うまでもありません。明治天皇は、幕末以降から没するまで明治朝廷により好き散々利用されたので言わずもがなの存在ですが、他にどのような天皇が、神とされるようになったのかとを見て行きましょう。

露骨にも分かりやすく典型的な例として二人居ます。

続きを読む

討薩檄(とうさつのげき)

みそ汁の具さんのサイトより
http://ameblo.jp/adgjmptw-214c/entry-11376924273.html
平成百姓一揆奨励会さんより教えていただきました。
<転載開始>
「薩賊の兵、東下以来、過ぐる所の地、侵掠せざることく、見る所の財、剽窃せざることなく、あるいは人の鶏牛をぬすみ、あるいは人の婦女に淫し、発掘、殺戮、残酷極まる。なおかつ靦然(厚かましい)として官軍の名号を仮りる。これ今上陛下をして桀紂(伝説の大悪人)の名を負わしめるなり」

幕末史に燦然と輝く真実を貫いた激文『討薩檄』からの一文を掲載してみました。さすが日本有史に並ぶものがないと言われる名文だけあって、未だ力強さがみなぎってきますね。起草者の米沢藩士雲井龍雄は明治以降は無名の士ですが、幕末当時は知らぬ者の居ない名士でした。

少し時間を『大政奉還』に戻します。この徳川幕府の行った内部クーデターである大政奉還により、本当ならば近代日本は無血革命となるはずでしたが、残念ながら薩摩長州の策略に嵌められてしまい無欠革命とは成りませんでした。

大政奉還後、すぐに朝廷で『小御所会議』が開かれます。朝廷といっても、すでにその当時、薩摩長州が幼い明治天皇を利用して支配をしていた事は周知の事実でした。なのでその小御所会議の内容はかなり歪な悪意があり卑猥なものでして、大政奉還を成し遂げた徳川家の領地を全て没収すると言う、いわゆる『辞官納地』が決定されてます。何故に大政奉還をし、自らが権力を手放した『王政復古』の最大の功労者である徳川家が朝廷に敵視をされては『辞官納地』という極めて差別的である無条件降伏を強いられるのか?未だこの疑問は解けません。

続きを読む
プロフィール

genkimaru1

記事検索
タグ絞り込み検索
情報拡散のため1回ポチッとクリックお願いします。
人気ブログランキングへ
RevolverMaps
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

ふるさと納税
最新記事
カテゴリ別アーカイブ
最新コメント
[ひふみ祝詞]
天津祝詞
祓祝詞
Amazonライブリンク
楽天市場