大摩邇(おおまに)

日常の気になる内容を転載させていただきます。 ひふみ、よいむなや、こともちろらね、しきる、ゆゐつわぬ、そをたはくめか、うおえ、にさりへて、のますあせゑほれけ。一二三祝詞(ひふみのりと)

木の花ファミリーの経済から世界を見る

今日はお釈迦様の誕生日(^-^)

木の花ファミリーの経済から世界を見るさんのサイトより
http://konohanafamilyeconomy.blogspot.jp/2018/04/blog-post_8.html
<転載開始>
2年前の今日、お釈迦様からいさどんに言葉が降りて来ました。以下、その言葉の一部を引用します。

☆彡 ☆彡 ☆彡
今、みんながハッピーバースデーを歌ったので、48日が誕生日であるお釈迦様から言葉がありました。
お釈迦様の言葉は、僕の言葉という自負心をもって生きています。なぜ一年を区切りとして誕生日とするのでしょうか。
時は永遠に続いて、一年というのはその中の通過点ですから、一秒でも、一日でも、一ヶ月でも、一年でも、十年でも、一生でも同じなのです。
お釈迦様が伝えられたことは「目覚める」ということ。
目覚めるとはどういうことでしょうか。それは眠っている人が起きて、眠っているうちにわからなかったことを知る。そう思うでしょう。そうすると、肉体をもって生きているということは、今自分が知らないことを知るということになり、「そうだったのか」という目から鱗のような気付きを、みんなは目覚めだと思うのです。
それもそうなのですが、実際には少し違うのです。ここでの目覚めるということは「悟る」ということ。悟るということは「差を取る」ということ。
何と何の差を取るのかというと、お釈迦様は「自分と宇宙」と言われました。自分というものに目覚めると「自我」が発生します。そして常に自らの解釈がこの世界を図っていくのです。
般若心教では・・・
「色即是空 ……ここでいさどんは般若心教のお経を唱え始めました)」
今、「無」ばかり出てきましたね。これは「ない、ない、ない、ない」と言っているのです。それは、自分という意識を持つと
この世界を自らの秤をもって図るのでこの世界と自分に差ができる、ということです。そして、自らの秤を持たないようになる、つまり図る自分がなくなれば、この世界が「ない、ない、ない・・・」と思えるようになるのです。そしてこの世界が「絶対有」であるという状態になるのです。今日はゆう君の誕生日ですからね(チーン 笑)。
そこで、「絶対有」とはどのような「有」かというと、すべてが自分自身である、ということです。
自分とこの世界に差がある状態を悟りとは言いませんね。人は自らの解釈に依らない境地になったときに差が取れて、この世界すべてが自分になるのです。
今日お釈迦様の誕生日を祝い、あきちゃんとゆう君が誕生日にあたってコメントをしたので、今、僕はお釈迦様に代わってコメントしました。
そしてお釈迦様は、己とこの世界(宇宙)はどういう関係なのか、「私は宇宙、宇宙は私。」そうすると、区別はどこにあるのか、「あなたは私、私はあなた」という意味、そして私の存在、私の伝えたこと、私の悟り・意志とは何なのかを語って伝えてくだされ、と言われたので、お釈迦様に代わって代弁させてもらいました。


続きを読む

ただ出会う出来事を楽しんでいく(2)

木の花ファミリーの経済から世界を見る さんのサイトより
http://konohanafamilyeconomy.blogspot.jp/2018/03/blog-post_16.html
<転載開始>
 


日の出の位置が大分、富士山に近づいてきました。富士山の近くから登る太陽。その光景はとても美しいものです(^-^)

昨日、確定申告が無事済みました。僕は締切前日も確定申告の書類作りをしていましたが、記帳漏れの通帳を一つ発見しました。そこで自転車に乗って急いで銀行へ出掛けたのですが、帰り道に自転車のタイヤがパンクしてしまいました。忙しいところに予期せぬ出来事に出会いましたが、穏やかな気候の中、自転車を転がし周りの景色を眺めながら歩くのはとても気持ちのよい時間となりました(^-^)
続きを読む

すべて美しく、すべて意味があり・・・

木の花ファミリーの経済から世界を見るさんのサイトより
http://konohanafamilyeconomy.blogspot.jp/2018/03/blog-post_9.html
<転載開始>
3月7日の誕生日、僕は1ヶ月間の真学校「経済革命」の講座に講師の一人として参加しました。講座の冒頭、いさどんはこんなふうに僕を紹介しました。以下、「当たり前の仕組み・お財布ひとつの経済」からの引用です。

☆彡 ☆彡 ☆彡


経済とは、お金の流れです。では、木の花の中でお金の流れはどうなっているでしょう。
木の花の中のお金は、ひとつです。皆さんの会社や家庭の中で、お金はひとつではないでしょう?でも木の花では、お金はひとつなのです。みんなでひとつの財布です。つまり木の花の経済は、私たちの体や地球、太陽系、銀河、宇宙の仕組みと同じなのです。それはこの世界の仕組みそのものですから、当たり前のことですね。ところが、この当たり前のことが今の人間社会にはできないのです。
僕はいろいろなエコビレッジなどに招待されて行くことがありますが、皆さんのところではお財布はひとつですか、と聞くと、そうではありませんね。たった「財布ひとつ」ができない。なぜだかわかりますか。それはスピリット、つまり、心がひとつではないからです。
木の花の経済は「財布ひとつ」ですが、それを循環させる心臓の役割を今日は連れてきました。
IMG_8989
経理のなかのんです。木の花の心臓です。よろしくお願いします。
続きを読む

経理を通して社会と響き合っていく

木の花ファミリーの経済から世界を見るさんのサイトより
http://konohanafamilyeconomy.blogspot.jp/2018/03/blog-post_3.html
<転載開始>
先月、プロセスワーカーのとこさんは還暦を迎えましたが、とこさんが誕生日にあたり書いた言葉がとても印象に残っています。以下その一部を引用します。

☆彡 ☆彡 ☆彡

兎に角、言いたいのは、年齢だから起きてると思う症状を歳のせいにするより、その症状がシステムに自分がどう加担してるかにいかに関係してるかっていうアウェアネス(気づき)を持ちたいと思う方が、とこにとっては大事ってこと。

☆彡 ☆彡 ☆彡

システムという言葉は社会とも言い換えることが出来ると思うのですが、一人一人の身体症状や課題は社会の影響を受けていて、社会の表れとも言えます。と同時に、一人一人の総和が社会なわけだから、自分のあり方は今の社会のあり方に何らかの形で加担しているわけです。人は症状に出会うと自分を被害者のように感じるものですが、無意識を含めた自分の総和がその症状を選び、そして自分一人分、今の社会に影響を与えているのです。そこを見極めていくことはとても大切なことだと思っています。

それと同時に大切だと思っていることは、症状をネガティブに捉える必要はないということです。ネガティブに捉えるのは、善い悪いという発想に囚われているからで、すべてはただ相応しくあるだけなのです。だから単純に症状や問題をなくそうとするのではなく、症状や問題を生き抜きその奥を見通していこうと思っています。その時きっとこの世界の神秘が花開いていきます。




ここで社会と自分の関わりについて書いてみようと思います。僕ら木の花ファミリーはお財布一つでみんなで暮らしています。誰がお金を持っていてもそれをみんなのお金として扱い生活しています。どこにあっても誰が持っていてもみんなのお金で、そのお金を通してみんなの生活を支えています。自分が持っていても他の人が持っていても同じことだからみんなお金のことを気にせずに暮らしています。その暮らしは今の社会に対する一つのメッセージとなっています。

続きを読む

自分自身が大海の表れであるように。

木の花ファミリーの経済から世界を見るさんのサイトより
http://konohanafamilyeconomy.blogspot.jp/2018/02/blog-post_22.html
<転載開始>
自分は親孝行をしていたはずなのに、与えようとする意識とそれを受け取る意識の価値観が違うがために、親不孝をしていることがわかったのです。親孝行や人を想うことは、相手と通じたときに価値があるのです。どんなに相手を想う心であっても、それがいかに尊くても、相手と通じなければ意味がないと考えたときに、自分は間違っていたと気付きました。その極めつけとして、「自分は世のため人のための人生を生きると言っておきながら、結局自分の先祖や両親を優先して考えていた。ここにも我があることを知って、天はこの我も取りなさいと教えてくれているのだ」と気付き、親元を離れ、富士山へ行き、この生活をしようと決意したのです。


このようにして、ふるさとでの理想郷づくりを半年で断念した僕は、ふるさとを出発する当日、その志を滝神社の氏神様に報告しに行きました。そうしたら、氏神様から次のような言葉が降りてきました。「そなたのことは、上の神様より聞いておった。そなたがここに来て、わたしを盛り立ててくれることを喜びとしておった。だから、まさかここで別の地へ行くとは思わなかったが、それは理解できる。旅立ちのはなむけに、言葉を送る。どんな大海を行く者も、その始まりはふるさとに降るしずく一滴より始まることを忘れるな。



続きを読む

空っぽになること、それは本来の自分に戻ること

木の花ファミリーの経済から世界を見るさんのサイトより
http://konohanafamilyeconomy.blogspot.jp/2018/02/blog-post_19.html
<転載開始>
 
富士浅間木の花祭り「瀬織津姫の舞」。瀬織津姫は水を司る神様です。


今、世界の人々は、まるで水がいっぱいに入ったコップのよう。自分のコップがいっぱいで、もうそれ以上入る余地がない。僕が木の花ファミリーで学んだことは、みんながからっぽになっていくこと。からっぽだから、ここには世界が入ってくる。



続きを読む

人生とは場創りである

木の花ファミリーの経済から世界を見るさんのサイトより
http://konohanafamilyeconomy.blogspot.jp/2018/01/blog-post_30.html
<転載開始>
大切なのは場創り。富士浅間木の花祭りには外からもお客様が訪れます。その人たちに来て良かったなと思って貰えるように、何かを感じて貰えるようにすることが大切です。そのために僕たちは極めていくのですが、それは単純に技術的なことを究めていくのではなく、心を究めていくのです。

「大切なのは心だね」

そのことが伝わるように日常をしっかりと送り魂を込めていくのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

これは木の花祭り開催前のいさどんの言葉ですが、この言葉を聴いて、場創りとは他者のために生きることであり、人生とは場創りなのだと思いました。

「場が人を癒す」ことがあります。そんな場所についてカタカムナでは「イヤシロチ」と呼ばれていて、船井幸雄さんの著書『イヤシロチ-万物が蘇生する場所がある』では以下のように説明されています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

「イヤシロチ」というコトバを御存知ですか。「イヤシロチ」に対するコトバを「ケガレチ」といいます。この二つのコトバは、これから流行語になりそうに思います。
 イヤシロチというのは、ほとんどの人や動物、そして植物がそこにいると気分のよくなる土地、いわゆる癒される土地のことなのです。
 ケガレチは、その逆の土地のことで、ともに語源は古代日本人(カタカムナ人)が使っていたコトバから出てきた…といわれています。(転載終了)


☆彡 ☆彡 ☆彡


続きを読む

何ももらっていなくても

木の花ファミリーの経済から世界を見るさんのサイトより
http://konohanafamilyeconomy.blogspot.jp/2018/01/blog-post_17.html
<転載開始>
昨日の朝起きた時、「何ももらっていなくても」という言葉が浮かんできました。この言葉は僕の中で、2年前の2月にいさどんが語った言葉と結びついています。それはこんな言葉です。

☆彡 ☆彡 ☆彡

生きていることが天の意志であり、計らいであるとしたら、ある程度地上を生きる者の事情も加味して計らってもらわないと、天の計らいを意識して生きる者にとっては、生きることが人によっては辛いことばかりになってしまうことがある。そして、歩みが遅れる。だからこそ、少しは天に向かってありがたいと思えるように、その計らいを感じられるようにしていただかないと、と思っていた。そうしたら、それに対する答えが降りてきた。

天に計らいをしていただかないといけない、という自分の心の中に、困ったことが起きたという、ある意味緊張と言うのか、心の筋肉が張っている状態があった。そうしたら、ふぁーっと、それに対する回答が返ってきた。それを何と表現したらいいのだろう・・・・水鉄砲からぴゅーっと水が発射されたような感じのものが何本も降りてきて、それは霧のようなものだけど水ではなく、虹のようでもあって、光でもない。それはいったい何だろうと探っていくと ――――― 響き。

カタカムナでいう潜象界から「カ」がヒフミヨイと進み、マワリテメクルで現象化の自転公転の動きが起き、そしてムナヤコトでアマ界に至り現象化してみこと(命)になって出て来るでしょう。アマ界から現象化して出てくる時に、最初は響きとして出て来る。その響きが、現象界の水のようにちりちりちり・・・と破線のような感じで、いくつもいくつも平行にしゅーっと降りて来る。そういう景色が、返事として返ってきた。

それで、わかったぞ、と思った。そして今、それを伝えようと思い、その前段となる自分が天に向けた想いを語り始めた。配慮をしていただかないと、ことが起きることばかりを受けていては、人間は道を信じていただくことを忘れがちになります。それは困ったことが起きましたという感じで心の筋肉が緊張している状態であり、そういうふうになると道が遅れます、と。僕がそう意識を向けたことに対して、ちりちりちり・・・といくつも降りてきたものは、その緊張をふーっと取ってくれた。

緊張をふーっと取られて、その瞬間に「回答が返ってきた」と思った。ところが、こちらが天に向けた想いを説明して、さてその回答を言葉にして語ろうと思ったら、言葉は何も出てこない。ただ緊張だけを取ってくれた。

続きを読む

道理に基づくうれしたのしの世の到来

木の花ファミリーの経済から世界を見るさんのサイトより
http://konohanafamilyeconomy.blogspot.jp/2017/12/blog-post_31.html
<転載開始>
株価が上がって喜ぶ人は一部の人で、汗水流して働く人々はその恩恵は受けません。でも、こんなニュースが流れると、株で儲けたいと思う人が多くなります。すると、汗水流して働く人が減っていきます。それは健全な社会の姿でしょうか?汗水流すことで得る僅かな収入で暮らし大人は、子どもには勉強をさせて将来、楽をさせたいと願います。そして、そんな子どもたちの中には、貧しい人たちを助けたいと医者を志すもので出てきます。ですが、医者は病人がいて初めて成り立つ仕事です。病に依存しています。加えて、生活を成り立たせるために収入におわれ、最初の理想も失っていく可能性が大きくなります。現実の中で何かが狂っていくのです。

加えて、そんな子どもたちが医者になれる可能性はとても低い現状があります。東大生の親の年収ですが、57%は950万円以上というデータがあります(年収ガイド参照)。子どもが東大に入るためには莫大な投資を必要とするのです。教育基本法3条では教育の機会均等が謳われていますが、現実は経済格差が教育格差に繋がっているのです。結果、東大には今、受験勉強が出来る、記憶力が優秀な人ばかりが入学しています。それは本当の意味で「頭が良い」とは言えません。「頭が良い」人とは直観力が働く人です。そんな本当の力を持つ人たちが出て来れない世の中になっているです。

そして、スポーツの世界に目を向けても、そこには歪みが見えます。トップを夢見ること。そこへ向けて人間の可能性を追求することは素晴らしいことですが、反面多くの落ちこぼれを生んでいます。プラス思考ばかりを追求すると、これも歪みに繋がります。例えば、フィギュアスケートのジュニアたち。彼らが表舞台に立つために親はどれだけ多くのお金を投資しているのでしょうか?その背後に親の涙ぐるしい努力があります。それは子どもへの欲の心から生まれているのではないでしょうか?その姿は美しいものでしょうか?


続きを読む

カタカムナを生きる ~トキのズレ~

木の花ファミリーの経済から世界を見るさんのサイトより
http://konohanafamilyeconomy.blogspot.jp/2017/11/blog-post_18.html
<転載開始>
 

トキのズレ


11月18日20時43分は蠍座新月です。木星が蠍座にある今、その蠍座での新月ということでとても幸運な星回りと言われています。ならば、ブログのUPもそれに合わせようかという心も働くのですが、そういう意図はいらないなと思いました。欲の心が働くので。

天体のリズムが大きな流れであることは間違えありません。ですが流れは単層ではなく多層的になっていて、そこには「トキのズレ」が存在するのではないかと思うのです。例えば、新月は新しい何かを始めたり、宣言をするのに適した時と言われていますが、すべての人間のリズムがそれと一致しているわけではなく、多少の「トキのズレ」を含みながら、そのズレが立体的な動きを生み出して、シンフォニーとなりこの世界を豊かにしているのではないかと思うのです。

だから頭で知った新月という情報に合わせて書くのではなく、湧いて来た時にそのまま言葉を紡いでいけばいいのです。それが僕のリズムです。天体のリズムに完全に一致することもあれば、ズレる時もある。一致すれば大きな流れの支援を受け、ズレたらズレたで、それは「トキのズレ」としてこの世界に奥行をもたらしていくのです。なんにせよ、僕はこの世界の多層の流れの一部であり、「トキのズレ」が大きな流れとの間で美しいハーモニーを奏でるように心掛けようと思っています。

ヒフミヨイムナヤコト(1・2・3・4・5・6・7・8・9・10)

続きを読む
プロフィール

genkimaru1

記事検索
タグ絞り込み検索
情報拡散のため1回ポチッとクリックお願いします。
人気ブログランキングへ
RevolverMaps
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新記事
カテゴリ別アーカイブ
最新コメント
[ひふみ祝詞]
天津祝詞
祓祝詞
Amazonライブリンク
楽天市場