くろきげんのライブドアブログ

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2012年02月

現在の日本棋院ルールのわけのわからなさ

池田敏雄氏の囲碁ルール試案の紹介」にも書いたように、ぼくは池田囲碁ルール試案 (英語版) の支持者です。

この記事では現在の日本棋院ルール(日本囲碁規約)の「対局の停止」後の死活の判定の方法について例を用いて説明します。日本囲碁規約では死活判定のための仮想手順では劫を取り返すためには取り返したい劫を指定したパスが必要だということになっています。さらに「取られても新たに相手方に取られない石を生じうる石」は取られた石数とは無関係に「活き石」だと判定されることになっている。これらの特殊なルールが原因になって、どんなに囲碁が強い人であっても (プロであっても!) それらの特殊ルールを熟知してなければ死活や手入れの要不要を判定できない場合が出て来てしまいます。しかも日本囲碁規約には論理的な不完全さや曖昧さが存在し、どのように解釈したら正しいのか分からない部分が残っている。この記事ではその様子の一端を紹介したいと思っています。

白:大橋拓文四段(当時)と黒:潘善琪七段の対局の事例

この事例に関する簡潔な説明が高尾紳路九段のブログの記事「ルールは難しい・・・」にあります。

第35期日本棋聖戦預選戦 白:大橋拓文四段 黒:潘善琪七段 2009-09-03の対局の停止の局面は次の通り。コミは6目半です。

┌┬┬┬┬┬┬●○○○○●┬┬┬┬┬┐ アゲハマ
├┼●○●┼●●●○○●┼┼┼┼┼┼┤ 白石10
├●┼○┼┼●●○○●┼●┼┼┼┼┼┤ 黒石9
├┼○┼○●●○○●●┼┼┼┼┼●┼┤
├○●●○●○○┼○○●┼┼┼┼┼●●
├┼┼┼●●●○┼○○●┼┼┼┼●●○
├┼┼┼●○○○○●●┼┼┼┼┼●○○
●●┼●●●●○●●●●●┼●●○┼○
●○●●●○●○○●●○○●●○○○┤
●○○●○○●○●●○○○●○●○┼┤
●●○○○┼○○●●●○┼○○┼┼┼┤
├┼●○┼┼○●●○○┼○┼┼┼┼┼┤
●●●●○○○○●○┼○┼┼┼┼┼┼┤
●●●●●●○○○●○┼┼┼┼┼┼┼┤
○○●○○●●●●●○┼┼┼┼┼○┼┤
○┼○●○◇●○●○┼┼┼┼┼┼┼┼┤
├○○●○○○○○○┼┼┼┼┼○┼┼┤
○●●●●●●●○○○┼┼┼┼┼┼┼┤
└○┴●┴○┴●●●○┴┴┴┴┴┴┴┘ ◇に白が226手目を打った局面

問題になったのは左下隅で白の手入れが必要か否かです。白側が手入れ要らずと主張したため、審査会に「勝負預かり」となりました。そして審査会の判定で手入れは必要ということになり、白の一目半負けということになりました。

問題は二つあります。一つ目はどのような理由で審査会が白の手入れが必要だと判断したのか。二つ目はプロであっても手入れの要不要を判断できない理由は何か。実は一つ目の理由を詳しく理解すれば、二つ目の理由もよく理解できます。日本囲碁規約を理解するためには碁の本質から大きく外れた思考を要求されます。

日本囲碁規約第七条に石の死活の定義があります。

第七条(死活)
 1 相手方の着手により取られない石、又は取られても新たに相手方に取られない石を生じうる石は「活き石」という。活き石以外の石は「死に石」という。

ただし、対局の停止後の死活の判断では、通常の碁では許される手が許されなくなり、普通の碁とは大きく異なるルールが採用されることになっています。日本囲碁規約第七条-2より

第七条-2 第九条の「対局の停止」後での、死活確認の際における同一の劫での取り返しは、行うことができない。ただし劫を取られた方が取り返す劫のそれぞれにつき着手放棄を行った後は、新たにその劫を取ることができる。

さらに

3 取り返す劫のそれぞれにつき、着手放棄が必要
取り返しとなる劫が二個以上ある場合は、どの劫で着手するのか指定しなければならない。

とされています。要するに死活確認の仮想手順内では取り返したい劫ごとに劫を指定してパスをしてからでないとその劫を取り返せないわけです。 (個人的にはこれはもはや碁のルールではないと思う。いずれにせよ、通常の碁とは質の異なるヨミが要求されることになります。)

実は日本囲碁規約 Ⅲ 死活確認例 死活例23には上の実戦図と本質的に同じ図があります。引用しておきましょう。

 第七条第1、2項及び第一条の碁の目的により、黒は「活き石」、白は「死に石」。終局前に白がaに打てば「セキ石」であり、さらに黒が着手すれば、黒ハマ九子、白ハマ一子となる。
(死活例 23)

日本囲碁規約第一条によれば囲碁の目的は「地の多少を争うこと」とされています。

第一条(対局)
囲碁は、「地」の多少を争うことを目的として、競技開始から第九条の「対局の停止」までの間、両者の技芸を盤上で競うものであり、「終局」までの間着手することを「対局」という。

さて上の死活例23および上の実戦例で白の手入れが必要なことはどのように導かれるのでしょうか。簡単のため上の実戦例で説明しましょう。

(1) 対局停止の局面の左下の様子

●●●●●
○○●○○
○┼○●○
├○○●○○○○○
○●●●●●●●○○○
└○┴●┴○┴●●●○

もしもこのまま左下隅がセキで白の死石が1つだけならば、
左下隅は黒地1目だと考えられ、白の半目勝ちになる。
(日本囲碁規約ではセキ石の眼は地にならない。)
白が勝つためには左下隅がこのままセキになっていると主張せざるを得ない。

(2) 白が手入れした場合

●●●●●
○○●○○
○┼○●○
├○○●○○○○○
○●●●●●●●○○○
└○┴●2○1●●●○ 白1、黒2、白3(白1の位置)で次図

●●●●●
○○●○○
○┼○●○
├○○●○○○○○
○●●●●●●●○○○
└○┴●●┴○●●●○

白石のアゲハマが2つ増え、さらに上の白3の石も死石になる。
よって左下隅は黒地3目だと考えられ、白の1目半負けになる。

(3) 日本囲碁規約に基いた白の手入れが必要な理由

(3-1) 白が取られる変化

●●●●●
○○●○○
○7○●○
5○○●○○○○○
○●●●●●●●○○○
3○1●┴○2●●●○

黒1、白2、黒3、白4パス、黒5、白6パス、黒7
ここで白のパスは劫を取り返すためのパス。
劫立てがどんなにあっても無意味。
日本囲碁規約第7条-2によれば劫を取り返すためにはパスが必要。

(3-2) 白が無限に粘ろうとする変化

●●●●●
○○●○○
○┼○●○
3○○●○○○○○
○●●●●●●●○○○
2○1●┴○┴●●●○

黒1アテ、白2ツギ、黒3三子を取る、
白4一子の取り返し(2と3のあいだ)、
黒5ホウリコミ(2の場所)、
白6コウトリ(1と2のあいだ)で次図

●●●●●
○○●○○
○┼○●○
├○○●○○○○○
○●●●●●●●○○○
└○●●┴○┴●●●○

ここで黒が劫を取り返すために黒7でパスし、
上の白2以降を繰り返せばまたこの図に戻る。
白はこの方法で無限に粘ることができる。

しかし、一周するごとに白は1目ずつ損をし続けることになる。
日本囲碁規約第一条には「地」の多少を争うことが囲碁の目的だと書いてあるので、
損しながら無限に粘る行為は囲碁の目的に反するので禁止される。
したがって上の手順で白が無限に粘り続けることは許されない。

おそらく以上のようにして日本囲碁規約から白の手入れが必要だという判定を導いたのでしょう。しかしアゲハマで損をし続けながら無限に粘ることの禁止を日本囲碁規約第一条にある囲碁の目的から導き出せることは自明ではありません。やはり日本囲碁規約の説明の仕方は曖昧で問題ありだと思います。

ちなみにドイツの囲碁ルール研究科の Jasiek さんが日本囲碁規約から曖昧さを無くしたらどうなるかを示しています。それは Japanese 2003 ルール (解説) と呼ばれています。非常に複雑でわけがわからないものになってしまっています。

そもそも、碁の基本は着手禁止点と同形反復を除けばどこに石を打っても良いことです。碁は可能な手が極めてシンプルなルールで定義された美しいゲームであったはずです。現在の日本棋院ルールでは対局の停止後の死活判定では碁の基本ルールは通用しないことにしてしまいました。これじゃあ、碁のプロであっても石の死活(したがって手入れの要不要)を判断できないのも仕方がありません。碁のプロは碁のエキスパートであり、碁とは異なるゲームのエキスパートではないのですから。

補足。ちなみに池田囲碁ルール試案では盤上に同じ石の配置が生じることを禁止しているので、上の(3-2)の白6はルール違反になってしまいます。さらに白の手入れがないと劫材をすべて消してから(3-1)と同様の手順で黒は白石を取りに行けるので、白は手入れが必要になります。このように池田囲碁ルール試案を採用すれば地とハマによる日本式計算法のもとでも手入れが必要な理由の説明に碁の根本原理以外の要素を持ち込む必要が無くなります。

取らず三目

次に取らず三目について説明しましょう。本因坊秀和は「取らず三目はそのままで三目の地」と判定していたのですが、日本囲碁規約 Ⅲ 死活確認例 死活例1によれば


黒の四子、白の一子はともに「活き石」で、第八条により「セキ石」。

となってしまいました。「セキ石」は日本囲碁規約第八条で次のように定義されています。

第八条(地)
一方のみの活き石で囲んだ空点を「目」といい、目以外の空点を「駄目」という。駄目を有する活き石を「セキ石」といい、セキ石以外の活き石の目を「地」という。地の一点を「一目」という。

セキになると白にとって損なので、日本囲碁規約のもとで白は黒4子を抜かなければいけません。しかしそれだと高々白地2目にしかならない。本因坊秀和にしたがえば黒4子を抜くという無駄な手を省いてそのまま白地3目になります。さらにその3目という数字を碁の根本原理に基いて説明することも可能。たとえば池田囲碁ルール試案の日本式ルールでは例外的な場合を除いて取らず三目がそのまま3目の地になることを証明できます。この数字は中国ルールとも一致しています。日本囲碁規約だけが例外的におかしな結果を導く。

日本囲碁規約では取らず三目を残したまま終局すると単なるセキになってしまい、白地2目にもなりません。そうなってしまう理由は死活の仮想手順で「活き石」かどうかを確認するときに取られた石の数は考慮されないからです。仮想手順内でどんなに無駄に石を取られて損をしても第七条にしたがって「取られても新たに相手方に取られない石を生じうる石」が単に「活き石」だと判定されて終わりになります。地の損得は考慮されません。個人的にこれもまた日本囲碁規約の奇妙な点だと思っています。日本囲碁規約第一条によれば囲碁の目標は地の多少を争うことのはずなのに、「対局の停止」後の石の死活判定ではその目的が無視されてしまう場合があるのです。

碁の根本原理に基けば例外的な場合を除いて「取らず三目は白地3目」になるので、実用的簡便法として本因坊秀和判定には価値があったと思います。しかし、日本囲碁規約では問答無用でセキになってしまいます。この点でも日本囲碁規約は碁の道を大きく外れてしまったと考えられます。本因坊秀和のような大棋士の判定であってもその理由について深く考えなかったということなのでしょう。

余談:碁の根本原理に基けば例外的な場合を除いて (手入れで劫材を全て消せる場合には「劫尽くし」で) 「隅の曲がり四目は無条件死」になります。例外の存在を無視して「隅の曲がり四目は無条件死」としていたことには、例外の存在を無視して「取らず三目は3目の地」とすることと同様に、簡便法として価値があったと思います。しかし、優れた能力を持つ棋士にとって必要な簡便法だとは思えません。

日本囲碁規約の死活例17

日本囲碁規約 Ⅲ 死活確認例 死活例17より


 隅の黒三目は「活き石」、白十子は「死に石」。以上から上の白十子も「セキ崩れで「死に石」。
(死活例 17)

Jasiek さんの解釈ではこの死活例17の説明を日本囲碁規約は再現できません。詳しくは Commentary on the Japanese 1989 Rules の Example II.17 を見て下さい。

Jasiek さんによれば日本囲碁規約のもとで黒は隅の曲がり四目の白を取りに行けません。

  • たとえば隅の曲がり四目を取るために黒が劫を取ったとします。
  • すると白は両劫の方の劫を取ります。
  • 黒はアタリを防ぐためにその隣の劫を取らなければいけない。
  • そこで白は日本囲碁規約第七条-2にしたがって両劫の方の劫を取るためのパスを行ないます。
  • すると黒も日本囲碁規約第七条-2にしたがって両劫の方の劫を取るためのパスをせざるを得ません。 もしもそうしなければ次に白に両劫の方の劫を取られるとアタリを防ぐことができなくなるからです。
  • このあと白と黒は両劫の方の劫取りとパスを交互に繰り返すことになります。 これによって白の隅の曲がり四目は永久に取られずにすみます。

この問題に気付いたJasiekさんは解決法も考えているようです。しかし、個人的な意見ですが、日本囲碁規約は曖昧さを無くすと複雑過ぎて汚ないルールになってしまうので、適当な修正によって論理的に存続させる必要はないと思います。ゲームのルールは論理的に正確であればそれで十分というわけではありません。

曖昧さや複雑さを無視したとしても、死活判定のためのヨミがもはや普通の囲碁からかけ離れたものになってしまっていることはこの記事で示した例を見るだけでも明らかだと思います。日本棋院の囲碁のルールは大変なことになってしまったものだと思います。

補足:池田囲碁ルール試案では上のような例のように消せない劫材がある場合には隅の曲がり四目は盤上での戦いで解決することになり、必ずしも無条件死になるとは限りません。個人的な意見では、隅の曲がり四目が必ずしも無条件死にならないことは碁の根本原理に基けば当然のことです。

P.S. 以上の記事に意見やコメントがある人はブログのトラックバックもしくは twitter の genkuroki 宛のメンションをお願い致します。

付録:放置された万年劫

池田囲碁ルール試案には二つの日本式ルールがあります。日本式Iではセキの眼も地になり、日本式IIではセキの眼は地になりません。実は後者の日本式IIルールは放置された万年劫に関する日本棋院囲碁規約1949と日本囲碁規約1989の結果を再現してくれます。

次の図の形で万年劫が放置されたままになってしまったときどうするべきか。

┌●○┬●○┬
●○○┼●○┼
●●●●●○┼
○○○○○○┼
├┼┼┼┼┼┼

白が劫と取って接げば次の形でセキになります。

○○○┬●○┬
●○○┼●○┼
●●●●●○┼
○○○○○○┼
├┼┼┼┼┼┼

日本棋院囲碁規約1949判例でも、日本囲碁規約1989 (死活例12) でも、最後まで放置された万年劫は上の手順で単なるセキ扱いになります。セキにする過程で黒石を1つ取るので白地1目ということになります。

地と盤上の石の数による中国式計算法であれば、盤上の黒石が1目減り、白石が2目増えるので、放置万年劫は白地3目相当だということになります。

池田囲碁ルール試案の日本式Iルールでは仮終局以後は片方が一方的に損することを防ぐために終局までに両対局者は同じ数の石を盤上に打たなければいけないことになっています(パスには1目のペナルティが課される)。だから仮終局後に白がセキにするまでの2手のあいだ黒石が1目取られ、黒には2目分のパスのペナルティが課されることになり、放置万年劫は白にとってやはり3目の価値があるという結論が出ます。詳しくは池田囲碁ルール試案の放置万年劫に関する解説を見て下さい。

池田囲碁ルール試案の日本式IIルールでは仮終局後に打たれたセキ中の石数の分だけ得点から引かれることになり(これはセキの中の眼や一方ダメを得点としないための特殊ルール)、日本式Iの場合よりも点数が2目減ります。つまり、日本式IIで放置万年劫は白地1目相当になります。このように日本式IIルールでは日本棋院囲碁規約1949や日本囲碁規約1989と同じ結果が得られます。

池田敏雄氏の囲碁ルール試案の紹介

池田敏雄著「囲碁ルールについて」(英語版)の囲碁ルール試案の5つのルールの簡単な解説。

中国式Iは本質的に王銘エン九段が「週刊碁」で連載していた「純碁」と同じです。原始囲碁ルール。盤上にある石の数がそのまま得点になる。コミ無し純碁では終局時に盤上にある石の数が多い方の勝ちになる。

中国式IIは通常の中国ルールとほぼ同じ。盤上の石の数と地の総和で勝敗を決するルールです。数学的には原始囲碁ルール(=純碁=中国式I)に「二眼を持って活きた石はそれ以後囲まれても盤上から取り除かれなくなる」というルールを付け加えたものと同値。

通常の中国ルールでは最後に残った駄目の個数が奇数個ならば先着した方が日本式の感覚では1目得することになり、最後に残った駄目の個数が偶数個ならば不必要な手入れを自分の地に入れても損になりません。中国ルールでは白と黒の得点の総和が19×19に等しくなるのでセキがないとき白と黒の得点差は必ず奇数になってしまいます。だから中国ルールでは5目半と6目半のコミの違いが勝敗にほとんど影響しなくなってしまいます(現在の中国ルールでの互先のコミは7目半)。

中国式IIIはこれらの欠点を解消した中国ルールです。解消の仕方は極めて簡単。盤上への最後の着手が黒(先手)だったときに白の得点を1目増やすというルールを付け加えるだけ。極めて面白いことに中国式IIIは次の日本式Iと得点計算が同値なルールになります。

日本式Iはセキの中の眼や一方ダメも得点とみなすことを除けば日本ルールとほぼ同じです。ただし通常の日本ルールと異なり、(仮)終局図で珍形や棋力が原因で石の死活について対局者双方が合意できない場合には(仮)終局以降の盤上での戦いで決着を付けることができるように工夫されています。

まず、両対局者の連続したパスで仮終局になります。仮終局図における死活で両対局者が合意できない場合には仮終局後に「終局までに対局者双方が同じ数だけ盤上に石を置く」という仮終局後のルールのもとで決着を付けることになります(パスしたい場合には盤上に置かれるはずだった自分の石をアゲハマに追加する)。仮終局後に盤上に置かれる石の数が白黒双方同じなので何も事件が起こらなければ得点の差は不変なまま。自分だけが一方的に自分の地に手を入れて損をせずにすみます。極めてシンプルな解決策。

日本式IIはセキの中の眼や一方ダメを得点とみなさない通常の日本ルールとほぼ同じです。日本式Iとの違いはセキの中の眼と一方ダメに関わる得点計算法の違いだけ。日本式Iと同様に仮終局図での死活で合意できない場合には盤上での戦いで決着を付けることができます。

ここからはぼく自身の考察。

池田試案における日本式ルールは「両対局者の連続したパスで仮終局とし、それ以後も打ち続ける場合には終局までに両対局者が盤上に同じ個数だけ石を置かなければいけない」というルールが追加された日本ルールに他なりません。しかし、この意味での仮終局図は日本伝統の無駄な着手が一切省かれた「美しい終局図」にはなりません。

たとえば池田試案の日本式ルールの仮終局図におけるダメの個数が奇数だと、仮終局後に盤上に置かれる石が白黒同じにするというルールによって、仮終局後に先着した側が1目得してしまうことになります。仮終局図で必要な手入れがされてなかった場合にも問題が発生します。池田試案の微妙な点を理解していない人は池田試案の日本式ルールの仮終局図はダメ詰めと手入れがすべて終わった局面だと思っておいた方が無難です。

このように池田試案の日本式ルールの意味での仮終局図は通常の日本ルールにおける「美しい終局図」とは全く異なります。最近では棋聖戦第3局終局図では、半目勝負であるにもかかわらず、右上の境界線が確定されていなかった。「美しい終局図」の実現にはもう一工夫必要になります。

答は簡単です。白と黒のどちらが先着しても得点の差が同じになる局面ではパスをしても結果に影響しません。両対局者の棋力が十分に高く、無駄な着手で棋譜を汚したくなかったり、時間の無駄をしたくなれば、そのような局面で両者がパスしたくなるに違いありません。そのような局面で終局しても良いことにすれば「美しい終局図」が実現されます。ただし、そのような「美しい終局図」におけるパスパスによる終局と日本式IIルールの意味での「仮終局」を混同しないようにしなければいけません。

「美しい終局図」を可能にした池田試案の日本式ルールではゲームの流れは以下のようになります。

1. 通常の対局。両対局者の連続したパスで終局壱。(両対局者が間違いを犯していなければこの意味での終局図は白と黒のどちらが先着しても得点の差が変化しない局面になっているはず。無駄な着手が完全に省かれた「美しい終局図」)

2. 終局壱後に死活などについて両対局者が合意できなければそのまま打ち続ける(すぐにパスしても構わない)。両対局者の連続したパスで終局弐。(実用的にはこの意味での終局図はダメ詰めと手入れがすべて終了した局面だと思っておいて困らない。)

3. 終局弐後に死活などについて両対局者が合意できなければさらにそのまま打ち続ける。ただしその後は両対局者は盤上に同じ個数の石を打たなければいけない。盤上に石を打たずにパスをする場合には自分の石をアゲハマに追加する。両対局者の連続したパスで終局参。(この意味での終局図では盤上のすべての石は活きているとみなされ、機械的に得点を計算するアルゴリズムが存在する局面になる。これは原始囲碁の終局図に近い。)

この方式が普及すれば終局手続きにまつわるトラブル(特にインターネット上での対局では死活や手入れでもめて不愉快なことになる場合があるようだ)をほとんど無くせると思います。

池田試案の日本式ルールを採用すれば終局手続きで相手に理不尽なことを言われたら盤上での戦いでやっつけることによって解決することができます!

関連ツイート

P.S. コメントは受け付けない設定にしてあります。上のリンクをたどればわかるようにツイッターにいます。

追記2012年2月7日 背景の説明

このブログ記事に関連した発言をツイッターの #囲碁ルール タグでしています。(こちらも見て下さい。)

「美しい終局図」にこだわってみた背景の説明。ドイツのJasiekさんによる International Go Rules Forum の第3回会合 (2005年7月、日本)レポート第4回会合 (2005年10月、韓国)レポートで「日本(棋院)代表」が何を言っていたかを知ることができます。「日本囲碁規約1989において死活は部分的に判定されること」と「無駄な手を完全に省略した終局の美」について語っていたようです。特に日本伝統の「美しい終局図」へのこだわりが強いことがわかります。そこで、この記事では、池田囲碁ルール試案の日本式IもしくはIIを採用すれば、死活を部分的に判定するようにしなくても、日本伝統の「美しい終局図」が可能になるという事実を説明しています。

率直に言って、現在の日本棋院ルール(日本囲碁規約1989のこと、これを「日本ルール」とは呼びたくないし、呼ぶべきではないと思う)で定められた死活判定の仕方は碁の原理原則を無視した内容になっており、碁の美しさを殺してしまっていると思う。

囲碁における可能な手はパスもしくは盤上の空点に石を打つことのどちらかであり、

  1. 石を打つことによって囲まれた相手の石は盤上から除去される(石の除去)。
  2. 自分の石が相手の石に囲まれるように(囲まれたかどうかの判定は相手の石の除去後)石を打ってはいけない(自殺手の禁止)。
  3. 同形反復は禁止される(同形反復の禁止)。

という3つのルールで定義されます。これは碁の宇宙の物理法則のようなものです。この単純な物理法則だけから驚くほど複雑な現象が碁盤の宇宙に生じるわけです。実際に碁を打つとこれらの物理法則が本当によくできた法則であり、単純で美しいことを納得できます。これが碁の原理原則です。

ところが、現在の日本棋院ルールでは「対局の停止」後の「死活確認の際における同一の劫での取り返しは、行うことができない。ただし劫を取られた方が取り返す劫のそれぞれにつき着手放棄を行った後は、新たにその劫を取ることができる」(第七条-2)と碁の原理原則とは異なる別の物理法則を設定してしまっています。その上、日本棋院ルールの条文は曖昧で不完全です。それらの欠点を無くす努力をするとどれだけ複雑で汚ないルールになってしまうかについては Jasiek さんの囲碁ルールのウェブページで Japanese 2003 ルールについて調べればわかります。死活を部分的に判定できるようにするためには「部分的」という概念の正確な定義が必要になるのですが、結果的にものすごく面倒なことになってしまっています。

さすがにこれはひどいと思ったので池田囲碁ルール試案を紹介しようと思ったのです。池田氏は、碁の原理原則を保ったまま、パスの役割や得点計算法を工夫することによって合理的な囲碁のルールを作り上げています。

日本棋院の囲碁のルールは1949年に制定された日本棋院囲碁規約以降着実に悪化して来ています。決して進歩ではない。この事実は日本国内で碁を打っているだけなら意識せずにすむことですが、海外の囲碁ファンが日本の囲碁のルールのことをどう思っているかを調べてみると、ひどく評判が悪いことに気付きます。これは日本の囲碁ファンとして非常に残念なことです。池田囲碁ルール試案の日本式ルールを採用すれば無駄な着手を完全に省略した美しい終局も含めて完全に合理的に正当化できるのに!

ちなみに、日本棋院囲碁規約が定められた1949年10月まで本因坊秀哉名人時代の日本棋院内規が活きており、劫材の数に関する全局的な判断によって終局時に手入れを省略できるようになっていました。その本因坊秀哉裁定は日本棋院囲碁規約以降は日本棋院内部で否定されてしまいました。

さらに、「取らず三目」は三目の地になるという本因坊秀和裁定は日本棋院囲碁規約の日本棋院判例ではそのまま活きていました。しかし現在の日本棋院ルールでは「取らず三目」に関する本因坊秀和裁定は完全に否定されています。

この流れは果たして「進歩」なのか?「伝統」を守っていることになっているのか?

これに対して、池田囲碁ルール試案の日本式ルールでは本因坊秀哉判定がそのまま再現され、手入れで解消不可能な劫材が存在しないという仮定(「劫尽くし」が可能という仮定)のもとで「取らず三目」に関する本因坊秀和裁定も再現されます。同じく「劫尽くし」が可能だという仮定のもとで「隅の曲がり四目」も無条件死になることも再現されます。「劫尽くし」の仮定のもとでの歴史的判例の再現性はかなり高い。

これはある意味当然のことです。本因坊家の偉大な棋士たちの裁定は必ず碁の原理原則と関係しているはずです。池田ルールは碁の原理原則を重視しているので「劫尽くし」の仮定のもとで歴史的判例の再現性が高くなるのは当然のことでしょう。 (もちろん重要なのは歴史的判例よりも碁の原理原則の方。)

「劫尽くし」の仮定が成立しない稀なケースでは再現されるとは限りませんが、それは碁の原理原則に基けば当然のことです。そのことに違和感を感じている人は碁の原理原則よりも人為的に勝手に作られた規則の方が優先すると思っていることになります。

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