2013年06月15日

「英国軍艦ダッチェス号より、貴船の絶大なる御救援を深謝す」 水戸丸 日本郵船

「英国軍艦ダッチェス号より、貴船の絶大なる御救援を深謝す」 水戸丸 日本郵船<br>


水戸丸

日本郵船 貨物船
7,061総トン
速力12ノット
1920年(大正10年)2月21日 竣工
りおん丸級貨物船8隻のうちの第5番船

第一次世界大戦が終わり、日本郵船は1917年に開設した欧州航路のリバプール線をハンブルグまで延長しました。
水戸丸はこのハンブルク航路に投入されて欧州航路の花形貨物船として活躍します。



インド洋上のスター

1935年(昭和10年)12月1日、欧州航路貨物船 水戸丸はシンガポールからコロンボへ向かって西進して航行していました。
午後5時50分頃、水戸丸は東進していた軍艦と遭遇します。
軍艦はイギリス海軍D級駆逐艦 ダッチェス号 艦番号H64 でした。
ダッチェス号は水戸丸を視認するやマストに M・Jの国際信号旗を掲げて、突然進路を変針して水戸丸の方へ驀進してきました。

注:)M・J国際信号旗・・・「貴船に医師はいないか?」

そしてダッチェス号はWのモールス信号を打電してきました。

注:)Wのモールス信号・・・医療の助力を求む

洋上での救援要請でした。
水戸丸の長水田正道船長は直ちに船を停船して救援要請を承諾しました。
ダッチェス号からボートが着けられ水戸丸へ乗り移って来たイギリス海軍士官の説明によると、
乗組員が1名、昼頃から腹痛を訴えて苦しんでいる。
残念ながら本艦(ダッチェス号)には軍医が乗艦していないので医療施設のあるマレーシアのペナン港目指して急いでいたところ貴船を発見したので救援を依頼したとの事。
水戸丸とダッチェス号が遭遇した位置からペナン港までは約1,018劼發△襦
D級駆逐艦ダッチェス号の最大速力は36ノット(時速約66km)
最大速度で洋上を驀進したとしてもペナン港まで約15時間かかる。
長水田正道船長は水戸丸の船医である佐藤一郎医師をダッチェス号へ往診に行かせ、午後7時頃、患者を治療して水戸丸へ帰船。
かくして腹痛に苦しんでいた乗組員は事無きを得て、水戸丸は欧州航路ハンブルグを目指して西へ、ダッチェス号はペナン港を目指して東へ。
別れ際、ダッチェス号からは、
「英国軍艦ダッチェス号より、貴船の絶大なる御救援を深謝す」
との信号を何度も繰り返してきたそうです。

現代と違い、まだレーダーもなかった時代の本当のお話です。
当時の新聞で美談として話題になりました。



水戸丸の最期

第二次世界大戦で、水戸丸は陸軍の輸送船として徴用されました。
1944年(昭和19年)4月16日、インドネシアのハルマヘラ島からインドネシアのアンボンへの輸送任務の途中、アメリカ海軍潜水艦 パドル SS266 の魚雷攻撃を受けて3発命中沈没。
乗船していた陸軍部隊280名戦死、船舶砲兵隊員9名戦死、船員は89名中29名が戦死。



ダッチェス号の最期

第二次世界大戦中の1939年12月12日、スコットランドのキンタイア岬で友軍戦艦バーラムと衝突事故を起こしてダッチェス号は転覆。
転覆後に搭載していた爆雷が爆発してダッチェス号は沈没。




Posted by genneigennjitu2005 at 22:13│Comments(0)TrackBack(0) イラスト 雑記 | 戦没商船

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