密約 日米原子力協定
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【密約日米原子力協定】『システムを暴く! 日米原子力協定の「上位」に「米国 原子力法」があった!』
「なるほど!1日5分で毎日読める原発本凝縮レビュー!」vol.554(2013年5月20日発行号)
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※原発最大のタブー、密約「日米原子力協定」を暴く!シリーズ第18弾!

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【忙しい方へ。まずは30秒で僕のオドロキを!】
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日米原子力協定の「上位」に「米国 原子力法」があった!

超ビビった。アメリカの国内法「原子力法」に、「原子力協定を結んで原子力ビジネスをしなさい」と決められていた。

つまり、アメリカはその法律に従って、「日米原子力協定」を結んだんだ。

最初の「1955年 日米原子力協定」がすべてを解き明かしてくれる。



【お時間に余裕がある方は、もう少し続きをどうぞ! 所要時間2~3分程度です。】

こんにちは、闇のエンターテイナー・座間宮ガレイです。今日も闇を暴いていきますね〜。

今回のメルマガを書く目的は

  • アメリカの国内法にのっとって、日米原子力協定が結ばれた

という事実を知ることだ。

これを知れば、

  • 「アメリカ国内法が、日米原子力協定の「上位」にある」

ということがわかると思うんだよね。

ここまで、「日米原子力協定」についてたくさん書いてきたけど、今回のメルマガは、その日米原子力協定の「最も根本的な部分」を書くことになるんだと思う。

すごい素朴な疑問をちょっと書いてみよう。あまりに素朴すぎてあなたは「はっ」とするかもしれない。


  • なぜ、そもそも「原子力協定」というものを結ばなければいけないんだろうか?


だれが決めたの? こんな協定を結ぶことを?

協定というのはルールだ。ルールを作って、ルール通りにやりましょうというのが協定だ。その1つが「原子力協定」なんだよね。でそれが日本とアメリカの間で結ばれたのが「日米原子力協定」。

その「原子力協定」を結びなさい、って決めたのは誰?って話なんだ。つまり「システム」をつくりだしたのは誰?ってこと。

このメルマガではいつも「システム」という言葉を使っている。目の前で起きている不条理なことは、「システム」があるから起きている場合が多いんだ。だから僕は「システム」をいつも探している。


「システム」に、組織、国、人間が従い、現実に不条理なことが起きている


というわけだ。

そう。


「システム」とはルールだ。つまり「法律」だ。


今回のメルマガは、「原子力協定という法体系をつくって原子力ビジネスをしなさいって決めたのは誰?」という巨大なテーマなんだ。

だから今回のメルマガを読めば、あなたは、世界を動かしている「原子力ビジネスのシステム」を、はっきりと、クリアーに、見えるようになるんだ。

結論を最初に言うね。


  • アメリカの国の中の法律に書いてある


ああ、なんということだろう。

  • 世界の原子力ビジネスのシステムを決めたのは、アメリカの国内法だった

んだ。

僕は本当に腰を抜かした。どうせアメリカだろってなんとなく思っている人も、「なんとなくじゃなくなった」今は、視点が変わってきたと思う。

さあ、本題に移っていくよ。

日本とアメリカの間で、最初に「原子力協定」が結ばれたのは1955年(55年って覚えといてね)。この年は、日本では自民党ができていることはこれまでも書いた。55年は原子力推進において、とても重要な年なんだ(後でもまた出てくる)。


  • 1955年 日米原子力協定


なぜ、この1955年に、日米原子力協定が結ばれたのか。

今回は、だから、過去の話。難しい言葉で言えば「歴史」の話なんだよね。

「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」

っていう有名な言葉があるけど、歴史を学ぶと今起きている世界がクリアーに見えてくるんだ。

「歴史」はゴロゴロしながら学べるよ。料理の合間にも学べるんだ。お風呂の中でも学べるし、電車の中でも学べる。だからね、僕は「歴史」を学んでしまおうって思うんだ。だからこうやって書いているわけ。

次の1行で、あなたは腰を抜かすことになる。


  • 1954年、アメリカの国の中の「原子力法」という法律で、原子力関連の輸出をするときは「原子力協定」を結びなさい、決められた。

このことは以下の資料で書いてある。1955年11月1日、つまり日米原子力協定を結んだ直後の文章だ。


▼[PDF]1955年11月1日号(No.93)〔論説〕売りつけられる日本! 米原子力法123条と日米原子力協定●森川 澄夫…9

(引用ここから)

『国際協力については、まず(※米国原子力法)123条により相手国と「協力のための協定」(agreement for cooperation)」を結ぶべきことを規定している。ただしこの協力協定は直接のアメリカ議会の承認は必要としない。最近までにアメリカが各国と締 結したいわゆる原子力協定とは、この1954年原子力法第123条に基づく「協力のための協定」に該当するものであって、正式には「協力のための協定」あ るいは「協力協定」と呼ぶものであるが、その協定の性質上「総務協定(bilateral agreement)」と呼ぶこともある』

(引用ここまで)


これは、アメリカの国内法「原子力法」について説明した箇所だ。原子力法第123条に「原子力協定」を結んで原子力ビジネスをしなさいって、決められているんだ。

つまり、アメリカ政府は、あわてて原子力法を改定し、改定後の「原子力法123条」にしたがって、日本を始めとする多くの国と「原子力協定」を結んでいったわけだ。そのうちの1つが1955年の「日米原子力協定」だったわけだ。

時系列で整理しておこう。


  • 1954年 6月30日 ソ連が原発操業開始と発表。
  • 1954年 8月30日 アメリカ国内法「原子力法」が改訂(「原子力協定」に基づいて原発を輸出すると決定)
  • 1955年 日米原子力協定に署名


1つ新しい年表を加えてみた。ソ連が突然原発を操業開始と発表したことにあおられて、アメリカは「原子力法」を改定し、翌年、日本と日米原子力協定を結び、ウランと原子炉を与えた、という流れになってたんだよね。

これまで僕はメルマガで、「原発は反共政策」ということを書いてきた。「反共政策」っていうと何やらおどろおどろしいイメージがあるけど、それは忘れてほしい。

つまり

  • ソ連や中国に「原子力市場」を独占させないように、アメリカが「原子力市場を出来る限り確保」したかった

ということなんだよね。

もちろん、そこでは、ソ連製の「核兵器」が広がらないようにしたいという軍事的な思惑もあったことだろう。アメリカは様々な国が核兵器を持ちたいと願っていることをうまく利用して、多くの「原子力市場」を確保しようとした、と見ることができる。

本当はね、このへんでまだまだ細かいことを書きたいんだけど、あえて、ここでは伝えたいことだけに絞って書いているんだ。また次の機会に細かいことを書こうと思う。というより、どこかでこの話を3時間くらいぶっ続けてしたいくらいだ。

さて、ここらで1つ、以前、メルマガで、1955年の日米原子力協定は、日本と「アメリカ原子力委員会」が結んだ協定だ、ということを書いたのを思い出してほしい。


なんとアメリカの1委員会「原子力委員会」の下に、日本の原子力政策は縛り付けられた


このメルマガでは、条文を読みながら、それを解き明かした。今回のメルマガは、「アメリカの国内法」に基づいて、それを解き明かしたわけだ。

アメリカの国内法が、協定よりも「上位」にあるといえるんだよね。これはビビるよ。僕的には大発見だ。

この「日米原子力協定」においては、次の図式が成り立っている。


▼原子力ビジネスにおける、法体系ピラミッド

アメリカ国内法(原子力法)

協定(日米原子力協定)

日本国内法(原子力基本法など)


日本の国内法の「原子力基本法」のなかの「公開の原則」は、無視され続けてきているわけだけど、こういったピラミッドで理解できるだろう。裁判所が違憲判決を出してひっくり返せばいいんだけど、日本の裁判所はそういうことをしないで今日まで来ているんだよね。

さて、ここまでで、


  • 「米国原子力法」のもとで、「日米原子力協定」は結ばれた。


ということがスッキリ理解できたと思う。

メルマガの公開部分ではここまで。

ここからはもう1つ深く掘っていくことにする。

ここまでは、日本とアメリカの関係のみを書いてきた。では、

  • アメリカと日本以外の国々とではどうなっていた

のか。

結論だけを先に書いておくよ。

驚くことにアメリカは、日本を含め、28カ国と「原子力協定」を急いで結んでいたんだ。そう、ソ連が突然、原発の稼働を発表したからなんだよね。

それについて、文献を参考にしながら見ていくよ。

最後まで読むと、当事の「原子力技術」にどのように世界が群がっていたかがわかる。そして現代との違いもわかるよ。

現在のほうが、よりつよい「利権」が作られ、そこに産業界全体が群がっているということがわかる。

アメリカが1954年に改定した「原子力法」がそれを作り上げていたわけだ。


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