2012年01月

稼働中3基に

1月27日、中国電力島根原子力発電所2号機が定期検査で停止。
稼働中3基
  【東京電力:柏崎刈羽6号 2012年3月末までに 定検入】
  【関西電力:高浜3号 2012年2月20日 定検入】
  【北海道電力:泊3号 2012年4月末までに 定検入】

渡辺謙さん、ダボス会議で原子力からの転換訴える

渡辺謙さん、ダボス会議でスピーチ 原子力からの転換訴える
東京新聞 2012年1月26日

  スイスで25日に開会した世界経済フォーラム年次総会「ダボス会議」で、俳優の渡辺謙さんがスピーチに立ち、各国から寄せられた東日本大震災の被災地支援への深い感謝と立ち上がる決意を語るとともに、原子力から再生エネルギーへの転換を訴えた。

  渡辺さんは、震災発生直後から、インターネットにメッセージなどで被災者を応援するサイト「kizuna311」を立ち上げ、現地を幾度も訪れるなど、支援活動を積極的に続けている。

  スピーチは現地時間25日午前(日本時間同日午後)に行われた。渡辺さんは「私たちの決意として、世界に届いてほしいと思います」と話している。

  スピーチ全文は次の通り。

  初めまして、俳優をしております渡辺謙と申します。

  まず、昨年の大震災の折に、多くのサポート、メッセージをいただいたこと、本当にありがとうございます。皆さんからの力を私たちの勇気に変えて前に進んで行こうと思っています。

  私はさまざまな作品の「役」を通して、これまでいろんな時代を生きて来ました。日本の1000年前の貴族、500年前の武将、そして数々の侍たち。さらには近代の軍人や一般の町人たちも。その時代にはその時代の価値観があり、人々の生き方も変化してきました。役を作るために日本の歴史を学ぶことで、さまざまなことを知りました。ただ、時にはインカ帝国の最後の皇帝アタワルパと言う役もありましたが…。

  その中で、私がもっとも好きな時代が明治です。19世紀末の日本。そう、映画「ラストサムライ」の時代です。260年という長きにわたって国を閉じ、外国との接触を避けて来た日本が、国を開いたころの話です。そのころの日本は貧しかった。封建主義が人々を支配し、民主主義などというものは皆目存在しませんでした。人々は圧政や貧困に苦しみ生きていた。私は教科書でそう教わりました。

  しかし、当時日本を訪れた外国の宣教師たちが書いた文章にはこう書いてあります。人々はすべからく貧しく、汚れた着物を着、家もみすぼらしい。しかし皆笑顔が絶えず、子供は楽しく走り回り、老人は皆に見守られながら暮らしている。世界中でこんなに幸福に満ちあふれた国は見たことがないと。

  それから日本にはさまざまなことが起こりました。長い戦争の果てに、荒れ果てた焦土から新しい日本を築く時代に移りました。

  私は「戦後はもう終わった」と叫ばれていたころ、1959年に農村で、教師の次男坊として産まれました。まだ蒸気機関車が走り、学校の後は山や川で遊ぶ暮らしでした。冬は雪に閉じ込められ、決して豊かな暮らしではなかった気がします。しかし私が俳優と言う仕事を始めたころから、今までの三十年あまり、社会は激変しました。携帯電話、インターネット、本当に子供のころのSF小説のような暮らしが当たり前のようにできるようになりました。物質的な豊かさは飽和状態になって来ました。文明は僕たちの想像をも超えてしまったのです。そして映画は飛び出すようにもなってしまったのです。

  そんな時代に、私たちは大地震を経験したのです。それまで美しく多くの幸を恵んでくれた海は、多くの命を飲み込み、生活のすべてを流し去ってしまいました。電気は途絶え、携帯電話やインターネットもつながらず、人は行き場を失いました。そこに何が残っていたか。何も持たない人間でした。しかし人が人を救い、支え、寄り添う行為がありました。それはどんな世代や職業や地位の違いも必要なかったのです。それは私たちが持っていた「絆」という文化だったのです。

  「絆」、漢字では半分の糸と書きます。半分の糸がどこかの誰かとつながっているという意味です。困っている人がいれば助ける。おなかがすいている人がいれば分け合う。人として当たり前の行為です。そこにはそれまでの歴史や国境すら存在しませんでした。多くの外国から支援者がやって来てくれました。絆は世界ともつながっていたのです。人と人が運命的で強く、でもさりげなくつながって行く「絆」は、すべてが流されてしまった荒野に残された光だったのです。

  いま日本は、少しずつ震災や津波の傷を癒やし、その「絆」を頼りに前進しようともがいています。

  国は栄えて行くべきだ、経済や文明は発展していくべきだ、人は進化して行くべきだ。私たちはそうして前へ前へ進み、上を見上げて来ました。しかし度を超えた成長は無理を呼びます。日本には「足るを知る」という言葉があります。自分に必要な物を知っていると言う意味です。人間が一人生きて行く為の物質はそんなに多くないはずです。こんなに電気に頼らなくても人間は生きて行けるはずです。「原子力」という、人間が最後までコントロールできない物質に頼って生きて行く恐怖を味わった今、再生エネルギーに大きく舵を取らなければ、子供たちに未来を手渡すことはかなわないと感じています。

  私たちはもっとシンプルでつつましい、新しい「幸福」というものを創造する力があると信じています。がれきの荒野を見た私たちだからこそ、今までと違う「新しい日本」を作りたいと切に願っているのです。今あるものを捨て、今までやって来たことを変えるのは大きな痛みと勇気が必要です。しかし、今やらなければ未来は見えて来ません。心から笑いながら、支え合いながら生きて行く日本を、皆さまにお見せできるよう努力しようと思っています。そしてこの「絆」を世界の皆さまともつないで行きたいと思っています。





拡散予測先に米軍へ 住民公表9日遅れ

■拡散予測先に米軍へ 住民公表9日遅れ
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012011702000021.html

東京新聞 2012年1月17日 朝刊 

 文部科学省の渡辺格科学技術・学術政策局次長は十六日、福島第一原発から放射性物質がどう拡散するか緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)による試算結果を、事故直後の昨年三月十四日、外務省を通じて米軍に提供していたことを明らかにした。

 試算結果が公表されたのは、米軍への提供より九日も遅い三月二十三日のことだった。公表が遅れたため、住民の避難が遅れ、放射性物質が拡散する方面に避難した人もおり、無用の被ばくを招いたと批判されてきた。その一方で、米国側には早い段階で連絡していたことになる。

 十六日に開かれた国会の事故調査委員会で、委員からの質問に答える形で、渡辺氏が明らかにした。

 渡辺氏は「(事故対応を)米軍に支援してもらうためだった。公表という認識ではなかった。(住民ら国内への公表は)原子力災害対策本部で検討しており遅くなった」と釈明した。


■SPEEDI情報 米軍に提供
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120117/t10015315481000.html
(NHK) 1月17日 0時7分

 東京電力福島第一原子力発電所の事故原因を究明する国会の「事故調査委員会」は、初めての本格的な質疑を行い、参考人として招致された文部省の担当者が、放射性物質の拡散を予測する「SPEEDI」と呼ばれるシステムによる予測データを、事故の直後に、アメリカ軍に提供していたことを明らかにしました。


 国会の事故調査委員会は、16日、政府の事故調査・検証委員会の畑村委員長や東京電力の事故調査委員会の委員長を務める山崎副社長らを参考人として招致し、公開で初めての本格的な質疑を行いました。この中で、文部科学省科学技術・学術政策局の渡辺次長は、放射性物質の拡散を予測する「SPEEDI」と呼ばれるシステムで、事故の直後に行った予測のデータについて、外務省を通じて直ちにアメリカ軍に提供していたことを明らかにしました。SPEEDIのデータは、文部科学省が「実態を正確に反映していない予測データの公表は、無用の混乱を招きかねない」として、一部を除き、事故の発生から2か月近く公表しませんでしたが、アメリカ軍に提供した理由について、渡辺次長は「緊急事態に対応してもらう機関に、情報提供する一環として連絡した」と説明しました。また、質疑では、事故調査委員会の石橋委員が「平成19年の新潟県中越沖地震の経験がありながら、東京電力は、地震と津波に対して、対応が甘かったのではないか」と指摘したのに対し、東京電力の山崎副社長は「事業者として、忠実に対策を取ってきたと思っているが、考えているような前提をすべて覆すようなことが起きた。もう少し考えなければならないということがあるならば、考えていきたい」と述べました。質疑を終えて記者会見した事故調査委員会の黒川委員長は、原発事故の対応にあたった菅前総理大臣や枝野経済産業大臣の参考人招致について、「検討事項に入っている」と述べました。事故調査委員会は、30日に次回の質疑を行うことにしています。


拡散予測、米軍に提供 事故直後に

拡散予測、米軍に提供 事故直後に文科省

 東京電力福島第1原発事故直後の昨年3月14日、放射性物質の拡散状況を予測する緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)による試算結果を、文部科学省が外務省を通じて米軍に提供していたことが16日、分かった。

 SPEEDIを運用する原子力安全委員会が拡散の試算結果を公表したのは3月23日。公表の遅れによって住民避難に生かせず、無用な被ばくを招いたと批判されているが、事故後の早い段階で米軍や米政府には試算内容が伝わっていた。

2012/01/16 22:21   【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201201/CN2012011601002390.html

伊方原発きょう全基停止 四国の電力不足せず

伊方原発きょう全基停止 四国の電力不足せず
 
2012年01月13日09時30分
 四国電力の伊方原発は13日深夜、2号機の定期検査入りで1~3全基が止まる。しかし「四国の4割を占める」とされる原発の電気が消えてなお、四国は今冬も電力不足にはならない公算だ。電力会社の発電能力はベールに包まれて不明な部分も多いが、四国の場合、「そもそも電力は余っていた」実態がはっきり浮かぶ。意外に知られていない「発電の実態」と、今後の需給状況をまとめた。

 供給力は確保

 四国の原発すべて停止―。福島第1原発事故後、各原発と同様に再稼働要件が整わないことなどから起きた事態だが、四国では何が起きるのだろう?
 予想から言うと、「特段のことは起こらない」。四電によると、休止中だった火力の再開、売電の停止などで、「綱渡り」(千葉昭社長)とはしながらも、冬の供給力は確保したという。
 
 長崎から購入

 「四国の電気の4割を占める」。原発のPRでよく聞かれるが、これは発電量ベースの話。設備容量で見れば、原発の割合は「2割余り」に下がる。
 四電が使える設備の容量は総計で857万9千キロワット。原発が止まっても冬が越せるのは、容量の余力があるからだ。
 内訳を見よう。火力57%を筆頭に原子力23%、水力17%、自然エネルギー1・5%で、全体の8割は四電自社設備が占める。
 残る2割は、高知県が持つ水力発電や、発電設備を持つ住友共同電力(愛媛県)など、自治体、企業などから買う電力だ。
 数ある契約先のうち、購入量が多いのは徳島県阿南市の電源開発(Jパワー)石炭火力。購入理由は自社で作るより安いためで、購入量は常時30万キロワット程度とみられる。
 長崎県の松浦市、西海市のJパワー石炭火力からも購入。量は50万キロワット程度だろうか。四国で使われる電気に、電線を伝ってきた〝長崎産〟が含まれるとは少々驚きだ。
 
 大都市圏に販売

 「設備の余力」つまり「電力余り」を生んだ理由の一つが、1980年代以降、全国で続いた原発の増設。
 四電の場合、77年の伊方1号を皮切りに80、90年代に2、3号と増やした。
 増設の〝熱源〟は、電気事業法が定めた料金制度「総括原価方式」。資産に一定の報酬率(四電は3%)を掛けた金額を電気料金に転嫁できるので、発電所を造って資産を増やすほど、電力会社は利益が膨らむ。
 一方、四国外の大都市圏に売る「売電」は、電力余りの副産物かもしれない。
 詳細は「民間同士の契約」を理由に明かされていないが、業界内では「融通」と呼ばれ、増設とセットのように継続してきた。
 四電の説明では、これまで常時30万~50万キロワットを販売。相手先は主に関電とみられる。
 地方から大都市圏に送電される構図は、量の多寡はあれ、福島第1原発が東京の電気消費を賄ってきた歴史ともダブる。
 
 夏は節電必至?

 問題は全基停止が今夏以降も続いた場合。夏のピーク需要を570万キロワットとして、推測を交え概算しよう。
 四国全体の設備容量857万9千キロワット。ここから伊方1~3号(202万2千キロワット)、休止中の阿南火力1号(12・5万キロワット)、夏に定期検査をする可能性がある坂出火力2号(35万キロワット)を引き、さらに天候に左右される水力発電の減少分を2~3割とみると、計算が立つのは550万キロワット程度か。数字上、ピーク時に一定の節電をすれば乗り切れる計算になる。
 ただし、3基停止に伴う火力の燃料費増で、1日3億~4億円の負担が生じると四電は説明。停止が続けば、電気料金が上がる可能性がある。
 初の3基停止。原発、電気のリアルな姿がおぼろげに見える。
 四電によると、停止は13日午後11時50分ごろの見通し。

  【写真】長崎県松浦市にある電源開発・石炭火力発電所の貯炭場。四国にも電気を供給
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