2011/04/24 原発なしで暮らしたい100万人アクション in ヒロシマ
肥田舜太郎医師と福島の女性
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肥田舜太郎さん講演会
起こるべくして起きた福島の原発事故。
66年前あれだけの放射能被害を受けた日本は、またしても原発の放射能にさらされている。
肥田さんは、自らも被爆し、医者としてずっと被爆者の方達と共に生きていらっしゃいました。
内部被曝はその時すぐには症状が表れないけれども、何年か何十年か経って、だるくて何もできなくなる 「ぶらぶら病」など原爆病と認めてもらえない症状の患者さんと今も向
き合って、 内部被曝の恐ろしさを私達に発信しています。
福島から電話が入り、「子どもの下痢が止まらないんです」と訴えたお母さん。
福島でも放射能の被害者がすでに出ているということです。
私達は、知らなければならないのです。
人工的に作られた放射能の恐ろしさを……そして子ども達の未来を私達大人が奪う権利はどこにもないのです。
今からでも遅くはありません。
私達が気づいたときに、黙ってないで行動していくことが子ども達を守ることにつながっていくのだと思います。
~たくさんの人達が聞いてくれることを願っています~
肥田舜太郎(ひだ・しゅんたろう)
1917年広島生まれ。
1944年陸軍軍医学校を卒業、軍医少尉として広島陸軍病院に赴任。
1945年広島にて被爆。被爆者救援にあたる。全日本民医連理事、埼玉民医連会長などを歴任。
現在、全日本民医連顧問、日本被団協原爆被害者中央相談所理事長。
著書に『ヒロシマを生きのびて』(あけび書房)、『内部被曝の脅威』(共著、ちくま新書)など。
肥田舜太郎さん講演会
10月22日(土)13:30~
原爆の図丸木美術館
http://www.aya.or.jp/~marukimsn/
http://www.aya.or.jp/~marukimsn/
起こるべくして起きた福島の原発事故。
66年前あれだけの放射能被害を受けた日本は、またしても原発の放射能にさらされている。
肥田さんは、自らも被爆し、医者としてずっと被爆者の方達と共に生きていらっしゃいました。
内部被曝はその時すぐには症状が表れないけれども、何年か何十年か経って、だるくて何もできなくなる 「ぶらぶら病」など原爆病と認めてもらえない症状の患者さんと今も向
き合って、 内部被曝の恐ろしさを私達に発信しています。
福島から電話が入り、「子どもの下痢が止まらないんです」と訴えたお母さん。
福島でも放射能の被害者がすでに出ているということです。
私達は、知らなければならないのです。
人工的に作られた放射能の恐ろしさを……そして子ども達の未来を私達大人が奪う権利はどこにもないのです。
今からでも遅くはありません。
私達が気づいたときに、黙ってないで行動していくことが子ども達を守ることにつながっていくのだと思います。
~たくさんの人達が聞いてくれることを願っています~
肥田舜太郎(ひだ・しゅんたろう)
1917年広島生まれ。
1944年陸軍軍医学校を卒業、軍医少尉として広島陸軍病院に赴任。
1945年広島にて被爆。被爆者救援にあたる。全日本民医連理事、埼玉民医連会長などを歴任。
現在、全日本民医連顧問、日本被団協原爆被害者中央相談所理事長。
著書に『ヒロシマを生きのびて』(あけび書房)、『内部被曝の脅威』(共著、ちくま新書)など。