福島原発事故とこれからの生活を考えるblog

by原発事故被害者支援司法書士団 team of shihosyoshi to support compensation for nuclear accident victims         

福島第一原発の事故で失ったものは何でしょうか?
様々なものが失われました。
失われたものを取り戻すために、何をすべきなのでしょうか。

写真で見る福島2021・郡山市富田町

写真で見る福島2021・郡山市富田町
 
郡山市富田町若宮前応急仮設住宅
 富田町若宮前応急仮設住宅は、東北自動車道の郡山インターを降り、東に向かい磐越線郡山富田駅の近くにあった。
 大規模な仮設住宅で、設置戸数507戸、富岡町の人が411人、川内村が264人、双葉町が91人、計676人(平成26年4月現在)が暮らしていた。
私たちが訪れたのは取り壊し工事の終わり頃。広い空き地が広がり、工事の砂煙が立っている。
多くの人が暮らしていた形跡は跡形もない。
 国も福島県も、仮設住宅を震災と原発事故の後生への遺産として積極的に保存するつもりはないようだ。
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 富田町若宮前応急仮設住宅の撤去工事の様子。
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 工事の様子。ほぼ取り壊され、最後の工事に取掛かっている
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 集められたタンクか。
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 近くの高台に奥羽大学の校舎か見える。

以前のレポート
群馬司法書士新聞2011/10/10
 応急仮設住宅巡回訪問ルポ 
『一番の望みは「ふるさと」に戻ることだ。いつ戻れるかはっきりさせて欲しい。』
 入居者の方々の言葉が胸をつく
 
9月に入ったというのに、今なお、灼熱の夏の日が地上に降り注いでいた。
「あの山の向こうに福島第一原発がある。」我々の仲間の一人が指さした。
爽やかに晴れた空を見上げ、視線を遠く阿武隈高地の連なりに移すと、指さされた先の山 際に入道雲が湧き出ているのが見えた。

 巡回・訪問した目的・地域  平成23年9月10、11日の2日間、群馬司法書士会は、応急仮設住宅入居者の皆様に、群馬 司法書士会が収集した震災に関連する情報をお伝えすること、及び、今後の活動のための情 報収集を目的として、福島県下に建設されている応急仮設住宅約2600世帯を巡回・訪問した。
今回、訪問・巡回したのは、福島県の「中通り」と呼ばれる地域とその周辺、須賀川市、 郡山市、田村市及び三春町の各市町村である。福島原発からは約40~70キロメートルの距離 に位置している。
「中通り」は、西の奥羽山脈、東の阿武隈高地に挟まれた。南北に細長い盆地である。中 央には阿武隈川が流れ、東北自動車道が貫いている。  
訪問・巡回した応急仮設住宅には、現在、福島第二原発の所在地である富岡町、同町に隣 接する川内村、福島第一原発の所在地である双葉町、浪江町の西に位置する葛尾村に住居地 がある方々が入居されている。どの町村も、警戒区域、緊急時避難準備区域及び計画的避難 区域のいずれかに指定されている(一部指定地域を含む)。
 応急仮設住宅  具体的レポートの前に、応急仮設住宅の概要を記しておく。
応急仮設住宅とは、災害救助法に基づき、一時的な居住の安定を図る目的で建設される住 居である。災害救助法に基づく災害救助基準(平成20年4月1日現在)は以下のとおりである。
 ・規格:1戸当たり29.7㎡(9坪)を基準  
・建設費1戸238.7万円(ただし50 戸以上を集団で設置する場合は例外) 
・設置期間は原則2年 
(建設は都道府県、用地確保や管理は市町村、家賃は無料だが、水や光熱費は居住者負担)
 実際の費用・設備は、浪江町HPに掲載された募集案内が参考となる。「浪江町応急仮設住宅の募集案内」から、抜粋した住宅の概要は以下のとおりである。
・家 賃…福島県が負担
・光熱水費、共益費、修繕費…入居者負担 
・入居の期間…原則1年間(ただし、入居者の生活再建の状況により、さらに1年間延長することができる)  
・間取り…1人~2人用:1DK(6坪タイプ)、2人~4人用:2DK(9坪タイプ)  4人~6人用:3K(12坪タイプ)
 ※大家族など、家族の人数によっては、2戸にわかれる場合があります。
・駐 場…1台に限る 
・設備等…風呂、洗濯機、炊飯器、照明器具、トイレ(洋式)、冷蔵庫、電子レンジ、ガスコンロ、エアコン、テレビ、電気ポット、カーテン                 (浪江町HPより) 
 
 福島県では、仮設住宅群は500戸を超える大規模なものから、15戸程度の小規模のものま で多様な住宅群が避難地に建設されている。 
最初に訪れた、郡山市富田町の仮設住宅群は、およそ500戸。加えて、住宅用地の一角で は、今なお建設の槌音が響いていた。
 幸いにも、我々は巡回・訪問している途中で出会った自治会長さんのご好意で住宅内に立 ち入る機会を得た。
 外の暑さにもかかわらず、室内はエアコンが効き快適な状態が保たれていた。
 間取りは9坪タイプのワンルーム。床には 明るいグレーのカーペットが敷き詰められて いる。上記の家電が整然と配置され、一見す ると日常生活には十分な環境が整えられてい るように見える。隣家の物音も殆ど聞こえな いそうだ。 
しかし、詳細に観察すると、壁紙を止めた ホチキスや、天井板を止めた釘がむき出しの ままの状態で放置されている等、所詮「仮」 の住居でしかないことがわかる。福島の冬は 寒いそうだ。寒さに対する対応は十分だろう か。心配である。
 自治会長さんの奥様に勧められた冷たい麦 茶をいただいて、束の間の休息を取った後、 外に出ると、ボランティアの炊き出しに遭遇 した。 
 強い日差しの中、各入居者が手に手に鍋を持ち、三々五々、集会場に向かっている。今日 の炊き出しは豚汁だそうだ。
 仮設住宅の一角では、入居者が数人、談笑していた。傍らの植木鉢には、ブーゲンビリア に似た花が植えられている。燃えるような赤い花びらがモノトーンの仮設住宅の風景の中で、 際立って艶めかしい。一見、情報も先入観も持たずに、垣間見れば、ここでは穏やかなコミ ュニティー環境が醸成されつつあるように見える。しかし、そう簡単にことが運んでいると は思われない。問題が山積しているのだ。
 以下では、我々が巡回・訪問した応急仮設住宅の調査報告から、幾つかの事例を取り上げ て、現在の仮設住宅で起こっている問題をレポートしてみたい。  
 富田町の仮設住宅を巡回し資料を配布していると、親子連れの30代の男性に会った。我々 は巡回の趣旨を伝え、持参した「群馬司法書士新聞」を手渡した。
会話中、東電の賠償金の問題に話が及ぶと、男性の表情が険しくなり、我々を見つめる眼 差しが鋭さを増した。
 「金などいらない。一番の望みはふるさとに戻ること。」
 「いつ戻れるかはっきりさせてほしい。」
 父親の脚を遊具替わりして戯れていた連れの幼児が、突然、クックッと笑った。父親の目 元が一瞬穏やかになる。しばらく幼児の相手をしていた父親は、再び我々に向直り、厳しい 口調で言った。
 「以前の生活に戻れればそれだけでいい。」 

まず最優先で考えなければならない根っこの問題はそこだ。
 東京電力および政府は未だに、今後の帰宅の見通しを明確にはさせていない。今後の状況 によっては、入居期間が大幅に伸びる可能性もある。
 災害救助法では応急仮設住宅への入居は、2年を限度としているが、実際には被災地の復 興状況により延長される場合が多い。例えば、新潟県中越大震災では3年、雲仙・普賢岳噴 火災害では4年半、阪神・淡路大震災では5年もの間入居が継続した。
  原発問題及び復興計画の見通しが立たなければ、入居が長期化する可能性も否定できない。 最も根源的な問題を、補償問題にすり替えてはいけないのだ。 

翌日、我々は山間の丘陵地帯に点在する仮設住宅を巡回・訪問した。
ある中規模の仮設住宅群を訪問した我々は、住宅の一角で、金盥で洗いものしている60代 の女性に出会った。
我々が声をかけると、洗い物の手を休めて気さくに応対をしてくれた。富岡町から避難し ているという。 
震災直後、郡山市の避難所ビックパレットに入所した後、数カ所の避難所を転々として、 現在の仮設住宅に入所したそうだ。
 「ここには同じ町内の人たちが入所している。でも、同じ町民同士でも、全く知らない人ば かり。いろんなことを話したいのに話し相手がいない。他人と話す機会がない。」 
「必要かどうか分からないが、領収書は保存している。コインランドリーの料金なんかでも 請求していいのでしょうか。」と、不安そうに言った。
 我々がお礼を言って立ち去ろうとすると「話をするのが嬉しい。本当は、いろんなことを、 もっともっと話がしたい。」と、我々の手を握った。 心なしか涙ぐんでいるように見えた。

 情報不足を口にする入居者もいる。
 農業を営んでいたという70代の男性は、我々に、とにかく正確な情報がほしいと訴えた。 
「町からここに入れと言われたから、ここに来た。以来、全く情報がない。」
 「これからいつまでここに居られるかもわからない。」
 阪神・淡路大震災においては、高齢者と障害者だけの、孤独死の問題が指摘され、その反 省をもとに今回の大震災では、コミュニティーの維持・社会的なネットワーク構築の重要性 が説かれた。 
我々の巡回した仮設住宅では、それらの問題に対する配慮も見られた。しかし、そうした 配慮にもかかわらず、コミュニティーが十分に維持されているとは言い難く、社会的なネッ トワークも、十分に機能しているとは思えない。 
ネットワークの欠如に起因する情報不足は孤立の一原因ともなる。適切な情報は入居者の 生活維持に不可欠なのだ。 高齢者・一人暮らし 巡回していると、高齢の入居者が多いのに気づく。高齢者が一人で入居しているケースも 見受けられた。

環境の変化による体調の悪さを訴える入所者がいた。
 仮設住宅に来るまでは毎日農作業をやっていたという80歳代の女性は、「ここに来て動く ことが少なくなったので、手足の節々が痛くなって来た。毎日さすっているが痛みはおさま らない。」と訴えた。 
山間の丘陵地帯にへばりつくように建てられた仮設住宅に、一人暮らしをしている90歳の 女性もいる。
入口から、我々が声をかけると、暫く間をおいて、部屋の奥から姿を見せてくれた。膝が 痛いので満足に歩くこともできないそうだ。 
買い物は?と尋ねると、「一人ではできない。隣の人にたのんでいる」と答えてくれた。 
我々が訪問の趣旨を説明しようとすると、それを遮っていった。
 「難しいことはわからないから考えない。目も弱くなって活字も読めない。だからそれ(配 布資料)もいらない。気楽に生きている。」
 入口に、50センチ四方の段ボールがあるのが目に入った。我々の目線に気がついたのだろ うか、「そこ(入口のステップ部分)に時々出て、これに座っている。」と説明してくれた。 
誰に聞かせるでもなく、独居入所者は「気楽が一番」と、もう一度呟いた。

仮設は仮設でしかない。
 仮設はあくまで「仮」の住まい以上ではない。入居されている方の最大の望みは「通常の 生活に戻ること」ではないだろうか。しかし、それを実現するにはあまりにも課題が多い。 
 様々な問題が放置され、様々な新たな問題が持ち上がってきている。
 *********************** 
この新聞が発行される頃、今回、巡回・訪問した地方は、すでに秋真っ盛りだろう。
 愛犬が可哀想だと犬小屋を作っていた区長さん、犬小屋は出来上がりましたでしょうか。
 手足の節々が痛いと手をさすりながら応対していただいた川内村から来たという高齢の入 居者の方、痛みは和らいだでしょうか。
 90歳、一人暮らしの女性の方、秋風の中、段ボールに座り、「気楽」に日々をお過ごしで しょうか。お風邪を召されないように。

遠く群馬の空の下で、気を揉んでいます。皆さんお元気で。
また伺います。               


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写真で見る福島2021・狐田応急仮設住宅跡地

写真で見る福島2021・狐田応急仮設住宅跡地

狐田応急仮設住宅は、郡山から田村市に向かう道路、郡山大越線(県道57号)沿い、三春町の「さくら湖」の北の山中にあった。
狐田親水公園の一部を使い建てられ、戸数55戸・入居者数115名で(平成25年当時)、葛尾村から避難していた人々が住んでいた。
ここを訪れたのは、3回。避難していた人が住んでいたとき、人はおらず取り壊しを待っているとき、今回である。

取り壊し前の仮設住宅

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取り壊し後の跡地
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狐田応急仮設住宅は道路から下った低地にある、公園の一部に建てられた。

跡地の場所がわからず周辺を車に乗りながら探した。、跡地に着いてもどこにどう建っていたかは、すぐには思い出せなかった。
 避難していた人たちが7、8年暮らしていた痕跡はあとかたもなかった。
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 跡地のすぐ近くを小さな川が流れている。
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 道路の反対に狐田稲荷神社がある。



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写真で見る福島2021・田村市の聖火リレー

写真で見る福島2021・田村市の聖火リレー
 
 3月27日、田村市で、東京オリンピックの聖火リレーが行われた。

 東京オリンピックの開催は、福島復興のシンボルであり、聖火リレーもその行事の一環である。
リレーの沿道にはかなりの人が出ていて賑やかだった。しかし、リレー区間はコロナのためもあるのか短く、警備は何かが起こることをひどく警戒しているようで、厳重であった。

 この催しは、復興の光の部分が強調されているが、その陰で多くの人がまだ避難していることを思うと、違和感とともに素直に祝い喜ぶ気持ちにはなれなかった。
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 聖火リレーのポスター
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 聖火リレーを待つ人たち。立旗が立ち、人々は手旗を持っている。
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 公共放送局も来て大型のカメラを構えて待っている。
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 聖火を持って走る人。写真では見えないが、走者の左右に三人ずつ警備の人が並走していた。
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 警備はかなり厳重で観客は道の片側に寄せられ、一定間隔で警官が立っている。反対側に渡って写真を撮ろうとしたら、咎められた。最後尾には警察の警備車(デモのときよく見かける)が付いてきていた。


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写真で見る福島2021・大熊町

写真で見る福島2021・大熊町
 
2018年4月24日現在の大熊町の状況
現在、大熊町は原子力災害により、帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域の3つに分けられています。

令和3年4月1日現在の大熊町の居住状況・避難状況
住民登録者数   4,781世帯 10,212人
居住状況・避難状況
 内訳   県内 3,602世帯 7,840人
      県外 1,179世帯 2,372人
 町内居住者数   273世帯 316人
 町内居住推計人口 ※町に住民登録がない居住者を含めた推計人数  907人
       (大熊町HPによる)
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 大野駅(大熊町)の改札入口。駅は無人である。駅までの道路と駅は立ち入りができるが、その周辺は出来ない。
大熊町は、大野村と熊町村が合併してできた。駅名はその以前の名がそのまま使われている。
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 駅広場のすぐ隣に「この先帰還困難区域につき通行止め」の看板が立っている。 

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 駅内通路から双葉駅仙台方向を見る。

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 駅広場近くの民家。一部壊れたまま放置されている。

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 大熊町生活循環バス。一時帰宅する人が利用者の中心であろうか。

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 バスの時刻表。途中5か所に寄り、富岡駅に行く。

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 町の施設だろうか。建物に「線量計を貸します」とある。中には人がいるようだ。
双葉駅にはこのような施設はなかったと思う。やはり線量が高いのか。


以前のレポート
群馬司法書士新聞2012/02/10

梨の花咲く町から
群馬司法書士会が実施する仮設住宅訪問は今回で3回目となる。
今回は会津若松市の応急仮設住宅(以下仮設住宅と記す)、主に大熊町の方々が避難されている仮設住宅群を訪ねた。
大熊町は、第一原発の所在地として知られている町だ。行政区分では、双葉町、富岡町等の市町村と接し、東は太平洋と接する。
東日本大震災後、東電原子力発電所の事故により、町全体が立入り不可の地域となったため、住人全員が他市町村に避難している。
町役場も、その機能を移転せざるを得なくなり、現在、会津若松市栄町の会津若松市役所追手町第二庁舎に仮役場を開設し、その機能を移している。
大熊町は、阿武隈山系の山と雄大な太平洋に囲まれた自然豊かな町だ。フルーツ、特に梨の産地として名高い。梨の花は、町の花として定められている。「フルーツの香り漂うロマンの里 おおくま」は、町のキャッフレーズだ。
梨の栽培は、大正時代から本格的に始まったそうだ。その当時に植えられた梨の木が今も実を付けるという。樹齢は100年にもなる。
梨畑は、町役場の近隣に集中している。
梨畑の一番きれいな季節は春だ。桜が散ると、やがて梨の花がその可憐な白い花を咲かせ、高台から見ると、梨畑一面に咲く可憐な梨の花は、まるで雪景色のようだという。後記の商店主の奥さんは、「本当に綺麗よ。」と力を込めて、その情景を我々に語った。  
その故郷に、今は帰りたくても帰れない。
果樹園を営んでいたという避難者は、一時帰宅の折に見た梨畑を次のように表現した。
「草もぼうぼう。枝もぼうぼう。」
誰も手入れをしない田畑や果樹園は、自然の営みが勝手気ままに振る舞う。雑草がはびこり、昆虫がその棲家とする。
梨畑を元の状態に戻すには、仮に帰宅がかなったとしても容易ではない。前記の果樹園主は、再生の過程を次のように語った。
「今ある木はダメだ。もう使えない。全て切り倒し、根も全て掘り起こし、撤去しなければならない。その上で再び整地し、新しい木を植える。木が成長し収穫出来るようになるには、それから10年かかる。」
「俺の代では、無理だろう。」
梨畑は、第1原発から数kmの地域に集中している。帰宅が最も困難な地域と考えていいだろう。新しい木を植えることが出来るのはいつの日のことだろうか。その日は、現時点では限りなく遠い。
他の耕地も同様の状況だ。
仮設住宅の通路で軽自動車を洗車していた70歳代の男性に会った。自宅は第一原発の煙突が間近に見えるところにあるという。
洗車していた手を休めて、「稲作を中心とした農業をしてい
た。米の銘柄は、コシヒカリ、一毛作なので冬の間は殆ど休み」と、大地震前の、生業を語ってくれた。
「今の様子は?」との質問に対しては、
「田や畑は身の丈ほどの雑草が生えている。以前の田畑の面影はない。」
「牛や豚が好き勝手にうろついている」と、一時帰宅した折の状況を教えてくれた。
同じく農業をしていたという方に、他の仮設住宅でも会った。第1原発から3kmほどの地域に住んでいたという60歳代の男性は、「この先どうなるのか、どこに行くのか、全くわからない。」「自宅や田畑は、買い上げ、借り上げが現実的。」と、先の見通しを述べ、
「(原子炉を)廃炉するのに40年かかるというから、帰宅できるのは、30年40年先だろう。」
「俺は、100を軽く超えてしまう。」と、白い歯を見せた。
稲作は、大熊町農業の中心だ。水稲の作付面積は約600ヘクタールにも及ぶ。その豊かな水田が東電の原発事故により排出された放射能で汚染されてしまった。農業の再生の条件は汚染物質が取り除かれることが前提であるが、それだけではない。放棄された農地の再生は、長い時間を費やす根気のいる仕事であるという。また、帰宅までに、長い時間を要すれば、担い手である耕作者の高齢化も深刻な問題となるだろう。



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写真で見る福島2021・双葉町

写真で見る福島2021・双葉町
 
双葉町の人口、世帯数
2021年2月28日現在
人口5,760人  世帯数2,211
令和3年2月28日現在の避難状況は次のとおりです。
 なお、この避難状況は、平成23年3月11日現在の人口から、死亡者を除き、震災以降の転出者及び転入者、出生者を含むものであり、現在、町として支援対象となる人口の避難状況を表しています。
福島県内に避難されている方 4,017人
福島県外に避難されている方 2,777人
         ( 双葉町HP )

 双葉町は平成25年5月警戒区域が解除され(避難指示は継続のまま)、主要道路の通過通行、住民の一時的帰宅ができるようになっていたが、さらに令和2年3月4日に双葉駅周辺等の一部区域について、避難区域から解除された。
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 双葉駅 令和2年3月14日常磐線が全面再開した。その一年後である。
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プラットホームの表示。上り方面は「大野駅」(大熊町)下り方面は「浪江駅」
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双葉駅の乗車証明書。駅は無人で、プラットホームまでは自由に出入りできた。乗車する人はこの証明書(自動発行機)で降車駅で料金を支払う。
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プラットホームから浪江駅仙台方向を見る
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 駅から出るシャトルバス。伝承館行きとなっている。

以前のリポート
2014.1.10 群馬司法書士新聞
「何でここで寝てるんだろう」
双葉町からの移住を決断したCさんに聞く


「原発事故が起こるまでは、双葉町で息子夫婦と同居し、毎日、孫の顔を見ながら、平穏に暮らしていました。双葉町は、海が近いから、夏も涼しいし、冬も寒くないし、気候も穏やかで、魚も美味しいし、とてもいいところです。だけど、原発事故で避難しなくちゃならなくなって、群馬県で暮らしていた弟を頼って夫婦で避難しました。息子夫婦は新潟県に避難したので、それまで当たり前のように毎日見ていた孫の顔も見られません。
 国や県は、いつか帰還できるというふうに言うけれども、自分はもう家には帰れないと思ったんで、すぐに群馬県で家を探しはじめて、その年の暮れには、中古住宅を購入しました。自分はもう仕事をリタイアしていたこともあるでしょうが、県外に避難した中では、早くに帰らない、移住するということを決めたほうかもしれませんね。
 だんだんと群馬県での生活にも慣れてきて、今は、夫婦水入らずで、あちこちに出かけては趣味のスケッチに没頭する生活をしています。
 でもね、夜、布団に入りながら、ふと思うことがあるんです。
「ここどこだ?
オレ、何でここで寝てるんだろう?
 オレの家はここじゃねえんだよな」って。
やっぱり、ふるさとが一番なんですよね。
 双葉町にいたときは同居していた息子は、避難先の新潟県で仕事を見つけました。これからも息子たちは、新潟県で暮らしていくんだと思います。だから、もう、息子たちと一緒に住むことはできないでしょうね。孫の顔もたまにしか見れないし、寂しいですよ。」


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写真で見る福島2020・飯舘村

写真で見る福島2020・飯舘村

R3.3.1現在の飯館村の居住者の状況は次のとおりです。
県外避難者  195名   113世帯
県内避難者 3525名  1360世帯
村内居住者 1481名   770世帯  
   R3.3.1現在 飯館村HP
約3割の方が帰村して暮らしています。
ちなみに、飯館村の避難区域の変遷は以下のとおりです。
避難指示解除準備区域(平成29年3月31日解除)
居住制限区域(平成29年3月31日解除) 
帰還困難区域(村内一部)
飯館村役場CIMG2999
写真1 飯館村役場 立派な建物で、原発以前からこの村が豊かな村であったことを示している
飯館村文化祭2CIMG2995

飯館村文化祭CIMG2993
写真2、3 飯館村の文化祭 大勢の人が集まり活況でした。
飯舘村交流センターふれ愛館CIMG3003
写真4 飯館村文化交流センター まだ建築後新しい
いいたての希望飯館村学校
写真5 中小一貫校である「いいたて希望の里学園」の校舎。新築の校舎がまぶしい。
飯館村風景
写真6 高台から飯館村の風景。新しい建物が目立つ。国が進める復興の象徴なのか。


以前のリポート
2017年11月24日 原発被災地ルポ
「川辺の復興住宅=飯館村」
 霊山から飯館村に向かう。村に入る手前の谷に、大規模なフレコンパック置き場が作られていた。置き場の入り口の空間線量計は0.45マイクロシーベルトを表示している。持参した線量計を道ばたの草の上に置くと、数値は8マイクロシーベルトまで上がった。

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 飯館村大谷地の以前は村営住宅があった場所に「大谷地団地」が新たに作られた。一部二階建て一棟4戸の復興住宅が4棟、16世帯分の団地だ。穏やかな木造の建物は、周囲の景色になじんでいる。建物の周囲には砂利がしかれ、時雨に濡れた道のアスファルトが雲間から射す午後の陽光を照り返していた。細い川を挟んだ対岸には、大谷地の古い家並が並んでいる。

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 「猪の親子が並んで通ったよ」
 7月まで大野台の仮設にいたという男性が言った。
 「狐の鳴き声も聞こえる。しかし、猪も狐も、人が戻ってきたの知って、段々出なくなってきたな」
復興住宅は仮設とは比べものにならぬほど快適だが、住環境は不便だという。週に二度、移動販売の車が来るくらいで、日常生活に必要な品物を買う場所もない。
 「道の駅に行ってコーヒーを飲むくらいが楽しみだな」と言った。
 子どもたちは福島の方で暮らしているという。
 「そっちにある家は大概取り壊すんだよ」
 向こう岸の家並を見ながら男性が言った。
 「6年も7年も締め切りなんだ。外見はそうでもなくとも、実際は相当痛んでいる。住めるようにするまでどれだけ金がかかるか。直したところでいつ戻れるか。そんなことを考えたら、壊すしかないな」
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 大谷地の集落はいつ頃できたのだろうか。集落の北にある綿津美神社の創建は1200年前だというから、相当の歴史を経てきた場所に違いない。川に沿って建てられた家々を眺めながら、谷間に農地を開き、川と街道が交わる場所で営まれてきた歴史を思い、原発事故が危機に陥らせているのだということを実感した。
             

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写真でみる福島2020・広野町

写真でみる福島2020 令和2年10月

写真1 広野駅 昼のせいか人影はない。
広野駅

写真2 広野駅の近くの新築のテナントビル テナント募集の旗がゆれる
 
広野駅CIMG2930

写真3 広野駅の時刻表 本数は少ない。
広野駅時刻表

写真4 広野の復興住宅1 戸建住宅はほとんど人が住んでいる。

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写真5 広野の復興住宅2 集合住宅 空き家が目立つ
広野町復興住宅の今2 (2)

以前のリポート

平成23年4月のリポート

久之浜漁港で初めて、津波による被害を目の当たりにした。6号線の東、浜側の建物は、壊れた倉庫を除いてなくなり、自動車や漁船や、瓦礫が浜側に寄せ集められている。港にはだれもいない。

--------------------------------------------------久ノ浜


平成25年12月

常磐自動車道のいわき四倉インターチェンジから東に245号線を進むと、いわき市久之浜町に出る。久之浜地区はいわき市の北,広野町に達する手前に位置する。久之浜も津波被害地だ。国道を境に海側の地域が被害にあった。




(写真 245号線跨線橋から久ノ浜を望む。手前は常磐線、沿って走る6号線。中央岩肌の見える山の下が大久川の河口となっている。2013年12月15日撮影)



その一角に災害公営住宅が建設中だ。建設地復興住宅1ひは、国道6号線を北上した右手にある。完成予想図が工事現場の入口付近に掲げられている。工事は基礎工事の段階だが急ピッチで進んでいる。建設計画では、共同住宅は鉄筋コンクリート造り2棟で、8階建64戸と7階建56戸の合計120戸で、2LDK60戸、3LDK60戸が予定されている。 戸建は16戸〔下記意向調査は18戸となっている〕で2LDK8戸、 3LDK8戸。153㎡の平家の集会場もある。建築費用は、町が8分の1、国が8分の7を負担する。入居者の募集は昨年10月22日に開始され、12月24日で締め切られた。いわき市が、平成24年3月13日から15日に行った入居意向調査では、震災で家を失った対象世帯はいわき市全体で6367世帯、そのうち入居希望世帯は1634世帯であった。久之浜地区の入居希望者は定数120に対し107で倍率は0.89倍だが、そのうち戸建の希望者は定数18に対し希望31であった。


(写真 災害公営住宅地の擁壁が前方に見える。大久川中央に傾いた橋桁が残っている。この川を競り上がった津波が岸辺の家と橋を流し去った。2013年12月15日撮影)  

平成25年初冬の広野町駅の周辺は、一見、平成23年4月にリポートした状況とあまり変化が感じられなかった。駅前の商店街は閑散とし、通行人の姿も見当たらない。異なった点と言ったら、駅前の信用金庫が営業を再開し、当時商店街の外れに置かれていた進入禁止の看板が撤去されていたぐらいだろうか。

広




駅前広場にはタクシーが2台、所在無さそうに客待ちをしていた。やはり、人影はない。常磐線は、まだ全線開通していていない。現在は広野町が終着で以北は開通しておらず、いわき・水戸方面に1時間に1本の間隔で運行している。広野町駅が終点で折り返し運転中だ。


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ちょうど列車が発車するところだった。女性の車掌が身をのりだし、それほど多くはない乗客の安全を確認し、ドアを閉めた。列車が発車し、一時の喧騒が去り再び静けさが戻る。

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電車が占めていた空間がポッカリと空くと、歩線橋を渡った向こう側プラットホームの五つ並んだ青い椅子の先に、津波被害地の荒涼とした景色が現れた。さらにその先、防風林の先には青黒い海が広がっている。何一つない荒れ地の広がり具合からすれば、津波はちょうど駅の向こう側まで押し寄せたに違いない。

jR常磐線は、広野町を縦割りするように走っている。線路は高さ6m程土盛りをした上を走っている。線路をはさんで海側と陸側では全く光景が異なる。海側は津波で破壊尽くされているが陸側は何事もなかったように家々が建ち並んでいる。線路の脇に立ってみると常磐線が防潮堤の役割を担ったということが歴然とわかる。これは地元の人達も口々に言っていることだ。
                                                                                                                  




 


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