原発損害とこれからの生活を考えるblog

by原発事故被害者支援司法書士団 team of shihosyoshi to support compensation for nuclear accident victims         

福島第一原発被害者の失ったものは何でしょうか?
様々なものが失われました。
失われたものを取り戻すために、何をすべきなのでしょうか。

大玉村仮設住宅の6年(4)

4.復興住宅(正式には災害公営住宅)の建設計画

4.復興住宅(正式には災害公営住宅)の建設計画
-仮設住宅自治会が主導した復興住宅の建設- 
平成28年1月27日、復興公営住宅「大玉村営横堀平団地」竣工式が、同団地集会所で関係者約50名が出席して行われた。(復興庁HP
 復興住宅建設計画から完成まで、自治会はどう関わってきたのか、復興住宅建設計画の実現に至るまでの経緯を振り返ってみる。 

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○応急仮設住宅の入居期限と復興住宅
 応急仮設住宅の入居期限は、当初2年間とされていた。しかし、復興状況の遅れを踏まえて、平成27年3月末まで延長された。同時に、民間賃貸住宅を使った「みなし仮設」の入居期限も同様に延長された。更に平成27年4月以降は、入居期限を代替的な住宅の確保などの状況を踏まえて適切に対応するとし、再延長がされ現在に至っている。
 応急仮設住宅の入居期間の延長、再延長は、被災者の住宅確保という意味では、意義深い。しかし、被災者の方の心と体が、長期の仮設の暮らしに耐えられるのだろうか、応急仮設住宅の耐久性は十分だろうかといった疑問に対して、入居期間を延長するのみでは答えとはならないことは明らかだった。
 ひとつの解決手段として復興住宅(正式には災害公営住宅)建設の早期実現は不可欠だった。被災者の方が、「もっと恒常的な住まいが欲しい。もっと快適な居住空間がほしい」と願うのは率直な要求であり、その要望に答えるのが国・県・自治体の役割でもあった。 
 平成25年に仮設住宅の自治会は、隣接地に自分たちが住む復興住宅を建設したいという住民の意向を国、福島県、富岡町に提出している。
 「富岡町大玉村出張所だより」4月号では、3月30日に開催された同自治会の総会の模様を伝えている。その記事では、鎌田自治会長が「仮設住宅の住民の一部から、大玉村内に復興住宅を建設して欲しいという声があり、根本復興大臣に、大玉村に災害復興住宅建設の要望書を提出した」との報告が写真とともに載せられている。

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○復興住宅建設のための住民意向調査
 自治会では、復興住宅建設のために住民の意向調査を記名式で2回行っている。
 一回目は25年3月に、二回目は5月に意向調査を実施した。「大玉村に建設する復興住宅に住む希望」があるかという問いには、83戸(約100回答)が希望し、17戸は住まない意向を示した。どちらの調査も回答率は50%で、約半分の仮設住宅の入居世帯から回答はなかった。
 富岡町でも、自治会の調査の後、8月に住民意向調査を実施している。その調査結果では約60世帯の住民が復興住宅に入居したい旨の意向を示した。
 その結果、83戸が記名で入居の意向を示したのだから、復興住宅はその数を基準にして欲しい旨の自治会の申し入れにも関わらず、建設計画では65世帯分の建設予定となった。
 その後、大玉村は、平成25年10月21日に開いた村議会で、26年度中の着工・完成を目標に災害公営住宅の整備を進めていくことを決定した。
 建築形態は、県の案では集合住宅が主であったが、自治会の要望により、平屋建、2階建て、2戸1棟型(メゾネット方式)と変更された。
 こうした経緯を経て、自治会の要望は実現へと向かっていった。


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鎌田自治会長には、心残りがある。それは、住民の約50%が意向調査に未回答だったことだ。
 鎌田会長は、「回答のない残りの50%約100世帯の人たちが、これからどうするのか心配だ。大玉村に復興住宅が出来て、住民の一部が移り住んだ後、仮設に住み続けている人達は将来に向かってどう決断するのだろうか。行政はちゃんとフォローしてくれるのだろうか。」「すでに、他の復興住宅に入居を希望するなど明確な方針を持っている方もいるかもしれないし、まだ、先のことを考えられない方も、たくさんいらっしゃるかもしれない。とにかく、50%の人達が意志を表明されないので、今何を思っているのか全くわからない。取り越し苦労かもしれないが、先行きを考えると様々な問題が起こる様な気がする。」と先行きを心配していた。
未回答が50%あったことをどう考えたらいいのだろうか。50%もの人が意向を示したというのは、自治会の活発な活動の成果とみることもできる。
 しかし、仮設入居者の半数が回答なしであることに少なからずショックを受ける。何故回答がないのか、それとも回答できないのか、2年半(当時)もの過酷な仮設住宅生活が原因で精神的に疲れて果てているのか、家族や仕事、お金や賠償問題など様々なことが絡み合って、まだ決められないのだろうか、実相は最も近くにいるはずの鎌田自治会長にも見えていなかった。
                (いしかわ&さくらい)

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「復興なみえ町十日市祭」に行ってきた。

「復興なみえ町十日市祭」に行ってきた。

「復興なみえ町十日市祭」
平成29年11月25日26日浪江町地域スポーツセンター
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 11月25日、26日に浪江町の地域スポーツセンター敷地内において「復興なみえ町十日市祭」が開催されました。地元の司法書士の吉田さん(今は郡山に事務所)は、「もともと地元の浪江神社の秋祭りで、毎年10月10日に開かれてきたので「十日市祭」と呼ばれている。市民のお祭りとして続いてきた。」と説明してくれました。
 祭りのパンフレットには次のように由来が書かれていました。
「十日市とは
十日市は明治6年に出羽権現(現在の浪江神社)の祭日として浪江町権現堂地区に「市」を立てたことが始まりになります。今で言う「町おこし」の走りです。十日市の名前は、旧暦10月10日を中日(なかび)として三日間行われたことに由来するもので、収穫を終えた人々が豊年を祝い、冬に向けて生活用品を揃えるための市として始まったものです。」
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 十日市は東日本大震災により中断の危機に瀕しましたが、  npo の皆さんを中心とする住民の皆さんの努力により、その年の11月には二本松市で再開され、以来6年間継続して開催されてきました。本年は帰宅困難地域を除く全域が避難指示解除になったのに伴い浪江町で復活開催がされました。
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 会場の地域スポーツセンターには多くの人たちが訪れ想像以上の賑わいがありました。
何十もの縁日の屋台や地元の団体のテントが立ち並び、その間を人々が行き交っていました。浪江焼きそばの店の前では、十人二十人と行列が出来ていました。
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B-1グランプリ優勝の「浪江焼きそば」は地元商工会青年部の町おこしから始まりました。
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同時開催された「ふるさとの祭り2017 in 浪江」
 広場の舞台の上では地元の伝統芸能が演じられ、パイプ椅子に座った人たちが隣の人と話しながら楽しそうに見ているのが印象的でした。
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 福島県司法書士会も地域スポーツセンター駐車場の一角に相談ブースを設け、さまざまな相談にお答えしていました。群馬司法書士会の会員も相談員として参加しました。
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 所々で、数人が輪になって立ち話をしている人達が目立つのは、まだ町民の多くが避難生活を送っていて、久しぶりに会ったからなのでしょうか。

 26日の福島民友は「7年ぶり浪江「十日市祭」復活を喜びにぎわい」との見出しで、「開催を聞き町外に避難する町民も駆けつけた。来場者は 再会を喜び、地元での十日市を満喫した」と報じていました。 
                (いしかわ&さくらい)

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最近の原発損害賠償に関する情報(原発損害賠償訴訟判決)2/2

最近の原発損害賠償に関する情報(原発損害賠償訴訟判決)

3.賠償はどこまでの範囲を認めたか。
 原子力損害賠償紛争審査会の作った「中間指針」を越える賠償を認めたかがひとつの判断になるでしょう。(ただ各訴訟の原告団の地域構成が一様ではないことから単純な比較はできないことと、各判決で集められた資料に差があり、要約した内容の詳しさに差があることをお断りしておきます。)
 前提として、東電の自主的賠償の基準を定めてきた、いわゆる「中間指針」等の裁判上の位置づけについて見てみましょう。
 前橋判決はこれについて、「裁判所が・・・賠償すべき範囲を算定かるに当たっては、中間指針等が定めた損害項目及び賠償額に拘束されることはなく、自ら認定した原告の個々の事情に応じて、賠償対象となる損害の内容及び損害額を決定することが相当である」と言っています。「中間指針」等に拘束されないということは3つの判決とも共通といってよいでしょう。
では各判決の賠償内容を見てみましょう。
(1)前橋判決
  年齢や避難の経緯をもとに個別的に金額を検討し支払い済みの金額との差額を認めました。避難指示区域の住民19人に75から350万円、区域外の自主避難者43人に7万~73万円、総額3855万円を認めましたが、72人については認めませんでした。その理由は既に支払い済みということと思われます。
 判決に「平穏生活権」ということばが出てきますが、「ふるさと喪失損害」について判断したかは定かではありません。
 賠償金額については3つの判決の中で被害者に最も厳しいと言われています。しかし、一例を挙げますと、個別的事情を考慮の上の総合判断として、福島市の旧居住者で群馬(一時二重生活を余儀なくされいる)に避難してきた夫婦に各51万円の追加賠償を認めています。これは次に述べる福島判決の16万円より高い金額で、最も賠償が厳しいと言い切ることは出来ません。
(2)千葉判決
 中間指針を越え、故郷喪失慰謝料(請求額1人2000万円)として原告35に50万から1000万円を認めました。自主避難者にはこれを認めませんでした。
 この判決は中間指針を超える故郷喪失慰謝料を認めたところが画期的といえるでしょう。(残念ながら判決分等の資料が手に入っていないので詳しい解説ができません。)
(3)福島判決
地域ごとに判断されていますので、これに従って説明しましょう。
帰宅困難区域と、現在も避難指示が続いている双葉町の避難準備区域で中間指針を越える額20万円を認めました。これは平穏生活権侵害による慰謝料は月10万円が相当とし(中間指針と同じ)つつも、請求できる時期を26年4月までとし、26年2月までとした中間指針を越え2か月分プラスしたものです。なお、これ以降の慰謝料は1000万円の帰宅困難慰謝料で包括されており、これが「ふるさと喪失」に対応するものとしました。しかし「ふるさと喪失」損害の追加賠償は認めませんでした。

居住制限区域、避難指示解除準備区域の旧居住者(例えば飯舘村、南相馬市、楢葉町等の一部)には賠償を認めませんでした。その理由は、月10万円の賠償が今(29年9月21日である口頭弁論終結の時)も続いているからだとしています。
旧特定避難勧奨地点、旧緊急時避難準備区域旧居住者(例えば広野町、田村市、川内村の一部等)には中間指針を超える損害を認めませんでした。
旧一時避難要請区域旧居住者(例えば南相馬市鹿島区)
 中間指針では23年9月まで月額10万円で計70万円でした。 
 これに3万円、妊婦・子供にはさらに8万円(計11万円)を認めました。
 鹿島区の一部では23年9月末時点でも10msv/yを超える線量が観測されていてこれを不安に感じること等が追加の理由です。
⑤旧屋内退避区域旧居住者 原告がいないので判断しない、としています。
⑥自主的避難区域旧居住者(福島市、桑折町、川俣村等)
 中間指針では 妊婦・子供48万、それ以外8万円を認めていました。
 判決はそれ以外の人にプラス16万円としましたが、妊婦・子供は45万円を越える   額なしとし、賠償を認めませんでした。23年3月末時点で20msv/yを超える   空間線量率が観測されていて、旧避難指示解除準備区域の旧居住者の抱いた不安に比   べて大きく劣るものでない等が追加を認めた理由です。
⑦県南地域・宮城県丸森町旧居住者
 子供・妊婦(24万円)だけが賠償の対象とされていましたが、それ以外の人たちにも10万円を認めました。
⑧賠償対象区域外の旧居住者
 賠償対象でなかった茨城県水戸市、日立市、東海村の避難者に1万円を認め、同県牛久市、つくば市、会津地域、宮城県(丸森町を除く)、栃木県の旧居住者については賠償を認めませんでした。
「ふるさと喪失」損害については、帰宅困難区域につき中間指針の1000万円を超える損害は認めませんでした。
                (さくらい)

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最近の原発損害賠償に関する情報(原発損害賠償訴訟判決)1/2

最近の原発損害賠償に関する情報(原発損害賠償訴訟判決)

前橋、千葉及び福島地裁の損害賠償訴訟判決をわかりやすく説明します。
 原発事故による損害賠償請求訴訟は各地で起こされています。平成28年3月までで、全国で31件の集団訴訟がなされ、その原告の数は合計約1万3000人になります。
 その判決が今年3月の群馬県の前橋地裁を皮切りに、千葉、福島の地裁で出ています。これからの賠償のあり方に影響を与えることになるでしょう。そこで、その内容について、わりやすく説明したいと思います。
 主な論点は、次の3点です。
1.東電の責任を認めたのか。
2.国の責任を認めたのか。
2.賠償はどこまでの範囲を認めたか。
以下、3つの論点に分けてそれぞれの判決を比べてみましょう。
1.東電の責任を認めたのか。
 前橋、千葉及び福島地裁、どの判決も賠償責任を認めています。ただ責任の根拠はいずれも、民法の不法行為(過失責任=ミスあり)によるものでなく原賠法(無過失責任=ミスがなくても責任がある)によるものです。これによれば、東電に過失(ミス)があってもなくても賠償責任を負います。しかし、東電に過失があったかは、事故の本質にかかわることでとても重要な論点です。
 その判断は分かれているように見えます。前橋と福島は東電の過失(ミス)を認めていますが、千葉はあいまいで認めていないように思われます。
 ではその千葉判決をみてみましょう。
「東電は津波対策を完全に放置したとまでは評価できない」「慰謝料を増額することが相当といえるような重大な過失があったということはできない」判決ではこう言っています。(なお、これは千葉の判決文が手に入っていないので新聞報道等をもとにしたであることをお断りしておきます。)
  次に過失責任を明確に認めた福島判決をみてみます。
「被告東電にも「長期評価」から予見される津波対策を怠った過失があると認められる」としています。前橋判決も「常に安全側に立って対策をとる方針を堅持しなければならないのに、経済的合理性を優先させたと評されてもやむをえない..被告東電には、本件事故の発生に関し、特に非難に値する事実が存する」としています。
 
2.国の責任を認めたのか。
 国の責任については判断が分かれています。群馬(前橋)と福島では認めましたが、千葉は認めませんでした。
 では福島の判決の内容をみてみましょう。出来るだけ解りやすくしますと、こうなります。
 「国は地震が起きて原発の敷地を越える高い津波が発生することが予測でき、これによる原発の非常用電源が損傷する恐れがあったのだから、国は東電に安全対策をとることをきちんと命じていれば、全非常電源が失われることはなく、事故の発生は防げたはずだ。しかし、国がこうした行動をとらなかったのは著しく不合理だ。だから賠償する責任がある。しかし、その責任は東電を監督する二次的なものだから、賠償する範囲は半分だ。」(筆者要約)としています。
 また、前橋判決も「国は遅くとも平成20年3月頃には規制権限を行使して、東電に回避処置を講じさせるべきであった」としてその違法性を認めています。前橋は国の責任を半分にはせず全部認めています。
 では国の責任を認めなかった千葉の判決はどうでしょう。
  「津波の発生は予測できたが、その程度は高くはないので回避すべき義務があったとまでいえない。また回避しようとしても事故が回避できたかは定かでない」と言っています。
 国の責任を認めるかどうかは、この原発事故という人災の責任が誰にあったか、はっきりさせるものとして重要です。
                (さくらい)

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大玉村仮設住宅の6年(3)

3.仮設住宅での孤独死を防げ!! 見守りの黄色い旗

大玉23.仮設住宅での孤独死を防げ!! 見守りの黄色い旗
 自治会長の鎌田さんが、仮設住宅の入居が始まった直後から70歳以上の独居老人のために、「見守りの黄色い旗」を配ったのは独居老人の身を案じてのことだった。
仮設住宅では、阪神淡路大震災の際もそうであったように、高齢者、とくに独居老人の孤立・孤独死が不安視されている。大玉村安達太良仮設住宅では、こうした独居老人問題に対処するため、いち早く見守隊による巡回や、高齢者の安否確認のための黄色い旗活動(旗を目印とした一人暮らしの高齢者の方の安否確認)等を行い、孤立や孤独死をできるだけ防ごうとさまざまな活動を行ってきた。
ここで行われている独居老人見守りのための独自の取り組みは、朝、独居老人本人が黄色い旗をたて、夕これを取り込むという方法である。朝、旗が出ないか、夕に取り込まれないと、何かあったのかと周囲の人が駆けつけるというシンプルであるがわかりやすい方法だ。
 朝、旗を出して夕方まで、また夕方旗をしまってから朝までの時間が長すぎるのではないかという疑問を感じたので、そのことを鎌田さんに質問した。すると、「見守り隊が、毎日、午前、午後各1回、訪問し話しかけて安否を確認している。」という。「見守り隊」は当初は自治会で運営していたが、その後、県から委託を受けた「あだたらサポートセンター」(社会福祉法人が経営)が運営を引き継いでいる。また、夜は原則として訪問しないが、完全な独居高齢者については、赤色灯をとりつけて見守っている。今のところ赤色灯が稼働したことはないそうだ。
 旗の出し入れの確認に頼っているだけではなく、直接会って話しかけての安否確認もしている。「あだたらサポートセンター」の職員の話では、職員も一緒に見守りに行くが、仮設住宅内に不審な人がいた場合は、すぐに自治会に連絡するという。
 黄色い旗を立てるという行為の効用は、周辺の住民にも影響を及ぼしている。旗があることで、周りの人もそこに高齢者がいることを意識する。少し気を使い始める。顔が会えばあいさつする。あいさつがあれば会話もはじまる。知り合いになる。こうして黄色い旗は、人と人を繋ぐ回路の役割も担うことになる。この人と人との有機的な繋がりこそが、この仮設を活性化させている原動力なのではないだろうか。
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左が佐藤トメさん、右が鎌田自治会長

 鎌田さんに、「見守りの黄色い旗」を利用している方に話しを聞きたいとお願いすると、佐藤トメさん(2012年現在94歳)を紹介していただいた。この仮設では最高齢者だそうだ。
お宅にお邪魔する。佐藤さんが家の中から、上へ上がれと手招きしてくれる。居間に入り、コタツの周りに男3人が座った。
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れいに整理された部屋だ。ひな祭りの時集会所で撮ったという写真が壁に貼られている。雛人形が飾られて、その前で着物姿の5、6人の方と佐藤さんが写っている。背筋も伸びてしゃんとした着物姿だ。写真の中には子供もいる。住民の方のお話では、写真を撮ると佐藤さんはいつも写真の中心に写っているそうだ。
 お茶を入れてもらう。飲み終わると缶コーヒーがでた。いただいた沢庵は自分で漬けたという。お土産にとビールもいただいた。
 ご主人は鉱山技師であちこちに行ったこと、アメリカ人の家庭で働いていたことなどを懐かしそうに話す。「ティ」「ミルク」などの発音が堂に入っている。ご家族はと聞くと「息子が郡山にいる」とのこと。食事は自分でつくる。買物は仮設に売りにくる業者がいるので不便は感じないそうだ。
  寝室にある非常時用赤色灯のスイッチを見せてもらう。「ここを押すと赤色灯がまわる」とトメさんが笑いながら指差した。
 「ここはいいところだ。」「勉強、勉強。まだ(人生)これから。こんなことには負けない。」
中年の男三人がトメさんのパワーに圧倒された。
現在(平成29年)、佐藤トメさんは仮設を出て、いわき市の施設で暮らしている。いつまでもお元気でと願わずにいられない。
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大玉村仮設住宅の6年(2)

2.仮設住宅自治会の活動

大玉村仮設住宅
入居当初の仮設住宅

2.仮設住宅自治会の活動
 大玉村仮設住宅の自治会は、福島県で最初にできたという。初代の自治会長は鎌田光利さん。富岡町に居住していた鎌田さんは、福島第一原発事故直後、新潟県に避難した。その後、この団地に移る際、町の要望もあり自治会の立ち上げに関わった関係から自治会長に就任した。
 鎌田さんの当初の目標は、入居者のコミュニティの確立に注がれる。それは、震災で古里を失った被災者の生活への意欲を取り戻す戦いでもあった。
 状況は厳しいものだった。入居者の多くは富岡町の居住者だが、同じ町に住んでいた同士と言っても、ほとんどの入居者は顔見知りではなく、コミュニティの構築は一から始めるのと同様の状況だった。入居者同士の連帯感を構築するのは容易なことではないのだ。
鎌田さんは、自治体が行う定期的な行事への参加、自治会の独自活動や日々の暮らしの中での「助け合い」など地道な活動を続けることで徐々に入居者同士の連帯感を高めていった。気候温暖な浜通りに住んでいた避難者が、初めて経験した大玉村の厳しい冬の寒さの中で自然発生的に皆で行った雪かき体験はその契機になったという。
 仮設内を巡ると、各所に植えられた可憐な花々が目に優しい。入居者の明るい笑い声が時折聞こえる。
 集会所には大玉村の人々との様々な交流の写真、自治会で借りた田の田植え風景の写真など様々な催しの写真が貼ってある。自治会では地元大玉村の田を借り、収穫したもち米で、餅つき大会をやったこともあるという。我々が訪れた際にも、集会所の道路の反対側の仮設の一角に皆で刈ったという脱穀前の稲が干してあった。

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大玉村の住民との交流も盛んで、たとえは地元運動会等様々な催しへの参加等、仮設住民が地元と良好な関係が構築されているようだった。当初はボランティアの方も大勢来てくださり励ましになったそうだ。
 「老人ばかりだ、50歳が一番若いくらい」と鎌田さんは笑う。多くの仮設住宅と同じく、この仮設住宅も高齢者が多数を占めている。自治会の財政も、決して豊かではない。しかしそんな環境下でも、工夫を重ねて問題を解決していこうとする安達太良仮設住宅自治会の取り組みの姿勢は、災害公営住宅入居者と合同の自治会に姿を変えた現在も変わらない。
 その後、鎌田さんは自治会長をお辞めになり仮設を出て他にお住いだが、今でも自治会には通い続けているということである。
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                (さくらい&いしかわ)

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大玉村仮設住宅の6年(1)

1.仮設住宅の推移
                   
 福島県の中通り郡山市の北、本宮市の西、標高1700mの安達太良山のすそ野に人口約8500人の大玉村がある。その美しい田園風景が続くなだらかな山裾に、原発事故で富岡町等から避難してきた住民が住む安達太良応急仮設住宅がある。
仮設住宅は、当初(平成23年9月)四区画648戸が建設された。しかし、入居は進まず、ピーク時でも約250世帯460人に留まった。
その後、入居者は、2年後の平成25年には約194世帯、4年後の平成27年7月には、110世帯207人(自治会調べ)と減少し続け、28年に仮設住宅の隣接地に完成した災害公営住宅の入居開始に伴い大幅に減少する。
 平成29年6月現在、仮設住宅に入居している避難者は10世帯(自治会調べ)、平成30年3月末には仮設住宅の提供の終了が予定されている。
 震災から6年半、安達太良応急仮設住宅の人々はどのような歩みをしてきたのか、自治体の活動と仮設住宅の推移を中心に我々の取材を通じて振り返ってみる。

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1.仮設住宅の推移
安達太良応急仮設住宅が完成したのは、平成23年9月27日、福島原発事故から約半年後のことだ。
 当初の仮設住宅は四区画あり、648戸が建設された。主な入居市町村は富岡町。しかし、当初の自治体の思惑とは違って被災者の入居は進まず、翌年、平成23年の夏には230戸がいわき市などに移設されている。
 入居が進まなかった理由は、正確にはわからないが、居住地から遠くはなれている地よりも富岡町により近い浜通り、たとえばいわき市等に移り住みたいという気持ちが強かったのではないかと推測される。
結果、600戸の建設に対し、「多いときは250世帯460人」(自治会のお話)の入居者に留まり、建設の過剰が指摘される状態が起きたのだが、とにかく緊急に入居環境を整えなければ被災者の健康・生命が脅かされるという経験したことのない大災害の直後の危機の下での行政の決断を軽々に批判することは避けたい。
しかし、今後予想される同規模の大災害が起きたときの災害対策の策定にあたっては、これらの混乱を糧とした対策を立てることが望まれる。科学技術の進歩は著しい。今後、AIやビックデータ等を活用した災害対策が進捗するに違いない。そうした災害予測や需要予測の進化の一環として災害直後の住居環境も具体的にシミュレーションされるべきであろう。
震災以後の仮設住宅の入居状況は以下の通りの推移をたどる。
年半後の平成26年2月14日、福島県・大玉村・富岡町・復興庁による調査が実施されている。それによると避難者等の受け入れの状況は以下のとおりだ。

「避難者等の受け入れの状況 <避難者の受け入れ>
  • 大玉村において、安達太良地区の仮設住宅に富岡町から約 390 人を受入れている他、 借上げ型仮設住宅への主な市町村の受入れは、富岡町から約 40 人、浪江町から約20 人、大熊町から約 10 人。(平成 26 1 23 日時点)
  • 応急仮設住宅入居(約 460 人)の割合は、建設分が約8割、民間賃貸住宅分が約2割となっている。
  避難者数については、応急仮設住宅の入居者数(福島県調べ)によるものであり、原発避難者 特例法に基づく届出者数とは一致しない。」
 【応急仮設住宅(建設分)の入居状況】 (平成 26 1 23 日時点)
 入居市町村 所在地(団地名) 設置戸数 入居戸数 入居者数
富岡町   玉井 横堀平    418    248   386

その後、入居者の減少は続く。平成27年に我々が訪れた際の自治会のお話では、「多いときは250世帯460人の人が住んでいた。その後、住民の移動等に伴い二区画が取壊され、平成25年には約194世帯なり、平成27年7月現在では、110世帯207人が住んでいる。」ということだった。
 減少した入居者の行方は、正確にはわからないが、退去した多くの避難者は、富岡町により近い浜通り、たとえばいわき市等に移り住んだと思われる。冬になると寒さの厳しい大玉村の暮らしよりも気候温暖な浜通りであれば、気候等も馴染み深く暮らしやすい。また、産業が集中している都市部であれば、仕事も比較的探しやすいというメリットも考えられる。
 大玉村の安達太良応急仮設住宅は、平成28年に災害公営住宅の建設が完了し仮設からの避難者の移動に伴って入居者が大幅に減少する。
 平成29年6月現在、仮設住宅に入居している避難者は10世帯に減った。(自治会調べ)

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                (いしかわ&さくらい)

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最近の原発損害賠償に関する情報(2017年9月)

最近の原発損害賠償に関する情報(2017年9月)

最近の原発損害賠償に関する情報(2017年9月)

避難区域外の農林業者への損害賠償

 福島第一原発事故に伴う避難区域外の農林業者への損害賠償の東電の基本的な姿勢についての次期東電社長からの発言が報道されました。

 報道によると東電は、「損害がある限り賠償していく方針は変わらない。農林業への賠償は現時点でいつとは言えないが、できるだけ早く示したい。」(小早川智明次期東電社長)との考えを示しました。

 損害賠償の基本的な考え方を改めて表明しただけで、なんの新しさもありませんが、是非、実効性を伴った誠実な対応を望みます。


2017/06/15福島民報

損害がある限り賠償 小早川智明次期東電社長に聞く

2017/09/18福島民報

早期提示求める声 来年以降の農林風評賠償基準

栃木県3市町村住民7000人の ADR 打ち切り

 大田原市、那須塩原市、那須町の住人が ADR を申し立てていた事件で、原子力損害賠償紛争解決センターは住民側に対して和解手続きを打ち切るとの通知をしたことがわかりました。 住民側弁護団によると、センターは「申立人全員に一律の賠償を認めるのは困難で、和解案を提示できない」と打ち切りの理由を説明したと説明しています。

 3市町村の住民は、自主的避難対象区域と同等の損害賠償額である一人最大72万円の支払いを求めていました。

2017/07/23下野新聞
栃木県北3市町の原発事故ADR打ち切り 住民7300人、異例の決定に訴訟も視野

トモダチ作戦米海軍兵士が基金創設を求める集団訴訟

 原発事故に際し、震災救難活動をしていた米海軍空母に乗船していた海軍兵士157名が被爆したとして、米カリフォルニア州南部地区連邦地方裁判所に、医療費に充当される目的での基金創設を求める集団訴訟を提起しました。


2017/08/24Market Newsline

東京電力HD,福島第一原発事故での被爆被害で米海軍兵士100名超が5500億円相当の基金創設を求める集団訴訟


原発事故で仕事を失ったとして飯舘村の男性が東電を提訴

 飯館村の伊藤さんは、働いていた研修施設が東電原発事故により閉鎖され、仕事がなくなった補償 として約2370万円を求め東京地裁に提訴しました 。

 伊藤さんは就労補償として、一昨年3月まで月に20万円が支払われていたということです。


2017/08/26テレ朝news

原発事故で仕事失う 飯館村の男性が東電を提訴


福島県5町村の応急仮設住宅、19年3月末無償提供打ち切り

 福島県は5市町村(川内村、川俣村、南相馬市、葛尾村、飯舘村)の避難者、約3700世帯の応急仮設住宅の無償提供を2019年3月末で打ち切ると発表しました。

 富岡町浪江町大熊町の4町については打ち切り時期の判断を留保しました。

福島第一原発事故では11市町村に避難指示が出され、その内、14年解除の田村市都路地域と川村川内村の一部が17年3月末で無償提供が打ち切られています。15年解除の楢葉町は18年3月での打ち切りが決まっています。


2017/08/29毎日新聞

福島第一原発事故 応急仮設住宅、無償提供打ち切り 県19年3月末 飯舘などを5市町村  /福島


原発損害賠償・千葉訴訟判決

 福島県から千葉県などに避難した18世帯45人が国と東電に対して損害賠償を求めた訴訟の判決が22日千葉地裁で言い渡されました。

 千葉地裁は東電に対し、支払い済みの賠償金に上積みして、約3億7600万を支払うよう命じました。いわゆる「ふるさと喪失慰謝料」について初めて認定し、原告の一部36人に対して一人50万円~1000万円の損害額を支払うよう命じています。自主避難者には認めませんでした。

 一方、国への請求は認めませんでした。判決は「国は2006年までに原発敷地高(海抜約10m) を超える津波を予見できた」と断定しましたが、事故以前は地震対策が「喫緊の課題」だったとし「津波対策を講じても間に合わなかった可能性がある」と述べています。原告は控訴をする方針です。


2017/09/20東京新聞

「安住の地」を奪われた 原発避難千葉訴訟 22日に判決
2017/09/25中国新聞
原発避難者千葉訴訟 国免責は納得できない

原発事故で失ったもの
「ふるさと喪失慰謝料」について、私達支援団は、繰り返して以下のような主張をしています。
(以前、ブログに掲載した記事を再掲載します。) 

いまだに多くの被害者の方が過酷な避難生活を送っています
 東電の損害賠償は進んでいますが、それによって被害者の権利は十分に補償されたのでしょうか 。
改めて考えてみましょう。
 東電の損害賠償は、原子力損害賠償紛争審査会の中間指針をもとに その基準が定められています。
具体的には精神的苦痛への慰謝料、営業損害および就業不能に伴う損害等の基準が挙げられます。
しかし、これまでの賠償によって、被害者の方の権利が十分に補償されたとは思えません。
その一因としては、東電の損害賠償の基準があまりにも中間指針を硬直的に捉えて、その最低基準に依拠しているからです。 
 もう一度中間指針を見てみましょう。中間指針では、損害賠償の基本的な考え方を次のように述べています。
「この中間指針で示した損害の範囲に関する考え方が、今後、被害者と東京電力株式会社との間における円滑な話し合いと合意形成に寄与することが望まれるとともに、中間指針に明記されない個別の損害が賠償されないということのないよう留意されることが必要である。東京電力株式会社に対しては、中間指針で明記された損害についてはもちろん、明記されなかった原子力損害も含め、多数の被害者への賠償が可能となるような体制を早急に整えた上で、迅速、公平かつ適正な賠償を行うことを期待する。」
「この中間指針は、本件事故が収束せず被害の拡大が見られる状況下、賠償すべき損害として一定の類型化が可能な損害項目やその範囲等を示したものであるから、中間指針で対象とされなかったものが直ちに賠償の対象とならないというものではなく、個別具体的な事情に応じて相当因果関係のある損害と認められることがあり得る。また、今後、本件事故の収束、避難区域等の見直し等の状況の変化に伴い、必要に応じて改めて指針で示すべき事項について検討する。」
 上記のように、指針で示されなかった損害についての賠償について中間指針では否定していません。 
 昨今、浪江町のADRの和解案や自主避難者への損害賠償を認める判決など、中間指針に基づく東電賠償の枠組みを超える損害賠償が認められられる傾向が強く出されています。
 浪江町のケースでは、原発事故によって故郷を追われ、生活に密着した営みをすべて失ったことによる損害、いわゆる「故郷を失ったことによる損害」が認められました。
次のイラストご覧ください。
原発事故によってさまざまなものが失われ、被害者は住み慣れた故郷を追われました。
改めて思い返してみましょう。
失ったもの

故郷には、家があり、家族おり、孫や子とともにともに大勢で暮らしていました。
近所には、親切な隣人、親しい友人、飲み仲間やゴルフ仲間、囲碁の敵が住んでいました。
春には蝶が舞い、夏にはセミが暑苦しいほど鳴き、秋になると赤トンボが青く澄んだ空を飛び交っていました。
季節を通して、子供たちの黄色い声がこだまします。
お花見、お祭り、運動会、文化祭、様々な行事が行われました。
買い物はいつもの店。
体が悪くなるといつもの病院。
毎朝、夫婦で歩いた散歩道。
それらがすべて失われたのです
失われた環境や生活は、いまだ戻っていません。

 中間指針は指針で示されなかった損害についての賠償について否定していませんが、現実の東電の賠償は額が不当に低額に抑えられるか、あるいはまったく認められていないのが実情です。
 言うまでもなく、損害賠償は原発事故によって奪われた被害者の権利を補償することがその目的です。現在、東電が支払っている倍賞は、こうした包括的な被害に対する賠償としては極めて不完全なものです。
 多くの方が精神的損害の賠償金を受け取っています。しかし、その賠償金は、包括的な生活環境破壊の損害まで補償したものとは思えません。
 失われたものを取り戻し、将来の生活設計が描けるに十分な補償額を東電は支払うべきではないでしょうか。


 原発事故に関連したことでお悩みの方やご不満がある方は、原発事故被害者支援司法書士団にご相談ください。
 原発事故被害者支援司法書士団では、原発事故被害を受けられた皆様のために「無料相談」を実施しています。
 お悩みの方、ぜひ、ご相談ください。(下記フリーダイヤルにお電話ください。) 
(内容の要約は、筆者によるものです。いしかわ)
 
                   

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ぐんま暮らし応援会「交流会・説明会」に参加

ぐんま暮らし応援会「交流会・説明会」に参加
                   
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 福島県から群馬県に避難している人のための「交流会・説明会」が、8月27日(日)群馬県社会福祉総合センターで開催された。主催は「ぐんま暮らし応援会」である。
  同会は東日本大震災で群馬避難してきた人を支援するため、群馬のNPO等各団体が構成員となって平成24年9月に結成れた団体である。現在は福島県からの業務委託をうけ、訪問支援活動や拠点相談活動を主に行っている。このブロクを運営している司法書士団もその一構成員である。
 当日は残念ながら、避難をしている人の来訪はなかったが、福島県の避難支援課の職員による「福島県の復興の現状と取組等について」の報告等がなされた後、支援活動に携わる者の間での意見交換が行われた。
そのなかのものを少し紹介する。
 今年3月の仮設住宅借り上げ住宅の終了にともなう、住居の問題は群馬ではあまり混乱なく移行したようである。参加した群馬県職員の説明によれば、県営住宅では申込の資格は原則一般の人と同じだが、本人が希望すれば同じ部屋にすめるようにしたということである。
 これに関連して家賃の負担が必要となったので、生活苦から賃料滞納の例がみられるとの報告もあった。今後は避難者の方々一人ひとり個別的な生活の相談支援が重要になるのではないかとの意見が出た。
 また、福島県からの委託事業については、訪問支援活動を行う支援員と拠点相談活動を行う相談員の活動をもつと柔軟に連携がより密にがとれるよう考えて欲しいと、の要望が福島県になされた。
                (さくらい)

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「原発自死」を考える(2/2)

「原発自死」を考える(2/2)

3 ある原発自死
統計に示されるのは数字だが、その一つ一つの数字が示しているのは、かけがえのないひとりの人間の生と死、その人生、そして原発事故によってもたらされた悲しみや苦しみの経験であり、さらにその人を取り巻く人々の辛さ、苦しさ、悲しさ、やるせなさである。原発事故によって人が住むことができなくなった地域を訪れたとき、あまりの理不尽さを目の当たりにして、私たちは言いようのない感情に見舞われる。外来者にしてそうである。この場所に住み、暮らし、生きてきた人々、そこで人生を築いてきた人々が抱いている思いは、私たちの想像を超えているに違いない。
 
筆者は、ある原発自死者の遺族から、原子力損害賠償調停センター(原発ADR)に対する調停申立書の作成を依頼された。申立書を作成する過程を通じて、筆者がかいま見たその人物の生と死は、原発事故によって、今日が明日に続いてゆく生活から、理不尽に引きはがされた原発被害者の、死にまで至る苦しみをまざまざと感じさせるものだった。(ただし、プライバシーへの配慮から、人物や家族、経過などについて一定の変更を加えている) 
 甲山乙夫氏(仮名)は、昭和24年に、福島県の浜通りとは山地で隔てられた農村で生まれた。昭和46年に結婚して、4人の子どもが生まれている。長男だった乙夫は、父から営農を引き継いだが、専業農家では暮らしていけず、建築関係の仕事にもついていた。地域での公職にもつき、村会議員も経験している。
原発事故が起きたとき、乙夫氏は建築石材の会社でダンプカーの運転手として働いていた。乙夫氏は、67才くらいまで運転手として働き、夫婦ともども年金を受給できるようになったら退職して、自分が所有している農地で、野菜を中心とした農業経営を妻と一緒に行ないながら、ゆっくりとした老後を過ごす計画をたてていた。
 原発事故は、乙夫氏とその家族の生活と、将来の計画を台無しにする。
 3月11日の地震と津波の後、福島第1発電所で事故(以下「本件事故」という)が発生した。乙夫氏が勤めていた会社は、採石場所が避難指示区域にあったため営業が不可能となり、乙夫氏は退職を余儀なくされた。また、自宅と農地は屋内退避指示区域に指定され、避難を強いられたばかりか、所有農地での営農もできなくなってしまった。
原発事故の発生後、甲山氏夫婦は、30キロ圏外にある妹の家に身を寄せていた。日が経つにつれ、乙夫氏は不機嫌になり、妻や妹など家族との会話も少なくなっていった。日々、塞ぎこみがちになり、食欲も無くなっていったという。
乙夫氏はそれでも再起を図ろうとする。
平成23年4月4日、中通りにある乙夫氏の娘が住んでいた家の近くの畑を借り、農業経営をして再生を図ろうとして、農地を見に行き、農地を所有する農家と会い、家族とも話し合う。ところが、借りられる農地の面積の規模が所有していた農地と比べあまりにも小さすぎ、この農地を使っての営農の成立は不可能であるとわかった。
この後、乙夫氏はさらに生気を失い、平成23年4月*日、乙夫氏は家を出たまま戻らなかった。夜になり、乙夫氏の実弟に対し、「世話になった。先にいってるからよろしくな。」という内容の電話があったため、家族みんなで乙夫氏を探したところ、屋内退避指示区域内にある自宅に戻り、住み慣れた家を見下ろせる斜面にある木で縊死している乙夫氏が発見された。
家族から乙夫氏が死に至る経過を聴き取った筆者は、原発ADRへの調停申立書の結論部分を次のように締めくくった。
「乙夫氏の死は、上記のような経過をたどった上での、追い込まれた末の死であり、本件事故と乙夫氏の死亡との間には明白な相当因果関係がある。すなわち、
1)乙夫氏は、本件事故の発生前には特に健康上・精神上に問題がなく、
2)本件事故の発生に伴う失業及び将来計画の破綻、再生への希望の断絶などの要因により、
3)精神的に追い込まれた状態に陥り、生きてゆく苦しさから逃れようとして、
4)その結果、死亡に至ったからである。
乙夫氏が死亡に至ったのは、相手方が経営する原発の事故によるものであり、よって、相手方(東京電力株式会社)は乙夫氏が受けた損害及び乙夫氏の相続人である申立人らがうけた損害を賠償する義務を負う」

 調停申立書の作成から1年半ほどたったころ、筆者のもとに、乙夫氏の遺族から連絡があった。調停センターの調停案が示されたのだという。センターが示した損害賠償の金額は、遺族が求めた賠償額の10分の1に過ぎなかった。家族で相談の上で、調停案を受け容れることにしたという。その結論に至るまで、遺族が感じた哀しさ、口惜しさ、辛さは筆者の想像を超えるに違いない。そして遺族の感情は、調停を受け容れたことによってやむのではなく、これから先もずっと続くに違いない。

4 原発自死訴訟
東電の原発事故によって引き起こされた自死を理由とする損害賠償請求訴訟がいくつか提起されている。自死に至る事故を起こした東京電力の法的な責任を遺族が問おうとするとき、個人の死に伴う損害の賠償を求める民事訴訟を起こすしかないからである。個人の死を、金銭的な賠償請求に置き換える訴訟を起こすことは、遺族にとって本意ではあるまい。しかも、被告である東京電力は、遺族の請求を否定するためにおよそ考えられる反論をしてくる。被告の反論には、個人や家族の機微に触れるものもあり、遺族はこの場面でも傷付くことになる。にもかかわらず、遺族が訴訟を提起するのは、故人の死について東京電力に責任があることを認めさせたいからである。
                   (さいとう)
                   

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「原発自死」を考える(1/2)

「原発自死」を考える(1/2)

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1 原発事故によって死亡者は出ていない?
 平成25年6月17日、自民党の高市早苗政調会長(当時)は、原発再稼働を目指す党の方針を説明する中で、次のように述べた。
「原子力発電所は確かに廃炉まで考えると莫大(ばくだい)なお金がかかる。稼働している間のコストは比較的安い。これまで事故は起きたが、東日本大震災で止まってしまった悲惨な爆発事故を起こした福島原発を含めて、それによって死亡者が出ている状況にもない。そうすると、やはり最大限の安全性を確保しながら活用するしかないだろうというのが現況だ」
 「福島原発を含めて、死亡者が出ている状況にもない」という発言が報道されると、ただちに激しい非難の声が上がった。「福島県では18日現在、事故による避難などにともなう関連死者が1415人にのぼると報じている。東京電力福島第一原発に近い双葉病院では、原発事故後に入院患者が取り残され、2011年3月中に40人の患者が亡くなっている。遺族の一部が今月、東電に損害賠償を求めて提訴したばかりだ」(朝日新聞デジタル)という状況にあったからである。
 事故発生から6年が過ぎた。復興庁の発表によれば、平成28年9月30日現在の震災関連死者総数3523名。うち、宮城県の死者数は922名、福島県の死者数は2086名である。震災から6ヶ月が経過する以前の死者は、宮城869名、福島1031名だった。そして6ヶ月経過後の死者は、宮城53名、福島1054名である。平成27年3月11日以後の死者数についてみれば、宮城0名、福島68名となる。この数字は、津波に伴う関連死が減っていったのに対し、原発事故に起因する死者が増え続けていることを示している。福島における震災関連死の多くが、とりもなおさず、原発事故関連死であること、原発関連死の発生が継続しており、きわめて深刻な状況にあることがわかる。

2 「原発自死」とは
新聞報道などで、「原発自死」という言葉を目にされた方も多いと思われる。原発自死とは、東電福一原発事故に伴って強いられた避難などの環境変化が原因となって引き起こされた自死のことである。

 平成 23 6 15 日、内閣府、警察庁、厚生労働省が共同で発出した「東日本大震災に関連する自殺の実態把握について」という文書がある。東日本大震災に関連する自殺の実態把握を実施するための文書である。文書は、(1)から(5)のいずれかの要件に該当する自殺を「東日本大震災に関連する自殺」と定義している。

 (1)遺体の発見地が、避難所、仮設住宅又は遺体安置所であるもの。

 (2)自殺者が避難所又は仮設住宅に居住していた者であることが遺族等の供述その他により判明したもの。

 (3)自殺者が被災地(東京電力福島第一原子力発電所事故の避難区域、計画的避難区域又は緊急時避難準備区域を含む。)から避難してきた者であることが遺族等の供述その他により判明したもの。

 (4)自殺者の住居(居住地域)、職場等が地震又は津波により甚大な被害を受けたことが遺族等の供述その他により判明したもの。

 (5)その他、自殺の「原因・動機」が、東日本大震災の直接の影響によるものであることが遺族等の供述その他により判明したもの。  例えば、①遺書等に東日本大震災があったために自殺するとの記述があった場合、②生前、遺族等に対し、東日本大震災があったため自殺したい旨の発言が あった場合

上記の定義に基いて、平成23年6月から平成27年12月までに「東日本大震災に関連する自殺」(以下、本稿では「震災関連自死」という)と認定された自死者数は162名である。福島県の自死者数を宮城県と比べると、平成23年は福島10名、宮城22名、平成24年は13名、3名、平成25年は23名、10名、平成26年は15名、4名、平成27年は19名、1名である。平成27年度の全国の震災関連自死者数24名のうち、19名が福島の自死者となっている。
 この数字は、福島県における震災関連自死の多くが、原発事故に起因した自死=原発自死にほかならないこと、原発自死がいまも続いている福島の状況の深刻さを、無言のうちに物語っている。
                                (さいとう)                         

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原発損害賠償と相続(Part4―2)

原発損害賠償と相続(Part4―2)

今回のテーマは「遺言」です。
Q:公正証書遺言って何ですか。どうすればすることができるのですか?
A:公正証書遺言は遺言をする人が直接公証人に話をして、公証人が話の内容を法律的に整理し作成する遺言です。公証人は、公務員ですが自分の事務所(公証役場といいます)で料金をもらって事務をする特殊な職業です。退職した裁判官、検察官等が国から任命されてなります。
短所は、費用がかかること、証人が二人必要なこと、原則公証人のいる役場に行かなければならないこと等、少し手続きが面倒だということがあります。長所として、無くしたり隠されたりする心配もなく、専門家が関わりますので遺言の形が法律的に有効なものかの判断に気を遣う必要もありません。裁判所の検認という手続きもいりません。安全で確実な方法です。できるならこちらの方がお勧めです。
なお、参考までに民法の条文を下記に掲載します。
第967条(普通方式の種類)遺言は、自筆証書、公正証書又は秘密証書によってこれをしなければならない。但し、特別な方式によることを許す場合は、この限りでない。
第969条(公正証書遺言)公正証書によって遺言するには、次の方式に従わなければならない。
 1、証人2人以上の立会いがあること。
2、遺言者が遺言の趣旨を公証人に口授すること。
3、公証人が、遺言者の口述を筆記し、これを遺言者及び証人に読み聞かせ、又は閲覧させること。
4、遺言者及び証人が、筆記の正確なことを承認した後、各自これに署名し、印を押すこと。ただし、遺言者が署名できない場合は、公証人がその事由を付記して、署名に代えることができる。
5、公証人が、その証書は前4号に掲げる方式に従って作ったものである旨を付記して、これに署名し、印を押すこと。
Q:すでにした遺言をとりやめたいのですが、どうすればいいの?
A:遺言はいつでもやめられます。これを法律用語ではこれを取消といいます。
遺言は死亡の時初めて効力を生じますから、遺言者は死亡するまで自由に遺言を変えることができます。「子Aに全財産を相続させる」とした遺言をやめることも自由です。またそれに理由もいりません。
その方法ですが、もう一度遺言をして取消すか、遺言者が遺言書を破り捨てる仕方などがあります(下に掲げる民法の条文を見てください)。ただ口頭でAに「お前にやるのは、やめた」と言っただけでは駄目なことは覚えておいて下さい。
また、公正証書遺言は手元にある正本を破り捨てても取消したことにはなりません。原本が公証役場に保管されているからです。新たに遺言をして取消しすることになるでしょう。このための遺言は自筆証書遺言でもできます。
 もうひとつ生前に、遺言と矛盾する行為をしたときも同様とされています。例えばAに甲の土地をやるという遺言があるのに、生前甲地を第三者Bに売ってしまった場合です。
参考までに民法の条文を下記に掲載します。 
第1022条(遺言取消しの自由と取消しの方式)遺言者は、何時でも、遺言の方式に従って、その遺言の全部又は一部を取り消すことができる。
第1023条(抵触する後の遺言または処分による取消し)前の遺言と後の遺言と抵触するときは、その抵触する部分については、後の遺言で前の遺言を取り消したものとみなす。
前項の規定は、遺言と遺言後の生前処分その他の法律行為と抵触する場合にこれを準用する。
第1024条(遺言書または遺贈の目的物の破棄による取消し)
遺言者が故意に遺言書を破棄したときには、その破棄した部分については、遺言を取り消したものとみなす。遺言者が故意に遺贈の目的物を破棄したときも、同様である。
Q:遺言書が2つありますが、どちらが有効ですか
A:たとえば、死後「甲地はAに相続させる」という遺言と「甲地はBに遺贈する」との二つの遺言が出てきました。AとBとどちらが甲地を取得するのでしょうか?勝ち負けは次のように決められます。
1.民法の定める形式を欠くものがあれば欠かないほうが勝ちます。
2.どちらも形式は有効なら、後にしたほうが勝ちます。Aへの遺言は平成20年6月1日で、Bへのそれは平成28年6月10日なら、Bの勝ちです。
 もちろん、Bへの遺言が偽造や遺言者の能力が欠けるため無効の場合は別で、Aの勝ちとなります。
例は簡単にしましたが、実際にはその判断は難しい問題ですから専門家である司法書士などに相談しましょう。
 なお、遺言があるのか無いのか解らない、遺言はあったが遺言書がどこにあるのか解らない場合は、最寄の公証役場に問い合わせしてみて下さい。平成元年以降なら公正証書遺言をしているかどうかがわかります。どこの公証役場でも調べてくれます(そのとき遺言者との一定の関係を示す書類が必要です)(全国公証人会ホームページ www.koshonin.gr.jp/sho.html )
参考の民法の条文は前のQを見てください。
遺言はどんなときにすべきですか、またどんなときに役立ちますか?
A:遺言は、これを残す人の自由な気持ちによるものですので、どんなときにすべきかは本人の気持ちしだいというのが本来の回答でしょう。でも、実際にはこんなときは、遺言をしておいたほうがよいと思います。
 その典型的例は、子供のいないご夫婦です。子供がいても孫もなく親より先に亡くなっている場合も同じです。というのは、例えば夫婦A・BのうちAが亡くなりますと相続人は配偶者のBだけでなく、Aの兄弟姉妹が相続人となります(Aの親は先に二人とも亡くなっています)。えっ!相続人になるの?と驚く人もいます。あなたはご存知でしたか?
 夫婦A・Bが二人で築き上げた財産は二人の老後の費用に当てたい、と考えるのが人情です。でもBさんは、Aの兄弟姉妹の同意がなければ、預金払戻すことも、住いの名義を自分のものにすることも出来ません。でも、Aが、全財産をBに相続させる、という遺言を残しておけばすべて解決です。このようなご夫婦の場合はお互いに配偶者に「全財産を相続させる」と遺言を残しておくことが効果的です。
 また、行方不明、生死不明の相続人がいるケース、個人経営の企業(農家も)跡取りに事業資産を渡す手法としても有効です。こんな場合は、司法書士等の専門家に相談するのがよいでしょう。   
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原発損害賠償と相続(Part4―1)

原発損害賠償と相続(Part4―1)

相続手続きはお早目に
 東日本大震災から6年がたちますが、現在でも東北地方では震災による様々な問題が未解決のまま放置されています。相続問題がその一つです。被災地では、相続が済んでいないため復興が妨げられているケースが多々見受けられるようです。
 なるべく早く相続の手続きを進めることをおすすめします。

今回のテーマは「遺言」です。
そもそも何と読むのでしょう。世間ではよく「ゆいごん」と読みますが、法律用語では「いごん」と読みます。では遺言とは何なのでしょう。皆さんにどう役立つのでしょう。これからみていきたいと思います。
簡単に言うと遺言て何ですか?
A:辞書をみてみましょう。広辞苑では、「人が死後のために残す言葉」や「死にぎわにのこすことば」と言っています。「死んだ後どうして欲しいかを生前に書いておく(言っておく)こと。」といってもいいでしょう。
民法では、これより狭く「遺言は、人の生前の意思に法律的効果を認め、その実現を図る制度」といわれています。簡単に、といいましたが、ちょっと簡単ではないようです。また法律の上で意味(有効)を持つためには様々な条件が課せられています。このことを覚えておきましょう。
Q:遺言は誰でもできますか?
A:いわゆる世間でいう遺言(仲良く暮らせよ、酒は控えろよ等々)は誰でもできます。しかし、法律上の遺言はそういうわけにはいきません。
民法は満15歳以上の者なら遺言できると定めています。15歳(中学3年生くらい)になれば法律的な行為の意味は理解できるだろうということです。15歳に満たない者の遺言は無効となります。ただ、15歳以上であっても、自分の法律上の行為の意味が理解できなくなっている人は出来ません。たとえば、植物状態の人や重い認知証の人などです。これを意思能力といいます。意思能力のない者は有効な遺言はできません。
*参考までに民法の条文を下記に掲載します。
第961条(遺言能力)満15歳に達した者は、遺言をすることができる。
第963条(遺言能力を要する時期)遺言者は、遺言をする時においてその能力を有しなければならない。
Q:遺言はどうやってすればいいのですか?
A:民法は、法律上有効な遺言となるためには極めてきびしい方式(形・タイプと言っていいでしょう)を決めています。
民法はそのタイプとして自筆証書遺言、公正証書遺言、秘密証書遺言の3つを定めています。
 ここでは、よく使われる自筆証書遺言、公正証書遺言の二つについて、説明しその長所・短所について比較してみます。
Q:自筆証書遺言って何?
A:3つのタイプの遺言の中で、最も簡単で紙とボールペンと印を用意すれば今すぐでもつくれます。証人もいりませんし費用もかかりません。他人にも知られなくてすみます。これがよいところです。
その有効になるための条件ですが、まず紙をご用意下さい。
1.全部の文章を自分で書きます。
2.署名し押印します。拇印でもかまいません。
3.作成年月日を書きます。
 たとえば
遺言書
 家を○男にやる。
 平成29年6月30日  △藤□子 印
といったようにです。形式としてはこれでもよいのです。ただ、実際に遺言なさる人にはこんな簡単であいまいなものはお勧めしません。このことは後で述べます。
 では、だめな場合をいくつか述べておきます。
1.録音、ビデオテープ、コンピータ内の文書は×。
2.タイプライターやワープロで作成したものも×
3.押印がないもの×
年月日のないもの×極めてきびしい形というのはこんなところに現れています。なんで民法はこうしているのかというと、遺言が意味をもつのは当の本人が死んだあとですので、本人に、本当かどうか、どういう意味か等を聞くことはできないことがその理由のひとつです。
自筆証書の短所は、無くしたり、隠されたりする危険があること。形式が合わずに無効になりがちなこと、遺言者が死亡後に家庭裁判所の検認という手続きを経なければならないこと、などが挙げられます。また多くの場合専門家のチェックがないので死後に不都合が起きる場合もあります。

では先に挙げました遺言例が、実際にお勧めではないという説明をしましょう。
というのは形式としていくら有効でも、その内容が不明確である等の問題があると、遺言の目的を達成できない場合があるからです。先の例を見ましょう。「家」をやると書かれていますが、もし遺言者が建物を2つ持っていた場合はどうなるのでしょう。場合によってはこの遺言は意味を失うかもしれません。また「やる」相手を○男としています。遺言する本人は誰だか分かっているはずですが、親戚に○男が二人いる場合など特定できない場合や、特定できるにしても手間がかかる場合があります。
遺言をする場合は、すくなくとも「誰」が「誰」に「何」をやるのかをはっきりさせなくてはなりません。「誰」については、住所・氏名・生年月日で特定します。少なくとも住所・氏名は書くべきです。もらうほうの「誰か」は遺言をする人との関係を書くこともあります。何をは、財産を特定できる事項をはっきり書きます。たとえば土地なら、所在・地番・地目・地積です。
そうすると先ほどの例は例えばこんな形になります。

遺言書
 私の所有する次の不動産を、群馬県富岡市富岡1番地○野○男(昭和31年7月3日生まれ)に遺贈する。
群馬県富岡市富岡1番 宅地 100㎡
群馬県富岡市富岡1番地 家屋番号1
 居宅 木造かわら葺平家建 60㎡
 平成29年6月○日 
 群馬県富岡市富岡2番地 
      △藤□子  実印
     (昭和31年6月10日生まれ) 

なお、参考までに民法の条文を下記に掲載します。
第968条(自筆証書遺言)自筆証書によって遺言をするには、遺言者が、その全文、日付及び氏名を自署し、これに印をおさなければならない。
自筆証書中の加除その他の変更は、遺言者が、その場所を指示し、これを変更した旨を付記して特にこれに署名し、且つ、その変更の場所に印をおさなければ、その効力がない。
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損害賠償紛争解決センター活動状況報告書の概要(2/2)

損害賠償紛争解決センター活動状況報告書の概要(2/2)

 
活動状況報告書では、「今後の課題と解決に向けた取り組み」を、次のように報告しています。(筆者要約・抜粋)

・申立件数等の動向について

「申立件数の動向を見ると、平成24年から急増し、事故から3年目を迎えた平成26年をピークとして、その後減少に転じ平成28年には、2794件(前年比34%減)となった。」

「平成28年には前年に比べ申立件数が1440件減少しているが、そのうち、初回申立の減少分が1285件(82%)を占めており、平成28年における申立件数の減少の主なる要因は初回申し立ての減少にあるということができる。」この点については・・・「本件事故から6年後に避難指示が解除される場合と同等の慰謝料額として平成30年3月までの慰謝料額の支払いを受けた被害者や、将来にわたる営業損害として年間逸失利益の2倍相当額の賠償金の支払いを受けた被害者にとって、和解手続き申立の契機となる直接請求における賠償対応への不満が顕在化する機会自体が、平成28年中にはなかったことが影響しているのではないかと考えられる。」と分析しています。

現在継続中のADR案件については、次のように報告しています。
「和解手続きが継続中の案件を見ると、本件事故からの時間の経過に伴い申立ごとの個別事情をより丁寧に踏まえた審理を必要とする案件や集団申立、普通地方公共団体による申立てを始めとする手続き進行に時間とマンパワーを必要とする案件の比重が大きくなっている。」
 
今後の見通しについては、被害者の損害賠償請求が各々の状況に合わせて多様化する見通しを述べています。 
「本件事故後の時間の経過に伴い、各申立人が置かれている状況に相当な差異が認められるようになっており、適切な和解案を提示するためには、申立ごとの個別事情をより丁寧に踏まえた審理を行うことが必要となっている 。」 
「センターとしては、以上のような申立件数等の動向を踏まえ、平成29年以降、上記各プレスリリースに基づいて賠償金の支払いを受けた被害者の直接請求における賠償対応に対する不満がどの程度顕在化するかを見極めつつ、引き続き、被害者に対する適切な賠償の実現を図るために必要な体制の維持に努め、和解仲介手続きによる紛争解決を必要とする被害者の期待に応えられるように尽力していきたい 。」 

「これらの「復興」に向けた各種施策の実施等ともあいまって、今後、個々の被害者の状況もこれまで以上に各人各様となり、賠償実現に関する被害者のニーズもさらに多様化していくのではないかと考えられる。」



活動状況報告書(平成28年)

  (内容の要約は、筆者によるものです。いしかわ)                     

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