福島原発事故とこれからの生活を考えるblog

by原発事故被害者支援司法書士団 team of shihosyoshi to support compensation for nuclear accident victims         

福島第一原発の事故で失ったものは何でしょうか?
様々なものが失われました。
失われたものを取り戻すために、何をすべきなのでしょうか。

写真で見る福島2021・田村市の聖火リレー

写真で見る福島2021・田村市の聖火リレー
 
 3月27日、田村市で、東京オリンピックの聖火リレーが行われた。

 東京オリンピックの開催は、福島復興のシンボルであり、聖火リレーもその行事の一環である。
リレーの沿道にはかなりの人が出ていて賑やかだった。しかし、リレー区間はコロナのためもあるのか短く、警備は何かが起こることをひどく警戒しているようで、厳重であった。

 この催しは、復興の光の部分が強調されているが、その陰で多くの人がまだ避難していることを思うと、違和感とともに素直に祝い喜ぶ気持ちにはなれなかった。
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 聖火リレーのポスター
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 聖火リレーを待つ人たち。立旗が立ち、人々は手旗を持っている。
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 公共放送局も来て大型のカメラを構えて待っている。
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 聖火を持って走る人。写真では見えないが、走者の左右に三人ずつ警備の人が並走していた。
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 警備はかなり厳重で観客は道の片側に寄せられ、一定間隔で警官が立っている。反対側に渡って写真を撮ろうとしたら、咎められた。最後尾には警察の警備車(デモのときよく見かける)が付いてきていた。


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写真で見る福島2021・大熊町

写真で見る福島2021・大熊町
 
2018年4月24日現在の大熊町の状況
現在、大熊町は原子力災害により、帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域の3つに分けられています。

令和3年4月1日現在の大熊町の居住状況・避難状況
住民登録者数   4,781世帯 10,212人
居住状況・避難状況
 内訳   県内 3,602世帯 7,840人
      県外 1,179世帯 2,372人
 町内居住者数   273世帯 316人
 町内居住推計人口 ※町に住民登録がない居住者を含めた推計人数  907人
       (大熊町HPによる)
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 大野駅(大熊町)の改札入口。駅は無人である。駅までの道路と駅は立ち入りができるが、その周辺は出来ない。
大熊町は、大野村と熊町村が合併してできた。駅名はその以前の名がそのまま使われている。
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 駅広場のすぐ隣に「この先帰還困難区域につき通行止め」の看板が立っている。 

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 駅内通路から双葉駅仙台方向を見る。

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 駅広場近くの民家。一部壊れたまま放置されている。

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 大熊町生活循環バス。一時帰宅する人が利用者の中心であろうか。

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 バスの時刻表。途中5か所に寄り、富岡駅に行く。

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 町の施設だろうか。建物に「線量計を貸します」とある。中には人がいるようだ。
双葉駅にはこのような施設はなかったと思う。やはり線量が高いのか。


以前のレポート
群馬司法書士新聞2012/02/10

梨の花咲く町から
群馬司法書士会が実施する仮設住宅訪問は今回で3回目となる。
今回は会津若松市の応急仮設住宅(以下仮設住宅と記す)、主に大熊町の方々が避難されている仮設住宅群を訪ねた。
大熊町は、第一原発の所在地として知られている町だ。行政区分では、双葉町、富岡町等の市町村と接し、東は太平洋と接する。
東日本大震災後、東電原子力発電所の事故により、町全体が立入り不可の地域となったため、住人全員が他市町村に避難している。
町役場も、その機能を移転せざるを得なくなり、現在、会津若松市栄町の会津若松市役所追手町第二庁舎に仮役場を開設し、その機能を移している。
大熊町は、阿武隈山系の山と雄大な太平洋に囲まれた自然豊かな町だ。フルーツ、特に梨の産地として名高い。梨の花は、町の花として定められている。「フルーツの香り漂うロマンの里 おおくま」は、町のキャッフレーズだ。
梨の栽培は、大正時代から本格的に始まったそうだ。その当時に植えられた梨の木が今も実を付けるという。樹齢は100年にもなる。
梨畑は、町役場の近隣に集中している。
梨畑の一番きれいな季節は春だ。桜が散ると、やがて梨の花がその可憐な白い花を咲かせ、高台から見ると、梨畑一面に咲く可憐な梨の花は、まるで雪景色のようだという。後記の商店主の奥さんは、「本当に綺麗よ。」と力を込めて、その情景を我々に語った。  
その故郷に、今は帰りたくても帰れない。
果樹園を営んでいたという避難者は、一時帰宅の折に見た梨畑を次のように表現した。
「草もぼうぼう。枝もぼうぼう。」
誰も手入れをしない田畑や果樹園は、自然の営みが勝手気ままに振る舞う。雑草がはびこり、昆虫がその棲家とする。
梨畑を元の状態に戻すには、仮に帰宅がかなったとしても容易ではない。前記の果樹園主は、再生の過程を次のように語った。
「今ある木はダメだ。もう使えない。全て切り倒し、根も全て掘り起こし、撤去しなければならない。その上で再び整地し、新しい木を植える。木が成長し収穫出来るようになるには、それから10年かかる。」
「俺の代では、無理だろう。」
梨畑は、第1原発から数kmの地域に集中している。帰宅が最も困難な地域と考えていいだろう。新しい木を植えることが出来るのはいつの日のことだろうか。その日は、現時点では限りなく遠い。
他の耕地も同様の状況だ。
仮設住宅の通路で軽自動車を洗車していた70歳代の男性に会った。自宅は第一原発の煙突が間近に見えるところにあるという。
洗車していた手を休めて、「稲作を中心とした農業をしてい
た。米の銘柄は、コシヒカリ、一毛作なので冬の間は殆ど休み」と、大地震前の、生業を語ってくれた。
「今の様子は?」との質問に対しては、
「田や畑は身の丈ほどの雑草が生えている。以前の田畑の面影はない。」
「牛や豚が好き勝手にうろついている」と、一時帰宅した折の状況を教えてくれた。
同じく農業をしていたという方に、他の仮設住宅でも会った。第1原発から3kmほどの地域に住んでいたという60歳代の男性は、「この先どうなるのか、どこに行くのか、全くわからない。」「自宅や田畑は、買い上げ、借り上げが現実的。」と、先の見通しを述べ、
「(原子炉を)廃炉するのに40年かかるというから、帰宅できるのは、30年40年先だろう。」
「俺は、100を軽く超えてしまう。」と、白い歯を見せた。
稲作は、大熊町農業の中心だ。水稲の作付面積は約600ヘクタールにも及ぶ。その豊かな水田が東電の原発事故により排出された放射能で汚染されてしまった。農業の再生の条件は汚染物質が取り除かれることが前提であるが、それだけではない。放棄された農地の再生は、長い時間を費やす根気のいる仕事であるという。また、帰宅までに、長い時間を要すれば、担い手である耕作者の高齢化も深刻な問題となるだろう。



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写真で見る福島2021・双葉町

写真で見る福島2021・双葉町
 
双葉町の人口、世帯数
2021年2月28日現在
人口5,760人  世帯数2,211
令和3年2月28日現在の避難状況は次のとおりです。
 なお、この避難状況は、平成23年3月11日現在の人口から、死亡者を除き、震災以降の転出者及び転入者、出生者を含むものであり、現在、町として支援対象となる人口の避難状況を表しています。
福島県内に避難されている方 4,017人
福島県外に避難されている方 2,777人
         ( 双葉町HP )

 双葉町は平成25年5月警戒区域が解除され(避難指示は継続のまま)、主要道路の通過通行、住民の一時的帰宅ができるようになっていたが、さらに令和2年3月4日に双葉駅周辺等の一部区域について、避難区域から解除された。
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 双葉駅 令和2年3月14日常磐線が全面再開した。その一年後である。
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プラットホームの表示。上り方面は「大野駅」(大熊町)下り方面は「浪江駅」
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双葉駅の乗車証明書。駅は無人で、プラットホームまでは自由に出入りできた。乗車する人はこの証明書(自動発行機)で降車駅で料金を支払う。
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プラットホームから浪江駅仙台方向を見る
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 駅から出るシャトルバス。伝承館行きとなっている。

以前のリポート
2014.1.10 群馬司法書士新聞
「何でここで寝てるんだろう」
双葉町からの移住を決断したCさんに聞く


「原発事故が起こるまでは、双葉町で息子夫婦と同居し、毎日、孫の顔を見ながら、平穏に暮らしていました。双葉町は、海が近いから、夏も涼しいし、冬も寒くないし、気候も穏やかで、魚も美味しいし、とてもいいところです。だけど、原発事故で避難しなくちゃならなくなって、群馬県で暮らしていた弟を頼って夫婦で避難しました。息子夫婦は新潟県に避難したので、それまで当たり前のように毎日見ていた孫の顔も見られません。
 国や県は、いつか帰還できるというふうに言うけれども、自分はもう家には帰れないと思ったんで、すぐに群馬県で家を探しはじめて、その年の暮れには、中古住宅を購入しました。自分はもう仕事をリタイアしていたこともあるでしょうが、県外に避難した中では、早くに帰らない、移住するということを決めたほうかもしれませんね。
 だんだんと群馬県での生活にも慣れてきて、今は、夫婦水入らずで、あちこちに出かけては趣味のスケッチに没頭する生活をしています。
 でもね、夜、布団に入りながら、ふと思うことがあるんです。
「ここどこだ?
オレ、何でここで寝てるんだろう?
 オレの家はここじゃねえんだよな」って。
やっぱり、ふるさとが一番なんですよね。
 双葉町にいたときは同居していた息子は、避難先の新潟県で仕事を見つけました。これからも息子たちは、新潟県で暮らしていくんだと思います。だから、もう、息子たちと一緒に住むことはできないでしょうね。孫の顔もたまにしか見れないし、寂しいですよ。」


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写真で見る福島2020・飯舘村

写真で見る福島2020・飯舘村

R3.3.1現在の飯館村の居住者の状況は次のとおりです。
県外避難者  195名   113世帯
県内避難者 3525名  1360世帯
村内居住者 1481名   770世帯  
   R3.3.1現在 飯館村HP
約3割の方が帰村して暮らしています。
ちなみに、飯館村の避難区域の変遷は以下のとおりです。
避難指示解除準備区域(平成29年3月31日解除)
居住制限区域(平成29年3月31日解除) 
帰還困難区域(村内一部)
飯館村役場CIMG2999
写真1 飯館村役場 立派な建物で、原発以前からこの村が豊かな村であったことを示している
飯館村文化祭2CIMG2995

飯館村文化祭CIMG2993
写真2、3 飯館村の文化祭 大勢の人が集まり活況でした。
飯舘村交流センターふれ愛館CIMG3003
写真4 飯館村文化交流センター まだ建築後新しい
いいたての希望飯館村学校
写真5 中小一貫校である「いいたて希望の里学園」の校舎。新築の校舎がまぶしい。
飯館村風景
写真6 高台から飯館村の風景。新しい建物が目立つ。国が進める復興の象徴なのか。


以前のリポート
2017年11月24日 原発被災地ルポ
「川辺の復興住宅=飯館村」
 霊山から飯館村に向かう。村に入る手前の谷に、大規模なフレコンパック置き場が作られていた。置き場の入り口の空間線量計は0.45マイクロシーベルトを表示している。持参した線量計を道ばたの草の上に置くと、数値は8マイクロシーベルトまで上がった。

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 飯館村大谷地の以前は村営住宅があった場所に「大谷地団地」が新たに作られた。一部二階建て一棟4戸の復興住宅が4棟、16世帯分の団地だ。穏やかな木造の建物は、周囲の景色になじんでいる。建物の周囲には砂利がしかれ、時雨に濡れた道のアスファルトが雲間から射す午後の陽光を照り返していた。細い川を挟んだ対岸には、大谷地の古い家並が並んでいる。

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 「猪の親子が並んで通ったよ」
 7月まで大野台の仮設にいたという男性が言った。
 「狐の鳴き声も聞こえる。しかし、猪も狐も、人が戻ってきたの知って、段々出なくなってきたな」
復興住宅は仮設とは比べものにならぬほど快適だが、住環境は不便だという。週に二度、移動販売の車が来るくらいで、日常生活に必要な品物を買う場所もない。
 「道の駅に行ってコーヒーを飲むくらいが楽しみだな」と言った。
 子どもたちは福島の方で暮らしているという。
 「そっちにある家は大概取り壊すんだよ」
 向こう岸の家並を見ながら男性が言った。
 「6年も7年も締め切りなんだ。外見はそうでもなくとも、実際は相当痛んでいる。住めるようにするまでどれだけ金がかかるか。直したところでいつ戻れるか。そんなことを考えたら、壊すしかないな」
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 大谷地の集落はいつ頃できたのだろうか。集落の北にある綿津美神社の創建は1200年前だというから、相当の歴史を経てきた場所に違いない。川に沿って建てられた家々を眺めながら、谷間に農地を開き、川と街道が交わる場所で営まれてきた歴史を思い、原発事故が危機に陥らせているのだということを実感した。
             

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写真でみる福島2020・広野町

写真でみる福島2020 令和2年10月

写真1 広野駅 昼のせいか人影はない。
広野駅

写真2 広野駅の近くの新築のテナントビル テナント募集の旗がゆれる
 
広野駅CIMG2930

写真3 広野駅の時刻表 本数は少ない。
広野駅時刻表

写真4 広野の復興住宅1 戸建住宅はほとんど人が住んでいる。

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写真5 広野の復興住宅2 集合住宅 空き家が目立つ
広野町復興住宅の今2 (2)

以前のリポート

平成23年4月のリポート

久之浜漁港で初めて、津波による被害を目の当たりにした。6号線の東、浜側の建物は、壊れた倉庫を除いてなくなり、自動車や漁船や、瓦礫が浜側に寄せ集められている。港にはだれもいない。

--------------------------------------------------久ノ浜


平成25年12月

常磐自動車道のいわき四倉インターチェンジから東に245号線を進むと、いわき市久之浜町に出る。久之浜地区はいわき市の北,広野町に達する手前に位置する。久之浜も津波被害地だ。国道を境に海側の地域が被害にあった。




(写真 245号線跨線橋から久ノ浜を望む。手前は常磐線、沿って走る6号線。中央岩肌の見える山の下が大久川の河口となっている。2013年12月15日撮影)



その一角に災害公営住宅が建設中だ。建設地復興住宅1ひは、国道6号線を北上した右手にある。完成予想図が工事現場の入口付近に掲げられている。工事は基礎工事の段階だが急ピッチで進んでいる。建設計画では、共同住宅は鉄筋コンクリート造り2棟で、8階建64戸と7階建56戸の合計120戸で、2LDK60戸、3LDK60戸が予定されている。 戸建は16戸〔下記意向調査は18戸となっている〕で2LDK8戸、 3LDK8戸。153㎡の平家の集会場もある。建築費用は、町が8分の1、国が8分の7を負担する。入居者の募集は昨年10月22日に開始され、12月24日で締め切られた。いわき市が、平成24年3月13日から15日に行った入居意向調査では、震災で家を失った対象世帯はいわき市全体で6367世帯、そのうち入居希望世帯は1634世帯であった。久之浜地区の入居希望者は定数120に対し107で倍率は0.89倍だが、そのうち戸建の希望者は定数18に対し希望31であった。


(写真 災害公営住宅地の擁壁が前方に見える。大久川中央に傾いた橋桁が残っている。この川を競り上がった津波が岸辺の家と橋を流し去った。2013年12月15日撮影)  

平成25年初冬の広野町駅の周辺は、一見、平成23年4月にリポートした状況とあまり変化が感じられなかった。駅前の商店街は閑散とし、通行人の姿も見当たらない。異なった点と言ったら、駅前の信用金庫が営業を再開し、当時商店街の外れに置かれていた進入禁止の看板が撤去されていたぐらいだろうか。

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駅前広場にはタクシーが2台、所在無さそうに客待ちをしていた。やはり、人影はない。常磐線は、まだ全線開通していていない。現在は広野町が終着で以北は開通しておらず、いわき・水戸方面に1時間に1本の間隔で運行している。広野町駅が終点で折り返し運転中だ。


広2




ちょうど列車が発車するところだった。女性の車掌が身をのりだし、それほど多くはない乗客の安全を確認し、ドアを閉めた。列車が発車し、一時の喧騒が去り再び静けさが戻る。

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電車が占めていた空間がポッカリと空くと、歩線橋を渡った向こう側プラットホームの五つ並んだ青い椅子の先に、津波被害地の荒涼とした景色が現れた。さらにその先、防風林の先には青黒い海が広がっている。何一つない荒れ地の広がり具合からすれば、津波はちょうど駅の向こう側まで押し寄せたに違いない。

jR常磐線は、広野町を縦割りするように走っている。線路は高さ6m程土盛りをした上を走っている。線路をはさんで海側と陸側では全く光景が異なる。海側は津波で破壊尽くされているが陸側は何事もなかったように家々が建ち並んでいる。線路の脇に立ってみると常磐線が防潮堤の役割を担ったということが歴然とわかる。これは地元の人達も口々に言っていることだ。
                                                                                                                  




 


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終わらない原発被害・原発事故から10年。

終わらない原発被害・原発事故から10年。
 
原発事故から10年。
  3月11日で、東日本大震災、福島原発事故から10年目を迎えました。もうそんなに月日が経ったのかと思いがします。
 復興庁のデータでは.避難者数は41000人(今年2月26日調査時点、ただし自主避難者等でここに数えられていない人もいます)となっています。平成24年のピーク時には164、865人で、かなり減っているようにみえますが、10年という年月がたってもまだこれほど多くの人たちが避難生活を余儀なくされていることは、事故の重大さと、これを起こした国や東京電力の責任の大きさを物語っています。
 また福島に戻れたとしても、今までと別の場所に住み別の仕事をしている人、復興住宅での慣れない生活に苦しむ人、自分の家に戻っても病院、介護施設等生活環境がもとにもどらない、仕事が前のようにならないこと等に悩む人など、人それぞれに10年間のご苦労があったことと思います。
また、放射線や事故原発炉が近くにあることを不安に思う人もいるでしょう。2月にあった福島沖の地震では、またかと驚いた方も多かったと思います。原発に異常がないというユュースを聞いてほっとしました。福島に住んでいる司法書士仲間(相馬市と南相馬市)にも電話してケガや被害がなかったと聞き安堵しました。
 しかし、対応を真剣に考えるべき国や地方公共団体は、ともすれば事故を隠し小さく見せることに腐心しているのではないかとさえ感じます。
 昨年10月に、双葉町に開館した原子力災害伝承館へ行ってきました。この施設は国が50数億円を負担し、福島県が設立した(公財)福島イノベーション・コースト構想推進機構が運営しています。施設の名称が「原子力事故」ではなく「原子力災害」とし人災であることを曖昧にしているところに、もうその運営方針があらわれています。展示も被害状況や被害者を伝えるものは少なく、事故の責任について考えるものはほとんどありません。たとえば双葉町が展示をもとめた「原子力明るい未来のエネルギー」の標語看板は結局展示されませんでした。被害者等からもその運営方針と展示内容に疑問と批判の声が上がっていると聞いています。
そもそも運営主体たる公益財団は、「福島イノベーション・コースト構想を推進するため…原子力災害により産業基盤が失われた浜通り地域等の復興及び再生..する、」ことを目的とした法人です。その理事長は株式会社IHI〔前石川島播磨重工〕の相談役であり、他の役員も被害者避難者を代表すると思われる人は見当たりません。この目的と、この役員から観て、原発事故の伝承資料を収集して展示させること自体不適当ではないでしょうか。
国はこのような事業に50数億円を使い、何をしようとしているのでしょう。原発事故の被害と責任を曖昧にするためではないか、と疑いをもたざるを得ません。
 当支援団は、規模も声も小さいながら、事故のことを忘れず、被害者の方々への情報提供・相談等の活動・政策提言等を今後も出来るだけ続けていくつもりです。    (さくらい)

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写真1 伝承館の看板
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写真2 伝承館の近くに残る津波の残骸 この方が展示としてふさわしい。この後新聞によるとこの残骸は撤去された。
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写真3 伝承館建物


 原発事故に関連したことでお悩みの方やご不満がある方は、原発事故被害者支援司法書士団にご相談ください。
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 お悩みの方、ぜひ、ご相談ください。(下記フリーダイヤルにお電話ください。) 


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大玉村の復興桜

大玉村仮設住宅
久しぶりに大玉村の仮設住宅を訪れました。(2019)
なだらかな阿多多羅山の山裾に建てられた住宅は一部 撤去されていました。
住民が復興を願って植えた復興桜は2年前は若木でしたが今はすくすく成長し 4 M ほどになっています。
雑草の中に復興桜の看板が埋もれていました。
根元は雑草に覆われ 手入れをする人もいないようです。
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