福島原発事故とこれからの生活を考えるblog

by原発事故被害者支援司法書士団 team of shihosyoshi to support compensation for nuclear accident victims         

福島第一原発の事故で失ったものは何でしょうか?
様々なものが失われました。
失われたものを取り戻すために、何をすべきなのでしょうか。

2015年01月

中越地震から10年、旧山古志村の今。(終)

福島の復興に向けて

福島の復興に向けて


 中越地震の被災地は、もともと過疎化の進んでいた農山村を襲った震災だったという点を特筆しなければならない。
 被災地では震災を機に利便性を求めて地域を離れる人が増え、一説によると、過疎化、高齢化の時計の針を一気に15年~数十年早めてしまったともいわれている。現に、山古志地区の住民数は震災後の10年でほぼ半減したとのことである。
山古志9
山古志8
山古志1

 おそらく、東京電力福島第一原発事故の被災地でも、帰還政策が促進されたとしても、過疎化、高齢化に拍車のかかる可能性が高いだろう。現実に、これから実際に何がどう進行していくのかしっかりと見極める必要がある。帰還の政策や復興の構想は、こうした現実を踏まえて発想すべきだろう。そういった観点から、中越地震から10年というの節目の年を迎える山古志が、どのように復興し、今後どう進もうとしているのか、原発避難者にとっての復興を考える上でのヒントが隠されているに違いない。

 全村避難を余儀なくされ、避難所から長く仮設住宅で暮らした旧山古志村ではあるが、原子力発電所事故による放射性物質の残る福島と状況は異なる。「ひとつとして同じ災害はない」といわれるように、神戸という大都市を襲った阪神・淡路大震災と新潟県中越地震も異なるし、地震・津波・原発事故の複合災害となった東日本大震災もまた異なるところはあるだろう。
 それでも、旧山古志村をはじめとする新潟県中越地方の農山村を襲った新潟県中越地震から見事なまでの復興を遂げたこの地に学ぶべき点も多くあるように感じる。それは地域のコミュニティーの復興であり、震災被災地に止まらず、過疎化、高齢化に悩む全国の農山村に通底することでもあるだろう。
 福島の復興に何が必要なのか、真剣に考えなければならない。
                                     (終 さく) 

中越地震から10年、旧山古志村の今。(5)

山古志闘牛場

山古志闘牛場

 12時「震災復興資料館さとみあん」での、おにぎりの食事も早々に山古志闘牛場に向かう。
 山古志の闘牛は、同じ新潟県の小千谷とともに、国の重要無形文化財に指定されている。その歴史は古く約千年も前からで、荷物を運搬したり、山間の棚田を耕作するために飼っていた牛を、農閑期の娯楽として「角突き合わせ」たことが始まりとされ、今に至るまで続いている。「引き分け」が原則で、勝負をつけないことがその特徴だ。まだ闘志が残る牛を、15人ほどの勢子が引き離すのだそうだ。
 
 闘牛場は高台にあり、その下の駐車場は観光客の車でほぼ満車に近い。駐車係の人の案内で、少し離れた場所に駐車する。そこから歩いて闘牛場に向かう。
 坂道を登っていくと道筋に幟が何本も立っている。幟には、たとえば「山古志○○号」という具合に地名と牛の名前が書いてある。
山古志11

闘牛場は円形で、ローマの円形競技場を彷彿させる。
 コンクリートの客席に座るが、席はほぼ満員で人垣で埋まっている。ちょうど取組が始まる。二頭の牛が出てきて、勢子が組み合わせる。「ガツン」と角がぶつかる音がし、思ったよりずっと迫力がある。
山古志12

山古志13

 震災10周年牛の角突き実行委員会は「ご来場の皆様へ」の中で次のように述べている。
「10年前、新潟県中越大震災に見舞われ、絶望の淵に立たされたあの日、全国からたくさんの激励をいただきました。その励ましに後押しされ、私たち、牛仲間誓い合いました。「また、角突きをやろう ふるさとの復興のために、まずは自分たちが立ち上がろう」と」。
 山古志の闘牛は、震災の翌年には避難場所の仮設闘牛場で例年どおり行われ、二年後には早くも山古志で開催された。
 観光客が思ったより多いのに驚いたが、スタッフの多さ、はつらつとしたその動きも目に焼き付いた。若い人も思ったより多い。スタッフの一人の「震災前は俺たちが角突きを無形文化財にまでしたんだという自負が強かったが、震災後は角突きのおかげで自分たちは纏まり、ここまで来れたと、みんな思っている」という話が印象に残った。
                                           (続く さく)

中越地震から10年、旧山古志村の今。(4)

「(辛い)経験を未来に生かす」

「(辛い)経験を未来に生かす」

   11時を過ぎ、西へ東竹沢地区にある木籠集落に向かう。ここは山崩れで川が塞き止められ、上流の家14軒が水没したところだ。そこにある「震災復興資料館さとみあん」に車を止め、すぐ近くの水没現場を見に行く。

 橋の上から見下ろすと、河原の生い茂った草の中から、家の屋根だけが見え、その直ぐ脇を細長く川が流れている。視線をすこし先に移すと、二階だけが姿を見せブルーのシートが掛けられた家がある。その姿は痛々しい。住んでいた人がこれを見ることはつらいことだろう。しかし山古志では、敢えてこれを残し保存しているという。
 山古志では昔から地震でよく山崩れが起きていた。その経験が伝えられ、災害に備えての準備ができていた。中越地震の時、倒壊家屋の数の割には死傷者がとても少なかったのはそのためだ。下敷きになった人は近所の人が協力して救出したという。だから今回の震災でも、その姿を遺構として、未来への教訓として人々の記憶に残すのだという。
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 東日本大震災の被災地でも、被災建築物を震災遺構として残すべきか否かの議論が、ときおり新聞をにぎわす。「見るのがつらい」という住民の声で、取り壊しが決まった構造物もある。つらい記憶を喚起するものはないほうがよい、というのが人情かもしれない。私たちは、東日本大震災の何を未来の人に語り残すべきか、正直迷う。取材のため、仮設住宅を訪れ、住民の人たちから話を聞くことも多い。被災者にとっては、辛い経験を語ってもらっているということは否定できない。 
 でも、震災の記憶はつらいがとても貴重な経験だ。これは後世の人にとっても大切な遺産になろう。それは山古志村のように、後の災害で人の命を救うことになるかもしれない。やはり、語ってもらい、聞き、記録し、記憶に残したい。
 このブログも原発事故による避難者に情報を伝えることが主な目的であるが、その経験と声を後世に残すためのものでもある。
 山古志の人たちの話や行動からは、未来へという志向、「(辛い)経験を未来に生かす」という考えが基にあることを感じる。この部落の住人の多くは、今復興住宅に住んでいるが、それはこの遺構のすぐ近くにある。
山古志10
                       (続く さく) 

中越地震から10年、旧山古志村の今。(3)

山古志の集合復興住宅

   集会場と同じ敷地の少し奥に、集合復興住宅があった。
山古志5

住民の方は集会場に出ているせいか人影はない。住宅の前に少し畑があり大根とかの野菜が植えられている。
 見学用のモデルハウスがあったので、見学した。地元の木材を使っており、柱や天井は材木の素材のままだ。敢えてそうしてあると言う。使う人間が内装を自由に決められるためと、手を入れる地元の人の仕事が無くならないようにするためだそうだ。家族構成の変化で部屋を増やすスペースも用意されていた。
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                      (続く さく)

新春の言葉 「原発事故被害を風化させないために」

新春に思う

 東日本大震災と、引き続いて起こった福島第一原発の事故から4回目の新年を迎えました。今年の3月11日には事故から丸4年の年月が過ぎることになります。
 時の流れは平等ではありますが、被災地での時の流れと、被災地以外の時の流れは異なっているかの様に思えます。被災地以外では震災や原発事故の記憶は急速に薄れています。昨年12月28日の南相馬市の特定避難勧奨地点の指定解除は、ほとんど世間で議論されることはありませんでした。
 指定解除といえば喜ばしいことと考えがちですが、そこには線量の二重基準や子供たちの被ばくの問題、再除染の問題、そして近い将来の賠償打ち切りの問題等、様々な問題が隠されています。それらの問題の存在を、被災地以外の人が意識することが大変難しい状況になってきているのかもしれません。
 しかし、被災地には、戻ることもできず、かといって別の土地に移住することもかなわぬ被災者がとり残されている現実があります。個人の事情、家族の事情、職場の事情など、様々な事情にがんじがらめになり、戻ることも出ていくこともできない方々が、個人の判断に基づき行動をするためには、きちんとした賠償や支援が必要です。そのような賠償や支援が、時を経るごとに難しくなっていっている、という現状認識をしなければならないでしょう。
 我々司法書士は、今年も被災者の皆様のお気持ちにより沿い、支援活動を続けていく所存です。どうぞ、お気軽にご相談下さい。
           平成27年元旦 
           原発事故被害者支援司法書士団
新年15
 初日の出 (群馬県高崎市)
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