2016年10月01日

原発立地をめぐる利権と電源三法~田中角栄の中央への反骨から自らの中央化まで~③

引き続き阿修羅リンクより転載します。
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熊野灘での漁民の抵抗後、原発は浜岡へ
 原発誘致は、深く静かに進められた。福島では、最初、開発側は原発とは一言も口にせず、「井戸を掘らせてくれ」と地元に入ってきている。福井や福島では県の開発公社が用地の取得や漁業権の補償交渉の肩代わりをした。異を唱える住民は、個別撃破で切り崩される。しかし、開発側の暗躍は、かえって地元の反感をかきたてた。
 公害問題が深刻化し、環境保護が叫ばれるようになると各地で反対運動が起きた。最も激烈だったのが三重県の熊野灘での漁民の抵抗だ。
 三重県は、63年に地域開発を掲げ、熊野灘の芦浜を原発候補地として中部電力に推薦した。地元では反対運動が火を噴く。中部電力の幹部が地元民の「理解」を得ようとしたが、嵐のような抗議を受ける。開発者との角逐は、66年9月、新潟で室町産業が砂丘地の所有権を握ったのと同じころ、「名倉事件」へとエスカレートした。これは、漁民が中曽根康弘らの視察を名倉港で阻止し、暴行罪に問われた事件だ。
 芦浜の混乱は収拾がつかなくなり、三重県知事は原発誘致の凍結を宣言する。中部電力は、熊野灘を諦め、静岡県の浜岡町に立地を変えて原発を建設することになる。  
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gensenkeijiban at 12:14|PermalinkComments(0)

2016年09月30日

原子力の扉はこうして開けられた~敗戦から「原子力予算案」の成立まで~③

引き続き阿修羅リンクより転載します。
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原子力利用に慎重だった科学者
 世界の原子力利用は、米国が原子爆弾開発の「マンハッタンプロジェクト」で先導した。米国はナチス・ドイツからの亡命研究者を集めて急ピッチで開発を進めた。
 日本も戦中に原爆研究に手をつけている。陸軍は、理化学研究所の仁科芳雄のグループに研究を依頼。そのプロジェクトには仁科の頭文字から「ニ号研究」の暗号名がふられ、福島県石川町や朝鮮半島、東南アジアでウラン鉱石探しが行われた。仁科グループは、ウラン235を熱拡散法で「濃縮」すれば原爆を製造できると結論づけたが、実現にはほど遠かった。海軍は、艦政本部が京都帝大の荒勝文策教授に原爆研究を頼み、プロジェクトは「F研究(分裂=Fission)」と呼ばれたものの陸軍よりも成果は少なく、敗戦を迎えている。  
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gensenkeijiban at 19:28|PermalinkComments(0)

2016年09月29日

朝日、読売を国税狙い撃ち「財務省には逆らえない」と幹部談

財務官僚が簡単にマスコミを手中に収められる構造です。

『朝日、読売を国税狙い撃ち「財務省には逆らえない」と幹部談』(週刊ポスト2011年10月7日号)リンクより転載します。
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財務省の強さ――それは国家の予算を握っていることだけでなく、情報収集力と組織の結束の強さこそ、官僚主導政治を根付かせてきた秘密だろう。財務官僚たちの影響下にあるのは民主党政権だけではない。彼らは政・官・司・財・報に幅広く支配の手を伸ばしている。

政権交代をはさんだこの数年、財務省が最も力を入れてきたのが「第4の権力」であるメディアへの工作だった。

財務省が本格的に増税に向けたメディア工作をスタートさせたのは、「消費税増税なしで財政再建できるとは考えられないし、安心できる社会保障制度も成り立たない」と消費税増税路線を鮮明にした福田康夫首相の頃とされ、世論工作の司令塔を長く務めてきたのが「財務省の天皇」の異名を持つ事務方トップの勝栄二郎・事務次官の直系とされる香川俊介・官房長だ。
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gensenkeijiban at 19:27|PermalinkComments(0)