江戸時代にはもったいないの気持ちがあったのだろうか。
江戸時代ではいろんな事が仕事となり無駄をなくし、捨てることが今よりすごく少なかった。
しかし今の現代人はもったいない等という感覚を忘れ、無駄を増やし捨てることが多い。
今回は江戸時代のリサイクルのような仕事を追求していく。 にほんブログ村 環境ブログへ
以下リンク引用

--------------------------------------------------------

江戸庶民が着ていた服はほとんど「古着」
『守貞漫稿』には、「もったいない」をモットーとした商人たちの姿が描かれている。もっとも江戸時代には現代のような「地球環境問題」は存在せず、モノが不足し、あらゆるモノを資源として再利用しなければならない時代だった。

庶民の暮らしも決して裕福とはいえず、新品は高価で手に入らなかった。そこで、日用品のほとんどは使い捨てすることなく、リユース、リサイクル業者に託され、再販されたのである。

「竹具の四足なるを担う。故に竹馬と云う。古衣服および古衣を解き分ちて、衿(えり)あるいは裡(うら / 衣服の裏地)、その他諸用の小物を売る」(『守貞漫稿』)とある。竹で組んだ四足の運搬具に衣類や服のパーツを下げ、担いで町中を売り歩いていた行商人である。

衿・裡などのパーツは、長屋の奥さんたちが購入し、夫や子どもの衣類の修繕に利用した。当時の庶民の女性に、針仕事は必須だった。

江戸時代の庶民が着る服はほとんどがこうした古着か、もしくは繰り返し修繕したものだった。ボロボロになるまで着倒し、いよいよ修繕できなくなると、古着屋がまた買い取る。古着屋は衣服をパーツごとにバラし、あるいは専門家ならではの技術で修繕し、さらに売る。無駄は一切なかった。

古着専門の露店も、神田川南岸に沿って築かれた土手沿いに軒を連ねていたという。現在の神田万世橋、つまり秋葉原の辺りである。オタクの聖地は、かつて古着街だったわけだ。

江戸時代は資源を再利用する「循環型社会」
リユース、リサイクルは衣服のみならず、あらゆる日用品に及んでいた。
鍋釜、傘の例を『守貞漫稿』から紹介しよう。

鍋釜の修理人は「鋳鉄師(鋳掛屋)」という。

棒手振の鋳鉄師は鍋・釜を「造る」ほどの技術はないが、ひび割れや穴が空いたところにハンダを流し込んで、もう一度、使えるようにする。庶民には頼りにされる存在だった。鋳鉄師が天秤棒で担いで歩く商売道具は鞴(ふいご)だ。依頼があればその場で火をおこし、鞴で風を送って修繕材料の金属を溶かしていた。

「月夜に釜を抜かれる」という諺(ことわざ)がある。月夜に照らされた明るい夜でさえ、油断すると釜を盗まれるから注意しろという意味である。つまり、鍋釜などの金属類は盗人(ぬすっと)が狙う貴重品。大切なだけに破損したからといって捨てることなどできず、修理を繰り返し、長く愛用すべきモノだった。

傘は捨てず、骨組みだけになると、古傘買いが買い取った。

買取値段は、江戸では破損具合によって四文から十二文だったと『守貞漫稿』にある。一方、上方(京坂)では物々交換が主流で、傘の骨組みを土瓶や団扇(うちわ)などと交換してくれたらしい。

回収された傘は古傘買いが問屋に持ち込み、問屋は傘張りの内職をしている浪人などに張り替えを依頼し、再び商品へと生まれ変わる。江戸時代は、こうした循環型社会だったのである。嵐のたびに、あちこちにビニール傘が打ち捨てられている現代とは大違いだ。

「還魂紙」「蝋涙」という言葉の意味
灰、紙もリサイクルの対象だった。

江戸時代、各家庭には竃(かまど)があり、木材や藁(わら)を燃料としていた。当然、大量の灰が出る。

灰は土壌改良や農産物の肥料、さらに染料や酒の加工に役立つ資源だった。そこで、灰を買い取って集める業者「灰買い」が登場した。積もれば重量もあり、また髪が灰だらけになってしまう重労働だったという。

紙も貴重品で、「紙屑買い」の需要も高かった。もっとも、こちらは庶民ではなく、主に商家が対象だった。不要となった帳簿類などが大量にあったからだ。

買い取った古紙は紙問屋が回収し、業者に頼んで漉(す)き返す。再生紙は質も劣化してい
たため、厠(かわや=便所)用や鼻紙などとして用いられた。この時代、紙の再生を徹底して行っていたのは、世界でも稀だった。

こうした再生紙を「還魂紙」(かんこんし)といった。使い古した紙に、魂を還してよみがえらせるという意味がある。

興味深いのが「蝋燭(ろうそく)の流れ買い」である。提灯(ちょうちん)や行灯(あんどん)には蝋燭が使われていたが、上級武士や商家、遊郭などでしか使われない高級品だった。そこで、燭台から流れ出た蝋を買い集め、再利用したのである。流れた蝋は「蝋涙」(ろうるい)と言われた。

蝋燭の流れ買いは、「人扮定めなし」(『守貞漫稿』)。つまり、扮装や道具類にこれといった特徴がなかったようで、守貞は「故に絵にせず」としているが、江戸の流行作家・山東京伝の『冷哉汲立清水記』(ひゃっこいくみたてせいすいき)に絵がある。

(吉住岳人)